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天皇家の正統性などひと言も主張していない
神話は天照大神を讃えていない
天皇の悪口を書く
出雲神の祭祀から歴史を始めた
古代天皇の皇后を出雲神の子だとした
『記紀』編さんの背後に出雲氏族
天皇に無礼な出雲国造の祝詞奏上
天照大神は鏡を宮中から出すなと言った
伊勢神宮は存在してはならない
天皇は誰も伊勢神宮を訪れなかった
天照大神が最高神に決まったのは明治時代
伊勢は太陽信仰の聖地ではない
天照大神は太陽神ではない
伊勢神宮は東方進出の基地ではない
皇祖の祭祀はヤマトから追放され伊勢に幽閉された
出雲神を祀られねば殺される
四百年も放っておかれた伊勢神宮建設
内宮よりも外宮を先に祭る
外宮の鎮座記はウソを書いている
伊勢神宮の奇妙な祭神たち
神社は出雲が発明した
外宮の度会氏が北陸遠征
度会氏の正体は出雲氏族
外宮は内宮への交通を遮断する関所
出雲が外宮を建てた
全国の大社・古社は出雲神を祀る
スメラ尊は日本を守るために選ばれた
大量の弥生人など渡来していない
基調文化も教わっていない
スメラ尊は飛騨で選出された
天照大神による日本列島防衛
高天原は飛騨であった
地名に残る歴史の痕跡
出雲も朝鮮半島から日本を守った
スメラ尊は日本の大黒柱

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第一章 天皇家の正統性などひと言も主張していない

         神話は天照大神を讃えていない

         天皇の悪口を書く

         出雲神の祭祀から歴史を始めた

         古代天皇の皇后を出雲神の子だとした

         『記紀』編さんの背後に出雲氏族

         天皇に無礼な出雲国造の祝詞奏上

 

第二章 天照大神は鏡を宮中から出すなと言った

         伊勢神宮は存在してはならない

         天皇は誰も伊勢神宮を訪れなかった

         天照大神が最高神に決まったのは明治時代

         伊勢は太陽信仰の聖地ではない

         天照大神は太陽神ではない

         伊勢神宮は東方進出の基地ではない

 

第三章 皇祖の祭祀はヤマトから追放され伊勢に幽閉された

         出雲神を祀らなければ殺される

         四百年も放っておかれた伊勢神宮建設

         内宮よりも外宮を先に祭る

         外宮の鎮座記はウソを書いている

         伊勢神宮の奇妙な祭神たち

 

第四章 神社は出雲が発明した

         外宮の度会氏が北陸遠征

         度会氏の正体は出雲氏族

         外宮は内宮への交通を遮断する関所

         出雲が外宮を建てた

         全国の大社・古社は出雲神を祀る

 

第五章 スメラ尊は日本を守るために選ばれた

         大量の弥生人など渡来していない

         基調文化も教わっていない

         スメラ尊は飛騨で選出された

         天照大神による日本列島防衛

         高天原は飛騨であった

         地名に残る歴史の痕跡

         出雲も朝鮮半島から日本を守った

         スメラ尊は日本の大黒柱


神話は天照大神を讃えていない

 飛騨の丹生川地方に、日本建国の様子を伝えた口碑が存在していた。

 そこにはスメラ尊誕生の経緯から、「出雲国譲り」「天孫降臨」「神武東征」などの言葉に隠された史実と、出雲が大和朝廷の権力を握ったことなどが述べられている。

 本書はこの口碑を検証したものである。

 

 【飛騨の口碑 要点】

・天照大神は飛騨に生まれた実在の女性

 

・異民族の侵略から日本列島を守るために、日本を統一(前一世紀)

 

・出雲人が、全国に出雲神信仰(神社)を広め、権力を掌握(三世紀)

 

・史実を神話に変えて『記紀』を編さん

 

 これらを直接証明するのは、どう考えても無理がある。

 そこで、まず『記紀』は「天皇家を軽視し、出雲を重視している」ことから始めて、「神話に変えられた史実」へと検証を進め、口碑が真実を述べていることを明らかにしたいと思う。

 そのために最初に反論の余地の無い事実を挙げ、これを自明の真理として、その上に論証を積み重ねていく。

 

