閉じる


蘭丸と言う女

蘭丸と言う女

「い、いらっしゃい。……お久しぶり」


「………」


やはり、不機嫌極まりない。

さっきから刺すような視線を、カズキさんとユカのテーブルに向けている。


「…とりあえず、乾杯!」


「………」


グラスすら持ってくれない…。


テーブルに置かれた蘭丸のグラスに、俺のグラスをカツンとぶつけ、
その音が虚しく響いた。



「……何話してたの?」


「え?」


「さっきあそこの席に居たでしょ。どんな話してたの」


「あ、ああ。いや、普通に芸能界の話とか…」


言い終わるやいなや、グラスに手を掛けて飲み干す蘭丸。

一気だ 。


ゴク…ゴク……ドンッ


「…何が芸能界よ」


(うわー……逆効果だったか)


その後、何とか蘭丸の機嫌を損ねないようにしのぐ俺。


結局、カズキさんが蘭丸の席に付けたのはそれから1時間以上経った頃だったが、
何とかカズキさんが来るまで繋ぐことが出来た。


…すこし接客に慣れてきたのかもしれない。
そう思った。



これでやっと蘭丸の籍から解放される。
安堵して、席を立とうとする俺に、蘭丸が話しかけてきた。


「ちょっと」


「な、なに?」



「……」


「……」


「……こないだは悪かったわね」


「……!い、いや。大丈夫…」


およそ蘭丸らしくない態度を見て、少し面食らってしまった。

そして去り際に見せた、蘭丸の、少し憂いを帯びた目が妙に気になった。





―数日後。

俺は、新宿駅で電車を待っていた。


(快速が来るのはもうしばらく先だな…)


ホームのベンチに腰かけて電車が来るまで暇をつぶしていると、

階段の方から見覚えのある人物がこちらに向かって歩いてくる。



「げ…」


それは蘭丸だった。


ハイヒールをカツカツと鳴らしながら、こちらに向かってきている。


知らない人が見たら、思わず振り返ってしまうのかもしれない。
タイトな服で露出も多い格好をしていた蘭丸は、いい意味で目立っていた。


「あっ…」


俺との距離が2、3メートルになった付近で、
蘭丸もこちらの存在に気付いて小さくそう漏ら した。



バツの悪そうな顔をして、足を止める蘭丸。


(こっちだって会いたくなかったよ…)


「…こんにちは。偶然ね」


「あ、ああ。こんにちは」


「……」


「………」


気まずい。



基本的に酔っている蘭丸しか見たことない為、
何を話せばいいかわからない。


「今日は、休み?」


考えた結果の言葉がこれだった。
蘭丸が何の仕事をしていたか別に知っていた訳じゃない。


「……いや、仕事よ」


ぶっきらぼうにそう言うと、蘭丸はバッグから煙草を取り出した。


「ここ、いい?」


そう言って、俺の座っている席から一つ分開けて座る。


今のように喫煙スペースが明確に分離されていない時代、
そのまま煙草に 火をつけて吸い始める。


「……」


「………」


空気に耐え切れず、俺も自分の煙草に火をつける。



と、ふとある事に気づく。


……殴られた後?

