目次
1章 現代に巣くう忍たち
1 東大生、藤林悠輔
2 警視庁幹部、相馬泰
3 侵入者
2章 休日の忍たち
1 そして、平凡な一日が始まる
2 女子大生、進藤早紀
3 渋谷の通り魔
3章 足跡を残した忍たち
1 事件現場
2 警察官、上月静夜
3 容疑者、田上明央
4章 取調室の忍たち
1 テレビ記者、叶陽一郎
2 激突-伊賀と甲賀
3 静夜の罠
4 追跡者たち
5章 オモテの忍たち
1 お笑い芸人、風間英太
2 メイド、仁科ともえ
3 JAあおもり職員、応野邦彦
6章 ウラの忍たち
1 風魔の英太
2 戸隠のともえ
3 応変の邦彦
7章 アキバの忍たち
1 ともえと悠輔
2 帰り道
8章 学園祭の忍たち
1 東都大学若葉祭
2 舞台袖
3 トーキョーハンター
4 同業者
5 最強
9章 嵐の前の忍たち
1 ともえと早紀
2 ツイてるともえ
3 ツイてない悠輔
4 邪魔者
5 嵐が来る
10章 相見える忍たち
1 知らなくていい真実
2 悪い夢
3 百地悠輔という男
4 集いし5つの流派
5 赤い瞳の一族
6 ともえの提案
7 激突する赤と青
8 別れなさい
11章 動き出す忍たち
1 六本木のオフィス
2 戸隠の女王
3 忍者王
4 アキバのアイドル劇場
5 同盟
12章 恋煩いの忍たち
1 恋人は忍者
2 最後のデート
3 守ってみせる
13章 集結する忍たち
1 警視庁のメッセンジャー
2 集結した忍たち
3 悠輔の企み

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2 メイド、仁科ともえ

同時刻──秋葉原、某大型電器屋ビル


 たくさん並んだ最新型薄型テレビがフロア中にびっしりと並べられ、それぞれバラバラの番組を映し出している。


 彼女がこの店にくる目的は電化製品がほしいわけじゃなくただの近道。


秋葉原駅直結でこの店はつづいておりここから出た方が少しだけだが早くアキバを抜けられる、ただそれだけの話。


 だから並べられたテレビなどいつもは何の興味もなく素通りしていける──はずだったのだ。


 だが、彼女はあるテレビの前で厚底ブーツを履いた足を止めた。


 液晶テレビに映るのはどこの局かさえわからないニュース番組。


 普通なら目にも留まらないような存在のその番組に彼女は釘付けになっていた


「五月十五日、渋谷で起きた男女五人を殺傷した通り魔事件の解決にかかわったとされる大学生に昨日渋谷署から感謝状が贈られました」


「おや、お客さん……」


 呆然とそのニュースを眺めていた彼女に一人の店員が話しかけてきた


 赤い法被に鉢巻姿──いかにも暑苦しそうな店員だ。


「そのテレビいいでしょう。松芝のアクアいって今一番当店で売れているモデルなんですよ。画質は見てのとおり最高! ほら新東京テレビの中島アナがこーんなにも綺麗に写っちゃって──すごいでしょー!買うなら今ですよー!」


 だが店員の問いかけにも彼女は黙ったままじっとニュースにかじりついていた。


 それを見た店員は苦笑を隠しながら彼女の年恰好を観察した。


 真っ黒なフリフリのレースのワンピースに真っ赤なリボンをあしらったツインテール。


 太ももまで覆ったニーソックスをはいて靴はこれでもかというほど厚底だ。


 確かに目立つ格好ではあるが、ここ秋葉原ではそう珍しくないゴスロリファッション。


 それを見た店員は戦法を変えて彼女に売り込みを図りだした。


「お客さん、アニメとか好きでしょ~。わかりますよ、ここの土地柄そんなお客さんたくさん見てきましたからね。では、どうです? このテレビだとアニメも信じられない高画質で見られますよ。最近のアニメはすべてデジタルで作ってますからね。それを受信するテレビもデジタルじゃないとねえ……遅れてるって感じがするじゃないですか?」


 それでも彼女からの応答はない


 手ごわい客だ──店員はそう思ったのだろう。


 店員は近くにおいてあったチャンネルを手に取ると、おもむろにニュースをCSのアニメ放送に切り替えてしまったのだ


「あ……」


 彼女はそのとき初めて反応を見せた。


「どうですかぁ~! やっぱり見てみないと高画質の実感はわかないでしょう……」


 だがその瞬間、彼女は怒った顔をして店員をにらみつけた。


 それを見て店員から一気に余裕の色がなくなった。ゴスロリの彼女の激怒した姿は思っていた以上に迫力があったからだ。


「バーカ! なにすんのよ!」


 彼女はづけづけと店員にそう詰め寄ると一言そういった


「アタシはただニュースが見たかっただけ! なのに勝手にチャンネルなんて──この店やっぱりネットで言われているようにサイテーだね!!


 そう言うだけ言ったあと店員を置いて彼女は踵を返してエスカレーターの方へと歩きだした


 あの空気の読めない店員に邪魔をされて重要なところは聞けずじまいだったが、彼女が特段そのニュースに固執するのにはわけがあった。


 あの通り魔事件を取り押さえた東大生──間違いない。彼はあたしの運命の人だ。


 そう思った瞬間、彼女の口元ににやりと笑みが浮かんだ。


 彼の姿を見て彼女は図らずもとてつもなくうれしい気分になり、心を躍らせながら軽々しい足取りでエスカレーターを降りていった。


「藤林──悠輔、か」


 エスカレーターを降りきって秋葉原の街に出た彼女は一言彼の名をつぶやいた。


 あの人も同じ町で同じように生活している。


 それはそれで嬉しいけど、彼は忘れてないだろうか──彼の許婚になるはずであった仁科(にしな)ともえという少女がいたことを……

 




