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第2章 現在の宗教たる経済成長

 経済学に宿る経済成長信仰

 日本は、1985年頃から1989年の年末まで、株と土地のバブルでしたが、1637年頃蘭ではオスマン帝国から輸入したチューリップ球根によるチューリップ・バブルが発生し、一方、1720年頃英国では南海会社の株が短期間に高騰する南海バブルが発生しました。蘭は大商船団を世界中に送り込み、航海術と商業によって富んでいきました。そして、今の資本主義の原型は、ほとんど当時の蘭で出来上がりました。ゆえに、バブルが発生したといえます。一方、英国はNTTの株の事件に似た、貿易会社が国債を自社株で引き受ける権利を手に入れて 「南海計画」 というカラクリを使って儲け始めたためバブルが発生しました。このような、蘭と英国の経済的繁栄と偉大さと軍事的成功が、人類に初めて広大なる商業の重要さを教えたようで、経済学という新しい学問の誕生を促しました。

 19世紀英国では、産業革命による経済的な力が西洋の歴史を通じて初めて、代々世襲されてきた土地に根をもたない階級によって担われることになりました。1832年の選挙法改正よって、都市における中産階級の権利と連帯は決定的に拡大し、それに伴って資本をもとにした経済活動は圧倒的に活発になりました。この英国の資本主義の勃興と経済発展の 「原因と結果」 を研究したのが、アダム・スミスの 『国富論』(1776年) です。経済的繁栄は、1851年の第1回ロンドン万国博覧会が象徴的に現しています。以降、経済的繁栄が訪れた国が万国博覧会を開催します。当時の万博では参加国のいずれもがそれぞれの国の最先端の発明品を展示して参観客に披露しましたので、発明と科学技術の面が最重要視されていました。科学技術の結晶であるまばゆい発明品により、人々は社会の繁栄と物質的豊かさが永続に続くと考えていました。我が国は、高度成長華やかりし頃の1970年に大阪万博が開催されました。経済学は、このような経済成長が永続する経済の仕組みを解き明かそうとします。

 近代科学は、自然をあくまでも法則に支配された価値中立的で機械的な世界であると規定します。そして、人間による技術的な活用の材料を提供する対象と見做します。同様に経済学は、社会をあくまで商品交換法則に支配された価値中立的で機械的な世界であると規定します。つまり、自然法則は因果関係が必然であるように、経済現象も因果関係が必然の関係にあるとするのです。アダム・スミスの流れを汲んだ経済学者のリカードは、労働価値説により商品相互の交換価値の相違は、その製品の製作と分配にかかわった労働量の相対関係に厳密に依存する原理を打ち立てました。いずれの経済学も、自由主義的な社会態度を身上としており、経済の成長には自由競争が必須条件としています。自由競争による悪弊は、アダム・スミスは 「見えない手」 に導かれる市場の自動調和、リカードは自由貿易による定常状態への落ち着きで実現するという主観的条件で防げるとしました。自由主義的な発想は、昨今まで受け継がれており、市場原理主義と看板を替えた経済論が生きを吹き返しました。そして、新自由主義と市場原理主義が合わさったイデオロギーがグローバル経済を推進しています。

 財務省は1000兆円にも及ぶ借金を積み上げ、政治家をたきつけて消費増税を目論んでいます。参議院の公述人の経済学者は、デフレ時に増税するのは経済法則に反し、経済成長を図り税収を上げるのが経済法則に則った対処であると説明しています。その通りなのですが、エネルギーの無制限使用を前提にした経済学の帰結です。経済成長信仰は、経済学にとどまらず西欧文明(機械文明)の宗教になっています。

 

 外部不経済

 産業革命以降の産業発展と経済成長の追及から公害が多発し、地域問題から地球規模へと環境問題が深刻化しました。化石燃料なる商品は、市場で取引されています。市場原理主義者は、 「市場にゆだねておけば、万事につき、最適解が導かれる」 と主張しますが、化石燃料なる商品は、市場の自動調節力により効率的な人間社会状況を作り出しますが、二酸化炭素の望ましい排出量には及びません。また、標準的な自由貿易の理論は、モノを交換すると効率がよくなるとか、消費者の効用がよくなると説明すると共に、グローバル経済を促進しています。しかし、全産業及び日々の生活にエネルギーは必須で、加えて、貿易に伴う人とモノの移動つまり輸送には船、飛行機、トラック等が必須でありいずれも二酸化炭素の排出を促進します。以上から、従来の経済学は市場が自然環境と独立している前提条件で経済理論を構築していますが、現実は経済学の市場と自然環境が関係しています。

 二酸化炭素による大気汚染は産業革命以降から生じており、誰もがかかわっています。大気汚染は、誰も経済活動の対価を支払わずに影響を与えており、経済学では技術的外部性として、経済学の対象外にします。つまり、経済学は経済主体の意思決定(行為・経済活動)に伴う二酸化炭素の排出問題を科学技術の領域とし、経済学の対象外とします。ゆえに、経済学は経済成長の考えと親和性があり、経済主体の意思決定の負の側面は学問の対象外にします。その外部不経済の象徴が福島第1原発事故であり、経済学の対象外ゆえ、東京電力の損害費用とか被害者の補償費用のみが取り立たされるのです。

 昨今、気候変動に関する政府間パネル(IPCC)が地球温暖化問題の原因と目される二酸化炭素の削減を討議していますが、 「IPCC第4次評価報告書第1作業部会報告書政策決定者向け要約」 では、温暖化が人間によるものとほほ断定しています。そして、

 

(1)気候システムの温暖化には疑う余地はない。このことは、大気や海洋の世界平均気温の上昇、雪氷の広範囲にわたる融解、世界平均海面水位の上昇が観測されていることから明白である。

(2)20世紀半ば以降に観測された世界平均気温の上昇のほとんどは、人為起源の温室効果ガスの観測された増加によってもたらされた可能性が非常に高い。

 

 と論じています。2007年以前は、地球温暖化に懐疑的学者もいましたが、2007年2月のIPCCの第4次報告書が発行されて以降、二酸化炭素を主原因とする地球温暖化を支持する学者が大勢です。しかし、経済界の主流は温暖化効果ガスの排出削減に従えば経済成長を阻害するとの主張です。

