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 “それが残念ながら、詳しいことは分からないんです”と、婦人は、気の毒そうに言った、“何やら、アフリカの方へ行って、それからまた戻って来ているとも聞いているんですが、詳しいことはどうも…”

 “アフリカへ!”と、ぼくは、驚いたように言った。

 “あなたが驚かれるのも無理はないと思います”と、婦人は言った、“ですが、もう少し詳しいことを知りたければ、不動産屋に電話なさるがいいでしょう。不動産屋の電話番号は、ここに書いてあります。あなたの為にって、主人がメモ書きしておいてくれたんです”

 そう言って、婦人は、ぼくに小さな紙きれを渡してくれた。それには、不動産屋の名前と住所、それに電話番号とが走り書きしてあった。ぼくは、丁寧に礼を言うと、それをポケットにしまい込んだ。

 紙切れをポケットにしまい込むと、ぼくは言った。

 “…恐らく、その鉱山主が、ミリエル家の後に、この館を買った最初の人だと思いますが、きっとその人も余り多くは知らないでしょう。ミリエルの最後の主が館を去ってから、しばらくのあいだは空き屋だったと聞いていますから… いずれにしても古い話しです”

 “それであなたは、ミリエル家の中でも、リディアという娘と、ミリエル家に仕えていた執事の娘、クリスという人の生活に、特に関心がおあり、ということなんですね”と、婦人は、ぼくの送っておいた手紙を手に取り、読みながら言った、“でも、リディアという娘が、あなたのお母さんだということは分かりますが、どうして、執事の娘の、クリスさんのことまで、関心がおありなんですか?”

 “それは、そのクリスさんが、ぼくの母親の、実の母親だからです”と、ぼくは冷静に答えた。

 その瞬間、婦人の顔にも、また運転手の顔にも、驚きの表情が横切るのが認められた。

 “――でもあなたは、あなたの母親リディアさんは、ミリエル家の長女であって、そんな、召使の娘の子だとは、書いておられませんでした”と、婦人は驚いた表情のまま言った。

 “これには、いろいろと深いわけがあるんです”と、ぼくは冷静に答えた、“ただぼくとしては、複雑ないきさつになるに至ったその当時の人々の生活ぶりや足跡を、少しでも詳しく尋ねてみたいと思ってやって来ただけなんです。お手紙にも書いてさしあげたと思いますが、もう一つの点、ぼくの母や、その母が住んでいた部屋などを見せてもらうわけにはゆきませんでしょうか…”

 “ええ、それはかまいませんが”と、婦人は、優しく言った、“この家を買い取ったとき、部屋の改装などをしましたから、その当時そのままの姿ではございませんよ。――でも、安心下さい。家具・調度などは、前のが余り素晴らしかったからそのままにしておきましたが、前の所有者も、同じような理由で、以前のを引き継いだということです。きっと最初の所有者の趣味がよっぽどよかったということなんでしょうね。


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ですから、それらは、あなたの言う、ミリエルさんの時代から、私の主人が手を入れた寝室の一部などを除いて、当時のものを使っているということができますわ。そういうことでかまいませんのでしたら、どうぞ、どこでも好きなように見て下さい…”

 “ええ、助かりました。ありがとうございます”と言って、ぼくは、心の底から礼を言った。

 やがて運ばれて来た、紅茶と、茶菓子を口にしながら、ぼくたちはしばらくのあいだ、その場に残って雑談をした。現在出張中のこの館の主が、保険会社の社長であることや、現在メロランスに行っていることや、また、二人の、小学校に通う娘がいて、まだ学校に行っている最中だ、ということなどが分かった。また、運転手にも、元気な男の子が二人いて、町の学校に通っていることも分かった。ぼくが現在、ひとりで、孤独に暮らしていることを知り、彼らは、そのことに同情してくれている様子だった。――しかし何よりも、ぼくの語る、ミリエル家にまつわる話しの方が、彼らの興味を惹いたようだった。

 “もし、どうしても当時のことが知りたいというのなら”と、パーシバル夫人は、ぼくに言った、“この近くの古老のシェーファさんに聞くといいでしょう。あの人ならずっと昔からここにお住まいだし、当時のこともよく記憶されておいででしょう。あたしの紹介だと言えば、快く応じてくれるはずですよ”

 そう言って、パーシバル夫人は、古老の住む家の場所をぼくに教えてくれた。この辺の地理に不案内なぼくには、その場所はピンと来なかったが、代わりに、運転手の方がすぐ呑み込んでくれた。

 “それじゃそろそろ行きましょうか”と、パーシバル夫人は、時機が来たのを見計らって言った。

 ぼくたちは立ち上がって、パーシバル夫人の後に続いた。

 “さて、どこから参りましょうか?”と、パーシバル夫人は、書斎から出て、ホールに立つとぼくに尋ねた。

 “どこからでも結構ですが”と、ぼくは言った、“できれば、ぼくの母親が住んでいた寝室からお願いしたいものです”