「いらっしゃいませ!ご主人様!」


 秋葉原の雑居ビルの最上階、ドアを開くとピンクの壁紙と大勢の若き乙女のメイドがエンジェルボイスをそろえて客人を迎え入れる。


 メイドブームが去った今でも客足は盛況なメイド喫茶「ぶるーむ」に仁科ともえは働いていた。


「ご主人様はここは初めてですかぁ?あたしともえって言うんです。これからもよろしくね!」


 メイド服姿のともえは一言そういうと、客人にお絞りをそっと手渡した。


 客──と言ってもほぼ六割はアキバの常連のオタクたち。残り四割は観光がてらにやってきた素人さん。


 でもどちらも適当に愛想を振りまいていればかなりの確立で喜んでくれる──これが男ってやつなんだろうね。


「そっかぁ、ともえちゃんって言うんだ」


 眼鏡をかけた太った男──早く言えばキモデブってところだろうか。彼はともえの前に座るとしげしげと彼女の顔を見つめた。


「ともえちゃんは……何歳なんだな」


「えーっと、17歳でーす」


 嘘だ。本当は19歳のれっきとした大学生だ。


でも、これもサービストーク。信じようが信じないが本人たちの勝手だ


「家は東京なの?」


「んー、一応……ね」


これも嘘。本当は長野の片田舎育ちだ。


「そっかぁー」


 キモデブ男はそう言いながら真顔な顔をしてともえを見た


「ところで、どうしてメイドなんかになったの? もしかして自分からアピールして雇ってもらったの?」


「んー、ちがいますねえ」


 そう言うとともえは困ったような表情を浮かべた


「あたし、もともとアニメとか好きでさぁ……秋葉原うろついてたらこの店にスカウトされちゃったの。まあ、普段着てるのもゴスロリだしぃ、別に違和感はないです」


 この話だけは本当。初めて大学進学のため上京して真っ先に秋葉原に行ったら、早速メイド喫茶のスカウトが入った。


 メイド云々には興味はなかったけど、秋葉原で働けるってことだけで自分は即決したかもしれない。


 そしたら、あれよあれよと言う間に人気メイドの一角を担い、裏では相当のファンが着くような──アイドル的存在になってしまったのだ


「へえーメイドもスカウトされる時代なんだ。なんか芸能界みたいだね」


「ですよねぇー」


 そう言うとともえはケトルに入った紅茶をカップに注いだ


「あたし人気出過ぎで困っちゃってるんです。学校や家にもファンがおしよせて……ストーカー被害なんてしょっちゅうですよ」


「ええ! ストーカーってそんなにひどいの?」


 その問いにともえはこくりと頷いた


「じゃあ、そいつら僕がやっつけてあげるよ!」


「え……」


 その言葉にともえは思わず絶句した


「ともえちゃんはかわいいから絶対変な虫がやってくるでしょ!そいつらを僕が追い払って──!」


「そこまでしなくていいですぅ!」


 ともえの声は店内に響き渡った。


「あたし、これでも護身術習ってるんです。これで結構ストーカー撃退できるし……」


 護身術──本当はそんなかわいいものじゃない。


 自分が会得してしまったのは戸隠流忍術。下手すればストーカーを撃退どころか死の一歩手前にまで追い詰めてしまう技ばかりだ。


 でもそんな裏の顔はメイドになってるときにはご法度だ。


かわいくみんなに愛されるメイドにならなければ──


「あー、でもやっぱり守って欲しいかなあ……あたし、結構怖がりなんですぅ」


 猫かぶりはこの店でバイトしているときに身に着けた技だ。今は忍術云々よりどれだけ人に愛されるかが大事なのだ。


「よかったぁ」


 その言葉を聞いてキモデブは深いため息をついた


「ともえちゃんがストーカーぼこぼこにするところ想像しかかったけど、よかった。やっぱり女の子だね」


「はい! あたし、か弱い女子ですもん」


 ぼこぼこね──本当は実際にそうしかかったストーカーばかりなんだけど……


 ともえはその言葉を心の中でつぶやきながらキモデブの手前のカップに紅茶を注いだ。


 だけど、本当に自分はストーカーをぼこぼこにするほど可愛い娘なんかではない。手加減を間違えればそのストーカーを血みどろにしてしまうほどの力を秘めている。


でも、そんなこと言えない。今の自分は戸隠流の継承者の仁科ともえではなく「ぶるーむ」の人気メイドのともえなのだから。


「あ……」


 そう言うとともえは店の時計を見上げた


「もう三時──」


「え? 何か用事でもあるの?」


 キモデブがそう聞いてきたのでともえは困ったような笑顔を浮かべて否定した。


「ううん、なんでもないですぅ。気にしないで」


 でも、本当は気にしないってレベルの話ではない。四時半から絶対に出なければいけない大学の授業が入っていたのだ。


 この前担当の講師にこれ以上休むと単位をやらないよと言われたかなり危うい授業なのだ──


「だったら、いいや。僕、ともえちゃんとこうして話してるだけで幸せだからー」


「そうですかぁ~」


 そう言うとともえは引きつったような笑顔を浮かべた。


「そういわれると、ともえ……うれしいですぅ~」


 ──さっさと帰れよ。このキモオタデブ!!