 なお、外部不経済を取り込んだ経済学を構築する学者は少数であり、大多数の学者はアダム・スミス以来の経済学から脱却できません。アダム・スミスのころは経済活動による自然環境への関与は無視できたかもしれませんが、グローバル経済となり自然環境への関与抜きで経済学を構築するのは正論とは言えません。

 

 経済成長論の下絵

 産業革命以降、近代社会は経済成長を是としてきました。経済成長を是とする確なる理由は、内山節著 「文明の災禍」 から引用します。

 

 現在文明、というよりその基盤になっている近代社会の原理は、人間の欲望を無限に解き放つことによって成立した。それまでの社会がもっていた欲望に対する倫理的態度は解消され、欲望こそが社会を発展させるという言葉が、公然と語られるようになっていった。人々は欲望のおもむくままに経済活動をおこない、ためらうことなく自分の利益を追求するようになっていった。

 (途中省略)

 だがさまざまな問題をもちながらも、この人間たちの欲望を解き放った社会が今日までつづいてきたのは、欲望の肥大化による経済発展が、全体としては社会を豊かにしていくという諒解が存在していたからである。実際経済発展をとげた先進国の社会では、人々が飢えに苦しむことはなくなったし、そればかりか以前とは較べものにならないほどに多くのものを所有し、子どもたちを進学させ、ときに旅行を楽しむようにさえなっていった。問題点よりも受け取った果実の方が大きいと、多くの人たちが感じる時代が展開していったのである。

 この二十年くらいの間に明らかになってきたのは、こうした構図の崩壊だった。経済を発展させるために、日本では終身雇用制が崩れ、若者のほぼ半数が非正規雇用のかたちで働かなくなっていった。ためらいのない利益の追求はマネーゲームの場と化した市場を生み出し、それが真面目な生産活動を追いつめていくようにさえなっていった。

 

 今はグローバル経済と称して経済成長を叫んでいますが、先進国においては産業革命以降の、社会原理が通用しなくなりました。私たちは、新自由主義と市場原理主義の際限なき欲望の追求による経済論に毒され、自ら中流階級を崩壊させ社会の退廃と劣化を招き、加えて、地球規模の公害を生み出しました。その結果、先進国がつくりだした豊かさから振り落とされた人々を、大量に生み出しています。新興国は日本の高度経済成長期に相当しており、問題点よりも受け取る果実の方が大きいと感じています。でも早晩、新興国も先進国と同様の問題に直面します。その時、地球規模の公害はより悪化するでしょう。


第3章 エネルギー資源の使いすぎ

 一次エネルギーの消費量と埋蔵量

 先進国及び新興国は経済活動にいそしんでいますが、経済活動に欠かせないエネルギーが世界中でどのくらい消費されているのでしょうか。資源エネルギー庁のエネルギー白書2010年版によると、世界のエネルギー消費は年2.6%の割合で伸びており、1965年は石油に換算して39億トンだったものが、2008年には113億トンに増えています。113億トンのエネルギーの消費具合を言い表せば、人工衛星からの夜影写真が地球のネオンサインと形容できます。これら消費されるエネルギーは、石油、石炭、天然ガス、バイオマス、原子力、再生可能エネルギーの一次エネルギーで賄われています。人類は、 「石炭・石油という禁断の実」 を食べたゆえに科学技術の活用で経済成長を果たしたが、原子力発電所から出る核廃棄物、グローバルな気候変動、環境ホルモン汚染、植動物の種の絶滅等といった人類を脅かす環境問題に苦悩しているのです。

 一次エネルギーの埋蔵量は、小椋正己著 『日本機械学会誌 2010.11』 から引用します。世界の原油確認埋蔵量は2009年末時点で1兆3,331億バレル(オイルサンドを除く)であり、これを原油生産量で除した可採年数(可採埋蔵量/年産量)は45.7年です。しかし、近年の石油資源の発見・確認は深海、北極海、南極等の採掘条件の悪いところにあり、採掘に巨額の投資を必要とすることからいずれ石油の高騰は避けられないと思われます。石炭の可採埋蔵量は8,260億トンで、可採年数が119年(BP統計2010年版)と石油等のエネルギーより長く、石油、天然ガスに比べ地域的な偏りが少なく、世界に広く賦存しています。しかし、二酸化炭素の排出に難点があり、二酸化炭素の排出が少ない一次エネルギーに移行していくと思われます。世界の天然ガスの確認埋蔵量は、2009年末で約187兆m3で、天然ガスの可採年数は2009年末時点で63年です。シェールガス革命により、天然ガスは長期にわたり価格が安定する可能性があります。バイオマスについては、世界全体では、2008年時点で一次エネルギー総供給の9.7%と大きな割合を占めています。特にブラジルのサトウキビエタロールは、量的にも質的にも優秀なバイオ燃料ですが、将来の人口増を考慮すると生産能力に限界があると言わざるをえません。従って、バイオ燃料は基本的に各国・地域ごとに利用される地産地消の燃料と見做せます。1971年から2008年にかけて伸び率が最も大きかったのは原子力(年平均9.0%)です。しかしながら、2008年時点のシェアは5.8%と一次エネルギー消費全体に占める比率は大きくありません。福島第1原発事故により、原子力発電の伸びは急激に低下すると思われます。

 

 

 

 エネルギー消費による経済成長

 上に述べたエネルギー消費状況にあって、各国は経済成長競争を続けています。経済成長の伸びは、国民総生産(GDP)で計量できます。資源エネルギー庁のエネルギー白書とIMFが2011年4月に発表した”World Economic Outlook April 2011”から、エネルギー消費と経済成長率とGDPの関係を表1に示します。

 

 

 

        (注1) 経済成長率及びGDPの2010年と2011年は予測

        (注2) 単位100万toeは100万トン石油換算

        (注3) 先進国のエネルギーは北米と欧州の合計

        (注4) 新興国のエネルギーはアジア大洋州の国

        (注5) 空白箇所はデータ調査できず

 

 

 表1から、エネルギー消費と経済成長率とGDPに相関ありが読み取れます。2008年9月にリーマン・ショックがあり、2009年は世界経済の経済成長率がマイナスになっています。しかし、新興国はリーマン・ショックを跳ね返しプラスの経済成長です。特に、人口が世界1位の中国と人口が世界2位のインドの経済成長は、かつての日本の高度経済成長を髣髴させます。

