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感情をうまく流す

 思い込みから自由になったら、感情面もクリアにしていくことをお勧めします。感情というのは、抑えるものではありません。喜びや楽しみなど、良い感情を表に出すというのは良いことですが、特に悪い感情、怒りの感情や涙も抑えるのではなく、うまく流すことが大切です。ラテン系の人たちは、けっこう感情を表に出します。

 ときには怒ってもいいのです。泣いてもいいのです。大切なのは、感情に振り回されないことです。感情をコントロールするとは、原因を認識して、適切に流すこと。
 感情は、人の生活を向上させたり、さまざまな技術を進化させる原動力にもなります。人間は、知識以前に感情があるからこそ進化してきたのです。マインド、知識だけだと進歩はありません。まずハートの点火が必要です。

 怒りの原因は、意外と単純な場合も多いです。怒りが湧いてきた時やイライラする時、次のような項目のいずれかに当てはまることが多いです。
 お腹が空いていないか? 寒くないか? 寝不足ではないか? 換気は充分か? 空気が乾燥しすぎていないか? 湿気が多すぎないか? 便通は良 いか? 喉が渇いていないか? 疲れすぎていないか? など。

 これらの一つ以上が当てはまる場合は、その原因を解決することによって、怒りの感情が解消されてしまう場合も多いです。まずちゃんとご飯を食べて、しっかり暖まって、その上で考えてみましょう。また笑いと感動は怒りを消します。少し意識して笑いと感動に繋がる体験をしてみましょう。


 もし不安や恐怖が涌いてきたら、自分がそういう感情を抱いているということを認めてみてください。自分で「あ〜、私は怖がっているのだ」とその感情を認めるだけで、不安な気持ちも収まります。
 実は、人間の神経系統は自分でその状態を認識すると、自動的にバランスを取るように出来ているのです。

 胸がドキドキする時は自分で脈を取ると、ドキドキも収まります。もし緊張して胸がドキドキする時は、胸に手を当てるか、手首にもう一方の指を当てて、脈を測ってみてください。不思議に気持ちが穏やかになります。
 不安感や怖い気持ちや怒りが涌いてきた時もその感情を一度認めてみてください。すると、その気持ちが収まることもあります。


 また呼吸に意識を向けてみてください。人は生まれた時に産声を上げ、死ぬときには息を引き取ります。人の呼吸は、寄せては返す海の波にも似ています。
 海の波は、1分間に18回寄せては返します。その倍数のさらに倍数が、人間の脈拍数と同じ72回になります。呼吸と脈拍のリズムは、倍数で調和しているのです。成人の安静時の呼吸数は、平均的には1分間に16〜18回(吐く+吸うで2回)、子供は、1分間に20回程度と成人よりは多く、睡眠時には成人で12〜15回程度になります。

 体調の悪い時、感情的に乱れているときなどには、呼吸は浅く、早くなります。波の音のCDなどを聴きながら、回数を気にせず深く、長い呼吸してみましょう。ゆったりとした気持ちで、波の音に身を任せながら、深い呼吸をしてみてください。ゆっくり深呼吸すると、1分間に8回程度の呼吸数になります。
 そこから徐々に呼吸のリズムをアップし、4秒で吐いて、3秒で吸うと、だいたい寄せては返す波と同じ1分間に16〜18回、吐いたり、吸ったりという正常なリズムになります。すると、感情のさざ波も収まり、穏やかな気持ちになります。

宇宙からえこひいきされるには?

 宇宙は多様性に満ちているので、全部均等で、同等ということはありません。神さまだって、えこひいきすることが多いと私は思います。

 たとえば神社やお寺などに行くと、初参拝なのに食事をご馳走になったり、普通は入れない奥まで神官に入れてもらえたり、普段ご開帳してない扉がたまたま開いていたり、いきなり宴会に参加させられて、海の幸、山の幸に綺麗なオネェサンのお酌付きで歓待してもらえることもあります。これって良い意味で、えこひいきですよね。(笑)

 職場や社会でも、誰もが平等に、なんていうのは理想ですが、実際えこひいきされたほうが得な場面が多いです。バーや居酒屋でも、サービスで一品多く出てくるというのは、馴染みの客、贔屓の客だからです。
 女性でもやはり美人は、えこひいきされると感じることが多いです。実は神さま(宇宙)も、美しい人が好きです。日本でも真・善・美といいますが、美しいということが進化していく宇宙には大切なことなのです。宇宙は常に進化しています。

