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修羅場

さて、そうなると問題は、仙台の仲間や彼女達の事だ。


10人ほど面倒を見ていた俺の後輩たちは、俺の考えを話すと大賛成してくれた。


「雄一さん、まさに適職じゃないっすか!」

「俺らの事は心配しないでください。
今まで世話になりっぱなしだったし、これ以上甘えてられません」


こいつらと別れるのは正直寂しかったが、
元は同郷の奴等だ。帰ってくればいつでも会えるだろうと考えていた。


後輩たちは良いとして、問題は5人の彼女たちだ。


(別れ話を言わなきゃなぁ…)


マイ
美優
サチコ

…あと二人は誰だっけ?


とにかく、彼女たちに別れを言わなけりゃいけなかった。



それぞれに、歌舞伎町に行くことを告げる。

彼女たちの反応は様々だった。


あ、そう。と一言いい、冷ややかな視線を送る女。

泣きじゃくってしまってグダグダの別れになってしまった女。



その中でも印象的だったのが、マイだった。

「ユウくんなら絶対成功するよ!応援してる!」

俺の目を見て、真っ直ぐな瞳で言ってくれた。

「いつかユウくんの店に行くから、その時は宜しくね!」



マイは、健気で優しい子だった。
切っ掛けは、ある居酒屋チェーン店で俺が飲んでいて、、
ある事件があって店員であるマイが声をかけてきて、それから付き合いが始まった。


居酒屋で接客をするマイにとって、
水商売はそんなに他人事のように思えなかったのかもしれない。


1人で歌舞伎町に行くという俺の勝手な判断は、このマイによって少し救われた気がした。

しかし後日、マイにはもっと大きく救ってもらう事になる。


「さて…問題は美優だな」


美優とは、その時一緒に暮らしていた。

10人の後輩がいる、俺の家の中でだ。


美優は当時23~24歳ぐらいだったが、金融の会社を経営していた。

綺麗な顔つきをしていたが、プライドが高くちょっと性格がきつい所があった。


出しっぱなしにしていた通帳を一度見たことがあるが、
預金額は3,000万円を超していて驚いた事を覚えている。



そんな彼女の口癖は、「不良は大嫌い」。

…なのだが、俺の家に住んでいる10人ほどの後輩は、みんな揃いも揃って不良だ。


そんな奴等を世話してる俺も当然不良。…と言うか俺が一番の不良だ。


後輩たちと華を咲かせる武勇伝を、美優は冷ややかな目で見ていたのを思い出す。




「美優…俺、歌舞伎町でホストになるから」


言った瞬間、美優の顔が途端に険しくなる。


「…何言ってるの?私はどうなるの?」


俺ははっきりとした答えを告げれずにいた。

美優を連れて行くという選択肢もあったからだ。


しかし、美優は会社も経営している。

そう簡単には行かなかった。



それから数日間、何とももやもやした状態の中、美優との生活は続いた。



そんなある日、事件は起きた。

いつものように、夕食後、後輩たちとテレビを見ながら談笑していた。


そして笑いながらテレビを見ていると、背後から何かを叩きつけるような湿っぽい音が聞こえた。


ベチャ!!


後ろを振り返ると、濡れた後輩の靴下が床に叩きつけられていた。


そしてその後ろには、鬼のような形相の美優がこちらを睨んでいた。


「なんであたしが、こんな不良たちの靴下を洗わなきゃいけないのよ!!」


美優の中で何かが切れたらしい。

次々に洗いかけの洗濯物、主に靴下を俺や後輩に向かって投げてきた。



美優は、ずっと我慢していたのだろう。

俺の彼女だったが故に、大嫌いな不良である後輩の世話も黙ってやっていた。


洗濯だって、当時1日に3回は回していた。
土方をやっていた後輩たちの靴下は、そりゃあ滅茶苦茶に汚かった。


女社長が、大嫌いな不良の靴下を洗濯する毎日。


そしてそこにきて、俺のホストになる宣言。


切れてもしょうがないのかも知れない。


しかし、この時は俺の方も切れてしまった。


「てめぇ!こんな不良達ってなんだよ!!
俺だって不良だよ!!」



家族のように思っていた後輩たちを馬鹿にされて、
俺の中で何かが抑えられなかった。


大声に一瞬ビクッとした美優だったが、
直ぐにまた洗濯物を投げつけながら罵声を浴びせてくる。


後輩たちが止めに入ったが、
こうなった俺は誰も止められない。


俺は後輩の静止を振り切って美優の腕をつかみ、家の外に出して鍵を閉めてしまった。



ドンドンと壁を叩きながら、喚く美優。
俺は相当怒っていたので、すぐに入れたらまた面倒な事になると思いしばらく放置していた。


それから20~30分は経っただろうか、気がついたら外が静かになっていた。


少しは落ち着いたか…?


