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第一章

今日、私の友人がひとり亡くなりました。

彼女の名前は山下鞠子。

おかしいと思ったときには遅かった。

私は悲しい。今とても悲しい。

でも、事実は変えられない。

 

彼女は画家になりたいと常々言っていた。

先々週に彼女の展覧会が終了したばかりだった。

あのとき、彼女は明るかった。満面の笑みを浮かべていた。

私には、彼女が輝かしく見えた。羨ましかった。

私は彼女の絵が大好きで、彼女の才能に惚れ込んでいた。

 

最近彼女はこうも言っていた。

絵の仕事が入りそうだと。

ある人から画商を紹介してもらったとも話していた。

彼女にはチャンスが舞い込んでいた。絶好の機会だった。

なのに、何故このタイミングなのか、私にはわからない。

 

彼女の訃報が届いたこの日。

私の郵便受けには、展覧会に赴いたことへのお礼状が入っていた。

それは、彼女の自作のポストカードで、絵はあの展覧会でみたものだった。

しかし、それには意味深なメッセージがあった。

謝辞と共に「ありがとうございました」の文字があった。

そして、最後に sincere と。。。

私は、不思議に思った。私と彼女は旧来の仲で sincere で片付けられるような付き合いではないはずだ。

ただ私はそのとき只の思い過ごしだとおもった。

考え過ぎだと。

私は、彼女のSOSを見逃したのだ。

 

今私は彼女の通夜に来ている。

 

会場には彼女の叔父が来ていた。

馴れ馴れしく声をかけてくる彼は酔っていた。

親類は、私をそちらの席に招いた。

私は彼とは初対面だと言うと、彼は表情を変え、明らかに私に敵意を示した。

彼に罵倒されながらも、私は記憶の糸を手繰り寄せる。

親類たちは慌ててその場を取り繕う。

「ほら、三女の桂子ちゃんの結婚式のときにお会いしたでしょ?」

けれども、私は彼に関して何一つ思い出せなかった。

彼は明らかに機嫌を損ねている。

私は気まずくしてしまったその場を後にし、彼女の骸を拝みに行った。

 

彼女は、木製の棺の中で白い和服を着て横たわっていた。

ただ眠っているようにしか見えなかったが、そこに精気がないことは明らかだった。私は祖父の葬式を思い出した。

死人だけが出す特異なオーラ。私はそれにわずかながら魅力を感じた。

死んだ人は皆こうだ。とても似ている。似過ぎている。

私には、彼女と祖父がダブって見えた。

 

通夜の席はとても居心地が悪く、とても長く居られたものではなかったが、私はどうしても彼女の死因が知りたかったので、我慢してそこに留まった。

 

彼女の死因について何か聞き出せないかと、周囲に気を配りながら、私は匣の中の彼女を思い浮かべていた。

私は彼女の浴衣姿を一度だけ見たことがある。それも白い和服だった。渋い紫色の華が描かれたえんじ色の帯の浴衣。でも、彼女はそれを気に入ってはないらしかった。京都の城崎へ旅行した際に旅館から借りたピンク色の浴衣を一番気に入っていて、それをSNSのプロフィール画像に使っていた。

「次は、ピンクの浴衣を買うんだ」と、笑みを浮かべていた姿がよみがえる。

でも結局、彼女はピンク色の浴衣を手に入れることなく、白い浴衣のまま死んでしまった。

 

彼女は、カリウムを注射して自殺したらしい。安楽死に使われるやつだ。けれども、鎮痛剤なしなら、止まり行く心臓の痛みは堪え難いものだったかもしれない。

「カリウムか」

用意周到な彼女の考えそうなことだ。生半可なやり方ではないであろうことは予測していたが、死体の美しさから見て、暴力的な方法を取らなかったことは明白だった。きっと両親のことを考えたのだろう。彼女は両親をとても大切にしていた。いつもそのことを話題にしていた。完璧主義な彼女のことだから、万が一失敗したときのことも考えただろう。その結果が薬物自殺だ。

