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ピンチ

店は営業をしていたが、開店したばかりのようで客はまだ1人も居なかった。


チラホラと店の女の子たちが居て、こちらの様子を伺っている。
店の中からもさっきの騒ぎが聞こえたのだろう。


黒服たちが奥の席の前で立ち止まり、一人が奥へと消えて行った。

少しして、奥からグレーのスーツを着た男が、黒服と一緒に戻ってきた。


グレースーツの男は俺らを一瞥して、席に腰を下ろす。
続いて黒服の一人も腰を下ろす。


二人が座って、俺ら三人と黒服の一人が立つ構図だ。

グレースーツの男が煙草に火をつけて一息吸い込む。


「……で?」


軽蔑をするような目で俺らを見てそう言った。



「お前が責任者か?」


「ちょっと違うが…似たようなもんだ。」


俺はなるべく感情を押し殺して、冷静に努めて言った。


「昨日、俺らの仲間のケイジってもんがアンタん所の従業員にやられた。
そいつは今病院で意識が戻っていない」


意識が戻っていない、と言った所でグレースーツの男に少し反応があった気がした。


「フン……………で?」


「で?じゃねーんだよテメ…」


「証拠は?」


憤るユウキの声を遮ってグレースーツは言った。


「…証拠はあるのか?」


もう一度煙草を吸いこむグレースーツ。


「お仲間、意識が無いそうだな。そりゃ、ご愁傷様。
けど、意識の無い奴がどうして俺らがやったって言えるんだ?」


確かに…
ユウキはどうやってスウィートヘブンの連中の仕業と分かったんだろう。


「それは、ケイジさんが助けようとした奴から…聞いたんだよ!
お前らがカモにしようとしたやつから!」


その時、ユウキの言葉に間があった。


(助けようとした奴から…聞いたんだよ!)


グレースーツはその一瞬の間を見逃さなかった。


「お前が直接聞いたのか?
その”助けようとした奴”とやらから」


「……いや、直接じゃねぇ…。直接じゃねーけど、
俺の仲間が直接そいつから聞いたらしいんだよ!だから店のこの人達と来たんじゃねーか!」


どうやら、ポリスが助けようとした奴…つまり目撃者で、警察への通報者は、
事件の概要を極勇会の別のメンバーに伝え、そのメンバーからユウキが聞いたらしい。


「らしい?また曖昧な理由で動くんだな。
つまりお前は、直接本人からもその目撃者からも聞いていない。
又聞き程度の信憑性の低い情報で、ここまでしでかしたのか?
聞き違いだったらどうする?嘘の情報だったら?」