ちょっと悪い事したなと思い、中に入れようと玄関のドアを開けると、美優が居ない。


もしや、そのまま友人の家にでも行ったか?


そう思ったが、違った。
美優は台所の鍵のかかっていないドアからこっそり家に侵入していたのだ。


そしてドアを閉めて居間に戻ろうとする俺の視界に、美優が写った。


そこには、果物ナイフをこちらに向けて構えている美優が居た。





帰還

急激に全身から血の気が引いていくのを感じた。


後輩たちはまだ居間で、美優の存在に気づいていない。


俺が美優の存在に気づいて足を止めていた時間は1秒も無かったろう。
俺は反射的に美優に向って飛び掛かっていた。



しかし、美優との距離は3メートルはあっただろうか。
美優が俺の接近に気づいて、ナイフを持つ右手を振りかざすには十分だった。


ブンッ!


美優は、もしかしたら振りかざすつもりなどなかったのかも知れない。

しかし、いきなりの俺の接近に美優も驚いたのだろう。


ともかく、余計な硬直をする前に俺は動いてしまった。
いままでの喧嘩の経験から、それが最善だと判断したからだ。


「美優!!!」


素早く、振りかざした美優の右手首を掴む。


美優は、暴れなかった。
元から、本気ではなかったのだろう。


手首を掴まれ、押し黙って、それでもじっと俺の目を見つめる美優の瞳に、俺は恐怖を感じた。


「雄一さん!」

「大丈夫ですか!!」


後ろから後輩たちの騒ぐ声が聞こえた。


この騒ぎに気付いて駆け付けたのだろう。

後輩たちによって、美優の手から果物ナイフが離される。

美優は、その場に座り込んで泣いていた。



…ここまで追い詰めてしまったか。



俺は、激しい自責の念に駆られた。



ひとしきり泣いた後、美優は自室へ戻って行った。

ふと、左手に痛みを感じて見ると、ナイフによる切り傷があった。
いつの間にかナイフで切っていたのだろう。


僅かに滲む血の痛み。


(これは…俺の覚悟の代償だ)


そう感じた。


その日は美優と同室で寝る事は出来ず、居間のソファーで寝た。



次の日、仕事から戻ると美優が居なかった。

そして、それから美優は戻ってこなかった。


書置きも何もない、寂しい別れだ。


(こんな、女の子を悲しませるようなやつが、ホストなんてできんのかよ…)


