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第二章 祈りの科学

第二章 祈りの科学



第二章 祈りの科学


苦しい時だけ祈ってもダメ

 祈りの科学、なんていうと大層ですが、まぁ〜なんとなくカッコいいから章のタイトルにしてみました。さて、多くの人は、何か迷ったり、苦しいことがあると神社やお寺に行って、祈ります。日本では、特に信仰心の無い人でもお正月に初詣といって、神社に参拝します。

 しかし、もし皆さんが神さまの立場だったらどうでしょうか。一人の男性が、やってきて10円玉を賽銭箱に投げ入れ、祈りました「宝くじで1億円当たりますように」。また別の女性がやってきて、今度は百円玉を賽銭箱に入れて祈りました「ステキな彼氏と巡り会いますように」。皆さんだったら、これを聞き入れますか? 実はこれは祈りではなく、単なる願いごとです。

 そもそも10円で1億円とか、100円でステキな彼氏とか、冗談じゃないですが、神さまは別にお金を必要とはしていません。祈りを叶えるのにお金を要求したりはしないのです。
 神社やお寺には維持費用などが必要ですが、神さまは100円だとちょっと祈りを聞けないけど、1万円出してくれたら考えてみますわ、てなことはありません。多く出したほうが叶いそうな気はしますが、それは直接は関係ありません。ほとんど気分的なものです。

 そもそも、お賽銭というのは、自分の魂の一部を捧げて(エネルギー捧げて)祈りますという行為の一つの象徴とも言えます。お祭りの時には、神前に一杯、海の幸や山の幸、お菓子などの供物を供えますよね。それは、感謝の印であり、祈りの真剣さの決意表明でもあるのです。

 基本的な話、神社などでもどこでも祈る際には、その対象(神さま)と繋がらない限り、祈りも通じません。フツー皆さん、遠方の誰かと話したいときは、ちゃんと電話をかけて(相手と回線を繋いで)から話をしますよね。
 しかし、なぜか神社などでは神さまと通じないで、願い事を言う人が、後を絶たないのです。それって、単純におかしくないですか?

 また、よく昔から「苦しいときの神頼み」と言いますが、苦しい時だけ頼んでもダメなのです。常日頃の感謝の気持ちが皆さんの意識を高めます。
 祈りが宇宙に通じるものであれば、願いは叶います。前書で宇宙は同じ周波数で共鳴すると書きましたが、神(宇宙)と通じてこそ、初めて祈りは届きます。祈りとは、意乗り、意宣り。自分の意識と精妙な次元の意識を共鳴させてこそ、本当の祈りとなるのです。

 神(宇宙)に通じる最も近道は、感謝の気持ち。神々の世界は喜び、至福の世界です。感謝をすることによってその波動と共鳴し、皆さん自身の意識が高まります。精妙なレベル、つまり神々のレベルと共鳴するのです。
 神主さんの奏上される祝詞の文法を参考にしていただいてもわかりますが、祝詞って基本的に「かけまくもかしこき、○○の大神、~~~」といった感じで、冒頭から敬い、誉め讃え、感謝します。

 感謝をすると夢に近づくし、徳を積めます。感謝すると感謝するような出来事が起こる、というシンプルなメカニズムの応用です。誉める・感謝→祈り→実現→感謝というサイクルです。
 感謝をすることによって、喜びの波動と共鳴し、皆さん自身の意識が高まります。精妙なレベル、つまり神々のレベルと共鳴出来るようになるのです。

 感謝して祈ると神と通じますし、結果的にそれが何倍にもなって返ってきます。一般的な神社や仏閣での作法は、そこにある案内板や書籍に譲るとして、まずは感謝してみましょう。感謝で周波数を合わせて初めて、祈りが通じるのです。
 いきなり感謝するのが難しければ、すでに起きていることに感謝してください。今、感謝できることを探してみると、一つや二つ必ずあるはずです。

 お笑い芸人の明石家さんまさんの明言に「生きてるだけで丸儲け」というのがあるそうですが、素晴らしい言葉ですね。マジシャンのマギー審司さんの師匠のマギー司郎さんの言葉にも「生きてるだけで、だいたいOK」というのがあります。これも素晴らしい。まず今、生きてることを感謝してみてはいかがでしょうか。

 今に感謝すれば、宇宙の豊かさに通じます。今に感謝して、幸せや豊かさを感じられれば、幸せや豊かさを引き寄せることに繋がります。TVやラジオも周波数を合わせて初めて受信出来ます。常々、感謝の気持ちで祈っていれば、たとえ苦しいことがあっても、祈りはすぐに通じ、幸せな出来事を引き寄せられるのです。

 考えようによっては、参拝に行けることからしてすでに奇跡です。出かけられるほど健康で、交通費も出せて、時間の余裕もあり、さらに条件が揃って初めて参拝に行けるのです。神社やお寺で参拝出来ること自体恵まれています。こういった小さな奇跡から感謝してみては、いかがでしょうか。

