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 “そうですか。じゃきっと”と、ぼくは言った、“ここでは、ある者はイーゼルを立てて油絵を描き、別の者は、粘土をこねて陶器をつくったり、めいめい、思い思いの生活を楽しんでいたんでしょうね。きっと賑やかで、楽しかったことでしょう。そのような生活は、なかなかいいものです。羨ましい限りです。――でも、余りお邪魔をしていてはなんですから、ここを出ましょうか”

 そう言ってぼくたちは、運転手を先頭に、この部屋から出ることにした。

 最後にぼくが部屋を出たとき、振り向き様に見た、カーテンのない、春の光りがいっぱい射し込んでいる、冷たい部屋の様子が、なんとも言えず、わびしげに、悲しげに感じられるのだった…

                             

 ぼくたちは再び、黒ずんだあのところどころ傷のついた階段を降り、一階のフロアーを通って、館の外に出た。パーシバル夫人がドアを閉め、館の中が再び、暗い静けさを取り戻すのとは対照的に、館の外は、まぶしいほどに明るかった。庭に一面敷き詰められた芝生が美事に色づき、周りを花々で飾られた池の水面も、太陽の反射で、キラキラと輝いていた。しかしぼくは、すぐには本館の方に入るのではなく、ニレやブナやその他の樹木におおわれた広大な庭の方へ行きたくなった。どうにも止まらぬ思いが込み上げ、ぼくは、夫人に許しを請うた。

 “…すみませんが、あちらの庭の方へ寄せてもらってもよろしいでしょうか”

 “ええ、かまいませんわ”と、パーシバル夫人は、気のよい返事をしてくれた、“それでしたらわたしが案内しましょう…”

 “ええ、助かります…”

 

 一本だけすくっと立ち上がったようなニレの樹のそばを通って、ぼくたちは美事な紫陽花の咲く花壇へと入って行った。そこは、色とりどりの、様々な花の咲く、まるで楽園だった。デイジーやパンジーやバラなどが一斉に咲き匂い、まるで森のような庭のあちこちに、美事な花を咲かせていた。ぼくたちは、その間を縫うように続く、細い芝生の道を、花壇を楽しみながら歩いて行った。夫人は、それらを眺めながら、庭師が絶えず手入れに来てくれていること、また自分自身は、日に最低一回は、ここを通って、このような花の庭を目にするのを、楽しみにしている、とぼくたちに語ってくれた。

 “…それにしても、素晴らしい庭ですなあ”と、運転手も感心して言った。彼は、空をさえ切るかのようにからみ合う、樹木の先の枝ぶりに目を向けた。

 ぼくは、この花園から咲き匂う、なんとも言えぬ匂いを鼻でかぎ、庭園のふんいきの全体を、ぼくの全身で感じ取ろうとした。ここはまた、幼いリディアが遠い昔の日々を過ごし、戯れたに違いない庭園でもあるのだ。そこのバラの園の陰に隠れていたかも知れず、いたずらっぽくリディアが、その陰からパッと姿を現すような、そんな気さえして来るのだった。


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 やがて、園内を廻ってやって来たところは、チューリップや、スイセンや、ユリの花などが、コーナごとに整然と咲いていて、また、円く刈ったスイカズラの樹がおどけたモンスターのように並んでいる楽しい庭だった。そこにはまた、恐らくさっきの庭から引いて来ていると思われる、小川のような水路が庭園を横切っていて、その際にイリスの花が並ぶように咲いていた。水は澄んでいて、美しい青空を映し、ぼくは思わず、そのそばに歩み寄り、美事なイリスの花を眺め入った。すべてが素晴らしくて、申し分のない庭だった。こんなに広々としていて、変化に富んでいる庭なら、何日暮らそうとも、見飽きることはないだろう。

 やがてぼくたちは、一見テラス風になっていて、月桂樹や、柳の樹の茂っている、白いベンチやテーブルの置いてあるところへやって来ると、庭巡りに疲れた為か、そこに腰を降ろした。すぐ近くにも、ナデシコやパンジーの花々が咲いていて、その姿が美事だった。パーシバル夫人は、メイドにお茶を持って来させると言って席を立ち、夫人が去った後、しばらく、静かな時が流れた。しかしすぐ、夫人は館から姿を現し、晴れやかな表情で、ぼくたちのところにやって来た。彼女は、ぼくたちの坐るベンチとは、直角に並ぶベンチに腰を降ろし、ぼくの方に向いて言った、

 “この庭、お気に召しまして?”

