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八月の巻

C’est la vie.

八月の巻

18. C'est la vie.


 月が変わって、梅雨も明け、東京は連日の猛暑に見舞われている。クリーンアップ予定日の五日も高気圧の勢いそのままに、朝から強烈な日射が燦々。荒川は水をたっぷり擁しているので涼し気に見えるが、こうも高温だと湯水になっているのではあるまいか。上流からは低温の水が流れてくるはずだが、流すうちに茹(ゆだ)ってしまうんじゃ「たまらない」。さっさと海へ流したい、というのが川の本音だろう。南実からは今回見送りの連絡とともに、いつものように定刻の十時だと潮がまだ高いかも、との一報を事前に受けていたので、モノログ上にも臨時掲示板情報として、今日の開始は十時半と打っておいた。石島姉妹は家族で旅行中との報を桑川姉弟から聞いていたし、業平には別件でメール連絡しておいたので、この日はあわてて出かける必要もなかったのだが、そこは素直な千歳君。早めに現地で待っていれば、リーダーも早々に現われるだろう、という読みでそそくさと宅を出る。温水(ぬるみず)を流したい一心なのかどうかは不明だが、どうも流れが速い感じの荒川。その流速に比例するように、今日はノロノロではなく、軽快にペダルを漕ぐ千歳だった。


 時同じくして、千住姉妹はと言うと、どうもいつもと様子が違う。

 「櫻姉、ほんとに行かないつもり?」

 「バテちゃったみたい。千さんには八月病だって、言っといて。うぅ...」

 「はいはい。お大事に」

 確かに暑さ厳しい折り、わからなくもないのだが、夏風邪なのか、夏バテなのか、はたまた「何が八月病よ。恋わずらいでしょ」と姉想いの妹はあっさりと分析してみるも、特に心配する風でもなく、小気味良さげなのであった。姉の自転車を借り、颯爽と風を切る。橋に入ってからは速度を落とし、干潟を一望する。まだ誰の影も見当たらない。千歳は伸び盛りの草陰にいるので、彼女の視野には入らなくて当然である。徐行気味に走る蒼葉。その後を追うように路線バスが近づいてきた。車窓から干潟方向を眺めていた一人の少年は、ここで憧れのお姉さんを見つけて大慌て。「あ、蒼葉姉ちゃんだ!」 誰かさんみたいにおばさん呼ばわりしたりはしないが、姉ちゃんてのも考え物。ちょっと馴れ馴れしい気がしなくもない。

 自転車とバスは抜きつ抜かれつで並走していたが、六月が停留所を降り立った時には、お姉さんの自転車は彼方を走っていた。「どこ行くんだろ? 干潟に用があるとも思えないしぃ」 実姉が一緒ならケータイ一発で確認できるところ、その姉を振り切るように飛び出してきた手前、ちょっといたたまれない六月君なのであった。「一緒に来りゃよかったかなぁ。でも、プログラミングがどうとかでいそがしそうだったし...」 今日のクリーンアップはどうやら少人数になりそうである。

 干潟へ通じる細道の周辺は、掃部(かもん)先生が人知れず刈ってくれたらしくスッキリしていて、その切り口からは熱に煽られてか夏草の薫りが漂っている。そこへ新緑というか青葉というか、また違った色香を秘めた女性が乗り付けてきた。人には雰囲気というものがあるが、蒼葉の場合、それは人一倍強いようで、鈍いというかスローなあの人もすぐに気付いた。

 「あ、蒼葉さん!」 自転車は徐々に近づいてくる。「どーもっ!」

 時は十時十五分。ようやく潮が後退局面に入ってきた感じ。干潟から去ろうとする水の流れはやはり熱を帯びたようにまどろんでいる。もっと早く退いてくれてもいいのだが、本流の勢いとは裏腹にこの辺はどうもバテ気味のようである。

 「あれ、お姉さんは?」

 「もし本人が今日来なかったら、あとで事情をお話しします」

 「どこか具合でも?」

 「八月病... あ、いえ何でも、アハハ」

 退潮の動き同様、何ともまどろっこしい話し振りである。

 リーダーが来るのか来ないのかハッキリしない中ではあったが、ひとまず道具類の点検などを始める千歳。払底していたと思われた四十五リットル袋は、ベランダの収納庫に眠っていた分が発掘され、今回はバッチリ。小型バケツに二リットルの空ペットボトルにマイカップにデジカメ... 水筒代わりに使っている別のペットボトルには発泡性のミネラルウォーターを入れて来た。持って来ていないのは、クリップボード、受付台帳、太ペン、カウンタといったところ。蒼葉の方は、持ち主がわかった例のK.K.絵筆の他、鉛筆画に必要な道具類と簡単な画用紙、それと軍手、ケータイ。二人の持ち物を寄せ集めれば何とかなりそうな気はするが、道具以上に重要なのはコーディネート役、だろう。一抹の不安がなくもないが、「今日は参加人数も少ないし、十時半開始予定なので、今ある程度準備しておけば大丈夫かなって」 発起人は気楽に構えている。


 見慣れない三十男が向こうからやって来て、左に折れた。今日はサングラスをしていて、チョイ悪な印象。RSB(リバーサイドバイク)ライダーのあの人である。小六男子はちょっとビビったが、そのライダーの後にできた轍を追うようにグランド脇を歩いていく。外野ではカラスの小集団が羽を休めているが、熱吸収の良い己の黒さが恨めしいようで、どの個体も羽をジロジロ見るばかりで鳴き声ひとつ上げない。こういう光景も不気味ではある。開始時刻まではあと十分ほど。

 図らずも同じような格好をしている二人の男女を見て、業平君が後ろから声をかける。

 「あれ? いつもと違うご両人。ペアルックてか?」

 「あ、業平さん... ですよね? この間の掃部先生みたい。ハハ」

 サングラスをかけてる点が先生と共通ってだけで、風貌は全然違うのだが、こう言われちゃ笑うしかない。いつもながら漂着ゴミが押せ押せになっているのだが、まだ全容は掴みきれていない。先の自由研究クリーンアップで大袋などは回収しておいたので、幾分減ったような気はするものの現実は現実。ただそれを真に受けて沈鬱になっていても仕方ない。そう、笑う門には何とやら、である。だが、蒼葉に言わせるとズバリ「C`est la vie」なんだそうな。そこまで達観しなくても良さそうだが、「そういうものなのよ」と屈託ない。

 水も汲んできたし、ひとまず見通しも立ったことなので、三人で干潟へソロリソロリ。そこへ小六の彼が駆け下りてきた。

 「お、六月選手、来たね。一人?」

 「へへ、自由研究の続き、と思って... あ、蒼葉さんだぁ」(萌えモード?)

