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 その日の仕事は珍しく早い時間に終わって、玲はまだ陽があるうちに家へと戻った。
 夕食をどうしようかと少し迷う。
 玲自身は食べることに興味を持てない質で、何食も平気で抜いてしまうような人間だった。
 そんな玲に徹や周りの人間は凄く気にかけ世話を焼いていたが、結婚生活の間は相手も居たことで普通に日常生活を送った。
 今は瑞紀たち三人が居るので、自分以上に彼らに気を使う。
 自然と食事を摂るのがマシになってきたが、それでも一人でこうやっていると億劫でしょうがない。出来れば食事と睡眠は抜いて生活したい玲だったが、性欲同様それらをどうでもいいとなれば、人間の基本的な欲求がいらない事になる。
 だから人間離れしてるなどと周りから揶揄されるのだが、こればかりはどうしようもない。
 いまは少し待ってみようかと思う。
 今日あたりは来るような気がするから。

 一時間もしないうちにドアが開く音がする。
 長くて薄暗い廊下の先にある玄関の様子はここからは見えないが、玲には誰が来たのかわかっていた。
 部屋のドアを開けた影は何も言わずに玲の座っているソファーの横に立ち見下ろす。
「なんだよ、あれ……」
「あれ?」
「とぼけんなよ!」
「自分から話しを振ったら、ちゃんと説明してから答えて貰うのが筋じゃないの?だからあんたは子供だって言うのよ」
 甲斐が顔色を変えたのは見なくてもわかったが、そんなことでびくつくような玲じではない。
 怒らせたら恐いのはこちらは瑞紀以上である。果たして彼らがそこまで玲を見抜いているかは知らないが。
「わざと撮らせたのかよ」
 甲斐が言っているのは、この間デートしようとふざけて誘った食事の帰りに写真誌に撮られたことである。
 レストランの帰り、通りに出たところとそのあと行った会員制のクラブの入り口付近で撮られた。
 数枚の写真は隠し撮りのために鮮明ではなかったが甲斐が嬉しそうに玲の肩を抱いているのがはっきりと認識できた。
「わざと……じゃないけどね」
 玲は表情だけで笑った。
 最近、自分たちが張られていることはわかっていた。マスコミは当然、徹と玲のことも追っていたが同時に『vision』のメンバーと玲の関係についてもしつこくかぎ回り始めていた。
 年齢が離れているとはいえ、男と女である。
 最近は年の離れたカップルも女の方がかなり年上なのも全く珍しくない時代になった。格好のエサなんだろうと玲は認識している。
 多少うるさいと思い始めたところへ、せっかく撮ってくれるなら協力する代わりに宣伝に活用させて貰おうと思ったのだ。
 甲斐は今、三人の中で飛び抜けて注目の的だった。立っているだけで「絵」になる男である。それは玲も認める。
 だが問題はそこからだ。そういう男ならこの世界いくらでもいるのだ。このまま単に騒がれて終わるか、時代に残っていくのか。
 玲は勝負に出ようと思った。
 十年前なら絶対にタブーだっただろう。だが時代は変わった。
 最近はマスコミ攻勢の激しさで、世間には次々起こる芸能人の恋愛問題が軽んじられている。めまぐるしく話題が変わるからだ。
 まるでクラスメートの噂をするように自分たちと同じ目線で見るのだということを玲は感じ取っていた。芸能人の恋愛は今の時代、場合によってはダメージにならない。
 それなら……
 これでも玲自身、お相手はいくらでもいる。ほとんどはボーイフレンドの域を出ないが、噂だけでもアーティストや俳優といった「いい男」と呼ばれる男達と付き合いがあった。振りまく話題はいつも華やかだ。
 別れた夫も人気俳優であった。
 玲は世間では男の趣味がいいと噂されている。
 それは当然だ。ランキングを作ったら上位を占めるような男ばかりと付き合っているのだから。
 そして玲は自分がそういう意味も含めて女性ファンから信望があることも知っている。玲のファンは半分以上が女性なのだ。
 だから……そこで策を練った。
 自分のそのファンを『vision』のファンに引っ張り込めないのかと思案したのだ。
 もちろん、テレビで競演を多く入れているから最近はセットのようなものだが、甲斐たちの魅力を手っ取り早くPRする方法を思いついたのだった。
 結果はもう少し立たないと分からないだろうが、玲はけっこういけるんじゃないのかと踏んでいる。
 甲斐に説明しなかったのは、そんなことを言ったらこの男、絶対に玲の言うことなど聞かないのがわかっていたからだった。
「初めからそのつもりかよ」
「私が呼んだワケじゃないわよ。あんた全然気づいてなかったの?」
 甲斐が無言になる。
「まったく……少しは気づいてるのかと思ったら。次から気をつけなさいよ、私じゃなかったらどうするのよ」
「嘘だったの?」
「なにが?」
「デート」
「嘘って?別に嘘じゃないでしょ。食事したしお酒飲んだし。楽しかったでしょ?つまんなかったの?」
「そうじゃなくて。俺と行きたいからじゃなかったの?」
 甲斐の不遜な態度が影を潜めて、必死の構えになってきた。
 ちょっとまずいかな……玲は真面目な顔になる。
「甲斐をからかったワケじゃないわよ。ただマスコミが張ってたのは知ってた。撮られてたのも。あとはせっかくだから宣伝に使わせて貰うけど」
 甲斐は押し黙っている。
「甲斐……あんたにあの時言ったら記者につかみかかるくらいはしたでしょ?」
「─────俺の気持ちは?」
「ぇ?」
「俺言ったじゃん!」
 玲の中にこの問題とは別の苦さが広がった。
 ここ数週間、甲斐はことあるごとに玲に向かって「好きだ」と言い続けている。  元々知り合った直後から甲斐の視線の熱さには気づいていた。でも玲にはそれを無視するだけの余裕があったし、甲斐自身もそれどころではなかったはずなのだ。
 だがあの日も飲んだ勢いなのかかなりしつこく玲に言い続けていた。もちろん玲は軽くかわしていたのだが。
「甲斐の気持ち……ね」
「バカにしてんのか?それとも本気じゃないとでも」
「バカにはしてないけど、本気には出来ないわね」
「なんで!?」
「私と甲斐じゃ、いくつ違うと思ってるの?」
「そんなの理由にならない」
「甲斐に対してそう言う目で見られないわ」
「俺、待ってる」
「待ってるって、それは私に迷惑な話じゃないの?」
 甲斐が少し怯む。
「だって俺は好きなんだもの」
「じゃ、私が誰を好きか知ってるわよね」
 止(とど)めだった。
 甲斐は男の顔を思い浮かべたが、名前は出せなかった。誰もが気づいていたとしても、それを言うのは禁句だった。
 付き合いの時間が浅くても、いつも一緒に居る甲斐たちにはそれがわかる。
 だがその事が甲斐の苛立ちを煽る。そんなことを言い訳にして。理由にはならない。
 少なくともその時の甲斐にはそう思えた。
 なぜなら、
「言えない癖に!どんなに思ったって言葉にも出来ないんだったら無駄じゃないかっ!」
 瞬間、平手打ちが飛んできた。叩かれる相手は一人しか居ない。甲斐の中のどこかで何かが切れた。
 理性が切れて興奮しているせいか、熱いのか冷たいのかわからない。感情が沸騰しているようで、妙に冷えてるような気もする。
 だがこういうときに人間は自分の欲望にだけ忠実になるらしい。気づいたときには甲斐は玲を押し倒していた。
 玲の方は甲斐を叩いた瞬間、しまった!と思ったが自分が立ち直る前に思わぬ行動に出られてしまい、パニックになる。
「ちょっと待って、なにっ……?」
 玲の問いに甲斐はもう何も言わなかった。何も聞こえないのかも知れない。
 甲斐に押さえつけられた腕の痛みに、もう何を言っても無駄なのだと玲は悟った。種をまいたのは自分だ。甲斐に火を付けたのは自分なのだ。
 まいた種は自分で刈り取らなければならない。どうせ誰と寝ても同じなのだ。
 いつものように、身体が多少熱くなることはあっても気持ちが熱くなることはない。だったら甲斐と寝ても悪いと言うことにはならない。
 遙か昔から、玲にはいつも簡単に「諦める」という習性が付いていた。
 甲斐の想いを軽く見ていたのは誤算だった。子供だと……軽く見ていたのかも知れない。その結果がこれだ。甲斐(身体)の重さに彼の想いの重さが伝わる。
 陽が落ちて部屋が夕闇に包まれていた。




