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 スワデシの誓いを遵守するためには、手紡ぎ糸を用いて作られた手織りの衣類のみを用いる義務がある。インドの綿で紡がれて、インドで織られた衣類でも、その糸が輸入されたものであるなら、それは完全なスワデシの衣類とはいえない。インドにおいて、国産の綿を国産の糸車で紡いで得た糸を、国産の織り機で織ったときに、初めて完全なスワデシの衣類となる。たとえ、私たちが輸入品の機械で織った衣類を用いた場合でも、先述の誓いに当てはまることになるが、完全なスワデシにはならない。
 先述した制約のあるスワデシの誓いは、国産の衣類のみを用いるだけでは、まだ不十分であることに言及したい。そして、誓約者は、スワデシの誓いを他のすべての物に適用していくと良い。
 
イギリス人の所有する工場
 インドには、インド人が入れないイギリス人所有の工場があるということを聞いたことがある。もし、その話が本当なら、私はこのような工場で製造された衣類は、外国製衣類であると見なしている。また、この種の衣類は、悪意のけがれが染みついているものだから、品質が良くても、使用を避けなければならない。
 多くの人々は、インドの工場で作った織物を使用すれば、スワデシの誓いの必要条件にあてはまると信じている。美しい織物は、インド以外で紡がれた外国製の綿から作られるものである。だから、インドの工場で作った織物を使用することで得られる満足は、インドで織られたという事実だけである。手織機を使用したとしても、とても美しい織物には外国製の糸のみを用いるものだ。このような織物の使用は、スワデシの誓いに反するものである。サチャグラハは、スワデシにおいても必要である。男性が「下着一枚であっても純国産織物を用いる」と考え、女性が「品位を少し保つだけのために外国製衣類を着るということができなくなっても、純粋なスワデシを守る」と考えて、はじめてスワデシの誓いを果たすことができる。もし、数千人がこの精神をもって、スワデシを誓うならば、他の者もこのような精神を模倣するだろう。そのとき、彼らは、スワデシの希望となって、棄てる衣類を見つけるために、タンスを探索しはじめるだろう。多くの快楽や装飾に執着しない者が、スワデシ運動を進めるための大きな原動力となることを言及したい。
 
経済的救済のカギ
 インドでは、一般に織物製造者がいない村は存在しない。古くから、インドの村には、大工、靴屋、鍛冶屋などと共に、農夫と織物製造者がいた。ところが、農夫は、極度の貧困に陥り、織物製造者は貧民階級の専業となった。彼らにインドで紡いだ綿の糸を供給するならば、私たちは必要な織物を得ることができる。当分の間、織物の品質は粗末かもしれない。しかし、不断の努力によって、織物製造者は、きれいな織物を作れるようになる。したがって、織物製造者の地位を向上することができるでしょう。そして、さらなる一歩を進めるならば、道にある様々な困難を突破することができる。私たちは、容易に女性や子供たちに紡織を教えることができるのであり、家庭で織った着物ほど純潔なものは得難い。自身の経験を通して、この方法により多くの困難を除去し、多くの不必要な要求がなくなり、生活が歓喜と美で満ち満ちることだろう。私は、常に耳元で聖なる声が次のように囁くのが聞こえる。インドでは、昔はこのような生活を送っていて、そんな生活は閑散な詩人の夢想だと言ってくる者がいてもいっこうに構う必要はないのだ、と。今こそ、このようなインドを創造する必要があるのだ。そこに、私たちのプルシャルタ*15があるのではないか。インド中を巡回したが、心を切り裂くような貧民の叫び声は、思わず耳を塞ぎたくなった。老若男女すべての者が、私に対して「安い衣類を手に入れることができない。高い衣類はお金がないから買えない。食べ物も衣類も、その他のすべての物が高価だ。私たちは、どうしたらいいのか」と言っては、顔に絶望の色を浮かべるのだ。このような人民たちに、満足な答えをするのが私の義務である。同時に、国家に奉仕するすべての人の義務である。しかし、私は満足な答えを返せなかった。インドの原料が、ヨーロッパへ輸出されることで、結果的に私たちが高い値段を払わなければならないという事実は、思慮あるインド人にとっては、耐えがたいことでなければならない。そして、これに対して、最初で最後の救済法がスワデシなのだ。私たちは、インドの綿を誰にも売る必要もないのだ。そして、全インドにスワデシが浸透したとき、綿の生産者は、海外で製造させるために綿を売るようになるだろう。スワデシがインド中に行きわたったとき、すべての人が、綿が生産されたその土地で、綿が精錬されて紡織されなければならないと共通認識を持つでしょう。スワデシが持つマントラ*16が民衆の耳に響くとき、数百万人の人民が、インドの経済的救済のカギを握るでしょう。この目的を達成するためには、数百年を要するものではない。宗教的観念が目覚めるならば、人民の思想は、ただちに革命を起こす。無欲の犠牲のみが、絶対的に必要なものである。現在も、犠牲の精神は、インドの空気に満ちている。この絶好の時に、スワデシを実践しなければ、私たちは、後世で臍を噛むことになるだろう。
 私は、すべてのインド教徒、イスラム教徒、シーク教徒、ゾロアスター教徒、キリスト教徒、およびインド国民としての信念を持つ人々が、スワデシの誓いを成し、また、他人にも同じ誓いを立てるように説得することを願っている。私たちが国家のためにこんな些細なことができないなら、この国に生まれたことをむなしく思うしかない。頭の良い人たちは、このようにスワデシが純粋な経済的意義を持っていることを知るでしょう。私は、老若男女すべての人が、私の謙遜な暗示を真面目に考慮してくれることを望んでいます。イギリス経済の模倣は、必ず私たちを破滅へ導くでしょう。
(この二つの論文は、ガンジーがボンベイでスワデシの誓いをなすことを決心した前日に、インドの新聞に発表したものである)
 
