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『鐸の音流るる丘に』第一章

鐸の音流るる丘に
                        たくき よしみつ


第一章   タクの村にて

     1
「だからさあ、人間ってのは『不連続性』の存在なんじゃないかって言ってるんだよ」
 薄紫色に染まっていく「タクの丘」を見ながら、トラキチが言った。
 タクはいつもよりも少しマイナーな音調で、ブルーなメロディーを奏でている。今日の風は、あまり快活なエネルギーを含んでいないらしい。
「不連続性の存在?」
 トラキチがロをつぐみ、2、3秒の沈黙が流れたので、ネピッティは、ほとんどお義理で訊き返した。
 トラキチの「哲学談義」は、いったん始まると長い。内容的には面白い部分もたくさんあるのだが、毎日のように話相手にされるのは、ちょっと幸い。最近では、なんだかんだ理由をつけて逃げてしまう村人が増えたので、人のいいネピッティが聞き役にまわることが多くなった。
 ネピッティはトラキチより2歳年上の文学少女。決して美人ではないけれど、腰までまっすぐに伸びた黒髪と、スラリとした長身がチャームポイントの、性格のいい娘だ。
「つまりね、生まれてから2、3年の記憶なんて、今のぼくにはないわけじゃん。だからさ、ぼくは今、17歳と1か月だけど、17年と1か月生きて来たことにはならないと思うわけよ。ひょっとしたら、『生まれてから17年』というのだって嘘かもしれない。ぼくの記憶が始まる瞬間のほんの少し前に、空気中からフワッと出現したのかもしれない……」
「そうね。そうかもね」
 ネピッティは素っ気なく答えた。
 ネピッティがのってこないので、トラキチは再びロをつぐみ、大きな溜息をひとつついた。
「暇な奴だって思ってるんだろ」
「え?」
「ぼくのことさ。訳の分かんないことをグダラグダラ並ベたててさ」
「ベつに。なかなかユニークな発想だなーって、感心はするけど。確かにあなたの言うことには一理あるし……。そういう発想って、いわゆる『霊肉分離論』ともちょっと違うわね」
「全然違うよ。分離とか融合とか言ってるんじゃなくて、不連続だって言っててるんだから。話の次元が違うっての。3歳のときのぼくの肉体と、今のぼくの肉体が別物であるように、精神もまた……」
「分かってるわよ」
 再び勢いづいたトラキチの言葉を、ネピッティの苛立った一言が遮った。
 ふたりは数秒間、沈黙した。
「ごめんなさい。でも、今はそういう話を交わす気になれないのよ。。そんな抽象論よりも、この村の近い将来の現実のほうが気にならないの?」
 トラキチは返す言葉を失い、また大きな溜息をついた。
 もうすぐ「長老会議」が始まろうとしている。
 タクの音を聴きながら、今日もまた、やがて確実にやって来る「利口の民」のことで、どうどうめぐりの議論が綴り返されるだろう。
「あいつは何を考えているんだろう。いつも歌ばかり伝って、答えはおしえてくれないもんなあ」
 トラキチは、さっきよりも少し青みを帯びた光を放つタクを見遣って、そう呟いた。

     2
 それは実に奇妙な存在だった。
 高さは大人の身の丈よりも少し高いくらい。全体は金属のような光沢を帯び、時には黄金色に、時には青白く、不思議な輝きを放っている。
 形は、釣り鐘を平らに押し潰したような形で、周囲にはベルト状の突起で縁取られている。
 上の方には四角い穴が二対開いていて、そこを通り抜ける空気の流れに微妙に反応するかのように、様々な音を出す。
 いや、それが「音」なのかどうか、村人たちにもよく分からなかった。
 というのは、タクの出す「音」は、耳から聞こえるのではなく、直接頭の中に響いてくるような「音」だったからだ。
 聞く者によってまったく違って聞こえたり、聞こえる者と聞こえない者がいたりする。
 タクの音には不思議な鎮静効果のようなものがあった。
 タクの音を聴くと、酒や薬草から得られるトリップ感とはまったく異質の、何とも言えぬ安堵感を感じるのだ。
 自分が、この大地としっかり繋がっているという一体感。あるいは解放感。
 そして、タクの音に、そうしたものを感じることができる者たちだけが、長い放浪の果てにこの地に集まってきて、村を作った。
 この村には、議論や口論はあっても、激しい争いや憎み合いはなかった。精神のバランスが破綻をきたす前に、それよりもはるかに強い「幸福感ヘの帰巣意識」のようなものが働き、互いにふっと息を抜いてしまうのだ。
「まあ、タクの音(ね)でも聴いて落ち着こうや」
「……んだな。ま、そういうこったな」
 何がどういうふうに「そういうこと」なのかよく分からないが、大抵の場合はそんなふうに双方が歩み寄ってしまうのだった。
      Φ
「セブリのピョンが言うことにゃ、大陸の利口の民は、もうすでに南の大島で部落を征服し、まとめ始めたそうじゃでよん。このへんまで攻めのぼって来るのも時間の問題じゃでよん」
 長老格の中でも、最も年長のジサマが、熱いウーロン茶を飲みながら言った。
