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てきすぽどーじん5号 「初体験」
「親不孝ウエストゲイパーク」 山田佳江
親不孝ウエストゲイパーク
親不孝ウエストゲイパーク(1)
親不孝ウエストゲイパーク(2)
親不孝ウエストゲイパーク(3)
親不孝ウエストゲイパーク(4)
「原発少女・福島もんじゅ ~パイロット版~」 シゾワンぷー
原発少女・福島もんじゅ ~パイロット版~
原発少女・福島もんじゅ ~パイロット版~(全)
「穴蔵の娘」 雨森
穴蔵の娘
穴蔵の娘(1)
穴蔵の娘(2)
穴蔵の娘(3)
穴蔵の娘(4)
穴蔵の娘(5)
「パラレルワールドの僕」 香吾悠理
パラレルワールドの僕
パラレルワールドの僕(1)
パラレルワールドの僕(2)
パラレルワールドの僕(3)
パラレルワールドの僕(4)
パラレルワールドの僕(5)
パラレルワールドの僕(6)
パラレルワールドの僕(7)
パラレルワールドの僕(8)
「テキスポで暮らした人たち」 蟹川森子編
テキスポで暮らした人たち
テキスポで暮らした人たち(1)
テキスポで暮らした人たち(2)
「惟任百里的初恋探偵物語」 あやまり堂
惟任百里的初恋探偵物語
惟任百里的初恋探偵物語(序)
惟任百里的初恋探偵物語(1)
惟任百里的初恋探偵物語(2)
惟任百里的初恋探偵物語(3)
惟任百里的初恋探偵物語(4)
惟任百里的初恋探偵物語(5)
惟任百里的初恋探偵物語(6)
惟任百里的初恋探偵物語(7)
惟任百里的初恋探偵物語(8)
惟任百里的初恋探偵物語(9)
誤訳捏造「OUTサイダー」 茶屋休石
誤訳捏造「OUTサイダー」
誤訳捏造「OUTサイダー」(序)
誤訳捏造「OUTサイダー」(1)
誤訳捏造「OUTサイダー」(2)
てきすとぽい広告
てきすとぽい
「異世界のメロディ」 松浦俊郎
異世界のメロディ
異世界のメロディ(序)
異世界のメロディ(1)
異世界のメロディ(2)
異世界のメロディ(3)
異世界のメロディ(4)
異世界のメロディ(5)
異世界のメロディ(6)
異世界のメロディ(7)
異世界のメロディ(8)
異世界のメロディ(9)
異世界のメロディ(10)
異世界のメロディ(11)
異世界のメロディ(12)
巻末の随筆
巻末容赦
てきすぽどーじん5号「感想会」のお知らせ
誤字脱字、誤植のお詫び
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異世界のメロディ(6)

 
「ところで、部活っていったけど部員は?」
 数分後。宗宮がコーヒーを淹れてくれて、五十川と久美は部室の一角でくつろいでいた。
「ちゃんといるわよぉー」
「どこだよ」
 さっきから宗宮以外の人間は出てこない。
「ここに三人いるじゃない」
「は? それって俺たちのことか?」
「ほかに誰がいるのよぉ。もう認知が入っちゃったの?」
 宗宮は「やーねぇー」などといいながら、マイペースで笑顔を振りまいている。
「それじゃあこのクラブ、今まで宗宮さんしかいなかったんですか?」
 久美は意外と冷静だった。。
「まさかぁー。ちゃんとほかにもいるけど。でも、さっきもいったけど高エネルギー研究部は自由なクラブだからねぇー。だから屋上のあちこちで、それぞれの活動をしているのよぉー」
「なんで屋上限定なんだよ」
「奴らの目が届かない場所だからに決まってるじゃない」
「奴ら?」
 宗宮の口調と『奴ら』なんて単語は、相性がすこぶる悪いように聞こえる。この、ほのぼの女がそこまで敵視する存在って何だろう。
「大丈夫。そのうち教えてあ・げ・る」
 おもしろいとでも思っているのだろうか。今時、おっさんでも喜ばないような言い回しで一人ケタケタ笑っている。
「ま、とにかく今日からあなたたちも仲間よぉ。しばらくはここで生活するといいわ」
「生活?」
「そうよぉー。なにかおかしいことでもある?」
 宗宮は当たり前だ、という顔をしている。確かに大学なんかじゃ部室に泊まり込んでいる学生もいるらしいが、徹マンのために結果として泊まるのと最初から生活の場を移すのでは話が違う。
「念のために聞いておくけど、宗宮ってもしかしてここに住んでるのか?」
「当たり前じゃない。もちろん、用事のあるときは下界に降りるけどねぇー」
 それって当たり前、なのか?
 こいつ、ここでずっとひとりで生活してきたのか?
