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第一章

 満たされぬ者へ永遠の福音を。

 もう二度と戻れはしない。
 世界は黒く染まってしまったから。
 君を傷つけて罪を知ってしまった俺の居場所は何処にもない。
 だから、もうあの頃には戻れない。
 暗雲に包まれた空。
 時折雷鳴を轟かせ空を裂く光を放つ。
 斬り付ける冷たい風。
 突き刺さる冷たい雨。
 眼前にそびえる丘の上の塔は、雷の光でシルエットとなって浮かび上がっていた。
 それと同時に閃光は禍々しい俺の影を大地に映す。
 禍々しい異形の黒い剣、世界を覆うように広げられた黒い翼、傷だらけの体を包む黒衣。
 顔を覆う黒い髪の間から覗く、光を宿さない瞳がこの世界を飲み込む。
 それはまさに悪魔の形相。 
 間違った方向に進み、終局を迎えた世界を、混沌から再生する黒き存在。
 そう、君と歩めないこの世界に意味など無い。
 だから、この世界を終わらせて全てを一に返す。
 俺が俺であったあの頃に。
 君が傍らにいたあの頃に。
 俺は黒き剣を持ってその世界の象徴である眼前の塔を一閃する。
 その刹那、黒き剣に導かれた落雷に打たれた塔は、火を上げながら音を立てて崩れていく。
 もう、俺がこの世界を想像させるモノは何一つ無い。
 疑えば消えてしまう儚き世界よ。
 さようなら。
 そして、世界はゆっくりと闇に包まれ消えていく。
 後に残った俺すらも、ゆっくりゆっくりと闇に包まれていく。
 闇の中で走馬燈のように、思い出がよみがえっては消えていく。
 永遠とも、一瞬かも解らない間が、君を想わせては心が締め付けられる。
  満たされぬ者へ永遠の福音を。
 満たされぬ者へ永遠の福音を。
 溶けていく永遠の闇の中で最後に見た光。
 それは白い衣と白い翼を持った少女の姿をした再生の光だった。
 長く鮮やかな赤い髪、小さな顔に浮かんだ穏やかなほほえみ。
 愛しさを感じる小柄な身体。
 その姿はまるで天使のように神々しく愛しかった。
「この闇はあなたの世界そのもの。
 全てを拒絶したあなたの心。
 行き場のない不定型な思いの空蝉。
 でも、あなたの心に私が残した光があるなら、望みさえすればどんな形さえも映すことが出来る。
 闇は全てが生まれいずる場所なのだから。
 あなたさえ望むのであれば」
「もう一度、君と歩きたいんだ・・・。
 もう一度、君と同じ時を過ごすことが出来れば他に何もいらない・・・。
 愚かさや弱さから、同じ罪を繰り返したとしても、それで良いんだ・・・。
 君が俺の弱さや醜さを映し出したとしても、ほんの少しだけ俺の柔らかい気持ちを映し出してくれるのであればそれで良いんだ・・・。
 俺の罪を消してもう一度、君と・・・」
 触れるか触れないか、刹那の口づけ。
 天使の姿の君は光になって、闇に包まれた俺の世界を照らし出す。
 雲の合間から光が射し込めて、丘の上の塔を照らし出す。
 小鳥はさえずり、丘の草木には花が咲き乱れていた。
 壊れたはずの塔は何事も無かったかのようにそびえ立っていた。
 もう一度、世界を!!
 もう一度、世界をあるべき姿にっ!!!
 俺は黒き剣を天へと掲げる。
 空から差し込んだ光が俺の体を包み込む。
 光に導かれるまま俺は飛ぶ。
 その悪魔のような黒い翼を羽ばたかせて。
 欲のまま。
 望むがままに。
「もう一度、君と出会うために」

 涙・・・。
 団地の天井を見据える僕の目は涙でかすんでいた。
 冷たい涙が頬を伝う。
 夢・・・。
 長い夢を見ていた。
 悲しい夢。
 もう二度と醒めないんじゃないかって夢だった。
 どんな内容かは気が付いた瞬間から忘れてしまったけど、意味の分からない不定形のその断片は残っていた。
 なんだろうね、この気持ちは。
 ベットから起きあがると、団地の自分の部屋の窓から外を見た。
 窓から見える公園の丘の上には、給水塔がそびえ立っていた。
「帰ってきたんだ・・・。
 僕の世界に・・・」
 僕じゃない僕が、無意識のうちにそうつぶやいていた。

  

 竜斗の世界~Prologue  Of  Ryuto’s  Verden

             
「おきろぉーーーーーーっ!!!!」
 ガンガンガンガン!!!
