目次
1章 現代に巣くう忍たち
1 東大生、藤林悠輔
2 警視庁幹部、相馬泰
3 侵入者
2章 休日の忍たち
1 そして、平凡な一日が始まる
2 女子大生、進藤早紀
3 渋谷の通り魔
3章 足跡を残した忍たち
1 事件現場
2 警察官、上月静夜
3 容疑者、田上明央
4章 取調室の忍たち
1 テレビ記者、叶陽一郎
2 激突-伊賀と甲賀
3 静夜の罠
4 追跡者たち
5章 オモテの忍たち
1 お笑い芸人、風間英太
2 メイド、仁科ともえ
3 JAあおもり職員、応野邦彦
6章 ウラの忍たち
1 風魔の英太
2 戸隠のともえ
3 応変の邦彦
7章 アキバの忍たち
1 ともえと悠輔
2 帰り道
8章 学園祭の忍たち
1 東都大学若葉祭
2 舞台袖
3 トーキョーハンター
4 同業者
5 最強
9章 嵐の前の忍たち
1 ともえと早紀
2 ツイてるともえ
3 ツイてない悠輔
4 邪魔者
5 嵐が来る
10章 相見える忍たち
1 知らなくていい真実
2 悪い夢
3 百地悠輔という男
4 集いし5つの流派
5 赤い瞳の一族
6 ともえの提案
7 激突する赤と青
8 別れなさい
11章 動き出す忍たち
1 六本木のオフィス
2 戸隠の女王
3 忍者王
4 アキバのアイドル劇場
5 同盟
12章 恋煩いの忍たち
1 恋人は忍者
2 最後のデート
3 守ってみせる
13章 集結する忍たち
1 警視庁のメッセンジャー
2 集結した忍たち
3 悠輔の企み

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1 東大生、藤林悠輔

わが国最高峰の名門東都大学にこの日最後のチャイムが鳴り響く

 

六限目の授業が終わると窓の外は闇の中。

 

日は長くなったといってもこの時間になると真っ暗になるのは仕方がない

 

 藤林(ふじばやし)(ゆう)(すけ)は窓の外を見た後、大きなため息をつきGショックで時刻を確認した。

 

 時刻は午後八時半。いつもの木曜の帰宅時間。

 

悠輔の木曜日はどういうわけか単位取得に関わる授業が畳み込むように入ってしまい、さらにこの時間に授業があるため開放されるのがとにかく夜遅くなってしまう。

 

嫌だなあ──

 

悠輔はそのことがとても憂鬱で思わず顔をしかめた。

 

そこらへんに居る普通の学生はなんとも思わないだろう。

 

これから家に直行するなりバイトするなり合コンするなり思い思いの時間がすごせるのだから。

 

でも、自分は違う。そんな自由があるのならわけて欲しいほどなのに──

 

「よお、藤林。おっつー」

 

そんな悠輔に声を掛けてきたのはひょろりと茶髪で背の高い同級生の石野(いしの)(まこと)であった

 

だか、その問いに悠輔は不機嫌そうに黙ったまま机に出してある教科書やルーズリーフを片付け始めた。

 

「おいおい、シカトかよー。まあいつものお前らしいっちゃお前らしいけど」

 

「用件があるなら早くしてくれる?」

 

「……ホントお前って愛想ないな~。まあいいや」

 

 そんな悠輔を見て石野は骨っぽい顔に苦笑いを浮かべ言葉を続けた

 

「今日さあ~、合コン入ってるんだ。」

 

「断る」                        

 

「おいおい。内容聞かなくていいのかよー。相手は美人ぞろいの日立川女子大っていうのに……」

 

「今日、僕は忙しいんだ」

 

「嘘つけ。ホントはこの前の合コンでゲットした彼女に示しがつかないからだろ」

 

「………」

 

 ──本当に能天気な奴だ。

 

 そんな彼を見て悠輔はもう一度かれをじろりと睨んだ。

 

 軟派者で不真面目そうに見える石野だが、こう見えても名門私立紅明高校出身で将来の夢は外務官僚とか言っている絵に描いたように典型的な東大生だ

 

 だが、悠輔はそんな同級生たちの見た目と野望のギャップを見るたびに心の中で生まれる苛つきをどうしても隠すことが出来なかった。

 

「でも、いいよなあ~。初めて合コンに行ったお前が合コンのプロである俺よりも早く女をゲットできるなんて……世の中って本当に理不尽にできてるよなあ」

 

 その一言が悠輔の中に決定的な亀裂を生んだ。

 

悠輔はドンと机をたたくようにして席から立ち上がると、黒縁の眼鏡をぎらりと光らせて石野を睨み付け一言言った。

 

「どいてくれる?

 

 その一言だけでおしゃべりの石野はぴたっと黙り込んだ。

 

 いつも決して愛想のいい相手ではない藤林悠輔ではあるが、今の彼の眼鏡の奥の瞳は怒っているとかという次元を超えて恐ろしく冷たく不気味に光ったのだ。

 

 それを見た以上、石野は息を呑んで黙って道を譲るしか出来なかった。

 

 悠輔はそれを見て、悠輔は挨拶もせずに急いでリュックを背負い講義室を出た。

 

 ──少しやりすぎたかもしれない。

 

 会談を駆け下りながら先ほどの石野の表情を思い出して悠輔は少し反省の色を見せた。

 

 だがその反省は軽蔑している軟派者の石野に対してではなく、同級生にほんの少し本当の自分の顔を見せてしまった自分自身への反省だった。

 

 それを隠すかのように悠輔は平然とした顔をして第四講堂から出てきた。

 

 外はどっぷりと日が暮れ、小さな街灯が古臭い第一講堂をぼんやりと照らしていた。

 

 日本最高峰の学校として燦然と輝かしい歴史のある東都大学──

 

 藤林悠輔は出身地である三重県内のさほど有名でもない進学校から現役合格を果たした十九歳の二期生だった。

 

 見た目は暗い茶色に染めた髪に黒縁の眼鏡、背はさほど高いわけでもないが雰囲気はどこか大人びているように写るかもしれない。

 

 二期生だから大学にはまあ慣れた方。単位はギリギリの状態だけどとりあえず留年しない程度にがんばっている。

 

 だけど悠輔はそれほど大学生活に固執しているわけではなかった。

 

ほかの同級生が口走る総理大臣や事務次官とか言う大きな野望なども自分にはあまり存在しない

 

 ──否、彼はそんな野望を持つことを極端に避けてきた。

 

理由はただ一つ。それが彼の家の問題であった。

 

 藤林家は地元である伊賀上野ではかなりの名家であり、家長である悠輔の父親は地元選出の県議会議員もする地元の名士中の名士という存在だ。

 

 自分の家がただの地元の名士であるだけならまだ事は複雑ではない。

 

 自分の家は普通じゃない。そして自分自身も普通ではない──そのことは悠輔が生まれたときにはもう頭の中にすり込まれていた

 

 結論から言えば悠輔は忍者であった

 

 今の時代に忍者? 冗談を言うものではない──と言われそうだが、実際に今──この時代に忍者をしている者たちが本当に影で存在している。

 

 それを裏で取り仕切っている悠輔が育った藤林家──否、伊賀藤林流であった。

 

 そして、悠輔は一介のエリート大学生である前に、伊賀藤林流の奥義継承者である次期家元として現代の伊賀忍者を率いる若きリーダーであり、それこそが自分の本来あるべき姿だと思っていた。

 

 でも、だとしたら僕は何故東都大学を目指したのだろう?

