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第四章

1 第四章

 賢者は、生きられるだけ生きるのではなく、

 生きなければならないだけ生きる。

         (ミシェル・ド・モンテーニュ)                            

 

              

 

「帰ってもらって、ウィンザレオ」
「出て来いよ、シャルル。こいつら、お前にどうしても会いたいんだってよ」
 僕らがいる事に気が付いたシャルルは、すぐに家に閉じ篭ってしまっていた。ウィンザレオがノッカーをゴンゴン鳴らして呼びかけているけど、出てきそうな気配は今のところ見られない。

 僕はウィンザレオに問いかけた。
「ねぇ、ウィンザレオ。どうしてシャルルは僕らに会ってくれないの?」
 次いで、クリスも訊ねた。
「うむ。どうやら我われだからというわけではなく、誰とも会いたくないようだが。なぜだ、ウィンザレオ?」
「シャルルに訊けよ。俺からは言いたくねぇ」
 ウィンザレオはぶっきらぼうに答えると、またノッカーを叩いた。


「そのシャルルが出て来ないのだ。これでは『鶏と卵』だろう」
 僕らの少し後ろで静観していたハッピーが、開けたままの真っ赤な口を、少しも動かさずにそう言った。
 どうなってるんだろう、ハッピーの口って?
 それより。
「鶏と卵? ねぇ、ハッピー。どういうこと、それ?」
「鶏と卵。どちらが先にあったのか、という話しだ」
「えっ? 卵でしょ? 鶏は卵から生まれるんだから」
「では、その卵はどこから生まれる?」
「それはもちろん、鶏から……あっ」
「そういうことだ」
 僕が一つの考えに行き当たったのを察してか、ハッピーがゆっくりと頷いた。

「くだらん話しをしている場合か、ディア」
 クリスがそんな僕らを見て溜め息をついた。
 むっ。なに、その態度?
「くだらない? じゃあ、クリスにはどっちが先か分かっているの?」
「もちろんだ。私は天界にいたんだぞ」
 絶対に分からないと思っていた僕の予想に反して、クリスは自信満々に胸を張った。そうすると、クリスの胸の大きさが良く分かる。
 なんでクリスの胸って、こんなに膨らんでいるんだろう? 何か入ってるのかな?
「グファファ! そりゃ本当か? 面白い! どっちだ、天使ちゃん?」
 シャルルに呼びかけていたウィンザレオも手を止めて、クリスをニヤニヤしながら見つめている。

「ちょっと、ウィンザレオ! なんでこっちの話しに入ってくるの? シャルルを呼んでよ!」
「ああ? いいじゃねぇか、ちっとくらい。シャルルはどこにも逃げねぇよ」
「そういう問題じゃないよ! 不真面目に思われるじゃないか!」
「んじゃ、おめーが呼べよ、お姫様。俺はクリスの答えが聞きたいんだ」
「僕だって知りたいもん! あ、そうだ! ハッピーに!」
 頑として言う事を聞いてくれそうにないウィンザレオを諦め、僕はハッピーに目を向けた。
「断る。私も知りたいからだ。第一、そんな願いでいいのか?」
「うっ。……よく、ない……」
 さくっと断るハッピーに、僕はあっさり弾かれた。
 うーん。命懸けでするお願いでもないしなぁ。ちょっと勿体無いよね。

「なんだなんだ。困ったやつらだな。仕方が無い、すぐに結論を教えてやろう。このままでは、本当にシャルルが出てきてくれなくなる」
 揉める僕たちを、クリスは呆れ果てたように手を腰に置いて見回した。
「そうだね。早くお願い、クリス」
「グファ。ちゃちゃっとな」
「押さないでくれ。私は重さがないのだ」
 クリスに向かって身を乗り出す僕とウィンザレオに、ハッピーが押し潰されそうになっている。

 意外な感触。ちゃんと触れるし、なんだか少し温かい。黒猫って感じ。

 僕は初めて触れたハッピーに、そんな感想を抱いていた。

 クリスは一旦息を大きく吸い込むと、その薄い唇を開いた。
「鶏と卵。どちらが先かというと……」
 僕はごくりと唾を飲み込んだ。
 その時、後ろから小さな金属音がした。
「グファ! つーかまーえたっ!」
「きゃあああ! 放しなさいよ、ウィンザレオ!」
「えっ? シャルルの声?」
 突然大声を上げたウィンザレオとシャルルの悲鳴に驚いた僕は、何事かと振り返った。そこには、黒い布で目隠しをされたシャルルが、ウィンザレオに抱き上げられてジタバタしている姿があった。
「グファファ! シャルルもその話が気になるってよ! グファファ!」
「き、気になんかなってない! いいから放して、ウィンザレオ!」
 どうやらシャルルもクリスの答えが気になっていたらしい。聞き耳を立てようと扉を開けたところを、ウィンザレオに捕まったようだ。
 それはいいけど。
「ねぇ、ウィンザレオ。どうしてシャルルは目隠ししてるの? 誰がやったの、それ?」

 


 宙に浮かされて手足をばたばたとさせているシャルルのワンピースは、あちこちがめくれ上がり、あんまり直視しちゃ悪い気がした。後ろから腰を両手で持たれているんだから、シャルルの手は自由だ。
 なんでシャルルは目隠しを取らないんだろう? 自分でやったんだろうか?
「あの目隠しはウィンザレオがやったものだ、ディア。シャルルをドアの向こうから引きずり出すと同時に、目隠しまでしていた。凄まじいスピードだな」
「ええっ? 凄いね、それ」
 クリスは家の方を向いていたから、ウィンザレオの行動が確認出来たみたいだ。
「まぁな」とウィンクするウィンザレオの目尻に寄るシワが、かわいく感じた。
「さ、シャルル。これなら大丈夫だろ? こいつらの話を聞いてやれよ。こいつら、ウィルに頼まれてここまで来てんだからよ」
「えっ? お兄さまに?」
 とん、と地面に下ろされたシャルルが、目隠しされたまま、ウィンザレオを見上げた。
 声のする方を向いただけだよね。見えるわけないし。

 こうしてゆっくりシャルルを見ると、ウィルの面影は髪くらいかな、と僕は思った。髪は赤い滝みたいに真っ直ぐ肩まで伸びている。全体的に丸い顔の輪郭はほっぺたの膨らみがまだ目立つくらいに幼く、十二、三歳かな、と僕に予想させた。ふわりとした赤いワンピースを着ているのに、華奢な印象を与える体格は、小さくて頼りなくって儚げだ。
 僕らは黙ってシャルルの答えを待った。
「……そう。ウィンザレオが連れて来る人たちに、間違いも無いでしょう。これなら顔も見ずに済むし。いいわ。入ってちょうだい。おもてなしは出来ないけれど」
 やがて、シャルルは観念したようにそう言った。
 ウィンザレオ、随分信頼されてるなぁ。部下を見殺しにするような人なんだけど。でも、僕らの世話は焼いてくれているし。ウィンザレオって、良く分からない人だな。
 そんな事を考えながら、僕らはシャルルの手を引くウィンザレオに続いて家に入った。
 あ。
 結局、鶏と卵は、どっちが先か聞いてない。
 これからもっと大事な話をしなければならないというのに、僕の気は散っていた。

 

 ウィンザレオが開けたドアから、まずはシャルルが家に入る。ウィンザレオはシャルルの手を引き、誘導している。荒々しい見かけにはそぐわない優しいエスコートに、僕は少し感心していた。
 板張りの床にブーツがゴツゴツと音を立てる。部屋は全体的に薄い緑に塗られていて、壁にはタマネギやじゃがいもがぶら下がっていた。部屋の中はなんだか甘い匂いがした。
「いい香りがするな。ポプリか」
 クリスが壁にある額縁を見て呟いた。
 乾燥させた花々が木枠に張り付けられている。その下に、小さな麻の袋がぶら下がり、揺れていた。香りはそこから来ているらしい。こじんまりとした部屋の中央には四人掛けの丸いテーブルセットが一揃い。その奥に土間があり、赤レンガで丸く組み上げられた薪窯があった。
 きちんと整頓された家だ。
 明るくて優しい雰囲気に包まれている気がする。
 僕は素朴なこの家にいい印象を抱いた。

「ほれ。座れよ、シャルル」
 ウィンザレオが椅子を引いてシャルルを座らせた。
「ありがとう、ウィンザレオ」
 シャルルはきちんとお礼を言って席に着いた。
「んじゃ、みんなテキトーに座れ。俺は飲み物でも用意してくるからよ」
「あ、うん」
 勝手に土間の方へ行き、ごそごそと棚を漁るウィンザレオ。
 シャルルにそれを気にしている様子は無い。
 なんだかシャルルの本当のお兄ちゃんみたいだな、ウィンザレオ。
 ……あれ? 僕は普通の兄妹がどんな風かなんて、知らないはずだけど……?
 僕はそう思いながら椅子に腰掛けた。

 


「待たせたな」
 お盆に五つのティーカップを載せてウィンザレオが戻ってきたのは、たっぷり三十分以上も経ってからだった。
 その間僕らは目隠しをしたシャルルとテーブルに着いていたわけだけれども。
 ……凄く、気まずかった。
 誰も何も話さないし。僕から話しだす勇気もないし。
 いきなり「ウィル、死んじゃったんだ」なんて言えないよ。僕には。

 コトリと目の前にカップが置かれると、シャルルが口を開いた。
「いい香り。さすがはウィンザレオね。紅茶の淹れ方が上手だわ」
 すぅ、と息を吸い込んだシャルルの口元は上がっていた。
「そうか? お前んとこの茶葉、相変わらずいいもん置いてんなーって思ってな。いくら俺でも、いい加減には淹れられなかったぜ。グファファ」
 ウィンザレオはにやりと笑うと、僕らの前にもカップを次々置いていく。僕はシャルルに習って息を吸い込んだ。けど、何が特別なのか、僕には分からなかった。
「うーん。素晴らしい。色も濃すぎず申し分ない。カップしか持って来なかったのは照れ隠しかな、ウィンザレオ? これだけの香りを出すには、ポットも事前に温めておかなければならないだろう? 短い時間で一気に抽出しなければ、こうはならないはずだ」
「は?」
「なに?」
「グファ?」
 僕とクリスとウィンザレオが、思わぬ紅茶評を突然に始めた者を見つめた。

 それは先の尖った真っ黒な手で取っ手を持ち、カップを顔の前に掲げているハッピーだった。
「失礼していただくとしよう。……うん。やはりおいしい。これは茶葉の新鮮さもさることながら、水自体がおいしいからだ。私は紅茶を飲む度に、ここに住んでいて良かったと思う」
 呆然と見守る僕らに頓着せず、ハッピーは真っ赤な目を細めて紅茶を啜った。
「あら? 詳しい方がみえるのね。口調に気品を感じますし、高貴な方なのかしら?」
 シャルルの声が明るくなった。
「いえいえ。私はどうってことのない、ただの悪魔にすぎない」
「悪魔? うふふふふ。冗談もお上手なのね。ふふふふふ」
 僕とクリスとウィンザレオが目を見合わせた。
 ウィンザレオは苦笑いをしている。
 どうしよう。
 シャルル、思いっきり勘違いしちゃったみたいだ。
 目隠しを取ったら冗談でもなんでもないことが分かると思うけど、ショックを受けたりしないかな?
 また一つ心配事が増えた。

「茶葉は毎日お城から我が家に届けてもらっているの。別に頼んでいるわけじゃないけれど。裏庭に湧き水があるので、おいしいお水にも不自由しないのよ」
「ほう。それは羨ましい。そんな家に住んでいれば、人生の半分は幸せなことだろう」
「それは言えるかもしれないわ。うふふふふふ」
「はははははは」
 その後も産地がどこかとか製法がどうしたとか盛り上がる二人を横目に、僕らは複雑な気持ちでお茶を啜った。
 ところで。
 ハッピー、紅茶飲んでても口が開いたままだけど。
 なんでこぼれないんだろう?
 僕は紅茶を口の中で転がした。
 あ。本当においしいな、これ。

 


 ウィンザレオってなんでも出来るんだなぁ。
 でも、この紅茶。飲みなれた味がするのはなぜだろう?
「本当においしい紅茶だね、ウィンザレオ。こんな事とは無縁そうなのに、どこで淹れ方なんて学んだの?」
 この何気ない質問の答えは、僕にとって衝撃的なものだった。
「ありがとよ。この淹れ方はな。ケイオスに習ったんだ」
「……ケイオス?」
 僕は訊き返した。
 同名の別人、かな?
「魔王なら知ってんだろ? 魔軍参謀のケイオスさ」
「も、もちろん知ってるけど。なんで? なんでウィンザレオが?」
 びっくりしすぎて声を上擦らせる僕を、クリスは冷静に見つめていた。
「毎年一度か二度、俺はあいつと遊んでた。遊びったって、剣を使った真剣勝負だけどな。そん時に、紅茶の淹れ方も教えてもらったのさ。グファファファ」
「ええええっ! そうなの? でも、二人ともちゃんと生きてるじゃない?」
「ケイオスは俺を殺す寸前で、いつも戦いを終わらせてくれたからな。強かったなぁ、あいつ。この俺様が、全然敵わなかったぜ。グファファファ」

 ウィンザレオは懐かしそうにケイオスとの思い出を語ってくれた。
 戦ったあと、二人で紅茶を楽しんだこと。
 酒を勧めるとケイオスが嫌がったこと。
 珍しい果物を持っていくと、無表情だったケイオスが飛び上がって喜んでいたこと。
 ウィンザレオは、僕の知らないケイオスを知っていた。
 たくさん。たくさん。
「……あいつは、いいヤツだった。でも、もう会えないんだろう?」
「えっ? ……うん。多分……」
 ウィンザレオが僕の頬に手を伸ばす。
 その指が僕の目から流れ出たものを拭きとった。
 気付かないうちに泣いていた。
 知らなかったケイオスが頭の中で微笑んでいたからだ。
 クリスは一言も発さずに紅茶をこくりと飲んでいた。
「でも、そっかぁ。ケイオスってやっぱり強かったんだね。そのケイオスに勝っちゃったウィルは、もっと強かったんだなぁ」
 あれ? でも、ウィンザレオはウィルのこと、「弱いくせに」って言ってたな?

