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 “おっと、少し長居をしたようだね”と、ぼくはそのことに気がついて言った、“じゃ、ぼくは居間に行っているからね、お茶の準備でもしておくから、ちょっとしたらおいでよ”

 そう言って、部屋の外に出た。

 “ええ、そうするわ”と、リサは、くつろいだ表情になって、言った。

 “じゃ”と言って、ぼくは、彼女の部屋のドアをバタンと閉めた。

 

 このようにして、彼女の一年半ぶりの帰郷は実現し、この沈み切った我が家にも、再び活気のともし火が戻ったのだった。

 ぼくが居間で、お茶の用意をし、休憩していると、ドアの陰からリサが現れた。服装は、彼女が帰って来たときそのままで、変わらなかった。

 “本当に静かね、この一帯は”とリサは、来るなり、感心するように言った、“物音ひとつしない。都会にいるのと大違いね”

 “ああ、ときおり、カラスの鳴き声などが聞こえる以外はね”と、ぼくは言った。

 リサはやって来て、ぼくの横のソファーに腰掛けた。

 “この部屋も変わっていないわね”とリサは、ソファーに坐るなり、つくづくと部屋を見回しながら、言った、“あっあれ、あたしの買って来た置物?”

 “ああ、さっそく飾らせてもらっているよ”と、ぼくは言って、マントルピースの上の彼女の買って来た犬の置物を見た。

 “――でも、本当に久し振りね、こうして、この居間に、兄さんといるのは”と、リサは、ため息をつくように言った、“一年半振りなんて、とっても思えない。ここにいたのが、ついきのうのことのようにさえ思えるわ”

 “そうかい?”と、ぼくは言った、“でもぼくにとっちゃ、やっぱりお前は一年半ぶりのお客さ。この日が来るまで随分と長かった…”

 “あら、御免なさい、なかなか来れなくて”と、リサは、詫びるように言った。

 “何も詫びなくてもいいさ”と、ぼくは、にっこりして言った、“ぼくだってここにずっと暮らしていたわけじゃなかったんだからね。留守にしていた日も、結構多かった…”

 “じゃそんなとき、誰もいなくて、さぞかし淋しかったでしょうね”とリサは言った。

 “仕方がないさ、ぼくしか住んでいないんだもの”と、ぼくは言った、“ぼくが旅に出かければ、この家は誰もいなくなる、それは当たり前のことさ”

 リサは、自分に何か言われているように感じているのか、黙って聞いていた。

 “――でも、今は二人がこの家にいる。お前がこの家に来てくれて、嬉しいよ”と、ぼくは、正面からリサを見つめて言った、“あっ、お茶が冷めるよ、早く飲まないと”

 “ありがとう”と言って、リサは、ぼくの沸かした紅茶を口に運んだ。

 

 “それでどうなんだ? 久し振りに帰って来た感想は”と、しばらくして、ぼくは尋ねた。


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 “まるで夢のようね”と、リサはにっこりと微笑んで答えた、“まだ帰って来たんだという実感がそんなに沸かないわ。だって、ついきのうまで、都会の雑踏の中にいたんですもの。ここは、そこに比べて本当に静かね。まるで別世界に来たみたい。――でもやっぱり、ここに来てよかった。ほっとする感じよ”

 “夜汽車は疲れたかい?”と、ぼくは尋ねた。

 “ううん、別に”とリサは答えた、“出発が急だったからせわしなかったけれど、乗ってしまえば後はゆっくりできたわ”

 “――でも、久し振りに帰って来るって気持はどうだった?”と、ぼくはなおも尋ねた。

 “そうね…”と、リサは、考え込むように目を上に向けながら、少し間を置いてから、言った、“ちょうど一年半前に向かったのと逆の方向に帰るんだから、感慨もひとしおだったわ。まず最初に思ったのは、あの家はどうなっているだろう? と考えたわ。久し振りだし、家のイメージがすぐには思い浮かばなかったの。ともかくなつかしいっていう感じなの。――それから、あの家を出発した日のことも思ったわ。ちょうど一年半前の夜、兄さんに見送られながらあの家を出たんだって。あのとき、寂しくなるという気持と都会への期待の気持とが入り混じって複雑な気持だったけど、今回もそれと似た複雑な気持がしたわ。だって、よくよく考えてみると、あたしって、どちらか一方に全面的によりかかれない存在だっていうことに気づいたんだもの。あたしって、一見賑やかに見えそうだけど、田舎に帰りたいって思うような寂しい面も持っているのよ。その点、兄さんと同じね…”

 “そう。そんなことを思ったのか”と、ぼくは、感心したように言った、“じゃ、帰って来るのが寂しいって思ったのかい?”