 

 それを考えると小一時間理由を考えるのに苦慮してしまう。たいした夢も野望も抱かず自分試しに入った学校なのだから。

 

 ただ、今言えるのは軟派者の癖に野望だけはでかい同級生たちと自分は明らかに立場が違うということ。

 

 それ故に悠輔はアフターを好き好きに過ごしている同級生たちが恨めしく羨ましく思えた。

 

 僕は君たちとは違う。僕にはやるべき任務があるんだ──

 

 帰宅を急ぐ学生たちを横目に悠輔はすっと前を向いた。

 

日本一有名な校門といわれる東都大学の赤門前には一台の黒い車が止まっていた

 

それは決して目立つような外車ではなく、ごく普通のブルーバードシルフィであったが校門前で帰りを急ぐ学生たちはその様子に思わずはっとさせられた。

 

それは悠輔が知らず知らず放つ気高い空気に一瞬だけ気づいたのだろうか。

 

だが、悠輔は彼らを気にするそぶりも見せなかった。

 

どうせあと十分もたったら僕のことなど当に忘れてしまうだろう。目の前には輝くほどの娯楽が彼らを待っているのだから──

 

迎えの車に乗り込んだその瞬間、悠輔は昼間見せている平凡な学生の顔を一気に脱ぎ捨てる。

 

この車に乗り込んだそのときには自分はもう別の顔──東京においての伊賀忍者を統べる若き頭目の顔に変わる。

 

悠輔は眼鏡の奥に潜む威圧的な鋭い瞳で若い男の運転手に合図を送る

 

それと同時に無言のまま車はゆっくりと校門を離れていった。

 

「お疲れ様です──家元」

 

運転手の男は悠輔よりも一回り近く年が離れているのにかかわらず丁寧な言葉で彼に話しかけた。

 

その一言を聞いて悠輔は後部座席にゆっくりもたれながらむっとした様子頭をかいた

 

「やれやれ……木曜日にこんな約束とはね」

 

「そんなこと言わないでくださいよ。家元」

 

「だってさ、横目で同級生どもがこの後遊ぶだの何だの聞かされてみてよ。こっちだって気持ち抑えられないじゃんか!」

 

「それはまあ……そうですが」

 

「僕だって伊賀藤林流の家元である前に一介の大学生なんだよ。もっと自由な時間が欲しい」

 

 後部座席でぶつぶつと文句を言う悠輔の顔は一瞬だけ天才忍者から我が侭な学生の顔に戻っていた。

 

 それを見て運転手の男は苦笑を浮かべた

 

「家元、忘れないでくださいよ。あなたは大学生である前に我々伊賀東京部隊を束ねるべき首領なのですよ。もっと自覚をもってください」

 

「──少し口が過ぎるんじゃないか? 望月(もちづき)

 

悠輔は一言そう言い放つと、口元にひやりと冷たい笑みを浮かべた。

 

バックミラー越しに悠輔のその笑顔と鋭い瞳を見たその瞬間、望月と呼ばれたその忍者はそれ以上何も言うことができなくなった

 

「僕は別に他の奴らみたいに好き勝手に遊びたいなんて思ってないよ。気持ちが抑えられないって言うのは奴らに対して苛々しているだけ。それだけさ?」

 

 運転手の望月にそういわれたのが相当心外だったのだろうか──悠輔はさらに不機嫌そうになりながら一息にそういって見せた。

 

「申し訳ありません。そういう意味でしたか……」

 

「でも、まあ君たちの言い分もわからないわけじゃないよ」

 

 そう言うと悠輔は深いため息をついて足組みした。

 

「東都大に入学する際も父さんにしつこく言われたからね。学業よりも忍者家業を優先しなさいって。ま、おかげで単位はいつもギリギリでこんな時間まで授業出る羽目になってるけどね」

 

「はあ……」

 

「でも、僕ってすごいと思わない?」

 

 そう言うと悠輔は目を輝かせながら身を乗り出した

 

「伊賀──否、忍者の長い歴史を見てこれほどまでに忍術と学業を両立したのって僕だけじゃない? 東都大出身の忍者なんて後先考えても僕しかいないかも!」

 

「そうですね……」

 

「まあ、父さんに言われた東京に進学する条件が伊賀東京部隊の指揮なんだから、学業が忙しいなんて文句にもならないね。それに、僕はこう見えても今の状況を楽しんでいるんだから」

 

「はあ……」

 

 自信満々にそう言い放つ悠輔の表情を見て望月はそれ以上何も言うことができなかった。

 

 彼の表情には自分より年若き青年に対して深い畏怖の念があるようにさえも見えた。

 

「ところで、今日僕に会いたいって人は誰なんだい?」

 

「は……」

 

 そう言うと望月は前を見たまま落ち着いた口調で説明し始めた。

 

「その資料にも書いてあると思いますが……今日あなたにオファーを出したのは警視庁情報管理室の相馬(そうま)(やすし)警部おそらくですが──」

 

「警察が僕の──否、伊賀の力を求めてるってことか……」

 

 悠輔はそう言うと深いため息をついて後部座席に深く座りなおし、手前の座席ポケットに入っていた資料にざっと目を通した。

 

 警視庁の相馬泰警部か──その名をつぶやきながら悠輔は資料に添付されていた顔写真を見た。

 

 歳は38歳、それにしては髪は灰色っぽく顔もやせこけていて悠輔の目には記載されてる歳の割りに老けて見えた。

 

「しかし38歳の警察幹部か……向こうも僕たちのこと少しは勉強してきてるのかな?」

 

「さあ……それは」

 

「どうも信じられないところがあるんだよね。こう言う関係の依頼って……警察が僕たちに協力を仰ぐのなんて今更って感じがあるし、裏でどこかと両天秤かけてんじゃないかなって思っちゃう」

 

「………」

 

 その問いに望月はそれ以上何も答えず黙ったまま車を進めた。

 

 悠輔を乗せた車はどんどん都心へと向かっていく。

 

窓からは様々な街の光が絵の具のように混ざり合って窓から車内を煌々と照らした。

 

悠輔はその光に照らされた資料をじっと睨みつけそのまま恐ろしいくらい押し黙った。

 

その顔にはもはや今時の大学生の顔などひとかけらもない。鋭い眼光と静かな殺気をまとった彼は完璧に伊賀忍者を統べるべき若きリーダーの顔になっていた。

 

その時だった。しんと静まり返った車内に携帯の着信音がけたたましく響いた。

 

悠輔は表情を崩すことなくゆっくりと携帯電話を取り出しディスプレイを見た。

 

(かのう)陽一郎(よういちろう)──悠輔にとって従兄であり彼が最も信頼する参謀であった。

 

「よう、悠輔。学校終わったか?」

 

着信すると電話の向こうの声は思いのほか明るい声で悠輔に話しかけた

 

「今そっちに向かってるところ」

 

 悠輔は陽一郎のその声に笑いもせずに冷たく答えた。

 

「で……何かわかったの?」

 

「まあな、お前の言われたとおり時間が許せる限り今日の件を調べたぜ──まったくお前って人使い悪いよな。おかげでこっちは時間ギリギリで──」

 

「いいから、情報だけ教えてくれない」

 

「……わかったよ」

 