 ジサマはウーロン茶が大好きで、一日に5、6杯は必ず飲む。、
「やっぱ、武力にもの言わせてるのかね」
 大柄なボルトンが、顔を曇らせながらジサマに訊ねた。
「んだな。武器がまるっき違うでよん。やつら鉄を作れるでな。この列島の連中は、まだ鉄なんてもん、知らんでよん。石っこさ持って、ワーワーやっても、所詮通じんで」
「しかし、あそこはクマビトさんが頑張ってる所でしょ。石ころしか使えないとしても、クマさんたちがそう簡単にやられちゃうとは思えないがねえ」
「そうじゃな。だども、利口の民は、力だけでなく頭を使うでよん。平伏(へぶ)す民に稲作りさ教えながら、うまく支配下に組み入れてよん、クマビトやハヤトの一部にも、うまーく取り入って手懐けてるで。
 ピョンの話じゃ、すでにクマビトやハヤトの一部は、利口の民の手下になって、平伏す民に威張り散らしているそうじゃ。自分たちの下になる民がいれば、なんとか満足するっちゅうこっちゃなあ。平伏す民のほうは、支配されながらも、なんとか食っていける暮らしを保障してもらって、それで満足してくように自分を偽ってるだな。小さな欲でも、数が集まりゃ、大きな保守勢力になるでなあ」
「レベルが低いですなあ。あー、やだやだ」
 酒屋のコシノじいさんが、大きな声で言った。「あー、やだやだ」は彼の口癖である。
「この島も、どんどん住みにくくなりますわね。素朴な人達が多かったのに、みんなそんなふうに、少しずつ変わっていくのね」
 アカネ先生が悲しそうにうつむいた。
 アカネ先生はまだ30代だから「長老」と呼ぶのはおかしいが、村の子供たちの教育係という立場を尊重されて長老会議のメンバーに加えられている。
「この島だけじゃないでしょ。世界全体が、どんどん住みにくくなっていくわけですよ。あー、やだやだ」
 コシノじいさんの「あー、やだやだ」に合わせて、丘の上のタクも、フォーン、ズルズルと、悲しそうな音をたてた。
「しかし、嘆いてばかりいても始まらんでよん。問題は、利口の民がこの村に攻めのぼって来るまでに、わしらの未来を決めねばならんちゅうこったでよん。戦(いくさ)はせん。しかし、まつろうこともせん。そのためには、どうすんのがいちばんええかってことじゃで」
「戦はせん。しかし、まつろいもせん……か。難しいですねえ。なにせ相手はレベルが低いから」
 コシノじいさんが腕組みをする。
 その隣で、ボルトンは焼けてきた芋田楽を黙々と食い始めた。
「利口の民にとっては、自分たちよりも進んだ文明を持っている種族ほど危険な存在はないわけですからね。ぼくらは稲作も知ってるし、鉄よりも強い金属の作り方も知ってる。小山ほどもある巨石を動かす術も知ってるし、何よりも、寿命が長い。彼らにとって、こんなやっかいな存在はないでしょう」
 村の中でも、とりわけ真面目なイカウリが、淡々とした口調で言った。黒くて艶のある顔が焚き火に照らされ、黒耀石のように輝いている。昼間見ると、誠実さの象徴のような、青自く澄んだ目も、こんなふうに、闇の中で焚き火に照らされて光ると、正直言ってかなり不気味だったりする。
「だからさあ、問題はどうすりゃいいのさってこったろう? イカちゃんは、いつも分かりきったことしか言わねえんだから」
 それまで、ずっと沈黙を守っていたタイジが、ちょっと苛立った声を出した。
 タイジは去年100歳になったが、今でも3人の「恋人」と妻の間を行ったり来たりしているプレイジーヤだ。歌を作ったり、絵を描いたり、なかなかの才人なのだが、ロが悪く、真面目一筋のイカウリとはなにかとウマが合わない。
「だから、どうすればいいかってことを話し合ってるわけじゃないですか」
 イカウリが、珍しく少し大きな声を出した。
「話し合うったって、結局は逃げるっきゃねえわけだろ? 戦わねえってんならさ」
「逃げる……ねえ。どこヘ? どうやって? 散り散りばらばらに、みんなが勝手に逃げるのか、まとまってセーノでどこかへ移住するのか……。逃げた先の土地にだって、いつかは利口の民がやってくるでしょうし……」
「おっ、ようやく話が少し進展したじゃねえか。コシノじいさんも、早くそういう方向に話をもってってくんなくちゃ」
「で、どうなんですか? タイジさんの御意見は」
 今度はイカウリがタイジに言った。タイジじいさんは、大きな耳をピクリと動かし、少しの間言葉を捜していたが、イカウリを睨みつけるようにしてボソリと答えた。
「そりゃあ、バラバラよりは、セーノのほうがいいんじゃねえか?」
「で、行き先は?」
「東かなあ、とりあえずは……。じゃなきゃ、とにかく山奥とかだろうなあ」
「セブリもんみたいにですか? でも、我々は狩りは苦手でしょう? それに、高山地帯じゃ、稲は作れませんよ」
 イカウリがたたみかけてくる。
 タイジは、つるつるの頭にうっすらと血管を浮かび上がらせながら、イカウリを黙って睨み据えた。
「それに、この歳になると、寒いのはつれえでよん」
 ふたりのやりとりを闘いていたジサマがボソリと言った。