とにかく彼女は綺麗なまま亡くなった。その美しさは永遠になった。

彼女はそんなこと気にはしていないかも知れないけれども、少なくとも私にはそう思えた。これから私は老いて行く。けれども、彼女の時は止まったままだ。

 

私にもそろそろ限界が近づいていた。そもそも私はストレスには滅法弱いし、生を悲観する意味では彼女と同意見だった。だから、互いに惹かれあったのだろう。私は、こっそりとその場を後にした。

毒気にあたり過ぎた私に、夜風は心地よく吹いたが、私を癒してはくれなかった。

 

私は終に疲労困憊して、思考が乱れて、まとまらなかった。ただただ彼女の後を追いたいと、そのことだけが、無意識に私の頭の中を駆け巡っていた。

自宅まで、歩いて約40分の道のり。私はバスにもタクシーにも乗らずにひたすら歩いた。もつれる足をなんとか前にやり、肩を落として。

途端、道脇の側溝につまずいて転んだ。ストッキングが破れ、スーツのジャケットも肩の辺りが破れてしまったようだ。周りには誰も居なかった。辺りは真っ暗で、薄曇りの中、わずかに星が見えた。遠くから踏切のアラームが聴こえた。私は初めて泣いた。そのとき初めて、彼女のために泣いた。手に取った携帯には彼女の着信履歴があった。ちょうど彼女に電話しようと思ったのだ。

「転んでスーツ破いちゃった。馬鹿みたいでしょー」

でも、彼女はもう居ない。電話に出るのは彼女の親族だろう。

私は改めて気がついた。自身の半身を失ったことに。

私はそのまま道ばたに座り込んで、煙草を吹かした。

彼女は度々私に禁煙を勧める、おせっかいなやつだった。

でも、もう居ないのだ。

私は、ただただ泣いた。煙草は全然美味しくなかった。

 

葬式には行かなかった。

 


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最終更新日 : 2012-11-15 16:26:57

第二章

あれから五日経った。

初めて訪れる鞠子の部屋。はっきり言って汚い。

普段、外で会う彼女とは想像がつかない。

これは全く別人の部屋ではないのか。

普段彼女が座っていたのであろう古びた座椅子がある。それ以外には足場がないと言っていい。

仕方なくそこに座ってみる。もう何年使っているのであろう。クッション性はとうになくなっている。

目の前には彼女のメイクBOX。開閉式の蓋の上に彼女の愛用していたmacbook

彼女は本当にもう居ないのだろうか。

外で会う彼女は、いつも完璧だった。

調った可愛らしい顔にナチュラルメイクが良く映えて、いつもお洒落だった。

でも、ここは。

散乱した衣服。床には髪の毛が無数に絡まり落ちている。

経年劣化した畳は剥げて、中の藁が飛び出している。

最も驚いたのは、散乱した雑貨の上に無造作に積み上げられた、否、捨てられた様な彼女の作品の数々。

画家を目指していた彼女。私は、彼女自身の絵だけは大切に保管していると思い込んでいた。正直、ショックが大きくて、私はもう幾分もその座椅子から動くことが出来なかった。

机やベッド、床、所々に散乱した物に紛れて、いくつもの薬が転がっている。

それが、彼女の苦痛の叫びのように思えた。

壁や家具には、いくつものポストカードが飾られている。

ここは、彼女の夢と現実が交錯している。

私は逃げ出したくなった。

そろそろお暇しようかと思ったとき、彼女の母がお茶を入れて来てくれた。

私は、その方のためにも、彼女の昔話をしていくことにした。

たわいもない挨拶。どうでもいい天気の話から始まり、お互いになかなか彼女の話に話題を切り替えられないでいた。

その間にも。お母様の顔には感情の起伏というものが全く感じられなかった。

娘の突然の死だ。仕方の無いことだろう。

「貴女のことは娘からよく聞いていました」

お母様がはっしたのはそれだけだった。

私はふと、彼女がとても大切にしていたロザリオのペンダントのことを思い出した。彼女がロシアに短期留学したときに購入して以来、肌身離さず身に付けていたものだ。お通夜の彼女の首もとには、それがなかったように思える。

