目次
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てきすぽどーじん5号 「初体験」
「親不孝ウエストゲイパーク」 山田佳江
親不孝ウエストゲイパーク
親不孝ウエストゲイパーク(1)
親不孝ウエストゲイパーク(2)
親不孝ウエストゲイパーク(3)
親不孝ウエストゲイパーク(4)
「原発少女・福島もんじゅ ~パイロット版~」 シゾワンぷー
原発少女・福島もんじゅ ~パイロット版~
原発少女・福島もんじゅ ~パイロット版~(全)
「穴蔵の娘」 雨森
穴蔵の娘
穴蔵の娘(1)
穴蔵の娘(2)
穴蔵の娘(3)
穴蔵の娘(4)
穴蔵の娘(5)
「パラレルワールドの僕」 香吾悠理
パラレルワールドの僕
パラレルワールドの僕(1)
パラレルワールドの僕(2)
パラレルワールドの僕(3)
パラレルワールドの僕(4)
パラレルワールドの僕(5)
パラレルワールドの僕(6)
パラレルワールドの僕(7)
パラレルワールドの僕(8)
「テキスポで暮らした人たち」 蟹川森子編
テキスポで暮らした人たち
テキスポで暮らした人たち(1)
テキスポで暮らした人たち(2)
「惟任百里的初恋探偵物語」 あやまり堂
惟任百里的初恋探偵物語
惟任百里的初恋探偵物語(序)
惟任百里的初恋探偵物語(1)
惟任百里的初恋探偵物語(2)
惟任百里的初恋探偵物語(3)
惟任百里的初恋探偵物語(4)
惟任百里的初恋探偵物語(5)
惟任百里的初恋探偵物語(6)
惟任百里的初恋探偵物語(7)
惟任百里的初恋探偵物語(8)
惟任百里的初恋探偵物語(9)
誤訳捏造「OUTサイダー」 茶屋休石
誤訳捏造「OUTサイダー」
誤訳捏造「OUTサイダー」(序)
誤訳捏造「OUTサイダー」(1)
誤訳捏造「OUTサイダー」(2)
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てきすとぽい
「異世界のメロディ」 松浦俊郎
異世界のメロディ
異世界のメロディ(序)
異世界のメロディ(1)
異世界のメロディ(2)
異世界のメロディ(3)
異世界のメロディ(4)
異世界のメロディ(5)
異世界のメロディ(6)
異世界のメロディ(7)
異世界のメロディ(8)
異世界のメロディ(9)
異世界のメロディ(10)
異世界のメロディ(11)
異世界のメロディ(12)
巻末の随筆
巻末容赦
てきすぽどーじん5号「感想会」のお知らせ
誤字脱字、誤植のお詫び
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原発少女・福島もんじゅ ~パイロット版~






原発少女・福島もんじゅ
~パイロット版~




シゾワンぷー




 

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原発少女・福島もんじゅ ~パイロット版~(全)

 
 やっほー! アタシ、福島もんじゅ。原発少女なの。必殺技はアトミックブラスト・リンボ落し。よろしくね!
 今ね、地球人類は大変なんだ。
 過激な銀河広域生物保護団体コズミック・シェパード(※注、宇宙語意訳)に目を付けられちゃったの。
 コズミック・シェパードの言い分はこう。
「貴重なる地球環境及び、圧倒的多数の生物種資源において、人類は不必要な害悪である。よって我々は宇宙の代表として、圧倒的多数の生物を守るため、人類の自滅による速やかなる絶滅を補佐するものである」
 と、いうわけで対人類環境変成生物、アーメックが続々と送り込まれちゃって。
 こいつらは周囲の植物に影響を与えて、人間の脳にしか作用しない神経毒の発生を促すの。それを吸っちゃった人は大変。恐怖と危険に関する感覚が麻痺しちゃって、どんどん自殺しちゃうんだ。
 そのうえ、こいつらは基本的に不死身。もう始末に負えなくて。
 人類大変、超大変。宇宙からの攻撃なんて、地球人類初体験!
 でも、別の宇宙団体が助け舟を出してくれたんだ。大いなる性善説支持同盟(※注、宇宙語意訳)っていうんだって。
 その大いなるさんたちは言ったの。
「地球にあるリソースを用いて対抗する手段を持つ手助けをしよう」
 そこで「いますぐ消えても困らないけど、すっごいパワーのあるもの」が国民投票で選ばれたの。日本の場合、各地の原子力施設が。
 なんか、「どうせ綺麗さっぱり無くなるなら日本の掃除もしてもらおう!」って運動してた人たちが大勝利したとかって聞いたけど、アタシよく分かんない。
 そして一人の少女の体内、隣接異相空間内に、パワーソースとして原子力施設をぱんぱんに詰め込んで……アタシ、原発少女・福島もんじゅ爆誕ってワケ。
 アタシもどうにかして選ばれたはずなんだけど、隣接異相空間を構成するための副作用だとかで、もんじゅになる前の記憶がないんだー。みんなも教えてくれないし。
 でもアタシ、前向きだから。全部終われば、ゆっくり記憶を戻す処置をしてくれるんだって。
 だからアタシ、今日も戦う。

