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 夜遅くに瑞紀は玲のマンションを訪れた。都会の真ん中に良くもこんなに静かで馬鹿でかいものが建っていると思う。
 いわゆる億ションとか言う贅沢な作りで、低層なのにひと部屋ごとがだだっ広い。それなのに、玲は贅沢にも最上階のワンフロアーを買い切ってあるのだ。
 初めて来たときは驚いた。広くてひとりでは持てあました筈である。
 瑞紀は中流の普通の家庭で育っているから、こんなところは却って落ち着かないと思ったが、訪ねる度に、泊まる度に、結構居心地のいいものだと思う。
 なにより静かなのがいい。緑が多くて、周りに高い建物がないから、窓を開けても人目を気にすることはなかった。こんなところがあるところにはあるんだ?と、妙なことに関心して甲斐の失笑を買った。
 今日は一人だった、明日使いたい私服のGパンと帽子を玲の部屋に置きっぱなしだったのを思い出して取りに来たのだ。
 もう遅いから、静かに入ってそのまま寝てしまおうか?広すぎるだけに、玲の寝室や仕事部屋の他に瑞紀達の部屋まで用意されていていつでも泊まることが出来る。
 でもここにずっと住んでもいいよ、と甲斐や慶が言うと、
「だめよ、何日泊まってもいいけど、ずっとここに三人でいられたら落ち着かないもの」
「なんでぇ~」
 慶がむくれると
「あんた達煩いんだもの」と例の調子で言われてしまった。
 一人が好きだと、公言している玲だった。
 もらっている合い鍵でそっと入る。慣れてきた部屋で、電気もつけずに入って自分の部屋を目指す。
 この部屋はパーティーが出来そうに大きなリビングが中央にありそこを囲むように五つの部屋がある。
 そのひとつが瑞紀の部屋なのだが、瑞紀の部屋はリビングを通らないと入れない。
 暗いリビングに玲は留守なのか、珍しくもう寝てしまったのか?と思い静かにドアを開いたとき、かすかに泣いている声が聞こえて、瑞紀は固まった。
 泣いてる……間違いない。誰?
 誰って、決まってる。そのまま瑞紀はドアから手を離した。入ることもできないで、暗い廊下にたたずんでいた。
 長い時間……けれど多分それは一瞬だっただろう。静かに玄関に向かい外へ出た。
 外へ出てやっと息が出来た。ずっと止めていたように、溺れたように苦しかった。
心臓も……。
 入れなかった。
 どんな顔をしたらいいのかも、どんな声をかけたらいいのかも判らなくて逃げ出した。逃げることしかできなかった。



 玲と瑞紀達の仕事は順調だった。
 瑞紀達は玲から今までの仕事のチェックも受けて、悪くないと言われた。今まで通りでいいのだとも。
 だが瑞紀達にとっては一変した。
 徹と玲が書いてくれた新曲が大ヒットしたのである。

 今まで自分のためにしか書かない彼女が、瑞紀達のために書きだした。
 彼女はほとんど曲の方は手をつけることがないので、いつもバックについているミュージシャン達がやっている。
 だが今回は徹とコンビを組んで書いた。
 昔はこの二人で作ることもあったらしいが、二人が別々に仕事をするようになってからはもちろんないから、実に十年近いブランクがあった。
 彼女のバックのメンバーはグループ名を「BlackRock」といったが、一人一人が一流のミュージシャンで殆どが有名なアーティストのサポートメンバーであったり同じくスタジオミュージシャンとして名高い人間だった。
 だが元々は玲と徹のために集められた人間であり、その後も色々あったので仕方なくバラバラに個人で仕事をしていたのだった。 
 今はまた、数年前に玲が復帰したので以前のように集まって一緒にやっている。 
 徹はしばらく他の仕事をしたりしていたために、自分でライブをするときにはその後に自分で集めたメンバーを使ったりしていた。
 
