目次
1章 現代に巣くう忍たち
1 東大生、藤林悠輔
2 警視庁幹部、相馬泰
3 侵入者
2章 休日の忍たち
1 そして、平凡な一日が始まる
2 女子大生、進藤早紀
3 渋谷の通り魔
3章 足跡を残した忍たち
1 事件現場
2 警察官、上月静夜
3 容疑者、田上明央
4章 取調室の忍たち
1 テレビ記者、叶陽一郎
2 激突-伊賀と甲賀
3 静夜の罠
4 追跡者たち
5章 オモテの忍たち
1 お笑い芸人、風間英太
2 メイド、仁科ともえ
3 JAあおもり職員、応野邦彦
6章 ウラの忍たち
1 風魔の英太
2 戸隠のともえ
3 応変の邦彦
7章 アキバの忍たち
1 ともえと悠輔
2 帰り道
8章 学園祭の忍たち
1 東都大学若葉祭
2 舞台袖
3 トーキョーハンター
4 同業者
5 最強
9章 嵐の前の忍たち
1 ともえと早紀
2 ツイてるともえ
3 ツイてない悠輔
4 邪魔者
5 嵐が来る
10章 相見える忍たち
1 知らなくていい真実
2 悪い夢
3 百地悠輔という男
4 集いし5つの流派
5 赤い瞳の一族
6 ともえの提案
7 激突する赤と青
8 別れなさい
11章 動き出す忍たち
1 六本木のオフィス
2 戸隠の女王
3 忍者王
4 アキバのアイドル劇場
5 同盟
12章 恋煩いの忍たち
1 恋人は忍者
2 最後のデート
3 守ってみせる
13章 集結する忍たち
1 警視庁のメッセンジャー
2 集結した忍たち
3 悠輔の企み