 その自明の真理とは「神話は皇祖の天照大神を讃えていない」である。

 

 誰が言い出したのか知らないが、「『記紀』は天皇家の正統性を主張するために書かれた」とされている。

  しかし、それが正しいならば、神話は皇祖の天照大神を大いに讃えているはずであるが、実はその様な文章はひとつも存在していない。

 

 それらしき箇所として「誕生」と「天岩戸」の二つを『古事記』から挙げてみる。

【誕生】

 「イザナギ尊は、天照大神、月読、スサノオを生み『三貴子を得た』と言った。」

 

 イザナギ尊が貴い子を得たと言っても、三子が横並びの同格として述べられており、決して天照大神だけを尊いと言っているのではない。

 それに皇祖神誕生の話としては、あまりにも簡単すぎる。

 

【天岩戸】

 「天照大神が岩戸に隠れると、高天原や葦原中国が暗くなった。」

 

 岩戸に隠れた理由は、弟スサノオの乱暴に「畏れをなした」という私情からであり、それで「隠れたから暗くなった」と言うのでは、他の者にとっては迷惑なだけの話である。誰もそれを以て天照大神を偉大だとは思わない。

 おまけに天照大神は、神々の図りごとによる楽しそうな笑い声を聞き、「自分が隠れているのに、どうして皆は笑っているのだろうか」と不遜にも不思議に思い、岩戸をそっと開けて外を覗いた隙に、手力男に腕を捕まれ外に引き出された。これでは、如何にも傲慢で間の抜けた印象しか受けない。

 この「誕生」と「岩戸」の二つの他には、天照大神を讃えているらしき箇所はどこにも無いのである。

 

 神話はこの後、出雲神スサノオが困っていた人を助けるために大蛇を退治し、息子の大国主が数々の試練を乗り越えた末に国作りした、と展開する。

 そして、そこへ天照大神が使者を送り 「この国は、わが子が治めるべき」だと言って取り上げた。(出雲国譲り)

 これではまるで横取りをしたような感じを与えられる。

 

 しかも、この「出雲国譲り」の際の諸々の決定は、天照大神単独ではなく、すべて高木神と二人の名前で行われている。つまり、天照大神は決定権を持っていなかったと言っているに等しいことになる。

 このように「神話は天照大神を讃えている」は大いなる勘違いなのである。

 

 天照大神の神話と言っても、「天岩戸」と「出雲国譲り」だけである。他に大神がこれと言って何かをしたとは書かれていない。

 よく『出雲神話』が神話の三分の一を占めると言われるが、実際は出雲神話と出雲関連神話(出雲国譲り)しかない。

 

 『古事記序文』も、天照大神誕生を「日月、目を洗うに現れ」と実に簡単に書くだけで、月神の「月」とセットで「日」のたった一字で済ませている。(天照大神と月読は、イザナギ尊が左目を洗った時に、スサノオは鼻を洗った時に誕生)

 これに対して出雲神スサノオは「鏡を掛け珠を吐きて、百王相継ぎ、剣を喰らい大蛇を切りて、万神蕃息せる(スサノオのおかげで、天皇家が続き、神々が増えた)」と、詳しく記されている。

 この二神の扱いの差は誰が見ても明かである。

 神話が讃えているのは、皇祖神ではなく実は出雲神なのである。


天皇の悪口を書く

 戦前の教科書は、仁徳天皇(十六代)の「民のカマド」を挙げて、天皇の徳を讃えている。

 「天皇が高台から見下ろすと、家々のカマドから煙が立っていなかった。それで天皇は民が貧しさに苦しんでいると思い税を免除した。」

 『日本書紀』は天皇の言葉として 「百姓貧しきは朕が貧しきなり。百姓富めるは則ち朕が富めるなり」と記している。

 これだけを読めば、仁徳天皇は如何にも聖帝であるように思えるが、その後のことには一切触れようとしない。

 

 実は仁徳天皇は大変な恐妻家で女好きであるかのように書かれている。

 天皇には皇后がいた。しかし、玖賀媛を見初めて「この女性を可愛がりたいと思うが、皇后が嫉妬するのでできない」と言っている。

 その後、皇后の留守中に八田皇女を宮中に入れた。そして皇后が亡くなると八田皇女を皇后にした。

 さらに雌鳥皇女を后にしようとして弟を使いに遣ったところ、その弟が横取りしてしまったので二人を殺した。

 

