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おまけ シンハ先生の猫の宮の話

本編の中ではろくに説明できなかったのでおまけコーナーで猫の宮のお話をするッハ。
犬の宮から約70年。高安に住む夫婦が猫が欲しいと観音様にお参りして猫をもらうッハ。
何年かするとその猫が女房に向かってうなり声を上げるようになるッハ。
おかげで女房が具合が悪くなってしまうものだから旦那が怒って切りつけたッハ。
そうしたら猫が屋根に駆け上り大きな蛇をくわえてきたッハ。
でも猫は旦那が切りつけた傷がもとで死んでしまったッハ。
なお、この夫婦が犬の宮事件の子孫で、ヘビはタヌキの血をなめて化ける力を身につけたという裏設定もあるッハ。
さて、どうしてこの夫婦が猫を欲しがったかと言うと、子供がないからだと観光案内の看板なんかには書いてあるッハ。
けれど図書館にある文書を比較してみたところ、蚕を食べる鼠を退治するために猫を欲しがったと書いてあったッハ。
つまりこの話から昔はあの辺で養蚕業が盛んだったと言うことが垣間見れるわけだッハ。
ちなみに蚕のえさの桑は堤防などの土留め(どどめ)として使われていたッハ。
よく汚らしい色をさす「どどめ色」はこの桑の実の色をさすッハ。
熟すに従って緑から赤、そして濃い紫色に変わるのが得体の知れない色の理由だそうだッハ。
以上、コレでソーセージ一袋は安いッハ。


5話 ウソの味

 
「うわぁ、おっきい……」
 千代ちんはそういうと粘液でぬれる豆をつつく。
そして黒く硬い二本の棒を中に突き立てると、ニチニチと音を立て乱暴にかき回し始めた。
 棒を引き抜くと、つ、と細い糸を引く。
 わたしは熱っぽさでぼうっとした頭でその様子を眺めていた。
「このあっついのによく納豆なんて食べれるわね……」
 朝からのこの暑さでわたしは食欲がわかない。ましてや炊き立てご飯に納豆なんて……
「しっかり食べないからばてるのに……」
 千代ちんが納豆をご飯にかけながら言った。
「ちゃんとあっつい時用の食べ物があるのよっと……」
 そういうとわたしは台所に立ち上がり、どんぶりにご飯と三奥屋の古漬け「晩菊」を入れてかき混ぜながら冷ます。そしてラップの上にあけておにぎりに握る。
「むー、コレだと食べられる……」
 グラスに冷たい麦茶を半分ほど注ぎ、口の中の晩菊ご飯を胃袋へと流してやる。
「行儀悪いなあ」と言いたげな千代ちんの視線を無視して再び台所へといき、冷蔵庫から三和漬物の「だし」とカレー用のスプーンを持ってくる。
 何を始めるんだろうと興味を持っている千代ちんの納豆ご飯の茶碗に、有無を言わさずスプーンいっぱいの「だし」をべぃっとかけてやる。
「ちょっとぉ、ナニするのよ!」
 と語気を荒げる千代ちんに、
「いいからだまされたと思って食ってみ」
 と、うながしてやる。
「あ、さっぱりして食べやすくなった」
「でしょ、夏に納豆食べるならこれないと……」
 そういうわたしは「だし」を冷奴に一さじ乗せて、崩しながらいただく。
 8月15日、お盆も終わりの今日、わたしは千代ちんと二人で遅めの朝食を食べていた。
 昨晩お盆の挨拶に来た千代ちん一家から千代ちんを引き剥がし、夜遅くまでシンハもまじえて今日明日の対策について話をしていたので起きるのが遅くなったのだ。
「今までの化け物の出現状況を分析すると、さくらんぼのときを除くと人が大勢集まっている場所に現れるのよ」
 このことに気がついたのは千代ちんだった。これが前回「犬の宮」からの帰り道の話で、その後、人の集まりそうなイベントには、パトロールがてら二人で積極的に参加するようにした。
 8月の第一日曜、糠野目のカッパ祭り。これは昔近くで悪さをしたカッパ、そのカッパの結婚相手を模した山車を引っ張るお祭りだ。世界一長いカッパ巻き作りに挑戦したりもする。
8月10日のごんぼの実祭り。マジックテープのようなとげのついた、ゴルフボール大のごぼうの実、コレを好きな相手に投げつけて、家に帰るまで気がつかなければ恋の願いがかなうという、昭和縁結び通り商店街の名前のもとになっているロマンチックな伝説があるお祭りだ。
とはいえ、実際のところは、小学生が面白がってチカチカする「ごんぼの実」のぶん投げあいをする少々危険なお祭りになっている。
両方のお祭りをわたしたちは当初の目的も忘れて満喫した、幸いなことに例の化け物は現れなかったが、これではいかん!と活を入れなおしたのが昨晩のことだった。
「えーと、今日の予定が10時からスノーアクティブフェスタに、夕方からみこしパレード、終わったら音楽イベントね……」
「またテレビに映るかな?」
千代ちんの言葉にわたしは
「あぁ……」と頭を抑える。
以前から都市伝説的にささやかれていたラクシュミーの存在は、先日の犬の宮の一件で、米沢のケーブルテレビによって千代ちんとともに白日の下へとさらされた。遠目からの撮影で音声が入っていないのが救いだった。
その後動画投稿サイトで転載に転載を重ねられ、某巨大掲示板ではさまざまなジャンルでスレッドが立てられた。「某マッチョ系俳優が泣きながらわたしたちと戦う画像」というコラージュを見たときにはこっちが泣きたくなった。
オタクっ気のある友達が言うにはコスプレする人まで現れているらしい。
ラクシュミー効果で物見遊山の観光客が増えて、名物の種無しぶどう「デラウェア」の売れ行きがよく、お父さんの機嫌がいいのが唯一の救いだ。
こうした動きに対し千代ちんは割りと好意的に見ているが、わたしは世間の注目っぷりにすっごいプレッシャーを感じていた。
「変身、絶対ばれないようにしなきゃダメだかんね!」
「でも、変身したら決めポーズとかしなきゃなんないと思わない? 口上とかさ、まほろばの大地に千年の安らぎを! ラクシュ・ミレニィ! なーんて」
千代ちんがくるくる回り、最後にビシィッとポーズを決める!
「……それにあわせろって言うの? わたしも……」
ちなみに、以前に名づけた「ミレニアム」という名前は、語呂が悪いので、私の「ピオニィ」にあわせて「ミレニィ」に省略された。


「あの、なんで夏なのに雪があるんですか?」
スタッフらしい背の高いメガネのおじさんに千代ちんは物怖じしないでたずねる。
「えっ、あっはい、これはですね、飯豊町のほうに雪をおっきな雪室の中に入れて貯めておいて、夏場に冷房なんかに使うところありましてですね、そこからダンプで5台分くらいもらってきてるんですよ」
「へぇえ……」
単管パイプを組んで作られた高さ8メートルほどの人工的な山、ズンズンとクラブ系の音楽が流れる中、そこから何人ものスノーボーダーが滑ってはジャンプし、ワイルドに、華麗に、エアーを決めていた。
スノーアクティブフェスタ。この事業も十数年続いており、お盆だというのに近隣だけではなく青森や東京、はては関西からまで参加希望者が来ているという。
「あ、そり貸しますだって。ね、ね……」
「いやよ、はずかしい!」
みなまで言う前に断固拒否する。千代ちんは露骨に残念そうな顔をした。
「さぁ皆さんお待ちかね!われらが布施忠の登場だ!」
MCがそうアナウンスすると会場がどよめく。
するとTシャツ姿のおじさんが、今までの誰よりも力強くワイルドにエアーを決めた。
「おおおおおぉぉぉぉぉ……」
会場から歓声があがる。
「ね、ね、だれだれ?」
千代ちんが興奮してわたしの背中をばしばし叩く。
「なんか昔若いころプロだったみたいよ、スノボはしないから詳しく知んないけど」
背中をさすりながらわたしは答える。
「お譲ちゃん、忠はね、スノーボードのトップブランド、バートンのグローバルチームに所属していた唯一の日本人プロだったんだぜ。一番乗ってたときなんか、なみいる世界のプロのすべりを集めたDVDのおおとりまでつとめたんだ」
近くにいた、スタッフらしき丸っこいおじさんが、まるで自分のことのように自慢げに教えてくれた。

「ねぇちょっと静かなところに行かない?」
わたしたちは会場でかき氷を買うと、それをもって「幸橋」という小さな橋を渡り、裏通りを東に向かって歩いた。
しばらく行くと小さな堀と木立に囲まれた厳島神社、通称弁天様が見えてくる。
目の前にある縁結びどおりから新高畠音頭が流れてきて静かにとはいかないが、木陰の涼しさが心地良い空間を作っていた。
「御仮家の祭りって言って、安久津八幡神社のお神輿が屋代地区を回ったあとにその日のうちに帰れないからここに泊まったんだって。 それを青竹に飾ったちょうちんでお迎えしたから「青竹ちょうちん祭り」っていうんだってさ」
「ふーん……」
千代ちんは、かき氷をじゃっくじゃっくとつつきながらわたしの説明に退屈そうに相槌を打った。
「なかなか出ないもんだね……」
どうやら千代ちんは化け物退治のことで頭がいっぱいの御様子だ。
「そうだね、でも出ないなら出ないで平和でいいと思うんだけどなぁ」
わたしは正直化け物退治はこりごりだ。
「それは困るッハ、あの化け物が出てきてくれないと文珠が回収できないっハ、あ、それと僕も少し氷が食べたいっハ」
シンハがスニーカーをぺちぺち叩きながらうったえた。わたしはカキ氷の容器を大ぶりに割ると、その上にかき氷を盛って差し出してやる。シンハはまってましたとむしゃぶりついた。
「あの化け物ってさ、何が目的なんだろうね?」
「……そういえばそうよね」
千代ちんがふと口にした疑問、言われてはじめて気がついた。
「最初が学校でしょ、次が旧高畠駅の公園、その次がさくらんぼで、こないだが犬の宮……共通点とかないよね……」
わたしは首をひねる。
「ねぇシンハ、心当たりとかないの? 文珠を盗んだ犯人の……」
千代ちんの問いかけにシンハは顔を上げれずにいた。
「……わかんないんだ……しょうがないなぁ……」
「……いっつもあの時期はたいへんなんだッハ。 受験生の波、波、波! 松が明けてやっと休みもらって、小正月までぐっすり寝ないと疲れなんか取れないんだッハ」
千代ちんのさめた物言いに、切れたシンハがまくし立てた。
「よ、要するに、1月の8日から15日くらいまでになくなってたってコトよね」
わたしはシンハをなだめるように確認を入れた。
「そういうことになるッハね」
「文珠のこと知ってるのは?」
「この時代では君たちくらいしか知らないッハ」
「この時代?」
「そうだッハ、文珠が僕の力の源だって言うのは、歴代のラクシュミーにしか教えてはいないッハ。前のラクシュミーは明治の初めのころの話だから、もう生きてはいないはずだッハ」
「歴代、ねぇ……」
歴代なんて聞くとなんだか自分たちがすごい存在なのかなと錯覚してしまう。
ともあれ文珠を奪った犯人については三人寄ってもわからずじまいだった。