 瑞紀がいきなり自分たちの歌がヒットした疑問を言葉にしたときに玲は言った。
「残念だけどあんた達の歌がヒットしたのは実力だけじゃないわね」 
 彼女は正直に告げた。
「いくら上手でも、作品が良くても売れない物は売れないのよ。いい宣伝だったかもね、私が参加して徹も一緒で。ちょっとこういう手は好きじゃないけど、私はあんた達を有名にするって決めたからどんな手でも使うことにしたの。責任もあるし……」 
 自嘲気味に笑う彼女は嬉しそうではなかった。
「反則だよね・・・」
 彼女は呟いた。
 でもそこまでしてくれた彼女たちのことを瑞紀はありがたいと感じていた。
 確かに……話題を呼んだ。 
 昔、アイドルだった二人。 
 一緒に歌っていて、それなのに急に消えて。再び現れて、現在(いま)のアイドルの作品を共同作業して……と言う事実にマスコミは飛びついた。 
 それと同時に業界の内外で二人のことが注目を集めた。 
 人々は期待していた。二人がまた一緒に歌うことを……
 今は瑞紀達のブレイクと共に徹と玲の動向が世間の注目を浴びていた。
 二人のこれからに。  
  
  


2

 徹と玲の仲は瑞紀達にもよく判らなかった。
 二人の仲が噂されると、あちこちで昔の事も耳にすることもあったし、中には露骨に瑞紀達に聞いてきたり、逆に昔のことを聞かせようとするような人間もいる。
 瑞紀も甲斐も慶もそういうのが一番嫌いだったので耳は貸さなかったが。 
 ある日瑞紀は玲に同行してきたスタッフの冴子をつかまえた。瑞紀は数日前に玲の部屋で見たことをずっと抱えたままで居る。誰にも話せず、かといって訳も分からず、ずっと抱えきれない荷物を抱いているような感じから逃れられないで居た。
 玲はもちろん、翌日もいつもと変わりなかった。たとえなにがあっても、態度に出すような人間じゃないことはもうわかってきていたが、思わず瑞紀は昨日のは自分の勘違いかと思ったほどだった。
 それほどあの時はいつもの彼女からはちょっと想像できない異様な感じだったのだ。部屋の空気自体が重苦しくて、瑞紀は息が出来なかったほどだ。玲がそんなことになる理由をあれこれ考えたが、やっぱり理由は徹のことしか見あたらない。
 けれど二人のことを良く知らない瑞紀にはそれが具体的にはなんなのかと言うことも、想像がつかなかった。
 霧島冴子は玲よりも六歳年上だった。 
 冴子はヘアメイクのアーティストだが、現在は玲の担当マネージャ-でもある。彼女の夫であった男が当時、徹のヘアカットをしていた関係で玲のヘアメイクに呼ばれるようになり、そして専属の担当になった。程なくして事務所に引き抜かれた彼女はその後、玲の身の回りの世話をするうちにマネージャーになってしまったという、ちょっと変わった経歴を持っている。
 玲のスタッフは彼女が年頃の女の子なのに、男ばかりに囲まれて一日中過ごしているのを心配して、話し相手を兼ねて雇うことにしたという裏の事情もあるらしい。 
 現在の徹と玲は一緒に仕事をしていなかったが、同じ事務所にいた。
 現事務所社長の桜井は昔、彼らのチーフマネージャーをしていた男で独立後、新しいアーティストを発掘して大成功を納めた。この業界では名の知れた人物だった。
 桜井が独立をした一番の理由が、徹と玲を自分の所に呼び寄せるためだったというのも周知の事実であった。二人のためのスタッフはすべて当時のまま呼び寄せられた。
 桜井の下でマネージャーをしていた川崎はチーフになり、その下にいた前田が徹のマネージャーをしている。
 徹と玲には一時この世界から離れていたブランクがあり、前田はその時も徹について一緒に事業まで始めた仲間でもあった。
 現在冴子はメイク以外にも結局マネージャーとしてついて回ることになり、現場のことはほとんど川崎が仕切っているが、細かなことは冴子が担当していた。
 プロデューサーだった大崎もレコード会社という組織は退職して桜井の所に移った。
 BlackRockのメンバーも桜井の所でおのおの個人で仕事を受けていたが、それはいつでも徹と玲の為に時間が空けられるようにだった。
 思いがけない事件が次々に起こって、不本意にバラバラになった仲間達は長い年月を掛けてやっと同じ場所に集まることが出来た。
 そしてきっちりと全員が揃ったのが、瑞紀達「vision」のプロジェクトの協力を玲が依頼したことがきっかけだった。再会の鍵を握っていたのが自分たちだったとは、瑞紀達も気づいては居なかったが。
 瑞紀達も徹や玲に対するのと同様に、彼らのスタッフにもすぐに馴染んだ。彼らは今、瑞紀達のために動いてくれているスタッフでもある。
 玲は音楽方面に限っては瑞紀達の事務所のスタッフを使うよりも、自分のスタッフで動くことに決めた。その方がよく判るし、業界への顔の効き方も全然違う。
 玲は使える物はなんでも使うと覚悟し、徹にも協力を頼んだ。瑞紀にはその辺の裏の事情がわかっていない。

