目次
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パンドラの書庫
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パンドラの書庫「暗黒神話」遠藤玄三
パンドラの書庫「金田一少年の事件簿」大友宗麟
パンドラの書庫「学校の怪談R」まつばらきのこ
パンドラの書庫「UFOと宇宙人のなぞ」イエス曖昧
パンドラの書庫「臓物大展覧会」留部このつき
トラウマカタログ さうじ
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アギギボゴゴギの研究 獣狩男
アギギボゴゴギの研究 獣狩男
アギギボゴゴギの研究 獣狩男
ほとばしる熱いロゴス 遠藤玄三
ほとばしる熱いロゴス
ほとばしる熱いロゴス 遠藤玄三
 
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ぼっち論 留部このつき
ぼっち論 留部このつき
ぼっち論 留部このつき
ゴキブリを食べた日 イエス曖昧
ゴキブリを食べた日
ちょっと前の本当の話 流山ジジ
ちょっと前の本当の話 流山ジジ
ちょっと前の本当の話――かよい婚 流山ジジ
ちょっと前の本当の話――トイレ 流山ジジ
『第三回 新脈文芸賞』 のご案内。
第三回新脈文芸賞のお知らせ
ライター募集
ライター募集
うみねこみすてり論争 犀川ヒフミ
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涼しいタイム涼介論 大友宗麟
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次号特集の記事募集
次号特集:『漫画』
第二回新脈文芸賞
第二回新脈文芸賞受賞作品発表
第二回新脈文芸賞選評 実葛氷柱
第二回新脈文芸賞選評 Jback
第二回新脈文芸賞選評 イエス曖昧
第二回新脈文芸賞選評 まつばらきのこ
第二回新脈文芸賞選評 田子新策
第二回新脈文芸賞選評 留部このつき
受賞作品「カフェオレのつくり方 多摩先生の推理」田子新語
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受賞作品「匈奴島、部活やめるってよ」雨座居姫
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受賞作品「土竜のいる地獄」遠藤玄三
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受賞作品「夏の終わりの雨宿り」留部このつき
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受賞作品「42億匹のうさぎと幼年期の終わり」戸森めめん
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受賞作品「信忠の首」大谷津竜介
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編集後記
編集後記
奥付
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ぼっち論 留部このつき

 「ぼっち」というのは辛いものです。「一人でいる」ということですから、当然です。ですが、本当に「ぼっち」は辛いものなのでしょうか。また、「ぼっち」だけが、辛いものなのでしょうか。少し、考えてみましょう。

 例えば、今ここに迷子になってしまった人がいるとしましょう。その人は地図を持たず、携帯の電源は切れ、知り合いもいなければ、そもそもこの場に人気はありません。今ここでこの文字を読んでいるあなたと、今ここでこの文章を書いている私は「神」だということです。では質問です。この迷子の人は「ぼっち」だと言えるでしょうか。当然、言えると思います。言えない人はきっとこういう状況にあったことがありません。迷子というのは不安を煽るのです。
 もう一人別の人を提示します。その人はマンションに一人暮らしをしています。疲れてヘロヘロの状態で帰ってきて、ドアを開けて、真っ暗な空間の中に虚しく「ただいま」と言ってみるも返事はない。当然です。独り暮らしなのですから。ペット禁止なので可愛い猫ちゃんがニャアニャアすり寄ってくることもなければ、ワンちゃんが「寂しかったのですよご主人様」って感じでつぶらな瞳を向けてくるわけでもありません。「あ、これで酷い風邪ひいたら孤独死するんじゃないかな」ってつい思ってしまって思わず涙がポロリ。不意にむせてしまってもう涙が止まらない。紛れもなくぼっちです。
 このように「孤独を感じる」というのはとてもつらいことです。これで土砂降りになったり地震が来たりしたらもう立ち直れないかもしれません。

