目次
1章 現代に巣くう忍たち
1 東大生、藤林悠輔
2 警視庁幹部、相馬泰
3 侵入者
2章 休日の忍たち
1 そして、平凡な一日が始まる
2 女子大生、進藤早紀
3 渋谷の通り魔
3章 足跡を残した忍たち
1 事件現場
2 警察官、上月静夜
3 容疑者、田上明央
4章 取調室の忍たち
1 テレビ記者、叶陽一郎
2 激突-伊賀と甲賀
3 静夜の罠
4 追跡者たち
5章 オモテの忍たち
1 お笑い芸人、風間英太
2 メイド、仁科ともえ
3 JAあおもり職員、応野邦彦
6章 ウラの忍たち
1 風魔の英太
2 戸隠のともえ
3 応変の邦彦
7章 アキバの忍たち
1 ともえと悠輔
2 帰り道
8章 学園祭の忍たち
1 東都大学若葉祭
2 舞台袖
3 トーキョーハンター
4 同業者
5 最強
9章 嵐の前の忍たち
1 ともえと早紀
2 ツイてるともえ
3 ツイてない悠輔
4 邪魔者
5 嵐が来る
10章 相見える忍たち
1 知らなくていい真実
2 悪い夢
3 百地悠輔という男
4 集いし5つの流派
5 赤い瞳の一族
6 ともえの提案
7 激突する赤と青
8 別れなさい
11章 動き出す忍たち
1 六本木のオフィス
2 戸隠の女王
3 忍者王
4 アキバのアイドル劇場
5 同盟
12章 恋煩いの忍たち
1 恋人は忍者
2 最後のデート
3 守ってみせる
13章 集結する忍たち
1 警視庁のメッセンジャー
2 集結した忍たち
3 悠輔の企み

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5 赤い瞳の一族

「あーあ。つまんないなあ……」


 ともえは地べたに座って一つ深いため息をついた。


 目の前では悠輔と英太が戦っている。なかなかの互角の勝負だ。


 だがともえはあまりその勝負の行方に興味が持てなかった。どっちが勝っても自分には関係ない──そんな気がしてならなかった。


「どうした? お前の愛しの伊賀の家元が戦ってるんだぞ」


 その一言を言ったのは先ほどまでともえと敵同士として戦っていた応変流頭目応野邦彦だった。


 そんな彼をともえはしめったような視線で睨み付けるとつんとした態度で話した。


「べっつにー。だって悠輔あたしのことなんて興味ないんでしょ? だったらあたしだって──」


 そう言うとともえはゆっくりと立ち上がった。


先ほど悠輔に付けられた首の傷跡がまだずきずきと痛む。


 当たり所が悪かったら首の骨折られておそらくそのまま死んでいたかもしれない。それくらいの衝撃だった。


「ていうかさ、あんた一体何様のつもりよ!」


 ともえは首をさすりながらそう言うと邦彦の巨体を見上げるように睨み付けた。


「何様──って?」


「どーしてあたしたち戸隠ばっかり狙うのよ! 意味わかんないし!」


「……お前は知らないようだな」


 そう言うと邦彦は深いため息をついた。


「まあ無理もない。いざこざが起きたのは僕たちの親世代の話だからな──」


「親世代?」


 ともえはその言葉を聞いて大きな目をさらに丸くした。


 それを見て邦彦は淡々とした表情で語り出した。


「お前は本当に何も知らないようだな……まあいい。教えてやろう。今から15年前お前たち戸隠と僕たち応変は友好的な協力関係にあった。あの事件があるまで──はな」


「あの事件?」


 ともえがそう聞くと邦彦は暗い表情を浮かべた。


 まるで思い出すのも忌々しい──と言いたげな。


「ある日僕たちは瀕死の重傷で倒れていた伊賀の抜け忍を保護したんだ。その男は若かった。ちょうど13歳くらいだった僕と年はそう離れてないはずだった。僕たちは彼の正体を知らずに彼を介抱した。だけど彼はとんでもないタマだった。とんでもない……」


 そう言うと邦彦は目の前で赤い瞳を光らせ英太と戦う悠輔を細い目で睨んだ。


「──で、その抜け忍とあたしたちの関係はなんなのよ!」


 ともえは訝しげな表情を浮かべ邦彦に高圧的な言葉でそう聞いた。


 それに対し邦彦は全く知らないのかと言いたげにもう一度ため息をついた。


「彼の正体を真っ先に気づいたのはお前たち戸隠なんだよ。どういう心変わりがあったのかは知らない。だけど、お前たち戸隠は彼を奪還するために僕たちに宣戦布告してきたんだ」


「え──?」


 それを聞いてともえは絶句した。


 自分はその時幼すぎたからだろうか──そんなこと今まで全く耳にしたことがなかったのだ。


「それは血で血を洗うような抗争だった。僕たちもお前たちも相当の犠牲を払って一人の傷ついた忍者を奪い合った。馬鹿馬鹿しい争いだよ。ホント──アイツのせいで今日まで戸隠とこうやって因縁関係にあるんだから」