*11   スワデシ:「スワ(自分の、固有の)」と「デシ(土地、国)」を掛け合わせた言葉で、「自国の」を意味する。民族が真に独立するために、外国の産業や製品に頼らないで自国の工業の復興を掲げた運動を指す。
*12 カビール:インドの宗教革命者。捨て子となっていたところを、不可触民の織物製造者でイスラム教徒のニール夫妻に拾われて育った。自らも織物製造者として働いていた。宗教家としてヒンズー教とイスラム教の影響を受け、カースト批判や一神教の思想を広めた。
*13 宗教上の観点からも、困難な場合がある:インドではカースト制度の影響で、衣類を作る階級が決まっているため、必要な数量の衣類が製造されないということを意味してると推測できる。また、階級によって着用する衣類品が異なっており、階級によっては、十分な供給量の衣類品が製造されないという意味とも取れる。
*14 サチャグラハ:ガンジーの行った不服従運動で「サッティヤー(真理)」と「アーグラハ(主張)」を掛け合わせ言葉で、「真理の主張」を意味する。ガンジーは、非暴力や不服従だけでなく、特に意識されることのない習慣や良識の中にサチャグラハはあると考えていた。
*15 プルシャルタ:古代インドより伝わる、人生の4つの目的を指す。4つの目的は、①ダルマ:社会における個人の正しいあり方、②アルタ:仕事をし、必要な富を得て蓄積すること、③カルマ:情熱や希望を満足させること、④モクシャ:神の意志を通じた解脱を目指し、努力することである。
 *16 マントラ:サンスクリット語で、「文字」「言葉」を意味する。インドでは、ヴェーダ聖典もしくは、その本文であるサンヒターを指す。転じて、神秘的な力を持つ言葉。