 ここは代々木公園。目の前にピンクの大きな原形質、アーメックがいる。
 こんな都会のど真ん中に出てくるなんていい度胸してるわ。もう大勢の犠牲者が出てる。
 アタシは怒りとともに叫ぶ。
「原子力パワー、臨界!」
 アタシの体がチェレンコフ光に包まれる。遠くでたくさんの悲鳴が上がったわ、早く片付けないと。アタシは両腕を突き出した。
「アトミックブラスト!」
 原子力の炎がアーメックを焼く。こいつらは不死身だけど、これでしばらく動けなくなる。アタシはしなびたアーメックを抱きかかえて原子力ジャンプ。百メートルほど上昇したあと反転、原子力加速も使って急降下。
 地表には原子力パワーで導いた、リンボへの扉が現れる。
「リンボ落しぃぃぃぃっ!」
 アタシは落下の衝撃力をもってアーメックを扉に叩きつけ、リンボの彼方へと放り込んだ。こいつら不死身だから、地獄の辺土にでも送り込むしかないのよねー。
 ふぅ、一仕事終わり。いつものことだけど、遠くでたくさんのヘリコプターが飛んでるわ。

「……もんじゅがアーメックを倒しました。神経毒警報解除。放射性降下物に注意して避難してください。半径六十キロ圏内は避難指定区域です、もんじゅ中心点から速やかに避難してください……」
 あの失礼な言い回しは、なんとかしてもらいたいな。代償を伴わない戦いなんてあるわけないじゃない。ここも人が入れなくなって植物が生い茂り、野生の動物たちで溢れるのね。でも、大丈夫。数百年もすれば人間も戻ってこれるわ。アーメックはいないんだもん。
 今夜のごはんも、きっとおいしい。
 アタシがこんなに頑張ってるのに、世の中悲観的な人も少なくないの。
 テレビでえらそーな人がよく喋ってる。
「我々はハメられた……」
「大いなる性善説支持同盟こそが、コズミック・シェパードの本体では……」
「植物の情報伝播さえ防げれば……」
「自殺による突然死か、放射線による緩慢な死か……我々は……」

 この前なんか、応援に来たっていう自衛隊の人たちに間違って攻撃されちゃってさー。
 軽くお仕置きしといたけど。
 やっぱり通常戦力なんかアテにならないわ。
 アタシ、もっと頑張るから!
 応援してね!

(終)


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穴蔵の娘







穴 蔵 の 娘


雨 森





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穴蔵の娘(1)

 

 夜陰のなか、絶えず雨が地面を打つ音が続く。
 屋根伝いに庇から零れ落ちる雨だれは、すでに男の全身をしとどに濡らしていた。男の足元には鉢に植えられた朝顔の小さな蕾が雨に打たれてしなだれている。
 男は息を潜め、じっと頃合が訪れるのを待っていた。四谷伊賀町の辻を裏手に入った密集する長屋では一度騒ぎが起これば、無事に逃げおおせる事は難しかった。
 目当ての長屋は間口が狭く音も洩れやすい、誰にも見咎められずに事を成就させるのは至難の業といえた。しかし、少なくとも確実を期すためにはこの激しい雨が止まぬうちに仕掛けなければならない。
 だが男の胸中には、かつての懊悩の残り滓がまだ燻り続けていた。それは、男自身の正気を確かめる最後のよすがとも言えた。
 腰の佩刀の鯉口を切り、ぬらりと刀身を抜き出す。木鞘と柄糸が雨水を吸ってずしりと重い。この重さこそおれの最後の良心だ、と男は思った。それをこそ男は金繰り捨てて行かねばならなかった。
 あの女を斬らねばならぬ。男は頭の中で胸中の残り滓を説得した。
 あの女を殺す事でしか、おれは救われぬ。狂ってしまえ。狂って、斬り捨てねばならない。男はかちかちと歯を鳴らしながら切っ先まで抜き放った刀をだらりと右手にぶら下げると、深く息を吸い込んだ。