 ここで、エネルギーと資源消費の象徴である自動車について考察します。自動車は、鉱物資源に恵まれ豊富に石油が湧いた米国で発達した関係で、エネルギーと資源をふんだんに使います。2009年の中国の自動車販売台数は、米国を抜き1364万台に達しました。中国市場がどの程度のスピードで成長して行くかは、環境や資源・エネルギー制約などとの問題と関係あり予測は難しいです。2008年末の中国の自動車台数は、約5000万台で人口100人当たりの普及台数は4台ですが、日本並みの人口100人当たりの普及台数が60台になると仮定すれば、比例関係で計算すると2065年に7億5000万台になります。従って、世界の名だたる自動車会社は中国に工場を建設したのです。中国以外にインド・東南アジアが経済成長を続けており、自動車が普及すると思われます。しかし、このままでは石油エネルギーと資源の多消費を招き、二酸化炭素の排出他の人類を脅かす環境問題がより深刻になると思われます。もちろん、ハイブリット車、電気自動車などの普及はありますが、経済成長が続く限り大勢に変化ありません。更に、爆発する人口増加が環境問題を一層複雑にします。ちなみに、2011年に世界人口が70億人を突破しました。

 

 二酸化炭素排出と森林面積の減少

 化石燃料を使えば便利な生活ができるので、わかっちゃいるけど電気を使い、自動車を使い二酸化炭素を排出させています。二酸化炭素は地球温暖化の主原因になっていますが、2009年の国別の人口と二酸化炭素排出量を表2に示します。順位は、二酸化炭素排出量が多い国から降順に並べています。

 

   (注1) 人口の統計データは、世界人口白書(2009年)

   (注2) 二酸化炭素排出量と排出割合は、EDMC/エネルギー経済統計要覧(2012年版)

   (注3) 単位百万toeは、100万トン石油換算

   (注4) 排出割合の合計は、小数点第二位の四捨五入の関係で100.1%

 

 

 一人当たりの二酸化炭素排出量を比べると、オーストラリア、アメリカ、カナダの順で突出しており、ロシアと韓国が続いています。日本はドイツとほぼ同じ水準です。中国とインドは 一人当たりの二酸化炭素排出量は少ないですが、排出の絶対量が多く経済成長により今後の増大が予想できます。

 原子力発電所から出る核廃棄物、グローバルな気候変動、環境ホルモン汚染、植動物の種の絶滅等といった人類を脅かす環境問題に、森林の減少が大きく影響しています。人間が適度に関与する森林の生態系は生物多様性に富、二酸化炭素の吸収と酸素の放出を担っています。また、川の上流の水源域の森林は洪水緩和、渇水緩和、水質浄化、土砂流出防止など間接的にエネルギー消費を抑えています。加えて、漁師は森と川と海は一体的な世界と考えており、よい森とよい川が漁場としても豊かな海をつくっていことを知っています。ゆえに、漁師は山に広葉樹を植林し、海岸を松林にし豊かな漁場を維持しています。

 しかるに、世界中の森林面積は2000年から2005年の間に、年間およそ730万ヘクタールの速さで減少したと推定されています。これは、北海道よりやや狭いくらいの面積に相当します。森林が農地に変わることがあり、このような場合は単純にCO2吸収量が減るとは言えません。それよりも、土むき出しの道路になったり、コンクリート道路になったり、工場に置き換わる場合はCO2吸収量が確実に減ります。たとえば、住宅木材、紙をつくるため森林を切り倒します。この場合、土むき出しの道路を使い樹木を伐採し、搬出、運送しますが、チェンーソーや森林機械、トラックに化石燃料を使います。パルプの原料となりうる元の森には植林から20年かかるとされています。

 と言うことで、人類は経済成長に一次エネルギーを消費し二酸化炭素を排出し、一次エネルギーを使い森林を減少させるという両方の行為を続けており、地球規模の環境問題を深刻化させています。


第4章 エントロピー論による地球環境の永続性

 IPCC報告書の疑問

 2007年2月にIPCCの第4次報告書が発行されて以来、G8サミットの議論により、温度上昇2度、二酸化炭素濃度450ppm以下、排出量を2050年に全世界で現在から50%削減する目標が、世界の合意となっています。世界中で二酸化炭素の排出を削減する努力をしていますが、排出量を2050年に全世界で現在から50%削減する目標を達成させる手立てが不明です。筆者は二酸化炭素の排出削減努力を否定する者ではありませんが、疑問をいだきました。IPCCの報告書では、地球から宇宙空間に放熱する場合に、二酸化炭素がダントツに一番じゃましていると読み取れます。だから、二酸化炭素の排出を削減しています。温室効果ガス世界資料センター(WDCGG)の解析による2010年の世界の平均濃度は、前年と比べて2.3ppm増えて389.0ppmとなっています。二酸化炭素濃度が389.0ppmであっても地球が温暖化しているのに、世界中で化石燃料を使って経済成長を目指しており、2050年に二酸化炭素濃度450ppm以下を達成できるのかと言うのが筆者の疑問です。

 表1から、エネルギー消費と経済成長率とGDPに相関ありが読み取れます。世界の二酸化炭素排出量は2010年で約280億トン、このままの成り行きでは2050年約570億トンに増加すると予測しており、逆に、2050年では全世界の二酸化炭素排出量を2010年比の50%削減して140億トンを目標にしました。仮に、排出量を2050年に全世界で現在から50%削減する目標を達成できれば、その後、徐々に二酸化炭素濃度が下がる目論見を描いていることは承知しています。ゆえに、2050年に二酸化炭素の排出を大幅に削減する手立てが求められるのですが、IPCCは範囲外の事柄であろうから各国の政治家に委ねています。

 

 地球に熱力学の法則を適用

 地球温暖化の原因は、二酸化炭素が地球から宇宙空間に放熱する力を弱めているためであり、地球から宇宙空間に放熱する現象は、地球を熱機関と考えれば熱力学の現象と類似しています。地球は、太陽から光として熱を受け取りますが、それ以外に人間が経済活動により熱を発生させています。夜間になると放射冷却により熱を宇宙空間に放出します。熱力学では閉じた系で論じますが、地球は熱を宇宙空間に捨てるので開いた系で考える必要があります。この違いはあれども、地球を熱機関と見做すことで熱力学の法則が適用でき有益な議論ができます。