 ともえは表ではピンク色の愛嬌を振りまきながらも心根の奥でブラックな毒をはき捨てた。


 この客をさっさと帰らせれば、ギリギリ大学の授業は間に合うだろう。


ただ──このキモデブがどこまで居座るかが、問題だ。


 ともえはキモデブに見られないように小さくため息をつくとまた輝くような笑顔を彼に向けた。


 アイドルメイドともえの時間への戦いはまだ始まったばかりであった。



3 JAあおもり職員、応野邦彦

同時刻──銀座


 彼は早めの昼食を軽くとりながら事務所にある小さなブラウン管テレビを見ていた


 新東京テレビのニュースショー、人気アナウンサーの中島雪季絵が淡々と読むニュースに彼はおにぎりをもつ手を止めていた。


「五月十五日、渋谷で起きた男女五人を殺傷した通り魔事件の解決にかかわったとされる大学生に昨日渋谷署から感謝状が贈られました」


「……ほう」


 そのニュースを聞きながら彼は手元のリモコンをつかって音量を上げた。


 ずっと注目はしていたニュースであった。


 凶器を持った通り魔を大学生ごときが簡単に制圧するなど普通ありえない。ありえるとしたらその大学生が普通じゃないという可能性しかない。


 それを思うと彼はその大学生の正体が気になって気になってしょうがなかった。


 だが、その大学生の名前と表情がブラウン管に映し出されたそのとき、事務所のドアが開き一人の同僚が彼を呼んだのだ。


「応野君、食事終わったかな? 終わったんなら手伝って欲しいんだけど……」


 それを聞いて彼は持っていたおにぎりを一口で食べ、ペットボトルのお茶を胃に急いで流し込んだ。


 そして、席を立ち上がるとにっこりとやさしげな笑顔を浮かべた


「ええ、今すぐいきますよ」


 同僚の男は思わず応野邦彦の姿を呆然と見上げた。


 彼はまるで聳え立つ壁のように身体が大きくそして頑丈そうだった。


 毎日彼を見ていて慣れているからとはいえ、立ち上がるとどうしてもその身体に見入ってしまうのであった


「応野君っていつからこんなに身体が大きくなったの?」


 同僚の男のその問いに、邦彦は嫌な顔一つせず淡々と答えた


「そうですね……大きくなり始めたのは小学生の高学年あたりかな?」


「え!? そのころから……」


「仕方ないですよ。うちの家系は身体が大きな家系ですから──」


 そういうと邦彦はふふっと笑った。威圧感のある体型ではあるが彼の笑顔はとても柔和で親しみがもてるものであった。


「それで、何か問題でもあったのですか?」


「いや……ね、ちょっとお店の方が忙しいらしいからさ」


「ははあ……わかりました」


 邦彦はそう答えると、椅子にかけてあった法被を大きな身体に羽織った


 そこには『JAあおもり』とでかでかと書かれていた。


「じゃあ、そっちにいきます」


 そう言うと応野は巨体を揺らしながらゆっくりと事務所の外へ出た


 銀座の路地にある青森物産館。そこは昼時の買い物客で盛況で満ち溢れるような活気に沸いていた。


応野邦彦(おうのくにひこ)は本来ならば青森の農協職員なのだが、半年前に転勤になり東京のアンテナショップに派遣されてきた。


主な仕事は各企業への青森の特産品の売り込みであるが、時々だが頼まれて店の手伝いも買ってでていた。


「お客さん! 青森りんごのタイムセールス中ですよー! これ3つで198円! 東京では考えられない安さでしょー! 買うなら今!ここで!ですよー!」


 応野の先輩のJA職員安嶋がそう声を掛けたそのとたん、店内の買い物客がどっと押し寄せてくるような感覚に邦彦はおそわれた。


 そう今のご時勢、誰しもが値段に敏感になっている。もともと物価の高い東京だとそれは尚更だった。


 タイムセールが始まったとたんビニール袋に入ったりんごの詰め合わせは飛ぶように売れ始めた。


 まるで、デパートのバーゲンセールだ……邦彦はそう思い顔を引きつらせそうになったがすぐに考えを入れ替えにこやかに笑いながらりんごの入ったビニール袋を客に渡していた。


 しばらくして、タイムセールス用のりんごの袋も少なくなり、客もそろそろまばらになってきたかと思ったとき、邦彦の前にワゴンよりも小さなお客さんが百円玉2つを握り締めた手を差し出していた。