基本は肯定形と現在形

 さて、祈っているだけで行動しないと何も変わりません。先日、海外映画を観ていたら、ある国の逸話でこんな話が出てきました。

 とても貧しい男が神に「どうか、私にクジで大金を当ててください」と祈りました。親切な神は、その男に対してこう言いました「頼むから、その前にクジを買ってくれ!」(爆) 自分から何かアクションを起こさないことには、神(宇宙)も助けようがないのです。

 ただし、感謝の気持ちで神(宇宙)と通じ、自分から行動していても、祈りかたそのものが間違っていると、それは祈りにはなりません。祈りが叶うためには、それが宇宙の仕組みに合っている必要があるのです。

 まず最初に前書の基礎編、第一章にも書きましたが、宇宙には肯定形のみ通じます。宇宙語に否定形はありません。
 なぜなら、宇宙は全てを包み込んでいるからです。そして本質は一つ、一元性の世界なのです。光とか闇といった二元性ではなく、それを超えた光そのものが宇宙の本質です。

 ですから、改めて書くと、神社などで祈る際、「〜しませんように」といった祈りかたは、宇宙意識から見ると、間違いになります。
 宇宙意識は「〜」の部分だけを認識して、実現します。祈りかたを間違えると、望む結果と逆のことが具現化しますので、注意が必要です。

 では、どのように祈れば良いのでしょうか? たとえばキリスト教などの祈りを例に挙げると、神の名において祈るということがよく行われます。
 神の名を訳するとアイ・アム・ザット・アイ・アム、私はそれである、〜であるという意味になると言われています。キリスト教の祈りでは一通り、望む結果を述べた後、神の名においてその実現を祈ります。
 また祈りの〆の言葉、「アーメン」には祈りをさらに肯定する「その通り」という意味も含んでいるようです。ずばり肯定形の祈りなのです。

 肯定形で祈ると、それを現実として体験出来るようになります。もし今病気の人が健康になりたければ「これ以上病気がひどくなりませんように」と祈るのではなく、「私は日々、本来の健康を取り戻しつつあります。ありがとうございます。」といった感じで祈ったほうが効果があります。

 新聞や雑誌、テレビなどは情報を得る手段としては便利ですが、その内容の多くは否定的なものです。否定的なことのほうがニュースにしやすいから でしょうか。メディアの情報は、参考になることもあります。しかし一方的に否定的なニュースを取り込むのは良くないと考えられます。

 自分が意識したことを宇宙は増幅します。意識をどこに向けるか、どこにフォーカスするのかが大切なのです。これはよくあることですが、新聞やテレビである事件が大きく報道されると、それとよく似た事件が続けて起こったりします。
 人々の心理状態によって株価も大きく動きます。否定的なことに人の意識が向くと否定的な事件が多くなり、肯定的なことに人々の意識が向くと平和な話題が増えるのです。

 前書でマザー・テレサの言葉を紹介しましたが、平和運動にしても環境問題への取り組みに関しても、否定的なことばかりに目を向けないで、肯定的なことに目を向けて活動したほうが効果的です。否定的な考えで行動すると、結果的にそれは自分も傷つけることになるのです。何かに対する反対デモなどもそうです。
 もっと愛にもとづいて行動することがとても大切だと思いませんか? そのために出来ることを考えましょう。最近、日本の原発反対運動の様子なども見ていると、愛に目覚めて行動している人が増えてきたように感じます。日本人の意識は、世界の国々から見ても、よりステップアップしたように感じて嬉しく思います。

 幸せに生きるには、出来るだけ肯定的なことに意識を向けること。無意味にテレビをつけっぱなしにしたりせず、人の幸せをお祝いするなど幸せなニュースに意識を向ける習慣を持ったほうが良いでしょう。

 たしか北欧のある国では、ニュースの半分以上は良いニュースを流しましょう、という法案が通ったそうです。とても賢い選択だと思います。
 誰かにお目出度いことがあったら、どんどん皆でお祝いしましょう。こういうところで、ケチって何もしないというのは、結果的に自分にもよろしくありません。ささやかでもいいので、無理の無い範囲でお祝いしましょう。


 さて次のポイントとして、宇宙には今、現在形のみ通じます。宇宙には永遠の今があります。宇宙意識のレベルでは、過去形や未来形はありません。
 したがってこれまた前書でも書きましたが宇宙意識のレベルでは、過去形や未来形は無いので「〜しますように」とか、「〜になりますように」という願いかたは、間違いになります。

 たとえば「お金持ちになれますように」という未来形の祈りかたも、間違い。もしとっても親切な神さまがいて、その祈りが聞き届けられるとどうなるか。なんと、ずっと「お金持ちになりますように」と言っている状態が実現され、一向にお金持ちにはならないのです。でも、こういう祈り方をしている人が、実に多いのですよ。

 信念とは、今の心を信じること。祈りや願いを叶えたかったら、それが叶った時の心を今の心にする、ということが大切なのです。
 ある日、講演後に一人の年配の女性が私のところにやってきて、大学受験をする孫の合格祈願のために絵馬を神社に納めたいが、どのように書けば良いか、と尋ねて来られました。