蘭丸の顔には、殴られたような跡があった。


「ああ、…これ?」

俺の視線に気づいた蘭丸が話し始める。


「……客に殴られたの」

視線は真っ直ぐに向けたまま、そう呟く。


「殴られた…」


「そう、風俗の客にね」


………風俗。

風俗で働いていて、その稼ぎでホストクラブに来る客は珍しくない。


基本的に客のプライベートを詮索するのはご法度だが、
話の流れで職業を聞いてしまうような事はあった。


「……」


「あたし風俗で働いてんの、しかも掛け持ち。……軽蔑した?」


「…いや、しないよ。
……ホストやってる俺も、同じようなもんかも知れないし」


「…綺麗ごと言わないでよ。同じな訳ないじゃない」


「……」


顔は相変わらず正面を向いたままだったが、
その時、蘭丸の目から一粒の涙がこぼれた。


「…!」


「あたしだって、好きでやってる訳じゃ…」


か細い声で、消え入るようにそう漏らす蘭丸は、
花ごころで見た時とは別の顔をしていた。


「……事情があるのか?」


「…金の為よ」

「………親の借金」


「そうか…」


今でこそありがちなパターンとして話されるが、
本当に当時は、家庭の事情で風俗に行く子も多かった。


今以上に、風俗に勤めている事を恥だと考えられていた時代。

しばらく沈黙があったが、次第に蘭丸は自分の境遇をぽつぽつと話し始めた。
今思えば、誰かに聞いて欲しかったのかもしれない。


俺は黙って蘭丸の話を聞いていた。


「毎日毎日、何人もの、汚い男の性欲の処理をしてさ…
相手はあたしなんか女と思ってない、いや人間とも思ってない」

「物のように扱われて、用が終わったらゴミみたいに扱われて…」

「…出した後の男の眼ほど、冷たいもんはないよ…」


「……」


「そんな毎日に頭がおかしくなって、自殺した子もいる。
あたしは……カズキさんと飲むことで耐えてきた」


ホストクラブに女性が来るのは、
日頃のストレスから解放されたがっているからと言う理由も多い。
非現実的な空間で、日常の鬱憤を忘れて楽しんでいるのだ。


ホストクラブの客に風俗やキャバクラの子が多いのも、
金銭的な問題だけじゃなく、普段から男の欲望に晒されていて、
そこで溜まった負の感情やストレスを発散しに来ているのだろう。



「妹を高校に行かせてるのもあたしの稼ぎからなんだ…」

「なのに………」


そう言って言葉を詰まらせる蘭丸。

長い時間吸わなくなって長く伸びた煙草の灰が、蘭丸の手元から地面に落ちた。



「病院に行ったら、性病だってさ。
あたし移されたみたい……それが原因で、殴られて」


もう一度、涙をこぼす。
小さく肩を震わせる蘭丸は、とてもか細い存在に見えた。



どんな病気なのかは分からない。

しかし、蘭丸の様子を見ていると、
これからも店を続けて行くには難しいくらいの病気なのかも知れないと思った。



蘭丸は、ほとんど吸う事が無いまま短くなってしまった煙草を灰皿に入れると、
次の新しい煙草を取り出した。



と、次の瞬間、
俺は無意識のうちに手に持っていたライターで蘭丸の煙草に火をつけていた。



一瞬びっくりして目を丸くした蘭丸だったが、
煙草に火が点くと口から煙草を離して笑い始めた。



「ははっ、あんた、店の外でもホストなんだね」


目には涙を浮かべ、泣き笑いのような表情で蘭丸はそう言った。


俺は、無意識の自分の行動に驚いていた。
女性が煙草を取り出すと火を持っていく事がどうやら習慣になっていたようだ。


「…何か不思議な男だね、あんたって」


「黙って話を聞いてくれそうな雰囲気があるよ。
こんな自分の境遇なんて、誰にも話したこと無かったのに」


「…今まで色んな男と会って来たけど、
あんたみたいな奴は居なかったな……」


確かに、別に蘭丸が風俗で働こうが、性病だろうが、
俺は特に何とも思わない。

そんな空気を蘭丸は読み取ったんだろうか。


「…最初会った時、ひどいことしてごめんね」


「いや、もういいよ。それよりこれから…」


これからどうするのか。
その言葉を遮るように蘭丸は立ち上がった。


「さ、もう行こうかな電車そろそろ来そうだし」


「…ああ、そうだな」


「……」


「………」


「あたしさ、しばらく店に来ないと思うからカズキさんによろしく言っておいて」


「わかった、伝えておく」


これからどうするのかと言う質問を遮った事、
そしてしばらく店に来ないと言う言葉で、何となく蘭丸の今後が想像できた。


「しばらく来ないけど……次来た時は、あんたを指名しようかな。
その時は宜しく。じゃあね」


そう言って、蘭丸は歩き出した。
ホームの人ごみに紛れ、街の一部となって消えていった。




残された俺は、しばらく考えていた。

蘭丸の言葉、そしてホストクラブとは何か。



蘭丸のような客は、きっとホストクラブに救いを求めていたんだろう。


心が千切れそうな生活の中、
何とか今日と明日を繋ぎとめたかったのかも知れない。



俺たちホストは、 客に精一杯の奉仕をする事で、
そんな彼女たちをまた一日頑張れるようにする。


…それが、ホストの使命なのかもしれない。



ようやくホームに到着した快速が、
俺には人々のストレスを詰め込んで走る機械に見えた。