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受動的抵抗の理論と実践

  このインディアン・オピニオン*1の記念号が発刊されるときには、母国インドに到着していないにしても、少なからずフェニックス*2からは遠く離れていることだろう。そこで、置き土産として、この記念号が発行に至るまでの私の心の内にある思想についてお話しようと思う。もし、受動的抵抗がなかったならば、立派な挿絵が付いたこの重要なインディアン・オピニオン記念号は、この世に生まれなかったであろう。過去11年間、インディアン・オピニオンは、質実かつ謙虚な態度で、私たちインド人と南アフリカ人のために貢献してきた。この11年間は、インドが一度は通らなければならない、危急な時代であったと言える。そして、それと同時に全世界の注目を集めた受動的抵抗の発祥と発展を刻み付けた時代でもあった。
 受動的抵抗という言葉は、過去8年間のインド人の社会活動に照らし合わせてみると、適切な言い回しではない。私たちの母国語で「受動的抵抗」という言葉を英語に直訳すると「真の力」を意味する。トルストイ*3は、この言葉を「精神の力」または「愛の力」と呼んだと記憶しているが、まさに的を射ていると思う。
 この「真の力」を突き詰めた場合、金銭的・物質的な利益の追求から距離を置かなければならない。もちろん、暴力からも距離をおかなくてはならない。暴力とは、この偉大な「真の力」の否定形である。「真の力」は、暴力を回避しようとする人々にのみ養われ、使用できるものである。この「真の力」は、個の問題にも全体の問題にも、政治上の問題でも家庭上の問題でも、分野に関係なく適用可能である。この力が多岐分野に広く適用できるのは、この力の持つ永遠性と打ち難い強い力によるものである。この力は、暴力に対して、暴力で報いることができない弱者が用いる言葉であると考えるのは、まったくの誤認である。この誤認は、英語の表現の不完全性から生じるものである。自分が、弱者であると考えている人たちには、この力を用いることはできない。人間には獣性より優れた性質が内在していて、その性質が常に獣性を服従している人のみが、有力な受動的抵抗者となれるのである。
「真の力」と暴力の関係は、ちょうど光と闇の関係のようなものである。政治上の問題においてこの「真の力」が発揮されるには、人民が意識的、無意識的に関わらず、統治されることを望んでいないことが必須である。私たちインド人は、1907年にトランスヴァール*4で制定されたアジア人登録法*5によって統治されることを望まなかった。だから、この法律は、偉大な「真の力」によって、廃止されなければならなかったのだ。あの時、私たちインド人の前には、ふたつの道があった。ひとつは、条例によって服従を強いられて、それに暴力で抵抗する道である。そして、もうひとつは、この条例に規定された刑罰を甘んじて受けいれて、統治者や立法者の情に訴えるまで、私たちに内在しているこの力を奮い起こし、彼らに見せつけて抵抗する道である。耐えて、この条例を廃止するまでには、長時間を要した。これは、私たちの受動的抵抗が、完全なものではなかったからである。
 多くの受動的抵抗者が、この「真の力」の持つ価値を十分理解していない。また、男性の多くが、常に自己の信念を持たなければ、暴力を抑制できない状態であった。この力を使用するには、食べ物や服装について、無頓着と同義である、貧乏に甘んじなければならなかった。これまでの闘争において、すべての受動的抵抗者は(多少の例外はあったかもしれないが)その道に進む覚悟を持った者はいなかったと言える。ある者は、名ばかりの受動的抵抗者であった。この類の人たちは、何の信念も持たずに活動に参加していた。また、確固たる動機のない者が多く、少数ではあるが不純な動機を持った者さえいた。闘争中に、厳重に監視しなければ、進んで暴力を行使しようとする者もいた。闘争が長引いたのは、このためであった。もっと純粋にこの力を用いたならば、救いはすぐに来るはずなのだ。この力を純粋に用いるためには、長い間、各個人が精神的鍛練を行うことが絶対不可欠なことである。この鍛練によって、受動的抵抗者は(完全ではないにしても)ほとんど完全な人間になりえるのだ。私たちは、飛躍的に完全な人間になることはできないが、もし、前言したことが正しいとすれば(私は正しいと思っているのだが)私たちの中にある受動的抵抗の精神が、強ければ強いほど、私たちはより良い人間になる。この力の効用は、疑い難いものであると思う。そして、この力がもっと一般化すると、社会の理想を革新して、ヨーロッパ国民を苦しめている専制政治やアジア諸国の人民を押しつぶして瀕死状態にしている軍国主義までも滅ぼしてしまうだろう。もし、これまでの闘争の中で、限りなく完全に近い受動的抵抗者になる鍛練を行ったインド人が少しでもいたら、その人たちは、自分のためになることばかりに注力するのではなく、もっと真の意味において、広く人類に貢献して欲しい。
 受動的抵抗は、もっとも崇高で、素晴らしい教育である。受動的抵抗は、子供たちに読み書きを教えてから教育するものではなく、読み書きを覚える前から教えるべきである。子供たちは、アルファベットを書き、世俗的な常識を習得する前に、魂とは何か、真理とは何か、精神にはどのような力が潜んでいるかを学ぶべきであるということは、誰も否定できなだろう。人生の闘争の中で、愛によって憎悪を、真理によって虚偽を、受難によって暴力を、簡単に克服できることを子供たちに教えることが、真の教育のあるべき姿である。私が、これまでの闘争の後半に、トルストイ農園*6やフェニックスにおいて、可能な限り子供の教育に力を注いだのは、このような信念に基づいているものである。そして、私がこれからインドに向かう理由のひとつは、受動的抵抗者としての自分の不完全さをなお一層自覚するためである。自分を完全な受動的抵抗者にもっとも近づくことのできる場所は、インドであると私は信じている。
(ガンジーが南アフリカで発行した「インディアン・オピニオン」の記念号(1914年)に掲載した記事より)
 