 熱力学の法則には二種類があります。熱力学の第一法則は、19世紀の中ごろに、ジュール、ヘルムホルツらの研究によって確立され、系に仕事と熱が加わったときのエネルギー保存を表す法則です。熱力学の第一法則は、熱機関に仕事をさせるとき、外部から熱やエネルギーを加え続けなければ、その仕事を続けることができない、ということを意味しています。ですから、地球には太陽光というありがたいエネルギーが降り注いでいます。熱力学の第二法則は、さまざまに表現されますが、不可逆変化に関連した法則で、自然界における変化の向きを規定するものです。熱は高温部から低温部へ移動するため、外部になんら変化を残さないで、熱が低温部から高温部へ移動することはありません。冷蔵庫は、電気エネルギー使い熱を低温部から高温部へ移動させています。これらの法則を組み合わせると、熱力学関数としてエントロピーという量が定義できます。エントロピーは、クラウジウスが1865年に熱現象に特有な不可逆性(非可逆性ともいう)を数量的に表現するために導入した量です。エントロピーは直接測定することはできず、 「熱」 か 「物」 に付着するので付着した実体を測定し計算で求めます。このエントロピー増大則は、厳密には外部から完全に切り離された孤立系しか適用できません。しかし、充分に大きな系(=地球)を考えれば、 「エントロピーが増える方向にしか変化は起きない」 という考えが成立します。エントロピーが増える方向とは、地球の平均気温が上昇することを意味します。

 この熱力学の法則を地球規模の循環という重要な系に提唱したのは室田武氏であり、引き継いだ槌田敦氏です。筆者には、熱力学の法則を地球規模の循環という重要な系に適用して、エントロピー理論として明晰に述べる能力はありません。槌田敦著 『弱者のための 「エントロピー経済学」 入門』 に解りやすく説明されていますので、長くなりますが引用します。

 

 ところで、地球には風が吹き、雨が降るという活動が40億年にわたって存在する。その原因は、地球も巨大なエンジンだからである(櫛田 『熱学概論』 )。

 地球の地表に届いた太陽光は、大地を加熱し、大気を暖める。これにより大気は軽くなって上昇する。また水を暖めて蒸発させる。水蒸気は大気よりも分子量が小さくて軽く、また温暖化ガスなので地表の熱を吸収して暖まり、大気をさらに軽くして、大気の上昇を加速する。このようにして、上昇気流となる。

 大気は、高度が上がると気圧が下がるので温度が下がり、水蒸気は液体または固化して、雨や雪になって地表に戻る(水循環)。このとき、熱を放出するので、大気は加熱されてますます上昇の勢いを増すことになる。この上昇の勢いが強くなったのが積乱雲(入道雲)・台風・竜巻である。

 このようにして、対流圏の上部(平均気温マイナス23度)に達した大気は、宇宙に向けて低温放熱する。熱を失った大気は重くなるので、ふたたび地表まで降りてくる(大気循環)。 

 つまり、地球には、太陽光を受熱し、宇宙へ低温放熱し、大気と水の循環による巨大な気象エンジンが存在する。同じ熱量でも、低温のエントロピーは大きく、高温の熱エントロピーは小さいから、地球は地球上で発生する余分の熱エントロピーを、この熱の出入りの差で処理している。

 このようにして、大気と水の循環により地球上で発生した余分の熱エントロピーは宇宙に捨てられて、地球の活動は生命誕生以後36億年という長い期間維持されてきた。しかし、熱エントロピーは宇宙に捨てることができても、地球の中で発生した物エントロピーは地球の重力により物エントロピーのままでは宇宙に捨てることができない。

 この物エントロピーを処理する仕組みが地域生態系である。地球の表面は、森や草地など植物、そして動物、微生物など多様であるが、その生命状態は維持されている。つまり、地域生態系では物エントロピーは増えていないのである(櫛田 『熱学概論』 )。

 植物が、光合成により大気中のCO2を固定化してブドウ糖を作るときに発生した水蒸気の物エントロピーは、雨や雪になるとき熱エントロピーに変わって、これを大気と水の循環が宇宙に捨てるから問題ではない。

 問題はその次である。このようにしてできた植物はやがて死ぬ。もしも、植物以外の生物が存在しなければ、植物の死骸はそのまま地表に留まることになる。

 これを解決しているのが、植物以外の生物の存在である。植物は土から窒素、りん(燐)、カリウムなど栄養素(肥料分)を得て、光合成して育ち、動物のえさになる。そして植物や動物の死骸は微生物が分解して、栄養素を土に戻す。このようにして、地域生態系は土から始まって土という元の状態に戻っている。

 このように地域生態系では、土から始まって、土に戻ったのであるから、物エントロピーは増大していない。このたくさんの生命反応で生じた物エントロピーはこの生態系の循環によってすべて熱エントロピーに変換されて、廃熱と水蒸気として地域生態系の外に排出されている。これは、草刈りをして堆肥(土)を作る際、発熱と湯気として観察される。地域生態系は物エントロピーを熱エントロピーの形にして大気に渡すことで、物エントロピーを宇宙に捨てることができるのである。

 このように余分のエントロピーを処分して、生態系エンジンは自己を修復・再生して活動をつづけることができる。つまり、生態系も窒素、りん、カリウムなど栄養素を作業物質とするエンジンなのである。この生態系エンジンは、太陽光、水を資源として取り入れ、廃熱と水蒸気を吐き出している。酸素ガスとCO2は大気と交換している。

 

 以上をまとめると、地球では、大気と水の循環の能力の範囲である限り、熱エントロピーの蓄積を恐れる必要はなく、また地域生態系の循環の能力の範囲である限り、物エントロピーの蓄積を恐れる必要もありません。したがって、人間社会が、この地域生態系の範囲にある限り、人間社会は維持できます。そして、熱収支による熱力学的平衡状態の考えは、地球温暖化を予測している気候モデルも同様と思われます。

 

