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どうぶつ化するポスト将棋

どうぶつ化するポスト将棋

清水らくは

 

 将棋が流行していると言ってもそれは「増加傾向にある」と言った意味で、やはり知らない人にとってはまだまだ未知のゲームのままである。たとえばメジャーなスポーツは、ニュースで結果が流れたりする。しかし将棋はボードゲームとしてはメジャーなほうだろうが、その結果が報じられることは滅多にない。また、たまたまテレビで将棋の対局を見かけたとしても、多くの人は「へー、将棋か」で終わってしまうだろう。ルールがわからなければ、ほとんどなにをしているかわからない。スポーツは、初めて見た人でもしばらくするとどういう競技かわかってくるものが大半なのである。

 その壁を乗り越えるため、ルール自体が異なる将棋が開発されてきた。マス目と駒を減らす、というのが主なものである。将棋の難しさは、その駒の多さにある。例えばRPGゲームで主人公パーティが最初から8種類のジョブによる20人だったとしたら、相当プレイヤーを選ぶだろう。どのような戦術をとればいいかを考える前に、ジョブの特性を覚える段階で面倒になってしまうかもしれない。そこで序盤では選べるジョブとパーティの人数を減らし、プレイヤーをゲームに慣らしていくのが優しいゲーム製作者側のとる手段である。

 さらに将棋は、見た目の固さというハンデもある。木の駒に漢字、これは厳かですらある。かっこいい、と感じることもあるのだが、世の中かわいいの方が流行る時代である。そこで見た目をかわいくしよう、という動きもある。動物をモチーフにしたものが最も流行しており、動物の駒の方に慣れているという人も増えたのではないか。また、ネット上で対戦できるソフトでも、相手が動物のキャラクターであるものが有名である。弱めに設定してあるそのソフトは、対局中の様子もやはり動物的である。動物を相手にすることにより、人間同士で行う時のような緊張感から解放されるという効果が考えられる。

 複雑で奥が深い将棋を、あえて簡単に、見た目もかわいいものにしていくのは言うならば「将棋の動物化」ではないか。ここではあえて「どうぶつ化」とした方がニュアンスが伝わりやすいか。どうぶつ化されることにより多くの人が接するようになり、何割かの人はそこから「人間的な」将棋に興味を持っていく。新たなルートを作ったいう意味で、どうぶつ化された将棋の果たしている意義は大きい。

 そして、どうぶつ化は別のところでも起こっている。ネット対戦である。こちらのどうぶつ化は、見た目ではなくゲーム性そのもののどうぶつ化と言える。

 将棋には様々な要素があり、例えば駒を箱から取り出し、並べていく中にも作法があったりする。どちらが王将で玉将か、駒をどちらが振るかも対局前の大事な作業である。しかし、ネット対局にはそれが無い。対局相手が決まると、駒は並べ終わっており、先後も決まっている。チャット欄であいさつを交わすことなどができるが、それもボタン一つで「よろしくお願いします」「ありがとうございました」が入力されたりと随分簡略化されている。

 ネット対戦に慣れることにより、将棋が本来持っていたゲームのルールに含まれない部分が失われた、と考えることもできる。いわばわれわれが将棋に対して抱く美的な部分が、ネット対戦では喪失されていても問題とされないのである。この美的な部分こそが人間的である、とは言えないか。高等な知能を持つ動物でもロボットでも、美的部分をこなすことはできるかもしれない。しかしそれは美的であるが故ではない。あくまでそれすらルールとしてインプットされた場合においてのみ、美しい部分は実践される。

 ネット対戦と対面の対戦は、ルールが同じでありながら別の行為がなされるものとなっている。そこでは駒の置き方や駒音も均一化され、相手の顔も見られない。対面ならば勝負に影響するような要素の多くが省かれており、二つはもはや別のゲームと言えるほどである。

 そしてさらに、将棋の本質にまで切り込む形式で登場したのが将棋ウォーズ(ホームページはこちら)である。スマートフォンなどで遊べるこのアプリは、挨拶機能など全くなし、対戦相手は自動で決まり、さらには見知らぬおじさんに合図され10分切れ負け将棋が突然始まる。対戦相手の中にはソフトも混じっており、中にはひたすら玉が突進してくる不穏なロボットもいる。そして何よりすごいのは、「棋神降臨」と称して合法的に五手の間ソフト指しができるのだ。