*1 インディアン・オピニオン:主にインド自治をテーマにした地元新聞紙の名前で、インドと南アフリカで発行された
*2 フェニックス:南アフリカ共和国北東部の都市
*3 トルストイ:レフ・トルストイ(1828年9月9日~1910年11月20日)は、帝国ロシアの小説家であり思想家。19世紀ロシア文学を代表する巨匠であり、文学のみならず、政治・社会にも大きな影響を与えた。非暴力主義者でもあり、ガンジーにも強い影響を与えた。代表作品に「戦争と平和」「アンナ・カレーニナ」「イワン・イリッチの死」などがある。
*4 トランスヴァール:トランスヴァールは、現在の南アフリカ共和国北部に存在した共和国で、ボーア人が建国した。1899年にイギリスの帝国主義的な侵略戦争であるボーア戦争が勃発した。ボーア人は各地でゲリラ闘争による抵抗を続けたが、1902年に敗戦して、トランスヴァール共和国は、滅亡しイギリスの植民地となった。
*5 アジア人登録法:イギリスが統治したトランスヴァール政府が制定した法律で、トランスヴァール在住のすべてのインド人は、指紋を採取され、政府発行の登録証を常時携帯しなければならないとされた。違反した場合、罰金または懲役、もしくは本国に強制送還される。ガンジーは、トランスヴァール在住のインド人とともに、アジア人登録法に対して反対運動を行った。
*6 トルストイ農園:ガンジーが南アフリカに作った農園施設。ガンジーは、この農園を教育の場と考え、職業と手仕事の訓練を子供たちに与えた。また、ガンジーと南アフリカにおけるガンジーの闘争に参加したもの達が、共同生活をする場でもあった。