 エントロピー論によるエネルギー消費の限界

 日本では公害が多発していた1972年、ローマ・クラブの報告書 『成長の限界』 が発行されました。筆者は、グラフが多かった本であったと記憶しており、私達に 「物理的な成長には限界がある」 ことを指摘したとして知られています。 『成長の限界』 とはローマクラブが資源そして地球の有限性に着目してマサチューセッツ工科大学(MIT)のデニス・メドゥズを主査とする国際チームに委託してシステム・ダイナミックスの手法を使用してとりまとめた研究で、1972年に発表された人口増加や環境汚染などの現在の傾向が続けば100年以内に地球上の成長は限界に達すると警鐘を鳴らしました。その後、2回にわたってレポートの更新がされましたが、今日の温暖化問題や、2000年代の10年間に進んだ化石燃料の価格上昇、生物多様性の劣化など、多くの指標が予測されたシナリオどおりか、ないしはさらに早く悪化が進んでいることが報告されています。そのデニス・メドゥズ氏が、2010年9月に来日し、 改めて以下のような話をされました。

 

 (1) 「『成長の限界』 では、早く行動するほうが危機回避のためのコストははるかに安くなると指摘し

     たが、残念ながらこの40年間で工業生産は倍になった」 → これぞ経済成長 (筆者が追記)

 (2) 「これからの20年で人類が経験することは過去200年に経験した変化よりもはるかに大きい」

 (3) 「これまでと同じフレームで考えても答えは出てこない。

     オイルピークは恐らく2006年に既に迎えている。

     戦後60年余りの間に、人類が何千年の長い歴史を通じて使用してきた石油総量のうち、90%

     を消費した」 → 経済成長は、資源を枯渇させる。(筆者が追記)

 (4) 「汚染、地下水の枯渇、土壌の劣化、貧富の格差などの問題は、これまでと同じフレームでは解

     決不能」 → 経済成長は、消費を増やすのが目的。(筆者が追記)

 (5) 「時間軸を長期的に設定しないと気候変動に対応できない。政治家が次の選挙までしか考えない

     のでは無理」 → 有権者は経済成長を希求する。 (筆者が追記)

 (6) 「今行動し投資をしてもすぐに結果が出てくるものではない。成果が出るまで我慢することが必要」

 (7) 「40年前のシナリオでは2010年から2050年までに大きな問題が生じるケースが示された。

     これを持続可能なシナリオに変えるには、技術革新だけでは不可能」

 (8) 「日本の江戸時代は持続可能な社会だったが、もちろんその時代に戻ることはできない。

     しかし習慣を変えることは可能。簡単ではないし、最初は居心地が悪い。

     まずはアクションを起こすこと。試行錯誤でいい」

 (9) 「情報を示す的確な指標を提示することはとても大切。例えばGDPの何%がエネルギーに費やさ

     れているのかなど」

 (10) 「GDPで幸福を計ることは止めたほうがいい。日本は人口減少を嘆くのではなく新しいチャレンジ

     が可能」 → GDPで経済成長を計る。(筆者が追記)

 (11) 「人と人とのコミュニケーションの核心は行動を変えること。人から聞いたことはすぐに忘れる」

 

  上記の11項目の話の内、5項目は経済成長に深くかかわっています。 『成長の限界』 は、  「物理的な成長には限界がある」 ことを指摘しているのですが、グローバル経済下においてエネルギーと資源を過剰消費して経済成長競争をしています。その一方で、IPCCは二酸化炭素削減に取り組んでいますが、前に述べた疑問が解消せず、筆者はエントロピ-論による2012年現在の地球の熱収支のつりあいを計算すべきと考えます。IPCCの二酸化炭素排出削減目標は、地球温暖化防止に有効ですが、手段を目的にして二酸化炭素削減に固執してしまいそうです。仮に、2000年の二酸化炭素濃度まで下げることができても、二酸化炭素を排出しないエネルギーを過剰に消費すると地球温暖化は止まりません。IPCCの目標では、経済成長の限界が指摘できないのです。ひょっとすると既に地球の熱収支は、つりあっていないのではなかろうかと思えるのです。つまり、人間は地球が宇宙空間に放出する熱量を上回るエネルギーを使って経済成長を続けているのではなかろうかと言うことです。

 もっと物質的に豊かになりたい。もっと物質的に幸せになりたい。資本主義の総本山である米国は、アメリカン・ドリームの宣伝で贅沢な暮らしを世界中に広めています。そのため、グローバル経済における経済成長競争に勝ち抜けた人は、裕福な生活ができます。しかし、地域生態系にエントロピー処理のゆとりがなければ、経済成長はできません。その経済成長の限界はどこにあるか、エントロピー理論から導けます。乱暴にいえば、太陽から受け取るエネルギー量及び消費するエネルギーの廃熱量の合計と、宇宙空間に放熱できる廃熱量の均衡点が経済成長の限界です

 


第5章 エントロピー公害

 持続的成長または持続的発展

 IPCCから数次にわたる報告がされて、地球温暖化の気候変動に関する国際連合枠組条約の京都議定書が1997年12月に採択され、我が国は2002年5月31日に国会で承認されました。気候変動枠組国際条約締結会議は、毎年のように開催されていますが、呼応して国、政治家、企業等は単なる経済成長から持続的経済成長なる言葉を使うようになりました。心持ち環境に配慮するので従来の経済成長から持続的経済成長へと言葉を変えたのかもしれません。しかし、経済成長が主ですから生産の質や生産が社会や環境に与える影響とは無関係に生産量を増大させる意志は従来通りです。経済成長の御旗に、新たな成長が雇用を増やし税金を国に納めるので勝ち組の人は、物質的な幸福が得られると書かれているのでしょう。

 一方、経済成長競争にさらされていない国連、国、政治化、官僚等は、持続的経済発展を使う場合があります。持続的経済発展とは、経済成長を含みつつ、人間の福祉を目指すという点で経済成長を質的に超えた考えです。ゆえに、持続的経済発展では、経済成長、貧困の緩和、生態系の保護の3つの条件が不可欠です。まことにりっぱな理念ですが、経済成長と生態系の保護は両立できず、グローバル経済下の事実は格差社会の進展であり、理念の実現が危ぶまれています。ちなみに、国連開発計画(UNDP)駐日代表事務所のホームページの 「国連持続可能な開発会議(リオ+20)とUNDP」 の下に次のような世界の現実が記載されています。 

 