 それに合わせるかのように、丘の上のタクも、ブボオと、溜息のような低い音をたてた。
「タクも寒いのは嫌だとよ」
 タイジが丘の上をチラッと見上げて言う。
「今日の結論としては、逃げるしかないけど、寒いのはやだ……と、こういうことですかな」
 コシノじいさんが妙なまとめ方をする。
 芋田楽を食ベ続けていたボルトンがニヤッと笑った。
 長老会議は、まだまだ長引きそうだ。
 
      3
「……だからさあ、幸福ってのは、質よりも持続時間なんじゃないかって言ってるわけよ。例えば、3の幸せが一生続いた方が、マイナス3の不幸がずっと続いた後に10の幸せが訪れてすぐ死ぬよりも、トータルとしては幸せなんじゃないかって思うわけよ」
「それは変よ。マイナス3の不幸の時期が、その後訪れる10の幸せを2倍にも3倍にも感じさせるバネになることだってあるし、死ぬ時に幸せな方が、結局は人生の充実感も得られるだろうし……」
「いや、それは錯覚だね……」
 朝っぱらから、例のごとく哲学談義をしているトラキチとネピッティのところヘ、クズ族の少年コロタが訪ねてきた。手には、さっき仕留めたばかりの野ウサギを2匹ぶら下げている。
「こんちは」
「……え? あ、やあ……あっ、ああーっ」
 トラキチは、コロタがぷら下げている野ウサギを見て叫んだ。
「また殺しちゃったの? うーむ」
 ネピッティも、ダラリとのびきった2匹のウサギの死体を見るなり、表情を曇らせた。
「2匹捕れたから、1匹やろうと思って」
 コロタは、キョトンとした目でトラキチを見ながら、クズ語でそう言った。
「あ、そう……。でも、オレ、ウサギ捌けないしなァ……。お肉にしてから持ってきてもらえると嬉しいんだけどなあ」
「なにそれ。結局は食ベるんじゃないの」
 ネピッティが言った。
「神に感謝して食ベるんだよ。食ベてあげなきゃ、ウサギだって死に損じゃないか」
「食ベられても食ベられなくても、ウサギにとっては殺されちゃうことに変わりはないわ。あなただって、死んだ後、食ベられようが、厳かに埋葬されようが、関係ないつて思うでしょ。生きてるうちが花なのよ」
「うーむ
 これは、ふたりの哲学論争にしばしば登場するテーマだったが、いつもトラキチの「うーむ」で終わってしまう。
 ちなみにネピッティはヴェジタリアンだったが、タイジじいさんの「動物性蛋白質を取らないと美容に悪いぜ」の一言で、最近ようやく魚は食ベられるようになった。
 トラキチは、実のところ肉は大好物だ。しかし、自分で狩りをしたことはない。いつも誰かが捕ってきたもののおすそ分けにあずかっている。
 そんな自分をつくづくずるいと思うが、自らの手で獣を殺せない自分と、獣の肉を美味いと思う自分の矛盾は、未だに解決できないままだ。
 コロタは、難しい顔をして考え込んでいるふたりに構わず、腰から石のナイフを抜くと、見事な手さばきでウサギの皮を剥ぎ始めた。
「毛皮は持って帰るよ。弟に手袋作ってやるから」
「弟思いだな」
 ……と言おうとして、トラキチは、クズ語で「弟思い」というのはどう言えばいいのか迷った。
 クズ語は単語が少ない。兄と弟という言葉もなく、兄弟姉妹はみんな同じ「アンニャ」という単語で表される。数も10以上は滅多に使わず、11以上の数は「イッぺ」、教えられないほどの多数は「メチャイッぺ」という言葉で片付けてしまう。
 クズは、この列島の原住民の中でもとりわけ素朴で親しみやすい部族だ。
 祭りをこよなく愛し、他の部族に比ベると音楽や舞踏のセンスもよい。
 お祭り好きのタイジじいさんは、クズ族の祭りの夜は必ず酒瓶をぶら下げて遊びに行く。
 クズ族の村にタイジじいさんの隠し子がいるという噂もあるが、確かめた村人はいない。
 タクの村の周辺には、クズ族の他にもアマやツチビト、エミシなどの部族がいたが、タクの村人たちと直接交流があったのは隣村のクズ族だけだった。
 完全平和主義のタクの村人たちにとって、お人好しでお祭り好きのクズ族はよき友人だった。時にはクズ族へ米や農作物をプレゼントし、クズ族もそのお礼に、獣肉や魚などを手土産にタクの村を訪れた。
 クズ族以外の部族は、タクの村の存在は知ってはいても、自分たちから近付こうとはしなかった。
 圧倒的な知性と文化を持つ謎の集団が気味悪かったからだ。
 そもそもタクの村人たちは、「部族」と呼ぶにはあまりにも奇異な存在だった。
 まず、身体的特徴が一様でない。
 黒い皮膚にチリチリ頭のイカウリのようなグループがいるかと思えば、やたらとなまっちろい肌をして、鼻がとんかつた連中もいる。
 クズ族やアマ族に似た、黄色い肌に黒い髪の連中も多かったが、話す言葉や生活習慣などは、他の列島原住民とはまったく別のものだった。
 タクの村人たちは、とにかくずば抜けて頭がよかった。そして、何よりも驚くベきことは、その寿命の長さである。
 平均寿命は200歳に近い。それ故、村には若者は少なく、老人たちの姿が目だった。
 村には立派な灌漑施設があり、上下水道も完備していた。
 また、彼らは不思議な力で岩を切り出し、組み立てる技を習得していた。