神、国王、国家

 巡礼中に制服を着た少年に出会った。その制服が外国製の布であるラシャ製であることに気付いた。そこで、その制服は何の制服なんだい、と私は尋ねた。少年は、ボーイスカウトの制服です、と答えた。その答えは、私の好奇心をあおった。そして、少年がボーイスカウトでどんなことをしているのか尋ねた。少年は、神、国王、国家のために働いているのだ、と答えた。
「君が言っている国王とは、誰のことだい?」と、私は尋ねた。
「ジョージ国王*7です」と、少年が答える。
「君は、ジャリアンワラ・バーグ事件*8をどう思っているのかね?もし、君が1919年4月13日に、あの現場にいて、ダイヤ将軍に怯えている同志を射撃しろ、と命じられていたら、君はどうしただろうか?」
「そんな命令には、絶対に従わなかったです。」
「しかし、ダイヤ将軍は、国王が定めた制服を着ていますよ」
「そうです。しかし、将軍は、役所の人です。僕は、役所の人とは無関係です。」
 私は、役所と国王は切っても切り離せない関係であること、そして、国王はイギリス帝国を象徴していて、非人間的で観念化された存在であること、いかなるインド人もイギリス帝国と神を同時に仕うことはできないことなどを、少年に説いた。戒厳令制度によるテロリズムの責任を負うべき国家、悪行を悔い改めない国家、厳粛な義務を破り*9秘密条約を結ぶような国家は、神を持たざる国家に過ぎない。そして、神を持たざる国家に忠誠を誓うことは、神に対して不忠実であることを意味する。
 少年は、当惑していた。
 私は、議論を続けた。インドが、国家を豊かにするために無神的になり、他国の人民を利用し、醸造用のアルコールを輸入し、貿易を拡張したいがために戦争を行い、それらの権力と特権を維持するために詐欺行為を行うならば、神と国家に忠実であるとは言えないのではないだろうか。私たちは、神のために国家を捨ててはいけないのだろうか。少年が、神に対して忠誠を誓っているならば、神以外の何者に対しても同じ意味での忠誠を誓うべきではないと、私は説いた。
 少年の友達たちは、この話に興味を抱いた。そして、少年たちの隊長もやって来たので、彼にも話を繰り返して、少年たちがどんなことにも疑問を持って接する心を育むような教育をして欲しいと頼んだ。興味深い議論は尽きなかったが、少年たちの乗った汽車は、出発した。私は、立派な少年たちに申し訳ない気持ちになった。「非協同」運動*10の持つ深い意味をよく理解して欲しい。人々は、一つの普遍的信条、つまり、神への忠誠心のみを持っているのである。神への忠誠心が、矛盾をはらんでいなければ、国王、国家、人間への忠誠心も含んでいる。しかし、神への忠誠心は、時々盲目的に他のすべてのものを排除する。私は、インドの少年たちが、神への忠誠心について顧みて、もしそれが間違った方向に向いていると気付いたら、その忠誠心を軌道修正することを望んでいる。この心の探求は、精神的痛みを伴うため、少年たちにとっては、この探求に専念することは、たやすい課題ではないだろう。
(1921年3月23日「ヤング・インディア」紙掲載)
 
*7 ジョージ国王:ジョージ5世(1865年6月3日~1936年1月20日)を指す。ジョージ5世は、イギリスならびに海外自治領の国王で、インド皇帝でもあった。
*8 ジャリアンワラ・バーグ事件:ジャリアンワラ・バーグ虐殺事件、別の名をアムリットサル虐殺事件ともいう。1919年4月13日、アムリットサルで、スワデシの要求とローラット法 (インド政庁が発布した、破壊活動容疑者に対する令状なしの逮捕および裁判ぬきの投獄を認めた法)の発布に対する抗議のために集まった非武装のインド人民に対して、イギリス将校であるダイヤ将軍率いるグルカ族およびイスラム教徒からなるインド部隊が無差別射撃した事件のこと。1500名以上の死傷者を出した。
*9  厳粛な義務を破り:1917年、第一次世界大戦のさなかイギリスは、大量の兵士と物資をインドから供給することを引き出すため、インド担当国務大臣モンタギューの宣言によって、第一次世界大戦後、インドに自治を与える約束(漸次自治権)をした。これにより、100万人以上のインド人が、イギリスに奉仕するため、軍隊を派遣した。しかし、1919年に公布されたインド統治法では、州自治の一部が与えられただけで、インド人の期待した自治の約束にはほど遠いものであった。
*10 非協同運動:1920年9月から行われたイギリス支配からの脱却を目的とした運動。イギリス製の商品の非買やインド製の工芸品の使用、誠実を価値基準にしたインド的思想を守ることなど、非暴力的手段による方法を掲げた。