 自分とは方法が違うが、宗宮もまた社会との関係を絶って生きているのかもしれないと五十川は思った。
「とにかく一度、寮に戻らないと」
「その必要はないわよぉ。ちゃんと荷物なら取ってきてあるから」
 宗宮は、先ほど二人を通した鉄扉の方に視線を向けた。
「あ、これわたしの荷物です!」
 部室を出たところに置かれていたスポーツバッグを開けて、久美が素っ頓狂な声を出す。
「おい。なんで一番上にパンツが入れてあるんだよ」
「男は細かいこと、気にしちゃだめよぉー」
 五十川は、隣に並べてあった少し小ぶりのスポーツバッグを開けた。
「こっちは、俺のみたいだな」
「そうよぉー。ね、これで寮になんか戻らなくてもすんだでしょ?」
 宗宮は、「最高の手品が決まったぜ!」とでもいいたげな様子でニコニコしている。
 でもやっぱり五十川のバッグも、一番上にトランクスがしまってあった。
「いったい、どこのどいつの仕業だ?」
「高エネルギー研究部の部員よぉー。優秀でしょ?」
 五十川の部屋へ入ったのはともかく、仮にその部員が男だったら久美の部屋への侵入は犯罪だと思う。
「授業には、ここから教室に通っているのか?」
 宗宮がどういう生活スタイルなのかは知らないが、五十川はすべての授業を放棄してしまえるほど覚悟が固まっていなかった。
「ま、出席したければ通ってもかまわないけどぉ。でも、授業をまじめに聞いちゃうといろいろと問題があるからねぇ。聞き流すくらいにしておけばぁ?」
「問題?」
「そうよぉ。学園生活に組み込まれちゃったら、奴らの管理下から離脱するのは大変なのよぉー」
 またでた。宗宮が敵視している『奴ら』だ。
「それにね、学園の出欠管理はオンラインだから、ここの部屋からでも出席にすることはできるの。すごいでしょぉ~」
「つまり、宗宮は記録上だけ出席にしてここに引きこもっているわけだな」
 学園内にいるのだから、世間でいう『引きこもり』とは違うのかもしれないが、外出をしないという意味では同じだ。
「やぁねぇー。ちゃんと定期テストは受けてるわよぉ」
「それ、答えになってないから……」
 やっぱり、こいつもどこかおかしい。
 五十川は屋上を去ろうと思った。自分はもともと、どこにいたって関心を持たれないような存在だ。むしろ突然蒸発したら、そっちの方が目立ってしまうだろう。それに久美には所属していたコミュニティがあるはずだ。さっきの混乱が収まったところで、ちゃんと送り届けなければならない。
「なんだか知らないけど、さっきは助かったよ。ありがとな」
 宗宮華美、か。おもしろいやつだったな。
「さ、行こうぜ」
 五十川はスポーツバッグを肩にかけて出発を促すが、久美は自分の荷物をみてじっと考え込んでいる。
「わたし……。わたしここに住みます。宗宮さん、よろしくお願いします」
 そういって、久美はぺこっと頭を下げた。
「うんうん、久美ちゃん、よろしくねぇー」
 久美の頭をなでなでする宗宮。
「それでいいのかよ?」
「はい。わたし、教室にもお友達いないし……。五十川さんも一緒にいてくれますか?」
「俺は――」
 扉の外へと半歩踏み出していた五十川は足を止める。
「わたしのおすすめは、久美ちゃんと一緒にここにいることなんだけどなぁー」
 久美が、「五十川がいた方がいい」というのは宗宮の正体がはっきりしないうちは不安だからだろう。だけど、宗宮が屋上にとどまることをすすめる理由はわからない。
「俺は記憶を取り戻すのが先だから。また知ってる顔を探して歩き回る」
「もし一週間歩いても、一ヶ月歩いてもこの学園内に知っている生徒がいなかったら?」
「え?」
 宗宮の印象をひとことで表すと『ふわふわ』だが、このときの宗宮の目は鋭かった。
「五十川くん、透明人間の存在を否定する根拠って知ってる?」
「いいや、知らないよ」
「あのね、こちらから相手がみえるときには、必ず相手からもこちらがみえるものなのよ」
「どういう意味だ?」
「探すべき知り合いの顔も思いつかない今の五十川くんがいくら放浪したって、都合よく向こうから見つけ出してくれるなんてことはないっていう意味よ」
 やっぱりだ。
 宗宮は、自分の研究テーマと五十川の存在は関係しているかもしれないなんていってたが、まだまだ手の内を明かしていないだけで相当いろいろな情報をつかんでいる。
 五十川はそう確信した。
「俺の住みかも屋上にあるのか?」
 肩にかけていたスポーツバッグを下ろす。
「あいている物置とか、まだ結構あるけど。しばらくはここにいた方が快適よぉ」
「おまえ、一応女だろ? それでいいのかよ」
「あらあら、五十川くんなに期待しているのかなぁ。もう、エッチなんだからぁー」
 宗宮は、胸の前で手を組んでくねくねしている。
 さっきの鋭さはどこかに消え失せ、あのふわふわとしたノリに戻っていた。
「わっ、わたしも五十川さんがいてくれた方があんしんです」
 久美は真っ赤になっていた。
「じゃあ、自分の庵を作るまでは世話になるよ」
「今日からみんなでお泊まり会よぉー。久美ちゃん、五十川くん、よろしくねぇー」
 結局、このようないきさつで五十川は屋上の住人になった。
 

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異世界のメロディ(7)

 
「夕日、きれいですね」
「ああ、そうだな。明日も暑くなりそうだな」
 日が沈みかけた頃。五十川と久美は、屋上天文台エリアの片隅で西日をみていた。
 宗宮は研究があるからといって,もう二時間以上天文台にこもっている。
 宗宮はいっていた。
