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全ての原因があなたにあるわけでは無い

 ラテン系の人は、何かトラブルがあると、たとえば運転手の人が時間に遅れたりすると平気で車の調子が悪かったせいにしたりします。これって日本人の感覚からすると、ふざけてんのか?と思ったりします。
 またよくスピリチュアルの世界では、すべての原因は自分にある、ということが言われています。でも果たして本当にそうでしょうか?

 屁理屈のように聞こえるかも知れませんが、自分に全ての原因があるとすると、内と外とでは100:0でバランス悪くないでしょうか? また全て周りのせいという考え方も内と外では0:100でバランス悪いですね。

 ここはひとつバランス良く、内と外の原因は、50:50ということで、いかがでしょうか? 何かあったら半分は周りのせい、ということで。
 余談ですが誰かのせいで酷い目にあった場合、アイツのせいで!というより、アイツのおかげで!と言ったほうが言霊としては良いですよん。(笑)
 何かが起こったとき、自分の内側だけの問題では無い場合もあるのです。外因からも影響を受けています。もちろん、その外因を引き寄せているのは自分自身ですが。

 ここで少しシャーマン的な話をしますと、皆さんたとえば大きな湖を浄化しようというとき、どうするかご存知ですか?
 実は、いきなり湖全体に対して祈ったりはしません。もっとも体力的にもキツイですからね。どうするかというと、その湖の水をコップか容器に汲んで、その水を湖全体の一部と見なして祈祷するのです。そして祈祷後その水を湖に返します。すると、あら不思議、湖全体が浄化されるのです。

 宇宙はワンネス、共鳴する、全てが関係している、といった仕組みの応用です。数学的にはフラクタル理論で説明出来たりしますが、難しい話は、ここではやめておきましょう。

 これを自分に当てはめるとどうでしょうか? そう。自分を100%磨きたければ、自分のなかの1%を磨けば良いということになります。
 1%と言ったって、それどれぐらいですか?と言われても困りますが、たとえば皆さんの得意なこと、好きなことが100個あったとしましょう。そのうち1つをテーマとして集中すれば、皆さんの人生が大きく変わるってことです。
 もし皆さんの得意なこと、好きなことが20個しか見つからなかったとしたら、そのうち1個に集中すれば、なんと!、自分を5%も磨けることになります。(笑)

 ここで大切なことは、自分の欠点を改善しようなどと考えないことです。長所に注目してください。また自分の好きなことでもいいです。まず良いところ、得意な分野を伸ばしてみようと考えてテーマを決めてください。欠点からスタートすると、壁にぶち当たります。

 たとえば、英会話できるように英語の勉強をしようという場合でも、自分は英語が苦手だからそこを改善しよう、とするのではなく、海外に行って楽しく旅行したい、もっと外国の人と楽しくコミュニケーションしたいから、英語が話せるようになろう!というようなノリで、楽しくなることを動機にしてください。

第二章 祈りの科学



第二章 祈りの科学


苦しい時だけ祈ってもダメ

 祈りの科学、なんていうと大層ですが、まぁ〜なんとなくカッコいいから章のタイトルにしてみました。さて、多くの人は、何か迷ったり、苦しいことがあると神社やお寺に行って、祈ります。日本では、特に信仰心の無い人でもお正月に初詣といって、神社に参拝します。

 しかし、もし皆さんが神さまの立場だったらどうでしょうか。一人の男性が、やってきて10円玉を賽銭箱に投げ入れ、祈りました「宝くじで1億円当たりますように」。また別の女性がやってきて、今度は百円玉を賽銭箱に入れて祈りました「ステキな彼氏と巡り会いますように」。皆さんだったら、これを聞き入れますか? 実はこれは祈りではなく、単なる願いごとです。

 そもそも10円で1億円とか、100円でステキな彼氏とか、冗談じゃないですが、神さまは別にお金を必要とはしていません。祈りを叶えるのにお金を要求したりはしないのです。
 神社やお寺には維持費用などが必要ですが、神さまは100円だとちょっと祈りを聞けないけど、1万円出してくれたら考えてみますわ、てなことはありません。多く出したほうが叶いそうな気はしますが、それは直接は関係ありません。ほとんど気分的なものです。

 そもそも、お賽銭というのは、自分の魂の一部を捧げて(エネルギー捧げて)祈りますという行為の一つの象徴とも言えます。お祭りの時には、神前に一杯、海の幸や山の幸、お菓子などの供物を供えますよね。それは、感謝の印であり、祈りの真剣さの決意表明でもあるのです。

 基本的な話、神社などでもどこでも祈る際には、その対象(神さま)と繋がらない限り、祈りも通じません。フツー皆さん、遠方の誰かと話したいときは、ちゃんと電話をかけて(相手と回線を繋いで)から話をしますよね。
 しかし、なぜか神社などでは神さまと通じないで、願い事を言う人が、後を絶たないのです。それって、単純におかしくないですか?