 呆れたような声で一言そうつぶやいた陽一郎は一息置いて今まで調べた限りの情報を悠輔に教えた。

 

 それを悠輔は黙ったまま聞き取った。その表情はやはり先ほどとさほど変わらない。

 むしろ先ほどより険しさと近寄りがたさが強くなったような──そんな感じが受け取れた。

 

「わかった……」

 

 悠輔はじっと目を閉じると一言そう言った。

 

「僕がそっちにいくのはあと十五分ほどだ。そういうことだから、後は任せたよ」


2 警視庁幹部、相馬泰

今まで忍者など過去の遺物、または漫画やゲームの中での空想物と思っていた─

 都心の一等地にある『ハリーアットホテル東京』の一室でソファに座り込み、ある人物を待っていた警視庁情報管理室の相馬はしかめっ面でそう思った。

 

 最初は悪い冗談かとも思った。

 

 直属の上司である阿部(あべ)雅弘(まさひろ)今日の夜とある人物と秘密裏にあってきてほしいといわれたが、その人物がなんと十九歳の東大生

 

 まさか、こんな時期に東大生の就活につき合わされるのか言うのかと思って反論しようとしたら阿部の口から信じられない言葉が飛び出したのだ。

 

「彼は忍者だから手ごわい相手だぞ。こちらの真意を感づかれないように心がけてくれ」

 

 忍者──! その言葉を相馬は何度も口にし阿部に確認した。

 

 何かの間違いであって欲しい。

 

今の時代に忍者だなんて──フィクションの上だけの話にしてほしい。

 

 だが、阿部の口から出てきたのは現代の忍者たちと警察組織の強い秘密のつながりであった。

 

 阿部が言うにはこうだ。

 

「私も最初は驚いた。実際の忍者なんて時代とともに消え去った存在だとつい最近まで思っていたよ。しかしだな、相馬君。本当の忍者は消え去ってしまったわけじゃない。様々に変わる時代の色に合わせて彼らも変容してきたのだよ」

 

 ──じゃあ、何でそんな忍者が警察組織に関わってくるんですか?

 

「早く言えば彼らと我々の利害関係が一致した結果だよ。信じられないかもしれないが彼らの情報伝達能力に機動力さらには戦闘能力すべて我々の想像を超える高さを誇っている。我々はそんな彼らを情報力を少し利用しているだけ。そして彼らも現代を生き抜くために我々を利用しているのだよ」

 

 ──と言われても、そんな現実離れした話など若い相馬には到底信じられない話であった。

 

 半信半疑のまま相馬は警察と忍者との深いつながりを知り、機密事項である今回伊賀の若き頭目に会う理由をすべて教えられた。

 

 阿部はその秘密を伊賀の若き頭目に絶対に悟られないようにしろと何度も釘を刺された。

 

 しかし、相手は自分より二周りも年の離れた大学生だ。

 

いくら東都大学のエリート学生だとは言え警察官で情報管理の仕事をしている自分より優ることなどないと思ったのだ

 

彼に謙ることなどない。自分の方が絶対に立場が上に決まってる

 

そう息巻いて彼との待合場所である『ハリーアットホテル東京』の一室についたが、交渉相手の東大生忍者はまだ着てはいなかった

 

その代わり部屋に待ち構えていたのは無精髭をはやしたひょろりと背の高い男と反対に身なりの整った体型のいい男。どちらも三十前後の齢だった。

 

こいつらもやはり忍者なのだろうか──相馬は瞬時にそんな疑念を覚え二人を不審の目で見たが二人はあまりにもあっさりと自分の身分を明かした。

 

無精髭を生やした背の高い男の名は叶陽一郎と名乗った。日の丸テレビの報道記者をしていると言う。やたら陽気で明るいのが目に付き、緊張していた相馬に対し何回か冗談を飛ばして見せた。

 

そして、もう一人の身なりの整った男の方は青葉(あおば)宗司(そうじ)。驚くことに相馬と同業者──警察庁の人間だと名乗った。だが口数が少なく物静かな性格なのかそれ以上のことは彼の口から聞き出すことが出来なかった。

 

彼らは表こそマスコミ関係や警察などそれなりの地位のある機関に所属している。だがその裏の意味を考えると相馬はなんとも重たい気分を味わわざるをえなかった。

 

警察もマスコミも日本の根幹を作っている重要な機関。もし彼らが仮に忍者だとしたら表の顔と裏の顔を使い分け彼らの意向でこれらの機関が動かしているでも言うのだろうか?

 

──まさかな。

 

阿部に打ち明けられた警察の秘密と二人の男たちの見えない本性を考えた挙句それを何とか否定しようとした。

 

冗談じゃない。過去の遺物みたいな忍者に今の日本を牛耳られているなんてあってたまるか。

 

俺は絶対に信じない。今の時代に忍者なんていることなんて絶対に──信じられない!

 

「おい。まだ君たちのボスは来てないのか!?

 

 急いで理論武装した相馬は少しだけ強気な口調で二人の男に噛み付いた。

 

「すいませんね」

 

 それを言ったのは社交的な性格の叶陽一郎の方だった。

 

「彼、こう見えても多忙な学生でしてね……確か今日はびっしり授業がつまっているとか」

 

「まったく……たかが大学生風情にここまで待たされるなんて心外だな。君たちは悔しくないのかね?自分たちより若い人間がトップだって事を──」

 

 相馬のその一言に陽一郎と宗司は思わず顔を見合わせた。その口元はどこか苦笑いが浮かんでいた

 

「あなたはまだわかっていないようですね」

 

 陽一郎は少し呆れたような顔を浮かべ言った。

 

「家元は確かに年齢は若く年功序列の組織を生きている相馬さんには彼が若輩者にしかみえないかもしれませんね。でもあなたは彼の恐ろしさをまだ知らない。彼が『あの名』を継いだ時点で我々伊賀藤林流の門下の者は彼に絶対服従するのです」

 

「……はあ?」

 

 陽一郎の答えは相馬にはまるでちんぷんかんぷんの異国の呪文のように思えた。

 

 『家元』だの『あの名』だの──まるで謎の単語が相馬の頭をさらに混乱させた。その答えを考えているだけで相馬はだんだん自分の頭に血が上るのを覚えた。

 

 だが、そんな相馬の様子を他所に目の前の陽一郎と宗司はもう一度顔を見合わせた。

 

 そして客人の相馬にまったく悟られることない秘密の会話術『心読』で話し始めた。

 

(どうやら今日のお客さんは本当の素人さんかもしれねえな)

 

(警視庁も我々を舐めているようですね。こんな話のわからない相手を差し出すなんて)

 

(まあ向こうも二股かけてるんだから仕方ないだろ)

 

(それを家元には報告を──?)

 

(一応は入れておいた。悠輔もこの話がアブナイってことは気づいていたらしい)

 

(なるほどね……家元らしいですね)

 

(まあこの分からず屋の警察さんは悠輔が脅せば何とかなるだろう。後の問題は──警視庁が二股かけてるもう一方の相手がどう出るかってことかな?)