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3 ツイてない悠輔

雨で濡れた東都大学のキャンパス


あれほど人込みでごった返していたその場所は大雨の影響で閑散としていて人っ子ひとりいない。


その滝のような雨の中、悠輔はただたたある場所へ急ぐためずぶ濡れになりながら走っていた

 問題のくノ一ともえの元にいる早紀の場所に向かうだけなら簡単だった。それだけならら何の滞りなくことは収まるはずだった。


 だけど──今日の僕はどうもツイてないようだ。


 絶え間なく他流派の忍者たちに追跡されまくっている──のだから。


 その瞬間、悠輔はすっと身体をかがめそのまま前転した。


 それと同時に彼の頭上を数個の手裏剣が空を切り裂いていった


「ええいっ!鬱陶しい!」


 瞬間、悠輔は踝に隠してあった針を取り出すとそれを瞬くスピードで投げつけた。


 雨の中崩れ落ちる人影──だが今回の敵は一人だけではない。


 気配は5人か……悠輔はすっと立ち上がるとメガネをすっと取り外した。


「僕は忙しいんだ。相手なら一瞬で終わらせてやる!」


 そう言ったその瞬間、悠輔の瞳はまるで燃えるように赤く光った。


 そして次の瞬間、濡れたアスファルトを蹴り獣のように襲いかかる5人の影──


悠輔はすっとその場に立ち尽く赤い瞳で襲いくる影をぎりぎりまで見極める。


彼の瞳には見えていた。奴らがどんな動きをして襲いかかるかどんな軌道で攻撃をしてくるか──


そして、襲いくる影の刃が悠輔の身体を撫で切ろうとしたその時彼は瞬時にその場から姿を消した。


はっと顔を上げる追跡者の影。悠輔は彼の頭を踏み台にしてさらなる高みへと舞い上がっていた。

悠輔の両手には合計十本の針。それを大粒の雨に紛れ込ませるかのように彼らの頭上でうち放った。


雨とともに注ぎ込む針の雨──


それに男たちは急にひるんだ格好を取る。あるものは急所を刺され、あるものは急所を逸れ──だが、今回悠輔はそれだけで終わらせる気は毛頭無かった


悠輔がきれいに濡れたアスファルトに着地したのと同時に彼は両手を横にかざした。


次の瞬間、一度放たれ死んだはずの針たちが立ち上がり男たちに再び襲いかかった。


その動きはまったくもって予想不可能。


下から上へと突き上げる針もあれば左から右へ駆け廻る針もある。


その動きに男たちは翻弄され、そして悠輔の作った罠にまんまとはまっていく。


悠輔は顔の表情一つ変えずに男たちに背を向けたまま手を激しく操った。


すると男の一人が何かによって血を吐き倒れこみ、そしてその隣の男は一瞬で手を切断され叫び声をあげた。


男の周りには行き交う針意外にも光る何かが襲っている。


それは針のすぐ後を追うように男たちを一瞬で取り囲みそして襲いかかってきた。


それは彼の宣言通り一瞬で終わった。


悠輔が手をギュッと握り前にかざしたその瞬間、男たちは一斉に血を吐き出し何も言葉を出さないまま崩れ落ちたのだった。


「手間掛けやがって……」


 悠輔はそう言うとすっと立ち上がると男たちを襲っていた針を手の動き一つで手元に回収した。


 そして後ろを振り向くとため息交じりに一言言った。


「そこにいるのはばれてるよ。いい加減出てきたらどう?」


 悠輔は真紅の瞳を光らせ今は姿を見せぬその人物に強く警告した


 それと同時にいつでも相手になってやると言わんばかりに彼は身体から禍々しい殺気を発してみせる。


「ふん……気づいていたか」


 それを見て観念したのか、その男は悠輔の前にすっと舞い降りた。


 大きい──相手はタンクトップを着た筋骨隆々のとてつもない大男だった。


 しかし、今まで相手していた雑魚とはわけが違う。桁違いの強さが醸し出す空気だけで伝わってくるようだった。


「しかし、驚いたよ。そのワイヤー付きの針を遠くから操って複数の相手を葬り去るとは──うわさ通りの恐ろしい使い手だな。伊賀の家元は……」


男のその一言に悠輔はハッと息をのんだ。


つまり、この男は自分の術のからくりを言い当てるくらいの眼力がある──それなりの実力のある他流派の幹部だということだった。


「誰だ……」


 悠輔はその男から一歩引くと彼を真紅の瞳で睨みつけ戦う構えをとった。


 それを見て目の細いその大男は鼻で悠輔を笑った。


「馬鹿はよせ。ボクはお前と戦う気はない」


「じゃあ、この男たちは? 君の配下じゃないのかい?」


「知らないね……」


 そう言うと大男は冷めた目で悠輔が倒した男たちを見た。


 それを見て悠輔は初めて殺気を弱め、彼を湿った眼で見つめて言った。


「とりあえず名を名乗ってもらえないかな。それからじゃないと判断できない」


「ほう……それもそうだな」


 そう言うと男は細い眼を皿に細め柔和にほほ笑んだ。


「ボクの名は応野邦彦。奥州応変流黒頭巾二十代頭目だ」


「応変流──か」


 噂には聞いていた。東北にとんでもない使い手がいると言うことは──


おそらくそれは目の前の応野邦彦その人物なのだろう。それを悠輔はすぐに感じ取っていた。


「──で、僕に何の用だい?」


「藤林悠輔──お前に警告しにきた」


「警告?」


 その言葉を聞いて悠輔は初めて顔に色を見せた。


「お前はその強さから他流派から狙われ過ぎている。それは重々わかってるな」


「別に……それは悪いことじゃないと思ってるけど」


「いや、お前ら他流派の不毛な争いで迷惑を被る人だってたくさんいる。お前だって表の世界で友人や恋人だっているだろう──そんな彼らをお前らの利己的な争いで傷ついたらと思うといくら冷酷な忍者であるお前でも心が痛むであろう」


「──」


 何を言い出すんだ──こいつ?


 その説教めいた言葉を聞いて悠輔は思わず強く困惑した。


「何が言いたいんだ君は……」


 悠輔はそう言うとため息をつき邦彦をキッと睨みつけた。


「初対面でいきなり説教面か……そんな偉いものなのか? 応変流ってやつは……」


「お前、本当にそんな冷酷なことが言ってられるのか?」


「なにが?」


「現に今お前の恋人はある流派にさらわれそうになっている……それでもお前は修羅の道をやめないのか?」


「……なんだって?」


邦彦のその一言を聞いて悠輔は強く動揺した様子を見せた。


早紀が危ない──ずっと思っていた危惧がその瞬間現実味を帯びてきた。


「やっぱり君も僕の敵なのか?」


 悠輔がそう言ったその瞬間彼の身体から再び殺気が噴き出した。


 そして次の瞬間には彼の手には再び数本の針が光っていた。


「違う! ボクは警告しに来ただけだ!」


「うるさい!」


 そう言った瞬間、悠輔は左右に生えた十数本の針を邦彦めがけて解き放った。


 それを見た邦彦はそれを太い両手で身体をガードすると、真正面から悠輔の針を受け止めた。


 針は確かに邦彦の身体には当たった。しかし、それは深くは身体に刺さらず乾いた音を出して濡れたアスファルトに落ちて行った。


「なるほど、身体鋼化か……面白い術を持っているな」


 そう言うと悠輔は真紅の瞳で邦彦を見て笑った。


 邦彦は少し不機嫌そうな表情を浮かべため息をついた。


「一言言っておくが。ボクとやっても結果は無駄だぞ……」


「そんなのやってみなきゃ分かんないだろ」


 そうは言ったものの、確かに邦彦の言うとおり今の手数では若干こちらが不利かもしれない。


 しかも、それを相手は見切っている。


安全を取って引くべきか、それともプライドを取って戦うべきか──雨の中濡れた針を手の中で遊ばせながら悠輔は邦彦と対峙した。


「──無駄な戦いはやめよう」


 最初に引いたのは意外なことに邦彦の方だった。


「何度も言うけど今日はお前と戦いに来たんじゃない」


「じゃあ何しに来たの?一体──?」


「僕は──」


 そう言うと邦彦はくるっと踵を返し悠輔から背を向けた。


「ある女との決着をつけに来た。それだけだ」


「ある──女?」


「たまたまその女を追っていたらお前の彼女がさらわれるのを見た──それだけだ」


 それを聞いて悠輔は目を見開いて驚いた。


 仁科ともえ──それが邦彦が狙う女の名前で悠輔の恋人早紀を窮地に追いやろうとしている女の名前。


「ボクは今からその女と決着をつけてくる」


「それで? 僕に協力しろとでもいいたいの?」


「馬鹿を言うな。お前の力などなくてもあの女など倒せるよ」


 そう言うと邦彦はふっと微笑した


「だけど、お前の恋人は無事で助けられる自信はない。そっちの方はお前が勝手に助けてやってほしい」


「そんなこと……君に言われなくたって」


 そう言うと悠輔は不機嫌そうに手を組んだ。


「つまり君は仁科ともえを倒す、僕は早紀を助ける──結局はそうやって協力してほしいっていいんだろ」


「お前だって嫌だろう。自分たちの流派の戦いに何の関係のない彼女が巻き込まれるのは……」


 邦彦のその一言に悠輔は思わず沈黙した。


 確かにその通りだった。


自分が最も恐れていたことそれが早紀が悠輔の恋人ゆえにこの戦いの渦に巻き込まれるというシナリオだった。


 それを回避するため今までどれだけの苦労をしてきたのだろう。


 早紀の前で自分を偽ったり、小さな嘘をついたり──だけどそんな小さな努力も今ではあまり意味がなかった


「わかった。今回は特別に君に協力してあげる」


 悠輔は小さく笑いながらそう言うと邦彦をきっと睨み返した


「だけど、覚えておくんだな。僕は君に負けたわけじゃない! いつかこの借り──返してみせる!」


4 邪魔者

「おーっほっほっほ! これであたしの勝ちよ!」


 ともえはアテンザの後部座席で勝利の高笑いをあげた。


 すぐ隣にはぐっすりと寝込む愛しの藤林悠輔の恋人である憎き進藤早紀が寝込んでいる。


 こんなことをしたらきっと悠輔は怒るであろう。自分の命を狙いに来るかもしれない。


 でもともえはそれでも良かった。彼と命のやり合いをしても彼の命を奪おうともそれはそれでいい結果だと思っていた。


 ともえは悠輔のすべてが欲しかった。愛も命もすべて自分のものにしたかった。


 そのためであれば何の犠牲も払うつもりだった。たとえ表の世界に住む彼の恋人を犠牲にしようとも──


「早紀ちゃん……あなたは好きにはなっちゃいけない人を好きになっちゃったのよ」


 ともえは暗く病んだような瞳で早紀を見つめると軽く彼女を小突いた


「残念だったわね。その人を好きになったがためにあなたは命を失う──身分相応の恋をしなかった代償よ」


 早紀は答えることはなかった。


ただ後部座席にもたれ気持ちよく寝息を立てるだけだった


「蓮堂! まだアジトにつかないの!?