剣の教義

 暴力が支配する現代では、暴力の終結という最高の条項を肯定するとは、だれも考えない。だから、暴動を伴った「非協同運動」の進行を妨げないようにという忠告の手紙が、匿名で私のもとへ届く。また、他の者は、私が密かに暴動を画策しているに違いないと思い込んで、公然と暴力を宣言して、暴力を享受するときはいつくるのかと尋ねてくる。イギリス人は、公私どちらにおいても暴力以外のいかなるものにも屈しないと私に言う。また、聞いた話だが、私は決して本音を言わず、インドでもっとも腹黒い人間であり、大抵の人と同様に暴力を信仰しているのは疑いの余地もないと信じている人もいるそうである。
 剣の教義が、人類の大多数を支配しているということは、このようなものである。そして、「非協同運動」が成功するかしないかは、主として暴力を行使するかしないかで決まることなので、多数の人々の行動に影響を与えるこの点について、自分自身の意見をできるだけ明確に述べておきたいと思う。
 もし、怯懦(きょうだ)と暴行のうちいずれか一つを選ばなければならないとしたら、私はきっと暴行をすすめるだろう。だから、1908年に私の長男が襲われて瀕死の目にあったときに、長男が「お父さんがあの場所に居合わせたら、逃げ出して僕を見殺しにすべきであったのか、それとも、行使したくない腕力を使って僕を守るべきであったのか」と尋ねてきたのに対して、「私は腕力を用いてでも、お前を擁護するのが義務であった」と答えたのである。私がボーア戦争*14やズールー反乱*15、そして今度の闘争に参加したのもこれが理由であるし、暴力的手段を信仰する人たちに武術の訓練を進めるのもそうである。私は、インド人が怯懦な態度で自分が受けた不名誉を拭おうともせずに、泣き寝入りを続けているよりは、むしろその名誉を回復するために武器を持って立つことを望む。
 けれども、非暴力は、はるかに暴力に優り、情けは懲罰よりも男らしいということを私は信じている。情けは、武士を飾る。しかし、情けとは懲罰の権力ある強者のみがもつ特権である。無力な弱者が情けをかけるということは意味をなさない。
 猫に食い殺されようとしているネズミが、猫に情けをかけることはない。よって、私はダイヤ将軍とその一味たちに対して、彼らの罪悪に相当する懲罰を加えようと主張する人々の感情がわかる。彼らは、もしできることならダイヤ将軍を八つ切りにしたいと思っているのだ。私は、自分が無力な弱者であるとは思っていない。ただ、私はインドの力と自分の力をより良き目的のために用いたいと考えているだけだ。
 私のいうことを誤解しては困る。力は体力から生ずるものではない。それは、不撓不屈の意思から生ずるものである。普通のズールー人は、体力ではイギリス人よりもはるかに優れている。ところが、ズールー人は、イギリス人の少年を見ると怖がって逃げる。それはその少年の持っている拳銃、または少年のために拳銃を用いる人をおそれているからである。彼らは、死を恐れているのだ。したがって身体がたくましいのに似合わず臆病なのだ。私たちは、このインドにおいて、10万人のイギリス人が3億人の人間を脅かす必要のないことをすぐに悟るであろう。したがって、思い切った情けは、私たちの力の確認を意味する。文化的な情けと同時に、私たちの心の中に、ダイヤやフランク・ジョンソンのような輩によって、敬虔なインド人に再び侮辱を加えないような強大な力の波が起こらねばならない。現在、私が自分の目的を達成できないことは、私にとって何でもないことだ。私は、腹を立てず恨みを抱かずにいるには、あまりにも度を越して踏みにじられていると感じる。それでも、インドは懲罰の権力をふりかざすことによって、利益を得ると公言することは避けなくてはならない。私たちは、世界のためになすべき良き仕事と、しかるべき使命を育んでいるのだ。
 私は、夢想家ではない。実行的理想家でありたい。非暴力の信仰は、ただ聖徒や賢者のためにあるのではない。それは、普通の人のためにあるのだ。暴力が動物の法則であるように、非暴力は人類の法則なのだ。動物は精神が眠っていて、動物は物的な法則以外を知らない。物の霊長である人間は、次元の高い法則である精神の力に従うことを要する。
 したがって、私はあえてインドに自己犠牲という古い法則を提供したのだ。なぜならば、サチャグラハおよびそこから生まれた「非協同運動」や「市民的不服従」は、これまでの法則の新しい呼び名に過ぎない。暴力が支配する世の中において、非暴力の法則を見出した聖者たちは、ニュートンより偉大な天才であった。彼らは、ウエリントンより偉大な戦士であった。武器の使用の限界を知った彼らは、それらが無用なことを悟り、悩める世界に向かって、救いは暴力ではなく、非暴力に内在することを教えたのである。
 精力的な非暴力は、意識的な受難を意味する。これは、悪をなす者の意思におとなしく服従することを意味してるわけではない。私たちの全精神を掲げて、圧制者の意志に反抗することを意味する。人類のこの法則に従って行動するならば、一個人で不正な国家の全権力に反抗し、その名誉、宗教、霊魂を救い、国家の没落もしくは、再生の基礎を打ち建てることができる。
 したがって、私はインドが弱いから非暴力を実行せよというのではない。私は、インドがその力を自覚して、非暴力を実行することを望む。インドが自己の力を自覚するのに、いかなる軍隊的訓練も必要ない。私たちは、自己をひと塊の肉片であると考えるから、そんなものを必要だと思うのだ。私は、インドがあらゆる物質的弱点を超越して、凱歌を掲げ、全世界の物質的連合を蔑視することで、得る不滅の霊魂を持っていることを自覚することを望む。
 猿の群を引連れた人間ラーマ*16が、ランカ島の怒濤によって保護されている傲慢な10個の頭を持ったラーヴァナの力に対抗するという物語は何を意味しているか。この話は、精神力が物質力を征服することを意味しているのではないか。しかし、私は実行的理想家として、インドが政治界において精神力を発揮するまで待ってはいられない。インドは自己が無力であると考えてイギリスの機關銃や戦車、飛行機の前に萎縮した。そして、インドは自己が無力であるから「非協同運動」を採用した。この「非協同運動」はこれらの武器と同じ目的に役立つに違いない。すなわち、十分に多数のインド人が実行するならば、イギリスの不正の加担からインドを解放するに違いない。
 私は「非協同運動」をアイルランドのシン・フェイン主義*17と区別する。なぜかというと、「非協同運動」は、暴力と肩を並べて進むことが許されないからである。私は、この平和的な「非協同運動」の使用を武闘派の人々にすすめる。「非協同運動」は、もともと弱いものだから、失敗することはないだろう。手ごたえがないために、失敗することはあるかもしれない。それが、真に危険な時期である。国民的屈辱を耐え忍ぶことができなくなった高潔の士たちが、その怒りを爆発し、暴力に訴えるであろう。しかし、私の知る限りでは、彼らは、自分自身と自分の祖国を不遇な状態から解放することもできずに死ぬ運命にある。もし、インドが剣の教義を採用したら、一時的に勝利を得るかもしれない。しかし、そのときには、インドは私の誇りとはならなくなる。私がインドに愛着を持っているのは、私のすべてをインドに負うているからである。私は、インドが世界に対して、ひとつの使命を持っていることを固く信じている。インドは、盲目的にヨーロッパを模倣してはならない。インドが剣の教義を採用するときは、私の試練のときである。私はその時がこないことを望む。私の宗教は地理的限界を有していない。非暴力の信仰を持っているとき、私がインドに抱いている愛をもしのぐであろう。私の生涯は、インド教の根底であると信じている非暴力の信仰によって、インドのために尽くすことに捧げられるであろう。
 私を信じていない人にあえてお願いするが、私を暴力主義と考えて、暴動を扇動し、始まったばかりの非暴力の闘争の円滑な進行を妨げないようにして欲しい。私は、秘密主義は罪悪であると考えて嫌悪している。ためしに、諸君が非暴力的「非協同運動」を行ってみるとよい。そうすれば、私がなにも隠し事をしていないことがわかるだろう。
(1920年8月11日「ヤング・インディアン」紙掲載)
 
