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純粋性が叶える鍵

 松任谷由美さんの歌の歌詞に「小さい頃は、神様がいて、不思議に夢を叶えてくれた やさしい気持で目覚めた朝は、おとなになっても奇跡はおこるよ」というのがあります。私の大好きな「やさしさに包まれたなら」という曲の出だしの歌詞です。

 まだ荒井由実さんの名で活動されていた初期の歌ですが、とってもいい歌です。聴いたことが無いかたは、ぜひ一度聴いてください。
 この歌の歌詞をじっくり味わうだけでも子供の頃の純粋性が蘇るかもしれません。子供の頃は、この歌の歌詞のように不思議に夢が叶いやすかった、ということはありませんか?

 また平安時代の『梁塵秘抄』(りょうじんひしょう)という書には、次のような一節があります。

遊びをせむとや 生まれけむ  戯れせんとや 生まれけむ
遊ぶ子供の 声聞けば  我が身さへこそ 揺るがるれ
                    『梁塵秘抄』

 私の好きな歴史上の人物に平安時代では、後白河上皇と在原業平がおられます。この『梁塵秘抄』は、前者の後白河上皇(1127〜1192年)が編纂したものです。京都の三十三間堂を建立して千体の千手観音を納めたことでも知られる第77代天皇ですが、一言で言うと「ブッ飛び天皇」。
 大河ドラマなどでは、少し狡猾な人物として描かれることが多いのですが、乙前という今様の女芸人を師と仰ぐ、斬新な発想の持ち主でした。今様とは、「当世はやりの」という意味で、平安中期に起こった流行歌謡のことです。

 現代にたとえれば、天皇陛下が演歌歌手のお弟子さんになって、一晩中、歌謡曲を歌うようなもので、想像しただけで気絶しそうになります。おそらく、周りは大変だったでしょうけど、後白河上皇は、枠に囚われない、子供のような無邪気な人だったのではないか?と思います。

 子供のような純粋な心を、日本では古来より「あかき心」と言い、宇宙の法則に叶う誠の心として尊んできました。生まれたての子供のことを赤ちゃんといいますよね。
 赤ちゃんとは、ただ肌の色が赤いからそう言うだけではなく「明き心」、とても純粋な心を持っている、また元気に溢れているという意味も含んでいるのです。
 赤ちゃんや子供の時は、言葉と行動、意識(心、感情など)がまさに一体です。生まれた時からグレている人はいません。皆さんとても純粋です。

 子供の時の純粋性は、大人になるにつれて失われがちですが、古来より日本人はその純粋性を保つように、伝統的な行事の中に様々な工夫をしてきました。たとえば七夕の時期になると、日本人は子供の頃の純粋な願いを思い出したりします。

 毎年7月7日、本来は旧暦の7月7日(8月中旬の上弦の月の日)、笹の枝に願い事を書いた短冊を付けて飾ります。
 短冊に願い事を書くのは、平安時代の頃、中国から伝わった乞功奠(きこうでん)という行事に基づいていると言われています。機織りがとても上手であったとされる織女星に、機織りがうまくなるように女の子が祈りをささげていたのです。

 我が家でも長女が幼稚園の頃、笹の枝をもらってきて、折り紙で作った短冊に熱心に願い事を書いておりました。仕事から遅くに帰ると、私の分も代わりに書いてくれたとのこと。
 何と書いてくれたのか後で見てみると、そこには「りっぱなオトコになれますように!」と書いてありました。はたして、その願いは叶ったのでしょうか?(笑)

 世の中の多くの人達は、潜在意識より深いレベルに、まるで雲がかかって太陽の光が届かないように、霧がかかっている状態の場合が多いようです。これをサギリ(狭霧)といいます。誰の内にもある太陽のような根本神性の光を遮る霧のようなモヤモヤです。

 この意識の中にモヤモヤがある状態で、いくら積極的な言葉を使ってもなかなか意識の奥深くまで浸透しません。また内なる神性も出てこないので、結果的に願いがなかなか叶わないか、もし叶ったとしても砂上の楼閣のように一時的な達成に終わってしまうのです。次の節でもこのあたりをクリアにするコツを書きます。
 鍵となるのは、意識、心の純粋性です。意識のとても純粋な人を神道では 「浄き、明き、直き、誠の心」を持っている人といいます。