 もっとも、彼らの作る建造物のほとんどは木造だった。
 それだけ圧倒的な能力を持つタクの村人たちのことだから、この島全体を支配することもできただろうが、彼らにはそんな気は毛頭ないようだった。
 自分たちの衣食住をまかなうだけの産業システムを作り上げると、あとはせっせと趣味に時間をさいていた。
 奇妙な石像造りに夢中になる老人がいるかと思えば、毎日、草笛で作曲しては、作品を発表する音楽青年もいた。
 彼らに弱点があるとすれば、それは動物的な闘争本能の欠如だろう。
 また、それに関連しているかどうかは分からないが、この村では、なぜか極端に出生率が低かった。生涯、ひとりでも子供に恵まれる夫婦は幸せと言えた。
 だから、子供は村の宝であり、生まれた子供は、両親だけでなく、村人全体の愛情や教育を受けて育った。
 例のタイジじいさんの「隠し子」の噂などは、もし本当だとしたら、画期的な事件なのである。
 こんな、まるで異次元世界のような村だったから、隣村のクズ族も、最初は気味悪がって近づこうとはしなかった。
 しかし、「これはひょっとしたら神様たちかもしれない」と思い始め、ジャンケンで負けた部族役員がふたり、恐る恐る捧げ物を持って訪ねて行った。
 すると、そのふたりを迎えた村人たちが、
「いやあ、わるいなァ。これ、くれるの? まあ、お茶でも入れるから、ゆっくりしてってよ」という調子で歓待したものだから、クズ族は「なんて気持ちの広い神様たちなんだろう」と感激し、以降、ちょくちょく行き来するようになったのだった。
 コロタの世代になると、もはや「タクの村人は神様だ」という意識はない。「頭はいいけれど、どこか頼りなく、狩りも満足にできない変な友達」というところだろうか。
 クズ族の長老たちは、そんな若い世代を、
「あんまり調子に乗るでねーぞ。あのかたたちは、その気になれば何でもできる神様のようなおかたたちじゃ。あまりなれなれしくすっと、いつかバチが当たるぞ」と戒めているのだが、子供は正直だ。物心ついたときから、タクの村人たちの他意のない応対に慣れているコロタ世代には、やっぽり「変な友達」という意識しかない。
      Φ
「ねえ、コロタくん」
 ウサギの皮を剥いでいるコロタに、ネピッティが声をかけた。生々しい場面を見ないように、顔はそむけたままだ。
「コロタくんの村には、大陸から来た利口の民の噂は届いてるの?」
「利口の民?」
 コロタは怪訝な顔で訊き返した。
「何だそれ?」
「海の向こうの大陸に住んでいた民でね、頭がものすごくいいの」
「あんたらよりか?」
「うーん、頭がいいっていう意味が違うのよ。その人たちは、人を支配する術を知ってるの。他人を使って、自分の富や権力を築くのがうまいのよ。南のほうじゃ今、大変らしいわ。小さな部落を支配下に治めながら、次第に大きな国を簗こうとしているの」
「クニ?」
「そう。なんて説明すれぱいいのかな。村よりずっと大きくて、それに所属する人はみんな、同じ規則に従って生きていかなくちゃいけないの」
 コロタは不思議そうな顔で、しばらく考え込んでいた。
 ウサギの皮はすっかり剥ぎ終わっていた。
 コロタは、肉塊をさらにいくつかの肉片にばらし、大笹の葉の上に分け始めた。
「オレたちはみんな、おてんとさまの規則に従って生きてるべ。おてんとさまがいる間は、食ったり祭りをしたりできっけど、いなくなりゃ、寝るっきゃねえ。ほかにどんな規則がいるだ?」
「例えば、国になにがしかの農作物や労働力を差し出したり……」
「クニってのは、そんなに偉いんか?」
「そうねえ……国は所詮人が作り出すものだから、人以上の存在にはなれないでしょうね。人が幸せになるために国が必要になる時が来るかもしれないけれど……」
「そんなもんのために、何で大切な食い物や力仕事を差し出すんだ? オレはあんたらが好きだからウサギをやる。ウサギをやって、オレも幸せな気持ちになる。でも、そんなクニなんていう得体の知れねえもんには、ウサギはやらねえ」
 ネピッティは、それ以上の説明が思い浮かばず、しばし黙りこんだ。
 代わりに、それまでのやりとりをじっと聞いていたトラキチが言った。
「じゃあ、コロタくんさあ、もし、その利口の民がコロタくんの村に攻めてきて、『オレたちの奴隷になれ。さもないと皆殺しだぞ』って言ったらどうする?」
「ドレイ?」
「あ……ああ、そうだなー、これもなんて言ったらいいのかなあ。自分や、自分の愛する人たちのためじゃなくて、自分たちより強い人たちのためだけに働くように強制された人」
「そんなのやだ」
「そりゃそうさ。奴隷になりたいやつなんて、いやしない」
「じゃあ、ならねえ。ならねえために戦う」
「でも、相手は強いよ」
「強くても戦う」
「すごーく強いよ」
 コロタは、そこでちょっと考えこんだ。
「すごーく強いのか?」
「うん。すごーく強い。なにしろ、あのクマビトでさえ、かなわないんだから」
「オレとウサギくらいか?」  。
「え?、」
「利口の民がコロタだとしたら、コロタはウサギか?」
「いや、野豚くらいかな」
