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「おはなし玉手箱」【参】

 

目次】

「バルセロナの熱い風」    …………………………………… 3

 

「From  darkness」        …………………………………… 11

 

「路傍にて」           …………………………………… 19


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最終更新日 : 2012-11-21 14:47:55

バロセロナの熱い風

バルセロナへ到着すると、港は波も穏やかで、柔らかな陽射しが頭上から降り注ぎ、非常に開放的な雰囲気だった。
山岳地帯を横断するつもりで街外れのマーケットで旧いオートバイを購入したのたが、それが思いがけぬポンコツで、草原を抜けそろそろ山道にさしかかろうという3日目、突如エンジンが焼け付き、マフラーから黒煙を噴き出して動かなくなってしまった。
ほの白い山々の稜線と、そこへ向かって延びる一本の道だけが草原の彼方へと続いている。
仕方がないので、バイクを乗り捨てて先を急ぐことにしたが、山が近づくにつれいよいよ陽射しが強くなり、私は一時間おきに道端の木陰に憩い、リュックサックから水筒を取り出して喉を潤した。
途中、運良くバスを拾うことが出来た。
乗客はみな辺りの農夫らしく、黒い野良着に身を包み、どの顔も馬の鞍みたいだった。
楽しそうにワインボトルを回し合い、見ず知らずの私にも気前よく振舞ってくれた。
山を越えて間もなく大きな街に着いたので、特に当てもない私はそこでバスを降りた。
旧い街並みがとても美しく、時折吹きつける南風は心地よかった。
私は街路樹の立ち並んだ石畳をのんびり観光し、街外れの小さなホテルにチェック・インした。
先の予定など何もなかったが、とりあえず二日分の宿代を前払いしておいた。
他にイギリス人が1人泊まっているらしい。
荷物はおかみさんが運んでくれた。
古びた螺旋階段が、一歩踏み出すごとにギシギシ音を立てた。

 


部屋へ着いて荷物を整理していると、例のイギリス紳士がおよそイギリス人らしからぬ気さくさで声をかけてきた。
あまりにあっけらかんとしているので妙なイギリス人だと思ったのだが、実はアメリカ人だった。
おかみさんが勘違いしていたらしい。
私はそれでようやく得心がいった。
彼は感じのいいカフェを知っているからと、熱心に誘った。
とりあえずシャワーを浴びるからと言ってしばらく待ってもらい、さっぱりしてから一緒に出かけた。
カフェはホテルにほど近い広場にあった。
テラスに白い大理石張りのテーブルと籐椅子がいくつも並んでいたが、ちょうどポプラの大木が一本枝を伸ばして日陰を作っていたので、その下に席を取った。
穏やかな陽気の昼下がりで、時折南の方から乾いた風が吹き抜け、広場を横切って行く人影も疎らだった。
アメリカ人は奥でのんびり新聞を読んでいた給仕の方へ、
「ワインを一本頼む。それとニシンの酢漬けだ」
へたくそなスペイン語だった。
話が通じたかわからないが、給仕は新聞を椅子に置き、厨房の方へ入って行ったきりなかなか戻ってこなかった。
ワインとグラスを持ってやっと来たかと思ったら、
「すんません、お客さん。今はあいにくニシンを切らしちまいまして。つい先日祭りがあったもんで・・・マグロ料理ならすぐ御用意できますが」
アメリカ人には通じなかったらしく、私の方へ、
「こいつ、何て言ったんだ?」
とでも言いたげな顔を向けてきた。
「今ニシンはないそうだ。マグロならすぐ用意できるらしい」
英語で通訳してやると、アメリカ人は肯いた。
「それでいい。それとソーセージかチーズも頼もう。わかるかい、ソーセージかチーズもだ」
最後は給仕に向かって言っていた。
私は、
「それでいいから持ってきてくれ。あと、ソーセージかチーズもだ」
とスペイン語で言ってやった。
「かしこまりました」
給仕が頭を下げて店の奥へ引っ込んでしまうと、アメリカ人は私のグラスにワインを注ぎながら、
「なかなか上手いスペイン語を話すじゃないか。まだ、名前も聞いてなかったっけ」
「シマムラ・アキラ。日本人だ」
ヒュウッ、と彼は口笛を吹いた。
「ニッポン人だって?そりゃ珍しいや。俺はマイケル・ブランドン。ニューヨークで記者をしてる。取材でスペインを回ってるんだ。よろしくな」
そう言って自分のグラスにもワインをなみなみと注ぎ、私のグラスにカチンと合わせて一気に飲み干した。
「こうして同じ宿で一緒になったのも何かの縁だろう。どうだい、しばらくは一緒に旅して回らないか?何たって、俺はスペイン語がへたくそでね」
差し当たって目的もない私に、もちろん否はなかった。