 なお意識をクリアにする場合、まず第一章で書いているように皆さんの幸せのビジョンを明確にし、それから意識をクリアにしていくことをお勧めします。そのほうが、楽しく効果的に取り組めます。
 自分の意識を綺麗にするぞぉ!とあまり力を入れすぎると、修行みたいになってしまいます。

 意識をクリアにするには、一つには音を使った手法があります。これについては、前書の第二章の「心身を癒す音の神秘」で書きましたが、自然界のホワイトノイズやピンクノイズを含む、滝の音、清流の音などに浸ることを習慣にしていると、その音の働きによって意識がクリアになります。

 日本庭園や寺院の庭などには、流水を人工的に作ったりしていますが、これは時々縁側などに座ってその音を楽しみ、意識をクリアにしていた古代の人たちの知恵なのではないか、と私は考えています。
 また瞑想もお勧めです。禅やインドの瞑想など、様々な手法がありますが、本だけでは修得しにくいので、ヨーガや瞑想の指導者について学ばれることをお勧めします。

思い込みから自由になる

 願いを叶えたかったら、自分自身の意識をクリアにする、綺麗にする必要がある、ということを書いてきましたが、特に感情面の問題や、思いこみ、偏見なども晴らしておくことが必要です。

 いくら良い言葉を使って、良い行動をしても願いが成就しない場合、また困難な状況になる場合には心、意識を深いレベルから綺麗にする必要があります。
 たとえば、ベストセラーとなった『ザ・シークレット』に書かれたことを実践しても、どうもうまくいかない、という人は、この大切なキー・ポイントが抜けているのです。

 ポジティヴ・シンキングでもある程度の成果は出ますし、自分の欲しい現象や物事を引き寄せたり、それなりの収穫はありますが、ある段階で大きな壁にぶつかることもあります。そのような壁の原因や、それを超える方法については、残念ながら今まで、ほとんど誰も述べてきませんでした。

 しかし『ザ・シークレット』に登場する24人の賢者の中の一人、作家でマーケッターのジョー・ビタリー博士は『ザ・キー』(イースト・プレス)という著書で、まさに私がたどり着いたのと同じようなポイントについて開示しています。この本でジョー・ビタリー博士は、主に感情的なものをクリアする方法について書いています。

 昔、哲学者デカルトは「我思うゆえに我あり」と言いましたが、本当のことを言うと、我思わなくても我は在ります。(爆)
 実は、ゴチャゴチャした思いが無いほうが、真実の私が姿を現すのです。ひょっとすると、あなたにとって思いこみは、重いゴミかも知れません。長年の思いこみが皆さんの自由な思考や行動を制限している場合もあります。「思い込みは、重いゴミ」、思い込みから自由になりましょう。

 映画スターウォーズに出てくるジェダイマスターの長老ヨーダもエピソード5「帝国の逆襲」の中でルークに次のような台詞を言っています。

You must unlearn what you have learned.  Yoda

 学んだ知識を手放せとか、思い込みや、固定観念など捨てなさいという意味です。だからといって、ジャン・ピエールの本で読んだことをあっさり忘れないでくださいね。(汗)

 そして、第一章でプロセスは宇宙にまかす、結果そのものも宇宙に委ねるという話を書きましたが、祈りの場合も同様です。
 何か具体的なことを希望している場合、日本の武士道精神では「神よご照覧あれ」という姿勢で祈ります。つまり「私は○○を成しとげようと思います。どうぞ後押しよろしくお願いします。」という感じで祈るのです。

 出雲大社大阪分詞教主をされていた吉村亀治先生は「余計なことをごちゃごちゃ祈らんでもええ。ゆく先よろしくお願いします、だけでええんや。」と教えられました。神々と共鳴すれば、余計なことを言わなくても通じるそうです。思い込みや、固定観念から自由になって、素の気持ちで祈ってみましょう。

 祈りや願いを発したら、宇宙や神々はそれにどのように応えてくれるのでしょうか? 実は私たちが想像する以上のものをもたらしてくれることも多いのです。宇宙は増幅エコーで応えてくれます。
 普通、山彦の場合は、ヤッホーッと言うと、少し小さい音でヤッホーッと返ってきます。しかし大地に種を蒔くと、多くの実がなります。一粒の稲から多くの稲穂が実ります。日本で古くから一粒万倍と言われるように何倍にもなって返ってくるのです。
 何かに意識をフォーカスしただけで、皆さんにとってのその対象のエネルギーは増幅されます。少なくとも一つの目安としては、十倍以上になって返ってきます。

