目次
1章 現代に巣くう忍たち
1 東大生、藤林悠輔
2 警視庁幹部、相馬泰
3 侵入者
2章 休日の忍たち
1 そして、平凡な一日が始まる
2 女子大生、進藤早紀
3 渋谷の通り魔
3章 足跡を残した忍たち
1 事件現場
2 警察官、上月静夜
3 容疑者、田上明央
4章 取調室の忍たち
1 テレビ記者、叶陽一郎
2 激突-伊賀と甲賀
3 静夜の罠
4 追跡者たち
5章 オモテの忍たち
1 お笑い芸人、風間英太
2 メイド、仁科ともえ
3 JAあおもり職員、応野邦彦
6章 ウラの忍たち
1 風魔の英太
2 戸隠のともえ
3 応変の邦彦
7章 アキバの忍たち
1 ともえと悠輔
2 帰り道
8章 学園祭の忍たち
1 東都大学若葉祭
2 舞台袖
3 トーキョーハンター
4 同業者
5 最強
9章 嵐の前の忍たち
1 ともえと早紀
2 ツイてるともえ
3 ツイてない悠輔
4 邪魔者
5 嵐が来る
10章 相見える忍たち
1 知らなくていい真実
2 悪い夢
3 百地悠輔という男
4 集いし5つの流派
5 赤い瞳の一族
6 ともえの提案
7 激突する赤と青
8 別れなさい
11章 動き出す忍たち
1 六本木のオフィス
2 戸隠の女王
3 忍者王
4 アキバのアイドル劇場
5 同盟
12章 恋煩いの忍たち
1 恋人は忍者
2 最後のデート
3 守ってみせる
13章 集結する忍たち
1 警視庁のメッセンジャー
2 集結した忍たち
3 悠輔の企み

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4章 取調室の忍たち

1 テレビ記者、叶陽一郎

 本棚に並べられた分厚い哲学書や心理学の参考書を悠輔はごっそり取り出し乱暴にダンボール箱の中に詰め込んだ。

 

 大学生の一人暮らしだから荷物なんて大したことないと思っていたけど、いざ引越しとなるとそれ相応に荷物はいろんなところから出てくる。

 

 それをまとめるだけで貴重な時間が奪われていると思うと悠輔はなんとも憂鬱な気分になった。

 

「しっかし、家元がこんな時期に引越しを決めるとはなあ……」

 

 どこからか出てきた模型飛行機を飛ばしながら叶陽一郎は一言つぶやいた。

 

「理由はなんだ? やっぱり例の通り魔事件か?」

 

「それ以外に何があるって言うんだ」

 

 悠輔はその問いに連れない態度で答えた。

 

「でも、そんな夜逃げみたいに逃げることはないんじゃないの? 第一お前が犯人じゃないんだしさ」

 

「君は認識が甘すぎる。だからこそ住所を変える必要があるんだ」

 

「ほう……まるで警察に住所がばれるのを恐れているようだな」

 

 陽一郎のその言葉に悠輔は否定はしなかった。

 

 ダンボールに本を詰め込み終わってガムテープで封をしながら悠輔はため息混じりに答え始めた。

 

「あんなことをしでかしてしまったんだ。警察は僕を事件の参考人として捜しているに違いない。それよりも恐れているのは──その警察内部に他流派の人間が混ざっている可能性があるからだ」

 

「ほう……それはありえない話じゃないな」

 

「この前のホテルで甲賀に襲われた件だって結局は警察がらみだ。奴らが今回の件を使って僕を──伊賀を追い詰めることのできるまたとないチャンスなんだからさ」

 

「なるほどな」

 

 それを聞きながら陽一郎は戻ってきた模型飛行機をキャッチしながら言葉を続けた

 

「でもさあ、もし悠輔の予想が本当だとしたら──いまさら引っ越したって無理だと思うなあ。だって向こうも俺たちと同じ忍者だぜ?」

 

「それくらいわかってる。僕はただ時間を稼ぎたいだけだ」

 

 悠輔は明らかに不機嫌そうに答えた。

 

「住所さえ変えてしまえば向こうだってまた調査のやり直しだろ。それだけの時間さえあれば伊賀の力を使って事件をもみ消すことだってできる」

 

「ほほう……自分の不始末のために俺たちを総動員するわけだ」

 

「……その言い方は悪意を感じるな」

 

 そういうと悠輔は本が詰まったダンボールを後ろにまわすと、陽一郎のほうをじっと睨んだ。

 

「そういう日の丸テレビの記者さんはこんなところで油を売ってていいの? あんまりサボりすぎるとクビになるよ」

 

「あっれー? 俺一応取材に着たんだけどなあ。渋谷の通り魔を取り押さえた英雄にさ……」

 

 冗談をこぼす陽一郎を見て悠輔は深いため息を付いた。

 

 叶陽一郎はこう見えても表の顔はテレビ局の報道記者をやっているのだから驚きだ。

 

 しかし、彼の働きによって伊賀の意のままにマスコミ操作ができるという利点もあるのだ。

 

「何度も言うけど、例の通り魔事件はちゃんと僕の存在はもみ消してくれるよね」

 

「まあ、うちの会社は何とか報道操作はできると思うけど──すべてのマスコミが俺たちの意のままに動いてくれるわけじゃない」

 

「──だろうね」

 

 そういうと悠輔は苦々しい顔をした。

 

「警察と同じようにマスコミにも他流が混じってる可能性があるもんね。一概にすべて握りつぶせるようなうまい話じゃないか」

 

「そういうことだ」

 

 陽一郎はにやっと笑いながら煙草に火をつけた。

 

「でも本当のところあの事件の英雄が目の前にいるんだったら特ダネとして社にもって帰りたいところだ。そうしたら俺も少しは出世するかもしれないし……」

 

「そんなことしたら、殺すよ」

 

 笑顔を浮かべながらそういう悠輔の顔を見て陽一郎は苦笑した。

 

「やらねえよ。俺、出世より命のほうが大事だし──」

 

 その時だった。

 

 雑然と散らかった悠輔の部屋にけたたましくインターホンが鳴り響く

 

 悠輔はそれにはっとして対応しようかと立ち上がったが、それよりも先に陽一郎がそれに対応しようと扉を開けてしまっていた。

 

「はいはい、何の御用ですか……」

 

「あ……」

 

 彼の目の前にいたのは一人の女子学生──悠輔の恋人である進藤早紀だった。

 

 だが、早紀にとって叶陽一郎という人物と出くわすのはこれがはじめてであった。

 

 180センチ強ある偉丈夫にくわえ無精髭に加え煙草──早紀にとっては彼の存在はとても威圧的にしか思えなかった。

 

「あの……悠輔います?」

 

「悠輔……?」

 

その言葉を聞いてさすがに鈍い陽一郎でも真実に容易に気づくことができた

 

 早紀の顔を見るなりにやりとどこかいやらしそうな笑みを浮かべ彼女を見つめた。

 

「そっかー。君が悠輔を骨抜きにしちゃってる例の彼女ってわけねぇ」

 

「馬鹿! 余計なこと言うな」 

 

 その言葉を聞いて悠輔はお尻に火が付いたように陽一郎に食って掛かった。

 

 いつもなら殺気じみた鋭い視線であるはずの彼の瞳は今日に限ってどこか迫力がなかった。

 

「ほら、彼女を目の前にするとそうやってムキになるんだからあー」

 

「──うるさい!」

 

 そういうと悠輔はキッと牙を見せて唸り忍者のみ通じる心の会話『心読』で陽一郎を警告した

 

(早紀の前余計なこと言うな。本気で殺すよ)

 

(おーおー、家元は恐ろしいことを言うな。それ声に出して言ってみたら?)