  ですが、ここで大問題が浮上します。迷子の人は別に砂漠や山中で迷子になっているわけではありませんからそこら辺の民家に事情を伝えるという手段があります。人通りの多い道まで歩くという手段もあります。また、一人暮らしの人はネット環境が整っているでしょうから、SNSで承認欲求を満たそうと思えばいつでも満たせます。友人に電話するという方法もあります。彼らの抱く気持ちとは裏腹に「ぼっち」とは言い難いですね。この矛盾の答えは「視点」にあります。
  視点というのは複雑怪奇な代物です。見方を変えると今まで見えてこなかったものが見えます。実に奇妙です。たったそれだけで良いなんて、なんてお手軽でステキなんでしょうか。通販番組顔負けのお買い得品です。一応書いておきますと、完全な客観というものは存在しないと言えます。人間が考えている限り「人間の思考」という枠から抜け出せませんから。個人の思考というのはそれだけちっぽけなものなのです。自然は雄大だということです。そもそも、全ての人間が同じ現実をみているかどうか、というのは疑問の余地があります。心理学が一定の効果を上げていることや、「共感できる」という感覚から見れば、ある程度の信頼はできます。
  この「共感」が実におそろしい。共感は人の感覚を惑わします。「他者と完全に分かち合える」という錯覚を与えます。自分の中にしか存在しないはずなのに、共有していると思わせます。あくまでも世界は個々人の中でだけ存在しているのではないか、というとても大事かもしれない思いを、砕いてしまうものなのです。
 こんなことを言い出して何が言いたいかというと、ぼっちを感じない視点や、リア充でいられる視点を持ち続けていれば、それはリア充なんですね。また、俗世を捨てるというのも立派な「非ぼっち」です。現実の別の視点を見る術を身につければ「ぼっち」ではなくなるのです。
 リア充というのは人生において、ある意味最強です。何故なら今言ったような「視点」を全く考える必要がありません。現状で満ち足りているのですから。素敵なことですね。きっと幸せなんでしょう。僕は違うと思いますが。満ち足りていることは怠慢を招きます。経済が発展しなくとも、個人の心は常に成長し続けなければなりません。リア充は充実しているように思わせておいてその実、おおきなおおきな落とし穴があるのです。
  視点を考えなくても良いと言うことは裏を返せば無用な共感が必要ないということなのです。このことが恐ろしい。不可視かつ強力無比の、いわば「結界」を築き上げるのです。結界の効力は基本的に結界内の規則を違反した者に課せられますが、真価は結界の外は世間ではないという錯覚を与えることにあります。内輪ネタ、ナショナリズム、いじめなどはこの錯覚の表れでもあるのです。
 リア充を爆破したり、憧れたりする気持ちはとてもよく分かります。ただ、相応の辛さを、いかなる時でもいかなる場所でも課せられているのです。それが、人間なのです。ぼっちだから楽だとか、リア充だから楽だとか、そういうことはありません。

ゴキブリを食べた日


ちょっと前の本当の話 流山ジジ









                      ちょっと前の本当の話

                        

                    



                             流山ジジ


ちょっと前の本当の話――かよい婚 流山ジジ

 私は満で63、数えでは64才です。
 私の若い頃は江戸時代から続いたいくつかの結婚習慣がまだ残っていました。
 
1.月見の夜這い
 中学2年の夏休み(1963年)、
 友達と二人で伊豆七島の或村に2週間遊びに行った時の事です。
 友達のお祖母さんの家で、海岸まで3分の半農半漁の暮らしです。
 この時初めて、五右衛門風呂に入りました。
 この村には高校がなく、島の遊び仲間は中学生です。
 この村の月見の習慣。
 中学生3年生の男子が私にニヤニヤ、そして真面目に話してくれました。
 場所は女子の家の二階の物干し場や縁側です。
 ススキと上新粉で作ったまんじゅうが飾ってある。
 その前で中学生の女子が眠ったふりをしている。
 そこに順番で中学生男子が忍んで行く。
 何をされても眠ったふりをする。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「子供が出来たらどうするの」
 女子が好きな男を名指して「親はこの人です」
 これでキマリ。
 結婚、子供が産まれ、家は安泰です。

 2.押しかけ海女さん
 私が結婚した翌年(1972年)に三重県の漁村に行った時の事です。
 この辺の漁村では中学校を卒業すると海女さんになる方が多いそうです。
 村の若い駐在さんが2年前に赴任してきたそうです。
 その駐在さんはその時20才でした。
 その頃は高校卒業で警察官になる人が多かったそうです。
 赴任してから、毎日のように若い海女さんが何人か出入りしていたようです。
 そのうち、一人の海女さんが毎日晩御飯を運ぶようになりました。
 当然、子供が出来ました。
 結婚しました。
 その後、若い駐在さんは違う部署に赴任を命じられました。
 駐在さんは仕事をやめました。
 この辺の海女さんは東京のサラリーマンより年収は上です。
 問題はありません。
 海女さんの家は安泰です。