「……昔は、な。ケイオスのやつ、年々弱ってやがったから……。ウィルと戦った時にはどうなってたのか……。ある程度、予想はつくけどな」
 ウィンザレオは目を伏せて紅茶を口に運んだ。肘は行儀悪くテーブルについている。
「ケイオスが、弱ってた?」
 記憶を漁ってみる。
 けど、ケイオスのそんな素振りは見つからなかった。
 クリス?
 クリスに訊こうと目を向ける。クリスは腕を組んで眉間に皺を刻み、ティーカップを睨んでいた。

「……ちょっと待って。あなた、今、なんて言ったの?」
「え? 僕?」
 不意にシャルルに話しかけられ、僕の思考は停滞した。
 シャルルの声はまた厳しいものになっている。
 ケイオスのことは気になるけど……後でまた訊こう。
「ディア。大丈夫か? ちゃんと話せるのか?」
 横からクリスが僕の肩に手を置いた。
「うん。大丈夫」
 僕はしっかりと頷いた。
「実は……」
 僕は意を決して話を始めた。
「待って」
「へ?」
 が、すぐに出鼻を挫かれた。
「あなた」
「私か?」
 クリスがシャルルに呼ばれ、自分を指差す。
 て、目隠ししているシャルルには見えないけど。
 何を言い出すんだろう?
 僕は息を詰めて二人を交互に見つめた。
「結局、卵と鶏はどっちが先なの?」
「は?」
 と、クリスが間抜けな声を出した。
 えええっ!? このタイミングでその話しなの!?  僕は椅子から軽くずり落ちた。


 シャルルに向かって「聞いてみれば面白くもない話だぞ」と前置きし、
「鶏だ」
 クリスは力強く断言した。
「ええっ? なぜ?」
 シャルルは高い声で驚きを表わしている。
「鶏にしか、卵が作れないからだ。卵が無くば、鶏は生まれない。卵の始点は鶏だが、鶏の始点は違うところにある。だから、鶏が先なのだ」(注:2010、イギリス:シェフィールド大学、ワーウィック大学の共同研究結果)
 僕らはクリスの話をふんふんと頷いて聞いた。
 僕もうんうんと頷いてはみたけれど。
 どうしよう。
 全然クリスの言っている意味が分からない。
 他のみんなは「なるほど」とか「そうか」とか言っているから分かっているみたいだ。
 もっと詳しく訊きたいけれど……。
 まぁ、いいか。
 こんなこと分からなくっても、別に問題ないもんね。
 僕は大きく頷いた。自分に。

「……さて。では、すっきりとしたところで。ご用件は?」
 シャルルが僕の方へくりっと首を向けた。
「ん?」
 さっき言い出しかけた僕の方向を覚えてるんだ。
「あ、ああ。そうそう。あ、あのね、シャルル」
 まずい。
 出鼻を挫かれた上に、鶏と卵が引っかかってて、なんだか頭がごちゃごちゃしてる。
 焦りが出たのか、声がどもった。
「シャルル? わたし、あなたにそんな風に呼ばれる筋合いないけれど」
「う」
 冷たい。ハッピーとはあんなに打ち解けていたのに、僕には随分よそよそしい。当たり前なんだけど、なんだか悲しい。でも、そう思ったら返って頭がすっきりした。どうせもう嫌われているのなら、僕に失うものは何も無い。思い切って話してみよう。まずは挨拶。名乗らなくっちゃ。
「初めまして。僕は、ディア」
 僕は席を立って手を胸に腰を折った。
 シャルルには見えないだろうけど、こういうのって雰囲気で伝わるものだよね。
「ディア。初めまして。わたしはシャルル。シャルル・ハーバーライト。お兄さまの働きにより、今は士爵をいただいている、一応貴族です」
 すると、シャルルも席を立ち上がり、スカートの裾をつまんで可愛らしく屈んだ。
 僕はその振る舞いに感心した。
 しっかりした子だなぁ。見た目は完全に子どもなのに。
 やっぱり貴族ともなると、礼儀作法が身につくのかな?
「一応? 貴族に一応とかあるの?」
 ちょっと気になった。
「……ものを知らない人なのね。失礼だわ」
「えっ?」
 僕の質問が気に入らなかったらしい。
 シャルルはどかっと椅子に座った。
 僕、どんどん嫌われていくみたいだ。

 その様子を見かねたのか気を遣ってくれたのか考えがないのか、ウィンザレオは一気に核心に迫ることを言い放った。
「グファファ。そう怒るなよ、シャルル。しゃーねーだろ。コイツ、ついこの間まで“魔王”だったんだから」
「ウ、ウィンザレオ!」
 僕はあたふたうろたえた。
「魔王?」
 シャルルはきょとんとして鸚鵡返しに呟いた。
 まだまだ嫌われていきそうだ。
 そんな予感がして、僕の頬に汗が伝った。
「そうだ。ここにいるディアは、魔王としてこの地上、いや『第二世界』に君臨する全てのモノの王なのだ。本来なら貴様のような小娘がそのような無礼な口を利ける相手ではない。そのつもりで話すことだな」
「ク、クリス! なんでそんなに怖い言い方するの!?」
「お前が言わないから私が言っただけのこと。そもそも、お前がもっとしっかりしていれば、こんな小娘になめられることもないのだ。私にこんなことを言わせたくなければ、お前がちゃんと話すんだな」
「うぐぅー」
 と唸ることしか出来ない。
 ぽかんとしているシャルルを睨み、クリスは言いたい放題だ。でも、僕には何も言い返せなかった。クリスはもとより、僕がどんな立場なのかも分からないからだ。僕は改めて自分の存在を不思議に思った。

 


「……意味が分からない。二人ほど、凄く気に障る人がいるわ。ウィンザレオ。悪いけど、この二人を追い出して」
「ええっ!?」
 見れば、シャルルは腕を組んでぷくー、とほっぺを膨らましている。
 気が強い子だなぁ、シャルルって。
「グファファ。知らねーよ、んなこたぁ。俺はこいつらをここに連れて来るって契約をしただけだからな。追い出したきゃ、自分でやりな」
「そんなの自分勝手だわ、ウィンザレオ!」
「そうさ。俺は自分勝手なヤツなのさ。知ってんだろ、そんなこたぁ。グファファファ」
 豪快に笑うウィンザレオに、シャルルは「く」と呻いて唇を噛んだ。
 ウィンザレオ……こんな小さな子にも、容赦ないなぁ。鬼だ。
 なんか話がこじれそう。なんとかしなくちゃ!
「あ、ええっと、ごめんね、シャルル……いや、ハーバーライトさん。違うか。シャルル卿?」
「士爵を持つのはお兄さま。わたしは単なるその家人。卿など付けて呼ばれる人間ではないわ。大体、わたしは女の子なんだし。もう。シャルルで結構」
「そ、そうなんだ。じゃあ、失礼してシャルルって呼ばせてもらうよ」
「ふん。好きにすれば」
 シャルルはぷいっと横を向いて答えた。
 つ、疲れる。この子、凄く疲れるよぅ。

 ちら、とクリスを見ると、イライラと足を揺すっている。
 わぁぁぁ! また何か言い出しそう! こっちも疲れる!
 ウィンザレオは「ぷぷぷ」とか含み笑いしてる。面白がってるな、絶対。
 ハッピーは相変わらずまんまるな赤い目をぱちぱちと瞬かせ、大きく裂けた口を開けたままに紅茶を楽しんでいる。
 ほ。ハッピーだけが、僕の心のオアシスだよ。
 よし。話を続けよう。
 ハッピーに癒された僕は、シャルルに顔を向けた。
「えっと。僕が魔王っていうのは、どうやら本当らしくて。昨日まで、《ギルトサバスの城》で、勇者ウィルが来るのを待ちわびていたんだけど」
 そこまで言うとシャルルは「はぁ?」と首を捻った。
「なんで自分を倒しに来るお兄さまを待ちわびるの? あなた、頭おかしいでしょ?」
 ひどい。とうとう頭を疑われ出しちゃった。
 いや。挫けちゃだめだ。

「う、うん。そうだよね。僕、そんなこと知らなくって。魔水晶って物を使ってずっとウィルたちを見てたんだけど、そんなの全然分からなくって。  昨日、ウィルが僕の部屋に来るまで、ウィルに『お前を殺す』って言われるまで……何も、知らなかったんだ……」
 思い出したら悲しくなった。
 話すことで状況の理解が深まった。
 それが余計に悲しさを加速させた。
「……うそよ」
 シャルルは隣に座るウィンザレオの手をぎゅ、と握った。
 ウィンザレオは無言でその手を握り返した。
 ウィンザレオに、もう笑みはなかった。
 表情の無いウィンザレオを見るのは初めてだ。
 ずき、と胸が痛んだ。
 シャルルはそれがどういうことか、理解しているみたいだ。
 でも、きっと。
 認めたくは、ない、と思う。
 もう、話すのをやめようか?
 ……だめだ。きっと、僕が話さなくっても、誰かが事実を告げに来る。
 その“誰か”は、ただの結果しか知らないはずだ。
 ちゃんと全てを教えてあげたい。
 ウィルがどれだけ頑張ったかを、シャルルに伝えてあげたい。
 これは僕にしか出来ない。
 これは、僕の役割だ!
 肩をぷるぷると震わせ出したシャルルを、僕はしっかりと見つめた。


「それでね。ウィルに、キミのことを、頼むっ、て……『頼む』って言われたんだ。だから、僕らはここに来た。シャルルに会いに。シャルルに……ウィルの、“最期の言葉”を、伝える、ため、に……」
 言い終わるか終わらないかで、テーブルがバン、と激しい音を立てた。
「うそよっ!」
 シャルルがテーブルを叩いて立ち上がっていた。もう片方の手はウィンザレオの手に爪を食い込ませている。そこから少し血が滲んでいる。でも、ウィンザレオは眉一つ動かさず、それに耐えていた。
 その爪は、僕の心にも突き刺さった。
 痛い。こころが、痛い。

「うそだわ! だって、意味が分からないもの!  どうして倒しに行った魔王に、わたしのことを頼んだりするのっ!?  そんなことはあり得ないでしょうっ!?」
「落ち着け、シャルル。あり得ないって言うんなら、その魔王がこんなことをしに来る理由も無いだろう?  こんなうそを吐いて、こいつに何の得がある?」
「ウィンザレオ! でもっ! でもっ……!」
 取り乱したシャルルから、僕は聞くのも辛い言葉を浴びた。
「だって! だって魔王は“悪”なのよ! だからお兄さまは倒しに行った! みんなの為に、命を懸けて!  その魔王がわたしのために? お兄さまの頼みを聞いて? そんないいことをする魔王なんて、魔王じゃないわ!  それじゃあ、お兄さまは何のためにっ……一体、何の、ためにっ……!」
 僕はぎゅっと目を閉じた。食い縛った歯がぎり、と鳴った。
 本当にそうだ。僕は、“悪”でいるべきだったのかも知れない。
 そうだったなら、僕もこんなに……悲しまなくて、済んだのに……。
 僕は取り外しておいた『カイロスの盾』を、ごとりとテーブルに置いた。

「ウィルから預かって来た『カイロスの盾』だよ。目隠ししてるけど、分かる?」
 僕はテーブルを叩き付けたままになっているシャルルの手をそっと取り上げ、カイロスの盾に誘導した。シャルルは震える手で盾を撫でた。その手は何度も盾の上を、端から端まで確認する。縁や中央にある浮き彫りの細工を、シャルルの小さな指がなぞる。
 目隠しの下から、涙が一筋二筋と流れていった。
「お兄さまっ……」
 小さな銀色の盾を胸に抱き締め、シャルルはその場に膝をついた。
「ひっ、ひっ」という苦しげなシャルルの呼吸が僕の耳を責める。

 苦しい。辛い。そして、痛い。
 でも、この姿を見なくっちゃ。
 これが僕の存在した結果だ。この“セカイ”に存在する、僕の“業”なんだ。
 いっそ死んでしまいたい。ここから消えて無くなりたい。
 でも、それは出来ない。
 クリスが、僕を助けてくれたから。
 ケイオスが、僕を生かしてくれたから。
 僕はこの“痛み”を抱え、生きてゆく。
 何が出来るか分からない。
 でも。
 一人でも多くの人を幸せにしたい。
 それが僕の“贖罪”だ。
 僕はこの“セカイ”で生きてゆく。
 いつか、心から笑える日を迎えるために――

 


 シャルルの嗚咽とむせび泣く声だけがしんと静まり返った部屋に響いている。僕はかける言葉を見つけられず、ただシャルルを見ていた。クリスは厳しい表情でシャルルを睨みつけている。ハッピーは普通だ。どうもシャルルの気持ちが分かっていないみたいだ。
 ウィンザレオがシャルルの頭に手を乗せた。
「しっかりしろよ、シャルル。分かっていたことだろう?」
「……分かっていたって……分かっていたって! 悲しいものは悲しいのっ!」
 シャルルは激しくかぶりを振った。振り落とされた涙が、ぽとぽとと床を叩いた。
 僕はその会話に驚き、席を離れてウィンザレオの腕に手を置いた。
「それ、どういうこと、ウィンザレオ? 分かってた?」

「まぁな。ウィルが死ぬことは知っていた。なんとか出来ねぇかと思って《ギルトサバスの城》の周りをちょろちょろしてたんだが……。結局、アーク公国の正騎士どもに邪魔されてな。チャンスが掴めなかった」
 ウィンザレオはそう言うと自虐的な微笑を浮かべた。
「そうか。貴様は魔王討伐軍に選ばれず、やむなくあそこにいたんだったな。選ばれなかったのは、その飛び抜けた強さゆえ、だな。はっ。全く、人間とはつくづく馬鹿な生き物だ」
 クリスはウィンザレオの立場を即座に理解したみたいだ。
「グファ。俺もそう思うぜ。俺が行きゃあ、手柄を全部取られちまうとでも思ったんだろ。俺はそんなものに興味はなかったんだがな」
 太い銀色の眉を下げたウィンザレオの顔には、“諦め”が滲んでいた。
「素直に正騎士団の言いなりになるとは、キミらしくないように思うが。強引に乗り込めば良かったのではないかな?」
 ハッピーはカップを置くと、ウィンザレオに首を傾げて問いかけた。
 なんだか優雅な動きだ。

「うるせえな、この悪魔は。そんなこた、どうだっていいだろう」
 ウィンザレオはむっとしてハッピーを睨む。
「ははぁ。シャルルか。この小娘が心配で、無茶できなかったんだな。おそらくはウィルを騎士団に取り込む際、二人を《アルクデスタ》で庇護する旨の契約がなされたのだろう? でなければ、領主がこんな小娘一人のご機嫌を取る理由がない」
 そんなウィンザレオの心を見抜いたのか、クリスが語り始めた。
 ご機嫌取り? 毎日紅茶を届けたり、ってことかな?
「正騎士団が貴様を反逆者と見なせば、ウィルも貴様を討たねばならなくなるはずだ。助けるつもりが敵になっては仕方がない。なるほど、いくら力があろうとも、それでは動けまい。馬鹿過ぎる。本当に、人間とは馬鹿過ぎる生き物だ」
「おいっ! てめぇ、それをシャルルの前で言うなぁっ!」
「ウィンザレオ!」
 目にも留まらぬスピードで、クリスの胸倉を片手で掴んで持ち上げるウィンザレオ。僕は一言だけ発するのがやっとだった。
ウィンザレオは本気で怒っているみたいだ。宙吊りにされたクリスは「く」と呻いて自分を掴むウィンザレオの腕に爪を立てている。
 でも、そうか。そんなことを聞かされれば、シャルルは「自分のせいで」って思いつめるかも知れない。これは、クリスが悪い。分かってても、言っちゃダメなことだってあるんだ!  

「ぐ……無礼な“ケダモノ”め。私は第一世界の天使長、クリス・クロスなのだ。今すぐその汚い手を離せ。さもなくば……」
 クリスの背中から、ぶわ、と白い翼が広がった。
 まずい! 白い羽を撃ち出すつもりだ!