 「元気してた? でも、夏休みなのに鉄道旅行しなくていいの?」

 少年はすっかりのぼせたようになってしまって、言葉が出ない。前回の威勢の良さは影を潜め、俯き加減。千歳は「まぁ、そういうもんだ」(これもセラヴィの発想?)と自分を見ているように傍観している。業平はちょっかいを出すのかと思いきや、「少年、どーした? お姉さん、コワイかい?」と来た。助け舟を出しているようなそうでないような。

 「あれ、もしかして、Mr. Go Heyさんですか?」

 サングラスを額にずらしていたので、写真で見た人物とやっと一致した模様。先刻はビビったが、今は内心「なぁんだ、あの三枚目さんか」となる。少し正気に戻ったようだ。

 「一応、自己紹介しますか」 千歳は蒼葉から画用紙を一枚失敬して、太目の鉛筆で名前を走らせていく。千歳→蒼葉→六月→業平の順だったが、蒼葉から六月というところがポイント。鉛筆を受け取る時もドギマギ状態の少年は、「じゅ、18きっぷの旅はお盆が終わってから、ですね」というのがやっとこさだった。「そっか、あの桑川女史の弟さんかぁ。今日はお姉さん来ないの?」と業平は何の気なく尋ねていたが、蒼葉はちょっと不服なご様子。「弥生ちゃん来ると、業平さんタジタジでしょ!」 今日の人間模様も目が離せない。

 十時半を回った。水位が下がるのに引きずられるように、干潟を這う水の流れが目に留まる。流れを辿ると何たることか、崖地から滲(にじ)み出す細い水脈に行き当たった。晴天続きながら時に激しい雨が降ることが多かった八月。グランドなどに浸み込んだ雨水が出口を求めて、この干潟に注ぎ出してきた、ということらしい。ちょっとした湧水が幾重もあり、支流の態を成している。支流はやがて本流へと束になり、本物の荒川へと注ぐ。その紋様、そのうねりは小細工ながら実に精巧で、「生き物としての川」というのを認識させてくれる。四人はしばし細流(せせらぎ)を追っていた。そして、千歳はデジカメ、蒼葉はケータイでその模型を撮ろうとした時、毎回恒例のサプライズは起こったのである。


 「あぁ、ここだここだ」

 「八(ba)クン、待ってぇ」

 蒼葉よりも小柄だが、背丈はそろって同じくらいの男女が現れた。男の方は千歳がよく知る人物。女性の方もどこかで見たような見ないような...

 「隅田さん、やっと見つけましたよ。どうして教えてくれなかったんスか?」

 「手当出ないし、日曜くらいはゆっくり休んでもらおうかな、って」

 八クンと呼ばれていた彼、そう、あの宝木八広君である。いわゆる就職難の煽りで、正規の就職が叶わず、職業を聞かれれば今はフリーターと答えるしかない二十代中盤のこの青年。幸い、その多彩な職業経験が買われ、遍歴なんかを手記にしつつ、千歳が関わる市民メディアの小会社で編集の手伝いなどをしている。最近は千歳の記事のサポートに回ることが多く、独特のフットワークを活かして、自転車で走り回ったり、おなじみのセンターに顔を出したり、という日々。短髪、眼鏡、無精ヒゲ、が特徴である。そんな八広君の傍にいる時はデレデレ観のある彼女の方は、四人と顔を合わせるや否や、心なしか無愛想な相貌に。ここにやって来た面々の中では初めてとも言えるツンツン系キャラである。タンクトップにフリルブラウス、長めのティアードスカート、そして鋲入りのサンダル。これまでの女性達と違い、首、腕、腰などにチャラチャラと装飾品が多めなのがまた異色。弥生も初音もネイルアートは少しばかりしていたが、このお方は足の方もしっかりアートしていて、要するにちょっと突飛な印象な訳である。

 「こちら、奥宮舞恵(おくみや・まえ)さん。一応、彼女です」

 「一応って何よぉ。あ、皆さんヨロシク...」

 異色キャラにどう対処していいか、戸惑う三人+少年。接客係の櫻がいない分、負担が大きい。だが、千歳つながりではあるし、最地元でもあるので、

 「じゃ、受付名簿にお名前をどうぞ。名前が書いてあるのが今ここにいる四人です」

 と千歳が仕切り役を買って出て、場の空気を作る。新たに登場した強面(こわおもて)のお姉さんに面食らった六月だったが、彼氏の方には親近感を持ったようで、

 「宝木さんて、下の名前は何て読むんですか? 京成線のやひろと同じ?」

 「やつひろ、ってんだ。でも、八広なんてよく知ってんね」

 「この間、花火大会の時に久しぶりに乗って荒川を渡ったら、水際とかゴミだらけでした。ちなみに昔は八広駅じゃなくて『荒川』駅だったんですよ」

 てな感じで臆せずやっている。顔と名前を一致させる時、こんなエピソードを交えてだったら、よりしっかり覚えられるというもの。それにしても、八広が荒川だったとはねぇ。

 「何かおめでたい名前ですね。お宝に八で末広がり...」 蒼葉としては初対面かも知れないが、

 「あの、蒼葉さんて、六月五日、センターにいらっしゃいましたよね?」

 「え、あの日いらしてたんですか。こりゃ失礼しました」

 背丈の都合で、八広は蒼葉をちょっと見上げる感じになるが、その目線はどこかデレとしていて、正の彼女はそれをすかさず察知すると、

 「こら、八!」と、ハチ公呼ばわりで小突いたりしている。ま、仲のいい証拠だろう。


 「でも、この日この場所ての、何でわかったん?」

 「センターのページ見てたら、何やら『届けたい・・・』て新コーナーが出てて、その中をさらに見たら『漂着モノログ』のリンクが張ってあって... その掃部さんの講座に行って干潟の話聞いてたんで、ヒマを見つけては場所を探してたんスよ。で、モノログの写真見てピンと来て、あと今日十時半から、て載ってたから。それにしても、ヨシだか何だかが背高なもんだから、行き着くのに苦労しましたよ」