 この素晴らしい恩恵を得るためにも思い込みや、固定観念から自由になって、素の気持ちになることが大切です。
 思いこみを整理するには、一度道徳的なことは横に置いて、自分がしなければいけないと思っていることを一度見直してみると良いかも知れません。

 道徳的なことは、人間社会を円滑にするために人間のアタマで考えたことも多いです。それが必ずしも宇宙の法則に則っているか、というとそうと言い切れない場合もあります。宗教的な戒律なども含めて、一度原点に立ち返って考えてみてください。
 大勢の人がやっていることだから、あなたもしないといけないというのは理由にはならないのです。逆に誰もしていないことでも、皆さんにとって大切なことがあるかも知れません。

 イライラするとか、気分がスッキリしないときには、まず部屋の掃除をしてみると気分もスッキリすることが多いと前にも書きました。掃除は一番、効果的な方法です。不要品を減らしたり、家の玄関と水回り、トイレなどを綺麗にして、家のエネルギーの流れをよくすることがポイントです。

 何かに迷ったりしている時など、内面からスッキリする手法に取り組むのも良いですが、意識や心は目に見えず、掴みどころがありませんので、それを整理することはなかなか難しいです。それよりも部屋の掃除をすると、アッサリと気持ちの整理もつくことがあります。
 また気分をリセットするのも良い考えです。たとえば、普段と違った体験の出来る旅行、海外旅行などをしてみると、素の自分を見つめる良い機会になるかもしれません。

 また何かを得たかったら、逆によく引くと、何倍にもなって返ってくるということも言えます。弓をしっかり引くと、矢が遠くまで飛んでいきます。いい空気を吸いたければ、まずしっかり吐くことが大切です。お金が欲しかったら、まず人に喜ばれることを提供すること。

 自分の話をよく聞いて欲しかったら、まず人の話を良く聞くことが大切です。人間には耳が二つ、口が一つなのもよく聞くためなのかもしれません。
 祈る場合も、まず願いごとをする前に、感謝する。そして自分の思い込みや、固定観念など余計なものを取っていく、引いていくと良いと思います。

感情をうまく流す

 思い込みから自由になったら、感情面もクリアにしていくことをお勧めします。感情というのは、抑えるものではありません。喜びや楽しみなど、良い感情を表に出すというのは良いことですが、特に悪い感情、怒りの感情や涙も抑えるのではなく、うまく流すことが大切です。ラテン系の人たちは、けっこう感情を表に出します。

 ときには怒ってもいいのです。泣いてもいいのです。大切なのは、感情に振り回されないことです。感情をコントロールするとは、原因を認識して、適切に流すこと。
 感情は、人の生活を向上させたり、さまざまな技術を進化させる原動力にもなります。人間は、知識以前に感情があるからこそ進化してきたのです。マインド、知識だけだと進歩はありません。まずハートの点火が必要です。

 怒りの原因は、意外と単純な場合も多いです。怒りが湧いてきた時やイライラする時、次のような項目のいずれかに当てはまることが多いです。
 お腹が空いていないか? 寒くないか? 寝不足ではないか? 換気は充分か? 空気が乾燥しすぎていないか? 湿気が多すぎないか? 便通は良 いか? 喉が渇いていないか? 疲れすぎていないか? など。

 これらの一つ以上が当てはまる場合は、その原因を解決することによって、怒りの感情が解消されてしまう場合も多いです。まずちゃんとご飯を食べて、しっかり暖まって、その上で考えてみましょう。また笑いと感動は怒りを消します。少し意識して笑いと感動に繋がる体験をしてみましょう。


 もし不安や恐怖が涌いてきたら、自分がそういう感情を抱いているということを認めてみてください。自分で「あ〜、私は怖がっているのだ」とその感情を認めるだけで、不安な気持ちも収まります。
 実は、人間の神経系統は自分でその状態を認識すると、自動的にバランスを取るように出来ているのです。

 胸がドキドキする時は自分で脈を取ると、ドキドキも収まります。もし緊張して胸がドキドキする時は、胸に手を当てるか、手首にもう一方の指を当てて、脈を測ってみてください。不思議に気持ちが穏やかになります。
 不安感や怖い気持ちや怒りが涌いてきた時もその感情を一度認めてみてください。すると、その気持ちが収まることもあります。


