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 “そうですか”

 と、パーシバル夫人は、ぼくの話しを聞き終えると、さも納得したように、うなずきながら、答えた。

 “それで、あなたはそのお母さんを捜していらっしゃるんですね?”

 ぼくは、パーシバル夫人の顔を見つめながら、うなづいた。

 運転手は、メイドが運んで来てくれたコーヒと茶菓子を交互に手で取りながら、ぼくの方を、興味ありげな表情で見つめていた。

 “そうです”と、ぼくは言った、“過去のことを知れば、何んらかの手がかりがつかめるかも知れないと思いまして… でも、なかなかむつかしいことだとは思っています”

 “正直な話し、わたしは、お母さんの話しは初めて耳にしました”と、夫人は静かに言った、“なにせ、途中からこの館に参ったものですから。恐らく、うちの主人に尋ねても、ほとんど何も知らないだろうと思います。うちの主人も、ここでは全くの部外者なんですから。――でも、あなたのお話しには、なかなか興味がありますわ。本当に、あなたのお母様が、見つかればいいですのにね…”

 “リトイアの近くのサビーノの村が、母の出身地でもあります。これからそこへも行って、色々と伺おうとも思っています”と、ぼくは、自分の決意を語った。

 “あなたのお母さんはリトイアにも住んでおられたんですか?”と、パーシバル夫人は、少し驚いたような顔をして、言った。

 “ええ、母はミリエル家の両親が亡くなった後、しばらく、叔父のレオノールに引き取られてレビエに住んでいましたが、間もなく、レオノールと一緒に、レオノールの伯母が住んでいたリトイアヘ向かったんです”と、ぼくは言った、“それはまだ母が、八つのときでした”

 “――でも、レオノールさんは、叔父じゃなくて、本当のお父さんだったのでしょう?”

 と、パーシバル夫人は冷静に言った。

 “母は何も知らなかったんです”と、ぼくは、しみじみと言った、“レオノールもずっと本当のことを言わなかったものだから、母はただ、レオノールのことを、とっつきにくい、こわい、頑固な叔父さん、と感じていたようです。でも、身なし児の自分を引き取り、育ててくれたから、感謝だけはしていたようです”

 “何も知らないなんて、お気の毒に!”と、パーシバル夫人は、額にしわを寄せて言った。

 “これには色々と事情があったんです”と、ぼくは言った、“もしおいやでなければ、全部話してもかまいませんが…”

 “ええ、結構ですよ”と、パーシバル夫人は、ぼくの方を見、大きくうなずいた。

 それで、ぼくは、ひと息ついてから、話しを始めた。

 “クリスチーヌ・ガラハは、さっきも言いましたように、結局、M・ブロートと結ばれました。でも、この結婚は、もともとブロートの出世の為に利用された、政略的なもので、愛情のゆえに結ばれたものではありませんでした。


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それに、ブロートには別に、愛人さえいたようです。そんな事情で、クリスチーヌの結婚生活は決して幸せなものではなかったようです。しばらくして、社長のミリエル氏が死に、相次いで、クリスチーヌの父、ガラハ氏も亡くなってしまうと、こわい者がいなくなってしまったとばかり、クリスチーヌに対する虐待すら始まったんです。ブロートと、ミリエル家の二男バランとは、もともと通じ合っていた仲でしたし、今になって、クリスチーヌの過去の情事のことをあばき立て、責めて、虐待を始めたんです。ブロートにとって、ミリエル氏が死んだ今、クリスチーヌは不用の存在でした。クリスチーヌは、ブロートの立派な屋敷に住ませてもらっていましたが、その虐待たるや、クリスチーヌは、そこの女主人というよりは、女中のような扱いを受けていた、ということです。ごく親しい女中以外に頼る者とて他になく、クリスチーヌはやがて病を得、しばらく後に、亡くなりました…”