 また、よく昔から「苦しいときの神頼み」と言いますが、苦しい時だけ頼んでもダメなのです。常日頃の感謝の気持ちが皆さんの意識を高めます。
 祈りが宇宙に通じるものであれば、願いは叶います。前書で宇宙は同じ周波数で共鳴すると書きましたが、神(宇宙)と通じてこそ、初めて祈りは届きます。祈りとは、意乗り、意宣り。自分の意識と精妙な次元の意識を共鳴させてこそ、本当の祈りとなるのです。

 神(宇宙)に通じる最も近道は、感謝の気持ち。神々の世界は喜び、至福の世界です。感謝をすることによってその波動と共鳴し、皆さん自身の意識が高まります。精妙なレベル、つまり神々のレベルと共鳴するのです。
 神主さんの奏上される祝詞の文法を参考にしていただいてもわかりますが、祝詞って基本的に「かけまくもかしこき、○○の大神、~~~」といった感じで、冒頭から敬い、誉め讃え、感謝します。

 感謝をすると夢に近づくし、徳を積めます。感謝すると感謝するような出来事が起こる、というシンプルなメカニズムの応用です。誉める・感謝→祈り→実現→感謝というサイクルです。
 感謝をすることによって、喜びの波動と共鳴し、皆さん自身の意識が高まります。精妙なレベル、つまり神々のレベルと共鳴出来るようになるのです。

 感謝して祈ると神と通じますし、結果的にそれが何倍にもなって返ってきます。一般的な神社や仏閣での作法は、そこにある案内板や書籍に譲るとして、まずは感謝してみましょう。感謝で周波数を合わせて初めて、祈りが通じるのです。
 いきなり感謝するのが難しければ、すでに起きていることに感謝してください。今、感謝できることを探してみると、一つや二つ必ずあるはずです。

 お笑い芸人の明石家さんまさんの明言に「生きてるだけで丸儲け」というのがあるそうですが、素晴らしい言葉ですね。マジシャンのマギー審司さんの師匠のマギー司郎さんの言葉にも「生きてるだけで、だいたいOK」というのがあります。これも素晴らしい。まず今、生きてることを感謝してみてはいかがでしょうか。

 今に感謝すれば、宇宙の豊かさに通じます。今に感謝して、幸せや豊かさを感じられれば、幸せや豊かさを引き寄せることに繋がります。TVやラジオも周波数を合わせて初めて受信出来ます。常々、感謝の気持ちで祈っていれば、たとえ苦しいことがあっても、祈りはすぐに通じ、幸せな出来事を引き寄せられるのです。

 考えようによっては、参拝に行けることからしてすでに奇跡です。出かけられるほど健康で、交通費も出せて、時間の余裕もあり、さらに条件が揃って初めて参拝に行けるのです。神社やお寺で参拝出来ること自体恵まれています。こういった小さな奇跡から感謝してみては、いかがでしょうか。

基本は肯定形と現在形

 さて、祈っているだけで行動しないと何も変わりません。先日、海外映画を観ていたら、ある国の逸話でこんな話が出てきました。

 とても貧しい男が神に「どうか、私にクジで大金を当ててください」と祈りました。親切な神は、その男に対してこう言いました「頼むから、その前にクジを買ってくれ!」(爆) 自分から何かアクションを起こさないことには、神(宇宙)も助けようがないのです。

 ただし、感謝の気持ちで神(宇宙)と通じ、自分から行動していても、祈りかたそのものが間違っていると、それは祈りにはなりません。祈りが叶うためには、それが宇宙の仕組みに合っている必要があるのです。

 まず最初に前書の基礎編、第一章にも書きましたが、宇宙には肯定形のみ通じます。宇宙語に否定形はありません。
 なぜなら、宇宙は全てを包み込んでいるからです。そして本質は一つ、一元性の世界なのです。光とか闇といった二元性ではなく、それを超えた光そのものが宇宙の本質です。