「あのさ……」
 冴子を捕まえたものの、なんと言って切り出していいか判らない。言葉に詰まる瑞紀を冴子はせかしもせずに、微笑んだまま待っていてくれた。
 腰まで届くような長い髪を後ろで束ねた冴子は仕事柄ありがちな派手さも全くなく、むしろ知的な感じの美人だった。現在独身だが、過去に結婚していたこともいまでは瑞紀達も知っている。
「あのさ……玲のことなんだけど。ちょっと気になることがあってさ」
 余計なことをしているかも知れないという思いが瑞紀の言葉を重くしていた。普段の瑞紀は口数は多くないがはっきりと話すタイプである。冴子は言葉が出る前から、様子で察していた。
「なんかあった?ちょっとね、ここんとこゴタゴタしてるから。しばらくね……少しの間玲は落ち着かないかも知れない」
「うん、余計なことかも知れないけど徹さんとなんかあった?」
 戸惑ったような、らしくない感じの瑞紀を見て冴子は可哀想になった。
 甲斐も慶も人の気持ちには聡い方だが、瑞紀の場合はそう言う部分の気配りが抜きんでている。きちんと大人の考えが出来る子だと承知している冴子は、思い切って瑞紀には話しておくべきかも知れないと思った。
「ちょっといいかな?」
 空いていた会議室に瑞紀を誘うと、椅子に座らせて語りだした。立ち話などで済むようなものではない。長い長い話しだった。
 徹と玲の過去には出逢いから別れまで、語り尽くせないほどの事件があった。結局は十年前に「別の道を選ぶ」という選択をした二人だが、今またこうして同じ道に立とうとしている。

 長い話しが終わったときに瑞紀は気の抜けたような表情をしていた。
「ごめんね、瑞紀君に話す事じゃないかも知れない。でもきっと君たちとはこの先ずっと私たちと一緒に居るような気がするのよ。だから何となくでいいから事情を知っていて欲しい。もう噂とかも聞いてるかも知れないけど、ちゃんとしたことをね。まだ細かく話せばあるんだけど、またそれは一緒にいるとわかることもあるかも知れないし。甲斐君や慶ちゃんには、またいずれ話してもいいし、瑞紀君から話してくれてもいいよ」
 冴子がスタッフに呼ばれて、部屋を出ていってもしばらく瑞紀はそこにいた。
「いいのかよ、俺にそんなこと話しちゃって……」
 玲が徹と出会って願った未来と絶望。二人が周りに抵抗しながらも冴子達に守られて育てた思いを、捨てなければいけなかった現実。
そして再び─────
 あの二人は今でも変わらない気持ちなんだろうか?だとしたらなにが玲を傷つけるのだろう?事実の断片を聞かされても、かんじんの玲と徹の間のわだかまりは瑞紀の想像の域を超えていて理解できなかった。




