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五月の巻(おまけ)

薫風

五月の巻(おまけ)

07. 薫風


 薫風の季節とはよくいったもので、晴れ渡る空の下、流れる風は蒼々とした薫りを運んでくる。月一の漂着モノログに番外編を設け、少しでもネタを増やしてブログチックにしようと企てた千歳君は五月のとある日曜日、徒歩ではなく自転車を走らせ、河川敷の風を切っていた。この日、最高気温は二十五度。サイクリング日和である。

 おなじみの干潟も気になるが、他の水際はどうなってるんだろう、ゴミが流れてくる様子は目で追えるんだろうか、というちょっとした疑問が徐々に沸いて来る。実地調査はお手のもの。前職のおかげで習慣化(?)しただけのことはあって、労は厭わない。ひとまず櫻が通る橋までやって来た。干潟のある下流側ではなく、まずは上流側へ。一望して目に付くのは、ヨシの群生。青々と丈を伸ばし、風に靡いている。時折強く吹く風が作る襞が川を揺らしている。流れは穏やかだが、その水量は実に巨獏。一度ゴミを呑み込んだらそのまま東京湾まで押し出してしまう、そんな勢いを感じさせる。「漂着するゴミはほんのひと握りということか」 空の青とは違う青が彼の心理を占める。いわゆるブルーな気分てヤツ。荒川もおクサレ様状態だとブルーなはずだが、空に負けない青を湛え、悠々としている。「ここで沈鬱になっても仕方ない。まずはできることから!」 気持ちを切り替え、今度は下流側へ。片側二車線の道路橋は、反対側の歩道に回るのにいちいち橋の付け根まで行かないといけない。信号が変わるのも時間がかかる。「千住姉妹もここ通るのかな?」 ちょっと軽やかに自転車を漕ぎ出す千歳。干潟が見える位置まで来て停止。野鳥観察するには時季的には違和感ないが、橋の中央で双眼鏡を構える男はそうはいない。人がすれ違う度に集中力が途切れる感じだが、スコープの視界はしっかりと川面を捉え、動じない。漂流する人工物...「あ、袋?」 レジ袋らしきものをまず発見。今度は双眼鏡を外し、水面でキラと光るものを見つけると、それを覗いてみる。「ペットボトルか」 ヨシの束も時々流れている。そして「ウキ?」 双眼鏡はしっかり、浮き沈みする細長い物体をキャッチした。そのまま追っていくと、いつものゴミ箱干潟が現われた。かくして、そのウキは砂地に漂着し、ひとまず海行きを免れた。「プロセス、見たり!」 でも、デジカメで証拠を押さえた訳じゃないから、説得力に欠けるか。肉眼で干潟を眺めてみる。この眺めは千歳としては初めて。「すでに何となくゴミがたまりつつあるような...」 水位は高めなので、それほど多くは見受けられないが、双眼鏡で確認すると、いろいろと転がっているのがわかる。またしてもブルーになりかけた千歳だが、干潟の上、陸地の方へふと目を転じて一驚。「え、草刈り?」 業者風ではない。腰にタオルを巻いた一人の男性が草刈り機らしきもので、何かを刈っている。陸のヨシは上流側同様、結構な成長ぶりで、青く高くなっている。双眼鏡越しでその男性を追うも、ヨシに隠れてよくわからない。「ヨシを刈っている訳ではなさそうだ。行ってみるか」


 世間では団塊と呼ぶ世代のこの方、名は掃部清澄(かもん・きよすみ)と云う。荒川流域では知る人ぞ知る存在。守護神と呼ばれることもあるが、本人は意に介さない。ただ単に幼少の頃からの当地の原風景を保つなり、再生したりしたいだけ、という。そんな掃部さんの今日の作業は、ネズミホソムギなどイネ科植物の退治である。「こいつは何度も出てくるからなぁ」 ご本人はイネ科花粉症ではないが、この外来植物、放っておくとさんざ花粉を飛ばして、河川敷利用者などがとんだ受難に遭う。根絶やしにするのが一番だが、そこまでは手が回らない。行政関係者とも交渉した。だが、工事好きな割には、こういう地道な作業となると、下手に自然環境に手を出せないとかで煮え切らない。花粉が出てくる前に手を打つ必要から、自力でやってしまおう、と断行した訳である。「今日はこんなところか」 機械を止め、崖下を覗き込む。「何か前より片付いた気がするが」 干潟の再生も一大テーマで、ここも前から気になっていた掃部公。大潮がさらっていったか、程度に考え、帰り支度を始める。乗り入れ許可を受けてあるバイクの後ろには大きめの木箱が括り付けてあって、草刈り機も収納可。草刈り機の取っ手のところに「巡回中」と書いた布(タオル?)を結わえ、出発。頼まれて巡回している訳ではない。ボランタリーに河川敷を廻り、監視・観察・感受しているのである。本人曰く「三カン」。これに環境の環、関心・関知・関係の関を加えて、「五カン」活動だそうな。