 そう言いながら邦彦は苦痛に満ちた表情で右肩を押さえた。


 鋼化した身体を貫いたあの刃。あの時の傷が疼く


あの男の瞳は一生忘れない。そう目の前の藤林悠輔と全く同じ色をしていたあの瞳を


そして彼は邦彦だけに本当の名を名乗った。自分は──


「ほう……その話は興味があるな」


 背後からわき上がるようなその声に邦彦もともえもはっと後ろを振り向いた。


 そこには二階の踊り場から華麗に舞い降りた上月静夜の姿があった。


「お前──いつの間に!」


「ああ、全部聞かせてもらったよ。応野邦彦──お前が戸隠を狙う理由も、そして伊賀の家元に恐れをなす理由も──な」


 静夜のその一言に邦彦の表情が一変する。


 その細い瞳で静夜をじろりと睨み付けると怪訝そう顔をして言った。


「別に──それはお前の思い過ごしだろう……」


「いいや、俺はずっと疑問に思っていた。何故お前が藤林悠輔のあの瞳を見て動揺を隠せないでいるのか──なるほどね、過去にあの男に相当なトラウマを植え付けられたようだな」


「……」


 その言葉を聞いて邦彦の昔の古傷がズキッと痛んだ。


 確かにあの赤い瞳は今でも怖い。彼と同じ瞳を持つ悠輔も同じように怖い存在だ。


 だけど、何故この男上月静夜はそのことを知っているのだろう──まるで自分のこの目で見ていたかのような言いぶりだ。


「ああ、言い忘れたな」


 そう言うと静夜はニヤッと不気味な笑顔を浮かべた


「俺たちもあの男を15年間ずっと追っている。こちらにも浅からぬ因縁があってね──」


「何──?」


「まあ、生きてるか生きてないかは別の話として、お前ら弱小流派が手を出すには火傷する相手だぞ。また15年前の事件の二の舞になりかねん」


 憎たらしい笑い声を上げながらそういう静夜の声を聞いて、邦彦は何とも腹立たしい気分になった。


 この男は少なくとも自分よりもあの男の情報を握っている。そう思うだけで邦彦は心を掻き毟られそうな思いだった。


「あのー」


 そんなにらみ合う静夜と邦彦の間に入るようにともえは腑に落ちない表情を浮かべ言った


「さっきから15年前の事件とかあの男だとか言ってるけどぉ~一体それって何なの? あたし、あんたたちよりずーっと若いんだから意味わかんないし! ちゃんと説明してよ!」


