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(再稿・1988年8月7日)  (1)

子羊の婚礼       (再稿・1988年8月7日)

  六畳ほどの狭い部屋に、平田と吉永の二人は、炬燵を隔てて向い会っていた。二人とも三十代半ばと見えた。正確な年齢はお互いに知らない。二人に共通しているものは歳格好ぐらいなもので、その他は全く正反対であった。

  平田は筋骨たくましく堂々としている。一方の吉永は、均整に欠けた見るからに脆弱な姿勢であった。当然、平田は吉永を睥睨するように睨みつけ、吉永は平田の風圧に耐えかねる面持ちであった。畏まっていた。

   二人は今、厳しい対決の最中である。  吉永が言う。 、

 「平田、さん。あなたは、神の、言葉を伝える役目を、持つ牧師でありながら、その、大事な、神の言葉を知らない」

  平田が応じる。 「吉永さん、私はあなたから神の言葉を聞こうとは思いません」 、

  吉永の弱々しい声と、平田の押しの強い声とが対称的であった。

  「神とは、なにか。いのちを蝕み、神を見失わせる、毒麦とは、なにか。この、大事なことさえも、平田さんは、知らない」 、

 「何度も言うように、私は吉永さんから教えを受けようとは思わない。第一、その必要はない」

 「毒麦を、見分けられなければ、必ず、毒麦を、食してしまいます。生命の麦を、滅ぼします」

 「毒麦とは吉永さん、あなたの事です。あなたを毒麦と言わずに毒麦というものはこの世に存在しません。毒麦よ、まず自分が毒麦であることを知れ!」 

  「…………」

  「…………」

  平田の背後には礼拝用の十字架が下がり、その周囲にはエンゼルが飾られていた。

  そして、実は二人の左右には、二十歳代の女性が一人づつ、完全沈黙を守って座っていた。 

   平田と吉永の対決に、表情の一つも動かすことなく、あたかも血の流れを持たない石仏のごとく、ただ黙って座っているだけであった。

  平田はキリスト教の牧師であるのに対して、吉永は信者でもなく、異教徒でもなく、ただ聖書を読み、二、三の協会へ顔を出した程度の者であった。キリスト教会の側からは、求道者という。そして、洗礼を受けている者へは、もう求道者という呼び方はしない。信者と言い、または救われた者と言う。

  石仏のごとき無表情な二人の女性は、平田の礼拝所兼住居に起居を共にしている同じキリスト者、救われた者、であった。しかし、吉永へは紹介されておらず、単なる信者なのか、あるいは平田の妻なのか、吉永には一向に見当がつかなかった。

   平田にしては、洗礼も受けていない罪のままの穢れた者に、一々礼を尽くして紹介する必要はなかった。そもそも、神聖な礼拝所へ通してやっただけでも、相手に対して最上の礼を尽くしたことになるのである。それに対して、穢れた罪人は、献金をもって応えるべきだと思うのだが、吉永は来る早々に、神について、聖書について、こともあろうに牧師である平田に論戦を挑んで、肝心の献金については、その気配さえ見せないのであった。

   吉永に出したお茶はともかくとして、菓子盆に山と積んだ洋菓子は、只では手に入らなかったというのに……。

  礼儀知らずな罪人の吉永に憤慨していたためでもあろうか、

   「毒麦は吉永さん、あなたのことだ」 と決めつけて、吉永と一瞬の間だが、沈黙の睨み合いになった。

  平田は、勝った、と思った。神に守られた勝利の気概で、吉永を睨みすえて置くことに、満身の快感を味わった。

  吉永は気弱げに微笑をもらしながら、再び口を切った。

   「毒麦は、誰の目にも、毒麦と、分かるような形で、有るのでは、ないのです。毒麦は、生命の麦と、見分けが、付かないのです。しかも、それは、別々にあるのでは、なく、つまり、一方は教会に、一方は未信者に、というように、別々に有るのではなく、双方はまったく同じ所、同じ畑に有るのです。しかも、見分けが、付かないのです。同じ教会内、同じキリスト信仰者で、一方は神を礼拝讃美し、一方は批判的で不熱心、または異説を唱える、などという、目に見える形で、区別できる、というものでは、ないのです。だから、なにが毒麦であるのか、一向に、見分けられないのです。イエスのごとく、正しく、見分けられたとしても、それを取り除くことが、不可能なもの、あえて取り除けば、生命の麦をも、死なせてしまうほど、生命の麦と、密着したもの、そういうものが、毒麦の実態です。異説を唱えたり、批判したり、教会外の者だったり、という、そういう者が、毒麦なら、それを取り除けば、生命の麦をも、死なせる危険が生じる、ということには、つながらない、はずです。失礼ながら、平田さんには、これが、解らないでいる。それは、平田さん御自身が、毒麦と、共存しているからです。毒麦とは、牧師にも、見分けが、つかないほどの、ものです。いや、むしろ、牧師であればこそ、一層、わからない、と言うべきものです。

  教えましょうか? 僕は神様から、直接知らされています。それを聞き漏らさず、受けとめるのが、牧師の聖務です。なぜなら、神の声は、富や力、また、名声や地位を得た者には、絶対に、下らないからです。名もなき者に、神は語りかけ、その秘密を知らせます。それを聞き逃さないのが、牧師に与えられた、聖なる任務です。今、それを、平田さんに伝えます……」

  平田は吉永の話を聞いてはいなかった。真っ正面に吉永を見据え、神を語る者に必要な威厳の一欠片もない奴、と軽蔑感と哀れみをもって見つめ、自身ではひたすらに神への祈りに専念していた。

  吉永は、貧弱な胸に息を吸い込んで、再び話し出した。

 

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