 春の日射しが降り注ぐテラスの上で、パーシバル夫人と、運転手の二人は、ぼくの話しを熱心に聞いていた。

 “それで、それからどうなりましたんですか?”と、夫人は尋ねた。

 “クリスチーヌの死を知って、誰よりも驚き、心の底から、後悔し、悲しんだのは、レオノール・フローバその人でした。つまり、ぼくの祖父レオノールは、姉アヌーザの話しから、今や一切が明らかとなり、クリスチーヌの死を、心の底から後悔し、嘆き、悲しんだんです”

 “…レオノールとクリスチーヌの出会いは、ここの館の庭園で始まりました”と、ぼくは、ひと息ついてから続けた、“ちょうど表の、池のあるあの広い庭園だと思いますが、今も昔も少しも変わってはいないようです。ちょうど、レオノールの姉、アヌーザの結婚式の日が、二人の出会いの始まりでした。クリスチーヌがここの館のメイドとして、結婚披露パーティの下働きをしていたその姿が、レオノールの目に止まったのです。そればかりでなく、忙しい仕事の合間をぬって、祝福された二人の為に、彼女が美事にピアノを演奏したことも、彼に深い印象を残したようです。その日から、二人の関係が始まりました。クリスチーヌがピアノのレッスンを受けに館の外へ出て行っているのを知り、機会を伺って、出会いのチャンスを作ったのは、レオノールの方でした。そうして、二人の、秘密の交際が始まりました。秘密というのも、クリスチーヌは既に、商用で一年ほど出張に行っているブロートという男と婚約しており、行く行くは結婚することになることが公然の事実となっていたからでした。しかし、二人の出会いによって、事情は一変してしまいました。レオノールが、姉の結婚式の当日に、既にひと目ぼれしてしまったことを告白すると、クリスチーヌの方も、レオノールのことはその日に気づき、感じのよい人だという印象を持っていたことを告げたのでした。それに、クリスチーヌの婚約というのも、出世を狙うブロートが、ミリエル氏に受けの良い執事ガラハの娘を嫁に迎えれば、出世に役立つだろうという政治的な意図から出たもので、クリスチーヌも、将来が有望なブロート氏という、その肩書に引かれて、父親に言われるままに、何も分からないまま、婚約を引き受けた、というだけのことでした。


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もともと、心から願っての結婚、というようなものじゃなかったんです。でも今や、レオノールとの出会いによって、初めてクリスチーヌは、愛に目覚め、結婚の意味を知ったんです。――しかし、事はそう簡単には運びませんでした。二人のあいだに横たわる、ブロートとの婚約、という障害があったからです。これは既定の事実で、クリスチーヌの父親も、ミリエル氏もそのように考え、事が運ばれていたからです。クリスチーヌには、自分にはとりわけ優しかった父親の意向にそむいてまで、レオノールの下へ走る勇気はなかなか出て来ませんでした。また、レオノールの姉アヌーザが、ここの館に暮らしているミリエル氏の長男であり、副社長でもあるモーリスの妻であり、現在も円満に暮らしていることを思うと、その夫婦生活に水を差すような、レオノールとの情事を出来るだけ表ざたにしたくない、というのもその理由のひとつでした。そのような理由で、どっちつかずの煮え切らない日々が、どんどん過ぎて行きました。ただ、逢引だけは続けていました。祖父はとうとう待ち切れなくなって、レビエの湖畔のほとりに、二人の為の小さな、しかしなかなかしゃれた、一軒の家を建てました。そしてクリスチーヌの来る日をひたすら待ち望んだのですが、ついに、日曜日に一度だけ、クリスチーヌをその家に呼ぶことができたんです。そして、思う存分、二人きりの楽しい生活を、満喫することが出来ました。――しかし、二人の幸せな日々が続いたのもそれまででした…”