 願い事を叶えたい場合は、その具体的な事柄、望む状態、そしてそれが実現した感覚として、感謝の言葉で締めくくります。この場合、「○○大学 合格 ありがとうございます」というのが宇宙の法則に基づいた絵馬の書き方の一例になります。神社にちゃんとしたスタイルがある場合は、それを手本にしていただいたらいいですが、一つの例として参考にしてください。

 宇宙は、今という時間軸で応えてくれますので、「合格しますように」といった文法では通じにくいのです。また肯定的な内容のみに応えてくれますので「試験に落ちませんように」というのももちろん間違いです。

 スピリチュアル系の人たちの間では、よく過去形で願いを言うというと叶うということを勧めているかたが多いですが、実は過去形の願いが通じるのは、とっても素直で意識の純粋な人だけなのです。
 なぜなら、もし仮に「私はお金持ちになりました。ありがとうございます。」と祈ったとしますと、普通の人の潜在意識は「それって、今と照らし合わせてみると、嘘じゃん」とあっさり否定してしまいます。いくら何度宣言しても無駄です。それでは願いも叶いません。

 私たちのような凡人は、肯定形、現在形で祈るほうが効果的です。また現在形や現在進行形が難しいと感じたら、望む状況を単語として述べることをお勧めします。先の絵馬の例でいくと「合格」という単語です。
 あっさり「家庭円満、健康増進」てな感じの四字熟語で希望を述べ、その後に感謝の「ありがとうございます」と付けるぐらいが良いと思います。

祈ることは、祈られること?

 神社やお寺や教会に行って神に祈るといった場合、巡り巡って、誰に祈っているか、皆さんはご存じですか?

 ある日、私は京都のとある神社の摂社で不思議な体験をしました。どこの神社か具体的に書いてしまうと、雑誌のパワー・スポット特集にでも載ってしまって大勢の観光客の皆さんが押し寄せ、静寂が失われてしまうので一応伏せておきます。京都の西南の神社とだけ言っておきましょう。
 
 そこは、周りが池になっているところに小さな地主社の祠があるのですが、元々の土地の神様を祀っています。そこで手を合わせて祈った時、目を閉じると、不思議なことに手を合わせて祈っている自分の姿が、真正面から観えたのです。
 不思議に思って目を開けると、祠に向かって祈っている自分がいます。でも目を閉じるとまた祈っている自分の姿が、真正面から見えたのです。つまり目を閉じた時は、視線は祠の中からになっていたのです。

 これって、どうゆうこと?と不思議でしたが、恐いという感覚はなく、とっても愉快な気持ちになりました。まるで祈ることは、祈られることでもあるのですよ、と教えられたようでした。

 宇宙は一つ、ワンネスですが、多様性に満ちています。娘がまだ三歳ぐらいの時、毎朝、毎晩、多くの神々に祈りを捧げている私を見て、どうしてそんなにたくさんの神さまにお祈りしているの?、と訊ねてきたことがあります。
 これに対して、私は直感的に「ダイヤモンドを磨いているようなものだよ」と答えました。その内容が三歳の娘に理解出来たかどうかはわかりませんが、娘はふぅ〜ん、と言って一応その会話はそこで完結しました。

 宇宙のワンネスと多様性を、ダイヤモンドのように考えるとわかりやすいと思います。宇宙というダイヤモンドの様々な面を磨いているのです。ダイヤモンドって、原石ではガラスとあまり見分けがつきませんが、カット面が多いとキラキラ輝いて綺麗でしょ?

 多くの神々(宇宙)に祈りを捧げるということは、多様な面を見ているようですが、巡り巡って結局は自分自身を祈っていることにもなるのです。
 多くの神さま、仏さまに祈っていてもそれは自分に繋がっています。祈ることは、祈られることでもあります。神社の神殿には、鏡があります。そこに写るのは、皆さん自身の姿ではないでしょうか。

 観音の像を拝む時、観音さまも皆さんに祈っています。これを知っていると、一方的な祈りではなく、相互コミュニケーションの祈りの輪が完成します。少し余談ですが、座っている仏さまのように見えるという喉仏も、前を向いているのではなく、実は自分のほうに向いているそうです。

 神社で打つ柏手も、元々は人が道で会ったとき、お互いを褒め称えるように拍手したことに由来しているという説もあり、本来は双方向なのです。
 本来の祈りというのは、共鳴、共振であり、一方的なお願いではありません。一方的なのは単なるお願いでしか無いのです。祈りと単なるお願いは違います。感謝し、肯定的に、現在形で祈り、自ら行動するとき、皆さんの祈りは宇宙と共鳴し、幸せな現実となって、皆さんの体験に現れてきます。

純粋性が叶える鍵

 松任谷由美さんの歌の歌詞に「小さい頃は、神様がいて、不思議に夢を叶えてくれた やさしい気持で目覚めた朝は、おとなになっても奇跡はおこるよ」というのがあります。私の大好きな「やさしさに包まれたなら」という曲の出だしの歌詞です。

 まだ荒井由実さんの名で活動されていた初期の歌ですが、とってもいい歌です。聴いたことが無いかたは、ぜひ一度聴いてください。
 この歌の歌詞をじっくり味わうだけでも子供の頃の純粋性が蘇るかもしれません。子供の頃は、この歌の歌詞のように不思議に夢が叶いやすかった、ということはありませんか?