 “ええ、もちろんです”と、ぼくは満足気に答えた、“本当に、素晴らしいお庭ですね。一ぺんに気に入りました…”

 “…それで、あなたはこれから、どうなさるおつもりですか?”

 と夫人は、それとなく尋ねた。

 ぼくはしばらく考えを整理してから、ゆっくりと、一語一語かみしめるように言った、

 “この館のことは、もうだいたい分かりましたから、あとは、あなたのおっしゃっておられた、村の老人の家にでも尋ねて、昔あったことのほんの少しでも、その老人の口から聞き出したいことぐらいなものです。きっとその老人は、ぼくの母の幼い頃の姿を見ておられたでしょうし、その他、クリスチーヌやレオノールのこと、その他、ミリエル家にまつわるぼくの知らないことまで、知っているかも知れません。そうしたことを聞くことができれば、幸いです”

 “わたしどもの館にも”と、パーシバル夫人は言った、“時々、珍しいお方がお訪ねになりますけど、あなたのような方は初めてです。もしよろしければ、今、どのようにお暮らしなのか、聞かせていただきません?”

 それでぼくは仕方なく、現在は独りで寂しい田舎に暮らしていること、妹のうち一人は、メロランスに、もう一人は、温泉地近くのルブライラに住んでいることを話した。生い立ちについても、子供の頃に父親に先立たれ、母親リディアが行方不明となって、以後消息がつかめていないことを語った。今から数年前、貧しい暮らしの中に突然レオノールからの便りが舞い込み、余命幾莫もなかったレオノールが伝えてくれた遺産で、現在は細々と暮らしている、ということもぼくは言った。


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 “そうですか”

 と、パーシバル夫人は、ぼくの話しを聞き終えると、さも納得したように、うなずきながら、答えた。

 “それで、あなたはそのお母さんを捜していらっしゃるんですね?”

 ぼくは、パーシバル夫人の顔を見つめながら、うなづいた。

 運転手は、メイドが運んで来てくれたコーヒと茶菓子を交互に手で取りながら、ぼくの方を、興味ありげな表情で見つめていた。

 “そうです”と、ぼくは言った、“過去のことを知れば、何んらかの手がかりがつかめるかも知れないと思いまして… でも、なかなかむつかしいことだとは思っています”

 “正直な話し、わたしは、お母さんの話しは初めて耳にしました”と、夫人は静かに言った、“なにせ、途中からこの館に参ったものですから。恐らく、うちの主人に尋ねても、ほとんど何も知らないだろうと思います。うちの主人も、ここでは全くの部外者なんですから。――でも、あなたのお話しには、なかなか興味がありますわ。本当に、あなたのお母様が、見つかればいいですのにね…”

 “リトイアの近くのサビーノの村が、母の出身地でもあります。これからそこへも行って、色々と伺おうとも思っています”と、ぼくは、自分の決意を語った。

 “あなたのお母さんはリトイアにも住んでおられたんですか?”と、パーシバル夫人は、少し驚いたような顔をして、言った。

 “ええ、母はミリエル家の両親が亡くなった後、しばらく、叔父のレオノールに引き取られてレビエに住んでいましたが、間もなく、レオノールと一緒に、レオノールの伯母が住んでいたリトイアヘ向かったんです”と、ぼくは言った、“それはまだ母が、八つのときでした”

 “――でも、レオノールさんは、叔父じゃなくて、本当のお父さんだったのでしょう?”