「……説明するのが面倒だな」


 ともえのその言葉に静夜は厄介そうに頭をかいた


「ともかくガキは親に事情を聞いて来いよ。それだけしか俺は言えん」


「なにそれ! しずちゃんの意地悪!」


「……一言、言っていいか」


 静夜は顔を引きつらせながらともえを睨み付けた


「いい加減俺のこと『しずちゃん』って呼ぶのやめてくれないか? 気持ち悪くて吐き気がする」


「えー! いいじゃん! 可愛いとおもうけどなあ~! し ず ち ゃ ん」


「しずちゃん……」 


 その言葉を聞いて邦彦も思わず笑いをかみ殺した。


 そんな二人を見て静夜は顔をひくひくと怒りで引きつらせた


「お前ら……後で絶対に殺す」


「ところで……そんな悠長なこと言ってられるのか?しずちゃん」


「あぁ?」


 邦彦のその一言に静夜ははっと顔を上げた。


 次の瞬間彼の背後に大きく禍々しい殺気がゆっくりと近づいてきた。


 静夜はゆっくりとそちらの方を振り返る。


 そこには額の傷の血を拭いながら真紅の瞳を光らせこちらにゆっくりと歩んでくる藤林悠輔の姿があった。


「ほう、もうあの風魔忍者をどうにかしたって言うのか?」


 静夜はそう言うと青白く光る瞳で悠輔をにらみ返した。


 その瞬間悠輔はぴたっと足を止め、彼に向かって一言言った。


「どうもこうもないよ。鬱陶しいから金縛り食らわせてやっただけ」


「てめぇ! 鬱陶しいって何だよ!」


 その声は悠輔のすぐ後ろ。棒を振りかぶったままの体勢で完璧に硬直状態になっている英太が叫んだ。


 だがその抗議の声をまるで無視するように悠輔は静夜の方を睨み付けた。


「さて……と。やっと君と再戦できるってわけだ」


「ほう……戦う気満々だな」


「当たり前じゃないか。君は今日のメインディッシュだよ」


 そう言うと悠輔はクスクスと笑顔を浮かべ両手の釵を構えた。


「今ので僕の研究は十分終わったでしょ? だったらそろそろ自分で試してみたら?」


「ふん……面白い」


 静夜はそんな悠輔を鼻で笑うと重厚な手甲を付けた両手を横に伸ばした。


 その瞬間、三本の長い爪が金属の摩擦音を出して勢いよく生えた。


「そんなに俺の手で殺されたいのなら、望み通りやってやろうじゃないか!」


 静夜は一対の長い爪を悠輔の方に構えると、真っ青な瞳をぎらりと光らせた。


 それを見て悠輔も同じように釵をくるっと手の中で回転させた後、静夜に向けてすっと構えた。


 伊賀と甲賀、赤と青、そして悠輔と静夜──


質感の違う殺気と殺気同士がぶつかり合い臨界点に達しようとしたその瞬間、二人は同時に地面を蹴り上げお互いに立ち向かった。


次の瞬間、激しい光と金属が交わる澄んだ音が廃工場内に響き渡った。


釵と爪──激しい鍔迫り合いの中二人は赤と青の瞳でお互いをにらみ合う。


その瞬間、伊賀と甲賀の四〇〇年にわたる因縁の対決の新章が始まったのだった。


6 ともえの提案

「くそー。俺ばっかり無視しやがって……」


 英太は棒を振りかぶったままの格好で苦々しく顔をゆがめた。


 ついついはまってしまった悠輔の仕掛けた九字縛り罠術。


本来金縛りのような術を解くのにそう時間はかからないのだが、彼の術は恐ろしく強力で何とか跳ね返そうと精神力をつかうものの全くびくともしない。


負けた──とはあまり思いたくないが、奴の術一つも破れない自分が情けない。英太はそう思えてならなかった。


「あーあ、まだ俺実力出し切ってないのに……あの野郎に完璧に舐められたじゃねえか」


 英太はぶつぶつと誰に聞かれる訳でもない独り言をつぶやきながら、じっと目の前の地面に突き立てられた針を見た


 奴はおそらくあの針を媒体にして自分に術をかけ続けている。早く言えばあの針さえどうにかすればこの術から解放されるはず──


 ──でもどうすれば? 


肢体を不自由にされて英太には何の手数も残っていない。あんな離れた場所にある針をどうにかするなんて──無理に決まってる


「あーら。様ないわね。エータ」


 その一言に英太はその体勢のままキッとその相手をにらみ返した。


 そこにはフリフリのゴスロリワンピースにリボンのヘッドセットをした戸隠のくノ一ともえが堂々と立っていた。


「なんだぁ……てめえ俺を笑いに着たのか」


「そうかもしれないわね」


 そう言うとともえは英太を挑発するかのようにクスクスと笑った。


「あんたは悠輔の挑発にまんまとはまってこんな様になったのよ。いい加減負けを認めたらどうなのよ」


「うっせえ! あんなのズルだ! 俺は負けたなんて絶対認めない!」


「ったく……往生際が悪い奴ね」


 そう言うとともえは足下にあった英太を縛る針に手をかけた。


 そして小さく呪文を唱えるとそれを一気に地面から抜き去ったのだ。


 その瞬間、急に身体を縛っていた何かの力が抜けふらっと前のめりに倒れる英太の身体。


 だが、彼は瞬間的に体勢を変えある方向をキッと睨んで棒を一回転させた。


「あの野郎──許さねえ!!


「待ちなさいよ!」


 思わず悠輔に襲いかかろうとする英太を止めたのは怒気のこもったともえの一言だった。


「あんたねえ……術を解いてやったのにお礼もないの? 失礼な奴ね」


「うるせえ! 助けてくれなんて一度も言ってねえよ!」


「ったく……あんた一生金縛りに遭っててもよかったってわけ?」


「そりゃ……まあ……術を解いてくれたのはありがたいけど……」


 ともえのその一言に英太の言葉はしどろもどろになる。


 それを見てともえはニヤッと笑った。


「じゃあ、エータ。ともえの言うこと聞いてくれる?」


「はあ?」


 その一言に英太は呆れた声を上げた。


「ふざけるな! 恩着せがましいもほどがあるぞ。てめえ!」


「あっそう。ならいいのよ。あなたに悠輔がかけた術より百倍強いのかけるのみだもん──あ、言っとくけどあたしの流派呪術とか妖術やらせると日本一よ。悠輔のかけた陳腐な術も解けないあんただと一生かかっても解けないかも!?


「……」


 その一言に英太は思わず沈黙した


 幾分かのハッタリはあるのだろうが、彼女の術を目の当たりにしたことのある英太は思わず返答に困った


「大人しくあたしの言うこと聞いてくれる? エータ?」


 目の前には目を潤ませて英太を見るメイド忍者ともえ。


 それを見て観念したかのように英太はチッと舌打ちした


「で──何なんだよ。その願いって奴は」


 それを聞いてともえはニコと満面の笑みを浮かべた。


「早く言えば、今日はなかったことにしたいの」


「はあ?」


 その一言に英太はまたも面食らった。


 コイツは何を言い出すのだろう──そう言いたげな表情を浮かべ英太はともえを訝しげに見た。


「まあ早く言えば、今日は五流派の頭目クラスが出会っちゃったわけで、お互いがお互いを邪魔しあってるんでしょ~それだったら今日は水入りってことで流しちゃってまた次の機会で相見えた方が五人ともにとってもいいんじゃないかなあ~ってあたし思ったんだ」


