目次
プロローグ
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第1章 不況からの贈物
1.七足のワラジをはく男は忙しいか?
2.リーマンショックで売上が半分に!
3.経営の勉強のやり直し
4.逆転の始まり
5.眠る資産
6.顧客のため息を次々に事業化
第2章 なぜ沢山のワラジをはくのか?
1.本業が儲からない時代
2.なぜ本業がいけなくなったか
3.本業以外の事業があると不安が減る
4.サイド・ビジネスには競争力がある
5.ビジネスの寿命が短くなっている
6.美学では食えない
第3章  「一人総合商社」は必然の結果だった
1.一人総合商社とは
2.起業家が突き当たる分岐点
3.ビジネスは拡大よりも縮小の方が難しい
4.個人の力VS組織の力
第4章 『0から始める独立・開業術』を超えて
1.ロバート・キヨサキ思考との融合
2.お金を稼ぐための4つの思考領域
3.お金持ちはお金を持っていない?
4.セールス会社から投資会社へ
5.お客さんに働いてもらう
6.オリジナル投資を発見せよ
第5章 一人総合商社ロードマップ
1.一人総合商社100万社計画
2.貧乏ほどお金を使う
3.バランス・シートを理解しよう
4.事業を持つ、法人化する、申告する
5.契約書の作成・リスク管理能力
6.法律を知る
第6章 これからどうなる?
1.知的労働者、受難の時代
2.真に学校から卒業しよう!
3.大組織を捨て創造力で勝負しよう!
4.再生こそが使命
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2.リーマンショックで売上が半分に!

2008年秋、世界中の株式市場の価格が暴落しました。日経平均は、その半年前より40%急落しました。そんな時期、私は結婚しました。

 当時、私は長野県の地方都市で、小さな会社を経営していました。その時点で、創業12年を数えていました。主に日系ブラジル人や日本人の一般家庭を相手に、保険の代理店と自動車販売・車検の代行業などの事業をやっていました。

 結婚式が終わり、新しい生活が始まりました。その途端に、TVや新聞で派遣切りのニュースが流れ始めました。その影響は、私の顧客にも及びました。派遣会社を通じて工場に勤めているブラジル人達が、次々に職を失っていきました。そして、毎日のように自動車保険の解約を依頼する電話が鳴りました。

 追い討ちをかけるように、取引先の保険会社が、代理店手数料を下げてきました。さらに、自動車も売れなくなりました。結婚してから半年で、収入が半減しました。

 従業員の給与の支払いもあるし、新築の家にはローンがまるまる残っているし、困りました。初めて、赤字を経験しました。毎月ごとに通帳の残高がドンドンと減っていく怖さを味わいました。可愛い新妻もそれを敏感に察し、夜のスーパーマーケットに出掛け、半額のシールが貼られた食品ばかりを買ってきてくれました。

 さらに、妻は「セミナーをやったら」と提案してくれました。私は以前より、起業やマーケティングに関するセミナーを年に1、2度のペースで開いました。それを月1度のペースでやることにしました。さらに、「婚活セミナー」も隔月で開きました。

 それらは、減った収入を補うほどの収入になりましたが、集客に手間がかかりました。半年も経つと燃え尽き感を覚え、だんだんと回数を減らし、開催しなくなりました。そんな私の苦境を察してか、従業員も1人やめ2人やめて、とうとう私と妻だけになりました。

 さらに、倒産しそうな派遣会社と組んで、便利屋をやろうとしましたが、企画倒れになりました。


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3.経営の勉強のやり直し

 困った私は、とにかく勉強が必要だと思い、地元の商工会議所が主催する「経営革新塾」に参加しました。講師は長野県内の製造業をコンサルタントしている村岡正一氏(ラーチマネージメントリサーチ代表)でした。週1回全10コースに休まず通いました。これまでの私は経験論に基づいており、経営学を軽視していました。「経営の経験のない学者がつくった理論など、絵に描いたモチにすぎない」と。

 しかし、経営学の理論体系は、私の心の中へスポンジに水が染み込むように入ってきました。そして、これまでの自分の盲点が見えてきました。その盲点とは、次の三つに集約できます。