「いえーぃ、アメちゃんゲーット!」
体を真っ赤に塗って赤鬼に扮したおじさんが沿道へと向けて投げたあめ玉を、千代ちんは幸運にもつかみ取った。
夜のとばりが落ち、真っ赤なちょうちんに火がともった。
御仮屋の祭りのおみこしパレードの始まりだ。
商工会、建設組合、わかわしバレーなどなど、例年6、7台のおみこしが商店街を練り歩く。
いつのころからは知らないが、縁結び通りと、まほろば通りの交わる交差点で、モチやら、アメやら、ビーチボールやらをまくようになった。
千代ちんが手にしたそのアメは、商工会青年部のおじさんが投げたモノだった。
「なにかご利益あるのかな?」
千代ちんが手にしたアメをわたしに見せながらうれしそうにいった。
「さぁ?」
そっけなく返事したのは、ふみつぶされないようシンハを抱き上げているため、アメの争奪戦に参加できなかったからではない。決してない。
そうこうしているうちに、青い龍のおみこしが交差点へと現れた。
「泣いた赤おに」とならぶ浜田広介のもう一つの代表作「りゅうの目のなみだ」の龍を模したおみこしだ。
役場男性職員の手によって中華街の蛇踊りのような演舞を見せ、観客の歓声を受ける。
ひとしきり演舞が終わり、龍がまほろば通りに流れていこうとしているとき、とつぜん場違いな悲鳴が上がった。
悲鳴の主は、龍のおみこしに随伴してきた、黄色い龍のずんぐりむっくりした張りぼての着ぐるみ、いや、着ぐるみの後ろで尻もちをついているおじさんだ。
着ぐるみは不気味な光を放ちながら、むくむくとその大きさを増し、
「ダデーナーーーー!」
と大きく叫び声を上げた。
「来たッハ!」
「ぼたんちゃん!」
「うん!」
わたしたちは顔を見合わせると人目につかなそうな三郎薬局のかげへと駆け込んだ。
と同時に、黄色い龍の変化に気がついた人々の悲鳴が聞こえてくる。
「いそぐッハ!」
シンハが如意宝珠をよこす。
『オン・チンターマニ・ソワカ!』
二人は声をハモらせてラクシュミへと変身した。
「行かなきゃ!」
と、かけ出そうとするわたしの肩をミレニィがつかんで引き止める。
「どうしたのよ?」
とふりむくわたしに、ミレニィは人差し指で上を指す。
「どうせなら、派手に行かなきゃ」
といって彼女はわたしの返事も待たずに三郎薬局の屋上へと跳びあがった。
「ん、もう!」
わたしも後を追う。
屋上へと降り立つとすでにミレニィは交差点を見下ろしている。
小走りで近寄ってミレニィの後ろに立った瞬間、彼女は大きな声で
「そこまでよ!」
と叫んだ。
黄色の龍と御祭りの観客がいっせいに彼女に視線を集める。
「まほろばの大地に千年の安らぎを、ラクシュ・ミレニィ!」
そういうと彼女は見得を切った。
そして、あんたも早くやんなさいよ、といわんばかりに目くばせしてくる。
心の準備も何も出来ていないわたしはアタマが真っ白になって、
「ピ、ピピピピオニィ」
と、噛みながら、それらしいポーズをとるのが精一杯だった。
「楽しいお祭りをメチャクチャにしようなんて許せない! 行くわよピオニィ!」
そういうとミレニィは黄色い龍めがけて飛び降りた。すぐにわたしも後を追う。
「づあぁあぁ!」
ミレニィのキックが龍の鼻面へと突き刺さる。
「はぁあぁあ!」
衝撃で下がった龍のあごを、目の前に着地し沈み込んだわたしが、伸びあがりざまに掌底で突き上げる。
黄色の龍は信号機の高さまでその体が跳ね上げられ、受身もとれずに地面へと激突した。
背中合わせで龍の挙動を警戒するわたしたちに、歓声と、拍手と、カメラのシャッターがいっせいに浴びせられた。
黄色い龍は片手をつきながらゆっくりと立ち上がろうとする。
「私は胸から上、ピオニィは腰から下よろしくね」
そういうと、ミレニィは背中の羽を使ってわたしの背中をなで上げる。
「わ、わかった」
ぞくりとするその感触に、彼女が何をしようとしているのか理解する。
「ゴウ!」
黄色の龍が立ち上がり、わたしたちに向かって威嚇の声を上げた。
その声がまさにゴーサインだった。
二人同時にとび出すと、龍に向かって連続攻撃を叩き込む。
空を飛べるミレニィは、約2メートルほど浮いて連続で回るようにキックを、私は地に足をつけてパンチやひじを叩きいれる。
龍は必死にガードしようとするがとても手が足りない。
じりっ、じりっと後ろに下がっていく。
すごい……
この前は千代ちんまでひどい目にあうんじゃないかって不安に思ってた。
でも違った。
体が軽い。
一緒に戦う仲間ができたっていう気持ちがそうさせているのかな。
やられる気なんてまるでしない。
二人いるってサイコー、もう何も怖くない。
「づあぁ!」
ミレニィがひときわ強く黄色い龍の頭を蹴りつけた。
「うりゃぁ!」
バランスをくずした龍を思いっきり蹴り上げる。
龍はまるで風車のようにぐるぐると回転し、頭から地面に激突すると痙攣した。
「いまよ!ピオニィ!」
ミレニィの声に、わたしは龍から5メートルほど間合いを取ると、トゥインクルロッドを取り出す。
くるくると舞を舞うようにしながら空中に曼荼羅を描くと、しだいに力がみなぎってくる。
「ようし!気力充実! ラクシュミー・トゥインクル・ファウンテン!」
わたしがロッドを振りかざすと、輝く光の奔流が黄色い龍に向かって降り注いだ。
「ダ、ダデェエェェエェェェエェエエナァァァァァアアアアアアァァー…………」
黄色の龍が絶叫を上げ、その体から力が急速に抜けていくように感じられた。
ほっ、としたその時、視界の端で何かが動くのを感じた。
ふと目をやると、そこには役場の職員が操っていた青い龍がなぜか空中に浮かんでいて、その大きな、いや巨大な口がわたしの眼前にせまっていた。


恐る恐る目を開けると薄暗い。
目の前にたくましい男の人の背中がある。
この服は……覆面の人だ。
覆面の彼が腕を突っ張っている。
鋭く並んだ牙が鈍く光って見える。
ここは?
龍の口の中?
今まさに噛み千切られようとしているわたしを、覆面の彼が腕を突っ張って龍の口が閉じるのをふさいでいてくれたようだ。
「は、早く逃げろ……もう……もう、もたん……」
覆面さんが絞り出すような声で言った。
わたしは急いで龍の口から転がり出る。
と同時にその口が閉じられた。
「覆面さん!」
わたしが叫び声をあげると同時に、ミレニィが龍めがけて炎を連発で叩き込む。
その炎にひるんだ龍は苦しそうに飛びあがると、口から覆面の彼を放り出した。
龍は上空高くまで舞い上がると、空中でとぐろを巻き、その瞳から滝のように水を流し始めた。
その尋常ではない涙は、まるでダムから放水されたような勢いで交差点へと降り注いだ。
降り注いだ水は濁流となって町を飲み込む。
わたしたちはその水を避けるように魚竹商店の屋根へと跳びあがった。
あちこちから悲鳴が上がる。
人が、屋台が、おみこしが、圧倒的な量の水に押し流されていく。
まるで小学校のときにニュースで見た津波のような地獄絵図だ……
「あんなのが使えるなんて……文珠にしたら20個分くらいの化け物だッハ……」
シンハが震える声でつぶやいた。
「こんにゃろ! こんにゃろ!」
ミレニィが上空の龍めがけて火の玉を何発も何発も撃ち込んだ。しかし、流れ出る水の壁に阻まれてダメージを与えられないようだ。
「ピオニィ、ミレニィ、こうなったら空中戦しかないッハ!」
「なるほど、近づいて叩き込めってことね」
いうなりミレニィは飛び上がった。だけど……
「なにしてるッハ!ピオニィ!」
シンハが怒鳴る。
「や、だってわたし羽生えてないし……」
「生やせばいいっハ、イメージするッハ」
「イメージったって……」
「ミレニィは竹にすずめ、ピオニィは蝶にボタンだッハ!」
「何よそれ、麻雀と花札じゃない」
「いいからチンターマニに手を当てて、蝶の羽をイメージするッハ」
わたしは言われたとおり、胸の如意宝珠に手を当てて、妖精のように背中に蝶の羽のはえたピオニィの姿を思い浮かべる。
蝶の羽……蝶の羽……
念じていると背中がなんだか温かくなってくる。
不意に、シャラララン、と、すずやかな音がしたかと思うと、背中のリボンが大きな蝶の羽へと変わっていた。
「よーし、行くッハ!ピオニィ!」
シンハの掛け声とともにわたしは屋上をけって飛び立った。
見るとミレニィは、何とかよいポジションから攻撃を仕掛けようと龍の周りを飛び回っているが、抵抗にあってなかなか有効な攻撃を与えられない様子だ。
わたしは羽こそ蝶だが、まるでトンボのような勢いで突き進み、ミレニィに気を取られて、下からの攻撃に対して注意がおろそかになっている龍のあごを、掌底で思い切り突き上げた。
「ギャオォオオオォォォオオオン……」
龍は痛みで悲鳴を上げ、頭を上に向け空中で一本の棒のようにのけぞった。それとともに龍の目の泪も止まる。
「ナイス!ピオニィ!」
ミレニィは、いまだとばかりに龍の体に至近距離から炎の玉を次々と撃ち込んだ。
「ギャアァァアアォオォオオオォォォオオオン……」
至近距離からの炎の連撃は、龍の体すべてを炎で包み込んだ。
パニックになった龍は身をよじって何とか炎を消そうともがく。
と、突然龍が急降下を始める。
「そうか、地面の水で……」
と、思った瞬間わたしは龍の角へと飛びついた。
地面へと向けて加速をつける。
気がついた龍がブレーキをかけようとする。
が、わたしの思惑に気がついたミレニィも龍の角へとしがみつき、さらに加速をつける。
みるみる地面がせまる。
バッシャァアアァァァアアアァァァアン…………
と、高く水しぶきが上がった。
はるか上空からアスファルトにたたきつけられた龍は、気絶し、その長い体をくたくたと横たえた。
「今よ!ピオニィ!」
ミレニィの言葉にわたしはトゥインクルロッドを構える。
踊るように空中に曼荼羅を描き……
「ようし!気力充実! ラクシュミー・トゥインクル・ファウンテン!」
ロッドを振りかざすと、輝く光の奔流が龍に向かって降り注いだ。
「ダ、ダデェエェェエェェェエェエエナァァァァァアアアアアアァァー…………」
光を浴びた龍は、ひときわ高い絶叫を上げて、のた打ち回っていたが、次第にその体からは力が失われ、元の龍みこしへと戻った。
しだいに水も引き始め、龍みこしのかたわらに文珠が鈍い輝きを放ちながら転がっていた。
「すごい文珠がこんなにあるッハ」
駆け寄ってきたシンハがうれしそうに声を上げる。
「そんなことよりピオニィこっち!」
声を上げたミレニィのほうを見ると、その足元には覆面さんが倒れていた。
ピクリとも動かない彼のそばにミレニィはしゃがみこむ。
「この覆面の人、息してない!」


わたしもそばへと駆け寄った。
覆面さんは、瞳を閉じてぐったりと体を横たえていた。
「誰かこの人を……」
 助けを呼ぼうと周りを見渡す。が、そのあまりの光景にわたしは言葉をなくした。
 ずぶぬれで動けないのは覆面の彼だけではない。
両手を地面について、肩で荒い息をしている人。
ケガをしたのか大声で泣き叫んでいる小学生くらいの女の子。
離れ離れになった子どもを探すために声をあげている母親らしき人。
水圧でぐにゃぐにゃになったテントを必死に持ち上げようとしているハッピ姿のおじさん。
ぐったりした人の肩をたたいて呼びかけている警備の消防団員。
「ひどい……」
「みんなさっきの水で流されてそれどころじゃないッハ」
シンハは言うと、再び鈍い光を放つ文珠へと向かって駆け出していった。
「それこそそれどころじゃないでしょ! こんなときに文珠なんてほっときなさいよ!」
 ミレニィがシンハに大声を上げる。
 ふたたびわたしは覆面さんへと顔を向ける。
 彼は、先ほどと変わらず眉間にしわを寄せ、ピクリとも動かない。
 彼の顔を見ていると今までのことが走馬灯のように思い浮かんでくる。
 中学校で、化け物に横から体当たりして助けてもらったこと。
 旧高畠駅の公園で、わたしを抱きしめて化け物の攻撃から守ってくれたこと。
 犬の宮では、たぬきの攻撃を代わりに受けてくれた。
 そして今日の龍の噛み付き。彼が龍の口を支えてくれなかったら今頃……
 いつも彼に助けてもらってばっかりだった……
「決めた! ミレニィ、心臓マッサージお願い! わたし……人工呼吸する!」
「人工呼吸? だってそれって口と口とで……」
 ミレニィが驚いた顔をしてわたしを見る。
「今まで何度も彼に助けられたんだもん。今度は……わたしが助けなきゃ!」
 彼をあお向けに寝かせる。
 そして……
 そして、口を出すために覆面をはぎ取った。
「!」
「あ、赤木!……君」
 ミレニイがのぞきこんで大きな声を上げる。
 でも誰だっていいじゃない。今、ここにいるのは、生死の境をさまよっている、何度もわたしを救ってくれた命の恩人だ。
今、彼を助けられるのはわたしだけ。迷ってなんかいられない。
「ミレニィ、お願い。確かテンポは……」
「もしもしカメよだっけ? いくよ!」
 体育の時間に習った心肺蘇生法、ミレニィも覚えてた。
 鼻をつまみ、あごを上げる。
 そして……
 わたしは大きく息を吸い込んで、赤木君の口に唇を重ねた。
ぷぅー はっ ぷぅー 
大きく二度息を吹き込む。
ついで、ぐっ、ぐっ、ぐっ、と手のひらを重ねたミレニィが、赤木君の胸の中央をリズミカルに刺激する。
「……どっ、しって、そっ、なっに、のっろ、いっの、かっ」
 心臓マッサージ1セットの30回が終わった。
わたしはふたたび大きく息を吸い込んで、赤木君の口へ空気を送り込む。
 と、赤木君の体が小刻みに震え、
「ガ、ガハッ」
と、大きく息を吐き出すなり赤木君が飛び起きた。
突然の動きを避けられず、ミレニィは弾き飛ばされ、わたしはしたたかに頭突きをもらう。
ぶつけた頭を抱えているわたしの横で、赤木君はまだ呼吸が普通ではなく、むせているような音をたてているようだ。
「つつつ……命の恩人にとんだご挨拶ね……」
 ミレニィが、ぶつけたおしりをさすりながらぼやく。
「ここは……おれはいったい……」
 赤木君は、事態を把握しきれていないのか、呆然とした顔でわたしたちの顔を交互に見ている。
 その顔を見ていると、なんだかぶつけた頭の痛みとは別の涙がこみ上げてきた。
「お姫様のキッスで王子様の呪いが解けたところよ」
「え?」
「な?」
 ニヤニヤしたミレニィと、驚いておそらく顔が真っ赤になっているわたしの顔を見比べて、赤木君が事態を把握したのか頬を赤らめる。
「ちょ、ちょっとなんでそんな言い方、そんな……わたし……た、ただの救急救命処置で……」
「ちゅー ちゅー ちゅー めー?」
「きゅーちゅーちゅーめー! 医療行為だからノーカンなのノーカン!」
 わたしたちのやり取りに赤木君は言葉が出ない。
「はいはいわかりました。とりあえず、ココをはなれましょ。」
立ち上がったミレニィがお尻をはたきながらいった。
「あなたも顔を隠していたってことは、正体がばれたくないんでしょっと」
 いいながらミレニィは赤木君の肩に手を回した。
「でも、町のみんなは?」
 まだ助けの必要そうな人はまわりにたくさんいた。
「私らだけじゃとっても手が足りないし、それにもうだいぶエネルギーも使ったわ。助けてる途中で変身が切れたら、それこそいろんな意味でたいへんでしょ」
 ミレニィのいうとおり、赤木君が息を吹き返したことに安心したのか、なんだか急にどっと疲労感が襲ってきたような感じがする。
「じゃ、とりあえず人気の無いところ、っていうと……」
「羽山公園あたりかしら」
 わたしはミレニィの反対側から赤木君の肩に手を回す。そして、ゆっくりと宙へと浮かび上がった。
 羽山公園は、お祭りをしている商店街から屋代川をはさんで北に約500メートルほどにある、羽山の中腹にある公園だ。わたしたちはそこへ向かって、赤木君に負担をかけないようにゆるゆると宙を進んでいく。
 眼下を見ると、先ほど龍の吐き出した水が、屋代川の手前にある水路を超えて屋代川へと流れ込んでいた。そのせいで、この時期はほぼ枯れかかっている屋代川が、まほろばどおりと交差するあたりから急に大きな流れになっていた。
「ねぇ、ほんとにだいじょうぶかな……」
「……いや、だめだめ、後は消防と警察に任せよ、ね」
わたしの問いに、ミレニィはしばしためらったが、頭を振って再び羽山公園へと向き直った。
確かにこうして飛んでいるのもだんだんつらくなってきた。
「ったく、ナニ考えてるのかしら、あのフードの男ってのは……」
 ミレニィが強い口調ではき捨てるように言った。
 彼女も眼下の事態に関われないことが心苦しいんだなと思った。