スワデシの誓い

 現在、インドの人々の間に広がっているスワデシ*11は、賛辞に値する。しかし、スワデシは、いまだ志半ばで、これから先も困難が待ち受けていることをインド国民は、十分認識していないように感じる。「誓い」と言う行為は、成就が困難ではない事にのみ行うものである。目的を達成するために努力したが失敗してしまったとき、この目的を成就するために誓いを立て、背水の陣で望むならば、誓いを常に忘れないので、結果として失敗を避けることができる。このように断固たる決意に達していないものは、誓いと呼ぶことはできない。何事かを成そうとする場合に、できるだけやってみようと思って口に出すのは誓いでもなければ、宣言にもならない。スワデシの誓いをできるだけ守ろうと思っただけで、スワデシの誓いを立てたことになるなら、総督から労働者、大勢の人民まで、スワデシの誓いを立てていないものはごく少数ということになるでしょう。しかし、私たちは、この状況を棄てて、より高い目的を目指している。私が考えている行為と先述の行為との間には、天と地ほどの大きな隔たりがある。そして、私の考えに基づいてスワデシの誓いを立てるならば、以下に記述するように、大きな誓いを立てることにはならないはずだ。
 長い間、この点について考えた結果、私が完璧に成し遂げられるスワデシの誓いは、衣類(木綿、絹、毛織物)に関してのみであると結論付けた。ただし、この誓いを守るにしても、多くの困難に立ち向かわなくてはならないのは当然のことである。私たちが、外国製の織物を擁護するのは、深い罪を犯すことに等しいことだ。農業の次に重要な職業に従事するカビール*12を見捨てて、彼の生きる意味を奪ったのだ。
 私の考えでは、スワデシの誓いは、この誓いを立てることで贖罪を成そうとしている人や失われつつある手織物工の復興をはかろうとする人、そして、毎年外国製布と交換することで失われる一万ルピーを取り戻そうとしている人の希望を意味しているのだ。このような偉大な目的に対しては、困難を伴わずには達成できないし、当然その過程に障壁もある。容易に手に入るものは、実際には何の価値もない。誓いを守ることがどんなに困難であっても、十分努力するならば、いつの日かその誓いは達成するでしょう。そして、外国製布を使用しないことが宗教的義務であると考えて、純国産の衣類のみを用いたときに初めて、私たちはこの誓いを果たすことができるのである。
 
 早急な発展
 友人たちは、現在の国産織物の生産量が少なすぎるし、また、工場もわずかしかないから需要を満たすには足りないと主張する。私は、それは早急な発展だと感じている。スワデシを誓う者が、3万人になるというような幸運を期待することはできない。楽天的な人が、数十万人以上のスワデシ誓約者がいると明言する状況になれば、需要に間に合うような国産織物を供給することは可能であると思う。しかし、宗教上の観点からも、困難な場合がある*13。
 一般的にインドの気候では、薄着で差支えない。中流階級の人口のうち、4分の3が、必要以上の衣服をたくさん持っていると言っても、過言ではない。多くの人々が、誓いを立てるならば、糸車や手織物機がたくさん作ることができるでしょう。多くの織物製造者が、インドにできるだろう。彼らは、いま座して待っているだけである。重要なことが二つある。それは、克己心と誠実さである。誓約者が、この二つの性質を持っていなければならないことは今さら言う必要はないが、人民にもこのような誓いを簡単に守ることができるように、商人たちもこの二つの性質に恵まれていなければならない。誠実で克己心のある商人は、インド製の絹からのみ糸を紡ぎ、インドの糸からのみ織物を織り、インド製の染料のみを用いるでしょう。人は、何かを成そうとするときには、その過程で困難を排除するための必要な能力を養成するものだ。
 
すべての外国製布を破棄せよ
 私たちは、できる限り衣類を棄てるだけでは不十分である。スワデシの誓いを完全に守るには、私たちの所有するすべての外国製布を破棄する必要がある。もし、私たちが外国製布を使用することが誤りであったこと、外国製布がインドに莫大な損害を与えたこと、織物製造者の階級を皆無としたことを理解するならば、このような罪悪のけがれにまみれた外国製布を破棄するほかはないはずだ。ここで、スワデシとボイコットの違いを理解する必要がある。スワデシは、宗教的な観念であり、すべての人に課せられる当然の義務でもある。スワデシの誓いを懲罰や復讐の精神ととらえるべきではない。スワデシの誓いは、外面的な幸福を目的とするものではない。一方で、ボイコットは政治的な完全に世俗的な武器である。ボイコットは、悪意と責罰の願望に根ざしているものだ。そして、私は、ボイコットを懇願する国民は、終末という結果をむかえるほかはないと思う。サチャグラハ*14をなそうとする者は、いかなるボイコット運動にも参加しない。また、サチャグラハをなすには、スワデシなくしては不可能である。これまでは、ローラット法案が撤去されるまでは、イギリス製品をボイコットしなければならなず、同法案の撤去と同時にボイコットは終結すべきであるという意見も多数ある。しかし、このようなボイコットの計画では、日本やイギリス以外の外国製品は、用いても良いということを意味する。外国製品を用いて良いのであれば、私たちは外国製品を正当化しているとみなされるであろう。イギリス製品のボイコットを宣言する以上、私たちはイギリス人を罰したいという願望を持っていると思われても仕方がない。しかし、私たちは、イギリス人と争っているのではない。私たちは、統治者たちと争っているのだ。しかし、サチャグラハの法則に従えば、私たちは、統治者に対しても悪意を持ってはならない。そして、悪意を持ってはならないのだから、ボイコットを支持するのは正しいとは言えないのだ。
 