     商品をつくるより、マーケットをつくる方が困難だ。

     クレームや顧客のため息の中に、利益の出るアイディアが眠っている。

     顧客を分類し、それぞれにあったアプローチが必要だ。

 ①については、これまでの起業で、嫌というほど味わいました。たいてい、新企画を新しいマーケットに投入するという、労力のいることをやっていました。

 例えば、セミナーの開催。セミナーのビジネスは、従来のメイン事業のマーケットとは別でした。メイン事業のマーケットは日系ブラジル人で、セミナーのマーケットは、20代から30代の若い日本人です。ブラジル人マーケットは十数年かけて育てました。セミナーのマーケットも、やはり同じ程度の時間と労力が必要です。だから、リーマンショック後に、手っ取り早く成果を出そうとセミナーをやっても、うまくいくわけがありません。

 そこで、私は半減してしまったけれど、今ある自分のマーケットに適したサービスを提供することに、舵をとりなおしました。しかも、今、自分が持っている資源を最大限に活かして。そして、お客様のため息の背後にある言葉を読み取ろうと、アンテナを立てました。
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4.逆転の始まり

 その時、私は代車を3台持っていました。車の修理や車検の依頼を受けた場合、顧客に短期間で貸すためにです。

 何故か、「代車を貸してほしい」という連絡が複数ありました。その理由をたずねてみると、不況らしい内情が分かってきました。どうも、車検をとるための、まとまったお金がないとか、お金に困って車を売ったとか、車を買いたいがローンが組めないなどの理由でした。けれど、月1万円程度は出せるというのです。

そこで、私は月1万円(任意保険は別途料金)で、貸し出しを始めました。すると、口コミでドンドンと連絡が来るようになりました。そして、代車の数を一気に10台増やし、それでもまだ足りないので、20台にしました。それでも、フル稼働です。

 1台当り5万円から10万円の軽自動車を仕入れてくるので、すぐに元がとれ、利回りでは、年100%以上になります。これで、短期間に事業を立ち上げてしまいました。しかも、広告宣伝は一切しておらず、自分からもPRはしませんでした。さらに良いことに、あまり手間がかからないのです。


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1.本業が儲からない時代

 今、本業は振るいません。それは、中小企業でも一流会社でも同じことです。

例えば、銀行。本業である商業への融資は、機能不全の状態です。銀行には有り余るお金があるのに、借り手がいません。貸したい優良な顧客は、借金をしたがりません。借りる気マンマンの人には、怖くて貸せません。それで、銀行は本業ではない国債の投資に熱心です。

 また、私の取引先の損害保険会社も、売上の50%以上を超える自動車保険が大赤字に陥っています。それで、医療保険などの生命保険を一生懸命に売っています。

それから、パナソニックやソニーも、主力商品のテレビが大赤字です。ソニーは金融やゲームなどの製造業以外の分野で収益を上げています。


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3.お金持ちはお金を持っていない?

 正直言って、リーマンショック前の私にとって、お金とは「精神安定剤」でした。持っていることで精神が安定するのです。さらに、貯金が増えると、自信も増していきました。人格とお金が一体化していました。ですから、お金がたまればたまるほど、お金を使うことが怖くなりました。1,500万円が1,499万円になると、不安を覚えるのです。今考えると、不健全です。かつて、どうしてそんな考え方をしていたのか、今では不思議に感じます。

リーマンショック後、あることをきっかけにコロッと考え方が変わりました。妻は、家電製品については機能が豊富で、高価な物を買う習慣があります。私は、シンプルな機能で安い物を買います。妻は、買った高価な家電製品をあまり使わず、カバーをかけているのです。それを見て私は、「道具とは使ってこそ価値が生まれる。倉庫に眠らせておくことと、物を大切にすることは別だ。もったいないじゃないか」と言って、夫婦喧嘩をしました。しかし、よく考えてみると、「自分もお金について、同じことをしているじゃないか!」と気づきました。

それから「お金とは道具で、価値を測定する物差しだ。道具なら使用されないのは、なんともったいない!」と考えるようになりました。

 前述したように、その後、私は金融資産を不動産に変えて、キャッシュ・フローを得ています。ただし、手元にキャッシュは少なくなりました。

 目標が変わったのです。以前は、手元にキャッシュを残すことが目標でした。今は、キャッシュ・フローを増やすことが目標になりました。私は前者をキャッシュ主義、後者をキャッシュ・フロー主義と名づけました。

 早い話が、「1,000万円の貯金があって月々の収入が20万円ある人と、貯金が100万円で月々の収入が100万円ある人と、どちらがいいですか?」ということです。

 私は、後者に舵をとりました。一人総合商社は、お金を使ってキャッシュ・フローを増やす達人でなくてはなりません。


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最終更新日 : 2012-09-21 19:29:54


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