 コロタの顔がパッと明るくなった。
「野豚は強えぞ。コロタよりカある。油断してると、けっぽられて怪我することあるよ」
「でも、結局コロタくんの槍に負けちゃうだろ。力ってのは、頭のよさとか、武器の威力とかも含まれるからね」
 コロタはそこで沈黙した。
「それに、これはコロタくんと野豚の戦いのように、生きるための戦いじゃない。利口の民は、欲のために戦うんだ。利口の民は、いつかきっとこの世界を傷つけ、殺してしまうほどの大きな槍を作ってしまうと思うんだ。その呪われた勢いとでも言うのかな、これはもう、コロタくんの槍なんかじゃ止められないと思うよ」
 追い討ちをかけるように威すトラキチの目の前に、コロタは、大笹に盛ったウサギの肉をヌッと差し出した。
「あ、ああ……ありかとう」
 トラキチは、何か不浄な物にでも触れるかのように、その肉を指先だけで支えながら受け取った。
「おっ、ウサ公か。今夜はわしも呼ばれるぞ。ウサ公汁に」
 いつの間に来たのか、タイジじいさんがトラキチの背後から声をかけた。
 じいさんと入れ代わるように、コロタは無言のまま、自分の村に帰ろうとした。その背中に、じいさんが声をかけた。
「おい、コロタ。まだ聞こえんか? タクの音(ね)は」
 コロタは立ち止まり、じいさんのほうを振り向き、次に丘の上のタクを見上げた。
 タクは静かな持続和音を奏でている。
 少なくとも、じいさんやトラキチやネピッティには、そう聞こえた。
 しかし、コロタは黙つて首を横に振った。
「そうか。でも、きっとそのうち聞こえるようになる」
 じいさんは、なぜか自分に言い聞かせるようにそう言った。
 コロタは、ちょっぴり寂しそうな笑顔を見せ、再び背を向けると歩き出した。
 
        4
 その夜、タクの村では定例のコンサートが開かれていた。
 今夜の演奏者はトラキチとイカウリ。そしてトリがアカネ先生だ。
 まず、トラキチが丘の上に登った。
 ふもとに集まった1000人余りの村人たちは、洒を飲み、芋田楽を食いながら、丘の上のトラキチを見上げている。
 トラキチはゆっくりとタクに近づいた。
 タクはトラキチの接近を感じ取るかのように、黄金色の輝きを増し、村全体を、ほんのりと夜明け前のように照らし始めた。
 トラキチは目を閉じ、そっとタクに右手を触れた。
 最初は長い、木管のような単音。それに少しずつ短い装飾音が絡まり始め、次第に大きく、複雑な音のうねりに変化していく。
「ふうん、トラのやつも、けっこう大人の音を出すようになったじゃねえか」
 タイジじいさんが、右隣りに座っていたアカネ先生に耳打ちした。
「ええ。でも、まだ技巧的な装飾音や理論先行の構成が日立ちますわ。彼には、もっと骨太でシンプルな美しさを見つけてほしいと思うんですけど……」
「はっはっは。こりゃいいや」
 じいさんが急に声を上げて笑ったので、周囲の人々が咎めるような視線を向けた。
 じいさんは肩をすくめ、今度はほとんど間き取れないような声で、左隣りのネピッティの耳元にささやいた。
「おまえさんヘのラブソングかねえ」
「知りません!」
 ネピッティは、そう言いながらもはにかむように微笑んだ。
「ふふふ。あいつのいい連れ合いになるよ、おまえさんは」
 どうも今夜のタイジじいさんは早くできあがりすぎているようだ。
 ふもとでのそんなやりとりなど知らないトラキチは、なおも演奏を続けていた。
 タクは不思議な楽器だった。
 触れる者の心の中を読み取り、多彩な音色でメロディーを奏でる。
 和音も自由自在で、およそ出せない音などないのではないかと思われた。言ってみれぱ、「精神感応型シンセサイザー」というところだろうか。
 そして、この音は、普段タク目身が出している精神波のような「音」ではなく、実際に空気の振動によって伝わる、誰にでも聞こえる音だった。
 だから、タクの村人以外の人間にも、このコンサートは鑑賞できた。事実、今も隣村のクズ族が、遠慮がちにタクの村を遠巻きにし、じっと息を殺してトラキチの演奏に耳を傾けていた。
 一方、丘の上のトラキチは、タクのひんやり冷たい表面に手を触れながら、いつも以上に迷いを感じていた。
 タクは弾き手の心を音にするだけではなく、弾き手が問いかけてくるものを受け、何らかの答えを返してくる。つまり、タクと演奏者の心がひとつに融け合い、うまい掛け合いがなされたとき、この即興演奏は作品として美しく完成されるのである。
 今夜のトラキチのテーマは「人間の最高の幸せとは何か」という壮大なものだった。
「人間の幸せとは、所詮『大いなる錯覚』にすぎないのではないか」……というのがトラキチの持論だった。
 幸せとか不幸せというのは、物理的な現象や具体的な状況ではなく、あくまでも個人が心の中に感じる抽象的な価値だ。
 例えば、不条理に満ちた夢の中でも人は幸せを感じられる。
 だとしたら、幸せの最高の形は、純粋に精神的、感覚的なものなのではないか。
 もし、そうした「幸福の絶頂感」を恒久的に得られる方法があれば、人間には富や名声はおろか、肉体すらいらないのではないか……?