お母様にそのことを告げると、わずかながら顔をしかめて、

「宗派が違うから」

と小さな声で呟いた。

思い出した。彼女とその母は宗教観で対立していてよく喧嘩していると聞いていた。

互いに沈黙が続き、だんだんと気まずい雰囲気になってきたので、私は帰ることにした。お母様にお礼とお悔やみを告げて礼をし、玄関を出ようとしたとき、私は突然肩を掴まれた。

お母様の手には彼女のロザリオがあった。曰く、お母様もこのロザリオを身に付けさせたまま見送りたかったのだけれど、親族や来訪者の手前、出来なかったのだと言う。

「後悔している」

と、目を潤ませていた。

「貴女が一番仲の良かった友だちみたいだから、持っててあげて」

私は、これはお母様が持っているべきものだとは、わかっていた。

でも、気迫に押されて断れなかった。

私は、彼女の形見のペンダントを持ち、その家を後にした。

 


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最終更新日 : 2012-11-15 16:29:45

第三章

「鞠子ちゃんのお母さん、どうだった?」

帰宅すると、母が心配そうに私を見つめた。

「まだ、五日やで。なんか抜け殻みたいやった」

「そう。仕方ないわね」

「うん」

私は部屋に戻って、ジーパンのポケットから鞠子のロザリオを取り出した。

「本当に貰ってよかったんだろうか?」

私は今日までに、鞠子に関するあらゆる物を一つにまとめていた。

それをベッドに広げて、横になった。

高校時代の文化祭の写真。

芸大受験の塾の忘年会で撮った写真

貰った手紙、プレゼント。

鞠子は私の親友だった。

高校で同じクラスになって、友だちになって、共に美術部に入った。

そして、同じ芸大を目指した。そう、私も以前は画家を志していたのだ。

塾ではいつも隣の席で、毎日何時間も絵を描いた。

鞠子は絵がすごくうまくて、それだけじゃなくて、すごく魅力的な絵を描けて、始めは少し妬んだりもしたけど、鞠子といるとすごく楽しくて、不思議と心が落ち着いて、すぐに好きになった。そして尊敬した。

私は鞠子に憧れて、鞠子みたいになりたくて、毎日絵を頑張ったんだ。

結局、二人とも一浪して、芸大に受かったのは鞠子。

私は、諦めて普通の大学に行ったけれど、後悔はしてない。

鞠子と過ごしたあの時間が、私の大切な宝物になったのだから。

そして、大学は違ったけれど、通学電車が一緒だったから、私たちは度々同じ電車に乗って、同じ電車で帰って、ときには寄り道して。

「鞠子。私たち、まだ大学卒業してないんだよ。また同じ電車に乗りたいよ」

涙が込み上げてきた。もうないんだ。

鞠子に大学から帰る時間を確認することも、鞠子から連絡があることも。

私は布団を顔まで引き上げて、中に潜り込んですすり泣いた。

ベッドからは、鞠子と一緒に写った写真がパタパタと落ちた。

 