 

(とにかく君は何の関係もないんだから消えてくれない? あんまり僕を怒らせると──どうなるかわかるよね?)

 

(脅しか……やっぱりそれも早紀ちゃんに聞こえる声で──)

 

 その一言に悠輔は陽一郎の胸を軽く小突いた。さっさと部屋の奥に消えろと言わんばかりの視線とともに。

 

 それを見て陽一郎は「しゃあないな」と苦笑を浮か段ボールがちらかる部屋の奥へ消えていった。

 

 悠輔は彼を気にして早紀と一緒に部屋の外へ出ると、ばたんとドアを閉めた。

 

「ねえ、悠輔……」

 

「ん?」

 

「さっきの人……だれ?」

 

 やっぱりその質問からか──悠輔はそれを聞いて天を仰いだ。

 

「んー。あれ僕の従兄なんだ。一応テレビ局に勤めてるみたいだけど……」

 

 陽一郎が従兄であるというのは本当の話。悠輔の父と陽一郎の母はきょうだい関係だ。

 

だが、何も知らない早紀にはそれ以上の秘密を喋ることは到底無理だった

 

 陽一郎が伊賀忍者の幹部であることも、悠輔にとって右腕的存在であることも絶対に口外してはならないことだった。

 

「へえ……テレビ局の人なんだ。見かけによらないね」

 

 だが何も知らない早紀はテレビ局員という単語だけに強く反応していた。

 

「──でしょ?」

 

 悠輔はそんな彼女に乗っかるように言葉を進めた。

 

「僕も本当に謎だなって思ってたんだ。あんな不良がよくテレビ局に入社できたなって」

 

「でも、すごいじゃん。マスコミ関係の親戚がいるなんて──やっぱり悠輔って本当に育ちのいい家系なんだね」

 

「育ちのいい?」

 

「だって前、言ってだじゃない。お父さんは地元三重の県議会議員だって言ってたじゃん」

 

「あ……」

 

 先のその言葉を聞いて、悠輔はいまさらながら口を押さえた。

 

 付き合って間もないころだろうか──家族構成を聞かれたときうっかり喋ってしまったのかもしれない。

 

「本当に悠輔ってすごいよ。親は県議員だし親戚にテレビ局員はいるし──そんでもって本人は天下の東大生だよ。なんか……手の届かない存在みたいだわ」

 

「言いすぎ……」

 

 そういうと悠輔は恨めしい目で早紀をチラッと見た。

 

「で、ここに来た用件は何? そんな世間話しにきたわけじゃないんでしょ」

 

「──もう! どうしてあなたはそう無愛想なのかなあ」

 

 そんな悠輔の態度が不服なのか早紀は少しむくれながら言った。

 

「悠輔、こんな時期に本気で引っ越す気なの?」

 

「そうだけど?」

 

「そうだけどじゃないわよ。引っ越す理由がさっぱりわからない!」

 

「理由ねえ……」

 

 その言葉に悠輔は困ったように頭をかいた

 

 本当の理由など言えるはずがない。他流派の忍者にかぎまわれたくないから引っ越すなんて──早紀に通用する言葉じゃない。

 

「あんまり理由っていう理由なんてないんだけど──しいて言えば、この部屋……出るんだよ」

 

「出る?」

 

「そう……コレがね」

 

 そういうと悠輔は幽霊のまねをしながら早紀に迫っていった

 

 それを見て早紀は身体をびくっとさせて驚いた。

 

「きゃ! それ……本当」

 

「ああ、本当さ。だってここら辺──昔、墓地だったらしいしさ」

 

 悠輔はわざとおどろおどろしく早紀に方って見せた。

 

彼女はこの手の話が苦手なのだろうか──急に顔面蒼白になり緊張した面持ちになった。

 

「まあ……それなら仕方ないのかもしれないけど」

 

「そう、幽霊と一緒になんか寝てられないもんね」

 

「うん……」

 

 早紀は言葉少なに一言そういうとぴたっと黙り込んだ。

 

 そんな彼女を見て悠輔はふっと優しい笑みを浮かべ彼女の頬を軽く触った。

 

「大丈夫。新しい引越し先は君にちゃんとおしえるから……」

 

「本当?」

 

「今度は霊が出ないアパートだと思うから君も寄ればいいよ。まあ、どうなるかは先の話だけど」

 

 くさい台詞だ──悠輔は自分が言った矢先カッと頬を紅潮させた。

 

 だが、悲しいことにこうでも言わないと納得しないのが進藤早紀という女性なのだ。

 

「──ありがと」

 

 くさいくらい甘い言葉に早紀はにっこりと笑って見せた

 

 とりあえず今日も自分の本心は偽れたようである。

 

「せっかく来てもらったんだけど、今日があいにく搬出日なんだ」

 

「うん……」

 

「大してかまってあげられないけどごめんね」

 

「ううん、いいの!」

 

 そういうと早紀は気丈に笑って見せた。

 

「私は疑問が解決したからそれでいいの。それに従兄さんにずーっと手伝わせっぱなしもまずいんじゃない」

 

「ああ……」

 

 あいつは別にいいんだ。僕のほうが上の立場なんだし──

 

 悠輔はそういいたかったがその言葉を噛み砕きながらにっこりと作り笑いを浮かべた

 

「んじゃ、私──今日は帰るわ」

 

「本当にごめんね」

 

「ううん、気にしないで。引越し先、ちゃんと教えてね」

 

 早紀はそう微笑むと学生用アパートの細い廊下を歩き始めた。

 

 そんな彼女の後姿を見送りながら悠輔は深いため息をひとつ付いた

 

 ──いつまでこんな嘘ばかりつかなくちゃならないのだろう

 

 そう思うと悠輔の心の中に何か重いものが垂れ込んだ。

 

 正体を隠すための嘘は悪い嘘じゃない。

 

今までそう思っていたけど、何故今になってこんな罪悪感を覚えなければならないのだろう。昔は、こんなはずじゃなかったのに──

 

「大丈夫。新しい引越し先は君にちゃんとおしえるから──」

 

 悠輔の耳元で低い声で響き渡った声に彼はびくっとそちらを振り返った。

 

 そこには意地悪そうな笑顔を受けた陽一郎がニヤニヤと笑顔を浮かべて立っていた。

 

「──馬鹿! 冗談が過ぎるぞ!」

 