 天文台エリアは、屋上の中でも一番最初に開拓された場所なのだと。そもそもは、とうの昔に廃部になった科学部天文班がこの場所に天文台を作ったのが始まりなのだとか。
 とにかく今日は走り回ったから風呂に入りたいといったら、給水塔のすぐ下にシャワールームが用意されていた。驚いたことに、ちゃんとお湯が出た。
「なあ、久美はここから教室に通うのか?」
 五十川は明日からのことを、ぼんやりと考えていた。
「たぶん、教室にはもう行きません」
 きまじめな久美らしくない答えだった。
「勉強は宗宮さんが教えてくれるって。それに教室に行ってもわたしの机、いつも花瓶とか置いてあるし……」
 教室に友達はいないって、そういえばいってたな。
 五十川は久美が屋上にとどまる決意をしたときに口にした言葉を思い出した。
「あのファンクラブの奴らは助けてくれないのか?」
 あんまり協力を仰ぎたいとは思えない連中だったが、久美が困っているのなら対抗勢力にはなるだろうと思った。
「あの人たちは写真とか撮るだけで……。個人的にお話したことなんてないんです」
「そっか」
「あと宗宮さんが、出席は勝手だけれど授業は聞き流した方がいいっていうんです」
「そういえば俺にも同じこといったよな。どういう意味なんだろう?」
「わからないです。でも、今はまだ説明できないけれど、屋上にいれば理解できるようになるって」
「これは俺が勝手に思ってることなんだけどさ。宗宮が屋上に住んでいる理由って、なにかの影響下から逃げるためなんじゃないかな」
「なにか?」
「ああ。宗宮が『奴ら』って呼んでた組織」
「授業と関係あるってことは、その組織って先生たちのことなんでしょうか?」
「どうだろうな。それを見極めるためにも、しばらくはここにいるしかないだろうな」
「それじゃあ五十川さんも授業にはでないんですね?」
「そりゃ、俺は自分の教室知らないんだから」
 森の中に夕日が沈んでいく。
 学園の西側には、街はみえなかった。校舎や寮の建造物が終わっているあたりから先はずっと森が続いている。
 残りの方角も、これといって高い建物や街明かりは見つからなかった。
「久美ちゃ~ん、五十川くーん。夕ご飯にしましょー」
 部活動が一段落ついたのか、天文台の鉄扉から宗宮が顔を出していた。
「自炊しているのか?」
「まっさかぁー」
 宗宮は大げさに笑う。
「学食に行くに決まってるじゃない。まぁ、宇都宮(うつのみや)くんとかは毎日自分で作っているみたいだけどねぇー」
「宇都宮?」
「高エネルギー研究部の部員よぉー。彼、シャイだからなかなか出てきてくれないけれど、そのうち紹介するわぁ」
「なかなか出てこないっていったけど、行方不明になるほど屋上は広いのか?」
「見てのとおりよぉー。ね?」
 そういって、宗宮ははるか先まで続く建物の列を指さす。
 夕日に照らされている校舎や体育館やら講堂らしきものは、数限りない印象を受ける。そして、それぞれの建物屋上にはエアコンの室外機や機械室らしきものがあって、陰になっている部分も多い。
「屋上は広大なのよぉ。とくに宇都宮くんは移動しながら生活しているみたいだしねぇー」
 移動しながら生活するなんて、なんだか密林のハンターみたいだなと五十川は思った。
「さ、グズグズしていると人気メニューがなくなっちゃうわよぉ」
「またあの天窓から降りるのか?」
「下界につながるルートはいくつもあるの。食堂まで屋上で移動しましょ」
 ひとつひとつの校舎はそれほど大きいわけじゃないが、それぞれはセントラルヒーティングのダクトや渡り廊下の屋根で結ばれていて、RPGのダンジョンみたいだった。
 雪山のクレバスじゃないが、明かり取りのための吹き抜けがあったりして、正直なところ五十川も怖いと思った。宗宮はひょうひょうと進んでいくが、久美は五十川の制服をつかんで離さない。
「宗宮って高いところ平気なんだな」
「あらぁ。五十川くん、高所恐怖症なの?」
「そうじゃない。もしそうだったら、こんなところ立っていられないだろ?」
「さあ、ついたわぁ」
 そこは、ステンレス製の換気ダクトが揚げ物のにおいをせっせと排出している、空腹の人間には耐えがたい場所だった。
「うーん、いいにおい! 夕ご飯が楽しみねぇー」
 宗宮のやつは、本当にうれしそうに胸一杯空気を吸っていた。
「どうやって降りるんですか?」
「こっちよぉー」
 三人はダクト点検用のはしごを伝って、厨房の裏手に降りた。
 食材を運び込むための通路を通り、食券の販売機に並ぶ。
「わぁ! カツカレーまだ残ってる~」
 宗宮の指先は迷うことなく、カツカレーのボタンへと直行した。
「宗宮って、黄色いキャラクターだったのか」
「そうねぇ~。色の話はともかく、カレーは好きよぉ。五十川くんはなににしたの?」
「俺は海鮮丼だ」
「わたしは月見そばです」
 それぞれのコーナーで料理を受け取り、見晴らしがいい場所に席をとる。
「特等席まで空いてるなんて、今日はラッキーねぇー」
 一階が見渡せる中二階の席を確保して、宗宮はご機嫌だった。
「それにしてもさ。授業には出ない、出席はちょろまかすで、食堂にだけ出入りしていて問題ないのか?」
「問題おおありよぉー。生徒会も新聞部とドンパチやってくれているから手が回らないみたいだけど、狙われているのは間違いないわよぉ」
 宗宮はあっけらかんと答える。屈託ないその笑顔は、何にも考えていないようにもみえるが、さりげなく状況分析が混じっていたりして判断を迷わせる。
「ま、いざとなったら宇都宮くんが動いてくれるから心配ないわよぉー」