 スワデシの誓い
 上述のように制約の多い、スワデシの誓いであるが、これを完全に守るには、次のような誓約文をみなさんに進めたい。
「私は今日から、自分の使用する衣類は、インド製の綿、絹、羊毛を使用し、インドで製造された衣類のみを用いて、外国製衣類の使用をやめ、所有する外国製衣類は、全部破棄することを、神を証人として誓います」

 スワデシの誓いを遵守するためには、手紡ぎ糸を用いて作られた手織りの衣類のみを用いる義務がある。インドの綿で紡がれて、インドで織られた衣類でも、その糸が輸入されたものであるなら、それは完全なスワデシの衣類とはいえない。インドにおいて、国産の綿を国産の糸車で紡いで得た糸を、国産の織り機で織ったときに、初めて完全なスワデシの衣類となる。たとえ、私たちが輸入品の機械で織った衣類を用いた場合でも、先述の誓いに当てはまることになるが、完全なスワデシにはならない。
 先述した制約のあるスワデシの誓いは、国産の衣類のみを用いるだけでは、まだ不十分であることに言及したい。そして、誓約者は、スワデシの誓いを他のすべての物に適用していくと良い。
 
イギリス人の所有する工場
 インドには、インド人が入れないイギリス人所有の工場があるということを聞いたことがある。もし、その話が本当なら、私はこのような工場で製造された衣類は、外国製衣類であると見なしている。また、この種の衣類は、悪意のけがれが染みついているものだから、品質が良くても、使用を避けなければならない。
 多くの人々は、インドの工場で作った織物を使用すれば、スワデシの誓いの必要条件にあてはまると信じている。美しい織物は、インド以外で紡がれた外国製の綿から作られるものである。だから、インドの工場で作った織物を使用することで得られる満足は、インドで織られたという事実だけである。手織機を使用したとしても、とても美しい織物には外国製の糸のみを用いるものだ。このような織物の使用は、スワデシの誓いに反するものである。サチャグラハは、スワデシにおいても必要である。男性が「下着一枚であっても純国産織物を用いる」と考え、女性が「品位を少し保つだけのために外国製衣類を着るということができなくなっても、純粋なスワデシを守る」と考えて、はじめてスワデシの誓いを果たすことができる。もし、数千人がこの精神をもって、スワデシを誓うならば、他の者もこのような精神を模倣するだろう。そのとき、彼らは、スワデシの希望となって、棄てる衣類を見つけるために、タンスを探索しはじめるだろう。多くの快楽や装飾に執着しない者が、スワデシ運動を進めるための大きな原動力となることを言及したい。
 
