目次
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8月2日 18:45 利根川の夕陽
8‎月‎3‎日 ‏12:43 利根川河口付近
‎8‎月‎3‎日 ‏‎12:45 銚子大橋 上空の雲
8月6日 日の出直前
8月6日
8月6日 18:16 利根川
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8月13日 5:34
8月14日 ‏4:45 朝焼け
8月15日 17:47
‎8‎月‎18‎日 ‏‎13:55 利根川
‎8‎月‎18‎日 ‏ 14:34利根川
‎8‎月‎18‎日 ‏‎15:04 利根川 ・ 夏雲
8‎月‎18‎日 ‏15:06 利根川
8‎月‎18‎日 ‏‎15:07 利根川
‎8‎月‎18‎日 ‏‎15:24 利根川 ・ 利根かもめ大橋
‎8‎月‎28‎日 ‏ 12:00茨城空港
‎8‎月‎28‎日 ‏12:19 茨城空港
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8月28日 朝焼け
8月29日
8月29日
8月29日
8月29日
8月31日 一筋のひこうき雲
9月3日
9月3日
9月4日 4:38 明けの明星
9月6日 17:01
9月6日 17:14
9月11日 11:40
9月12日
9月12日 17:57
9月13日 17:56
9月13日 17:59 あかね雲
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9月15日 17:33 銀色から
9月15日 17:50 金色へ
9月16日 10:03 一時戻った夏空
9月16日 17:40
9月24日 11:12
9月24日 表紙に使用した写真です ^^
9月24日 17:15
‎9‎月‎25‎日 ‏17:33 炎のような夕焼け
9月28日 16:57
9月30日 嵐の前の静けさ
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10月4日
10月6日 8:19
10月6日 17:07
10月7日 16:55
10月8日 17:32
10‎月‎9‎日 ‏11:49 茨城県 袋田の滝 上空の雲
‎10‎月‎9‎日 ‏12:33 懐かしい風景
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‎10‎月‎9‎日 ‏12:33 茨城県の田舎道
10‎月‎9‎日 ‏12:38
‎10‎月‎9‎日 ‎15:58 茨城県立カシマ サッカースタジアム
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10月13日 8:06
10月13日 8:38
10月13日14:36
10月13日 14:46
10月13日 16:20
‎10‎月‎15‎日 ‏6:15
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10‎月‎15‎日 ‏‎8:14
10‎月‎15‎日 ‏8:22
10‎月‎18‎日 ‏8:18
‎10‎月‎18‎日 ‏13:27
10‎月‎20‎日 ‏16:31
10月22日 ‏‎10:22
‎10‎月‎22‎日 ‏‎13:35
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‎10‎月‎25‎日 ‏‎16:04
‎10‎月‎25日 ‏‎16:10
‎10‎月‎25日 ‏16:33
‎10‎月‎25日 ‏16:36
10‎月‎25日 ‏16:37
10‎月‎25日 ‏16:37 そろって夕日ウォッチング
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10‎月‎26‎日 ‏15:46 自宅庭から西に向かって
‎10‎月‎26‎日 ‏16:47
‎10‎月‎26‎日 ‏ 16:48 これも雲
10‎月‎27‎日 ‏‎6:12 利根かもめ大橋の上からの日の出
10‎月‎27‎日 ‏‎6:15 光のシャワー
‎10‎月‎27‎日 ‏11:43 新 銚子大橋
10‎月‎27‎日 ‏11:43
‎10‎月‎27‎日 ‏11:43
‎10‎月‎28‎日 ‏10:08 利根かもめ大橋の上から
‎10‎月‎30日 ‏16:26
‎10‎月‎31‎日 ‏7:21
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山村 暮鳥(やまむら ぼちょう)

1884年(明治17年)1月10日 - 1924年(大正13年)12月8日)

明治・大正期の詩人、児童文学者

本名、土田八九十(つちだ はくじゅう)、旧姓は志村

 

1884年1月10日、群馬県西群馬郡棟高村(現在の高崎市)に生まれる。

父・木暮久七、母・志村シヤウの長男。

父は、西群馬郡元総社村の農家・木暮巳之吉の二男で、暮鳥が生まれた当時まだ志村家に未入籍。

母方の祖父・志村庄平の二男「志村八九十」(しむらはくじゅう)として、出生届け。

弟妹にアサ、リウ、仁才、雪江、涼、百合子、明石。

1889年、父・久七が祖父・庄平との確執に耐えきれず千葉県佐原町に出奔、

母もその後を追って志村家を出たので、八九十は叔父・木暮作衛に預けられる。

後に父母が元総社村に戻り住むに及び、引き取られ、5月1日、父・久七の養子として入籍。

貧困の中で少年期を過ごす。

1899年に堤ヶ岡尋常小学校(現在の高崎市立堤ヶ岡小学校)の代用教員となる。

働きながら前橋の聖マッテア教会の英語夜学校に通う。

1902年、同教会の婦人宣教師ウォールの通訳兼秘書として青森に転任。

1903年、東京都築地の聖三一神学校に入学。

神学校在学中より詩や短歌の創作をはじめ、前田林外らの雑誌「白百合」に木暮流星の筆名で短歌を発表。

卒業後はキリスト教日本聖公会の伝道師として秋田、仙台、水戸などで布教活動に携わる。

1909年、人見東明から「静かな山村の夕暮れの空に飛んでいく鳥」という意味をこめて

「山村暮鳥」の筆名をもらう。

1913年7月、萩原朔太郎、室生犀星と、詩、宗教、音楽の研究を目的とする「にんぎょ詩社」を設立。

1914年3月、同社の機関誌「卓上噴水」創刊。

1913年12月、教会の信者や知人達を中心に「新詩研究会」を結成。

機関誌「風景」には萩原朔太郎、室生犀星の他、三木露風らが参加。

1919年、結核のため伝道師を休職。

1924年12月8日、茨城県大洗町で死去、40歳。

 

自然のあらゆるものに神を見いだす彼独特の神学は、しばしば熱狂的な信徒を怒らせ、

異端として追放された事も数多くあったという。

萩原朔太郎は「彼自身の見たる如き、ちがつた意味での基督教を信じてゐたにちがひない」と、

追悼文『山村暮鳥のこと』で述べている。

 


この本の内容は以上です。


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