 また呼吸に意識を向けてみてください。人は生まれた時に産声を上げ、死ぬときには息を引き取ります。人の呼吸は、寄せては返す海の波にも似ています。
 海の波は、1分間に18回寄せては返します。その倍数のさらに倍数が、人間の脈拍数と同じ72回になります。呼吸と脈拍のリズムは、倍数で調和しているのです。成人の安静時の呼吸数は、平均的には1分間に16〜18回(吐く+吸うで2回)、子供は、1分間に20回程度と成人よりは多く、睡眠時には成人で12〜15回程度になります。

 体調の悪い時、感情的に乱れているときなどには、呼吸は浅く、早くなります。波の音のCDなどを聴きながら、回数を気にせず深く、長い呼吸してみましょう。ゆったりとした気持ちで、波の音に身を任せながら、深い呼吸をしてみてください。ゆっくり深呼吸すると、1分間に8回程度の呼吸数になります。
 そこから徐々に呼吸のリズムをアップし、4秒で吐いて、3秒で吸うと、だいたい寄せては返す波と同じ1分間に16〜18回、吐いたり、吸ったりという正常なリズムになります。すると、感情のさざ波も収まり、穏やかな気持ちになります。

宇宙からえこひいきされるには?

 宇宙は多様性に満ちているので、全部均等で、同等ということはありません。神さまだって、えこひいきすることが多いと私は思います。

 たとえば神社やお寺などに行くと、初参拝なのに食事をご馳走になったり、普通は入れない奥まで神官に入れてもらえたり、普段ご開帳してない扉がたまたま開いていたり、いきなり宴会に参加させられて、海の幸、山の幸に綺麗なオネェサンのお酌付きで歓待してもらえることもあります。これって良い意味で、えこひいきですよね。(笑)

 職場や社会でも、誰もが平等に、なんていうのは理想ですが、実際えこひいきされたほうが得な場面が多いです。バーや居酒屋でも、サービスで一品多く出てくるというのは、馴染みの客、贔屓の客だからです。
 女性でもやはり美人は、えこひいきされると感じることが多いです。実は神さま(宇宙)も、美しい人が好きです。日本でも真・善・美といいますが、美しいということが進化していく宇宙には大切なことなのです。宇宙は常に進化しています。

 まず最初にどういう美しさが好まれるかというと、姿・カタチの美しい人です。神さまは面食いなのです。そして次に心の美しい人も好きです。でもこれは、ちょっとハードルが高い。
 しかし、まだ望みはあります。身だしなみや、身辺の美しい人も好きです。これなら誰でもなんとか取り組めますね。まずちゃんとお掃除して綺麗にしましょう。

 余談ですが最近、世間でパワースポットがブームになったりしています。しかし、パワースポットに行く以前に大切なのが、自分のいる部屋の掃除だったりします。
 というのも、せっかく気持ちのいいパワースポットに行っても、家に帰ってきて部屋が汚かったら、パワースポットの効果も台無しになるからです。また本来は、皆さんのいる場所が皆さんにとって、一番のパワースポットなのです。

 もっと大きな意味としては、家の状態というのは、そこに住む人の内面を表しています。住んでいる家の状態がそこに住む人の意識の状態を映し出しているのです。
 さらに家の状態がその人の内面に影響を与えています。難しい話は置いておいて、要するにこれをうまく活用すると、不要な物を整理して、家の掃除とかたづけをちゃんとやると、自分の内面も綺麗になるということになります。


 さて、宇宙から、えこひいきされるもう一つのポイントは、いかに楽に生きているかということです。余計なこだわりが少なくなると、もっと楽に生きられます。
 トンチで有名な一休さんは、当時としてはとても長い88歳まで生きられたそうですが、禅の「不思善悪」、つまり二元論的な分別心を捨てて、善悪を思うことをやめる、物事の良し悪しに厳しくこだわり過ぎず、ありのままをありのままに見て認める、常に気を楽にする、といったことを悟られたそうです。

 実は、私も幸せについて真剣に探求し出した30年ほど前までは、目標をしっかり立ててそれを細分化し、真面目に必死で努力すればそれで幸せになれるかも、と考えていました。しかし、ある時ものすごく気楽に生きているラテン的な人たちに次々に遭遇したのです。