 悠輔はそんな陽一郎にムッとした様子で散らかった部屋に再び入った。

 

「でも、まさか家元の口からこんな甘い台詞が出るとはなあ」

 

「他の門下の者に言ったら殺すよ」

 

「俺が言わなくても直に噂になるんじゃない?」

 

「───」

 

 その一言に悠輔は反論が出来なかった。

 

 悔しそうに唇をかみながら悠輔は黙々と荷物をダンボールの中につめた。

 

しばらく雑然と散らかった二人の部屋の中に沈黙が垂れ込んだ。

 

悠輔も陽一郎もお互いにそれ以上しゃべろうとはしなかった。まるで暗黙の了解でそれ以上しゃべらないようにしているかのように。

 

やっと荷物が一通り片付いて悠輔がふうとため息をついたその時、またしてもインターホンがけたたましくなった。

 

「待って、今度は僕が出る!」

 

 また、来客に応対しようと立ち上がった陽一郎を制止するように悠輔は叫ぶと、大またで散らかる荷物をまたぎながらドアに近づいた。

 

 まさかまた早紀が訪れることはないとは思うけど、やはり陽一郎に対応させるのは不安だ。

 

 だがドアを開いた瞬間、悠輔が予想だにしなかった人物が立っていたのだ

 

「あのう……」

 

 そこに経っている人物を見て悠輔は愕然とした。

 

 その男の服装は濃紺の警察官の制服だったのだ。

 

「──なにか?」

 

 悠輔は引きつった顔を隠さずに一言聞いた。

 

「藤林──悠輔さんのお宅はこちらでいいんですよね」

 

「………」

 

その言葉に悠輔は硬い表情のまま黙って頷いた。

 

それを見て警察官はにやっと笑顔を浮かべた。

 

「よかったー! この情報で間違ってなくて。信頼できる者からの情報じゃなかったから不安だったんですよね」

 

「あの……ご用件は?」

 

 悠輔は一言そう聞くと、警察官は悪気のない笑顔を浮かべた

 

「この前、渋谷の方で起こった通り魔事件であなたが参考人になっているんです。とりあえず署のほうまでご同行願えませんかね?」


2 激突-伊賀と甲賀

 何故こんなに早く僕の居場所を突き止めたんだ──?

 

 悠輔はその事実に愕然とするばかりだった。

 

 日本の警察がそれほど優秀ではないことはその世界にいる悠輔にとって知り尽くした話だ。

 

それなのにこんな短期間で自分の居場所を突き止めるなんて──今の警察でそれほどまでに迅速に動けるものなのだろうか?

 

そんな疑問を持ちながら悠輔はしぶしぶ渋谷署に向かう羽目になった。

 

もちろんこみ上げてくるのはどこにも吐き出せない怒りばかり。

 

それが自分に向かっているのか警察に向かっているのかはわからないけど、ただただ怒りだけがこみ上げてくる

 

それは渋谷署の取調室に通された瞬間、ついに爆発した。

 

「ちょっと! いい加減にしてください!」

 

 悠輔は刑事が取調室のドアを閉めたらすぐに噛み付いた。

 

「何で取調室になんか案内するんですか! これじゃあ僕がまるで犯人みたいじゃないか!」

 

「まあまあ、落ち着いてくださいよ。藤林さん」

 

 海原と名乗った若い刑事はお冠状態の悠輔をおろおろしながらなだめた。

 

「別にあなたを犯人扱いしてるわけではありませんよ。現に犯人は無事あなたの力添えで逮捕できたのですから」

 

「──逮捕?」

 

 その言葉に悠輔は眉をひそめた。

 

「ええ、最初心配停止状態で見つかった容疑者の田上明央は無事回復して昨日逮捕できました。ご協力、本当にありがとうございます」

 

「え──」

 

 犯人、死んでなかったんだ──それを知って悠輔は安堵のため息を付いた。

 

 あまりにも唐突な事件であったため手加減をすっかり忘れてしまったことが気がかりだったためその朗報は少し悠輔の心を和らげた。

 

「──で、今日は何で僕を呼んだのですか?」

 

 悠輔はゆっくりとパイプ椅子に座りながら、刑事の海原をじろりとにらみつけた。

 

 それを見て海原は一瞬顔を硬直させた。悠輔の瞳には言いようのない威圧感がこめられていた。

 

「ええ……」

 

 海原はそんな悠輔から目をそらすように、書類に目を通した

 

「まあ、参考に話を聞こうかなと──あ、怒らないでくださいよ。本当に参考程度なんで気を張らないでくださいね。その後で──通り魔の容疑者を捕縛した藤林さんを我が署で感謝状を送ることになりまして──」

 

「何? 表彰だって──?」

 

 その言葉を聞いて悠輔は顔に色を浮かべた。

 

「そんなこと聞いてない!」

 

「まあまあ、そんな事言わないでくださいよ。今日は新聞やテレビ局も来るらしいですよー。なんせ渋谷のど真ん中でおきた通り魔を解決した張本人なんですから」

 

 海原の話を聞くたびに悠輔の顔は一気に青ざめていった。

 

 警察で表彰? テレビ局からの取材──? 普通の一般庶民なら跳んで喜ぶようなシチュエーションなのかもしれないが悠輔にとっては絶望的な話だった。

 

 それは最悪のシナリオだった。

 

自分の存在がこんな形で公になるなんて──それは忍者として最も犯してはいけない禁忌であった。

 

「あの、やめてもらえませんか?」

 

「え?」

 

 自信なくつぶやいた悠輔に海原は意外そうな顔を浮かべた。

 

「表彰とか──本当にやめて欲しいんです。僕、シャイなんで……」

 

「ええ、でもこんなチャンスなかなかありませんよ? ヒーローになれるんですから」

 

 ──ヒーローになんかなりたくないから断ってるんだ。

 

 悠輔はそう言いたそうに海原をきっと睨み付けた。

 

「それよりも、藤林さん──あなた、天下の東都大学の学生さんなんですねえ」

 

「はあ……」

 

「すごいじゃないですか。その若さだと現役合格ですか?」

 

「はあ、一応──」

 

「ほほー。ということは頭脳も天才的なんだ」

 

 東都大生ということをえらく感心する海原を見て、悠輔は居心地の悪さを感じた。

 

 褒められていることは素直に喜べばいいのだろうけど、今の悠輔にはまったくそういう気にならなかった。

 

「まあ、とりあえず……事件のことを詳しく聞かせていただけませんか?」

 

「僕が? でも犯人は逮捕されたんでしょ?」

 

「そうなんですが……とりあえず参考ですから──」

 

 海原がそう言いかけたその時だった。

 

 ぴったりとしまっていた取調室の扉がいきなり重々しく開かれた。

 

 その人物の登場に悠輔も刑事の海原も驚いた様子で後ろを振り向いた。

 

そこに立っていたのは着崩した制服を着た眠そうでだらしないある警察官。

 

「ちょ……上月!」

 

 彼の姿を見た瞬間、刑事の海原は憤慨した様子で強い口調で責めた。

 

「ノックもなしに取調室に入ってくるなんて何事だ! 大体、お前みたいな奴がここには入れないはずだぞ!」

 

 刑事の海原が怒るのも仕方がない。

 

 急にペエペエの制服警官が挨拶もなしに取調室に入ってくるなんて本当ならありえないはず。

 

 だが、上月と呼ばれた制服警官は表情の欠けた顔で海原をずっと見つめていた。

 

「なんだあ~!? 黙ってないで用件でも言ったらどうだ? それとも用事も何もないのにここにきたのか!?

