目次
1章 現代に巣くう忍たち
1 東大生、藤林悠輔
2 警視庁幹部、相馬泰
3 侵入者
2章 休日の忍たち
1 そして、平凡な一日が始まる
2 女子大生、進藤早紀
3 渋谷の通り魔
3章 足跡を残した忍たち
1 事件現場
2 警察官、上月静夜
3 容疑者、田上明央
4章 取調室の忍たち
1 テレビ記者、叶陽一郎
2 激突-伊賀と甲賀
3 静夜の罠
4 追跡者たち
5章 オモテの忍たち
1 お笑い芸人、風間英太
2 メイド、仁科ともえ
3 JAあおもり職員、応野邦彦
6章 ウラの忍たち
1 風魔の英太
2 戸隠のともえ
3 応変の邦彦
7章 アキバの忍たち
1 ともえと悠輔
2 帰り道
8章 学園祭の忍たち
1 東都大学若葉祭
2 舞台袖
3 トーキョーハンター
4 同業者
5 最強
9章 嵐の前の忍たち
1 ともえと早紀
2 ツイてるともえ
3 ツイてない悠輔
4 邪魔者
5 嵐が来る
10章 相見える忍たち
1 知らなくていい真実
2 悪い夢
3 百地悠輔という男
4 集いし5つの流派
5 赤い瞳の一族
6 ともえの提案
7 激突する赤と青
8 別れなさい
11章 動き出す忍たち
1 六本木のオフィス
2 戸隠の女王
3 忍者王
4 アキバのアイドル劇場
5 同盟
12章 恋煩いの忍たち
1 恋人は忍者
2 最後のデート
3 守ってみせる
13章 集結する忍たち
1 警視庁のメッセンジャー
2 集結した忍たち
3 悠輔の企み

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3 渋谷の通り魔

最低五件とは言っても──

 

 たくさんのブティックの紙袋に囲まれながら悠輔はファッションビルの待ち合わせで不機嫌な顔をして立ち尽くしていた。

 

 かれこれ何時間彼女のショッピングにつき合わされているだろう

 

悠輔はデートのつもりでやってきたはずなのに、いつの間にか決まったように便利な荷物運びになってしまっているではないか。

 

 なんて情けないんだろう……

 

 悠輔は疲れて落ち込んだようにその場にうずくまった。

 

 こんな姿門下の忍者たちに見られたらどうしよう──とは言っても、彼らのことだ。

 

もうとっくに次期家元が一人の女の子に振り回される姿は彼らの笑い種になっているに違いない。

 

 日本最強の忍者集団の長である僕がただの女の子相手にこれほど四苦八苦するなんて……

 

 なんて情けないんだ。泣けてくるほど情けない……

 

 でも、落ち込んでばかりもいられない。

 

 悠輔はまた深いため息をついて立ち上がると、ちらっと腕時計で時間を確認した。

 

 PM1:45──そろそろ本気で昼御飯を食べたいところ。

 

 これ以上早紀に付き合ってられないと思った悠輔は、大きな紙袋を両手に握り締めながら早紀が居座っている雑貨屋に向かった。

 

 かれこれ三〇分早紀はアロマ石鹸の品定めを続けているような気が悠輔にはしていた。

 

 店から漂うなんとも鼻につくたくさんのアロマが混ざった複合臭に悠輔は顔をしかめながら、店先の早紀に一言声を掛けた。

 

「ねえ、おなかすかない?」

 

「うーん。そうかな? 今何時だっけ」

 

 その問いに悠輔は「僕は便利な道具じゃない」といつもの調子で言いそうになった

が、その言葉を飲み込んで言葉少なに彼女に言った

 

「もう2時になる」

 

「へえー。もうそんな時間なんだ」

 

 そういうと早紀はショッキングピンクの石鹸をかごの中に入れるとスタスタとレジのほうに向かった

 

「悠輔、ちょっと待ってくれる? これだけ買ってからお昼にしよ!」

 

「ああ……」

 

 その気持ち悪い色の石鹸も買うんだ──

 

早紀の買い物好きに悠輔は半ばあきらめの笑顔を浮かべそう思った。

 

しかし、やっと買い物地獄から抜け出せてお昼にありつけると思うとなんともいえない安堵感が悠輔の心の中を包み込んでいった。

 

そして、ふうっともうひとつため息をついて店から出ようとしたそのときだった。

 

「きゃぁぁぁぁぁっ!」

 

 女の悲鳴がショッピングビルのフロア内に響き渡った。

 

 悠輔ははっとそちらのほうを振り向くと、数人の若い女性が腹や腕を押さえぐったりと倒れこんでいた。

 

 その隣では包丁を持った狂気めいた表情を浮かべた男。その様子はこのファッションビルに似つかわしくない狂気に包まれていた。

 

「通り魔よ!!

 

 近くを通りがかった女の人が全ホールに響き渡るような声でそう叫んだ瞬間、周りの買い物客たちはなだれを打つように彼から逃げ出し始める

 

 それに反応して彼も声にならない叫び声を上げ包丁を振りかざしこちらめがけて走ってくる。

 

 途中、追いついた人や転んだ人の足や胸を刺しながら、ずんずんと早紀のいるブティックへと近づいてきたのだ。

 

「悠輔──!」

 

 周囲のおかしな様子に焦って早紀は悠輔の下へ駆け寄ろうとしたが、彼は彼女に向かって手をかざして強く言った

 

「来るな!」

 

 それは彼女にとって今まで聞いたことのない悠輔の凛とした声であった。

 

 その一言に早紀はぴたっと足を止めるしかなかった。

 

 悠輔の眼鏡の奥の瞳は自然と鋭い光を放ち始める。その時、彼は知らず知らずのうちに忍者としての顔へと変化していた。

 