「るっせーんだよ!!」


ユウキが叫ぶが、グレースーツの舌戦に引き込まれそうになっていた。
この男、言葉尻を捉えるのが上手い…。


このまま奴のペースに巻きこまれてはいけない。
俺は一歩前に踏み出し言った。


「どーでもいいんだよンな事は。
仲間がやられたのは事実で、俺はコイツが言った事を信じてるからな。
それに、入り口の客引きは認めたぜ」


「ふん…しかし間違いだったらどうす…」


「御託はいいんだよ!!!」


突然の俺の大声に、今度はグレースーツが遮られる。


「…俺たちゃ喧嘩しに来たんだよ」


ピン…と空気が張り詰める。
臨戦態勢に入る俺。


今にもグレースーツに飛び掛かろうとしたその時、
グレースーツの右手が動いた。


人差し指を、アツヒコ君の前で止める。


「お前…花ごころのホストだな?
……以前、うちの従業員をたぶらかしてくれたそうだな。」


「…………」


…アツヒコ君とスウィートヘブンの間には確執があった。

確かに顔を知られていても
おかしくはない。

そしてユウキの方を見てさらに続ける。


「お前。……さっき、”だから店のこの人達と来た…”と言ったな。
”店のこの人達”…か。」



「お前たち三人とも花ごころの従業員か。」


……マズい。

確かに、喧嘩に来たのはあくまでポリスの件だ。

しかし、花ごころのホストが三人で殴り込みに来たとなれば、
花ごころ対スウィートヘブンの、店同士の抗争になってしまう。


それは、カツヤ君やワタル君、
そして他の従業員まで巻きこんで迷惑をかけてしまう事を意味していた。

…考えが浅はかだった。
俺は、感情に任せて短絡的に行動したことを悔やんだ。


「ホスト風情が偉そうにしてんじゃねーよ!!!」


今度はグレースーツが声を張る。

ガンッ!とテーブルを蹴ると、店の女の子たちからキャっと悲鳴が上がる。


「言っとくがなぁ、お前らカメラに撮られてんだよ。防犯カメラ。
手を出してみろ、お前らの店は終わりだぞ?」


グレースーツがそういうと、黒服の二人もニヤニヤと笑みを浮かべる。



しばらく俺らは黙って立っているしか出来なかった。

……悔しい。
ポリスはこんなやつらに、成す術もなくやられたのか。


「…おう、何突っ立ってんだよ。分かったらさっさと帰れ。」


出口の方をアゴで指して、グレースーツがそう促す。


どうする?一旦出直すか?
しかし、出直した所でもう顔は割れている。


(…一旦ユウキ達を店に返し、俺一人で戻って来よう)

そうすれば、店など関係なくやれる。

出よう、とユウキ達に告げようとしたとき、黒服の一人が言う。


「そのまま帰れると思うなよ。
……おい、お前ら土下座しろよ。
…アケミちゃん、事務所からカメラ持ってきて。」


店内の女の子の一人にそう指示する黒服。

俺らの土下座の姿を、写真に撮るつもりのようだ。


「雄一さん…もういいッスよね?
…やっちゃいましょうよ…関係ねーすよ」


ユウキだ。
見ると、目が座っている。

完全にキレている時のユウキだ。


やばいな…こうなったユウキを止めるのは一苦労だ。
とは言え俺も、自分を抑える事が出来るかわからなかった。

アケミちゃんと呼ばれる子がカメラを持ってきて黒服に渡す。


「おう、そこに並べ、そんで土下座しろ。」


黒服がニヤ付きながらそう言う。
ユウキはもう今にも殴りかかろうとしていた。


俺ら三人と奴ら三人。

その均衡を破ったのは、大きな衝撃音だった。



ガシャァァァァン!!!!



一瞬、何が起こったかわからなかった。


そして次の瞬間、俺とユウキの間に居るアツヒコ君が、
前のめりに倒れて行った。



砕け散るビンの破片と、液体。



後ろを振り返ると、客引きのヤスが割れた瓶ビールの先端を持って立っていた。

アツヒコ君が、後ろからビール瓶で殴られたのだ。

七人のホスト

「アツヒコ君!!」「アツさん!!」


倒れ込むアツヒコ君。

すかさずユウキが、客引きのヤスに殴りかかる。


ゴッ!!


割れたビール瓶で応戦しようとしたヤスだが、
ユウキの拳の方が早かった。

素早い拳を頬に受けて、のけぞるヤス。



黒服やグレースーツは、
ヤスの余計な行動に驚いていた。


奴等はこっちから手を出させようとしていたから、
先に手を出してしまったら自分たちが不利になってしまうのだろう。

明らかに狼狽の色を見せ、しかしすぐに奴らも臨戦態勢に入る。


こうなったらもう止められない、ヤスの行動が引き金となり、
一気に均衡が崩れようとしていた。


―しかし、1、2発拳が飛び交ったくらいだろうか。

乱闘になかけていた店内は、第三者によって中断される事になる。



ウウゥゥウウゥゥ



―サイレンの音。警察だった。

その場の全員の行動が一瞬止まる。


サイレンは店の前で鳴りやんだ。この店に入ってくるようだ。

「おいっ!」

グレースーツが叫ぶと、黒服が急いで入り口まで走り、店の鍵をかける。


(…コイツラが呼んだんじゃないのか?)