「うーん。確かにそれは言えるな」


 英太は珍しくともえの言い分に納得した。


 確かにその通りだ。


今日はタイミングが悪かった。こんなにも最強クラスの忍者が集まってお互いの目的を邪魔しあっている──これは一種の不幸な出来事なのかもしれない。


「ね、そう思うでしょ!」


 そう言うとともえははしゃぐように目を輝かせた。


「じゃあ、約束してくれる?これからあたしのやること絶対に邪魔しないって!」


「お前のやること?」


 何するんだよ──


 そう言おうとしたその瞬間、ともえはすたすたと前に歩んでいた。


 その先には激しくやり合う悠輔と静夜の姿──その前に立つとともえは暗い瞳でじっと彼らを睨んだ。


「やだなあ、悠輔としずちゃんあんなに真剣になっちゃって……思わず邪魔したくなるじゃない」


そう言いながらともえは宙を撫でるような手つきで印を結び始めた。


 そして口元で小さく呪文を唱え印を結んだ両手を横に突き出した次の瞬間だった


「戸隠流奥義『幻惑霧』──」


 その瞬間、ともえの印を結んだ手のひらから勢いよく煙が吹き出す


 ──否、これは霧だ。高等な幻術の霧だ。


 それを彼女はいとも簡単にそれを操りそしてこの広い空間を幻術の霧で埋めようとしているのだ。


 英太はどんどん狭くなる視界の中霧の中に消えていくともえを見た。


 彼女は笑っていた。病的なほど狂った笑い声を上げて。


 そして、程なくしてともえも悠輔も静夜も誰もが見えなくなった。


 ホワイトアウト。霧で何も見えなくなって──

7 激突する赤と青

 廃工場内に激しい金属が交わる音が何度も響き渡る。


 稲光にも似た閃光が闇の中カッとそのたびに煌めき続ける。


 悠輔と静夜──二人の実力は甲乙付けがたいほどほぼ互角であった。


それ故に二人ともお互いの好機を見いだせずにいた。


お互いに隙もなければチャンスも与えない──否、それを見せた時点で負けると二人とも重々承知しているように二人はお互いに刃を交えていた


キーン!──と何度目かの刃と刃のぶつかり合い。


悠輔と静夜はお互いの手数を封じ合うかのように釵と爪を交わらせる。


激しい鍔迫り合いをしながらお互いに激しく息が上がっていることを実感した。


「なかなかやるじゃないか……」


 悠輔は釵に力を込めながら一言静夜に言った。


「お前もな……」


 静夜も両方の爪に力を込め一言言った。


 だが二人とも目は全く笑っていない。赤と青の瞳を交わらせるかのように光らせ続けていた。


 ──これじゃらちがあかない


 二人ともほぼ同時にそう思ったのだろうか。彼らは瞬時に間合いを取った。


 距離を取ったといっても戦いはまだまだ続く。


悠輔はそれと同時に手に針を持ち替える。そして念を込めるかのように力強く睨むとそれを静夜めがけて放った。


その瞬間、針は炎の矢に変わり静夜に襲う。


しかし、静夜もそれを見て次の手を打つ。


爪の下で印を結ぶと静夜はそのままその爪で空を引き裂いた。


次の瞬間、爪の軌道とともに静夜の目の前に大きな水の壁が一瞬できあがる。


それは悠輔の放った炎を纏った針を十分撃ち落とす力のあるものであった。


「俺の前でお前の得意な火遁は効かんぞ……」


 静夜は爪を器用に操りながら、目の前の水を宙に浮かべるかのように弄んで見せた。


 それを見て悠輔はニヤッと冷たい笑みを浮かべた。


「火は水で制すってわけね……」


 悠輔はそう言うとまた目をカッと赤く光らせるとまた目の前に炎の結界を作り出す。


 静夜はそれを見て「芸のない奴め」と言いたげな表情で笑って見せた


「何度やっても無駄だ! 家元!」


 静夜がそう言った次の瞬間、悠輔は先ほどより激しく大きな炎を静夜めがけて解き放った


 だが、静夜はそれを軽くあしらうかのように爪を大きく振りかぶった


すると立ち上るような巨大な水の壁が彼の前に一瞬で現れる


 次の瞬間、巨大な炎と水は上空で激突した。激しい水蒸気を上げそれらは一気に相殺し合った。


 バカめ──静夜はそれを見てさらなる印を手で結んだ。


 火遁を使う悠輔なんかより水遁を使う自分の方がずっと有利だ──そう思った矢先だった。


 静夜ははっと煙る上空をキッと睨み付けたとっさに爪を構えた


 次の瞬間、静夜は空から強い衝撃を受けた。


 ズッっと地面にめり込む足──静夜は宙に浮く悠輔の身体を睨んだ。


 彼は火と水が激突した水蒸気に身を隠しその瞬間、遥か上空から静夜に躍りかかったのだった。


「くそ──!」


 静夜はそう悔しそうに言った次の瞬間、まるで悠輔を嫌うかのように爪を大きく振りかぶった。


 次の瞬間上空の悠輔に激しい疾風が襲いかかる。


 それは細かく空を切る風の刃。悠輔はその瞬間、釵で身体を防御しそれに耐えた。


 土煙を上げて悠輔は地面に強く降り立つ。


 その身体は防御しきれなかった風の刃であちらこちらをに小さな切り傷が付いていた


「ちっ……なかなかやるな」


 悠輔は荒く息をつくと手で顔の切り傷から出た血を拭った。


 だけど息が上がっているのは静夜も同じ。彼も肩で息をつきながらもう一度悠輔めがけて両手の爪を構えた。


 それは消耗戦だった。