 そう言うとともえは運転席の戸隠の忍者蓮堂に強い口調で言い放った。


「そうは言いますが、お嬢様。渋滞にはまりまして──」


「ああッ! もう! 情けないわね!」


 そう言うとともえは不機嫌そうにつんと顔をそむけた。


「この間に他流派が襲ってきたらどうしてくれるのよ! せっかくの人質が奪還されたら元も子もないわ!」


「ですが、お嬢様──!」


「もういい! どっか抜け道探しなさいよ!」


 ともえの疳癪に蓮堂は困った表情を浮かべながらナビで抜け道を検索しはじめた。


 きゅっとハンドルを右に切るとアテンザは住宅街に抜ける小さな路地に入った。


──これで渋滞地獄から抜け出せるわね。


そう思い、後部座席にごろりともたれかかったともえだが、アテンザは路地に入って間もなくなぜか動きを停止させた。


面食らったともえは運転席の蓮堂に食ってかかった。


「今度は何よ!」


 蓮堂はその問いに緊張した面持ちで答えた


「お嬢様……検問です」


「検問!?


 何でこんな時間に──!


ともえは焦った表情で前を見た。


大雨が降る中、そこにはたった一人の少しだらしない警察官がともえたちの車を止めていた。


「すいませーん。ちょっと近所で事件があったもんで」


 ぼさぼさ頭のだらしない警察官はやる気がな下げに蓮堂の乗る運転席に近づいてきた。


「すこし事情を聴くために外に出てくれませんか?」


 その一言に運転席の蓮堂は警戒の眼差しで警察官を睨みつけた。


 だがその迫力ある目に対しても警察官はニコニコとした表情を崩すことはなかった。


(どーするのよ! 蓮堂!)


後部座席のともえは湿ったような目つきで蓮堂を睨みつけると警官に悟られないよう『心読』で話しかけた。


(ここで警察に捕まったら元も子もないわよ!)


(わかってますって。お嬢様──)


(じゃあどうすんの!? 強行突破しちゃう?)


(いえ……話をつけてきます)


その一言にともえははっとした。


(ちょっと、あんた正気!?


(大丈夫ですって。相手はただの警官ひとりですぜ。こっちが本気になれば簡単に始末できるでしょうが)


