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 タクシーはやがて本道からそれると、静かな、まるで山の中に入り込んだかのような印象を与える、深く森におおわれた道を走るようになった。ニレの樹に混じって、ところどころに見えるすももやはしばみの樹が美事だった。やがて、それらの樹林帯が急に跡絶えたところに、一見、広々とした牧草地を思わせるような場所に出たが、ところどころにある朽ち果てた建物の壁の跡が、すぐそれが工場の跡であることを思わせた。舗装道路は、そのそばを通って、さらにその向こうの奥地へと続いていた。

 

 “君の言っていた工場跡というのはここだろう?”と、運転手は、車を走らせながら、沿道の荒れ果てた土地に目くばせをして言った。

 そう言えば、ぼくは思い出した、レオノールが亡くなったその夏、レビエの家からはるばると、リサの手を引いてこの地にやって来た日のことを。あの日の印象が、鮮やかにぼくの心によみがえって来た。日射しは強く、空は澄んでいて素晴らしかった。周りが余り静かなので、車をそこに止めて降りたぼくは、自分の目を疑ったほどだった。ここが、この地が、あの、レオノールが言っていた会社の跡だったのだろうか。今はただ、雑草におおわれた広々とした土地に、崩れ落ちた壁の跡が、ところどころほんの少し、当時の名残りをとどめているだけだった。ぼくはまるで、心の糸が切れたさすらい人のように、リサの手を取って、雑草におおわれた瓦れきの跡を、とめどもなく、あちこち歩き回った。不承不承ぼくに手を引かれるリサは、ふに落ちない表情で、そんなぼくを眺めていた。ぼくは荒涼とした敷地のまっただ中に立って、周りを見渡し、道の向こうの森や、あの、雲の浮かぶ澄んだ空からさえも、ただ小鳥の小さな鳴き声が聞こえてくる以外は、当時この工場で生き、働いていた人々の、ほんのささいな息づかいさえ聞こえて来ないことを確認した。どんなに耳を澄まし、目をこらしても、無残にも打ち砕かれた工場の跡地以外には、何も認めることはできなかった。ただ、崩れ落ちた石の壁の角に、他の雑草に混じって、可憐な忘れな草が咲いているのが、ふとぼくの目に止まり、ぼくの心を惹きつけた。そうだ、今はこれだけなのだ。これが、当時の歴史を物語るすべてなのだ――ぼくは、その花を見入りながら、そんな気がして来、それから再び、とめどもなく広い、雑草におおわれた工場跡や、遠くの森や、打ち捨てられたような自分の車や、リサや、青くかすんだ空の方へと目をやるのだった…

 

 ぼくはそれが、今目にしているこの光景だと思って、再び驚かずにはいられなかった。あの日と少しも変わってはいない。あのとき、リサと来て見た光景と少しも変わってはいない。まるで数年前に来て目にしたのが嘘であるかのような、静かで、少しも変わることのない、荒れ果てた光景だった。

 “どうだい? 降りてみるかい?”運転手は、振り向き、気を利かして言ってくれた。

 “いいえ、いいです”と、ぼくは答えた。


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 車は、そう言う間にも走り続け、今は全く人気のない広大な工場跡の荒れ野を横にしながら、やがて次の目的地へ通じる、エニシダや樫の木の茂っている森のあいだの道へと向かって行った…

 工場跡を去って数分もすると、やがて、森を抜けたところに、落ち着いた、静かな民家の並ぶところに出、それに沿ってしばらく走ると、再び、森のような樹木に包まれたところに、堂々とした館の鐘楼が、その先端に、美しい空を背景に、美事な旗をなびかせている様が、目に飛び込んで来た。――それが、ぼくが目的としてやって来たものの一つ、元ミリエル家の館であることは間違いなかった。車が近付くにつれ、それは、明るい日射しに打たれたその姿の全貌を見せてくれるに至った。背の高い樫の木やニレの木のあいだに建っているその姿は、堂々として美事だという他はなかった。周りに敷き詰められた放牧用の草の色と同じような美しい緑をした大きな屋根、一際目立つ八角形の塔の屋根、それに比べればそれほど大きく見えない鐘楼、そして、歴史を刻む古色そうぜんとした壁と、魅惑的な、白くふち取りをした夢を誘うような沢山の窓――それらはどれひとつとして無駄はなく、その形態の美しさで、ぼくの目を奪うに十分だった。その堂々とした館が、澄み渡った空の下で、日を浴び、ぼくの目の前で、まぶしいばかりに輝いていた。それを包むかのような美事な樫の木の林も、周りに広がる美しい草地も、すべてが魅惑的で、夢のようだった。それらすべてが、明るい日の光に溶け込み、昼の眠りのような世界の中で、静かに呼吸をし、息づいているかのようだった。数百年もの昔から、このような姿であり、恐らく、まだ幼かったリディアが暮らしていた頃もこのようだったことも、容易に想像することができた。

 