初めて彼と刃を向けた時感じたのと同じでどちらかが倒れるまでこの戦いは終わらない──悠輔はそう悟った。


悠輔もそれに答えるかのように釵を構え、三度静夜に向かって走り出した。


またしてもしんと静まりかえった廃工場内に金属の交わる音が響き渡る。


悠輔と静夜はどうしてもお互いの壁を越えられずににいた。


それが伊賀と甲賀を率いるべくして生まれた二人の因縁であるのかどうであるのかはわからない。


だが、二人ともここで決着を付けたいという気持ちでお互いに焦っていた。


そしてお互いに対して苛立ちを持ち始めたのは事実であった。


また何度目かの悠輔の攻撃を爪で受け止めた静夜は次の瞬間、ブーツのかかとを強く踏み、つま先から仕込み刃を刺しだした。


そのまま悠輔の頭を蹴り上げようとしたが、悠輔はその刃を鼻の先一つでかわしてみせる。


 その瞬間、静夜には悠輔に隙ができたように見えた。


 好機(チャンス)──!    


彼はニヤッと笑って爪を空に突き刺した次の瞬間だった。


 ひんやりとした風とともに辺りはみるみるうちに白く輝いていく。


 静夜はハッとその手を止めた。


 なんだこれは──? 煙? 霧? どちらにしろ人為的に作られた何かの術だ。


 だとしたら一体誰が──? この幻術が悠輔の術だというのか?


 だが静夜のその予想は見事に裏切られることになる


 その術を作っているはずの悠輔は霧の中怒気のこもった大声で叫んだのだ。


「誰だ! 邪魔する奴は──!」


 急に現れた幻術の霧は一気に廃工場内を真っ白に包み込んだ。


 その中でも悠輔の真っ赤な瞳はその幻術の正体を見抜いていた。


 これが第三者によって起こされた大いなる妨害であることを──


「戸隠の術だね」


 せっかくの静夜との決闘を台無しにされた怒りでだろうか──悠輔の声は若干激しい怒りに震えていた。


 真っ白な霧の中、真っ赤に光る瞳でその術を施した相手ともえを睨み付けた。


「一体何をしてくれるんだ! そんなに君は僕の邪魔をしたいのかい!?


「だってぇ……」


 仁科ともえの甘ったるい声は工場内に響き渡るようにいろんな方向から聞こえてきた。


 まるでこの幻術の霧に包まれた廃工場内が彼女だけのオンステージのごとくのすばらしい音響で。


「どう考えてもつまんないじゃーん。悠輔としずちゃんだけ楽しんで他の人は黙って見てろっていうのぉ~。そんなの罰ゲームじゃない」


「だから、しずちゃんって言うのやめろよ」


 その一言に静夜はむっとした表情を浮かべ一言言った。


 どうやら本当に「しずちゃん」と言われるのが嫌らしい。


「──ともかく、本当の目的は何? 自分に振り向かせるためにはこんな大がかりな幻術なんてしなくてもいいんじゃない?」


「あーん! 悠輔はわかるぅ~? やっぱりあたしが惚れた男はちがうわぁ~」


 その高く響き渡るともえのこえにいらっと来たのは静夜だった。


「ふざけるな! 俺たちの戦いをお前の疚しい雑念で吹き飛ばしたって言うのか! 冗談じゃない!」


「もうっ! しずちゃんは黙っててよ! 今から訳をはなすんだからっ!」


「──お前いつか殺すからな」


 静夜はそう言うと爪をわなわな震わせながら一言そう言う。


 しかしともえは全くのマイペースで切々と語り始めた。


「まあ、早く言えば今日のところはこれまでよって話かなぁ? だってさあ考えてみてよ。今日さぁこんな最強クラスの忍者が五人も集まっちゃってさぁ~はっきり言って不幸な出来事よ。お互いをお互いにいいところをつぶし合っているっていうか、結局みんな邪魔されまくって実力出し切れてないって感じ?」


 その一言に悠輔も静夜も思わず黙り込んだ。


 まあ、確かにともえの言う言葉は一理ある。


今日はは場が悪すぎた。これほどまでに頭目クラスの忍者が集まってしまいお互いに邪魔し合う戦いなど──皆本意ではないはずだった。


だけど──こんな終わり方で本当にいいのだろうか。結局は皆これからどこかでつぶし合いしなければならないって言うのに


「ねえ……」


 悠輔は濃霧の中赤く光る瞳でともえを見た。


「とりあえず、この霧どうにかしてくれない?」


「えー何でぇー」


「君の話はよくわかったから……これ以上の邪魔したって無駄だよ」


「……」


 その一言にともえは一瞬黙り込んだが、すぐに幻術解除の呪文を唱え始めた。


 そして濃霧の中小さく印を結ぶと彼女の瞳は冷たく光った。


「──解!」


 その瞬間、彼女の広げた小さな両手に白い霧はどんどん吸い込まれていく


 徐々に霧の濃度が薄くなり視界が晴れていく廃工場内


 霧が解けるやいなや悠輔はその場に残った人物をつぶさに確認し始める。


 悠輔、静夜、ともえ、英太、そして──


「あれ……?」


 悠輔はその事実に思わず息をのんだ。


 いないのだ。その場にいるはずだった自分が当初の目的だったはずの人物がいないのだ。


「君──早紀はどうしたっていうの?」


 悠輔はその瞬間、霧を手に吸い込ませ続けるともえを真紅の瞳で睨み付けた


 それを見てともえは急に不機嫌になり、つんとすねた態度で言った。


「し……知らないわよ!」


「嘘付け! じゃあ何で早紀がこの場にいないんだよ」


「だーかーら! あたしじゃないし!!