 それに気づいた邦彦はその手の持ち主をチラッと見た。


まだ5歳ほどの小さな女の子だ──それを見た邦彦は少し微笑ましい気分になった。


そして安嶋に気づかれないように袋の中にもう一つおまけのりんごを入れて彼女の前に出て身体をかがめた


その瞬間、女の子は顔を硬直させた。


いくら身体をかがめても190センチは超える偉丈夫の身体だ。子供が威圧感を感じないわけがなかった。


「はい、どうぞ……」


 なんともにこやかな笑顔でりんごの袋を渡そうとしたとき、応野の前で女の子は堰を切ったように泣き始めた。


 それはどんどん大きくなり誰もが収集がつかなくなるほどだった


「応野君……君が子供の相手しちゃだめだろう」


 それを見ておろおろしている邦彦を見上げながら安嶋はあきれた声を出した。


 まるで、自分の身体が大きすぎるのが原因だと言わんばかりに。


「すいません……うちの子が」


 騒ぎを聞きつけてか女の子の母親と思われる女性が彼女の前に駆けつけた。


 しかし、彼女は泣き止むことはなくさらにいっそう何声を大きく上げた


「この娘なにかしましたか?困らせてしまってすいません」


「いえいえ、いいんですよ。こちらこそ対応不足で……」


 女の子の母親と先輩の安嶋が会話に気を取られている間、邦彦ははっと何かを察した。


 ついさっきまでそばで泣きべそをかいていたあの娘の声がまったく聞こえなくなっていたのだ。


 邦彦は込み合う店内をくまなく目で探した。そして一瞬だけアンテナショップの出入り口から出ていく彼女の靴を見つけたのだ。


 その瞬間、邦彦はすばやく売り場から離れて彼女の後を追っていた。


「ちょっと、応野君──」


 急に動き出した邦彦の巨体に驚いた安嶋は彼を制止しようとした。


だがその直後、母親はおろおろした様子で一言言った


「あれ、由美ちゃん──どこ?」


「え──?」


 女の子の母親と先輩の安嶋が置いてけぼりにされているその時、邦彦はアンテナショップの外へと飛び出した。


 彼の目の前の道路には女の子がりんごの袋を重たそうに持ってたどたどしく歩いていた。


 邦彦はそれを見て声を掛けようか一瞬戸惑った。


 先ほどみたいに自分の姿におびえ泣かれてしまっても困る話。だが、放っておくわけにはいかない──


 そう思った瞬間、邦彦は何かの気配をすばやく感じ取り女の子の遥か前方を見張った。


 そこには猛進してくる大型トラックの姿が見る見るうちに近づいてきたのだ。


 その瞬間、邦彦の表情はガラッと変わった。細くて柔和だった瞳を鋭く見開いた瞬間、彼はアスファルトを強く蹴り、トラックの目の前の女の子めがけて走り出した。


 けたたましく鳴り響くトラックのクラクション、それを見て呆然と立ち尽くす女の子──


 駆け寄った邦彦が彼女を抱き寄せたそのときにはトラックはすぐ眼前にせまっていた。


 それでも邦彦はまったく焦ることなく彼女を抱き寄せるとトラックに背を向け身体をかがめた。


 次の瞬間、事態は最悪の結果を生んだ。


 けたたましい急ブレーキ音とともに響く鈍い音。トラックは女の子がいた場所から少し流れてからゆっくりと停止した。


「由美ちゃん──!」


 女の子の母親はそれを目撃して声にならない声を叫び駆け寄った。


 ざわざわとただ回りのギャラリーの潜み声だけが大きく響く現場。


 誰しもが少女とそれを守ろうと飛び込んだ青年の安否を絶望視したそのときであった。


「ママ……」


 駆け寄った母親の耳に細い声大きく響いた。


 母親ははっとトラックの足元を見た。そこにはまるで大きな岩のように立ちはだかった男に守られるように女の子がきょとんとした表情で周りを見回していた。


「由美ちゃん!」


 それを見て母親は安堵の表情を浮かべ彼女に駆け寄った。


しかし、その次に襲われたのは娘の身を挺して守ったアンテナショップの店員への罪悪感だった。


トラックと激突したのだ。彼はきっと助かってはないだろう──


 そう思ったその時だった。


 彼はぱちっと目を開けると何事もなかったかのようにゆっくりと立ち上がった。


 そして、ゆっくりと肩を回しながら一つため息をついた。


 その様子を見て、周りのギャラリーは驚嘆のざわめきを強めた


 ──当たり前だ。大型トラックともろに激突したというのにけろっとしている男が目の前にいるのだから……


「──応野君?」


 そこに焦った表情で駆けつけた安嶋が声を掛けた


「君、無事なのかい? 怪我はないのかい?」


「え──?」


 それを聞いて邦彦は不思議そうな顔をした。


 ちょこちょこ肌の表面からは血が滲んでいたが、ただのかすり傷だとはわかっていた。


「別にどこも痛くありませんけど……」


「そういう問題じゃないでしょうが!」


 そう言うと安嶋は少し怒った様子で言い放った


「君はトラックに撥ねられたんだよ。それでどこも痛くないなんてありえないでしょ」


「はあ……」


 その問いに邦彦は返答に困った。


 まさか言えるはずがない。自分は状況に応じて身体を鋼化できる特異体質だなんて──


「とにかく、今すぐ病院に行きなさい!」


「でも──」


「でももクソもないよ! 君は車に轢かれた怪我人なんだから!」


「はあ……」


 その言葉に邦彦は困ったように頭をかいた。


 ──少し問題があったかもしれないな。


 邦彦は自分が激突したトラックのヘッドバンパーが大きくへこんでいるのを見て、事の重大さを痛感し始めた。


 きっと渋谷で通り魔を鎮圧したあの大学生も同じような気持ちだったのだろう。


 自分たちの力はこんな大勢の人の前で露にするにはあまりにも危険すぎる。彼らの前で自分の存在を世間に誇示するのは忍者としてあってはならないことだ──


 だが彼も自分も同じ言い訳をするであろう。こうするしか他なかった──と。


 救急車のサイレンが遠くから急激にこちらへ近づいてくる。


 多分どこを診ても異常は見つからないとは思うけど、あれに乗るほか残った手段はなさそうだ。


1 風魔の英太

「……はぁ」


 初めてのゴールデンの地となるはずだった新東京テレビの岐路、英太は電車のシートに座り深いため息をついた。


「ものも見事に……すべったな」


「……そうだね」


 相方マサシは言葉少なにそういうと手に持った携帯ゲーム機の方を集中させた


 何のゲームだかわからないが、きっとRPGのレベル上げだろう。先ほどから同じ動きしかしていない気がした


「しかし、なんでだろうな……前のコンビ俺たちよりすべってたはずだぜ? なのにあいつらはオンエアに乗るなんて──なんか理不尽だよな」


「うん……」


「ここまで来たらプロデューサーの好みとしか言えないな。爆笑エンターティナーって某プロデューサーのお気に入りじゃないとオンエアされないって噂だし──」


「へー、そうなんだ……」


「俺たちの前に出てきたコンビ──なんていう奴らだったっけ?」


「ピクシーズじゃなかった?」


「そうそう、いい大人の男が妖精コントしだすから、痛いのなんのって──」


「……」


 ゲームに没頭して沈黙するマサシを英太は苦々しく睨み付けた


「お前、よくこんな気分でゲームしてられるな」


「うん、嫌なこと忘れるから」


「そういう問題か? オレにはお前の神経がわからん」


 そういうと英太は腕組みを組んで窓の外を見た。


 もう日はどっぷりと暮れていた。


「ところで、エータ」


マサシはDSのボタンを押す手を止めずに一言言った。


「……なんだよ」


「今年も学園祭のオファーの頃だよね」


「ああ、そうだな」


 かったるい──英太はそう言いたげに深いため息をついた


 お笑い好きが集まるライブハウスとはちがい、大学生しかいない学園祭の水はどうもトーキョーハンターの肌に合わない気がしていたのだ。


「なんかさー今年、うちの事務所すごい大学担当になったらしいお」


「すごい? まさか東都大学とか言うなよ──」


「ピンポン! すごいじゃんエータ。大正解だお!」


「……マジで?」


 その一言に英太はくるっとマサシの方を振り向いた。


「どうするー? 東都大学なんてインテリだらけで絶対においらたち受けないよー」


「お前、そんなことでびびってるの?」


「だって、あんな中でおいらたちのネタやったら公開処刑みたいなもんだお……」


「バカだなあ……お前」


 そういうと英太は携帯ゲーム機に夢中のマサの目をじっと見るように言った。


「受けるか受けないかやってみなきゃわかんないだろ? たとえお笑いとか知らないエリート大学生でももしかしたら──受けるかもしれないぞ」


 その一言にマサシは初めて携帯ゲーム機から手を離し英太の顔を見た


「あれ?エータ……心変わりしたの?」


「何が?」


「だって、大学生に俺たちのネタは受けないって言ってたのおまいじゃん……」


「ああ……そのことね」


そう言うと英太は不敵な笑顔を浮かべた。


「そんな選り好みしてたら俺たちってビッグになれないような──そんな気がしてさ」


「それはそうだけど……」


「それにあの天下の東大生を笑わせてみろ、それだけでも俺たちに箔がつくんじゃね? これってチャンスだと思わない?」


「うーん」


 その言葉にマサシはしばしの間うなったが、すぐに頭を縦にふった。


「そうだお! エータの言うとおりだお!」


「だろ?」


「よーし、こうなったら東大生を爆笑させるネタ考えるっきゃないでそ! エータこれからおいらのうちに──」


「それはパス」


 英太その一言にマサは呆然とした顔をした。


「……なじぇ」


「だって俺──今日これから人に会う約束あるからな」


「これから──? エータって彼女いたっけな……」


「じゃ、俺はこの辺で……」


 そう言うと英太は座席を立ち電車のドアのほうへと歩いていった。


 マサシははっとした、話し込んでいて気づかなかったが英太が電車を乗り換えるターミナル駅に近づいていたのだ。


「エータ。明日は空いてるよな?」


「さあなあ……俺のバイト次第──だな」


「バイトねえ……」


──あれ、ところでエータって何のバイトしてるんだっけ? 


 その言葉を聞いてマサはふとそう思ったが、聞き返そうとしたときにはもう英太は電車を降りてしまっていた。


 何故だろう──電車を降りてホームに向かうエータはマサの知ってる彼とはどこか違うような気がした。

 