 「いつもの自転車じゃなかったんだ」

 「ルフロンと一緒にバスで」

 櫻のブログが動き出したのはわかっていたが、まさかセンターのホームページから辿れるようになっていたとは! 本人がそこまでやるとは思えないから、おそらくはお節介なあの女性(ひと)の仕業だろう。二人のやりとりが目に浮かぶようで、ニヤリとする千歳だったが、今日はあいにくそのブロガーご本人は不在。本当のところはわからない。

 「『届けたい・・・咲く・ラヴ・log』とか出てましたけど、あれってどなたのブログなんスか?」 レポートをまとめるのも相応レベルだが、それ以上に、コピーライティングのセンスを自負する八広としては、その秀逸なタイトルがまず印象深かったようだ。

 「ま、そのうちわかるよ。今日も本当は来るはずだったんだけどね」

 それにしても「咲く、ラヴ」って櫻さん、どうしちゃったんだろう?と不可解に思う千歳であった。開設したての時は出てなかったから、ここ数日の間に書き加えた、ということか。今日のお休みと何か関係があるのかどうなのか...

 お互いの紹介が済んだようなそうでないようなハッキリしないままだったが、画用紙に書いた名前はそれぞれ認識できたようなので、今は思い思いにバラつき気味。クリーンアップ開始前のウォーミングアップといったところか。少年はサングラスの三十男を連れて、前回の自由研究時の様子などを解説している。

 「銘柄調査とはよく考えたね」

 「でも、ラベルが剥がれてたりでメーカーがハッキリしないのも多くてさ。バーコードのところは結構無事なんだけど」

 「バーコードかぁ。ウーン」

 とまた何かを思いついそうな業平君である。この二人、どこか似ている気もする。

 蒼葉は鉛筆を片手に構図を練っているような素振り。三人とは付かず離れずの位置にいる。不意に八広のケータイが着信音とともに振動する。ドラムソロの着メロってのも珍しい。が、千歳には一本のストラップの方に気が向いた。確か某銀行のでは?

 「あのストラップ、銀行で配っている一品ですよね」

 「えぇ、私から彼に」

 これで千歳の疑問は解けた。同時にルフロンさんも何かを思い出したような顔つきになった。

 「隅田千歳さんでしたね?」

 「えぇ、三月に窓口で。いろいろいただいて、ありがとうございました」

 「あぁ、やっぱりあの時の...」

 窓口の時と同様、無愛想だった彼女だったが、これで少し表情が出てきた。世間は狭いというか、妙味で満ちているというか、とにかく仰天である。つい粗品についての礼を述べてしまったが、この行員さんにはもっと違った意味で御礼を言わなきゃいけないところだろう。櫻が今ここにいたら、サプライズを喜びそうな予感はあるが、話がややこしくなる可能性もある。今日不在なのは何かの思し召しということか。


 「間違い電話だった。人騒がせな」 その場を外していた八広が戻って来た。思いがけず舞恵が薄笑いしているので、珍しいこともあるもんだと訝ってみる。

 「そうそう、奥宮さんて何でルフロンなんですか?」

 「名前が『まえ』なんで...」

 「隅田さん、フランス語でね...」と八広が割って入ると、そこへフランス在住歴のある絵描きさんがさらに首を突っ込んで、画用紙にサラサラと綴り出す。

 「le front...男性名詞なんでle これでルフロン、ね?」

 楚々清々とした蒼葉に対し、その装飾品の様から錚々(そうそう)とした感じの舞恵。対照的な二人だが、実は同い年。にこやかに問いかけたものの、所作が気に入らなかったらしく、

 「東海道線の某駅の前にあるのと同じ」と軽く交わし、また無表情に。

 「ま、宝木君は別として、ここでは奥宮さんでいいですよね」 千歳は冷や汗。あぁ櫻さんがいてくれたら。


 何だかんだで十時四十五分になった。コーディネートというのは憚られるも、プロセス管理と言い換えれば、千歳の得意とするところ。要は流れというか段取りを組み立てて、その進行を円滑にすればいい、ということである。

 「では、皆さんそろったところで分担を決めましょう。六月君は自由研究の続きを兼ねて、飲料容器とフタ専門でいいかな。あとは男女一班で上流側と下流側ってことでお願いします。足りない道具はないですか?」

 軍手と袋の予備を新参のお二人に渡しつつ、

 「宝木氏、こういうの初めて?」

 「街頭ではやったことありますけど、川とか海は初めてス」

 「ぬかるみと波と、あと釣り針が落ちてることあるから、そういうのに気を付ければ大丈夫。奥宮さんもムリしないでね」 サンダルがちと気になる千歳。

 「あ、ハイ」 同じく足元を見遣る舞恵。彼女の立ち位置はさっきまで水が浸かっていた。そのまま佇んでいると、段々と凹んできたりする。その感触を楽しんでいるようだ。まぁいいか。

 千歳は初参加の二人を何となくフォローしつつ、記録係に徹することにした。いつものバッグは肩に担いだまま移動する。少年は、憧れのお姉さんとご一緒したかったが、干潟の奥に溜まっている各種容器に目を奪われ足が止まる。パッと見たところ、フタはあまり転がっていない感じだったが、前回のさばっていた巨大な草がなぎ倒されていて、あらゆる漂着物に手が届きやすくなっている。ここは小回りが利く男子の出番である。早々とポイポイやり始めた。千歳は現場の証拠写真を押さえる。


 期せずして同じ組になった蒼葉と業平。気乗りしている時は二人とも饒舌な口だが、なぜか今は黙々と除去作業に集中している。下流側は、まだ水位があって積石の方までは足が伸ばせない。カニの巣穴を覆っている大きめの袋ゴミを除けたり、埋没している腐食缶を引っこ抜いたり、淡々とこなしている。石の隙間が露出してきたのを見計らって、業平はさらに先へ。漂着物に対する嗅覚とでも言おうか、その勘は大したもの。早速、異物を発見した。

 「蒼葉さーん、これ見て」

 あわてて出てきたため、日焼け止め対策が十分でなかったモデルさんは、ヨシ群生の日影でゆっくり作業していたかったが、ちょっと気になるお兄さんにこう呼びかけられては行かない訳にはいかない。

 「え? 燈籠、ですか?」

 台座の方はすでに溶けかけていたが、蝋燭を囲む紙の筒はまだふやけている程度で、それが紙製の灯篭であることはひと目でわかる。蝋燭は溶けきったのか、それとも台座の一部とともに流れてしまったか?

