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第三章 構想派作家の黄金期 

 

古典詰将棋の代表的な作品群を見ていただきました。こうした作品群にすでに表れていた、詰将棋の論理的な側面は昭和に入ってさらに研究されてゆきました。これに影響を与えたのはたとえばすでにご紹介した看寿の図巧一番のような作品です。あの作品のように、将棋のルールなどを論理的に利用して巧妙な手順を成立させたり、解答者へ謎解きを提供する作品を志向する作家は構想派と呼ばれています。彼らは競うように、新手筋や既存のルールに新しい視点を投げかける手順を開発してきました。ここではそうした作品を鑑賞していくことにしましょう。

 

まずは変則合駒の出る作品を見ていきましょう。特に昭和に入って、合駒を作品内で巧妙に処理する技術が進歩しました。ある時期には、森田正司や北川邦男らを中心に、変則的な合駒を取り入れることで短編中編に新味を出そうとする試みが活発になされました。その中から一作ご紹介します。


北川邦男作 (近代将棋1961年2月号、第17期塚田賞短編賞)

 

B すごくシンプルな図に見えるよ! 今なら簡単に解けそう。

A ずっとすごい盤面を見てきたからなー。

そう思うのも無理はありませんが、これは解こうとすればなかなか手ごわいですよ。

A まずは単純に▲2八香とか打ってみるか。

△1六玉は▲1五と△1七玉(同玉は▲1四飛)▲3五馬までですね。


そこで△2七合駒を考えます。金合以外なら何合でも、▲同香に対して△1六玉で捕まらなくなります。


2七から3八への脱出を防げませんね。そこで合駒を取らずに攻める必要があるわけですが……

 

△2七歩合は▲3五馬△1六玉▲3六飛まで。金合でも結局2六の駒数が足りてるから詰みます。


B なるほど、じゃあ△2七銀合かな?

それも残念ながら▲3五馬△1六玉▲3六飛△同銀成▲1五と△同玉▲2五馬まで。


A わかった、きっとこうするんだ。

▲2八香  △2七角成!


A これなら▲3五馬△1六玉▲3六飛△同馬で、▲1五と△同玉としても馬が2五に利いてて詰まない。この図で単に▲1五ととしても、取れば詰むけど△2六玉で詰まない。あとめぼしい手は……。▲2四飛は△1六玉▲1五とで、これも取ってくれれば詰むけど△1七玉▲2七飛△1八玉で詰まない。


このように、▲2八香には△2七角成が最強の抵抗で詰まないのです。では何がおかしかったのでしょうか。上の図に気づきのヒントがあります。この変化で、初手に香を2九から打っていたらどうでしょうか。この1八の空間は飛車が利いていて、この変化も詰みではないでしょうか。

B 二枚も利いてるところに打つの?

A なるほど、ちょっと浮かびにくいけど△同とは▲2四飛△1六玉▲1八飛で簡単か。△同角成なら▲3五馬△1六玉▲3六飛△2七玉▲2四飛△1八玉▲1六飛まで。これは取れないんだね。

B 本当だ。これで△2七角成も詰むし、これが正解?

残念ながら違います。玉方は△2八歩合と落として抵抗します。


これを▲同香と取らせてさらにすごい手が出ます。

▲同 香  △2七角不成!

A 移動中合を不成で!!

そうです。先に△2八歩を落としておいた効果で、この図から▲2四飛が詰まなくなっています。1八に潜り込めるスペースが復活したからです。そのかわり、先ほどと違って一歩渡しているので、次の手順が生じています。

▲3五馬    △1六玉

この時、角が成っていると▲1七歩△同馬▲2五馬までですね。したがってこの手順を避けるために、角は不成でなくてはならないのです。この四手は中編の内容と言ってもいいくらい密度の濃い攻防で、短編詰将棋史に残るものです。この図以下、二枚の飛車をさばいて軽快に収束します。

▲3六飛    △同角成    ▲1五と    △同 玉    ▲1四飛    △同 馬  

▲1六歩    △同 玉    ▲2六馬

まで15手詰

A とてもじゃないけど15手の内容とは思えなかったな。

変化紛れが複雑に絡み合って、相当の手を読まされているからですね。またこの絡み合いを分析すればするほど、奇跡的なバランスでこの作品が成立していることがわかります。北川邦男はこのように高度な構想に基づいた不思議な手順を、簡潔な構図と短い手数ですっきりと表現してみせ、一世を風靡した短編作家です。夭折が惜しまれます。



「ハレー彗星」 森長宏明作 (近代将棋1980年8月号、第56期塚田賞長編賞)

森長宏明は昭和詰将棋を語る上で欠かせない作家のひとりです。その才能は特に構想中編や長編趣向作などで発揮され、数々の名作を残しています。その中から代表作の一つをご紹介します。

 

▲9七角    △8七玉    ▲9八銀    △同 玉 


序が終わり、ここからが主題です。

A とりあえず自然に▲5三角成としてみるか。

 

想定手順

▲5三角成 △8九玉  ▲4九飛    △7九歩成  ▲9八銀    △7八玉   

▲7九飛    △同 玉  ▲3五馬


ここが問題の局面です。△8八玉は▲8九歩△7八玉▲6八馬で簡単、また△7八玉は▲6八金△7九玉▲6七金と金を繰り替えるのが好手で、以下△7八玉▲6八馬△8八玉▲7七馬△7九玉▲6八馬△8八玉▲8九香まで。したがって玉方は工夫します。

 

△6八角!   ▲同 馬    △8八玉


△6八角の捨て合が急所。これを▲同馬と取らせてしまえば、先ほどの金の繰り替えで香に狙いをつけることができません。上図で打ち歩詰のようですが、打開策があります。

▲7七馬    △同 玉    ▲7九香



ばっさり▲7七馬が唯一の手です。同玉に対し、あわてて▲6八角と打つと△7八玉に▲7九香と打たされ(7三に攻め方歩があることに注意)△8八玉でまた打ち歩詰になってしまいます。


したがって先に▲7九香と据えて合駒を尋ねるのが正解です。歩合なら今度は7九に利かないように▲5九角と控えて打ちます。以下△8八玉で次図。


以下▲8九歩△7九玉▲6八角△6九玉▲5九金までです。この▲5九角に備えて8九に利く駒を合駒する必要があるようです。この場合は銀合が正解です。

 

△7八銀  


さて、これで▲5九角は詰みませんが、そのかわり8九に玉方の利きが発生しているので打ち歩詰を打開することができます。

 

▲6八角    △8八玉  ▲8九歩


以下清算して上部に追い出します。

△同銀成    ▲同 銀    △同 玉    ▲7八銀    △8八玉  ▲7七角   

△7九玉    ▲9九飛    △7八玉    ▲6八金    △8七玉  ▲8九飛   

△7六玉    ▲8五銀    △7五玉    ▲8六角    △8五玉  ▲5三角成 

△9四玉



さて、順調に追ってきたのですが、ここではたと手が止まります。もう、うんともすんとも手が続きません。したがって解答者はここで今までの手順を点検する必要に迫られるわけです。しかしこれは鑑賞ですから、ネタばらしをしてしまいましょう。ここであと一歩あれば、▲9五歩以下詰むのです。その一歩をどこで稼ぐか? それが作者が設定した本作の謎解きです。それには打ち歩詰に関わるある構想を看破する必要があります。仮想図手順が始まる前の最後の図、問題設定図に戻ってみましょう。


ここで▲5三角成と開いたのでしたね。

B でも、角の開き場所で一歩変わってくるって言われてもピンとこないけど……

角の開き場所だけが問題なのではありません。開き場所と開き方が問題なのです。

A 開き方って言ったら、あれしかないじゃないか。

 

正解手順

▲3一角不成!


B 一番遠くに不成で開くのが唯一解なのか! でもどういう意味?

手順を追ってみましょう。

 

△8九玉  ▲4九飛    △7九歩成  ▲9八銀    △7八玉    ▲7九飛   

△同 玉  ▲1三角不成!

ここで▲1三に生角の状態でいたい、というのが攻め方の目論見なんです。つまり、この状態からならこのあと角にも馬にもなれる。そのための唯一の組み合わせが▲3一角不成から▲1三角不成だったんです。

A 角を選べることのメリットが歩の入手になにか結びつくの?

まず、△8八玉や△7八玉が先ほどの変化と同様に詰むことを確認してください。この変化では6八に馬が来れることが重要なわけですね。したがって、先ほどの手順では△6八角合と受けていたのですが、角のままというオプションも選べる状況ではどうでしょう。

 

仮想手順

△6八角  ▲同角不成 △8八玉  ▲8九歩

B ▲8九歩が打てる!

A △以下7八玉に▲8七角か。▲6八同角不成に△7八玉なら▲8九角以下だね。

そのようなわけで、角も馬も選べるという状態を玉方は許しちゃいけないわけです。そこで次のような手が必要になります。

 

△2四歩!


△2四歩。味わい深い手ではないでしょうか。1三の角というのは玉方が△7八玉か△6八角合かを見極めてから態度を決めますよ、という手なわけです。それに対し、いえいえ、そちらが先に態度を決めてください、こちらはそれを見て手を選びますから、というのがこの△2四歩の意味なのです。このような手筋を打診中合と呼びます。棋は対話といいますが、まさにそんな感じの攻防ですね。さて、これを▲同角不成では今度こそ△7八玉で詰まなくなるので、▲同角成が必然になります。そして先ほどの仮想手順に合流するわけですが、違うのは打診中合をさせた分、一歩多く入手できたことです。したがってさきほどの最後の仮想図で▲9五歩が叩けて収束します。以下長手数になりますが並べてみてください。

▲同角成    △6八角    ▲同 馬    △8八玉  ▲7七馬    △同 玉   

▲7九香    △7八銀    ▲6八角    △8八玉  ▲8九歩    △同銀成   

▲同 銀    △同 玉    ▲7八銀    △8八玉  ▲7七角    △7九玉   

▲9九飛    △7八玉    ▲6八金    △8七玉  ▲8九飛    △7六玉   

▲8五銀    △7五玉    ▲8六角    △8五玉  ▲5三角成  △9四玉   

▲9五歩    △同 玉    ▲8六馬    △8四玉  ▲8五馬    △8三玉   

▲8四馬    △9二玉    ▲7四馬    △9一玉  ▲8一飛成  △同 玉   

▲7二歩成  △同 玉    ▲6三銀成  △8一玉  ▲7二金    △9一玉   

▲7三馬    △9二玉    ▲8二金

まで65手詰


打診中合自体は、江戸時代の古典にその最初の作品が作られていますが、本作ではそれを含みに一歩を探す伏線構想作としてまとめたところにオリジナリティーがあります。しかもその表現として、最遠への不成限定移動というインパクトのある手を導入したのはすばらしいセンスです。また、ハレー彗星というタイトルも、最遠移動したかと思うと大きな弧を描いて戻ってくる角の軌跡を見立てたもので、論理的にも感覚的にも大変美しい作品になっています。

A 収束は特に面白い手もないみたいだけど。

確かに妙手と言えるような手はありませんが、詰上がり図を見ていただければわかるように、構想の舞台を全部処理しきってさっぱりとした詰上がりになっています。特に現代詰将棋において、テーマを演じた部分と収束の部分を同一の空間でこなすという構成法の評価は非常に高いです。要するに、収束用の駒だとかは、少なければ少ないほどいいわけです。駒数さえ増やしていいなら、作者の技量をもってすれば収束に妙手を入れることは簡単でしょう。しかしそれでは演出が過剰になると感じてこの簡潔な図を選んだはずです。そういった作者の美意識も鑑賞してほしいですね。



市島啓樹作 (詰将棋パラダイス1997年11月号)

 

これも打ち歩詰に関連した作品ですが、作例の非常に少ない手筋が出てきます。まずは自然に進めてみましょう。

 

初手からの仮想手順

▲7一角  △5三歩  ▲同角成  △同 竜  ▲4五歩  △同 玉

▲3四角  △3六玉


この順は駒不足のようです(なお、この逃れ手順はこの後の手順と比較しやすいものを選んでいます。実際には▲7一角に△4五玉くらいでも逃れ)。それではどうすればよいのでしょうか。玉方の1四金に狙いがつけられる方は鋭いです。

 

正解手順

▲3四金    △4五玉    ▲4四金    △同 玉    ▲7一角  


なんと初形から2五の金が邪魔駒。以下玉方が平凡に対応するとこうなります。

 

想定手順

△5三歩  ▲同角成  △同 竜  ▲4五歩  △同 玉  ▲2三角

以下△3六玉には▲1四角成(これが2五金を消去しておいた効果)△4五玉▲2三馬△3六玉▲3七金以下ですね。したがってここで玉方は金を取られないような着手をする必要があります。それが次の手。

 

△3四歩

これは▲同角成と取らざるを得ません。以下△3六玉で金は取れませんが、さらに続けて▲3七歩△2六玉(△同とは▲同竜まで)▲1五銀△同金とすると次の図になります。

以下▲2七歩△同玉▲4五馬△2六玉▲3六馬までですね。

A 金消去の伏線はともかく、その後はずいぶん単純に詰んだ気がするけど、こんなものなわけ?

もちろん違います。玉方には▲7一角の王手に対して巧妙な延命手段があるのです。上の図は重要な変化図ですから覚えておいてください。後に戻ってくることになります。

 


正解手順

△5三龍!


竜を移動合するのが正解です。これだけでは狙いがはっきりしませんからもう少し進めましょう。

                       

▲同角成    △同 銀    ▲4五飛   


B あれ、結局この飛車を4五に捨てるしか手がないんだね。

そうなのです。先ほどは歩合→4五歩でした。しかしこの局面を冷静に見れば、何合でもその合駒を取ってすぐ捨てるしか手がないことに気づくはずです(桂合を除く。なお桂合は上の局面から▲3六桂で早い)。ということはどういうことになりますか?