3

 気の強そうな甲斐は意外に素直で性格はわかりやすかったりする。
 そのクールそうな外見に騙されやすいが、案外そっけないところもたんに不器用なだけだった。
 彼はしたたかで老成した性格を持つ瑞樹などよりずっとかわいい性格だったし、直情型というか、たまに後先考えずに突っ走るのが困ったものだと思うくらいで、玲にはそれも魅力としてうつっていた。
 自慢じゃないが、この世界で男はいろいろみてきている。その玲から見ても甲斐は十分魅力的だった。
 ためしに玲は甲斐にモデルの仕事を奨めてみた。
 モデルから芸能人に転身する人間は大勢いるが、その逆を取るのも面白いと思い、ファッション誌はもとより、それこそコネを使ってショーにも出してみた。
 甲斐の身長は百八十センチほど、モデルの世界では長身ではないが、それでも充分な高さである。外見のクールさも手伝って玲の狙い通り、また違う意味で人気をよんだ。

 いい男のランキングなどというものがある。女の地位も向上し、女が男を選ぶ時代である。
 徹や玲がアイドルだった時代とはまた求められるものが違う。愛想などというものを持ち合わせていない甲斐が女達に崇められているのもまた時代である。
 だが当の本人はなにが不服なのか、機嫌が悪い。
「なんて顔してるのよ」
「べつに……」
「べつにって感じじゃないわね、おもしろくなさそう」
「じゃ、なんだよ。これ!」
 甲斐が指さしたテーブルには何冊かの雑誌、すべてが甲斐の特集を組んでいる。
「取材が嫌なわけ?」
 本当は何が嫌で拗ねているのか怜にはわかっているがわざと聞いてみる。
「嫌じゃねーけど、なんでどれもこれも同じようなことばっか聞きやがって。アイツらは脳がねーのか?着せ替え人形じゃあるまいし、何着も着替えさせられたあげくに同じ事ばっか聞かれるこっちの身にもなれよ」
「ばかねぇ。同じ事聞かれても同じ雑誌じゃないんだから仕方ないでしょ?みんな知りたいことは一緒だし」
「わかってるよ」
「慶ちゃんなんか羨ましがってたわよ。あの子ももう少し成長するとねぇ。まだ瑞紀より背はちっちゃいし、中身はお子さまだしね。ま、それはそれであんた達と違って可愛いし、他の役割があるけど。それを考えたら贅沢言わないのよ」
「わかってる」
「それにとにかくあなただけでも注目されてるってことは、宣伝のためにもやらなくちゃでしょ?『vision』のこともあるし」
「わかってるって言ってンだろっ!」
 玲はクスッと笑って背を向けた。甲斐にはこういう子供っぽいところがある。自分の仕事も自分の役割も充分わかっているのに反抗的なことを言う。
 つまりはこういうところが子供っぽいと玲に思わせる所以だった。
 また違う言い方をすれば、何年この世界にいても、この世界のやり方に染まっていないということでもあった。ピュアだと言うことだ。
 玲自身がとっくに無くしたものを持っているという点では、初めて甲斐と話しをしたあの日に感じた『興味を持つ』という感情を刺激していた。
「なぁ……」
 背を向けて書類に目を通していた玲に甲斐が話しかける。
 意味もなく無視していると、
「なぁ、無視すんなよ」
 怒ったような声で問いかける。
「なんなの?」
 声だけで答えると後ろまでやって来る。
「俺達、どこへ行くの?」
「さぁ……」
「さぁ?って……」
「それは自分たちで決めるのね。私はそこまで指図しないわよ。目標を決めるのもいいし、このままなるように流されるのも構わない。やりたいことが見つかるまではね。求められるとおりに行くのか、逆らってまで我が道を行くのか」
「どうなんだろ?」
「だから自分たちで決めなさい、今すぐじゃなくていいでしょ?もしかしたら考える必要もないかも知れないし」
「どうして?」
