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訳者あとがき

 ガンジーが非暴力運動をはじめてから100年以上が経ち、今回翻訳した記事も発表されてから長い年月が経っている。しかし、ガンジーの主張に古くささは感じられず、むしろ斬新にすら感じる。そう感じるのは、ガンジーが主張する世界が、近年ますます遠ざかっているからかもしれない。家庭内暴力、幼児虐待、いじめ、集団暴行、性暴力、テロ、内戦、紛争、戦争……あらゆる暴力が、巷に溢れている。最近ではネット社会が進んだことで、不特定多数の人間が、特定の個人へ心無い罵詈雑言を集中砲火するような類の新しい暴力の形が定着しつつある。ガンジーの望んだ世界が、訪れることはないのだろうか。
 おそらく来ないだろう。だが、それでも私はガンジーの主張に憧れてしまう。ガンジーの主張に感化されて非暴力主義を目指してしまう。だが、いつもすぐに挫折して、また目指して、しばらくしてまた挫折して……これを繰り返す。
 それでいいと思う。ガンジーが言うように、完全な人間になろうとする過程で、人は成長するからである。
 そして、もうひとつ私のような不完全な人間をなぐさめる、ガンジーのエピソードを付け加えておきたい。非暴力を主張するガンジーもまた聖人ではなかった。たとえば、ガンジーは男尊女卑の思想の持ち主で(「インドの女性たちへ」でもその片鱗は読み取れる)、それが原因で何度も妻に無理を強いては泣かせている。本文に登場する長男にいたっては、厳しく躾しすぎたせいで、最終的にグレてしまった。その長男の姿を見たガンジーは、あろうことか自分が未熟な時期に生んだ子供なので、ダメな部分が伝染した、と長男を切り捨てる始末である。また、欲を断とうと主張する当の本人も、晩年まで欲に打ち勝つことに非常に苦労した。
   だからと言って、ガンジーの主張が間違えているということではない。ガンジーもまた、理想を追い自分の主張に憧れたひとりの不完全な人間だったということだ。
   ガンジーは、 理想を語りそれに向かって行動することの重要性を説いている。本文の中では「実行的理想家」という言葉で表現されている。現代で理想を語れば、偽善や欺瞞、自己満足と叩かれてしまうような世知辛い世の中であるが、それでも理想を掲げて、それに向けて実行することが大切だとガンジーは語りかけてくれる。失敗して周囲から後ろ指をさされて笑われたとしても、また、立ち上がって挑戦することが、人としての成長につながる。ガンジーの主張に触れる度、私も「実行的理想家」でありたいと強く思う。
 
 なお、今回翻訳するに当たっては、ガンジーの主張に親しみやすくなることを第一義に考えて、意訳している箇所がある。これにより、ガンジーの主張がねじ曲げられていることはないと信じて、読み進めて大丈夫である。もし、違和感を感じた人がいれば、それはすべて訳者のいたらなさによるところである。その点はご了承いただきたい。
2016年6月
東京のはずれにて
小浜 葉落

My life is my message.(私の人生そのものが私のメッセージです。)

カラチャンド・ガンジー


 原著の著作権は切れていますが、翻訳による二次的著作権は訳者にあります。


この本の内容は以上です。


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