 五カンおじさんが去った後、程なく千歳が到着。「ありゃ、入れ違い...」 辺りにはイネらしきものを付けた長い草が根元から刈られて幾重にも横たわっている。「これはいったい?」 漂着物ではないが、スクープっぽいので、ひととおり撮影し、佇む。漂着ウキは、干潟のヨシの根元に絡まったようで、浮き沈みなく安住している。そんなウキのことはすっかり失念中の千歳君。まだ遠くには行っていないはず。謎の男性を探すか否か... 浮き足立っている。

 水位がいよいよ高くなってきた。ウキも目に届かない。「今日は荒川の水面と、このイネを載せるとするか」 干潟ゴミは見送り、いったん引き返すことにした。自転車の速度でも十分目に留まる薄赤紫の花々。タンポポに代わって、河川敷の斜面を満たすのはシロツメならぬアカツメクサである。「この花も載せますか」 紫がかっているが赤だが、桜色にも見える。誰かさんを思い浮かべる彼。心のブルーは乾いた薫風に乗って、空の青に溶けていった。


 「文花さん、このイネみたいの何ですか?」 最新の漂着モノログを見ながら、チーフに問うてみる櫻。「河川敷を覆うイネ科植物ってのが問題になってるのは聞いたことあるけど...」 地場や旬の野菜は得意分野だが、この手の外来植物は明るくない。「外来種ですかね? それなら駆除されても仕方ないんだろうけど、何か悪さしそうには見えないし」 呟く櫻を脇目に、文花はしっかりモノログの存在を確認。

 「これはどの辺りの話?」

 「対岸の駅に向かう橋から下流を見た辺りです」

 「地域環境問題ネタになるかもね。私も調べてみる」

 千歳の追加取材の甲斐あって、ちょっとした動きにつながった。「更新頻度は月二回ってことかな」 帰ったら激励(?)を兼ねて千歳に一筆書き送るとしよう。それにしても今日の空は青いなぁ、と彼女は窓の外を眺める。でも、本当に青? 「櫻さん、大変! 空ちょっと黄色くない?」 文花が興奮気味に呼びかける。「あぁ、眼鏡越しだとよくわからなくて。ただの青空じゃないなぁ、とは思ったけど」 五月の空は澄んでいて、風も爽やか。だが、この季節、黄砂には要注意である。

 「韓国じゃ、黄砂で休校になることもあるんですってね」

 「じゃ当センターも今日は休館?」

 「あのねぇ」

 「あ、いらっしゃいませ」

 時にセンターを訪れる客があると、接客は櫻が担当。公務員にしてはなかなかのセンスと文花は評価する。公的な施設は今、良かれ悪しかれ民の力を採り入れようとする風潮のさなか。お役所体質を露呈する訳にはいかない。本来の設置目的とは別に、そうでないところを示すための試金石としてこうした施設はあるとさえ言える。サービス品質が問われる、利用者・来訪者を顧客と捉えることが第一歩... 役所側は過敏に指針を出してくるが、そもそも指針がないと云々という辺りがまだまだ体質改善していない証か。彼女にとっては自明の理であって、接客マニュアルなども無用。カウンター業務は今やお手のものである。櫻はもともと尽くすタイプ(蒼葉談)だが、前職でそのあたりの大切さを自分なりに会得したことも大きいようだ。引っ込み思案タイプの文花にとっても、櫻の存在は頼もしい。

 「何かこの人見たことあるような...」 CSRレポート(直訳:企業の社会的責任報告書)の最新版を物色しに来た一人の男性。棚を案内した後、後姿を一瞥して気付いた。「でも、いつどこで?」 その男性が千歳に頼まれた用件でここに来たことは知る由もない櫻。こうした世界は広いようで案外狭かったりするのである。

 

【参考情報】 黄砂と五月晴れ

 

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