閉じる


帰還

帰還

急激に全身から血の気が引いていくのを感じた。


後輩たちはまだ居間で、美優の存在に気づいていない。


俺が美優の存在に気づいて足を止めていた時間は1秒も無かったろう。
俺は反射的に美優に向って飛び掛かっていた。



しかし、美優との距離は3メートルはあっただろうか。
美優が俺の接近に気づいて、ナイフを持つ右手を振りかざすには十分だった。


ブンッ!


美優は、もしかしたら振りかざすつもりなどなかったのかも知れない。

しかし、いきなりの俺の接近に美優も驚いたのだろう。


ともかく、余計な硬直をする前に俺は動いてしまった。
いままでの喧嘩の経験から、それが最善だと判断したからだ。


「美優!!!」


素早く、振りかざした美優の右手首を掴む。


美優は、暴れなかった。
元から、本気ではなかったのだろう。


手首を掴まれ、押し黙って、それでもじっと俺の目を見つめる美優の瞳に、俺は恐怖を感じた。


「雄一さん!」

「大丈夫ですか!!」


後ろから後輩たちの騒ぐ声が聞こえた。


この騒ぎに気付いて駆け付けたのだろう。

後輩たちによって、美優の手から果物ナイフが離される。

美優は、その場に座り込んで泣いていた。



…ここまで追い詰めてしまったか。



俺は、激しい自責の念に駆られた。



ひとしきり泣いた後、美優は自室へ戻って行った。

ふと、左手に痛みを感じて見ると、ナイフによる切り傷があった。
いつの間にかナイフで切っていたのだろう。


僅かに滲む血の痛み。


(これは…俺の覚悟の代償だ)


そう感じた。


その日は美優と同室で寝る事は出来ず、居間のソファーで寝た。



次の日、仕事から戻ると美優が居なかった。

そして、それから美優は戻ってこなかった。


書置きも何もない、寂しい別れだ。


(こんな、女の子を悲しませるようなやつが、ホストなんてできんのかよ…)


美優の件は俺の心に少なからずショックを与えたが、今更引き返すわけにはいかなかった。




「常務、俺、歌舞伎町に行こうと思います」


常務は、学生時代に俺の生まれた赤羽の学校に寮生として通っていて、
俺を良く可愛がってくれていた。


この人もヤンチャな人だったので、
俺としては話しやすく、兄ちゃんのような存在だった。

一通り事情を話すと、常務は少し寂しそうに言った。


「そうか。お前が決めたんならそれでいいが、何ならうちで働いてもいいんだぞ?」


常務は、倒産した会社とは別に土地関係の会社も持っていた。


「…有難うございます。でも、俺、決めたんで」


常務の好意は嬉しかったが、俺はいつまでも甘える訳にはいかなかった。
甘えてしまったら、俺はこれ以上大きくなれないような気がしていた。



会社、

後輩、

彼女、

それぞれに別れを告げた。

―後は、自分自身だ。



俺はガキの頃からそうで、逆境に立てば立つほど燃える事が出来る。


ぬるま湯につかっていたら、いつまで経ってものんびりしてしまうだろう。
のんびりしてたら、いつまで経っても現状維持のままなんだ。


俺は、荷物を全て仙台に置いていく事に決めた。


そしてサイフと飛行機のチケットだけ持って、ヨレヨレのスーツ1着を身にまとい、
手ぶらで飛行機に乗り、仙台の地に別れを告げた。



―東京都新宿区 新宿駅

カツヤ君との待ち合わせは、歌舞伎町に程近い新宿駅だった。


ガキの頃、しょっちゅう来ていた新宿。
東口の改札をくぐると、東京独特の匂いが鼻を衝く。


「…歌舞伎町の匂いだ」


匂いが引き金となり、過去の記憶がフラッシュバックされる。


のし上がろうと必死だったガキの頃。

周りの激流に抗う事無く、何の迷いもなく、てっぺんを取ろうと躍起だったあの頃。


新宿の地を踏みしめ、待ち合わせ場所に向かうたびに、
俺の中で、ギラギラしたあの頃の自分に戻っていくような感じがしていた。