B どういうこと?

A ……4五で捨てさせる駒は、玉方の意思で決定できるってことか!

その通りです!

B それが詰むかどうかにどう繋がるの?

玉方にはどうしても飛車を捨ててほしい理由があるのです。

 

△同 玉    ▲2三角    △3四飛!


B 飛車の捨て合だ!

先ほどはこの捨て合が歩でしたので簡単に詰みました。しかし飛車ならどうでしょうか?

A ふつうはより強い駒が入手できたらより簡単に詰むとしたものだけれど。

そう思うのがふつうですよね。では実際に、先ほどと同様に進めるとどうなるでしょうか。

 

▲同角成    △3六玉    ▲3七飛    △2六玉    ▲1五銀    △同 金


B ▲2七歩が打てない!

その通り、この局面で攻め方は打ち歩詰に誘導されてしまっているのです! △5三歩合だったときの図と比較してみてください。


整理しましょう。①玉方は上の再掲仮想図の局面を打ち歩詰にしたい。②そのためには3七に打たれる駒が飛車であればいい。③攻め方が3七に打つ駒は、玉方が3四で捨て合として渡す駒。④3四に飛車合をしたいが、飛車は盤上にすべて出払っていて、駒台にない。⑤そのために玉方はあえて盤上の竜を合駒として用いて、攻め方に取らせる! ⑥攻め方はその手に入れた飛車をすぐ捨てるしか手がない。⑦結果として、玉方は盤上に落ちていた飛車を駒台に乗せることに成功する! という筋書きになっているわけですね。分かりましたか?

A 分かった。作者は別の世界の住人だ。

いえいえ、そんなことはありません。しかし、ほかの人がまだ構成していない論理を図化するのが構想作の肝ですから、あるいは別世界の発想というのも褒め言葉になるかもしれませんね。一応専門的なことを言えば、前半のメイン、移動合によって玉方が将来の合駒を盤上から回収しておく手筋と、後半のメイン、歩ではなく高い合駒を渡すことによって打ち歩詰を誘導する手筋はそれぞれ別々に作られています。しかし、それを接合できると考え、実際にそれを盤上に表現した作者はやはりすごいと言えるでしょうね。ところで、部分的には打ち歩詰に誘導された上図ですが、別にこれで不正解というわけではありません。この後、飛車を歩に打ちかえて収束します。並べてみてください。

 

▲3六飛    △同 玉    ▲3七歩    △2六玉    ▲6六龍    △同 と

▲2七歩    △同 玉    ▲4五馬    △2六玉    ▲3六馬

まで29手詰


A ▲6六竜に△4六飛合だと?

それは▲同飛△同と▲2七歩△同玉▲2八飛までですね。

A それは分かるよ。でもそれって同じ29手詰じゃないの? それで駒が余れば玉方が逃げ間違えたんだって分かるけど、この作品の場合は駒が余らないから正解なのかそうじゃないのか判断できない。

 

変化同手数と呼ばれる問題ですね。これは詰将棋の厳密なルールを作ろうという運動の上で常に問題になってきたものです。

B 厳密なルールってまだないの……?

ありません。慣習というか、その場その場の空気でなんとなく判断されてきたのです。ですから、ルールに基づいてどちらが正解と強制することはできません。どちらも正解です。また同様に、この作品がルールに基づいて不完全作となることもありません。そういう厳密な議論の道具がまだ出そろっていないのです。まあしかし、この作品について変化同手数を云々する人がいない理由は説明できます。まず第一に、テーマと関係ない部分で発生した変化同手数だということ。メインとなる部分で変化同手数が存在し、メインテーマを解答者に見せることなく終わってしまう可能性がある作品は問題です。また、変化同手数の部分があまりに長い場合も毛嫌いされますが、この場合は収束の5手なのでほとんど気になりません。第二に、変化同手数の中に余詰があることです。△6六飛合に対して、▲同飛と取らずに▲2七歩と叩く手があります。以下△同玉▲4五馬△2六玉でさらに以下▲3六馬でも▲4六飛でも詰みます。つまりこちらの方はもとより詰将棋の体を為していないので、完全作を作る義務のある作者がどちらを作意手順に設定していたかは明らかだというわけです。このような変化同手数の中の余詰を変化別詰と呼びます。これを正解とするか誤解とするか、ということも実はその場の空気で判断されてきた事情があって統一見解はありません。

B ややこしいよ……。

このような規約のあいまいさが詰将棋の敷居を高くしているという意見もありますが、当分詰将棋規約が制定されることはないと思われます。まあ私としては細かいことにとらわれず、ただただ楽しんでほしいという一心です。でもルールの不備ということで言えば、将棋それ自体だって怪しいものですよ。

A そんなことないよ! 言うに事欠いて将棋の侮辱とは許せん。

まあそうムキにならずに、次の作品を見てください。


「最後の審判」 縫田光司作 (詰将棋パラダイス1997年1月号)

 

この作品は、詰将棋のルールではなく、「将棋自体のルールの不備」によって、詰むか不詰か決定できないとされています。そのようなわけで、現時点では厳密にいえばこの作品は詰将棋ではありませんが、一応作者の主張を追う形でご紹介いたします。なお作者本人による詳細な解説がhttp://www2u.biglobe.ne.jp/~nuida/h/t/syokei.htmにありますのでご参照ください。余談ですので細かい変化は省略させていただきます。簡単に手順を追いましょう。

▲5六角



初手は▲5六角。これを▲6七角と打つと不詰なのは後ほどご説明します。

以下の手順

△4四玉    ▲3三銀引不成△5三玉  ▲4二銀引不成△5二玉  ▲7四角   

△6三角    ▲同角成    △同 玉    ▲8五角    △6二玉  ▲5一銀不成

△5三玉    ▲4二銀上不成△4四玉  ▲4五歩    △同 玉  ▲6七角


銀の階段を上下させて角合を奪い、▲8五角と据えなおすのが基本となる手順。これは将来4九の金に狙いをつけるための打ち替えです。ここで黙って△4四玉と逃げると早く詰んでしまいます。したがって上図の局面で4九の金から角道をそらすため、5六に捨て合が必要です。なお、玉方の持ち駒は飛角歩しかありません。したがって△5六歩。これを取るとどうなるでしょうか。

△5六歩    ▲同 角


B 初手を指した局面に戻っちゃった!

A そんなばかな……。局面が何一つ変わらず同じなんて、無駄な手順じゃないのか?

しかしこの作品では、全く同じ局面を繰り返すことにこそ意味があるんですね。

以下の手順

△4四玉    ▲3三銀引不成△5三玉  ▲4二銀引不成  △5二玉  ▲7四角   

△6三角    ▲同角成    △同 玉  ▲8五角    △6二玉    ▲5一銀不成

△5三玉    ▲4二銀上不成△4四玉  ▲4五歩    △同 玉    ▲6七角   

△5六歩    ▲同 角 

全く同じ手順を繰り返して、この局面は三回目ですね。

B 何がしたいのやら。

△4四玉  ▲3三銀引不成△5三玉  ▲4二銀引不成  △5二玉  ▲7四角   

△6三角  ▲同角成    △同 玉    ▲8五角    △6二玉    ▲5一銀不成

△5三玉  ▲4二銀上不成△4四玉  ▲4五歩    △同 玉    ▲6七角 


さて、この局面で今まで通り△5六歩と捨て合できるでしょうか。それが最後の審判です。

B できるに決まってるじゃない。

A 待て待て、何のために今までの手順を繰り返したのかだよ……。△5六歩と打たれた時、攻め方の着手は▲同角しかないわけだ。これは詰将棋だから王手を続けるためにというよりは、自分の玉に対する王手への対応としてこれしか手がないわけだよ。

B そうだけど……

A そこで問題になるのは、何のために今までの手順を繰り返してきたかっていうことだけど……。確か一つ前の図はすでに三回出てるんだよね? じゃあ、仮に玉方が△5六歩を打つと、必然的に指さなければならない▲同角の局面が四回目になる。

B 千日手か。

A 違うよ。ただの千日手なら問題ないけど、この場合は連続王手の千日手になるから、攻め方の反則負けになっちゃう。

B え~、じゃあ、この△5六歩は取れないの? それで逃れか。

A ちょっと待って、その場合先手玉はどういう扱いになるの? △5六歩を▲同角と取れないとなると、先手玉は詰んじゃってるんだけど……。ただ、その詰ませ方が「歩を打つ手」になるじゃないか!

 

そのとおりです。この作品の構造とそれを支える作者の主張を整理しましょう。この作品の場合、攻め方は同じ手順を何回も繰り返すこと自体が知恵の輪の鍵になっているわけです。玉方の抵抗である△5六歩は、歩を打つ手でしかも攻め方玉への王手であり、それを外す手もまた玉方への王手しかない。したがって同じ手順が三回繰り返された瞬間に△5六歩は打ち歩詰の禁手になる、というのが作者の主張です。なぜならその歩に対する合法手は▲同角しかないわけですが、それが合法なのは三回目までで、四回目は反則手になってしまうからです。したがって△5六歩に対して攻め方は合法手が存在せず、すなわち詰みになります。しかし△5六歩が詰みならば、それは打ち歩詰の反則手です。結局、四回目のループに入ることはできず、玉方の方が捨て合の延命手段を放棄して手を変えることになります(なお、初手を▲6七角と打っていると、△5六歩▲同角以下一歩多く手にしてループに入りますが、上図の▲6七角自体が四回目の着手になってしまい反則で指せません。これが初手▲5六角が限定である理由です)。それによって攻め方は当初の目論見通り4九の金を入手して詰上がります。収束を確認しておきましょう。

△4四玉  ▲3三銀上不成△3五玉  ▲2七桂    △2六玉    ▲1六金   

△2七玉  ▲4九角    △同 と    ▲2八金

まで69手詰




本作は作者の意図とは異なり、幅広い議論を呼ぶことになりました。結論として、この作品を詰むとも詰まないとも言えないということになりました。この作品と、それを巡る一連の論争によって、結局次のような将棋のルールの不備が指摘されることになりました。すなわち、「王手の状態から逃れる手が反則手しかない場合、それは詰みとするのか」という部分が、将棋のルール上定義されていないのです。

A そりゃそうなんだろうけど、別にめったに起こることじゃないし、わざわざ取り決めを作るのもばからしくない?

まあこういうことに面白味を感じるのが詰将棋作家という人種です。そのくせ詰将棋自体のルールは固まっていないわけですが、それは興味がないからというよりはみんな一過言持っているので一つに決められないという理由の方が大きいですね。あと、細かいことを言うと将棋ではステイルメイトの扱いも定まっていないですね。これはチェスにある概念で、合法の着手が一つも存在しない状態をいいます。将棋では次のような局面で先手番だった場合がそれにあたります。


先手は持ち駒もないし、玉を動かす手は全部反則だし、指せる手がないわけです。

A こんなもん投了しろよ。勝てる可能性がない局面はすなわち負けということだよ。

そう思うのは自然ですが、チェスプレイヤーに対してもそう言えますか? 実はチェスではステイルメイトの局面は引き分けになります。ですから、負けている方はステイルメイトを狙うのが戦術の一つになります。つまり、こういうことです。直観的にはいくら自明なことであっても、それは実際にルールとして明文化されていない限り、いかなる判断も下せないのです。構想作の話からだいぶ脱線してしまいましたが、将棋ファンの方にこそぜひこういうことを考えていただきたいと思います。

 

ちょっと理屈っぽい話が続きましたので、次の章ではもっと単純に楽しめる作品群をご紹介することにしましょう。

 

 

第四章 詰将棋で描くストーリー 

 

さて、先ほどの作品群は非常に論理的なテーマの作品で、作品の狙いをシンプルに言語化することができました。しかし、詰将棋のテーマというのは必ずしもここまで論理的である必要もないんですね。なんとなく駒が描く軌跡が面白い、といったようなことでもいいわけです。あるいはそうした駒の運動の中に詩情を見出す人たちも現れてきました。黒川一郎や初期の山田修司をはじめとする、浪漫派と呼ばれる作家群です。まずは小品を一つ。この駒数でシンプルな追い趣向が展開される様子を、純粋に楽しんでください


黒川一郎作 (詰将棋パラダイス1969年9月号)

▲2七銀    △1七玉    ▲2六銀    △1六玉    ▲2五銀    △1五玉

▲2四銀    △1四玉    ▲2三銀不成△1三玉  


するすると追い上げます。途中玉が上部に動けば3一の飛車が成りかえってそれまで。ここからシンプルに折り返します。

▲1二銀成  △同 玉  ▲1一金    △1三玉    ▲1二金    △同 玉   

▲1一飛成  △同 玉  ▲2一歩成



あとは引き戻すだけですね。

△1二玉    ▲2二と    △1三玉    ▲2三と    △1四玉  ▲2四と   

△1五玉    ▲2五と    △1六玉    ▲2六と    △1七玉  ▲2七と   

△1八玉    ▲2八と

まで33手詰



B これはずいぶん簡単だね。

A 全然考えるところがないじゃないか。こんなんで詰将棋って言えるの?