 既存の将棋を知っている者にとって、様々な衝撃が含まれているこのアプリ、ネット上の反応はかなり良いと感じている。礼儀も何もあったものではないが、「そういうもの」として人々は楽しんでいる。そして戦法や囲いのカードを集める、その日の対局結果が順位として表示されるなど、新しい要素が中毒症状を誘引してやまないのだ。

 将棋ウォーズは将棋の人間的な部分をあっさりと切り捨て、どんどんと別の要素を付加してきた。特に新しく導入された3分切れ負けの弾丸ルールは、勝敗のあり方すらも変化させてしまうものだった。対局の多くは時間切れで決まるため、「局面の有利さは有利さの一つでしかない」状況になっている。終盤になりお互いの持ち時間が少なくなってくると、これまでの将棋では考えたこともなかったようなことが重要になってくる。例えば自玉が必至で時間は自分の方が余っている場合、「相手にかけられる王手の数+自玉が詰まされる手数」を瞬時に判断し、相手を時間切れに追い込む試みが始まる。単純に詰まされるまでの時間稼ぎではいけない。たとえば「現状五手詰みだが飛車を渡せば一手詰み」のような場合、相手に飛車を渡す王手は損になる場合がある。その飛車で受けることにより「必至だが詰みの手数が長くなる」場合、そちらが正解かもしれないのだ。ただし、考え過ぎると自分の時間が減ってしまう。「限られた時間の中で、お互いが手抜けない手数について計算する」という、おそらくプロがほとんど考えない領域に私たちは投げ込まれているのである。

 そこにさらにトライルールが採用された。これは、「自玉が相手玉の最初居た場所に行けば勝ち」というもので、持将棋などのトラブルを避けるためのルールである。慣れていないため、温泉気分でいたところ玉単騎で突進されて負け、ということを私は何度か経験した。さらに棋神を使用したところ自玉の難しい詰みを読んだために受けてしまい、トライの方は防ごうとせずに負けたこともある。実際の詰み、時間、トライ、(さらには通信切れ)これらいくつもの要素が勝負を決めるという、「将棋を全く異なるものにした」のが将棋ウォーズなのだ。

 一面では、新しい形に進化させた、より人間の英知が練り込まれたとみることもできるだろう。しかし他方、将棋そのものは最低限のルールだけが採用され、将棋以外のものを付加していったのであって、将棋そのものはどうぶつ化している、と見ることもできる。また付加され要素により、戦法や囲いのカードを集めるために勝敗は二の次にさせる、勝率や順位を気にするあまり対局がやめられなくなる、といった「人間らしい理性を喪失させる」ような現象も見られる。

 私たちは、将棋に対して様々なものを求めている。礼儀作法や精神力が鍛えられると言った効果を求め、逆にそれらが備わっていないと将棋に向いていないと判定されたりする。しかし、実はそれは将棋そのものではなく、「将棋道」について語っているのではないか。高校球児の多くが坊主頭であるのに、プロ野球選手も草野球をする人もほとんどそうではないということがある。高校球児たちは、野球とは別に、野球道も受け入れ坊主にしている。それは彼らが自主的に選んでいるのだ。しかし野球を楽しむのに野球道を経由する必要はない。将棋も似たようなところがあるが、参加者が気付かずに将棋道に参加している、という特徴がある。私たちはこれまで、将棋と将棋道を無意識のうちに近づけすぎていたのではないだろうか。それがどうぶつ化により、将棋本来の楽しみ方が「再発見」されたのではないか。

 将棋道を学ぶことで得られるものは多い。しかし、将棋道が弾き出すもの、拒むものの影響も大きい。将棋ウォーズなどの登場により将棋と将棋道は分離し、将棋には様々な新しい装いを加えられることがわかった。いや、私たちはそのことを以前から知っていたはずだ。はさみ将棋やまわり将棋から駒に触れてもらったり、王手将棋やトランプ将棋といった変則将棋で楽しむことがある。しかしどこかで、将棋道をたっとび、そこにゴールを定めていたのではないか。アマチュアからプロへと延びる一直線の道の上にこそ将棋の本質はあり、そこから外れることは邪道であるというような、そんな意識はなかったか。