 

(甲賀ですか──)

 

「──おい!」

 

 どっかりとソファーに座っていた相馬はむっとした表情で二人の間に割ってきた。

 

「本当にいつまで待たせるんだ! まったく……大学生風情に舐められたもんだ!」

 

「誰が大学生風情って言ったの?」

 

 しんと静まり返った一室にその声が凛と響きわたる。

 

 そこにいたすべての人々がその声にはっとして入り口に視線を集中された。

 

 そこにいたのは黒い眼鏡をかけたいかにも頭のよさそうな二十歳前後の若者が立っていた。

 

「彼が──?」

 

 相馬はその姿に驚き思わず息を大きく呑んだ。

 

 その姿は彼が想像していたような、就活学生のようなスーツを着せられた若輩者の姿とは明らかに違う。

 

真っ黒なスーツ姿は様になっており、雰囲気は確かに若くはあるがそれを補うかのように彼の表情は落ち着き払っている。否、あまりにも落ち着きすぎて逆に近寄りがたささえ感じたのだ。

 

「お待たせいたしましたね。相馬泰さん」

 

 彼は相馬を待たせたことを一言謝りはしたが、物怖じすることなく堂々とした足取りで近づいてくる。

 

その時、先に部屋にいた叶陽一郎と青葉宗司は彼が来たのを見てすっと足を一歩引いて彼の後ろについた。

 

なるほど、家を継いだものにはどんなに若くても絶対服従か──彼らの行動を見て相馬は背筋を伸ばし気持ち負けしないよう彼らを威嚇した。

 

「ああ、ずいぶん待たされたよ。あと五分もしてたら帰っていたところだった」

 

「……そうですか」

 

 相馬の威嚇の言葉にも彼は平然とした表情を崩すことはなかった。

 

 その態度は年長のはずの相馬よりずっと堂々としているように思えて、相馬はさらに頭に血が上った。

 

「──で、君が例の『家元』か?」

 

「ええ、そうですよ」

 

 そう言うと彼はニコッと始めて表情を解した。

 

「僕が伊賀藤林流次期家元の藤林悠輔です。まだ家を継いだわけじゃないんだけど、実質的にはここ東京の部隊を指揮してるのは僕だからみんな僕のことを『家元』って呼ぶんですよ」

 

 あどけない笑顔を浮かべそう説明する藤林悠輔は一瞬だけだが今時の若者の顔を見せた。

 

 この若者が『家元』──その言葉を聞くと何か茶道や踊りなどの芸事の家元制度を連想させてしまう。

 

 彼らにとって忍者の忍術もいわゆる芸事なのだから『家元』だっているという理屈なのだろうが、まったく係わり合いのない相馬にとってはそのことが疑問だしおかしくも思えた。

 

「──それで、今回警察が僕たちに依頼したいことって何でしょう」

 

 藤林悠輔は口元に浮かべた笑みをやめじっと相馬の顔を見た

 

 その瞬間、相馬は彼の眼鏡の奥の瞳に鋭く心臓を射抜かれたような気分になり、思わず顔を引きつらせそうになったが何とか悟られないようにすばやく繕った。

 

「今日は……なんだ、その……君たちの組織の情報力を見込んで提携の話をしようと思ってね」

 

「へえ……」

 

「僕もイマイチ君たちの組織っていうのがわかんないんだけどね……上司が言うには君たちは表ざたにはなってはいないけどすばらしい智恵と能力を持っているらしいじゃないか。そんな君たちと我々警察が組まないわけにはいかないだろう」

 

 そう言うと相馬は取り繕ったかのような笑顔を藤林悠輔に見せた。

 

 だがそんな彼を藤林悠輔は冷めた目でじっと見つめると深いため息をついて一言言った

 

「その言葉は本心ですか?」

 

「──は?」

 

「だから、僕たちと組みたいって言うのはあなたにとって本音ですか建前ですか?」

 

 藤林悠輔のその言葉に相馬は頭に血がカッと上っていくのを覚えた。

 

 彼のあまりにも上から目線な態度に相馬は強烈な怒りを覚え膝の上で握ったこぶしをわなわな振るわせた。

 

 だがそれを見過ごすことなく藤林悠輔は呆れたような顔を浮かべ言った。

 

「僕は本当のことを知りたいだけですよ」

 

 そう言うと悠輔は物怖じすることなく怒り心頭の相馬を見た。

 

「話を聞いている限り、あなたは僕たちのことを信頼しているようには思えない。むしろ上の命令だからしぶしぶやってきたという感じがしてなりませんね」

 

「それは……」

 

「警察が何を恐れるんですか?」

 

 目の前の若者に一言言われたその言葉に相馬ははっと顔を上げた。

 

「僕たちはあなたに何を言われようとも気にはしませんよ。ただ僕はあなたの本音を知りたいだけです」

 

 その言葉を聞いて相馬は一瞬戸惑いの顔を見せた

 

 だがこの『家元』と呼ばれる若者にこうもかくにも言われるともはや黙っているわけにはいかなかった。

 

「ああ、あんたたちのことは信じられない。信じてたまるかって思うよ!」

 

 そう言うと相馬はキッと怒気のこもった視線を藤林悠輔に向けた。

 

「こんな平和で豊かな時代、何故我々警察が前世紀の遺物のような忍者と提携しなければならないんだ? まったく……ちゃんちゃらおかしいよ! あんたたちがどんな優れた能力を持っているのかは知らないが、えらそうな顔される筋合いなんてまるでない。どこの馬の骨だかわからないあんたたちを──信頼なんかできるか!」

 

 相馬の渾身の罵声はしんと静まり返った室内にむなしく響いた。

 

 あまりの勢いで罵ってしまったためか相馬は席を立ったままハアハアと息を切らした。

 

 だが、ちらっと確認した藤林悠輔の顔はまるで先ほどの罵声などなかったものかのように平然とこちらを見ていた。

 

「言いたいことはそれだけですか?」

 

 そう言うと藤林悠輔は口元に笑みを浮かべ優しげな言葉をかけた

 

「あなたの言いたいことはよくわかりました。大体最初はみんなそういう反応だよね。まさか現代に本当に忍者がいるなんて信じられないのが当たり前だよね」

 

「そう……そうだろう!」

 

 予想外の彼の態度に相馬は安心したように彼の会話に乗った。

 

「今でも思うんだよね、今日の仕事が悪い夢で終わって欲しいって……だってあんたたちが本当はこの国の行く末を裏ではたいているなんて正直悪い冗談で終わらせて欲しい──」

 

「それが冗談じゃないんだよ」

 

 その言葉を放った藤林悠輔の顔を見て相馬は先ほど抱いた安心を打ち砕かれた。

 

 先ほどの柔和だった瞳はその言葉を言ったとたん激しい鋭さを見せたのだ。

 

「昔でも今でも知らなくてもいいことなんてそこら中たくさんある。あなただってこんな仕事していなければ僕たちのことなど知らなくてもよかったかもしれないのに……残念だったね。真実を知ってしまって」

 

 その言葉を聞いて相馬は思わずきょとんとしてしまった。

 

 真実──そう、それは前世紀の遺物だと思っていた忍者が現代にしぶとく生きているということ。そして彼らがこの国の根本に関わっているということ。

 

 ああ、やっぱり自分が懸念したことは本当だったんだ──そう思った瞬間、相馬は急激に身体の力が抜けていくのを感じた。

 

 へたりと座っていた椅子に腰掛けると目の前にはいつしか勝てない強敵と化していた大学生の若き家元が表情一つ変えずに座っていた。

 

「一つ聞いていいかな?」

 

 その一言に相馬はもう答える元気もなかった。

 

 それを見て藤林悠輔は初めて身を乗り出して気力を失った相馬に聞いたのだ。

 

「あなたは僕たちに会う前に警察と忍者との関係を一通り聞いたはずだと思うけど……」

 

「ああ、聞いたけどそんなの信じられる──」

 

「だとしたらあなたの上司から僕たち以外の忍者の存在も聞いているはずだね」

 

「──え?」

 

 藤林悠輔のその一言を聞いて相馬はやっと我に返った。

 

彼ら以外の忍者の存在──それは上司の阿部雅弘が明かした警視庁のもう一つの提携者の名前だった。

 

阿部曰く、今日会う伊賀よりもいち早く警視庁の協力を取り付けた勢力が存在し、その勢力は伊賀と長年の対立関係にあると言う。

 

警察といち早く提携し伊賀と対立する者の名前──その名は甲賀

 

信じられないことに時代劇や小説とまったく同じ軸で二つの忍者勢力は現代でも対立していると言うのだ

 

──つまり、我々はその対立する二つの勢力といわゆる二股をかけるってことですか?