 トラキチはタクにそう間いかける。
 タクはそれに対し、肯定も否定もしなかった。
「いいところに気がついたねえ、トラキチくん。でも、きみは現実に、この世の中に『人間』という生物として生きているわけなんだ。その事実を受け入れないまま、精神だけの幸福感を追求することばできるのかな?」
「できるのかできないのか、それを教えてほしいのさ」
「困ったね。ワタシは神ではないから……」
「またそうやって逃げるのかい?」
「……」
 トラキチの演奏は、タクとのそんな禅問答のようなやりとりだった。
 もっとも、トラキチの迷いや苛立ちのわりには、奏でられる音楽は清く、深く、聴く者を十分に感動させるものだった。
 
       5
 定期コンサートの翌朝、何か月ぶりかでセブリのピョンが、ひょっこりタクの村を訪れた。
 ピョンの姿を見つけたジサマは、持ちわびていたように駆け寄ってきた。
「いやあー、ずいぷん無沙汰したでねえか。何かまた新しい知らせがあるんだべえ? はよ、聞かせるでよん」
 ピョンは、ジサマの皺だらけの笑顔を見ると、フッとクールな微笑を返した。
 セブリは山岳民族である。他部族との衝突を嫌い、列島の中央部を縦に走る高山づたいに移動生活をしている。
 たまに、マムシやスッポン、ウナギなど、精力のつく獲物を持って里ヘ下り、塩や海草などと交換していく。
 しかし、それ以外はほとんど姿を見せることもなく、自分たちだけの暮らしをかたくなに守っている。
 ピョンはそうしたセブリの連中の中では一風変わり者で、なぜかこのタクの村にちょくちょく顔を出す。タクの存在が気にかかるらしい。その意味では、タクの音にひかれて集まってきたここの村人たちと、どこか共通する心を持っているのだろう。
「で、どうだなす? 南の様子は」
 持ちきれぬという風にジサマが切り出した。
 イカウリやボルトンら、長老会議のメンバーもピョンの姿に気づき、集まってきた。
「南か……。うまくないね」
 ピョンはそうつぶやくと、コシノじいさんの店先にどっかと腰を下ろし、目で酒を要求した。
 じいさんは酒徳利をピョンの目の前に置いた・
「やっぱり、利口の民の勢いはすごいんですか?」
 イカウリが心配そうな面持ちで訊いた。
 ピョンは酒徳利を手にし、グイと半分ほど一気に飲んでから答えた。
「南の大島(おおじま)は、ほとんど時間の問題だわな。クマビトとハヤトの連合軍が激しく抵抗してるけどよ、クマビトもハヤトも、半分以上はすでに利口の民の手下になり下がって、平伏(へぶ)す民の締め付け役をやってるよ。米を作らせて、利口の民に献上させるんだ。
 米ってのはすごいもんだね。肉と違って腐らねえんだよなあ。だからいくらでも蓄えることができる。蓄えることができるってことは、そいつをいっぱい持つやつと、作るだけで絞り取られるやつとが出てくるってこった。そんなこたあ、今まで考えたこともなかったけどなあ。食い物をたくさん持ってるやつは、戦わなくても人を平伏させることができる。すげえ世の中になうてきたよなあ」
「米ならこの村にも蓄えがあるでよん。でも、それはみんなのもんだ。米は生きる手段であって目的じゃねえ。米ばっか作って溜め込んでも、なんも面自くねえでよん。歌作ったり、絵描いたり、酒飲んで語り合ったりっちゅう部分がねえとなあ」
「あんたらはいいよな」
 ピョンは本当に羨ましそうに言った。
 あんたらはいいよ。賢いオツムを持ってなさる。多分、利口の民より、米作りもうまいベ。井戸や水路も簡単に作れる。岩を動かしちまうなんざ、ぶったまげるよなあ。みんなあの神さんが教えてくれなさるだか?」
 ピョンは丘の上のタクを指差した。
「いや」
 ジサマに代わってボルトンが答えた。
「技術はオレたちの先祖から受け継いできたもんだ。オレたちの先祖は、別々の土地から、あのタクの音に呼び寄せられて、この丘のふもとに集まってきた。タクはオレたちに何かを教えようとしていることは確かだけれど、それは米作りや水路を作る技術とかではない。もっと単純で根本的な、それでいて難しい間題の解決法のような気がするんだな」
「例えば?」
「例えば……幸せを捜して、それを守り抜く方法。具体的には、もうすぐやってくるだろう利口の民に対して、どう構えるかとか……」
 そこで一同はしばらく沈黙した。
 酒徳利を空にして、大きく息をついたピョンが言った。
「状況はあんたらに不利だわな。なにせこの村には兵士がひとりもいねえ。でも、いろんな技術はあるんだから、勝算ゼロってわけでもねえだろ」
「戦ったりはしません」
 イカウリがきっぼりと言った。
「戦争は何も生み出さない」
「じゃあどうすんだ? 逃げるのか? それじゃあ、いつまでたってもラチはあかねえぞ。利口の民はすでに南の大島をほぼまとめあげて、中(なか)の大島(おおじま)に進出して来てんだぜ。俺たちみたいに山づたいにひっそりと暮らすか、さもなきゃ海にでも出てくしかねえだろ。