 逃げ惑う人をなぎ倒しどんどんとこちらへ吸い寄せられるようにやってくる通り魔──

 

 そして、ついにその場に仁王立ちする悠輔めがけて彼は包丁を付きたてた。

 

 早紀は思わずその様子に目をそらした。その場にいる誰しもが青年に降りかかる惨劇を予想したに違いない。

 

 だが、こんな怒りに任せて振られた刃を交わすことなど悠輔にとっては朝飯前の出来事であった。

 

 悠輔は身体を表情ひとつ変えず身体を少し横にそらせただけで通り魔の包丁を軽く避けていた。

 

 そして、その反動で通り魔の身体は大きくぐらっとふらついた。その瞬間を悠輔は見逃すことはなかった。

 

 悠輔はがらんどうになった通り魔の肩甲骨の辺りを狙って裏拳をたたきつけた。

 

 次の瞬間、通り魔は強い衝撃で派手に吹っ飛ぶ。

 

 5メートルほど飛ばされた通り魔はそのままフロアに大の字に寝そべりそのまま動かなくなった。

 

 あまりにも冷たい瞳でそれを見ていた悠輔であったが、周囲のギャラリーの多さに思わずはっと我に返った。

 

 ──やばい。ついつい本気を出してしまった……

 

 悠輔はあわてて通り魔の男に近寄り手を触って脈を図ったが、案の定、彼は心肺停止状態だった。

 

「ねえ、ちょっと大丈夫!?

 

 その様子を見て早紀は真っ先に店から飛び出し呆然とする悠輔に駆け寄った。

 

「──悠輔、怪我ない?」

 

「ああ……」

 

「ああ、じゃないわよ! だってあなた通り魔をやっつけちゃったんでしょ」

 

「──早紀」

 

 そういうと悠輔は早紀の手をぎゅっと握った。

 

「え──?」

 

「とにかくここから逃げよう!」

 

「何で? どう言うこと?」

 

「説明は後でするから!」

 

 悠輔は一言そう叫ぶと早紀の手を強く引き囲んでくる野次馬たちを割るようにその場を後にした。

 

 おそらく早紀はまだ何が起きたかわかってないだろう。

 

 だからこそ彼女が事実に気づく前に悠輔はその場から早く逃げたかった。

 

これは間違いなく大事になる。

 

渋谷の超有名ファッションビルに出現した通り魔を取り押さえるどころか半殺しにしてしまったのだから──

 

でも英雄になどなりたくない。なってはいけないのだ。

 

伊賀忍者のトップとして自分の正体をやすやすとあらわにするわけにはいけないのだ。

 

「ねえ、本当にどうしちゃったの?」

 

 急いで事件のあったファッションビルを抜け出した瞬間、早紀はいぶかしげな顔して悠輔の手を払いのけた。

 

「なんで悠輔があの場から逃げ出さなきゃならないの!? 理由を教えて!」

 

「それは……」

 

「犯人が動かなくなってテンパっちゃったのはわかるけど、それっていわゆる正当防衛ってヤツだから悠輔にはなんの罪もないと思うけど……」

 

「そういう問題じゃないんだ!」

 

 そういうと悠輔は下にうつむき拳をぎゅっと握った

 

「今は君に深い訳は話せないけど……とにかく、目立つのが嫌だっただけさ」

 

「目立ちたくないって……どういうこと? 恥ずかしいの?」

 

「そうじゃない……訳は話せないけど」

 

「もう、それじゃあ意味がわかんない」

 

 そういうと早紀はむっとした表情で悠輔の顔を覗き込んだ。

 

「私たち、これでも立派な恋人同士だよね? 隠し事ってあんまりよくないんじゃないかな」

 

「そうはいうけどさ……」

 

 本当のことなんて絶対に話せない。自分が忍者の頭目だなんて口が裂けても言えない。

 

 もし打ち明けたとしても早紀がその現実離れした話を信じてくれるかどうかもわからない。

 

 そんな前にも後ろにもいけない状況なのに、どう早紀に説明すればいいのか──悠輔にはまったくわからなかった。

 

「──もう、何その沈黙!」

 

 黙りこんでしまった悠輔を早紀はむっとした表情で見つめて言った。

 

 だけど、悠輔はそんな彼女に何もいえなかった。

 

「ねえ、悠輔。私に話していない秘密でもあるの?」

 

「あるよ……」

 

 そういうと悠輔は早紀に背を向け一言いった言った

 

「当たり前じゃないか。君に言えない秘密なんて星の数ほどあるよ」

 

「じゃあさ──!」

 

「でも、今は話せない!」

 

 悠輔の強いその一言に早紀は思わず出しかけた不満を引っ込めた。

 

 彼の背中はいつもとは違いどこか物悲しいものを感じた。

 

「──ごめん。今日はこれでデート中止してもいいかな?」

 

「え?」

 

「こんな気持ちで君と付き合ってたら君に不快な思いをさせてしまう気がする。それなら、今日はもうやめたほうが──」

 

「でもさ、そんなこと私気にしないよ?」

 

「気が進まないんだ」

 

 悠輔は一言そういうとうつむき加減に先を急ぎだした。

 

 早紀はそんな悠輔に一瞬付いていこうと足を速めたが、初めて近寄りがたい空気を出す彼を見てすぐに足を止めてしまった。

 

 そのうち悠輔は渋谷の雑踏の中に煙のように消えていく。

 

 そんな彼を呆然と見送りながら早紀は今日初めて見せた彼の別の顔にもう一度とり肌を立てた。

 

 今までただの無愛想で情けない彼氏だったのにほんの少し別の面を見ただけでどうしてこうときめくのだろう。

 