 


10

「ダメだよ、クリス! 今のはクリスが悪いよ!」
「ディア?」
 真っ白に輝き出した翼を僕は後ろからぎゅ、とまとめて抱き締めた。
「ウィンザレオ! 手を離して! クリスを許してあげて!」
 そして僕はウィンザレオに向かって叫んだ。
 ダメだ! 二人が本気で戦えば、この家だって吹き飛んじゃう!
「お姫様……に、言われちゃ、しゃーねぇか。大丈夫だ。そんな泣きそうな顔、すんじゃねぇよ。グファファ」
 ぱ、とウィンザレオが手を離す。
 クリスはどすん、と椅子に腰を落とした。
「あう」
 僕はどて、と床に尻餅をついた。
「ありがとう、ウィンザレオ。ごめんね」
 ほ、と胸を撫で下ろし、僕は力ない笑顔を作った。
「げほ。ち。運のいいやつめ。ディアが止めねば、殺してやるものを」
 クリスは喉をさすりながら首を振った。
 クリス、全然自分が悪いとか思ってないなぁ。もう。

「ウィンザレオ……」
「ああ、いる。ここにいるぜ」
 シャルルは立ち上がってよたよたとウィンザレオを捜している。
 目隠しされたままのシャルルを、ウィンザレオが抱き締めた。
 どうしよう。ウィルの最期の言葉も伝えたいけど……。一呼吸、置いた方がいいかな?
 そう考え、僕はシャルルに対する一番の疑問を口にした。
「ねぇ、シャルル。訊いてもいいかな? ウィルが、その、死ぬ、って、どうして分かっていたの?  それは、ウィンザレオが教えてくれないキミのことと、何か関係があるの? その目隠しとも……?」
「…………」
 シャルルはウィンザレオの腰に手を回したまま、しばらく無言で動きを止めた。
 そして、小声で答えた。

「……そうよ。あなたはものを知らないみたいだけど、悪い人ではないみたいね。魔王のくせに、おかしな話ね」
 シャルルはくす、と一瞬笑った。
「教えてあげてもいいけれど……。わたしの質問に、正直に答えて」
 ウィンザレオから体を離したシャルルは僕に向かうと、また冷たい口調になった。
「うん。正直に答えるよ」
 僕は頷いた。
 シャルルがどういう子かを知りたい。
 ウィルに『頼む』って言われたんだ。
 助けたいし、力になりたい。
 でも、何も知らない今のままじゃ、どうしていいかも分からない。
 僕はそう考えた。
 シャルルは僕の答えに満足したように口元を緩める。
 でも、それはすぐに引き締められた。
 直後、訊かれたくはなかった事柄が、シャルルから投げ掛けられた。
「お兄さまを殺したのは、誰? あなたは優しい。魔王なのに、優しいわ。本当に、あなたがお兄さまを殺したの?  もしそうなら、どんな状況でそうなったの? わたしは、それが知りたい。お願い。正直に。真実を。わたしに、教えて……」
 ぴん、とした空気が部屋に張り詰めた。

「そうだよ。僕がウィルを殺したんだ」
 僕は迷うことなくそう答えた。
 クリスががばっと僕に顔を向けたけど、無視する。
 シャルルは全く動かない。傍らに立つウィンザレオの手を握ったままだ。
「ウィルは先頭を切って僕の部屋まで辿り着いた。ウィルは僕を倒すって、剣を振り上げた。  だから、僕はその剣を受けた。強かった。ウィルは、とっても強かったよ……」
 シャルルもウィンザレオもクリスもハッピーも、僕の話を黙って聞いてくれた。
 クリスが何か言いたそうにしたけど、僕はそれを目で制した。
 いいんだ。うそは言っていないから。本当のことだから。

 


11

 クリスがウィルを殺したのは、僕を助けるためだった。
 僕がウィルとちゃんと戦っていれば、もしかしたら死ななくて済んだかも知れない。
 僕があんなに強かったウィルを相手にして、勝てたかどうかは分からないけど。
 僕が抵抗しなかったせいでウィルは死んだ。
 だから、僕が殺したも同然なんだ。
 僕はそう思うようになっていた。

「……そう。お兄さまは、勇敢だったのね?」
 シャルルは俯いている。
「うん。ウィルは仲間の死にも負けなかった。凄く、勇敢だったよ。それで、最期にこう言ったんだ。 『ごめん』って。シャルルに、『先に逝ってしまってごめん』って。そして、『お前は、元気で、幸せになってくれ』って。そう、言ってた……」
 最後まで言い切ると、胸のつかえが取れた気がした。
 少し、楽になれた気がした。
 でも。
 それは、僕の自己満足だった。
 直後、僕はそれを思い知る。

 シャルルが顔を上げ、ウィンザレオから手を離した。
「分かったわ。分かった。お兄さまは、わたしを心配してくれていたのね」
 シャルルは両手を頭の後ろに回した。
「シャルル!」
 ウィンザレオが叫んだ。
「あなたは、そんなお兄さまを、わたしから奪ったのね。わたしの唯一の肉親。最愛のお兄さまを」
 ぱら、と黒い布がほどけ、床に落ちた。
 露になったシャルルの目は閉じられている。
「むっ! なんだ、このでたらめな魔力は!?」
 クリスが椅子から腰を浮かせた。
「許さない。わたしは、あなたを許さない!」
 かっとシャルルの碧眼が見開かれた。
 青い炎を宿したその瞳には、僕が映っている。
「わたしはあなたに宣告する。『死』の時を教えてあげる!」
「やめねぇか、シャルル! そいつは魔王なんだぞ!」
 ウィンザレオの反応が遅れた。目を塞ごうと伸びた手は、間に合わなかった。
「ディアーッ!」
 クリスの翼が部屋一杯に広がった。けど、それも間に合いそうにない。

「いいえ。絶対に止めないわ。時を映せ、我が瞳! 『クロノ・リード』!」
「うわ! うわあぁぁぁぁ!」
 シャルルの瞳から青い光の奔流が湧き起こり、僕を飲み込んでゆく。
 な、なんだ、これ!? 体が動かない! 感覚が曖昧になってゆく! 
 落ちる!
 直後、自分がシャルルと溶け合うように感じて――
 僕は、意識を手放した。


12

「う……」
 目を開けると、灰色の空が広がっていた。
「ここは……?」
 寝転んでいたらしい。僕は立ち上がって辺りを見回した。
 鬱蒼と茂る木々の間から、遠くにある山々の稜線が連なっているのが見えた。僕はかなり見晴らしのいい所にいるようだ。
 でも、本来なら緑に覆われているはずの木々や山々は、全てグレーに塗り潰されている。
 僕は振り返って後ろを見た。
「これは! シャルルの家だ……」
 さっきまで中でみんなと話していたシャルルの家が、僕の背後に建っている。
 でも、素朴でかわいらしいその家も、周りに咲く小さな花々も、全部色が失われていた。

「色の無い、セカイ……?」
 そこに“命”の気配は無かった。
 形は同じはずなのに、色が無いだけでこんなにも寂寥感があるなんて。
 寒々とした灰色の光景に、僕は心細さを感じずにはいられなかった。
 無意識に自分の体を抱き締めた時、天空から声が降りてきた。
「ここは、わたしのセカイ。わたしの、心のセカイ」
「シャルル!? その声は、シャルルだね? どこにいるのっ?」

「すぐに行くわ。……あら? あなた、本当に魔王なの? 間違えて、関係ない女の子を連れて来ちゃったのかしら? 覚えた声を頼りにして魔法を発動させる間際、『え?』とは思ったけど……」
 やはりシャルルの姿はない。声しかしない。
 でも、魔法? これはシャルルの魔法? シャルルは、魔法が使えたのか!
 僕はその事実に驚きながら、シャルルの不安を取り除こうと返事をした。 
「そ、そうだよ。僕が、『魔王』。ディアボロって呼ばれていた、魔王なんだ。本当の名前はディアっていうらしいけど」
「……? 意味が分からないわ。でも、魔王ならそれでいい」
 声が近くなったように感じ、僕は素早く首を巡らせた。
「ここよ」
「シャルル……っ!」
 すぅっと空間から浮き出るように姿を現したシャルルにも色が無い。
 でも、一つだけ色を持つものがあった。
 それはシャルルの頭上に浮いている。僕はそれを見上げた。

「槍?」
 それは槍だった。でも、普通の槍じゃない。
 銀色に輝くその槍は、とにかく長い。太く、大きい。
 《アルクデスタ》の街に城まで伸びていたメインストリートがあったけど、あれぐらいは優にある。
 そして、両端は畳んだ傘のように尖っていて、普通の槍にあるはずの“柄尻”が、“石突”が無かった。
「なに、これ……?」
 シャルルの瞳が静かに細くなり、僕を見据えた。
「この槍は『対極の槍』、というの。これは狙いを定めた対象の“矛盾”を突き刺し、抉り、破壊する。  “対象”ってなんだと思う? 破壊されるとどうなると思う?」
 表情の無いシャルルの説明に合わせるかのように、槍はゆっくりと上空で回転を始めた。
 僕はシャルルを視界に収めたまま、首を左右に振った。

「“対象”は、あなたの“心”。そして、破壊されれば“精神”が“死ぬ”わ」
「“精神”が、“死ぬ”……?」
 僕にはシャルルの言っている意味が分からなかった。
「人はね。“肉体”と“魂”、そして“精神”から成り立っているわ。このうちの、どれか一つが欠けても、もう人としては生きられない」
「えっ……?」
 僕はこの話を聞いた事があった。
 ケイオスから、聞いていた。
『いいですか、ディアボロ様。船に例えるならば、肉体は船体、魂は帆。そして、精神は舵です。船体はそれだけでも水に浮き、帆はそれだけでも風を受けることが出来ます。しかし、舵はそれだけでは役に立たない。舵は二つをコントロールする事でしか、価値を得られないのです』
 じゃあ、精神を壊されるって?
 色の無いシャルルの腕が、ゆっくりと上がってゆく。ぴんと立てられた人差し指が、頭上の巨大な槍を指す。
 ふと背後に気配を感じ振り返る。
 真後ろに、僕の五倍はありそうな、真っ白な十字架が立っていた。


13

「あなたの精神は肉体とも魂とも切り離され、わたしのセカイに囚われたわ。知ってる? 精神は意思であり、それ自体にはなんの力も無いの。ここでは、何も出来ないわ。ただ、わたしに貫かれ……死ぬしかないのよ!」
 シャルルの腕が僕に向けられた。人差し指は真っ直ぐ僕を捉えている。
 刹那、
「うあああああああああッ!」
 僕の体は巨大な槍に貫かれ、背後の十字架に激突した。槍は僕ごと十字架を貫通し、動きを止めた。
「あ、うあ、あぁ……」
 僕は十字架の真ん中で、槍に縫い取られた。
 腹部から伸びる銀の槍は、遥か向こうまで伸びている。切っ先が、鋭い光を放った。
 激痛が全身を駆け巡る。
 痛い。いた、い。
 震える手を、お腹から生えたような槍にぺたりと置く。
 ひんやりとした感触と共に、ずしりとした重厚感を得て、僕ははっきりと理解した。
 これは、僕の力では抜けない、と。
「痛い? 痛いでしょう? それがわたしの心の痛み。お兄さまを失った、わたしの痛み。あなたはそれを味わって、自分が何をしたのかを、ゆっくりと理解すればいいわ」
 どこからか吹き始めた風に赤いはずの髪を揺らし、シャルルが口角を吊り上げた。
 満足そう、だ。
 僕が苦しむ姿を見て、シャルルは欲求を満たしている。
 この感じは、知っている。 ウィルたちが僕を切り刻んだときと……同じ、だ。
 気付けば周りには何も無くなっていた。
 シャルルの家も、花も、山々も。
 一面灰色のセカイの中、僕と、僕を縫い付けた十字架と槍。そして、グレーのシャルルだけが存在している。
 どれぐらいそうしていたのか分からない。痛みは時間を遅く感じさせるから。
 そのうち、ぴくぴくと蠢く僕に、シャルルが声をかけてきた。
「……やっぱり、これぐらいでは壊れないのね。さすがは魔王、と言ったところかしら?」
 シャルルは腰に手を当てて、溜め息混じりにそう言った。

「もうやめて」と言おうとして、僕は口を開き……すぐに閉じた。
 これがシャルルの悲しみだから。
 これは僕が与えた悲しみだから。
 このままだとどうなるのか、僕には分からないけれど。
 このまま。
 シャルルの為に、痛みを受けよう。
 僕はそう思った。
 ただ、涙が流れた。
 これは、シャルルのためのもの?
 それとも、自分のためのもの……?
「何か言いかけたわね? 助けを求めても無駄よ。わたしはもちろん、外にいる人も、誰もあなたを助けはしないわ。物理的な力では、この『セカイ』は壊せない。現実世界で、わたしとあなたの肉体は、力を失くして倒れているわ。外では、きっと必死でわたしたちを目覚めさせようとしているでしょうけど……。無駄よ。それはわたしの意思でしか出来ないわ」
「そう。分かったよ、シャルル」
 そう言おうとしたけど、痛くて声が出せなかった。代わりに、僕は小さく頷いた。

「まだ考える力があるようね? ふふふ。でも、もうそれも出来なくなるわ。ここからがわたしの本当の『力』。『対極の槍』が持つ能力『クロノ・リード』の、真骨頂なんですもの」
 だらりと垂れた自分の頭。
 大きな十字架に磔にされて、見下ろす霞んだ視界に、シャルルが笑っているのを確認出来た。
 直後、お腹から伸びている槍が更に輝きを強めた。
 凄まじい魔力を感じる。ウィルからも魔力を感じたけど……こんなに強くはなかった。
 シャルルは何をするつもりなんだろう?
 こんなに膨大な魔力を、全て僕に向けるんだろうか?
 こんなの、とてもじゃないけど、無事でいられる気がしない。
 怖い――
 僕はシャルルに恐怖した。

 


14

「行くわよ」
 シャルルが槍に手をかざした。
「う、あぁぁぁぁっ!」
 槍は一気に膨らんで、僕を内部から――お腹から、引き裂いた。
「ぎゃあぁぁぁぁっ!」
 自分がばらばらになる痛みに、気が遠くなる。
 ――でも、それはすぐに収まり、
「あ。あれ?」
 僕は、真っ白な石壁に囲まれた空間にちょこんとへたり込んでいた。
 手を見る。足を見る。ちゃんと体に繋がっている。
 でも、何かがおかしい。
 僕は僕の座り込んでいる姿を、上から見ていた。
 自分がいる。
 僕は自分を見下ろしていた。

「――あれは、あなた。過去のあなたよ」
「シャ、シャルル!? どこ? どこにいるの?」
 見回すけど、姿はなかった。それどころか、自分の存在さえ曖昧だ。
 また? どうなってるの、これ?
「これから、あなたは自分が何をしてきたのか、そして、これからどうなるのかを見ることになるわ」
 シャルルの声は、抑揚無くそう告げた。
「誰もが、過去に罪を持っている。そして、未来には死の運命が待っている。わたしは精神のみで時間を自在に行き来して、それを対象に見せられる。それが『クロノ・リード』の力なの」

「クロノ・リードの、『力』……」
「そうよ。今までは制御出来ずに、いろんな人の過去と未来を、無意識に覗いてしまったわ。  その度、わたしは深い悲しみに襲われた。この『セカイ』の残酷さを知ったから。  でも、今日は違う。あなたへの“怒り”が、この恐ろしい力を、わたしに制御させているんだわ」
 僕は自我の境界も認識できないまま、シャルルの言葉を理解しようとした。
 でも、どう考えても分からない。
 これが、何だっていうんだろう?
 ただ、ウィンザレオがシャルルの事を教えてくれなかったり、目隠しをした理由は、きっとこれなんだと思った。
「人は何かを守るため、誰かを守るために、何かを壊し、誰かを殺して生きているわ。個人的には正義でも、全体的には悪を為してしか生きられない。それでも人は生を願い、幸せを求めるの。それがいかに残酷で間違っているか。はっきりと目の当たりにし、精神を保っていられる者はいないのよ」
「シャルル……」
 僕は考える。
 これが、こんな小さな女の子の言う事だろうか?
 シャルルは、今までに何をその目で見て来たんだろうか?