経済的救済のカギ
 インドでは、一般に織物製造者がいない村は存在しない。古くから、インドの村には、大工、靴屋、鍛冶屋などと共に、農夫と織物製造者がいた。ところが、農夫は、極度の貧困に陥り、織物製造者は貧民階級の専業となった。彼らにインドで紡いだ綿の糸を供給するならば、私たちは必要な織物を得ることができる。当分の間、織物の品質は粗末かもしれない。しかし、不断の努力によって、織物製造者は、きれいな織物を作れるようになる。したがって、織物製造者の地位を向上することができるでしょう。そして、さらなる一歩を進めるならば、道にある様々な困難を突破することができる。私たちは、容易に女性や子供たちに紡織を教えることができるのであり、家庭で織った着物ほど純潔なものは得難い。自身の経験を通して、この方法により多くの困難を除去し、多くの不必要な要求がなくなり、生活が歓喜と美で満ち満ちることだろう。私は、常に耳元で聖なる声が次のように囁くのが聞こえる。インドでは、昔はこのような生活を送っていて、そんな生活は閑散な詩人の夢想だと言ってくる者がいてもいっこうに構う必要はないのだ、と。今こそ、このようなインドを創造する必要があるのだ。そこに、私たちのプルシャルタ*15があるのではないか。インド中を巡回したが、心を切り裂くような貧民の叫び声は、思わず耳を塞ぎたくなった。老若男女すべての者が、私に対して「安い衣類を手に入れることができない。高い衣類はお金がないから買えない。食べ物も衣類も、その他のすべての物が高価だ。私たちは、どうしたらいいのか」と言っては、顔に絶望の色を浮かべるのだ。このような人民たちに、満足な答えをするのが私の義務である。同時に、国家に奉仕するすべての人の義務である。しかし、私は満足な答えを返せなかった。インドの原料が、ヨーロッパへ輸出されることで、結果的に私たちが高い値段を払わなければならないという事実は、思慮あるインド人にとっては、耐えがたいことでなければならない。そして、これに対して、最初で最後の救済法がスワデシなのだ。私たちは、インドの綿を誰にも売る必要もないのだ。そして、全インドにスワデシが浸透したとき、綿の生産者は、海外で製造させるために綿を売るようになるだろう。スワデシがインド中に行きわたったとき、すべての人が、綿が生産されたその土地で、綿が精錬されて紡織されなければならないと共通認識を持つでしょう。スワデシが持つマントラ*16が民衆の耳に響くとき、数百万人の人民が、インドの経済的救済のカギを握るでしょう。この目的を達成するためには、数百年を要するものではない。宗教的観念が目覚めるならば、人民の思想は、ただちに革命を起こす。無欲の犠牲のみが、絶対的に必要なものである。現在も、犠牲の精神は、インドの空気に満ちている。この絶好の時に、スワデシを実践しなければ、私たちは、後世で臍を噛むことになるだろう。
 私は、すべてのインド教徒、イスラム教徒、シーク教徒、ゾロアスター教徒、キリスト教徒、およびインド国民としての信念を持つ人々が、スワデシの誓いを成し、また、他人にも同じ誓いを立てるように説得することを願っている。私たちが国家のためにこんな些細なことができないなら、この国に生まれたことをむなしく思うしかない。頭の良い人たちは、このようにスワデシが純粋な経済的意義を持っていることを知るでしょう。私は、老若男女すべての人が、私の謙遜な暗示を真面目に考慮してくれることを望んでいます。イギリス経済の模倣は、必ず私たちを破滅へ導くでしょう。
(この二つの論文は、ガンジーがボンベイでスワデシの誓いをなすことを決心した前日に、インドの新聞に発表したものである)
 
*11   スワデシ:「スワ(自分の、固有の)」と「デシ(土地、国)」を掛け合わせた言葉で、「自国の」を意味する。民族が真に独立するために、外国の産業や製品に頼らないで自国の工業の復興を掲げた運動を指す。
*12 カビール:インドの宗教革命者。捨て子となっていたところを、不可触民の織物製造者でイスラム教徒のニール夫妻に拾われて育った。自らも織物製造者として働いていた。宗教家としてヒンズー教とイスラム教の影響を受け、カースト批判や一神教の思想を広めた。
*13 宗教上の観点からも、困難な場合がある:インドではカースト制度の影響で、衣類を作る階級が決まっているため、必要な数量の衣類が製造されないということを意味してると推測できる。また、階級によって着用する衣類品が異なっており、階級によっては、十分な供給量の衣類品が製造されないという意味とも取れる。
*14 サチャグラハ:ガンジーの行った不服従運動で「サッティヤー(真理)」と「アーグラハ(主張)」を掛け合わせ言葉で、「真理の主張」を意味する。ガンジーは、非暴力や不服従だけでなく、特に意識されることのない習慣や良識の中にサチャグラハはあると考えていた。
*15 プルシャルタ:古代インドより伝わる、人生の4つの目的を指す。4つの目的は、①ダルマ:社会における個人の正しいあり方、②アルタ:仕事をし、必要な富を得て蓄積すること、③カルマ:情熱や希望を満足させること、④モクシャ:神の意志を通じた解脱を目指し、努力することである。
 *16 マントラ:サンスクリット語で、「文字」「言葉」を意味する。インドでは、ヴェーダ聖典もしくは、その本文であるサンヒターを指す。転じて、神秘的な力を持つ言葉。