 

 

 


3
最終更新日 : 2012-11-21 15:13:57

それからしばらく、我々は朝早く起きてホテルで朝食をとり、件のカフェではコーヒーを飲みながらチェスを楽しんだりした。
昼下がりの街をぶらつき、教会へ足を運んだり、民芸市を楽しんだり、闘牛を観に出かけたり、時は夢のように過ぎて行った。
マイクはここでの出来事を記事にして雑誌社へ送るようなことを言っていたが、いっこうにそんな仕事をしている風には見えなかった。
5日目だったか、いつものようにカフェテラスで一杯やっていると、彼が突然釣りに行きたいと言い出した。
「おい、アキラ。この辺に釣りの出来る場所がないか訊いてみてくれないか。俺がここへ来たのもそれが目的なんだが、いい釣り場が全然見つからないんだ」
私は隣の席で議論に熱中していた二人の農夫を捕まえ、どこか良さそうな釣り場はないかと訊いてみた。
「でしたら旦那方、フィエスタって牧場の近くがいいですだよ。あそこじゃ以前、こんぐらいでっかいマスが釣れたもんですだ」
一人が両手を大きく広げて自慢げに笑うと、もう一人はあからさまに眉をひそめ、
「何言ってるだ。そげにでっかいマスがおるもんかい。それに、あそこで大物を釣り上げたのはお前じゃねえ。オラだ。旦那、こいつの言うことなんてこれっぽっちも真に受けちゃなんねえだよ」
「だけど、そこがいい釣り場だってのは本当なんだろ?」
「そりゃホントですだ。あそこじゃ実によく釣れますだ。オラが言うんだから間違いはねえ」
マイクに伝えると、彼は非常に喜んで、農夫たちに酒を一杯ずつ振舞った。
それから、どのバスで行けばいいかを教えてもらい、店を出た。

 

 

翌朝早くホテルを出発し、4時間近くバスに揺られて目的地に到着した。
バス停から牧場まではほんの目と鼻の先で、彼方に黒い巨大な牛の群れがのんびりと草を食んでいる姿が見える。
「ここが例の牧場かい。立派なもんじゃないか。見ろよ、強そうな牛がわんさかいるぜ」
釣具と荷物を担いでバスから降りると、マイクは気持ち良さそうに目を細めた。
「フィエスタだなんて、いかにもな名前だな」
顔を見合わせて笑っていると、後から声がかかった。
「あんたら、どっから来なすった?」
振り返ってみると、小柄な猫背の老人が日焼けした顔に満面の笑みをたたえて佇んでいる。
「彼はアメリカ、僕はニッポンから来た旅行者なんだけど、街でこの辺りに最高の釣り場があると聞いてやってきたんだ」
私はスペイン語でそう言って、釣竿を見せた。
「そりゃあまた、えらい遠くからお疲れさんでしたなぁ。釣り場ならすぐそこですだが、まぁ、まずは牧場の方を見てやってくだせえ。気に入ったら泊まっていただいて構いませんだで」
「そいつはありがたい。よろしく頼むよ。僕はアキラ。彼はマイクと言って、アメリカの記者さんだ」
老人は笑顔のまま我々と握手を交わし、
「わしはアンセルモいいますだ。この牧場で牛を育てとります。さあ、牧場の中を案内しますで、ついてきてくだせえまし」
先に立って歩いて行った。