俺達も今ここで警察に厄介になる訳には行かない。


何の関係もない花ごころの他のスタッフに迷惑になるような事は避けたかった。



グレースーツは、店内の女の子に割れたグラスを片付けるように指示している。
どうやら、入り口の鍵は時間稼ぎのようだ。


「おい!裏口から外に出ろ!」


黒服が俺たちに指示する。


…こっちはアツヒコ君をやられている。

何とも煮え切らない気持ちだったが、
一旦出直すしか方法は無かった。


警察が来た以上、このまま暴れられない。


…後で俺だけ引き返して来よう。


意識が朦朧としているアツヒコ君の肩を俺とユウキが抱え、
グレースーツの脇を通って裏口へと急ぐ。


「クソガキが……このままで済むと思うなよ…」


グレースーツが吐き捨てるように言った。

俺は思いっきり睨み返し、店を後にした。


店から外に出て、まずアツヒコ君を病院に連れて行く。

アツヒコ君は頭から血を流していて、意識も曖昧だった。


「…ぶっ殺す…あの客引き…」


独り言のようにそうつぶやくアツヒコ君。

俺とユウキは、二人とも消化不良の顔をしていた。




病院で頭に包帯を巻いてもらうアツヒコ君。


―今日一日、酒も飲まず安静にしているように。
医者の言葉を後に、店に戻る俺ら3人。


店を巻きこんでしまうという最悪の事態は避けだが、
こうなったら店の皆に話さない訳には行かなかった。


俺らが店に戻ると、包帯を巻いたアツヒコ君に驚いた皆が集まってくる。


「どうした!?」

「何があった?」


さっきは居なかったカツヤ君も店にいた。


「実は…」


店の全員が集まった中、今までの顛末を話す。


ポリスの事、

ボッタクリの事、

店に迷惑が掛かりそうだった事…


話の途中でカツヤ君を見ると、明らかに怒りの表情を見せていた。

…そりゃそうだ、下手すりゃ店が営業停止になっていたからな。



一通り話し終えたところで、カツヤ君がテーブルを拳で叩く。


「すみません…あの後、警察と奴らがどういう話をしたのかはわかりません。
もしかしたら花ごころの名前を出しているかも知れませんけど…。
けど、これ以上は店に迷惑をかける事はしないんで。」


「……お前、それでどうするつもりだ?」


「…………すみません」


俺はこの後、一人で奴らの所に向かおうと思っていた。
単独で行けば、最悪俺一人の処分で済む。


「お前、一人で行こうと思ってんじゃないだろうな?」


「………はい」


「ふざけんなよ…俺らも行くぞ。」


「…えっ?」


「えっ?じゃねーんだよ、
テメー一人でウサ晴らししようとしてんじゃねーよ!
おいてめぇら、行くぞ。」


「いや、でも花ごころは…」


「臨時休業だ!アツヒコやられて黙ってられっかよ!」


カツヤ君の怒りは、店を巻きこもうとしていた事じゃなかった。
アツヒコ君がやられた事に対して怒っていた。


見ると、カツヤ君だけじゃない。
他のホストも皆ギラギラと目を輝かせていた。


…ホストって、軟派でナヨナヨしてんじゃなかったのかよ!?