浪漫派が登場したころは、古典詰将棋の影響が特に強いころで、序、趣向、収束、さらにたとえば伏線手だとか、難解な妙手が散りばめられた重厚な長編作が優れた作品であるとされていたころでした。そこへ現れた浪漫派の作品は、基本的に難しい手はあまりない。そしてむき出しの趣向が始まったかと思うと、あまり味付けされていないあっさりした収束手順で詰み上がります。過剰な修飾を排除し、シンプルな趣向手順がさらさらと流れていく様子を無心に楽しむことで、そこにある種の詩情が見出される、というのがこの浪漫派の作風でした。したがって、難解至上主義の解答者からは、激烈な批判を受けることも少なくなかったようです。それでも批判にめげず、浪漫派は優れた作品を次々に発表してゆき、次第に市民権を得るようになりました。その作品のいくつかを、その作品に込められた思いとともに鑑賞していきましょう。


「晩鐘」 黒川一郎作 (近代将棋1952年11月号)

▲8一歩成  △同 玉    ▲8二歩    △9一玉    ▲8三桂打  △同 銀

▲同桂不成  △同 馬    ▲8一歩成  △同 玉    ▲8二銀打  △同 馬

▲同銀成    △同 玉    ▲7一角


上部で守備駒を清算する、率直に言ってあまりひねりのない序から始まって趣向の舞台が整います。▲7一角と打って玉は上がる一手。

B 6一、4三、2五のと金が利いているから馬で追えるんだね。

△7三玉    ▲6二角成 △6四玉  ▲5三馬   △5五玉    ▲4四馬   

△4六玉    ▲3五馬    △3七玉  ▲2六馬    △4六玉


B 途中王様が逆走するとどうなるの?

A それは折り返し趣向に早く入っちゃうから損なんじゃない? この後の手順を見ればわかるよ。

ここから六手一組の捨て絞り趣向が始まります。

▲4七と    △同 玉    ▲4八金    △4六玉  ▲3五馬    △5五玉


B なんかこう……動いた!!

A 4七とにすぐ5五玉と逃げると、5六と~6五と~7四と~以下だね。

▲5六と    △同 玉    ▲5七金    △5五玉  ▲4四馬    △6四玉   

▲6五と    △同 玉    ▲6六金    △6四玉  ▲5三馬    △7三玉   

▲7四と    △同 玉    ▲7五金    △7三玉  ▲6二馬    △8二玉   

▲8三銀成  △同 玉    ▲8四金    △8二玉  ▲7一馬    △9一玉   

▲9二歩成  △同 玉    ▲9三金    △9一玉  ▲8二金

まで61手詰


その趣向手順のまま、詰み上がりました。古典的な作品のように趣向の舞台から追い出して外部で詰ますのではなく、趣向の中に収束も入っているという作り方は、後世の作家に影響を与えました。さて、こうした作品を見て、あなたはどのように感じたでしょうか。作者がこの作品に寄せたコメントがあります。

 

西空が茜に染まり、鴉が(ねぐら)に急ぐ……。遠く鳴り出す山寺の鐘。そう、と金の一つ一つが夕もやに溶けこむ鐘の音。摺りあがる金がその余韻を含んで、また一つ鐘が泌みるように鳴る。農夫は鍬を洗い、童らは手をつないで、夕餉(ゆうげ)の香りを思い浮かべながら家路へ……[3]

 

B へえ~。情緒があるね。

先ほど詰将棋を娯楽小説と純文学に例えましたが、黒川一郎は「詰将棋で詩を書く」と評された作家です。作品のシンプルに感覚に訴える力と、優れた命名も手伝って、ある情景を詰将棋作品の中に詩的感覚でもって体現させることに成功しています。

A 引用の文章は確かに美しい光景だと思うけど、詰将棋を解いた人にこの光景を想像しろって無理じゃない?

いや、それはそれでいいんです。必ずしも作者と同じ光景が脳裏に結ばれなければならないというわけでもない。要するにこの作品から、論理的なことを超えて感覚に訴えるものが何かあれば、それでいいわけです。それこそ詩と読者の関係に近いものがあります。もちろん作品に作者の意図はありますが、それに接した人がどのような感覚を抱くかは自由なのです。作者の意図を超えた美しさを感じ取る人もいるかもしれないし、言いたいことはわかるが、まるでつまらんということもあるでしょう。ただこのような観点で詰将棋創作をする人も存在することと、そうした作品の前では無心に楽しむことを覚えていただきたいなと思います。



[3]本引用は「近代将棋図式精選」(森田銀杏、1983年、西東書房)からの孫引き。引用先に明記がないが、「将棋浪曼集 趣向型詰将棋百番」(黒川一郎、1973年、西東書房)からの引用と推測される。将棋浪曼集が入手困難で調査できなかった。


浪漫派の作品からもう一作。



「死と乙女」 山田修司作 (詰将棋パラダイス1951年10月号)

 

▲7四銀成  △8二玉    ▲8一と    △同 玉    ▲7一と    △同 玉

▲7三香    △6一玉    ▲7二香成


さらっと主題に入ります。この成香が王様を単騎追撃するという趣向。取ると金駒二枚で簡単ですね。

△5一玉    ▲6二成香  △4一玉  ▲5二成香  △3一玉    ▲4二成香 

△同 玉    ▲4三銀    △3一玉  ▲3二金


4二まで追ったところで成香を取らざるを得なくなります。2一にかわせば▲3二金以下。同玉にも銀金と重ねて2二の金と清算します。1六に桂が控えていることに注目してください。

△同 金    ▲同銀成    △同 玉    ▲2四桂    △4一玉  ▲3二桂成


いま来た道を今度は成桂で追い戻す往復趣向になるわけです。持ち駒金金ですからこれも取れませんね。それだけでは終わりません。右辺の折り返し部分と同様に8六桂が待機していることがわかりますね。

△5一玉    ▲4二成桂  △6一玉    ▲5二成桂  △7一玉  ▲6二成桂 

△8一玉    ▲7二成桂  △同 玉    ▲7三金    △8一玉  ▲8二金打 

△同 金    ▲同 金    △同 玉    ▲9四桂    △7一玉  ▲8二桂成


左辺の金銀を清算してもう片道の趣向を実現するわけです。

△6一玉    ▲7二成桂  △5一玉    ▲6二成桂  △4一玉  ▲5二成桂 

△3一玉    ▲4二成桂  △2一玉    ▲3二成桂  △同 玉



3二まで追ったところで玉はこの成桂を取るしかなくなり、以下収束。

▲3三銀    △2三玉    ▲3五桂    △同 歩    ▲3四金    △1二玉

▲2四桂    △1一玉    ▲2二銀成  △同 玉    ▲3三と    △1一玉

▲1二桂成  △同 玉    ▲2三金    △2一玉    ▲2二と

まで71手詰


説明は不要なほど易しい作品だと思います。しかし美しい。

B こういうの楽しいね。ひものついてない駒が取れずに逃げ回る王様ってなんだか不思議。しかもそれが三回も出てくるなんて。

A 金駒二枚あれば取れないのは当然だから不思議な感じは受けないけれど、確かに単純に面白い。死と乙女っていう題名にはどんな意味が込められてるのかな?

 

これは作者本人の命名ではなく、発表時の解説者である土屋健が感激のあまり命名してしまったようです。その解説は名文として名高いので、少し長いですが引用します。

 

何と云ふ美しい旋律に満ちた作であろう、小さな駒が奏でる悲しい迄に麗しい調べは魂を揺り、見る者をして恍惚と酔はさずには置かない。詰手順が面白い、最初の駒配りに無理がない、詰上り亦美しい、二回往復する玉の画く軌跡を夫々妙手と見たい、など言ふ事は蛇足である。まして平易であるの妙手が無いのと論ずるに至つては烏滸(おこ)の沙汰である。現在迄に発表された山田君の数ある作中でも突兀(とっこつ)として聳ゆる最高峰である。(中略)より重視しなくてはならぬのは、この作が醸すアトモスフェアであり歌ふ詩である。預言者イザヤではないが、かつてこのことあるを予言した選者の言は適中した。山田君はまづそれを為した。小さな駒々が織りなす階調と色彩は永遠の栄光と生命を唱い尽きるところを知らない。山田君が本作品に「小独楽」と題したのは、小駒作品である事と独り楽しむと云ふ点より名付けたものだが、楽しむ事は詰将棋の本質だ。然し本図は独り楽しむ境地を遙かに脱し、解く者総てに楽しみを与へずには置かない。その点不適当であると考へ、図面に傍注しなかった。「死と乙女」これこそ題するとすれば最もふさはしくはないだろうか。選者はロマンチストではないが反射的にこの題が脳裏に仄めいた、と云ふより全身を以つて感得したのである。「死と乙女」これはシューベルトのクワルテット(四重奏)であるがセロは常に死の如く甘く、低く誘ひ、バイオリンは不協和音を以つて乙女の儚い抵抗をすすり泣く如く亦訴へるが如く救ひを求める。遂に死の勝利の円舞曲で終る。本図では香と桂が取れ取れと玉を誘惑する。取れば即ち死を意味する。右に左に救ひを願ふ玉の悲しい反抗も、勝利の円舞曲を表現する右側に於ける折衝で死の凱歌を以つて終る。簡単な序曲より直ちに主題に入り軽快なワルツで幕となる本作品に陶酔したのは選者独りではあるまいと思ふ。近代詰将棋中のロマンスを代表する佳作である。

 某作家が本題に酔ひ己が作風に思を致し「止んぬる哉」の一言と共に駒を投じたと言はれて居るが、選者は決してそれが誇張とは思えない。再び言ふ、この傑作を題して「死と乙女」[4]

 

A ここまで一つの詰将棋に惚れ込めるものなのか。

B しかし作者の命名があるのに選者が勝手に取り下げてしまうってのもどうなのかな?

 

今だったら黙ってそんなことは許されないでしょうね。しかしこの文章には圧倒的な説得力があります。本作の発表時、作品自体の美しさとともにこの選者の熱のこもった解説、というより評論が話題を呼び、「死と乙女」という題名が定着することになりました。

 

浪漫派のその後ですが、最近では浪漫派と呼ばれる作風の人はあまり見受けられなくなりました。これはシンプルで新鮮な趣向手順が発掘され尽くして、見つけにくくなったことによるところが大きいと思います。次第に趣向手順の美しさだけで新鮮な作品を作ることが難しくなっていったのです。黒川一郎の編み出した趣向手順は後進の作家に模倣され、陳腐化していきました。また山田修司はしばらくの沈黙を経て浪漫派的趣向作を離れ、構想派中編作家として一時代を築くことになります。この結果、昭和も後期に入ると趣向手順にも合駒を取り入れたりして複雑化させるのが主流になっていきます。そんな中、浪漫派の構成法自体は幅広く浸透してゆきました。

 

そうした方法論を代表する一人として、相馬康幸がいます。おそらく時代が違えば浪漫派の創始者になっていたであろうこの作家については、先に実戦形の項目で二作品を引用しています。しかしあれは作者にとって裏芸のようなもので、本職ともいえる領域では、一切の修飾を排した舞台でただただ駒が躍動する趣向作を数多く発表しています。しかし浪漫派と決定的に異なる点として、相馬康幸は作品にあまり情緒的な思い入れを与えることはしません。浪漫派と同じような発想で作られた作品であっても、駒の描く詩情を感じるどころか、むしろ無機質な機械仕掛けの歯車が正確にカチリカチリと動作する様子を見ているような、不思議な手触りがあります。作品を一つ引用します。


[4]「夢の華」(山田修司、1998年、毎日コミュニケーションズ)から孫引き。引用の際に原文から省略、補足した部分があるとのこと。なお本引用における中略は會場による。オリジナルの文章は掲載号調査中。



相馬康幸作 Collection No.31

▲8六金    △9七玉    ▲9八歩    △同成桂    ▲8七金    △同 玉

▲7六馬    △9七玉    ▲9八馬    △8六玉    ▲7六馬    △9七玉



軽い序が終わりました。ここから打ち歩詰を打開するため馬が離れてゆきます。▲7五馬に対し、合駒はその瞬間▲9八歩があるので利きません。△8六金合は▲9八歩△8七玉▲8六馬以下です。飛車合もほぼ同様。

▲7五馬    △8七玉    ▲6五馬    △8六玉    ▲7八桂


合駒が利かない玉は馬に連れられて移動してゆきます。8六まで玉が来たところで▲7八桂。

△同桂成  ▲7五馬    △8七玉    ▲8八歩


馬が再び王様を追い落としにかかって、このタイミングで▲8八歩を入れます。

△同成桂    ▲7六馬    △9七玉  ▲9八歩


序が終わった局面と比較してみてください。この局面で▲9八歩が打てるようになっています。これで成桂を一枚剥がすと…

△同成桂    ▲同 馬    △8六玉    ▲7六馬    △9七玉


序が終わった局面から6六の桂が消えた局面になりました。この手順を数回繰り返して6七の成桂、7九の成桂を順次剥がしてゆきます。

▲7五馬    △8七玉    ▲6五馬    △8六玉    ▲7八桂    △同成桂上

▲7五馬    △8七玉    ▲8八歩    △同成桂    ▲7六馬    △9七玉

▲9八歩    △同成桂    ▲同 馬    △8六玉    ▲7六馬    △9七玉

▲7五馬    △8七玉    ▲6五馬    △8六玉    ▲7八桂    △同成桂

▲7五馬    △8七玉    ▲8八歩    △同成桂    ▲7六馬    △9七玉

▲9八歩    △同成桂    ▲同 馬    △8六玉    ▲7六馬    △9七玉

▲7五馬    △8七玉    ▲6五馬    △8六玉    ▲7八桂


すると今度はこの桂を歩で取らざるを得なくなります。△7八同金は以下同様に進めて金が剥がせるので早くなります。

△同歩成  ▲7五馬    △8七玉    ▲8八歩    △同 と    ▲7六馬   

△9七玉  ▲9八歩    △同 と    ▲同 馬    △8六玉    ▲7六馬   

△9七玉  ▲7五馬


するとこの局面で、今までは▲8七玉と打ち歩詰の状態に逃げ、▲8八歩を食らわないようにしてきたわけですが、7七の歩が消えたこの図では▲8八歩が打ち歩詰になりません。以下△7七玉▲7六馬まで。したがってここで合駒をせざるを得なくなります。▲9八歩△8七玉に▲7六馬がありますから、横に利く合駒が必然。飛車が最長手順になることがわかれば、以下収束です。

