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駒とおむすびとペンギン

駒とおむすびとペンギン

  駒とおむすびとペンギン 将棋ファンを見る人のコラム
浮島

「将棋強迫神経症」


    ぼくのツイッタ―には多くの将棋ファンが生息している。
        世界の果てにある将棋の国に
            ガリバーがあわてふためいている。
        将棋ファンは「将棋のニュース」をリツイートをする。
                これは将棋の世界の朝食だ。

            みんなが朝を迎えるのに反して
                ぼくはだんだん眠たくなっていく。

        だれかが「リューオー」と叫ぶ。
                ぼくは「リューオー」と、言葉を口のなかでころがす。
        だれかが「リューオー」というたびに
                        ぼくは世界からはずれていく。



1.世界のはんぶんをくれてやろう おれはすべてをえるために 世界をおまえにうりはらおう

 将棋ファンって将棋ファン以外からはどうみられているか知りたい。
そんな変態的な要望を友人から受けた。
鏡に映った自分ですらなく、鏡に映った自分を見ている「自分」がどう見えるかが知りたいだなんてなかなかマニアックな嗜好をもっているものだ。
世間にはさまざま趣味をもった人がいる。
ぼくが常々友人に抱いている妙なもにゅゎあんという割り切れなさは、趣味を持った人を見る人のもにゅゎあんだ。


    ある時、家に帰ってきた夫が「鉄分たりてますかーーー!」とネクタイを脱いだ。
    わたしはネクタイをしまいながら、足の先にくるんとまるまった靴下を指差す。
    「ちゃんと靴下も脱いでよ。洗うんだから」
    「そんなことより鉄分だ! 鉄分なんだよ!」
    興奮する夫はしきりに鉄分だ!と叫びながらテレビのまえに腰をおろし、鉄道ファン向けの        DVDを再生する。
    そして前のめりに画面を見つめ、野菜スティックを醤油マヨにべたべたとひたしはじめた。
    鉄分欠乏症の夫を横目に、わたしも本日の業務を終了しないといけない。
    わたしはくしゃっとしてしまったネクタイを綺麗にしまった。
    彼の心もまたくしゃっとしていたのだろう。
    だからわたしは綺麗に、しわを伸ばしながら、ゆっくりといたわるように、それをしまった。



言ってしまえば「こんな感じ」なのだ。
どこか隔絶された世界であるのに共鳴を持って接したい気持ちになる。
将棋ファンに将棋分が必要なように文芸ファンにも文芸分が必要だということをどこかで理解しているからかもしれない。
一人が「リューオー」と叫ぶと、みんなが続けて「リューオー」と繋いでいく。
これを僕の趣味である詩文芸にあてはめると、谷川俊太郎を「タニー」と呼ぶようなものだ。
……ちょっと羨ましいかもしれない。
「タニー」といえば「タニー」と返す人のいる暖かさ、そんなものを感じるかもしれない。
けど「タニーとホムホムが好きな少女よ、わたしはあなたの肉体が好き」とも思うかもしれない。
いずれにせよ詩人も歌人も、こんなに親しい存在には不思議とならないのだ。
これはなんかちょっと悔しい。(マチちゃんと気軽に呼べない存在だってこの世にはいるのだ)
ぼくも田村隆一をリューオーと呼んでみようか。

「リューオーがインドで飲んだくれながら旅行記を書いたんだってさ」
「リューオーが西脇順三郎のことをコラムに書いておきながら、なぜか南の海で酒飲んでる内容なんだよ」
「リューオー名言BOT ウィスキーを水で割るように言葉を意味で割ってはいけない」

なんだか素敵になってきた。
どこかむずがゆいというか、かわいらしく思えてくる。
それでも竜王は強い。隆一も言葉が強い。
リューオーが負けそうになると「リューオー……」と淋しげに鳴く人がタイムラインにいた。
ぼくも北村太郎にリューオーの人気が負けそうになると「リューオー……」と鳴きたくなるのかもしれない。


手を伸ばせ午前6時の網フェンスの向こうへひとり隔たれた朝は(浮島)



2.あしながおじさんの足がふみつぶすもの

棋士にきゅんとくるお姉さん方も、ぼくから見るとどこか愛くるしいものがある。
「タイチさんの表紙が!! けしからん!」といった人が仮にいたとしよう。
なんかぼくにとってはそれがケーキ屋のガラスケースをまえに小首をかしげている人に見えてしまうのだ。
これは男性でも構わない。
どのケーキにしようか。