「ぶるあぁあぁあぁぁあぁぁあぁー、重たかったー」
 しばらくして、ようやく羽山公園へとわたしたちは降り立った。
 ミレニィは赤木君をおろすと、少しはなれたところに大の字に寝転がる。
「長距離、飛ぶのが、こんなに、しんどいとは、思わなかった、わね……」
わたしも地面に両手をついて、肩で息をする。
「そういえば、息してないのに、気ぃ取られてたけど、アレにかじられたのよね? そっちはだいじょぶなの? 赤木君?」
「そういやそうよね」
 わたしの疑問にミレニィは、寝返りをうち、這いながら赤木君のもとまでいくと、彼のおなかをペタペタとなでた。
「あ~、チョッとあざに、ってかカッチカチ。どんな鍛え方してるのよ赤木君?」
 ミレニィのボディタッチに顔を赤らめていた赤木君だが、ふと表情が真剣になる。
「なぜ……どうして……俺の名を……」
 赤木君が不思議そうにわたしたちの顔を見た。
 わたしたちも顔を見合わせる。
「あぁ、そうかこんなカッコじゃわかんないわよねー」
「いいよね、ばらしても?お互い様だし」
 いうなり千代ちんは変身をといた。
「ほら、ぼたんちゃんも……」
「いやほら、わたしさっきあんなことしたばっ、あぁー! いま名前で呼んだー!」
「ほらほら、もう観念してばらしちゃいなって」
 きょとんとした顔でわたしたちのやり取りを見ている赤木君の前で、わたしもしぶしぶラクシュミーの姿からもとの姿へと戻った。
「竹田……さんと、冬咲……さん……」
「みんなには内緒だからね」
千代ちんが人差し指を口に当てる。
そのとき、ガサッ、と後ろの茂みから何かが動いたような音がした。
その音に振り返ると、そこにいたのは旧高畠駅で見たあのフードの男だった
「……君たちが……お前たちがラクシュミーだったのか……」
 男はかみ締めるように低い声で言うと、ふところをまさぐりだした。
(しまった!正体がばれた!)
そうは思いつつも、反射的に顔をかくしながら、わたしと千代ちんは身構える。
如意宝珠は、変身をとくと不思議な力でシンハの元へと戻ってしまう。
つまり、再びシンハと合流しなければ変身することはできないのだ。
変身とかなきゃよかった、と思ってももう遅い。
絶体絶命の……ピンチ……
 ここはもう逃げるしかない!
 ザリ、と音を立ててわたしたちは後ずさる。
フードの男がふところの中の何かをつかんだ。
しかし、つかんだはいいが、なぜか彼は動かない。
心なしか小刻みに震えているようにも見える。
フードの男がどう動くか目を離せない。
視界の端で千代ちんを見る。
どうやら彼女も動けないらしい。
緊張感に満ちた沈黙が流れた。
「……もう、もう終わりにしよう……青木……」
 沈黙を破ったのは赤木君の声だった。
赤木君の発言に、わたしと千代ちんは顔を見合わせる。
「……青木…………」
 ふたたび赤木君がフードの男に呼びかける。
男は舌打ちをひとつすると、ゆっくりとフードに手をかけ、その素顔をさらした。
「……には……君には知られたくなかった……」
 フードの下から現れたのは、確かに青木君の顔だった。
 声が震えている。
町場からの明かりを受け、もともと青白い顔に影が落ち、彼の持つ異様な雰囲気がいや増している。
「ちょ、ちょっとまってよ! 青木君が化け物を操ってて、赤木君とわたしたちはその化け物と戦って、それでいて青木君と赤木君が学校だといつも一緒で……ってどうゆうことよ?」
 事態を飲み込めない千代ちんが、いやわたしもぜんぜん飲み込めてはいないが、二人をかわるがわる指差しながら声を上げた。
「……が……だちが…………しかった……」
赤木君がうつむいて、こぶしを震わせながらつぶやいた。が、よく聞き取れない。
「……ともだちが……友達がほしかった!」
 叫ぶように言うと、突然赤木君は両手をついて泣き崩れた。
「……ちょ、と、友達が欲しいって、話の流れがかみ合ってないと思うんだけど……」
わたしは千代ちんと顔を見合わせた。
「つまり……今までの化け物騒ぎは、全部俺たちの自作自演だったんだ……」
「え?」
「自作自演?」
 はてなマークを浮かべたわたしたちに向かって、青木君は震える声で語りだした。
「俺がダデーナー、あの紫の化け物のことだが、あれを操って、赤木がみんなの見ている前でダデーナーをやっつける……そうすれば、みんなが赤木をもてはやす……赤木が人気者になれると思ったんだ……」
青木君はこぶしを震わせ、うつむきながら続けた。
「俺たちはこんな見た目で……俺は気味悪がられて、赤木は怖がられて、今まで誰からも敬遠されてきた……俺たち二人のほかに友達って呼べる奴がいなかった……だから友達が……どうしても友達が欲しくて……」
「なによ……なによそれ……友達が欲しい……なら余計な小細工なんかしないで素直にいえばいいじゃない!」
 わたしは爆発した。青木君の話はまったく理解の範疇を超えていた。
「それは……」
 青木君が何か言いたげに口を開くが、まだわたしの気はおさまらない。
「自分たちの都合でいろんなもの壊して、みんなを危険な目にあわせて、自分たちだって危ない目にあって、わたしだって……わたしだって何度も……何度も怖い思いや、痛い思いして……それでいて友達が欲しかったですって……馬鹿にしないでよ!今日だって!」
 そのとき、わたしの頭に先ほどの人工呼吸が思い出された。
 今まで助けてもらった恩返しだと思っていた。
人命救助のための神聖な行為だと思っていた。
わたしのファーストキス。
それが……
 それがだまされて、無理やり唇を奪われたように感じて……
 吐き気がした。
グシグシと腕で口をぬぐう。
それでもまだ汚れている気がして、つばを吐いた。
何度も……何度もつばを吐いた。
「冬咲君……」
「冬咲……」
心配そうな声で二人がわたしを見る。
でも……
「……気持ち悪い……」
 二人の顔を見ると、なんだか心臓の鼓動が不安定になっていく……
 頭の中がぐるぐると渦を巻いているように感じる。
 こんなところには一瞬たりともいたくない。
 そう感じた瞬間、わたしは羽山公園の広場から駆け出していた。


「……やっと、おいついた」
羽山公園から屋代川を渡るための橋に差し掛かったところで千代ちんがわたしに追いついた。
橋には交通規制がしかれており、普通の人は入ることができなくなっていた。
「高畠町消防団第1分団第2部第1班!ただいまから人員捜索を開始します」
消防団が投光機を持ち出して、流された人がいないか川面を照らしている。
野次馬の隙間から見える屋代川の、橋を境に下流側は濁流であふれかえっていた。
そこには、先ほど上空から目にしただけでは感じ取れなかった地獄絵図が広がっていた。
「……行こ……私たちやったよ……これですんだって思わなくちゃ……ね……」
 千代ちんが声をかけてくれた。
 声が震えている。ああは言うものの、きっと納得はしていないだろう。
 しかし、そう思うしかない。考えることに疲れたわたしはだまってうなずいた。
「どこからあっちに渡ればいいの?自転車流されてないといいけどなぁ……」
西の川下の側には野次馬が大勢いた。
「あっちにしよ」
疲れている中遠回りにはなるが、東の川上のほうの橋から向こう岸へと回ることにした。
足をひきずるようにしながら上流への道を進んでいく。
すれ違う人の数もしだいに少なくなってきた。
喧騒から遠ざかるにつれて、まるで逃げているように感じて悔しくなった。
もう一度川下を振り返る。と、橋に居並ぶ投光機の光を受けて、背後に大型の獣のような紫色の影が見えた。
「ひぃっ」
 と、つられて振り返った千代ちんも息を呑む。
犬……よりでかい。
虎とか、ライオンとか、そんなサイズの獣が……一頭だけではない……ざっと数えて十頭前後が、ゆっくりではあるが河川敷ののり面から道路へと上ってきて、こちらへと向かって歩みを進めてきた。今まで水につかっていたのか、ビチャ、ビチャという足音が聞こえる。
「……さっき青木君が言ってたダデーナーってやつかしらね……」
 千代ちんが身構えながらつぶやいた。
「口封じ……とか……まさかね……」
何かしゃべらないと千代ちんは落ち着かないのだろう、けれどわたしは、今の「口封じ」という言葉のせいで、なんだか何もかもバカバカしくなった。
あの二人のくだらないお遊びで、純情を踏みにじられたうえ、こんなところで一生を終えるのか……
天を仰ぎ、目をつぶる。
最後のときを前に今までの人生でも浮かぶのかと思いきや、頭の中に流れるのは先ほどの大水に押し流されて苦しんでいる人たちだった。
彼らは全員無事なのだろうか?
ケガをしてる人は見た。それ以上の目にあった人は……
純情を踏みにじられたどころの話じゃないその人の無念はどんなんだっただろう……
そう思うと心のそこから怒りがふつふつとわいてきた。
彼らの無念をはらせるのはわたし達しかいない。いや、はらせなくてもせめて一発……
わたしの中で何かが壊れた。
「うあぁああぁああぁああぁぁぁぁぁああぁつっ!」
 わたしは一番近くの化け物に走りよると、その鼻っ面めがけて右のこぶしを叩き入れた。
「ギャヒン!」
 と化け物は情けない声を上げる。
「うぁあっ!うわあぁっ!あぁあっ!」
 わたしは無我夢中で化け物を手当たりしだいに殴りつけた。
「ちょ、やめ、やめるッハ……ぼた、やめるッハ……」
 あんなことしておきながら「やめるッハ」っていわれてやめられると思ってんの?
 と、後ろから何かが覆いかぶさるような衝撃を感じる。
 それはわたしの動きを封じようと体に腕のようなものを伸ばしてくる。
 耳元で何かわめいている。
「うるさい!」
ひじを立てて上体を回し何とかそれを振り払おうとする。
「イタッ! やめてぼたんちゃん! ぼたっ、それ化け物じゃないっ!」
「ぼ、ぼたん! 僕だッハ! シンハだッハ!」
「だめだ! キレてわけわかんなくなっちゃってる!」
「ぼたん! 目を覚ますッハ!」
「……んんンもう、ゴメン!」
頭に強い衝撃を受けて、わたしの意識はそこでプツンと途絶えた。

ラクシュミー5話 了



6話 なみだの理由


今日から2学期が始まる。
少し早起きして、商店街のほうへと自転車を走らせる。
あれから一週間が過ぎ、がれきやらドロやらの撤去はほとんど終わっているようだが、割れたガラスや建具がまだ入らずに、ブルーシートで目隠しをしている店がほとんどだ。
もっと上手に戦っていれば、こんな光景は見なくてすんだのかもしれない。そう思うとなんだか涙がにじんできた。
あの晩、河川敷でキレて手がつけられなくなったわたしは、千代ちんのきつい一発で意識を失ったそうだ。
河川敷から這い上がってきた大きな獣はシンハだったらしい。
巨大化、というか、あれが本来の姿らしいが、分身して洪水に流された人を岸まで引き上げていたという。そのためあれほどの惨事にもかかわらず、死者は一人も出なかったそうだ。
しかしそのおかげで、あの晩手に入れた大量の「文珠」を含めて力をほとんど使い果たし、寝息こそ立てているものの、一週間たったいまでも目を覚まさないでいる。
散々殴ったお詫びと、人命救助のお礼にと買ってきたソーセージの賞味期限が切れてしまわないかと心配だ。