 と、パーシバル夫人は冷静に言った。

 “母は何も知らなかったんです”と、ぼくは、しみじみと言った、“レオノールもずっと本当のことを言わなかったものだから、母はただ、レオノールのことを、とっつきにくい、こわい、頑固な叔父さん、と感じていたようです。でも、身なし児の自分を引き取り、育ててくれたから、感謝だけはしていたようです”

 “何も知らないなんて、お気の毒に!”と、パーシバル夫人は、額にしわを寄せて言った。

 “これには色々と事情があったんです”と、ぼくは言った、“もしおいやでなければ、全部話してもかまいませんが…”

 “ええ、結構ですよ”と、パーシバル夫人は、ぼくの方を見、大きくうなずいた。

 それで、ぼくは、ひと息ついてから、話しを始めた。

 “クリスチーヌ・ガラハは、さっきも言いましたように、結局、M・ブロートと結ばれました。でも、この結婚は、もともとブロートの出世の為に利用された、政略的なもので、愛情のゆえに結ばれたものではありませんでした。


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それに、ブロートには別に、愛人さえいたようです。そんな事情で、クリスチーヌの結婚生活は決して幸せなものではなかったようです。しばらくして、社長のミリエル氏が死に、相次いで、クリスチーヌの父、ガラハ氏も亡くなってしまうと、こわい者がいなくなってしまったとばかり、クリスチーヌに対する虐待すら始まったんです。ブロートと、ミリエル家の二男バランとは、もともと通じ合っていた仲でしたし、今になって、クリスチーヌの過去の情事のことをあばき立て、責めて、虐待を始めたんです。ブロートにとって、ミリエル氏が死んだ今、クリスチーヌは不用の存在でした。クリスチーヌは、ブロートの立派な屋敷に住ませてもらっていましたが、その虐待たるや、クリスチーヌは、そこの女主人というよりは、女中のような扱いを受けていた、ということです。ごく親しい女中以外に頼る者とて他になく、クリスチーヌはやがて病を得、しばらく後に、亡くなりました…”

 春の日射しが降り注ぐテラスの上で、パーシバル夫人と、運転手の二人は、ぼくの話しを熱心に聞いていた。

 “それで、それからどうなりましたんですか?”と、夫人は尋ねた。

 “クリスチーヌの死を知って、誰よりも驚き、心の底から、後悔し、悲しんだのは、レオノール・フローバその人でした。つまり、ぼくの祖父レオノールは、姉アヌーザの話しから、今や一切が明らかとなり、クリスチーヌの死を、心の底から後悔し、嘆き、悲しんだんです”

 “…レオノールとクリスチーヌの出会いは、ここの館の庭園で始まりました”と、ぼくは、ひと息ついてから続けた、“ちょうど表の、池のあるあの広い庭園だと思いますが、今も昔も少しも変わってはいないようです。ちょうど、レオノールの姉、アヌーザの結婚式の日が、二人の出会いの始まりでした。クリスチーヌがここの館のメイドとして、結婚披露パーティの下働きをしていたその姿が、レオノールの目に止まったのです。そればかりでなく、忙しい仕事の合間をぬって、祝福された二人の為に、彼女が美事にピアノを演奏したことも、彼に深い印象を残したようです。その日から、二人の関係が始まりました。クリスチーヌがピアノのレッスンを受けに館の外へ出て行っているのを知り、機会を伺って、出会いのチャンスを作ったのは、レオノールの方でした。そうして、二人の、秘密の交際が始まりました。秘密というのも、クリスチーヌは既に、商用で一年ほど出張に行っているブロートという男と婚約しており、行く行くは結婚することになることが公然の事実となっていたからでした。しかし、二人の出会いによって、事情は一変してしまいました。レオノールが、姉の結婚式の当日に、既にひと目ぼれしてしまったことを告白すると、クリスチーヌの方も、レオノールのことはその日に気づき、感じのよい人だという印象を持っていたことを告げたのでした。それに、クリスチーヌの婚約というのも、出世を狙うブロートが、ミリエル氏に受けの良い執事ガラハの娘を嫁に迎えれば、出世に役立つだろうという政治的な意図から出たもので、クリスチーヌも、将来が有望なブロート氏という、その肩書に引かれて、父親に言われるままに、何も分からないまま、婚約を引き受けた、というだけのことでした。