△8六飛    ▲同 馬    △同 玉    ▲8七歩    △9七玉  ▲9八飛   

△8七玉    ▲8八飛    △9七玉    ▲7七飛

まで95手詰



打ち歩詰を回避する馬の運動と、成桂をおびき出して剥がす一連のやり取りが歯車のように連動して、時計仕掛けの本作における時間を進めてゆきます。気づけば趣向の雰囲気を壊さぬままあっさりと詰み上がります。収束に余計なアクセントを持ってこないことで、駒が連動する趣向部分と収束とがひとつながりの構造物として見えてきます。こうした構成の作品を作者は「ピュアな詰将棋」と呼んで志向しているようです。ここには古典詰将棋の構成を古いものとした浪漫派と同質の美的価値観が見て取れるように思います。現代詰将棋作家の最重要人物の一人ですので簡単ですが取り上げさせていただきました。

 

また逆に、構成法はさておいても、詰将棋で物語を描くという思想はさらに拡大し、多くの名作が残されています。


「ボディガード」 波崎黒生作 (詰将棋パラダイス1996年10月号 看寿賞中編賞)

 

▲2九香    △2八銀


合駒で発生したこの銀が王様のボディガード。あたかも銃で撃たれる瞬間に身を投げ出すかのようなインパクトある登場です。このあと押し寄せる敵の攻撃を防ぎ続けます。

▲3七金    △同 龍    ▲1六角    △3六玉  ▲3七銀    △同銀不成


まず王様の右腕(?)である龍を巡る攻防。龍は討死にしますが、ボディガードの銀が不成で王様だけは助け出します。

▲2七角    △4七玉    ▲4八歩    △同銀不成  ▲5七金    △同銀不成 

▲4八歩    △同銀不成


さらに連続で襲い掛かる鉄砲玉たちを軽く切り払います。これも全部不成。

▲6七飛    △5七桂打  ▲4六飛    △3七玉    ▲5七飛    △同桂不成 

▲3六飛    △4七玉  ▲3九桂    △同銀不成


敵に寝返った桂もばっさり不成で切り捨て御免。手順中、桂不成のおまけつきです。これは直後の4九桂を同桂成で逃れるため。

▲4六飛    △3七玉    ▲4九飛    △2六玉  ▲6三角成  △2八香   

▲同 香    △同銀成


ここに至ってついに成らざるを得なくなります。

B 6回動いて、成銀になって最初に現れた場所に帰ってきたんだね。

▲4六飛    △3七玉  ▲3九香    △同成銀    ▲3六馬    △3八玉    ▲4七馬    △2七玉  ▲2六飛    △同 歩    ▲3七馬

まで45手詰



さらに一回動きますが、飛車捨ての鋭手などもあって、ついに王様を守り切れず詰上がります。でもボディーガードのはかない奮闘は楽しんでいただけたのではないでしょうか。

 

第五章 条件作の世界 

 

さて、詰将棋のテーマとして、論理的なもの、情緒的なものをそれぞれ見ていただきましたが、もっと違ったテーマの立て方も存在するんですね。それは条件作図というものです。さまざまな条件を設定し、その中で詰将棋を成立させること自体がテーマになっているわけです。もちろんこういう作品に対しては、「こんな制約でこんなにいい手順が出るのか」という風に鑑賞していただければ幸いです。そのでは、条件作の代表的なものをいくつかご紹介していきましょう。なお、この章あたりから解説がほとんどなくなってただの作品紹介になってしまうと思われます。というのも筆者の修論がいよいよやばくなってきたので……

A 修論なんかやめちまえよ。

とにかく、並べるだけで良さが分かる作品ばかりですので、一つ一つ盤に並べていただければ嬉しいです。

 

初形条件作

使用駒の種類や、配置の形などに制約をつけたものです。具体的にどんなものがあるか見ていきましょう。

 

・飛角図式

初形で盤上にある駒が、飛車と角(あるいは龍馬)だけの詰将棋です。持ち駒は自由に設定できるとされることが多いため作りやすく、作例の多い図式です。



江口伸治作 (詰将棋パラダイス2001年10月号、看寿賞中編賞)

▲2三歩    △同 玉    ▲4一角成  △1二玉    ▲4二飛成  △3二歩

▲同 龍    △2二歩    ▲1三歩    △同 玉    ▲2五桂    △1二玉

▲1三歩    △1一玉    ▲3一龍    △2一桂    ▲同 龍    △同 玉

▲3一馬寄  △1一玉    ▲2三桂    △同 歩    ▲4四馬    △同 飛

▲1二歩成  △同 玉    ▲1三桂成  △1一玉    ▲2二馬

まで29手詰

のっけから難しい作品で恐縮ですが、細かい変化は省略。江口伸治は飛角図式のスペシャリストで、おおざっぱな手順になりがちだった飛角図式に細やかな攻防や深い変化紛れを加えてそのレベルを大きく引き上げました。そう遠くない将来に、飛角図式だけで構成された作品集を編まれることでしょう。

 

・七色図式

飛角金銀桂香歩を一枚ずつ使うもの。こちらは持ち駒と合わせて七色とするべきという立場が優勢。

B 優勢とは……

ここもまあ議論があるところなんです。まあこういう細かいことが統一される日は来ないでしょう。


「セブン・センシズ」 山田康平作 (詰将棋パラダイス1989年1月号 看寿賞中編賞)

▲2五馬    △1三玉    ▲3五馬    △1二玉    ▲1一桂成  △同 玉

▲2一金    △同 玉    ▲2五香    △2二桂    ▲同香成    △同 玉

▲1四桂    △1二玉    ▲4五馬    △3四歩    ▲同 馬    △2三歩

▲同 馬    △同 玉    ▲3二銀不成△1二玉    ▲1三歩    △1一玉

▲2一銀成  △同 玉    ▲1二歩成  △同 玉    ▲3二龍    △1三玉

▲2二龍    △1四玉    ▲1五歩    △同 玉    ▲2五龍

まで35手詰

 

手が限られているため先ほどより易しいですが、歩の連合から清涼詰など見応えのある内容です。

 



・豆腐図式

盤面初形が歩とと金だけで構成された作品。ふつう持ち駒はなんでもよい。


「Fireflies」 岡村孝雄作 (詰将棋パラダイス2010年4月号)

 

▲4五と上  △6四玉    ▲7四と上  △5三玉    ▲4四と直  △4二玉

▲3三と    △5三玉    ▲6三と上  △5四玉    ▲6五と    △同 玉

▲6六と左  △5四玉    ▲4五と    △同 玉    ▲5六と上  △4四玉

▲3四と    △同 玉    ▲2五と直  △4三玉    ▲4四歩    △同 玉

▲5五と左  △4三玉    ▲3四と    △同 玉    ▲4五と上  △3三玉

▲4四と左  △4二玉    ▲5二と    △同 玉    ▲6二と上  △4二玉

▲4一と    △同 玉    ▲5一と寄  △3二玉    ▲2三と    △同 玉

▲3四と上  △1三玉    ▲2四と上  △2二玉    ▲3三と左  △1一玉

▲1二歩    △2一玉    ▲2二歩    △3一玉    ▲4二と    △同 玉

▲5二と寄  △3一玉    ▲4一と寄  △2二玉    ▲3三と直  △2一玉

▲3一と    △同 玉    ▲4二と寄  △2一玉    ▲3二と寄  △1二玉

▲2二と上

まで67手詰

 

これは同じ作者の「海雪」と合わせて豆腐図式のあり方を根底から覆した傑作です。ぜひ並べてみてください。

 

・裸玉


「驚愕の曠野」 岡村孝雄作 (詰将棋パラダイス2003年11月号 看寿賞特別賞)

 

B 盤上に王様だけだ!

こんなのが人間に作れるんだなあという、ただただそれを味わう作品です。ちなみにこれはコンピュータでも解けません。少なくともうちのPCでは。

▲3三角  △4二角  ▲同角成  △同 玉  ▲6四角    △5三角   

▲4三歩    △3二玉    ▲3三歩    △2二玉  ▲2三歩    △1二玉   

▲1三歩    △2三玉    ▲2四歩    △同 玉  ▲2五歩    △同 玉   

▲3六銀    △同 玉    ▲3七金    △2五玉  ▲2六歩    △3四玉   

▲4五銀    △同 玉    ▲4六金    △3四玉  ▲4五金打  △2四玉   

▲3五金上  △同 角    ▲2五金    △1三玉  ▲3一角成  △2二歩   

▲1四歩    △1二玉    ▲1三金    △同 角  ▲同歩成    △同 玉   

▲1四歩    △1二玉    ▲2三角    △1一玉  ▲2二馬    △同 玉   

▲1三歩成  △同 玉    ▲1四金    △2二玉  ▲3二角成  △1一玉   

▲1二歩    △同 玉    ▲2三金    △1一玉  ▲2二金

まで59手詰

収束に角捨てもびしっと入って、これが唯一解として成立してるんだから恐れ入ります。

 

初形の使用駒趣向には他にも、鶯図式(歩桂香のみ)、金銀図式、一色図式(初形ある種類の駒のみ)、無防備図式(玉以外の玉方駒なし)などなどがあります。

B 鶯図式はなんかいい感じのネーミングだけど、なんでこう言うの?

歩桂香で「ホーホケキョ」っぽいからです。

B ……。

僕に言われても困ります。

 

曲詰

 

先ほどの作品は初形に意味がある作品でしたが、詰上がりに意味がある作品もあります。あぶり出し曲詰と呼ばれる趣向で、これは特に解答者から人気が高く、数多くの作品が作られています。


北原義治作 (近代将棋1959年1月号 第13期塚田賞中編賞)

▲4六馬    △3四玉    ▲2五銀    △同 玉    ▲3六龍    △3四玉

▲4三桂成  △同 玉    ▲5四銀    △同 玉    ▲6四馬    △4三玉

▲4二馬    △5四玉    ▲6四金    △5五玉    ▲4七桂    △同 馬

▲5四金    △同 玉    ▲8四龍    △7四金    ▲同 龍    △同 馬

▲6四金    △5五玉    ▲6五金    △同 馬    ▲6四馬    △同 馬

▲5六龍

まで31手詰


盤上を大きく躍動する馬の動きに見とれつつ、小味な小駒捨てや玉方の移動合という妙防に感心しているといつの間にか盤上に大きなYの字が浮かび上がります。

 

さて、数ある条件作の中でも、一番人気を集め、一つの世界を築いてきたのが「煙詰」という条件です。それについては、章を改めて取り上げることにしましょう。

 

第六章 煙詰という神話

 

煙詰という存在については、有名なのでご存知の方も多いかと思います。これは初形に全部の駒が配置されていて、それが詰上がりに最小限な三枚を除いてすべて消えてしまうというもので、第一章に出てきた看寿の代表作です。


伊藤看寿作 (1755年 将棋図巧 99番)

▲8一と    △同 玉    ▲7一香成  △9一玉    ▲8一成香  △同 玉

▲7二と    △9一玉    ▲8二と    △同 玉    ▲7三歩成  △9一玉

▲8二と    △同 玉    ▲7三と    △9一玉    ▲8二と    △同 玉

▲7二香成  △9一玉    ▲8二成香  △同 玉    ▲9三馬    △同 玉

▲7三飛    △9四玉    ▲8三飛成  △8五玉    ▲8四龍    △同 玉

▲5四龍    △9五玉    ▲9六香    △同銀成    ▲同 歩    △同 玉

▲8七銀    △9七玉    ▲9四龍    △8七玉    ▲8五龍    △7八玉

▲8八龍    △6七玉    ▲6八銀    △5八玉    ▲5七銀    △4七玉

▲4六と    △5七玉    ▲5六金    △同 と    ▲同と引    △6七玉

▲7六銀    △同 玉    ▲6六と    △同 玉    ▲7七龍    △6五玉

▲5五と    △同 玉    ▲6六龍    △4五玉    ▲4四と    △同 玉

▲5六龍    △5五歩    ▲同 龍    △3三玉    ▲5三龍    △3四玉

▲4四龍    △2三玉    ▲2四龍    △同 玉    ▲1五と    △3四玉

▲4四金    △2三玉    ▲2四歩    △1三玉    ▲2三金    △同 銀

▲同歩成    △同 玉    ▲3五桂    △1二玉    ▲1三歩    △同 玉

▲1四歩    △1二玉    ▲1三銀    △同 桂    ▲同歩成    △同 玉

▲2三桂成  △同 玉    ▲3三金    △1二玉    ▲1三歩    △同 玉

▲2五桂    △1二玉    ▲2三金    △同 玉    ▲3三角成  △1二玉

▲1三桂成  △同 玉    ▲2四と    △1二玉    ▲2三と    △1一玉

▲2一香成  △同 玉    ▲2二馬

まで117手詰


この作図条件、すなわち39枚の駒を配置し3枚まで減らして詰上げるという条件は、看寿以降200年近く誰もなしえませんでした。しかし黒川一郎が1954年に第二号局「落花」を発表して歴史に新しい一ページを書き加えると、以降煙詰のノウハウは広く研究されて煙詰量産時代と言われるまでになりました。そうした量産化の中でも、詰将棋作家は同じような作品を作ることをよしとせず、今までと違ったテーマを取り入れることに腐心し続けた結果、かつて不可能と言われた構想を次々と実現してしまいました。そんな現代煙詰の最高レベルのものをご紹介します。


「大航海」 添川公司作 (近代将棋1992年11月号 看寿賞長編賞)

七種合+還元玉という壮大な煙詰です。

A どういう意味?