 

相馬のその問いに阿部は笑いながら答えた。

 

『向こうは不快に思うかもしれんがこちらは選ぶ権利があるんだよ。どちらが優れている流派なのか──それを見極めてから決めてもいいだろう』

 

「相馬さん、聞いてます?」

 

 藤林悠輔のその言葉に相馬は再び我に返った。

 

目の前の彼はいつになく険しい表情でじっと相馬を見ていた──否、不快そうな目で睨んでいた。

 

「素直に答えてくださいよ。あなたは重大なことを隠しているってことはこちらはわかっているのですから」

 

「──なんのことだか。わからないな」

 

 そう言うと相馬はとぼけたように笑ったが、藤林悠輔は表情一つ変えなかった。

 

「率直に聞くよ」

 

 その瞬間、藤林悠輔はつけていた相馬を睨み付けて一言言った。

 

「警視庁は僕たち伊賀と先客の提携先の甲賀──両天秤にかけようとしているのかい?」

 

 相馬はそんな彼を見て思わず息を呑んだ。

 

 その時の彼の瞳は先ほどより色が違っていた。すべての心を見透かすような澄んだ瞳から怒りに燃えたような真紅の瞳に変わっていた。

 

 その瞬間、相馬は初めて目の前のこの若者が怖いと全身全霊で感じたのだった。

 

「あなたたち警視庁の考えは伊賀と甲賀どちらが優れているか図りかねているんだろうね。出来ることなら一番優れている流派にすべてを預けたい──本当の本音はそんなところだろう」

 

「そんなこと……俺が知るか!」

 

「もちろんあなたには聞いていない。僕たちの存在をつい最近知ったあなたに聞いても納得する答えは返ってこないだろうから」

 

 そう言うと藤林悠輔は呆れたように一息吐いた。

 

そんな彼の態度に文句は言いたいのだがだが、もはや相馬に反論する力など残ってはいなかった。

 

「まあ、どちらにしろ今日はあなたみたいな何も知らない素人が交渉相手でよかったですよ。警視庁の真意もわかりましたし、こちらが有利に話がすすめられたし──」

 

 そう言うと藤林悠輔はすっと椅子から立ち上がった。

 

「でも、甲賀と比較されるのであれば僕たちも逃げるわけにはいかないね。この話とりあえず保留させていだだくよ──」

 

 彼がそう言った次の瞬間だった。

 

 バリーン!! 

 

相馬のすぐ後ろにそびえていた東京の摩天楼を移していた窓が大きな音を響かせて一瞬で粉々に砕け散った

 

その様子を相馬は心臓が止まるかと思うくらい驚きを隠すことが出来なかった

 

 まるで車が衝突したような衝撃だったが、ここは三十階のホテルの高層階。

 

 そんなところに一枚ガラスが割れるほどの衝撃など──ありえない話だった。

 

「何なんだ──!」

 

 相馬は思わず身体をのけぞらせるように割れた窓を見た

 

 きらきらと輝きながら零れ落ちるガラスにはたはたと吹き込んだ風になびくカーテン。

 

驚くべきことにその向こうに一人の人影がしゃがみこんでいた。

 

「……これはずいぶん派手なお登場だな」

 

 藤林悠輔は少し感心したようにあごを上げた 

 

 彼は少なくとも驚いてはいない様子だったが、その瞳は先ほどと比べ物にならないほど険しい表情だった。

 

 彼は知っている。この人物が何者なのか、何の目的でここにやってきたのか──

 

「こいつ、あんたの知り合いか?」

 

 相馬は怯える子供のように椅子のクッションを年甲斐もなくぎゅっと抱き寄せながら藤林悠輔に聞いたが、もはや彼に相馬の声など聞こえてなどいなかった。

 

 窓を突き破った侵入者と立ち向かう若き伊賀の家元──二人同時におぞましいほどの殺気がカッと放たれた。

 

もはや後の戦いは誰にも止められない、止めることの出来ないことだということを相馬はその空気だけで悟るしか彼には出来なかったのだ

 


3 侵入者

「悠輔!」

 

 部屋の異変に気づきその場に駆け込んだ叶陽一郎を悠輔は手を黙ってかざして制止させた。

 

 悠輔は周囲が騒ぐほどのこの緊急事態に焦りはさほど感じてはいなかった。

 

 むしろそのあまりの落ち着きっぷりが周囲の者にとっては恐ろしくさえ思えたのだ。

 

「手出しは無用だ」

 

 悠輔は一言そう言うとかけていた眼鏡を取り外した。

 

 その瞬間、悠輔の瞳は燃えるような赤色に光り侵入者を鋭くにらみつけた。

 

「君たちは事をこれ以上大きくしないよう働いて欲しい。こいつの相手は──僕一人で十分だ」

 

 そういった瞬間、悠輔は陽一郎に向かって眼鏡を放り投げた。

 

 それを受け取った瞬間、陽一郎は一瞬面食らった表情を浮かべたが悠輔に言われたとおり何も言わず部屋から出て行った。

 

「さて……と」

 

 窓を破り冷たく強い風が部屋に吹き込んでいく。

 

 侵入者はぼさぼさの黒髪と黒いコートの裾をその風に任せるようになびかせた。

 

 そして、彼はすっと立ち上がると両手につけたまるで中世の騎士のような手甲を横に広げた。

 

 その瞬間、鋭い音を出しまるで日本刀のようなまっすぐで長い爪が手甲から生えた。

 

 来る──!