 

 そんな彼にいらついて海原は彼の目の前に立つと威圧的ににらみつけた。

 

 だがそんな刑事よりも無表情でじっと一点を見つめる制服警官のほうが悠輔にはずっと威圧的に見えたのだった。

 

 その時だった。だらしなさそうな制服警官が一言言い放ったのは──

 

「お前は出て行け」

 

 その一言に海原は間が抜けたように「へ?」と息を呑んだ。

 

 だがすぐにその暴言に爆発したのか彼の胸倉をぎゅっとつかんで壁にたたきつけた。

 

「ふざけるな!お前そんな口たたける立場か──」

 

「お前は邪魔なんだ。さっさと取調室から出て行け。これは命令だ──」

 

「命令──!」

 

 そう言われた瞬間、海原の表情が一気に固まった。

 

 それを傍らから見ていた悠輔は思わずはっと息を呑んだ。

 

 その変化は素人目ではなかなかわからないが悠輔はばっちり見抜いていた。

 

この上月と呼ばれた制服警察官が仲間に向かって催眠術に似た暗示をかけ始めていることを。

 

「お前にはこの男の真実を知るには少々役不足。それならその役を俺に代われ。彼だってそれを切に望んでいる。何も知らない庶民のお前には──この男を丸裸になんかになんかできない」

 

「俺だと──無理なのか?」

 

 その言葉を聞いて海原は何かに取り付かれたようにぼそぼそとつぶやき続ける

 

 それに畳み掛けるかのように制服警官はさらに言葉の綾をつなげた。

 

「さあ、この部屋から出て行け。お前はここでは必要のない人間なんだ。さあ、早くそのドアを開けて出て行くんだ。それがお前のためだ。さあ、早くしろ!」

 

「出て行く──!」

 

 海原がそう言ったその瞬間、制服警官は海原の前でぱちんと指を鳴らした。

 

 次の瞬間、まるで抜けていた魂が戻ってきたかのように海原はしゃきっと背筋を伸ばした。

 

 そして何事もなかったかのように、制服警官と悠輔を残したまま取調室から足早に出て行ってしまった。

 

 その様子を見送ることなく制服警官は不気味な笑顔を浮かべ続ける

 

 そして、次の標的である悠輔を舐めるような青白い瞳で見た。

 

 悠輔はその瞳を見てはっとした。その青い光には強い因縁があったのだ。

 

「まさか、君は──」

 

 悠輔はそう言いながら警戒感で全身が総毛立つのを覚えた。

 

 まさかこんな場所でつい先日刃を交えた相手と出くわしてしまうなんて思いもよらないことであった

 

「やっと気づいたようだな」

 

 その男は呆然とする悠輔を見てにやりと笑った。

 

「藤林──否、百地(ももち)悠輔君」

 

 その名前で呼ばれたことに悠輔は強い衝撃を覚えた。

 

「何故、その名前を──」

 

「とぼけないで欲しいな。俺たちの世界では有名な話じゃないか」

 

 そう言うとその男は悠輔に対するように椅子に座った。

 

「昔、聞いたことはあった。伊賀の大頭目であった百地家はその存在を完全に隠すために別の(なまえ)を名乗りだした。それが伊賀ではポピュラーな名前の藤林という姓だった──それまでは半信半疑の話だと思っていたけど、お前を調べてみるとそれが嘘じゃなかったってことに俺は驚いたよ」

 

 男のその話を聞いて悠輔は悔しさで唇をぎゅっと噛んだ。

 

 自分の正体がここまでも公になってしまったのも悔しいが、それをやってのけたのがあの時の爪男だと思うと強い敗北感を覚え悔しくてたまらなかった。

 

「君こそ、本名を名乗れ──」

 

 悠輔はゆっくりと顔を上げ目の前の男をにらみつけた

 

 その眼鏡の奥の瞳は自然と真紅に染まっていた。

 

「そうだな、俺の方も名乗らなきゃフェアじゃないか──」 

 

 そう言うと男はひとつ息を吐いて彼を見た。

 

「俺は甲賀流第18代頭首、上月静夜(こうづきしずや)。姑息なお前の家とは違って俺は表の世界でもちゃんと本名を名乗って生活している」

 

 何が姑息だ──

 

 悠輔は静夜のその一言に青筋を立てそうになったがぐっと唇を噛んで我慢した。

 

「やれやれ、君は本当に口が悪いね」

 

悠輔は一言そうため息を付いた。

 

「君は本名を隠しているって思っているらしいけど、君も一応警察官だろ。僕の戸籍の姓が『藤林』だってことは知ってるはずだけど?」

 

「お前の本当の姓は戸籍をいじってまで隠さなければならないのかい」

 

「甲賀の情報伝達能力っていうのはその程度のものなのか?」

 

 そういうと悠輔は蔑んだ笑みを浮かべた。それを見て静夜の顔から初めて余裕の色がなくなった。

 

「君は『百地』って姓を勘違いして覚えているようだからおしえてあげるよ。僕たち伊賀忍者は『百地』と名乗るものには絶対服従しなければならない。なぜならその姓は伊賀忍術のすべてを極めたものにしか与えられない。そしてそ『百地』の名をもらった以上その者はその名を封印しなければならない──どうしてかわかるかい? まあ、甲賀の君にこれ以上は語るわけにはいかないけど」

 

「ほう……それは面白い話だ」

 

 そういうと静夜は机に頬杖を付いて悠輔を青白い瞳でじっと見つめた

 

「つまり『百地』という名前はお前を伊賀忍術の奥義継承者だと教えてくれているわけだな」

 

「君も人のことがいえるのかい? 僕たちは流派は違えど同じ立場の人間。君だって僕と同じように甲賀の奥義を学んだはずだと思うけど?」

 

 そういう悠輔の瞳も燃えるような赤い視線で静夜を睨んだ

 

「ふん、面白いことを言うな。伊賀の若き家元は」

 

 静夜はその言葉を聞いてにやっと笑顔を浮かべた

 

「いいだろう。俺がお前をここに招待した目的をここで特別に教えてやろう」

 

「へえ、やっぱり君の差し金だったんだね」

 

 そう言うと悠輔は納得したかのようなため息をついた。

 

 どおりで警察にしてはやけに手回しが早すぎるとは思ったがやはり裏で甲賀が動いていた──というわけか。

 

「単刀直入に言うよ。お前ら、俺たちと組む気はあるか?」

 

「はぁ?」

 

 その言葉に悠輔は呆気にとられた。

 

だが静夜は全く動じもせずに淡々と言葉を紡いでいった。

 