 じゃなきゃあ、いっそのこと利口の民と手を組むか? 手を組んで、平伏す民やクマビトやハヤトやツチビトを支配下におくって手もあるわな。
 それでも一番上は利口の民で、あんたらはせいぜいその参謀役にしかさせてもらえねえだろ。利口の民は序列にはうるさいからな。今のところ、ナンバー2は大陸の奥から来た書きべの民って連中らしい。その下にクマビトやハヤトの服従組が、地方の監督官って感じで威張ってるよ。利口の民は、クマビトとハヤトを合わせて『クマソ』って蔑称で呼ぷんだが、オレたちゃ、利口の民の手下になり下がったクマビ卜とハヤトのことだけをクマソ野郎って呼んでるんだ。
 まあ、それはともかくとして、あんたらが利口の民に、この物凄い技術を教えれぱ、ナンバー2確保は間違いねえだろうな」
「わしらはまつろわんでよん」
 ジサマが厳かに喜iった。
「わしら、人にはまつろわんで。お天道様と、この星の道理にだけは従うけどよん。人にはまつろわんし、人をまつろわせるのも好かん」
 それを闘いて、ピョンはニヤリと笑った。
「そうか。あんたらはオツムはあるが、心根はオレたちやクズと同じらしい。変わってんなあ。まあ、せいぜい長生きしろや。山に来るなら、マムシの捕り方くらいは教えてやらあ。あんたらには向いてねえとは思うけどな」
 ピョンは、持参したマムシとスッポンのエキス入り強精ドリンクを洒といくらかの米に換えると村を出て行った。
 その夜の長老会議はいつもより長引いた。
 そして、なぜかタクは、その夜から、長い沈黙に入ってしまった。
 
      6
 タクの音がピタリと止んでから数か月が過ぎた。
 村人たちは、間もなく訪れるであろう大移動に備え、不安のうちに荷物をまとめ始めた。
 長老会議が下した結論は「とりあえず東に逃れる」というものだった。
 村人たちの中には、遠い昔、遙か南の地で安住の高度文明を築きながら、ある日突然、他民族によりほぼ全滅させられた祖先を持つ者たちもいた。
 そうした悲劇だけは繰り返したくはない。
 タクの音に引き寄せられ集まってきた者たちだけに、タクを置いたまま、この地を去って行くということには大きなためらいがあったが、もはや一刻の猶予もなかった。
 利口の民はすぐそこまで来ていた。
 アカネ先生と子供たちは、この地に何かを残して行きたいと思いつき、石像を彫り始めた。
 子供たちは、自分の父親や尊敬する者の顔を石に彫りつけた。
「だから、なんだってんだろね」
 シニシストのトラキチは、村の入口に並ベられていく稚拙な石像群を見て呟いた。
「別にいいじゃないの。人間の行動なんて、所詮、理屈に合わない部分があるからこそ面白いんだわ」
 トラキチの影響だろうか、最近めっきり理屈っぽくなったネピッティが言う。
 イカウリは、何も語らなくなったタクを、祈るような手つきで毎日撫で回している。
 タクに何か物凄いコペルニクス的解決法を期待する村人たちは少なくなかったが、逆に、タクはこういう大事なときには頼りない、と感じている者も多かった。
 もともと、タクは村人たちの「信仰の対象」ではなかった。
 人間が理解できない、超常的な次元の何かに全面的に頼りきることは愚かなことだと、多くの村人が考えている。イカウリのようにタクを神聖視している村人は少数派だった。
    Ф
 村の周囲に、利口の民の偵察隊とおぼしき人影が出没するようになった。
 偵察隊は、村の様子を一目見るなり仰天した。
 見事に整備された上下水道。見たこともない立派な建築物。そして、丘の上にある、得体の知れない金属のような光沢を放つ物体……。
 この島の先住民の一部が、自分たちよりも進んだ技術と文化をすでに持っているということは、彼らにとってはまったくの想定外だったろう。
 彼らは、しばらくは村を遠巻きにして、周囲の調査を進めていった。そして、とりあえずはこの地域ヘの侵攻を見合わせたほうが無難ではないかと、中央本部に連絡した。
 そうとは知らないタクの村では、利口の民の偵察隊が現れたことで、引っ越し準備に火がついた。あのイカウリもついに観念し、タクに別れの挨拶をした。
 
        7
「民族大移動」の日をいよいよ明日に控えた夜、村人たちはタクの丘の下で最後の集会を開いた。
 沈黙したままのタクの前に、ジサマがゆっくりと進み出た。
 村人たちは緊張した面持ちでそれを見守った。
 村の入口付近にズラリと並べられた石像も一緒にタクを見守っているかのようだった。
 ジサマは、右手でそっとタクの表面に触れた。
 しかしタクは、やはり何も答えなかうた。
「ずるいよな」
 丘を見上げる集団の中で、トラキチが呟いた。
 それは、ある意味では村人全員の気持ちだった。
 タクの音に引き寄せられ、彼らの祖先は集まってきた。