 

 そう思った瞬間、一際強い風が部屋に叩きつけるように吹き込んだ。

 

 それと同時に侵入者は動き両手の爪を振りかざして悠輔に襲い掛かった。

 

 だが、悠輔にとってそれは予想済みの行動であった。

 

 侵入者の爪が悠輔の顔を抉り取ろうと振りかざしたその瞬間、彼は表情一つ変えることなくその爪を軽々とかわして見せた。

 

 その瞬間、悠輔は初めて侵入者と目が合った。

 

 なんと冷たい顔をした男なのだろう──その冷たい表情はどこか機械的に見え、そして瞳はたえず青白い光を出し悠輔を射抜き続けた。

 

 だがそれはあまりにも一瞬であった。

 

 次には白くきらめく爪がまたしても悠輔を襲ったが彼は見切ったかのようにそれを身体をそらしてかわす。

 

 そのままの体勢で悠輔は飛び上がりくるりと宙で体勢を変えた。

 

そして着地する直前にそばにあったベッドのシーツを掴むとそれを侵入者めがけて翻し投げつけた。

 

しかし、その奥の手に侵入者は臆することなく投げつけられたシーツを横一文字に切り裂いて見せた。

 

だが、シーツが裂け視界が一瞬開けたその瞬間、まるで襲い狂う狼のごとく黒い影が侵入者の喉下めがけて突進してきたのだ。

 

侵入者は体勢を変え深く腰を沈めかがめると爪が伸びる元の手甲でその攻撃を防御したその瞬間、乾いた金属音と激しい衝撃が侵入者の右腕にのしかかった。

 

衝撃でずるずると引いていく侵入者の足。先ほどの一撃の衝撃は相当な力であった。

 

 侵入者は防御した手甲とは逆の手の爪を伸ばし、悠輔の顔めがけて付きたてた。

 

 だが、それと同時に右手にかかった攻撃はすっと糸を引くように引き下がった。

 

 悠輔は無表情のまま顔に手をやる。

 

頬をぬらす赤い液をぐっと拭い取ると両手で釵と呼ばれる一対の十手のような武器を回転させた

 

 侵入者に向かってシーツを投げつけたその場所に悠輔は釵を隠していた。

 

つまり彼は知っていたのだ。この会談は甲賀に筒抜けであり今日彼らが何かしらの邪魔をしてくることを──

 

 ただ、そんな用意周到の悠輔にとってたった一つの誤算は、邪魔しに来た侵入者がとてつもない強さを誇っていたこと。

 

自分と互角に戦える実力を誇りながらまだその力を隠している。それを悟った悠輔は落胆するどころか大きな悦びさえ感じた。

 

にやりと笑みを浮かべたその瞬間、悠輔は床を強く蹴り侵入者めがけて三度襲い掛かった。

 

 だが、侵入者もさるもの。悠輔の釵の一撃を爪の刃の部分で封じた。

 

 しかし、それも悠輔の狙いでもあった。彼は封じられた釵を柔らかい手のスナップを使ってぐるりと裏返す。

 

次の瞬間、侵入者の爪が逆に封じられた。

 

彼は一瞬焦ったように黒い前髪の間から青白い瞳をかっと見開いた。

 

だが、悠輔はその隙に間髪入れることなく大きく息を吸い込んだ次の瞬間、彼の口から炎が立ち上った。

 

巻き上がる熱気、立ち昇る赤々とした大きな炎──あまりのその大きさにホテルの火災報知機が鳴り響き瞬時に部屋からスプリンクラーのシャワーが降り注いだ

だが悠輔はその攻撃ですべてが終わったとは思ってもいなかった。

 

もくもくと上がる水蒸気の中ゆらりと立ち上がる人影が浮かぶ。侵入者は瞬時にあの炎を避け後ろに引いていたのだ。

 

火に焦げた壁紙のにおいに降り注ぐスプリンクラーの水しぶき、そして割れた窓からひゅううううと吹き込む強い風──

 

侵入者は黒コートを風にはためかせ息を切らしながら気味なほど青白く光る目で悠輔をにらみつけた。

 

「火遁……か」

 

それが彼が発した初めての言葉だった。

 

気のせいかもしれないが彼の顔もどこか喜んでいるような表情に悠輔は見えた。

 

どちらも気持ちは同じであった。最強かつ最高の相手に出会えた──その喜びに打ちひしがれているのだ。

 

「どうするの?」

 

 悠輔は意を決して侵入者に話しかけた。

 

「僕はここで決着をつけたってかまわないよ。でも、そうなれば騒ぎはこれ以上大きくなるのは君だってわかるよね」

 

 侵入者に交渉に入っても悠輔は固く閉ざされた表情を崩すことはなかった。

 

 否、戦っていたときよりもずっと濃度の高い殺気を彼は絶え間なく発しているようにさえ見えた。

 

 相手に舐められるわけにはいかない。勝負を捨てたと相手に思われるのが悠輔は最大に嫌悪していた。

 

「今なら僕たちの力でこの騒ぎをなかったことにすることは可能だ。そっちの方が君たち甲賀にとってもいい選択だと思うけど?」

 

 悠輔はあえて伊賀の威光をかざすかのように侵入者に話しかけた。

 

 幾分かハッタリも含んではいるが、これも侵入者より少しでも優位な立場で交渉を進めるためだ。

 

「ふ……おもしろい」

 

 その問いに侵入者は初めて口を開いた。

 

 口元に柔らかそうな笑みを浮かべてはいるが、やはり表情はどこか機械的で冷たい印象だった。

 

「お前たちの力でこの騒ぎを収めるだと……それは見ものだな」

 

「ちゃんと僕の質問に答えろよ」

 

 そう言うと悠輔は侵入者をキッと睨み付けた。

 

「君に残された道は2つ。このまま手を引いて騒ぎを収めるか、またはこのまま戦って騒ぎをさらに焚きつけるか──選んだからにはこの後は君たち甲賀の責任でお願いしたいところだ」

 

「手を引けといいたいのか?」

 

「──だって、今日は場所が悪いと思わない? これ以上このホテルに迷惑かけられないからさ」

 

 その一言に侵入者は一瞬考え込むように顔をうつむけたが、すぐに彼は蔑んだような笑みを浮かべて悠輔を見た。

 

「お前……その若さで伊賀の頭目なのか?」

 

「まあ、そういうことになるかな」

 

 そう言うと悠輔はくすっと笑った。

 

「そういう君も相当な実力者だね。甲賀の幹部クラスだろ」

 

「それはお前の想像にお任せするよ」

 

 そう言うと侵入者は破壊した窓ガラスのほうへと一歩また一歩引いた。

 

 絶え間なく吹き付ける風で彼の黒コートは音を立ててはためいた。

 

「今日は楽しいショーをありがとう。伊賀の若き家元さん」

 

 侵入者は悠輔を見てにやっと笑みを浮かべた次の瞬間、そのまま後ろへ飛びホテルの高層階から飛び降りた。

 

 すぐそばにいる警察幹部相馬泰はそれを見て驚きを隠せない様子だったが、悠輔自身はさほど驚きは感じなかった

 

 彼のことだ。ここから飛び降りたといっても無事に地上に降りれる段取りは出来ていることだろう。

 

「やれやれ、本当に厄介な相手と出遭ったものだ」

 

 悠輔はため息混じりに一言そう言うと、先ほど侵入者に傷つけられた頬の傷にもう一度触れた。

 

 彼は悠輔の問いに明確な答えは示さなかったが、間違いない。あの実力にくわえてこの秘密の会談を知っていたのだ──彼は幹部どころか自分と同じ頭目クラスの人間だ。

 

そう思うだけで悠輔は少し悔しい思いもしたがわくわくする気持ちも抑えられなかった。

 

彼と別れた後に急にもう一度彼と刃を交えたいという気分に悠輔は襲われていた。

 

「……おい」

 

 やっと落ち着いた悠輔を見て、呆然と経緯を見ていた相馬はびくびくしながら彼に話しかけた

 

 それを見て悠輔は少し気の張ったように鋭い表情で相馬を振り返ったが、すぐに少し蔑んだような瞳で彼を見返した

 

「まだ、そこにいたんですか」

 

「そう言われても……」

 

 ──逃げる暇なんかなかったんだ。仕方ないだろ。

 