美優の件は俺の心に少なからずショックを与えたが、今更引き返すわけにはいかなかった。




「常務、俺、歌舞伎町に行こうと思います」


常務は、学生時代に俺の生まれた赤羽の学校に寮生として通っていて、
俺を良く可愛がってくれていた。


この人もヤンチャな人だったので、
俺としては話しやすく、兄ちゃんのような存在だった。

一通り事情を話すと、常務は少し寂しそうに言った。


「そうか。お前が決めたんならそれでいいが、何ならうちで働いてもいいんだぞ?」


常務は、倒産した会社とは別に土地関係の会社も持っていた。


「…有難うございます。でも、俺、決めたんで」


常務の好意は嬉しかったが、俺はいつまでも甘える訳にはいかなかった。
甘えてしまったら、俺はこれ以上大きくなれないような気がしていた。



会社、

後輩、

彼女、

それぞれに別れを告げた。

―後は、自分自身だ。



俺はガキの頃からそうで、逆境に立てば立つほど燃える事が出来る。


ぬるま湯につかっていたら、いつまで経ってものんびりしてしまうだろう。
のんびりしてたら、いつまで経っても現状維持のままなんだ。


俺は、荷物を全て仙台に置いていく事に決めた。


そしてサイフと飛行機のチケットだけ持って、ヨレヨレのスーツ1着を身にまとい、
手ぶらで飛行機に乗り、仙台の地に別れを告げた。



―東京都新宿区 新宿駅

カツヤ君との待ち合わせは、歌舞伎町に程近い新宿駅だった。


ガキの頃、しょっちゅう来ていた新宿。
東口の改札をくぐると、東京独特の匂いが鼻を衝く。


「…歌舞伎町の匂いだ」


匂いが引き金となり、過去の記憶がフラッシュバックされる。


のし上がろうと必死だったガキの頃。

周りの激流に抗う事無く、何の迷いもなく、てっぺんを取ろうと躍起だったあの頃。


新宿の地を踏みしめ、待ち合わせ場所に向かうたびに、
俺の中で、ギラギラしたあの頃の自分に戻っていくような感じがしていた。

ホストクラブ花ごころ


「雄一、ここだ!」


新宿歌舞伎町にあるビル”風林会館”。

その近くのスーパー「エニイ」がカツヤ君との待ち合わせ場所だった。


そこに向かう途中の道すがら、カツヤ君に呼び止められた。


カツヤ君は豹柄のコートを羽織り、ブーツを履き、
いかにも只者じゃないオーラを出していた。


…この人は昔からこうだ。


後輩に対して厳しく、破天荒な所がある。

昔は良くカツヤ君の無茶振りに付き合わされたもんだ。


(相変わらず派手な格好をしているなぁ)

そんな事を思いながら、カツヤ君に挨拶をする。


「お久しぶりです!これからよろしくお願いします」


おう、と軽く返事をし、カツヤ君はしげしげと俺のいでたちを見る。


「雄一…お前、荷物は?」


「手ぶらで来ちゃいました」


「手ぶらって、着替えもないのか?」


「サイフだけっす」


一瞬間を置いたカツヤ君、
事態を飲み込むと、周囲を気にせず大笑いしだした。


「お前!相変わらずだな…!」


俺はそんなに変な事をしたつもりでは無かったが、
白い歯を見せるカツヤ君を見る限りなかなか普通ではなかったのだろう。


良い意味なのか悪い意味なのか分からないが、
相変わらずと言われたことが俺は妙に嬉しかったのを覚えている。


「裸一貫で、一旗揚げに来ましたから」


俺は少し、はにかみながらこう答えた。


その場で少し雑談し、早速カツヤ君がやっているホストクラブに連れて行ってもらう事に。



歌舞伎町は、有名な看板のある一番街通り、
一番広い中央通り、その横の桜通りがあり、その3つの通りが主要な通りだった。


これから連れて行ってもらう、ホストクラブ”花ごころ”は、その桜通りの更に横。
桜通りと区役所通りとの間に位置する、東通りにあった。


「雄一、ここだ。」


「え……ここですか?」


ルナールと言う喫茶店の地下2階に位置するその店を初めて見た感想は、
…想像していたよりずっと小規模な店だった。


そしてここから、俺のホストとしての人生がスタートした。

ハイヒールビール

カウンターを合わせて、7席ほどしかない店内。

まだ開店前の、薄暗い店内を見回して、
どこかで抱いていた華やかなホストクラブとの差異に、俺は少し混乱していた。


しかし、当時の歌舞伎町には10店舗ほどしかホストクラブが無い時代。
(ちなみに現在は歌舞伎町内に150~200店舗ほど存在する。)


”店が小さいから流行っていないんじゃないか”と言う俺の想像は、
その後見事に打ち砕かれることになる。


「雄一。俺と一緒に店をやってる、ワタルだ」


カツヤ君はそう言って、店内で開店の準備をしていた人を紹介した。

ワタルと呼ばれたその人は、俺より少し若く見えた。


「初めまして、よろしく。」


人懐っこい笑顔を見せるワタル君。

聞けば、やはり俺より2つ下だと言う。

ちなみにカツヤ君は俺の1つ上にあたる。


いかにも美少年と言う感じのワタル君。

当時ジャニーズJrに所属していたことからも、その美男ぶりは窺い知れる。


ワタル君とカツヤ君は、共同出資で花ごころを経営していた。


実はこのワタル君、家族の不幸で一時花ごころを離れて実家に帰っていて、
俺が店に入った日が調度ワタル君が復帰する日だったらしい。


カツヤ君はとにかく俺に対して厳しかったが、
ワタル君は優しい所があり、まさに飴と鞭と言う感じだった。


「ホストは初めてらしいですね」


テーブルを拭きながらワタルさんが尋ねる。


「あ、はい。よろしくお願いします」

「この店はまだ開店して半年くらいなんですけどね。
結構お客さんは入ってるんです。
いきなりヘルプに入ってもらうと思うんですけど、よろしくお願いします。」


(いきなりヘルプか…)