 ですから、改めて書くと、神社などで祈る際、「〜しませんように」といった祈りかたは、宇宙意識から見ると、間違いになります。
 宇宙意識は「〜」の部分だけを認識して、実現します。祈りかたを間違えると、望む結果と逆のことが具現化しますので、注意が必要です。

 では、どのように祈れば良いのでしょうか? たとえばキリスト教などの祈りを例に挙げると、神の名において祈るということがよく行われます。
 神の名を訳するとアイ・アム・ザット・アイ・アム、私はそれである、〜であるという意味になると言われています。キリスト教の祈りでは一通り、望む結果を述べた後、神の名においてその実現を祈ります。
 また祈りの〆の言葉、「アーメン」には祈りをさらに肯定する「その通り」という意味も含んでいるようです。ずばり肯定形の祈りなのです。

 肯定形で祈ると、それを現実として体験出来るようになります。もし今病気の人が健康になりたければ「これ以上病気がひどくなりませんように」と祈るのではなく、「私は日々、本来の健康を取り戻しつつあります。ありがとうございます。」といった感じで祈ったほうが効果があります。

 新聞や雑誌、テレビなどは情報を得る手段としては便利ですが、その内容の多くは否定的なものです。否定的なことのほうがニュースにしやすいから でしょうか。メディアの情報は、参考になることもあります。しかし一方的に否定的なニュースを取り込むのは良くないと考えられます。

 自分が意識したことを宇宙は増幅します。意識をどこに向けるか、どこにフォーカスするのかが大切なのです。これはよくあることですが、新聞やテレビである事件が大きく報道されると、それとよく似た事件が続けて起こったりします。
 人々の心理状態によって株価も大きく動きます。否定的なことに人の意識が向くと否定的な事件が多くなり、肯定的なことに人々の意識が向くと平和な話題が増えるのです。

 前書でマザー・テレサの言葉を紹介しましたが、平和運動にしても環境問題への取り組みに関しても、否定的なことばかりに目を向けないで、肯定的なことに目を向けて活動したほうが効果的です。否定的な考えで行動すると、結果的にそれは自分も傷つけることになるのです。何かに対する反対デモなどもそうです。
 もっと愛にもとづいて行動することがとても大切だと思いませんか? そのために出来ることを考えましょう。最近、日本の原発反対運動の様子なども見ていると、愛に目覚めて行動している人が増えてきたように感じます。日本人の意識は、世界の国々から見ても、よりステップアップしたように感じて嬉しく思います。

 幸せに生きるには、出来るだけ肯定的なことに意識を向けること。無意味にテレビをつけっぱなしにしたりせず、人の幸せをお祝いするなど幸せなニュースに意識を向ける習慣を持ったほうが良いでしょう。

 たしか北欧のある国では、ニュースの半分以上は良いニュースを流しましょう、という法案が通ったそうです。とても賢い選択だと思います。
 誰かにお目出度いことがあったら、どんどん皆でお祝いしましょう。こういうところで、ケチって何もしないというのは、結果的に自分にもよろしくありません。ささやかでもいいので、無理の無い範囲でお祝いしましょう。


 さて次のポイントとして、宇宙には今、現在形のみ通じます。宇宙には永遠の今があります。宇宙意識のレベルでは、過去形や未来形はありません。
 したがってこれまた前書でも書きましたが宇宙意識のレベルでは、過去形や未来形は無いので「〜しますように」とか、「〜になりますように」という願いかたは、間違いになります。

 たとえば「お金持ちになれますように」という未来形の祈りかたも、間違い。もしとっても親切な神さまがいて、その祈りが聞き届けられるとどうなるか。なんと、ずっと「お金持ちになりますように」と言っている状態が実現され、一向にお金持ちにはならないのです。でも、こういう祈り方をしている人が、実に多いのですよ。

 信念とは、今の心を信じること。祈りや願いを叶えたかったら、それが叶った時の心を今の心にする、ということが大切なのです。
 ある日、講演後に一人の年配の女性が私のところにやってきて、大学受験をする孫の合格祈願のために絵馬を神社に納めたいが、どのように書けば良いか、と尋ねて来られました。

 願い事を叶えたい場合は、その具体的な事柄、望む状態、そしてそれが実現した感覚として、感謝の言葉で締めくくります。この場合、「○○大学 合格 ありがとうございます」というのが宇宙の法則に基づいた絵馬の書き方の一例になります。神社にちゃんとしたスタイルがある場合は、それを手本にしていただいたらいいですが、一つの例として参考にしてください。