「よく考えてごらんよ。伊賀の家元さんよ……俺達甲賀とお前ら伊賀が今手を組んだら日本を征服できるかもしれんぞ」

 

「まあ、それは否定しないけどね……」

 

「それにだな、もはや俺たちの争いは不毛なんじゃないかな?」

 

 そう言うと静夜は長い足を組みなおした。

 

「甲賀と伊賀──一体何百年覇権争いをしている? その間どんどん歴史は変わっていって今は傍目からみれば平和な時代。一体何のために俺たちは争うのだ?」

 

「それは……」

 

 その問いかけに悠輔は困った表情を浮かべた。

 

「僕でもよくわからないな。君たちとの因縁が濃すぎて仲直りも不可能だったりして」

 

「ふん……つまり、まだ俺たちと戦うつもり──ってわけか?」

 

 その一言に悠輔はむっとした表情を浮かべて反論した。

 

「喧嘩を吹っ掛けてくるのはいつもそっちでしょ? それなのに今日は停戦か? 悪い冗談すぎて明日は雪じゃないのか?」

 

「それが冗談じゃないんだな。家元さんよ」

 

 そう言うと静夜はにやっと笑った。

 

「こんな長きに渡っていがみ合っていた俺たちだけど、もはやそれは古い──俺はそう思う。だからどうだろう? この際甲賀と伊賀で停戦同盟してもおかしくはないだろうか? 今更、うん百年前の遺恨を理由として争う必要なんてない」

 

「───」

 

 その一言に悠輔は訝しげな表情を浮かべた。

 

 確かに静夜の言い分を一理ある。

 

この現代の世に果たして自分たち忍者は必要あるのか、そして争う必要はあるのか。それは現代の忍者にとっていつも頭をもたげる永遠のテーマだった。

 

だけど──何故今更になって静夜は何を言うのだろう。

 

元はといえばお互いに目の敵にしている存在である伊賀と甲賀。それなのにこんな場所で停戦同盟を持ちかけるとは

 

──この男のことだ何か大きな裏があるに違いない。悠輔はそう思えてならなかったのだ。

 

「どうした?」

 

 黙りこんだ悠輔を静夜は舐めるような視線でじろじろと見つめながら言った。

 

「そう悪い話じゃないと俺は思うが、お前は何を迷っているんだ」

 

「別に……迷ってるわけじゃない」

 

 そういうと悠輔は深いため息を付いていった。

 

「君は一体何を企んでる?」

 

「何がって……」

 

「いい加減本当の理由を言ってごらんよ。君が簡単に落とせるほど僕は馬鹿じゃない」

 

 その一言を聞いて、静夜の表情が一気に硬直する。

 

 その瞬間彼の身体から切り裂くような殺気が放たれた。

 

「やれやれ、まったく俺の暗示にかからないな。伊賀の家元は」

 

「残念だったね。僕は君がいつも操ってる相手とは精神構造がちがうんだよ」

 

 でも一瞬だけだが静夜の暗示にかかりそうにはなった──しかし、悠輔はあえてそれは伝えようとはしなかった。

 

この男、おそらく調子に乗せると厄介だ。とくに今みたいな口での対戦だと時々負けてしまいそうになるのは確かだ。

 

「じゃあ、僕も単刀直入に聞くよ……甲賀の頭目であろう君がなぜ警察組織に入り込んでいる? しかもその様子じゃ出世もあきらめてるみたいだし……」

 

 そう言うと悠輔は静夜の格好を舐めるような目つきで見まわした。 

 

 だらしなく来た制服にぼさぼさの頭──おそらく左遷部署にいるのだろうなと容易に想像できた。

 

「警察での出世なんてとうの昔に諦めた。それでもいるのはほかならぬ甲賀のため──さ」

 

「ほう……じゃあそこにいるってことは甲賀にとって得だと?」

 

「ああ、得だね。なにせ警察と信頼的関係が結べられるからな」

 

「ふーん」

 

 そう言うと悠輔はじっと真紅の瞳で静夜を睨みつめた。

 

「つまり先週のホテルでの出来事は先客の甲賀より警察が伊賀に色目を使ったもんだからから怒ってやってきたんだね」

 

「まあ……そういところだ」

 

「それはよかった。君のあの時の怒り心頭の様子はおそらく僕を殺したあとあそこで怖かってた相馬刑事もろとも殺すつもりだったんだね。でも僕が予想以上に強かったもんだから対応に苦慮した──と」

 

「……」

 

 その一言に静夜は押し黙ったまま悠輔を青白い瞳でじろりと睨んだ。

 

 どうやら悠輔の言ったことは図星であったらしい。

 

「しかし残念だけど、君たちが思っているほど警察は意のままには操れないよ。そうしてもらったら僕たちが困るからね」

 

 そう言うと悠輔の瞳からギラリと赤い光が発せられた。

 

 しかし、静夜は一歩も怯まなかった。逆に面白いと言わんばかりの笑みを浮かべて

 

「ほう……つまり俺たちの領域を侵す──ということか?」

 

「これ以上君たち甲賀の好き勝手にはさせられない。それが僕の答えさ」

 

 その一言に静夜は狂ったかのように笑い転げた。

 

 そして挑戦的な視線で悠輔を見ると静夜は一言言った。

 

「面白い! 結局伊賀は修羅の道を行くと言うわけだな」

 

「ふん。僕たちが君たちと同じ土俵に上がった時点で停戦なんて考えてなかったくせに……」

 

「しかし残念だ。甲賀と伊賀が組めば本当に日本が簡単に支配できると思ったのに」

 

 その言葉に悠輔は冷淡な視線で静谷を見ると笑った。

 

「僕は君みたいにそんな大それた野望なんてないから」

 

「ほう……」

 

「僕の主義は売られた喧嘩は3倍にして相手に返すってこと。それ以外のことは何も考えてないよ」

 

 悠輔は無邪気にそう笑ったがその視線は鋭く赤い光を発し続けた。

 

 僕はいつでも相手になってやるよ──そう言いたげな視線に静夜の興味は強くそそられた。

 

「やれやれ、伊賀の家元さんは好戦的だな」

 

 そう言うと静夜は蔑んだような笑みをうかべ悠輔を見た。

 

「しかし、その余裕はいつまで続くだろうな。これからのお前の予定を見ると忍者として笑っていられる状況ではない」

 

「ああ……」

 

 静夜にそう言われ悠輔は一気に顔を曇らせた。

 

 そして不快感いっぱいの表情を浮かべ彼を睨みつけた。

 

「もしかして今日の感謝状授与も君たちの差し金?」

 

「いや。これは自然の流れってやつかな──」

 

「まあ……そうだろうね」

 

警察で表彰されるなど悠輔にとって不服であった。だが、ここで断るなどもうできないこともわかっていた。

 

──まあ、いいや。どうせ後で情報を握りつぶせば公になどならない。

 

僕たちにはそれができる力があるんだから……

 

「えらい余裕だな」

 

 悠輔の落ち着き払った態度に静夜は感心したように言った。

 