七種合とは、詰手順の中で玉方が飛角金銀桂香歩の七種類の合駒を全部駆使する詰将棋の条件作の一つです。そして還元玉とは、初形配置で玉がいるまさにその位置で詰上がりますよ、という条件というか作品の付加価値ですね。ただ煙詰の場合盤上を広く使うのが当たり前なわけですから、還元玉というのはかなり難しい条件になります。

 

▲1八龍    △1六と    ▲2四銀不成△同 と    ▲2六と    △同 玉

▲2四飛    △2五銀


まず銀合。 飛×角×金×銀○桂×香×歩×

▲2七歩    △1五玉    ▲2五飛    △同 玉  ▲2六銀    △同 と   

▲同 歩    △同 玉    ▲1七龍    △2五玉  ▲2六歩    △2四玉   

▲3四と 


このと金捨ては将来に備えた伏線になっています。

△同 桂    ▲3五成香  △同 玉  ▲1五龍    △3六玉    ▲2五龍   

△2七玉    ▲1八と    △同 玉  ▲1六龍    △2八玉    ▲3九と   

△同 玉    ▲1九龍    △2九飛


飛車合です。飛○角×金×銀○桂×香×歩×

▲4九金    △同 玉    ▲2九龍    △3九金 


金合。飛○角×金○銀○桂×香×歩×

▲5八銀    △同 金  ▲5九飛    △同 金    ▲同 と    △同 玉   

▲3九龍    △4九角


角合。飛○角○金○銀○桂×香×歩×

▲6九金    △同 玉    ▲4九龍    △7八玉    ▲5八龍    △6八香


香合。飛○角○金○銀○桂×香○歩×

▲8七角    △8九玉    ▲9八角    △同 玉    ▲6八龍    △8八金

▲9七金    △同 玉    ▲8七金    △同 金    ▲9九香    △9八歩


歩合です。飛○角○金○銀○桂×香○歩○ あとは桂合だけですね。

▲同 香    △同 金    ▲7七龍    △9六玉    ▲9七歩    △同 金

▲9五と    △同 玉    ▲9七龍    △8四玉    ▲8六龍    △8五歩

▲9五金    △9三玉    ▲8三桂成  △同 玉    ▲8五龍    △9二玉

▲8三金    △9一玉    ▲9二歩    △同成香    ▲同 金    △同 玉

▲9四香    △9三桂 


ついに七種合が出そろいました。あとは煙るだけですね。

▲同香成    △同 玉    ▲9四金    △9二玉  ▲8三金    △8一玉   

▲7二金    △同 玉    ▲6二歩成  △同成銀  ▲7三歩


この局面で、△同玉と応じる手があります。以下▲6四と△同玉▲8四龍△5四玉▲4五桂以下。ところが最初に▲3四とを入れておかないと、今3四にいる桂が4二にいますから、最後の4五桂を△同成香で▲5四龍とできず逃れになるのです。潜伏期間の長い変化伏線でした。

△同成銀    ▲6四桂    △同成銀    ▲7三歩    △同 玉  ▲6四と   

△同 玉    ▲7四龍    △5三玉    ▲4四銀    △6二玉  ▲5四桂   

△同成香    ▲6一と    △同 玉    ▲5一香成  △同 玉  ▲5四龍   

△4一玉    ▲4二香    △同成桂    ▲同歩成    △同 玉  ▲4三銀成 

△3一玉    ▲3四龍    △2一玉    ▲3二成銀  △1一玉  ▲2二成銀 

△同 玉    ▲1四桂    △2一玉    ▲1三桂    △1二玉  ▲3二龍   

△1三玉    ▲2二龍    △1四玉    ▲1五歩    △同 玉  ▲2五龍

まで145手詰



作者の添川公司は現代詰将棋の最重要人物。煙詰に革新を起こした作家で、今までと全く異なる方法論で煙詰を次から次へと作ってしまいます。しかしこれだけ煙詰が作れると言っても、それは添川公司の才能のほんの一部でしかありません。新機軸の超長編趣向作も数多く発表しています。

 

次に都煙をご紹介しましょう。都煙とは都の地点、すなわち5五で詰上がる煙詰で、必然的に最後の駒は4枚になります。4枚残る詰上がりを煙と認めてよいのかという論争が巻き起こりましたが、駒場和男が発表した都煙三部作「夕霧」「かぐや姫」「父帰る」はそんな論争ごときでは揺らがない傑作揃いでした。次第に都煙は市民権を得ていくことになります。その三部作から「父帰る」をご紹介。


「父帰る」 駒場和男作 詰将棋パラダイス1969年4月号

▲4五と寄  △6五玉    ▲5五と    △同 玉 


6五の桂を消しておくのが伏線。

▲6六角    △同 玉  ▲5七金    △同 玉    ▲5八銀    △6六玉   

▲7八桂    △同 金  ▲6七銀    △同 玉    ▲7九桂    △同 金   

▲6八香    △7八玉  ▲7七飛    △同 玉    ▲7九龍    △8六玉   

▲8五と    △同 玉  ▲8四と    △8六玉    ▲8五と    △同 玉   

▲9四銀不成△8六玉  ▲7七金    △9七玉    ▲8七金    △同 玉   

▲6五角


この角を打つために、6五桂は邪魔駒だったんですね。

△9六玉  ▲8五銀    △同 玉    ▲7六龍    △9五玉    ▲9四と   

△同 玉  ▲8三角成  △同 玉    ▲8五龍    △9二玉    ▲9四龍   

△8二玉  ▲7三と    △同 玉    ▲6三歩成  △同 香    ▲同香成   

△同 玉  ▲6四歩    △7三玉    ▲7五香    △8二玉    ▲8一と   

△同 玉  ▲7一歩成  △同 金    ▲同香成    △同 玉    ▲7四龍   

△7二角


角合が出てきました。以下これを入手します。

▲6二金    △同 玉    ▲6三歩成  △同 角    ▲5二香成  △同 角

▲同 と    △同 銀    ▲5三歩成  △同 銀    ▲同 と    △同 玉

▲7五角


この▲7五角が限定打。初形にあった角が戻ってきたことにも注目してください。

△4三玉    ▲6三龍    △3四玉    ▲4五銀    △2五玉  ▲2三龍   

△2四飛    ▲3六銀    △1五玉    ▲1六歩    △同 玉  ▲2七金   

△1五玉    ▲2六金    △同 飛    ▲同 龍    △同 玉  ▲2三飛   

△3七玉    ▲2七飛成  △4六玉    ▲4七龍    △5五玉  ▲4五龍

まで103手詰



初形で7五にいる角は一度消えますが合駒で復活して再び限定打で7五に復活します。そうして角の待っているわが家へ、盤上放浪の旅を終えた父も帰ってきて5五で詰上がるというわけです。なんと都還元煙というとてつもない難条件作でした。

 

次は小駒煙です。大駒を使わず、小駒だけで玉を追いつつ駒を消してゆくことは、当初不可能とすらいわれていました。しかしこれもいくつかの方法が見つかり、多くの作品が生まれています。これからお目にかけるのは、その一つの到達点ともいえる作品です。


「月蝕」 伊藤正作 (近代将棋1981年9月号 看寿賞長編賞)

 

B この初形の前では言葉がないよ。

A こんなに密集してて煙るの?

 

▲1七と    △同 玉    ▲2六銀    △同 と    ▲1八歩    △1六玉

▲2六と    △同 玉    ▲3七銀左  △同 と    ▲同 銀    △1六玉


以下いま3七の銀と2九の成香がじりじりとせり上がっていく仕掛けになっています。

▲2八桂    △同歩成    ▲1七歩    △同 玉    ▲2八成香  △1六玉

▲1五金    △同 玉    ▲2五と    △同 玉    ▲3六と    △同 と

▲同 銀    △1五玉    ▲1六歩    △同 玉    ▲2七成香  △1五玉

▲1四金    △同 玉    ▲1五歩    △同 玉 


下半分の爆破に成功しました。

▲1六歩    △1四玉  ▲1三と    △同 と    ▲同 金    △同 玉   

▲1二桂成  △1四玉  ▲2四と    △同 玉    ▲3五銀    △2三玉   

▲2四歩    △1四玉  ▲1五歩    △同 玉    ▲2六成香  △1四玉   

▲1三成桂  △同 玉  ▲2三歩成  △同 玉    ▲3四と    △同成桂   

▲同 銀    △1三玉  ▲1四歩    △同 玉    ▲2五成香  △1三玉 


▲1二金    △同 玉  ▲1三歩    △同 玉    ▲1四歩    △1二玉   

▲2四桂    △2一玉  ▲3一香成  △1一玉    ▲2一成香  △同 玉   

▲3二香成  △同成桂  ▲同桂成    △同 玉    ▲3三銀直成△2一玉   

▲2二成銀  △同 玉  ▲3三銀不成△2一玉    ▲2二歩    △1一玉   

▲2三桂    △1二玉  ▲1三歩成  △同 玉    ▲2四成香  △1二玉   

▲1一桂成  △同 玉  ▲2一歩成  △同 玉    ▲3二銀不成△1一玉   

▲1二歩    △同 玉  ▲2三成香  △1一玉    ▲2一銀成  △同 玉   

▲3二香成  △1一玉  ▲2二成香直

まで109手詰


最後に、全体の追い手順を支えていた3九の香が動き出して詰上がります。奇跡のような作品。

 

最後に無防備煙です。これは無防備図式と煙詰の融合ですね。

B 無防備図式って、玉以外全部攻め駒っていう図式のことだよね?

A そんなの煙にすることなんて不可能だよ! だって38枚全部攻め方の駒なんでしょ?すぐ詰んじゃうよ。

小駒煙同様、無防備煙も作図は不可能だと言われていたんですが、駒場和男が最初に「三十六人斬り」を発表して以来、今では完全作が10作ほど知られています。


橋本孝治作 (詰将棋パラダイス1989年6月号 看寿賞長編賞)

B 本当に全部攻め駒だと壮観だなあ……。

 

▲2五と    △同 玉    ▲3五と    △1六玉    ▲3四桂    △2七玉

▲2六龍    △同 玉    ▲5六龍    △2七玉    ▲1八銀    △同 玉

▲1六龍    △2九玉    ▲2七龍    △3九玉    ▲4九金    △同 玉

▲2九龍    △3九銀    ▲5九金    △同 玉    ▲3九龍    △6八玉

▲3八龍    △7九玉    ▲8八龍    △6九玉    ▲5八龍    △7九玉

▲8八銀    △8九玉    ▲6九龍    △8八玉    ▲9七銀    △9八玉

▲7八龍    △9七玉    ▲9六と    △同 玉    ▲9八龍    △8五玉

▲8七龍    △8六歩    ▲8四と    △同 玉    ▲8六龍    △8五飛


飛車合が出てきました。

▲7四と    △9三玉    ▲9二と    △同 玉    ▲9一桂成  △同 玉

▲9二歩    △同 玉    ▲8三と    △9一玉    ▲8二と    △同 飛

▲同 龍    △同 玉    ▲8四飛    △7二玉


ここからのきめ細やかな絞り込み手順が圧巻です。

▲6三歩成  △7一玉  ▲6二と    △同 玉    ▲8二飛成  △6三玉   

▲8三龍    △6二玉  ▲5二歩成  △7一玉    ▲6二と    △同 玉   

▲8二龍    △6三玉  ▲5三香成  △7四玉    ▲6五と    △同 玉   

▲8五龍    △6四玉  ▲7五龍    △5三玉    ▲5二と    △6三玉   

▲5五桂    △5四玉  ▲5三と    △同 玉    ▲7三龍    △5四玉   

▲6三龍    △5五玉  ▲6六龍    △5四玉    ▲4五と    △同 玉   

▲4六金    △4四玉  ▲5五龍    △4三玉    ▲4二桂成  △同 玉    

▲3三香成  △同 玉  ▲3四銀不成△4二玉    ▲3三銀成  △同 玉   

▲3四馬    △同 玉  ▲3五金    △3三玉    ▲4四龍    △3二玉   

▲2三香成  △同 玉  ▲2四金    △2二玉    ▲3三龍    △1一玉   

▲1二歩成  △同 玉  ▲1三金    △1一玉    ▲2二龍

まで129手詰


A うまくできてるもんだなあ。王手はちゃんと続くうえに、玉も攻め方の駒を取れるような絶妙の配置になってるんだね。

 

無防備煙はただただ駒を取らせるだけの単調な手順になりがちなのですが、本作は合駒なども出てきて手順に深みがあります。また飛車合を奪ってからの絞り込みは細やかな手順で美しい。無防備煙の最上の作品の一つです。なお、玉位置が五段目というのも無防備煙で最も上です。ふつう九段目とか八段目にいることが多いですからね。また、自陣と金がないというのもこの条件では奇跡的。普通の煙詰でも自陣の一番低いところにと金がいたりする作品は多く、実戦をあまり指さない詰将棋派の人間でさえ「どこから引っ張ってきたんだよ」だとか揶揄することがあるものですが、本作は非の打ちどころがありません。

 

さて、小駒煙を除けば煙詰の主役は龍という時代が長く続きました。一番強い駒で、追いやすいからです。しかし、次第に龍追いによる煙は手順の類型化が目立つようになってきました。そのため、最新のトレンドでは馬追いで煙詰を作るのが主流です。