 宇宙は、今という時間軸で応えてくれますので、「合格しますように」といった文法では通じにくいのです。また肯定的な内容のみに応えてくれますので「試験に落ちませんように」というのももちろん間違いです。

 スピリチュアル系の人たちの間では、よく過去形で願いを言うというと叶うということを勧めているかたが多いですが、実は過去形の願いが通じるのは、とっても素直で意識の純粋な人だけなのです。
 なぜなら、もし仮に「私はお金持ちになりました。ありがとうございます。」と祈ったとしますと、普通の人の潜在意識は「それって、今と照らし合わせてみると、嘘じゃん」とあっさり否定してしまいます。いくら何度宣言しても無駄です。それでは願いも叶いません。

 私たちのような凡人は、肯定形、現在形で祈るほうが効果的です。また現在形や現在進行形が難しいと感じたら、望む状況を単語として述べることをお勧めします。先の絵馬の例でいくと「合格」という単語です。
 あっさり「家庭円満、健康増進」てな感じの四字熟語で希望を述べ、その後に感謝の「ありがとうございます」と付けるぐらいが良いと思います。

祈ることは、祈られること?

 神社やお寺や教会に行って神に祈るといった場合、巡り巡って、誰に祈っているか、皆さんはご存じですか?

 ある日、私は京都のとある神社の摂社で不思議な体験をしました。どこの神社か具体的に書いてしまうと、雑誌のパワー・スポット特集にでも載ってしまって大勢の観光客の皆さんが押し寄せ、静寂が失われてしまうので一応伏せておきます。京都の西南の神社とだけ言っておきましょう。
 
 そこは、周りが池になっているところに小さな地主社の祠があるのですが、元々の土地の神様を祀っています。そこで手を合わせて祈った時、目を閉じると、不思議なことに手を合わせて祈っている自分の姿が、真正面から観えたのです。
 不思議に思って目を開けると、祠に向かって祈っている自分がいます。でも目を閉じるとまた祈っている自分の姿が、真正面から見えたのです。つまり目を閉じた時は、視線は祠の中からになっていたのです。

 これって、どうゆうこと?と不思議でしたが、恐いという感覚はなく、とっても愉快な気持ちになりました。まるで祈ることは、祈られることでもあるのですよ、と教えられたようでした。

 宇宙は一つ、ワンネスですが、多様性に満ちています。娘がまだ三歳ぐらいの時、毎朝、毎晩、多くの神々に祈りを捧げている私を見て、どうしてそんなにたくさんの神さまにお祈りしているの?、と訊ねてきたことがあります。
 これに対して、私は直感的に「ダイヤモンドを磨いているようなものだよ」と答えました。その内容が三歳の娘に理解出来たかどうかはわかりませんが、娘はふぅ〜ん、と言って一応その会話はそこで完結しました。

 宇宙のワンネスと多様性を、ダイヤモンドのように考えるとわかりやすいと思います。宇宙というダイヤモンドの様々な面を磨いているのです。ダイヤモンドって、原石ではガラスとあまり見分けがつきませんが、カット面が多いとキラキラ輝いて綺麗でしょ?

 多くの神々(宇宙)に祈りを捧げるということは、多様な面を見ているようですが、巡り巡って結局は自分自身を祈っていることにもなるのです。
 多くの神さま、仏さまに祈っていてもそれは自分に繋がっています。祈ることは、祈られることでもあります。神社の神殿には、鏡があります。そこに写るのは、皆さん自身の姿ではないでしょうか。

 観音の像を拝む時、観音さまも皆さんに祈っています。これを知っていると、一方的な祈りではなく、相互コミュニケーションの祈りの輪が完成します。少し余談ですが、座っている仏さまのように見えるという喉仏も、前を向いているのではなく、実は自分のほうに向いているそうです。

 神社で打つ柏手も、元々は人が道で会ったとき、お互いを褒め称えるように拍手したことに由来しているという説もあり、本来は双方向なのです。
 本来の祈りというのは、共鳴、共振であり、一方的なお願いではありません。一方的なのは単なるお願いでしか無いのです。祈りと単なるお願いは違います。感謝し、肯定的に、現在形で祈り、自ら行動するとき、皆さんの祈りは宇宙と共鳴し、幸せな現実となって、皆さんの体験に現れてきます。


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