 摩天楼の底の底、世間の喧騒から離れたビルの谷間を彼は冷めた目で見下ろしていた。


 ビルの屋上の縁にちょこんと腰をかけ、まるで何かを待ちわびているかのようにその下を見つめ続けていた。


 風間英太は普段絶対に着ることのない黒のタンクトップを着ていた。


 そして、その右腕に彫られているのは摩利支天の刺青──風魔忍者の旗印だった。


「何の用だよ? 理沙」


 英太は後ろを振り向くことなく背後から迫る女の影を一言静止させた。


 彼女の腕にも摩利支天の刺青が彫られていた。


「いいえ、別に」


 理沙と呼ばれた女は英太よりも若干年上に見えたが、彼女は彼に一言一礼し敬意を払った


「今日はえらくお早い登場と思ったのよ」


「夜が暇になった。ただそれだけ」


「ふーん。またオーディションにスベったのね」


 その一言に英太は初めて表情を曇らせ理沙のほうをにらみつけた。


「……うるさい!」


「その様子を見ると図星のようね」


 そう言うと理沙は英太の横に立つと淡々とした表情で語りだした。


「ねえ、あなたいつまで売れない芸人やるつもりなの?」


「それは、俺が納得するまで……」


「あなた、自分の立場わかってるの? あなたは風魔流に残された唯一の継承者なのよ! それなのに忍ぶ世界とは正反対の芸能界めざすなんて……どうかしてるし!」


 その言葉を聞いて英太はうんざりした表情を浮かべた


「あーあ、また理沙の説教が始まった」


「説教じゃないの! 私はあなたのいるべき場所に戻れって言ってるの!」


「その話はもうやめよう」


 そう言うと英太はビルの縁にゆっくりと立ち上がった


「俺は風魔を継ぐ前に小さい頃の夢を叶えたかっただけ! それだけだよ」


「でも……さ」


「それに俺ちゃんと任務もそつなくこなしてるだろ! それでも文句あるのかよ!」


「………」


 その一言に理沙は反論する言葉を失い、悔しそうな表情をかみ締めた。


「わかったわ。好きにすればいいじゃない」


「言われなくてもそうするよ」


「でもね、これだけは覚えておきなさい!英太!」


 そう言うと理沙は険しい表情で英太をにらみつけた。


「もし他流派の連中が私たちを攻撃するような状況がこれから起きるかもしれない……そうなったら、あなた芸人をすっぱり辞めて私たちを率いて頂戴」


 それを聞いて英太は無邪気な高い笑い声をあげた。


「おいおい。理沙、それマジで言ってるの? こんな時代に忍者大戦みたいなことあるわけねえじゃん」


「……私は本気よ」


「本気かハッタリかは知らねぇけどさ、そうなったら超面白いよな!」


「は?」


 理沙は目を点にして英太を見た。彼はニヤニヤと不敵な笑みを浮かべながら期待に胸を躍らせているようだった


「だって、日本──いや世界で一番強い忍者がそれで決定されるんだろ? そんな状況、俺は燃えちゃうね。最強って言葉、すっげぇ魅力的!」


 その言葉を聞いて理沙は不思議そうな表情で英太を見た。


 どうしてこんなに忍者としての素質があるっていうのに、この子はお笑いの道など選んでしまったのだろう?


 いくらお笑いの道が夢だと言っても、彼には許されない道だとわかっているはずなのに……


 そう思うと理沙は英太のことがますますわからなくなり首を傾げるしかなかった。


「さて……と」


 英太は一言そういうとビルの下の様子を鋭い瞳で覗き込んだ。


 眼下には数人の人影がこちらの様子を先ほどからじろじろと伺っている。


「理沙、客が来たようだぜ」


「あら、本当」


「……なあ、今日は俺一人であいつら片付けていい?」


 英太のその問いに、理沙は一瞬首をかしげた。


「えらい張り切ってるわね」


「当たり前だろ。俺は今モチベーションが上がってるの!」


 そう言うと英太は懐から一本の短い棒を取り出した。


 それは英太の手に握られるといとも簡単に三倍の長さに変化し、そして彼はその棒を軽やかに回して見せた。


「まあ、見てろよ。あんな雑魚5分で片付けてやるよ」


英太は一言そういうと、何のためらいもなくビルの屋上から宙へと踏み切った。


そして暗黒漂う谷間の中心へと変形棒を構えて急落下していった。


ビルの谷間で待ち構える人影たちは、その異変にぎょっと空高く見上げた次の瞬間、英太は棒を振りかぶり激突する地面めがけて振りぬいた。


その瞬間、衝撃で地面はえぐり上がれ激しい衝撃波が彼らの身体を吹き飛ばしてしまった。


はらはらと宙に舞う土埃の中、くぼんだ地面の真ん中で英太は棒を構えて立ち尽くした。


目の前の敵は暗闇の中どこからともなく増えていく。


──そうだ、それでいいんだ。


英太はそれを見てにやりと笑みを浮かべ瞳を鋭く光らせた。


そして、無言のまま彼は好戦的に敵に棒を突きつけた次の瞬間、彼は地を蹴り敵に向かっていった。


2 戸隠のともえ

 そのころ──


 メイド喫茶のバイトをギリギリで切り上げた仁科ともえは久々に在校する大学を訪れていた


 冷泉大学──日本屈指のお嬢様学校と呼ばれる学校にともえは一応通っている


 一応と付けたのはメイド喫茶のバイトが忙しくてあまり熱心に大学に通ってはいないから。


 でも一応進学のために上京してきたのだから、行かないわけにはいかない場所──というべきなのだろうか


 構内でも一際目立つピンクのゴスロリファッションでともえは堂々と通学する


 屈指のお嬢様学校だからさすがにこんな格好をすると自分が浮きに浮きまくっているのは承知の上だ。


 だがこの格好をして目立つということはともえにとってかなり心地いいものだった。


 いくら白い目でみられようが陰口をたたかれようが、そんなのどうだっていい。


 お嬢様たちのファッション雑誌のコピーのような服装よりか自分の方がずっと健全だとともえは心の中でそう思っていた


「なんとか間に合ったわ」


今日こないと単位が危ないと脅された授業会場につくと、ともえは一言そうつぶやいた。


そして席にすわると、ピンクのフリフリレースのあしらったバックからルーズリーフを余裕の鼻歌まじりに取り出した。


今日、受ける授業はあまり人気がないのだろうか……講義室は若干寂しく生徒がぽつぽつ座っているだけだ。


まあ、あたしを脅しにかかる講師の担当の授業だ。面白いわけがない。


それに人が少ないほうが落ち着いて自分の世界に浸れる──


本当は今日はバイトや授業どころなんかではない。


アキバの量販店で見たあのニュースの中の彼のことを思い出すとともえは自然と胸がときめいた。


藤林悠輔──会いたい! でもどうやって彼の前に出ればいいのだろう。


あたしはあなたの元婚約者で今までずっとあなたのことを想って生きてきました──こんな本当のことをいきなり言ったらきっと引くに違いない。


それに──許婚とは言ってもともえと彼は一度も会い見えたことは一度もない。


もしかしたら、彼は自分のことなどとうの昔に忘れてしまっているかもしれない。


それでも、写真でしか見たことのない彼をともえはずっと愛していた。


伊賀と戸隠のお互いの事情で破綻となった婚約だけど、ただ一人ともえの中でだけそれはずっと生き続けていたのだ。


ともえが病んだようなため息をひとつ吐き出したその時、ひとがまばらでしんとした講義室ににぎやかな声が入ってきた。


それは3人組の女子学生。彼女たちは妙に盛り上がった状態でぺちゃくちゃとおしゃべりをしながらともえの前の席に座った。


「いいなあ~。早紀の彼氏……うらやましすぎるよー」


 その中の一人少しぽっちゃりとした茶髪女は講義室に響くような声でそう言った。


「ねえねえ、そんな男どこで知り合ったの?」


「んーとね……合コンだったかなあ?」


「うそぉー! あたし何回も合コン行ってるけど当たりなんて一度もないよ」


「そうそう、大体は下心ミエミエのスケベな男子ばっかなんだよねー」


 そう相槌を打ったのはひょろりと痩せた黒髪の女だった


「てかさあ、東都大学との合コンだなんてなんで私たちに誘わないのー? 私、早紀と親友だと思ったのにぃ~」


──東都大学?