 “寝室ね”と、パーシバル夫人はうなずいた、“それなら二階にありますが、あなたのお母さんがどこにいらしたのかは存じ上げてないんですが…”

 “だいたい分かっているんです”と、ぼくは答えた、“母親がピアノを習っていたという部屋もね。――それは、階段を上がって、左側の最初の部屋だと聞いています”

 “偶然ですわね”と、パーシバル夫人は、驚いたように言った、“実はうちでも、その部屋を、子供の勉強部屋に使っているんですよ。よろしければ、その部屋から参りましょうか”

 “ええ、結構です”と、ぼくは答えた。

 そのあいだにも、ぼくたちは、ホールに延びた広い階段を、ゆっくりと上がっていた。飛入りで見学することになった運転手も、豪華なホールのあちこちを、珍しそうに眺めていた。


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 “さあここです”と、階段を上がってすぐ左手の部屋のドアをあけて、パーシバル夫人はぼくに言った。

 あけられたドアの中から、青い壁の部屋が現れた。突き当たりには花を活けた窓が見え、机やピアノや、その他の家具があった。壁には円い肖像画や、風景画などが掛けられ、別の面には鏡も掛かっていた。部屋の隅に置かれたソファーも青い色をしており、全体としてのイメージは爽やかで、こぎれいな感じだった。今は誰もいないその部屋を見るなり、ぼくの耳には、あのママの声が聞こえて来るような気がした。

 「…ママはね、昔、大きなお屋敷で楽しく暮らしていたのよ。部屋も数え切れないぐらいたくさんあって、召使や女中もいたわ。ママの部屋は、二階の階段を上がって左側の隅のところで、その奥が両親の寝室だったわ。他に、ママの勉強部屋もあって、それは、階段を上がってすぐ左手のところで、ちょうどママの寝室の隣だった。他にも、ママのおじさんに当たる人の部屋や、書斎や居間や食堂などがあって、そりゃ立派なものだったのよ。今から思い出すと、本当に、あの頃が一番幸せだったようね…」

 ぼくが今、目の前にしているのは、まさにその勉強部屋だった。

 「…その部屋にはピアノがあってね」と言うママの声が、再び耳に聞こえて来た、「毎夕方、決まった時間に先生がやって来る他――女の、若い、割にきれいな先生だったわ―― 優しかったママとか、若い女中の方などと、よくおしゃべりをして遊んだりしたものよ。それに、窓から見える景色が素晴らしかったわ。そりゃ大きなお庭に、池があって、その隅に、立派な彫像などがあるのよ。雨の日なんか、水面が一面雨に打たれて、水面に浮かぶ睡蓮の葉が本当に美しかったわ…」

 “よろしいですか?”と、ぼくは、パーシバル夫人に断って中に入ると、まっ先に窓辺に歩み寄って、ママの言っていた睡蓮の池が見えるか、窓から庭を見下ろした。間違いはなかった。思っていたほど大きな池ではなかったが、確かに池は存在し、光に輝く白いローマ風の彫像と共に、今もなお池の水面に、睡蓮の葉が浮かんでいるのだった。ぼくはその光景に、胸が熱くなる思いがして振り向いた。パーシバル夫人と運転手の二人は、ドアからまだそれほど部屋の中に入って来てはいなかった。今の子供は気まぐれと見え、床の上に無造作に、かかしのようなぬいぐるみや、木製のトラックなどがほったらかしにされていた。

 “なかなかいい眺めですね”と、ぼくは、パーシバル夫人に振り返って言った、“あの彫像は昔からのものですか?”

 “ええ、庭に関しては一切、手をつけてはおりませんわ”と、パーシバル夫人は答えた、“池も、植木も昔からあの通りだったそうですから、きっとあなたのお母さんも、同じ池を見ておられたんじゃないですか?”

 “ええ、この池のことは聞いていました”と、ぼくはしんみりと答えた、“初めて目にして、ぼくが想像していた通りだということが分かりました。その通りに今もあることを知って、何んだか不思議な気持がしています”


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 二人は、その言葉を聞いて笑っていた。

 “でも、この部屋は、お母さんがいた頃とは、だいぶ変わっているんじゃないかしら?”と、パーシバル夫人は、落ち着いた表情で言った、“ソファーも、勉強机も、ピアノもわたしたちが持ち込んだものですし、絨毯だって敷き変えましたわ。強いて変わっていないもの、というなら、この壁の色ぐらいなものじゃないでしょうか。ここの部屋は昔からブルーだったということですよ”

 ぼくはその言葉でもう一度、この部屋を眺めた。

 今の子供が使い、一見、何んの変わりばえもしないこの部屋も、数十年前には、まだ幼かったママが使っていたのだった。恐らく、壁にはめられた暖炉だけは、今も、その当時の姿を見せているのだろう。現在の姿からは、昔ママが使っていた頃を想像することは不可能に近かったが、ただ、窓際の、さりげなく花を活けた花瓶を見ていると、当時のママが、そこのピアノのところに坐って、女の先生にレッスンを受けているときの姿が、目に浮かんで来るような気がした…