 蓮堂のその一言にともえはどう反論していいのか迷った。


 確かに彼の言うとおり、相手はただの警察官一匹制圧するのはそう難しくない相手かもしれない。


 だけどともえはこの警察官の真意を測りかねていた。


 なんだろう。この嫌な胸騒ぎは……


 このやる気のない警察官の顔を見た瞬間覚えた理由なき違和感にともえは激しく動揺していた。


「なにかあったんですか……?」


 蓮堂は声を口に出してそう言うと雨の降る車の外に出た。


 その一言に警察官はニヤッと不気味な笑顔を浮かべた。


「いえ、この辺の大学で女の子が一人行方不明になりましてね……それの捜索ですよ」


「それはら我々は関係ありませんよ。この二人は同じ大学の友達でしてね……一人が具合が悪いから家に送ってあげてるところです」


「ほう……本当にそうなのかな?」


 その瞬間、警察官の瞳が青白い光を発した。


 それを見た蓮堂は初めて強い緊張感で顔をしかめた。


「お前……!」


「『心読』がだれも聞こえないと思ったのが間違いだったな。同業者には筒抜けなんだよ。戸隠さんよ!」


「──!」


 その言葉を聞いた瞬間、蓮堂は真っ先に動いた。


 上着のそでに隠してあった小型ナイフを手に取るとそれを謎の警察官の顔めがけて突き放った。


 自分のスピードなら遜色なく相手を殺れる筈だった。その刃が空を切る感覚を感じるまでは。


 蓮堂はハッとした。一撃で葬ったはずの警察官は彼の目の前からぱたりとすがたを消していたのだ。


 そして次の瞬間、彼は背後で今まで体感したことのないおぞましい殺気がわき上がるのを感じた。


「お前の力はその程度か──」


 警察官は表情一つ変えてはいなかった。


 それを見て蓮堂はカっと頭に血が上った。もう一方の手にも仕込み小型ナイフを手の持つと猛烈な勢いで余裕警察官めがけて斬りかかった。


 しかし、その刃はまたしても空を切るしかできなかった。


 警察官はまるで流れるかのように蓮堂の刃を紙一重でかわして見せたのだ。


「貴様──ッ!」


「雑魚は引っ込んでな」


 そう言ったその瞬間、警察官はすっと身体をかがめ獣の如くの勢いで蓮堂に襲いかかった。


 そして、彼が足元の水たまりにを蹴りあげた次の瞬間だった。


 それは刃──いや、刃にも似た鋭さをもった水しぶきだ。


 それが一瞬にして蓮堂の身体を切り裂き貫いていったのだった。


 荒い息のままつっと口から流れる赤い血。彼はそのまま体中から血飛沫をあげそして崩れ落ちて行った。


「さて……と」


 警察官は冷たい表情一つ変えぬまま車の中のある人物を見た。


 その眼はギラギラと青白く光り、口元はひやりと恐ろしい笑みを浮かべていた。


「そろそろ、出てきて話をしないか? 戸隠の姫様よぉ」


 その言葉を聞いてともえは車の外にでた。


 その表情は意外にも凛としており、瞳は強く冴えた光を湛えていた。


「水遁とはずいぶんな術使ってくれたわね」


 ともえは一言そう言うと警察官をギラリと睨みつけた。


「あんたただ者じゃないわね。何者よ」


「ふ……意外と顔は割れてないようだな」


 そう言うと警察官はぼさぼさの髪を掻きあげ青白い瞳でともえを見た。


「俺の名は上月静夜──お前が追っかけている藤林悠輔の永遠の好敵手(ライバル)である甲賀の頭目さ……」


「悠輔のライバル? って、ソレ自分で言うの!? 寒ッ!」


 ともえは上月静夜と名乗った警察官向って馬鹿にしたような笑顔を浮かべた。


 それと見て静夜はむっとした表情を初めて浮かべ黙ったまま彼女を睨んだ。


「……まあいいや。で?その甲賀の頭目さんは何しに来たのかしら?」


「要件を言えば早い──女を渡せ」


「女って悠輔の女のこと?」


「そう言うことだ……」


 その一言にともえは狂ったような笑い声をあげた。


「アハハハハ! なにそれ! あんたも女使って悠輔おびき出そうって言うの?」


「お前らみたいな姑息な流派と一緒にされたくないな」


 そう言うと静夜は深いため息をつき青白く光る目でともえを睨みつけた


「俺はただ藤林悠輔と戦って奴の奥儀を破りたいだけ──お前みたいな疚しい理由と一緒にするな」


「何よぉ……あたしの理由が疚しいですってぇ!」


 その一言を聞いてともえの表情がガラッと変わった。


 歯を食いしばり、眼には怒りが灯り、そしてツインテールの髪を逆立て彼女は怒りに燃えていた。


 しかし、静夜はそんな彼女をさらにたたみかけるかのように言い放った。


「ああ、疚しすぎて醜いね。自分の好いた男に何の力のない女がいて怒り心頭なのはわかるが、そこから何の関係のない彼女を巻き込んでまであの男を振り向かせたいのかと思うとゾッとする。お前は忍者の端くれにも置けない女だ!」


 その一言でともえの中で何かがキレた。


 彼女は唇を激しく噛むと暗く鋭い瞳をギラリと光らせた。


 それはあまりにも一瞬の出来事だった。


ともえがすっと手を横にかざしたその瞬間、煌めく光が静夜の首を横一閃した。


彼は余裕綽々の笑顔を浮かべたまま、首から頭がこぼれおちたのだった。


雨の中濡れたアスファルトに崩れ落ちる静夜の躯と生首──それを見てともえはニヤッと冷たい笑顔を浮かべた。


「あーら。大口叩いた割には手ごたえがないわね」


 ともえの手には身体と同じくらいの長さを誇る大きな鎖鎌が握られ、ひゅんひゅんと風を切らせながら彼女はそれを軽々と振り回していた。


「あーん!もう、しずちゃんつまんないじゃーん! もっと楽しませてくれると思ったのに──!」


 そう言ったその瞬間、ともえはその真実に面食らった。


 目の前に転がっていた静夜の生首をふと見るとそれはただの身代わり人形の頭でしかなかったのだ。


 何故──!? あの短時間で身代わりの術を使ったって言うの──?


 ともえは鎖鎌を振り回りながらどこかへ逃げた静夜の姿を目で追った。


 しかし、静夜はすぐにともえの前に姿を現した。両手に眠りこける早紀を抱き、住宅の上の屋根の上に立ち尽くして。


「なかなかいい攻撃だったよ。戸隠の姫さん」


 静夜はそう言うと青白い瞳でともえを見下ろした。


「一歩間違ってたら本当に頭と首が離れ離れになってたぜ……ホント危ない奴だ」


 それを見てともえはぎりっと歯ぎしりして彼を睨みつけた。


「ちょっとぉ! その女返しなさいよ!」


「残念だな。お前が隙を作ったからいけないんだ」


「きぃーーーーッ!! 悔しい!」


 そう言い放つとともえは激しく地団駄を踏み悔しがった。


 それを見て静夜は勝ち誇ったような笑顔を浮かべ言った


「まあ、そう言うことだ。戸隠の姫さんよ……世の中そううまくいかないってことだ」


「うるさいわね! あんた今度会ったらただじゃおかないわよ!」


「ふ……その日を楽しみにしてるぜ」


 静夜は一言そう言うと迫りくる夕闇の中へと姿を消して行った


 それをともえはただ呆然と見送るしかできなかったが、直後彼女の口元に不敵な笑顔が生まれた。


「しずちゃんったら、馬鹿ねえ」


 そう言うと彼女はすっと黒と紫の基調の携帯電話を取り出した。


 その画面にはGPS画像とともに赤い点が絶え間なく西へと向かっていた。


「あたしが早紀のポケットの中に発信器入れてたなんて予測できたのかしら……これであなたの居場所は筒抜けってわけよ」


 ともえはそういうと携帯電話を両手に抱くとまた病んだようなため息をついた。


「さーって、この情報誰に教えようかしら? やっぱり悠輔には教えるべきだよねえ~。だとしたらこれって三つ巴の戦いになるのかしら? うーん、それってとても魅力的!! ともえちゃん萌えちゃうわぁ」