 “いいえ、そればっかりじゃないわ”と、リサは、持ち前の陽気さで否定した、“だって、汽車の中ですぐお友だちが出来たもの。あたしがひとりで雑誌を読んでいると、三人連れの男の人が声を掛けてくれたわ。他に、近くに二人連れの女の人がいて、その人らと結構楽しく、ワイワイガヤガヤとやっていたもの。その男の人ら、学生だったけど、とっても陽気で楽しかったわ。女の人らは、片方の実家へ遊びに行く途中で、みんな寄って楽しくしゃべっていたわ。学生って、その人ら、文学部の専攻なんだけど、とっても面白いわね。文学の話しなんてそっちのけで、まったく女の子を口説くことしか考えていないんだもの。専らよく行く居酒屋の話しや、どの子が可愛いかったとか、どんなタイプの男が気に入るのだとか、そんな話しばっかりよ。でも、そんな話しの中で、ちょっぴり文学の一節が出て来るところなんか、やっぱり文学部の学生なのね。話し出したら止まらないところもあるけど、結構面白かったわ…”

 “…で、その人たちとどこで別れたの?”と、ぼくは尋ねた。

 “女の人らとは手前のN……駅で。学生たちとは、ドシアンで別れたわ。あの人たち、さらに、S……まで行くって言っていたもの。今回は、文学とは何んの関係もなく、登山が目的だっていうことなの”とリサは答えた、“…でもドシアンで別れるときになって急に住所を教えてくれ。必ず便りをよこすからって言ったわ。あの人たち、気があったのかしら?”


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 リサが楽しそうにそう言うのを、ぼくは黙って聞いていた。

 “で、教えたのかい?”と、ぼくは尋ねた。

 “だって、余りしつこくて断り切れなかったもの”とリサは答えた、“でも、住所はここじゃなくって、街の住所の方を教えておいたわ”

 “その様子じゃ、いつか尋ねて来るよ、家まで”と、ぼくは言った。

 “さあどうだか”と、リサは言った、“山を登ればあたしのことなんかすぐ忘れてしまうんじゃないかしら”

 “お前はいいよ、すぐ声を掛けてもらえるんだから”と、ぼくはひとり言のように言った、“お前のような女の子がひとりでいるのを誰も見逃しはしない。その学生だって決して忘れやしないよ。だって、お前をひと目見れば、男なら誰だって参ってしまうんだから…”

 リサはにっこりして、ぼくを見た。

 “そう言ってくれて、嬉しいわ”とリサは言った、“久し振りに兄さんに会って聞かせてもらった嬉しい言葉、大事にしておくわ。――ともかく、あの人たちのおかげでとても楽しい汽車の旅ができたわ。別れるときは、ちょっぴり寂しい気がしたくらい。でも本当によかった。汽車に乗って、本当にいい思い出ができたわ”

 “そうかい、それはよかったね”と、ぼくは言った、“その学生たちとまた会える日がいつか来るさ。出会いというものはそういうものなんだよ。ちょっとしたきっかけがまたいいんだ。ぼくだってそんな経験がないわけじゃない。――でも最近はとんとなくなってしまったね”

 “兄さんだって、女の子を口説いたこと、あるんでしょ?”と、リサは尋ねた。

 “昔はね。へただったけど、真剣になったことはある”と、ぼくは答えた、“でも相手は、身分が高過ぎて結局だめだったのさ。だって相手は、ちょっとした会社の重役の令嬢だったんだぜ”

 “ああ、あのカリーンっていう名の女の人のことなのね”とリサは、まじめな顔つきになって言った、“今、どうしているの?”

 “さあ、どこでどうしているのだか”と、ぼくは、苦々しく言った、“もう長いこと会ったことがないからね。きっと今頃は、誰かと結婚して、何児かの母親になっているんだろ”

 リサは、悲しげなまなざしでぼくを見つめていた。

 “結局兄さんは、あの女の人に、いいようにされただけなのね”と、リサは、ポツリと言った。

 “いいや、そんなことはないさ”と、ぼくは打ち消した、“でも、もともと結ばれるはずもない恋だったのさ。相手は年上だし、身分も上だし、どうしようもない壁が横たわっていたのさ。――でも、いっとき、ぼくの気持ちは真剣だった。生まれて初めて、恋のような感情を感じたのさ…”


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 “でも、相手はそれほど真剣だったかしら?”と、リサは言った。

 “確かに向こうは、ぼくより年上だし、ぼくよりはもう少し冷静だったさ”とぼくは答えた、“――でも、愛がなければ、あれほど長い交際を続けることはなかったはずさ。しかも、身分違いのぼくと交際することによる危険性を承知の上でさ…”

 “だからそれは、向こうにとっては、ほんの火遊びのつもりだったのよ”と、リサはきっぱり言った、“兄さんはまだ若かったし、向こうは向こうで遊ぶ金に困らなかったわけ。だから兄さんを真剣な恋にまで陥らせるそんな芸当まで出来たわけなのよ”

 “頼むから、ぼくのいい思い出をぶちこわすような言い方だけはよしてくれよ”と、ぼくは少しむっとなって言った、“確かに結果としてはお前の言う通りだったのかも知れない。でも、単なる遊びだけだった、その中に真剣な愛情なんて存在しなかったなんてことがどうしてお前に分かる? リサは、その場に居合わせたわけじゃあるまいに…”