「もしかしてお前……こんな表彰式伊賀の力を使って闇に葬ろうとでも思っているのか?」

 

「まさか……僕たちはそんなに万能じゃないし」

 

「でもおかしいよなあ……」

 

 そう言うと静夜は悠輔の顔をじろじろと見つめた。

 

「この前の渋谷の通り魔事件でお前のこと報道したマスコミって少なすぎだと思うんだよなぁ……」

 

 その言葉に悠輔は訝しげに眉をひそめた

 

「──どういう意味だ?」

 

「おや、まだとぼけるつもりか?」

 

 静夜はそういうとにやっと笑った。

 

「お前らの流派が情報操作が得意だってことは有名な話。それを使ってどうにかことを小さくしようとしたらしいが、今回ばかりはそうはいかないぞ」

 

「何──?」

 

「マスコミに内通しているのは伊賀だけじゃないってことだよ。百地君」

 

 静夜の口からそれを聞いて悠輔は思わず顔色をガラッと変えた。

 

 形勢逆転。それを見て静夜は誇らしげな表情を浮かべた。

 

「まあ、気にするな。ニュースを見てお前の正体に気づく奴なんてそう多くはないさ。そう思えば問題ないだろう」

 

 その一言に悠輔は初めて悔しさを顔に出しに歯ぎしりした。

 

 そうか。コイツそれが目的だったんだ──

 

 静夜にとって今日悠輔を警察に呼び出したのは、彼を取り調べるためでも表彰するためでもない。彼の正体を如実に公に晒すのが目的だったのだ。

 

「覚えてろ……」

 

 悠輔はまるで腹の底から出た呪いのような言葉で一言言った。

 

「僕は君の思うどおりにはならない! そして君を──甲賀を絶対に忍者界のトップにはさせない! それが僕の──『百地悠輔』としての意地だ」

 

 そう言った悠輔の眼鏡の奥の表情は完璧に赤い瞳の伊賀の若き頭目にして秘伝の名を継いだ『百地悠輔』の顔になっていた。

 

 それを見て、上月静夜は初めて嬉しそうな笑みを口元に浮かべた。まるで最高の好敵手を見つけたかのように


3 静夜の罠

 彼は、表彰は自然の流れだと言った

 

 それはそうかもしれない。あれだけのことをやってしまったのだ。大事になるのは仕方ないかもしれない。

 

 だけどそれは図らずも彼にとって大きなチャンスを与えてしまった。

 

 一つのきっかけさえあればそれを使って幾らでもこちらを陥れる罠は設置できる。

 

 きっとこの表彰は自然な流れのうちに決まったのだろうけど、その中にどれだけ彼が罠を仕掛けているか──悠輔にとってそれが気がかりだった。

 

 緊張した面持ちで渋谷署の署長室に通された瞬間、図らずも何台ものカメラが彼を睨み付けていた。

 

 パシャパシャと跳ぶ眩いフラッシュに顔をゆがめながら悠輔は恐る恐るその部屋に陣取るカメラを数えだした

 

 どこがマスコミが数社ほどだ。こんなの芸能人の会見並みの人数じゃないか。

 

 悠輔はむっと眉間にしわを寄せながら部屋の中に入るとさらに痛々しいフラッシュが彼を襲った。

 

 一体このしかめっ面が何社の新聞に載るのだろう。そして、何人が自分の正体に気づくのだろう──

 

 そう思うと悠輔は目の前の表彰が憎々しくて仕方がなかった。

 

「いやああ、まさか一般市民の方に通り魔を確保していただくなんて……驚きですよ」

 

 丸々と太った渋谷署の署長は悠輔とは180度違う満面の笑みで迎えた。

 

「でもまあ、藤林君も無事で本当によかったよ。もし君が犯人に向かったのがきっかけで一大事になっていたら──大変だもんなあ」

 

 署長はそういうと悠輔の肩をなれなれしく叩いた。

 

 それを聞いて悠輔は困った表情で「はあ……」と答えるしかできなかった。

 

「でも、君も無事だし犯人の意識も戻ったし、けが人は多少出てしまいましたが死者はナシ!こちらにとっては円満解決で万々歳ですよ!」

 

 なにが円満解決で万々歳だ──

 

 悠輔は不服そうな表情を浮かべながら署長を訝しげに見た。

 

 すべては不幸な話だ。デート中に通り魔に遭遇してそれを制圧してしまったがために、警察組織に潜り込んでいた甲賀の頭目上月静夜の目についてしまった──これを運が悪いと言わずにはいられない。

 

 そして彼は忍者が最も恐れることを最大の罠に仕掛けた──それがマスコミを使い自分の顔を日本中に晒すという今の状況だ。

 

上月静夜め……

 

 悠輔はまるで呪いをかけるように彼の名をつぶやいた。

 

 こんな形で僕の正体を公にして、奴はこの後何を企んでいるのだろう……

 

 ここで顔が報道されたら、伊賀や甲賀以外の流派にも自分の顔が伝わるのは間違いない。

 

 それを知って他流派はどう動くのか──それを考えると悠輔は頭が重くなりそうだった。

 

「もしもし、藤林さん?」

 

 そう言われて悠輔はハッと顔を上げた。

 

 目の前には蛸のようにきょとんとした顔の署長が賞状を持って立っていた。

 

「どうされました? なれないフラッシュに立ちくらみましたか」

 

「あ、いや……はい」

 

 悠輔はその言葉に戸惑うかのように弱々しく答えた。

 

 本当はそんなことより、裏の世界の動向のほうが気になるなど口が避けてもいえるはずかない。

 

「ほらほら、スマーイルでさ。君は今日から英雄なんだから……」

 

 英雄? そんなものになんかなりたくもない──!

 

 悠輔はそう口答えしたい気分になったがその言葉をぐっと飲み込んで目の前に差し出された賞状を無表情のままおずおずと受け取った。

 

「あのー、すいません。お二人さん握手しながら記念撮影したいんですが」

 

 取材陣からそんな声がした瞬間、もう悠輔は我慢ならなくなった。

 

 何に怒りを感じてるのだろう? 警察? マスコミ? それともすべてを仕掛けた上月静夜か?