「それもさっきから気になってたんだけど、宇都宮って誰だよ?」
「あら、知らない? 学園伝説のスナイパーなのよぉ」
「ひょっとして、バロン宇都宮さんのことですか?」
「あらぁー、ちゃんと名前まで知っているなんて、さすが女の子ねぇ」
 またしても五十川だけが知らなくて、久美が知っていたことが一つ浮上した。これだけのヒントがあるのに、この学園に関すること、自分に関することが思い出せない。
「五十川くん、そんな不機嫌そうな顔しない! 女の子はウワサには特別敏感なものなのよぉー」
「ふーん」
 五十川はわざと気のない返事をしておいた。
 バロン宇都宮、か……。屋上仲間なら、そのうち会うこともあるだろう。
 なぜ、宗宮ら高エネルギー研究部が屋上を拠点としているのか。なぜ、スナイパーなんぞが部員にいるのか。どうして、生徒会と新聞部が敵対勢力なのか。
 考えればきりがないほど疑問点だらけだった。
 でも不思議なもので、限度を超す疑問は答えを求める衝動を抑えるようだ。
 今日は柄にもなく会話をしすぎたせいで疲れているのだ。しっかり休養して記憶が戻れば、また日常に帰って行くことになるだろう。
 

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異世界のメロディ(8)

 
 夢をみていた。
 最後にトイレに行ったのが、確か午前四時五十分だったから明け方のことだと思う。早朝にみる夢にふさわしく、何度も目が覚めてはまだ寝ていることに気づくという入れ子構造のやつだ。
 もう何度、目覚める夢をみただろう。もうだまされないぞ。あと、これは夢なのだから絶対にトイレにだけは行かない。
 そう自分に誓いを立てて、五十川は体を起こした。
 パーティションの向こう側では、まだ宗宮と久美が寝ているはずだ。
 五十川はふたりを起こさないように、静かにソファーを離れて天文台の外に出た。
 もうすでに日は昇っていて、屋上をぎらぎらと照らしている。今日も昼間は暑くなるかもしれないなと思った。
「おはようございます。五十川さん」
「ん?」
 振り返ると、久美が立っていた。Tシャツに短パンという出で立ちだ。
 昨晩、着替えるからといってパーティションの反対側に姿を消してから、五十川は一度も久美をみていない。さらに久美が眠るときにどういう服装なのか、全く知らない。
 そこまで考えが至ったとき、ついに覚醒する夢の無限ループから抜け出したのかな、と思った。
「ああ、おはよう……」
 浅い夢の中にいるときに、声を出すと目が覚めるというのはよくあることだ。
「わたしの顔、なにかついてますか?」
 久美が不思議そうに五十川をみている。
「あ、いや……。ちゃんと俺、起きてるよな」
「寝癖がついてますけどね」
 自分の頭に左手で触れる。久美の指摘通り、確かに後頭部がはねていた。
 そんな五十川の姿を見た久美が遠慮がちに笑い、つられて五十川も照れ笑いを浮かべる。
「朝、早いんだな」
「えーっと、なんだか緊張してるみたいで……」
 まあ、そうだろうな。
 五十川も、久美のいうことはもっともだと思う。
 いきなりこんな特殊な生活環境に引っ越してきたのだ。それでいきなり安眠できたら、そっちの方が問題ありだ。
「あのさ――」
 五十川は、さっきからずっとため込んでいたことを口にした。
「一晩寝れば、なにもかも夢物語で。それで、なんか……。うまくいえないけれど、平凡な一日が待っているような気がしてたんだ」
「五十川さんも、ですか」
「久美もそうだったのか?」
「はい。わたしの場合は、毎日ですけど」
「毎日?」
 久美は五十川から視線を外して、朝日のほうを向いて話しを続けた。
「わたし、毎日寝る前にお祈りするんです。これは全部悪い夢だから、明日の朝にはぜーんぶ消えてしまっていますようにって。それで、どこにでもいるふつうの女の子になっていて、でもちょっと歌がうまくて……」
 歌、か――。
「そういえばコーラス部のこと、まだ決着ついてなかったな」
「え?」
 久美は驚いたような声を出した。
「だってさ、委員長めがねかけた部長からテストの結果、聞いてないだろ?」
「不合格に決まってますよ」
 つぶやくような声で、静かに言い切る。
 昨日のことが思い出されてつらいのか、久美はうつむいて顔を隠した。
「昨日のテストは邪魔が入って中断しただろ? リベンジしようぜ」
 五十川は視線を久美から青空に移して続ける。
「俺は自分が何者なのかすら不明瞭なんだ。特に目的もないし、生きてる意味もない。宗宮はなにか知ってるみたいだけど、たぶんすんなりと教えてはくれない。暇なんだよ」
「五十川さん……」
「だから、手伝うよ。歌の練習」
 久美が鼻をすすって、手の甲で涙をぬぐっているところで、間の抜けたあくびが聞こえてきた。
「ふあ~ぁ。よくねたぁー」
 パジャマ姿でふらふらと天文台から出てきた宗宮だった。
「おはよぉー。久美ちゃん、五十川くん」
 宗宮はまだ半分寝ているのか、ふたりの様子を気にも留めないで給水塔の方へとのびをしながら歩いて行った。
 朝食は、レンジでチンだ。
 どうせ教室には行かないのだが、なぜか宗宮は制服に着替えていたので、五十川と久美もそれに習って制服を着てから朝食となった。
「いただきまぁーす」
 宗宮は昨晩のうちに購買部で確保していた朝食の前で手を合わせ、「ふたりとも、遠慮しないで食べてねぇー」などといいながらツナ缶を勧めてきた。
 本当にここは物資が豊富だ。屋上なんて陸の孤島かと考えがちだが、水はもちろん、ガスも電気もある。実際はアメリカみたいだ。行ったことはないけれど。