「ねえ、この展覧会見終わったら、カフェでお茶しない?いいとこ見つけたんだ♪」

「何?いいとこって、いつものとこじゃないの?」

「大丈夫。そんなに遠くないから。タンポポ茶ってのが飲めるらしいよ」

「へえ、面白そう!どんな味かな?」

鞠子は京都の近代美術館の企画展のチラシを見つめながら、嬉しそうに笑みを浮かべた。京阪電車の窓側の席に座る彼女は、太陽の光で一段と眩しく見えた。

展覧会の情報や面白いカフェを見つけてくるのは、いつも鞠子だ。

大学の友人から仕入れてくるらしい。さすが芸大生といったところか、物好きが多いらしい。

不本意にも経済学部に入学してしまった私には羨ましい限りだ。

「八木さんの作品が見れるの楽しみだね」

「うん。塾の先生の恩師だもんね。裏話いっぱい聞いちゃったし、今回は別の意味でも楽しめそう」

ゴーっという音とともに辺りが暗くなった。電車が地下に入った。

「そろそろ三条だね。今日も歩くか!またあの小川沿いの道を行こう」

話しかけると、そこに鞠子は居なかった。

「あれ?鞠子?」

電車は次の七条に着くはずだが一向に止まる気配がない。

いつの間にか、乗客は私だけになっていた。

車内はしんと静まりかえっている。

「鞠子?」

彼女が座っていた椅子には、展覧会のパンフレットだけが取り残されていた。

私はそのチラシを取り上げる。

「二○○四年八月・・」

おかしい。今は二○○八年だ。

「鞠子!」

大声を出して車内を見渡してみたが、誰も居ない。

電車は一向に止まる気配がない。

もう終点まで着いても良い頃だ。

私は車内を歩き回って、また元の席まで戻ってきた。

鞠子の座っていた席。まだ温かい。

「どうしよう」

私がもう一度辺りを見渡すと、背後から鞠子の声がした。

いつのまにか彼女は元の席に戻っている。

「ごめん。あたし、次で降りないといけないんだ」

「次ってどこ?」

列車のブレーキ音が響く。

鞠子はじっと私のほうを見据えて、少し悲しそうな顔をしていた。

「ねえ、用事があるなら、私も一緒に・・」

鞠子はゆっくりと首を横に振った。

突然、がやがやと雑踏の音が戻ってきた。

車内はまた人混みで溢れかえっている。

電車は止まり、ドアが開いた。雑踏が蠢く。

いつのまにか鞠子が居ない。

私は、人の波を押し分けて、駅のホームに出た。

大勢の人で溢れかえって、鞠子がどこにいるのか、全くわからない。

「鞠子!」

私の記憶がよみがえりだした。

胸がドクドク鳴って、冷や汗が出た。体が熱い。

「鞠子——!」

私は渾身の力を込めて叫んだ。

私は人の渦の中でただ立ち尽くした。

目眩がした。頭が混乱して、一歩も前に進めなかった。

次第に辺りは暗くなり、何も見えなくなった。

手をつないでおけばよかった。そんな風に思った。

勿論、そんなことが何の意味も為さないことも承知していた。

「それでも」

私は無意識に手を伸ばした。

暗闇が晴れると、そこには私の部屋の天井があった。

いつのまにか眠っていたらしい。

外はもう明るかった。

私は泣いているらしかった。肌が濡れている。

床には、鞠子の写真が散乱していた。


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最終更新日 : 2012-11-15 16:31:39

第四章

家に帰ると、自分の机に向かい、ノートパソコンを開いた。

鞠子が亡くなってから、私は一度もパソコンを触っていなかった。

そこには現在執筆中の小説があった。小説家志望なんて言っても正直口先だけで、私が書くのはほとんど散文詩ばかりだ。それでも、私は夢をよく見るおかげで、ときどき小説に近いものを書くことができる。夢を題材にするのだ。

この方法を提案してくれたのは鞠子だった。

3年前、芸大受験に破れた私は、もう絵を描くことに疲れきっていた。

それで普通の大学に行くことにしたのだけれど、これといった動機もなく入学してしまったので、当初は無為な時間をただ浪費していたのだ。そこで、ストレス発散に書き出したのが詩だった。鞠子はそれをとても面白がってくれた。そして、彼女は私が見る夢の話も好きだったので、それも文章に起こしてみてはどうかと提案してきたのだ。今ではそれが私の日課に近くなっている。とはいえ、文章を長く書くのは難しい。夢を書き起こしても、その続きを書こうとすると、おのずと質が下がってしまう。当然だ。夢の続きは見ていないのだから。私は壁にぶち当たっていた。長く文章を書くのは難しい。けれども、詩では満足しきれない自分がいる。鞠子だったら、どんなアドバイスをくれるだろう。