 そう思うと早紀はますます藤林悠輔という男のすべてを知りたくなった。


1 事件現場

「今日の午後二時ごろファッションビル『シャイニーズ渋谷店』でまたしても通り魔事件が発生しました。午後のショッピングを楽しんでいた若い女性たちでにぎわっていた店内は大混乱。犯人は女性4人男性2人を切りつけ、うち2人は重傷を負って近くの病院に運ばれました」

 

 悠輔たちが去ってまもなくしてあのファッションビルは黄色の規制線がぐるぐると張られていた。

 

 いつも人でごった返している場所であるが、今日だけはさすがに様子が違う

 

 たくさんのテレビカメラ、記者やレポーターなどのマスコミ関係者に制服を着た警察官、そして何十にも重なった若い野次馬たちがその店をぐるりと取り囲んでいた。

 

「しかし、この店にある救世主がいたと言うのです。目撃者によると犯人はある青年によって取り押さえられたという話です。彼はその後騒ぎのそばから姿を消してしまい行方がわかりませんが、彼がいなければこの事件はもっと大惨事になっていたことでしょう──」

 

 能天気にカメラに向かってピースサインをする馬鹿な野次馬たちを抑えながら年配の女性リポーターは淡々と原稿を読んでいる。

 

 その横を一人の男が規制線に向かってのそのそと近づいていった。

 

 ぼさぼさの黒髪にいかにも眠たそうな瞳、服装は制服の警官であるがどことなく着崩していてどこかだらしない印象を与えた。

 

 そんな彼を見て、近くにいたかっちりと制服を着た警察官は声を掛けざるを得なかった。

 

「ちょっと、君。どこの署の者だ?」

 

「俺? 渋谷署だけど?」

 

 彼はぼりぼりと頭をかきながら一言言った。

 

「じゃあ所轄のところのか……それよりも、君。何だねそのだらしない服装は!」

 

「これが普通ですけど?」

 

「そうじゃなくて……一応ここは事件現場で一般市民やマスコミがたくさん見ているんだ。そういうところくらいいつもより気合入れて──」

 

「どうでもいいけど、早く入れてくれませんか? 俺、仕事あるんで」

 

「仕事──」

 

 その言葉に警察官は彼を訝しげに見つめた。

 

 いくら自分が警察官だと名乗っても彼の年や背格好を考えて中で捜査する立場の人間じゃない。

 

 そんな彼を入れるべきなのか、否か──

 

「聞いてるのか?」

 

 彼は特段にゆっくりと警察官に語りかけた。

 

 いつの間にか眠たそうだった彼の瞳は奥で不思議な青白い光を放ち始めていた。

 

「俺はこの中に入らなければならないんだ。後で後悔したくなければそこをどいてもらいたい」

 

 彼のその言葉を聞いて警察官は不思議な感覚に襲われた。

 

 自分より年若く階級も明らかに低そうな男であるのに、彼の身体からは強い威圧感が見る見ると吹きだしている。

 

 それに彼の眠そうであり鋭そうでもある不思議な瞳を見つめると、自然と彼の言ったことこそ正しいと思えてくるのだ。

 

 頭の中がその不思議な感覚でぼんやりともやに覆われていった次の瞬間、警察官の身体は無意識のうちに動き出し彼に道を譲っていたのだ。

 

「どうぞ……」

 

 その言葉もまったくの無意識のうちのもの。

 

 次の瞬間、警察官はふと我に返りその言葉を訂正しようとしたがもう時は遅し。彼は悠々と現場のファッションビル内へと入っていった。

 

 一体、何なんだ……あいつ。

 

 頭を覆っていたもやを振り払うかのように頭を振るう彼の横でテレビ局のレポーターは原稿の結を読み始めていた。

 

「──なお、容疑者の男は心肺停止の状態で病院に運ばれ治療中です」


2 警察官、上月静夜

 ファッションビルの中は水を打ったようにがらんと静まっている。

 

 いつもなら女性客でごった返す午後のひと時、人っ子いない館内は寂しげに照明が落とされている。

 

 館内にいるのは刑事や鑑識などの警察関係者に、それを心配そうに眺める店の従業員くらい。

 

 そう、このファッションビルは突如として事件現場へと転落した。

 

 午後のひと時急に現れた通り魔の男にそれを制止させた男──二人がこの場所に残した衝撃はあまりにも大きすぎた。

 

「しかしまあ……」

 

 スーツを着込んだ若い刑事海原は思わず感嘆の声を上げた。

 

「何でまたこんな場所で通り魔とはねえ……若い女の子にそんなにうらみでもあったのかな?」

 

「さあな、それは犯人に聞いて見なきゃわからんだろ」

 

 フロアに点々と置かれた鑑識札をしゃがみこんで見ていた彼の上司である中堅っぽい刑事細川は不機嫌そうな声で一言言った。

 

「でも、犯人の田上明央は今生死をさまよっているとかいう話じゃないですか」

 

「そうだ……」

 

「大体わけがわかりませんよ。何が起きたか知らないけど通り魔のほうが心肺停止状態って──どういうことですか」

 

「つまり……あれだよ」

 

 そういうと細川は困った表情を浮かべその場に立ち上がった

 

「目撃者の話では犯人を取り押さえた青年がいたというじゃないか……そのときの格闘で犯人側がそうなったとしか……」

 

「まさか細川さん、それを信じるわけじゃないでしょうね? 刃物で武装した相手をねじ伏せるなんて警察でもなかなか出来ませんよ」

 

「まあ、そうなんだが……」

 

「まったく信じられませんよ。ただの大学生風の青年が犯人を取り押さえた反動で犯人が心肺停止なんて──本当ならその青年、とんでもない相手ですよ。このまま野放しにしてたら通り魔より危ないかも」

 

──最近の若い奴は好き勝手なことばかり言うなあ……

 

隣で不満をたらたらと言う後輩海原の話を話半分聞いていた細川は少しむっとした表情を浮かべそう思った。

 

だが、彼の言い分もわかる。

 

こんなことありえない。武装した通り魔を素手で普通の青年が取り押さえるなんて──相当な訓練がないとそんなこと一般市民には無理だ。

 

それどころかその青年との格闘で通り魔の犯人は心配停止に陥っているなんて──海原の言うとおり確かにそれはとても恐ろしい話かもしれない。

 

だが、一番事情を知っているはずのその青年は騒ぎに乗じてこのビルから消えるように去ったという。

 

犯人の意識も戻らず、彼も行方不明──こんな状況でどう捜査をすればいいというのだ?