「この世界って、コントロールきかないときがあるのよ。スポーツとかと違って基準だとか目に見える数字があるわけじゃない。でもバロメーターが無いワケじゃない。ただ見えにくいからね。見逃すこともあれば、見間違うこともあるわけよ。見えない壁があるみたいにこちら側と見ているあちら側にギャップがあるときがあるのよね。それを見誤るとね……失敗する。タレントもスタッフもその辺を冷静に掴まないとダメなのよ」
「それって経験談?」
「経験談って程じゃないわね。まぁうちのスタッフは経験してるかも知れないけど。私自身はそんなもの感じる暇もないうちに辞めちゃったしね」
 玲は自嘲的に呟いた。
「ふ~ん」
「甲斐はしばらく望まれてるままやっていたら?その間に瑞紀が考えるでしょ?」
「アイツに今の話ししたの?」
「普段一通りは話してるけど。あの子は話さなくてもちゃんと理解してるわよ。そういうこと肌で理解する方だから。いちいち話さなくてもわかってるけど一応ね」
「ふ~ん」
「なに?」
「瑞紀は話さなくてもわかって、俺はどうせ説明されてもよくわかんないよ」
 玲は再び笑った。
「なんだよ」
「性格違うもの、役割も違うし。しょうがないじゃない?」
「似てるとか言ったくせに」
「だから言ったでしょ?根本は似てるけど表面が正反対なのよ。だからいいんじゃないの。さっきも言ったとおり甲斐には甲斐の役割があるでしょ?今は雑誌の取材受けておきなさい。面倒でもあとで何かの役に立つから」
「そのたびに『vision』の宣伝しろって?」
「別にそんなこと話さなくていいわよ」
「なんで?その為じゃないの?」
「『vision』の為じゃないわよ、あなたのために言ってるの。甲斐自身がこれから注目を集めるのよ」
「俺だけじゃ仕方ないじゃん」
「『俺』が注目されれば、『vision』が注目されるのよ。あなたがメンバーだと言わなくても雑誌はその事を書くでしょ?または見てる人が興味を示すから。天野甲斐に人気が出ればその甲斐自身が『vision』にファンを連れてくることになる。甲斐が『vision』のメンバーである限り、甲斐のファンは『vision』のファンだと言うことにも繋がるの」
「なるほどね」
「『vision』のためなどと思わない方がいいわよ、自分のためにやるべき事をやりなさい。その辺勘違いしないようにね」
「そうか……」
「もしかして気にしてたの?」
 聞こえないフリをした甲斐の横顔を見て、玲は想像通りの答えを出した。自分だけが注目されることに甲斐は不満だったのだろう。
 この辺がグループと個人になると難しいところだが、玲にも覚えがないわけじゃない。
 徹の足だけは引っ張らないように、そればかり気にしていた昔を思えば。
 だがこればかりはコントロールがきかないのだ。明確な答えがないこの世界では、やりにくいことこの上ない。
 玲は甲斐や瑞紀達を売り出すのに、自らは一番嫌いな手を打って出た。いわゆるコネというヤツである。
 玲や徹、その周りのスタッフはこの世界に長く、様々な方面での知人や友人が多い。それらを総動員する形で『vision』のプロモ-ションやマーケティングに利用している。
 玲自身が今までやらない仕事まで現在引き受けるのは、『vision』のプロモのためである。玲が彼らのプロデュースをしているのは周知の事実で、テレビや雑誌で話題になれば同じように彼ら三人にも注目が行く。
 このほかにも少々荒っぽいことを玲は考えていた。
「甲斐、デートしよっか」
「え?」
「ご飯食べにいこ、洋服も買ったげる」
 突然の申し出に驚く甲斐だが、この男は瑞紀と違ってものの裏側と言うものを疑ったりしない。その点は非常に扱いやすい相手なのだ。
「瑞紀じゃこうはいかないわよね」
「なんかいった?」
「ううん、なんでもないよ」
 デートと聞いてすぐに浮かれ出した甲斐は、逆に玲の腕を取り、自分が先に立って歩き出した。