 金物をたたく音が鳴り響く。
 いつも通りの朝の知らせは鉄筋コンクリートの向こう側から聞こえてくる。
「おきろぉーーーーーーっ!!!!
 起きなきゃ飯ぬきぃーーーーーっ!!!!」
 ってーか、相変わらずながらなんてでかい声だ。
 いくらボロ団地とは言え、隣の家だぜ。
 普通はここまで声は筒抜けにならない。
「竜斗もおきろぉーーーーーっ!!」
 しかも、隣の家からダイレクトに僕・・・風間 竜斗(りゅうと)の名を呼ぶモーニングコール。
 いつもながらに非常識な。
「起きてるっちゅーーーのっ!!!
 そんなに大声出さなくても良いよ!!!」
「わたしに口答えしたから飯ぬきぃーーーーーっ!!」
「そりゃないよぉーーーーっ!!」
 部屋の壁にかかっている「ジャビット」時計を見ると6時45分を示している。
 いつもより15分も時間が早い・・・。
 正確に言うと二度寝の時間も含めて30分も早い・・・。
 まぁ、もともと目が早く覚めていたとはいえ、こんな早くから起きているなんて、なんだか損をした気分・・・。
 なにがあったか、思い返せば強はアイツ、堀江 夕鶴(ゆつる)の16歳の誕生日だったりする。
 そんなに誕生日がうれしいかね。
 まだまだ子供じゃのぅ!!
 はっはっはっ!!!
 って、よく考えたら同い年とは言え僕の方が2ヶ月遅く生まれていたことが判明・・・。
 畜生!!!
 畜生っ!!!
 畜生っっ!!!
 なんだよ、子供だって良いじゃないかっ!!!
 って負けてるじゃん、僕・・・。
 家での標準オプション(トランクス&柄シャツ)の上から学ランと制服のズボンを着込むと、テープの補強だらけの全身鏡に自分の体を写した。
 相変わらずハンサムではないかっ!!!(嘘)
 本当はチビで陰気な顔してます・・・。
 モノグサでずっと髪の毛切ってないから、前髪が顔にかかっています。
 ごめんなさい!!!
「竜斗っ!!!! 早くしてよぉーーーーっ!!!」
「はいはいっ!!!」
 いかんっ!!
 早く行かないと「殺される」。
 いや、殺されなくても死ぬより辛い目に遭わされる。
 XXXをXXされるとか・・・。
 考えるだけで縮み上がる・・・。
 何がとは聞かないでくれ・・・。
 筆記用具と、漫画数冊。
 あと”諸々”必要最低限(?)のものがはいったリュックを背負い身支度をすると、僕はリビングに出てガラス戸を開けた。
(ちなみに教科書は学校のロッカーに起きっぱなしにしているから必要なし)
 ガラス戸の向こうはベランダだ。
 何処に向かうかというと隣に住んでいる夕鶴の家だ。
 僕は早くに両親を無くし、姉さんと二人で住んでいる。
 でも、姉さんは政治家秘書をしていて、忙しく殆ど帰ってこないので、”男らしく”生活能力の無い僕は、昔から付き合いのある隣の夕鶴の家でご飯を食べさせてもらっている。
 といっても、夕鶴の家もお母さんがいないので、もっぱら夕鶴にパラサイト。
 互いに家族のいない寂しさを、共同生活で補っているというワケだ。
 ベランダに出ると、涼しい秋風が頬を撫でる。
 公園の丘の上にある給水塔に向かって雲が流れていった。
 ちなみに団地の隣室同士は緊急避難の為に、ベランダ同士繋がっている。
 非常時には区切りの薄い壁を破壊して、隣室に逃げることが出来るようになっているんだ。