 私たちの住む世界

・地球人口は1992年の55億人から、現在70億人になりました。2050年には90億人になると予測さ

 れています。

・世界の最も豊かな1%が、世界の富の43%を所有し、世界の貧しい50%は世界の富の2%も所有して

 おりません。

・世界の5人に1人は、1日1.25米ドル未満で暮らしています。

・世界で消費される食べ物の3分の1(年間13億トン)は破棄されています。一方で、世界の16%は飢え

 ています。

・世界では化石燃料など持続可能でないエネルギーのために計1兆ドルの補助金を出し、持続可能なエ

 ネルギーへの投資には660億ドルしか使っていません。

・世界の9億人は清潔な水を利用できず、30億人は近代的な衛生施設を利用できません。

・最も豊かな国々に暮らす人々は、最も貧しい国々に暮らす人々に比べて、平均30倍のCO2を排出して

 います。

・UNDPの支援プロジェクトで、過去10年の間に、主に貧しい農村に住む1000万人以上が近代的なエ

 ネルギーを使えるようになりました。

 

 国連、政府機関、学者、会社等から持続的成長もしくは持続的発展を提唱されていますが、中味はリサイクルの提唱であり、再生可能エネルギーへの技術進歩の期待ですが、経済成長が根底にあるため、深刻化する地球規模の環境問題に対処できません。

 

 エントロピー論からの原発公害

 福島第1原発事故で大量の放射性物質が飛散し、広範囲の陸空海が汚染されました。エントロピー理論からは、原発のエネルギーの大量生成と放射性物質が問題になります。この内、エネルギーの大量生成問題は簡明なので、放射性物質問題を論じます。

 槌田敦氏のエントロピー論で述べたように、植物や動物(含む人間)は死滅するが、植物や動物の死骸は土の中の微生物が分解して、栄養素を土に戻します。この微生物の生命活動により物エントロピーが熱エントロピーに置き換わり大気に渡すことで、物エントロピーを宇宙に捨てることができます。しかるに、微生物は放射性物質を分解して、栄養素を土に戻せないため物エントロピーを熱エントロピーに置き換えて宇宙に捨てることができません。放射性物質は、生態系の循環の能力の対象外であり、後は長い半減期を経て放射線の力が弱くなるのを待つのみとなります。その間、放射性物質は生物濃縮と食物連鎖により生態系を長期間危険にさらします。放射性物質は、生態系の循環の能力の対象外であることが本質的な危険です。放射性物質の長い半減期の間に、生態系を内部から破壊しないことを祈るばかりです。

 更に、原発事故がなくても原子力発電所には放射性廃棄物が溜まります。この放射性廃棄物は微生物の働きで放射性物質を分解して土に戻せず、中でもアメリシウムとキュリウムの半減期は長く、再処理をしたとしても万年単位の管理を要します。万年単位の保管試験はできませんから、誰も自然環境に漏れない保証はできません。自分の生存期間内に始末できない放射性廃棄物を、末代まで管理する発想に唖然とします。

 ここでは、深刻化する地球規模の環境問題のひとつとして、放射性廃棄物を取り上げました。自然環境の破壊は、環境汚染となって人目につきやすいですが、社会的公害もしくは精神的公害は、公害たる意識も自覚もないまま深く進行します。たとえれば癌のようであり、気付いたときは手遅れになります。放射性廃棄物を末代まで管理する発想を聞くと、既に、社会的公害もしくは精神的公害を発症していると思わざるをえません。

 

 究極の熱公害

 持続可能な成長もしくは持続可能な発展からの提案はリサイクルですが、リサイクルして少しだけ地球温暖化の終着点を後ろに延ばす効果はあるでしょう。いかんせん、持続可能な成長も持続可能な発展も持続可能性を得るためには、どのような条件が必要なのかを明示していないのです。エントロピー論は、地球環境の持続性の仕組みを明らかにしています。持続可能性の条件を明示することは、経済成長の限界条件を明示することであり、エネルギーの消費量を明示することです。

 2007年2月の 「IPCCの第4次報告書第1作業部会報告書政策決定者向け要約」 の複数シナリオのシミュレーションによると経済発展重視では、1980年~1999年を基準にして地球平均地上気温が2100年に3.6度の上昇を試算しており、持続型発展社会でも同じく1.8度の上昇を試算しています。ですから、持続的経済成長とか持続的経済発展を目指しては、地球温暖化が防止できないのです。1980年~1999年を基準にして2000年で地球平均地上気温が0.2度上昇しており、2000年の二酸化炭素ガスの濃度を維持できたとしても2100年には0.6度の上昇が試算されています。2000年から2012年の一次エネルギー消費は、経済成長を希求するグローバル経済により右肩上がりに伸びており、2100年に平均3.6度の上昇シナリオで進んでいます。

 過去1000年間の観測データが示すことは、現在の気温より1度以上高かったり、1度以下低かったりした時期は一度もないのです。そのような意味から言えば、IPCCが2000年から100年後に地球平均気温が1.8度~3.6度昇温するとの予測は、人類を含む生態系に計り知れない影響を与えます。

 2007年2月にIPCCの第4次報告書が発行されて以来、G8サミットの議論により、温度上昇2度、二酸化炭素濃度450ppm以下、排出量を2050年に全世界で現在から50%削減する目標が、世界の合意となっています。一方、温室効果ガス世界資料センター(WDCGG)の解析による2010年の世界の平均濃度は前年と比べて2.3ppm増えて389.0ppmとなっています。仮に、二酸化炭素が年2.3ppm増加すると、2050年を待たず2039年頃に目標の450ppmに達します。そして、 「IPCCの第4次報告書第1作業部会報告書政策決定者向け要約」 の複数シナリオの内、最悪シナリオをも超える勢いで地球温暖化が進むことになります。地球温暖化対策は、二酸化炭素の削減を指標にしていますが、根源はエネルギーの過剰消費にありますから、エネルギー消費の削減を指標にするべきです。しかし、現実の政治力学による指標検討で二酸化炭素が指標になったものと思われます。

 我々は、科学技術により二酸化炭素濃度を下げようと努力し、エコ生活により二酸化炭素濃度を下げようと努力していますが、これらの努力をも上回る勢いで、二酸化炭素濃度が上がっています。それは、エネルギーを湯水のごとく、間接に、直接に使用しているからです。やはり、エネルギーの消費を制限しない限り、地球温暖化を止める術はありません。ここに至り、地域生態系の循環の能力の範囲である限り人間社会は維持できるという、エントロピー論による経済成長の限界に深い意味を見出せます。