4

 瑞紀は甲斐の低気圧を持て余していた。
 慶が瑞紀を突っつく。
「ね、どうにかなんない?あれ?」
「ほっとけよ」
「でもさぁ」
そこへ不機嫌な甲斐の声が飛んでくる。
「慶!おまえさっきフリ違ってたぞ。ちゃんとうつしとけって言ったのに。もう一回ビデオ見て振り移ししとけっ!こんど間違ったら承知しないからな!」
「ひぇっ!」
 慶が首をすくめて瑞紀にしがみつく。ただでさえ、感情が一直線の甲斐を慶は苦手にしている。それがこの荒れようでは……
「甲斐。いい加減にしとけよ、慶に当たること無いだろ?」
「当たってないさ、何を当たるんだよ」
「おまえが誤魔化そうなんて十年早いんだよ。おまえの考えてることは見てりゃばればれなんだから」
「なんだと?」
 二人の雲行きが怪しくなってきて慶は更に恐くなってきた。
「瑞紀……みずき……もういいよ。やめてよ」
「うるせぇ!黙ってろ!!」
「!!!」
 瑞紀のらしくない剣幕に慶は息を呑んだ。
 いつも恐いのは機嫌がころころ変わる甲斐なのだが、瑞紀が怒った怖さは甲斐のそれどころじゃないことを長い付き合いで知っている。特にこの二人がケンカしたりしたら誰にも止められない。
「やだよぉ」
 半べそをかきながら、慶は玲のところへ行くしかなかった。
 十七歳にもなって三つ年上だからとあの二人に逆らえないのは恥ずかしい限りだが、小さな頃から刷り込まれている兄と弟の位置はそうそう変えられない。
「れいー、れい!何とかしてよ。やだよ僕……」
 隣の部屋から打ち合わせが終わって出てきた玲は、スタッフの目がある場所で慶に抱きつかれた。慶は十七歳にしては小柄だし、童顔だからまだ中学生か大柄な小学生でも通るようなタイプだが、いかにせん十七歳は十七歳である。
 玲は溜息をついた。
「慶……少し考えなさい」
 周りに目線をやって玲はたしなめる。
「ごめんなさい」
 よせばいいのに、その言葉で玲もつい、慶の頭に手を置いたりするから慶はますます甘える。
 慶には母親がいなかった。なので普段、慶は玲に異常に甘えていた。
「とうとう、瑞紀まで切れちゃった?」
「なんでわかるの?」
「あんたが逃げるならそうでしょ?そうでなきゃ瑞紀の陰に隠れてるくせに」
 ははっと慶は照れ笑いをする。
 その表情が子供じみていて可愛いと玲の母性本能を刺激したが。
「いいわよ、放っておきなさい。瑞紀に任せればいいから、少し離れてたら?」
「だって甲斐が……」
「なに?」
「振り移し、仕上げないと許さないって」
「じゃ、それはやんないとダメね、お仕事でしょ?やりなさい。この部屋にテープ持ってきていいから」
 玲は自分が出てきた会議室を指した。
 慶がテープを取りに楽屋へ向かったすきに、玲は瑞紀と甲斐の方へ向かった。スタジオは不気味なくらい静かだった。
 別々の取材撮りでスタンバイしている瑞紀と甲斐は無言でそっぽを向いている。どうやら喧嘩は冷戦状態に入ったらしい。スタッフがピリピリしながら準備を整えていた。
 それを見て玲はそっとそこから離れた。仕事に差し支えるほど二人はプライベートを持ち込んだりはしない。
 慶とは違ってこの二人は見事なくらいにプロである。この年齢では珍しいと思えるほどに。自分が出ていく程じゃないと玲は判断した。どのみち甲斐に怒鳴り込まれるのは覚悟の上である。
 今日あたりマンションへ来るだろう事は知れていた。





5

 その日の仕事は珍しく早い時間に終わって、玲はまだ陽があるうちに家へと戻った。
 夕食をどうしようかと少し迷う。
 玲自身は食べることに興味を持てない質で、何食も平気で抜いてしまうような人間だった。
 そんな玲に徹や周りの人間は凄く気にかけ世話を焼いていたが、結婚生活の間は相手も居たことで普通に日常生活を送った。
 今は瑞紀たち三人が居るので、自分以上に彼らに気を使う。
 自然と食事を摂るのがマシになってきたが、それでも一人でこうやっていると億劫でしょうがない。出来れば食事と睡眠は抜いて生活したい玲だったが、性欲同様それらをどうでもいいとなれば、人間の基本的な欲求がいらない事になる。
 だから人間離れしてるなどと周りから揶揄されるのだが、こればかりはどうしようもない。
 いまは少し待ってみようかと思う。
 今日あたりは来るような気がするから。