 また平安時代の『梁塵秘抄』(りょうじんひしょう)という書には、次のような一節があります。

遊びをせむとや 生まれけむ  戯れせんとや 生まれけむ
遊ぶ子供の 声聞けば  我が身さへこそ 揺るがるれ
                    『梁塵秘抄』

 私の好きな歴史上の人物に平安時代では、後白河上皇と在原業平がおられます。この『梁塵秘抄』は、前者の後白河上皇(1127〜1192年)が編纂したものです。京都の三十三間堂を建立して千体の千手観音を納めたことでも知られる第77代天皇ですが、一言で言うと「ブッ飛び天皇」。
 大河ドラマなどでは、少し狡猾な人物として描かれることが多いのですが、乙前という今様の女芸人を師と仰ぐ、斬新な発想の持ち主でした。今様とは、「当世はやりの」という意味で、平安中期に起こった流行歌謡のことです。

 現代にたとえれば、天皇陛下が演歌歌手のお弟子さんになって、一晩中、歌謡曲を歌うようなもので、想像しただけで気絶しそうになります。おそらく、周りは大変だったでしょうけど、後白河上皇は、枠に囚われない、子供のような無邪気な人だったのではないか?と思います。

 子供のような純粋な心を、日本では古来より「あかき心」と言い、宇宙の法則に叶う誠の心として尊んできました。生まれたての子供のことを赤ちゃんといいますよね。
 赤ちゃんとは、ただ肌の色が赤いからそう言うだけではなく「明き心」、とても純粋な心を持っている、また元気に溢れているという意味も含んでいるのです。
 赤ちゃんや子供の時は、言葉と行動、意識(心、感情など)がまさに一体です。生まれた時からグレている人はいません。皆さんとても純粋です。

 子供の時の純粋性は、大人になるにつれて失われがちですが、古来より日本人はその純粋性を保つように、伝統的な行事の中に様々な工夫をしてきました。たとえば七夕の時期になると、日本人は子供の頃の純粋な願いを思い出したりします。

 毎年7月7日、本来は旧暦の7月7日(8月中旬の上弦の月の日)、笹の枝に願い事を書いた短冊を付けて飾ります。
 短冊に願い事を書くのは、平安時代の頃、中国から伝わった乞功奠(きこうでん)という行事に基づいていると言われています。機織りがとても上手であったとされる織女星に、機織りがうまくなるように女の子が祈りをささげていたのです。

 我が家でも長女が幼稚園の頃、笹の枝をもらってきて、折り紙で作った短冊に熱心に願い事を書いておりました。仕事から遅くに帰ると、私の分も代わりに書いてくれたとのこと。
 何と書いてくれたのか後で見てみると、そこには「りっぱなオトコになれますように!」と書いてありました。はたして、その願いは叶ったのでしょうか?(笑)

 世の中の多くの人達は、潜在意識より深いレベルに、まるで雲がかかって太陽の光が届かないように、霧がかかっている状態の場合が多いようです。これをサギリ(狭霧)といいます。誰の内にもある太陽のような根本神性の光を遮る霧のようなモヤモヤです。

 この意識の中にモヤモヤがある状態で、いくら積極的な言葉を使ってもなかなか意識の奥深くまで浸透しません。また内なる神性も出てこないので、結果的に願いがなかなか叶わないか、もし叶ったとしても砂上の楼閣のように一時的な達成に終わってしまうのです。次の節でもこのあたりをクリアにするコツを書きます。
 鍵となるのは、意識、心の純粋性です。意識のとても純粋な人を神道では 「浄き、明き、直き、誠の心」を持っている人といいます。

 なお意識をクリアにする場合、まず第一章で書いているように皆さんの幸せのビジョンを明確にし、それから意識をクリアにしていくことをお勧めします。そのほうが、楽しく効果的に取り組めます。
 自分の意識を綺麗にするぞぉ!とあまり力を入れすぎると、修行みたいになってしまいます。

 意識をクリアにするには、一つには音を使った手法があります。これについては、前書の第二章の「心身を癒す音の神秘」で書きましたが、自然界のホワイトノイズやピンクノイズを含む、滝の音、清流の音などに浸ることを習慣にしていると、その音の働きによって意識がクリアになります。

 日本庭園や寺院の庭などには、流水を人工的に作ったりしていますが、これは時々縁側などに座ってその音を楽しみ、意識をクリアにしていた古代の人たちの知恵なのではないか、と私は考えています。
 また瞑想もお勧めです。禅やインドの瞑想など、様々な手法がありますが、本だけでは修得しにくいので、ヨーガや瞑想の指導者について学ばれることをお勧めします。

思い込みから自由になる

 願いを叶えたかったら、自分自身の意識をクリアにする、綺麗にする必要がある、ということを書いてきましたが、特に感情面の問題や、思いこみ、偏見なども晴らしておくことが必要です。