 「荒川でも灯篭流しするんですね。流れきれずに漂着して、こうして原形をとどめてる、って。これは灯篭として本意なのかどうなのか」

 記録係がノソノソやって来た。「あ、紙燈籠?」

 「千ちゃん、これ知ってんの?」

 「今は灯篭流しって、すぐに回収するように指導されてんだってね。無粋かも知れないけど、できるだけ人目につかないところでボート出して網とかで掬うんだと。でも、これ見ると必ずしも掬いきれてない、ってことだね。ハハ」

 「救われない? フフ」 姉と同じような反応をする妹君。すかさず「そのまま溶かしちゃうと川が汚れるとか? CODでしたっけ」

 「へぇ、お二人ともよくご存じで」 業平は感心するばかり。

 「矢ノ倉さんに前に聞いたことがあって。でも、これ本当に溶けきるんでしょうかね?」

 「持って帰って、いずれ先生に聞いてみますか」

 当の掃部先生は、正にその灯篭の件で真相を確認中。ここより上流の某所で平和を祈念する音楽会と併催で灯篭流し行事が行われたはいいが、その回収が十分でなかった、というのを先生独自の地域ニュース網で聞きつけ、現物を捜し回っていたのである。彼等がいる干潟まではまだ到着しそうにない。

 「そうか、掃部先生も今日はいらっしゃいませんねぇ。来れば話早いのに」

 「K.K.」イニシャルの絵筆を手に、蒼葉は溜息。千歳は漂着時の様子を克明にデジカメに収め、それが終わると発泡水を呑み出した。業平はさらに下流側へ向かっている。

 「水、私にも」 それなら、とマイカップを渡そうとするが、すでに口をつけて飲んでいる。姉の上を行く小悪魔蒼葉。肘袖の白Tシャツにクロプトのデニム。すでに結構日灼けしていて、夏女風である。この大胆な感じは姉とはちょっと違う。フランス帰りゆえ、なのか。

 七夕の時はサラサラ程度で済んでいたが、今はザワザワする感じ。心理面もそうだが、実際にヨシ群が熱風を受けて音を立てているんだから仕方ない。まんまと効果音に躍らされてしまった。しかしこの風、何と表現したらいいのか、暑苦しいという以上にちょっとした不気味さを含んでいる。午前十一時。まだ遠方だが、入道雲が出てきた。着実に高さを増している。


 六月もヨシのザワザワを嫌って、下流ではなく上流側に歩を進める。水嵩の脅威はこの日も感じられ、崖地途中から生えるヨシには、根元ではなく中腹くらいにゴミが絡んでいる。少年の目線からはちょっと上に当たるが、その絡んだ一塊の中に何かの魚の白骨骨格が飛び込んできた。「わぁ!」

 容器包装系ゴミをガサガサやっていた無愛想姉さんは、集めた袋を彼氏に預けると、六月のもとに近寄ってきた。彼にとっては二重の恐怖か?

 「どったの、眼鏡君?」 六月は無言で指さす。さすがのルフロンも目が点。

 「八クン! HELP」

 デレデレならぬベタベタで彼氏にくっついている。ここのヨシ集落も三人を嘲笑(あざわら)うようにサワサワ、いやセラセラか。

 「モノログで見た通り。いろんなもんがあるんねぇ」 年長の方の眼鏡君はケロっとしている。こわばった顔をしていたルフロンさんだったが、少年に悟られないように表情を戻す。そのヨシの根元には百円ライターが一つ。まだ使えそうな一品である。

 「あ、ルフロン、ダメだよぅ」

 チャラチャラな上にスモーカーな舞恵嬢は、トートバッグの脇から舶来タバコを取り出すと、その漂着ライターを点火。見事、着火させ一服やり出した。

 「火が点かなかったら吸わなかったワ」 これでサングラスでもかけさせたら、チョイ悪姉さんてとこか。「暴発しなかったからよかったものの...」 彼氏は気が気でない。

 咥(くわ)えタバコの姉さんは、大風のせいで無残な姿になって棄てられてしまった傘の柄を拾い上げると、六月がポイポイ放り出して集まった空き缶の類をカンカン叩き始めた。泥砂の入り具合で音程が変わることがわかると、振ってみたり、並び替えてみたり、試行錯誤している。程なくカウベルのような響きを持った音階ができ、ちょっとした演奏が始まった。

 「へへん、眼鏡君、どうよ?」

 蒼葉に対しては「萌えー」な六月君だが、舞恵さんに対してはどうだろう。(まえー、じゃ芸が無いし) タバコの煙を見ていると正に「燃えー」な訳だが、何とも名状し難い。そのリズム感、テンポの良さには、鉄道の疾走感に通じるものが感じられ、ただ心地良い、そんなところだった。が、この時、同じ憧憬でもまた違った感情があることを知ったのは確か。小学生最後の夏休み。多感な少年はこうして大きくなっていくのである。

 タバコはさっきの紋様模型(消火用の湧き水ではないのだが)のところでもみ消され、付き人が差し出したケータイ灰皿で処理された。忠実な彼が時に「ハチ」と言われる所以である。

 

【参考情報】 湧水は干潟を通り川へ / 荒川駅 / 水溶性紙燈籠


八月病

19. 八月病


 千歳マネージャーはタイムキープに関してはあまり得意ではないらしく、ダラダラと撮影記録を続けている。もともとスローな彼だが、折からの暑さがダラダラを助長しているようだ。発泡水に手が行くも、フタを開けようとすると手が止まる、その繰り返し。こういう状態をアタフタとはよく言ったものである。「フタ... あら、結構出てきた?」 六月の自由研究の見通しが明るそうなのが救いである。

 十一時十五分。ようやく号令がかかり、各班が集めたゴミの品評&計数が始まる。研究員がいないので詳しいことは言えないが、ヨシ束をバサバサやる要領だけは心得ている千歳。微細ゴミは別枠だが、ひとまずバケツに漬けてみる。思わずプカプカ出てきたので焦る焦る。「ハハハ。この手のプラスチック片は後で数えますね」 再び冷や汗の千歳君。