 ――遡ること半年前。三浦彦四郎は心の底にぐつぐつと沸き立つ、言い表せぬ焦燥に身を焼いていた。
 恋だった。それは朴念仁の彦四郎にも分かる。だがその恋は今までの味わったどの恋慕よりも彦三郎の心を傷め付けるものだった。
 幕府直属である先手鉄砲組の同心としての彦四郎は、よく言えば謹厳実直だが悪く言えば洒脱さとは無縁のいたって面白みのない男であり、彦四郎自身もそれを自覚していた。武芸達者や腕自慢の多い先手組の中では直心影流の目録添状を修めた事は目立つ経歴ではなく。役目にひたむきではあったが同心たちの間での彦四郎の評価はせいぜい中の上といった所で、誰からも恨みを買う事はないがその生活は穏やかで、反面無味としたものでもあった。
 だが彦四郎の日常はそれまでとは一変してしまった。彦四郎は目前に投げ出された四本の足を凝視した。そのうちの二本の足の生白さが恐れとなって彦四郎の胸に迫った。
 新富町の舟宿で、その日も彦四郎はるいと会い、一見細身にして豊満な肢体を充分にまさぐった。
(なぜ、こんなばかな事を繰り返すのか)
 それは彦四郎がいつも思う事だったが、そう思うのは決まって逢瀬の後の事だ。
(やはりおれは取り憑かれたのかもしれぬ)
 もぞ、と敷布の上で彦四郎のものと交わっていた白い足が動いた。その足先から手前へとたどってゆくと、生白い太股と尻が彦四郎の躯の上に吸い付いている。
 るいはゆっくりと身を起こすと二つのゆたかな乳房が彦四郎の眼に露わになった。女はその事に恥らいも見せず「帰ります」と告げた。彦四郎が無言で頷くと、るいは衝立に隠れて身を整え始める。
 襦袢と小袖を手際よく身にまとう音を彦四郎は呆然といった態で聴いていた。まるで、辺りに乱れ散らばっていた小物がみるみる内に用箪笥に仕舞われてゆくようだった。このるいという女の本性とはどこにあるのか彦四郎には未だにして分からない。行為の後の余韻を少しも見せる事のない所作で衝立から離れ、きっちりと襟を正したるいを彦四郎は見上げた。るいはその頬からうなじをほのかに赤く染めていた。何度肌を合わせても気の馴染む様子のないこの女から、隠しようのない秘事の証を認めた彦四郎に得体の知れぬ充足がこみ上げた。
「次はいつ会えようか……」そう開きかけた唇を慌てて彦四郎は噛み締めた。その言葉はるいにかけるべき種のものではない。一拍の間が空いて、るいの瞳に初めて微かな動揺が見えた。
「帰ります」
 目を伏せて同じ言葉をもう一度繰り返すと、るいは襖を開けて部屋を出て行った。彦四郎は自らに去来する衝動を抑え煙管に火を点けた。
 これは決してるいへの恋慕ではなかった。少なくとも彦四郎には別段の情はない。これも全てつやのためなのだ。改めて彦四郎は、るいへと延びてゆこうとする己の欲を断ち、つやの美しい声を思い浮かべた。

 

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穴蔵の娘(2)