*14 ボーア戦争:イギリスが南アフリカのオランダ系入植者国家、トランスヴァール共和国、オレンジ自由国を併合するために行った戦争で、南アフリカ戦争ともいう。第一次ボーア戦争(1880~1881年)と第二次ボーア戦争(1899~1902年)があるが、ふつうは後者を指す。
*15 ズールー戦争:1879年にイギリスと南アフリカのズールー王国との間で戦われた戦争である。この戦争は幾つかの血生臭い戦闘と、南アフリカにおける植民地支配の画期となったことで有名である。
*16 ラーマ:古代インドの大長編叙事詩「ラーマーヤナ」の主人公であるラーマ王子のこと。この叙事詩では、ラーマ王子が、誘拐された妻シーターを奪還すべく大軍を率いて、ラークシャサの王ラーヴァナに挑む姿を描いている。
*17 シン・フェイン主義:1905年に結成されたアイルランののナショナリズム。「シン・フェイン」は、「我ら自身」という意味。

親愛なる女性たちへ

 9月30日、インド国民会議派は、外国製布の非買運動を徹底的に行うという重大な決議をしました。この非買運動は、7月31日にバール・ガンダール・ティラク*18を記念する日のために、ボンベイにて犠牲の火が灯ったのと同時に始まりました。私は、あなた方女性たちがうつくしいと大切にしている高価なサディ、そして、その他の衣類の山に火をつける名誉を頂きました。あなた方が、高価な衣類を捨て去ったのは、正しく賢明なことであったと思っています。あの衣類を焼き払ったことは、もっとも経済的にあの衣類使用したことになります。なぜならば、伝染病の細菌が付着したものを焼却することは、伝染病の対策としては、もっとも経済的であるからです。衣類を焼き払ったことは、国家規模での重大な疫病を予防するために必要な外科手術だったのです。
 インドの婦人たちは、過去1年間、インドのために大変献身的に仕事をしてくれました。あなた方は、慈悲の天使として、無言で働いてくれました。お金や高価な宝石類をすべて手放してくれました。寄付金を集めに、家に訪問したときに、あなた方の中には、見張りの手伝いをしてくださった人さえいました。また、以前までは、美しい柄の服を着用して、日に何度も着替えをする人たちでさえも、今では婦人がもつ本来の純潔を思わせる真っ白で、ただ少し重い国産の綿製の服を着ています。これらのことを、あなた方は、インドのために、キラファット*19のために、パンジャーブ*20のために行っているのです。あなた方の行為は、一点の非難すべきところがありません。あなた方の行動は、怒りや憎しみでけがされていない、最高に純潔な犧牲でした。全インドで行われている、あなた方から生まれたこの自然な、そして、美しい感情は、神が私たちと共におられることを確信させてくれたことを告白します。多くのインド女性たちが、進んで手助けしたいと思っている事実は、私たちの闘争が、私たち自身の自己浄化を意味していることの何よりの証拠です。
 これまで、あなた方の多大な援助がありましたが、今後はより一層の援助を頂かなければなりません。男性諸君は、スワラジ*21基金へ多くのお金を負担してくれました。しかし、スワラジの完成には、あなた方の負担があってこそ完遂するのです。もし、あなた方が、外国製の衣類のすべてを捨て去らないのならば、非買運動は不可能なことです。外国製衣類への嗜好が続く限りは、完全な非売運動にはなりえません。すべてを捨て去ることこそ、非買運動が、完全な拒否を意味することになります。神が授けてくれた子供をありがたく思い、満足しているように、インドで生産された衣類に満足するようにならなければなりません。他人が見れば醜く思える子供でも、自分の子供を棄てる母親はいないでしょう。愛国心を持っているインドの女性たちは、インドで生産された衣類にも、子供と対峙するのと同じ気持ちを持たなければなりません。そして、インド人が手で紡ぎ、手で織ったもののみが、インドの製品と見なされるべきです。運動の過渡期には、あなた方は、ただカディ*22を大量に所有するだけでしょう。しかし、あなた方は、そのカディに、おしゃれな装飾を付け加えることができるのです。そして、もしあなた方が、数カ月の間粗末なカディで満足するならば、ゆくゆくは、かつて羨望の的であった昔と同じようなきれいで美しい模様の着物を手に入れることができるでしょう。さらに6ヶ月も耐え忍べば、私たちが今日見放している衣類を過少評価していると気が付き、真の芸術は、形式のみに重きを置くのではなく、形の裏にある機能にも重きを置くものだということをきっと理解してくれるでしょう。世の中には、生命を奪う芸術もあれば、生命を与える芸術もあります。西洋や極東から輸入された素晴らしい織物は、文字通り、私たちの数百万の同志を殺し、数千人の私たちの愛する女性たちを恥の生活に導いたのです。真の芸術は、製作者の幸福と満足と純潔を表現したものでなければならないのです。もし、あなた方が、インドにこのような芸術を復活させたいならば、多くの人がカディを着なければなりません。また、スワラジの計画を成就するには、カディを使用するだけが必要なのではなく、暇なときには、あなた方は一人残らず糸を紡ぐことが絶対的に必要なことです。手紡ぎは、昔からの伝統で、あなた方女性たちが負わなくてはならない仕事です。200年前には、インドの女性たちは、国内の需要に応じるためだけでなく、海外の需要に応じるためにも手紡ぎをしたのです。彼女たちは、粗末な製品ばかりではなく、世界でも類を見ない、最高に素晴らしい織物を紡いだのです。どんな機械を使用しても、私たちの先祖が紡いだようなきれいな糸は作れませんでした。もし、これからカディの需要に応じようとするならば、あなた方は、紡績クラブを作り、紡績共進会を開き、手紡ぎ糸でインドの市場を埋め尽くさなくてはなりません。この目的を達成するために、あなた方は、糸の紡ぎ方、糸の梳き方、糸車の使い方に熟練しなければなりません。これは、絶え間のない労働です。あなた方は、糸紡ぎを生活の手段とは考えないでしょう。しかし、中流階級の人々にとっては、家族の収入の補いとなり、困窮する人々にとっては、疑いもなく生活の手段となるはずです。かつて、糸車が婦人たちの良き伴侶であったように、今日もそうなるようにしなければなりません。この文章を読んでいるあなた方は、義務として、そして、ダルマ*23として成さなければなりません。もし、裕福なインドの女性たちが、毎日少しでも糸を紡げば、糸の値段は安くなり、必要な精巧品もただちに供給されるようになるでしょう。
 このように、経済的・精神的な救いが、あなた方の両肩にかかっているのです。インドの将来は、あなた方の膝の上に横たわっているのです。したがって、あなた方は、未来のインド国民の教育者であると言えます。あなた方には、インドの子供を純粋で、神を敬う、勇敢な大人に育て上げる力があります。一方で、子供たちを甘やかして人生の荒波を乗り越えることのできない人間、外国の美しい服を身にまとい、大きくなってその衣類を棄てようと思っても、棄てることができない軟弱な人間に育ててしまうことも可能です。インドの女性たちがいかなる可能性を持っているか、今後数週間で分かるでしょう。あなた方が、どのような選択をするか疑う余地はありません。インドの運命は、インドを自暴自棄に陥らせ、富を搾取した政府の手中にあるよりも、あなた方の手中にある方が、よっぽど安全であるからです。
 私は、多くの婦人会で、あなた方がこの国民的努力を祝祷してくださるようにお願いしました。あなた方の純潔と真摯と敬虔が、きっと効果のある祝祷を行ってくださると信じているからです。外国製衣服を棄て、暇な時間には、休む間もなく国家のために糸紡ぎをされることによって、祝祷が豊かな実を結ぶことを、絶対的に信じていいのです。
 