 エントロピー論による経済成長の限界を明らかにすることは、地球温暖化のシミュレーションより難しいかもしれません。科学技術的な面の困難さもさることながら、2012年現在で地球の熱収支のつりあいが破られている結論になったとき、我々はどうすべきなのか途方に暮れてしまいます。ゆえに、為政者はエントロピー論によるエネルギー消費の限界見極めを避けているのではと思うのです。逆に考えれば、我々は地球のエントロピー排出能力を超えるエネルギーの過剰消費により、地球の温暖化を促進しています。以降、我々は地球のエントロピー排出能力を超えたエネルギーを消費していると仮定して論を進めます。この場合、我々の思考の枠組み(パラダイム)は根底から変革せざるをえません。

 

 削減すべきエネルギー量

 IPCCが地球温暖化問題の原因と目される二酸化炭素の削減を条約で義務付けようとしていますが、先進国が今まで好きなだけ二酸化炭素を排出してきており、新興国や開発途上国には厳しい目標値を要請することが困難です。そのため、温室効果ガスなる二酸化炭素排出の削減が困難になっています。甲斐憲次編著 『二つの温暖化』 では、科学的結論として削減すべき二酸化炭素を明記しており引用します。

 

 現在年間で見ると、大気中には地球の吸収量の2倍以上の温室効果ガスが注ぎこまれており、大気中にどんどんたまりこんでいる。何度上昇で止めることにしても、安定化時には大気への排出量が地球の吸収量と等しいか、あるいはそれ以下になっていなければならないのは自明である。この単純な原則から、気候安定化には今の排出量の半分以下にしなければならないことが結論される。また、このままの排出を続けると、あと数十年の間には2度上昇してしまうから、早急の削減が必要である。悪いことに、温度上昇と共に地球の持つ吸収能力は減少するとみられる(海洋研究開発機構ほか,2011)。

 温度が高まると土壌有機物の分解や海洋からの二酸化炭素排出が増え吸収能力が低下する。100年単位で考えると、吸収能力は現在の排出量の4分の1から5分の1まで減る。そのようなメカニズムがあるから、入りと出を等しくし気候を安定化するためには、現在の排出の4分の1以下に下げなければならないことになる。

 

 乱暴に言えば、表1のエネルギー消費を現状の4分の1以下に下げなければならないと考えると気が遠くなります。


第6章 機械文明の思考的特徴

 文明論思考から機械文明を俯瞰

 21世紀にはいり、グローバル経済が暗雲を全世界にたなびかせています。その原因は経済成長信仰であり、加速するエネルギー消費にあり、地球温暖化にストップをかけられなくなりました。この状況を俯瞰すれば、世界中に広まった西洋文明または機械文明という現在文明が、時間と共に光明面を後退させ暗黒面が前面に出ようとしています。

 現在文明の見直しは多くの人に理解してもらえていますが、その現在文明のなかにいる人間が、自分を包んでいる世界を見直すことほど困難なものはありません。たとえば、地球温暖化の対応が実行できないのがその証拠です。便利な生活を手放さなければならないのなら、地球温暖化は先の話だと考えてしまえば危機は自分の頭からなくなります。このあたりに、機械文明の問題が潜んでいそうです。内山節著 「文明の災禍」 を参考に機械文明の光明面と暗黒面を考察します。

 

(1)西欧発の近代社会の原理のひとつは、人間の欲望を無限に解き放つことにあります。それまでの社会がもっていた欲望に対する倫理的態度は、宗教改革により解消され、欲望こそが社会を発展させるという世俗的行動が資本主義になりました。この頃に、機械的自然観の哲学が下地となって、産業革命が英国で勃興した以降、科学技術が飛躍的に進展しました。人々は欲望のおもむくままに経済活動を行い、自分の利益を追求するようになりました。まさに、アダム・スミスの 「国富論」 が象徴しています。

 産業革命以降、さまざまな問題をもちながら、欲望を解き放った近代社会が続いてきたのは、欲望の肥大化による経済発展が、全体としては社会を豊かにして行きました。実際、経済発展をとげた先進国では、人々が飢えに苦しむことはなく、そればかりか以前とは比較にならないほど物質的に恵まれ、便利になりました。問題点よりも受け取った果実の方が大きいと、多くの人が感じる時代が続きました。現に、新興国は日本の高度経済成長を髣髴させており、問題点よりも受け取った果実の方が大きいのです。ですから、経済成長が止まらないのです。

 しかし、ベルリンの壁崩壊以降の資本主義はグローバル経済になり、先進国の中流階層が没落し、代わって新興国に製造業が移転した関係で中流階級が生じました。つまり、先進国では受け取る果実より問題点の方が大きくなったのです。逆に、人口の多い中国、インド、東南アジア等に工場が建設されましたから、新興国の人は問題点よりも受け取った果実の方が大きいと感じ、経済成長を目指してエネルギー消費は衰えることがありません。

(2)1632年のデカルトの 「方法序説」 に始まる近代哲学は、紆余曲折を経て進展しますが、西欧社会の集大成は1776年のアメリカの独立宣言、1789年のフランス革命のスローガンに見出すことができます。その働きは、中世の封建社会の縦の秩序をきれいに清算し、人権に進展を促し、教会の権威から解放された実践的精神活動が科学技術の発展に現れています。また、教会のくびきから開放された人間は、科学や技術の発展を支柱にした理性による普遍性の人間像・社会観の樹立と経済活動に邁進しました。その人間像・社会観として高唱したものは、誰も知る 「人は生まれながらに自由であり、平等である」 という人間観であり、その社会観は自由平等の人間が結合した社会、別けても封建的な身分上の差別を許さぬ市民社会の観念です。今日では、西欧的な特徴を帯びたこの自由と平等の人間観・社会観は、人類普遍の近代原理であるかのように考えられています。

 上記の理念で出発した近代社会ですが、別けても教会の権威から解放された人間は、人間至上主義の哲学をよりどころに、科学技術から生み出される発明品にあこがれ、生を謳歌します。そのため、機械的自然観と相まって人間の最重要な 「死」 は幕が閉じられる意味になりましました。ところが、日本において、高度経済成長が始まる前までは、社会とは自然と人間の社会であり、生者と死者の社会でした。社会の構成メンバーのなかに、自然と死者を含み、死者とともに社会をつくるのが伝統的な発想です。