 

「あ……」

 

 海原はふとフロアの別の場所に目を移した瞬間、急に怪訝そうに顔色を変えた。

 

「──どうした?」

 

「何で? 何で上月がここにいるんだよ」

 

「上月──?」

 

 彼の言葉を聞いて細川はふと顔を上げると、その目の前にはいかにも場違いと言われんばかりのだらしなさそうな警察官がじろじろと現場を見つめていた。

 

「まさかあいつが?」

 

「そう。上月静夜、俺の同期なんですけど、コイツがまたやる気がなくてだらしない男でね……今は多分うちの署で資料係してると思うんですけど」

 

「資料係!? 何でそんな奴が現場にいるんだ!」

 

「そんなこと俺に聞かないでください。大体現場に上月がいるなんて……明日多分雪ですよ」

 

「お前、そうは言ってもあいつの同期なんだろう。それくらい聞いて来いよ」

 

「そうは言いますが……」

 

 細川のその命令に海原は一瞬嫌そうな表情を浮かべたが、先輩の無言のプレッシャーに負けしぶしぶと彼のほうに近づく。

 

 同期の海原でさえいつも資料室でぼけーっとしている姿しか頭に浮かばない上月静夜だが、今日の雰囲気はどことなくいつもと違う。

 

 それは普段現場になんか出ないからそう見えるだけだろうけど、今日の上月は真剣を通り越してどこか近寄りがたいくらい雰囲気を出しているように思えた。

 

「……よう。上月」

 

 海原はそんな静夜の横に行き、彼の右肩をぽんと軽くたたいた。

 

 その瞬間、上月静夜は強く反応し鬼気迫る表情でそれを強く振り払ったのだ。

 

「何をする!」

 

 上月は海原にたたかれた右肩を持ちながら彼をきっとにらみつけた。

 

 その様子はどこか右肩をかばっているような風にも写った。

 

「何もしてねえよ! 何勘違いしてるんだ!」

 

 その様子に海原はむっとした様子で反論したが、それを無視するかのように上月はまた現場をじろじろ眺めだした。

 

「って──聞いてるのかよ!」

 

 その一言に上月は淡々と一言言った。

 

「邪魔だから向こう行ってくれないか?」

 

──それは俺たちの言う台詞だっつーの! 

 

あまりにもつれない上月の態度にそう言いたかったが、なぜか今日はその一言が出なかった。

 

 今日の上月静夜は自分の知ってる顔とは少し違う。

 

あのやる気がなくてとぼけている彼が何をかぎつけたかは知らないけど怖いほど真剣になっているのだ。

 

「なあ……」

 

 海原はそんな上月の横にしゃがみこむと下手に一言聞いた。

 

「一体何の風の吹き回しだ?」

 

「何が?」

 

「だって、お前現場の人間じゃないだろ。なのに今日に限って……」

 

「個人的に興味を持っただけだよ」

 

 そういうと上月は海原を避けるように立ち上がった。

 

「興味って……この犯人か?」

 

「いいや、違うね」

 

上月はそういうとにやっと不気味な笑顔を浮かべた

 

「通り魔を意図も簡単に心配停止させてしまった彼に──ね」

 

「……はあ?」

 

 その言葉に海原は思わず頭をひねった。

 

 上月が何に興味を持ったかは知らないが、いつもはやる気がない警察官で有名な彼がこれほどまで燃えている姿はとても奇妙に思えた。

 

「でもさあ、その男を捕まえてどうしようっていうの? もし容疑者がこれで死んじゃっても状況からして彼はどう考えても正当防衛だし、犯人逮捕に協力してくれたんだから警察は彼を表彰するしかできないだろう……」

 

「表彰か……それも面白いね」

 

 そう言うと上月は海原のほうを向いて一言聞いた。

 

「容疑者が心停止してから何分立つかな?」

 

「そうだな……かれこれ事件が起き三〇分程度経つからなあ。もう容疑者はあの世かも知れんな」

 

「そうかな。案外息を吹き返してるかもしれないよ」

 

「へ?」

 

 ──どういうこと? そう聞きかけたその時だった

 

 静まり返ったフロアに携帯の着メロが響き渡った。

 

 上月は表情一つ変えずに携帯電話を取り出すと恐ろしく冷静な口ぶりで淡々と電話に淡々と答え始めた。

 

 何を話しているかわからないが、ただ海原には電話の応対をしている彼は近寄りがたい殺気に似た何かを出しているように思えてならなかった

 

 やがて上月にかかってきた電話はすぐに切れた。

 

彼はひとつ息を吐くとチラッと横の海原を見て言った

 

「容疑者、息を吹き返したらしい」

 

「え? それホントなのか──?」

 

 でも待てよ──上月の情報で少しだけ希望が持てたが、次の瞬間海原に大きな疑問がわいた。

 

 容疑者が息を吹き返した情報が何故真っ先に彼に来るのだろう。

 

 やる気のない警察官である彼にそれを知る権限などない──はずなのに。

 

 それを問いただそうと海原が上月に向かって口を出そうとしたその時だった。

 

「それじゃ……俺、用事思い出したから」

 

「ちょっと待てよ。一体何の用事なんだ」

 