 一時間もしないうちにドアが開く音がする。
 長くて薄暗い廊下の先にある玄関の様子はここからは見えないが、玲には誰が来たのかわかっていた。
 部屋のドアを開けた影は何も言わずに玲の座っているソファーの横に立ち見下ろす。
「なんだよ、あれ……」
「あれ?」
「とぼけんなよ!」
「自分から話しを振ったら、ちゃんと説明してから答えて貰うのが筋じゃないの?だからあんたは子供だって言うのよ」
 甲斐が顔色を変えたのは見なくてもわかったが、そんなことでびくつくような玲じではない。
 怒らせたら恐いのはこちらは瑞紀以上である。果たして彼らがそこまで玲を見抜いているかは知らないが。
「わざと撮らせたのかよ」
 甲斐が言っているのは、この間デートしようとふざけて誘った食事の帰りに写真誌に撮られたことである。
 レストランの帰り、通りに出たところとそのあと行った会員制のクラブの入り口付近で撮られた。
 数枚の写真は隠し撮りのために鮮明ではなかったが甲斐が嬉しそうに玲の肩を抱いているのがはっきりと認識できた。
「わざと……じゃないけどね」
 玲は表情だけで笑った。
 最近、自分たちが張られていることはわかっていた。マスコミは当然、徹と玲のことも追っていたが同時に『vision』のメンバーと玲の関係についてもしつこくかぎ回り始めていた。
 年齢が離れているとはいえ、男と女である。
 最近は年の離れたカップルも女の方がかなり年上なのも全く珍しくない時代になった。格好のエサなんだろうと玲は認識している。
 多少うるさいと思い始めたところへ、せっかく撮ってくれるなら協力する代わりに宣伝に活用させて貰おうと思ったのだ。
 甲斐は今、三人の中で飛び抜けて注目の的だった。立っているだけで「絵」になる男である。それは玲も認める。
 だが問題はそこからだ。そういう男ならこの世界いくらでもいるのだ。このまま単に騒がれて終わるか、時代に残っていくのか。
 玲は勝負に出ようと思った。
 十年前なら絶対にタブーだっただろう。だが時代は変わった。
 最近はマスコミ攻勢の激しさで、世間には次々起こる芸能人の恋愛問題が軽んじられている。めまぐるしく話題が変わるからだ。
 まるでクラスメートの噂をするように自分たちと同じ目線で見るのだということを玲は感じ取っていた。芸能人の恋愛は今の時代、場合によってはダメージにならない。
 それなら……
 これでも玲自身、お相手はいくらでもいる。ほとんどはボーイフレンドの域を出ないが、噂だけでもアーティストや俳優といった「いい男」と呼ばれる男達と付き合いがあった。振りまく話題はいつも華やかだ。
 別れた夫も人気俳優であった。
 玲は世間では男の趣味がいいと噂されている。
 それは当然だ。ランキングを作ったら上位を占めるような男ばかりと付き合っているのだから。
 そして玲は自分がそういう意味も含めて女性ファンから信望があることも知っている。玲のファンは半分以上が女性なのだ。
 だから……そこで策を練った。
 自分のそのファンを『vision』のファンに引っ張り込めないのかと思案したのだ。
 もちろん、テレビで競演を多く入れているから最近はセットのようなものだが、甲斐たちの魅力を手っ取り早くPRする方法を思いついたのだった。
 結果はもう少し立たないと分からないだろうが、玲はけっこういけるんじゃないのかと踏んでいる。
 甲斐に説明しなかったのは、そんなことを言ったらこの男、絶対に玲の言うことなど聞かないのがわかっていたからだった。
「初めからそのつもりかよ」
「私が呼んだワケじゃないわよ。あんた全然気づいてなかったの?」
 甲斐が無言になる。