安武翔太作 (詰将棋パラダイス2008年4月号 看寿賞長編賞)

▲9三歩成  △9一玉    ▲8二と寄  △同 金    ▲同 と    △同 香

▲9二歩    △同 玉    ▲9三金    △同 玉    ▲8四と    △同 香

▲8三金    △同 玉    ▲8四歩    △同 玉    ▲8五飛    △7三玉

▲6四と    △同 玉    ▲7五銀    △6五玉    ▲4三角成  △5六玉

▲5七金    △同 玉    ▲6六銀    △同 玉    ▲7六馬引  △5六玉

▲5九香


ここで最下段に打つ▲5九香が妙手です。

△同飛成    ▲4七金    △同 と    ▲5七香    △同 玉  ▲8七飛   

△5六玉    ▲4六と    △同 玉    ▲4七飛    △5六玉  ▲5七香   

△同 龍    ▲同 飛    △同 玉    ▲5八飛    △同 と


結局竜が出てくることは一度もないまま、飛車が二枚とも消えてしまいました。この後は二度と登場しません。以下は二枚馬の連携と小駒の活用で絞り込んでいきます。この手順がまた圧巻。

▲同馬行    △5六玉    ▲4七馬    △5五玉    ▲6五馬左  △4四玉

▲4五銀    △3三玉    ▲2二銀不成△同 玉    ▲1二香成  △同 玉

▲2四桂    △同 歩    ▲1三歩    △同 玉    ▲1四銀    △2二玉

▲2三歩    △3三玉    ▲2五桂    △同 歩    ▲3四銀    △同 玉

▲2五馬    △4四玉    ▲2六馬    △3五歩    ▲同 馬    △3三玉

▲5五馬    △3二玉    ▲5四馬    △4一玉    ▲4二歩    △同 玉

▲5三馬左  △4一玉    ▲4二歩    △3二玉    ▲3三歩    △同 玉

▲4四馬引  △4二玉    ▲4三歩    △4一玉    ▲5一桂成  △同 玉

▲6二馬    △4一玉    ▲4二歩成  △同 玉    ▲5三馬行  △3二玉

▲3三歩    △同 玉    ▲4四馬    △2四玉    ▲5一馬    △1四玉

▲1五馬    △2三玉    ▲3五桂    △1二玉    ▲1三歩    △同 玉

▲1四歩    △1二玉    ▲2三桂成  △同 玉    ▲3三馬左  △1二玉

▲1三歩成  △同 玉    ▲2四馬行  △1二玉    ▲2三馬行  △2一玉

▲2二馬

まで127手詰


飛車はあくまでアクセントとしてわき役に徹し、二枚馬の連携が前面に押し出された追い手順になっていることに注目してください。このような馬追い煙は新鮮な手順が得られますが作るのが難しいことは間違いなく、爆発的に作例が増えるというところまでは至っていません。今後もしばらく流行が続くでしょう。

 

 

まとめ

ざっと詰将棋のテーマというものについて駆け足で見てきたわけですが、いかがでしたか? 本当は他にも取り上げたいテーマ(超短編と超長編)があったのですが、それは次回の宿題にしたいと思います。

 

とにかく、詰将棋の世界が将棋の世界とはほんの少し違うこと、これが分かっていただけたらそれだけで十分です。そして詰将棋を、難しい問題ではなく、美しい作品だと思っていただければすごくうれしいです。さらに、こういう美しい作品をほかにも鑑賞してみたい、と思ってくださったなら最高に幸せです。

 

もう一度、大事なことなので繰り返させてください。詰将棋は、将棋が強くなるためのテストの問題ではありません。むしろ、テスト用紙の裏にこっそり書かれた落書きなのです。問題を解くだとか、競争社会を勝ち抜くだとか、そういうことに疲れた一瞬に、ふと想像力と遊び心、それにほんの少しのいたずら心で、すらすらとペンを走らせる楽しさ。詰将棋の世界には、そうした落書きも「面白いね」と受け入れてくれる優しさがあふれています。

 

ですから、ぜひここは一つ「こんなのテストと関係ない」と怒らずに、詰将棋という落書きを見に来ませんか? そしてクスリと笑ってやってはくださいませんか? 

 

さらにもしよろしければ……

 

 

 

あなたもテスト用紙を裏返して、夢のある絵を描いてみませんか?


ふれあう将棋3

   ふれあう将棋3
   ふりごま


ぼくの名前は「ぽふぽふ」。

これまで小さな公民館で開催されている将棋道場の見学、そして、大会にも参加してみた。
人とふれあう将棋の面白さ、楽しさが伝わるといいな。
でも、いろんな理由があって外で将棋を指せない人もいるよね。
なんとなく怖いとか、一人だと心細いとか。
田舎に住んでいて道場や大会の環境に恵まれていないとか。
そんな人たちのために、今回は自宅で将棋を指してみよう。

自宅で将棋といえば、将棋盤を用意して本を見ながら駒を並べることが多いかな。
テレビの講座を見たり、詰将棋の本を読んだり、新聞の将棋欄を眺めたり、なんてことも。
でも、ちょっと待って。これだと、「ふれあい」がないよね?
だから、今回はネットを使って積極的に外に出てみるよ。

とりあえず、外に出る経路はインターネット。
必要なものは、パソコンやスマートフォン。
あとは、対局場を選ぶだけ。
とても簡単だよね?

さて、どこがいいかな。
ひたすら番数をこなしたい人は、対局者がたくさんいる対局場がオススメ。
さあ対局開始だ! ……その前に、自分の棋力を決めないと駄目なんだよね。
これは実際の道場や大会と同じで、対局相手を決める上で重要だったりするんだ。
自己申告で棋力を決めるところも同じなんだけど、ネットと実世界にはズレがあることも。
例えば、町道場で三段の人が、とあるネット将棋では1級だったりすることは日常茶飯事。
対局場によって棋力の絶対値が変動することは仕方ないんだよね。
さらに、ネット将棋の中でも対局場によって棋力に差が出たりする。
ちょうど、全国のいろんな道場にも差があるのと同じなんだ。
とはいえ、ネット将棋を始めるには、棋力を決めておこう。

ネット将棋における棋力は「レーティング」と呼ばれる点数に換算して評価することが多いよ。
そして、対局結果に応じて、この点数が増減していく。しかも、増減値は相手との棋力差により変わる。
自分より強い人に勝つと大きく点数アップし、弱い人に負けると大きく点数ダウンする仕組み。
そうやって対局を重ねていくと、自分の真の実力値がおおよそ定まっていくよ。
だから、自己申告の点数が多少違っても全然大丈夫。

でもでも、残念ながら、ネットの世界には、本当はものすごく強いのに、低い点数で申請する人がいる。
これを「過小申告」と呼ぶのだけど、弱い者イジメするような人たちなんだよね。
もちろん、その人たちも勝ち続けていくと点数がどんどん上がってしまうのだけど。
他にも、「ソフト指し」と呼ばれる人たちもいる。その名の通り、将棋ソフトを使って対局する人。

とにかく、自分なりの点数を決めたら、まずは対局してみよう。
点数の変動に一喜一憂するもよし、点数に関係なく戦法を試すなど研究に没頭するもよし。
ネット将棋の対局に慣れることが大切かな。
特に、実際の駒と違って、画面上の駒をマウスや指で操作するわけだから、感覚が違うよね。
操作ミスをして、「成り」と「不成り」を間違えてしまうこともある。
時間に追われて慌てて指したり、知らない間に時間切れになっていることもある。
でも、盤駒を使った対局とは違う独特の雰囲気を味わえることが、ネット将棋の魅力のひとつでもあるよ。

ネット将棋の持ち時間は、対局場によっていろいろあるから、自分に合ったものを選べば良いかな。
とにかく早く指したい人は1手30秒、じっくり考えたい人は持ち時間15分とか。
大会を意識したいなら10分切れ負け、もっと早く脳を刺激したいなら3分切れ負けとか。
他にも、1手10秒、1分切れ負け、じっくり30分、長考3時間などもあるから、目的に応じて選ぼう。

対局相手についても、実は人間だけじゃない。
対局場によっては、悪意ある人間の「ソフト指し」とは異なり、正々堂々とコンピュータが対局相手になることもある。
その場合、コンピュータつまりソフトであることが明確に表示されているから、純粋に人間代表として戦えるよね。
将棋ソフトの開発競争が激化している今の時代は、コンピュータ同士の練習対局がネット上で日々行われている。
その対局場に人間代表としてエントリすることも可能なので、コンピュータと「ふれあう」こともできるよ。
残念ながら、多くの人が対局に勝てないかもしれないけれど。

ネット将棋の要素として、レーティング・対局時間・対局相手があり、それらに応じた対局場がある。
もうひとつ大切な要素は、感想戦を含めた検討ができるかどうかという点。
たくさん指して経験を積むことに重きを置く人もいれば、一局を丹念に振り返る人もいるよね。
一手一手を確認して、どこが悪手だったか、どう指すべきだったか、相手は何を考えていたかをじっくり検討する。
「感想戦」を大切にしたい人向けに、検討しやすい環境を提供してくれる対局場もあるんだ。
そういうところには、同じような仲間が集まってくるので、ネット上で友達ができるかもしれないよ。
あるいは、すごく強い人が指導対局をしてくれるかもしれない。

対局後に感想戦をして、ときには、他の人の観戦をしたり、その感想戦に参加してみたり。
ネット将棋は不特定多数の人と接する機会が増える点も魅力のひとつ。
いろんなサークルもあるし、サークル内外のイベント対局もあったり。
ほとんど町道場と変わらないくらいの充実したサークルもあるんだよね。
個人でネット将棋を楽しむだけでなく、仲間とワイワイするのも面白いかもしれないよ。
とある対局場では、夏にリレー将棋が開催される。
4人一組でチームを作り、15手ずつ指してメンバー交代していくんだ。
チーム構成については、4人のレーティングの合計点数に制約があるんだけど、選び方にも特色が出るよね。
メンバー個人のレーティング、そして、オーダーが勝敗に影響を与えるというリレー将棋。
道場や大会に出られなくても、自宅にいながら参加可能なイベント。

対局やイベントを通して、ネットの向こうにいる多くの人に出会い、ふれあう。
直接ではないけれど、いろいろ楽しい出会いがあるよ。
もちろん、顔を合わせないがゆえに起こるトラブルもあるかもしれない。
言葉ひとつとってみても、真意が伝わらなかったり、誤解を招いたり。
でも、自宅にいながら、ふれあうことができるメリットの方が大きいかもしれないよ。

人と人との「ふれあう将棋」を通して、将棋の面白さを広く伝えられると、また仲間も増えるよね。
将棋を指さないけど、観るのが好きだ、という人もネット将棋はひとつのツールとして活用できるよね。
ネットで知り合って、意気投合して、そのままオフラインで実際に会ってみることもあるよね。
実は近くに将棋を指す人がいることを知るキッカケになるかもしれない。
そんな可能性を秘めたネット将棋は、いろんな目的の人に役立つといいな。

ぼくは将棋の普及のために未来からやってきた。
道場や大会は人を通して将棋が指せる場所。
そして、ネット将棋もまた、人を通して将棋が指せる場所。
さらに、コンピュータとも将棋が指せる面白い場所。
物理的な距離の制約を受けないネット将棋。
世界中の多くの人たちと出会い、もっともっと楽しんでもらえるといいな。