一人の為に仇討ちって…これじゃ不良の世界と変わんねぇな。


俺のホストに対する印象は、この頃から少し変わり始める。



「でもカツヤ君、もしこの店が営業停止くらったらどうするんすか?」


「お前、ボッタクリ店が警察に駆け込むと思うか?
自分たちがパクられるから、よっぽどじゃねーと警察沙汰にしねーよ。」


…考えてみれば、そうだ。
さっき警察が来た時も、なかった事にしようとしたじゃないか。

…という事は、店を巻きこむと言うさっきのグレースーツの言葉はブラフ…。

俺はまた自分の頭の回らなさに腹が立った。


「…俺も行きますよ。」


アツヒコ君だ。


「アツヒコ…お前頭は大丈夫か?」


「大丈夫っす、俺も行きます。」


頭に包帯を巻いたままのアツヒコ君も行くことになった。
そして、その時店にいた全員…

俺、
カツヤ君、
ワタル君、
アツヒコ君、
ユウキ、
キョウヘイちゃん、
それともう一人、店にいたシュンさん。


この七人のホストで、再度スィートヘブンに向かって行った。

決着

やられた仲間の為、スウィートヘブンに向かう俺ら七人のホスト。

店の前には、客引きのヤスは居なかった。
どこか離れた所で客引きをしているのかも知れない。


カツヤ君が先頭に立って、扉を開けると、
店内には2、3組客くらいの客が席に着いて酒を飲んでいるようだった。


「いらっしゃいませ」


さっきは見かけなかった黒服が声をかけてくる。

普通に見たら、俺ら七人、団体の客のように見えたのだろう。

しかし、カツヤ君はそれを無視し、
通り過ぎて店内に入る。

そして、店内中に響き渡る大きな声で叫んだ。


『みなさーーん!この店はボッタクリですよ~!!
今すぐ出た方がいいですよーーー!』


店内の視線が一気にこっちに集まる。
と同時に、店内の各所にいた黒服が一斉に寄ってきた。


俺はその中に、さっきの黒服を見つけた。

俺らに土下座をさせようとしていた、あの黒服だ。


「よぉ」


そいつに話しかけるやいなや、すかさずパンチを叩きこむ。


ガッ!!


その俺の行動が引き金となり、一気に乱闘状態になった。

罵声と、怒声と、悲鳴と、物音が響き渡る店内。



前の誰かを殴ったと思ったら、後ろから誰かに殴られる。

どこからか物が飛んでくる。もちろん誰が投げたかわからない。

背中に誰かぶつかって来たので振り向くと、
アツヒコ君に殴られて吹っ飛ばされたヤスだった。

ヤスはいつの間にか店内に戻り、乱闘に参加していたようだ。

カツヤ君は、テーブルにあった灰皿を武器にしていた。

ユウキは、いかにも楽しそうに喧嘩していた。


こちらよりも人数が多いスウィートヘブンの連中を相手に、
ホスト七人は大暴れしていた。



…20分程暴れた頃だろうか、俺はある事に気づいた。


(グレースーツの奴がいねーな…)


店内は混乱していた。

しかし、何度探してもグレースーツの男は見つからない。


…奴は店内に出て来ていない。

俺は乱闘を抜け出し、店のバックヤードへ向かった。


バックヤードのドアを開けると、
数人の避難していた女の子達と一緒に、
防犯カメラのモニターを見ていたグレースーツが居た。


まさか来るとは思っていなかったんだろう。
突然の俺の襲来に、明らかに動揺している。


俺はズカズカと向かって行く。


「ま…まて…」


バキッ!


乱闘によって興奮状態にあった俺は、何も言わずにグレースーツを殴る。

そして胸倉を掴み、顔を寄せる。


「よぉ、帰ってきてやったぜ…!」


そう言って、もう一発。

グレースーツの男は、先ほどの威勢はまるで無かった。
逃げるように、俺の敵意を避けている。


「わ、わかったから、よせ…」


抵抗をしないグレースーツに拍子抜けした俺は、掴んでいた胸倉を話す。
ヤツは乱れたスーツの胸元を整えながら、


「…何をすればいい」


…結局、こいつの威勢は口だけだった。
俺はその場で、ポリスへの謝罪と治療費の負担を約束させて、店内に戻っていった。



店内では、乱闘は既に収まりつつあった。
スウィートヘブンの連中は、ほとんどが座っているか、倒れていた。

…花ごころの人達はと言うと、全員が立っていた。


(何なんだよ、この人達……)