 筆者は田舎で生まれ育ち、筆者が中学生のときに母親がなくなりました。葬儀は自宅で行い、地域の葬儀委員長が喪主に相談しながら葬儀を取り仕切ってくれました。葬儀を共同体でだすのは、死者はこれから共同体を支えながら生きる存在になる以上、葬儀は共同体の手でだすのです。共同体の永遠性への確信があるからこそ、人々はこの永遠の社会を、自然とともに、死者とともにつくりだします。

 高度経済成長を経て、共同体の要である農業が衰退すると共に、都市に人口が移動するため共同体の維持が困難になっています。今では、葬儀は葬儀場で家族葬を営むのも珍しくありません。機械文明は、日本の伝統的社会を壊し、そして人間は個人として生きるようになりました。ゆえに、死後を守る永遠の社会もなくなりました。だから死は終焉でしかなくなったのです。

 代わりに、我々は社会を豊かにして行き、物質的に恵まれ、便利になりました。それに比例し、我々は、石炭・石油等無生物資源を浪費し続けています。第一次産業は自然を相手にしますから、自ずと自然との共存を意識します。第二次産業は、自然と距離をおき石炭・石油等無生物資源を原料にして発明品を製造するため、自然との共存の意識はありません。更に、個人として生きる人間は最重要な 「死」 を終焉としか考えなくなりました。そのため、我々は、石炭・石油等無生物資源を浪費し続け、子孫の時代のことなど少しも考えずに、この社会の集団の不平等の利だけを計り、無生物資源がなくなってくれば、その時代の集団が考えるだろうという態度をとります。エネルギー消費を削減しなければなりませんが、以上の考察から非常に困難です。つまり、機械文明が結果的に利己主義を奨励したため、エントロピー公害を招来したのです。

(3)現在は、電力システム、生産システム、流通システム、交通システム等の各システムが連携し、豊かで便利な社会にしています。今回の福島第1原子力発電所の大事故は、社会インフラと称される電力システムの崩壊に繋がりました。そのため、東京電力管内では計画停電が実施され、筆者も電気エネルギーを前提とした社会であることを実感しました。計画停電中、電気エネルギーは欲しいが、放射性物質は御免被るハムレットの心境になりました。その後、計画停電は解除されましたが、改めて、巨大システムに依存して生きる群衆でしかないことを思い知らされました。

 産業革命以前は動力が人間または水車、馬や牛などの生の力そのままです。従って、道具の制作という意味合いが強いですが、産業革命以降は動力が人工的発動力(蒸気、電気、爆発ガス等)になり、道具の制作から機械の製作へと質的に変化・発展しました。道具の場合は、その動力となるものが人間自身にほかならぬという事情と結びついて、人間が道具を支配し、人間が道具には支配されないという人間主体性を保持することが容易です。機械の場合には、人間がこれを使っているつもりでも、実は機械の運転の管理者であり番人となり、人間の自主的主体性を確保し続けることは、機械の場合には甚だ困難です。更に、現在は機械が巨大システムになりました。巨大システムは素人が関与できず、専門家と称する人が造り上げます。知の優位性の専門領域は細分化され原子力専門家、経営の専門家、教育の専門家、政治の専門家、行政の専門家等多くの専門家が存在します。

 その巨大システムがエネルギーを多消費します。エネルギー消費による廃熱と廃物は、エントロピーとして環境に放出されます。地球温暖化、間接的にはエントロピー公害を、それぞれの専門家が集まり対策を検討していますが、エントロピーは全ての専門家の領域に係わります。エントロピー公害の対策を、原子力専門家として、経営の専門家として、教育の専門家として、政治の専門家として、行政の専門家として・・・・・それぞれの立場で事象を捉えるやり方では、地球温暖化にストップはかけられません。

 専門家は、専門領域に立脚して思考します。もちろん、ときに私たちは広い思考力を有している専門家に出会うことがあります。だがその人達は、専門家ゆえに広い思考力を有しているのではなく、自分が身を置いている専門領域に対して批判の目をもっています。あるいは懐疑する目をもっているがゆえに、専門領域以外からの思考方法も身につけているから、広い思考力をつくりだしています。福島第1原子力発電所の大事故で原子力専門家は、おしなべて想定外と言い訳をしました。専門家の専門領域に立脚した思考だけでは、問題が見えないのです。それでは、原子力専門家の専門領域に立脚した思考の見本を以下に示します。

 

 2005年12月25日、佐賀県では玄海原子力発電所3号機プルサーマル計画について、プルサーマルを推進する立場、反対の立場の双方が一堂に会し、その安全性を議論する県主催のヤラセ公開討論会が開催されました。この席上、プルサーマルを推進する立場から東大教授大橋弘忠氏の説明が、原子力専門家の思考を見事に語っています。

 事故の時どうなるかは、想定したシナリオに全部依存します。そりゃ全部壊れて全部出てその全部がそのー環境に放出されるとなれば、どんな結果でも出せます。それは大隕石が落ちてきたらどうなるかという起きもしない確率についてやっているわけですね。あのー皆さんは、原子炉で事故が起きたら大変だと思っているかもしれませんが、専門家になればなる程格納容器が壊れるなどと思えないんですね。どういう現象で、何がどうなったらどうなると、それは反対派の方はわからないでしょうと。水蒸気爆発が起きるわけがないと専門家の皆が言っていますし、僕もそうだと思うんです。

 じゃーなんで起きないと言えるんだと、そんな理屈になっちゃうわけです。まあー安全審査でやっているのは、技術的に考えられる限りですね、ここがこうなって、こうなってここがプルトニウムがこう出てきて、ここで止められてそれでもなおかつ、と言う仮定を設けたうえで、それもそれよりも過大な放射能を放出された前提をおいて計算しているわけです。

 ここが一番難しいところですけれども、我々はそれはよくわかります。被害範囲を想定するために、こういうことが起きると想定して解析するわけです。ところが、一般の方はどうしてもそういうことがじゃー起きるんだと、また反対派の方がほら見ろそういうことが起きるからそういう想定をするんだと、逆の方向にとられるからおそらく議論が噛み合わないんだと思います。

 

 エントロピー公害に対して、専門家は想定外と言うのでしょうか。専門家を離れればエントロピー公害の加害者でもあり被害者であるのですから、常に全体を顧みては自分を位置付ける配慮をすべきであり、機械文明という全体を顧みて自分を位置付ける思考の枠組を作らない限り、経済成長信仰はなくなりません。



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