 そうきゃぴきゃぴと言いながらともえはその場をスキップで後にする。


 鎖鎌をぶんぶん振りまわしながら──


5 嵐が来る

「誰だ──」


 東都大学の自転車置き場──悠輔の元にその電話が入ったのは大学を出ようとして自分の大型バイクにまたがったその時だった。


 それは非通知の電話だった。


だが携帯が鳴ったその直後から悠輔は何か嫌な予感が身体の中をよぎっていた。


それがどこの誰かからは知らないが、悠輔は携帯に出たとたん威嚇の声を出していたのだ。


「そうピリピリするなよ。家元」


 電話の向こうの声は男だった。


 否、このねちっこいしゃべり方──どこかで聞いたことがある。


 そうだ──あの男だ。自分をここまで追い込んだ張本人のあの男だ。


「上月静夜──!」


 悠輔はその名をつぶやくと、ぎりっと歯ぎしりをした。


「お、声だけ聞いて俺だと感づいたか。さすがだな」


 その言葉を聞いて電話の向こうの上月静夜は少し嬉しそうな声をあげた。


 それを聞くだけで悠輔はなぜか心が掻き毟られそうな気分になったが、あえて冷静を装って彼に声をかけた。


「なるほど、僕の携帯番号まで裏で手に入れる力があるって言いたいんだな」


「そう言うことだ」


──本当に厄介な相手だ。


悠輔はそう心の中でつぶやいたがすぐに冷静になって電話の向こうの静夜と対峙した。


「で、何の用?」


「さっき戸隠の姫様のところからお前の女を助けてやった」


 その一言に悠輔はカっと腹の底から怒りがこみ上げるのを覚えたが、それを相手に悟られないようにあえて冷たい反応で返した。


「別に君に助けてもらう筋合いはない」


「おや、彼女を殺しかねないあの女の手から彼女を救ってやったのに──」


「君こそ早紀をさらって何をする気? それで僕をおびき寄せる魂胆なんでしょ」


「おーおーえらい言われようだな。助けてやったのに人さらいみたいな言われ方ってないだろ」


 その一言に悠輔は真紅の瞳で前をじっと見た。


 そして電話からでも殺気じみた空気がわかるようにあえて低い声で一言言った。


「──早紀に手を出してみろ。それこそ君の身体はバラバラに引き裂かれるよ」


 その一言に電話の向こうの静夜は不気味な笑い声をあげた。


 やれるもんならやってみろ──悠輔にはそんな挑戦状に聞こえた。


「まあ、ともかく、今から俺の居場所をお前に送る」


「ほう……やっぱりそうきたか……」


 そうやって僕を戦いの場に引っ張り出そう──って魂胆か。


 悠輔はそう思い口元に蔑んだ笑みを浮かべ言った。


「いいよ。君の挑戦受けてあげる」


 その一言に電話の向こうの静夜は深いため息をついた


「それがなあ、家元。この勝負かなりの邪魔が入ると思うんだが……」


「それは覚悟の上だよ。今日はそう言う一日だから」


 そう、今日はそう言う一日なのだ。


 今日一日でどれだけの忍者に会ったと思っているのだろう。しかもどいつもこいつも油断のならない頭目級の相手ばかりだ。


「ともかく覚悟しとけよ。上月静夜。君だけは僕の手で決着をつける!」


 電話の向こうの上月静夜はその言葉に対し鼻で笑うような声を出した。


「やれるもんならやってみなよ。家元」


 そのねちっこい声に無性にムカついた。


これ以上それがばれるのがいやだったからこちらから乱暴に電話を切ってやった。


 悠輔は深いため息をつくと気合を入れたように真紅の瞳で前を見て、エンジンペダルを踏み大型バイクを起動させた。


「で、君はどうするつもりだい?」


 悠輔は独り言を言うようにある人物に語りだした。


 それは自転車置き場のすぐそばにある立派な大木のすぐ袂、一人の大男が悠輔の様子を探るように腕を組んで立っていた。


「ボクは──ただあの女を追うだけだ」


 その男、応野邦彦は顔色一つ変えずに悠輔にそう言った。


 それを聞いて悠輔は蔑んだような笑みを浮かべた。


「君と仁科ともえとどういう因縁があるのか知らないけど、ボクはその関係に関しては介入する気はない。勝手にすればっていうのが正直な感想だよ」


「ああ、そうしてもらう方がこっちも楽だ」


 そう言うと邦彦は巨体を揺らしすっと起き上がった。


「ボクもお前の決闘には関知する気はない。勝手に流派同士殺し合いをすればいいさ」


「つまり、君は今回僕の邪魔をしないんだね」


「そう言うことだ」


 それを聞いて悠輔は呆れ半分の笑顔を浮かべた。


 どうもこの応野邦彦の意図が計り知れない部分があるが今回ばかりはどうやら敵対することはなさそうだ。


「それじゃあ、あとは自分で何とかしてくれる? 僕は忙しくなったからね」


「お前に言われなくてもやるつもりだ」


「その様子じゃ、仁科ともえの位置をつかんでる様子だね──なかなかやるじゃん」


 その一言に邦彦ははっと悠輔を見た。


 彼はにやにやと笑いながらバイクのエンジンの回転数を上げた。


「応野邦彦──また相まみえることを楽しみにしてるよ」


 悠輔はそう言うとバイクにまたがると爆音を出しながらその場を颯爽と走り去って行った。


 それを見送りながら邦彦は久々に空恐ろしさが身体に渦巻いていた。


 その瞬間疼き出す右肩の古傷──その昔、真紅の瞳を持つ男に付けられた傷


 その男と全く同じ瞳を持つ悠輔との出会いは邦彦の考え方を若干変えていったのは事実だった。


 あの男──いつか決着をつけないとこちらが危ない。


 いつか、甲賀の頭目上月静夜と対峙した際彼が言っていた言葉。


『俺たちの争いを止めるために力を使いたいって言うなら、俺よりまずあの青年を何とかしないと話のつじつまが合わないぜ』


 確かにその通りだ。彼を本気で何とかしない限りこの争いはいろんな人を巻き込んで永遠に続く。


 それだけの恐ろしい求心力が藤林悠輔という若者には備わっている。


否、それは彼が生まれ持った宿(さだめ)みたいなものかもしれない


 どちらにしろ、次こそは自分の手でこの戦いを終わらせなければならない。


 邦彦はすっと拳を握り、曇天模様の空を睨んだ。


 嵐が来る──!


1 知らなくていい真実

ぴちゃん、ぴちゃん──


 冷たい水の音が耳に響き渡る


 早紀は深い深いまどろみから徐々に目覚めていく


 ゆっくり瞼を開くとそこは東都大学の学園祭でも、メイド喫茶の一角でもない──まったく見たことがない場所だった


「ここ……どこ?」


 まだ重い身体を起こしながら早紀は周囲を見回す


 赤茶けた錆色の柱、何を作ったのかさえ謎な古い機械、そして冷たい鉄色の床──


 その汚れで曇った窓からは東京の夜景が遠くに見える。


 廃工場──と言っていいのだろうか。いかにも悪者のアジトと言った感じの──


 そう言えばどうして自分はこんな場所にいるのだろうか


 早紀は必死にこうなった経緯を思い出そうとした。


 最初は恋人の悠輔に誘われて行った東都大学の学園祭。でもいつの間にか悠輔は勝手にどこかへ行ってしまい、最悪なことに大雨が降ってきて、そして──


 ──ともえちゃん?