『なんつーか。シャルルには、何も無い。何も無い者には、何も必要ないだろう?』
 いつかウィンザレオの言っていたことが脳裏に蘇った。
 瞬間、僕は理解出来た気がした。
 シャルルは、絶望しているんじゃないだろうか?
 このセカイに。
 このセカイの人々に。
 そして、自分を置いて死ぬ事を知ってしまった、ウィルに――
「見なさい。自分の姿を。見なさい。自分の罪を。そして知るのよ。その果てに、どんな死が待っているかを」
「僕の、罪? 僕の……死……?」
 眼下で、“僕”が動き出した。

 

 

 僕は白い石組みで形作られた、神殿のような建物の一室にいる。
「うっ!」
 瞬間、脳内が真っ白にフラッシュバックした。
 突然、今まで思い出せなかった記憶が蘇った。
 僕はここを知っている。
 ここは、僕の生まれ育ったところ。
 ここは。“天界”だ!
 アーチ型の出入り口が四方にある。正面の入口から、カツン、コツンという足音が近付いてきた。
 昔の“僕”が、そちらを見やる。
「――本当に行くのか、ディア?」
 やがて顔を出したのは、クリスだった。
 《ギルトサバスの城》で初めて現れた時と同じ、ゆったりとした優雅な白い布が、胸と腰だけを隠している。
 背中には真っ白な翼が、神秘的な光を放っていた。
 表情は暗い。何かを心配しているみたい。
 その時の僕が、クリスに答えた。


15

「――うん。僕がやらなくっちゃいけないんだ。誰にも出来ない事だもん。そうでしょ、クリス?」
 にっこりと笑う僕の頭に、角は無い。
 クリスと同じような白い布を片方の肩だけから垂れ下がらせて、裾を床に引き摺りながら歩く僕。
 体は全体的に淡い光を放っている。髪は銀色。今の僕は、金色の髪なのに。
 それよりなにより。
 僕の背中にも、翼があった。
 クリスと同じ、輝く白い翼が!

「ディアッ……! 確かに、これはお前で無くば不可能だが……くそっ! 何が『魔王』だ! 何が『第二世界』の平和のためだっ!  クソジジイめっ! なぜ、人間などにあれほど肩入れするのだっ!」
 下から覗き込む僕に向かって、クリスが毒づいた。
 かなり怒っているらしい。
「こら、クリス。そんなことを言うんじゃない」
「ケイオスか。ち。何を偉そうに」
 右手の入口から余裕を感じさせる足取りでこの部屋に入り、クリスに注意をしたのはケイオスだった。

 でも。
 ケイオスは僕と同じような服装で。
 角も無ければ、髪も水色じゃなくって。
 長い爪もないし、背中には翼もある。
 クリスにそっくりだ。
 見下ろす”現在”の僕は、驚きを隠せなかった。
 シャルルは何も言わない。
 気配はあるけど、ただ見ているだけのつもりかな?
「ふん。ケイオスはディアと一緒に『第二世界』に降り立つから、そんな事が言えるのだ。残される私の気持ちも考えてみろ。どれだけ心配になるか、分かるはずだ」
 クリスは唇を突き出し、ケイオスを恨めしそうに睨んでいる。
 え? クリスは、ここに残る予定だったの?
 じゃ、なんで? なんで、“現在”、僕と一緒にいるんだろう?
 いや、なぜ《ギルトサバスの城》にいたんだろう?

「ふふん。それはお気の毒様だな。私はディアについていくよう、『主神』直々に命じられたんだ。  お前は指名されなかった。それは普段の行いの差だ。恨むなら、自分を恨むことだな」
「ちょ、ちょっと、ケイオス」
 クリスに向かって舌を出すケイオスに、僕は後ろから抱き締められた。
「あ! こらぁっ、ケイオス! 私のディアに、気安く触るんじゃないっ!」
「ちょ、クリスッ……むぐぅ!」
 僕はケイオスの懐から剥ぎ取られ、クリスの胸に抱き寄せられた。
 苦しい! 顔が胸に埋まっちゃったよ! 息が出来ない!
 僕はクリスを突き飛ばした。
「……ぷはっ! 苦しいじゃないか、クリス! 僕を殺すつもり!?」
「あう。そ、そんなつもりは! 怒らないでくれ、ディア」
 僕に怒られ、情け無い顔をするクリス。
「はぁっはっはっは! そら見ろ! お前はそんな風だから、指名されなかったんだ! はっはっはっはっは!」
 そんなクリスを指差して、大笑いするケイオス。
「あは。そうかもね。あはははは」
 僕もつられて笑った。
 温かい。ここの空気は、優しくって心地いい。
 これが三人で一緒に笑った最後の日だった。
 僕はこの次の日、ケイオスを伴って、『第二世界』へと降りていった――

 


16

 ――到着した《ギルトサバスの城》は、暗かった。
 天空から舞い降りた僕たちは、城に入って驚愕した。
 中には、夥しい数の“死体”が並んでいたからだ。
 人のような形をしているけど、それらは間違いなく人じゃない。
 ましてや、僕らのような翼もない。
 真っ黒で角が飛び出していて醜くて。
 腐りかけた肉が放つ異臭の立ち込めた城内で、僕らはしばらく、言葉をなくして、ただ立ち尽くしていた。
 ケイオスが掠れた声で話しだした。
「――これが、お前の選んだ道だ。いずれ、我われもこうなるだろう。人間たちの『闇』を吸収し続ける、この《ギルトサバスの城》で――我われは、こうして力尽きるまで、『闇』を取り込み続けるのだ……」
 ぎゅ、とケイオスの拳が握られている。
 やっぱり、納得がいかないんだろう。
 なぜ、僕らがこんな役目を与えられたのか?
 なぜ、人間たちの為に、自分が犠牲にならなければならないのか?
 放置しておけば『セカイ』に満ち、カオスを招く大罪たち。
 人々の、暴食、色欲、強欲、憂鬱、憤怒、怠惰、虚飾、傲慢……ありとあらゆる『罪』を飲み込み、僕らは『セカイ』を守るんだ。
 この体が朽ちるまで。この心が腐るまで。
 僕らは。
 主神『アトゥム』に従い、この命を燃やすんだ――

 

 

「――これが……僕が『魔王』になった、理由……?」
 僕はこの空間に溶け込んでいるらしい。意識だけの状態で、自分の過去を見続けた。
「人間の、ため……? 『魔王』は、人間のセカイのために、神に遣わされた者、なの……?」
 シャルルの動揺している声が聞こえた。やっぱり姿は見えない。

 ――過去の僕たちが、すぐにお城の掃除を開始した。
 僕とケイオスはなんだか良く分からない力を使って、みるみる城を片付ける。
 死者を弔い、一息ついたところで、ケイオスが天界から運んできた荷物の中に、不審な物を発見した。
「ん? こんな物を入れた記憶は無いが?」
「どうしたの、ケイオス?」
 城のエントランスホールで、冷たい石床に置かれた、一抱えに出来るような小さな木箱。
 ケイオスはそこから食器や衣類など、次々と取り出していた。
 出てきた分で、もう木箱よりも大きな山になっている。木箱は見た目どおりの内容量じゃない。
 そんな木箱から出てきた水晶球を光にかざし、ケイオスは首を捻っていた。

 でも、それが何か、僕にはすぐに分かった。
「……クリス。まさか、勝手についてきちゃったの?」
「クリス? まさか!」
 ケイオスがぎょっとして水晶珠を覗き込んだ。
 すると水晶は光を発し、
「ばれたか。やるな、ディア」
 と偉そうなことを言いながら、クリスへと姿を変えた。
「ク、クリス! お前、なぜこんな所にいる!?」
 ケイオスの顔面から血の気が引いている。錯覚か、縦線が見えるような気がした。
 僕もかなり硬直している。
 そりゃそうだよ。
 十二神でも話の分かる『軍神マルス』様のような方の旗下ならばともかく。
 クリスは十二神最高の恐怖と言っても過言ではない、あの『戦女神ヴァルキュリア』様の旗下なんだ。
 こんな勝手がばれたら、きっと間違いなく殺されるよ!


17

 そんな僕らの心配など一切気にする風もなく、クリスは涼しげに答えた。
「なぜこんな所にいるか、だと? 天界を抜け出してきたからに決まっている。そんな事も分からないのか、ケイオス」
「お、おま、お前っ……」
 ケイオスががくがくと震えている。
 無理も無いよ。
 ヴァルキュリア様って、物凄く直情傾向の強いお方だから。
 へたしたら、問答無用で僕らごとクリスを抹殺しかねないもん!
「まぁまぁ、落ち着け、ケイオス。私はディアの側にいられれば、それでいいのだ。ここにいる間は、ずっと水晶珠のふりをする。ヴァルキュリア様は探査が苦手だから、これなら絶対にばれないはずだ」
「「えええええええ!」」
 自信満々に言い放つクリスに、僕とケイオスは溢れ出る感情を抑えることが出来ず、ただ叫んだのだった。

 それから、僕らの《ギルトサバスの城》での生活が始まった。
 心配していたヴァルキュリア様からのお咎めもなく、僕らは胸を撫で下ろした。
 僕は城の最上階にある玉座の間に、ずぅっと篭りきり。
 豪華だけど、暗くて重厚で息苦しい、玉座の間に。
 毎日毎日、ただ玉座に座り続ける。恐ろしいデザインが施された玉座に。
 それが僕の、『魔王』としての仕事だ。
 退屈な毎日に、ケイオスとクリスの存在は、本当にありがたかった。

 

 

 そして、百年も過ぎた頃――僕とケイオスの身に、異変が起き始めた。
「ディア……角、が……。翼も、とうとう消えてしまった……」
「うん。でも、仕方がないよ」
 心配そうなケイオスに、僕は出来るだけ明るく答えた。
 突然だった。
 僕とケイオスの姿が、変貌した。
 全体から淡く放っていた光もとうに消えて、僕らはくすんだ色になっていった。
「……『闇』だ。体が『闇』に侵食され始めた。なんてことだっ……なんて……」
 水晶珠としてこの部屋の隅に鎮座しているクリスが、悲しげに呟いた。
「クリス。お前はそのままの姿でいるんだ。体組織を物質的に変化させているその状態なら、我われほど『闇』の干渉は受けないだろうからな」
「ケイオス……」
 ケイオスに優しくそう諭されて、クリスは声を詰まらせた。

 ケイオスはバルコニーに出て、外の世界を見渡した。
 僕は玉座から悲壮感の漂うケイオスの背中を見つめた。
「……この《ギルトサバスの城》で『闇』を取り込むのが間に合わなくなってきたようだ。外界には、『魔物』が発現し出している」
 遠くを見つめるケイオス。その手はバルコニーの手すりを握り締め、震えている。
「予定より早い。人間たちの発する『闇』が、想像以上に膨れ上がっているからだ」
 僕はケイオスの言葉を黙って聞いた。
「前任の『魔王』は、五百年在位した。このペースでは……ディアは、あと二百年も、もたないかも知れないな……」
 ケイオスの悲観的な予測に、僕は悲しくなった。
 ケイオスの予想は良く当たる。だから、余計に悲しいんだ。

「はっ。人間どもめ。近頃、戦争を正当化する詭弁を使い始めたようだからな。『フェーデ』とか言ったか?  なんだかんだと言いがかりをつけ、正当な『決闘』として他領地に攻め込む騎士どもが横行し出したようだ。やられる都市側は身代金を払い、これを回避するのに必死だ。はははっ。全く、人間とは本当に愚かな生き物だ」
「そうなんだ……」
 クリスから聞く話も、僕にとっては凄く悲しいものだった。
 人々の負の感情から生まれる『闇』は、やがてセカイの全てを覆い、なにもかもを無に帰すだろう。
 僕らはそれを阻止したくて、こうして地上に降りてきた。
 前任がそろそろ限界だという話を聞いた時、僕は『魔王』を引き継ごうと決心した。
 僕は、人間が好きだった。


18

 天界からたまに覗くと、地上で生きる人々は、みんな一生懸命で。
 畑を耕し、魚を捕り、ものを作り、諸国を渡り歩いて商いし。
 凄く大変そうなのに、自分の夢や、大切な人のため、みんな必死で頑張っていた。
 僕はといえば、平和でのんびりとした天界で、毎日ケイオスやクリスと一緒に過ごして。
 あの人たちの役に立ちたい。
 少しでも、助けてあげたい。
 だから僕は魔王になろうって思った。
 天使長の中では、僕が一番大きな力を有していたから、なろうと思えば簡単だって分かってた。
 主神アトゥム様に「僕に魔王をやらせてください」って頼んだら、思ったとおり、快諾されて。
 それを知ったケイオスも、従者役を買って出てくれて。
 これで、僕は自分の“存在意義”を得たと思ってた。
 なのに。
 現実は、残酷だった。

 魔物はどんどん数を増やし、頻繁に人間を襲うようになった。
 当然だよ。
 魔物は人間たちの『罪』だから。
 人間を恨んで当然の『生』だから。
 限りない怒りや妬みを秘めたまま、自然に朽ちることもない魔物たち。
 彼らの願いは、一つだけだ。
『消してくれ』
 そう願い、人間たちを襲うんだ――

 

 僕が絶望を深める中、ケイオスは立ち上がった。
「魔王軍を編成する。魔物を討伐する、魔王直属の軍勢を!」
「それはいい考えだね、ケイオス! 僕、賛成するよ!」
 僕はケイオスのプランを実現すべく、出し惜しみせず『力』を使った。
 ケイオスと協力して作り出した『魔王軍』の戦士は、強かった。
 この城の門番には『ヘカトンケイル(百腕巨人)』、外界をうろつく魔物の討伐には『キュクロプス(一つ目巨人)』、そして、ヴァルキュリア様の私兵を参考にした『アマゾーネス(女戦士)』たちを送り出した。
 これらはケイオスの『命』そのものを使い、僕が作り出した軍隊だ。
 でも、人間には区別がつかない。
 どちらも『魔物』としてしか見てくれない。
 だから、魔王軍は人間とも望まない戦いをするはめになった。

 魔王軍の戦士たちは、大切な戦力だ。倒されても、また作り出すほどの魔力は使えない。
 僕らには『魔王』としての義務がある。
 僕の後任が現れるまでは、石に齧りついてでも頑張らなくっちゃならないんだ。
 魔物に敗れて消耗するならともかく、人間に消されるのは悲しすぎる。
 ケイオスは魔王軍を操り、極力犠牲を出さないように努めた。
 やがてケイオスは『魔軍参謀』と、人間に呼ばれるようになった。
 もちろん、僕らは人間たちに「危害を加えるつもりはない」って伝えている。
 でも、人間は信じてくれなかった。
「そんな禍々しい姿で、何を言う」と。

 

 確かに、そうだ。

 ある日、日に日に凶悪な姿になってゆく自分に、僕は……耐え切れなくなった。
「ケイオス。僕を……殺してくれないかな?」
 そんな事を口走ってしまうほどに。
「そんなこと、出来るはずがないだろう」
 ケイオスは僕の願いを一蹴した。
 分かってる。そんなの、分かってるんだ、僕だって。
 だから、僕は。
「じゃあ、僕の記憶を消して」
「なに?」
「僕……人間を、嫌いになりたくないんだ……。僕が生きている意味を……自分で、否定したくないんだ……」
「ディアッ……!」
 僕の背はケイオスを追い越していた。
 長い角が頭から伸び、髪は金に染まり、口からは牙が突き出している。
 ケイオスも、背は相変わらずだったけど、すっかり姿を変えていた。
 ケイオスは僕の胸に顔を埋め、そして。
「分かった。私はこれより、お前をディアボロと呼ぼう。記憶の蘇ることのないように。そして、臣下のごとく振る舞おう。私が、『ディア』を忘れるために」
 静かに。
 僕の頭に手をかざした。


19

「これが、『魔王』の、真実……」
「シャルル?」
 気が付くと、僕はまた白の十字架に磔にされた状態で、シャルルを見下ろしていた。
 シャルルは地面らしきところに座り込み、なにかぶつぶつと呟いている。
 あの灰色の空間と同じく、周りには何も無い。
 でも、色が変わっていた。
 辺りは、一面うす赤く染まっていた。
 僕は、何もかもを思い出していた。
 《ギルトサバス》を出てから、知らないはずの事を理解出来たりしていたのは、ケイオスが僕を侵食していた『闇』を吸収すると同時に、記憶の封印を欠損させたせいだ。
 僕はそう思った。