「あのさー」


 その言葉を言ったのは全く置いてけぼりを食らっていた風間英太だった。


 それを見てその場にいる全員が彼の方向に注目した


「……君、まだ居たんだ」


「てめえ! その言い方はねえだろっ!」


 悠輔の冷たい言葉に英太はムキになって怒り始めた。


「大体てめえが俺を無視するから話はこじれるんだよ! てめえがそこの甲賀の暗い兄ちゃんと戦いだしてから連れて行かれたんだよ! てめえの彼女がな」


「何──?」


 その一言を聞いて悠輔はまた周囲を確認した。


 そうだ──早紀のほかにこの場から消え失せた人間が一人いる


「応野邦彦……」


 悠輔は怒気のこもった小さな声でその名を呼ぶとキッと前を見た。


 そして、そのまま何事もなかったかのように引き返すと、去り際に静夜の顔を睨み付けた。


「そう言うことだ。今日の勝負はお預けってことにしてもらいたい」


「それは随分勝手な願い出だな」


 そう言うと静夜は蔑んだよな笑みを浮かべた。


 だがそれを見ても悠輔の表情は全く変わらなかった。


「君だってあの娘に邪魔されて半分やる気が失せたんでしょ? お互い様じゃないか」


「……」 


 その一言に静夜は何も反論しようとはしなかった。


 それを見て悠輔はふっと小さな笑みを浮かべまた歩み始めた。


「ま、そう言うことだから。また今度みんな会ったらよろしくね」


 悠輔はそう言うと残された三人に対して小さく手を挙げた。


次の瞬間、辺りにあり得ない強い風が吹き渡り、その場に大きな砂埃が巻き上がる


その砂埃に身を隠すかのように悠輔の姿は解けていく。


そして、風が止み砂埃が消えていくともはや彼の姿はその場には消え失せていたのだ。


「ふざけた野郎だ!」


 それを見て憤慨したのは英太だった。


「散々俺を無視しておいて最後は俺のパクリのような技でおさらばか? 今度会ったらコテンパンにしてやる!」


「ってかさ、エータ。あれあんたのパクリって訳じゃないと思うんだけど」


「うるせぇ! 風遁使う奴は全員俺のパクリだ!」


 ともえの一言にも英太は延々と文句を言い続ける


 それに呆れたのかともえは深いため息をついて今度は静夜の方を見た


「で……どうする?」


「どうするって──お開きにしたいって言ったのはお前だろ」


 そう言うと静夜は出していた爪を手甲の中に収納させた。


「俺はもうあの妨害で随分水を差されたからな……正直今日は疲れた。帰る」


「そうだよねー。悠輔もあの女追って帰っちゃったし。なーんかみんな目的見失っちゃった……みたいな?」


 その一言に静夜は恨めしそうな瞳でともえを睨んだ。


 お前のせいだろ──そう言いたげな青白い瞳で。


「まあ、今日はこの辺で終わりにしとこ。決着は今度って言うことで!」


「……調子のいい奴だ」


 静夜はそう言うと黒いコートを勢いよく翻した


その瞬間、彼の姿はまるで闇に解けるかのように消え去った。


「じゃ、あたしもお暇……しよっと」


 ともえもそれに準じるかのように掌を前に差し出すとそこから零れ出すかのようにピンクの花びらが湧いて出てきた。


 それはどこからとも無く吹いてきた風に乗りやがてともえを優しく取り囲んだ。


 そして、彼女がすっとその場から跳び上がったその瞬間、彼女は一陣の風とともに姿を消したのだった。


「──けっ! 今日は忍術の博覧会かよ」


 一人残された英太はむかむかした気分を表すかのようにそう言い捨てた。


 そして、持っていた棒を宙に向けると誰に向けて言うわけでもない言葉を叫んだのだった。


「てめえら覚えてろよ! この英太様を無視した代償は大きいと思えよ!!


8 別れなさい

 湿ったひんやりとした風が肌を刺す。

 早紀はぼんやりとした意識の中ゆっくりを目を覚ます。

 ここはどこだろう──?

 すぐ目の前には東京の街明かりがゆっくりと動いていく。

ああ。外に出たんだ──私。

ん──? 動いてる?