教室に入るとみんなあの晩の話で持ちきりだった。
「おはよう」
 と、教室に入ってきたのはバスケ部の高橋君だった。松葉杖をついている。
「ちょ、どうしたよお前?」
 その姿に驚いた男子が声をかける。
「いや、お祭りの晩にさ……」
 その一言に、みんな「あぁ……」と理解する。
「わるいな大浦、新人戦、無理そうだわ……」
 高橋君は寂しそうに笑った。
「おはよう」
「あ、おはよう千代ちん」
 千代ちんも登校してきた。
「シンハ、どう?」
「うん、まだ寝てる」
「そう……」
 千代ちんは不安げな顔でうつむいた。
「だいじょぶよきっと、いびきかいてたし。それよりも、あの二人来るかしら?」
 そういって教室の後、いまだ空席の赤木君と青木君の席に向かって振り返る。
「もう来てるよ」
 と、千代ちんは後ろの引き戸を指差す。
 体は見えないが、廊下との間の壁の上の小窓から赤木君の髪がちらりちらりとのぞいていた。
「わたしが教室入る前から、後の入り口んトコで二人でふらふらしてたよ……やっぱ、入りづらいんでしょうね……」
 キーン コーン カーン コーン 
予鈴がなった。すると観念したのか後の引き戸が開いて青木君、ついで赤木君が教室へと入ってきた。うつむいて背中を丸めて、なんだか二人が小さく見える。
 その様子を見た千代ちんは、腰に手を当て鼻から「ふーん……」と息を吐き出すと、自分の席へと戻っていった。
わたしは再び後ろの席の二人へと目をやる。
席へとついた二人は、ずっとうつむいていた。
ふと顔を上げた赤木君と目が合う。すると彼はすぐに視線を窓の外へと逃がした。
反省はしているようだけど……だけど彼らのしたことを考えると……
「起りーつ」
 日直の号令に、わたしはあわてて前へと向き直った。

 始業式も終わり、無事宿題の提出も済み、お昼を前に放課後を迎えた。
 号令が終わるなり千代ちんがわたしのところへ飛んでくる。
「ごめん、さっき部長に今日部活無いよって言われたの、言うの忘れてたよ」
「ふーん、じゃ一緒帰ろっか」
「それが私ちょっと用があってさ、先行っててよ」
「ん?何?わたし待ってるよ」
「いやいや、ほらシンハのこととか心配じゃない?早く様子見に行ってあげなよ」
拝むように手を合わせながら千代ちんが言う。なぜか視線が泳いでいる。
ちらちらと後の入り口に目をやっているような気がする
その動きに何か不自然な感じがしたものの、
「わかった、じゃーねー」
 と、わたしは席を立った。

 家に帰るとシンハが目を覚ましていた。
 買っておいたソーセージは瞬く間にたいらげられ、追加を買いに走らされるはめになった。
 

翌日、土曜の朝のゆっくりした時間は千代ちんの電話によって破られた。
自転車のかごにシンハを放り込み、スタンドを蹴り上げる。
「今日はどこに行くッハ?」
「駄子町にある瓜割り石庭公園だって。今頃あそこでいったい何の取材かしら?」
あれやこれやと想いをめぐらせているうちにわたし達は石庭公園へと到着した。
黄褐色の切り立った崖の下にある瓜割り石庭公園。
かつて山の上から楔を打ち込み、高畠石を切り出していた跡がこの切り立った崖の正体だ。
長い年月をかけて切り出した跡が、その崖の下に広場を作り出しており、その岩の壁に囲まれた広場では音の反響を利用して小規模なコンサートを行なったり、もう少しして涼しくなれば芋煮会の会場などとしても使われている。
そして今まさに季節はずれの芋煮会の準備が、晩夏の昼前の暑い日ざしの中、新聞部の男子、そして赤木君と青木君の手によって目の前で着々と行なわれていた。
「ちょ、いったい?」
「やぁ、遅かったな冬咲君」
「ちょっと部長、こい……この二人はいったい?」
「あぁ、昨日竹田くんがな……」
「じゃじゃーん、新入部員歓迎の芋煮会でーす」
 部長に指された千代ちんが手を上げながらにこやかに言った。
「新入部員? 千代ちん何言ってるのよ、こいつらは……」
 あまりのできごとにわたしは千代ちんに詰め寄る。
「ん?冬咲君。こいつらって何のことだ?」
「え、あ……いや」
 そばにいた部長がけげんそうな顔をしてたずねてくる。
そうか、新聞部のみんなの前じゃ、あのときの話なんて出来るわけない。
「あ、いや、なんでもないです、あの、急な話だったからびっくりして……」
 わたしが部長へと言い訳しているうちに、千代ちんはすっと準備している面々の間へと混ざってしまった。
もう、千代ちんったら何考えてんのよ……
 追いかけて中に入ろうとは思うものの、あの二人と一緒の輪の中というのは気が進まない。
 いらだちをおさえながら、和気あいあいと芋煮会の準備をしている皆に目をやる。
 鍋の横でねぎを刻んでいるのはよりによって青木君だ。おおよそ二本分のななめに切ったねぎを、ぐらぐらと煮え立った鍋の中へと滑り込ませふたをする。その馴れた手つきを見て部長が、
「へぇ青木君、君はクッキング、料理が上手だねぇ」
 とほめる。すると、
「あ、いや……あの、い、いつもやってるから……」
 なんて、照れてどもりながら青木君が答える。
 ズ、ズ、ズズと何か重いものを引きずる音が聞こえる。
 見ると赤木君が大きな岩をこちらへと押してきている音だった。
「ちょっと何やってんのよ赤木君!」
 と、千代ちんがあわてて詰め寄る。
「……敷き物代わりにしようかと思って……」
「ばっかねー、鍋をそっちに持ってったほうが手っ取り早いでしょ、もどしてらっしゃい」
「ん」
 言われて赤木君はくるりと向き直り、元にあった場所へと向かって岩を押しはじめた。そのそばに吉田君が寄っていって驚きの表情で赤木君を見つめる。
「あ、赤木先輩すごいです。こんな重そうな岩を一人で動かせるなんて!」
「……い、いや、そんな、たいしたことじゃない……」
 その声は、心なしか今まで聞いた赤木君の声の中で一番上ずったものに聞こえた。
その様子をマイペースに写真を取っていた日下部君が、こっちへレンズを向ける。が、彼はシャッターを切る手を止めて、くちびるのはしに指をあてて、口角を上げるジェスチャーをしてみせた。笑えっていってんの? ほっといてよ! わたしは顔をそむけた。
「おっ、そろそろいいんじゃないか?」
部長の声に皆がいっせいに顔を向けた。
みんな笑顔で鍋の周りへと集まっていく。
……なによ……わたしだけむすっとしてるなんて居心地悪いじゃない……
わたしはなるべく自然にその輪の中へと混ざろうとした。
「はいじゃぼたんちゃん、みんなに渡して」
 千代ちんが芋煮の盛り付けられた発泡のどんぶりを手渡してくる。
「あたしぃ?」
「そうよ、ほらおなかへったから次々行くわよ」
「や、ちょ、ちょちょちょ……」
そういって千代ちんは次のどんぶりを差し出した。
「はい部長、はい日下部君、はい吉田君、はい……青木君と……赤木君」
 次々と差し出される芋煮のどんぶりをみんなに渡す。青木君と赤木君にも渡す。
「はい、じゃ次はお茶ね、ぼたんちゃんそっち側ついであげて」
 と、千代ちんが否応なく割り振ったのは青木君と赤木君の側だった。「何でわたしが?」とは言い出せない空気の中で、わたしは二人の顔を見ないようにしながら、紙コップにペットボトルのお茶を注いだ。
「じゃみんないきわたった? それじゃぁ青木君、赤木君ようこそ新聞部に!かんぱーい」
『かんぱーい!』
 千代ちんの音頭でみんなして紙コップをつき合わせた。
 みんなはさっそく芋煮へと箸をのばす。
「おー、なかなかいけるじゃないか青木君」
「あ、ホントだ、おいしいですよ青木先輩」
 部長と吉田君にほめられて青木君は照れくさそうにはにかんだ。
「へー、これが芋煮会の芋煮かー。おいしいねぼたんちゃん!」
 千代ちんがキラーパスを放つ。なるべくなら口をつけたくなかったのに、こんな振り方されたら……何よ、青木君の作った芋煮なんて……
「あ……ほいひー」
 つい口からおいしいの一言がこぼれおちた。
言ってから、しまった!と思って青木君を見る。
 青木君は真っ赤な顔をしてうつむいた。
 なぜだろう、むなしさ?敗北感?そんな感情がわたしの胸を風のように通り過ぎて行った。
「ところで青木君に赤木君、これから新聞部の活動をしてもらうわけだが、いま僕らが注目しているのが例の魔法少女だ、君らも知ってるだろう?」
「あ、ぃいゃ、その……はい」
 部長の問いに、こちらをチラ見しながら青木君が答える。
「ちなみにピンクと最近出てきた緑と、君らはどっち派だい?」
「部長!」
 あんまりな質問に大声をたててしまう。が、みんなの驚いた視線を一点に受け、
「あ……あんまり女子の前でそういう話はデリカシーがないんじゃないかなって……」
 と、尻すぼみ。
「まぁまぁ、ぼたんちゃんってば固いんだから、で、部長はどっち派なんですか?」
「やっぱピンクだな、うん」
 部長の答えに千代ちんの眉がひくりと上がる。
「……へぇ……大河原君は?」
「ピンク」
「……あぁ、そう……でも吉田君、緑もすごいわよねぇ、火ィとか出せるし……」
 そっけないながらもはっきりとした意思表示に胸を刺された千代ちんは、半ば誘導気味に吉田君へと問いかける。
「いやぁ、やっぱりピンクですかね、てか、緑なのに火属性っておかしくないですか?」
「……でも、ねぇ、色と属性ってそんなに重要かしら、ねぇ赤木君?」
 マニアックな回答に存在意義を問われつつ、すがるように赤木君に問いかけるが。
「……ピオニィ……」
 の答え。ちらりとわたしを見て、再び朱に染まった赤木君の顔を見る。
「……あ、うん、あんたはね、それでいいと思うわ。で?」
「俺もピ……ピ……えと、あの、そのミレニィです……」
 青木君は千代ちんの迫力に言葉を翻しミレニイの名前を出したが、当の千代ちんはがっくりとうなだれてしまった。
「そ、そうそうミレニィかわいいじゃないですか、小柄だし、超ミニだし、その上巨乳ちゃんですよ、こう、ババーンと……」
 事実上の完全敗北に、落ち込む千代ちんをフォローするものの、
「なんだ、人にデリカシーがないって言う割には冬咲君の発言はずいぶん大胆じゃないか?」
 なんて笑われてしまう。
 そして、千代ちんの目は笑ってない、「勝者が敗者にかける言葉なんてないよ」とでも言いたげに冷ややかだ。
「しかし、ピオニィとかミレニィとかなかなか詳しいじゃないか君たち。そのくらい詳しかったらあの覆面の男も知ってるかい、赤木君?」
「あ、ん、あぁ……」
「そうか、君は目の付け所が違うようだね」
 目の付け所も何も、「覆面の人」ご本人の答えに部長は満足そうだ。
「みんなあの魔法少女に目を奪われがちだが、もし覆面の彼がいなかったら彼女たちは大変なピンチにおちいっていたことが多々あるんだ。あのピオニィちゃんは結構抜けてるトコあるみたいだからなぁ……」
必死に戦っている人の気も知らないで、部長の話はとどまることを知らない。
「とにかくね、彼もまた高畠を守ってくれている立派なヒーローだと思うんだ。実は彼で特集記事を書いてみようと思っていてねぇ」
「あ、ああ……」
赤木君は部長の話に何度もうなずきながら、照れくさそうに頬を赤らめていた。
その後、小一時間ほど部長の独壇場が続いた。
なべをカラにすると、「記念写真だ」なんていって、日下部君のカメラでみんなそろって写真を撮ってその日はお開きとなった。