駒zoneと私~ちょっと私的な清水らくは論

【「駒.zone」と私~ちょっと私的な清水らくは論】
                                      ぜいらむ

 「駒.zone」編集長・清水らくは氏から初めて「駒.zone」への参加を打診されたのは今となっては懐かしいVol.1企画「ツイッター三択将棋」でのことだった。記念すべき創刊号である。なぜ私に声をかけてくださったのかその真意は判らないけれど、いや何となくわかるけれど、いずれにせよそれはツイッターのとりなす不思議な縁であり、そしてあの時のらくはさんの「選択」がなければ恐らく今自分が見ているこの世界の風景は全く違ったものになっていただろうと思うと奇妙な感覚を味わったりもする。
 清水らくは氏は「駒.zone」創刊以前から既に、小説や詩を多数発表(投稿、入選歴あり)されていた。創作についての自身のエピソード、考え方、感じ方、これからの希望、夢、そういったことの諸々をツイッターを通して語る氏の言葉は、多くの人が目にされていたと思う。そう言えば「駒.zone」プロジェクトもツイッター上の何気ない一言から始まったのだった。
 やがて「駒.zone」が創刊され、多くの人の暖かい支援とらくは氏を初めとしたレギュラースタッフ陣のたゆまぬ努力の元、今に至るまで刊行されつづけている。将棋ファンとしての想いと文芸愛好家としての想い。それらが融合した素晴らしい活動だと思う。こういう将棋の楽しみ方があっただなんて……例えばプロ棋士の方々はこういう将棋ファンの在り様を想像したことがあっただろうかと、プロ棋士ツイッタラーのどなたかに尋ねてみたいと常々思っている。
 また「駒.zone」の旗揚げを決意されたらくはさんの行動力に敬礼したいとも常々思っているのだが、後者の方は遠慮することはなさそうなので、明日にでも熊本の方角に向かって敬礼しておくことにしよう。
 さて、そんな「将棋クラスタ文芸部の旗手」らくはさんのツイートを眺めていて「何だか、らくはさん楽しそうだなー」と思って「小説寄稿させてくださいな」と連絡したのが確か Vol.2公開直後だったと思う。だが私は、すぐにそのことを後悔するハメになった。公開直後すぐに後悔直後だった。
 ところで。
 私と「文芸」ということで言えば、中学生の時に「ミステリ研究会」的な何かしらをしていたことがあったのだが、これはミステリを読んで「殺人トリック」にハマった馬鹿数名が、ひたすら「完全犯罪トリック」を考え続けるだけの活動だった。ミステリ作品は読んでいたけれど「文芸活動」であったとはとても言えない。むしろ「犯罪活動」と言った方が分野的に近いと言える。ただしそのトリックを実行に移してはいないので警察が我々を逮捕することは出来ないだろう。
 というわけで(?)私が「駒.zone」に寄稿した小説はVol.3の「ツクモさん、指しすぎです」というものであったのだが、実は初めはミステリを寄稿するつもりだったし書き始めてもいたのである。
 絶対に発表しないつもりなのでここでプロットのネタばらしをしてしまうと、それは――。
「将●連●会●が●●の●●で殺害された。警察の捜査は難航しやがて自殺説まで浮上する。会●の死に不審を抱いたミステリファンの新四段・江戸川垂歩(仮名)はその謎に挑み、やがて『真犯人は●流棋士全員による共謀』という驚愕の真実に突きあたる……というのが実はミス・リードで江戸川垂歩(仮名)は単なるアホ。事件の真相に気付くもそのあまりに哀しい真実を前に、それを公表することにためらいを覚えた観戦記者・「団栗饂飩」記者(仮名)は、名人戦最終局の観戦記にメッセージ(暗号)を記すのだった……。
ちなみに真犯人は、江戸川垂歩四段(仮名)が●イ●タ●で●●ロ●している●●●●ーの●●●の●謀」
 というものだった。どうだ面白そうだろう?絶対発表しないけど。ていうかもう出来ないけれど。
 小説を寄稿しようと思った時に考えたこと、それは「ツイッターの将棋TLの雰囲気を何とか持ちこめないものか?」ということだった。元がツイッターでの呟きをきっかけにして始まった企画であるし、ここはひとつ「ネタは全部ツイッターから拾う」の精神で書いてみよう、と。
 結果的に妖怪うんちくだらけになってしまった。当たり前である。だって私のTLは7割方、妖怪やそれに類する話で溢れているのだから。あとガンダムとか。
 さて、小説を書き始めてみて初めて気がついたことがある。ちょっとだけ悩んだこと、後悔したこともあった。
 後悔したことは「これを寄稿することで、らくはさんに(もの凄く色んな意味で)迷惑が掛からないか」ということである。気の迷いで「寄稿します」だなんて言わなければ良かったと、これはかなり本気で後悔した。「駒.zone」というのは、将棋と文芸を楽しむためのプラットフォームなのであって、迷惑だとか何とかそんなことは気にせずに気軽に楽しめばいいと思うのだが、深夜に一人思索に耽っているとつい色々と余計なことが頭をよぎってしまう。小心者なのである。田沼泥鮒に「坐禅組んでみない?」と言われてしまいそうだ。
 ただ、編集者側の立場にたって言えば、一度「寄稿する」と言ったことを「やっぱり止めます」と言えばもっと迷惑を掛けることになりかねないので諦めることにした。好きなように書くからボツにしてくれと、そういう心境だった。まぁ結局は(ある意味)迷惑をかけることになってしまったわけであるが。
 気付いたこと、悩んだこと。それは「書かないという決断」についてだった。この場合の”書かない”とは「ツクモさんて6万字超えてたじゃん、書かない決断してないじゃん」的な文字数のことではなく、放送禁止用語がありすぎてこのままでは原稿が「ピー」だらけになってしまうぞ!とかそういうことではなく、遊園地で働いているアメリカ生まれのネズミのことには触れてはいけない、とかそういうことでもない。上手く表現できないのだけれど、私は小説というものを初めて書きながら、このステージの上では「言いたいこと」は書いてはいけないという気がしてきていた。「言いたいこと」があってはいけない気もしていた。素人が何を生意気な……と思われるかもしれないし、そしてそれは事実、生意気なことなのだと思うけれど、とにかく素人なりにそういうことを思ったのだった。
  でも「良かった」と思えたこともあった。
 物語世界を幻視すること(妄想ともいう)。その世界を文字によってデッサンすること。見えているけれど書かない世界。書かないけれど進行していく世界。その体験は現実世界においても「会ったこともないけれど、どこかにいる誰かの人生の物語」へと想いを馳せるきっかけになった。そういう「世界の見方」を、あの夏、私は体験したのだ。
 「物語を書く」という行為の後にフィルタリングされた視界の先にあった世界の風景は、だからとても新鮮だった。冒頭で書いた「あの時のらくはさんの「選択」がなければ、恐らく今自分が見ているこの世界の風景は全く違ったものになっていた」とは、そういうことだ。
 自分で書いてみて、その「デッサン」の粗さを痛感して「プロの作家さんは凄いなぁ……と心から思ったし、一方でこの「創作をする」という行為自体は、作家を目指すとかそういうことではなく、もっと気軽に「趣味」として成立するものなのかもしれないな、とも思ったのだった。これもまた、らくはさんの「選択」によって得られた得難い「気づき」である。
 だから「駒.zone」に興味を持った人がいたら、ジャンルや企画やレベルのことなど気にせず気軽に寄稿の相談をしてみたらいいと、そう思う。小説でも詩でも俳句でもイラストでも漫画でも、エッセイでも論考でも。将棋をテーマにした雑誌なのだから「俺様定跡」の発表でもいいじゃないかとも思う。
 何でもあり。何であってもいいはず。「駒.zone」にはそういう「場」としての良さがあると、そう思うのだ。
 その他、色々ある。寄稿に際しての、らくはさんとのメールのやり取りでも色々あった。
 色々あって。
 物語を書くことを通して自分を見つめ直して。
 見つめ直してみたらやっぱり自分は馬鹿だったということに気付き直しただけで。
 「ツクモさん」なんて特に何のテーマもない単なるお笑い小説だけれど、書いている本人の中では色々な(ちょっとカッコつけた言い方をすれば)哲学的思索が駆け巡っていて。
 だから多分、傍から見ればもの凄く気難しいというか、眉間に可愛く皺を寄せながらの執筆だったと思う。
 とまぁそんな、他人が見たらどうでもいいような、そしてしょうもない私の葛藤を知ってか知らずか、らくはさんは快く、優しく、幾多の指導・アドバイスをしてくださったのだった。
 そんなわけで。
 今ではらくはさんは、私にとって「部活の優しい先輩」という存在に近いかもしれない。
 ……いや違う。全っ然近くなかった。何しろ らくはさんときたら、ちゃんと「指導」をす
る人だったのだから。
 そもそも部活の先輩と言えば「サボってもキャプテンに怒られないお洒落な言い訳の仕方」とか「10年ぐらい前から我が校に存在する、プール裏の女子更衣室直通の壁の穴」とか「部室の屋根裏部屋に設置された司書のいないエロ本図書館」とか「数学教師がタバコの吸い殻をこっそり廃棄し続けた結果出来あがった、学校裏の山の茂みの中にある謎のアリ塚風モニュメント」とか「授業中に脈絡もなく政府批判を始める国語教師のアイツの正体は実はメン・イン・ブラック」といったような、とてもトリビアな知識だけを授けてくれる存在のはずである。
 私が在籍していたテニス部にはそんな先輩しかいなかった。そんな先輩にばっかり目を付けられていたとも言う。
 ちなみにその先輩は練習なんかちっともしないのに、誰よりも力強いサーブを打ち込み、誰よりも華麗なスマッシュを決め、誰よりも喧嘩が強くて、誰よりも可愛い男子にモテていた。 女子にモテていたかどうかまでは寡聞にして知らないが。天才だったのかもしれないし実家が富豪で庭にテニスコートがあって小さいころから英才教育を受けていたのかもしれないし、人知れず隠れて努力をしていたのかもしれない。人知れず、あのプール裏の空き地で素振りでもしていたのかもしれない。
 らくは氏も隠れた努力をたくさんしているのだろう。博士号を持ち大学講師として現場で教鞭もとっている氏は、講義の準備をし、自らの研究も行い、一方で各誌に詩を発表し小説の投稿をし将棋ウォーズで荒ぶり(多分)、将棋倶楽部24でらくは無双して(風の噂)、YouTubeで初音ミクの動画を天網恢恢疎にして漏らさぬほどチェックして(確かな推測)……そして「無責任」や「駒.zone」の編集をしつつ自らも作品を発表し続けている。すさまじいスケジュール消化っぷりであり、氏の時間管理スキルの高さが伺える。らくはさんの使っている手帳を見たい。ていうか欲しい。そして今「一週間の歌」の替え歌「らくはの一週間」がわたしの脳内でリピートし始めた。
 日曜日は将棋ウォーズをして、月曜日も将棋ウォーズをして。
 火曜日は将棋ウォーズをして、水曜日も将棋ウォーズをした。
 金曜日は採点もせず、土曜日は将棋ウォーズばかり。
 テュリャテュリャテュリャテュリャテュリャテュリャリャ

 いつ小説や詩を書いているのか全く謎だ。……そうか判ったぞ木曜日だなっ!
 というのはささやかな冗談であって、そもそも将棋ウォーズは1日3局までしか指せない(無料会員の場合)はずなのでそんなにやっていられない。推測するに、先輩は脳の働きを違う分野へと切り替えるスイッチが相当に高性能な方なのだと思う。たとえ将棋で悔しい負け方をしたとしても、数秒後には静かな笑みをたたえて教え子のレポートを採点している氏の姿が、隠しカメラの映像を映すモニターを見ているかのように鮮明に目に浮かぶ。鮮明すぎてちょっと怖い。
 おいおい、このカメラ性能が良すぎるぞ……って、うわ何をするヤメ(ry……
 ……ガシャン!……。 ……破壊された。隠しカメラが……。あれ高かったのに……。
 ともあれ。
 号を重ねながら少しずつ新しい挑戦を続ける「駒.zone」。将来的には「紙の駒.zone」で文フリへの進出を目指しているとも聞く。氏の人柄と志に惹かれ多くの同志が集まる「駒.zone」の今後の活躍と発展を願い、そして心から応援したい。したいじゃなくてする。応援する。熊本に向かって敬礼しながら応援する。頑張れらくは先輩と仲間たち。
 そして私も、らくはさんの足を引っ張らない程度にちょろっと、時々でいいから、気が向いたときにでも参加させていただければなー……なんてことを今は思っているのだった。

 2012年某月吉日、窓際で金魚を愛でながら

駒とおむすびとペンギン

  駒とおむすびとペンギン 将棋ファンを見る人のコラム
浮島

「将棋強迫神経症」


    ぼくのツイッタ―には多くの将棋ファンが生息している。
        世界の果てにある将棋の国に
            ガリバーがあわてふためいている。
        将棋ファンは「将棋のニュース」をリツイートをする。
                これは将棋の世界の朝食だ。

            みんなが朝を迎えるのに反して
                ぼくはだんだん眠たくなっていく。

        だれかが「リューオー」と叫ぶ。
                ぼくは「リューオー」と、言葉を口のなかでころがす。
        だれかが「リューオー」というたびに
                        ぼくは世界からはずれていく。



1.世界のはんぶんをくれてやろう おれはすべてをえるために 世界をおまえにうりはらおう

 将棋ファンって将棋ファン以外からはどうみられているか知りたい。
そんな変態的な要望を友人から受けた。
鏡に映った自分ですらなく、鏡に映った自分を見ている「自分」がどう見えるかが知りたいだなんてなかなかマニアックな嗜好をもっているものだ。
世間にはさまざま趣味をもった人がいる。
ぼくが常々友人に抱いている妙なもにゅゎあんという割り切れなさは、趣味を持った人を見る人のもにゅゎあんだ。


    ある時、家に帰ってきた夫が「鉄分たりてますかーーー!」とネクタイを脱いだ。
    わたしはネクタイをしまいながら、足の先にくるんとまるまった靴下を指差す。
    「ちゃんと靴下も脱いでよ。洗うんだから」
    「そんなことより鉄分だ! 鉄分なんだよ!」
    興奮する夫はしきりに鉄分だ!と叫びながらテレビのまえに腰をおろし、鉄道ファン向けの        DVDを再生する。
    そして前のめりに画面を見つめ、野菜スティックを醤油マヨにべたべたとひたしはじめた。
    鉄分欠乏症の夫を横目に、わたしも本日の業務を終了しないといけない。
    わたしはくしゃっとしてしまったネクタイを綺麗にしまった。
    彼の心もまたくしゃっとしていたのだろう。
    だからわたしは綺麗に、しわを伸ばしながら、ゆっくりといたわるように、それをしまった。



言ってしまえば「こんな感じ」なのだ。
どこか隔絶された世界であるのに共鳴を持って接したい気持ちになる。
将棋ファンに将棋分が必要なように文芸ファンにも文芸分が必要だということをどこかで理解しているからかもしれない。
一人が「リューオー」と叫ぶと、みんなが続けて「リューオー」と繋いでいく。
これを僕の趣味である詩文芸にあてはめると、谷川俊太郎を「タニー」と呼ぶようなものだ。
……ちょっと羨ましいかもしれない。
「タニー」といえば「タニー」と返す人のいる暖かさ、そんなものを感じるかもしれない。
けど「タニーとホムホムが好きな少女よ、わたしはあなたの肉体が好き」とも思うかもしれない。
いずれにせよ詩人も歌人も、こんなに親しい存在には不思議とならないのだ。
これはなんかちょっと悔しい。(マチちゃんと気軽に呼べない存在だってこの世にはいるのだ)
ぼくも田村隆一をリューオーと呼んでみようか。

