閉じる


初指名

初指名

花ごころを無断欠勤した事実。


それは、俺がホストの道を挫折した事を意味していた。



…一体俺はこれから、どうすればいいんだろう。


俺は、自分が良いと思うやり方を客にぶつけてみた。
しかし、その事は結果的に客を不快にさせただけだった。


だからと言って、何も工夫をしないでこのままだと、
いつまで経っても指名がもらえる気がしない。



俺より年下で後輩のシゲキが、昨日初指名をもらった。


俺よりも年下が多い花ごころのメンバーの中で、
ずっと最下位でこのままやって行かなければならないんだろうか。



一つ悪い方向を考えると、次々とネガティブな考えが押し寄せてくる。



皆は内心、俺を見下してるんだろうな…

このまま一番下っ端のままで、どんどん歳をとって行くんだろうか…

カツヤ君には給料泥棒って思われてんだろうな…

そもそも、呼んでくれたカツヤ君の顔を潰してしまってるよな…

俺が居なくても、当たり前のように花ごころは営業できるんだろう…



「…俺がホストをしている意味ってあるのか…?」



そんな事を考えながら、さっきスーパーから買ってきた、
賞味期限間近の割引された菓子パンを頬張る。


いつの間にか俺は泣いていた。


必死にこらえようとしても、嗚咽は止まらず、
菓子パンを口に入れたまましばらく泣いていた。



うぐっ…くっ……ぐっ……!


涙が口に入り、塩の味がする。



…誰がこんなみじめな俺を想像するだろうか。
仙台に居た頃の、自信たっぷりな俺からはとても想像出来ないこんな俺を。




……仙台、か。



仙台に帰ったら、世話をしていた後輩たちも居る。

きっと歓迎してくれるだろう。



仕事も、仙台で何か探せばなんとかなるかも知れない。
少なくとも、こんなみじめな気持ちでいる事はなくなるだろう。



金だってそうだ。
こんな、毎日満足に食べる事もままならない生活がいつまで続くのかわからない。
泊まる所だって、知人の家を転々と移動している根なし草の様な日々。



客からはいびられ、文句を言われ、愚痴を聞かされ、
新人いびりで無理矢理酒を飲まされる毎日。


店での順位は最下位で、
勤めて半年で未だに一件の指名も取れていない店のお荷物。



一旗あげてやろうと躍起になっていた最初の頃のあの情熱は、
今にも消えてしまいそうな風前の灯になっていた。


「仙台に帰る……そんな選択肢も、あるのかもしれないな」



これは、今思えば逃避以外の何者でもなかった。
とにかく、このみじめな気持から逃げたかった。



慕ってくれる後輩と過ごすと、また自信を取り戻せるかも知れない。



そうだ、仙台には残してきた何人もの彼女もいたじゃないか。

今の、全く女っ気の無い生活もまた抜け出せるな。


マイ、美優、サチコ……


あ、美優は駄目だった…あんなこともあったしな。



そんな事を考えていると、携帯に一本の着信が入った。


ピリリリリリリ…ピリリリリリリ…


ちなみに、これは1990年前半の話。

携帯を持っている人はまだ多くなく、
俺も花ごころに勤めるようになってから携帯を持ち出した。

今では見ない、セルラーの携帯電話だ。



(店からだろうか…)



無断欠勤した訳を説明しようと構えてから電話に出たのだが、
相手の声を聴いた瞬間、俺は耳を疑った。



「もしもしユウくん?マイだけど!」


マイ…!!


何と言う偶然、たった今思い出していた、仙台の元彼女だった。



「マイか!?何でこの番号を…?」


「良かった、繋がった!へへ、この番号、聡君に聞いたんだ」


聡…仙台に残してきた、俺が世話していた後輩だ。
そういえば後輩たちには電話番号を教えていたんだった。



「ちょっとユウ君の事を思い出してさ…声が聴きたくなっちゃって」

「元気にしてる…?ユウ君今ホストやってんだよね、どう調子は?」


「あ、あぁ。…ボチボチだよ」


「ユウ君の事だから、もうガンガン稼いじゃってるんだろうな~。
こっちでもモテモテだったもんね!」



ズキン、と心が締め付けられた。



「いいなー、私もユウ君に接客されたいな。
シャンパン入りまーす!とか言われてみたい」


「そうだな…」


「凄かったもんねー、こっちでのユウ君の人気。
女の子をとっかえひっかえしてさー、あははっ」


「いや…全然そんな事ないよ」


「またまたー!そんな事言って、店でも人気なんでしょ?
あ、もしかしてもうNo.1とかなってたり!?」


ズキン


「まだ半年だからさすがに無いかな?
でも上位には入ってそうだよね!」


ズキン


「……もう止めてくれ」


「えっ?」


「…うるせぇな、もう昔とは違うんだよ!!」


「…ど、どうしたの、ユウ君?」



マイの一言一言が胸に突き刺さった。
どうしようもない苛立ちが襲ってきて、つい声を荒げてしまった。


(お前は本当に俺なのか?)