*18 バール・ガンダール・ティラク:バール・ガンダール・ティラク(1856年7月23日~1920年8月1日)は、インドの教師であり社会改革者、またインド独立運動で活躍した政治指導者でもある。特に、「インドの自治」を意味する「スワラジ」を最初に唱えた指導者でもあり、インド人からは「インド人のリーダー」の愛称で呼ばれている。
*19 キラーファット:インドのムスリム(イスラム教徒)であるムハンマド・アリー・ジンナー(1876年12月25日~1948年9月11日)が始めた反英運動。ジンナーは、基本的には親英的な態度であったが、1919年、オスマントルコ帝国皇帝スルタン・カリフに、イギリスおよびフランスが抑圧的なセーブル条約を押し付けたことに対して、ムスリムとして反発した。このときに、オスマントルコ帝国皇帝を支援するために開始した運動がはじまりである。
*20 パンジャーブ:インドとパキスタンの国境地帯で、インドとパキスタンそれぞれにパンジャーブ州が存在する。印パ分離以前は両国の州は一体の地方であり、ムスリムが多数を占めていた。
*21 スワラジ:スワラジ(Swara)は、「Swar(自分で)」と「Ra(統治)」を合わせた言葉で、「自分を治める、自己の支配」と言う意味がある。イギリス統治下のインドでは、独立運動において、国民会議派がスローガンとして用いた。
*22 カディ:手紡ぎし、手織りした完全に手作りの生地のこと。
*23 ダルマ:古代インドの聖典で説かれる「法」のこと。法律よりもはるかに幅が広い意味を持ち、宗教的・道義的な義務をも含んでいる。