 この手の束をはじめ、細かい漂着物が干潟の奥で鬩(せめ)いでいた訳だが、これは例の不詳背高草が倒れていたおかげ。大きくなり過ぎて、身が持たず倒伏してしまったとすると、実に自虐的。だが、倒れてなお、防波・防潮に身を捧げたとするなら、ご立派の一言に尽きる。

 「この前はこんなに大きくなかったよね。千さん?」 少年にまで千さん呼ばわりされてしまった。だが、悪い気はしない。「千さんてか、じゃ君は六さんだね」 もう一人、名前に数字がつく人物がいるが、後回し。だが、その八さんは「この流木もインパクトありますね。防波堤みたいだ」と口を挟んできた。確かに背高草と連係するように身を固定し、発泡スチロール片やらミニ納豆の容器やら、水位が増せばあっさり流れ出てしまいそうなゴミ達を巧みにブロックしている。防流堤とでも名付けて敬意を表するとするか。

 そんな流出を免れたプラスチック類を再分類しながら、品目別に各自カウントを開始。職業柄なのかどうかはいざ知らず、ルフロンは目算、いや目計算が速かった。カウンタ要らず、である。そんなこんなで少人数ではあったが、それに見合うような集計結果がまとまった。とりあえず画用紙にメモする。

 ワースト1:プラスチックの袋・破片/三十六、ワースト2:食品の包装・容器類/三十一、ワースト3:フタ・キャップ/二十三、ワースト4:飲料用プラボトル(ペットボトル)/二十一、ワースト5:袋類・袋片(農業用以外)/十九といった具合。七月一日には多々見つかった硬質プラスチック破片と紙パック飲料が数個程度に激減したのには千歳も業平もビックリだった。いったい何が原因なんだろう? 代わりと言っては何だが、今回は新たにガラス片や陶器片が二つ三つ見つかった。漂着物の変化に何らかの因果関係があるのかどうなのか、これは中長期で統計をとればわかること? ムムム。臨時リーダーは思いを新たにするのだが、それも束の間、頭が重いネタがあったことを思い出した。微細プラスチック(レジンペレットなど)である。これをしっかり数えると、おそらくワースト1になるところだが、今はひとまず置いといて、数え終わった分をデータ送信するとしよう。しかし次なる試練が。「あ、ケータイ画面、どうしよ」 櫻、南実、弥生... 三人の存在の大きさを痛感する千歳であった。

 「はいはい、千さん。私、やりますよ」 どうやら操作をマスターしたらしい蒼葉が手を挙げてくれた。設計者の業平は傍で同じように操作して再確認している。八広も業平とあぁだこうだやりながらカチカチやっていたが、「あれ? バッテリ切れ?」 振動着信とか間違い電話がいけなかったようで、中断せざるを得なくなってしまった。ガックリ。

 「ま、八クン、いつもあんな調子なので、ケータイで連絡とるの止めました。ついでにケータイそのものもいっか、て感じで」 ここにもケータイやめた?派がいた。意外な感じもするが、「メール打てば、すぐ返事くれるし、すぐ駆けつけてくれるし、フフ」 巷に聞くツンデレさんとはこういう人のことを言うのか、と千歳は妙なところに感心する。

 蒼葉はうっかり保留機能を使わず、主だった品目の数を入れたところで送信してしまった。

 「アハハ。じゃ続きは業平さん、お願い」

 「蒼葉さん、干潟二周」

 「ハーイ」

 本当に干潟を回り出したから、五人は唖然。少年はここぞとばかりに付いていく。

 生活雑貨の詳細をまだ打っていなかった。極太マジックペン、キーホルダー、舞恵が手にしていた傘の柄とその他のパーツ、そのあたりはまだわかる。だが、歯ブラシ、ワンパックの使い切り洗剤、電気シェーバー、さらには使い捨てコンタクトレンズの容器、なんてのまで出てきたもんだから、「こりゃ社会の縮図だわ。金融業としても何か考えないと」と企業人らしい一面を大いに触発することになる。業平は、その他品目の入力に移っている。この際だから、具体的な名前を打ち込もうということらしく、「ねりからし」とか「玉ネギ」とか親指で器用にやっているから可笑しい。「それにしても、そういう食べ物関係が見つかるってことは、やっぱり...」 橋よりも上流側にバーベキューができる公園があることを最近突き止めた千歳は、次の一手を画策し出した。ゴールをどう設定するかは模索中だが、プロセスマネジメントを応用しつつあるのは明らか。単なるゴミ拾いで終わらせないための何かが動き始めている。


 雑貨の数々からずっと撮影を続けていた千歳だったが、恒例のスクープ写真の段になると、目の色が変わった。鉄筋あり、砂利袋あり、工事でもする気か!とツッコミを入れたくなる品々が出てきたのである。気合十分のカメラマンに対し、肩の力を抜けとばかりに少年が近寄ってきた。「千さん、これも」 見れば美少女キャラのフィギュアである。この間のモビルスーツといい、どうしてこんな... 肩の力どころか腰砕けになってしまった千さんであった。

 「可燃じゃないし、不燃てのもね。どっちにしてもゴミにするにはしのびないねぇ」

 「へへ、これはね『萌えるゴミ』なのさ」 フィギュアを見ながら、一人で「萌えー」とか呟いている。これには一同大笑い。八広も大いに煥発されたらしく、コピーだか散文詩だか、ブツブツ唱え出した。「萌える春、燃える夏、季節もゴミも移り往く...」


 スクープ系の最たるものは「紙燈籠」だろう。だが、原形を保持するにはレジ袋ではちょっと心許(もと)ない。プラスチック製のカゴなどでも良さそうだが、網状なのでイマ一つ。そんな折り、ジェットスキーが通過し、その勢いで出来た断続的な中波がどこからか発泡スチロール製の箱状容器を運んで来た。偶然ではあるが、彼等にとってこれは必然。

 「上流の影に隠れてたのかな?」

 「要するにこれを使え、ってことだね」 傘の柄で手繰り寄せる。ちょうどいい大きさである。フタつき。中は空っぽ。これなら原状そのままに先生にお見せできそう。

 「前回は布団と枕がのさばってたんだけど、見なかった?」

 「誰かが再利用してるんじゃないスか?」

 それはさておき、七月の回で湾奥に追いやっていた木片が露わになっていて、無言の圧力をかけてくるのが気になる。業平と八広は、鉄筋を運んで来るや、先の防流堤を強化するように押し付け、さらに木片を杭状に打ち込み始めた。汗が光ってサマになっている。廃材を使った土木作業、こういう工法を環境配慮型と言いたい。