 いくら良い言葉を使って、良い行動をしても願いが成就しない場合、また困難な状況になる場合には心、意識を深いレベルから綺麗にする必要があります。
 たとえば、ベストセラーとなった『ザ・シークレット』に書かれたことを実践しても、どうもうまくいかない、という人は、この大切なキー・ポイントが抜けているのです。

 ポジティヴ・シンキングでもある程度の成果は出ますし、自分の欲しい現象や物事を引き寄せたり、それなりの収穫はありますが、ある段階で大きな壁にぶつかることもあります。そのような壁の原因や、それを超える方法については、残念ながら今まで、ほとんど誰も述べてきませんでした。

 しかし『ザ・シークレット』に登場する24人の賢者の中の一人、作家でマーケッターのジョー・ビタリー博士は『ザ・キー』(イースト・プレス)という著書で、まさに私がたどり着いたのと同じようなポイントについて開示しています。この本でジョー・ビタリー博士は、主に感情的なものをクリアする方法について書いています。

 昔、哲学者デカルトは「我思うゆえに我あり」と言いましたが、本当のことを言うと、我思わなくても我は在ります。(爆)
 実は、ゴチャゴチャした思いが無いほうが、真実の私が姿を現すのです。ひょっとすると、あなたにとって思いこみは、重いゴミかも知れません。長年の思いこみが皆さんの自由な思考や行動を制限している場合もあります。「思い込みは、重いゴミ」、思い込みから自由になりましょう。

 映画スターウォーズに出てくるジェダイマスターの長老ヨーダもエピソード5「帝国の逆襲」の中でルークに次のような台詞を言っています。

You must unlearn what you have learned.  Yoda

 学んだ知識を手放せとか、思い込みや、固定観念など捨てなさいという意味です。だからといって、ジャン・ピエールの本で読んだことをあっさり忘れないでくださいね。(汗)

 そして、第一章でプロセスは宇宙にまかす、結果そのものも宇宙に委ねるという話を書きましたが、祈りの場合も同様です。
 何か具体的なことを希望している場合、日本の武士道精神では「神よご照覧あれ」という姿勢で祈ります。つまり「私は○○を成しとげようと思います。どうぞ後押しよろしくお願いします。」という感じで祈るのです。

 出雲大社大阪分詞教主をされていた吉村亀治先生は「余計なことをごちゃごちゃ祈らんでもええ。ゆく先よろしくお願いします、だけでええんや。」と教えられました。神々と共鳴すれば、余計なことを言わなくても通じるそうです。思い込みや、固定観念から自由になって、素の気持ちで祈ってみましょう。

 祈りや願いを発したら、宇宙や神々はそれにどのように応えてくれるのでしょうか? 実は私たちが想像する以上のものをもたらしてくれることも多いのです。宇宙は増幅エコーで応えてくれます。
 普通、山彦の場合は、ヤッホーッと言うと、少し小さい音でヤッホーッと返ってきます。しかし大地に種を蒔くと、多くの実がなります。一粒の稲から多くの稲穂が実ります。日本で古くから一粒万倍と言われるように何倍にもなって返ってくるのです。
 何かに意識をフォーカスしただけで、皆さんにとってのその対象のエネルギーは増幅されます。少なくとも一つの目安としては、十倍以上になって返ってきます。

 この素晴らしい恩恵を得るためにも思い込みや、固定観念から自由になって、素の気持ちになることが大切です。
 思いこみを整理するには、一度道徳的なことは横に置いて、自分がしなければいけないと思っていることを一度見直してみると良いかも知れません。

 道徳的なことは、人間社会を円滑にするために人間のアタマで考えたことも多いです。それが必ずしも宇宙の法則に則っているか、というとそうと言い切れない場合もあります。宗教的な戒律なども含めて、一度原点に立ち返って考えてみてください。
 大勢の人がやっていることだから、あなたもしないといけないというのは理由にはならないのです。逆に誰もしていないことでも、皆さんにとって大切なことがあるかも知れません。

 イライラするとか、気分がスッキリしないときには、まず部屋の掃除をしてみると気分もスッキリすることが多いと前にも書きました。掃除は一番、効果的な方法です。不要品を減らしたり、家の玄関と水回り、トイレなどを綺麗にして、家のエネルギーの流れをよくすることがポイントです。

 何かに迷ったりしている時など、内面からスッキリする手法に取り組むのも良いですが、意識や心は目に見えず、掴みどころがありませんので、それを整理することはなかなか難しいです。それよりも部屋の掃除をすると、アッサリと気持ちの整理もつくことがあります。
 また気分をリセットするのも良い考えです。たとえば、普段と違った体験の出来る旅行、海外旅行などをしてみると、素の自分を見つめる良い機会になるかもしれません。

 また何かを得たかったら、逆によく引くと、何倍にもなって返ってくるということも言えます。弓をしっかり引くと、矢が遠くまで飛んでいきます。いい空気を吸いたければ、まずしっかり吐くことが大切です。お金が欲しかったら、まず人に喜ばれることを提供すること。

 自分の話をよく聞いて欲しかったら、まず人の話を良く聞くことが大切です。人間には耳が二つ、口が一つなのもよく聞くためなのかもしれません。
 祈る場合も、まず願いごとをする前に、感謝する。そして自分の思い込みや、固定観念など余計なものを取っていく、引いていくと良いと思います。