「まったく……少しは気づいてるのかと思ったら。次から気をつけなさいよ、私じゃなかったらどうするのよ」
「嘘だったの?」
「なにが?」
「デート」
「嘘って?別に嘘じゃないでしょ。食事したしお酒飲んだし。楽しかったでしょ?つまんなかったの?」
「そうじゃなくて。俺と行きたいからじゃなかったの?」
 甲斐の不遜な態度が影を潜めて、必死の構えになってきた。
 ちょっとまずいかな……玲は真面目な顔になる。
「甲斐をからかったワケじゃないわよ。ただマスコミが張ってたのは知ってた。撮られてたのも。あとはせっかくだから宣伝に使わせて貰うけど」
 甲斐は押し黙っている。
「甲斐……あんたにあの時言ったら記者につかみかかるくらいはしたでしょ?」
「─────俺の気持ちは?」
「ぇ?」
「俺言ったじゃん!」
 玲の中にこの問題とは別の苦さが広がった。
 ここ数週間、甲斐はことあるごとに玲に向かって「好きだ」と言い続けている。  元々知り合った直後から甲斐の視線の熱さには気づいていた。でも玲にはそれを無視するだけの余裕があったし、甲斐自身もそれどころではなかったはずなのだ。
 だがあの日も飲んだ勢いなのかかなりしつこく玲に言い続けていた。もちろん玲は軽くかわしていたのだが。
「甲斐の気持ち……ね」
「バカにしてんのか?それとも本気じゃないとでも」
「バカにはしてないけど、本気には出来ないわね」
「なんで!?」
「私と甲斐じゃ、いくつ違うと思ってるの?」
「そんなの理由にならない」
「甲斐に対してそう言う目で見られないわ」
「俺、待ってる」
「待ってるって、それは私に迷惑な話じゃないの?」
 甲斐が少し怯む。
「だって俺は好きなんだもの」
「じゃ、私が誰を好きか知ってるわよね」
 止(とど)めだった。
 甲斐は男の顔を思い浮かべたが、名前は出せなかった。誰もが気づいていたとしても、それを言うのは禁句だった。
 付き合いの時間が浅くても、いつも一緒に居る甲斐たちにはそれがわかる。
 だがその事が甲斐の苛立ちを煽る。そんなことを言い訳にして。理由にはならない。
 少なくともその時の甲斐にはそう思えた。
 なぜなら、
「言えない癖に!どんなに思ったって言葉にも出来ないんだったら無駄じゃないかっ!」
 瞬間、平手打ちが飛んできた。叩かれる相手は一人しか居ない。甲斐の中のどこかで何かが切れた。
 理性が切れて興奮しているせいか、熱いのか冷たいのかわからない。感情が沸騰しているようで、妙に冷えてるような気もする。
 だがこういうときに人間は自分の欲望にだけ忠実になるらしい。気づいたときには甲斐は玲を押し倒していた。
 玲の方は甲斐を叩いた瞬間、しまった!と思ったが自分が立ち直る前に思わぬ行動に出られてしまい、パニックになる。
「ちょっと待って、なにっ……?」
 玲の問いに甲斐はもう何も言わなかった。何も聞こえないのかも知れない。
 甲斐に押さえつけられた腕の痛みに、もう何を言っても無駄なのだと玲は悟った。種をまいたのは自分だ。甲斐に火を付けたのは自分なのだ。
 まいた種は自分で刈り取らなければならない。どうせ誰と寝ても同じなのだ。
 いつものように、身体が多少熱くなることはあっても気持ちが熱くなることはない。だったら甲斐と寝ても悪いと言うことにはならない。
 遙か昔から、玲にはいつも簡単に「諦める」という習性が付いていた。
 甲斐の想いを軽く見ていたのは誤算だった。子供だと……軽く見ていたのかも知れない。その結果がこれだ。甲斐(身体)の重さに彼の想いの重さが伝わる。
 陽が落ちて部屋が夕闇に包まれていた。





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