 

 否、全て違う。本当に怒りを感じているのはこんな簡単な罠のきっかけを作った自分自身だ。

 

 そう思うと強い怒りとともに激しい情けなさも感じて穴に隠れたい気分だった。

 

 警察署長と握手をし、カメラに向かってポーズすると激しいフラッシュが悠輔を襲った。

 

 この光はこれほどまでに痛いものだっただろうか──悠輔は硬く顔をしかめながらそう思った。

 

 襲い掛かるフラッシュの光にスキャンダルを抱えた芸能人のように今すぐその場から逃げ出したい気分になったけど、そうするわけにもいかない。

 

 なぜならその行動こそが自分を陥れる罠そのもの。上月静夜の思い通りの結果になるのだから

 

「──OKでーす!」

 

 カメラマンの一人がそう言った瞬間、悠輔に襲い掛かっていたフラッシュの嵐はパタッと止んだ。

 

 それを見るなり悠輔はすっと踵を返し足早に署長室からでていこうとした

 

 そこにいた署長やほかの刑事たち、マスコミの連中すべてが彼の行動に驚き引きとめようとしたが時は遅し。悠輔はまるで吹き去っていった風のように消えていった。

 

 そして悠輔はそのままもらった賞状を乱暴にくるくると丸めながら薄暗い警察署の廊下を歩き出した。

 

 だが、その足はすぐにぱたりと止まる。

 

 悠輔は鋭い瞳ですっと前を見つめた。

 

 目の前にはあのだらしない制服姿の甲賀の頭目上月静夜が立ちはだかっていたのだ。

 

「よお、もう授賞式を後にしたのかよ、家元は」

 

 彼は悦に入ったような笑みを浮かべながら悠輔にそう問いかけた。

 

 そう言われて悠輔はもう我慢の限界を超えてしまった。

 

 悠輔はその問いに答えることなく無言のままその足を静夜に向け歩みだした。

 

 その瞬間、静夜は身体を硬直させ思わず攻撃の構えを取りそうになった。

 

 ゆっくりと近づいてくる悠輔の周りには禍々しいほどの殺気が渦巻いていたのだ。

 

 そして二人がすれ違うその瞬間、悠輔は静夜にまるで喉元に刃を突きつけるかのような一言を発した。

 

「覚えてろ……」

 

 その言葉を聞いて静夜は悠輔のほうを振り返り言った。

 

「おや、ずいぶんお冠のようで」

 

「うるさい」

 

 悠輔は凍て付くようなその一言を放つと暗闇の中真紅に光る瞳で静夜を射抜いた。

 

「今度会うときは君の命はないと思え……」

 

 悠輔は一言そういい残すと、また何事もなかったかのように薄暗い廊下をゆっくりと下っていった。

 

 それを冷めた視線で見送っていた静夜はふっと蔑んだような笑みを浮かべ言った

 

「命がないのはどっちのほうか……」

 

 そう言うと静夜は悠輔とは逆のほうへ踵を返し薄暗い廊下を歩いていった。


4 追跡者たち

渋谷署を出るともうどっぷりと日が暮れて辺りは薄い夕闇に覆われていた。

 

それを見て悠輔はひとつ深いため息を付くと、駅に向かってゆっくりと歩き出した。

 

若者の街渋谷は夜を向かえさらに人が増えぎゅうぎゅうにごった返している。

 

普段ならここら辺でファーストフード店に入って軽い夕食をとるところだが、今日は疲れきってそんな気力もない。

 

街に繰り出す若い男女をよそに悠輔はうつむき加減に駅へと足早に消えていく。

 

そして、一気にホームに着くと悠輔はまたひとつ大きなため息を付いた。

 

「今、標的は渋谷駅山手線外回りのホームです……おそらく頭目の予想通りそのまま部屋に帰るのでしょう」

 

 悠輔は訝しげな表情を浮かべ周りを見回した。

 

 山手線の短い待ち合わせ時間、回りは携帯電話をかけるサラリーマンにiPhoneを聞く若者、手鏡を覗き込む女子高生におしゃべりをする主婦たち──

 

 彼らすべてが怪しいわけじゃない。むしろ素人目にみればまったく持って自然な形のホームの風景だ

 

 だが悠輔は薄々ながら何か別の違和感を覚え始めていた

 

 警察署を出たときから誰かに絶えず監視されているような視線を痛く感じていたのだ。

 

 そのとき緑色の車体の山手線がホームに滑り込んできた

 

 悠輔は首をひねりながら開いたドアからゆっくりと電車に乗り込んだ。

 

 渋谷から最寄り駅まで電車を乗り継いで約三〇分。

 

 その間もぴったりとマークされた視線は絶えず悠輔を襲った。

 

 もはや疑問の余地はない。僕はあれからずっと甲賀の奴らに付けられているんだ。

 

 それを確信した悠輔はあえて最寄り駅の二つ前の駅で電車を降りた。

 

 だが、悠輔を付ける影は動じることなくぴたりと彼に寄り添う。

 

 それどころか、時が立つごとにその影は一つ二つとみるみる数が増えていく。

 

 なるほど、ここでケリをつけるつもりだな──背後を付ける影たちの気配を感じながら悠輔は微笑を浮かべた。

 

 そのつもりでこうやって人気の少ない場所に奴らを誘導してやっているのだ。

 

 それを気づいているのかどうかは知らないが、目的地を前にして影たちの殺気はどんどん強く禍々しいものになっていく。

 

 その時、悠輔はふと足を止めた。

 

辺りはもう街の喧騒から大分離れ、街灯も一つもない薄暗い路地に入っていた。

 

その瞬間、彼を付けていた影たちの足音が砂利を踏みしめぴたっと止まった。

 

悠輔はにやっと笑った。そして彼らに気づかれないように眼鏡をすっと取り外した。

 

「僕が君たちに気づいてないとでも思ったかい?」

 

 悠輔はそう一言言った瞬間、振り向きざまにベルトに付けた針を抜き取りそれを瞬時に放った

 

 その瞬間、真っ先に彼を付けていたスーツ姿の男の喉下に針が刺さりそのまま崩れ落ちた。

 

「なんだ、たった十人ほどか……」

 

 追跡者たちの数を見て悠輔は少し不満げな表情を浮かべながら右手で針を器用にくるくると回した

 

「上月静夜も僕を舐めすぎだね。これだけの手勢で僕と相手しようなんて」

 

そういうと悠輔はにやっと笑い左手で彼らを誘うような手招きをした。

 

 そんな悠輔の挑発に甲賀の追跡者は皆カッと顔を赤くして憤怒し、次々と地を蹴り悠輔に襲い掛かった。

 

 それに対し悠輔はギリギリまでその場を動かなかった。そして彼らをじっと見つめる瞳は目の覚めるような真紅に染まった。

 

 襲い掛かった追っ手の一人が悠輔めがけ太刀を振り下ろしたその瞬間、その一撃はむなしく空を切った。

 

 彼はハッと周囲を見回したがどこにも相手の姿はない。

 

だが次の瞬間、彼は上を向くとそこに左右の手にたくさんの針を仕込んだ悠輔が文字のごとく空高く浮き上がっていた

 

その瞬間、悠輔は左右に持っていた無数の針を同時に真下の追っ手たちに解き放った。

 

それはまさに激しく叩きつける針の雨であった。

 

あまりに不意な攻撃をかわすことが出来ず、急所に直撃を受け倒れるものもいれば防御したものの腕を負傷したものも居た。

 

だが、悠輔にはわかっていた。今の一撃は致命傷には程遠いことを──

 

針の雨の一撃が一通り終わった瞬間、彼らの前にもう悠輔の姿はどこにもなかった

 

先ほどの攻撃にへきへきしていた彼らの顔に一気に焦りの色が浮かぶ

 

傷ついた身体で刀を構えながら彼らはじっと悠輔の登場を今や遅しと待ち構えていた──

 