「あんたには関係ない話だ」

 

 上月はそう一言言い放つと足早にフロアを去って言った。

 

 一体あいつは何様なんだ──出世をあきらめたはずの同期の男を呆然と見送りながら海原はむっとした表情でそう思った。

 

 ただひとつだけ言い切れること。今日の上月静夜がいつものやる気のない男とは違う顔をしていたということだけ。

 

 それ以外はまるで何もわからなかった。

3 容疑者、田上明央

 この事件の一報を聞いたときから上月静夜は不思議な胸騒ぎを覚えていた。

 

 これが渋谷のファッションビルを襲った単なる通り魔事件だけだったのであれば、わざわざ現場に向かうことなどなかった

 

 普通の事件など無能な刑事たちに事件を任せておけばそれでいいのだ。

 

 渋谷署の資料係の自分が出る幕などないことは静夜にも重々わかっていた。

 

──だけど、今回はただの通り魔事件とはまったくの別次元の大事件が静夜の胸を響かせた。

 

それは通り魔がある若者によっていとも簡単に取り押さえられたという非常事態であった。

 

初めてそれを知ったとき、静夜はほかの誰よりも早くその青年がどんな顔を持つ人間なのかわかってしまったのだ。

 

 それを教えてくれたのは、彼が通り魔を心停止にまで追いやった技だった

 

死の拳──人の神経が集中している肩甲骨あたりを強く殴打することで敵を一瞬にして気絶させるという忍者独特の技。

 

ただ加減が強いと一撃食らわせただけで心停止しかねない文字通りの死の拳──

 

 彼も手加減すればよかったものの素人である通り魔ごときに加減を怠ったせいでこの俺に忍者であるというシグナルを出してしまったのだから──本当に馬鹿な奴だ。

 

 だが、そのおかげで彼を捜す手間が省けた。

 

ここまで来たら警察も彼の居所を捜すことに腰を上げなくてはならないだろう。そうすれば自然と自分を彼の元へ連れて行ってくれる。

 

 それにこれほどまでの使い手だ。もしかしたら自分の捜し求めている相手かもしれない。

 

そう、おととい刃を交えたあの若き伊賀の頭目に行き着くかもしれない。

 

それを思うと静夜は高揚感を抑えることができなかった。

 

滅多に行かない現場にも足を運び、ついには犯人の田上明央が入院している病院にまで来てしまった。

 

すべては誰よりも早く通り魔を抑えたあの男に出会うため。

 

そして、いち早くその相手と刃を交わらせるため──

 

静夜は誰にとがめられることなく、病院の奥へとゆっくりと歩いていく。

 

本来ならば入院している容疑者がいる病棟など自分みたいな平警察官が入れるような場所ではない。

 

だけど、彼はここに入るため少しだけ裏の人脈を使っていた。

 

普段は冴えない男を演じて隠し続けている本当の顔、それを知るものはほんのごく僅かな警察幹部の協力者だけである。

 

そしてそんな彼らの力を使って静夜は面会謝絶の田上明央の病室に入り込んだ。

 

すべては田上から件の男の情報を聞き出すため。その男を探し出すため──

 

それは警察のためでもなんでもない。すべては甲賀のためだった。

 

静夜は面会謝絶と書かれた病室のドアをゆっくり開けると、部屋の奥で寝ている田上明央をじろりと見た。

 

息を吹き返したとはいえ彼は酸素吸入器を口に付け完璧なるこん睡状態だ。

 

だが、静夜はそれを気にするそぶりもなく淡々と田上のそばに近づいた。

 

そして、何を思ったか静夜はこん睡状態で絶対安静の田上の胸をすばやく一突きした。

 

その瞬間、田上はカッと目を見開いた。

 

そしてそんな彼の耳元に口を近づけある言葉を吹き込み始めたのだ。

 

「おはよう。田上くん。君はある男によって深く眠らされていたのだよ。でも俺が君の深い眠りを覚ませてあげる。だから、俺に真実を話して欲しいんだ。君を眠らせた男のことを俺に話してほしいんだ」

 

 その言葉を聞いて田上はぎょろりとした目でゆっくりと静夜のほうを向いた。

 

 それを見て静夜はにやりと不適な笑みを浮かべた。

 

「俺の手が君の胸から離れれば君は永い眠りから目覚める。そうしたら真実をすべて俺に話すんだ。これは命令だ」

 

 そういうと静夜は田上に突き立てた手をゆっくりと離した次の瞬間、田上はごほごほと咳き込み始めた。

 

そして、誰に言われることなく彼は勢いよく酸素吸入器を口からはずした。

 

 荒く息をしながら意識が完璧に戻った田上はゆっくりと静夜の顔を見上げた。

 

 彼は冷たい視線で田上を見下ろしながら、先ほどの暗示を促し始めていた。

 

「あ、あいつに……こ、殺される!」

 

 田上は悲壮な声を絞り上げて一言そう叫び冷たい瞳で見下ろす静夜にすがりついた。

 

「な……何なんだ、あの男は──まるで機械のように、俺に襲い掛かってきやがった。俺は……あいつが怖い。あの赤い瞳が……怖い!」

 

「赤い瞳──?」

 

 その一言に静夜の表情が変わった。

 

 自然と高揚する胸騒ぎを抑えながら彼はゆっくりとした口調でさらに彼の真意を問うた。

 

「君を襲った彼はどんな風貌の男だったのかい? 何でもいいから覚えてることを言ってごらん」

 

 そう言うと静夜は彼の目の前に手をはらって見せた。

 

 すると先ほどの緊張し怯えきった田上の顔がふっと糸が切れたように無表情になった。

 

 そして淡々とした口調でまるで機械のように語りだした

 