 シャルルがゆらりと立ち上がり、顔を上げた。
「そう。あなたは、自ら『魔王』となることを望んだくせに、ケイオスに逃げ道を求めたわけね。何も知らない自分になることで、辛い記憶と『使命』から逃げ出した……」
 シャルルはぞっとするような冷笑を湛えて、僕を見つめた。
「ひどい話だわ。あなたはそれで楽になれるでしょう。でも、あなたの為にとついてきたケイオスはどうなるのかしら?  彼と、クリスという天使。二人は、あなたの苦しみまでも引き受けなければならなくなったんじゃないかしら?  あなたに二度と辛い思いをさせないように。極力、外界とあなたとの関係を悟られないようにしなければならなくなった。……自分勝手なあなたを守るために!」
「うっ! ……あ? わあぁぁぁぁぁぁっ!」
 シャルルが僕を指差すと、『対極の槍』はさらに大きくなった。
 それにつれ、貫かれたお腹が引き伸ばされ、酷い激痛が僕を襲った。
「ううっ! ぐうぅっ! あああっ!」
 間断なく続く激痛に、僕は悲鳴を上げ、体を捩る。

「見なさい。『対極の槍』が反応しているわ。あなたの『矛盾』に。あなたの『罪』に!」
 シャルルは天を仰いで両手を掲げた。
「その痛みは、あなたへの『罰』! 受け入れ、気が狂うまで苦しみなさい! 心が粉々に砕けるまで!」
 そうか。そうだね。シャルルの、言う、とおり、だよ。
「その様子だと、『未来』に訪れる、死の瞬間を見せてあげるまでもなさそうね! さぁ、このまま消えなさい! このセカイから、永遠に!」
 これは、僕の『罪』なんだ。だから、『罰』を受けるんだ。
 僕、一生懸命にやってきたつもりだったけど。頑張ってきたつもりだったけど……。
 全然、ダメな魔王だったんだなぁ……。
 でも。  せめて。  一度でもいい。  一度で、良かったんだ。
「ありがとう」
 そう、言って欲しかった。
 誰でもいい。  そう、言って、欲しかった……。
「ごめんね、ケイオス。ごめんね。クリス……」
 最後の力を振り絞り、呟いた。
 きっと届かないだろうけど。
 僕には、もう、これぐらいしか出来ないから――

 

『死』を身近に感じる。

「おやおや。これは素晴らしい力だ」
 その時、僕ら以外、誰もいないはずの空間に、第三者の声が響いた。
「う……?」
 閉じかけていたまぶたを持ち上げ、僕は声の主を探した。
「誰っ!?」
 シャルルが振り向いている。
 その先には。
「このまま死なれては困るな、ディア。私はまだ、キミの望みを聞いていない」
「……ハッ、ピー……?」
 そこには飄々とした雰囲気を纏い、ハッピーが、本当に普通に立っていた。
 黒い体。黒い顔。角とコウモリのような翼が黒く痩せこけたシルエットから突き出している。
 ぱちぱちと瞬くまん丸な赤い瞳と、開けっ放しの裂けた口。
 見間違えようもない。
 これは、間違いなくハッピーだ!


20

「シャルル。まさか、キミが『ホルダー』だとは。さすがの私も、ちょっと気付けなかった」
「何者? って、どこからどう見ても『悪魔』の類いね」
 シャルルがハッピーを警戒し、身構えている。
 腰を落としたその姿が、勇者ウィルに重なった。
「そうか。目隠しをしていたので、シャルルは私の姿を見ていないな。では、自己紹介からはじめよう」
 ハッピーは胸に指の尖った手を当てて、優雅に腰を折った。
「私は、ハッピー。『十字路の悪魔』と呼ばれる者。人々の願いを叶え、代償を得て生きる者。キミとの紅茶談義、大変愉快だった。お礼を言う。あんなに楽しい時を過ごしたのは、何十年ぶりだったろう。ははははは」
「えっ? えええええっ? その声、その語り口……。これが、あの高貴な方なのっ!? わたし、こんなモノと楽しくお喋りしていたのっ!?」
 うわぁ。シャルル、やっぱりショック受けちゃった。
 激痛があるにも関わらず、僕の頬が少しだけ緩んだ。

「……そうか。あなた、『ナイトメア』みたいな、『精神感応系』の悪魔なのね。だから、ここに入ってこられた……」
「ご明察だ。いかにもその通り」
 シャルルの指摘に、ハッピーは満足そうに頷いた。
「さて。そこな『魔王』の成り立ちは、私も一部始終見せてもらった。結果、『対極の槍』とは、『罪』の判断の曇った“なまくら”である。と、私は断ずる」 
「なんですって?」
 ぴく、とシャルルの眉が吊りあがった。
「選ばれた者に宿る『アーティファクト(神器)』、『対極の槍』。それは時間を飛び越え、見えざるものを見、中立公正に裁きを下すが本懐だ。だが、『オーナー』の意思が強すぎれば、その判断に支障をきたすも止む無きこと。世に完璧な物などない、非常に良い見本と言える。いや、それも幼さゆえか。まだまだ『対極の槍』を使いこなすには無理がある」
 僕はぽかんと口を開けたまま、ハッピーの語る言葉に聞き入った。
 これがハッピー? なんでそんなこと知ってるの?
 何者なの、ハッピーって!?

「結局、あなたもわたしを不愉快にさせるのね。偉そうなことばかり」
 シャルルはぐ、と唇を噛み締め、ハッピーを睨んでいる。
「そうかね? 私はそんなつもりなどないが。それより、私はここに『力』をも持ち込んでいる。これがどういう意味か、分かるだろう?」
「……ええ。あなたは、“ここ”でも戦える。そういうことでしょう?」
「その通り。キミは賢い。褒めてあげよう」
 ハッピーの口がさらに大きく裂けた。
 どういう意味の笑みなのかな? 分かりにくいよ、ハッピー。
 対して、シャルルには焦りが窺える。直接戦うなんて、経験が無いんだろう。

「どうするつもり? そこの魔王を助け出し、わたしを倒すつもりなの?」
「いいや。やろうと思えば簡単だが、私はそれをよしとはしない。第一、そうしてしまうと、キミの精神に多大な負荷が発生する。そんなこと、ここにいるディアは望まないだろう?」
 ハッピーに目を向けられ、僕はこくりと頷いた。
 絶対ダメだ。僕はシャルルを傷つけるために来たんじゃない。
 シャルルはそんな僕を見て、目を丸くしている。
「と、いうわけだ。なので、私は話し合いをしたいと思う。本当に悪いのは誰なのか? 本当にディアに罪があるのか?  キミは私怨でその槍を振るっているようなので、私が真実を教えてあげよう。そうすれば、ディアを攻撃するのが無意味であると、分かるはずだ」
「馬鹿なことを!」
 シャルルは髪を振り乱して叫んだ。真っ赤なセカイに、シャルルの声がどこにも反響せず吸い込まれてゆく。

「馬鹿なことなどない。キミだって、もう分かっているんだろう?」
「分からないわ!」
 シャルルは耳を塞いだ。
「いいや。キミは賢い。分からないと思い込みたいだけだ。その調子では、ゆっくりと話など出来まい。だから単刀直入に、はっきり言おう。間違っているのはこの『セカイ』であり、罪は全ての人間にある、と」
「聞きたくない! 聞きたくないわっ!」
 シャルルは耳を押さえたまま、地面に座り込んだ。
 いやいやと首を振るたび、髪が勢い良く広がった。
「そもそも全ての人間が正しく助け合い、愛し合っていれば、『闇』など生まれ出ることはない」
「そんなの無理よ! 全ての人が互いに愛し合うなんて、不可能だわ!」
 シャルルの声は、もう悲鳴に近い。甲高い音波が僕の鼓膜を叩いた。

 そんなシャルルにも動じず、ハッピーはなおも話を続ける。
「そして、そんな『闇』が具現化するこの『セカイ』が異常なのだ。では、このセカイは誰が作り上げたのだ?  人は? 魔物は? 魔王は?  真に罪を持つ者は、これらを作り上げた者」
「えっ……?」
 なんだって?
 僕はハッピーの論理に激しい焦燥感を覚え、顔を上げた。
「『神』だ。このセカイを構成する全ては、天界の主神『アトゥム』の作り出したモノ。我われは『神』の作り出した『セカイ』の中で……ただ、翻弄されているにすぎない」
 シャルルが耳を塞いでいた手を下ろし、ハッピーを見つめた。
「『神』……? 主神、『アトゥム』……?」

 

 


21

 あり得ない。
 なぜ、ハッピーがアトゥム様のことを知っているの?
 それは、天界の者しか知らないはずだ!
「だから、人々に罪は無い。もちろん、魔王にだって罪はない。罪は、このセカイをこのように作り上げた神にある」
 ハッピーがシャルルの前に膝を付き、優しく語りかけた。
「わたしたちに、罪は無い……? 魔王にも、魔物にも……?」
「そうだ。だから、そんなに自分を責めなくていい。責めなくていいのだ」
 ハッピーがシャルルの頭を愛しげに撫でた。
 赤い瞳は両端を下げて細くなり……ハッピーなりの“笑顔”を表現していた。

「我われ地上に生きる者は、ただひたむきに生きている。それが罪であるはずがない。そうだろう? 魔王ディアボロ。いや、第一世界の天使長、ディアよ」
「ハッピー……」
 そうだね、とは言えなかった。
 僕らが絶対的な君として仕えてきたアトゥム様を否定されたからだ。
 アトゥム様が、間違っている?
『このセカイは、間違っている! もー、我慢ならんのだ!』
 いつか、クリスが叫んでいた言葉が去来し、僕の胸を締め付けた。
 刹那、赤いセカイが地平の彼方から差し込む真っ白な光に満たされて。
 シャルルが『クロノ・リード』と呼んでいた、今、僕たちのいるセカイが……溶けていった――

 

 

「――あ……」
 薄く開けた視界に、青空が飛び込んでくる。
 眩しくて、僕はそのまましばらく薄目で空を見ていた。
「――ぉおおおおっ!」

「――ぁああああっ!」
 少し離れた所から、猛獣のような叫び声と耳に突き刺さるような雄叫びが聞こえてくる。
 なんだろうと思いつつも、なんだか凄く心が重くて、僕はそのまま寝転んでいた。
 片腕で顔を隠し、日の光を遮る。さわさわと心地いい風が頬を撫で、僕の金色の髪を優しく揺らす。
「――目覚めたか?」
 耳元で囁かれ、僕は反射的に頷いた。
「そうか。どこもおかしなところはないかな?」
 僕はそれにも少しだけ顎を引いて答えた。
「良かった。あちらでシャルルも目覚めた、というか、戻ってきたようだ」
 シャルル?
 僕は……シャルルの精神世界で……体を貫かれて……。
 そこで、意識がはっきりした。

 そうだ! 寝てる場合じゃなかったんだ!
「シャルル!」
 がばっと上体を起こして急いで首を巡らせる。
 すぐに傍らで膝を付いているハッピーと、少し離れて座っているシャルルが目に入った。
 シャルルは板張りの地面に揃えた足を横に投げ出して、なにやら呆然としている。
 床に突いた右手がカクカクしてる。
 どうしたんだろう?
 待てよ。そういえば、僕らはシャルルの家の、居間にいたはず。
 青空が見えるなんておかしくない? もし外なら、地面が板張りってのも変だよね?
 どこだろ、ここ?
 まぁいいや。とにかくシャルルが心配だよ。

 僕はシャルルの側へと四つん這いで這い寄り、なんとなくもじもじとしながら話しかけた。
「シャ、シャルル? えっと。あの。だ、大丈夫、だった?」
 シャルルは目だけを横にずらして僕を見た。動きが緩慢だ。
 大丈夫じゃないのかな?
「……あなたこそ、わたしにあれだけの事をされて、よくそんなに平気でいられるわね」
「え? 全く平気ってわけでもないけど……うん。とりあえず大丈夫みたい」
 シャルルの言葉自体はそっけないけど、嫌味でもないみたい。
 僕は思ったままを口にした。
「シャルルは?」
 気遣ったつもりが逆に心配されたことに気が付いて、僕は再度問いかけた。
 怪我もないし、普通に返事があったから大丈夫だろうと思っての問いかけだった。
「あなたには、これが大丈夫に見えるの?」
「えっ? ど、どこか痛むの?」
 でも、そうじゃない答えが返ってきて、僕はちょっとうろたえる。

「酷いわ。本当に、酷いことになったわ……」
 シャルルは顔を膝に埋めて悲しげに呟いた。
「ええっ!? ハ、ハッピー! どういうこと!? シャルルを傷つけないようにって、言ったじゃない!」
 シャルル、凄く落ち込んでる!
 あせった僕は、側に立つハッピーの肩を掴んで揺さぶった。
「おや。私に対する第一声がそれとは。私はきっと、まずはお礼を言ってもらえるものだと思っていたが」
「は」
 そうだった。ハッピーは、僕を助けてくれたんだった。
「ご、ごめんよ、ハッピー。助かったよ。本当にありがとう。で、でも、シャルルが!」
「大丈夫だ。私はシャルルに酷いことなどしていない。シャルルが言っているのは、きっとあれのことだろう」
「あれ?」
 ハッピーの尖った指が指し示す方に目を向ける。
 そこには。

「あああああっ! な、何してるの、クリス! ウィンザレオ!」
 ここよりかなり下った山の斜面で、激しい戦いを繰り広げるクリスとウィンザレオがいた。
「はぁっ! 喰らえ! 『フェザー・エッジ』!」
「グファ! んなもん喰らうかよ! 『フット・アクセル』!」
 クリスの翼から繰り出される、鋭利な無数の羽を、ウィンザレオが残像の出来るほどのスピードで回避している。
「とうりゃ! 『アーム・アクセル』!」
 クリスの飛ばす羽の間をすり抜けて、ウィンザレオの拳がクリスを目指す。
 え? 腕が百本以上あるように見えるけど!
「はっ! 『ディフェンシブ・ウィング』!」
 それをクリスの猛烈な勢いで広がる翼が弾き返した。
 うわっ! 翼が鋼鉄みたいになってる!
 二人の戦う周囲には砂塵が渦巻き、辺りの木々を巻き込んで薙ぎ倒している。
 木が飛ぶ岩が飛ぶ空気が逆巻く。
 まるでこの世の終わりみたいな光景だ!

 


22

 僕は震える声でハッピーに訊ねた。
「ね、ねぇ、ハッピー。あの二人、一体、なに、しているの……?」
「ん? ご覧の通り。戦っている。ガチで」
 ガチでって。
 僕はぽかんと口を開け、二人の戦いを見つめた。
「……あの二人のせいね。わたしの家が、ほぼ全壊しているのは……」
 はぁ、とシャルルが溜め息を吐きながら顔を上げた。
「全壊? あ? ああっ!」
 言われてみれば。
 もう、僕らのいる床しか残っていないけど。
 ここって、シャルルの家だぁ!
 良く見回してみれば、辺りの林に屋根だの窓だの、カーテンや衣服の類まで、ものの見事に散乱している。
「なんで……?」
 僕はふらりと立ち上がる。
 どうしていいのか分からないけど、とりあえず座ったままじゃいられないよ、これ!

「ふむ。私に任せて欲しいと言ったのだが……どうやら、待ちきれなくなったのだろう」
「待ち切れなかった? 誰が?」
 ひょい、と隣に並んだハッピーにまた訊ねる。
「クリスだ。ディアを心配するあまり、シャルルを殺そうとしたクリスを、ウィンザレオが止めた。結果、あのような激しいバトルにまで発展した。と、私は推理するが」
「ええええっ!? それ、どういうこと!?」
「覚えていないのかね? シャルルがキミに『クロノ・リード』を仕掛けた時、もう外は夕闇が迫っていた。今、頭上に広がっているのは青空だ」
「あっ! じゃあ、あれから一日経ってるの?」
「いや。三日だ」
「三日!?」
 めまいがした。
 気の短いクリスが、そんなに待てるはずないよ!