(ショートケーキ? いやいやモンブラン。秋だし……かぼちゃプリン? 生クリームののっかってる……。でも今日はお昼我慢したし、もうすこし高いのでも……)

触れ得難いものに恐る恐る手を伸ばす人は、男でも女でも関係なく、子どものように感じる。

そういった子らには満面の笑みを持って頭をくしゃくしゃしてやりたくなる。
けしからんと思う気持ちが加速して、まわりまわって残念な雰囲気になってくる。
街の灯の盲目の少女の前にチャップリンが現れるような展開をみんなが望んでいる。

「はやく助けてやれよ! チャップリン!」

これがレンタルビデオなら、思わず立ち上がって叫んでしまうだろう。
街の灯の内容は知っていても、チャップリンを急かしたくなる。

だってその映像をみているぼくは「チャップリン」でありたいと思う以前に、ケーキ屋で首をかしげる人間だからだ。
こんなえばったことを書いていても、ぼく自身がだれよりも子どもなのである。

それにしてもタイチさんのほっそりとした手。まっしろな砂糖菓子みたいだ。
銀河鉄道の夜では鳥の足がお菓子だった。タイチさんも氷砂糖みたいだ。
将棋の世界にも南十字星はあるのだろうか。
こんなに身近に将棋があふれているのに将棋自体にはさして面白さの確信が持てないぼくは、とっくにカンパネルラに取り残されている。


アキくんは朝日に溶けたひまわりをグラニュー糖でまぶしながら(浮島)




3.面白くなくもない恋人

「やうたん」とはいったい何者だろうか。
将棋ファンに囲まれてから、しばらくの間このことが頭をぐるぐるしていた。
やうたん。ヤウチさん。やうたん。女流。やうたん。やうたん。

一体何者なんだ――やうたん。

周りの人がやうたんのことになると目の色を変えるのである。

「やうたんハァハァ」
「やうたん可愛いよやうたん」
「やうたんに指導してもらいたい」

うーん、なんか違う。
もっと熱があるのだ。やうたんツイートには。

もしかしたらやうたんはケルト神話でいうところのリャナンシーみたいなものなのだろうか。
詩人はその霊的な直感をえるためにリャナンシーと恋仲にならないといけない。

そうでなければ詩のイメージが涸れてしまうのだ。
将棋ファンへある種の鮮烈なイメージをもたらす人なのかもしれない。

ああ、だったらぼくもやうたんを欲しなければ。
昨晩はごめんよやうたん。ぼくは詩を読まなかった。
勉強に忙しくてごめんよやうたん。最近はコマゾネの原稿も書かないといけないんだ。
やうたんごめん、ごめんやうたん。やうたん。

いくらなんでも無理がある。
こんなのはぼくの深遠にある日常であって、将棋ファンの日常であるはずがない。
さすがにぼくのプライベートにまでやうたんは責任を持てないだろう。
いやでもしかし……みんなのやうたん熱はもっと激しい。
それでもきっと? やうたんなら、やうたんならやってくれる……か?
そんな気もする。

ぼくたちの世界にはやうたんがあふれている。
でもぼく達は誰一人、やうたんを知らないのかもしれない。

やうたんって何者なんだ。
やうたんはヤウチさんなのか? どうもヤウチさん以上の何かの気がする。
ヤウチさんとやうたんの違いがぼくにはまだわからない。

            やうたんに飲み込まれていくある日のぼくのタイムライン。


「ひとつずつ月をあおぐとひとつずつわたしは崩れていなくなってしまう」(浮島)



4.孔明、泣いて自駒を斬ることに恍惚とす


つい最近、将棋ウォーズなる単語がタイムラインを沸かせた。
和訳すれば将棋戦争ということになる。
そんな意味を持っているにもかかわらず、みんな楽しそうに戦争をしている。
勉強や仕事をそっちのけで将棋という戦争に身を投じる彼ら。
……いいな。……楽しそうだな。
輝かしい家族のだんらんを冬の日の窓に見たマッチ売りの少女の気持ちがわかる気がする。