相馬はそう言いたげな視線で悠輔をにらんだが、その視線はどこか迫力がなかった。

 

「ともかく、これが僕たちのやり方です」

 

そう言うと悠輔は踵を返して相馬をじっと見つめた。

 

「あなたは現代に忍者なんて信じないって言いましたが、これを見て存在を少しは思い知ったでしょう」

 

「ああ、まあ……」

 

「あなた方が伊賀か甲賀どちらと提携するか──それは今すぐ結論を出せなんていいませんよ。今日のことを見て決めろなんて……ちょっと酷ですよね」

 

「………」

 

 その一言に相馬は顔を引きつらせるばかりだった。

 

 驚愕の事実に慣れているはずの警察なのにとにもかくにもここまで次元の違うものを見せられてしまうと──驚きを通り越してもはや何も言えなかった。

 

「まあ、いいです」

 

 悠輔は一言そういうと相馬から目をそらし部屋のドアの方へ歩いていった

 

 それを相馬は静止しようと立ち上がったが、その前に彼はにこっと優しげな笑みを浮かべ相馬を振り返った。

 

「相馬さんは何も手出ししないでくださいね。この事態は僕たちで処理しますから」

 

「でも、こんな大事件……」

 

「僕たちの力を見くびらないでください」

 

 そう言う悠輔の顔は笑っているのだがその視線は鋭くどこか気高く怖い空気が出ていた

 

 そんな彼を見てもはや相馬に出す口など残ってはいなかった。

 

 悠輔はそれを見て満足げな表情を浮かべ悠然とした足取りでガラスが粉々に割れた部屋を出た。

 

そして、この『ハリーアットホテル』であった一件は翌日にはどのマスコミにも報道されずに彼の言った通りなかったことになってしまったのった

1 そして、平凡な一日が始まる

どんなに非日常の夜をすごした後でも日常の朝は必ず悠輔の前に訪れる

 

いつもと変わらない曇りの日の金曜日。

 

昨日のことで若干節々が痛む中、悠輔の単位取得危機は変わることなくいつもと同じように大学に通わなければならないのだ。

 

だが、朝の東都大キャンパスはどことなく落ち着きが足りない。

 

無理もない。一大イベントである年に一度の東都大学若葉祭があと二週間に迫っているのだから

 

いつもなら静かな朝のキャンパスだけどここ最近に限って言えば、大工仕事をする者、看板のイラストを書くもの、ストリートダンスの振り付けをチェックする者、演劇のチラシを配っている者たちでにわかな活気に帯びている。

 

だが、大学生活にさほど固執してない悠輔にとっては年に一度の学祭もどうでもいい存在であった。

 

それ故に学祭で浮かれほうけている学生が目障りで仕方がなかったのだ。

 

演劇のチラシを渡そうとした女子学生を悠輔は片手で追い払って深いため息をついた

たかが学祭で浮かれるなど考えられない。まるで別世界のことのように感じたのだ。

自分にはそんなことをしている暇なんてない。

 

そう思うとキャンパスで思い思いに表現している彼らがどこか疎ましくさえ思えた。

足早に教室に向かいながら悠輔は頬に手をやった。

 

そこにはあまりにも大きな絆創膏が強い存在感を放っている

 

さすがにこれは目立つであろう──そう思うとなんとも不名誉な気分が彼を襲った。

それは昨日あの黒コートに傷つけられた爪あと。

 

本当ならこんな情けない傷をさらして大学など行きたくなんかなかったけど、ギリギリの単位の中なのだから休むわけには行かない。

 

しかし、同級生たちにこの傷をつっこまれたらどうやって返そう──そう思うとどこか気持ちが少しソワソワしてしまった。

 

そう思いながらやってきた小さな講義室。大きな絆創膏を貼った悠輔が部屋に入ると一同みなそちらに目が行った。

 

ヤバイな。

 

そう思った悠輔はあえて学生が固まっていない窓際の席へ移動すると頬杖をついてその絆創膏を手で隠した

 

だがそんな偽装工作が学生たちには余計怪しく見えたのだろう。

 

そんな悠輔を遠巻きに見ながらひそひそと内緒話をする者、いぶかしげにじっと見つめる者、そして、彼に直接真意を聞こうとする者も──

 

「おいおい、藤林よぉ」

 

 その声を聞いて悠輔はさらに頑なにそっぽを向いた。

 

声を掛けてきたのはあの大嫌いな軟派者の石野誠だったのだ。

 

「おまえ、あの後一体何をやらかしたんだ?」

 

「別に……」

 

「別にじゃねえよ。そのでっかい絆創膏はなんなんだよ」

 

「これは……」

 

 その問いに悠輔は思わず答えを言い淀んだ。

 

 まさか、言えるはずがない。昨日忍者に襲われてちょっと怪我をしただなんて──

 

「──わかったぞ」

 

 石野はそんな悠輔を見てにやっと笑みを浮かべた。

 

「お前、あの後女とデートだったんだろ」

 

「はあ?」

 

「隠すんじゃねえよ。俺の誘いの合コンに行かなかったのはそういう意味だったんだなあ……」

 

 ──何を勘違いしてるんだ、コイツ

 

 悠輔は訝しげな表情を浮かべ悦に入って語る石野を見つめた。

 

 だが、馬鹿な勘違いしてくれたほうが今の悠輔にとっては都合がいいのかもしれない。

 

 下手にしゃべって自分の正体がばれるよりかは人に虚像を見せているほうがまだ安全だ。

 

「で、昨日は相当大変だったのか?」

 

「──さあね」

 

「さあね、じゃねーよ。あれか、例の彼女と喧嘩したのか? その絆創膏の下は昨日彼女に食らった平手打ちで痣ができたんだろ?」

 

「勝手に言えよ」

 

 そういうと悠輔は隣で勝手に妄想と鼻の穴を膨らます石野を無視するようにリュックから教科書を出した。

 

「ところでさ、お前の彼女ってなんて名前だったっけ? たしか冷泉大学の()だったとおもうけど……」

 

「早紀。進藤早紀だよ」

 

「そうそう、早紀ちゃん。あの娘かわいかったよねぇ~。あのときのメンツでは一番の上物だったぁ」

 

 名前も忘れてたくせに──悠輔は石野のことを馬鹿にするように鼻で笑った。

 

「で、結局あれから早紀ちゃんと仲直りしたのか」

 

「別に喧嘩したなんて言ってないよ」

 

「あれ? そうなの?」

 

 その言葉に石野は思わず目を丸くした。

 

 まずい──その瞬間、悠輔は思わず口を手でふさいだ。

 

「喧嘩じゃなかったらその絆創膏は何の傷なんだ?」

 

「それは……」

 

 その問いに悠輔は再び口を濁した。

 

 ああ、なんて馬鹿なことを言ってしまったのだろう。悠輔は思わず頭を抱えそうな気分になった

 

あのまま喧嘩で収めていればこの下世話な馬鹿にここまで苦しめられなくてすんだと言うのに──

 

 そのときだった。

 

 悠輔と石野の間でけたたましく響いた着信メロディ。

 

それを聴いた瞬間、悠輔は助かったと安堵のため息を漏らした。

 

「あ、早紀からメールだ」

 

悠輔はポケットから赤い携帯電話を出すと、石野のことなど無視してメール画面に集中した。

 

そんな彼を見てお馬鹿な石野は何を期待したのかそわそわと背伸びしながらその様子をのぞき始めた。

 