 そう雨宿り先で同級生の仁科ともえと会った。それで悠輔がくるまでメイド喫茶でゆっくりしていってと言われ──それからの記憶がまったくない


 でもどうして東都大学のメイド喫茶からこんな廃工場にまで移動するのだろう?


 その間一体自分の身になにがあったというのか──


「おい……起きたか?」


 その聞き慣れない声に早紀は一瞬身体中に緊張を走らせた。


 怯えながらそちらを振り向くとそこにはぼさぼさの黒髪の男が立っていた


「そんな怯えることはない。俺は何もしないよ」


 そう言うと男は早紀に優しく手をさしのべる


 真っ黒なロングコートを羽織り両手にはまるで騎士のような手甲をはめている


 どう見たって普通じゃない。普通とは思えない。


 早紀はそんな彼の手の誘いに乗ろうかと一瞬考えたが躊躇いつつも彼の手を取った


「ありがとう──」


 早紀は俯きながらそう答える。


 なんだか、とても気まずい。当たり前だ目の前の黒いロングコート男がもしかしたら自分の誘拐犯火も知れないと思うとおちおち油断も出来ない


「しかし、あんた難儀な彼氏を選んだな」


「──え?」


 それどういう事──? 早紀はそう聞きたかったが男の知らず知らず出す空気を察してなかなか言い出せない。


 一体この人誰だろう? なんで悠輔のこと知ってるんだろう? そしてどうして私はここにいるのだろう?


「なんか、ものすごく混乱してるって感じだな……」


 男は困ったように手甲を付けた手で顔を掻く


 その言葉にも早紀はどうしても口から言葉がでなかった。


「わかった……あんたの聞きたいことを好きに聞いてくれ。まあ答えられる範囲で答えてやるよ」


 そう言うと黒コートの男はさび付いた柱にもたれかかった


 早紀は最初その言葉を聞いても混乱から抜け出せなかったが、徐々に頭を整理していけるようになり戸惑いながら小さな声で訊いた。


「どうして……私はここに?」


 早紀の問いに男はまるで遠くを見るような瞳をしながら言った


「仁科ともえの魔の手からあんたを助けてやった?」


「え?」


「何か睡眠剤のような物を飲まされたんだろう……昏睡したあんたは仁科ともえの一味に拉致されるところだった。あのお嬢さんあんたのことが目障りでたまらなかったみたいだし本気で殺しにかかってたのかもな」


 男の口から淡々と語られるその言葉は早紀にとっては衝撃としか言いようがなかった。


 ともえちゃんが私に睡眠剤?拉致?そして殺す──?