 最初は、悪く言えば不真面目なぐらい適当に生きているように見える人達が、とっても幸せそうなのが全く理解できませんでした。
 でも、ある時ふとした気づきがあり、自分自身が多くの思いこみや執着などに囚われて生きていたことが判ったのです。
 彼らにはそういった執着や囚われがほとんど無く、自由気ままに見えるぐらいとてもリラックスして、楽しく生き、かつ経済的にも健康にも恵まれて幸せに暮らしていました。

 幕末の神人、黒住宗忠は「善人の罪を作るな」と言っています。クヨクヨしている善人より、石川五右衛門のような悪人の豪快さにこそ学ぶものがあるとまで言い切っています。
 いくら真面目でも、クヨクヨしたり、いろんな思いこみや執着に囚われているより、もっとリラックスしたほうが良いということです。


 また「努力すれば報われる」というのも宇宙の仕組みからすると、少し違うようです。もちろん努力そのものを否定はしませんが、努力したら必ず成功するとは限りません。
 努力する以前に、どれだけ純粋な意識で行動しているかが大切なのです。言い方を変えれば必死で難しい顔をして努力している人よりも、努力などしている意識が無くても楽しく行動している人のほうが、自分の夢が叶う場合が多いと言えます。

 私たちも一休さんのように思いこみやこだわりから自由になって、もっとリラックスして、気楽に生きたほうが幸せな人生を送れるのではないでしょうか。


 神様(宇宙)は真面目すぎる人ではなく、自分に正直な人を応援するのです。ラテン系の人たちは自分に正直です。それこそほんとうの意味で真面目ということではないでしょうか。

 ぶっちゃけた話、実は宇宙や神さまからすると、ラテン的な、ちょいわるぐらい自由度の高い人のほうが、宇宙から支援される、えこひいきされるのです。
 ちょいわる、といっても何も遊び人にならなくてもいいですよ。気軽にジョークが言える、ユーモアのセンスがある、人生を楽しむという姿勢が良いのです。皆さんも宇宙から、えこひいきされて、もっと人生を楽しみましょう。

岩戸開きにはリオのカーニバル?

 神社で祝詞をあげると、雷が鳴ったり、雨が降ってくることもあります。祈りに対して、自然が反応してくれるのです。自然と交流している感覚は、畏敬の念を感じるとともに、とても嬉しく、楽しいものです。
 祈りとは、意を祝る、意を宣ることであり、自らの意思を表明し、意識を祝福と感謝で満たすことです。意を乗せるとは、望む結果に意識の周波数を合わせることであると言えます。

 豊かさと共鳴するためにはその状態を実現すれば良いのです。お金も人も自然に集まってくるのは、徳のある人のところ。徳のある人とは、周りの人を幸せにする、嬉しくさせる、喜ばれる人。明るい言葉、暖かい言葉、肯定的な言葉を使い、愛で行動する人です。
 徳のある人とは、真の意味で謙虚な人とも言えます。さらに福相のひとは笑顔がステキです。

 江戸中期の心学者、石田梅岩の弟子の一人が昔、京都で「金儲けの方法伝授します」という看板を出して講座を開きました。そこに訪ねてきた人がその梅岩の弟子に「どうしたらお金持ちになれるのですか?」と聞くと、次のような答えが返ってきたそうです。

「まずは、福相になることです。」

 しかし顔の相は生まれつきで、そう簡単に変えられないと問うと、「恵比寿さまや大黒さまのようすを見習って、いつも笑顔でいると福相になります。」と言う答えが返ってきたそうです。恵比寿さまの名前からきたヱビス顔のヱビスは「笑みす」にも通じるようです。

 石田梅岩の教えには『福相になるの伝授』というものがありますし、弟子の手島堵庵・布施松翁からその教えを受け継いだ脇坂義堂の書に『かねもうかるの伝授』というものもあります。


 どんな状況からでも力強く生きているかたたちがおられます。私が出会った先生の一人、大塚全教尼さんは「エンジョイしなければ仕事も人生もつまらないものになる」と言われていました。

 大塚全教尼さんは、4歳の時に小児麻痺にかかり、両手がほとんど動かない身体になられましたが、大石順教尼さんに師事し、出家得度されたかたです。
 大石順教尼さんは、乱心した養父に両腕を切り落とされながらも、19歳の時にカナリヤがくちばしだけで雛を育てるのを見、口に筆をくわえて書画を描くことに取り組まれ、後に出家して仏道を志されたとてもチャーミングな優れた尼僧です。落語家の柳家金語楼さんと兄弟のように仲良しでした。