3.栃木県農村の夜這い
 私が結婚して2年後(1973年)、3才年下の修士課程の学生さんと知り合いになった。
 我が家に遊びに来た事もあります。
 栃木県独特な朴訥なしゃべりの持ち主です。
 その方は民俗学を専攻しています。
「どうして民俗学に興味をもったのですか」
  誠実そうな目を横に流しながら、恥ずかしそうに彼は答えました。
「父親と母親が結婚してから5ヵ月後に私が産まれました。」
 その理由を調べているうちに村の風俗習慣に興味を持ったそうです。
 今で言えば出来ちゃった結婚で、その辺に転がっている話でもあります。
  しかし、彼が多感な中学生時代に知ったこの現実には何となく嫌悪を感じたそうです。
 そのうち、彼の中学校では月が合わない同級生が何人もいるのに気付いたそうです。
 その理由は、夜這いだそうです。
 もちろん、今はもう夜這いの習慣はなくなっています。
 女の子が年頃になると、近所の男が夜這いに来ます。
 この女性はあらかじめ夜這いに来る男が誰か知っているそうです。
 家族ぐるみで認められているものだそうです。
 気に入らない男や知らない男に夜這いをかけられたら、女性が騒ぎ、事はなりません。
 子供が出来れば結婚、家は安泰です。
 子供が出来なければ夜這いに来る男が変わる事となります。

 上記3例は守るべき家、畑、あるいは漁場があります。
 現在、ほとんどの人はサラリーマンです。
 守るべきものは何もありません。
 家庭と言う人もいるかも知れません。
 家庭とは何何でしょう。
 相思相愛の恋愛結婚こそが全てと考えている人が多くなっています。
 もう一度「家」を考えるのも面白いかも。

ちょっと前の本当の話――トイレ 流山ジジ

 私の子供の頃には江戸時代から続いたいくつかの生活習慣がまだ残っていました。

  私が小学5年生の時(1960年)に栃木県の農家に冬休み1週間遊びに行きました。
 叔母さんの実家です。
 家族全員が囲炉裏の周りに座って食事をします。
 囲炉裏のすぐ側に土間があり、竈(かまど)がありました。
 凍った畑から落花生を掘り出して灰の中で焼いてくれました。
 ソバも打ってくれました。
 その頃はまだ、テレビが日本全体には普及しておりません。
  テレビや車の音が聞こえない、静かで凍るような夜です。
 囲炉裏を囲んでの食事は、和らいだ気持ちになります。
 薪の燃える明かりとその火に浮かんだ顔とおしゃべりが全てです。
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・。
 母屋の側に馬屋と厠がありました。
 もちろん、ボットン(くみ取り式)便所です。
 そして、便器のすぐ横に割り箸位の太さのヒモ(1メートル前後)が張ってあります。
 良く見ると乾燥した便がところどころに付着しております。
 この家の方々は用便後、このヒモに跨りお尻を拭くのです。
 私はそのような技術がないので、新聞紙をもんでお尻を拭きました。
  その時、紙は捨てずに横に置きなさいと、教わりました。
 今でも、時々あのヒモに跨ってお尻を拭いていたらなと思っています。
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
  ところで、ボットン便所と肥溜(コエダメ)の相関関係をご存じでしょうか。
 私が小学4年生の時(1959年)遠足で東京都の狛江に行きました。
 現在、狛江は住宅地でありますが、その頃は水田地帯です。
 多摩川の流れと青い稲しか覚えていないのです。
 しかし、鼻がもう一つの事を覚えていました。
 とにかく臭うのです。
 鼻をつまんでもどうにもならないニオイです。
 我々小学生はこのニオイを「田舎の香水」と呼んでいました。
 ニオイにも2種類あり、生の肥(コエ)はとにかく臭いです。
 しかし、熟成した肥では甘たるいニオイに変わります。
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
 糞尿が溜まったら、それを掻い出して肥溜にいれます。
 水田や畑の端に埋められた大きな壺が肥溜です。
 この中に雨やゴミが入らないように板やムシロで被われています。
 半年、1年と経過するごとに、大腸菌も死に肥料として熟成します。
 お百姓さんはこの肥に指を突っ込んでなめ、熟成度を確かめるそうです。
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
 厠に紙を捨ててはいけません。
 紙などの不純物を神聖な肥に混ぜてはいけないのです。
 ・・・・・・・・・・・・・・。
 私が大学生の頃(1971年頃)、
 トンボやカブトムシなどの昆虫を捕まえて研究している友達が何人かいました。
 趣味レベルの方が多かったですが、良い趣味だと思います。
 その中の二人が昆虫採集に夢中になり、一人は腰、他は首までこの肥溜にはまりました。
 洗ってもニオイは取れません。
 そのままでは電車にも乗れません。
 どのように下宿に帰ったのか不思議でなりません。
 とにかく、私の大学時代まで肥溜はあったのです。
 それも東京や埼玉県で。
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
 御飯や野菜を食べて出てきた用便が、稲や野菜の肥料となるのです。
 そして、その肥料できた米や野菜を人が食べるのです。
 そして、また用便―。
 そして、また肥料と―。
 世界でも類を見ない用便の利用、この素晴らしい循環系。
 環境に優しい肥溜習慣を何故日本人は無くしたのでしょうか。

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