「今日は鞠子に手紙を書こうかな」

鞠子、元気にしていますか?っと。我ながら苦笑した。

死人に元気も糞もないだろう。

それでも、少しだけれど、鞠子の死を乗り越えようとしている自分を実感できた。それが嬉しかった。

「今日はこれで充分だろう」

私はノートパソコンを閉じて、眠ることにした。

明日からバイトに復帰することになっている。

クリーニング屋の受付だ。店員一人の一日二交代制だから、この一週間で大変迷惑をかけた。鞠子が亡くなった当日は代わりが見つからず、涙をこらえて接客するのが大変だった。でも、もう大丈夫だろう。

「鞠子。おやすみなさい」

私は部屋の電気を消した。

 

翌日、バイト前に突然電話がかかってきた。知らない番号だ。

出てみると、太陽社という出版社の山田という編集者らしい。

私は、半年前に同社の作品募集のキャンペーンに応募していたのを思い出した。

そのときに応募したのは、絵本にするつもりで書いたラッコが主人公の物語だ。

私にしては珍しく、詩でも散文でもない。ちゃんとした文章のやつだ。

その山田氏に依ると、当時の担当者が退社したために、後を引き継ぎ、その際に私の原稿を発見し、できるかわからないが出版企画の方向で会議に持ち込みたいのだそうだ。

私は驚きと喜びで絶句してしまった。

続けて、絵本の絵のほうは出来ているかと聞かれたが私はノンタッチだった。

そこで、早急に絵コンテを描いて送るように頼まれた。

私は同意した。

電話を切った後、私はしばらく放心状態だった。

私の文章が出版社の目に留まったのだ。

嬉しくてしようがなかった。

私は気分よくバイトに向かった。

 

「あら、今日は何かいいことがあったの?」

バイトに行くと、引き継ぎの佐伯さんに顔を覗きこまれた。
「あなたの笑顔なんて久しぶりに見たわぁ」

佐伯さんは笑っていた。

「実は、自分の描いた小説を絵本にできるかもしれないんです。まだわからないけれど。。」

「へえー!あなた小説なんて書いてたのー?知らんかったわぁ。すごいのねー」

佐伯さんは言った。

「いえ、すごくはないですが、帰ってから絵コンテを描くんです。楽しみにしてます」

自然と笑顔がこぼれた。

確かに、笑ったのなんて久しぶりだった。

 

バイトから帰ると、私はさっそく絵コンテの制作に取りかかった。

編集者は白黒の簡単なもので構わないと言っていたので、気が楽だった。

私は、想い描いていた絵をすらすらと紙に描いた。

しかし、ある程度描いたところで筆が止まった。異変に気がついた。

私が想い描いていた絵の枚数に対して、文章の方が圧倒的に多いのだ。

しかも、私はラストの重要なシーンの絵を決めかねていた。

私は絵の横に、対応する文章を並べて書いてみた。

バラバラだった。一枚の絵にほんの数行の文章で終わるページもあれば、

文章が書ききれないほど載っかるページもあった。これではいけない。

私は、一晩中試行錯誤したが、うまくいかなかった。

こんなに難しいものだとは思わなかった。

ラストの絵も、決めかねて、3パターン用意してそのまま送ることにした。

現実の厳しさを痛感した。でも、できることはやった。

私は絵コンテを封筒にしまい、後はポストに投函するだけの状態にして、ベッドに横になった。

「全部新しく描きなおせば、なんとかなるかも知れない」

でも、私は元々の構想の絵を捨て切れなかった。

このストーリーは絵と共に思い浮かんだものだ。思い入れが強かった。

しかし、今のままではきっと会議で落とされる。

私はもやもやとした気持ちを抱えながら、眠りについた。

 

その日、夢の中で私はまだ絵コンテを描いていた。場所は以前通っていた芸大受験の塾だった。隣は空席だった。だが気にならなかった。私は絵が思い浮かばなくて、ただただ苦悩していた。なぜか、鞠子がもうすぐ来る様な気がして、隣に誰も居ないことが気にならなかった。鞠子だったら、きっといろんなアイデアが浮かぶのだろう。けれども、これは私の課題だ。私は芸大受験のときと同じ心境だった。あの頃から、私は何も変わっていなかったのだ。