 そんな作業員を横目に、ルフロンがポツリ。

 「隅田さん、ここで千住さんのカード拾ったんスか?」

 「そうなんスよ。信じてもらえましたか」

 「いやぁ、これなら有り得ますね。今日はカバンも落ちてたし」

 拾得物として届けるのは気が引けるので、とりあえずそのままにしておいた通勤用と思しきカバンが実は見つかっていたのである。何かのトラブルに巻き込まれた果てだとしたら... 漂着物ではなく、遺失物。モノログ対象外なのだが、放置しておいていいものか。ちょっとした葛藤が生じる。

 「ところで、落とし主さんはどんな感じでした?」

 千歳は櫻のことをまるで知らない人のように聞く。釈然としない舞恵だったが、

 「あぁ、何か気優しそうな、でもちょっとドジっぽい方でしたねぇ。あと『拾われた方ってどんな感じでした?』って熱心に聞いてました」

 「え? そうだったんだ」

 「三十くらいの好人物でしたよ、ってお伝えしておきました。その後、千住さんから連絡あったんですよね?」

 「そうなんだ」ではなく「そうだったんだ」という千歳の言い回しから、ピンと来ていた行員は、

 「隅田さんたらヤダなぁ。千住さんとはもうお知り合いなんじゃないですかぁ?」

 つい本心というのが出てしまうものである。自分でネタ明かししてしまった以上、隠し通せる筈はない。結局、話は進んで、

 「ちなみに、その櫻さんの妹さんが蒼葉さん」

 「そうか彼女も千住さんだった」

 となる。

 二周どころか、その後も六月と楽しそうに何周もしている蒼葉嬢。そんなもう一人の千住さんを見つめる舞恵の表情からはいつしかツンツンはとれていた。余計なものを取り除いた干潟は、水の浄化然り、人の心のトゲや粗目も除去してくれるようである。


 収集数が少なかった割には、総じてスローペースだったため、すでに正午近くになっている。冗長ながら集計と記録を終え、袋詰めも済んだ。スーパー行きの品々はペットボトルが少数程度の見込み。あとはそれを洗いながらフタの調査をするばかり。レジンペレットの類が悩ましいが、取り急ぎバケツごと運び出す。ワイワイやりながら一斉に上陸する六人であった。干潟のヨシは心地良さげに風にそよいでいる。だが、この清々しい感じがかえって気味悪い。太陽が時々隠れるくらいに入道雲が肥大化してきた。西の雲は灰色の濃度を強くしている。今度は空模様が心配だ。

 そんな雲のことなどそっちのけ。新たに取り外した分を含め、ひととおり洗い終わったフタを両手いっぱいに持って来て広げて見せる六月。三十有数はある。ペットボトル付属のプラスチックフタは、天然果汁たっぷりのオレンジジュース、コーヒー飲料、乳酸菌飲料、スポーツドリンク、緑茶系などに加え、特定不能な無印のものがチラホラ。一方、ボトル缶付属の金属フタは、そば茶にスポーツドリンクに何かのアルコール飲料といった程度。メーカー名のみのものが多く、残念ながら銘柄の特定には至らなかった。いつ、どんな状況でポイ捨てされたのかは兎も角、少なからず河川敷利用者によって、こうした飲料が嗜好されている、ということはわかった。とりあえずノートに付けていく。あとは現物をそのまま提出すれば済む話ではあるが、

 「あ、証拠写真、撮ったっけ?」

 「大丈夫、ホラ」

 「ダイジョブ、グッジョブ!」

 千歳はこの大事な記録写真を弥生宛に送る旨、約束し、少年の肩を叩く。いい光景である。蒼葉は鉛筆をとり、そんな人物を描写すべく試みたが、どうにも空模様が気になっていけない。そんな女性画家を見て、八広は記憶を辿る。六月のある日曜日、正にこの辺りで見かけた女性、そして、モノログに載っていたあの印象深い漂着静物画...

 「蒼葉さんて、あの絵を描いた人スか? 隅田さんのモノログに出てた、その...」

 「あぁ、あの時は私、衝動に駆られてて。今見ると自分でもおどろおどろしくて」

 こんなにこやかな人があんな素描を、というのが俄かには信じ難い八広だった。内に秘める何か強烈なものがあるに相違ない、と察してみる。そして、今日受けた数々の刺戟を何らかの形で書き表したい、とやはり衝動を覚えるのであった。

 「あれは傑作ですよ。自分も何か載せてもらおっかな」

 八広はすっかりその気である。だが、千歳が彼にモノログや干潟のことを知らせなかったのは他でもない。筆の立つ八広のこと、きっといろいろ書いてよこすに違いない、それがわかっていたから、だったのである。漂着モノログのモノはあくまで「物」のつもりだが、千歳的には独りを意味する「mono」も兼ねていた。だが、こうなってくると、マルチログとかにした方がいいかも知れない。

 さて、フタの品評会の最中、業平は毎度の如く唸っていた。六月とちょっとした談議になったバーコードの一件が頭の中を駆け巡る。今日もこの後おじゃまする予定なので、再度チェックしようと思い立つ。そう、スーパー新鋭のバーコード一括読み取りレジのことである。問題は読み取った結果をどこに飛ばすか。「まずはPCにバーコードスキャナをくっつけるとこからやってみっか」 何ともマニアックな話ではあるが、銘柄調査がそれで叶うなら御の字か。

 ペットボトルも乾いたし、そろそろお腹も空いて来たし、「では皆さん、今日はこれにて解散します。ありがとうございました!」 終わりよければ何とやら。千歳にしては上出来だろう。業平は袋を担いでそそくさとRSB(リバーサイドバイク)に跨って走り去る。空が暗くなってきたので、急いだに越したことはない。アラウンド25のカップルは少年を連れて、干潟の方に戻って行く。舞恵のケータイ(今は撮影専用)で記念写真を撮ったりして、楽しそうにしている。が、しかし、

 「私ね、雨女なんだワ。早く帰らないとズブ濡れになっちゃうよ」

 「あ、本当だ。雨?」

 あわてて引き揚げる三人。方向は違えども、バスの停留所までは一緒である。自転車にゴミ袋を積む二人に軽く手を振りつつ走って行った。


 「六月君て、実のお姉さんより年上の人が好きみたいね。確かに変わり者だわ」

 解放されてホッとしていると見受けるも、淋しそうでもある。業平もとっとと帰っちゃうし...