「どういうつもりなの……」
部長らと別れ、わたしと千代ちんシンハ、そして赤木君と青木君は彼らの家へと向かって自転車を押しながら歩いていた。
「青木君と赤木君は友達が欲しいんでしょ、だからみんなでお友達になったの」
 わたしの問いかけに千代ちんはさらりと答えた。
「ともだ……だって、この二人町をめちゃくちゃにしたのになんで?」
 すると、千代ちんはちょっと立ち止まって、さびしそうな顔をした。
「ぼたんちゃん、お友達がいない、一人ぼっちって言うのはホントにつらいの……わたし、転校ばっかりだったから、二人の気持ちすごくわかるんだ……」
「千代ちん……」
「低学年くらいの頃はまだいいのよ、すぐに仲良くなれるんだけどね、四年生の時だったかな、最初はものめずらしさでちやほやされるんだけどさ、クラスで一番のイケメンに色目使ったとか、わけのわからない因縁つけられてさ、女子から総スカン食らってね、無視されることが続いたの……」
「…………」
「五年のころは派閥争いみたいのに巻き込まれたりしてね、だから顔色伺って、でも卑屈になりすぎるとまたいじめられたり、六年のときは方言かなぁ……関西だったから今となってはネタだったのかもしれないけど……で、登校拒否したこともあったり……」
「そんな……」
「でもほら、転校多いから、毎年リセットリセットで気は楽だったわ。それに去年は中学デビューする子も多いでしょ、だからまぁ、それなりに友達もいたし、あの頃より楽っちゃ楽だったかなー」
 わたしが暗い顔をすると、千代ちんはそれを紛らわせるように明るく振舞う。しかし、言葉の端々からはそれが気丈に振舞っているのだというのが感じられた。
「だからね、羽山公園でこの二人の気持ちを聞いてから、わたしが助けてあげなくちゃ、って思ったの……」
「千代ちん……」
「そりゃ、今までのことはあるけどさ、二人ともやりすぎたって反省はしてるみたいだし、シンハのおかげで町の人もケガくらいですんでるし、それに警察とかに言っても相手にされないでしょ、こんな話……」
「…………」
「だったらココはひとつ、今までのことはみんなの胸の中にしまっておいて、二度とこんなことがおきないようにする。無力な中学生にはここらが落としどころじゃないかなぁ?」
「……そう……かもね……」
確かにほかに方法はないかもしれない。それに、芋煮が出来上がったときに感じた妙に居心地が悪いっていう感じ……長い間千代ちんやこの二人は、ああいった、いやもっと嫌な空気の中で生きてきたんだと思うと、なんだかやるせなくなってきた。
「と、いうわけで、ちゃんと「もらうモノ」もらう約束はしたわよ、シンハ」
「本当ッハ?」
「あぁ、俺たちが持っている文殊を全部返すよ」
 ゴミ袋を手にした青木君が振り返って言った。
 シンハがかごの中から顔を出し、うれしそうに尻尾を振りながら、わたしと千代ちんの顔を交互に見る。
「これでもう高畠を襲う化け物は出ないわ。正直もうちょっとラクシュミーを体験してみたかったけどねぇ……ま、わたしは人気ないみたいだし……」
そう言って胸のあたりをなでながら、ジト目でわたしを見る千代ちん。どうやらさっきのコトを根に持ってるようだ。でもそうか、もう変身しなくていいんだな……それはそれでちょっとさみしいかもしれない……
「あとは今日の芋煮とジュース代もナ」
「何よ、そのくらいとーぜんじゃない、それは迷惑料よ安いもんでしょ」
「ふふん、そうだな、こんなに心から安らいだのは俺も赤木も初めてかもしれない……」
 青木君は立ち止まって天を仰いだ。そしてゴミ袋を下においてこちらへと向き直る。
「冬咲君、今まで本当にすまなかった。いくら謝っても謝りきれるものではないかもしれないが……なんとかこれから赤木ともども俺たちと付き合っていってはもらえないだろうか……」
 青木君は深々と頭を下げた。赤木君もあわてて抱えていた鍋を下ろし青木君にならう。
「…………ま、まぁ友達としてなら……ね……」
「あらぁ、友達でいましょうは振られたのと一緒よ、残念ね青木君」
「振られって、ちょっと! そういう流れの会話じゃないでしょ千代ちん!」
「ははは、振られるにしてもこんなうれしい振られ方があるか、なぁ赤木」
青木君は、赤木君と顔を見合わせて笑った。
そういえば、この二人が笑った顔を見るのは初めてかもしれない。
怖いとか、気持ちわるいとか、そんな風にみてたけど、この二人はこんな顔をして笑うんだ。
そんな二人を見ているうちに、なぜだか目頭が熱くなってしまった。

「さぁついたぞ、ちょっと待っててくれ、すぐ持ってくる」
 そういうと青木君は本当に人が住んでいるのだろうかと思うような家の中へと入っていった。
「結構大変そうなお宅なんじゃないの? 大丈夫? 芋煮のお金……」
「うーん、なんだか罪悪感を感じてきたわ……ね、青木君のご両親って何してる人なの?」
「ご両親?」
 千代ちんの問いかけに赤木君が首をかしげた。
「知らないの?友達なんでしょ?」
「あ、あぁ、すまない……」
 千代ちんの言葉に背中を丸くする赤木君。
そのリアクションから、なにか言いようのない違和感を覚えた。
そうこうしている間に家の中から巾着袋を手に青木君が現れた。
「さぁ、これで全部だもってってくれ!」
 さっそく地面へと広げてシンハが数を数え始めた。するとすぐに、
「おかしいっハ、ぜんぜん足りないッハ」
と首をかしげる。
「残り33個じゃないのか?」
 青木君が横から広げられた文珠を覗き込む。
「全部で108個になる計算だッハ。あと50個くらい無いと計算があわないッハ」
「そんな……家にあるのはこれで全部だぞ」
「このあいだ拾い忘れたんじゃない?流されちゃったとか?」
「そんなはずないッハ。全部拾ったはずだッハ」
わたしの問いかけに首を振るシンハ。
「ちなみにこないだの竜には何個文珠を使ったの?」
 千代ちんの質問に青木君はけげんそうな顔をする。
「それなんだが……あの晩俺たちが使った文珠は一個だけ。最初の黄色い竜の張りぼてに対してだけなんだ……」
「?」
「?」
 わたしたちは顔を見合わせる。
「じゃ、じゃぁ、あの青いほうの龍は何なのよ? 誰があんなことできるわけ?」
 千代ちんがしゃがみこんでシンハにたずねる。
「そんなのこっちが……」
 何かを思い出したかのようにシンハの言葉がとまる。
「なに? なんか思い出した?」
 わたしもシンハの前にしゃがみこむ。
と、そのとき、
「……うぁあぁぁあぁぁぁああぁぁぁぁああぁぁ……」
と、背後で青木君の絶叫が上がる。
その声に振り返ると青木君を光が……
まるでラクシュミーのトゥインクルファウンテンのような光が包み込んでいた。


光の元には一人の少女がいた。
年のころはわたしたちより少し上か?
擦り切れた丈の長い青白い着物姿。
長い髪の生えた頭には、猫の耳かと見まがうばかりの大きなリボンがついている。
そして右手からまばゆい光を放っていた。
「さすが文珠10個のダデーナー、浄化までには時間がかかる……」
「お、お前は岩井戸……」
 声を聞くなりシンハが驚いた声を上げた。
「知っているの?シンハ?」
「知っているも何も、彼女こそが最初のラクシュミーだッハ……」
「ラクシュミーが? 何で?」
「そんなことより早く青木君を助けなきゃ!」
 千代ちんが振り返りながら叫ぶ。
青木君は光の珠のようなものに閉じ込められ、悲鳴をあげ続けているのだ。
「そうだッハ」
 シンハが如意宝珠を取り出し、わたしたちに放ってよこす。
『オン・チンターマニ・ソワカ!』
 清らかな光に包まれ、わたしたちはラクシュミーへと変身した。
「ふん、こざかしい……」
岩井戸は左手で何かをバラリとまく。
すると、そこから奇妙な色をしたダデーナーが現れ、大型の犬のような形をとった。
6匹もいる!
「行け!」
 との、岩井戸の号令で6匹のダデーナーはわたしたちに襲い掛かってきた。
 正面から飛び掛ってきたダデーナーを、しゃがんでかわそうと思ったら低い位置へも飛び掛ってくる。とっさに横に転がると上空から降ってくるかのようにもう一匹が噛み付いてくる。何とかそいつを蹴りつけて、起き上がって間合いを取った。
とにかくいままでのものより動きが早い。
その上連続して襲い掛かってくるのでかわすだけでも精一杯だ。
「空へ!」
ミレニィが舞い上がる
するとダデーナーは次々に積み重なり、下から順に跳び上がった。
6段ロケットのように次々ジャンプを繰り返す。
そして、はるか上空のミレニィへとたどり着き、ミレニィの足へとガブリと噛み付いた。
「うそぉ!」
噛み付かれたミレニィはバランスを崩して地面へと落ちた。
わたしはすぐに駆け寄って、まだミレニィに噛み付いているダデーナーを蹴り飛ばすと、他のダデーナーが飛び掛ってこないようにトゥインクルロッドを出して牽制する。
ミレニィはかまれた足を押さえながら、つらそうな表情でうずくまっている。
そんな中を、青木君の悲痛な叫び声が響く。
「ぐおおおおおおおおおぉぉぉぉ…………」
「青木ー、 青木ー!」
赤木君が手を伸ばすが、青木君を包む光がまるでバリヤーのように、バチバチと火花を散らせながらその手を阻む。
「いやだー、消えるのはいやだ、これから楽しい日が続くと思ったのに……せっかく友達がたくさんできたのに……消えたくない!消えたくない!……赤木!……赤木ー!」
 青木君も助けを求めるように赤木君へと手を伸ばす。が、その手は届かない。
岩井戸がさらに文珠をばらまいた、さらに数体のダデーナーが召喚されてしまった。
「これ以上ここにいるのは危険だッハ、逃げるッハ!」
 シンハが叫ぶ。
「逃げるったってどこへ!?」
「いいからミレニィを連れて赤木の近くに行くッハ!」
 わたしはミレニィを抱えると、トゥインクルロッドでダデーナーを牽制しながら赤木君の元へと近づいた。
 シンハはぶつぶつとなにか呪文のようなものを唱えている。
「逃げるものか! 青木を置いてなど逃げるものか!」
 赤木君が大声で叫んだ。
 シンハの呪文の抑揚が激しくなってくる。
「赤木ー……赤木ー…………」
青木君の声が次第に小さくなっていく。心なしか顔が青ざめてきたように見える。
「青木!青木!」
 火花で手が焦げ付くのもかまわずに、必死で光の球を叩きながら赤木君は強く声をかけた。
 そんな中、シンハの体もまた別の色の光を放ち始めた。
「ピオニィ、赤木をしっかりつかむッハ」
 わたしは言われたとおりにミレニィを抱いた反対の腕で、赤木君の背中にしがみつく。
「離せ! 青木を残していけるものか! 青木! 青木――――――――………」
シンハから放たれた光がいっそう強くかがやく。
すると突然に、すべての光とすべての音が消えてしまった。


気がつくと、木立の中に立っていた。
「ここは?」
「大聖寺、亀岡文殊の裏手へテレポートで逃げてきたッハ」
 荒い息をつきながらシンハが答えた。
「おい青木は? 青木はどうした!?」
 ものすごい剣幕で赤木君がシンハにつかみかかる。
「いないぞ! 置いてきたのか!」
「く苦しいッハ」
「くそっ!」
 赤木君はシンハを放り投げると、木立の下草を掻き分け、ふもとへと向かって歩き出した。
「あ、赤木君どこへ行くの?」
「決まっている! 青木を助けに!」
 そういうと、振り返りもせずに駆け出した。
「待って!わたしも……」
 追いかけようとすると後ろで「ひぐっ」と痛みをこらえるような声がする。
「ミ、ミレニィ……さっきかまれたところ」
 見ると足首がパンパンに腫れていた。
「大丈夫、僕が治療するッハ」
言うとシンハが傷に手をかざす。暖かな光のおかげかミレニィの顔つきが少し和らいだ。
「シンハ……ミレニィのことお願い……わたしも行ってみる」
「待つッハピオニィ! 危ないッハ!」
「だって……ほっとけないじゃない!」
 シンハが引きとめようと叫ぶ、が、わたしの頭からはさっきの青木君と赤木君の必死のやり取りが離れなかった。
「待つッハぼたん! ぼたんーーーーー!」
 シンハの叫びを背中に受けながらわたしは赤木君の後を追った。

再び青木君たちの家に着いたときにはすべてが終わっていた。
青木君が光に包まれていたところには大きな水色の鬼の張りぼてがあり、赤木君はそれを抱きしめながら涙を流していた。
青鬼の張りぼてはボロボロに傷ついていたが、片手を挙げてにこやかな笑みをたたえていた。
途中で折れてしまった立て札には、広介童話の「泣いたあかおに」の一節が記されていた。
「ドコマデモ キミノ トモダチ」
その言葉が、まるで青木君の赤木君に対する最後のメッセージのように感じられ、胸が締め付けられるような気持ちになった。
でもなんであんな張りぼてに抱きついて泣いているの?
それにさっきの女の子、最初のラクシュミー? 文珠10個のダデーナー?……
いろいろな疑問の断片が、パズルのピースをはめ込んでいくように、ひとつの信じられないような結論を形作ろうと頭の中でくっつきだしていく。
ふいにキナ臭いにおいがする。
そちらに目をやると空間がゆがみ、シンハと千代ちんがテレポートしてきた。
千代ちんはまだ足を引きずっている。
「シンハ、説明して。いったいあれはどういうことなの? 彼女は何者なの?」
 わたしはシンハに問いかける。
 すると、シンハは苦しそうな表情を浮かべて、
「彼女は僕が生み出した最初のラクシュミー……妙多羅天岩井戸……おっかな橋の弥三郎婆だッハ……」
 と答えた。

第6話 了


おまけ 弥三郎婆


陸奥国安倍氏に仕える一本柳の武士「渡会弥太郎」
彼が若いとき鳩峰山で一人の天女に一目ぼれをする。これが岩井戸、後の弥三郎婆である。
二人は祝言を挙げ、弥三郎と言う子供が生まれる。
幸せなときもつかの間、前九年の役で戦に駆り出された弥太郎はついには帰らぬ人となる。
弥三郎と岩井戸は落延び、いつか御家の再興を願いながら隠れ住む。
やがて弥三郎は土地の娘と結婚し、子供が生まれる。
後とりもできたので武者修行の旅に出て立派な侍になってやると旅に出る弥三郎。
しかし旅の途中一本柳に疫病がまん延し弥三郎の妻子も命を落としてしまう。
それを見取った岩井戸は気が狂い、ついには鬼婆弥三郎婆へと変貌をとげる。
弥三郎婆は御家再興の軍資金をためるべく、おっかな橋付近で狼を操って人々から金品を奪う追いはぎ家業をはじめた。
月日は流れ、立派な侍に成長した弥三郎は帰り道おっかな橋に差し掛かる。
おたがいに気がつかない二人、激しい戦いの末弥三郎は鬼婆の腕を切り落とした。
鬼婆の腕を手土産に家へとたどり着く弥三郎。
床に伏せる岩井戸はすべてを弥三郎に打ち明けると風に乗って越後の弥彦山へと逃げた。
その後反省した岩井戸は妙多羅天として祭られたという。