「おう雄一、終わったか。」


カツヤ君がそう尋ね、俺はコクリと頷いた。


「おうテメーら!ボッタクリなんてチンケな商売してんじゃねーぞぉ!!
こっちは命かけてホストやってんだよ!
文句があんならいつでも”花ごころ”に来いや!!」


最後に、カツヤ君がそう啖呵を切って、店を後にした。



「あー、スッとしましたね!」


ユウキが帰り道にそう言う。


「思ったより早く終わったけど…
どっちにしろ今日は営業出来ねーな」


笑いながらワタル君が言った。

皆の顔を見ると、傷やアザがチラホラ。
…しかし、どれもとても喧嘩した後の顔じゃなかった。


「みんな、殴られなかったんすか?」


俺がそう聞く。


「殴られたに決まってるよ。でも、顔は死守しなきゃな。
商売道具だし。顔を守ったからボディを重点的に殴られたよ。」


「ホストとアイドルは顔が命っすからね!」


ワタル君とキョウヘイちゃんが答える。


二人は当時ジャニーズJrにも所属していたから、顔には特に気を使ったのだろう。


俺はと言うと…顔を守ると言う意識は無かった。
興奮して、目の前の相手を倒す事だけを考えていた。


…これがプロ意識って奴か。


「でもカツヤ君、最後あんな啖呵を切って、
奴らが店に復讐しにきたらどうするんですか?」


「あ?その時はまた追い返せばいいだろ。
あのな雄一、自分を名乗れないようなセコイ生き方してたら、
この歌舞伎町ではのし上がっていけねーぞ」


その言葉が妙に心に残った。


結局、その後スウィートヘブンの連中が店に仕返しに来ることは無かった。
やつらも、叩けば埃が出る。警察沙汰にもしなかったようだ。


ポリスは、あの事件から2、3日して意識を取り戻し、順調に回復していった。

スウィートヘブンから医療費や示談金などを受け取って欲しいと申し出があったらしく、
驚いていた。


「雄一さん、俺が寝ている間に何かあったんですかね?」


見舞いにきた俺に、ポリスが尋ねる。


「さあな。…ま、有難くもらっとけ。」


俺らの乱闘の事をポリスは知らなかったようなので、
俺はそうとぼけて病室を後にした。


(…まぁ、結局後でユウキの口からこの事件はポリスに伝わる事になるんだが。)


そういえば、事件の後で、花ごころに新しい顧客が増えた。
あの時、スウィートヘブンで働いていた女の子たちだ。


曰く、俺らが乗り込んできて暴れたあの事件を見て、ファンになったそうだ。

彼女たちも、店の方針に対して反感を持っていたらしく、来るたびに愚痴を聞かされた。


「カツヤ君、格好よかったよ~!」


「指名はキョウヘイでお願いしまーす」


「ドンペリ1本、入りましたー!」


花ごころには、賑やかな声がいつまでも続いていた。


初給与

スウィートヘブンの一件は、歌舞伎町界隈でちょっとした話題になった。

と言っても、眠らない町、歌舞伎町。

そんな事件は瞬く間に次の話題にかき消され、
皆新たな話題に華を咲かせる。


花ごころも、事件後にはスウィートヘブンの女の子たちが飲みに来てくれて、
盛況を見せた。


……が、それは一部の話。

No.1のキョウヘイちゃんや、オーナーのカツヤ君などは景気が良かったようだが、
俺はと言うと、相変わらずの指名がつかない日々が続いていた。

結局、カツヤ君に美味しい所持っていかれたようだ。


「二日目にトモミさんと同伴してから、もう二週間以上は経っているな…」


ひとりごとの様に指折り数える。


仙台から歌舞伎町まで、スーツ一着でやってきてから早二週間。
当然、泊まる部屋の事など何も考えずにやって来ている。

得意のポジティブ思考とハングリー精神で、何とかなると思っていた俺。


カツヤ君や、古い知り合いの家などを転々としていた日々だったが、
スウィートヘブンの件があってからは、
妙にアツヒコ君と仲良くなって、良く泊めてもらっていた。


と言っても、アツヒコ君も当時そんなに売れていた訳じゃない。
ボロアパートに帰って、二人でカップラーメンを半分ずつ食べたりなんて事もあった。


ある時は、電気代が払えずに夏場に電気を止められてしまって、
クーラーの効かないどうしようもない暑さの中、
部屋の真ん中に氷の塊を置いて二人で寝た事もあった。

ホストの就寝時間は昼だから、耐えがたい熱さなんだ。


後は、ジュンさんの家や、カツヤ君の客の家に泊まらせてもらってもいた。

余談だが、カツヤ君の客は女性二人で住んでて、
そこに泊まらせてもらった事もあるんだが(勿論、枕的な事は何もない)、
同居している女の人の当時付き合ってた人が、
歌手?プロデューサー?ヒットメーカー?の超有名な○○○で、
一緒の家で寝泊まりした事もあった。
まぁ当時はその人も売れていなかった時代で、月収8万円とか言ってたな。