「あの男の風貌は……背格好は175センチほど、髪の毛は短く渋い感じの茶髪、赤く鋭い瞳の上にはインテリ風な眼鏡をしてたけど、あれは完璧なイミテーションであるのは間違いない。それに──」

 

「それに?」

 

「ここに……」

 

 そう言うと田上は右頬にかるく触れて言葉を続けた

 

「ここに大きな絆創膏をしてあった」

 

「右に……大きな絆創膏?」

 

 その言葉に静夜の細い目を大きく見開いた。

 

 右頬の傷──それに静夜は大きな心当たりがあったのだ。

 

 すべては3日前、あのホテルで激突してしまった我が甲賀と因縁の宿敵伊賀──

 

 あの時出会った若い伊賀の頭目と刃を交えたその瞬間、静夜は彼にその場所に傷を負わせたことをしっかりと覚えていた。

 

 なるほど、そういうことか──

 

 疼くような鈍い痛みと同時に心のそこからこみ上げてくる熱い思いを感じながら静夜はぎゅっと右肩を手で押さえた。

 

 あの時、彼の頬を傷つけたのと同時に受けた彼の一撃──まるで彼の動きに連動するようにそれが急に痛み出したのだ。

 

だが、その痛みは彼にとってとても心地のいいものであった。

 

なにせ、まさかもう一度刃を合わせたいと思っていた相手がこんな形で自分に形跡を残してくれたのだから──

 

それを思うと静夜はうれしくてたまらなかったのだ。

 

「──ありがとう」

 

 静夜は一言そういうとまた田上の目の前で手をゆっくりとかざした。

 

 するとまるで深い眠りに落ちるかのように田上はぐったりと意識を失っていく。

 

 彼が再び目覚めるとき、自分にあったことはすべて忘れてしまっている──静夜はそういう暗示を田上にかけていた。

 

 すうすうと気持ちよさそうにベッドで眠る田上を確認すると、静夜は音もなく彼の病室を去っていった。

 

 しんと静まり返った誰もいない病棟の廊下──静夜は平然とした顔で携帯電話を取り出し通話し始めた。

 

「もしもし……俺だ」

 

 前に進みながら電話をする彼の瞳は普段見せるダメ警察官のものではない。鋭い光と殺気じみた何かを秘めた誰しもが恐れおののく甲賀忍者の頭目の青白い瞳へと変貌していた

 

「伊賀の者のことは大体頭に入っているだろうけど、少し詳しく調べてもらいたい人物がいる。奴らを率いている人物の中に特段に若い忍者がいるはず。年は二十歳前後といったところだろうか──身なりからして都内の大学に通っているらしいから、彼の身辺を徹底的に洗いなおして欲しいんだ、それに──」

 

 そういうと静夜は歩んでいた足をぴたっと止めた。

 

 そして口元にうっすらと笑みを浮かべて一言付け加えた。

 

「彼の居場所がわかったらすべて俺に報告しろ。それをどうするかって? 後は俺に任せろ。今回の件で彼を罠にかけるのはそう難しくない話だ──」


1 テレビ記者、叶陽一郎

 本棚に並べられた分厚い哲学書や心理学の参考書を悠輔はごっそり取り出し乱暴にダンボール箱の中に詰め込んだ。

 

 大学生の一人暮らしだから荷物なんて大したことないと思っていたけど、いざ引越しとなるとそれ相応に荷物はいろんなところから出てくる。

 

 それをまとめるだけで貴重な時間が奪われていると思うと悠輔はなんとも憂鬱な気分になった。

 

「しっかし、家元がこんな時期に引越しを決めるとはなあ……」

 

 どこからか出てきた模型飛行機を飛ばしながら叶陽一郎は一言つぶやいた。

 

「理由はなんだ? やっぱり例の通り魔事件か?」

 

「それ以外に何があるって言うんだ」

 

 悠輔はその問いに連れない態度で答えた。

 

「でも、そんな夜逃げみたいに逃げることはないんじゃないの? 第一お前が犯人じゃないんだしさ」

 

「君は認識が甘すぎる。だからこそ住所を変える必要があるんだ」

 

「ほう……まるで警察に住所がばれるのを恐れているようだな」

 

 陽一郎のその言葉に悠輔は否定はしなかった。

 

 ダンボールに本を詰め込み終わってガムテープで封をしながら悠輔はため息混じりに答え始めた。

 

「あんなことをしでかしてしまったんだ。警察は僕を事件の参考人として捜しているに違いない。それよりも恐れているのは──その警察内部に他流派の人間が混ざっている可能性があるからだ」

 

「ほう……それはありえない話じゃないな」

 

「この前のホテルで甲賀に襲われた件だって結局は警察がらみだ。奴らが今回の件を使って僕を──伊賀を追い詰めることのできるまたとないチャンスなんだからさ」

 

「なるほどな」

 

 それを聞きながら陽一郎は戻ってきた模型飛行機をキャッチしながら言葉を続けた

 

「でもさあ、もし悠輔の予想が本当だとしたら──いまさら引っ越したって無理だと思うなあ。だって向こうも俺たちと同じ忍者だぜ?」

 

「それくらいわかってる。僕はただ時間を稼ぎたいだけだ」

 

 悠輔は明らかに不機嫌そうに答えた。

 

「住所さえ変えてしまえば向こうだってまた調査のやり直しだろ。それだけの時間さえあれば伊賀の力を使って事件をもみ消すことだってできる」

 

「ほほう……自分の不始末のために俺たちを総動員するわけだ」

 

「……その言い方は悪意を感じるな」

 

 そういうと悠輔は本が詰まったダンボールを後ろにまわすと、陽一郎のほうをじっと睨んだ。

 

「そういう日の丸テレビの記者さんはこんなところで油を売ってていいの? あんまりサボりすぎるとクビになるよ」

 

「あっれー? 俺一応取材に着たんだけどなあ。渋谷の通り魔を取り押さえた英雄にさ……」

 