「わかりました」


俺は少し戸惑った様子を見せたが、
内心は早く実戦に就ける事に喜んでいた。


なにがなんでものし上がってやろう。

そう思っていたからだ。


「今日は俺の客や、キョウヘイの客もいっぱい来ますから。なぁキョウヘイ」


ワタル君に振られて、いかにも盛り上げ役と言った感じの青年がそう答える。


「そうっすね!よろしくお願いします!」


彼がキョウヘイちゃん。この当時は19歳だったと思う。


当時の花ごころのNo.1ホストだった。


俺は当面の間、打倒・キョウヘイを目標にする事となる。

ちなみに彼もジャニーズJrに所属していた。


「よろしくお願いします。キョウヘイさん」


「キョウヘイでいいですよ、雄一さん。
実は…俺の先輩が、雄一さんの後輩だったんです!
そんな人からさん付けで呼んでもらうなんてできませんよ。」


どうやらキョウヘイちゃんは、俺の後輩の後輩だったらしく、
ホストとしては後輩にあたる俺だが、色々と立ててくれていた。


ホストとしてはまだペーペーだった俺だが、
過去の事もあり、そこいらの”普通の新人”じゃなかった事は確かだ。


そう言った面では、随分と便利だったこともある。


しかしいきなりホストの先輩を呼び捨てにする事は出来ず、
”キョウヘイちゃん”と呼ぶ事で落ち着いた。



店に入った頃には既に夕方。
そんなこんなをしている内に、開店の時間近づいてきた。


さすがホスト、みんなビシッとした格好をしている。


俺はと言ったら当然、仙台から着てきた一張羅。
着の身着のままのヨレヨレスーツのままだ。


(…まぁ、初日で買いに行く時間もなかったし、これはしょうがない。
突っ込まれたら事情を説明しよう。)