 まず最初にどういう美しさが好まれるかというと、姿・カタチの美しい人です。神さまは面食いなのです。そして次に心の美しい人も好きです。でもこれは、ちょっとハードルが高い。
 しかし、まだ望みはあります。身だしなみや、身辺の美しい人も好きです。これなら誰でもなんとか取り組めますね。まずちゃんとお掃除して綺麗にしましょう。

 余談ですが最近、世間でパワースポットがブームになったりしています。しかし、パワースポットに行く以前に大切なのが、自分のいる部屋の掃除だったりします。
 というのも、せっかく気持ちのいいパワースポットに行っても、家に帰ってきて部屋が汚かったら、パワースポットの効果も台無しになるからです。また本来は、皆さんのいる場所が皆さんにとって、一番のパワースポットなのです。

 もっと大きな意味としては、家の状態というのは、そこに住む人の内面を表しています。住んでいる家の状態がそこに住む人の意識の状態を映し出しているのです。
 さらに家の状態がその人の内面に影響を与えています。難しい話は置いておいて、要するにこれをうまく活用すると、不要な物を整理して、家の掃除とかたづけをちゃんとやると、自分の内面も綺麗になるということになります。


 さて、宇宙から、えこひいきされるもう一つのポイントは、いかに楽に生きているかということです。余計なこだわりが少なくなると、もっと楽に生きられます。
 トンチで有名な一休さんは、当時としてはとても長い88歳まで生きられたそうですが、禅の「不思善悪」、つまり二元論的な分別心を捨てて、善悪を思うことをやめる、物事の良し悪しに厳しくこだわり過ぎず、ありのままをありのままに見て認める、常に気を楽にする、といったことを悟られたそうです。

 実は、私も幸せについて真剣に探求し出した30年ほど前までは、目標をしっかり立ててそれを細分化し、真面目に必死で努力すればそれで幸せになれるかも、と考えていました。しかし、ある時ものすごく気楽に生きているラテン的な人たちに次々に遭遇したのです。

 最初は、悪く言えば不真面目なぐらい適当に生きているように見える人達が、とっても幸せそうなのが全く理解できませんでした。
 でも、ある時ふとした気づきがあり、自分自身が多くの思いこみや執着などに囚われて生きていたことが判ったのです。
 彼らにはそういった執着や囚われがほとんど無く、自由気ままに見えるぐらいとてもリラックスして、楽しく生き、かつ経済的にも健康にも恵まれて幸せに暮らしていました。

 幕末の神人、黒住宗忠は「善人の罪を作るな」と言っています。クヨクヨしている善人より、石川五右衛門のような悪人の豪快さにこそ学ぶものがあるとまで言い切っています。
 いくら真面目でも、クヨクヨしたり、いろんな思いこみや執着に囚われているより、もっとリラックスしたほうが良いということです。


 また「努力すれば報われる」というのも宇宙の仕組みからすると、少し違うようです。もちろん努力そのものを否定はしませんが、努力したら必ず成功するとは限りません。
 努力する以前に、どれだけ純粋な意識で行動しているかが大切なのです。言い方を変えれば必死で難しい顔をして努力している人よりも、努力などしている意識が無くても楽しく行動している人のほうが、自分の夢が叶う場合が多いと言えます。

 私たちも一休さんのように思いこみやこだわりから自由になって、もっとリラックスして、気楽に生きたほうが幸せな人生を送れるのではないでしょうか。


 神様(宇宙)は真面目すぎる人ではなく、自分に正直な人を応援するのです。ラテン系の人たちは自分に正直です。それこそほんとうの意味で真面目ということではないでしょうか。

 ぶっちゃけた話、実は宇宙や神さまからすると、ラテン的な、ちょいわるぐらい自由度の高い人のほうが、宇宙から支援される、えこひいきされるのです。
 ちょいわる、といっても何も遊び人にならなくてもいいですよ。気軽にジョークが言える、ユーモアのセンスがある、人生を楽しむという姿勢が良いのです。皆さんも宇宙から、えこひいきされて、もっと人生を楽しみましょう。

岩戸開きにはリオのカーニバル?