 何かの間違いだと信じたかったが、消えた記憶を埋め合わせると男の言葉が一番ふさわしいとしか言えなかった。


「混乱するのも当たり前だよな。俺もあんたの状況に同情する──だけど、あんたがこんな事態に陥ったのはあんたの彼氏に原因があるんだぜ」


「悠輔──?」


 その名前を口にしたその瞬間早紀はハッと目を見開いた


 そして黒コートの男を見ると動揺した様子で訊いた


「なんであなたは悠輔を知ってるの?」


 その問いにも男はポーカーフェイスだった。そしてそのまま一つ息を吐いて早紀を見た


「覚悟はいいか?」


「覚悟?」


 どういう意味よ──そう訊く前に男は鋭い眼光で早紀を見て言った。


「あんたの彼氏藤林悠輔の正体を知る覚悟だ」


 早紀は思わず息を呑んだ。


 表情の乏しい男の顔がその瞬間恐ろしく険しくなった。


 たかが彼氏の秘密を知るくらいで何が覚悟なのだろうと疑問に思う暇もなく早紀は思いっきり男の真剣な表情に見入っていた


「世の中には知らなかった方が良いことだってたくさんある。これから言う藤林悠輔の秘密だってその一つだと思う──だけど、それでもあんたは知りたいと思うか?」


 その言葉に早紀は一瞬沈黙した。


 だけど、彼女に残された答えは一つしかない。たとえそれが知らなくても良いことでも──


「知りたい」


 早紀は男の顔をまっすぐ見てはっきり言った。


 そんな彼女を見て男は念を押すようにもう一回同じ事を訊いた。


「本当に良いんだな?」


「いいわよ。だって知りたいもん! 悠輔の本当のこと……」


 早紀のその言葉を聞いて男は深いため息をついた。


 そして一瞬の沈黙の後、彼はゆっくり口を開いた


「彼は──忍者なんだよ」


「は?」


 その一言に早紀は目が点になった。


 そして、彼女は馬鹿にするような乾いた笑い声を上げて男を見た。


「何……その冗談」


「冗談と思うなら勝手だけどな」


「じゃあ何だって言うの!? こんな世の中に忍者なんかいるわけ──!」


 その瞬間、男の目が青白く冷たい光を発した


 そして早紀の喉元には鋭い刃。


 早紀はそれに息を呑むしか出来なかった。


「それがな、このように生きてるんだよ。忍者は」


 怖かった。泣きたかった。逃げたかった──だけど、もう知ってしまったからにはそれが出来なかった。


 早紀はただただ呆然とするしか出来なかった。


 悠輔が忍者だと言う、真実を──


「すまんな……驚かすつもりはなかったんだ」


 男はそう言うと出した爪を手甲の中に収めた。


「だけど、あんたが愛している男は伊賀藤林流次期家元──日本でも5本の指にはいるほどの忍者だ……それでもあんたはあの男を愛せるのか?」


 その問いに早紀の答えは返ってこない。


 男は小さなため息をつくと踵を返した。


「俺から言えるのはこれだけ。あまりおしゃべりするとあの男が取り返しが付かないくらい怒り出すからな──」


「待って!」


 そのまま去っていく男の足を止めたのは早紀のその一言だった。


「あなたは──悠輔をどうするつもりなの?」


 その言葉に男は一瞬の間の後、彼女の方を振り向かず言った


「倒すよ」


「え?」


「俺はあの男と戦わなければいけない。そういう星に生まれたんだ」


 まったく想像もできない世界だ──早紀は率直にそう思った


だけど目の前に突き付けられた真実はそれを信じなければいけない脅迫感を早紀に与えた


たぶんそれが知らなくてもいい真実を知った代償なのだろうか──


「もしその戦いであんたの彼氏を殺しちゃったらごめんな」


 男は早紀の方を振り返るとにっと笑顔を浮かべて言った。


「だけど、それが俺たちがいる世界なんだよ。まああんたには一生解らないだろうけどな」


 そう言った男の身体が早紀の前でふっと消える。


 まるで風景に解けるように消えていった男を呆然と見送りながら早紀はその場に思わずへたり込んだ。


2 悪い夢

 これは悪い夢か何かだろうか──


 男が去ってから早紀は呆然とその場に立ち尽くしてそのことばかり考えた。


 悪夢としか思えない。


友人でもあった仁科ともえに睡眠薬を盛られて、眠りから覚めたら目の前にいた見知らぬ黒コート男に藤林悠輔の正体を教えられた。彼は忍者であると──


ああ、私おかしくなってる。きっとまだ睡眠薬の影響が残っているのかもしれない。


だから悪い夢のような今が存在するし、幻のような黒コート男が見えたんだ。


夢ならいつか醒めるもの。それならいっそのこと今すぐ醒めてほしい──


 早紀はそう思いながらふらつく足でゆっくりと立ち上がった。


 とにかくあの男の言うとおり、ここから出よう。それが一番の夢の醒める道だ。


 恐怖と薬の影響で足がとてもふらつく。まるで雲の上でも歩いているかのように足場が不安定に思えた。


 だけど一歩ずつ足を前に踏み出して早紀は薄暗い資材置き場のドアへと近づいた。


 そして、ぎいっと錆びついた鉄のドアを開けると、そこはだだっ広い大きな空間だった。


 おそらく工場が稼働していた時はここに機材や資材がたくさん置かれていたメインの工場だったのだろう。


 だけど、工場が引き払った今は何もなく静寂と暗闇が支配するたただの広い空間になっていた。


 ──やだ、本当にサスペンスドラマみたい。やっぱり私拉致られたのかしら?


 早紀はそんな考えが頭によぎったがすぐに考えを変えその部屋を縦断するように出口へと歩きだした。


 その時だった。


 カツン、カツンと厚底ブーツを鳴らす音がこの広い空間に響き渡る


 早紀はその音にはっと顔を上げるとそこには街明かりに照らされた一人の少女の影。


 大きなツインテールにフリフリのゴスロリワンピースにリボンがついたヘッドセット──


 その姿を見て早紀ははっと息をのみ警戒の表情を出した。


「ともえ──ちゃん?」


 その少女の影はどんどん早紀の方へと近づく。


 それと同時に彼女の手には鈍く光る何かが握り、それをゆっくりと振り回していた。


 それはとても長い鎖、そして、その先には大きな鎌のような刃物がついていた


「あーら、早紀ちゃんもうお目覚め?」


 彼女は不気味に笑いながら一言そういった。


「できればずっと寝ててもらいところだったけど、邪魔が入っちゃったわね……」


 そんな不気味に笑う彼女をみて早紀は初めて怖いと思った。


 だけど逃げようとしても足が自由にきかない。恐怖で完璧に怖じ気づいている。


「どうして──」


 早紀はそんなともえに悲鳴に近い声で言った。


「どうしてあなたはこんなことをするの!? 私があなたになにか恨まれることしたの!?


「やったわよ」


 そう言うともえの瞳がその瞬間、暗く光った


「あんたはあたしの大事な男性(ひと)を盗った。それだけでも十分万死に値するわ」


「何で──! あなたと悠輔何か関係でもあるっていうの!?


「ええ、あるわよ……大ありよ」


 ともえはそう言うと急に病んだようにふうっとため息をつくときらきらと瞳を光らせた


「あんたが悠輔と出会う遙か前、あたしと悠輔は結ばれる予定だったの。そう──あたしたちいわゆる許嫁ってところかしら」


「い……許嫁!?


 そのことを聞いて早紀は度肝を抜かされた。


 何かの間違いだろう。そう一瞬は訂正しかけたけれどともえはさらに悦に入った表情で語り続けた。


「あれは確かあたしが14の時だったかしら──親に15歳の藤林悠輔の写真を見せられてこの人と将来結婚するのよっていわれたの。まあお見合いの話は両家の思惑のうちにお流れになっちゃったけどあたしはその時から悠輔って人に夢中! だってすっごくいい瞳してるし、なんて言ったってすっごくイケメン! それは5年たった今でも気持ちはかわっていないの!」


「はあ……」


「だから……あんたが悠輔の女だってことがとにかく気に入らないのよ!」


 そう言った瞬間、ともえは振り回していた鎖鎌を止めて早紀に向かってそれを構えて見せた。


「あんたみたいな素人同然の一般人が悠輔みたいな高貴な人とつきあうなんて許せない!」


「そんなこと言われたって──」


 そう言うと早紀は声を震わせ反論した。


「私だって知らないわよ。悠輔のことなんて表の顔しか知らなかったのに──」


 そうだ。私の知っている悠輔は表の顔なんだ。


 あの無愛想で頼りない東大生の姿はすべて彼の表の顔──だとしたら裏は?


「許せない! そんな覚悟で伊賀藤林流の家元と付き合ってただなんて──!」


 そう言ったとたんともえの表情が急に怒りに染まった。


 金髪のツインテールを逆立て瞳は恐ろしいぐらいにつり上がっていた。


「進藤早紀! おとなしくここで死になさい! それがあなたのため──悠輔のためなのよ!」


 ともえがそう言ったその瞬間、彼女は右手に持った鎖鎌を早紀めがけて放った。


 風を切って空を切り裂く光り輝く鎖鎌。


ダメだ……私ここで死ぬんだ──


早紀はその瞬間、そう感じ恐怖でぎゅっと目を閉じた。


 ……………


 …………


……?


 あれ──?


