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記事「デジタル授業への賛否/上 慎重派 手で字を書くことが大切」を受けて

★投稿
尊敬する、 菊池省三先生のご意見です。このご意見にしっかりとした反論ができなければ、(デジタル教科書の)導入を推進することはできませんね。

投稿日時:2012年9月9日 0:04

★議論資料
デジタルで学ぼう:デジタル授業への賛否/上 慎重派 手で字を書くことが大切
毎日新聞 2012年09月08日 東京朝刊

★サマリー編集:池田順一、JunkoAzuma

★議論
A 熟読しましたが、反論は難しいと思いました。推進者はむしろこうした意見(現場の状況)は、推進者への叱咤激励なのだと真摯にうけとめて、その対処を考える、デジタル化して良かったねとなるアイディアを出すことが大切なのではないか思いました。たとえば、若い先生たちの授業観が古い、というのは実感です。反論のしようがありません。旧来の授業観に従おうと、びくびくしながら採用試験に臨む学生が多い印象です。推進者は、若い先生のそうした意識を変えてあげなくてはいけないと思います。

B 「手書きが必要だ」という意見には「デジタルでもいい」、デジタル論者には手書き有効の意見をつけようとするあまのじゃくな身としては、2ページ目冒頭(以下に引用)の分析がやや乱暴な決めつけのように思えます。個人的には、手書きかデジタルかではなく、習慣づけができるかできないかが重要と感じます。私自身の経験でいうと、中高で新聞の要約記事にコメントを付けるということをワープロでやってたことがあるのですが、それをやらなくなってから文章力・思考力が落ちたという感覚がありました。デジタルであってもやる意味が無いわけではない。
むしろ手書きの有効性を語るなら、発達段階にかんがみて、ここまでの年代は手書きが必要だという論の方が説得力がある気がします。韓国のデジタル教科書は意図的に小学校低学年を外したそうですし。

==2ページ目冒頭部分の引用
文章が書けない子は、考え方も行動も、人との関係も「雑」です。使う言葉もマイナスの言葉が多い。逆に、言葉を整えて文章を書くことができる子は「丁寧」です。文章が書けるようになると、子供が落ち着きます。字を書きながら子供が自分で考えていこうとするからなのです。それにはやはり鉛筆がいい。
==引用ここまで

C 何の実証的なデータもない迷信の部類ではないかと思います。
私は日本語教育(外国人が対象)の分野の人間なので、日本人の国語学習とは多少の違いがあるかもしれませんが、こちらでは手書き学習にそれほど意味がないことは既にいろいろな研究や発表がなされています。たとえば熊野七絵(国際交流基金)『外交官にとって必要な漢字教育の試み』など。これはウェブでも読めます。

その他、池城恵子(オックスフォード・ブルックス大学)「字型中心と意味中心による漢字学習 短期間で多数の漢字を習得できるか」 でも同じ結論になっていますし、山守雄・杉原 早紀(ハンブルグ大学) 実践報告「日本語集中コース ―漢字―」では2週間で1006文字の漢字導入をおこない、定着率77%というデータを出しています。また、ベトナムのドンズー日本語学校では日本語学習を始める前に2日間で800字の漢字認識を先にやっています。

それほど手書きが必要だと言うなら、その効果を実証的に説明すればいいのですが、こういう守旧派は感情で動いているだけなので何のデータも示せないのがこれまでの日本語教育の状況です。日本人対象の国語教育の分野ではきちんとした実証的な議論が出てくればいいのですが。

上のコメントは毎日の記事に対するもので、AさんとBさんに対するものではありません。念のため。

D 僕は、自分のやり方が間違っていなかったという点で、逆に勇気付けられました。

C もうひとつ言っておくと、記事に出てくる菊池氏の「インターネットで簡単に調べた答えを自分の考えにしてしまう子が出てきます。」という言葉。これがまさに時代遅れな教え方を象徴しています。現代のように情報技術が発展した時代には、「与えられた問いに対する答えを見つける」能力などまったく必要ではなく(検索すれば一瞬で見つかるから)、「問い自体を見つけさせる」能力が必要なのに、そういった能力を育てなければいけないという意識が全く見られません。

E まず大学受験のセンター試験まで,その殆どにおいて,「科目をまたいで自らの考えを述べる」ということに対して評価を受けないまま,大学に入学します.
その結果,テキストブック(教科書として指定した図書)が存在する講義・演習・ゼミにおいて,
「この用語について“説明”しなさい」という指示を与えると,すべからく

「テキストブックの中に答えがあるものと思い込み,これだという部分を棒読みする」

という状況が発生します.
オープンエンドな問題に立ち向かってゆくには,デジタルに対して賛成か反対かという問題ではなく,問題意識を醸成して,どのようなツールでも貪欲に使っていくという意志が必要なのではないでしょうか.
そしてどのようなツールを使ったかではなく,「どのようなアウトプットをしたか」という前提の上に「そのようなアウトプットをするために経由したプロセス」として,デジタルアナログなんていう切り分けではない,「道具」が注目されるべきであると考えています.
乱文失礼しました.