そう考えていたのだが、甘かった。


俺は初日だから当然指名など無い。

となると、”誰も指名をしない客”、
若しくは”指名したホストが既に他の客についていた時”などに代役として入る事になる。


俺のホストデビューは、後者からだった。


始めて相手をした客の名は、蘭丸。

お客に向かってこの言い方は有り得ないかも知れないが、”この客はとんでも無かった”。


「失礼します!」


「…」


いきなり無視を決め込む蘭丸。

それもその筈…蘭丸のお目当てのホストが他の席についていて、
嫉妬と苛立ちでとんでもなく不機嫌だったのだ。


「俺今日が初めてなんです、よろしく!」


「お名前は何て言うんですか?」


「ここには良く来るのかな?」


何とか会話に繋げようとするも、不発。


一番最初に喋った言葉は、


「せっかくだから何か喋ろうよ」


「…なんであんたなんかと喋らなきゃいけないのよ。」


これだった。



その後も、蘭丸は暴言を吐き続ける。


「よくあんたみたいなのがホストになれたわね?」


「なにその格好、舐めてんの!?」


蘭丸は既にボトルを数本開けていた。

新人の俺は、蘭丸の鬱憤を晴らす格好のカモだったろう。



今まで俺は、周りの女に所謂”チヤホヤ”されて育ってきた。


悪い男がモテていた時代。

女に不自由するなんて一度も無かった。


ガキ大将だったガキの頃、総長だった暴走族時代、アウトローの時代は、
いくら俺が邪険に扱おうと、勝手に女がついてきた。


俺だったら、女相手の商売なんて楽勝なんじゃないか?
そう調子づいていた所に、この現実。


目当てのホストに夢中な女には、
俺なんて眼中に入っていなかった。



今まで俺が思っていた女の本性は幻想だったのか…
そう感じ、凄く困惑した表情を浮かべていたのが彼女に伝わったのだろう。


「…あんた何つまんなさそうな顔してんの?」


俺が浮かない顔をしていたのが蘭丸にとっては気に入らなかったようだ。


「ふざけんなよ!客を楽しませんのがホストだろうが、何様だよ!」


そう言うと、蘭丸はおもむろに履いていたハイヒールを脱ぎ、それにビールを注ぎ始めた。


ドボドボドボ…


俺は目の前の光景に目を疑い、
これからされるであろう要求を想像し更に困惑の表情を浮かべていた。


「あんたグラス要らないでしょ?」


そう言って、並々とビールが注がれたハイヒールを、俺の前にグイと突き出す。

…これを飲めと、アゴを突き出す蘭丸。


季節は夏。
蒸れたハイヒールをビールの匂いが鼻を衝く。


…これが……ホストの世界か。

俺は、恐る恐る口を付け、人生初のハイヒールビールを飲み干した。


素直にハイヒールビールを飲んだことに少し気を良くした蘭丸は、
空になったハイヒールに次々ビールを注ぎ始める。


結局その日は、
蘭丸の席についてた間は最後までハイヒールでビールを飲まされた。


歌舞伎町の夜は長い。

洗礼の初日はまだまだ続く。

トモミさん

ホスト初日、延々と蘭丸にハイヒールでビールを飲まされる俺。

もう、味なんて分からない。


屈辱的な事をされている…それだけだった。

蘭丸は相変わらず不機嫌で、
本命のホストの様子を横目で気にしているようだった。


ふと周りを見ると、カツヤくんと目が合った。
カツヤ君はしょうがねぇな、と言った顔で同情するようにこちらを見ていた。


良く見ると周りの客もこっちを見て気にしているようだった。
まぁ、こんな光景なんてそうあるもんじゃないだろうからな。


恥ずかしさと悔しさとでぐちゃぐちゃになって、ろくに蘭丸と何を話したのか覚えていない。



その光景が2時間ほど続いただろうか。


「帰る。」


とうとうお目当てのホストに席についてもらえなかった蘭丸。

今日は諦めたのだろう。吐き捨てるようにそう言った。


ようやく解放される…
俺はホッとしていた。

しかし、蘭丸が口にしたセリフは、


「…靴が無い。」


履いて帰る靴は、ビールが何回も注がれてとても履けたものじゃなかった。
結局、俺は店を抜けて蘭丸の履く靴を買いに行く事になった。



蘭丸が店を出て、俺は次の指示を待つことになった。
しかし、狭い敷地なのに、客が入る入る。

常に満席で、7名程のホストがせわしなく動いていた。


「雄一、大変だったな」


先ほどの光景を見ていたカツヤ君が労う。


「ビックリですよ。あんな事よくあるんですか?」


「いやぁ、滅多にないな。でも、あんな感じのクセのある客は多いぞ。」


カツヤ君は同情の色を浮かべながらも、
ホストの裏の世界を俺に見せられた事で少し得意げだった。


「それより雄一、今から俺の席のヘルプについてくれ。
その子の”枝”がお前に来るかもしれないからな。」


「はい、分かりました。…ちなみに枝ってなんですか?」


「ああ、ホストでは、中心となる客を”幹”と言って、
繋がりの子を”枝”って呼んでんだ。
今から来るのは俺の”幹”、
その客が”枝”を連れてくるから、
上手くその枝を引いてお前の幹にするんだな。」