 全教尼さんは順教尼さんの一番弟子として、順教尼さんの設立された身体障害者自立支援団体を引き継がれ、自らも左足とわずかに動く左手で書や絵画の創作活動を続けられ、世界身体障害者芸術家協会名誉会員としても活動されました。

 順教尼さんと全教尼さんが暮らされていた、京都山科勧修寺境内の無心庵、その隣の茶室の名前は『可笑庵』といいます。「可笑」とは、今風に言えば「笑っていいとも」です。
 身体の障害をものともせず、健常者よりも力強い人生を歩んで多くの人たちに道を示されたかたから出てくる「エンジョイ」という言葉は私たちに元気を与えてくれます。


 さて、古事記などに出てくる岩戸開き神話では、神々が岩戸に隠れた天照大神を外に出すのにどうしたでしょうか?
 しかめ面をして、いろいろと議論しながら、力づくで岩戸を開いたか?というと答えはNOです。この行き先の見えない不透明な現代社会を明るくするためにも、神々のとった方法を真似てみるのはいかがでしょうか。否定的な議論、武力や経済的な圧力などでは世の中は明るく変革できません。もっと素晴らしいヒントが神話にはあります。

 神話によると神々は、天児屋根命(アメノコヤネノミコト)という神さまのプロデュースによって様々な準備をしましたが、最終段階では岩戸の前でアメノウズメという女神が裸に近い姿でダイナミックな踊りをし、それを見ながら、皆で大笑いしてドンチャン騒ぎをしたように書かれています。その時に神々が唱和したのが次のセリフです。

天晴れ あな面白 あな楽し あなさやけ おけ

 文献としてこの言葉が出てくるのは、忌部(斎部)氏の伝承を斎部広成がまとめ、大同二年(807年)に上選した『古語拾遺』です。

 簡単に場面を解説すると、天の岩戸が開いて日神、天照大神が姿を現し、光が差した状態が「天晴れ」。
 その光が神々の顔に当たり、面(つまり顔)が白くなった状態が「面白」、そして世界が光り輝き、晴れ晴れとして手を伸ばして踊り始める状態が「手 伸し」で「楽し」。
 岩戸の前で神懸かりになって踊っていたアメノウズメが手に持っていたササの葉の揺れる清明な音が「さやけ」です。

 古語拾遺には、オケは木の名と書いてありますが、私は木の名ではなく、逆さに伏せた桶(もともとはウケといっていた)のことではないか?と解釈しています。
 祭祀規定を記した延喜式、貞観儀式の鎮魂の条に「宇気槽(うけふね)を伏せて桙(ほこ)で撞く(つく)」という、まるで男性性と女性性の融合のような表現が出てきます。その時のかけ声が「おけ」です。神楽歌には、囃子言葉「於介(おけ)」というのもあります。

 アメノウズメは伏せた桶の上で(ディスコのお立ち台みたいに)ササの葉を持って踊っていたのかもしれません。岩戸神話の光景は、まるでラテンアメリカ、リオのカーニバルみたいでもあります。

 それにしても「面白い」という言葉が、顔がぱぁ〜っと明るくなって白く輝く状態を表しており、「楽し」が手を伸ばして踊り出すような状態を表しているというのも、面白いと思いませんか?
 神話では、岩戸を開いて光の神を外に出す、つまり自分たちのいる世界を明るくするためには、しかめ面をして考え込んむのではなく、自ら行動し、笑い、喜び、感動によって自らの意識を高めてみてはどうでしょうか?と教えてくれているようです。

 また大勢で行うとなお効果的です。大勢で瞑想をすると、至福の共鳴をもたらし、周りの環境にも調和をもたらすようです。世界各地でさまざまな実証実験や大勢での祈りのプロジェクトなどが実施されています。

 あるインドの聖者によると、神の名前の一つは「サット・チット・アーナンダ」だそうです。サット・チット・アーナンダとは、存在・意識・至福。
 神々の世界、私たちの意識の深いレベル、根本神性の世界は、至福に満ちた世界、喜びの世界です。そこに繋がり、祈りが通じるようにするには、至福にフォーカスすれば良いのです。やっぱり、ラテン系で楽しく!が鍵かもしれませんね。


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