 

目覚めると、私はとても疲れていた。もう何も考えたくなかった。今日は早番だから、もうすぐバイトに行かないといけない。私は、昨日の封筒を鞄にしまった。これが今の実力なのだ。現実の厳しさを少し知った。自分の甘さも分った。出版社の目に留まったのは幸運で、でも自分の実力が評価されたということでもある。複雑だけれど、これが現在なのだ。私は家を出た。

 

今日の引き継ぎは佐伯さんぢゃない。それが私を安心させた。
バイト中、ため息ばかりしていた。やはりショックが抜け切れなかった。

 


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最終更新日 : 2012-11-15 16:36:09

第五章

彼氏からメールが来た。彼とは大学で知り合った。きっかけは同じベンチに座ったという、ただそれだけ。なんの偶然かはわからないが、好きな画家や映画監督が同じというところから、互いに惹かれ合い急接近した。もう半年くらいの付き合いになる。学部も学科も違うため、同じ授業を受けることはないが、いつも大学でお昼ご飯を一緒に食べている。

そんな彼は現在、夏休みを利用して、ベトナムに行っている。所謂バックパッカーだ。たいした所持金も持たずに旅立ったので、現地の人と同じものを食べたり、ぼろぼろのバスに乗ったり、泊まるのは専らユースホステルなどの安宿らしい。だが、苦労は多くとも、彼はそれなりに満喫しているようだ。

彼とはだいたい週に1〜2回のペースでメールのやりとりをしている。彼は海外用の携帯を持参して行かなかったし、現地でも調達しなかったので、ネットカフェからメールを送受信してくる。だから、鞠子の死を告げたメールの返事が、今になってやっと返ってくるというわけだ。私自身、鞠子の死をすぐには受け入れられなかったので、すぐには報告しなかったというのも理由のひとつではある。因に、鞠子と彼は余りうまが合わない。

彼のローマ字メールには簡単にお悔やみの言葉が書かれていた。

他には、どこどこに行ったとか、早く私に会いたいとか、いつもどおりのことが書いてあった。鞠子に関してはお悔やみだけで、私の心境を心配してくれるような言葉がなかったのが少し寂しかったが、私がおおげさに捉え過ぎているのだろうと思うことにした。海外でひとり旅をしている彼に甘える気にはなれなかった。彼の方がずっと寂しい思いをしているだろう。私は、これ以上鞠子のことには触れず、なるべく楽しい文面でメールを飾った。と言っても、最近の楽しいことと言えば、太陽社のことぐらいだったので、ほとんどを質問で埋め尽くした。

「これでいいんだ」

彼が日本に帰って来たら、鞠子の話をいっぱい聞いてもらおう。それまでの我慢だ。

 

鞠子の死から半月が経った。

その日、バイトから帰ると、太陽社から分厚い封筒が届いていた。中には、企画出版の選考から外れたことと、自費出版の推薦の旨を書いた用紙とそれに関する分厚い資料、私の作った物語に関しての講評が書かれた用紙が入っていた。企画出版から外れたことに関しては予想していたので、特に感慨を受けなかったが、講評が付いてきたことには驚いた。絵に関する講評、というより批評は散々受けて来たが、文章に関しては初めてだった。正直、飛び上がるくらい嬉しかった。一気に五回くらい読み直した。出版社が自費出版を推して来ていることを差し引いても、自分の文章に好意的な評価が貰えたのには感激した。私はまだ学生だしお金がない。物書きとしてもまだまだ修行中の身だと考えているから、自費出版には手を出さないけれど、いつか自分の本が世に出ることがあるのではないかと想像してわくわくした。そう、いつか。もっともっと沢山文章を書いて、いろんなところに出してみよう。そんな風に思わせてくれた。