 その単語を聞いてともえははっと顔を上げた


 最初はうるさいガールズトークだと興味のなかった3人組の話だったけど、それを聞いたとたんともえはそわそわと落ち着かなくなった。


「そう言われてもねえ」


 困ったようにそう答えたのは3人の中で最も容姿の整った女、進藤早紀だった。


「私も東都大学って聞いてさほど期待はしなかったのよ……」 


「そんなの嘘だぁ。東都大だなんて未来のサラブレッドの卵の宝庫じゃない」


 早紀のその言葉に連れの女子たちはブーブーと反論した。


それに対し早紀はあきれたような笑みを浮かべた。


「でもね本当なのよ。向こうのメンツも対したことなかったし、あなたたちの言うとおり下心ミエミエの男子ばっかりだったの。最初はね」


「最初?」


「でもね、会が始まって程なくして向こうの一人が急用で帰っちゃったの。そしたら席が開いちゃってさあ。多分東都大側の男子焦ったんじゃないかな? 急にトイレに篭って席を埋めるため友達に片っ端から電話したんじゃないかな?」


「それで来たのが──今の彼氏?」


「最初、彼が来たときさ……全然乗り気じゃなくて、むしろすっごい不機嫌そうで感じ悪かったわ。でもね、ルックスは私たちの中で一番人気だった。眼鏡かけてるけど全体的に整ったイケメンタイプだったわ」


「ふーん、顔は満点、態度は0点なんだ」


「でもね、確かに最初から無口で無愛想だったけど、私は逆にそこが気に入っちゃったな。彼、ほかの男子とは明らかに違う雰囲気出してたもん。なんか、そういうところがミステリアスでもっと彼のこと知りたいって思っちゃった」


「──で、アドレス交換したんだ」


「うん。最初断られるかなって思ったけど、快くアドレスは交換してくれたわ。それからちょこちょこメールしあって、2週間後二人きりで食事して──」


「あー!もういいわ! 早紀ののろけにつきあってらんない!」


 そういうとぽっちゃりの茶髪女は迷惑な高い声でそう叫んだ


「早紀、あんたラッキーよ。そんな男──このご時勢めったにいないんじゃない?」


「そうかな……」


「だって、大学は一流だし、顔はイケメンだし──性格はどうかはしらないけど、パーフェクトに近いじゃん。それに──」


 そういうとひょろりとした黒髪女がにやっと絵顔を浮かべ続けて言った。


「あんたの彼氏、この前渋谷で通り魔取り押さえたんでしょ。それって腕っ節もそこそこ強いってことじゃん!」


 それを聞いて後ろにいたともえは思わず息を呑んだ。


 それは彼女が想っている男性そのものと同じだったのだ。


「シーッ! それは内緒だって言ったじゃない!」


 早紀はその言葉を聞いて急に声を潜めて注意した


 おそらく彼女の恋人とこれは口外しないという約束でもしていたのであろう。


それを聞いた彼女の顔は若干不機嫌そうだった


「あっ!ごめーん。ついつい……」


 そう言うとひょろりとした黒髪女は軽く反省した。


「本当に勘弁して。彼、その件あまり喜んでないようだからさ……だから私もあまり人に言わないようにしてるのに」


「でもさ、昨日のニュース見た? あんたの彼氏映ってたよ?」


 その言葉を聞いて早紀は複雑な表情を浮かべて黙り込んだ。


 それはどこか本当は自慢したいのだが必死で我慢しているような──そんな風にうつった。


「ほら、あんたの彼氏は誇れるようなことしたんだよ。だからじゃんじゃん自慢したっていいと思うよ」


「そうそう、のろけにうつるかもしれないけどさ。こういうことはじゃんじゃんアピールしないと──」


 そういったその時、早紀はふっと後ろを振り返った。


 彼女の背後にはどこか恨めしい表情でじっと前を見つめるゴスロリ姿の女子大生ともえがいた。


 早紀と目が合った瞬間ともえははっと彼女から目をそらして、読んでもいない教科書に目を通した。


 だが、彼女たちの話を聞いた動揺はさすがに隠すことはできなかった


 ──何、あの女……


 教科書で顔を隠しながらともえは悔しさで思わず歯を食いしばった。


 本当は自分の婚約者だった男を何故この東京女がものにしていると思うとともえは嫉妬で心がいっぱいになった。


 ──あんたみたいな一般人に悠輔は似合わない!


 ともえは前に座る何も事情を知らない早紀にそんな呪いの言葉を投げかけた


 彼女のその手には呪いの藁人形がぎゅっと握り締められていた。

 