「なあ。歌の練習に使いたいんだけど、教則本なんか手に入らないかな?」
「五十川くん、歌手目指しているのぉ?」
「俺じゃない。久美がコーラス部に入るのに必要なんだ」
「ふぅーん。教則本だけでいいなら、図書館に行けばあると思うけどぉ」
「なんだか興味なさそうな返事だな」
「そうねぇ。歌もいいけれど、わたしなら世界の秘密を解析する方に注力するかなぁー」
「それって、宗宮さんの研究テーマなんですか?」
「ええそうよぉー。久美ちゃんも一緒に考えない?」
 突然のスカウトに、久美は困惑した表情を浮かべている。
「おい、自分の趣味を無理強いするなよ」
「趣味じゃなくて、ライフワークよぉ。五十川くんも一緒にどう?」
「俺は……」
 五十川はそこで言葉に詰まる。
 久美の手伝いだって、偶然に音楽室の前で出会ったから始めたことだ。それなら宗宮の研究に参加するのだって同じことのはずなのに、なぜかその気にはならない。
 いや。記憶を取り戻すためならば、むしろ宗宮に張り付いている方が得策だ。
 そこまでわかっていながら、それでもなぜか久美の手伝いをしたいと思っている。
「あらぁ、どうしたの? 研究手伝ってくれるなら、わたしが手取り足取り腰取り教えてあげるわよぉー」
「宗宮さん! そんなっ……。 腰なんて、不潔ですっ!!」
「あらぁ。久美ちゃんの顔、真っ赤になってかわいいー」
 中学生みたいな下ネタをいう宗宮のことも、突っ込んでいる久美の声も五十川には届かない。ただなにか、重要なことを忘れてしまっているような不愉快な感覚だけが残る。
「俺は、久美の手伝いをする」
 五十川は断言した。
「理由は自分でもよくわからないけど。乗りかかった船だからかもしれないし、出会った順番だけの問題なのかもしれない。ただ、何となくそれが正解のような気がするんだ」
「あらそぉ、残念ねぇー」
 宗宮は一つも残念なそぶりを見せずに軽く受け流した。

 

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異世界のメロディ(9)

 
「それじゃ行ってくる」
 朝食を終えた五十川は、例の天窓を外して下界に降りた。音楽に関する知識なんて持ち合わせていないから、教本選びには久美も同行した方がよいと思ったが、久美にはやっかいな追っかけがいる。あの汗臭い大きなお友達だ。だから一人で図書館に行くことにした。
「いってらっしゃーい。戻ってくるときは無線で連絡してねぇー」
 初めて屋上にふたりを迎え入れたときと同じように、宗宮は笑顔で手を振っていた。
「よろしくお願いします」
 と、その横では久美が頭を下げている。
 五十川はふたりに向かって肩の辺りまで手を上げて合図を送り、ほかの生徒に見つからないうちに一気に階段を駆け下りた。
 図書館の位置は、宗宮から聞いていた。
 バス停近くの寮が集まっているエリア、そして天文台もある教室が集まっているエリア、それから食堂、購買部、事務室、職員室があるエリアはすべて屋上から一度も降りることなく移動できるらしい。
 なんだか、平野に降りることなく日本中を旅する山伏みたいな話だ。
 そんな高エネルギー研究部の部員でも地上を経由しないと唯一たどり着けないのが、グラウンドの反対側にある図書館なのだそうだ。
 五十川は不審な生徒として通報されることもなく中庭まで来た。こけのむした煉瓦と、そんな滑りやすい足場の先で口を開いて生徒を待ち構えている小さな池がある。
 たぶん年に数人はこのトラップの餌食になるのではないか。あるいは、余興で自ら飛び込むやつもいるかもしれない。
 そんな気がした。
 いや、今まさに目撃者になろうとしている。
 本を読みながら、池に向かって一直線に歩いている女の子が一人。手にしている文庫本に熱中しているのか、まるで池の存在に気づく気配がない。
 胸元まである長い黒髪はつややかで、一度ぬれてしまったらあとの始末が大変そうだと思った。
 ま、よくあることだよな。別に死ぬわけじゃないし。
 五十川は図書館へ急ごうと思うが、どうにも女の子のことが気にかかる。
 周囲を見渡しても、五十川と池に向かって一直線の女の子以外はいないようだ。
「あの……」
 口から出かかった言葉に、五十川は自分で驚く。
 俺はどうかしている。
 声をかけようとしている自分に、無性に腹が立つ。どうも久美と出会ってからというもの、以前の自分らしからぬことばかりしているような気がする。
 でも、どうしても無視できない。かといって、どういう風に注意するのがいいのかもわからない。
「あなたは今から池に落ちますよ」
 などというのはどう考えても違和感がある。それに、女の子は池の存在にちゃんと気づいていて、余計なお世話という可能性だって高い。
 でもなぁ……。
 どんな本を読んでいるのか知らないが、口元に笑みを見せたりしていて外の様子に気を配っているとは思えない。
「あのさ――」
 結局、声をかけてみた。でも、相当熱中して読んでいるようで女の子は返事をするどころか、五十川の存在にすら気づいていない。
 こうなると、半分は意地もある。なんとかして女の子の進路を池から外したい。
「おーい」
 今度は進行方向正面に回り込んで声をかけた。これで避けられたら、もう意図的に無視されていることは確定だ。それは長年の経験で知り尽くしている。
 女の子の歩くスピードは変わらない。最初にみたときと同じペースでまっすぐ五十川に衝突する軌道を進んでくる。
 おい。冗談だろ? 半径一メートル圏内に入っても気づかないなんてあるのか?
