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ハイヒールビール

ハイヒールビール

カウンターを合わせて、7席ほどしかない店内。

まだ開店前の、薄暗い店内を見回して、
どこかで抱いていた華やかなホストクラブとの差異に、俺は少し混乱していた。


しかし、当時の歌舞伎町には10店舗ほどしかホストクラブが無い時代。
(ちなみに現在は歌舞伎町内に150~200店舗ほど存在する。)


”店が小さいから流行っていないんじゃないか”と言う俺の想像は、
その後見事に打ち砕かれることになる。


「雄一。俺と一緒に店をやってる、ワタルだ」


カツヤ君はそう言って、店内で開店の準備をしていた人を紹介した。

ワタルと呼ばれたその人は、俺より少し若く見えた。


「初めまして、よろしく。」


人懐っこい笑顔を見せるワタル君。

聞けば、やはり俺より2つ下だと言う。

ちなみにカツヤ君は俺の1つ上にあたる。


いかにも美少年と言う感じのワタル君。

当時ジャニーズJrに所属していたことからも、その美男ぶりは窺い知れる。


ワタル君とカツヤ君は、共同出資で花ごころを経営していた。


実はこのワタル君、家族の不幸で一時花ごころを離れて実家に帰っていて、
俺が店に入った日が調度ワタル君が復帰する日だったらしい。


カツヤ君はとにかく俺に対して厳しかったが、
ワタル君は優しい所があり、まさに飴と鞭と言う感じだった。


「ホストは初めてらしいですね」


テーブルを拭きながらワタルさんが尋ねる。


「あ、はい。よろしくお願いします」

「この店はまだ開店して半年くらいなんですけどね。
結構お客さんは入ってるんです。
いきなりヘルプに入ってもらうと思うんですけど、よろしくお願いします。」


(いきなりヘルプか…)


「わかりました」


俺は少し戸惑った様子を見せたが、
内心は早く実戦に就ける事に喜んでいた。


なにがなんでものし上がってやろう。

そう思っていたからだ。


「今日は俺の客や、キョウヘイの客もいっぱい来ますから。なぁキョウヘイ」


ワタル君に振られて、いかにも盛り上げ役と言った感じの青年がそう答える。


「そうっすね!よろしくお願いします!」


彼がキョウヘイちゃん。この当時は19歳だったと思う。


当時の花ごころのNo.1ホストだった。


俺は当面の間、打倒・キョウヘイを目標にする事となる。

ちなみに彼もジャニーズJrに所属していた。


「よろしくお願いします。キョウヘイさん」


「キョウヘイでいいですよ、雄一さん。
実は…俺の先輩が、雄一さんの後輩だったんです!
そんな人からさん付けで呼んでもらうなんてできませんよ。」


どうやらキョウヘイちゃんは、俺の後輩の後輩だったらしく、
ホストとしては後輩にあたる俺だが、色々と立ててくれていた。


ホストとしてはまだペーペーだった俺だが、
過去の事もあり、そこいらの”普通の新人”じゃなかった事は確かだ。


そう言った面では、随分と便利だったこともある。


しかしいきなりホストの先輩を呼び捨てにする事は出来ず、
”キョウヘイちゃん”と呼ぶ事で落ち着いた。



店に入った頃には既に夕方。
そんなこんなをしている内に、開店の時間近づいてきた。


さすがホスト、みんなビシッとした格好をしている。


俺はと言ったら当然、仙台から着てきた一張羅。
着の身着のままのヨレヨレスーツのままだ。


(…まぁ、初日で買いに行く時間もなかったし、これはしょうがない。
突っ込まれたら事情を説明しよう。)


そう考えていたのだが、甘かった。


俺は初日だから当然指名など無い。

となると、”誰も指名をしない客”、
若しくは”指名したホストが既に他の客についていた時”などに代役として入る事になる。


俺のホストデビューは、後者からだった。


始めて相手をした客の名は、蘭丸。

お客に向かってこの言い方は有り得ないかも知れないが、”この客はとんでも無かった”。


「失礼します!」


「…」


いきなり無視を決め込む蘭丸。

それもその筈…蘭丸のお目当てのホストが他の席についていて、
嫉妬と苛立ちでとんでもなく不機嫌だったのだ。


「俺今日が初めてなんです、よろしく!」


「お名前は何て言うんですか?」


「ここには良く来るのかな?」


何とか会話に繋げようとするも、不発。


一番最初に喋った言葉は、


「せっかくだから何か喋ろうよ」


「…なんであんたなんかと喋らなきゃいけないのよ。」


これだった。



その後も、蘭丸は暴言を吐き続ける。


「よくあんたみたいなのがホストになれたわね?」


「なにその格好、舐めてんの!?」


蘭丸は既にボトルを数本開けていた。

新人の俺は、蘭丸の鬱憤を晴らす格好のカモだったろう。



今まで俺は、周りの女に所謂”チヤホヤ”されて育ってきた。


悪い男がモテていた時代。

女に不自由するなんて一度も無かった。


ガキ大将だったガキの頃、総長だった暴走族時代、アウトローの時代は、
いくら俺が邪険に扱おうと、勝手に女がついてきた。


俺だったら、女相手の商売なんて楽勝なんじゃないか?
そう調子づいていた所に、この現実。


目当てのホストに夢中な女には、
俺なんて眼中に入っていなかった。



今まで俺が思っていた女の本性は幻想だったのか…
そう感じ、凄く困惑した表情を浮かべていたのが彼女に伝わったのだろう。


「…あんた何つまんなさそうな顔してんの?」


俺が浮かない顔をしていたのが蘭丸にとっては気に入らなかったようだ。


「ふざけんなよ!客を楽しませんのがホストだろうが、何様だよ!」


そう言うと、蘭丸はおもむろに履いていたハイヒールを脱ぎ、それにビールを注ぎ始めた。


ドボドボドボ…


俺は目の前の光景に目を疑い、
これからされるであろう要求を想像し更に困惑の表情を浮かべていた。


「あんたグラス要らないでしょ?」


そう言って、並々とビールが注がれたハイヒールを、俺の前にグイと突き出す。

…これを飲めと、アゴを突き出す蘭丸。


季節は夏。
蒸れたハイヒールをビールの匂いが鼻を衝く。


…これが……ホストの世界か。

俺は、恐る恐る口を付け、人生初のハイヒールビールを飲み干した。


素直にハイヒールビールを飲んだことに少し気を良くした蘭丸は、
空になったハイヒールに次々ビールを注ぎ始める。


結局その日は、
蘭丸の席についてた間は最後までハイヒールでビールを飲まされた。


歌舞伎町の夜は長い。

洗礼の初日はまだまだ続く。