 
 すべての切欠は声だった。
 この頃、彦四郎は四谷本塩町に居を構える上田孫兵衛の道場で通い稽古をしていた。
 上田孫兵衛はかつて品川台町にあった直心影流細木道場の同門で彦四郎にとっては兄弟子にあたる男だったが、その歳の差は親子ほど離れており、実直な性分に似た粘り強い剣を遣うこの弟弟子に孫兵衛はなにかと眼をかけてきた。孫兵衛たち直系の師である細木甚左衛門が病没してから、目録添状を修めたきり三年ほど道場稽古を離れていた彦四郎を孫兵衛は惜しみ、自らの手で極意傳位を取らせるため彦四郎を道場に引っ張りこんで稽古をつけさせた。
 この孫兵衛の世話焼きは、彦四郎にとって辟易する類のものだった。先手組の平同心は俸給が薄く、非番の日は傘張りなどの内職をして日々のたつきとするのが専らで、剣術稽古などに割く金も時間も惜しかった。そして彦四郎にとって厄介なのは、孫兵衛という兄弟子が拒絶や金の無心が気安くできるような男でもない事だ。けっきょく、兄弟子の誘いを無碍にはできない彦四郎は自らの暮らし向きを犠牲にして渋々と道場稽古に精を出すほかなかった。
 その日も彦四郎の組は非番で、組子の同心たちはそれぞれが内職に勤しんでいたが、一方の彦四郎は本塩町の道場に日の昇りきらぬ朝から篭りきりで孫兵衛のもと稽古をし、帰る頃には日が沈みかけている有様だった。
 春にしてはやけに暑い日で、井戸水で汗を流した体に丁度風が心地よかった。そこで、彦四郎は初めてつやの声を聴いた。
『――つれづれと、そらぞみらるるおもうひと――』
 四谷坂町から伊賀町へと下ったあたりで、町人長屋から聴こえる若い娘の声に彦四郎はふと足を止め、長屋の木戸の前で声に耳を澄ませた。
『――あまくだりこむものならなくに――』
 どうやら和歌のようだ。声は悲しみの籠もったものであり、武芸一筋で和歌の造詣など無きに等しい彦四郎には意味までは分からなかったが、なにやら胸に訴えるものを感じさせた。既に閉められた木戸の傍で声を待ったが、その歌ひとつきりで声は途絶えてしまった。消えそうに小さいが、心に強く名残をとどめる美しい声だった。
 それ以来、彦四郎は道場稽古の帰り道に長屋の前を通り耳を澄ませるようになった。長屋の隅から聞こえる声は、和歌であったり、話し声であったり、他愛ない童歌であったりした。そして一切声のない夕もあり、そのような日はなぜか彦四郎をひどく落胆させた。
 時折、彦四郎は長屋から女が出てくる場面に出くわした。すらりと背の高い細身の女で、最初彦四郎はこの女が声の主かと思ったが、住人と挨拶を交わす声を聞いて娘とは別人だと分かった。おそらくは娘の母なのだろうと思った。

「おつやちゃんに御執心かい?」
 顔を覚えられたのか、人馴れした風の丸髷の女房から話しかけられたのは初めて娘の声を耳にしてから十日ほどが過ぎた日の事だ。
「おつや?」
「とぼけたって無駄さね。おつやちゃん目当てで木戸の前で棒切れみたいに立ってる男が時々いるんだ。丁度あんたみたいなね」
 いたって気安い口調だった。この時の彦四郎は黄八丈の小袖を緩く着流した太平楽な格好で、女房は彦四郎が町人から恐れられている番方の先手組同心とは気付きもしなかったのであろう。観念した彦四郎は、
「あの声の娘はつやと言う名前なのかえ」
 と決まりの悪い思いで自らの目当てを明かすと、女房は木柵の向こうで満足気に笑った。
「でもまあ、おつやちゃんの顔は誰も見たこたないんだけどねェ」
 誰も顔を見た事がない。その返答に彦四郎は眉をひそめた。
「そいつはどういう意味だい」
「そのままさ。おるいさん達がこの長屋に越して、もう一年になるんだけど娘のおつやちゃんの顔を見た奴は一人もいないんだよ」
 眉根をしかめて話を聞く彦四郎に女房の舌が回る。
「うちの長屋でもおかしいって騒ぐ人がいたよ。ゆうれい長屋なんて噂が立った事もあったっけ。でもね、あんな可愛い声の幽霊なんているもんかね」
 女房の話では、つやという娘は浪人者とその妻の間の娘だという。だが誰にも姿を知られぬとは、いったいどういう娘なのか。彦四郎の興味は嫌が応にも深まった。
 堪えかねた彦四郎は長屋のある伊賀町近くに住む上田孫兵衛門下で、普段から昵懇にしている徳之介に話を聞くため酒に誘う事に決めた。