 で、ふたりはぶつかった。
「きゃっ!」
 よほど驚いたのか、女の子は読んでいた本を落としてしまった。
「ごめん。なんだか放っておくと池に直行しそうだったから」
 五十川は、地面に落ちた本を拾い上げた。カバーが外れて表紙が目に入る。超弩級の恋愛小説シリーズだった。
「ああああ、あの――」
 女の子はよほど慌てたのか、五十川の手に自分の手を重ねて本の表紙を隠した。
 煉瓦敷きの、しっとりとした中庭で、手と手を取り合って超至近距離で向かい合うって、初対面でやることじゃない。
 でもそんなことを考える余裕なんてなくて。五十川は、ほおを赤くして自分の手を握ってくる女の子に見とれ、女の子は表紙を隠すのに必死の様子だった。
「え~……。ん~……」
 そんなふたりの状況をようやく把握したらしい女の子は、目を伏せて言葉に詰まった。
「ごめん。なんだか池に落ちそうだったから」
 五十川は本の表紙がみえないように裏返して、女の子に返した。
「あ、ありがとうございます……」
 受け取った本をしっかりと抱きしめて、うつむいている。もう恥ずかしくて、五十川の顔なんぞみていられない、という感じだ。
 一目みたときからストレートの長い髪だなとは思ったが、こうしてうつむいていると瞳のラインで切りそろえられた前髪ばかりが目立って、なんだか髪の毛と会話をしているみたいな気分になってくる。
「わたし落ちるんです……」
「え?」
 五十川は、なにをいわれているのかわからなかった。
「いえ、あの……。よく、ぼんやりしていて池とかに落ちるんです」
「今回も?」
「はい。あの、その……。あなたに助けてもらわなかったら、たぶん落ちてました」
 女の子は、五十川をなんて呼んでいいのかわからず、さんざん迷った上で『あなた』という言葉に行き着いたようだった。
「俺は五十川良樹っていうんだ。五十川でいいよ」
「五十川さん、ですか……。わたしは、内(うち)木(き)田(だ)優(ゆう)です」
「へえ、『ゆう』か。優等生の優?」
「はい……。みんなからは内側の内に気分の気で、内気って呼ばれていますけど」
 内気というより単なる恥ずかしがり屋さんという気もする。
「で、どこに行く途中だったんだ?」
「図書館です。わたし図書委員会だから……」
「俺も図書館に行こうと思ってたんだ。ちょっと借りたい本があって」
「本、好きなんですか?」
 なぜか優の声のトーンが少し高くなったような気がした。
「あ、いや」
「そうです、か……」
 いったん高くなったトーンが下がってしまう。
「今必要なのは音楽の教則本なんだけど、棚の位置とか知ってる?」
「図書委員ですから……。あの、よかったらご案内しますけど……」
 さっきの小説を鞄にしまった優は、あいかわらずうつむき加減で、両手も胸の前でもぞもぞと動かしていた。なんだかとっても恥ずかしそうだ。
「そうしてくれると、とっても助かる」
 五十川の返事を聞くと、いったん顔を上げてくれたが、目が合うとまた恥ずかしそうに下を向いてしまった。
「それじゃあ、いこうぜ」
「あ、そっちじゃないです」
 他人とはまともに話なんてしたことがない五十川だったが、なぜか久美といい宗宮といい、そして優もだが記憶をなくして以来、ひっきりなしに誰かしら話し相手が現れる。
 今までため込んでいたコミュニケーション貯金が、ついに満期を迎えたのだろうか。
「図書館は、グラウンドの反対側です」
「ああ。そうらしいね」
 運動場は一週四百メートルのトラックがある陸上用のものと、野球グラウンドがあった。その周囲は林になっていて、散歩に適当な小道がある。
 ふたりが林の中の小道も半ばにさしかかったときだった。
 優が爆弾発言をした。
「……好きなんです……」
「え!?」
 突然の告白に、びっくりする余裕すらなくて。五十川はただ言葉にならない音を発した。
「あ、いや。その……。わたし、この道が好きなんです」
「ああ、そうだな。なんだか文学の小道って感じだよな。優は文学少女なんだな」
「そそそ、そんなことないです。わたしなんて……」
「わたしなんて?」
 言葉の続きが知りたくて五十川はオウム返しに聞いた。
「さっき、小説の表紙みましたよね……。わたし地味だし、みんなからも内気ってからかわれているけれど……。でも、恋愛にあこがれているんです。いつか自分もって。バカみたいですよね……」
「いいんじゃないかな」
「え?」
 今度は優が驚く番だった。五十川からも、クラスメイト同様の反応が返ってくるとでも思っていたのか、五十川の肯定的な返事が信じられないといった感じだ。
「あこがれるものがあるって、いいことだと思うよ」
「そうでしょうか……」
「俺さ、ちょっと記憶が混乱しているんだ。覚えているのは惰性みたいに生きていたってことだけでさ。そんなの生きてる意味ないよな。だから優みたいな気持ちになれるって、ちょっとうらやましいくらいだよ」
「惰性で生きてたって……。とてもそんな風にはみえませんけど」
 五十川は、昨日この学園に足を踏み入れる前のかすかな記憶の話をした。参加するでもなく、ボイコットするでもなく、ただ座っていただけの授業のこと。それから、明け方までモニタに向かって一人ゲームをしては、遅刻を繰り返していたこと。