新潟の話のほうがメジャーらしいですが、話の濃密さでは負けてない高畠版の弥三郎婆のお話。
弥彦に行ってからは、いつまでたっても結婚できない男に嫁を連れてきてくれるといった世話焼き婆さんなエピソードもこちらには伝わっています。
とはいえよその結婚式からお嫁さんをさらってくるといった乱暴な手段で、本当に反省しているのか信じられないような状況だったそうです。

7話 妙多羅天 岩井戸


「おっかな橋の……弥三郎……婆?」
 シンハの言葉に千代ちんが首をかしげた。
「えっとね、鳩峰山で羽衣をなくした天女が、狩りに来てたお侍さんのお嫁さんになるのよ。そんで子どもが生まれて武者修行に行くのよね。で、武者修行に出た息子の帰りを待ってるうちに、病気でお嫁さんと孫が死んじゃって、悲しみのあまり鬼婆になって人を襲ってた。っていうのがおっかな橋って……ほらあの高畠高校から東のほうにずーっと行ったとこ。そんで武者修行から帰ってきた息子と戦ってやられちゃうっていうお話……だったよね、シンハ?」
 昔話のあらすじを千代ちんへと伝えた。が、うろ覚えで自信はない。
 シンハに助けを求めるように視線をやると、いつになくまじめな顔をして、
「一般的に伝えられている分にはそんなところだッハ……」
 と、答えた。
「最初のラクシュミー……って、言ったわよね……何があったの?」
「今から約900年前に話はさかのぼるッハ……」
シンハは神妙な顔をして語りだした。


「美しい……まるで、まるで天女の舞のようだ……」
屋代郷(高畠町のかつての地名)の渡会弥太郎は感嘆の声を漏らした。
数多の化け物の亡骸によって血なまぐさいにおいに包まれた鳩峰山の峠、その上空をふわりふわりと舞うように一人の少女が飛んでいた。
薄絹をまとい、羽衣を身に着けた彼女は時折手元から光を放つ。するとたちまち眼下の化け物が血しぶきを上げて倒れ附すのだ。
その光景に弥太郎とと供回りの侍はただただ驚くばかりだった。
ふと少女が高度を下げた。
見れば、いずこかよりとんできた妖鳥が三羽、彼女を牽制していた。
ひとたび地面に降り立ち、妖鳥に向かって光弾を放つ。
見事打ち落とすものの地面に落ちたその隙をほかの妖魔どもは見逃さなかった。
今まで空中にあって手出しできなかった恨みを晴らそうと、カモシカの化け物が少女めがけて突進してくる。
ひらり、ひらりと二頭の突進をかわすものの、足場の悪さに転倒してしまう。
倒れた少女に向かってカモシカの化け物が覆いかぶさるように飛び掛る。
そのとき、化け物の体に数本の矢が突き立った。
化け物はのけぞって倒れ付した。
少女は驚いて矢の飛んできたほうへ眼を走らせる。
「われこそは屋代郷一本柳の渡会弥太郎平安信、儀によって助太刀いたす」
弥太郎は声を上げると刀を抜いて供回りともども少女の下へと駆け寄った。

数十分後、弥太郎たちの前にはおびただしい数の妖魔の死体が積み重なっていた。
弥太郎の家来が深手をおってあえいでいる。
少女は彼の前にひざまずき、傷に手をかざすと暖かな波動を放つ。
するとたちまち血は止まり、傷がふさがり、家来の荒かった息も穏やかなものに変わった。
「お前はいったい、何者なのだ」
弥太郎の問いに少女は振り返る、が、青い顔をしてそのままひざから崩れ落ちた。
「おい、馬をこちらにまわせ、丁重に運ぶんだ!」
弥太郎が供回りのものに檄をとばした。

11世紀の中ごろ、東北地方には陸奥の国(現在の青森、岩手、宮城、福島)と出羽の国(現在の秋田、山形)の二つの国があった。
陸奥の国には朝廷からの監視役・国司として藤原登任が派遣されていたが、陸奥の国の奥六郡、今の岩手のあたり、に居を構える豪族:安倍頼良は朝廷に従い税を納めることを良しとせず、勝手気ままに陸奥の国を治めていた。
安倍氏は野心家で奥六郡のほかにも勢力を拡大しようとした。しかしおおっぴらに軍を動かせば都から叛意ありとみなされて討伐軍を派遣されてしまう。
そこで彼が利用したのが蝦夷地の神(カムイ)達だった。
安倍氏はかつて坂上田村麻呂によって滅ぼされた阿弖利為(アテルイ)の一族の末裔の祈禱師を従え、その呪術を持って人外の妖魔を呼び出し出羽の国を襲わせたのだ。
民の平穏を守るため、羽黒山では山伏たちが化け物を退けていた。そしてここ屋代郷(高畠)では亀岡文殊のシンハがその任に当たっていた。
陸奥の国の化け物に両親を襲われ天涯孤独の身となった少女岩井戸、その姿を見かねたシンハは、彼女をラクシュミーとして屋代郷を守る戦士に仕立て上げたのだった。
岩井戸は主に国境付近、すなわち二井宿峠、鳩峰峠で出羽の国へと侵入しようとする化け物を退けるため戦っていた。
これが弥太郎が、屋敷で目を覚ました岩井戸から聞いた事の顛末であった。
「なるほど、な」
「はい、ですから私はこれからも妖魔を退治して、私のような不幸な者を生まぬよう戦わねばなりません」
「ならぬ」
岩井戸の言葉に弥太郎は強く返した。
「ですが……」
「親を殺され思うところはあると思う、が俺はお前を失いたくないのだ。お前が人知れぬところで戦い、今日のように不覚を取り、むざむざ殺されでもしようものなら……」
「弥太郎様……」
弥太郎は岩井戸の手をとり、
「俺はお前が闘わなくても良い道を、安倍方につく道を選ぼう。だから、すまぬがお前の憎しみを堪えてくれ……たのむ」
と、言った。
「弥太郎様……」
岩井戸は涙をひと筋、ふた筋とこぼした。
翌日、渡会家は安倍家へと使者を送り、安倍家の傘下となった。
これで屋代郷は妖魔の危機にさらされることは無くなったのだ。
岩井戸の、ラクシュミーとしての勤めは終わった。

「本当に、これでよかったのかしら……」
 岩井戸が弥太郎と祝言を挙げて、しばらくたったある昼下がりの縁側で、庭に座るシンハを見下ろしながら岩井戸はつぶやいた。
「敵討ちのことがあったとはいえ、戦いの日々から解放されて、殿様にも見初められて、普通ならこんなに幸運なことはないッハ」
 シンハが尻尾を振りながら答えた。
「幸運……ね……」
「そうだッハ、まさに幸運の女神ラクシュミーだッハ」
 機嫌のよさそうなシンハと対照的に岩井戸の顔色は優れなかった。
「どうしてそんな顔をしているッハ」
「……怖いのよ……こんなにいいことばかりが続いて……」
 そうつぶやくと岩井戸はシンハから顔をそむける。
「禍福はあざなえる縄の如し、今までつらいことが多かった分、これからの岩井戸の人生は、きっと幸せな未来がまっているはずだッハ」
 シンハはトコトコと岩井戸の前に歩み出てなぐさめようとする。しかし、岩井戸の顔は晴れなかった。


翌年、岩井戸は男の子を生んだ。
名を弥三郎宗長。
父親似のたくましい男の子で、大病をわずらうこともなく、すくすくと元気に育っていった。
シンハの言うように、岩井戸自身も己の人生は幸せな日々が続いていくものと思いかけていた。
しかし、弥三郎が生まれてしばらくすると、安倍氏が国司である藤原登任に反旗をひるがえし、後任の源頼義との間で合戦が始まった、世に言う前九年の役の始まりである。
一進一退の末膠着状態におちいり、戦場となった陸奥の国、出羽の国は大きく疲弊した。
一〇六二年、出羽の国清原氏の協力を得た源頼義が、ついに安倍氏を破り前九年の役は終結する。そしてその戦の中で、安倍方であった弥太郎も命を落としてしまったのだった。

「禍福はあざなえる縄の如し、ね……」
 岩井戸は、いつか言われた言葉をシンハの前でつぶやいた。
 ここはシンハの作った結界の中。
安倍方、陸奥の国側に着いた屋代郷は再び出羽の国へと編入されるものの、渡会家はその責を受け、御取り潰しとなった。
渡会の妻である岩井戸と、その跡継ぎである弥三郎は源氏の兵より追われる身となったのだった。
岩井戸は、なんとかその身を隠しながら、シンハを頼って亀岡文殊まで逃げ延びてきた。
「本当は、人間の政(まつりごと)に関与してはいけないって言われているッハ」
 そうは言いつつも、シンハは結界を張って二人をかくまってくれたのだ。
 こうして岩井戸と弥三郎は、いつかお家の再興をと願いながら、細々と畑を作りながら隠れ住む生活を始めることになったのだ。

 数年の歳月が流れた。
 弥三郎が成人するころには、渡会一族はすでにどこかでのたれ死んだものとされ、追っ手の心配ももはやなかった。
 たくましい成人となった弥三郎は、シンハを通じた大聖寺のとりなしで、とある村から気立ての良い娘を嫁にもらった。
「禍福はあざなえる……」
「縄の如しだッハ……」
 女手ひとつの過酷な農作業のはてに、岩井戸はすっかり老いてしまっていた。
しかし、そのしわと赤切れだらけの手の中には、すやすやと安らかな寝息を立てながら小さな命が眠っていた。
「このまま死ねたら幸せでしょうにね……」
「馬鹿なことを言ってはいけないッハ。本当の幸せはこれからだッハ」
「だといいんだけど……」
「けど……なんだッハ?」
「弥三郎がね……」
「弥三郎が、どうかしたッハ?」
岩井戸は目を伏せた。
「わたしが愚痴っぽいのがよくなかったのかねぇ、お家再興としつこく言い続けてきたでしょう、この子が生まれたから跡取りの心配は要らない。俺は天下にその名をとどろかす侍になるために、修行の旅に出るんだ、なんていいだしてね……」
「岩井戸……」
「お家再興なんてもういい、戦いなんてしないで、穏やかに、静かに暮らすのが本当の幸せだと今さら言ったところでねぇ……」
 不意に赤ん坊がむずかりだした。岩井戸はあわてて赤ん坊を「よしよし」とやさしくゆすってやった。


 紫色の雲の中、シンハは文殊様と対峙していた。
「シンハよ、いいかげんにあの人間の女性との関係をおしまいにしなさい」
 文殊様は少し寂しそうな顔でシンハに語りかけた。
「しかし文殊様……」
 シンハは食い下がろうとするが、文殊様はシンハの言葉をさえぎって、
「あなたの情が彼女に移ってしまったのはわかります。しかし、われわれの力は人には大きすぎるものです。あまり人間に肩入れすると、かえって良くない事が起こるやも知れません」
 と、続けた。
「あなたの務めは、この日の本の国の人々を『人ならぬもの』から守ること、ゆめゆめ忘れてはなりませんよ、かッハ」
 午睡から覚めたシンハは、しとしとと降る雨の音を聞きながら、何年も前に文殊様にたしなめられたその言葉を反芻していた。
と、突然ドンドンドンドンと、シンハのほこらを何者かが激しく叩いた。
何事かと思って外に出ると、そこにいたのはずぶぬれの岩井戸だった。
「いったいどうしたッハ?」
「シンハッ、お願い、お願いよぉ……」
 岩井戸はシンハを抱きしめると泣き崩れる。
 連れられるままに岩井戸に連れて行かれたのは彼女の家だった。
そしてそこには高熱を出し、咳き込み床に臥す弥三郎の妻と赤子がいた。
「お願いよぉ、シンハ……二人を……二人を助けてぇ……」
 伏して助けを乞う岩井戸だが、シンハの頭には文殊様の言葉が浮かんでいた。
「僕の務めは、人ならぬ魔物からこの屋代郷の人々を守ることだッハ。残念だけど、病に倒れた人を救うことはできないッハ……」
「お願いよシンハ! あなたならできるはずでしょう。お願い、お願いよぉ……」
「……悪いけど……あきらめてほしいッハ……」
 シンハは静かな口調でそういうと戸口へと振り向いた。岩井戸はそのシンハにすがりつく。
「後生よ、後生だからお願い、シンハ! シンハ!」
 その時岩井戸の手に触れるものがあった。硬くて丸くて先がとがって……
 そのものが何かを理解した瞬間、岩井戸は驚くほどの力でそれを奪い取った。
「チンターマニ……如意宝珠……コレさえあれば……」
「やめるッハ、僕が調整していないチンターマニは危険だッハ!それをこっちに返すッハ!」
 しかし岩井戸の耳にはシンハの言葉は届かない。
 かつてのように岩井戸は高々とチンターマニを掲げる。
 シンハが奪い返そうと飛び掛るが、
「オン・チンターマニ・ソワカ!」
 岩井戸の声のほうが早かった。
 如意宝珠はまばゆいばかりの青白い光を放った。そしてものすごいエネルギーが宝珠へとむかって竜巻のように集まってきた。
 如意宝珠、どんな願いもかなえる宝珠。岩井戸が望んだ願いは、病を払いのける豊かな命のエネルギー。そのエネルギーは望んだとおりに岩井戸の体へと集まった。しかしそのエネルギーの源は……
 バラバラに崩れ落ちた岩井戸の家、そのガレキの中で岩井戸は呆然と立ちつくした。
 秋とはいえ、いまだ葉の落ちてはいなかった庭の木々。そのすべてが葉を落としたばかりか萎縮し、枯れてしまっていた。
 庭の木ばかりではない。隣家の、畑の、裏山の、目に見える範囲の全ての植物がねじれ、萎縮し、灰のような蝋の様な異様な色を呈していた。
「……坊……」
ふと岩井戸は家の惨状に気がついた。
おそらく嫁と孫が寝ていたであろう場所のガレキをあわてて掘り返す。
孫の布団が見えた。
「坊! 坊!」
 何とかガレキの直撃は免れているようだ。岩井戸は寝巻きのすそをつかんで引きずり出す。
「……やあぁああぁあぁぁぁぁあああぁぁぁぁあぁぁぁあぁぁ…………」
 悲鳴を上げた岩井戸の見たものは、周囲の植物と同じように、ねじれ、萎縮し、灰のような、蝋のような異様な姿になってしまった愛しい孫の姿だった。