非暴力

 非暴力を主張する人は、自分を傷つけた人に対して怒らないだろう。非暴力を主張する人は、自分を傷つけた人が危害を受けることさえも望まないし、その人の幸福を願うものだ。非暴力を主張する者は、自分を傷つけた人を罵倒しないし、傷つけもしない。非暴力を主張する者は、悪事を働く者の全ての害悪を堪え忍ぶだろう。このように、非暴力は完全に無害である。完全な非暴力は、全ての生物に対して、まったく悪意を持たないことだ。だから、非暴力は、人間以外の生物さえも愛し、人間に有害な虫や動物でさえも駆除したりしない。これらの生物は、人間の破壊的欲望を満たすために作られたのではない。もし、人間が神の考えを知ることができるならば、神が有害な生物たちを創造した意味を理解できるだろう。つまり、非暴力の実質上の形は、全ての生物に対する善意である。非暴力は、純粋な愛のことである。インド仏教の様々な聖典やバイブル、コーランの中に説かれている愛そのもののことである。
 非暴力は、完全な状態であり、全人類が自然に、そして、無意識的に行うべき目標である。人は、罪のない人間になることはできても、神になれはしない。まったく罪のない人間になった場合でも、その人間は、ただ真の人間になるだけのことだ。現在の状態では、私たち人間は、半人半獣の状態である。つまり、人間は、無知傲慢にも人類の目的を完全に果たしていると勘違いして、暴力に対して暴力をもって対抗することで、憎悪を増している。私たちは、復讐こそが、さも人類の規範であるかのように信じて行動するが、どの経典にも、復讐が義務であるとは書いていない。復讐は、許容されるべきものであると書いているにすぎない。むしろ、義務と明示されているのは、抑制の方である。復讐は、十分に吟味して行うわがままであり、抑制こそが、人間の規範である。なぜならば、真の人間へは、たゆみない抑制がなくては、達せられないからだ。したがって、抑制こそが、人間が人間である所以なのだ。
 非暴力であろうとする目標は、いつでも私たちから逃げて行く。目標へ進めば進むほど、私たちの無価値が浮き彫りになる。満足は、目的達成にあるのではなく、努力の過程にある。十分な努力は、十分な勝利なのだ。
 よって、私が目的達成から遠ざかっていることを認めてはいるが、私が言及する完全なる愛の規範とは、すなわち、人間の規範でもあるのだ。私は、非暴力に挑戦する度に失敗しているが、その失敗によって、私の努力は、より一層決然たるものになる。
 しかし、私は、国民会議やキラーファットを利用して、愛の法則を説こうとしてはいない。私は、自分自身の限界を知っている。私は、自分の考えが、失敗の運命を辿っていることも知っている。老若男女すべての人々に、同時に愛の規範を遵守させようとするのは、この規範の持つ作用というものを知らないからだ。しかしながら、私はあえて国民会議の演壇から、この愛の規範の結論である非暴力を説く。国民会議やキラーファットに採用されている非暴力は、愛の規範が包括しているうちのごくごく断片に過ぎないのだ。真に愛の規範を実行する者がいれば、すぐに非暴力を適用することができる。非暴力は、愛の規範と同様の性質でなければならない。湖のうちの一滴の水の分析は、湖全部の水と同様の分析結果を与えるはずである。私が、抱いている同胞に対する非暴力の性質は、宇宙すべてに対する非暴力の性質と相違があってはならない。私が自分の同胞達に与える愛を宇宙全体に捧げるとき、その性質は同様のものでなければならない。
 非暴力が限られた時間と場所のみに適用されるとき、それは策略という。だから、完璧な策略は、十分な非暴力の実行である。策略として誠実になることは、それが続く間は、信条としての誠実と変わりはない。誠実を策略としている商人は、誠実を信条としている商人と同じ尺度、同じ品質の商品を客に売るだろう。策略的な商人は、支払いを受けない時に誠実を放擲する一方で、誠実を信条としている商人は、たとえすべてを失おうとも、誠実を続ける、その点がこの二人の商人の違いである。
 反イギリス者の策略的非暴力は、多くの場合において、この種の試練に耐えられない。そこで、闘争が長引くのである。だれも強情なイギリス人の性質を非難しない方が良い。彼らの強情な力は、愛の火の中で溶解してあげなければならない。私はこのことを知っているから、自分の思想から逃げ出すことはできない。イギリス人、あるいは、他の人たちを変えることができないのは、愛の火があるにしても、それが十分強くないからなのだ。
 非暴力は、強くある必要はないが、真なものでなければならない。私たちが非暴力を主張する限りは、イギリス人や彼らに賛同する者に害を与えようと思ってはならない。ところが、多くの者が、今まで加害の意志を持ってきた。しかし、私たちが加害を実行に移さなかった理由は、単純に私たちが弱かったためなのか、それとも、単に物理的な加害を抑制することこそが、私たちの非暴力の宣誓の成就にあたるという、無自覚な信念からであった。非暴力の宣誓は、将来の復讐の可能性も排除するものである。残念ながら、私たちの中には、復讐の日を延期しているだけのように見える者もいる。