「今の俺には、そんな記憶しかないんだ。たぶん夏休み中、ずっとゲームで不規則な生活を送ってたんだろうな。ちょっと脳みその調子が悪くなっているみたいなんだ」
「そんなこともあるんですね」
「そうみたいだな」
 それっきり会話は途切れたが、木漏れ日の差す散歩道もすぐに終点となった。
 今、目の前にあるのはちょっとした体育館ほどもある大きな図書館の正面入り口だ。
 その大きさに感心している五十川の先を、優は先導するように歩いて行く。ここで迷子になったら出てこられないかも、と思う五十川はその後を追う。
 

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異世界のメロディ(10)

  
「音楽の教則本なら、このあたりです」
 到着したのは、地下一階の隅っこだった。
 確かに音楽関係の書籍が並んでいる。この様子なら歌の教則本も見つかるだろう。
「サンキューな」
「いえ……。あの~……」
 案内を終えた優は、なにかいいたげに五十川の背後でもじもじしている。
「ん?」
 五十川は書架をあさりながら、続きを促すように返事だけ返した。
「五十川さんは、その~……、どちらのクラスなんですか?」
「生徒手帳が偽造じゃなければ、たぶん三年D組の出席番号二番だよ。でも、どうして?」
「ああああ、あの。本の貸し出しに生徒手帳が必要なんですっ!」
「じゃあ、この本とこっちのやつ借りるよ。生徒手帳ってこれでいいんだろ?」
 五十川は胸のポケットから手帳を出して、優に手渡した。
「はい……」
 優は両手で受け取った生徒手帳をまじまじと見つめている。
「その写真、犯罪者みたいだよな」
「えっ!?」
 我に返った優が驚く。
「いや、生徒手帳の写真が連続爆弾犯みたいだって話」
「そそそ、そんなことないと思います。その……、あの……。すてき、な……」
「え?」
「えええええええええええっと。とてもすてきな写真だと、……思います」
 優は、やかんを載せたらお湯が沸かせるのではないかと思うほど赤くなっていた。
「それじゃあ、貸し出しカウンターに行きましょう」
「うん」
 優はカウンターの内側に入って、改めて五十川の生徒手帳を開いた。
「あれ?」
「どうかしたのか?」
「あの~……。五十川さん、生徒手帳はこれだけですか?」
「なにか足りないのか?」
「いえ、足りないんじゃなくて。この手帳、よく似ていますけどこの学園の生徒手帳じゃないみたいなんです」
「そんなバカな――」
 五十川はカウンターに身を乗り出して、優が開いている手帳をのぞき込む。
「これ、わたしの手帳なんですけど……」
 優がポケットから自分の生徒手帳を取り出して並べた。
「たとえばクラスの欄をみてください。わたしは二年四組です。でも五十川さんは三年D組って書いてあります」
「それって……」
「はい。この学園の高等部は、クラス分けにアルファベットは使ってません」
 信じられないことだが、図書委員として数多くの生徒手帳をみてきたはずの優がいうのだから本当なのだろう。
「どういうことだ!?」
「なにかの間違え、……でしょうか」
「Dじゃなくて、0組の間違いとか?」
「いいえ。クラスは1から順番に数字を振ってます」
 俺は、この学園の生徒じゃないのか?
 じゃあ、なんでここにいるんだろう?
「あ、あの~。五十川さんさえよければなんですけど。この本、わたしの名前で借りておきましょうか?」
 そんな提案を優はしてくれた。
 ありがたいことではあるが、今発生している問題の解決にはならない。
「いや。コピーを取らせてもらうからいいよ。ありがとうな」
「いえ……。コピー機は右手奥にあります」
 そういって、優は少しだけ違う五十川の生徒手帳を返した。
「あの、五十川さん――」
 立ち去ろうとする五十川に、優が声をかける。
「生徒手帳、たぶんなにかの間違いです。ミスプリントとか……。だから、学務課にいってみるのがいいと思います」
「ああ、そうだな。いろいろありがとう」
 クラスは番号でなければおかしい、か……。
 そういえば最初に生徒手帳をみせたのは宗宮だったな。
 五十川は、天文台での宗宮とのやりとりを思い出した。
「あのさ」
「は、はい」
 歩き始めてから、急に振り向いた五十川に優が驚く。
「ついでなんだけど、『数学モデル』とか、そんな感じの本ってある?」
「ええっと。科学ですね? ちょっと待ってください」
 優はカウンターに備え付けのPCを操作して、検索してくれているようだ。
「こっちです」
 ふたたびカウンターから出てきて、優は棚まで案内してくれた。
 宗宮の研究テーマである「種の競争」を数学で扱うような本はなかった。その代わり五十川は「進化シミュレーション」の本を選んでコピーすることにした。ぱらぱらとめくった感じでは、どうも遺伝的アルゴリズムを数学に落とし込む方法が書いてある本のようだ。
「五十川さんは難しい本を読むんですね」
「あ、いや。もしかしたら、なくしている記憶と関係あるかもしれないんだ」
「そうですか……。あの、また資料が必要なときはいつでも来てくださいね」
「ああ。今日はありがとう」
 優とは図書館のコピー機のところで別れて、五十川は屋上へと戻った。
「おかえりなさぁーい。待ちくたびれちゃったわよぉ」