感情をうまく流す

 思い込みから自由になったら、感情面もクリアにしていくことをお勧めします。感情というのは、抑えるものではありません。喜びや楽しみなど、良い感情を表に出すというのは良いことですが、特に悪い感情、怒りの感情や涙も抑えるのではなく、うまく流すことが大切です。ラテン系の人たちは、けっこう感情を表に出します。

 ときには怒ってもいいのです。泣いてもいいのです。大切なのは、感情に振り回されないことです。感情をコントロールするとは、原因を認識して、適切に流すこと。
 感情は、人の生活を向上させたり、さまざまな技術を進化させる原動力にもなります。人間は、知識以前に感情があるからこそ進化してきたのです。マインド、知識だけだと進歩はありません。まずハートの点火が必要です。

 怒りの原因は、意外と単純な場合も多いです。怒りが湧いてきた時やイライラする時、次のような項目のいずれかに当てはまることが多いです。
 お腹が空いていないか? 寒くないか? 寝不足ではないか? 換気は充分か? 空気が乾燥しすぎていないか? 湿気が多すぎないか? 便通は良 いか? 喉が渇いていないか? 疲れすぎていないか? など。

 これらの一つ以上が当てはまる場合は、その原因を解決することによって、怒りの感情が解消されてしまう場合も多いです。まずちゃんとご飯を食べて、しっかり暖まって、その上で考えてみましょう。また笑いと感動は怒りを消します。少し意識して笑いと感動に繋がる体験をしてみましょう。


 もし不安や恐怖が涌いてきたら、自分がそういう感情を抱いているということを認めてみてください。自分で「あ〜、私は怖がっているのだ」とその感情を認めるだけで、不安な気持ちも収まります。
 実は、人間の神経系統は自分でその状態を認識すると、自動的にバランスを取るように出来ているのです。

 胸がドキドキする時は自分で脈を取ると、ドキドキも収まります。もし緊張して胸がドキドキする時は、胸に手を当てるか、手首にもう一方の指を当てて、脈を測ってみてください。不思議に気持ちが穏やかになります。
 不安感や怖い気持ちや怒りが涌いてきた時もその感情を一度認めてみてください。すると、その気持ちが収まることもあります。


 また呼吸に意識を向けてみてください。人は生まれた時に産声を上げ、死ぬときには息を引き取ります。人の呼吸は、寄せては返す海の波にも似ています。
 海の波は、1分間に18回寄せては返します。その倍数のさらに倍数が、人間の脈拍数と同じ72回になります。呼吸と脈拍のリズムは、倍数で調和しているのです。成人の安静時の呼吸数は、平均的には1分間に16〜18回(吐く+吸うで2回)、子供は、1分間に20回程度と成人よりは多く、睡眠時には成人で12〜15回程度になります。

 体調の悪い時、感情的に乱れているときなどには、呼吸は浅く、早くなります。波の音のCDなどを聴きながら、回数を気にせず深く、長い呼吸してみましょう。ゆったりとした気持ちで、波の音に身を任せながら、深い呼吸をしてみてください。ゆっくり深呼吸すると、1分間に8回程度の呼吸数になります。
 そこから徐々に呼吸のリズムをアップし、4秒で吐いて、3秒で吸うと、だいたい寄せては返す波と同じ1分間に16〜18回、吐いたり、吸ったりという正常なリズムになります。すると、感情のさざ波も収まり、穏やかな気持ちになります。

宇宙からえこひいきされるには?

 宇宙は多様性に満ちているので、全部均等で、同等ということはありません。神さまだって、えこひいきすることが多いと私は思います。

 たとえば神社やお寺などに行くと、初参拝なのに食事をご馳走になったり、普通は入れない奥まで神官に入れてもらえたり、普段ご開帳してない扉がたまたま開いていたり、いきなり宴会に参加させられて、海の幸、山の幸に綺麗なオネェサンのお酌付きで歓待してもらえることもあります。これって良い意味で、えこひいきですよね。(笑)

 職場や社会でも、誰もが平等に、なんていうのは理想ですが、実際えこひいきされたほうが得な場面が多いです。バーや居酒屋でも、サービスで一品多く出てくるというのは、馴染みの客、贔屓の客だからです。
 女性でもやはり美人は、えこひいきされると感じることが多いです。実は神さま(宇宙)も、美しい人が好きです。日本でも真・善・美といいますが、美しいということが進化していく宇宙には大切なことなのです。宇宙は常に進化しています。

 まず最初にどういう美しさが好まれるかというと、姿・カタチの美しい人です。神さまは面食いなのです。そして次に心の美しい人も好きです。でもこれは、ちょっとハードルが高い。
 しかし、まだ望みはあります。身だしなみや、身辺の美しい人も好きです。これなら誰でもなんとか取り組めますね。まずちゃんとお掃除して綺麗にしましょう。