「はぁ、なるほど」


すると、席を移動する合間のキョウヘイが会話に入ってきた。


「カツヤさん、もしかして”トモミさん”っすか!?
…雄一さん、ご愁傷様です!」


「オイオイ…なんでトモミの席につくのがご愁傷様なんだよ。」


「いやぁ、新人にあそこの席につかせるのはちょっと酷ですよ。
正直、俺だってやりにくいですもん。」


どうやらNo.1のキョウヘイですら臆しているトモミと言う女性の席に、
これから俺は着かなければならないらしい。


それからすぐにその”幹”が”枝”を連れて来店した。


「「いらっしゃいませ」」


トモミと言われたその女性は、
遠目から見ても美人だとわかるほどはっきりした顔立ちをしていた。

濃いめの化粧にソバージュがかった髪、年は20後半くらいに見えた。


4人ほどのその集団が案内されて席に着き、
俺もカツヤ君に続いてその席に移動する。


「トモミちゃん、俺の後輩の雄一。
今日から入った新人だ。可愛がってやってくれ。」


「初めまして。雄一です。よろしくお願いします」


「カツヤの後輩なの?よろしくね」


後でわかった事だが、
このトモミさんと言う人の席はとても新人が付けるような場所ではなかったらしい。


トモミさんはとにかく厳しく、他のホストからも一目置かれているようだった。

先ほどキョウヘイが言ったセリフからもそれは伺える。


しかし、何故か俺はこのトモミさんに可愛がられる事になる。
勿論、本命のカツヤ君程じゃないが。


思うに、カツヤ君の後輩だという事が功を奏したのだろう。

他の新人だったら散々いじられていただろうヘルプを、
俺は難なく乗り切る事が出来た。


「あなたも不良だったの?
不良はここでは人気が出るのよ。頑張ってね。」

”ここ”とはホスト業界と言う意味だろう。


当時黎明期だったホスト業界では、不良だと有利な所は確かにあった。


のし上がってやろうと言うハングリー精神が大きい奴が多かった事。

店同士や外部とのトラブルにも臆しなかった事。

同族とも言える、レディース上がりの子がキャバクラで働く事が多かった事。

何故キャバクラの子に知り合いが多い事が有利なのかは、追々わかるだろう。


「有難うございます。頑張ります」


俺は、このトモミさんに色々な事を教えてもらった。
酒の注ぎ方。水割りの作り方。タイミング。煙草の付け方。マナー。


今考えると、ホストが客に接客を教えてもらうなんてヒドい話だ。

しかし初日、右も左も分からない俺の先生は、このトモミさんだった。


「それにしても…随分な格好してるわね。」


トモミさんが俺の格好を見て眉をひそめる。


一張羅とはいえ、ヨレヨレのスーツで接客する姿は、
およそホストには似つかわしくないものだった。


これでお金を取るんだから、随分非常識なものだ。


さっきの蘭丸も、俺がキチンとした格好をしていればあるいは態度が違ったのかもしれない。


「ごめんねぇトモミちゃん。
こいつ仙台から今日来たばっかりで、かくかくしかじか、
サイフだけしか持ってきてないのよ。」


カツヤ君がフォローを入れてくれた。


余談だが、年に関係なく、基本的にホストは客を”~ちゃん”と呼ぶ事が多い。
無礼かも知れないが、ホストクラブでは通例となっている。

勿論、そう呼ばれることを嫌がる人には違う呼び方をするし、
ホストの方から自主的にちゃん付けじゃない呼び方をするケースもある。

俺は後者で、恐縮と尊敬と雰囲気から、トモミさんと呼んでいた。


話は戻り、俺が仙台から来たいきさつを聞いたトモミさん一向。

カツヤ君の話を聞くやいなや、爆笑されてしまった。


「あはは、凄い事するね、それでこそカツヤの後輩!」


どうやら更に気に入ってもらえたらしい。


「そうだ雄一、明日トモミちゃんの買い物に付き合ってやってくれ。」


突然のカツヤ君からの提案。

どうやら明日はカツヤ君が用事で外せないらしく、
代理で俺に行ってもらいたいとの事だ。


「あら、君が付き合ってくれるの?」


「あ、はい。分かりました。よろしくお願いします」


会って二日目だと言うのに、俺がトモミさんの買い物に付き合う事になった。



その後も、トモミさんの指導を受けつつ、店は終了。
そして翌日、トモミさんと待ち合わせて買い物に付き合った。


トモミさんの買い物なのに、向かった先はスーツ店。


「雄一君に新しいスーツ買ってあげる。
ホストがそんなだらしない格好していたら駄目よ」


そういって、ポンと15万円ぐらいするスーツを買ってもらった。


はっきり言って会って二日目の新人ホストに使う金額じゃない。
しかし、カツヤ君の後輩だから良くしてくれたのだろう。


と言ってもこのトモミさん、元から資産家で金をたっぷり持っていた。

いつかトモミさんの家に行った時に、
銀行にある様な、部屋半分ぐらいの大きさの金庫があったぐらいだ。


トモミさん自身の買い物も済んで、夕食のすき焼きを食べに行った。
ここでも会計時に驚くくらいの金額を奢ってもらった。


そしてそのまま同伴して、花ごころへと向かった。


その後も、トモミさんには色々と懇意にしてもらう事になる。


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