F 実証はないですね。しかし、長年培ってきた経験知、実践知がある。実証する暇なんかないから不確かだけど、多分確かな職人芸みたいなもの。現場の教師って、結構そういうものを見て育つんですよ。自分もそうでした。耳を傾けると、有益なものも。私は、反論だ!というより、具体的に新しい形をどんどん示していこうと思います。インターネットで答えが簡単に見つかるのは、問いが簡単だから。多面的に考えさせる仕掛けがあればいいわけです。簡単ではない問いに対して、いろんな情報を総合して自分なりの答えを出し、発信するのも情報活用能力。自分で問いを見つける能力も、他人の問いに対応する能力も必要だと思います。で、そういう授業をやって、見てもらえればと。

E さらに言えば,これは私も含めてそうですが,我が国の学習者は
・オープンエンドな学習課題に対して前向きではなく
・自己肯定感が弱い
という問題も存在しています.
これらの問題を解決するために,「従来スタイル」で賄えるのか,それとも全く別の教育スタイル,評価スタイルで臨まなければならないのか.これも非常に大きな問題だと考えています.
そして,上の問題を,どう教育の内外で評価を客観化していくか,という課題も,あまりにも大きな問題ですが,それでも追究しなければならないと考えています.

これは私個人としての言葉でしかありませんが,私がこうして物書きができるのも,キーボードがあってこそです.おそらく手書きでは「不可能」あり,絶対に現職を得ることは出来なかったでしょう.

そういう意味ではテクノロジー云々はあまり言いたくありませんが,たとえ道具を使うのは人だとしても,道具は人の人生を左右するものであると確信しています.

G デジタルで関わりが豊かになるまたは関わる時間が保証されることを念頭においた授業を展開したいとさらに思うようになりました。

H 教科書や黒板の内容をノートに写し、黙って聞いて暗記していく、という教師主導の従来の授業スタイルが変わることを願っています。でも、本当は知識注入にも効果的ですよね。授業スタイルを変えない場合でも有効なのが、デジタルの特徴だと思います。だから学習者用デジタル教科書が話題になってきているのだと思います。

J 「手で字を書くことが大事」、とてもよくわかります。でもそれとデジタル化を推進することは、全然別の話のように思いますが。
まさか、学校での授業風景から紙とペンがなくなる、なんていう極端なイメージをお持ちとか?

J もう一度読み直しました。
お金(優先順位)のハナシですかね?
デジタル化にお金を使うくらいなら、学級支援や教師の支援をもっと手厚くしてほしい、というご意見では?

A 手書きについては、学習上「アナログ的な行為」「実体験的な行為」としての手書き体験は大切だ、ということは私は否定はしないのですが、では、キーボード入力や検索などの行為がデジタルか、というとそんなことはないと思います。人がする行為じたいは常に実体験的だし、アナログ的です。ただし、入力>受け取るまでの間にデジタル処理される、デジタル加工されるので、何となくコンピュータを使うと人間の行為自体がデジタルっぽく感じるので、本能的に反発したくなることはわからなくもないです。しかし、人間の営みそのものがデジタル化するには、人間の脳とコンピュータ、ネットを直結でもしないかぎりあり得ないのではないでしょうか?

K 手で字を書くこと自体がすでに苦痛になっている(慣れていない)児童生徒や、書きたくてもできない何らかの障害のある子どももいます。「手書き」にあまりにこだわると、そうした子に「だめな子」「できない子」としてレッテルを貼ってしまう恐れがあるのではと思います。学校で学んでほしいことは、きれいな字を書くことや漢字のとめはね払いを覚えることよりも、どんな手段(言語だけでなく、芸術や身体表現も含む)であれ、人と上手にコミュニケートしたり、ロジカルに考えたり、手持ちの素材でより効果的に情報発信したりするワザではないかと思います。さまざまな障害を持つ子どもや母語が日本語でない子どもがすでに在学する中で、少数者に目を向けた(教育のオーダーメード化というべきかもしれませんが)教育こそが求められていると思います。教材のデジタル化もそうした視点がなければ、結局今の学校組織の運営にとって都合がいい道具でしかなくなるのではないかと思います。

A 特別支援も外せないのですが、日本の学力トップ層のICTリテラシー(情報社会を生きぬく力)が他国に比べて低そう、というのがとても気になります。コンピュータを使う人間をオタクよばわりして人間力がないと否定する人が多いですが、コンピュータやネットでのコミュニケーションを拒否して、勉強ばかりの人のほうがよっぽどオタクだと思うのですが。。。

L 少なくとも、教科書・教材のユニバーサルデザイン化や、学習活動やその他の学校生活の各場面でのコミュニケーション保障、情報保障については、デジタル技術の力なくしてはできないことと思います。そんな意味で、デジタルとアナログのベストミックスを目指すべきかなと思います。二項対立的な不毛な議論では、よい結果は出ないように思います。

M 菊池先生の「共同学習を充実」という考え方には賛成です。
でも、私もLさん ↑ のおっしゃるように、デジアナの二項対立的な議論はそぐわないような気がします。
「奈良の大仏はもっと小さい方が良かったのではないか」を、大きくプロジェクターで映し出すだけでも、デジタル化に意味はあるような気がします。そういう面白い発問集をパワーポイントなんかでデジタル化しておいて、みんなで共有しておけばいい。
必要あらば、事前に意見を書かせておいて、その意見の中のいくつかもパワーポイントで大写ししてもよいのでは?
デジタル化を「全面デジタル化」と、とらえることはないと思います。インターネットで答えを検索する授業をしようとしているわけではないですよね?