 将棋は今やただ観ることを楽しむ人も増え、必然的に変革の時を迎えている。道としての将棋も、当然美しく尊いものである。しかし将棋の楽しみ方は多様であってよいのだ。ひたすら勝ちを目指すのも、将棋の楽しみ方としては間違っていない。ただし知らない他者と対面するときは、当然守るべき礼儀が発生し、お互いが気持ちよく時間が過ごせるよう努力する必要がある。どうぶつ化された新しい将棋は、ネット空間の中に治外法権を築いた。礼儀が必要とされない代わり、悪意ある無礼な行為をする隙もない。そのような中で、私たちは存分に個人的な目標を追い求めることが許されるのである。

 私たちはどうしても、新しいものの出現に戸惑い、それを認めた後も「本流に役立てるにはどうしたらいいか」を考えてしまう。将棋ウォーズなどで将棋に興味を持った人々を、われわれが慣れ親しんだ本将棋に導くには、と思ってしまうのだ。もちろんそのことも大事だが、新しいものは新しいもの独自の可能性がある、ということも知るべきである。例えばネット上で「弾丸ルールタイトル戦」などができれば、それまでアマチュア大会に興味がなかった人も参加してみるのではないか。また、普通の大会では活躍できない人も、弾丸ルールの大会では勝ちまくってタイトルに手が届くかもしれない。「切れ勝ちの達人」「トライ王」が生まれることだってあるだろう。新しくできた幹が、ぐんぐんと枝葉を伸ばしていくことも大事なのである。

 今後将棋が広く一般に受け入れられていくためには、様々な可能性が模索されなければならないだろう。その中でどうぶつ化された新しい将棋のあり方は、大きなヒントを与えてくれている。人間らしく美しい、格調高い将棋道も必要だが、私たちは時に人間らしさから解放されてもいいのだ。そしてそれを受け入れがたい感情もまた、新しい発見へとつながるだろう。私たちがより人間らしい将棋道を必要とするのならば、その本流をどう守り広めていくかに悩まなければならない。枝葉の茂みに嫉妬せず、幹が幹としての自負を持つのならば、ゆっくりとでも元々の将棋も太く長く繁栄していくだろう。最もいけないのは、過剰に枝葉から栄養を奪い取ろうとすることである。葉が落ち枝が枯れれば、どれだけ立派な幹も成長することができない。

 偶然か必然か、ポスト将棋とも言うべきゲームは非常に成功している。また将棋の楽しみ方自体も非常に多様化している。将棋界の未来は、明るくなる確率がとても高いと思うのである。



Special Thanks みなみん@将棋ウォーズ(@warsminamin)様


作者紹介

清水らくは

詩人・倫理学者。短歌も少々。2011年『詩と思想』読者投欄稿年間最優秀作。最近ちょくちょく詩人としての仕事もあるのですが、締切が決められると焦ることがわかりました。焦ったわりに一か月前に仕上げ、封筒に入れたまま一週間ほど寝かせるという謎行為をしています。

浮島

コラムというよりブログ文章になってしまいました。頭の悪い文章になってます。
「ねえスナフキン、文才ってなんだい?」
「きみがもっていないものだよ」
それと最近、名前を変えました。浮島です。
相変わらず好き勝手に短歌や詩やらで遊んでます。
おまえも蝋人形にしてやろうか

まるぺけ

今回も表紙とイラスト担当のまるぺけです。表紙遠景のもとみちゃんがギャグ調なのは手抜きじゃないよ。ないったら。月萌さんについては、今回色んなキャラクターを描けて満足しております。懸くんを描いたので次回は表紙に辻村くんを登場させなければと燃えております…!

贅楽夢

子どもの頃、浜辺で「首をくくれ」という声を聴いたことがあります。「くくる」という言葉の意味が判らず、ただぼーっとしていると通りすがりの女の子に声をかけられて、そこでハッと我にかえったのですが、私はその時すでに海に入り込んでしまっていて波は胸の高さにまで届いていました。そう言えば、膝小僧に白い布切れが絡み付いていた記憶もあります。
あの子は今どうしているのでしょう?Facebookで「異業種交流会で人脈を広げ新たなイノベーションを創出しよう」とか言ってる意識の高い人になってたりするんでしょうか?……刻の流れは美しく、そして残酷なものですね。ということで「ツクモさん」続編でした。執筆に際してご支援いただいた多くの皆様にこの場を借りて厚く御礼申し上げます。