「そう。あの魔法は、対象の人生を見るから。長く生きている人だと、その分時間がかかるのよ」
 シャルルが無表情に捕捉の説明をしてくれた。
「そういうことだ。ディアが何百年生きているのか知らないが。こんなに長く『クロノ・リード』を使い続けた相手など、初めてじゃないかな、シャルル? ははははは」
「……いいえ。ウィンザレオの時は、これ以上だったわ。まぁ、彼の時には、未来まで見ているけれど」
「ほう」
 ハッピーが驚いている。
 もちろん、僕も驚いた。
 そんな馬鹿な。
 じゃあ。
 ウィンザレオって、一体何歳なの!?

「興味深い話しだ。そもそも『対極の槍』とは、精神世界で用いるような『神器』ではない。『クロノ・リード』の『ホルダー』が、『神器』の『オーナー』でもあると、組み合わせでこんなに面白い『力』が発現するのだね」
 手を顎に、ハッピーはふむふむと頷いている。
 記憶が戻った今、僕にもそれが理解出来た。
 魂や肉体に『魔力回路』を刻み、奇跡の『力』を起こす者を、『ホルダー(保持者)』という。
 そして、神やそれに準ずる者の作り出した『神器(アーティファクト)』を保有する者を、『オーナー(所有者)』という。
 魔力回路は強い願いにより刻まれ、神器は選ばれた者が然るべき時に与えられる。
 神器はエーテル(霊的物質)で構成され、オーナーの意志で自在に出現させられる。
 太古の昔に地上から失われた『魔法』は、今やこの『ホルダー』と、『オーナー』にしか行使出来ない。
 シャルルは、その両方を持っている。
 凄い奇跡だ、と僕は思った。
 と同時に、一つの疑問、いや、興味が湧いた。
 シャルルに『神器』を与えたのは、誰だろう――?

 


23

「――はぁ。感心している場合なの? そろそろ止めないと、あの二人、本気で殺し合いを始めるわ」
「あ! そうだった!」
 シャルルの言葉で、はっと我に返った。
 て、「本気」で? あれでまだ本気じゃないの、あの二人?
 確かにクリスはまだ力を隠している。
 でも、まさかウィンザレオもそうだなんて!
 それが本当なら、ウィンザレオは僕ら『天使』にも匹敵する力を持っているってことになる!
 地上に、そんな者が?
「……セカイは、僕の思っているより、全然広い、ってことか……」
 ぶる、と体が震えた。
「はぁ? 何を嬉しそうな顔をしているの? さっさと止めてきなさいよ」
「あ。うん」
 体内の血が熱くなった所を、シャルルの命令に冷まされた。
 なんだろう、この自然な命令口調。
 こんな風に命令されるの、初めてだ。
 ま、いいや。とにかく止めなくっちゃ。
 僕は斜面を下って、二人の元へと向かった。

 近付かなくても、二人の怒鳴りあいは良く聞こえた。
「ちっ! なかなかやるな、獣人風情が!」
 これはクリス。
「グファファ! てめーこそ、思った以上に出来るじゃねぇか!」
 これはウィンザレオ。
 二人の所までは、まだかなりの距離がある。
 なのに、顔に吹き付ける風は目を開けていられないほどだ。
「はぁっはっはっは! 良く言う! そろそろ本気を出したらどうだ、ケダモノめ!  『獣人化』すれば、爆発的に力が上がるだろう! それより前に、まずは、その背にある大剣を抜くべきだがな!」
「余計なお世話だぜ! そう言うおめーはどうなんだ! まだ奥の手があんだろう? 分かるんだぜ、俺にはな! グファファ!」
 がんがん飛んでくる木や岩をなんとか避けて、斜面を必死に下る僕。
 怖いよ、これ! こんなのが一発でも当たったら、痛いじゃ済まないよ、きっと!
 ていうか、なんでそんなに楽しそうに戦ってんの、二人とも?
 僕には理解出来ないよ!

 挑発しあう二人の力が益々強くなり、それにつれて飛んでくる物も増えてきた。
 だめだ、これ以上近づけない! ちょっと遠いけど、ここから呼びかけよう!
「クリスーッ! ウィンザレオーッ! もう止めて! 僕はここにいるよーっ!」
 風に負けないよう、声を絞り出す。
 今の僕の声って高いから、きっと良く通るはず。これなら聞こえるはずだ。
 直後、ちゃんと声が届いたことが分かった。
 でも、その反応は信じられないものだった。
「ディアか? ちょっと待っていろ! 今すぐこのバカを片付けて、その後シャルルを撲殺し、きっとお前を助け出してみせるからな!」
「撲殺っ!? いや、僕、ここにいるってば!」
 戦いに夢中になってるんだ、クリス! こうなると、クリスに話しは通じない!
 じゃあ、ウィンザレオは?

「グファファファ! させっかよ! 大体、シャルルのあんな貧弱な精神攻撃にすら耐えられないようなヤツぁ、死んじまってもかまわねぇだろーが!」
「ええええええ! それ、割り切りすぎだよ、ウィンザレオ!」
 ウィンザレオらしいといえばらしいけど。
 それ、ちょっとひどくない!?
 僕の的確な突っ込みにも、二人の動きは鈍らない。それどころか、鋭く速くなっている。
「うわわ。二人とも、熱くなってて僕の呼びかけが届かない……。うわっ!」
 どごん、という重低音がして、僕の頭上を飛び越えた巨岩が斜面にのめり込んだ。
 バカっと割れた岩の破片が、そこら中に拡散する。
「わぁぁぁ! いたたたた!」
 破片のいくつかが僕の頭にこんこんとぶつかった。
 あああ! 角を隠すための真っ白な帽子が汚れちゃう!
「いたー! うう。し、しょうがない。こうなったら……」
 僕は心を決め、凄まじい攻防を繰り広げる二人を見下ろした。

「もう、力ずくで止めるしかない!」
 ぼう、と僕の体が青白い光に包まれた。
 ウィンザレオは力の底がまだ見えない。けど、クリスの力は分かってる。
 ごめんね、クリス。
「クリスの『力』、借りるね! 出でよ! 『レプリカント・サーヴァント』!」
 ぼぼぼぼぼ、と僕の体の後ろから、発光体が飛び出した。
 それらは一瞬直上に飛んだ後、すぐに降下を開始。
 クリスとウィンザレオを猛スピードで目指してゆく。
「むっ! これは!」
 クリスが膨大な魔力に反応し、発光体へと目を向けた。
「な! なんだ、こりゃあっ!」
 ウィンザレオもほぼ同時に確認し、叫びで驚愕を表わした。
「これは、ディア! ディアの『魔力回路』、『レプリカント・サーヴァント』か!」


24

 さすがはクリス。て、知ってるんだから当然か。
 そう、これが僕の能力。
 本物と同じ『力』を持つ『僕(しもべ)』を作り出し、操るのが僕の『力』!
「うおおおおいっ! こんなの卑怯じゃねぇのかぁっ!」
 ウィンザレオが背中の剣に手をかけた。
「バカが! 勘違いするな! これは私であって私ではない! これは、これは!」
 クリスが翼を最大にまで広げ、無数の羽を周囲に浮遊させて、防御の陣を展開した。
「これは! ディアの複製した『私』! 私と同じ『力』を持つ、幻影だ!」
 クリスとウィンザレオに迫っているのは、僕の作り出した『クリスたち』だ。
 本当はもっと出せるけど、とりあえず五体のクリスを作ってみた。
 僕の操る五人のクリス対、一人のクリスとウィンザレオ。
 これなら、絶対止められるよね!
「さぁ、行け! 僕の『サーヴァント』たち! 二人を拘束して、戦いを止めさせるんだ!」
 僕は二人に向けて手を振り下ろした。

 目的は戦いを止めること。二人を倒すことじゃあない。
 クリスの本気モードでサーヴァントを使役することも出来るけど、それじゃあ二人とも殺してしまいかねない。
 だから、僕は。
「サーヴァントたち! 『鎖翼(さよく)』展開! 二人を拘束せよ!」
 そう命じ、五体のサーヴァントを二人の頭上で旋回させた。
 五人のクリスがそれぞれ真横に翼を広げると、その下側の羽が全て急速に伸び、ザクザクザクザクと地面に突き立つ。
 五人を頂点として、ドーム状になった翼の結界が出来上がった。
 これで『翼の檻』の完成だ。二人は、もう逃げられない。
「グファファ! 何をしてきやがるんだ、こりゃあ? グファファ」
 ウィンザレオは背中の大剣を引き抜くと、両手で構えてサーヴァントたちを見上げた。

「バ、バカか、貴様は! 見ろ! もう、ディアはこちらに無事戻ってきている! 戦う理由などないだろうが!」
 クリスは翼で自分の周りを囲い、防御の姿勢を取っている。
 クリスの魔力回路は『マター・アルティレーション』。
 自分の全てを自由に、望むままに変質させることが出来る。
 魔水晶になっていたのも、この力によるものだ。
 本物のクリスは翼を鋼鉄に変質させて、僕の攻撃に備えている。
 良かった。正気に戻ったのなら、攻撃しなくて済むもんね。
 問題は、ウィンザレオか。こっちの方は厄介だなぁ。
 ウィンザレオ、こうなってむしろ嬉しそうだもん。
 僕の『力』が知りたいんだね、きっと。
 その気持ち。戦いが嫌いな僕でも、さ。
 僕でも、なんとなく分かるよ、ウィンザレオ!

「『チュールの鎖』、発動! ウィンザレオを巻き取れ、サーヴァント!」
 僕はサーヴァントを動かした。
「うお、おおおおおっ!?」
 ウィンザレオが見上げたままに雄叫びを上げる。
 僕のサーヴァントたちの翼から、羽を変化させて作り出された鎖が、ウィンザレオに向かって、じゃらららららと、何本も何本も高速で伸びてゆく。
「ぬおおおおおおっ!」
 ウィンザレオの剣が唸りを上げた。
 は、速いっ! 動きが全然追えないよ! 
 見えない壁があるかのように、ウィンザレオの周りで弾かれてゆく『チュールの鎖』たち。
 この銀色の鎖は天界にしか存在しない『オリハルコン』を輪状に作り、繋げたものだ。
 地上で一番硬い、成型可能な物質は鋼鉄。剣はこれで出来ている。
「驚いたな。でも、それだけじゃあ。『チュールの鎖』は、防げないよ!」
 剣の動きはみるみる遅くなっていった。鎖が徐々に絡みつきつつあるからだ。
 ウィンザレオの肉厚で幅広、僕の身長ほどある大剣は、その刀身を巻きついた鎖で隠していった。

「ちぃっ! なんだ、この鎖!? 切れやしねぇ!」
 ぱ、とウィンザレオは剣を手放し膝を曲げて腰を落とした。
 そして、宙に浮かぶ五人のクリスに向けて跳び上がる。
 ごぅ、とウィンザレオがクリスたちの一体に迫る。
 大人しくなった本物のクリスは手で顔を隠して「あーあ」と溜め息をついていた。
「ぐ、えっ!」
 ウィンザレオが空中で苦しそうに呻き声を上げた。
 ぴた、と宙で静止したウィンザレオは動かない。
 ウィンザレオの体は鎖で出来たミノムシのようになっていた。
 当然だね。
 下より、上の方が。
 鎖の密度、高く出来るもん。
 ウィンザレオは、ものの見事に僕の戦術にはまってくれた。
 まずは上から攻撃。通用しない場合、敵が上がってくるのを待つ。空が見えるようにしたのはこの為だ。
『囲師は周するべからず』。
 相手の動きをコントロールするには、常に選択肢を一つだけ与えるものなんだよね。

 


25

「……おい。息は出来ているか、ウィンザレオ?」
 五体のサーヴァントの冷たい瞳に見下ろされる、宙ぶらりんとなったミノムシ型ウィンザレオに、クリスが同情の篭った声をかけた。
「……一応な。グファ。魔王って、強えんだな……」
 鎖の隙間から、ウィンザレオの意気消沈した声が漏れ聞こえた。
「良かった。ウィンザレオも、もう戦う気がなくなったみたいだね」
 少し離れた斜面から、僕は満面の笑顔を二人に向けた。

 

 

 ウィンザレオとクリスを大人しくさせることに成功し、僕らはシャルルの家へ……いや、シャルルの家だった場所へと戻った。
 『クロノ・リード』発動中、シャルルと僕が倒れていたと思われる、床だけしか残っていないシャルルの家。
 その床で、クリスとウィンザレオが正座している。
 シャルルとハッピーは僕の後ろでそんな二人を見下ろしている。
 僕はすぅっと息を吸い込み、二人へと声をかけた。
「さ、じゃあ、シャルルに謝ってよ、二人とも」

「なんでだよ? 俺ぁ、シャルルをこの暴虐な天使ちゃんから守っただけだぜ」
「誰が暴虐だ、ウィンザレオッ! そして、なぜ謝らなければならないのだ、ディア? 私はそのちんちくりんな小娘から、お前を助けようとしただけだ」
 僕が謝罪を求めるも、二人はあっさり拒絶した。
「ちんちくりん、ですって?」
 ぴく、とシャルルの眉が跳ね上がった。
 確かにシャルルは僕より小さい。本人も気にしているみたいだ。
「もう、クリス。理由は分かるし僕は感謝してるけど、シャルルの家を壊しちゃったのは事実でしょ?  ウィンザレオだって、クリスを止める為にやむを得なかったかも知れないけど、あの様子だとそれを楽しんでいたんでしょ?」
「む。それはそうだが……」
「グファファ。まぁな。途中から、この天使ちゃんの相手が楽しくなってたのは確かだな」
 クリスは納得がいかないらしく、顔を背けて唇を尖らせた。なんかぶつぶつ言っている。
 ウィンザレオに至っては、もう言い訳する気もなさそうだ。

「はぁ。分かってるんじゃないか。だったら潔く謝ろうよ。他のことは置いといて、家を壊したことだけは間違いなく悪いんだ。そこだけは謝ろう。ね?」
 僕は二人の、主にクリスの顔を覗きこんで出来るだけ優しく促した。
 ウィンザレオは多分、「潔く」に反応する。
 でも、クリスには気を遣わなくっちゃならないから、ちょっと面倒臭いなぁ。
「分かった。ディアのお願いを私が聞かないわけにはいかないからな」
 クリスが険しい顔をシャルルに向けた。
 まだ言い訳するんだ、クリス。僕のお願いになっちゃってるし。往生際が悪いというか、素直じゃないというか。
「うし。潔くないと思われるのは気に入らねぇ。俺もずばっと謝るぜ」
 ウィンザレオはにやりと笑ってシャルルにウィンク。
 それが謝る態度なの?
 二人とも、謝る理由がおかしいよ。

 シャルルはそんな二人を見てどう思ったのか、黙って静かに立っている。
 まず、クリスが口を開いた。
「悪かったな、小娘っ! 謝ってやるからありがたく思うがいいっ!」
「えええええ! それ、謝ってないよね、クリス!?」
 僕は激しく突っ込んだ。
 なんで胸を張ってるの、クリス!?
「悪かったぜ、シャルル! でもまぁ、家なんざまた建てればいいこった。あんまりクヨクヨすんじゃねぇ! グファファファファ!」
「えええええ! なんでそんなに偉そうなの、ウィンザレオ!?」
 こっちにも猛烈な突っ込みを入れた僕。
 入れずにはいられないよ、これ!
「……あ、あんたたちはっ……」
 シャルルが拳を握り締めて肩をわななかせた。