ネット上でもハム将棋というフラッシュがあって、ぼくもそいつで遊んだことはある。
棋力は駒を動かすことができるという程度だ。
だから将棋ウォーズに興味があっても気軽に戦争に行くことはできない。

以前コマゾネの企画で跳馬さんから教授をいただいた時では、かの邪知暴虐なるげっ歯類にぼこぼこにされた。
ついさっきまで味方だった飛車が、桂馬が、いつのまにかぼくを追い詰めている。
振るっていた力が奪われ、逆に自分に行使されている。
何もかも捨てて裸で逃げ出したい気分だ。
その不快感は筆舌に尽くしがたい。

戦争しようと町まででかけたら戦車を忘れて三輪車で突撃するサザエさんよりも――ずっと、ずっと! マヌケでみじめな気分になる! なんなんだこれは!

そんな気持ちを知っているからだろうか。
将棋ファンの人が将棋を指しているのを聞くとうらやましいな、と思ってしまう。
なんかこう……あたたかそうだ。
「磯野―! 戦争しようぜ―!」と将棋盤を気軽に広げる文化が身近にあるのだ。
ぼくなんかは下級兵士のそのまた下級みたいなもんだろう。
ドッグタグを首に下げたかどうか確認しているうちに死んでしまっている。
戦争を楽しむことすらできない。

相手に勝てばうれしいし、負ければ悔しい。
そんな単純な図式が、なんの違和感もなくすんなり当てはまってしまう世界だからかもしれない。
ぼくは将棋がおそろしい。

マッチ売りの少女は暖炉と温かい食事、やさしい父親母親のいる光景がだれよりも恐ろしかったんじゃないだろうか。
少女は、その家族の裏にあるものを知っている。


やさしさは肉感的でおそろしい今日の零時は無機質である(浮島)



5.「将棋の王様って結構優秀なんですよ。シャンチーの王様よりもすごい」
  「でも王様、ぼくは時折どこにもいけなくなっちゃいます」


将棋のイベントに出かけてみたいと思ったことがある。
おっかなびっくり将棋という文化に触れておきながら、いまだに足を踏み出していない自分とサヨナラしたかったのだ。
いまでは彼らは彼ら、自分は自分といった感じで、将棋文芸という特殊な環境に身を置いても開き直っている。
将棋だけでなく文芸もないと将棋文芸じゃないはずだ。
でも俺……ここにいていいのかな……。いまだに場違い感がすごい。

将棋のイベントのWEBページをのぞくとぼくが住んでいる近所でもわりとイベントが開催されていた。
子どもの将棋イベントなんかはすぐそばのショッピングモールで開催している。

……け、見学とかしても大丈夫なのかな。

くらくらと引き寄せられるようなタッチで手帳をひらく。
予定はない。けれど子どものイベントに大人が見学しに行っていいものだろうか。

……子どもの運動会をのぞいていた大人が通報されるといったことも巷ではあるそうだが、ぼくも通報されてしまうんじゃないだろうか。

ぼくはロリコンじゃないし、ショタコンでもない。
むしろコンプレックスは将棋そのものだ!
……ならなぜ見学に行くのだろう。うまく説明できそうにない。

いきなり息が苦しくなる。こうなるともはや強迫的な病性を帯び始める。

「貴方は一体何しに来たの?」 聞かれたらどうしよう。

将棋好きなひとと話すのが好きです! だれがそんなことを信じるだろう。
ぼくのような臆病者には、将棋コミュという川のへだたりはなかなかに越え難い。

コンビニが込み合っているときに「あんまん」を買う時の緊張に似ている。
のろのろとあんまんを取り出す店員。
タイミング悪く温まってしまうぼくの前のお客さんの弁当。
時計を確認しはじめる背後の人たち。

自分以外の人と、自分。

世界ぜんぶがただそれだけの二元論になってしまう。
まわりが将棋の話題をしているなかで、ぼくはあんまんを食べるのだ。
みんなは「指し筋は」とか「さっきの手は」「長考ですね……」とか喋ってる。
ひとりで「これはゴマの香りですね」とか「甘みのレヴェルは」とか格好つけて言ってみたところでどうにもならない。
世の中には110円で買える孤独もある。
安すぎるぞ! 孤独!