剣の教義

 暴力が支配する現代では、暴力の終結という最高の条項を肯定するとは、だれも考えない。だから、暴動を伴った「非協同運動」の進行を妨げないようにという忠告の手紙が、匿名で私のもとへ届く。また、他の者は、私が密かに暴動を画策しているに違いないと思い込んで、公然と暴力を宣言して、暴力を享受するときはいつくるのかと尋ねてくる。イギリス人は、公私どちらにおいても暴力以外のいかなるものにも屈しないと私に言う。また、聞いた話だが、私は決して本音を言わず、インドでもっとも腹黒い人間であり、大抵の人と同様に暴力を信仰しているのは疑いの余地もないと信じている人もいるそうである。
 剣の教義が、人類の大多数を支配しているということは、このようなものである。そして、「非協同運動」が成功するかしないかは、主として暴力を行使するかしないかで決まることなので、多数の人々の行動に影響を与えるこの点について、自分自身の意見をできるだけ明確に述べておきたいと思う。
 もし、怯懦(きょうだ)と暴行のうちいずれか一つを選ばなければならないとしたら、私はきっと暴行をすすめるだろう。だから、1908年に私の長男が襲われて瀕死の目にあったときに、長男が「お父さんがあの場所に居合わせたら、逃げ出して僕を見殺しにすべきであったのか、それとも、行使したくない腕力を使って僕を守るべきであったのか」と尋ねてきたのに対して、「私は腕力を用いてでも、お前を擁護するのが義務であった」と答えたのである。私がボーア戦争*14やズールー反乱*15、そして今度の闘争に参加したのもこれが理由であるし、暴力的手段を信仰する人たちに武術の訓練を進めるのもそうである。私は、インド人が怯懦な態度で自分が受けた不名誉を拭おうともせずに、泣き寝入りを続けているよりは、むしろその名誉を回復するために武器を持って立つことを望む。
 けれども、非暴力は、はるかに暴力に優り、情けは懲罰よりも男らしいということを私は信じている。情けは、武士を飾る。しかし、情けとは懲罰の権力ある強者のみがもつ特権である。無力な弱者が情けをかけるということは意味をなさない。
 猫に食い殺されようとしているネズミが、猫に情けをかけることはない。よって、私はダイヤ将軍とその一味たちに対して、彼らの罪悪に相当する懲罰を加えようと主張する人々の感情がわかる。彼らは、もしできることならダイヤ将軍を八つ切りにしたいと思っているのだ。私は、自分が無力な弱者であるとは思っていない。ただ、私はインドの力と自分の力をより良き目的のために用いたいと考えているだけだ。
 私のいうことを誤解しては困る。力は体力から生ずるものではない。それは、不撓不屈の意思から生ずるものである。普通のズールー人は、体力ではイギリス人よりもはるかに優れている。ところが、ズールー人は、イギリス人の少年を見ると怖がって逃げる。それはその少年の持っている拳銃、または少年のために拳銃を用いる人をおそれているからである。彼らは、死を恐れているのだ。したがって身体がたくましいのに似合わず臆病なのだ。私たちは、このインドにおいて、10万人のイギリス人が3億人の人間を脅かす必要のないことをすぐに悟るであろう。したがって、思い切った情けは、私たちの力の確認を意味する。文化的な情けと同時に、私たちの心の中に、ダイヤやフランク・ジョンソンのような輩によって、敬虔なインド人に再び侮辱を加えないような強大な力の波が起こらねばならない。現在、私が自分の目的を達成できないことは、私にとって何でもないことだ。私は、腹を立てず恨みを抱かずにいるには、あまりにも度を越して踏みにじられていると感じる。それでも、インドは懲罰の権力をふりかざすことによって、利益を得ると公言することは避けなくてはならない。私たちは、世界のためになすべき良き仕事と、しかるべき使命を育んでいるのだ。
 私は、夢想家ではない。実行的理想家でありたい。非暴力の信仰は、ただ聖徒や賢者のためにあるのではない。それは、普通の人のためにあるのだ。暴力が動物の法則であるように、非暴力は人類の法則なのだ。動物は精神が眠っていて、動物は物的な法則以外を知らない。物の霊長である人間は、次元の高い法則である精神の力に従うことを要する。
 したがって、私はあえてインドに自己犠牲という古い法則を提供したのだ。なぜならば、サチャグラハおよびそこから生まれた「非協同運動」や「市民的不服従」は、これまでの法則の新しい呼び名に過ぎない。暴力が支配する世の中において、非暴力の法則を見出した聖者たちは、ニュートンより偉大な天才であった。彼らは、ウエリントンより偉大な戦士であった。武器の使用の限界を知った彼らは、それらが無用なことを悟り、悩める世界に向かって、救いは暴力ではなく、非暴力に内在することを教えたのである。