 神社で祝詞をあげると、雷が鳴ったり、雨が降ってくることもあります。祈りに対して、自然が反応してくれるのです。自然と交流している感覚は、畏敬の念を感じるとともに、とても嬉しく、楽しいものです。
 祈りとは、意を祝る、意を宣ることであり、自らの意思を表明し、意識を祝福と感謝で満たすことです。意を乗せるとは、望む結果に意識の周波数を合わせることであると言えます。

 豊かさと共鳴するためにはその状態を実現すれば良いのです。お金も人も自然に集まってくるのは、徳のある人のところ。徳のある人とは、周りの人を幸せにする、嬉しくさせる、喜ばれる人。明るい言葉、暖かい言葉、肯定的な言葉を使い、愛で行動する人です。
 徳のある人とは、真の意味で謙虚な人とも言えます。さらに福相のひとは笑顔がステキです。

 江戸中期の心学者、石田梅岩の弟子の一人が昔、京都で「金儲けの方法伝授します」という看板を出して講座を開きました。そこに訪ねてきた人がその梅岩の弟子に「どうしたらお金持ちになれるのですか?」と聞くと、次のような答えが返ってきたそうです。

「まずは、福相になることです。」

 しかし顔の相は生まれつきで、そう簡単に変えられないと問うと、「恵比寿さまや大黒さまのようすを見習って、いつも笑顔でいると福相になります。」と言う答えが返ってきたそうです。恵比寿さまの名前からきたヱビス顔のヱビスは「笑みす」にも通じるようです。

 石田梅岩の教えには『福相になるの伝授』というものがありますし、弟子の手島堵庵・布施松翁からその教えを受け継いだ脇坂義堂の書に『かねもうかるの伝授』というものもあります。


 どんな状況からでも力強く生きているかたたちがおられます。私が出会った先生の一人、大塚全教尼さんは「エンジョイしなければ仕事も人生もつまらないものになる」と言われていました。

 大塚全教尼さんは、4歳の時に小児麻痺にかかり、両手がほとんど動かない身体になられましたが、大石順教尼さんに師事し、出家得度されたかたです。
 大石順教尼さんは、乱心した養父に両腕を切り落とされながらも、19歳の時にカナリヤがくちばしだけで雛を育てるのを見、口に筆をくわえて書画を描くことに取り組まれ、後に出家して仏道を志されたとてもチャーミングな優れた尼僧です。落語家の柳家金語楼さんと兄弟のように仲良しでした。

 全教尼さんは順教尼さんの一番弟子として、順教尼さんの設立された身体障害者自立支援団体を引き継がれ、自らも左足とわずかに動く左手で書や絵画の創作活動を続けられ、世界身体障害者芸術家協会名誉会員としても活動されました。

 順教尼さんと全教尼さんが暮らされていた、京都山科勧修寺境内の無心庵、その隣の茶室の名前は『可笑庵』といいます。「可笑」とは、今風に言えば「笑っていいとも」です。
 身体の障害をものともせず、健常者よりも力強い人生を歩んで多くの人たちに道を示されたかたから出てくる「エンジョイ」という言葉は私たちに元気を与えてくれます。


 さて、古事記などに出てくる岩戸開き神話では、神々が岩戸に隠れた天照大神を外に出すのにどうしたでしょうか?
 しかめ面をして、いろいろと議論しながら、力づくで岩戸を開いたか?というと答えはNOです。この行き先の見えない不透明な現代社会を明るくするためにも、神々のとった方法を真似てみるのはいかがでしょうか。否定的な議論、武力や経済的な圧力などでは世の中は明るく変革できません。もっと素晴らしいヒントが神話にはあります。

 神話によると神々は、天児屋根命(アメノコヤネノミコト)という神さまのプロデュースによって様々な準備をしましたが、最終段階では岩戸の前でアメノウズメという女神が裸に近い姿でダイナミックな踊りをし、それを見ながら、皆で大笑いしてドンチャン騒ぎをしたように書かれています。その時に神々が唱和したのが次のセリフです。

天晴れ あな面白 あな楽し あなさやけ おけ

 文献としてこの言葉が出てくるのは、忌部(斎部)氏の伝承を斎部広成がまとめ、大同二年(807年)に上選した『古語拾遺』です。

 簡単に場面を解説すると、天の岩戸が開いて日神、天照大神が姿を現し、光が差した状態が「天晴れ」。
 その光が神々の顔に当たり、面(つまり顔)が白くなった状態が「面白」、そして世界が光り輝き、晴れ晴れとして手を伸ばして踊り始める状態が「手 伸し」で「楽し」。
 岩戸の前で神懸かりになって踊っていたアメノウズメが手に持っていたササの葉の揺れる清明な音が「さやけ」です。

 古語拾遺には、オケは木の名と書いてありますが、私は木の名ではなく、逆さに伏せた桶(もともとはウケといっていた)のことではないか?と解釈しています。
 祭祀規定を記した延喜式、貞観儀式の鎮魂の条に「宇気槽(うけふね)を伏せて桙(ほこ)で撞く(つく)」という、まるで男性性と女性性の融合のような表現が出てきます。その時のかけ声が「おけ」です。神楽歌には、囃子言葉「於介(おけ)」というのもあります。