 

 

 


4
最終更新日 : 2012-11-21 14:52:32

牧場は大草原とも見まごう広さだった。
木々の梢ではムクドリが巣作りに忙しいようで、小枝をくわえて戻っては、またすぐどこかへ飛んで行った。
牛舎の牛は10頭いたが、中に一頭ひときわ目を惹く立派な牛がいた。
他の牛より角も身体も一回り以上大きく、ビロードのようにつやつやと黒光りしている。
「こりゃ凄い!」
マイクが目を丸くした。
「何て立派な牛だろう」
「これは来年のフィエスタに出すヤツですだよ。これだけの牛は国中探したって見つかりっこねえですだ」
「こんなのと闘う闘牛士がいるのかい?」
「1人いますだ。ロメロって若い闘牛士だども、今年一番の牛を倒しましてね。今じゃすっかり英雄ですだ」
「ふーん。こいつと闘おうなんて、頭のネジが2、3本吹っ飛んでるんじゃないか」
「それでもヤツは闘いますだ。何たって国の英雄ですからね。きっとこの牛と最高の闘牛を見せてくれますだよ」

 


ひと通り牛舎を見て回った後、牧場主カルロスの屋敷へ案内された。
元闘牛士のカルロスは我々を快く迎え、宿代わりに空き部屋を2つ提供してくれた。
彼の書斎には、若い頃に闘牛で得たらしい数え切れないほどのトロフィーや写真が飾られている。
けれど、我々を最も驚かせたのは、二人の美しい姉妹、カルメンとマリアだった。
姉のカルメンは私と同い歳で、フランスへ留学中。
夏期休暇を利用して帰省しているそうだ。
妹のマリアは日本で言えばまだ中学生ぐらいの多感な年頃、子供らしさの残るあどけない顔立ちをしていた。
釣りはまた後日ということにして、夕食までのわずかな時間にあてがわれた一室で安物のペーパーバックをめくっていると、マイクがやってきた。
「おい、あの姉妹を見たろ。あのオヤジの娘とは思えないぜ」
「そうかい」
本から目を離さず、気のない返事を返すと、彼は軽く私の肩を小突き、
「とぼけるなよ、顔に書いてあるぜ。お前、あのカルメンって娘に・・・」
「バカ言え」
「とか言いながら、耳まで赤くなりやがって」
「おかしなことを言うなよ。カルロスに殺されちまう」
お茶を濁したものの、カルメンは本当に美しく、彼女の鳶色の瞳に何かを感じたのも確かだった。
そのせいとういわけでもないだろうが、夕食は実に和やかで愉快なものになった。
さすがに物書きらしく、マイクはいろんな話題を面白おかしく話して聞かせ、何度もみんなを笑わせていた。
「アキラはニッポン人なのよね」
朗らかな笑い声が一段落し、カルメンが振り返った。
どうやら、日本という国に興味があるらしい。
知識も豊富で、日本について語る時、彼女は夢見るような眼差しになった。
「キョート、ナラ、本当に美しい街だわ。文化も素晴らしくて、浮世絵なんか特に有名よね。ヒロシゲ、ホクサイ、シャラク、ウタマロ・・・」
「ねえ、キミは日本をよく知ってるようだけど、前に来たことがあるの?」
不思議に思って訊ねてみると、カルメンは首を振って、
「残念だけど、一度も。でも、いつか行ってみたいと思ってるわ。あの国は大好き。文化的で、礼儀正しくて」
「その時はきっと案内するよ」
「ホント!?約束よ」
「ただ、かえってガッカリしちゃうかもしれないな。今のあの国は・・・」
言いかけて、私は口を噤んだ。
あまりに居心地がいいため、饒舌になりすぎている。
せっかく自分の国を讃えてもらっても、素直に喜べないのがどこか寂しかった。

 

 

 


5
最終更新日 : 2012-11-21 14:53:14


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