26

「はっはっはっはっは。これはいかにもお二方らしい。はっはっはっはっは」
 ハッピーが体を折り曲げて笑い出した。
 心の底からおかしそうだね、ハッピー。
「ご、ごめんね、シャルル。後で僕が良く言ってきかせるから! とりあえず、ここは二人を許してあげて! ね? ね?」
「……うー……」
 僕は必死でフォローした。おろおろとする僕に、シャルルは犬のように唸っている。
 なんで僕がこんなに気を遣わなくちゃならないの?
 シャルルはしばらく僕の目をじぃっと見つめ、
「まぁ、いいわ。それより、あなたって、本当に魔王なのね。ウィンザレオをあんなに簡単に止めちゃうなんて。……ねぇ。『魔王』って、一体なんなの?」
 と、興味の矛先を変化させた。

「え? う、うん。『魔王』ってね、この地上に溢れ出た『闇』を吸い込んで、きれいにして返すのが役目なんだ。これぐらいの『力』がないと、務まらないから」
 シャルルの機嫌が多少なりとも良くなったようなので、僕はほっとした反動から素直に話していた。
「そう。凄いのね、魔王って……。それが、まさかこんなにかわいい女の子だなんて。とても信じられない気もするけれど……」
 すると、シャルルは僕のことを、上から下までじろじろと眺め始めた。
 あ。そうだ。
 今の僕って、頭にはきのこみたいな、角を隠すための白い帽子。体はワンピースにベストを羽織って、足には短いブーツを履いているんだ。
 僕、女の子にしか見えない姿なんだった!
 誤解されてる! 訂正しとかなくっちゃ!
「わ? わわっ?」
 でも、「僕は男だよ」って言うことは出来なかった。
 シャルルが、僕に抱きついてきたから。
 なななな、なんで? どうして?
 クリスとケイオスにしかされたことのない抱擁に、僕は激しく動揺した。

「な! 私のディアに、一体何をしているのだ、このちんちくりんっ!」
「まぁまぁ。いいじゃねーか。グファファファ」
 腕を振り上げるクリスを、ウィンザレオが羽交い絞めにした。
 クリスは「離せ! 離せぇっ!」と怒鳴っている。
「……魔王が何か、知らなかったからって、わたしのしたことはやっぱり酷いと思うわ。だから、家を壊されても仕方がない……。ごめんなさい、魔王……いえ、ディア」
 意外だった。
 シャルルは、僕に謝罪したかったんだ。
 僕の過去を見たから?
 それしか考えられないけど。
「い、いいんだよ、シャルル。僕だって、今まで忘れていたんだから。思い出せたのはキミのお陰だよ。記憶が戻って、自分の能力も前みたいに使えるようになったし。ありがとう。そして、ごめんね。嫌なもの、見せちゃって」
 何か言わなくちゃと思って出た言葉だった。
 でも、シャルルはそれを聞くと、びくっとしながら僕から体を離した。
 青く大きな瞳が見開かれ、きらきらと輝いている。
 きれいな子だな、と僕は思った。
 同時に、いつかの疑問がまた湧いた。
 シャルルには、何も無い?
 一体、どういうことだろう?
 でも。
 シャルルは、きっといい子だ。
 僕はそう確信していた。

「優しい魔王、か……。変なの」
 くす、と笑い、シャルルはまた僕の胸に顔を埋めた。
 そして、
「あなたも胸が小さい、ていうか、ないのね。わたしと同じだわ。うふふっ」
 と、笑い声を漏らした。
 あ、と。そうだ。「僕は男だよ」って言わなくちゃ。
「ははははは。一件落着、かな? ディア」
 が、ハッピーの楽しげな笑いに阻止された。
「で、あなたは何? 何者なの、あなたは?」
 僕の胸から顔をぐりんと横に向け、シャルルがハッピーに訊ねた。
 それは僕も気になるな。
「それはまだ明かせない。時が来れば、いやでも知ることになるだろう」
 でも、ハッピーは答えない。
 気になるなぁ、もう。
 でも、いい人、ていうか、いい悪魔なのは分かった。
 そうだ!
「ねぇ、ハッピー。願い事、訊いてくれる?」
 僕はハッピーに願いたいことを思いつき、シャルルの頭に手を置いて訊ねた。

「ほう? 願いが決まったのかね? いいとも。なんなりと言ってごらん」
 ハッピーは大きく頷き、快諾。
「な! バカ、ディア! お前の命が!」
「お? また面白そうなことになってきた」
 クリスがウィンザレオに捕らえられたまま、じたばたともがいている。
 心配ないよ、クリス。
 僕はクリスに目でそう伝えた。
 けど、あんまり分かってくれてないみたいだ。
 ま、いいか。
 僕は願いを、素直な思いを言葉に乗せて。
 ハッピーへ伝えようと口を開いた。
 叶えて、ハッピー。
 僕の、願いを!


27

「ハッピー」
「うむ」
「僕の、友達になってよ」
「なに?」
 ハッピーは目を大きくして僕を見た。逆に、口は完全に閉じた。
 ハッピーの口が閉じたの、初めて見た。
 真っ黒な顔が、目だけになっちゃった。
「それが願いか?」
「うん」
「そんな願いでいいのか?」
「うん」
 僕の願いを、ハッピーは何度も確認した。そして、完全に動きを止めた。
 僕はハッピーの答えを待った。
 ちょっと経ってから、ハッピーの口がまた開いた。

「……なぜだ? なぜ、私を友達に?」
 えっ? 質問されるとは思わなかった。
 僕は空を見上げて答えを探した。そして。
「なりたいから。僕、ハッピーが好きだもん。これからも、側にいてくれたら嬉しいんだ」
 と、答えた。
「……“なりたいから”?……。私が、“好き”……?」
 物凄く驚いているらしく、ハッピーは僕の答えを復唱した。
 意味を吟味しているみたいだ。
 おかしいな。そんなに難しいこと、言ってないと思うけど?
 そう思った直後、
「う! うぉ、うあ、あぁぁぁ!」
「ハッピーッ!」
 ハッピーが苦しみ出した。
 頭を抱え、ふらふらと後ずさる。今にも倒れそうな足取りだ。

「な、なに? どうしたの?」
 僕から突き放されたシャルルが、突然の事態に呆然とした。
「なんだ?」
「グファ?」
 クリスとウィンザレオも動きを止めて、ハッピーを見据えている。
 僕はハッピーに駆け寄った。
「ハッピー!? どうしたの、ハッピーッ!」
 倒れる寸前で、僕はハッピーを抱きとめた。
 軽い! てゆーか、重さを感じない!
「うわあぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
「ハッピィーーーーーーッ!」
 眩しい!
 ハッピーの体がひび割れ、隙間から眩い光を放ち出した。
 一筋、二筋、三筋とひび割れの数に比例して増える光のライン。
 爆発する!? ハッピーが、粉々になっちゃう!?
 いやだ! そんなの!
「いやだぁっ!」
 僕はハッピーを抱き締めた。力の限り。これ以上、壊れないように。
 でも、ひび割れは増える速度を上げてゆく。辺りは光に飲み込まれる。
「ディアーッ!」
 クリスの叫び声が聞こえた。

 光の洪水が収まり始めた。
 僕にはまだハッピーを抱き締めている感触がある。
 眩しくて目が開けていられなかったから見えないけど、ハッピーはまだここにいる。
 ここにいるんだ! 爆発なんて、してないんだ!
 自分にそう言い聞かせつつ、僕は恐る恐る目を開いた。
 そこには。
「やったにゃーん! やっと本来の姿に戻れたにゃーん!」
「えっ? ええっ? えええええええっっっ???」
 僕の腕の中に、嬉しそうに笑う少女がいた。
 眩しい笑顔。真っ直ぐに切り揃えられた前髪と後ろ髪。色は鮮やかにすら感じられる黒。
 そして。
 頭からネコのような耳が生えていた。

「誰っ!?」
 てか、何コレ? ハッピーなの?
 僕は慌てて手を放して飛び退いた。
「か、かわいい……」
 シャルルが手を組んで目を輝かせている。シャルルにはコレがかわいく見えるらしい。
「女、か?」
 クリスが迷っている。
 多分、この少女が僕とひっついていたことを妬いていいのかどうか考えているんだろう。
「あいつ、にゃんにゃん言ってねぇか? やべぇな。俺、そういうの、イラっときちまうんだが」
 ウィンザレオのこめかみに、ピキッと青い筋が浮かんだ。

「嬉しいにゃん嬉しいにゃん! 元の姿に戻れたにゃん! はぁぁぁ、良かった髪もさらさらだしおばあちゃんにもなってないにゃーん! 美しいまま、ボクは復活を果たしたにゃぁーん! ふっかぁーつっ! にゃはははは!」
「…………」
 嬉しさを全身で表わして、ハッピーらしき少女はそこら中を飛び跳ねている。
 それはいいけど。
 彼女を見ていると湧き上がる、この気持ちはなんだろう?
 お腹がムカムカしてくるし、衝動的に攻撃系の魔法を繰り出しそうになる。
 手がぷるぷると震え始めたところで、クリスが僕の肩に手を置いた。
「クリス?」
 クリスは「ふ」と優しく笑い、頷いた。そして、こう言った。
「それはな。『殺意』というのだ、ディア」
「これが、『殺意』、か……。て、いやいや、そんな馬鹿な!」
 危うく納得するところだったよ!
 なんで僕を優しく諭してんの、クリス!
 僕、そんなに暴力的じゃない! ……はずだ。

 


28

「それにしても、変わった格好をしているな。あんな服は、アーク公国はもとより、この大陸中のどこの国でも見たことがない」
「そう言われればそうだね。あの子、どこから来たんだろう?」
 飛び跳ねている少女は全身にぴっちりと張り付くような黒い服を着ていた。
 体のラインがはっきり出ているのも凄いけど(そんな精密な寸法取りを必要とする服はどこでも作られていないから)、少しごつごつとした手袋と、体の割には大きすぎる黒いブーツとの境目が見当たらない。
 その黒い服は、すべてが繋がっているように見える。
 もうここでおかしいのが分かる。
 どうやって着るのか? どうやって脱ぐのか?
 僕らには、それすら想像出来ない服だからだ。

「さて、と」
 ガチャ、と音がした方を見ると、ウィンザレオが背中の大剣を抜いていた。
「ちょ、ウィンザレオ? なにするの?」
「ん? ああ、なに。すぐ済むから、心配すんな。ちっとあいつ、斬ってくるだけだからよ」
「えええっ! やめなよ!」
 僕は慌ててウィンザレオの腰に腕を回し、動きを封じた。
「なんで止めるんだよ? おめーだって、かなりイラっときてんだろ?」
「き、きてない! イライラなんて、してないよ!」
 僕は首をぷるぷる振った。ちょっと必死で否定しすぎかも。
 ウィンザレオの腰の向こうに、シャルルがとてててて、と走る姿が見えた。
 ハッピーまっしぐらだ。
「ねぇ、あなた、あの悪魔なの? どうしてそんな姿に変わったの?」
 シャルルの目がキラキラとした星を飛ばしている。
 これ以上ないくらいに分かりやすい、興味津々な様子だ。

「にゃーん? そう! ボクね、悪魔の姿にされてたにゃん。呪われていたんだにゃーん」
 やっぱりハッピーなんだ、アレ。あ、“アレ”とか思っちゃった。
 でも、『呪われていた』って、どういうこと?
「呪われて? 誰に?」
 シャルルも同じ疑問を抱いたようだ。
 ハッピーは僕とクリスをちら、ちら、と一度ずつ横目で見て、
「それは言えないにゃん」
 と答えた。
「うぐぅっ!」
「ウィンザレオ!」
 苦しそうに地に膝を付いたウィンザレオに、僕も引っ張られてぺたんと座る。
「ど、どうしたの、ウィンザレオ?」
 心配になったので訊いてみた。
「あの野郎っ……! ただでさえイライラする喋りなのに、『言えないにゃん』とか……。ぐうっ! 胃が、胃が痛いっ……!」
「あ。そういうことか」
 お腹を押さえて蹲るウィンザレオに、僕は激しく同情した。
 それにしても凄いな、ハッピー。このウィンザレオに、言葉だけでダメージを与えるなんて。
 そう思いつつ顔を上げると、いつの間にか目の前にハッピーが立っていた。
 それに気付いたウィンザレオは「がは」と呻いて吐血した。
 どんだけダメージ受けてんの、ウィンザレオ!?

「ありがとにゃん、ディア。あなたのお陰で、ボクは元に戻れたにゃん」
「えっ?」
 ウィンザレオの背中をさする僕は、頬を赤らめながらお礼を言うハッピーにびっくりし、手を止めた。
「どういうこと?」
 僕は素直に訊ねた。
「うーん。詳しくはまだ言えないんにゃけど」
 にゃけどって不自然でしょ。無理してない、それ?
 もじもじと言いよどむハッピーに、僕は心の中で突っ込んだ。
「ボクの呪いは、人々の『願い』を通じてしか解けないものだったにゃん。その上で、『ボク自身を必要としてくれる人』に出会わなければ、解けないものだったにゃん。そういう呪いをかけられたのにゃん……」
 ふ、とハッピーが目を悲しげに伏せた。
「ハッピー?」
 僕はなんとなく感じていた。
 ハッピーは、真剣に話そうとしていると。
「ひどいわ。こんなにかわいい姿を封印されて、そんなことを! そんなの無理よ!」
 ハッピーの後ろでぴょこぴょことしていたシャルルが突然憤慨しだした。
「えっ? なんで?」
 僕はシャルルの怒っている理由が分からなかった。

「なるほどな。考えてもみろ、ディア。あんな怖そうな悪魔を、『悪魔自身』を、誰が必要とするんだ?  人々は、きっとハッピーの願いを叶える『力』のみを必要としたに違いない。それはハッピーじゃなくてもいいことだ。その『力』さえあれば、誰だろうが関係ないと思ったはずだ」
「クリス」
 首を捻る僕に、クリスが説明してくれた。
 ハッピーは唇を引き結び、体を硬直させている。
 いやな事を思い出しているのかも知れない。
「な、なんの為に、そんないじわるなことを?」
 僕はクリスに訊ねた。
「はっ。大方、人間どもの『汚さ』を、こいつに思い知らせる為の呪いだろう。  どれだけ尽くそうと、どれだけ好意的に近付こうと……人間に、それは『通じない』と悟らせようとした。それが術者の思惑だと推察できる。  そうでなければ、こんないやらしい呪いをかける理由の説明がつかない」
「ひどい! ひどいわっ!」
 シャルルが腕を振り回して叫んでいる。
 ハッピーはそんなシャルルに、「ははは、にゃん」と困ったように笑っている。

 


29

「……確かにひどいね。でも、一体、誰がそんなことを……?」
 分からない。
 誰だか知らないけど、こんなことをするなんて、きっと『悪意』の塊のような人に違いない。
「……誰か、か。多分、“あいつ”だろう。だから、ハッピーは誰にやられたのか、はっきり答えないのだ」
「分かるの、クリス? 誰? 誰なの?」
 凄いなぁ、クリス。僕はクリスを尊敬した。
「……聞くな、ディア。私の予想が正しければ、きっと」
「きっと?」
 クリスはそこで言葉を区切り、僕を見た。
 躊躇ってるの、クリス?