「これを彼に見せたらどう言うかな?びっくりするかな?褒めてくれるかな?」

私は、親友の鞠子を失ったことと、彼氏の長期の不在で日々寂しさが募るようになっていた。生来、私は極度の寂しがり屋さんなのだ。

「はやく彼に会いたいな」

あと、五日。私は彼の帰国が待ち遠しくて仕方がなかった。

 

私は部屋を綺麗に片付けて、茶葉とお菓子を用意していた。

今日は、帰国した彼が家に遊びに来るのだ。

待ち切れなくて二時間も早く用意を済ませてしまった。

彼の旅の話を聞くのが楽しみだった。お土産も沢山あるらしい。

彼の話を聞いたあとは、鞠子のことを慰めてもらおう。

こういうときに頼れる相手がいるってのは幸せなことだなぁ。私はそんな風に考えていた。私はぽっかりと空いた心の隙間を彼に埋めてもらうつもりでいたのだ。

 

チャイムのベルとともに、私は玄関先まで走った。そのままの勢いで門柱の扉を開け、彼を抱きしめた。頭の中には、ちょうど今視認した彼の顔があった。白かった彼の肌は、日に焼けて茶色く変わっていた。彼の背中を掴まえる腕から、彼の肉厚と体温が伝わってくる。とても心地いい。

彼は慌てていた。それが面白かった。

「恥ずかしいから、はやく中に入ろうよ」

「うん」

私は喜びを抑え切れず、終始にやけていた。隠す必要なんかなかった。

彼に、部屋へ上がるように言って、私は台所で紅茶を入れた。

部屋では、既に座布団の上でくつろぎ、一服する彼の姿があった。

「おまたせ」

私は、彼に紅茶と菓子を勧めて、斜め横の位置に座った。

「どうやった?旅行?ほんまに南北縦断したん?」

彼の旅行計画は、ベトナムを南から北へ北上するコースだと聞いていた。

「うん。できたと思う。ただ真っ直ぐ行ったわけじゃないで、途中西の方の山奥の少数民族の村に寄り道した。面白かったよ」

彼はそこで購入した。紅い手織りのポシェットみたいなものを差し出した。

エキゾチックな刺繍が施されていて、とても素敵だった。

「綺麗。ありがとう!」

私はふと思いついて、自分の旧式のiPodをその中に入れてみた。おかしいくらいサイズがぴったしだった。彼も驚いていた。

「これからはこれに入れて持ち歩くよ」

彼は他にも、写真やらマグカップやら、センスのいい現地のスーパーの袋まで、いろいろなものをお土産にくれた。私はとても喜んだ。彼はぶっとおしで話し続けた。

彼の話はとても面白かったし、彼との再会で私はとても気分がよかったけれど、私はそろそろ自分の話を聞いて欲しくなってきた。

「へえ。その女の人も変わってるなあ。あ、それよりな、鞠子のことやねんけど。ほら、メールに書いたやん」

「ああ、それ。自殺やろ?まあ、残念やったなあ。俺、自殺する奴のこととかわからんわ。なんかあったん?」

「それが、鞠子、展覧会んときはめっちゃ元気そうやってん。いつもどおりいい作品出してたし。お客さんもいっぱい来てたで。でも、展覧会のお礼状が変やった。これやねんけど」