 「今日は結局、櫻リーダー来ませんでしたね」

 「千さん、しっかり代役果たしてましたよ。姉さんがいなくても大丈夫でしょ?」

 「いや、櫻さんがいないと...」

 「フーン」

 徐行気味に走っていたが、徐々に雨脚が強くなってきたのでペダルを急ぐ。十二時半なのに早くも夕立とは! ゴミステーション行きは諦め、橋の下で雨宿りすることにした。

 「濡れちゃいましたね」

 「画用紙とか大丈夫ですか」

 白のTシャツがところどころ水気を含み、何とも艶(なまめ)かしい状態になっている。空が暗い上、場所が場所だけに暗め。ハッキリ見えない分、余計にドギマギする。一方の蒼葉は平然としたもので、せいぜい濡れた髪に手を当てる程度。やはり小悪魔である。

 「ねぇ千さん、櫻姉のこと、どう思います?」

 「どう、ってそりゃあ。クリーンアップ中は相棒だと思ってますけど」

 「相棒? それだけ?」

 「そうだ、蒼葉さんに言っておこうと思ってたんだ。桑川さんに二人はカップルだとか、言ったでしょ」

 「え、違うんですか? 当たらずも遠からず、でしょ」

 千歳にしてはハキハキやっている方だが、雨脚に呼応するように、さらに調子が強くなってきた。

 「そういう話は二人でゆっくり、と思ってたんだよ。周りがワイワイやり出すと櫻さんも迷惑だろうし」

 「そっか。千さんの前だと張り切っちゃうから知らないんだ。四月以降、何かボーっとしてること多いんですよ。見ていてわかるんです。ありゃ一目惚れに近いな、って」

 蒼葉も負けじと強めに応じる。姉のこととなると”C`est la vie”では済まないようだ。そのままピッチは上がり、姉君の近況などが次々と語られる。

 「以前の櫻姉なら、もっと熱を上げてると思います。失恋事件があって男性不信になっちゃって、億劫ていうか臆病になってるだけ」 とか、

 「でもね。千さんと会ってから、少しずつだけど元に戻って来たみたいなの。事件以降、パッタリ弾かなくなったピアノも弾き出したし... でも、もどかしくて」 だそうな。

 固唾を呑んでいた千歳だったが、水があるのを思い出し、発泡水をゴクリ。気が張っている彼だったが、水の方は気が抜けてる感じ。先のアタフタの一件はすっかり忘れている。

 「私、行けなかったからわからないけど、自由研究の日、何かあったんでしょ? 気疲れどうこうとか言ってたし。最初は夏風邪かと思ったけど、違った意味で熱中症とか。いや、恋わずらいかもね」

 「梅雨が明けてから、暑い日が続いたから、そのせいじゃ?」

 「千さん、鈍いのよ。姉さんの想い、少しは届いてるでしょ?」

 七夕のお誘いと当日の出来事、これまでの櫻の言動の数々...「咲く・ラヴ」の意味も何となくわかってきたような。だが、彼にも相応の事情がある。自分で背中は押せないのである。

 「このゴミを片付けたらお見舞いに伺う、ってんじゃダメでしょか?」

 彼としてはこれが精一杯。だが、その想いは妹には十分伝わった。

 「いや、そんな。泣き出しちゃうかも知れないから。アハハ」

 雨は小康状態になってきた。怨めしい雨ではあったが、おかげで思いがけない展開になってきた。クリーンアップに関しては課題解決型アプローチでプロセスが見えてきたところだが、それとはまた別のプロセスがここにあることに今更ながら気付く。よりデリケートで、機微・機転が求められる、そんなプロセス。

 「あ、そうそう、これまで眼鏡を外して見せたことあります?」

 「いえ、でもそれが何か?」

 「眼鏡っ娘、キライじゃないですよね... ふつつか者ですが、姉をよろしくお願いします」

 意味深ではあるが、事件とピアノと眼鏡といろいろリンクしているらしいことはわかった。それにしても、気疲れってのはいったい?

 「とにかくメールします。櫻さんによろしく!」

 「ハーイ」

 雨上がりの橋をスイスイと走っていく蒼葉。千歳も某少年同様、萌えー状態になりかけている。しばらく見送っていたが、手渡された燃える系のゴミ袋がやおらズシリと来て、目が覚める。「濡れた新聞紙、か」 これでも一応可燃である。全体量は少なかったので、四十五リットル袋二つに収まったが、ぎっしりと詰め込んである不燃ゴミに対し、可燃ゴミはその半分程と差がついた。プラスチックの容器類を不燃でなく再資源化扱いにして、隣市で処理してもらうことを思いついたのはこの時である。あとは燈籠を入れたスチロール箱、プラスチック粒を入れたレジ袋。一人で何とか持って行けそうだ。猛暑日一歩手前まで気温は上昇。雨で少し冷めたとは言え、なお三十度は超えている。荒川は雨で増水したせいもあるが、相変わらず勢いがいい。だが、温水(ぬるみず)と漂流ゴミを押し流すのは大仕事である。

 そんな流れを見ながら、一人黙考する千歳。気疲れで思い当たるのは、過剰適応と眩暈(めまい)の話...「櫻さん、まさかクリーンアップも気付かないうちに頑張り過ぎて、それで?」

 コーディネートというかリーダー役を今回やってみて、その大変さを実感した千歳は、恋わずらいというのは割り引くとして、彼女に何らかの負荷がかかっていたことを認識するに至った。こうなると居ても立ってもいられない。善は、いや「千は急げ!」である。