「きっと、我われにとっても大変なことになる。多分、この問題の根は、お前の想像している以上に、遥かに深い。ハッピーの呪いの真相を聞いた時……お前がどうなるのか、私には分からない。だから……聞くな、ディア。お願いだから……」
「クリス……」
 クリスは僕を胸に抱き寄せ、そのまま何も言わなくなった。
 クリスの体が震えている。
 クリスは、何かに恐怖している。
 それがなんなのか分からない僕には、どうにもしてあげられなかった。
 だから。
 クリスの後ろにそっと回した僕の手で、背中をぽんぽんと叩いてあげた。
 怖くない。怖くないよ、クリス。
 僕が側にいるから。僕が、クリスを守るから。

 シャルルはハッピーの手を握り、ずっと顔を見つめている。
 うるうるとした瞳は、「もう大丈夫! わたしがここにいるんだから」と訴えかけているようだ。
 見た目が変わったから? いや。そうじゃない。と、思いたい。
 僕がクリスを宥めている横で、ウィンザレオが立ち上がった。
 手をかざして遠くを見るウィンザレオの表情は、口元に笑みが残っているものの、目は真剣になっている。
「……とうとう来やがったな。やっぱ、家は潰しといても問題なかったらしいぜ。グファファファ」
「来た? 誰が来たの、ウィンザレオ?」
 ウィンザレオの視線を辿ると、僕らがやってきた道を下ってくる身なりの立派な人間に突き当たった。
 細身で上品なスーツを着こなすその人物の左右には、騎士風な男が二人いる。
 護衛? だとしたら、結構いい身分の人なのかもしれない。靴も普通の革靴だし、こんな山奥に来るような格好じゃない。

「おお。これはどうしたことですかな、シャルル様? ご自宅が損壊しておられるようですが。ここにだけ、台風でもきたのですかな? ほっほっほ」
 後ろ手にしていた右手を軽く挙げ、朗らかに笑う細身の紳士。
 鼻の下にたくわえた白い髭は左右に真っ直ぐ、剣のように伸びている。
 瞬間、僕は「この人、おかしい」と感じた。
 だって。この惨状を見て笑って挨拶してくるなんて、おかしいよね。
 それはシャルルも思ったらしい。
「ええ、そうね。ちょっと小型で猛烈な台風が通ったの。で、なんの御用かしら、デーン卿。今、我が家の異変に気が付いたということは、昨日、おとといはここを訪れなかったということでしょう?」
 ハッピーを自分の後ろに隠し、そう言うシャルルの口調は、明らかに棘がある。
 シャルルはこのデーンとかいう男の人に、いい印象はないみたいだ。

「お? ほっほっほ。いかにもその通りです。さすがはシャルル様ですな。ほっほっほ」
「簡単に認めるのね。あなたの役目はわたしの家に、毎日紅茶と必要な物資を届けることでしょう? それを二日も怠って、なぜ笑っていられるのかしら?」
 シャルルはデーンを非難した。ウィンザレオはぶすっとした表情だ。
 二日? ああ、そうか。僕ら、三日前の夕方から『クロノ・リード』の精神世界にいたんだっけ。
 じゃあ、このデーンという紳士は、毎日、夕方前までには来るってことだね。
「んっふっふ。役目を怠っていたわけではありません。ガードナー伯のご指示によるものですからな。本日こちらに伺ったのも、もちろん指示の元、ですが」
 髭を片手で引っ張って、デーンは余裕ありげに笑ってみせた。
 いやな感じ。皮肉屋さんだな、この人。
 ところで、ガードナーって、誰だっけ?
 聞いたことがあるような……。あ! この街に入る時、ウィンザレオが僕らのことを「ガードナー卿への貢物だ」って言ってたっけ。
 じゃあ、ここの領主のことか。

「そう。見たところ、従者は何も持ってなさそうね。何しに来たのかしら?」
 毅然と立つシャルルを、ウィンザレオは複雑な表情を浮かべて見ている。
「今日の荷物はこれだけですからな。こんな物、私でも運べます」
「それは?」
 デーンが懐から鉄で出来た筒を取り出した。
 上部は鷹を象った飾りが乗っていて、筒全体が金色に輝いている。なんだか威厳を感じる筒だ。
「士爵剥奪の知らせが入った書簡です」
 デーンは口を歪めて冷たく言い放った。
「な!」
 シャルルはそれを聞いて絶句した。
「……だよな」
 ウィンザレオが肩を落とした。


30

「一応説明しておきますと、ハーバーライト家は騎士に叙任されたウィルにより、士爵に封じられました。が、そのウィル殿が戦死してしまった以上、位は返していただかねばなりません。おわかりですね、シャルル様?」
「う……」
 シャルルは俯いて唇を噛んだ。
 困ってるのかな、シャルル? その『士爵』っていうのが無くなると、どうなるんだろう?
 ウィル戦死の情報は、もうここまで届いてるんだ。あれから三日経つんだから、当たり前かも知れないけど。
 何か言った方がいいのか考えていると、ウィンザレオが前に出た。
「おい、ちっと待てよ。シャルルは士爵の俸禄しか収入がねぇんだ。それを止めるってのは、シャルルに“死ね”って言ってるようなもんだぜ? あんなに頑張ったウィルの家人に対して、随分な仕打ちじゃねぇか?」
「えっ? そうなんだ? そんなのひどいよ!」
 びっくりした僕は白髭の紳士を睨んだ。
「おお。久しぶりだな、ウィンザレオ。元気そうでなによりだ」
 デーンは口元だけで笑顔を作り、ウィンザレオに鋭い視線を向け、
「それはハーバーライト家の事情であり、ガードナー伯の関知するところではありません。無論、一般的な士爵家であれば、配下の騎士の生活もあるので禄を止めることはありません。ですが、こちらはウィル殿一人で持っていた。こうなることは、事前に予測出来たはずです」
 と、つらつらと淀みなく答えた。

「正論だな。戦いに身を置く以上、いつ死んでもおかしくはない。備えをしておくのが常識だろう」
 クリスは腕を組んで頷いた。デーンの意見を認めている。
 シャルルはますます俯いた。ウィンザレオも押し黙ってしまった。論戦には弱そうだ。
「そ、そんな! そんなの、絶対おかしいよ! だって、ウィルはみんなの為に戦って、それで命を落としたんだよっ!? なのに、死んだら終わりなんて、おかしいよ!」
 黙っていられなかった。
 おかしい! そんなのおかしいよ!
「なんだ、この女は? 無礼な。シビリアンでもない者が、私に向かってそんな言葉使いは許されんぞ」
「う」
 左右の騎士がデーンの前に出て、僕に剣を突きつけた。銀色の刃がぎらりと光を弾いている。
 でも、僕にはそんなの目に入らない。それぐらい、この男の言うことに反感があった。

「無礼でもなんでも、おかしいものはおかしいよ!  ウィルが戦ったのは、シャルルのためだ!  シャルルがいなくちゃ、ウィルは頑張れなかったはずだ!  だから、ウィルの爵位だって、シャルルがいなくちゃ貰えなかったはずなんだ!」
「黙れ!」
 二人の騎士の剣がクロスして、僕の首に押し当てられた。
「ディア……」
 シャルルが泣きそうな顔を上げた。
「いやだ! 僕は、黙らない! そんなウィルを見送るシャルルがどんな気持ちだったか、考えてあげてよ!  きっと、心配で寂しくて悲しくて、何度も何度も泣いていたに違いないよ!  なのに、ウィルが死んだらそれまでなのっ!? シャルルは、なんの役にも立っていなかったって言うのっ!?  そんなの、間違ってる! 誰がなんと言おうとも、絶対間違っているんだよっ!」
「……この、ガキがっ……!」
 デーンは書簡を握り締め、ぶるぶると肩を震わせ出した。顔は真っ赤になっている。
「かまわん! そのガキは首を刎ねろ!」
 デーンは手を横に振り払った。
「ははっ」
 首にあった騎士の剣が一旦引かれ、再び僕に向かってくる。
「っ!」
 僕は思わず目を閉じた。

「やめときな」
「むっ! 邪魔をするか、ウィンザレオ!」
 でも、その剣はウィンザレオの剣に阻まれ、止まっていた。
 交差する二本の剣の間に、ウィンザレオの大剣がぶつかり、ぎりぎりと音を立てている。
 騎士二人は両手で剣を握って押している。
 でも、ウィンザレオは大きな剣を片手で支え、涼しげな顔で二本の剣を止めている。
 凄い。びくともしてないよ。怪力だなぁ、ウィンザレオ。
「ふ。ウィンザレオの魔力回路は最高の身体能力強化を誇る『モンスター』だ。『闇属性』だろうから、全力で力を解放すれば、『獣人』になってしまうがな」
「あ。そうだったね」
 クリスの説明に、僕は納得して頷いた。
 普通の人間じゃ、ウィンザレオの相手にならないよ、これ。

「おい、お姫様。おめー、ちっと無防備すぎじゃねぇのか? ほっときゃホントに首がなかったぜ、今のは」
 騎士の剣を止めたまま、僕に呆れたように言うウィンザレオ。
「あ、ご、ごめんね。僕、スピードはないから。ああいう突然の攻撃は、防御が間に合わないんだ」
「今の攻撃の、どこが突然だよ。ったく、強ぇんだか、弱いんだか」
 ウィンザレオは肩をすくめた。大きな背中が頼もしい。やっぱり、ウィンザレオはかっこいい。
「おい、貴様。今、ディアを殺すように命じたな?」
 ずいっと前に出たクリスの、銀の瞳がデーンを睨んだ。
 まずい! めちゃめちゃ殺気を放ってる!
「な、なんだ、貴様は! 私に向かって、貴様だとっ!?」
「貴様こそ、私に向かって貴様とは、いい度胸だな」
 ぶわ、と白い翼が広がった。

 


31

「わわわわわ! クリス、殺しちゃダメだよ!」
「なにぃ? 面倒だ。領主ごと、皆殺しにすればいいだろう? 生活に必要な物など、そのついでに略取すればいいだけだ。これで全て解決だ」
「グファファファファ! そりゃあいいな! アルクデスタの守備兵は五百ってとこか。ガードナーも、さぞや腰を抜かすだろうぜ! グファファファファ!」
「えええええ! ウィンザレオ! キミまでそんなこと言うのっ!?」
 この二人なら、それぐらいホントに簡単にやってのけるよ、きっと!
 でも、こんなの!
「き、貴様らっ! それは反乱の意思あり、ということかっ!?   そんなことをしてみろ! アーク公国本国からも増援が来るであろうし、我らの支配が及ぶうちでは、もう二度と人間らしい暮らしは出来んぞ!」
 だよね。僕らはともかく、シャルルが困るよ、それ!
「んじゃあ、国を全て乗っ取るか。それなら文句ねぇだろう? グファファファ!」
「ほほう。それは面白い。こんな小娘どうでもいいが、ディアを舐められたままでは引っ込めん。一つ、私も力を貸そう」
 なんでノリノリなの、クリス!? 話がでっかくなってるよ!

 雪だるま式に大きくなってゆく話におろおろとしていると、今まで黙って成り行きを傍観していたシャルルが口を開いた。
「やめて。もういいわ」
 それは、穏やかな口調だった。
「シャルルにゃん?」
 ぎゅっと握られた手にもう片方の手を添えて、ハッピーがシャルルの顔を覗きこむ。
 ウィンザレオが「ぐ」と苦しげな声を出し、騎士の剣に少し押された。ハッピーの一言にダメージを受けたようだ。
 意外な弱点だなぁ、ウィンザレオ。
「も、もういいだって? こいつら、ウィルを都合よく使ったあげく、捨てるつもりなんだぜ? それが許せるのかよ、シャルルッ!」
 でも、ウィンザレオは頑張った。ハッピーの声にもめげず、シャルルに真意を問い質す。
「同感だな。こんなやつらがのさばっているから、ディアが苦しまねばならなかったのだ。いっそ全てぶち壊し、私が理想郷を築いてやってもいいのだぞ」
 そうか。クリスはこういう人間が『闇』を生み出す元凶だと思っているんだ。
 確かにそうかも知れないけど……本当にそうなのかな?

 シャルルはクリスとウィンザレオを見比べると、また同じ言葉を繰り返した。
「いいのよ。いいの」
 そんなシャルルの纏う空気に、僕は背筋を凍らせた。
 クリスとハッピーは気付いていない。でも、ウィンザレオは僕と同じように、何かを感じているみたいだ。
「クリス。ウィンザレオ」
 僕は二人に気を静めるよう促した。
「ふん。ディアが止めろと言うなら、従うしかないな」
「グファ。シャルルがいいって言うんなら、ただのでしゃばりか。つまらねぇぜ」
 しぶしぶとクリスが翼を引っ込め、ウィンザレオが剣を引く。
「……ふん。出来もせんことを。勢いだけで生きている馬鹿どもめ。シャルルに感謝するがいい。自殺行為を止めてもらえて、良かったではないか? ほっほっほっほっほ!」
 デーンが調子付いて毒舌を振るった。
 シャルルはそれでも表情を変えていない。
 我慢強い? いや、そうじゃないね。
 何を考えているの、シャルル……?

「では、これを」
「ええ。今までどうもありがとう。ご苦労様、デーン男爵」
 デーンから差し出された書簡を、シャルルはうやうやしく受け取った。
 男爵だったのか、この紳士。
「これで、シャルル様……いや、シャルルはただのイノセント(平民)である。  以後、城下街に入るにはシビリアン(文民)の資格を得るか、商用の通行証が必要となるので、そのつもりで。行くぞ」
「ははっ」
 言いたい事を言った後、デーンはくるりと身を翻して去っていった。
「……なんで? どうして一言もなく帰したの、シャルル?」
 僕はデーンを見送るシャルルの、小さな背中に向かって訊ねた。
 隣では、まだハッピーが手を繋いで立っている。
 結局、シャルルはなんの抗議もしなかった。一番怒りたいのは、シャルルのはずなのに。僕にはそれが腑に落ちなかった。
「シャルルには、見えているからさ。だろ? シャルル」
 答えたのはウィンザレオだった。シャルルは道の先に消えてゆくデーンを見つめたままだ。

「ウィンザレオ? 見えているって、何が?」
「それはな」
「ウィンザレオ。余計なことは言わないで」
 言いかけたウィンザレオを、シャルルがぴしゃりと制した。
 ウィンザレオは「分かったよ」と言って苦笑いを浮かべた。
「そうか、にゃん。シャルルにゃんは……」
「ハッピー?」
 ハッピーが何かを思いついたように呟いた。頭の上で、ネコ耳がぴくぴく動いている。
 その耳、本物だったんだ。
「あーあ。これでわたしは明日の食べ物にも満足にありつけない身の上になってしまったわ。困ったものだわ」
 手を後ろに振り返ったシャルルは、舌を出して笑っている。
 あんまり困っているように見えないけど、これはきっと虚勢だろう。
 兄を亡くし、一人ぼっちになったところへ、働いたこともなさそうなシャルルは、唯一の収入源を失ったんだ。
 笑っていられるわけがない。笑っていられる、はずがない、よ……。
「ふーむ。まずは生活をどうにかしないとな」
 ウィンザレオが無精髭の生えた顎をさすり、辺りを面目なさそうに見回した。
「生活、かぁ……」
 と言っても、家すら床しか残っていない。
 新生活は、完全にゼロからの出発だよね、これ。

「どうした? 生活なんぞ、なんとでもなるだろう? 悩むことなど何もない。はっはっはっはっは」
 クリスが能天気に笑っている。
 場を和ませるためかと思ったけど、多分、いや、絶対そうじゃない。
 僕もそうだけど、クリスに人間の生活感覚なんかあるはずないもの。
「おかしいな? 『カイロスの盾』だけ渡して終わるはずだったのが、なんでこんなことになってんだ? グファファ」
 ウィンザレオも笑い出した。けど、これはただのごまかしだよね?
「はぁ」
 とシャルルが溜め息した。それを見て、胸が詰まった。
「大丈夫だよ、シャルル! 僕らがきっと、なんとかするから!」
 気付けば、僕はそう断言してしまっていた。
「「「僕”ら”?」」にゃん?」
 クリスとウィンザレオとハッピーが、同時に声を上げた。

 

                        

                                      ~ 第二巻に続く ~