「ほう陰陽師、はるばる大和の国から鬼退治とは、こりゃ勇ましい」
 山道を二人の男が歩いていた。
 長旅で擦り切れた服を着ている日に焼けた大柄な侍は弥三郎。
修行のおかげか以前よりたくましさを増していた。が、ひげも髪も伸び放題で、たくましさよりもむさくるしさが先にたつ。
連れ立って歩く男は三十前後、垢じみた狩衣(かりぎぬ)を身にまとい棍のような杖を突いている。弥三郎よりは細身だが、同様に日に焼けなかなかの健脚だ。
「大和安倍の文殊さんには大恩があってな、そうでなければ出羽くんだりまで来たりはせぬよ」
「俺のふるさとを出羽くんだりとは言ってくれるじゃない。ま、都を見た後ではあんたの言うとおりかもしれんがな」
弥三郎は少し眉をしかめるが、すぐにけろりとして男に尋ねた。
「しかし文殊さんとはね、アンタんとこにも文殊さんがあるのか?」
「ほう、じゃあぬしは亀岡か?」
 男は足を止める。
「いんや、隣の屋代郷ってとこだ」
 弥三郎もあわてて足を止めた。
「そいつは残念だったな、行き先はどうやら一緒のようだ」
 男は再び歩き出す。弥三郎はあわてて男に並ぶ。
「何だと、じゃぁ鬼が暴れてるってのは?」
「亀岡と一本柳の間に山崎ってとこはあるか?その辺らしい」
「……こうしちゃいられん……」
「まぁ待て、今から急いだところでたかが知れている。それより策を練らねばならん。おぬしは地の利に明るいようだ、いろいろと話を聞かせてくれぬか」
足を速めた弥三郎に陰陽師は声をかけた。
「あらためて自己紹介しよう、俺は安倍妙星、陰陽師だ」

 数日後、二人は出羽の国へと足を踏み入れた。露藤の辻に差し掛かる。
「むこうにいくと俺んちだ、こいよ妙星」
と、弥三郎が誘うも、
「先に亀岡文殊の用事を済まさねば、後ほど呼ばれるとしよう」
 と、妙星は反対方向の亀岡文殊大聖寺へと足を向けた。

「これが安部の文殊から預かってきた如意宝珠と文珠です」
「そうか、コレでシンハ様も息を吹き返すであろう」
 妙星はふくさに丁寧に包まれた宝珠を住職へと手渡した。
 住職はうやうやしく受け取ると、祭壇の元へとその包みを持っていった。
 妙星もその後ろに続く、と祭壇の上に犬か猫とおぼしき青白い木乃伊(ミイラ)のようなものが祭られていた。
「この木乃伊が……」
「はい、文殊様の使いのシンハさまです」
 妙星の問いに住職が答える。
「こんなのが文殊様の使いねぇ……」
 眉をしかめる妙星に、住職が説明をする。
「鬼はシンハ様の力を取り込んで強大な力を得てしまいました。封じるにはシンハ様の力が戻らねば……」
「そんなに強いのかい、その鬼は?」
「見た目は童女のようですが、野犬のような獣を操るほか、つむじ風をも起こすと聞きます。その力は仏の位で言えば天と呼ぶにもふさわしい」
 その言葉に妙星は目を見開いた。
「天? 広目天とか増長天とか毘沙門天とかの? 冗談じゃない、人の手になど負えぬではないか?」
「仏格としてはそうです、しかしその力をすべて制御できているわけではない。ゆえに、急がねばなりません」
 そういうと住職はシンハへと目をやった。妙星もそれにならう。
 落ち窪んだ目、半開きの口の小さな獣の干物を目にして、妙星の心には不安が澱のように積もっていった。

大聖寺を出た妙星が、弥三郎から教えられたあたりを訪ねると、家があったと思しき瓦礫の前で弥三郎が青い顔をしてへたり込んでいた。
「弥三郎……おい弥三郎……」
 妙星が声をかけると弥三郎はうつろな目をしながらゆっくりと妙星のほうへ顔を向けた。
「……おれの家が……おとせは? 弥彦は? お袋はどこ行っちまったんだ……」
「……心中、察する……」
 名星はつぶやいて、弥三郎から目をそらした。
 そのそらした先、弥三郎の家だけではなく、あたり数件の家も半ば朽ち果て、雑草におおわれ、人の気配はまったく感じられなかった。
「くっ……鬼め!鬼のやつめ……」
 弥三郎はこぶしを地面に打ちつけると、それを杖にしてゆっくりと立ち上がった。
「大聖寺の住職から話しを聞いてきた。相手は鬼というより鬼女と言った様子だそうだ。うら若い娘の姿で、橋のたもとで野犬と風を操って追い剥ぎまがいのことをしているそうだ」
 それを聞くと弥三郎は妙星にくるりと背を向けた。
「鬼だろうと小娘だろうと容赦はしねぇ、俺の留守中に何もかも滅茶苦茶にしやがって!」
 絞り出すような声でそう言うと弥三郎は大股で歩き出した。
「待て、弥三郎! 冷静になれ!」
「これが落ち着いていられるか! 来いよ妙星! 鬼退治だ!」
 弥三郎は振り返りもせずに叫んだ。
「待てというに、まずは戦力を整えてから、おい、弥三郎!弥三郎……」
 弥三郎は聞く耳を持たない。
「えぇい、急急如律令、式神よ大聖寺の和尚に伝えよ、すぐに儀式を始めよ」
 妙星は懐から式札を取り出すと呪文を唱え、あかね色の空へと放り投げた。