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もともと、心から願っての結婚、というようなものじゃなかったんです。でも今や、レオノールとの出会いによって、初めてクリスチーヌは、愛に目覚め、結婚の意味を知ったんです。――しかし、事はそう簡単には運びませんでした。二人のあいだに横たわる、ブロートとの婚約、という障害があったからです。これは既定の事実で、クリスチーヌの父親も、ミリエル氏もそのように考え、事が運ばれていたからです。クリスチーヌには、自分にはとりわけ優しかった父親の意向にそむいてまで、レオノールの下へ走る勇気はなかなか出て来ませんでした。また、レオノールの姉アヌーザが、ここの館に暮らしているミリエル氏の長男であり、副社長でもあるモーリスの妻であり、現在も円満に暮らしていることを思うと、その夫婦生活に水を差すような、レオノールとの情事を出来るだけ表ざたにしたくない、というのもその理由のひとつでした。そのような理由で、どっちつかずの煮え切らない日々が、どんどん過ぎて行きました。ただ、逢引だけは続けていました。祖父はとうとう待ち切れなくなって、レビエの湖畔のほとりに、二人の為の小さな、しかしなかなかしゃれた、一軒の家を建てました。そしてクリスチーヌの来る日をひたすら待ち望んだのですが、ついに、日曜日に一度だけ、クリスチーヌをその家に呼ぶことができたんです。そして、思う存分、二人きりの楽しい生活を、満喫することが出来ました。――しかし、二人の幸せな日々が続いたのもそれまででした…”

 ぼくはそう言って二人の顔を見、それから、風にそよぐ、月桂樹の枝や葉や、アザミの花を眺めた。二人の目が、興味に輝いているのを知ると、ぼくは続けた。

 “それというのも、ミリエル家の二男であるバランが、二人の情事に感づいたからです。二男は、ミリエル氏から何かにつけ、優等生である長男と引き比べられ、一種の劣等感さえ抱いていたようでしたが、将来のポストを狙うブロートとは通じ合っていたようです。ブロートを、ガラハの娘と結婚させようという計画も、実は、二人の密談の中から出て来たようなものなのです。その弟が、二人の情事に気づき、このままでは自分たちの計画がだいなしになってしまうことを恐れて、二人の仲を裂く策に打って出たんです。まずクリスチーヌを呼びつけ、このことをみんなに触れ回るかも知れないと言っておどし、しかしもし、このまま二度とレオノールと会わないと約束するなら、今までのことはなかったものとして、黙っていてあげよう、と言ったのでした。クリスチーヌは、一晩悩んだあげく、結局、レオノールに会いに行くことはやめました。ところがその日はちょうど、レオノールが最後の決心を固めていた日に当たっていました。つまり、ブロートとの関係をきっぱり精算する為に、クリスチーヌの父ガラハ氏に一切を打ち明けようと、クリスチーヌと約束していた日に当たっていたのです。レオノールは、期待に胸踊らせながら、約束の場所に来ましたが、クリスチーヌはいませんでした。それで、不審に思った祖父は、クリスチーヌが通っている音楽家の教室へ駆けて行くと、そこで、一通の手紙を手渡されました。それは、クリスチーヌが、涙ながらに書いて、少年に届けさせた、「しばらくはお会いすることができません」という内容の手紙でした。しかし、レオノールは、そんなことであきらめるような男ではなく、手紙には伏せてある内容の裏に何かあるに違いないと直観して、すぐミリエル家のこの館へ駆けて来ました。しかし、そこで目にした光景が、一切を決定づけました”



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