 やがて、車は、美事に刈り込まれている草のあいだに白く、まっすぐ延びている道を通って、まだ光が斜めに射し込み、古びた壁や、いくつもの窓に光の陰影を投げかけている、その屋敷の立派な表玄関の前まで来ると、静かに止まった。

 ぼくは、運転手にしばらく待ってもらうように頼むと、車からひとりで降りた。

 しばらく門の前にたたずみ、青い空の下に誇らしげに舞う、鐘楼の旗や、空に突きたてるような塔の先端などに目をやった後、ぼくは、この静かな館の中や、周辺から、何か聞こえてくるのではないかと、耳を澄ました。しかし、館の後ろに茂っている樹木の枝を飛びかう小鳥の鳴き声以外には、何も聞こえては来ず、静かだった。きっと当時も、このように静かだし、このように明るく、そして、このように美しかったのだろう。広々とした敷地の、美事な草の上に、樹木の影が投げかけられ、空気は澄んで、さわやかだった。樹木の緑の陰影が美しく、また、それほど大きくもなく、しっとりとした館が、この自然によく調和していた。

 

 ぼくが門を叩くまでもなく、門の前で周りを見渡し、立っていると、急にドアが開き、中から、黒い服がよく似合う、もうそれほど若くはないが、美しいと言える婦人が姿を表した。


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 “何か御用でしょうか?”その婦人は、ぼくを見るなり言った。

 “手紙を差し上げておいたと思いますが、ぼくは、ホールバラと申します。シレール・ホールバラです。一度、中をお見せ願いたいと、また何か聞けはしないかと思ってやって参りました…”

 “ああ、あなたが手紙の持ち主さんでいらっしゃったんですか”とその婦人は、ぼくを見ながら言った、“さあどうぞ。どうぞ中へお入り下さい。――それからタクシーの運転手さんも、うちのものが紅茶でも用意しますから、どうぞ一緒にお入りください”

 そう言って、婦人は館の中に消え、ぼくや、それから運転手も車から降りて、一緒に館の中に入ることにした。

 中に入ると、まず、その館の広さに圧倒されてしまいそうになった。広々としたホールに、驚くほど高い天井、そこからは、美事なシャンデリヤが吊り下げられ、古めかしい壁には、幾つもの絵が掛けられてあった。二階へ上がる階段が、ホールの右手の方まで延びて来ていて、それは、二階の幾つもの部屋へとつながっていた。

 ぼくたちはまず、左手の、大きなドアに仕切られた書斎へと案内された。

 婦人は、メイドにお茶を持って来るように言いつけると、書斎の、ぼくたちが坐ったソファーの向かい側に腰を降ろした。室内には、立派な家具、調度があり、窓からは、美しい外の様子が眺められた。

 “ちょうど主人が、商用で今、出張中なのです”と、婦人は坐るなり、ぼくに向いて言った、“――それで、用というのは、昔、この館に住んでいらしたある方を捜していらっしゃる、ということだったのですね”

 ぼくはうなずいた。

 “確かに昔、ミリエルという人々が住んでいた、ということは聞いています”と、婦人は続けた、“でも、あたしの主人がこの家を買ったのは、その人たちからじゃなかったのです。オルフという人で、鉱山業で成功した人でした。ところが、この家を手放さなければならない事情が出来て、急いで売りたがっていました。そこへ、主人が、不動産屋を通じて買い取ったのでして、わたしたちと、ミリエルの人たちとは、直接のつながりはないのです。――ですから、余り多くのことをお答えすることはできないと思いますわ”

 “ええ、それは承知しています”と、ぼくは答えた、“実は、数年前にも、ぼくはこの館を訪れたことがあったのです。そのときは、妹と一緒でした。そのときの表札も、ちょうどあなたと同じパーシバルと言う名前でしたが、ちょうど留守のときで、誰にもお会いすることができなかったんです。でも、今、初めてお会いすることができて、光栄に思っています…”

 “いいえ、こちらこそ”と、婦人は言った、“――ですから、詳しいことを、少しでも 多く知りたいと思いなさるのなら、前の所有者のオルフさんに伺ったほうがいいと思うんですよ”

 “その人は今、どこにいるのです?”と、ぼくは尋ねた。


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 “それが残念ながら、詳しいことは分からないんです”と、婦人は、気の毒そうに言った、“何やら、アフリカの方へ行って、それからまた戻って来ているとも聞いているんですが、詳しいことはどうも…”

 “アフリカへ!”と、ぼくは、驚いたように言った。

 “あなたが驚かれるのも無理はないと思います”と、婦人は言った、“ですが、もう少し詳しいことを知りたければ、不動産屋に電話なさるがいいでしょう。不動産屋の電話番号は、ここに書いてあります。あなたの為にって、主人がメモ書きしておいてくれたんです”

 そう言って、婦人は、ぼくに小さな紙きれを渡してくれた。それには、不動産屋の名前と住所、それに電話番号とが走り書きしてあった。ぼくは、丁寧に礼を言うと、それをポケットにしまい込んだ。

