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短歌十首 ばあちゃん/鳩山豆子


鏡に恋が映っていたので、/ババタカオ

  鏡に恋が映っていたので、

ババタカオ

 

 

 都内のワンルームマンション。

 そこを自宅兼、仕事場にしている小泉ナコは、今年30になる女流漫画家である。遅咲きのデビューを果たし、次なる作品で連載のチャンスをつかもうと思っていた。

 ペンは驚くほど乗っている。

 

 漫画を描き始めたころは、自分が好きなようにかけていたのに、投稿し、編集部の目に止まり、担当編集者が付くと、雑誌の色や、読者のニーズなどを考えねばならず、気が付けば漫画を描くのが苦痛になっていた。

 そして、生活に押され、漫画から遠い生活をしばらく続けてきた。

 しかし、年を重ねていくにつれ、自分を取り囲む環境は変わっていく。

 同級生だったYちゃんは結婚し、同期入社のKちゃんは退職して、雑貨屋を始めた。

 急に自分が置いてけぼりを喰らったような気がした。

 その想いは、日に日に増していき、ある日、テレビを見ながら安い発泡酒を飲んでいる時に、「漫画を描こう」と思い立った。

 

 少年が、衝動のままに暴れ、活躍するマンガだった。

 ナコはそれを片手に、出版社に持ち込みをしたが、結果は芳しくなく、ようやくKと言う出版社で、遠藤と言う若い編集者と出会った。

 遠藤慎一と書かれた名刺を差し出し、「頑張って、連載を獲りましょう」と挨拶した彼の笑顔に、ナコはやられてしまった。

 

 ナコはおよそ男とは無縁の世界で生きてきた。

 極端に自分に自信がなく、いつも妄想の中で過ごしてきた。漫画と言うメディアは、自分に合ってはいるのだろうが、その為に、自分のコンプレックスを無視し、或いは許容して、ごまかせてきたのかもしれない。

 そうして今、遠藤と言う担当編集者を前にして、ナコは恋を思い出したのだ。

 

 新作のネーム(※コマ割り、構図、セリフなどを大まかに表したもの)を描いていくナコは、喜々としている。

 表情をとるために机に置いている鏡は、ナコの心象を投影する。

 その表情を、キャラクターに反映させる。

 主人公の少女が、恋に頬を赤らめている。

 自分で描いたキャラクターの表情に、悦に入るナコは、明日の打ち合わせを心待ちにしている。

 


 

 編集部に近い喫茶店。

 午前中の静かな店内。

窓際の4人席にナコと遠藤が向かい合わせで座っている。

遠藤は、ナコの持って来たネームを素早く見て行く。

 遠藤が見ている間、ナコは俯いて黙っている。時々コーヒーを口にするが、読まれている間は緊張して仕方がない。

 しばらくして、遠藤がネームを読み終え、その紙の束をそろえながら「小泉さんね……」と、切り出す。

「はい!」とナコは、条件反射のように反応する。

 しかし、ナコから見る遠藤の表情は、さえない。

「これ、面白いですか?」と、遠藤がナコの目をとらえて言う。

「……面白くないですか?」と伏し目がちに、ナコは質問で返す。

「うちは、少年漫画なんです。女の子が主人公の恋愛ものは、うちのジャンルじゃないですよ」

「でも、今、少年漫画でもそう言うの、増えてるじゃないですか」

「それでも、小泉さんに求めてるのは、そういうものじゃありません」

 がっくりとうなだれるナコに、遠藤は励ますように言う。

「前作の、主人公のはつらつとした感じ!

それでいて、心理描写も見事でした。

昨今稀に見る、王道の少年漫画を見た気がしました」

「ですから、今度は女の子で……」

「ええ、まあ、よく描けてると思いますよ? でも、うちは少年誌ですから」

「そうですか。……そうですよね……」

「次は、ぜひ、その辺を意識してみて下さい」そう言って、遠藤は席を立った。

 うな垂れるナコに、遠藤は続けて、

「それにしても、今日は随分とオシャレですね。どこか行かれるんですか?」と声をかけた。

 ナコは嬉しそうに顔を上げると、さらに遠藤は続けた。

「もしかしたら、少女漫画とかの方があっているのかもしれませんね」

 そのまま店を出て行く遠藤の後ろ姿を見ながら、ナコは胸が苦しかった。

「そんな、私を遠ざけるような事、言わないでくださいよ」と、そう言いたかった。

 

 ナコの作品は、主人公が少年に変わった。ナコは、鏡を見ては、少年に表情を付ける。

 ひどく、寂しげである。

「こんな顔……」と、つい一人ごちてしまう。

 こんなさびしい顔のキャラを描きたいわけではない。

「僕の気持ちを、君は分かってくれない……」と、こんなセリフを言わせたいわけではない。

 

 


 遠藤が新しいネームを読んでいる。

 雑誌の服を、まねてコーディネートしたナコは、俯いて、遠藤が読み終えるのを待っている。

 この間と同じカフェ。この間と同じ席。

 遠藤の手が、ふと止まる。

 あるシーンに、目を奪われている。

「よく、描けています」と、ネームに目を落としたまま、遠藤はしゃべり始める。

「主人公の、好きと言う気持ちを、どうしても伝えられない切なさ、もどかしさがよく伝わってきます」

「じゃあ……!」と顔を上げるナコ。

「でも、うちでは扱えません。展開があまりにもロマンチックで、少年漫画では扱えませんよ」

「そんな……」

「何なら、少女漫画の編集部を紹介しますよ。そちらの方が肌に合うんじゃないかな」

 遠藤のビジネスライクな話し方は、ナコにはものすごく冷たく聞こえる。

 ナコは、悲しくなり、涙が出てくる。その様子を見て、遠藤が話しかける。

「小泉さん?」

「なんで、そんな事言うんですかあ……」

 ナコの涙声が、遠藤を困惑させる。

「はじめて、原稿よんでくれた時、あんなに面白い面白いって言ってくれたのに……! どうして、こんなに私をいじめるんですかあ」

「それは、素直に面白いと思ったからです」

「わたし、……色んなとこに持ち込みして、初めて褒めてくれたのが、遠藤さんだったんです。

……漫画で30歳ってどうなんですかね?

とにかく、後がないように思えて、そんな時に遠藤さんに助けてもらったんです。

なのに……、私をよそに売るような事、言わないでください」

「……とりあえず、泣き止んでください」と、遠藤はハンカチを差し出し、ふと先ほどのネームに目を落とす。

 気持ちを伝えられない主人公。

 心の中で、相手を想い続けている。

「もしかして、これは僕に対する……?」

 顔を俯けたまま、ナコは顔を上げられない。

 涙でにじんだ、自分の膝しか見えない中、遠藤の声だけが耳に突き刺さる。

「ばからしい!」

 ナコの書いたネームがばらまかれ、足元に落ちる。

 宙を舞い、地に落ちて行く想い。

 ナコは、なす術なく。

「漫画は、読者に向かって描くものです。ラブレターじゃない!」

 遠藤の声が、ナコの胸に突き刺さる。

「ふざけてます! 漫画をなめてる!」

 すべてを否定された気分だ。

 



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