 冗談をこぼす陽一郎を見て悠輔は深いため息を付いた。

 

 叶陽一郎はこう見えても表の顔はテレビ局の報道記者をやっているのだから驚きだ。

 

 しかし、彼の働きによって伊賀の意のままにマスコミ操作ができるという利点もあるのだ。

 

「何度も言うけど、例の通り魔事件はちゃんと僕の存在はもみ消してくれるよね」

 

「まあ、うちの会社は何とか報道操作はできると思うけど──すべてのマスコミが俺たちの意のままに動いてくれるわけじゃない」

 

「──だろうね」

 

 そういうと悠輔は苦々しい顔をした。

 

「警察と同じようにマスコミにも他流が混じってる可能性があるもんね。一概にすべて握りつぶせるようなうまい話じゃないか」

 

「そういうことだ」

 

 陽一郎はにやっと笑いながら煙草に火をつけた。

 

「でも本当のところあの事件の英雄が目の前にいるんだったら特ダネとして社にもって帰りたいところだ。そうしたら俺も少しは出世するかもしれないし……」

 

「そんなことしたら、殺すよ」

 

 笑顔を浮かべながらそういう悠輔の顔を見て陽一郎は苦笑した。

 

「やらねえよ。俺、出世より命のほうが大事だし──」

 

 その時だった。

 

 雑然と散らかった悠輔の部屋にけたたましくインターホンが鳴り響く

 

 悠輔はそれにはっとして対応しようかと立ち上がったが、それよりも先に陽一郎がそれに対応しようと扉を開けてしまっていた。

 

「はいはい、何の御用ですか……」

 

「あ……」

 

 彼の目の前にいたのは一人の女子学生──悠輔の恋人である進藤早紀だった。

 

 だが、早紀にとって叶陽一郎という人物と出くわすのはこれがはじめてであった。

 

 180センチ強ある偉丈夫にくわえ無精髭に加え煙草──早紀にとっては彼の存在はとても威圧的にしか思えなかった。

 

「あの……悠輔います?」

 

「悠輔……?」

 

その言葉を聞いてさすがに鈍い陽一郎でも真実に容易に気づくことができた

 

 早紀の顔を見るなりにやりとどこかいやらしそうな笑みを浮かべ彼女を見つめた。

 

「そっかー。君が悠輔を骨抜きにしちゃってる例の彼女ってわけねぇ」

 

「馬鹿! 余計なこと言うな」 

 

 その言葉を聞いて悠輔はお尻に火が付いたように陽一郎に食って掛かった。

 

 いつもなら殺気じみた鋭い視線であるはずの彼の瞳は今日に限ってどこか迫力がなかった。

 

「ほら、彼女を目の前にするとそうやってムキになるんだからあー」

 

「──うるさい!」

 

 そういうと悠輔はキッと牙を見せて唸り忍者のみ通じる心の会話『心読』で陽一郎を警告した

 

(早紀の前余計なこと言うな。本気で殺すよ)

 

(おーおー、家元は恐ろしいことを言うな。それ声に出して言ってみたら?)

 

(とにかく君は何の関係もないんだから消えてくれない? あんまり僕を怒らせると──どうなるかわかるよね?)

 

(脅しか……やっぱりそれも早紀ちゃんに聞こえる声で──)

 

 その一言に悠輔は陽一郎の胸を軽く小突いた。さっさと部屋の奥に消えろと言わんばかりの視線とともに。

 

 それを見て陽一郎は「しゃあないな」と苦笑を浮か段ボールがちらかる部屋の奥へ消えていった。

 

 悠輔は彼を気にして早紀と一緒に部屋の外へ出ると、ばたんとドアを閉めた。

 

「ねえ、悠輔……」

 

「ん?」

 

「さっきの人……だれ?」

 

 やっぱりその質問からか──悠輔はそれを聞いて天を仰いだ。

 

「んー。あれ僕の従兄なんだ。一応テレビ局に勤めてるみたいだけど……」

 

 陽一郎が従兄であるというのは本当の話。悠輔の父と陽一郎の母はきょうだい関係だ。

 

だが、何も知らない早紀にはそれ以上の秘密を喋ることは到底無理だった

 

 陽一郎が伊賀忍者の幹部であることも、悠輔にとって右腕的存在であることも絶対に口外してはならないことだった。

 

「へえ……テレビ局の人なんだ。見かけによらないね」

 

 だが何も知らない早紀はテレビ局員という単語だけに強く反応していた。

 

「──でしょ?」

 

 悠輔はそんな彼女に乗っかるように言葉を進めた。

 

「僕も本当に謎だなって思ってたんだ。あんな不良がよくテレビ局に入社できたなって」

 

「でも、すごいじゃん。マスコミ関係の親戚がいるなんて──やっぱり悠輔って本当に育ちのいい家系なんだね」

 

「育ちのいい?」

 

「だって前、言ってだじゃない。お父さんは地元三重の県議会議員だって言ってたじゃん」

 

「あ……」

 

 先のその言葉を聞いて、悠輔はいまさらながら口を押さえた。

 

 付き合って間もないころだろうか──家族構成を聞かれたときうっかり喋ってしまったのかもしれない。

 

「本当に悠輔ってすごいよ。親は県議員だし親戚にテレビ局員はいるし──そんでもって本人は天下の東大生だよ。なんか……手の届かない存在みたいだわ」

 

「言いすぎ……」

 

 そういうと悠輔は恨めしい目で早紀をチラッと見た。

 

「で、ここに来た用件は何? そんな世間話しにきたわけじゃないんでしょ」

 

「──もう! どうしてあなたはそう無愛想なのかなあ」

 

 そんな悠輔の態度が不服なのか早紀は少しむくれながら言った。

 