 久々に大学の帰り道──


 単位取得のための補習を受けてたせいで気づけばもうあたりは真っ暗になっていた。


 ともえは疲れきったような深いため息を吐いて自宅近くの最寄り駅を出た。


 下宿の住所はどちらかといえば都心の方だと思うけど、住宅街だからか夜の帰り道は街灯が少なく人気もない。


 明らかに変質者が出没しそうな、不気味な夜の路地。


 ともえが厚底ブーツを鳴らして夜道を歩いていると、明らかに異質に聞こえるもう一人の足音が高く響き渡った。


──また、来たよ。


尾行に慣れてないノンプロ的足音を聞きながら、ともえはあきれたようなため息をついた。


最近自分の周り嗅ぎまわるストーカーがいることは承知の上。


といっても相手は危険でもなんでもないもてないオタクたちばかり。放置していてもたいした被害はないのはわかっている。


だけど──ここまで、あたしを追いかけてくるなんて……いい度胸してるじゃない。あたしをどこの誰かと知ってやってきてるのかしら──


そう思った瞬間、ともえはくるりと後ろを振り返った。


それと同時に足音もぴたっと止まり、人影はさっと近くの電柱に身を隠した。


「……隠れても無駄なんじゃない?」


 ともえは明らかに不愉快な表情を浮かべて彼にそう告げた。


「あたしはあんたが付けているのずーっと前から気づいてるよ。そんな幼稚な尾行はあたしには通用しないってば」


そういった瞬間、電柱に身を隠していた人影はにゅっと顔を出した


いかにも根暗そうな眼鏡をかけたやせた男──彼はのそのそとともえの前に出ると一言言った。


「ともえちゃん……僕と付き合って!」


「そういうのお店で禁じられてるんだよね──」


「そんなの関係ない!」


そういうと男はどこからともなく花束を出し足を速めてともえに向かってきた。


「『ぶるーむ』で君と出合った瞬間運命を感じた。ともえちゃんがいないと僕──どうにかなりそうだよ! だから──お願いだよ。僕と付き合って──」


「断るわ」


そういった瞬間、ともえの瞳が暗く光った。


そして花束を持っていた男の手首を彼女は軽くひねって制したのだ。


「──ッ!」


 その瞬間、男が持っていた花束と同時に小さな果物ナイフも乾いた音を出して地面に落ちていった。


 それをともえは感情のない瞳で飄々と見つめていた。


「こういう物騒なもの、あんたみたいな甘ちゃんが持つものじゃないわ」


 そう言うとともえは地面に落ちた果物ナイフを拾った次の瞬間、それを彼の喉元に鋭く突きつけた。


 彼女に手を固められる苦痛とナイフの鋭い脅威に男は半べそをかいていた。


「あーあ。だから弱いオタクなんて嫌いなんだ」


 その瞬間ともえは果物ナイフを宙に投げ捨てて一言言った。


「あたしはね、もう運命の人を決めてるんだ。だから誰がどんなにストーカーしようとも無駄無駄! まあ、命の保障はしないのなら別だけどね……」


 そう言うとともえは強く握り締めていた男の手をやっと開放するとにこっと笑った。


 次の瞬間、一陣の風がその場に強く吹きつけた。


 季節はずれの木の葉がその強風にあおられて舞い上がると、彼女は男に向かってバイバイと手を振った。


 そして、木の葉が彼女を隠した瞬間、風とともに彼女は消えた。


 男は腰を抜かしながらともえの姿を探したが、彼女はまるで魔法を使ったかのように目の前いなくなっていたのだ。


「何者なんだ……」


 男は地面にへたりこんで声を上ずらせそう言うしかなかった。


 まるで幻だったかのような彼女の存在は男にとって小さな悪夢のようだった。


3 応変の邦彦

そのころ──


 応野邦彦は浮かない顔をして病院から自らの足で歩いて出てきた。


何度診ても無駄だというのに──邦彦はそう思いながら不機嫌そうな顔をした。


確かに普通の人間なら命はなかったかもしれない。トラックに真っ向から衝突してしまったのだから──


しかし、邦彦の身体は生まれつき普通ではない。だが、事を目の当たりにしていた人々にそれを伝えるのは許されないことだった。


しぶしぶ救急車に乗って病院に着いたはいいものの、それから検査検査のオンパレード。


何度診ても無駄だというのに、医者はしつこく邦彦の悪い部分を見つけ出そうと躍起になっていた。


仕舞いにはどこも悪くないのに検査入院しろと散々医者にせがまれてしまい、半ば喧嘩別れのように病院飛び出してしまった。


一般ピープルには信じられない話だろうが、邦彦の身体は驚くほど頑丈に出来ている。


身体鋼化──それが邦彦の受け継いだ応変流忍術の奥義。どんな衝撃が彼を襲おうとも鋼鉄のように硬くなった身体は最小のダメージで切り抜けられるのだ


ただ、それを職場の同僚や医者にはたやすくは言ってはならないことは邦彦も重々わかっている。だからみんな過剰に心配するのだ。


なんか余計な気苦労ばっかりだ。何も知らない人たちにそのことを説明するなんて──


邦彦は疲れたような深いため息をついてとぼとぼと街の路地を歩いていた。


カチカチと切れかけの点滅をする街灯に遠くでは番犬が吠えている声が聞こえた。


人気のない路地裏を歩いていたその時、対面側から一つの人影が目に入った。


邦彦は思わず足をぴたっと止め、そして鋭い視線でその前を見た。


どんどん足を速めて邦彦に近づく影。それは闇に白く光る刃を抜くと同時に勢いよく大地を蹴って邦彦に襲い掛かった。


だが、その行動は大分早くから邦彦は予想していたことだった。


彼は焦るそぶりも見せず、じっとその場に立ち尽くし男を細く鋭い瞳で見つめ続けた。


そして男の持つ刀が彼を断つために振りかぶられた瞬間だった──


今まで動かなかった邦彦は刹那のごとく男の懐へ飛び込み、そして大きな手をかざした。


次の瞬間、その手から驚くほどの衝撃波が走った。


日本刀を振りかざしていた男はその計り知れない力にあおられてまるで木の葉のように舞い跳んでいってしまった。


「やれやれ……」


 邦彦はため息とともに一言そういうと、くるりと後ろを振り返った


そこには四人の刺客が刀を構えて立ちはだかっていた


「こんなはた迷惑な刺客を送り込んだのはどこの流派だ……」


 そう言った次の瞬間、刺客たちは無言のまま邦彦を取り囲んだ。


話がわかってくれそうな相手ではないようだ──


その瞬間、いつもは寝ているような邦彦の細い目がギラリと大きく見開かれた。


そして、まるでタイミングを計ったかのように同時に襲い掛かった刺客を一人、岩のように大きな拳で一気にねじ伏せた。


その隙に乗じて他の刺客たちも刀を振り上げ次々と邦彦に襲い掛かった。


だが、邦彦は焦ることも避けることもせず、まるで仁王立ちのごとく彼らの前に立ちはだかった。


そして、次の瞬間刺客の刃が邦彦の身体を切り裂いた──はずだった。


その刃はぴたっと動きを止めていた。邦彦の腕のすぐ前で。


斬れるはずがない──この身体は鋭い刃の一振りでさえまったく通さない鋼鉄の身体なのだから。


腕一本だけで刃を受け止めて見せた邦彦に対し、刺客は明らかな焦燥感を浮かべていた。


鋼のような腕に思いっきり刀に力をこめ無理やり切り落とそうとしているようだがその刀は刃こぼれし始めていた。


それを見た邦彦は刺客の刀を払いのけると大きく息を吸い込んでもう一度刺客たちに手を大きくかざした。


次の瞬間、邦彦の手からまた眩い光と大気を揺るがす衝撃波が放たれた。


放たれた波動に刺客は対処する暇などなかった。あまりに強い衝撃は刺客を簡単に弾き飛ばし地面に叩きつけたのだった。


それを見て残りの刺客たちは恐れをなしたのか一歩また一歩と後ずさりし始めた。


邦彦は深いため息をつくと、彼らとは反対側の電信柱をにらみつけた。


「いい加減降りてこい」


 邦彦は一言そういうと掌をかざし光の弾を電信柱に放った。


だが、その光の弾は電信柱で高見の見物をしていた影を撃ち落とすことはできなかった。


音速のような光の弾を華麗に避けるようにその影はふっと地上に降りたのだ。


それを見て邦彦は初めて顔に警戒の色を見せた。


電信柱から降りてきたその男の服装はなぜか警官姿。だがそれ以上に邦彦を警戒させたのはその男が持ち合わせる強い波動と殺気だった。


「ほほぅ……これが東北一といわれる応変流の闘気術って奴か」


 警官姿の男上月静夜はニヤニヤと笑いながら邦彦を見た。


その瞳は寒気がするほどの青白い光を常に放っていた。


「それに、お前の身体はえらい硬いんだな。びっくりしたよ……刀は受け付けないわ、トラックに轢かれても平気だわ──」


 その言葉を聞いて邦彦ははっとした。


 何故昼間のあの事故をこの男は知っているのだろう──? まさかと思うがあのときからずっと監視してたのか?