とにかく、ホストの私生活は、夜の華やかな顔に比べて酷い事が多い。
特に、売れていないホストや新人なんかは、苦学生の様な生活を強いられる。


…そろそろ指名、欲しいんだけどな…。


そう考えていた頃、花ごころに新人が入る。
新人と言っても、俺と二週間くらいしか違わない為、二人とも新人。同期みたいなもんだ。


名前は、シゲキ。

歳は俺より2、3歳下だったが、同期という事もあり、シゲキとは以降長い付き合いをしていく事になる。


「シゲキです。よろしくお願いします。」


クールで甘い顔立ちのシゲキ。
眼鏡をかけていて、インテリに見える。


…やばいな、頑張らないと抜かれちまう。
俺はひそかにシゲキをライバル視し、負けないようにと心に誓った。


しかし、ホスト業界はそんなに甘いものでもなく、
シゲキも俺も、相変わらず一人も指名が付かない日々が続いた。


やる事と言えば、掃除に皿洗いに、他人のヘルプ。
たまに来る本番(新規客)は、上位ランクのホストに取られてしまう。


シゲキ共々、極貧の生活を続ける俺。
たまにヘルプに付いた時に食べれる店の料理が唯一のごちそうだった。


花ごころに入って一か月近く経ち、俺は初めての給料を心待ちにしていた。

指名はもらえないが、時間給はあるし、ヘルプにもついていた。
フル出勤をしていた俺は、そこそこ給料が入るんだろうと期待をしていた。


そして、ホストとして初めての給料日。
これで少しは生活が楽になるかな、とそう思って受け取った給料袋。

その中身は、3万円とちょっとだった。

一流ホストとの差

ホストになって、初めての給与は3万円とちょっと。


ホストの華やかなイメージとは裏腹に、
手に持つ給料袋の薄さが俺に現実を突きつけた。


実際の給料は、実はもう少し高い。
(それでも知れたもんだけど)


しかし、ホストには罰金制があって、
遅刻や欠勤、その他の違反などで給料から色々と差っ引かれていくのだ。


「カツヤ君…俺なんか違反しましたっけ?」


「え?お前この間欠勤したじゃん。ボッタクリ店に行った時。」


…ちゃっかり、この間のスウィートヘブンの件で欠勤したのも引かれているようだ。


当然、こんな給料じゃやって行けない人が大半だろう。
苦学生のような生活を強いられるのも頷ける。


しかしながら、上位のホストになればその分報酬も増え、
見た事もないような金額を手に入れる事も可能だ。


ホストは皆、それを目指しているとも言える。



それに、ホストは給料以外でも、収入源がいくつかある。


”客からのプレゼント”もその一つだ。
実際、俺は給料よりもそっちの方が断然高価だった。


先日のトモミさんから買ってもらったスーツもそうだけど、
数万、数十万のものをポンとくれたりもした。



ちょうどバブル期だった頃。
ホストの上客は、羽振りがいい人が多かった。


指名客じゃなくても、ヘルプに着いたホスト全員に何かを奢ったり、
物をあげたりなんて事はザラだった。


真面目にコツコツと働いている人には申し訳なるくらい、
一日で何百万と言う金が消費される。

バブリーな大人の世界。それが当時の新宿区歌舞伎町だった。



俺が、自分の給料袋を挟む指の近さに愕然としていたのと同時期、
そんなバブリーな歌舞伎町を象徴する、一人の客と出合う事になる。



その客は一人で店に入ってきた。


第一印象は…なんと言うか、ちょっと。

お客に対してこういうのも何だけど、

「なんつー格好でホストクラブに来てんだ…」

そんな感じだった。



歳は三十代後半くらいだろうか。
上下にねずみ色の汚れたスウェット、
スニーカーで入店してきたからだ。


店の外で見たら、ホームレスだと思うだろう。

そのぐらい、他の客とは明らかに浮いていた。



しかし、態度は一丁前。


「No.1を出して」


開口一番、キョウヘイちゃん指名と来た。



指名も全くなく、暇していた俺も、その席にヘルプで着く。


朱里(シュリ)と名乗ったその客は、
いきなりドンペリを注文した。

当時の価格で一本10万円くらいだったか。


(オイオイ…支払い大丈夫だろうな)