 その瞬間早紀はぎょっとした表情を浮かべ自分の身体を確認した。 

 早紀は誰かに抱きかかえられてゆっくりと移動していた。その身体は驚くほど逞しく、早紀を抱く腕は丸太のように太かった。

「──誰?」

 早紀はその巨体の先の顔をのぞき込んだ。

まるで糸のように細い目に大きな鼻──悠輔でもあの黒コート男でもない顔に先は困惑した。

「気づいたかい?」

 男は早紀に対してにっこり笑って見せた。だが目が細すぎて笑っているのか否かがよくわからないのは事実だった。

「──放してっ!」

 早紀はその瞬間男の太い腕の中で激しく暴れ始めた。

「あなたも私を狙ってるの!? もういい加減にしてよ──!」

 だが男の反応は意外であった。

 彼は言うとおりに早紀をアスファルトの上に優しく立たせるとふらつく彼女の身体を優しく支えた。

 その態度を見て早紀はハッとした。この人は自分には危害を加えない人だ──そう思ったのだ。

「ボクは君に何もしない。安心して」

「でも──」

「あそこにいるととばっちりを受ける可能性があるからね……ボクは平気でも君はそう言うわけにはいかないだろう」

「──?」

 その一言に早紀は頭をひねった。

 一体何を言うのだろう……彼の言っていることは早紀には全く意味がわからなかった。

「ごめん、急に言ってもわからないよね」

 男はそう言うと細い目をさらに細めにっこりと笑った。

「何も知らない君にどう説明すればいいのか困るけど──ともかく君が寝ている間にいろんなことが起きたんだ。いろんなことが──ね」

 いろんなこと──その言葉を聞いて早紀は思わず息をのんだ。

 そうだ、まだあの悪夢はずっと続いているんだ。黒コート男が出てきたり、ともえに命を狙われたり──散々な夢が今でも続いているんだ

「あの……」

 早紀は小さな声でそう言うと男の顔を見上げた。

「これって、夢──じゃないよね」

「それは──」

「もう、最悪。夢なら今すぐ醒めてほしいよ。もう悠輔やともえちゃんが忍者かどうかなんてどうでもいいわ。これが悪い夢だったってオチになってほしい……」

「残念だけど、その期待は捨てた方がいいよ」

 男のその一言に早紀は呆然と彼の顔を見た。

 彼が早紀を見る細い瞳は強い痛々しさを感じた。その表情はまるで申し訳ないことをしてしまった──と言いたげだった。

「これは真実なんだ。君にとっては知ってはいけない真実だったのかもしれない──だけど、こうなった以上君は僕たちとの関係を絶つべきだ」

「そう言われても……」

 その一言に早紀の頭は混乱した。

 一体どうすればいいと言うの──? それを聞く前に男の口がゆっくりと開いた。

「君、彼氏のことはまだ好きかい?」

「は……?」

「藤林悠輔──彼のことはまだ好き?」

 早紀はその一言に困惑した。

 この男に何故そんなことを聞かれなければならないのだろう? そんな不信感を覚えながらも早紀はふて腐れた表情で答えた

「わかんないわ。そんなの。好きか嫌いかといえば……どっちかと言えばまだ気になるけど」

 でも悠輔ってともえの許婚とか言ってなかったっけ──?

 嘘かホントか知らないけれども、そのことでともえは自分を目の敵にしている──もう、なんだか訳がわかんなくなってきた。

「別れなさい」

 男のその言葉を聞いて早紀ははっと顔を上げた。

 困惑する早紀を尻目に彼は穏やかな笑みを浮かべ彼女を見ていた。

「何で?」

「彼の正体を知った以上、君はまともに彼と向きあえれる? それどころか今日みたいな事態がまた起きる可能性だってあるかもしれないのに……」

「それは……」

「ともかく彼とは早く別れた方がいい。それが君のためにだってなるはずだ」

 早紀はその言葉に思わず黙り込んでしまった。

 あの黒コート男もこの大男もそうだ。みんな今日の事態は悠輔が悪いと言わんばかりだ。

 でも、そんなのおかしい。いくら悠輔には裏の正体があるとは言ってもそんなの私と悠輔の問題だ。他人に別れろと口出しされる筋合いなんて──ない

「いい加減にしてください!」

 早紀は男の手をふりほどくと、迫力のない瞳で睨み付けた。

「あなたに言われなくても自分たちのことは自分たちで解決します! 悠輔は──どう思ってるかしらないけど」

「そっか……」

「ていうか何で悠輔と別れろなんて言うんですか? 彼が──忍者だから?」

 その瞬間、男の表情が一瞬険しくなった。

 そして後ろを気にするかのそぶりをしながらも、早紀に何かを促すようにすっと身体を押した。

「帰りなさい」

「え……」

「はやく──! 僕はここまでしか送れないから」

 男の細い瞳はとても強い光を放っていた。

 もうここは危険になる──そう言いたげな表情で早紀の身体を強く押した。

 早紀は困惑しながらも男の顔を振り向いた。

 まだまだ聞きたいことは沢山あった。沢山ありすぎて何から聞いたらいいのかわからなかった。

 早紀はその瞬間悔しそうな表情を浮かべながらも、アスファルトを蹴り出し走り出した。

 彼女が消えて見えなくなるのを確認して、男──こと応野邦彦はすっと後ろを振り返った。

 そこにはまるで鬼の形相でその場に対峙する藤林悠輔が立っていた。

「早紀は──?」

 彼は怒りで声を震わせながら真紅の瞳でこちらを睨んでいた。

「お前の望み通り帰した」

それを見て邦彦も緊張感を露わにさせる。

臨戦態勢に入るかのようにぎゅっと拳を握り細い目をカッと見開き悠輔をにらみ返した

「──何の真似だ?」

「言っておくが僕はお前みたいに人に借りを作ろうって浅知恵はないからな。ただ、あの場所は彼女にとって危なかったし早めに帰した方が──彼女のためにもお前のためにもなるだろう?」