 もうずいぶん前、夕鶴のおじさんがその壁を蹴り破った為、楽に行き来できるようになった。
 がらがらと、夕鶴の家のガラス戸(何故か下半分ステンドグラス風のフィルムが張ってある)を開けると、夕鶴の家のリビングルームにおじゃまする。
 夕鶴の家は夕鶴が主導権を握っていて、ちょいとカントリー入ったテーブルのチェックのクロスといい、大型液晶テレビと向かい合ったレザーのソファーに鎮座する大きなクマさんといい、所々乙女チックな雰囲気。
 僕の家と基本的な構造は一緒なのに、左右対称の作りになっていることと、リビングの違いでかなりイメージが違う。
 そしてリビングの奥はキッチンになっている。
 そのキッチンから、夕鶴が料理する音が聞こえてくる。
 ぱちぱちと油がはねる音。
 きっと今日も目玉焼きを焼いているんだろうな。
 ちょいカントリー入ったテーブルのイスに、夕鶴のおじさんが腰掛けて新聞を読んでいた。
 年齢30代後半。
 金髪のロンゲで長身でハンサムなオッサンだ。
 何故か朝なのにグラサン(レイヴァン製)をかけている。
 縦ジワ模様のトランクスとランニングという姿、及びその変態な性格がなければカッコイイのであるが・・・。
 見た目とは裏腹に、中身はパーフェクトな中年である。
「おっはー・・・・」
 うわっ、眠そうだな・・・。
 さすがに30分も早く起こされればやつれて当然だよ。
 パンツだけじゃなくて、体全体に黒い縦ジワが見える。
 明日のジ○ーとか、ちび○子ちゃんで有名な演出である。
「おはようございます」
 僕はイスに座ると何気なくテレビに目をやった。
『今日の第一位は山羊座だぁ!!とても充実した一日になるでしょう!』
 おっ、珍しく山羊座が一位だ。
 僕は山羊座なんだけど、山羊座って結構悪いこと言われることが多いんだよな。
 占いなんて当たるとは限らない。
 でも、信じてみたいような気がする。
「はーい、ご飯できたーーーーーっ!!!」
 そのときカウンターテーブルの向こうのキッチンから、制服にエプロン姿の少女が現れた。
 脳裏に夢の断片がフラッシュバックして胸が高鳴った。
 朝の光に照らされたその少女、夕鶴の姿が夢に出てきた天使の姿に見えたからだ。
 殆ど夢の内容なんて覚えていないし、天使の顔なんて覚えているワケがない。
 でも、何故夕鶴を天使のように思えたんだろう。
 なんだろう、とても嬉しくて、優しい気持ちでいっぱいになる。
(会いたかった・・・!)
(もう一度会いたかったんだ!!!)
 なんだか解らない、こみ上げる気持ちを押さえることが出来ずに、僕の体は突き動かされた。
 目の前に迫る夕鶴の顔。
 大きな目、小さい鼻の幼さを残した顔立ち。
 シャンプーの香りがする少し色素の薄い柔らかい髪
 腕の中に感じる柔らかい感触。
 暖かい体温。
 ん・・・?
「きゃーーーーーーっ!!」
 先に悲鳴を上げたのは夕鶴ではなく僕の方だった。
「なにすんだよっ!!!
 何で抱きついているんだよ!!」
「それは私のせりふよ!!!」
 どかっ!!!
 僕は壁に突き飛ばされて頭を打った。
「いったぁっ・・・!!」
 夕鶴は真っ赤な顔で恥ずかしげな表情を浮かべていた。
 ってーか、何故あんな奇行に出てしまったんだか・・・。
「きっとなんかの誤解だ!!