それでもそこに「なにか楽しそうなもの」があるのはわかるのだ。
将棋漫画を読んで、将棋のおもしろニュースを見て、カツラが宙を舞うのを笑い、パンチパーマが盤をねめつける視線に驚嘆する。
それは「なにか面白そうなもの」の感覚を起点にうまれているのだ。
誰もがみな「面白そうなものがある場所」を盛り上げようと頑張っている。
いろんな人にいろんな形で発信している将棋文化……それでもやっぱりおいしいのは具の部分なのかもしれない。
将棋の王様は大抵はなんでもできる。上にも下にも左にも右にも行ける。
八方美人な彼はいろんな分野の人間を魅了しつつも、その本質を探らせない。


将棋の王様のなかにはゴマ風味のあつあつアンコが詰まっている。


羨望は肺よりふかくポリ袋をごらんよあれがキミの翼だ(浮島)



6.「駒とおむすびとペンギンをつかってニコニコ動画の自転車動画みたいなのをやってみよう」

世の中には斜め上を行く人がいる。
角道を行くのだ。
逆に斜め下を行く人もいる。
それも角道だが、それは思いがけない逃げ道を己に与える人だ。

編集長がある日ぼくにこう尋ねたことがある。

「駒とおむすびと……えっこれ将棋なの?」

将棋なんだ。ぼくのなかでは「これだけわけがわからないもの」が将棋なんだ。
でも「将棋とおむすびと駒の擬人化ってなんか面白いなー」って思っちゃったんだから仕方ない。
ぼくは将棋が苦手だが、将棋の駒は好きなのだ。

角とはなにか。
それは斜めの存在だ。
おむすびにだって斜めはある。
おむすび自体が料理なのに、おむすびを料理することもある。
それは焼きおむすびだ。

味付けは味噌がよろしい。
おろししょうがを少しあえて、小ぶりに握った飯の表面にこすって……焼く。

自宅で調理する際はトースターで十分だろう。
まずは握っただけの白いおむすびを3分ほど焼いて乾かす。
味噌は焦げやすい。飯よりもはやく焦げるからだ。
乾いてから味噌をひょうめんに塗り、トースターで恐る恐る焼いていく。

のんびりのんびり、小まめにひっくり返しながら焼く。
すると味噌の乾くいい匂いがたちのぼってくる。
あともう少しの辛抱だ。
飯の表面が狐色に色づくまでじっくりと焼く。

できあがったら熱い煎茶とともに食う。
おむすびは「いただく」というより「食う」ものなんじゃないだろうか。

そしてここで焼かれた味噌はとてもとても香味豊かなものだ。

常々思うのだが、将棋を楽しむための料理があってもいいと思う。
サンドイッチ伯爵はサンドイッチという名料理を発明したが、将棋にはそれに類するものがおそらくないのではないだろうか。
鍋は差し向かいで食うのがオツだ。
将棋も差し向かいで一局やるのもオツなんじゃないか?

自分たちの好きな駒になぞらえて、いろんなおむすびを作る。
焼きおむすびを作るみたいにのんびり構えてもいいんじゃないだろうか。

そんな対局だったら、ぼくにも楽しめるのかもしれない。
角は思いがけない発想の駒だ。


年の瀬は吐く息ばかりつめたくて炭酸水におぼれ死ぬペンギン(浮島 題詠:ペンギン)

喚けよ 《これは宝石だ》って手のシトロン水を空へまく女(浮島 象徴詠:角)




 手首の力が半端ない角ちゃん



次回予告

あらゆる賞を独走する最強のお嬢様がついに本誌に登場!



「うー……なんだかたまーにイヂワルなんだよね」(PN ボク、佐藤紳哉六段を応援してるよ!! さんより)
元気に走り回るボクっ娘をイヂメルお嬢様ランキング 第一位!!

「か、かけっこだったら負けないのにっ!!」(PN 飛び出すなアタシは急にとまれない さんより)
だしぬけに背後から息を吹きかけてくるドSお嬢様賞 2年連続受賞!!

「……怒らせると……怖い……」(PN 漆黒の闇に堕とされし斜陽に生きる青鴉の慟哭 さんより)
中二病患者を精神的に追い詰めるお嬢様グランプリ 優勝!!!!

「……破廉恥ですッッッ!!!!」(PN Ag+ さんより)
艶やかで黄金のお嬢様は素敵に無敵ランキング 独占首位!!!!
というわけで次号は金おぜうさまです。

イラスト 若葉