 “兄さんの心に傷つけたのなら御免なさい”とリサは言った、“でもあの人のことは、遠くから見ていてもなんとなく分かるのよ。火遊びというのは確かに言い過ぎだったかも知れないけれど、何かこう…”

 “お前やセーラが、カリーンに対していい感情を持っていなかったことはよく分かるさ”と、ぼくは言った、“彼女がぼくを誘惑しているように見えていたからね。でも、ぼくもそんなに馬鹿じゃない。金があって、美しくて、しかも女学生の身分というものにあっさり参ってしまうほどにはね。むしろ最初の頃は、お前も知っての通り、やむを得ない事情もあったのさ。――でもそのうち情が移って来て、ぼくの方から彼女を誘惑したい、――そんな気持になって来たのさ。ぼくにだってプライドがあったからね、彼女に負けてばかりもいられないさ”

 “年上の女性を誘惑するなんて大したものね!”と、リサは、感心したように言った。

 “結局、男と女の関係は、化かし、化かされ合いなのさ”と、ぼくは言った、“そのことがあの経験の中でよく分かったね。確かにぼくは年下だし、不利な立場に置かれてはいた。でも、男と女なんて、あるところまでくれば、年なんか関係なくなるのさ。地位だってそうさ。ぼくは、そこのところをうまく利用しようとした。その為には絶対にこちらが卑屈になったり、折れようとしたりしないことなのさ。終始、対等か、それ以上だという態度を取り続けることだったのさ”

 “それで相手は折れたの?”と、リサは、興味深げに言った。

 “それが、相手もなかなかの曲者でね”と、ぼくは苦笑した、“なかなか、かわすところなんかよく心得ているのさ。だから、表面的な話しにはいくらでも応じても、肝腎なところになると、うまく話しをはぐらかせてしまうのさ”

 “面白いわね。兄さんとあの人の関係”と言って、リサは、おかしそうに笑った、“――でも、もう随分と前のことね、あの人がいた日なんて。長いあいだ忘れていたわ、あんな人がいたことなんか。兄さんはずっと忘れないでいたの?”


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 “ぼくも忘れていたさ”と、ぼくは答えた、“ほんのときたま思い出すことはあっても、またすぐ忘れてしまうさ。なんといってもあのカリーンは、もう過去の人なんだもの”

 “でも、会いたいとは思わない?”と、リサは尋ねた。

 “全くないことはない”と、ぼくは、少し考えてから答えた、“――でも、仮に会ったとしても、それだけのことさ。向こうが、昔のぼくを思い出し、ぼくが昔の彼女を思い出す――、ただそれだけのことで、現在はお互いに知りたいと思わないほど、バラバラの生活だろう…”

 リサは、感心するように、ぼくの話しを聞いていた。その真剣なまなざしの奥に、どんな考えが秘められていたのだろう…

 “一体、どこからこんな話しになったんだろうね”と、しばらくしてからぼくは言った、“そうか。お前の汽車の友人の話しからか。おっと御免ね、朝っぱらからこんな、私事めいたことを聞かせてしまったりして…”

 

 “それにしてもよく帰って来たねえ…”と、ぼくは、朝日の射すソファーに坐っている彼女を見つめながら言った、“お前の住む街で会って以来もう一年近く経っているんだが、お前自身は余り変わっていないな。そのあいだに何か変わったことでもあるのかい?”

 “色々とね。でも生活の基本は変わっていないわ”と、リサは明るい顔つきをして言った、“向こうでは色々と辛いこともあるけど、割と生活をエンジョイしている方よ… あっ、兄さん、これ着てみたら? 寸法が合っているか少し心配なの”

 リサが言ったのは、彼女の脇に置いてあった手編みのセータのことだった。白い紙包みの中から現れたのは、ベージュに赤や黄の幾何学模様の入った厚手のセータだった。

 “なかなかいい柄だね”と、ぼくはひと目見て、気に入って彼女に言った、“この大きさならぼくに充分さ”

 ぼくは彼女の手からそれを取ると、さっそく彼女の前で身に着けた。

 “どうだい、ピッタシだろう?”そう言って、ぼくは彼女の前に立って回ってみせた。

 “よかったわ、大き過ぎなくて”と、リサは言った、“柄も悪くないわね”

 “でもよく編めたねえ”と、ぼくは感心するように言った、“いつのまにこんなにうまくなったんだい?”

 “本を読んで勉強したの”とリサは答えた、“色んな図柄の編み方が載っているでしょ? その中から適当なのを選んで…”

 “ありがとう。大事にさせてもらうよ”と、ぼくは、それを脱ぎながら言った、“今年の冬はせいぜい利用させてもらうよ”

 そう言って、ぼくは彼女から紙包みをもらい、再び大切にそれをくるんだ。

 

 “それで、兄さんの方は相変わらず?”脱いだ服を着、セータを包み終わると、リサが尋ねた。

 ぼくは不意打ちを食らって、驚いたようにリサに言った。



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