(随分落ちぶれちまったな!)

(ホストなんて楽勝って思ってたんじゃないのか?)


まるで過去の自分が、今のみじめな自分を笑いに来たように感じた。




「マイ…怒鳴ってごめんな、折角電話くれたのに悪い、
……今はちょっと話す気分じゃねーんだ」


「え、え!?どうしたの?何があったの?」


「じゃあな……」


「待って!話を聞かせて、何でも相談に乗るよ!」


「!」


”何でも相談に乗るよ……”


その言葉は、俺がホストとして客に投げかけていた言葉だった。



そうか…俺は悩んでる人に対してこういう風に接してきたんだ。

マイも、今俺の悩みを聞こうとしてくれている。



俺は、マイの真剣な声に応えるように、
少しずつ自分の事を話始めた。



ホストの世界の事、

極貧の生活を続けている事、

客とのトラブルの事、

未だに一件の指名も取れていない事、

店では最下位のホストだという事。



マイは、時折相槌を打つくらいで、黙って俺の話を聞いていた。


「……だから、昔の俺とは違うんだ」


「…そう、なんだ。…ごめんなさい、あたしそんな事知らないで色々言っちゃって」


「いや、マイは悪くない。こっちこそ苛立っちまって悪かった…」


「……」

「……」


しばらく、沈黙が続いた。


マイは、かける言葉を探しているようだった。


「ユウ君、あのね」


「さっきユウ君は、昔の自分とは違うって言ってたけど…
そんな事無いと思う。ユウ君昔のままだよ」


「…」


「確かに、環境や周りの状況は変わったかもしれないけど…
でも、ユウ君の性格や考え方は、昔のままだよ」


「マイ…」


「昔から、一つの事に真剣に取り組んで、結果を出してきたよね」


「私が知ってる中でも、ユウ君何回か挫けそうになった事あるよ。
でもそれでも頑張って、
最後にはその挫けそうになった事まで力に変えて成功してきたじゃない」



「ユウ君は絶対にここで終わる人じゃないよ。
いま挫けてしまったら、全てが台無しになるよ。
ここでの挫折を、一生引きずる事になる。」



「この挫けそうになっている今も、
きっとこの先の成功に必要な事なんだよ!」



最後の方は、マイは泣きながら話していた。



俺も、マイには悟られないようにしていたが、
自然に涙が零れていた。


「…マイ、有難うな」



少し、マイに勇気をもらった。


もう少しだけ頑張ってみよう…そう思った。


「明日、また店に出てみる事にするよ」


「うん、うん…」


マイはまだ涙ぐんでいた。

俺はマイに感謝の言葉を告げ、電話を切った。





―翌日、花ごころ


「…おう。来たか…」


カツヤ君は無断欠勤の事を咎める事無く、そう言った。


「すみません、昨日俺…」

「謝らんでいい。その分しっかり働けよ」


カツヤ君も、俺が無断欠勤した理由がわかってたんだろう。
どこか普段よりも優しく感じた。


「ま、無断欠勤分はきちんと罰金しとくからな」

「はは…」


前言撤回。いつもとあんまり変わらないようだ。



遅刻や無断欠勤など、そう珍しくないホスト業界。
皆、何事も無かったように開店の準備をしている。



どころか、むしろ皆俺に同情的だった。

「雄一さん、俺このまま雄一さん飛ぶんじゃないかと思いましたよ…」


キョウヘイちゃんがそう言った。
飛ぶとは、そのまま辞めて居なくなる事だ。


一番気まずそうにしていたのは、シゲキだった。
あまり俺と言葉を交わすことなく、店内の掃除をしていた。


準備も終わり、花ごころが開店した。


開店から15分。

もう同じ過ちは繰り返さないようにしなければならない…
そう考えていた俺に、突然声がかかる。



「雄一さん、指名です!」




「…えっ!指名!?」




俺は耳を疑った。


あんなに待ち望んでいた初指名が、
こんなにあっさり来るとは思わなかった。


…一体、誰が?


頭に10個ぐらい疑問符を浮かべながらテーブルに向かうと、
今度は目を疑った。



そこに居たのは、マイだった。