 紙切れをポケットにしまい込むと、ぼくは言った。

 “…恐らく、その鉱山主が、ミリエル家の後に、この館を買った最初の人だと思いますが、きっとその人も余り多くは知らないでしょう。ミリエルの最後の主が館を去ってから、しばらくのあいだは空き屋だったと聞いていますから… いずれにしても古い話しです”

 “それであなたは、ミリエル家の中でも、リディアという娘と、ミリエル家に仕えていた執事の娘、クリスという人の生活に、特に関心がおあり、ということなんですね”と、婦人は、ぼくの送っておいた手紙を手に取り、読みながら言った、“でも、リディアという娘が、あなたのお母さんだということは分かりますが、どうして、執事の娘の、クリスさんのことまで、関心がおありなんですか?”

 “それは、そのクリスさんが、ぼくの母親の、実の母親だからです”と、ぼくは冷静に答えた。

 その瞬間、婦人の顔にも、また運転手の顔にも、驚きの表情が横切るのが認められた。

 “――でもあなたは、あなたの母親リディアさんは、ミリエル家の長女であって、そんな、召使の娘の子だとは、書いておられませんでした”と、婦人は驚いた表情のまま言った。

 “これには、いろいろと深いわけがあるんです”と、ぼくは冷静に答えた、“ただぼくとしては、複雑ないきさつになるに至ったその当時の人々の生活ぶりや足跡を、少しでも詳しく尋ねてみたいと思ってやって来ただけなんです。お手紙にも書いてさしあげたと思いますが、もう一つの点、ぼくの母や、その母が住んでいた部屋などを見せてもらうわけにはゆきませんでしょうか…”

 “ええ、それはかまいませんが”と、婦人は、優しく言った、“この家を買い取ったとき、部屋の改装などをしましたから、その当時そのままの姿ではございませんよ。――でも、安心下さい。家具・調度などは、前のが余り素晴らしかったからそのままにしておきましたが、前の所有者も、同じような理由で、以前のを引き継いだということです。きっと最初の所有者の趣味がよっぽどよかったということなんでしょうね。


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ですから、それらは、あなたの言う、ミリエルさんの時代から、私の主人が手を入れた寝室の一部などを除いて、当時のものを使っているということができますわ。そういうことでかまいませんのでしたら、どうぞ、どこでも好きなように見て下さい…”

 “ええ、助かりました。ありがとうございます”と言って、ぼくは、心の底から礼を言った。

 やがて運ばれて来た、紅茶と、茶菓子を口にしながら、ぼくたちはしばらくのあいだ、その場に残って雑談をした。現在出張中のこの館の主が、保険会社の社長であることや、現在メロランスに行っていることや、また、二人の、小学校に通う娘がいて、まだ学校に行っている最中だ、ということなどが分かった。また、運転手にも、元気な男の子が二人いて、町の学校に通っていることも分かった。ぼくが現在、ひとりで、孤独に暮らしていることを知り、彼らは、そのことに同情してくれている様子だった。――しかし何よりも、ぼくの語る、ミリエル家にまつわる話しの方が、彼らの興味を惹いたようだった。

 “もし、どうしても当時のことが知りたいというのなら”と、パーシバル夫人は、ぼくに言った、“この近くの古老のシェーファさんに聞くといいでしょう。あの人ならずっと昔からここにお住まいだし、当時のこともよく記憶されておいででしょう。あたしの紹介だと言えば、快く応じてくれるはずですよ”

 そう言って、パーシバル夫人は、古老の住む家の場所をぼくに教えてくれた。この辺の地理に不案内なぼくには、その場所はピンと来なかったが、代わりに、運転手の方がすぐ呑み込んでくれた。

 “それじゃそろそろ行きましょうか”と、パーシバル夫人は、時機が来たのを見計らって言った。

 ぼくたちは立ち上がって、パーシバル夫人の後に続いた。

 “さて、どこから参りましょうか?”と、パーシバル夫人は、書斎から出て、ホールに立つとぼくに尋ねた。

 “どこからでも結構ですが”と、ぼくは言った、“できれば、ぼくの母親が住んでいた寝室からお願いしたいものです”

 “寝室ね”と、パーシバル夫人はうなずいた、“それなら二階にありますが、あなたのお母さんがどこにいらしたのかは存じ上げてないんですが…”

 “だいたい分かっているんです”と、ぼくは答えた、“母親がピアノを習っていたという部屋もね。――それは、階段を上がって、左側の最初の部屋だと聞いています”

 “偶然ですわね”と、パーシバル夫人は、驚いたように言った、“実はうちでも、その部屋を、子供の勉強部屋に使っているんですよ。よろしければ、その部屋から参りましょうか”

 “ええ、結構です”と、ぼくは答えた。

 そのあいだにも、ぼくたちは、ホールに延びた広い階段を、ゆっくりと上がっていた。飛入りで見学することになった運転手も、豪華なホールのあちこちを、珍しそうに眺めていた。



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