 誤解しないで欲しいのは、私が非暴力の政策を放棄する時に、復讐の可能性を排除するとは言っていないことだ。しかし、非暴力の政策は、私たちの闘争が首尾よく終結を告げた後には、将来の復讐の可能性を完全に排除する。だから、私たちが非暴力の政策を掲げている間は、イギリス人やその賛同者に積極的な親善を保つ義務があるのだ。インドのある地方では、イギリス人やその賛同者が、街中を歩くのが危険であったという話を聞いた。このとき、私はひどく恥ずかしく思った。最近のマドラスでの集会で起こった不名誉な光景は、非暴力の完全な否定であった。議長が、私のことを侮辱したと思って、議長席から彼を引きずり下ろした人々は、自分自身でその政策に泥を塗ったのだ。彼らは、友人であり援助者であるアンドリュース議長の心体を傷つけたのである。そして、同時に自分たちの主義主張をも傷つけたのである。もし、議長が、私をならず者だと信じているとすれば、彼はそう言及する権利があったのだ。暴力を行使した人たちの怒りは無知から生じた。反イギリス者は、もっと強い怒りをも耐え忍ぶことを誓っている。私が、ならず者らしく振舞うならば、その場で議長に激怒していただろう。そうすれば、あらゆる反イギリス者を非暴力の誓いから解放するのに十分であっただろう。また、反イギリス者すべての人を私が誤った人生へ導きつつあるのだと考えても、仕方がなかっただろう。
 このように、不完全な非暴力を養成することさえも、多くの場合、不可能かもしれない。人民が、自己の利益を無視して、敵に危害を加えないようにしようと思わなくなることを、期待してはいけないのかもしれない。もし、そうだとしたら、私たちは、闘争において「非暴力」という言葉を、棄て去らなければならないだろう。しかし、だからといって、すぐに暴力に頼ってはいけない。それでは、人民が非暴力の教育を受けたとは言えない。その場合には、私は、チョーリ・チョーラでの流血事件*24の責任を負う義務を感じないだろう。不完全な非暴力をとなえる流派が訳も分からず繁栄して、この種の責任を負う者はいなくなるだろう。
 しかしながら、もし非暴力が、公正と人道の名のために、国民の政策として持続するならば、私たちは文字通り、または、その愛の精神までも汲んで、非暴力を実行する義務がある。
 そして、もし、私たちが非暴力を遂行しようと思い、信じるならば、ただちにイギリス人やその賛同者と和解しなければならない。彼らが、私たちの中にいても絶対に安全と感じ、たとえ、思想や政策の上で私たちの方が前衛的な派閥に属していても、彼らが私たちを友人と見なすことができるように、責任を果たさなければならない。私たちの政治的演壇へ、栄誉ある賓客として、彼らを迎え入れなければならない。私たちは、その方法を捻出しなくてはならない。
 私たちインド人は、インド人以外の人たちを彼らの行為によって、判断するべきである。スワラジを達成するのに必要な非暴力の効果の要点とは、すなわち、非暴力により多くの問題をうまく解決することができるということである。それには、服従の精神をこんこんと説くことが必要である。暴力の福音だけしかしらないチャーチル氏も、アイルランドとインドの問題とは性質が違うと言ったが、まさにその通りである。チャーチル氏の言葉の意味するところは、暴力によって自治への道を勝ち取ってきたアイルランドは、自治を維持するにも、必要によっては暴力で自治を良くしなくてはならないという意味である。一方、インドは、もし実際に非暴力によって、自治を獲得したとしても、非暴力では自治を維持できないので、暴力的手段で自治を維持しなければならないだろうというのである。チャーチルの見解に対して、インドが非暴力主義を示すことで実証しなければ、チャーチル氏は、非暴力による自治の達成を信じないだろう。非暴力主義の達成は、非暴力が社会に浸透した状態の時に成されるものであり、人々が非暴力に共感しない状態である、現在のような武官が支配し、文官が劣勢である状態ならば、不可能である。
 非暴力的手段によるスワラジを完遂した後は、混沌や無政府状態を意味しない。非暴力による自治は、革新的な平和革命であり、一部の政治家から人民の代表者へ、権力が自然と移行する状態で、言うならば、よく発育した樹木から成熟した果実が落ちるように移行しなければならない。さらに言わせてもらうと、このようなことを達成することは、全く不可能であるかもしれない。しかし、私は、非暴力の意味は、何にも勝っていることを知っている。そして、もし現在非暴力を実践している者が、非暴力による統治を作れると信じていないならば、彼らは非暴力を捨てて、性質の異なった他の方法を支持するべきだ。もし、私たちが、武力によってイギリスから権力をもぎ取ることになるだろうと考えて、非暴力に近づいているならば、それは非暴力の宣誓に不誠実であるのだ。
 もし、私たちが非暴力を信じるなら、イギリス人が武力に従順であるように、愛情にも従順であることを信じなければならない。これを信じていない者にとっては、国民会議は数世紀にわたり屈辱を学ぶ学校となるか、もしくは、いまだかつて世界が経験したことのない未曾有な流血革命を学ぶ学校となるだろう。私は、このような類の革命には、加担しない。私は、流血革命を促進する道具には絶対になりたくない。非暴力によるイギリスへの非協同路線か、もしくは妥協的な協同路線、つまり屈辱にまみれた協同への回帰かのどちらか一つを選ぶべきならば、当然答えは決まっている。
192239日「ヤング・インディア」紙掲載)
 