 少なくても魅力のない夕鶴には発情しないはずだ!!」
 意味不明ないいわけだった。
「ちょっと、魅力無いってどういうことよっ!!」
 僕は夕鶴に胸ぐらを捕まれた。
「ああっ!! それもなんかの誤解ですっ!!」
「お二人さんっ。
 痴話喧嘩は他でやって下さい。
 そして、さっきの続きはここでやって下さい!!」
 ゾンビ状態だったおじさんがいつの間にかに復活して僕らを観察していた。
 何故か最後の言葉だけやけに力がこもっていた。
「もう、お父さんがそんなんだから、竜斗が底抜けスケベになってくのよっ!!」
 と言うと、夕鶴はじゃーん、と言わんばかりに自らの料理(と言えるものなのか?)を十分に見せつけながら、全員分の朝飯を運んできた。
 いつもと同じ、トースト1人2枚とベーコンと目玉焼き…。
 ぐおっ、目玉が二個だ!! 誕生日記念だろうか?
「豪華絢爛ですな」
 おじさんが目玉焼きを丸飲みした。
 もう少し味わって食べれないのかな?
 僕は丁重にナイフとフォークで目玉焼きを切って食べている。
「竜斗って、もうちょっと早く食べられないの?」
 ・・・ぐおっ、さすが夕鶴。
 痛いところをつくのぉ・・・。
「ねぇ、ところで今日、何の日か知ってる?」
 絶対ここで来ると思った!!
 ん・・・?
 あれ、こんな場面前どっかで見たことある気がする。
 デジャビュってやつかい。
「ねぇ?」
 それを言えるはずがないだろってば。
 言ったら言ったで何か請求されるに決まっている。
 ・・・それに僕が例え何かをプレゼントしたとしても、請求されたからプレゼントしたように思われてしまうのが嫌だ。
「さぁ、何だったっけ」
 やけに白々しいので、演技だと言うことがばれているだろうなぁ。
「竜斗の意地悪! んじゃあ、お父さんはわかる?」
「んわぁ、わからんのぉ」
 うわぁ絶対演技だって!
「お父さんのスカタン!!」
 復讐だろうか、早くも食器を回収し始める夕鶴。
 おじさんは回収される寸前でトーストを丸飲みして被害はゼロだった。
 だが、僕は・・・。
「おいっ、まだ何も食べてないよ!」
「食べるのが遅いのが悪いのよ」
 ってなんだよそれ?!
「ああっ、僕の2コ玉焼き!!」
 でーんでーんでーんでででーんでででーん♪
 ス○ーウォーズのダース○イダーのテーマに合わせるように、夕鶴の手が迫ってきた。
 そして、食べかけの目玉焼きとトーストがぁ、宙へと浮いていくぅ!
 もったいねぇーーーっ!
「でももったいないから、お父さん食べちゃって良いよ」
「ラジャー・マイ・ムスメ」
 意味不明だってその英語(?)
 ぐおっ、我が目玉焼きがっ、デ○スターへと散っていく!
 ぐぅっ・・・
 その光景をバックに、僕の腹の音がソロで奏でられた。
 まさに宇宙の神秘とも言える音である。
 そして、食器は宇宙ステーション(キッチン)へと帰還していった。
「ダメすぎだよ・・・」
 そして、しばらくすると、キッチンから食器を洗う音が聞こえてきた。
「なぁ、竜斗・・・」
 おじさんにしては、珍しくまじめな声だった。
 その声の向こうの心にかげりを感じられる。
 今までに聞いたことのないような真剣なおじさんの声だった。
「なんですか・・・?」
 おじさんはサングラスを取ってガラス戸の向こうの空を見つめた。
 その目はどこか弱々しく、助けを求める小動物のような感じだった。
 そんな表情は知りたくなかった。
 僕はおじさんに対し、強い人というイメージを抱いていたかったから。
「なぁ、夕鶴のことどう思っている?」
 いきなりの問いかけに心臓が捕まれるような感じがした。
「人は誰かに存在を認められてないと生きてはいけない。
 他人の世界観の中でしか生きられない弱い生き物だ。
 おまえがあいつの存在をすこしでも疑った瞬間、ちっぽけなあいつの存在は世界から消えてしまう。
 でも、お前があいつの存在を認めることが出来れば、あいつはお前の世界の中で生き続けることが出来る。