そんな心配を余所に、乾杯をして飲み始める。



俺は、訝しむ目で朱里を見ていたのだが、
キョウヘイちゃんは、他の客と同様にいつものテンションで接客をしている。


見た目がどうであれ、客に対しては最高のサービスを行う。
当時の俺は、まだその精神を持っていなかった。


先日のスウィートヘブンでの喧嘩の最中に顔を守っていた事といい、
その辺がプロ意識と言うか、まだまだ俺とキョウヘイちゃんの間には確実に大きな隔たりがあった。


小一時間ほど飲んだ頃だろうか。


「…帰るわ」


ドンペリを一本開けた所で、朱里がそう言って会計を促した。

流石に一本で金が足りなくなったか。
支払いを済ませ、朱里は早々に帰って行った。



…きっと、まとまった金が手に入って、
一度ホストで遊んでみたかったんだろうな。

そう思っていた。



しかし、翌日朱里はまた花ごころにやって来る。

最初は、朱里とは気付かなかった。

格好が全く違っていたからだ。



高そうなドレス、そしてアタッシュケースを手に持ってきた朱里は、
昨日と同様、キョウヘイちゃんを指名する。


同じく、暇をしていた俺も、昨日との差に驚きながらヘルプに着く。


「ご来店ありがとうございます。」


丁寧にキョウヘイちゃんが御礼を言う。


「あなた、気に入ったわ。」


朱里がそう言って話しかける。


「昨日、あんな格好して驚いたでしょう?」


どうやら、昨日の格好はわざとしていたようだ。
ここから、驚きの展開が続く。


「私、月の小遣いが3,000万円なの」


そう言って、持っていたアタッシュケースを広げた。
その中身は、大量の札束だった。


そして、キョウヘイちゃんに対し一冊の本を渡しこう言った。


「あなたに買ってあげるわ。何が良い?」


手渡した本は、車のカタログだった。
会って二日目なのに、車のプレゼントをするという朱里。


そしてキョウヘイちゃんが選んだ車は、なんとフェラーリのテスタロッサ。
当時2,500~3,000万円はする車だった。


車を選び終わると、朱里が立ち上がる。


「わかった。じゃ、それ買に行きましょう」


「え…今からですか!?」


そう言って、二人は店を出て行った。



目の前の出来事に唖然としていた俺だったが、
次の日、キョウヘイちゃんが本当にテスタロッサに乗って店に来たのを見た時に、
これは現実なんだとわかった。



それからも朱里は何度も来店し、一日に平均で300万円は使っていた。
指名はもちろんキョウヘイちゃん。


そしていつもの台詞。


「あんたたちは好きなものを好きなだけ飲んでいいから。」


月給3万円の俺、1日で300万円使う朱里。

感覚がマヒしそうだった。



朱里の羽振りはキョウヘイちゃんだけに留まらない。

ヘルプに付いた俺との会話で、俺が昔不良だった事を告げると、


「あんた、不良だったの?私、不良好きなのよ」


そう言って懐に10万円を入れられた事もあった。



朱里は、当時池袋か新宿の風俗の複数の店舗の会長だった。


風俗店に来る男性客が嬢に大金を使い、
そのお金で、風俗嬢や朱里のようなオーナーがホストで豪遊する。


男から女、そして男…
何とも形容しがたい、性の本能を表すようなビジネスの縮図だ。

しかしだからこそ、この時代はお金が大量に使われて、経済が潤っていた。



最初に朱里に出会ったのは、俺もキョウヘイちゃんも同じ。
上手くやれば、俺が気に入られていた可能性もあった。


しかし結果は俺とキョウヘイちゃん、天と地ほどの差がついた。
その理由は明白だ。



最初に汚い格好をしていたのは、朱里が俺たちの接客を試す為だった。


朱里の作戦にひっかかり、まんまと朱里を怪しんだ俺。

全力で初対面の朱里を楽しませ、気に入られたキョウヘイちゃん。

この差だ。



きっと朱里が大金持ちって事にキョウヘイちゃんも気づいていた訳じゃないと思う。

本当に見た目通りの客であっても、同じように接客していただろう。



悔しいが、現段階で俺がキョウヘイちゃんや他のホストに敵う筈がない。

それほどに、皆一流のホストだった。


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