「悠輔、こんな時期に本気で引っ越す気なの?」

 

「そうだけど?」

 

「そうだけどじゃないわよ。引っ越す理由がさっぱりわからない!」

 

「理由ねえ……」

 

 その言葉に悠輔は困ったように頭をかいた

 

 本当の理由など言えるはずがない。他流派の忍者にかぎまわれたくないから引っ越すなんて──早紀に通用する言葉じゃない。

 

「あんまり理由っていう理由なんてないんだけど──しいて言えば、この部屋……出るんだよ」

 

「出る?」

 

「そう……コレがね」

 

 そういうと悠輔は幽霊のまねをしながら早紀に迫っていった

 

 それを見て早紀は身体をびくっとさせて驚いた。

 

「きゃ! それ……本当」

 

「ああ、本当さ。だってここら辺──昔、墓地だったらしいしさ」

 

 悠輔はわざとおどろおどろしく早紀に方って見せた。

 

彼女はこの手の話が苦手なのだろうか──急に顔面蒼白になり緊張した面持ちになった。

 

「まあ……それなら仕方ないのかもしれないけど」

 

「そう、幽霊と一緒になんか寝てられないもんね」

 

「うん……」

 

 早紀は言葉少なに一言そういうとぴたっと黙り込んだ。

 

 そんな彼女を見て悠輔はふっと優しい笑みを浮かべ彼女の頬を軽く触った。

 

「大丈夫。新しい引越し先は君にちゃんとおしえるから……」

 

「本当?」

 

「今度は霊が出ないアパートだと思うから君も寄ればいいよ。まあ、どうなるかは先の話だけど」

 

 くさい台詞だ──悠輔は自分が言った矢先カッと頬を紅潮させた。

 

 だが、悲しいことにこうでも言わないと納得しないのが進藤早紀という女性なのだ。

 

「──ありがと」

 

 くさいくらい甘い言葉に早紀はにっこりと笑って見せた

 

 とりあえず今日も自分の本心は偽れたようである。

 

「せっかく来てもらったんだけど、今日があいにく搬出日なんだ」

 

「うん……」

 

「大してかまってあげられないけどごめんね」

 

「ううん、いいの!」

 

 そういうと早紀は気丈に笑って見せた。

 

「私は疑問が解決したからそれでいいの。それに従兄さんにずーっと手伝わせっぱなしもまずいんじゃない」

 

「ああ……」

 

 あいつは別にいいんだ。僕のほうが上の立場なんだし──

 

 悠輔はそういいたかったがその言葉を噛み砕きながらにっこりと作り笑いを浮かべた

 

「んじゃ、私──今日は帰るわ」

 

「本当にごめんね」

 

「ううん、気にしないで。引越し先、ちゃんと教えてね」

 

 早紀はそう微笑むと学生用アパートの細い廊下を歩き始めた。

 

 そんな彼女の後姿を見送りながら悠輔は深いため息をひとつ付いた

 

 ──いつまでこんな嘘ばかりつかなくちゃならないのだろう

 

 そう思うと悠輔の心の中に何か重いものが垂れ込んだ。

 

 正体を隠すための嘘は悪い嘘じゃない。

 

今までそう思っていたけど、何故今になってこんな罪悪感を覚えなければならないのだろう。昔は、こんなはずじゃなかったのに──

 

「大丈夫。新しい引越し先は君にちゃんとおしえるから──」

 

 悠輔の耳元で低い声で響き渡った声に彼はびくっとそちらを振り返った。

 

 そこには意地悪そうな笑顔を受けた陽一郎がニヤニヤと笑顔を浮かべて立っていた。

 

「──馬鹿! 冗談が過ぎるぞ!」

 

 悠輔はそんな陽一郎にムッとした様子で散らかった部屋に再び入った。

 

「でも、まさか家元の口からこんな甘い台詞が出るとはなあ」

 

「他の門下の者に言ったら殺すよ」

 

「俺が言わなくても直に噂になるんじゃない?」

 

「───」

 

 その一言に悠輔は反論が出来なかった。

 

 悔しそうに唇をかみながら悠輔は黙々と荷物をダンボールの中につめた。

 

しばらく雑然と散らかった二人の部屋の中に沈黙が垂れ込んだ。

 

悠輔も陽一郎もお互いにそれ以上しゃべろうとはしなかった。まるで暗黙の了解でそれ以上しゃべらないようにしているかのように。

 

やっと荷物が一通り片付いて悠輔がふうとため息をついたその時、またしてもインターホンがけたたましくなった。

 

「待って、今度は僕が出る!」

 

 また、来客に応対しようと立ち上がった陽一郎を制止するように悠輔は叫ぶと、大またで散らかる荷物をまたぎながらドアに近づいた。

 

 まさかまた早紀が訪れることはないとは思うけど、やはり陽一郎に対応させるのは不安だ。

 

 だがドアを開いた瞬間、悠輔が予想だにしなかった人物が立っていたのだ

 

「あのう……」

 

 そこに経っている人物を見て悠輔は愕然とした。

 

 その男の服装は濃紺の警察官の制服だったのだ。

 

「──なにか?」

 

 悠輔は引きつった顔を隠さずに一言聞いた。

 

「藤林──悠輔さんのお宅はこちらでいいんですよね」

 

「………」

 

その言葉に悠輔は硬い表情のまま黙って頷いた。

 

それを見て警察官はにやっと笑顔を浮かべた。

 

「よかったー! この情報で間違ってなくて。信頼できる者からの情報じゃなかったから不安だったんですよね」

 

「あの……ご用件は?」

 

 悠輔は一言そう聞くと、警察官は悪気のない笑顔を浮かべた

 

「この前、渋谷の方で起こった通り魔事件であなたが参考人になっているんです。とりあえず署のほうまでご同行願えませんかね?」



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