 今日は初音が不在ということもあるが、カフェめしはもとより、とにかく昼食そっちのけでPCに向かう。モノログにレポートを載せてからメールしてもいいのだが、お見舞いの一筆を送らないことにはどうにも落ち着かない。奥宮さんとのやりとりについては伏せておこう。出だしは、暑中お見舞いの一節、そして蒼葉から話は聞いたこと、今日は僭越ながらリーダー役を務めたが、その大変さがわかったこと、「これまで櫻さんに甘えてしまっていたようで」斯々(かくかく)、「もしかして、ご無理がたたっておつかれに」然々(しかじか)、ここまで一気にしたためて、ふと思いつく。参加or不参加とか、段取りとか、皆で連絡をとりやすくすればあれこれ気を回さなくても済むようになるんじゃ... 本文の結びは、「メーリングリストを作ろうと思うんですけど、どうでしょう?」 いよいよ末尾に来た。ひと想いに綴る。「p.s. 八月十九日は、旧七夕だそうです。櫻さん、当日のご予定は? 織姫様にお目にかかりたい彦星より」 なかなか小洒落た想いの託し方である。手書きじゃないのが惜しいが、「届けたい・・・」その一心が大事。彼女にきっと届くだろう。


 「櫻姉、ただいまぁ」

 まだ髪が潤っている妹を見て「どしたの、川にでも落ちた?」と寝ぼけたようなことを姉は云う。

 「短時間大雨に遭っちゃって。こっちも降ったんでしょう? そうそう、千さんにはちゃんと申し伝えましたから、ご安心を」

 「あぁ、ありがと」

 一人分の即席カフェめしをつつきながら、気のないお返事。ふと思い出したように、

 「今日の面々は?」

 「はい、この通り」

 蒼葉は画用紙を差し出す。

 「この奥宮さんて?」

 「宝木さんの彼女ですって。馴れ初めとかは聞かなかったけど」

 講座の受付で記名した時のことをハッキリ覚えていたので、宝木の方はすぐに思い出した。「奥宮」というのも思い当たるフシがあるようで、

 「気難しそうだけど、テキパキした感じ、とか?」

 「さぁ。千さんとはいろいろ話してたみたい」

 手強いあの人が今日は来なかったことがわかり、「なぁんだ」と気抜けしていた櫻だったが、今度はその一節が引っかかって憂い顔。

 「ま、早くメールチェックした方がいいと思うよ」

 「え、メール?」

 箸を置くや否や、自室に駆け込む姉君。十四時前、ちょうど千歳が送信を終えたところ。以心伝心、グッドタイミングである。

 「千歳、さん... うぅ」

 夏真っ盛りなのだが、暦の上ではあと三日で立秋。櫻の心には早くも感傷的な風が吹いていた。メーリングリスト、旧七夕... どう返事をしたものか。物思う夏、心昂(たか)ぶる夏、蝉が囃し立てるように鳴いている。


 八月の定期モノログはまだ着手できていない。次は弥生宛に自由研究ネタの画像を送りつつ一筆打つ。勿論メーリングリストの提案も添える。例のカウント画面からのデータ送信先はその後テストを繰り返し、今は千歳、櫻、弥生、業平の四人にしてあるが、メーリングリストを設定した暁には、データ送信先をメーリングリスト宛にしようという一計が浮かんでいた千歳は、その辺について開発者にお伺いを立てることを忘れなかった。

 さて、今日のデータは二回に分けてではあったが、蒼葉のケータイから確かに届いていた。いつもなら、このデータを確認した上でモノログの更新作業に入るところだが、今日は先送り。今度はメーリングリスト参加可否のメールの準備に勤しんでいる。お互いの連絡を円滑に、そして何より、自由研究の日のように不意の参加者の登場で櫻を困惑させないためにも、メーリングリストの開設が急がれる。こういうことに関しては器用な彼は、テンプレートで共通の文面をさっさと作ると、そこに個別に表示したい項目(本文冒頭の宛名表示、メーリングリスト登録予定アドレス、通信欄の三箇所)が自動挿入される機能を使って、BCCで同報メール(ちなみに標題は暑中見舞い)を送るのであった。受取人は恰も自分宛に届いたような形になるのがポイント。DMと同じである。送り先は、女性三人に男性二人。少人数なので、別にこんな凝った送り方をしなくても良さそうではあったが、発信時刻に時間差が生じると、特に先輩後輩のお二人さんが「私の方が先だった」とか思わぬ情報交換をする気がしたので、安全策を取ったという訳である。気を遣うのはマネージャーも同じ。気疲れしなければいいのだが。

 もう一人の女性のもとにはケータイメールが入る。「わぁ、千さんからだ」 今日は言い過ぎちゃったかな、と些か恐縮しつつ、メッセージを読む。文末には「メーリングリストの件は、まずはお姉さんに確認中です」とある。「そっか、ちゃんとメールしてくれたんだ。それにしても櫻姉、部屋にこもったきり出て来ないけど、大丈夫かな?」

 蝉は少々トーンを落とし、短くなってきた日脚を惜しむような鳴き方をしている。その声に応じるように溜息をつきながら、櫻はご自分のブログとにらめっこしていた。複合商業施設のレポートを皮切りに、自由研究デーの出来事、地域事情マッピングの可能性など、編集すれば情報誌になりそうなネタの他に、最近は日記風によしなし事を綴ることが増えていた。ブログとしては真っ当な話なのだが、書き綴ることで余計に想念が深まる、ということもあるようで、「橋から干潟を眺めていると、最初に訪れた日のことが鮮やかによみがえってきます」とか「クリーンアップの発起人さんには何かとお世話になってます」とか、誰かさんが見たら心動かされそうなことがすでに書いてあったりして、日に日にブログのサブタイトル通りの展開になっている。メールはもらったものの、お目にかからなかった分、想いは募る。この心理状態で返信すると、突拍子もないことになりそうなので、グッとブレーキをかけて、後日お返事することに決めた。まずはブログで心を鎮めよう、ということらしい。


 かくして「八月病」と題した短文が「咲くラヴ~」に掲載されるに至った。千歳はまだここ最近の櫻ブログは目にしていない。八広からの話を聞いて、見ずにはいられないというのが正直なところなのだが、怖いという気持ちも半分あった。「届けたい」櫻の想いとは裏腹に、まだ届いていない想いがブログには散らばっている。せっかく咲いても、それが人目に入らないうちに散ってしまっては儚いというもの...

 モノログからもリンクを張れば、古い言い方だが「相互リンク」になる。大して手間がかかる作業ではないのだが、どうやら先になりそうである。

 

【参考情報】 2007.8.7の漂着ゴミ