ジェームズ・千駄ヶ谷

前作『Life is lovely』の続編を書かせていただきました。ジェームズです。
最近、猫を飼いたくて仕方ありません。実現する予定は全く無いのですが、詳細については既に固まっていて、メインクーンという長毛種の猫にするつもりです。それも、なるべく巨大化するヤツに。ところで、成長してデカくなる猫を選ぶポイントは手足の大きさらしいのですが、どうやって見極めたら良いのでしょう?子猫の手足について気になって仕方ない今日この頃です。

會場健大

詰将棋作家見習い。将棋世界誌に入選3回(うち月間優秀作1回)、詰将棋パラダイス誌に入選10回。第六回Tsumeshogi Theme Tourney課題Aにて優秀作。詰将棋解答選手権初級戦2010、2012全国一位。同一般戦2012全国12位。2013年1月より詰将棋パラダイス誌のコーナー「詰将棋デパート」担当。

皐倫藍那

(…きこえますか…今…あなたの…心に…直接…呼びかけています…前回「チェ的」が休載されました。今後の存続も危ぶまれています。…ぶっちゃけ一人でチェスの記事を書くのはツライです。貧乏もツライのですがそっちは慣れました。あなたは…お風呂に入っている…場合では…ありません…いいですか…原稿です…駒zoneの原稿を書くのです…)
という月子さんの声が聴こえた気がしたので寄稿してしまいました。少しでもチェスの楽しさを知ってもらえたら嬉しいなぁ……と思いながら書いたのですが、方向性を色々と間違えていたかもしれません。
さて、今回の問題は19世紀のチェスプレイヤー、サーベドラが実戦の一変化として紹介したものが元ネタとなっているのですが、如何でしたでしょうか。月子さん、解けましたか? ていうか考えてみましたか?

ふりごま

「道場編」「大会編」に続いて「ネット編」を書きました。
この3部作をもって、このシリーズは完結です。
ぽふぽふというキャラを活かしきれていない点は反省材料として心にしまっておきます。
ご愛読、ありがとうございました!

若葉

趣味に走りました。




編集後記

 皆様お久しぶりです、編集長の清水らくはです。
 今号も多くの方にご参加いただけて大変うれしいです。
 始めた頃は私と浮島さんでどうやってコンテンツを増やすか相談していたものですが、今ではいただいたものだけで何万字にもなるので、自分たちの作品が埋もれてしまわないか心配するほどになりました。
 ただ、これだけのものを無料で公開することには、やはり苦悩もあります。良質な作品には対価が支払われる、そのような認識を維持することは創作に関わるものの使命でもあると感じるからです。
 フリー雑誌を入り口として文芸に興味を持った方が、売っている作品を買うようになる、今のところそうなれば一番幸せかな、と思っています。皆様、アマチュアの作ったものであっても、いいと思うものがあれば買ってあげてください!

 ……とここまで書いてしまうと手前味噌になってしまいますが、今年はいろいろと「売ってみよう」と思っています。そのうちの一つが、『紙の駒.zone』製作です。電子書籍は大変便利なのですが、やはり紙の本にも独自の魅力があります。また、物としての本を売買することを通して、人と人が交流するというのも大事だと思います。
 というわけで、今年4月14日大阪で催される「第十六回文学フリマ」で本を出したいと思っています。
 この本はナンバーに含まれない特別号で、三月初旬を締切に皆さまから原稿を募集したいと思います。「駒損」をテーマとした作品で、字数は4000字まで。小説・詩・短歌・エッセイなど、何でもOKです。興味のある方は是非一度ご連絡ください。
 次号の『駒.zone vol.7』は七月ごろ発表を目指します。こちらはテーマ・文字数ともに自由です。引き続き、電子版にもご寄稿よろしくお願いいたします。

 他にもいろいろと挑戦していく年にしようと思っています。皆様、今後ともよろしくお願いいたします!



駒.zone編集部
編集長 清水らくは @rakuha
広報 金本月子 @tsukiko_sann
営業 皆川許心 @MinagawaMotomi

無責任.zone

奥付



駒.zone vol.6


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著者 : 清水らくは他
著者プロフィール:http://p.booklog.jp/users/rakuuha/profile

編集 : 駒.zone編集部
出版 : 無責任.zone

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