 余談ですが最近、世間でパワースポットがブームになったりしています。しかし、パワースポットに行く以前に大切なのが、自分のいる部屋の掃除だったりします。
 というのも、せっかく気持ちのいいパワースポットに行っても、家に帰ってきて部屋が汚かったら、パワースポットの効果も台無しになるからです。また本来は、皆さんのいる場所が皆さんにとって、一番のパワースポットなのです。

 もっと大きな意味としては、家の状態というのは、そこに住む人の内面を表しています。住んでいる家の状態がそこに住む人の意識の状態を映し出しているのです。
 さらに家の状態がその人の内面に影響を与えています。難しい話は置いておいて、要するにこれをうまく活用すると、不要な物を整理して、家の掃除とかたづけをちゃんとやると、自分の内面も綺麗になるということになります。


 さて、宇宙から、えこひいきされるもう一つのポイントは、いかに楽に生きているかということです。余計なこだわりが少なくなると、もっと楽に生きられます。
 トンチで有名な一休さんは、当時としてはとても長い88歳まで生きられたそうですが、禅の「不思善悪」、つまり二元論的な分別心を捨てて、善悪を思うことをやめる、物事の良し悪しに厳しくこだわり過ぎず、ありのままをありのままに見て認める、常に気を楽にする、といったことを悟られたそうです。

 実は、私も幸せについて真剣に探求し出した30年ほど前までは、目標をしっかり立ててそれを細分化し、真面目に必死で努力すればそれで幸せになれるかも、と考えていました。しかし、ある時ものすごく気楽に生きているラテン的な人たちに次々に遭遇したのです。

 最初は、悪く言えば不真面目なぐらい適当に生きているように見える人達が、とっても幸せそうなのが全く理解できませんでした。
 でも、ある時ふとした気づきがあり、自分自身が多くの思いこみや執着などに囚われて生きていたことが判ったのです。
 彼らにはそういった執着や囚われがほとんど無く、自由気ままに見えるぐらいとてもリラックスして、楽しく生き、かつ経済的にも健康にも恵まれて幸せに暮らしていました。

 幕末の神人、黒住宗忠は「善人の罪を作るな」と言っています。クヨクヨしている善人より、石川五右衛門のような悪人の豪快さにこそ学ぶものがあるとまで言い切っています。
 いくら真面目でも、クヨクヨしたり、いろんな思いこみや執着に囚われているより、もっとリラックスしたほうが良いということです。


 また「努力すれば報われる」というのも宇宙の仕組みからすると、少し違うようです。もちろん努力そのものを否定はしませんが、努力したら必ず成功するとは限りません。
 努力する以前に、どれだけ純粋な意識で行動しているかが大切なのです。言い方を変えれば必死で難しい顔をして努力している人よりも、努力などしている意識が無くても楽しく行動している人のほうが、自分の夢が叶う場合が多いと言えます。

 私たちも一休さんのように思いこみやこだわりから自由になって、もっとリラックスして、気楽に生きたほうが幸せな人生を送れるのではないでしょうか。


 神様(宇宙)は真面目すぎる人ではなく、自分に正直な人を応援するのです。ラテン系の人たちは自分に正直です。それこそほんとうの意味で真面目ということではないでしょうか。

 ぶっちゃけた話、実は宇宙や神さまからすると、ラテン的な、ちょいわるぐらい自由度の高い人のほうが、宇宙から支援される、えこひいきされるのです。
 ちょいわる、といっても何も遊び人にならなくてもいいですよ。気軽にジョークが言える、ユーモアのセンスがある、人生を楽しむという姿勢が良いのです。皆さんも宇宙から、えこひいきされて、もっと人生を楽しみましょう。

岩戸開きにはリオのカーニバル?

 神社で祝詞をあげると、雷が鳴ったり、雨が降ってくることもあります。祈りに対して、自然が反応してくれるのです。自然と交流している感覚は、畏敬の念を感じるとともに、とても嬉しく、楽しいものです。
 祈りとは、意を祝る、意を宣ることであり、自らの意思を表明し、意識を祝福と感謝で満たすことです。意を乗せるとは、望む結果に意識の周波数を合わせることであると言えます。

 豊かさと共鳴するためにはその状態を実現すれば良いのです。お金も人も自然に集まってくるのは、徳のある人のところ。徳のある人とは、周りの人を幸せにする、嬉しくさせる、喜ばれる人。明るい言葉、暖かい言葉、肯定的な言葉を使い、愛で行動する人です。
 徳のある人とは、真の意味で謙虚な人とも言えます。さらに福相のひとは笑顔がステキです。

 江戸中期の心学者、石田梅岩の弟子の一人が昔、京都で「金儲けの方法伝授します」という看板を出して講座を開きました。そこに訪ねてきた人がその梅岩の弟子に「どうしたらお金持ちになれるのですか?」と聞くと、次のような答えが返ってきたそうです。

「まずは、福相になることです。」

 しかし顔の相は生まれつきで、そう簡単に変えられないと問うと、「恵比寿さまや大黒さまのようすを見習って、いつも笑顔でいると福相になります。」と言う答えが返ってきたそうです。恵比寿さまの名前からきたヱビス顔のヱビスは「笑みす」にも通じるようです。