「リューオーがインドで飲んだくれながら旅行記を書いたんだってさ」
「リューオーが西脇順三郎のことをコラムに書いておきながら、なぜか南の海で酒飲んでる内容なんだよ」
「リューオー名言BOT ウィスキーを水で割るように言葉を意味で割ってはいけない」

なんだか素敵になってきた。
どこかむずがゆいというか、かわいらしく思えてくる。
それでも竜王は強い。隆一も言葉が強い。
リューオーが負けそうになると「リューオー……」と淋しげに鳴く人がタイムラインにいた。
ぼくも北村太郎にリューオーの人気が負けそうになると「リューオー……」と鳴きたくなるのかもしれない。


手を伸ばせ午前6時の網フェンスの向こうへひとり隔たれた朝は(浮島)



2.あしながおじさんの足がふみつぶすもの

棋士にきゅんとくるお姉さん方も、ぼくから見るとどこか愛くるしいものがある。
「タイチさんの表紙が!! けしからん!」といった人が仮にいたとしよう。
なんかぼくにとってはそれがケーキ屋のガラスケースをまえに小首をかしげている人に見えてしまうのだ。
これは男性でも構わない。
どのケーキにしようか。

(ショートケーキ? いやいやモンブラン。秋だし……かぼちゃプリン? 生クリームののっかってる……。でも今日はお昼我慢したし、もうすこし高いのでも……)

触れ得難いものに恐る恐る手を伸ばす人は、男でも女でも関係なく、子どものように感じる。

そういった子らには満面の笑みを持って頭をくしゃくしゃしてやりたくなる。
けしからんと思う気持ちが加速して、まわりまわって残念な雰囲気になってくる。
街の灯の盲目の少女の前にチャップリンが現れるような展開をみんなが望んでいる。

「はやく助けてやれよ! チャップリン!」

これがレンタルビデオなら、思わず立ち上がって叫んでしまうだろう。
街の灯の内容は知っていても、チャップリンを急かしたくなる。

だってその映像をみているぼくは「チャップリン」でありたいと思う以前に、ケーキ屋で首をかしげる人間だからだ。
こんなえばったことを書いていても、ぼく自身がだれよりも子どもなのである。

それにしてもタイチさんのほっそりとした手。まっしろな砂糖菓子みたいだ。
銀河鉄道の夜では鳥の足がお菓子だった。タイチさんも氷砂糖みたいだ。
将棋の世界にも南十字星はあるのだろうか。
こんなに身近に将棋があふれているのに将棋自体にはさして面白さの確信が持てないぼくは、とっくにカンパネルラに取り残されている。


アキくんは朝日に溶けたひまわりをグラニュー糖でまぶしながら(浮島)




3.面白くなくもない恋人

「やうたん」とはいったい何者だろうか。
将棋ファンに囲まれてから、しばらくの間このことが頭をぐるぐるしていた。
やうたん。ヤウチさん。やうたん。女流。やうたん。やうたん。

一体何者なんだ――やうたん。

周りの人がやうたんのことになると目の色を変えるのである。

「やうたんハァハァ」
「やうたん可愛いよやうたん」
「やうたんに指導してもらいたい」

うーん、なんか違う。
もっと熱があるのだ。やうたんツイートには。

もしかしたらやうたんはケルト神話でいうところのリャナンシーみたいなものなのだろうか。
詩人はその霊的な直感をえるためにリャナンシーと恋仲にならないといけない。

そうでなければ詩のイメージが涸れてしまうのだ。
将棋ファンへある種の鮮烈なイメージをもたらす人なのかもしれない。

ああ、だったらぼくもやうたんを欲しなければ。
昨晩はごめんよやうたん。ぼくは詩を読まなかった。
勉強に忙しくてごめんよやうたん。最近はコマゾネの原稿も書かないといけないんだ。
やうたんごめん、ごめんやうたん。やうたん。

いくらなんでも無理がある。
こんなのはぼくの深遠にある日常であって、将棋ファンの日常であるはずがない。
さすがにぼくのプライベートにまでやうたんは責任を持てないだろう。
いやでもしかし……みんなのやうたん熱はもっと激しい。
それでもきっと? やうたんなら、やうたんならやってくれる……か?
そんな気もする。

ぼくたちの世界にはやうたんがあふれている。
でもぼく達は誰一人、やうたんを知らないのかもしれない。

やうたんって何者なんだ。
やうたんはヤウチさんなのか? どうもヤウチさん以上の何かの気がする。
ヤウチさんとやうたんの違いがぼくにはまだわからない。

            やうたんに飲み込まれていくある日のぼくのタイムライン。


「ひとつずつ月をあおぐとひとつずつわたしは崩れていなくなってしまう」(浮島)



4.孔明、泣いて自駒を斬ることに恍惚とす


つい最近、将棋ウォーズなる単語がタイムラインを沸かせた。
和訳すれば将棋戦争ということになる。
そんな意味を持っているにもかかわらず、みんな楽しそうに戦争をしている。
勉強や仕事をそっちのけで将棋という戦争に身を投じる彼ら。
……いいな。……楽しそうだな。
輝かしい家族のだんらんを冬の日の窓に見たマッチ売りの少女の気持ちがわかる気がする。

ネット上でもハム将棋というフラッシュがあって、ぼくもそいつで遊んだことはある。
棋力は駒を動かすことができるという程度だ。
だから将棋ウォーズに興味があっても気軽に戦争に行くことはできない。

以前コマゾネの企画で跳馬さんから教授をいただいた時では、かの邪知暴虐なるげっ歯類にぼこぼこにされた。
ついさっきまで味方だった飛車が、桂馬が、いつのまにかぼくを追い詰めている。
振るっていた力が奪われ、逆に自分に行使されている。
何もかも捨てて裸で逃げ出したい気分だ。
その不快感は筆舌に尽くしがたい。

戦争しようと町まででかけたら戦車を忘れて三輪車で突撃するサザエさんよりも――ずっと、ずっと! マヌケでみじめな気分になる! なんなんだこれは!

そんな気持ちを知っているからだろうか。
将棋ファンの人が将棋を指しているのを聞くとうらやましいな、と思ってしまう。
なんかこう……あたたかそうだ。
「磯野―! 戦争しようぜ―!」と将棋盤を気軽に広げる文化が身近にあるのだ。
ぼくなんかは下級兵士のそのまた下級みたいなもんだろう。
ドッグタグを首に下げたかどうか確認しているうちに死んでしまっている。
戦争を楽しむことすらできない。

相手に勝てばうれしいし、負ければ悔しい。
そんな単純な図式が、なんの違和感もなくすんなり当てはまってしまう世界だからかもしれない。
ぼくは将棋がおそろしい。

マッチ売りの少女は暖炉と温かい食事、やさしい父親母親のいる光景がだれよりも恐ろしかったんじゃないだろうか。
少女は、その家族の裏にあるものを知っている。


やさしさは肉感的でおそろしい今日の零時は無機質である(浮島)



5.「将棋の王様って結構優秀なんですよ。シャンチーの王様よりもすごい」
  「でも王様、ぼくは時折どこにもいけなくなっちゃいます」


将棋のイベントに出かけてみたいと思ったことがある。
おっかなびっくり将棋という文化に触れておきながら、いまだに足を踏み出していない自分とサヨナラしたかったのだ。
いまでは彼らは彼ら、自分は自分といった感じで、将棋文芸という特殊な環境に身を置いても開き直っている。
将棋だけでなく文芸もないと将棋文芸じゃないはずだ。
でも俺……ここにいていいのかな……。いまだに場違い感がすごい。

将棋のイベントのWEBページをのぞくとぼくが住んでいる近所でもわりとイベントが開催されていた。
子どもの将棋イベントなんかはすぐそばのショッピングモールで開催している。

……け、見学とかしても大丈夫なのかな。

くらくらと引き寄せられるようなタッチで手帳をひらく。
予定はない。けれど子どものイベントに大人が見学しに行っていいものだろうか。

……子どもの運動会をのぞいていた大人が通報されるといったことも巷ではあるそうだが、ぼくも通報されてしまうんじゃないだろうか。

ぼくはロリコンじゃないし、ショタコンでもない。
むしろコンプレックスは将棋そのものだ!
……ならなぜ見学に行くのだろう。うまく説明できそうにない。

いきなり息が苦しくなる。こうなるともはや強迫的な病性を帯び始める。

「貴方は一体何しに来たの?」 聞かれたらどうしよう。

将棋好きなひとと話すのが好きです! だれがそんなことを信じるだろう。
ぼくのような臆病者には、将棋コミュという川のへだたりはなかなかに越え難い。

コンビニが込み合っているときに「あんまん」を買う時の緊張に似ている。
のろのろとあんまんを取り出す店員。
タイミング悪く温まってしまうぼくの前のお客さんの弁当。
時計を確認しはじめる背後の人たち。

自分以外の人と、自分。

世界ぜんぶがただそれだけの二元論になってしまう。
まわりが将棋の話題をしているなかで、ぼくはあんまんを食べるのだ。
みんなは「指し筋は」とか「さっきの手は」「長考ですね……」とか喋ってる。
ひとりで「これはゴマの香りですね」とか「甘みのレヴェルは」とか格好つけて言ってみたところでどうにもならない。
世の中には110円で買える孤独もある。
安すぎるぞ! 孤独!

それでもそこに「なにか楽しそうなもの」があるのはわかるのだ。
将棋漫画を読んで、将棋のおもしろニュースを見て、カツラが宙を舞うのを笑い、パンチパーマが盤をねめつける視線に驚嘆する。
それは「なにか面白そうなもの」の感覚を起点にうまれているのだ。
誰もがみな「面白そうなものがある場所」を盛り上げようと頑張っている。
いろんな人にいろんな形で発信している将棋文化……それでもやっぱりおいしいのは具の部分なのかもしれない。
将棋の王様は大抵はなんでもできる。上にも下にも左にも右にも行ける。
八方美人な彼はいろんな分野の人間を魅了しつつも、その本質を探らせない。


将棋の王様のなかにはゴマ風味のあつあつアンコが詰まっている。


羨望は肺よりふかくポリ袋をごらんよあれがキミの翼だ(浮島)



6.「駒とおむすびとペンギンをつかってニコニコ動画の自転車動画みたいなのをやってみよう」

世の中には斜め上を行く人がいる。
角道を行くのだ。
逆に斜め下を行く人もいる。
それも角道だが、それは思いがけない逃げ道を己に与える人だ。

編集長がある日ぼくにこう尋ねたことがある。

「駒とおむすびと……えっこれ将棋なの?」

将棋なんだ。ぼくのなかでは「これだけわけがわからないもの」が将棋なんだ。
でも「将棋とおむすびと駒の擬人化ってなんか面白いなー」って思っちゃったんだから仕方ない。
ぼくは将棋が苦手だが、将棋の駒は好きなのだ。

角とはなにか。
それは斜めの存在だ。
おむすびにだって斜めはある。
おむすび自体が料理なのに、おむすびを料理することもある。
それは焼きおむすびだ。

味付けは味噌がよろしい。
おろししょうがを少しあえて、小ぶりに握った飯の表面にこすって……焼く。

自宅で調理する際はトースターで十分だろう。
まずは握っただけの白いおむすびを3分ほど焼いて乾かす。
味噌は焦げやすい。飯よりもはやく焦げるからだ。
乾いてから味噌をひょうめんに塗り、トースターで恐る恐る焼いていく。

のんびりのんびり、小まめにひっくり返しながら焼く。
すると味噌の乾くいい匂いがたちのぼってくる。
あともう少しの辛抱だ。
飯の表面が狐色に色づくまでじっくりと焼く。

できあがったら熱い煎茶とともに食う。
おむすびは「いただく」というより「食う」ものなんじゃないだろうか。

そしてここで焼かれた味噌はとてもとても香味豊かなものだ。

常々思うのだが、将棋を楽しむための料理があってもいいと思う。
サンドイッチ伯爵はサンドイッチという名料理を発明したが、将棋にはそれに類するものがおそらくないのではないだろうか。
鍋は差し向かいで食うのがオツだ。
将棋も差し向かいで一局やるのもオツなんじゃないか?

自分たちの好きな駒になぞらえて、いろんなおむすびを作る。
焼きおむすびを作るみたいにのんびり構えてもいいんじゃないだろうか。

そんな対局だったら、ぼくにも楽しめるのかもしれない。
角は思いがけない発想の駒だ。


年の瀬は吐く息ばかりつめたくて炭酸水におぼれ死ぬペンギン(浮島 題詠:ペンギン)

喚けよ 《これは宝石だ》って手のシトロン水を空へまく女(浮島 象徴詠:角)




 手首の力が半端ない角ちゃん



次回予告

あらゆる賞を独走する最強のお嬢様がついに本誌に登場!



「うー……なんだかたまーにイヂワルなんだよね」(PN ボク、佐藤紳哉六段を応援してるよ!! さんより)
元気に走り回るボクっ娘をイヂメルお嬢様ランキング 第一位!!

「か、かけっこだったら負けないのにっ!!」(PN 飛び出すなアタシは急にとまれない さんより)
だしぬけに背後から息を吹きかけてくるドSお嬢様賞 2年連続受賞!!

「……怒らせると……怖い……」(PN 漆黒の闇に堕とされし斜陽に生きる青鴉の慟哭 さんより)
中二病患者を精神的に追い詰めるお嬢様グランプリ 優勝!!!!

「……破廉恥ですッッッ!!!!」(PN Ag+ さんより)
艶やかで黄金のお嬢様は素敵に無敵ランキング 独占首位!!!!
というわけで次号は金おぜうさまです。

イラスト 若葉


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