 五十川を屋上へと引き上げたウインチのコントローラを定位置に戻した宗宮は、あいかわらずの調子で、ほっぺたを膨らませて笑顔で不満を述べる。
「別に外で待ってろなんて頼んだ覚えはない」
「いえ、宗宮さんじゃなくて。わたしが待ちましょうっていったんです」
 久美が申し訳なさそうに頭を下げる。長いツインテールが大きく揺れた。
「さ。三人そろったことだし、お茶にしましょー」
「早弁か」
「変な言い方しないでぇー。十時のお茶よぉ」
「おんなじことだろ」
 天文台の脇にはパラソルが出ていて、ティータイムの準備はすでに整っていた。
「ほら。教則本っぽいのもってきたぜ」
 五十川は小脇に抱えていたコピーを二束、久美の前に差し出した。
「あらぁ、わざわざコピーしたのぉ?」
「せざるを得なかった、という方が正しいな」
「?」
「宗宮、なんか知ってるんじゃないか?」
「なにかって、何のことぉ?」
 一番最初に五十川の生徒手帳を確認したのは宗宮だ。そしてなにか自分の研究と関係があるようなことをいっていた。黙っていただけで、優が指摘したような相違に気づいていた可能性は高い。
「俺の生徒手帳、この学園のじゃないかもしれないんだ」
「やぁーねぇー。そんなはずないじゃない。校章が同じよぉ」
 そういって、宗宮は自分の生徒手帳にプリントされているマークと五十川のものを並べてみせる。
 確かに校章のデザインは同じだった。
 まだだ。
 宗宮が口を割るには、突きつける証拠が足りない。今これ以上追求しても、のらりくらりとかわされるだけだろう。
「あの、五十川さん。コピーしてまで持ってきてくださって、ありがとうございます」
 それまで黙ってふたりのやりとりを聞いていた久美は、教則本のページをめくった。
 五十川も、自分用にコピーしてきた例の「進化シミュレーション」の本を読み進める。
「あらぁ。五十川くん、わたしと共同研究する気になったのぉ?」
「いや、別に。ただ同じ土俵に立てなきゃ、話し合いにもならないだろ」
 五十川としては、こっちもおまえの正体を探っているんだぞ、という意味を込めたつもりだったが、宗宮はまるで意に介していないようだった。
「ねえ、久美ちゃん。読んでない方の、貸してもらえるぅ?」
「はい、もちろんです」
 手持ちぶさたの宗宮は、テーブルの上で遊んでいた教則本のコピー束に手を出した。
「ふーん」
 宗宮は速読でもできるのか、それとも適当に眺めているだけなのか、あっという間に一冊読み終えて、「なーんだ」とでもいうような声を出した。
「なにか新しい発見でもあったのか?」
「そうねぇ。まずは音階練習が基本みたいだけれど、音合わせのためのチューナーとか楽器がここにはないのよねぇー」
「安めのキーボードでも買ってくればいいだろ?」
「それは無理よぉー」
 宗宮の言葉に、久美もうなずく。
「なんでだよ?」
「この学校、出入りには厳しいのよねぇー」
「そうなのか……」
 いわれてみれば、バス停とトンネルの間にはゲートがあったし、そのほかに外界と出入りできるような場所があるとは思えない立地だ。
「なんとかならないか?」
「学園内で調達してくればいいのよぉ」
 簡単でしょ? と宗宮はうれしそうに話す。
「そんなに簡単にいくのか?」
「いくわよぉ。だって、この天文台にあるものは全部、学園内から調達してきたものなのよぉ?」
 五十川の脳裏に、エアコンから冷蔵庫、テレビ、オーディオ、そしてあのサーバー群が浮かぶ。あれらは全部、学園内にあったものを勝手に拝借してきたということだろうか。
「それってドロボーじゃね?」
「外に出るなっていうんだから、仕方ないじゃない。ねぇー」
 宗宮は久美に、無理矢理同意を求める。
 久美も改めて屋上の膨大な備品を思い出しているのか、戸惑った表情をしていた。
「ひとりでやったのか?」
「まさかぁー。備品の調達は、部員一同で一致団結してやるのよぉー」
「じゃあ、キーボードの調達も協力してくれるのか?」
「いいわよぉー。かわいい久美ちゃんのためだものぉ。お姉さんも一肌脱いじゃうわぁ」
「ほんとに服に手をかけるな!」
 いきなりスカートのジッパーに手を伸ばそうとした宗宮の頭をはたく。
「いったーい! もう、五十川くんは冗談が通じないんだからぁー」
 ぶー! と宗宮は、ほおを膨らませている。
「ほんとはちょっとうれしかったくせにぃー。ねぇー、久美ちゃんもそう思うでしょー?」
 ふたたび久美に同意を求める宗宮。
「わっ、わたしはちゃんと服を着ていてほしいです!」
 無理に話を振られた久美は、真っ赤になりながら空を仰ぎ、そういったのだった。
「それじゃ、さっそく部員に号令をかけるわよぉ」
 宗宮はアタッシュケースを持ち出すと、パラソルの下でアンテナを立ててモールス符号を打ち始めた。片手には使い込まれた乱数表があり、暗号通信をしているのだということが傍目にもわかった。
 よく晴れた九月の空のした、屋上にたてられたテーブルとパラソル。そこには状況について行けず、ぽかんと口を開けている久美と腕組みして推移を見守っている五十川。それにヘッドセットを手に持って耳に当てながら打電する宗宮がいた。

 


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