 それまでの生活を捨て、新しい価値観を求めて、この地に集まってきた。
 いや、「新しい」というのは正しくないかもしれない。
 高度な知恵を得て、自然との調和から少しずつ外れていく生き方に疑問を感じ始めた人々が、かつて自分たちが所属していた安らぎに戻るために取り戻した価値観、とでも言うべきだろうか。
 タクの音は、そんな彼らに、漠然とではあるが、究極的な答えを得る希望を感じさせてくれた。
 そのタクが、いざとなると何も語らなくなってしまったのだ。村人たちの失望は大きい。
「わしら、あんたと一緒に、もう少しこの土地で暮らしたかったでよん」
 ジサマがタクに誇りかけた。村人たちは静かにその言葉に聞き入った。
「じゃども、もう時間がねえ。わしら、戦うことは好まねでよん。利口の民のように、他の村の民を知恵と力でまつろわせることも好まねえ。かといって、遠い南方の御先祖さまのように、無抵抗のまま一方的に滅ぼされるのも、もうゴメンだ。
 だから、とりあえずは東へ行くことにしたでよん。いつかは追い詰められっと思うが、今のとこ、他に方法が思いつかんでよん。
 あんたともう少し一緒にいられたら、その方法が分かったかも知れねえが……」
 そこでジサマの言葉がが途切れた。
 村人たちも、声にならない言葉をのみこみ、タクとジサマをじっと見つめていた。
 その時、タクがかすかに光を放ち始めた。
 青銅色の表面は、みるみるうちに黄金色に輝き始め、村全体を月明かりより明るく照らし出した。
 ジサマは驚いて、タクに触れていた手を離した。
 タクは、今まで発したことのない悲しげなトーンで、低く、長く咽び泣いた。
 ジサマは目を見開き、再びタクにそっと触れた。
 タクは、堰を切ったように、哀切なメロディを奏で始めた。
 ジサマはウンウンと何度も頷いた。
 まるで、過ちをおかした子供を許しているかのようだった
「幸せとはなんだでよん」
 ジサマが、心の中でタクに問いかけた。
「それは、すべての悲しみを共に分かちあう共感さ」
 タクが答えた。
 その言葉は、タクの奏でるメロディと共に、村人全員の心の中に響き渡った。
 タクは黄金色の光を増し、ゆっくりと宙に浮き上がった。
 村人たちの間にどよめきが起こった。
 それまで、タクが自ら動くのを見た者はいなかった。
 が、なぜかみんな、いつかはこうなるのを、心のどこかで予期していたような気もした。
 だから、宙に浮かんだタクを見て、どよめきは起きたが、恐れおののく者はひとりもいなかった。
「ワタシには、まだ答えが見えない」
 タクが語りかけた。
「しかし、完全に諦めたわけでもない。とりあえず、もう少しみんなにつきあうさ。よし、みんなが決めたように、東ヘ行こう」
 タクはゆっくりと回転しながら、東ヘ向かって空中を移動し始めた。
 村人たちはそれぞれの荷物を手にしてその後に続き始めた。
 その様子を見守っていたクズ族の集団の中から、少年がひとり抜け出し、タクの村人たちのほうへ走り寄った。
 コロタだ。
 それを迎えるかのように、ひとりの老人が村人たちの流れに逆らい、コロタのほうに歩み寄ってきた。
 タイジだった。
「おどう。俺にも聞こえたで」
 コロタが叫んだ。
「全部分がった。あんだが俺のおどうだってことも、俺がこれから何をすればいいかってことも。タクが俺に話してくれただ」
 タイジは走り寄るコロタを抱きとめ、何度も頷いた。
「そうか。タクがおまえだけに伝言したのか。そうか、そうか……」
 タイジは涙ぐんで、さらに何度も何度も頷いた。
 その様子に気がついたトラキチとネピッティが二人のもとに歩み寄った。
 ふたりとも、こんなに素直な表情のタイジを見たのは初めてだった。
「隠し子の噂は本当だったんだな」
 トラキチがネピッティの耳元にささやいた。
 ネピッティはトラキチの言葉には答えず、コロタのそばにすっと歩み寄ると、掌の上に乗るほどの、青銅でできた小さなタクの模型を差し出した。
 模型の上部には小さな穴が開いていて、息を吹き込むと、素朴な音を出す笛になる。何年か前、図工の時間に作って、アカネ先生にとても褒められたものだつた。
「コロちゃん、これ、あげるわ。辛いでしょうけど、頑張ってね」
「うん」
 それを横から見ていたタイジは、ついに耐えきれなくなり、おいおいと声をあげて泣き出した。
「おどう。もう行けや。おどうらはタクと一緒に、もっと難しい答えを捜してけれや」
 タイジは答えず、さらに泣き続けた。
 その涙は、高い理想を掲げながらも、実際にはあまりにも無力すぎる少数派一族を代表した悔し涙だったかもしれない。
 
 ФФΦ  INTERMISSION  ΦΦΦ


この本の内容は以上です。


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