その時だった。悠輔はあまりに意外なところに姿を現したのだ。

 

「攻撃してこないの?」

 

 その声にすべての忍者たちがぎょっとした表情を浮かべた

 

 悠輔は彼らが集まる中央に悠々とした顔で居座っていたのだ。

 

「何もしないなら、遠慮なくこちらから行くよ」

 

 そう言ったその瞬間、悠輔は近くに居た相手を一撃の手刀でなぎ倒していた。

 

 それを見た彼らは急いで臨戦態勢に入り悠輔を取り囲んだ。

 

 だが、それもすべて悠輔の想定の範囲内だった。

 

悠輔はまるで彼らを挑発するようににやっと笑って見せた。

 

それを見て彼らの一人が悠輔めがけ刀を振り落とす。それが口笛となった。

 

「すげえ……」

 

レンズ越しに悠輔を覗いていた甲賀の忍者は思わずそんな言葉を漏らした

 

悠輔の動きはまるで武術の演舞のごとく華麗であった。

 

どんなに複数の相手が襲ってこようとも悠輔はその筋を見極め鼻の差でその刃をかわしてみせた。

 

悠輔にとってそれはどうってことのない作業であった。

 

彼の瞳は特殊であった。裸眼で動く物を見るとそれはすべて止まって見えてしまうのだから。

 

普段は日常生活に支障を来すから矯正用の特殊レンズをいれた眼鏡をわざわざかけているが、今はその並外れた動体視力が特別に力を発揮するときだった。

 

右から左から──双方向から襲い掛かる凶刃を赤く染まった瞳で見極め針の穴を縫うように掠め取ると、すかさず敵に出来たほんの一瞬の隙を悠輔は容赦なく突いた。

 

鮮やか過ぎるカウンターキックは一方の敵の顔を砕き、一方の敵には振り返りざまに鋭い手刀で一撃で沈めた

 

その直後を襲うようにまた数人の敵が悠輔めがけて襲いかかる。

 

得られる結果は同じなのに──そう思いながら悠輔はとまって見える刃の軌道を見極め最も効率的に避けられるルートをはじき出した。

 

振り下ろされた刃を悠輔は体をかがめて綺麗に避けるとそのままの体勢で足を高く上げ敵のあごを砕いて見せた。

 

それと同時にまた別の敵が一対の刃を振りかざし斬りかかってきた。

 

だがその攻撃でさえ悠輔の瞳の前では無力であった。

 

小さな動きで何気なくそれをかわして見せたとたんそれよりも何十倍も鋭い悠輔のカウンターパンチが彼を襲った。

 

彼が崩れると同時に悠輔はまたしても数本の針を手に取っていた

 

「一体あいつ何本手裏剣を仕込んでるんだ……」

 

 上からカメラで狙う彼はレンズ越しに悠輔を見つめながらそうつぶやいた。

 

針を握り締めた悠輔は今度はそれを狙いを定めて一本一本丁寧に放った。

 

百発百中──その針は敵勢の刃を持つ手首や一撃必中の首筋にことごとくヒットし動きを封じられた彼らはその場に崩れ落ちた。

 

「どうだい? まだやるつもりかい?」

 

 悠輔はまるで残った相手を挑発するかのように一言そう言った。

 

 その言葉に仲間を倒され残り少なくなった甲賀の忍者たちは目の前の若者の壮絶な強さに一歩また一歩と後退し始めた。

 

 だが悠輔は彼らを生きたまま返す気など毛頭になかった。

 

 そのとき悠輔は初めて自分で攻撃を仕掛けたのだ。

 

 悠輔は地をぽんと蹴ると逃げ腰になっている彼らの懐に飛び込んだ。

 

 次の瞬間、悠輔は彼らの目の前ですばやく回転するとそれと同時に回し蹴りを放った。

 

 彼らはその瞬間、まるで鞠のように次々と宙を舞い、そして地に落ちたときにはもう意識を失っていた。

 

「……こんなものか」

 

 あまりにも手ごたえのなさに悠輔は残念そうな声を上げた。

 

 残ったのは腰を抜かした一人の甲賀者だけであった。

 

「頼む!命だけは……」

 

 彼は年若き伊賀の家元を前にして完璧に恐怖で震えていた

 

「やれやれ、こんなところで命乞いかい……」

 

 そんな彼を前にして悠輔は深いため息をついた。

 

「君はそれでも誇り高き甲賀の忍者かい? 君のボスがそんな君を見たらそれこそ命がないと思うよ」

 

「───」

 

 その言葉を聞いて甲賀の忍者は苦々しい表情で黙り込んだ。

 

「まあいい……」

 

 そういうと悠輔はおびえる彼の胸倉をぐっとつかむと軽々と持ち上げた。

 

「じゃあ、取引をしようか?」

 

「と……取引?」

 

「そう、僕は君の命を保障する代わりに君は上月静夜が何をたくらんでいるか僕に教えて欲しい──どうだい? 簡単な取引だろう?」

 

「それは──」

 

 その言葉に甲賀の忍者は顔をこわばらせる。命と名誉──どちらを取るか最後の最後まで悩んでいるようだ。

 

「取引がダメなら君をここでひねりつぶしてもいいんだよ」

 

 悠輔はクスクス笑いながら彼の胸倉にぐっと力を入れた。

 

 ますます喉をつぶされ彼は苦しそうな表情を浮かべた。

 

「まあ、根性のある忍者だったら僕の誘いに乗るわけないか……なんせ証拠のビデオを撮ってる奴がいるんだから」

 

 そう言うと悠輔は右上を向くと無邪気そうな笑顔を浮かべて見せた。

 

 それを見た瞬間、電柱の上でレンズ越しに一部始終を眺めていた甲賀の忍者は思わずぎょっと顔色を変えた。

 

「ついでだ。上月静夜に伝えておけ」

 

 そう言うと悠輔はびしっと決めたカメラ目線でゆっくりと台詞を続けた。

 

「僕を攻略するためにこんな雑魚を使って奥義を引き出そうとしようとしたのだろうけど、そんなことをしたって無駄なだけだよ。僕の真の強さを試したいんだったら君自身が真っ向勝負したほうが手っ取り早いんじゃないかな?──まあ、そんなことしたって君が伊賀の奥義を見破るなど出来るはずがないと思うけどね……」

 

 そう言った瞬間、悠輔は目にも留まらぬ速さで針を打ち放った。

 

 それはカメラを持っていた忍者の首に痛々しく刺さり、彼はそのまま電柱から地上へふらりと落ちていった。

 

「おっと、手加減するの忘れてた」

 

 そう言うと悠輔は胸倉を掴んでいた甲賀者の存在に気づいた。

 

 ふと、彼を見ると悠輔の締め技に口から泡を吐きながらぐったりと動かなくなっていた

 

 悠輔はそんな彼を見て乱暴に放り投げると、深いため息をつきながら再び特殊レンズ入りの眼鏡をかけた。

 

 しんと静まり返った路地裏──彼の周りにはただ男たちの躯が力なく横たわっていた。