 精力的な非暴力は、意識的な受難を意味する。これは、悪をなす者の意思におとなしく服従することを意味してるわけではない。私たちの全精神を掲げて、圧制者の意志に反抗することを意味する。人類のこの法則に従って行動するならば、一個人で不正な国家の全権力に反抗し、その名誉、宗教、霊魂を救い、国家の没落もしくは、再生の基礎を打ち建てることができる。
 したがって、私はインドが弱いから非暴力を実行せよというのではない。私は、インドがその力を自覚して、非暴力を実行することを望む。インドが自己の力を自覚するのに、いかなる軍隊的訓練も必要ない。私たちは、自己をひと塊の肉片であると考えるから、そんなものを必要だと思うのだ。私は、インドがあらゆる物質的弱点を超越して、凱歌を掲げ、全世界の物質的連合を蔑視することで、得る不滅の霊魂を持っていることを自覚することを望む。
 猿の群を引連れた人間ラーマ*16が、ランカ島の怒濤によって保護されている傲慢な10個の頭を持ったラーヴァナの力に対抗するという物語は何を意味しているか。この話は、精神力が物質力を征服することを意味しているのではないか。しかし、私は実行的理想家として、インドが政治界において精神力を発揮するまで待ってはいられない。インドは自己が無力であると考えてイギリスの機關銃や戦車、飛行機の前に萎縮した。そして、インドは自己が無力であるから「非協同運動」を採用した。この「非協同運動」はこれらの武器と同じ目的に役立つに違いない。すなわち、十分に多数のインド人が実行するならば、イギリスの不正の加担からインドを解放するに違いない。
 私は「非協同運動」をアイルランドのシン・フェイン主義*17と区別する。なぜかというと、「非協同運動」は、暴力と肩を並べて進むことが許されないからである。私は、この平和的な「非協同運動」の使用を武闘派の人々にすすめる。「非協同運動」は、もともと弱いものだから、失敗することはないだろう。手ごたえがないために、失敗することはあるかもしれない。それが、真に危険な時期である。国民的屈辱を耐え忍ぶことができなくなった高潔の士たちが、その怒りを爆発し、暴力に訴えるであろう。しかし、私の知る限りでは、彼らは、自分自身と自分の祖国を不遇な状態から解放することもできずに死ぬ運命にある。もし、インドが剣の教義を採用したら、一時的に勝利を得るかもしれない。しかし、そのときには、インドは私の誇りとはならなくなる。私がインドに愛着を持っているのは、私のすべてをインドに負うているからである。私は、インドが世界に対して、ひとつの使命を持っていることを固く信じている。インドは、盲目的にヨーロッパを模倣してはならない。インドが剣の教義を採用するときは、私の試練のときである。私はその時がこないことを望む。私の宗教は地理的限界を有していない。非暴力の信仰を持っているとき、私がインドに抱いている愛をもしのぐであろう。私の生涯は、インド教の根底であると信じている非暴力の信仰によって、インドのために尽くすことに捧げられるであろう。
 私を信じていない人にあえてお願いするが、私を暴力主義と考えて、暴動を扇動し、始まったばかりの非暴力の闘争の円滑な進行を妨げないようにして欲しい。私は、秘密主義は罪悪であると考えて嫌悪している。ためしに、諸君が非暴力的「非協同運動」を行ってみるとよい。そうすれば、私がなにも隠し事をしていないことがわかるだろう。
(1920年8月11日「ヤング・インディアン」紙掲載)
 
*14 ボーア戦争:イギリスが南アフリカのオランダ系入植者国家、トランスヴァール共和国、オレンジ自由国を併合するために行った戦争で、南アフリカ戦争ともいう。第一次ボーア戦争(1880~1881年)と第二次ボーア戦争(1899~1902年)があるが、ふつうは後者を指す。
*15 ズールー戦争:1879年にイギリスと南アフリカのズールー王国との間で戦われた戦争である。この戦争は幾つかの血生臭い戦闘と、南アフリカにおける植民地支配の画期となったことで有名である。
*16 ラーマ:古代インドの大長編叙事詩「ラーマーヤナ」の主人公であるラーマ王子のこと。この叙事詩では、ラーマ王子が、誘拐された妻シーターを奪還すべく大軍を率いて、ラークシャサの王ラーヴァナに挑む姿を描いている。
*17 シン・フェイン主義:1905年に結成されたアイルランののナショナリズム。「シン・フェイン」は、「我ら自身」という意味。


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