閉じる


【本編】「死はすぐ傍にあると”気付く”もの」

介護とは・・・「死はすぐ傍にあると”気付く”もの」

 

もう3年前になります。僕にとって、働く仲間達にとって、ご本人様、ご家族様にすらも予期せぬ別れが訪れたのです。

 

お客様のBさんが亡くなったのです。自宅のソファーとテーブルの間に挟まった状態でなくなっていたのです。

 

・・・本当に突然のお別れでした。

 

利用予定日の朝、迎え前の時間帯に家族から訃報の連絡を受けたとき、僕はその事実を信じられませんでした。


週2回来ているBさんは亡くなる前の利用日のときに、亡くなった夫とのハワイ旅行のお話やハワイの踊りを披露してくれました(座ったまま手の動きを)。


あのとき、僕は何を感じただろう。まさか、あの日が最期になるなんて考えもしませんでした。

 

僕はあのとき、Bさんの話を聴いてこう感じていたのだろう。

 

・・・いつもの話をしていると感じていました。

次の利用日には当然、Bさんは来てくれるものと認識していました。

 

もし、次がないとわかっていたのなら、あの日が最期だと分かっていたのなら、僕はどのような関わりをしていただろうか。


・通所介護計画書などの務処理が追いつかなくても事務所にこもってパソコンをするのをやめていただろうか。

・事務処理を止めて、レク担当や昼食当番など現場での仕事を買ってでただろうか。

・そのお客様の歩行介助を率先しただろうか。

 

 

「今日で最期という気持ちで接する。」

言葉にすれば15文字だけど、その実践がこんなに難しいというのを改めて認識したのです。

 

毎週決まった曜日にいらっしゃるBさんを見て、僕は忘れていたのです。

高齢になると若い世代の僕達よりはるかに”死”と隣り合わせにいるのです。

 

介護とは・・・「死はすぐ傍にあると”気付く”もの」

 

介護の専門職とは、常に”死”と身近にいることを認識して、最善のケアを心がける。


【考察】「死はすぐ傍にあると”気付く”もの」

今回のBさんのように亡くなっていたのが発見されるケースは少なく、入院しそのまま退院できずに病院で亡くなる場合が多いです。

在宅支援の介護サービスでは病棟などに比べれば、死の可能性は低いです。

 

しかし、一般的に考えれば僕達30代の人間と比べれば80代、90代のお客様ははるかに”死”と近いところにいるのです。

 

僕達は忘れてしまうのです。お客様が身体に痛みや筋力低下が見られ、思うように動けなくなり、病気があったとしても、それでも生きていてデイサービスに来てくれている。その事実から”死”が近いという事実を忘れてしまうのです。

 

”死”という別れを忘れていた僕に、介護の仕事は常に”死”と隣りあわせであり、常に最善を尽くすことが必要だとお客様は人生の最終章で僕に伝えたのだと感じます。

 

「余命1ヵ月の花嫁」でも恋人同士である太郎さんと千恵さんの最期の会話が普段の何気ないことだったのです。

 

太郎さん:「千恵が作ってくれるオムライス早く食べたいな。」

千恵さん:「「いいよ。また食べようね。」

 

だったのです。

 

千恵さんの死後、太郎さんは振り返ってあの言葉が最期だと分かったのです。

 

もし、太郎さんがあの言葉が最期だと分かっていたらどうしたかったでしょうか。

 

「余命1ヵ月の花嫁」では太郎さんの本音が語られています。

「でも、生きている側からすれば・・・、もうちょっとしゃべりたかったな・・・。あと1日でもいいから・・・。」

 

それでは僕はBさんに対してどう感じていたのか。

「・・・あの日が最期だなんて、嘘だよね。もっと話したかった。もっと関わりたかった。」

 

これが僕の本音です。

 

あの日、「次の利用日にも会える」と思っていたことが覆された時、”常に最善を尽くす”ことが介護には必要だと実感したのです。

 

たった一言でもいい。常に最期を意識して、挨拶をしておこうと思ったのです。

 

ここまでお読みいただきありがとうございます。

コメントは自由制です。一見さんも読者も大歓迎です。

※心無い非難・誹謗・中傷等は削除させていただきます。

 

次回の配信日は2月3日です。

「バブル期の名残を教えるもの」です。

岡本大輔。

 

 

 

 

【参考文献】










 


この本の内容は以上です。


読者登録

岡本大輔@読書コミュニケーター(社会福祉士)さんの更新情報・新作情報をメールで受取りますか?(読者登録について