*24  チョーリ・チョーラでの流血事件:インド北部にあるチョーリ・チョーラで、デモを弾圧しようとして警官が発砲したことを発端に、農民たちが警官22人の焼討ちと殺戮を行った事件のこと。

ヒトラーへの手紙

  1939年7月23日
インド・ワルダにて
我が友へ
 人類のために、親愛なるあなたへ手紙を書くように、これまで多くの友からすすめらてきました。しかし、私は、そのすすめを断り続けてきました。なぜなら、どんな手紙を送っても、あなたに無礼であると感じたからです。この手紙に打算的な意図があるわけではなく、あくまでも私の意見で、お願いしたいことがありこの手紙をしたためているのです。
 あなたが、人類を無秩序へ陥らせる戦争を、回避することのできる世界で唯一の人であることは、火を見るより明らかです。あなたにとって、本当は価値ある存在であるかもしれない人たちを、どうしても犠牲にしなくてはいけないのでしょうか。戦争という手段を遠ざけて、その方法で成功をおさめた私の訴えを聞いてはくれませんか。どちらにしても、もしあなたに手紙を書いたことが間違いであったならば、どうぞお許しください。 
あなたの誠実な友より愛をこめて
カラチャンド・ガンジー
 
ドイツ・ベルリン
ヒトラー殿


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