 ぼくはそう言って二人の顔を見、それから、風にそよぐ、月桂樹の枝や葉や、アザミの花を眺めた。二人の目が、興味に輝いているのを知ると、ぼくは続けた。

 “それというのも、ミリエル家の二男であるバランが、二人の情事に感づいたからです。二男は、ミリエル氏から何かにつけ、優等生である長男と引き比べられ、一種の劣等感さえ抱いていたようでしたが、将来のポストを狙うブロートとは通じ合っていたようです。ブロートを、ガラハの娘と結婚させようという計画も、実は、二人の密談の中から出て来たようなものなのです。その弟が、二人の情事に気づき、このままでは自分たちの計画がだいなしになってしまうことを恐れて、二人の仲を裂く策に打って出たんです。まずクリスチーヌを呼びつけ、このことをみんなに触れ回るかも知れないと言っておどし、しかしもし、このまま二度とレオノールと会わないと約束するなら、今までのことはなかったものとして、黙っていてあげよう、と言ったのでした。クリスチーヌは、一晩悩んだあげく、結局、レオノールに会いに行くことはやめました。ところがその日はちょうど、レオノールが最後の決心を固めていた日に当たっていました。つまり、ブロートとの関係をきっぱり精算する為に、クリスチーヌの父ガラハ氏に一切を打ち明けようと、クリスチーヌと約束していた日に当たっていたのです。レオノールは、期待に胸踊らせながら、約束の場所に来ましたが、クリスチーヌはいませんでした。それで、不審に思った祖父は、クリスチーヌが通っている音楽家の教室へ駆けて行くと、そこで、一通の手紙を手渡されました。それは、クリスチーヌが、涙ながらに書いて、少年に届けさせた、「しばらくはお会いすることができません」という内容の手紙でした。しかし、レオノールは、そんなことであきらめるような男ではなく、手紙には伏せてある内容の裏に何かあるに違いないと直観して、すぐミリエル家のこの館へ駆けて来ました。しかし、そこで目にした光景が、一切を決定づけました”


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 “レオノールが館に来たとき、邸内は静かでした”と、ぼくは続けた、“それでためらうことなく、クリスチーヌがいるはずの別棟に向かったんです。それはさっき、ぼくたちが寄せてもらったあの館です。ドアは開いていたので、中へは簡単に入れました。そして、足音をたてないように階段を上がって行くと、やがて、クリスチーヌの部屋の方から耳なれない男の声が聞こえて来るようでした。不審に思って祖父はその部屋に近付き、ドアごしに中の様子を伺おうとしますが、やはりその声が聞こえて来ます。それで、思い切ってドアをあけると、彼女のベッドの上に、うなだれた彼女と、彼女の肩に手を回し、何か慰めているようなバランの二人が、互いに寄り添うように腰掛けている姿が目に飛び込んで来、それを見るなり、狂ったように祖父は叫び、振り向いて階段を駆け降りて行ったんです。クリスチーヌはあわてて部屋を飛び出し、祖父を呼び戻そうとしましたが、もう後の祭りでした。祖父は、裏切られたという思いと、失恋の痛手とで、しばらくは、回復する見込みも立ちませんでした。人生に対する絶望と怒りとから、以後、生活も次第に乱れて行くようになりました。そんなある日、クリスチーヌが不意に、祖父の家に尋ねて来てあのときのいきさつを告白し、「あれは、あの弟バランに脅迫されて仕方なくやったことで、自分の気持は変わりないから、もう一度思い直して欲しい」ことを訴えたが、祖父は、鬼のような気持になって、聞き入れようとはしませんでした。クリスチーヌはなおも、このままではブロートと結婚することになってしまうと言って嘆願しようとしたが、祖父は、あのときの光景を思い出すと、どうしてもクリスチーヌを許す気にはなれませんでした。とうとうクリスチーヌは、門の前で訴えることの空しさを悟ったためか、うなだれて去って行こうとしましたが、そのときただひと言、「あなたの子供が出来た」ということを口にしたのです。祖父は、驚きはしましたが、別にクリスチーヌを呼び止めようとはしませんでした。むしろ悪魔的な気持になって、やがて、クリスチーヌがひとり、非難の矢面に立たされるのを、愉快に思ったくらいなのです。そしてそれが、クリスチーヌとレオノールとの最後の別れとなりました…”

 運転手は、カップの中のコーヒの黒い表面をじっと眺めながら、聞いていた。夫人は、テーブルの上に両ひじをきちんと突いて、両手を組むような恰好で、静かにぼくの話しを聞いていた。