「お前……何者だ?」


 そんな不信感を吐き出すかのように邦彦は静夜に向かって訝しげにそう聞いた。


「そんなに警戒することはないだろう。別に俺はお前の流派を潰そうなんておもっちゃいない」


 邦彦の質問に静夜ははぐらかしながら淡々と答えた。


「まあ、名乗るような者じゃないけどお前たちみたいな弱小流派じゃないって事だけは言っておこうか」


「何──?」


 その一言に邦彦は明らかに怒りの感情がこみ上げた。


 それを見て静夜はいやらしい笑みを浮かべて邦彦の前に近づいた。


「今回、お前を襲ったのは何の意図もないさ。ただ応変流最後の使い手って言われてる応野邦彦の戦いっぷりが見たかっただけ。それだけさ」


「ほう、それだけのためにわざわざかわいい部下を僕に差し出したのか?」


「俺の目標はすべての流派の奥義を破ること。そのためには研究が必要なんだよ」


 何だこいつ──目の前に現れた謎の警官姿の男上月静夜の言葉に邦彦は明らかな不信感を募らせた。


 どこの流派だか知らないが、彼の言うとおりなら相当な大流派の幹部クラスの忍者であろう。


 だが、彼がこの場に現れた理由が邦彦にはいまいちよくわからなかった。


 巨大流派の忍者たちが覇権を争っている中、一つ東北地方に取り残された応変流の後継者である邦彦に一体今更何の用なのだろう──?


「しかし、非常にもったいないね」


 静夜は一言そういうと深いため息をついて邦彦を見た。


「応変流はそれほどまでの力を持ちながら何故その力を発揮しようとしないんだ?」


「今の時代、ボクたち忍者が活躍できるとでもおもっているのか?」


「ああ、今の時代だからこそ俺たちは生き残らなくてはならない」


 その言葉を聞いて邦彦は初めて頬を緩めて笑った。


「何故、笑う?」


 それを見て静夜は初めて怪訝そうな顔を浮かべて言った。


「今の時代だからこそ生き残る? 馬鹿馬鹿しい。ボクはこんな時代だから忍者は消えた方がいいと思ってる」


「ほう……」


「お前が伊賀だか甲賀だか知らないが時代が変わっても覇権争いばかりしているお前らをボクは軽蔑するよ。むしろボクはそんな覇権争いを止めるために自分の力を使う」


 その言葉を聞いて男はにやっと嫌な笑みを浮かべた。


「なるほど。正義のヒーロー気取りだな」


 その一言に邦彦は黙ったまま静夜をにらみつけたが彼は表情を変えず淡々と言葉を続けた。


「まあいいさ。弱小流派に今の情勢など関係ないみたいだからな……せっかく俺が伊賀の若き家元の正体をばらしてやったって言うのに」


「何──?」


その言葉に邦彦ははっと顔を上げた。それを見て静夜は嬉しそうに微笑んだ。


「おや、やっぱり気になるようだね。あんなに覇権争いはゴメンだって言ってたのに」


「それは──」


「俺たちの争いを止めるために力を使いたいって言うなら、俺よりまずあの青年を何とかしないと話のつじつまが合わないぜ。なんせ彼はあんなに若くて大手の伊賀の率いているのだからね」


 そう言う静夜の顔は見ているこっちがむしゃくしゃするほど楽しそうに見えた。


 邦彦は不機嫌そうに顔を背けると戦意を喪失したようにくるっと静夜から背を向けた。


「もう、やめだ。ボクは帰る」


「どうして、もっとめぼしい情報をあげるって言うのに?」


「伊賀や甲賀の覇権争いに巻き込まれる筋合いはボクにはない。それだけさ」


「ほう……じゃあ、戸隠のくノ一の情報はいらないのか?」


 不意な静夜のその言葉に歩みだそうとした邦彦の身体は一瞬ぴたっと固まった。


 それを見て静夜はさらに煽り立てるかのように言葉を続けた。


「俺はずっと前から知ってたよ。お前らの流派と戸隠の浅からぬ因縁があるってことはね。だから今からお前が欲しがってる情報をあげようっていうのに……」


 そういうと静夜は深いため息をついて邦彦にむかって背を向けた。


「まあ、いらないって言うんならいいんだけどね。俺には何の関係もない話だし──!」


その瞬間だった。静夜は急に踵を変え軽やかに宙を舞った。


 それと同時に彼のすぐ真下を駆け抜けた強い衝撃波。


後ろからの強襲を予知したかのように静夜はそれを避けるように空を跳んでいった。


「不意打ちね……」


 地面にすっと降り立った静夜はそういうとじろりと邦彦をにらみつけた。


「この答えはどう取ったらいいんだろうな……」


「簡単さ」


 邦彦は静夜に立ちはだかるかのように構えた。


「ボクはお前の計画にはそう簡単には乗らない」


「ほう……ではここで俺とやり合うっていうのか?」


「いいや」


 そう言うと邦彦はまた放ち続けていた殺気を納めまた静夜に背を向けた。


 その態度に、静夜の顔は余裕から困惑へと変わった。


「あんたの言うとおり応変流と戸隠流は強い因縁の歴史があってね……その決着だけはボクがけりをつけなくてはならないんだ。だから──」


「──情報が欲しいとでも?」


 その言葉に邦彦は大きく頷いた。


 それを見て静夜は、一瞬戸惑った表情を浮かべたがすぐにそれは気持ち悪いような笑みに変わった。


「やれやれ、虫のいい話だぜ」


 そう言うと静夜はあきれたように両方の手のひらを上に向けた


「俺の計画どおりにならなくて自分の因縁にけりをつけようなんて──欲張りすぎもいいところだ」


「だからボクは力ずくでもその情報をお前から吐き出させるつもりだ!」


 その言葉を言ったとたん、邦彦の背中から這い出るような強く禍々しい殺気が発せられた。


 それを真っ先に感じた静夜はまるで強く警戒するかのように真顔で聞いた。


「お前……それ本気か?」


 その言葉に邦彦はただゆっくりと頷くだけだった。


 静夜はそれを見て一瞬考え込んだが、その決断を下すのは思っていたほど遅くはなかった。


「わかった。今回だけはお前に乗っかってみよう……」



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