6

「ごめん……」
 玲に伏せたままの状態で甲斐が言う。玲は黙って甲斐の長めの髪を梳いてやった。
「でも……好きなんだ」
 相変わらず甲斐の答えは一貫している。思わず玲は微笑んだ。
「ゴメンとか言いながら、それでもまだそんな事言うんだ」
 からかうようにそう言うと、
「だって、本当なんだ」
 いつもの子供っぽい拗ねた口調で言い換えす。こういう部分に騙されたと、玲は思い返す。
 だが子供じゃない。二十歳を過ぎた大人、男なのだと悟った。
「私の気持ちは永遠に手に入らないよ。それでも抱きたい?」
 ビクッとしたあと、甲斐が顔を上げる。
「欲しい」
 甲斐にしたところで自分がこの女性(ひと)と釣り合いがとれないことくらい承知している。でも自分でもどうにもならないのだ。いまは。
「なら、甲斐がそれを承知なら構わないよ。その代わり私は甲斐の彼女でも何でもないことだけは肝に命じて置いてね」
「身体だけって事?」
「もちろん甲斐のことは好きよ、嫌いな男とこんな事出来ない。でも私は誰のものにもなれない。それはわかってるよね」
「うん」
 今度は素直に頷いた。
「それがわかってくれてるならいいよ、それだけ……」
 玲には付き合う男もいる、セックスする相手もいる。でも、それ以上にはなれない。
 甲斐もしばらくすれば気づくだろう。玲が男とどういう付き合いをしているのか。
「お腹空いたなぁ。あたし作るのヤダよ、こんな状態で」
 玲は笑った。
 甲斐は呆気にとられる。
 ほんとにドライな女性なのだ。ある意味、色気なんて無いに等しい。
 はっとするほど色っぽくて、どうしたらいいのかわからないときもあるのに。
「甲斐、シャワー浴びたら食事を作りなさいよ。それくらいやるわよね、こんなことしたんだから」
「わかってるよ」
 シャワーに立った甲斐の気配が消えて、玲はほっと息を付く。この先どうなるのかなんて考えたくもなかった。
 薄闇の中、このまま眠りたくなる。食事が出来たら甲斐に起こして貰おう。
 自分が食べたくなくても甲斐には食べさせなければならない。
 食欲など初めから無いに等しかったが甲斐のために食卓には付こうと、けだるさの中で玲は思った。





この本の内容は以上です。


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