「え? なんて書いてあるの? 昨日のお詫びかな──」

 

 そんな石野を軽くあしらうように悠輔はさらりと一言言った。

 

「石野君。ちょっと邪魔だから向こう行ってくれない?」

 

「えええー!いいじゃん、ただのメールだろ」

 

「人の彼女のメールを覗き見するほど君は下世話な男なのかい?」

 

「それは……」

 

「人のことより自分のことを心配したらどうなんだ」

 

 悠輔のその心無い一言に石野は完璧に返す言葉を失った。

 

 その言葉に仕方なくおずおずと引き下がり自分の席に戻る石野を横目で見た後、悠輔は自分を救ってくれたメールにもう一度目を落とした。

 

【悠輔、明日暇かなー? もし暇ならメールちょうだい!! 渋谷で新しい服とか見たいからさ! ついでにデートしようよ☆】

 

なんとも女の子らしいデコメと顔文字でチカチカするほど眩い早紀のメール。

 

それを見て悠輔は初めて顔を和らげ口元に笑顔を浮かべた。

 

明日ね……

 

悠輔は一瞬現実に戻り予定を考えたが、その前に自然に指が動き真っ先に返信メールを送っていた。

 

【いいよ。付き合ってあげても】


2 女子大生、進藤早紀

翌日──

 

土曜の午前中、絶え間なく人々が交じり合う交差点、渋谷。

 

そんな雑踏に身を任せながら、いつものようにあの日本一有名な犬の像の前で悠輔は待ちぼうけを食らっていた。

 

ふと横を見ると自分と同じ立場の男や女がひしめき合っている。

 

だけどそのメンツは常に絶え間なく入れ替わっている。

 

ハチ公前で待ち合わせしている者は皆、連れ合いが来ればすぐにそこから雑踏の中へと姿を消していく。

 

その男女のローテーションのスピードは驚くほど早く、5分も経たないうちにまったく新しい男女に生まれ変わっていた。

 

──それなのに、僕は一体何なんだ?

 

悠輔はそんな見知らぬ男女の出会いと別れを見て思わず大きなため息をついてしまった。

 

ハチ公前で行われている男と女の早いローテーションに悠輔だけはまったく置いてけぼりにされているのは目に見えている。

 

まるでこの人の足が速い渋谷にただ一人時間を止められているかのような錯覚を覚えながら悠輔はただそこでじっと時間にルーズな恋人を待ち続けた。

 

別に今日が特別ってわけでもない。早紀の遅刻はもはやデートのお約束化している感もある

 

だが、慣れたことだとはいえハチ公前の相手を見つけて去っていくカップルを永遠と見送っていると、やはりその怒りはふつふつと心の中に蓄積していく

 

 いつから待ったか覚えてないけど、その間メールを8通も送ったことはよく覚えている

 

 だけど、早紀から帰ってくる言葉は【ごめーん!!あとちょっとだから☆】というこれまた眩いばかりのデコメだ。

 

 東京の女の子ってみんなこんな感じなのだろうか。

 

 悠輔は携帯片手に待ちぼうけを食らいながらただ気まぐれで我がままな恋人のことを思った。

 

そういえば出会ってから今までわがままな早紀に振り回されっぱなしだ。

 

数合わせのヘルプで行った冷泉大学の女の子との合コンで初めて出会ったのは3か月前。同時に彼女のほうから積極的にアピールされて、悠輔はその気がないのになぜかその日のうちに男女の仲になった。

 

それからメアドを交換したはいいものの、多いときは5分に一回のメール攻撃。

 

任務中にまでラブメールが入ってしまうものだからこっちはたまったもんじゃなかった。

 

デートをすれば時間にルーズだし遅刻するのは当たり前。

 

だけど主導権は完璧に早紀のもので、自分の好きなブティックや雑貨屋を見つけると悠輔ほったらかしでずっと居座ってしまう。

 

それにとんでもなくわがままですぐ拗ねる気分屋のところも手を焼いている。

 

まったく──忍者の世界では誰もが恐れる伊賀忍者の次期家元として君臨している僕が、東京生まれの女の子相手にどうしてここまで振り回されなきゃならないのだろう。

 

だけどそんな早紀を悠輔はどうしても嫌いにはなれなかった。

 

最初は少し疎ましく感じていたラブメールも、最近は少しだけ来るのが待ち遠しく感じられるようになっていた。

 

彼女のわがままなところも少しずつだが認めるようになっている自分がいるのだ。

 

不思議なことにこれが恋って奴なのだろうか……

 

弱点なんてないと思っていた僕だけど、今は完璧に早紀が弱点だ。

 

そう思うとなんかこんな彼女に振り回されている自分がなんとも情けなく感じるのだ。

 

そんなことを諸々考えてまた深いため息をついたその時だった。

 

「やっほー。悠輔、待ったぁ~」

 

 そんな甲高い声に悠輔は不機嫌そうな顔をむっと上げた。

 

そこにはゆる巻きのロングヘアに青いチェニックとシフォンスカートを合わせた早紀がニコニコしながらこちらに寄ってきた。

 

「ああ、何分待ったかわからないくらいに──」

 

「ちょっとー!」

 

「……ん?」

 

「悠輔、何その絆創膏―!」

 

「え……」

 

 そう言われて悠輔はふと自分の頬の絆創膏を触った。

 

そういえばこれをつけたままだったのをすっかり忘れていた。

 

「ああ、これねえ……」

 

「どーしちゃったの? 一体……なんか怪我しちゃったの?」

 

「うーん、話せば長くなるんだけど……」

 

 そう言って悠輔は苦笑いを浮かべた

 

「この前、ちょっとした不注意でさ……こけちゃったんだ」

 

「へえー、それでこんな大きな絆創膏ねえ……」

 

 そう言うと早紀は訝しげな顔をしながら悠輔の顔をじろじろと見つめた

 

 やっぱり、今の嘘を怪しんでいるのだろうか……ただこけただけでこんな絆創膏だ。怪しまないほうがおかしい話だ。

 

 でも、現実離れした事実を話より見え見えの嘘を吐いたほうが彼女のためだ。

 

 自分の本当の正体が知られてしまったら彼女だって危ない立場になるのだから……

 

そんな沈黙がしばし流れたその瞬間、早紀はふっと顔を和らげ笑った。

 

「やだなあ。悠輔って意外におっちょこちょいなんだねー」

 

「あ……ああ」

 

「でもさ、私、悠輔のそういうところ好きだよ。なんか情けないところが守ってあげたい気分になっちゃう」

 

「情けない……」

 

 悠輔は引きつったような笑顔を浮かべながら一言そうつぶやいた。

 

 見せてあげられるならば、自分の本当の顔を早紀に見せてあげたい。

 

それさえ見せれば自分のことを情けないモヤシ大学生だなんて思わないだろうに──

 

「でさ、今日行きたいお店なんだけど……」

 

「そうそう、それどこにあるの?」

 

「えーっとね……最低でも5件あるのよ」

 

「はあ?」

 

「とにかく私についてきて。早くしないと目玉商品売り切れちゃう!」

 

 早紀は一言そういうと悠輔の手首を不意に握り締めるとそのまま雑踏の中へと走っていった。

 

 それを見て悠輔は「ちょっと待って!」といったが時は遅し、彼女に誘われるまま雑踏うごめく渋谷のスクランブル交差点へと吸い込まれていった

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