 一瞬目を閉じると、

 “もう結構です”と、ぼくは言った。

 

 その部屋を出、ぼくたちは、パーシバル夫人に案内されるまま、次の部屋へと向かった。

 “あなたの言っておられる部屋は、現在は使っておりません”と、パーシバル夫人は、廊下を歩きながら、その部屋に着く前に言った、“わたしたちも余り入ったことがないんですよ。今は物置きに利用していますが、あなたの期待に添うことができますか”

 そう言って夫人は、廊下の隅のドアの前に立ち、ドアをあけた。

 中は真暗だった。

 しかしすぐパーシバル夫人は、窓に歩み寄って、カーテンを開けた。昼間の明るい日射しが、室内を浮かび上がらせた。部屋は、それほど大きくはなかったが、足の踏み場もないほど、白いシーツでおおいをした、ソファーやテーブルやキャビネットなどが置かれていた。寝室の面影は全くなかった。しかし、ママが言っていた言葉からすると、この部屋に間違いはなかった。ただ、壁に掛けられた古い額が、当時を忍ばせるような気がした。窓のすぐ向うでは、よく茂ったかばの木が、その美事な葉を風に揺らしていた。窓から見える空は青く、白い雲が浮かんでいた。恐らくママも、幼い頃、この部屋から窓の外を仰ぎ見、あのような空を目にしていたことだろう… この部屋にベッドはなく、ただ他の家具が雑然とあるばかりだった。現在のこの光景からは、ママが寝ていたその姿すら、想像することは出来なかった。――でも間違いなくママはここに住み、毎朝のすがすがしい目覚めを経験していたに違いなかったのだ。そして、目が覚め、まっ先に見たかも知れない、年を刻んだ天井に目をやった。ベッドの置かれていた位置はすぐ分かった。恐らくここだろう。他では、家具の配置上不可能になるのだった。ぼくは再び窓辺に寄り、さっきの池が、あの部屋よりは遠のいたものの、ここからも十分眺められることを確認した。


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 “どうです? こんな有様じゃ、何んの助けにもならないでございましょ?”と、パーシバル夫人は、窓辺に立って、ぼくに言った。

 “いいえ、これで十分です”と、ぼくは答えた、“部屋の様子が変わるのは仕方がありません。ただその部屋を見ることが出来ただけでもぼくは幸せです…”

 

 ぼくはその部屋とも別れた。夢にまで描いていた部屋だったが、こうして、余りにも変わり果てた部屋を見てみると、見ない方がよかったかも知れない、という気さえした。いつまでも、夢のままの状態に置いておいたほうがよかったかも知れない。――しかし、ひとたび廊下に出ると、その立派なシャンデリアや、美事な手摺り、重厚なドアや廊下の壁に至るまで、立派な彫刻や細工がほどこされ、ママの言っていたことが夢ではなく、現実そのものの姿で迫って来るような気がして来るのだった。ママが何百回、いや何千回となく通ったに違いない、この廊下や階段は、今も、当時そのままの姿で残されていた。あの華麗なシャンデリアはもちろん、廊下のところどころに置かれている机や、ソファーなども、恐らく、当時もそのままに置かれていたに違いない。そう思うと、すでに変わってしまった部屋を見るよりも、この屋敷の内部の方が、遥かに大きな感動を呼ぶのだった。

 “他の部屋はよろしいんですか?”と、パーシバル夫人はドアを閉めるなり、ぼくに尋ねた。

 “ええ、この階は、これで結構です”と、ぼくは答えた、“――ですが、手紙にも書きましたように、食堂や居間、それに、昔、ここで執事をしておられたガラハ氏とその娘が住んでいたという部屋を是非見せていただきたいんです。その部屋は、この屋敷の離れにあると聞いていましたが…”

 “ああそれでしたら”と、パーシバル夫人は、気が付くものがあったように言った、“それに該当しそうな建物が一軒ありますが、今は誰も使っていない部屋ですよ。長いあいだ使っていないものですから、中はどうなっているものか。確か、前の持ち主ですら使っていなかったということですから、そこだけは、昔の面影をかなりとどめているんじゃないかしら? わたしもあそこだけはめったに入ったことがないんですよ”

 “もしそうなら助かります”と、ぼくは胸を踊らせて言った。もし昔のままなら、これほど幸せなことはない。なぜならそこは、ママの本当の母親、クリスチーヌ・ガラハが暮らしていたところなのだから。

 “でもそこは後回しにして、食堂から行くことにしましょうか?”と、パーシバル夫人は言った。

 “ええ、結構です”と、ぼくは答えた。

 

 食堂は、階段を降りて、一階の奥にあった。パーシバル夫人がドアをあけると中から美事な食堂が現れた。



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