 “祖父の生活は、その日以来、いっそう乱れて行くばかりでした”と、ぼくは続けた、“そして間もなく、ミリエル家に嫁いでいる姉から、祖父は、とんでもないことを聞かされることになりました。それというのも、ガラハの娘クリスチーヌのお腹が急に大きくなって、やがて、父が誰とも知れない子供が生まれたが、ちょうど自分たちのあいだに子供が出来なくて困っている最中だったので、極秘のうちに、そのこどもをもらうことにした、という内容でした。そして、その子供は女の子で、ミリエル氏とも相談して、リディアという名を授けた、ということでした。このことは、婚約者ブロートの耳に知れたら大変ですので、すっかり極秘のうちに行われた、ということです。


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クリスチーヌはもちろん、父、ガラハ氏にすっかりしぼられたが、父親については一言も言わなかった、ということでした。祖父は、そのことを姉から聞かされても、別に驚きはしませんでした。ただ、ブロートとの結婚の日どりを、それとなく尋ねただけでした。姉アヌーザの結婚の日からほぼ一年が経過した春に、結婚式がとり行われるということでした。姉は祖父に、「あの子を祝ってあげる為に来ない?」と、結婚式に参加することを勧めたが、祖父は、つくろい笑いをしながら、きっぱりと断りました”

 “クリスチーヌと祖父との出会いは、以上のようないきさつです”と、ぼくは言った、“祖父はその後も、たびたび姉の館に行っては、自分の娘であるリディアが姉の胸に抱かれているのを見て来ましたが、そんなある日、姉の口から、クリスチーヌの死んだことを聞かされました。しかも姉は、クリスチーヌに忠実だったメイドからこっそり教えてもらって、すべてを知っていました。クリスチーヌがうわごとのあいだずっと、リディアとレオノールの名を呼び続けていたことを。そして、クリスチーヌがいかにレオノールを愛し、リディアのことをいとおしみ、またいかにブロートから虐待を受けていたかを話し、どうしてこのことをもっと早く告げてくれなかったのか、と言って、祖父をなじりまでしました。しかし、祖父には今や一切が明らかとなりました。クリスチーヌの愛が今や本物であったことを知り、さっそくクリスチーヌが葬られている墓の前へ行っては、おいおいと泣きました。しかし、その悲しみと後悔の中からやがて生まれて来たことは、ブロートに対する憎しみと、復讐の念でした。やがてブロートが、まだまぶたの下の涙が乾きやらぬうちに、早々と別の女と再婚したことを知るや、この思いがいっそう燃えさかりました…”

 ぼくがそこまで話したとき、パーシバル夫人と、運転手とは熱心に聞いていた。風がさわやかで、柳の枝が美しく揺れていた。テラスのそばに咲いているデイジーや、スイセンの花もなかなか美事だ。夫人は、テーブルの上にメイドが置いて行ったマスカットを手に取ると、取りたてで新鮮だからおいしいですよ、とぼくに言って勧めてくれた。ぼくはそれを手に取り、ひと粒を口に入れた。とても冷たくて、口ざわりが良く、おいしかった。

 “…それは気の毒な話しですね”と、パーシバル夫人はぼくを見ながら同情するようなまなざしで言った、“とりわけ、クリスチーヌさんは、気の毒な死なれ方をされました”

 “ええ、それについてはもう少し、詳しい話しがあるんです”と、ぼくは冷静に言った、“実は、ぼくの母は、自分の母クリスチーヌの死を、目撃さえしているのです”

 そう言ったとき、パーシバル夫人と運転手の目は、驚いたように、一段と目が大きくなった。

 “さっき、クリスチーヌは病を得て死んだ、と言いましたが、死因は病死ではなく、自殺だったんです”と、ぼくは続けた、“夫の虐待や病が彼女を絶望の余り、死に追い込んだ、と言えなくもありませんが、ともかく、クリスチーヌは病気によって死んだのではありませんでした。夫の冷たい仕打ち、娘、リディアと会えない寂しさ、レオノールとの情事の破綻、そして、自分の体を蝕む病などが全部重なって、彼女の精神を絶望的な状況へと追いやったのでしょう。



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