 向井徳之介は御家人の次男坊で今も部屋住の身である。家禄も育った境遇も彦四郎とよく似ており、上田道場では彦四郎が叔父弟子であり徳之介とは長幼の間柄にはなるが齢は徳之介の方が二つほど上、更に剣の腕が伯仲している事もあり、道場の外では互いに彦さん徳さんと呼び交わすほど、何かにつけ彦四郎と馬の合う男でもあった。
「――彦さんの方から私を誘うなんて珍しいが、何事かあったのかい」
 麹町七丁目にある四谷見附に程近い酒屋で、まず一献を飲み干してから徳之介は彦四郎の用向きを聞いてきた。
「つうと言えばかあ、だな徳さん。しかし、まずはもう一杯飲んでくれ」
 そう言って彦四郎は銚子を傾け徳之介の杯を素早く満たした。
 ほっほ、と妙な笑い声を立てて徳之介は杯に唇を寄せる。徳之介は裏表のない好青年だが大の酒好きという欠点があり、師である上田孫兵衛からも常々注意される程だった。彦四郎が酒に誘ったと孫兵衛が知ればおそらくきつい叱責を受けるだろう事は目に見えている。彦四郎の思いはついに切迫したと言える。
「徳さん、あんたは確か在所は伊賀町近くだったね」
「おうとも」 徳之介は手酌で銚子を注ぐと五杯目の酒を飲み干す。
「じゃあ、伊賀町の裏手の『ゆうれい長屋』の噂を聞いた事はないかえ?」
「ゆうれい長屋。いや……」酔いが回り始めた徳之介の顔が赤くなってゆく。
 徳之介は曖昧にうなづくと、暫くして前言を打ち消すように「おう」と言った。もどかしくなった彦四郎は「どっちだい」と板間の床を拳固で叩いた。
「いや、知ってる。その話は聞いた事がある」
「本当かい」徳之介の酒が回り切らぬうちに話を聞きだそうと彦四郎は組み付くように徳之介へ顔を寄せた。
「確か去年だったかなァ、長屋に移り住んだ一家のうち声はするけど姿が見えねえ、なんていう娘がいたそうでね。ちょっとした騒ぎになったんだよ」
 長屋の女房から聞いた話とそのまま重なる内容に彦三郎は小さく二度頷いた。
「その話、もっと詳しく教えちゃくれないか」
 串焼きにした川魚を薦めて彦四郎は徳之介を促すと徳之介は太眉をゆがめた。
「……ひょっとして彦さん、取り憑かれたか」 
「なんだい取り憑かれたって?」彦四郎は思わず瞠目した。徳之介の顔は既に今夜酒に誘った目的に気付いている様子だ。
「その長屋に移った娘ってのは、幽霊、物の怪なんて呼ばれていたが、姿が見えない事が怖いんじゃないのさ。彦さんには分かるかね」 串焼きを手で弄びながら徳之介は上目遣いで彦四郎を見た。
「声だ」間髪を入れず彦四郎が答えると徳之介は深く頷いた。
「うん、あの声さ。聴く者の心を蕩かせちまうような、良い声だった」
「徳さんも聴いたのか……」思わぬ所で同士を得た気分になった彦四郎は羞恥も忘れて語り始めた。声を聴いた夜の事から、るいという女の事、長屋の女房との話。話が進むにつれ、彦四郎自身も信じられない程の興奮に襲われた。
「……なんと言うべきか、私には言い表すのが難しいが、あのつやって娘の声は普通の娘の声とは違うんだ。春に鳴く小鳥をこう、こしょこしょと擽って笑わせたような……。私はもう堪らない所まで来てしまっているんだよ徳さん」
熱を入れて語る彦四郎に、徳之助はまぶしいものでも見るかのように目を細めた。その顔からはすっかりと酒気が消えている。
「そうだね。……だが彦さん、ありゃあいけないよ。ありゃあ、正真正銘物の怪だ。それ以上あの長屋に足を向けるのはよした方がいい」
 彦四郎は口を開いたまま何も言えなくなった。辛うじて、「何があったんだ」とだけ声を引き絞ると、途端に徳之介の顔が険しくなった。
「悪いが楽しい酒にはなりそうにないからね、今夜は帰らせて貰うよ。彦さん、あの長屋にゃあ金輪際行っちゃならないよ」
 いいね、と念を押して徳之介は自分の飲み代を床に叩きつけ屋の暖簾を潜り足早に去っていった。
 友の背中を見送った彦四郎の胸中に止む事のない嵐が訪れた。

 


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