「──ふざけた奴だ!」

 悠輔はその瞬間初めて激しい怒りを露わにした。

 おそらく彼は自分がすべきことを邦彦がやってしまったことに激しい憤りを持っているのだろう。

「早紀を無事に帰したからって大きい顔するんじゃない! それだけでも僕にとっては大きな貸しだ!」

「やれやれ、伊賀の家元はどこまでもプライドが高いな」

 そう言うと邦彦は呆れたように髪をかき分けた。

「そう思いたいなら思うがいいさ。だけど、僕はお前と貸し借りなどする間柄にはなりたくないね。なにせ、何を企んでいるのだかわからない相手なんだから……」

「何──?」

そう言った次の瞬間、悠輔は手に持った釵を静かに邦彦に向かって構えだした。

彼の瞳は誰の目にも明らかに真紅に染まっている。

一触即発──そんな中邦彦は一瞬身体に入った力を弛緩させ彼に向かい背を向けた。

「今日はお開きにするんじゃなかったのか?」

「それはあのメイド忍者の言い分だろ」

 悠輔はそう言うとまるで獲物を狙うかのように釵を手の中でくるっと回した

 それを見て邦彦は深いため息をついた。

「やってられん……」

 次の瞬間、邦彦は脚力だけでコンテナの上に上がった。

 それを悠輔は真紅の瞳でキッと睨みあげた

「逃げるのか!」

「ふん……今日はただやる気がないだけだ」

「ふざけるな! 僕に借りだけ作っておいて──今度会ったらただじゃ置かない!」

「……」

 その一言を聞いて邦彦はもう一度下界の悠輔をちらっと見た。

 デジャヴだろうか。その時の悠輔はまさにあの時のあの男と変わらない真紅の瞳でこちらを睨んでいる。

 それを見て邦彦は強い緊張感に包まれた。

「お前、兄弟はいるのか?」

「は──?」

「いや……なんでもない」

 邦彦は一言そう言うと深い闇の中へと消えていった。

 それを見送り一人残された悠輔は、思わず呆然となった。

お前、兄弟はいるのか──? 

邦彦のその質問に一瞬どう答えたらいいのかわからなかった。

確かに自分には兄が居た。だけど自分が遠い昔に彼は亡くなったはず──だった。


1 六本木のオフィス

同時刻──六本木


通称六本木ヒルズと呼ばれるこのセレブタウンの一角のオフィスで彼はじっとパソコンのディスプレイを眺めていた。


しわ一つ無いぱりっとしたブランドスーツにきっちりしめられたネクタイ。それに鋭い視線を覆い隠すような眼鏡──


彼は残業のキーボードを打つ手を止め、ふと背後に広がる東京の摩天楼を眺めた。


相変わらず良い風景だ──


彼はそれをみてふっと表情を崩したが、すぐに気を入れ直すようにその視線は鋭くなった。


「社長……」


闇に沈んだオフィスの中その男が急に這い出るように彼の前に歩み出た。


 その瞳はどこか虚ろげで病的な光を帯びていた。


「なんだね……」


『社長』と呼ばれた彼はその男を見るなり険しい顔を見せた。


 それは企業のトップの顔というより別次元の険しさと鋭さを兼ねそろえた恐ろしい顔だった。


「ついに主要五流派が衝突しだしたようです」


 部下の男は彼を前にしてピタリと表情を動かすことなく淡々としゃべった。


 それは男自身が機械のような冷たさを放っているかのようであった。


「そうか……」


 彼は男の形式的な報告に彼は口元ににやりと笑みを浮かべた。


「ついに始まったか」


 それを聞いて彼はまるで気持ちがうずうずするような気分に陥った。


 この摩天楼の下で現代の忍者たちが生き残りをかけて熾烈な戦いを繰り広げる──その時をどれほど待ちわびたか。


 他の流派がつぶし合いをしてくれる中だからこそ、自分たちの躍進のチャンスが巡ってくる。


 彼はそれを重々判っていたのだ。


「──俺は出かける」


 彼はそう言い残すとオフィスチェアから立ち上がり機械的な男の前に立ちはだかった。


「彼らの後始末はお前たちに任せた。くれぐれもヘマをしないようにな……」


 彼はそう言うと男の目の前である暗示をかけるように指をパチンと鳴らした。


 その瞬間、男は瞳に人間的な光を取り戻したがすぐにその瞳は空虚に濁った。


「わかりました。社長──私はあなたの駒ですから」


 男はそう言うと彼に深々と礼をする。


 それは上司と部下というより支配者と僕という関係の方がしっくり来る光景であった。


「あとは頼んだぞ……」


 その瞬間、彼はふっと笑うとオフィスの向こうの闇の中へと溶け込むように消えていく。


 ただ去り際に眼鏡の奥の真紅の瞳だけを邪悪に光らせながら。



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