弥三郎と妙星は橋の上に立っていた。
闇があたりを支配し、かれこれ数時間は経とうとしていた。
川べりの草が風に吹かれさわさわと音を立てている。
不意に空気がひやりとしたものに変わった。
「……これではどちらが追い剥ぎかわからんな……」
 いつ現れたのか、背後からの少女の声に二人は振り返った。
 少女は青白い着物を身にまとい、鉢巻きを猫の耳かと見まがうばかりに大きく、長い髪の後ろで結んでいた。
「貴様が村をめちゃくちゃにした鬼畜生か!」
 弥三郎が吠えた。
「村?」
 少女は眉をピクリと上げる。しかし、冷たい表情のまま、
「すべては愛するもののため……さぁ、命が惜しくば身ぐるみ全て置いていけ」
と両腕を大きく広げた。
「何が愛するもののためだ……俺の家族を……喰らえ!」
 怒りに我を忘れた弥三郎が抜刀して少女に襲い掛かる。しかし少女は大きく後ろに跳んでそれをかわした。
「なるほど、ならば力ずくで奪うとしようか」
 少女は懐をまさぐると何かを地面にまいた。するとそれはむくむくと大きくなり、十数頭の獣のような姿に変化した。
「式神か? 気をつけろ!」
 言いながら妙星も懐から式札を取り出し空に放り投げた。
式札は炎を身にまとった数羽の鳥に変化し、上空をぐるぐると回り始めた。
少女が腕を振るう。すると獣たちがいっせいに弥三郎めがけて襲いかかった。
「間に合え!」
 妙星が式神に命じる。すると火の鳥は上空から獣めがけて急降下した。
 獣たちが弥三郎に今にも噛みつかんとしたそのとき、火の鳥が炎の壁となって弥三郎の前に立ちはだかり、その足を阻んだ。
 弥三郎もその隙に後ろへと下がる。
が、横から回り込んできた一頭が弥三郎めがけて飛び掛ってきた。
「があっ!」
 弥三郎は刀で切りつけ獣を払いのける。が、手ごたえがおかしい。
 もう一頭の獣が襲ってくる。今度は正面から切りつける。が、
「くそっ、なんだ? 切れねぇぞ?」
 獣は打ちのめされ、跳ね飛ばされるが、本来ならば真っ二つになるべきが、再びその身を起こしこちらへと向かってくる。
「こっちへ!早く!」
 妙星が手招きする。
 弥三郎が転がるように橋の上へとたどり着くと、その橋の前に火の鳥が降り注ぎ、先ほどより高い炎の壁をこしらえた。
 妙星はふところから札を取り出すと、なにやら紋様を描きしたためた。
「刀を」
 弥三郎は言われるままに刀を向けた。
 妙星は先ほどの札を刀で刺し貫き、
「急急如律令 斬魔付与」
 と、小さくつぶやく。
頭上に気配を感じた。
 見上げると、獣たちがだんだんに積み重なって炎の壁の上から頭を出している。
「ガウルッ!」
 一声吠えると獣が一匹、炎を飛び越えて襲いかかってきた。
「たたっ切れ!」
 妙星の声にはじかれたように立ち上がる弥三郎。そのまま刃を獣の頭に合わせる。
 スカッ!
 まるで熟れたスイカに包丁を合わせたかのように、小気味よい手ごたえで獣は真っ二つになった。
 獣が二頭、三頭と次々に飛び掛ってくる。
弥三郎は次々に刀を振るう。
すると獣は鈍い音を立てて地面へとその屍を打ち付けた。
「いいぜ妙星。見違えるようだ」
 言うと弥三郎は刀を握りなおす。
 炎の壁の勢いが落ちてくる。
 雪崩を打って襲い掛かってくる獣どもをひらりひらりといなしつつ、弥三郎は刀を振るう。
 妙星は皮の腰帯をつけた赤銅色をした筋骨隆々の闘士の式神を召喚した。
闘士は二体、弥三郎の背後と妙星を守る。
弥三郎の刀と妙星の式神の力で獣の数も半数となった。
手ごわいことを悟った獣は、二人を遠巻きに囲み、忌々しそうに咽を鳴らしている。
「どうした! もうしめぇか?」
 弥三郎が吠える。獣はその声に後ずさる。
 が、歩みを進めてきたものがいた。例の少女だ。
「ダデーナーをこうもまぁ……」
 少女は地上から十数センチほどのところをすうっとすべるように移動すると、弥三郎のおよそ十メートルほど前で止まった。両方の腕を腰の辺りに広げ手を開く。その手のひらがなにやらぼうっと光を放つ。
「殺すのが惜しいほどの腕前よ。どうだ、わが家臣とならぬか?」
「冗談じゃねぇ! 化け物の手下なんざ死んでもごめんだ!」
 弥三郎はつばを吐いた。
「そうか……ならば死ぬがよい」
 背筋に寒いものが走った妙星は、すぐに闘士を弥三郎の前に割り込ませる。
 と、同時に少女が腕を振るう。
 次の瞬間、闘士は逆袈裟に切り上げられる。
 右、左、右、左、少女の腕が振るわれるたびに闘士の体に見えない刃が鋭い傷をつけていく。
 少女はがむしゃらに切りつけているわけではない。弥三郎と妙星に自分の実力を見せ付けるがごとく、余裕を持ってその腕を振るっているのだ。
 見えない刃で切り付けられた闘士は、まるで松ぼっくりのようにボロボロになり、どうと地面へと崩れ落ちた。
「式神よ!」
 妙星が指で天を指す。すると上空を舞っていた火の鳥が少女の足元めがけて急降下する。
 気づいた少女は火の鳥に右手をかざし「破!」と気合を入れる。
 火の鳥は彼女の2メートルほど上で四散した。
 弥三郎はこの機を逃さない、刀を横に構え少女に迫る。が、あとわずかというところで少女の左手から発せられた圧縮空気の弾をその身に受け、駆け出したあたりまで吹き飛ばされる。ろくに受身をとれず、背中をしたたかに打ちつける弥三郎。痛みでしばらく呼吸ができない。
「あの程度の目くらましで惑わされると思ったかい?」
 少女が上空に向け腕を振るう。するとつむじ風がおき、火の鳥たちはその渦の中に飲まれ、消えてしまった。
「く、しばし時間を!」
 妙星は闘士の式神を少女に向かって走らせる。
少女は臆することなく闘士へと向き直り、両の腕を思いっきり振りあげた。
すると爆風のような風が巻き起こり、闘士は十数メートル上空に吹き飛ばされる。
爆風は弥三郎と妙星にも襲い掛かる。
幸か不幸か弥三郎は倒れ伏していたため仰向けがうつぶせになる程度であったが、一方の妙星は爆風をもろに受け、橋から川の中へと盛大な水しぶきを上げて転落してしまった。
水しぶきがあがるのとほぼ時を同じくして鈍い音を立てて闘士が地面へと激突し、その姿を元の式札に戻してしまう。
 もうもうという砂埃の中、弥三郎のうめき声だけが聞こえる。
 少女は両腕を横から前へとゆっくりと動かす。すると柔らかな風が砂埃を払って視界を晴らす。
 道の真ん中に弥三郎は横たわっていた。肩で荒い息を繰り返している。
 ジャリッ、ジャリッ、
空中から地面へと降り立った少女が弥三郎へと歩みを進める。
 刹那、弥三郎が振り返りざまに刀を投げた。刀はまっすぐ少女へと向かう。が、鋭く飛んできたそれを少女は難なく受け止める。
 渾身の奇襲を難なく受け止められた弥三郎はがくりと肘を付き、そのまま仰向けにくずれ落ちた。
「無為な抵抗をする……悪い腕だ」
弥三郎の刀を傍らに投げ捨てた少女は、右腕を弥三郎に向かって振りあげる。すると、先ほど式神の闘士を切り刻んだような見えない刃が地を這い、弥三郎の右のすねを斜めに裂き、右腕を肘の先から切り落とした。
「っ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
 弥三郎は声にならない悲鳴を上げる。
「無様なものよ……」
 右腕を抱え込み、もだえる弥三郎を見下ろし、少女は再びふわりと舞い上がる。
 3メートルほど浮かんだ彼女は弥三郎に向かって両の手のひらを向ける。手のひらが青白くぼんやりと光を放つ。
 ド、ド、ド、ド、ド、ド、ド、ド、
 少女の手のひらから高圧の空気の弾が打ち出される。気弾は弥三郎の胸に、腹に、脚に、頭に次々に襲い掛かる。そしてその弾があたるたびに弥三郎の切り落とされた腕から脚からどす黒い血が飛び出した。
 爆音に混ざって弥三郎の悲鳴が聞こえていたがいつしかそれもやんだ。
 もうもうと巻き上がった砂煙がおさまると、血だまりの中に弥三郎が息も絶え絶えに倒れていた。出血のためか肌からは血の気がうせ、唇はカサカサにななっている。四肢は曲がってはいけない方向に曲がっており、あざだらけになっていた。
 少女は弥三郎に手のひらをかざす。風が少女の腕へと集まってくる。
「これで終わりだ……」
「弥三郎おおおおぉぉぉぉおおぉお!」
 川から這い出してきた妙星が吠えた。
「弥三郎?」
その声に少女は動きを止める。
そのとき彼女の背中に緑色のかたまりが飛びかかった。
 少女はそのかたまりとともに地面へと落ち、ゴロゴロと転がった。
 少女は体勢を立て直そうとするが緑色のかたまりが押さえつけるようにその動きをさえぎる。
「くっ、邪魔をするな! はなせ!」
「やめるッハ岩井戸! その男は弥三郎だッハ! 君の息子だッハ!」
「……シンハ!?……弥三郎!?」
 少女の体から力が抜けた。そのことがわかるとシンハもまた力を緩めた。
 少女はシンハの下から這い出ると、よろよろと弥三郎へと向かって近づいた。
「おとせ…… 弥彦…… おとせ…… 弥彦……」
 うわごとのように弥三郎の口から漏れる言葉、聞き覚えのある名前を聞いて、少女の瞳に涙がにじんだ。
 指先に風を集める。
その動きに妙星は一歩進み出るが、シンハがそれを制した。
少女は指先へと集めたその風で弥三郎のむさくるしいひげをなでる。するとひげはきれいにそり上げられて、岩井戸の愛しいわが子の顔が現れた。
「弥三……弥三郎……弥三郎おおおおおぉぉぉおぉぉぉぉおおぉっ!」
岩井戸が声を上げた。と岩井戸を中心に大きなつむじ風が沸き起こる。しかしそれは先ほどまでのまがまがしい風の力ではなく、暖かく慈愛に満ちたもののように感じられた。
「ん……んん…………」
 体の底から力が沸き起こるような感覚を受けて弥三郎は目を覚ました。
 瞳を開けると先ほどまで戦っていた少女が涙を流しながら自分の体を抱き起こしていた。いや、少女の顔はすでに少女から大人の女性の顔に、それも見覚えのあるような顔に変化していた。
「お、お袋……」
 そうだ、お袋の顔だ……シンハ様にかくまわれたころの顔、なれない畑仕事に疲れ果てていたころの顔、元服し、祝言を挙げたころの顔、弥彦が生まれたころの顔、武者修行の旅へ出る自分を見送ってくれたころの顔。まるで早送りのように弥三郎の目にうつる岩井戸の顔は、しわを刻み、年老いていった。
「どういうことです?」
 妙星がシンハにたずねた。
「岩井戸が、弥三郎に命を分け与えているッハ」
「命を……?」
妙星が再びたずねる。
「そうだッハ、岩井戸は弥三郎の子供を救おうと、ぼくの力を勝手に使おうとしたッハ。おかげで力は暴走、あのときのぼくの力のほとんどが彼女へとうつってしまったッハ」
「力が……」
「岩井戸は、ああやって自分の孫を救いたかっただけだったんだッハ……」
「…………」
 妙星は瞳を伏せた。が、再びキッと岩井戸へ視線を向けると黙って印を組み始めた。
「彼女を退治するッハ?」
 今度はシンハがたずねた。妙星は印を組み替えながら、
「これが私の仕事ですから……力を失い無防備だ……こんな好機は見逃せません……」
 妙星は静かに落ち着いた声で言った。
「そう、ッハ……」
 シンハはあきらめたようにつぶやいた。その視線の先にはすでに老婆の姿となった岩井戸が、慈愛に満ちた表情で弥三郎を抱きかかえている姿がうつっていた。
「臨 兵 闘 者 皆 陣 烈 在 前 …………」
 妙星が九字を切る。
 シンハがそっと目を伏せた。
「は!」
 妙星が気合をこめると指先から神々しい光がはなたれた。光は一直線に岩井戸へと降り注ぐ。
「きゃぁああぁぁぁあああぁぁぁあああぁぁあぁぁぁあああぁああぁぁ…………」
岩井戸は雷に打たれたようにその体をはねさせると、光の球に包まれた。
「やめろ……妙星……お袋に何をする……」
 弥三郎は振り返ると叫んだ。
「これが俺の使命……許せ、弥三郎……」
 そういうと妙星はいっそう念をこめた。岩井戸の悲鳴がさらに高いものになる。
「クソ……体が思うようにうごかねぇ……シンハさま……止めてくれ……シンハさま」
「…………」
 シンハは目を伏せて押し黙るだけだった。
「くそ……お袋!……お袋!」
 弥三郎は必死に立ち上がると、岩井戸と妙星の放つ光の射線上に仁王立ちになった。
「がぁああぁぁぁぁあああぁぁぁぁああぁぁぁぁぁっっっ……!!!!」
「バカなっ! よせっ! 弥三郎!」
 妙星が叫ぶが弥三郎は答えない。
 位置を変え、岩井戸に光線を当てようとするが弥三郎が盾となり光をさえぎる。
「……今のうちに……逃げろぉ……お袋……」
「弥三郎! もう、もう……」
 岩井戸の声はなかなか言葉にならない。
「お袋がここから逃げ出せばこの光も止まるさ……さぁ……早く……」
 弥三郎のひざが崩れ落ちる。それを見た岩井戸は意を決して風を集める。
「くっ、シンハ様っ!」
 妙星の声にシンハが跳びだそうとするが、そのまま地面にどうと体を横たえる。シンハもまだようやく体が動くようになったばかり、大聖寺からここまでくるのでさえ精一杯だったのだ。
 岩井戸へと集まる風は彼女を包み込んだ。その風に乗って彼女の体は宙へと舞い上がる。
「逃がすか!」
 妙星が光を上空へと向ける。弥三郎の体から光がそれた。
 その機を突いて弥三郎がふらふらしながらも妙星へと駆け寄り、正面からしがみついた。
 そのすきに岩井戸は風に乗ってはるか西の空へと飛び去ってしまった。
「弥三郎! くっ、弥三郎―――――――っ!」
 妙星の絶叫が闇の中に響き渡った。


 カナカナとセミが鳴いている。
 シンハの話を聞くうちに、あたりはだいぶ薄暗くなってしまっていた。
「それが、弥三郎婆の話の真実なの?」
 シンハは黙ってうなずいた。
「じゃぁ、そのときの復讐が今回の事件の動機なの?」
「いや、岩井戸が理性を取り戻したのを見たのはその時だけだったッハ」
「っていうと?」
「岩井戸の心は壊れているッハ、彼女の心にあるのは自分の幸せだった時代を取り戻したい。その想いが暴走しているだけ、それだけだったッハ」
 シンハは伏し目がちにそうつぶやいた。
「それだけだったっていうことは、その後もなんかあったの?」
 シンハは顔を上げると再び語り始めた。
「おっかな橋の戦いから逃げ出した岩井戸は、新潟の弥彦山まで逃げたといわれているッハ。ま、管轄が違うから詳しいことはよくわからないけど、そこで力を蓄えた岩井戸が再びこの地を訪れたのが、江戸時代の寛政二年、西暦で言うと1790年頃の話だッハ」
「1790年……どこかで見たような……」
 わたしは記憶をたぐる。
「たぶんぼたんが見たのは安久津八幡宮でだと思うッハ」
「あ、そうそう。八幡様で何かあった年よ」
 シンハのいうとおり、安久津八幡宮の三重塔の解説文で見た年号だった。
「安久津八幡宮は源氏の神様の八幡神を祭った神社。施設的にはまったく関係はないけど、そのシンボル的存在だったのがとなりのお寺にあったあの三重塔だッハ。再びこの地を訪れた岩井戸は渡会家をつぶしたそのにっくき源氏のシンボルを破壊しようと猛威を振るったッハ」
「その結果が……」
「そう、三重塔が烈風で倒れたというのが岩井戸の仕業だッハ……」
「な!?」
 千代ちんが目を丸くする。
 シンハは話を続ける。
「そのときは僕の力も回復してたッハし、そのほかにも優秀なお坊さんがいっぱいいたんで、何とか封印することができたッハ。そのときに彼女が言っていたんだッハ『再びあの幸せな時代を取り戻してやるんだ。あの幸せだった頃の屋代郷を』って……」
「シンハ……」
 シンハの声が上ずっていた。きっとそのときのことを思い出しているのだろう。
「どうやって封印が解けたかはともかくとして、おそらく彼女の目的は、彼女だけの理想郷、昔の屋代郷を取り戻すことだッハ。おっかな橋で追いはぎをしていたときも、三重塔を吹き飛ばしたときも、そして今の高畠町を壊そうとしていることも、すべてはそこに行き着くッハ」
「昔の……屋代郷……」
シンハの言葉を繰り返す。が、実感がわかない。
「じゃさ、平安時代を再現しようってことなの? ここの?」
「あれから200年、その間に彼女の考えがどう変わったかは、彼女と話をしてみないことにはわからないッハ。ただ状況を整理して推理してみると……」
 シンハの言葉にわたしと千代ちんは身を乗り出す。
「何らかの理由でこの時代に目を覚ました岩井戸は、手っ取り早く力を取り戻すために文珠を盗み出した」
 シンハが手のひらの上に文珠をひとつ取り出すとそれを握った。
「岩井戸は自らの手下を作り上げるためダデーナーを召喚した。それもある程度知能の高いものを。人並みの知能を持たせるには8~9個くらいの文珠が必要になるッハ」
「……文珠10個のダデーナー……」
 わたしと千代ちんは顔を見合わせる。
「ダデーナーを安定化させるためには依り代に合体させること、それが……」
そういってシンハは赤木君のほうを見る。赤木君は青鬼の張りぼてのかたわらにうずくまり、おどおどとこちらをながめている。
「青鬼の、張りぼて……」
 その言葉に赤木君は胸に握った手を当てる。
「ダデーナーは依り代にその特性を左右される性質を持つッハ。たとえば今まで相手にした電車、さくらんぼ、タヌキ、ヘビ、そして龍……岩井戸は鬼の強力な力をあてにして、張りぼてにダデーナーを取り憑かせた。しかし、岩井戸は知らなかったんだッハ、『泣いた赤おに』の話のことを……」
 赤木君があぶら汗を流しながらしハァハァと荒い息をつき始めた。シンハがこれからしゃべろうとすることはわたしにだって容易に想像がつく。ましてや当の本人にしてみれば……
「依り代である鬼の張りぼては、ましてや人並みの知能を持つそれは岩井戸の予期せぬ動きを始めたッハ。すなわち『泣いた赤おに』のキャラクターの持つ人間の友達が欲しいという欲求に従って活動を……」
「もうやめて!」
 耐え切れずにわたしは叫んだ。
「そんなの、そんなの何の証拠も無いシンハの想像じゃない……そんな、そんなはず無いわよ青木君も……赤木君も……そんなはず……」
 わたしは赤木君に目を向ける。赤木君は青い顔で歯をガチガチと鳴らしながらわたしたちの方を見ていた。
「赤木……君……」
 わたしは赤木君に手を差し出した。
 すると、赤木君はあわてて腰を上げると後ずさる。
伸ばした腕を見て気づく。そういえばわたし、まだ変身を解いていない。先ほど青木君に光線を浴びせた岩井戸の姿とわたしがかぶったのか、赤木君は振り返ってものすごいスピードで駆け出した。
「赤木君! 赤木君!」
 わたしはあわてて変身を解き赤木君の背中に声をかける。が、彼は振り返ることなく見えなくなってしまった。
「シンハ!」
 わたしはシンハにつかみかかる。が、シンハは冷静な顔で言葉を続けた。
「なくなった張りぼては青鬼だけじゃなかったッハ……残る赤鬼の張りぼて……おそらく赤木もダデーナーだッハ……」

第7話 了



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