 一行に襲ってこない刃に早紀は恐る恐る瞳をあけた。


 早紀のすぐ目の前には一人の男がいつの間にか仁王立ちしていた。


悠輔──? 否違う。


あの黒コート男──? それも違う。


それは彼らとは比べものにならないほど巨大な背中だった。


「探したぞ──仁科ともえ」


 大男はともえの鎖鎌を全くの素手で握っていた。


 そこから血は出ているのだがそれ以上のダメージは受け付けていないように見えた。


「あんた──! 誰よ!」


ともえはその大男の顔を見て初めて表情に焦りを見せた。


それを聞いて大男はにやっと笑みを浮かべともえの鎖をぎゅっと引いた。


「応変流──って言えば話が早いかな?」


「応変流ですって?」


 その言葉を聞いてともえは大きな瞳をさらに大きくして驚いた。


「──あんたが応野邦彦だって言うの?」


「ああ……そうさ」


 その名を聞いてともえは少しだけ心当たりのあるような苦々しい表情を浮かべた。


 だがすぐに彼をキッとにらむとまるで牙を見せるように唸った。


「あんたね! あたしの仲間たちを次々と血祭りに上げてるってヤツは──」


「襲われたからやり返しただけだ……」


「うるさい! 大体出てくるタイミングが最悪! せっかくあたしの敵を殺れる絶好のタイミングだったのにぃ!」


 そう言うとともえは恨めしそうに邦彦と呼ばれた男を見た。


 それを見て邦彦は若干あきれた表情を浮かべた。


「この可愛い一般人がお前の敵か──これだから戸隠の忍者は低レベルだと言われるんだ」


「うっさい! あんたみたいな色のない男にオトメのコイゴコロなんてわかるはずないでしょ!」


「やれやれ……誰のせいでここまでこじれたんだか」


 邦彦はそう言うと後ろで震え続ける早紀をちらっと見た。


 その糸のように細い目はただひとつここから出て行けと強く言っているようだった。


「ともかく、戸隠の姫さんや。ボクはここで君を殺すよ。それが君たち戸隠との因縁を解決する唯一の方法だからな」


「あたしを殺すぅ~? やれるもんならやってみれば」


 そう言うとともえはすっと手をかざすと小さく呪文を唱えた。


 すると次の瞬間、邦彦の足下からもやっと紫の煙が勢いよくわき上がった


 思わず咳き込み煙から目をかばう邦彦──その隙を突きともえは高く跳躍し邦彦の首めがけて鎖鎌を振り抜いた。


 それを邦彦は右腕一本ではじき飛ばした。鋼化した邦彦の身体はどんな刃でさえ通さなかった。


 だがその手もともえは十分考慮していた。


次の瞬間彼女はワンピースのポケットからたくさんの紙を振りまいた。


ともえが手を振るとそれは意志を持ち白く小さな蜻蛉のように飛び立ち始めた。


そしてみるみるうちにそれは邦彦の巨体にべたべたとくっつき始めた


「小癪な……」


 邦彦はそう言うと静かに目を閉じた。


そして小さく息を吸うと次の瞬間彼の細い目はかっと見開いたその瞬間、彼の全身から激しい闘気が勢いよく放たれた


 吹き飛び粉々に引き裂かれる小さな紙の蜻蛉たち。


 さらに追撃するかのように邦彦は地面を蹴ると猛スピードでともえめがけて岩のように大きな拳を振り上げた。


 メリメリっと地面に埋め込まれる邦彦の拳。その瞬間大地は地響きをあげ地面は激しくえぐりあがった。


 ともえはまたしても高く跳躍しそれを避けた。そして深く息を吸って次の攻撃に備えた。


 邦彦もすぐに体勢を変えた。空を飛ぶともえめがけて手をかざすと、そこから狂おしいくらいの光と衝撃波が放たれた


 だがともえはそれを焦ることなく口を大きくあげた。


 次の瞬間、彼女の声に大気が震えた。


 邦彦の放った闘気でさえかき消すような衝撃波が彼とそして後ろで呆然と戦いを見ていた早紀に襲いかかった。


 それは耳の鼓膜を直接痛める超音波のような音だった。


 邦彦は思わず耳をふさいだ。そしてよためくように思わず片膝をついた。


──それは、無敵の鋼鉄の身体を誇っていたはずの邦彦が初めてダメージを受けた瞬間だった。


「あーら。身体は硬いようだけどどいやら耳は普通のようね」


 ともえはすっと地面に降り立つと苦痛に顔をゆがめる邦彦を笑った。


「くっ……『音撃』か……」


 衝撃でふらふらする頭を上げ邦彦はともえを苦しそうににらんだ。


 ──噂には聞いていた。戸隠には自分の声を使って相手を攻撃する秘術があると……


だが、ここまでも激し強い力があるとは──邦彦は思いもしなかった

「うふふ……あたしの声ステキでしょ。そんなに聞きたいならもう一度聞かせてあげる」


 そう言うとともえは手を前にかざすとまた大きく息を吸った。


 まずい──邦彦はぎゅっと唇をかんだ


 ともえの『音撃』をもう一度食らって無事でいられるかわからない。


ましてや──


邦彦ははっと後ろを振り向いた。そこには耳をふさいでそのまま失神した早紀がぐったりと倒れている。


何の訓練もしていない彼女がこの術をもう一度食らえば確実に命はない。


そのためには──何とかして彼女を黙らせないと。


邦彦は右手を横にかざすとそこに自らの闘気を溜め始めた


今度は彼女の声にかき消されないようにフルパワーをぶち込むつもりだった。


しかし、様子が変わったのはともえの方だった。


次の瞬間彼女は何かに気づいたかのように、術を貯めるのをやめて側転して何かをかわした。


直後彼女の頭を正確に狙って通り抜ける二つの細く煌めく光──


ともえ、邦彦──そこにいる誰しもがそちらの方向を振り向いた。


コツン、コツン──


彼はゆっくりとした足取りでこちらに近づいてくる。


真っ黒なTシャツの上に背中に龍をあしらった真っ黒な陣羽織、そして額には目が覚めるくらいの真っ赤な色の長い鉢巻きをくくりつけて。


もはや彼の瞳には眼鏡は存在していなかった。ただ有るのは暗闇に赤く光る真紅の瞳だけ。


昼間の顔、情けないエリート東大生の仮面を脱ぎ捨てた藤林悠輔はその瞬間、夜の顔、日本最大の忍者流派伊賀藤林流の家元『百地悠輔』としてこの場に舞い降りたのだった。



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