 アメノウズメは伏せた桶の上で(ディスコのお立ち台みたいに)ササの葉を持って踊っていたのかもしれません。岩戸神話の光景は、まるでラテンアメリカ、リオのカーニバルみたいでもあります。

 それにしても「面白い」という言葉が、顔がぱぁ〜っと明るくなって白く輝く状態を表しており、「楽し」が手を伸ばして踊り出すような状態を表しているというのも、面白いと思いませんか?
 神話では、岩戸を開いて光の神を外に出す、つまり自分たちのいる世界を明るくするためには、しかめ面をして考え込んむのではなく、自ら行動し、笑い、喜び、感動によって自らの意識を高めてみてはどうでしょうか?と教えてくれているようです。

 また大勢で行うとなお効果的です。大勢で瞑想をすると、至福の共鳴をもたらし、周りの環境にも調和をもたらすようです。世界各地でさまざまな実証実験や大勢での祈りのプロジェクトなどが実施されています。

 あるインドの聖者によると、神の名前の一つは「サット・チット・アーナンダ」だそうです。サット・チット・アーナンダとは、存在・意識・至福。
 神々の世界、私たちの意識の深いレベル、根本神性の世界は、至福に満ちた世界、喜びの世界です。そこに繋がり、祈りが通じるようにするには、至福にフォーカスすれば良いのです。やっぱり、ラテン系で楽しく!が鍵かもしれませんね。

第三章 セルフイメージ



第三章 セルフイメージ


幸せな人はセルフイメージが高い

 皆さんが今までの自分から一皮むけて、新しい自分になれば、それまでの殻や固定観念を打ち破って、新しい可能性を拡げることが出来ます。
 その一番の近道は、皆さんが自分自身に対して抱いているセルフイメージを上げることです。幸せな人を観察すると、皆さんとてもセルフイメージが高いようです。ラテン系の人たちもセルフイメージは高いです。今の自分を肯定して、自信を持って生きているようです。

 セルフイメージというのは、自分の感じかた次第でどうにでもなります。しかし、自分の内側は目で見ても見えませんし、掴みどころがありません。掴みどころの無いところにアプローチしようとしても無理があります。ラテン系は無駄な努力はしません。

 自分の内側をどうこうするより、まずは自分の外側、形から入ると効果的です。内と外というのは密接に関連しています。たとえば、部屋の状態、人相、姿勢などはその人の内側も表しているのです。
 使う言葉、行動や姿勢、環境を変えるだけで、意識や心の状態を改善することが出来ます。外側の形から意識を変えるというアプローチもあるのです。意識を綺麗にするだけでなく、形からアプローチすることによって、そこに新しいバイブレーションも生まれます。意識のエネルギーを高めるには、形から入ると取り組みやすいのです。

 江戸中期の観相学の大家、水野南北(1760〜1834年)は、幼少時に両親を亡くし、荒れるのですが、観相学、人相や姿勢、食事の仕方などを徹底的に研究し、偉大な人物になりました。

 私も昔は、現在を知っている人からは想像もつかないような、とても根暗で存在感の薄い人間だったのです。しかし外側からのアプローチで自分のセルフイメージを変えていきました。

 小学生時代の私はそこそこ勉強が出来て、音楽で大きな舞台にも出してもらっていたので、ナイスな小学生でしたが、中学生の時は3年生でも身長が149cmしかなく、勉強も出来ず、スポーツも出来ず、その延長で高校生時代も同じクラスの女性とも口がきけないほど内気で、影の薄い少年でした。
 でも大学生ぐらいから少しずつセルフイメージを上げることに成功し、今から25年ぐらい前は、自分で言うのも何ですが、けっこうモテました。

 そして今では、大勢の人前で講演をしたり、歌を歌ったりといったことも楽しく出来るようになりました。たぶん中学高校時代の同級生が今の私を知ったら、年齢に似合わず「やっだぁ〜っ、うっそぉー、しんじられなぁ〜い!」と女子高生の頃に(身体的には、ほぼ100%戻りませんが、気持ちだけ)戻って驚くに違いありません。

 2005年には『人は見た目が9割』(竹内一郎著、新潮新書)という本が出版され、話題になりましたが、顔と服装も含めた外見的な姿が、個人的な運命にも大きな影響を与えると言っても過言ではありません。


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