 石田梅岩の教えには『福相になるの伝授』というものがありますし、弟子の手島堵庵・布施松翁からその教えを受け継いだ脇坂義堂の書に『かねもうかるの伝授』というものもあります。


 どんな状況からでも力強く生きているかたたちがおられます。私が出会った先生の一人、大塚全教尼さんは「エンジョイしなければ仕事も人生もつまらないものになる」と言われていました。

 大塚全教尼さんは、4歳の時に小児麻痺にかかり、両手がほとんど動かない身体になられましたが、大石順教尼さんに師事し、出家得度されたかたです。
 大石順教尼さんは、乱心した養父に両腕を切り落とされながらも、19歳の時にカナリヤがくちばしだけで雛を育てるのを見、口に筆をくわえて書画を描くことに取り組まれ、後に出家して仏道を志されたとてもチャーミングな優れた尼僧です。落語家の柳家金語楼さんと兄弟のように仲良しでした。

 全教尼さんは順教尼さんの一番弟子として、順教尼さんの設立された身体障害者自立支援団体を引き継がれ、自らも左足とわずかに動く左手で書や絵画の創作活動を続けられ、世界身体障害者芸術家協会名誉会員としても活動されました。

 順教尼さんと全教尼さんが暮らされていた、京都山科勧修寺境内の無心庵、その隣の茶室の名前は『可笑庵』といいます。「可笑」とは、今風に言えば「笑っていいとも」です。
 身体の障害をものともせず、健常者よりも力強い人生を歩んで多くの人たちに道を示されたかたから出てくる「エンジョイ」という言葉は私たちに元気を与えてくれます。


 さて、古事記などに出てくる岩戸開き神話では、神々が岩戸に隠れた天照大神を外に出すのにどうしたでしょうか?
 しかめ面をして、いろいろと議論しながら、力づくで岩戸を開いたか?というと答えはNOです。この行き先の見えない不透明な現代社会を明るくするためにも、神々のとった方法を真似てみるのはいかがでしょうか。否定的な議論、武力や経済的な圧力などでは世の中は明るく変革できません。もっと素晴らしいヒントが神話にはあります。

 神話によると神々は、天児屋根命(アメノコヤネノミコト)という神さまのプロデュースによって様々な準備をしましたが、最終段階では岩戸の前でアメノウズメという女神が裸に近い姿でダイナミックな踊りをし、それを見ながら、皆で大笑いしてドンチャン騒ぎをしたように書かれています。その時に神々が唱和したのが次のセリフです。

天晴れ あな面白 あな楽し あなさやけ おけ

 文献としてこの言葉が出てくるのは、忌部(斎部)氏の伝承を斎部広成がまとめ、大同二年(807年)に上選した『古語拾遺』です。

 簡単に場面を解説すると、天の岩戸が開いて日神、天照大神が姿を現し、光が差した状態が「天晴れ」。
 その光が神々の顔に当たり、面(つまり顔)が白くなった状態が「面白」、そして世界が光り輝き、晴れ晴れとして手を伸ばして踊り始める状態が「手 伸し」で「楽し」。
 岩戸の前で神懸かりになって踊っていたアメノウズメが手に持っていたササの葉の揺れる清明な音が「さやけ」です。

 古語拾遺には、オケは木の名と書いてありますが、私は木の名ではなく、逆さに伏せた桶(もともとはウケといっていた)のことではないか?と解釈しています。
 祭祀規定を記した延喜式、貞観儀式の鎮魂の条に「宇気槽(うけふね)を伏せて桙(ほこ)で撞く(つく)」という、まるで男性性と女性性の融合のような表現が出てきます。その時のかけ声が「おけ」です。神楽歌には、囃子言葉「於介(おけ)」というのもあります。

 アメノウズメは伏せた桶の上で(ディスコのお立ち台みたいに)ササの葉を持って踊っていたのかもしれません。岩戸神話の光景は、まるでラテンアメリカ、リオのカーニバルみたいでもあります。

 それにしても「面白い」という言葉が、顔がぱぁ〜っと明るくなって白く輝く状態を表しており、「楽し」が手を伸ばして踊り出すような状態を表しているというのも、面白いと思いませんか?
 神話では、岩戸を開いて光の神を外に出す、つまり自分たちのいる世界を明るくするためには、しかめ面をして考え込んむのではなく、自ら行動し、笑い、喜び、感動によって自らの意識を高めてみてはどうでしょうか?と教えてくれているようです。

 また大勢で行うとなお効果的です。大勢で瞑想をすると、至福の共鳴をもたらし、周りの環境にも調和をもたらすようです。世界各地でさまざまな実証実験や大勢での祈りのプロジェクトなどが実施されています。

 あるインドの聖者によると、神の名前の一つは「サット・チット・アーナンダ」だそうです。サット・チット・アーナンダとは、存在・意識・至福。
 神々の世界、私たちの意識の深いレベル、根本神性の世界は、至福に満ちた世界、喜びの世界です。そこに繋がり、祈りが通じるようにするには、至福にフォーカスすれば良いのです。やっぱり、ラテン系で楽しく!が鍵かもしれませんね。