N フューチャースクールの学校で感じることは,先生方は,色々やってみてから,自分なりのさじ加減を見つけているということです。おそらくこれが現時点での到達点かなと・・ただ,PISA学力の問題や,世界で最もICTを使わない授業をしている国という課題を抱えている中で,とるべき方向が何かということを,一生懸命考えています。これらは,授業に関する考え方や,教師の力量,資質,学校制度,文化など,かなり多くのパラメーターを抱えている問題なので,その軸が少し違うだけで,話がかみ合わなくなってきますよね。そういったことも含めて,いろいろ考えていきたいと思ってます。

A そういう先生方に自信をつけてあげたいですね。それも学会の役目のひとつだと思います。

O 昔からある良いものはこれからも生かしてゆけば良いと思います。
新しい道具にも利点があるのでそれを如何に活用するかが大切ですよね。
対立的な見せ方で読み手を煽っているだけの記事に見えましたが…。

P はじめまして、皆さんのコメントを興味深く読ませていただいております。
教育者ではありません。
しかし、ICTの世界で仕事をしています。
そんな中で、ICTの導入に関する悲喜こもごもは、現場でも感じます。
古くからの教え方が全て良いとも思えませんし、悪いとも言えません。
かと言ってデジタル化が全ての解決だとも思えません。
教材がツールである以上、その利用の仕方に個人差が出るのは仕方がありません。
それ以上に、何のための教育であり学びなのか、それに、デジタル化がどの様な使い方で役立つのかが気になります。
読む力、書く力、話す力、考える力、分析する力など多くは五体を使って、個々人の個性を尊重しながらもある種の訓練の元に知識や力をつけるモノだと思えます。
「社会で生きる力」をどの様に身につけてもらい、自分の人生の希望や目標を叶えるための力をつけるか。
その様な本質や目的に向かって、最善のデジタル教科書と言う新しい使い方の教材の良さを生かした新しい指導の方法の開発も必要だと思います。
アメリカの高校生の科学オリンピックの出場者に在宅学習の生徒が何人もいる事を考えると、学習すること、学ぶ事は何だろうと考えさせられます。

J いつも思うのですが、学校(学年)や機器など、想定しているイメージが違うのに、一括りに教育ICTについて議論するのは、無理がありますよね。

Q 字を書くにも絵を描くにも鉛筆だけでなく,筆(これは私はダメだった…),ペン(万年筆,ボールペン,Gペン,竹ペン,…),クレヨン,ロットリング(好きだったがもはや使わないw),……。作家の高村薫さん(“考える力”のあるお一人だと思います)は字が下手で年賀状もまともに書かなかったがワープロが出てからうれしくなってどんどん打ちこんで,ふとこれは小説ではないかと気付いたという話もあります。ICTもその子にとって「これなら」というチャンスを増やすツール・機会の1つでしかないし,それは過去にない機能を持っているものでもある。別の道具を使いたくない人はいつまでも鉛筆を削っていればいい(私も鉛筆を削るのは嫌いではないが)。
そう言えば絵ということでは以前(今も?)「キミ子方式」というのがあって「絵のかけない子は私の教師」という本もありました。今までとは違う方法で描かせてみる(押し付けるというのではなく)というのも大事なはずだし。昔子供が小さかった時に文化祭に行ったらすべての子が輪郭にオレンジの線を使っているクラスがあって「何だこれ」と思ったことも。
教育は難しいことだけは確かです。

R これからの子供をホーモサピエンスとして育つか、ホーモモビリアンス(注)として育つか、そこの結論が先かもしれません。

注)ホーモモビリアンスはスマートフォンを携帯している人間を意味します。これがあれば人間の能力は遥かに高まります。何でも検索すれば情報が手に入るし、いくら遠い場所でもカメラを利用して見れるし等々サイボーグのような能力を持つ人類と言う意味です。


2012年9月12日 15:36 終了

奥付

デジ教研議論~「デジタル授業への賛否/上 慎重派 手で字を書くことが大切」を受けて
著者 : digikyoken(「みんなのデジタル教科書教育研究会」facebookグループ)
著者プロフィール:http://p.booklog.jp/users/digikyoken/profile


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最終更新日 : 2012-12-04 20:02:43

この本の内容は以上です。


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