 これが聖帝と呼ばれる仁徳天皇の『日本書紀』の記事である。

 「民のカマド」は、明治政府がどうにかして天皇の徳を讃えようと、ようやく探し出した唯一の逸話であった。つまり、他には天皇を讃えた記事は何も無い。

 

 それだけではなく、仁徳天皇の子の允恭天皇(十九代)は愚か、孫の安康天皇(二〇代)は夫を殺してその妻を奪った。同じく孫の雄略天皇(二一代)はすぐ人を殺す悪い天皇だと書かれている。

 允恭天皇の皇太子は実妹と肉体関係を持った、欽明天皇(二九代)の皇子穴穂部は、兄の敏達天皇(三〇代)が崩御すると、もがり屋に忍び込んで皇后を犯そうとした、とも書かれている。

 天皇を讃えているのは、かろうじて仁徳の一人だけだが、悪口を書いているのはこの様に数人も居る。

 天照大神を讃えていない神話と併せて考えれば、『記紀』は天皇家の正統性などまったく主張していない。

 

 ここでは詳しく触れる紙数はないが、允恭・安康・雄略天皇、穴穂部皇子の共通点は、いずれも出雲氏族との間に抗争があったことである。


出雲神の祭祀から歴史を始めた

 『記紀』は神話として「出雲国譲りー天孫降臨ー神武東征」を書き、初代天皇の神武から歴史が始まった様に構成しているが、それにしては二代から九代天皇の事跡が省かれている。

 そしてその省かれた長い空白の後、一〇代天皇朝のトップに、三輪山の神社に大物主神を祀った話が大々的に登場する。

 

 「疫病が大流行し、人々が死に絶えようとした。その時、天皇の夢枕に大物主神(出雲神の大国主命)が現れ、『これは我が意志である。大田田根子に我を祀らせれば収まる。』と告げた。

 そこで大田田根子を探し出し、三輪山に大物主神を祀らせたところ、疫病も収まり天下は太平となった。」

 「大田田根子は大国主の子孫であり、三輪氏・賀茂氏の始祖である。」(要約)

 

 次の十一代天皇記も、出雲大社の創建談がその大半を占めている。

 「皇子が生まれつき言葉を喋ることができなかった。

 天皇の夢枕に出雲大神が現れ、『わが神の宮を、天皇の宮と同じくらい立派に造れば、皇子は話すことが出来るようになる。』と諭した。

 そこで皇子を出雲に遣り、出雲神の大神宮を立派に造ったところ、話すことが出来るようになった。」(要約)

 

 一〇代天皇記も十一代天皇記も、この出雲神の祭祀談が大半を占めている。

 それだけではなく二代から九代天皇の事跡が省かれており、一〇代天皇を所知初国之御眞木天皇(はつくに・しらしし・みまきの天皇)と呼んでいるので、まるで日本の国の歴史は、初代神武天皇の東征からではなく、出雲神の祭祀から始まったかのような印象を与える。「初国知らす」とは、初めて国を統治する、つまり初代天皇という意味である。

 

 一〇代天皇は崇神と諡をされたが、崇神の「崇める神」も皇祖神天照大神ではなく、出雲神のことである。

 明らかに『記紀』の編纂者は、神話を出雲神話で占め、歴史を出雲氏族三輪氏の登場から始めようとしたのである。


古代天皇の皇后を出雲神の子だとした

 『古事記』は、初代天皇神武の后を三輪の大物主神(大国主命)の娘とし、『日本書紀』は大国主命の子の事代主命の娘と記し、二代から四代天皇の后も事代主命の娘と孫としている。

 しかし、これは世代数を数えると矛盾する話である。

 

 ①姉天照大神ー②天忍穂耳尊ー③ニニギ尊ー④ホホデミー⑤ウガヤ尊ー⑥神武天皇

 ①弟スサノオ神ー②大国主命ー③事代主命ー④娘ー⑤孫

 

 これも出雲を重視するために、初期の天皇の后に出雲神の娘を無理矢理当て嵌めたと考えられる。



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