私は、彼にその葉書を差し出した。

「今回の絵はこれかあ。いいやん。俺の好みではないけど。んー、これのどこが変なん?ただのお礼状。そのまんまやん」

「鞠子は、いっつもお手紙みたいなこと書いてくるねんて。お礼状でも、年賀状でも。でも、今回はそんなん一言もない。しかも、Sincereて」

Sincereって、英語の手紙の最後に付けたらいいやつやろ?なんか意味あんの?」

「・・・」

私は彼にそれ以上、葉書に関して理解してもらうことを諦めた。

彼は、また自分の旅の続きを話しだした。私はもう彼の話に集中できなかった。なんだか、彼の言葉が頭の中をすり抜けていくような感覚だった。

しばらく待って、今度は出版社から出版企画の誘いがあった話をしてみた。

「そういえば、冬にそんな話してたなあ。で、結果どうやったん?」

私は、絵コンテで苦戦した経緯と、企画出版には落選したが、講評が貰えて自分では満足していることを伝えた。

「ふーん。ならいいやん。夢への第一歩やろ?」

「俺らもそろそろ就活やもんなあ。俺は今回の旅を就活のネタにしてみようと思ってる。でな、」

彼はまた話しだした。私は出版社から貰った講評を見せようとしたが、今度でいいと断られた。いつもの彼はこうではない。ひと月の独り旅を終えて興奮している様子が明らかだった。でも、私だって鞠子の話を聞いてもらいたい。「大丈夫?」とか、一言くらい察してくれてもいいじゃないか。もう旅の話は頭の中でいっぱいで、これ以上は受け止めきれない。

「ねえ。もう旅の話はいいから、少しはこっちの話も聞いてや」

「はっ?聞いてるやん。それに、さっきから話の腰折ってんの自分やで」

「なんでよ。ずっとベトナムの話ばっかりやん。そらひと月も居っていろいろあって、しかも独りで、話したくなる気持ちは分るけど、こっちは親友が死んでんで。もっとこっちの気持ち察してくれてもいいやん」

「それは、あんまりそのことに触れん方がいいと思ったからやん。俺、泣かれても困るし」

「うちは、聞いてほしいねんけど」

「じゃあいいよ。話しいや」

「じゃあって・・」

私はもうよく分らなくなった。改めて話せと言われると、何から話していいかわからないような、特に話すこともないような、不思議な感覚に襲われた。それに、鞠子の話をすると私はきっと泣いてしまう。そうだ。私は泣きたかったんだ。誰かの前で、気持ちを吐き出して、沢山泣いて、頭をなでてもらいたかったのだ。でもきっと、その相手は彼じゃない。彼だと思ってたけれど、彼じゃない。私は俯いてしまった。

いくらかの沈黙の後。

「別れよう」

その言葉が、ふと口を衝いて出た。自分でもびっくりした。その言葉を耳で聞いて、初めて自分が別れを切り出したことに気がついた。無意識だった。

恐る恐る顔を上げて見ると、彼は驚いて、目を少し見開いて、絶句している。

「どうしたん。急に」

「わかんない」

私はただ、飲み切った紅茶のカップを眺めていた。なんだか力が抜け切って、もうなにもかもがどうでもよくなってしまったみたいだった。

「ごめん。今日はもう帰って」

「えっ。ちょっと待ってや。どうなんの?このまま帰ったら、俺ら」

「ごめん。また今度聞くから、今日はもう」

「なんやねん」

「帰ってください」

なにかドタバタとした音がして、ドアが乱暴に閉まる音がした。階段を下りる音が五月蝿く響いて、玄関のドアが、門のドアが閉まる音がした。そして、バイクの走り去る音。

私は急に寂しくなった。すぐに頬が濡れて、太ももに涙がぼたぼたと落ちた。私はそのまま前のめりになって、泣いた。どれだけ泣いたかなんて覚えていない。いつのまにか部屋は真っ暗になった。お母さんの晩ご飯の声は無視した。窓から月が見えた。満月だった。ただ単純に、綺麗だと思った。私は長いこと、月を眺め続けて、月は私を照らし続けた。

 

もう眠ろうと思った時、机の上で何かが光った。鞠子のロザリオだった。私は、なんだかそれが私の心の穴を埋めてくれるような気がして、自分の首に掛けてみた。不思議と心が落ち着くような感じがした。

「鞠子?ここに居るの?」

勿論返事はない。

ただ、そのペンダントを着けていると心が落ち着いた。まるで鞠子が私と一緒に居てくれているみたいだった。

「そうだね、鞠子。これからは一緒に生きていこう。私、鞠子の分まで生きるよ」

だから一緒に居てね。

私の心はもう嘘みたいに安らかだった。


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最終更新日 : 2012-11-15 16:39:23


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