 最後まで、あいつの存在を認めてやってくれよ。」
 僕はその時その言葉の意味が分からず、ただ黙り込むことしかできなかった。
 だけど、僕の心に残ったのあの夢のかけらは痛いほど疼いていた。

 心地よく涼しい秋風が吹き抜ける。
 足下を紅に焦がれた楓の葉が渦を巻いて流れていく。
 その風は心の透き間を吹き抜けるようで、なんだか切ない気持ちでいっぱいになる。
 銀杏や楓・・・。
 紅葉樹に囲まれた公園の遊歩道を、僕と夕鶴は行く。
 僕らの住む団地から、通っている高校までは、この給水塔のある公園を突き抜けて行く。
 いつもなら、学校の生徒でいっぱいで騒がしいこの道も、いつもより早い時間なので、誰もいなくてとても静かだ。
 いつもと変わらない通学路なのに、いつもと違う感じがする。
 見渡す限りの紅色。
 風になびき散りゆく紅色。
 今まで気にしていなかった秋の情景が、こんなにも切なく感じるのはおじさんの言葉に心を揺さぶられているせいだろう。
 やるせない映画のラストシーンを見た後のように、消化しきれない言葉の意味に僕の頭はいっぱいさ。
 考えたってとうてい解るはずもないかもしれない。
 でも、気になるんだ。
 言葉の意味さえ分かれば、今心の中にある全てのムズムズした気持ちが晴れるような気がするし。
 実際にはアレはアレで、コレはコレだし、一つのことが解決したとしても、全てが解決するなんてそんな都合がいいことなんてないとは思うんだけどさ。
「ねぇってば、竜斗。聞いてる?」
「んあ?」
 僕は夕鶴に声をかけられて、我に返った。
 一度考え出すと、自分の世界に入っちゃうんだよなぁ、僕って・・・。
「ねぇ、今日、何の日か答えてよ!」
 またそれかい。
 夕鶴は僕の前方に回り込んで、僕の顔をのぞき込んだ。
 しばらく無言のまま歩き続けた。
 その間、夕鶴はずうっと僕の顔をのぞき続ける。
 答えるまで離れないつもりか?
「そうだな、僕の誕生日かな?」
 絶対違うって、自分で言ってあほらしく思えた。
「超意地悪ね!」
 そうか??
「じゃあ、私が何歳だかわかる?」
 なんだ、簡単じゃないか・・・
「精神年齢3歳。あ、見た目もそうか!」
「バカっ!」
 夕鶴は手にしたお弁当袋を思いっきり振りかざしてきた。
 しゅっと風を切る音が聞こえたときには、弁当袋は僕の直上にあった。
 ガキンっと鈍い音・・・。
 それと同時に鈍い痛みが脳天に走った。
「ぐおっ!!」
 弁当箱はステンレスで出来ているため、当たると物凄く痛い。
 いや、マジでいたい!!
 頭をさすると、ぶつかった部分が膨らんで、こぶになっていた。
「お前はなぁ、もうちょっと加減をできんのか!」
「答えてくれないと、もう一発食らわすよ」
 ってニコッと笑う夕鶴。
「お前は鬼か!いや、鬼の方が200倍優しい!」
「もう一発食らいたいの!!」
 立ち止まって、振りかざすまねをする夕鶴。
「人はそれを恐喝行為というんだぞ・・・!」
「答えてくれたら、許してやっても良いよ・・・」
 僕はスタコラと歩き出した。
「誰が答えてなどやるもんかいっ・・・」
 僕はわざと聞こえるように小さく吐き捨てるように言った。
「何か言ったぁ?」
 夕鶴は再び僕の前に立ち弁当袋を天にかざす。
「うわっ! ごめん、きっと空耳だ!!!」
 夕鶴の顔が逆光でますます怖い。
 そう、これは般若だ。
「でも、今回の所はこの大自然に面して許してあげるわ」
 と言うと夕鶴はお弁当袋を一回転させて脇で止めた。
 ・・・あのお弁当のGによる影響が心配される。
 下手すればその中の惨劇すら僕のせいにされかねない。
 そうしたら、また殴られるだろうな・・・。
 幼児虐待、職権乱用・・・、って意味不明。
「なにニコニコしてるの?」
「笑ってる? 僕がか?!」
 夕鶴に言われるまで自分でも気が付かなかったけど、僕は笑っていた。
 夕鶴に虐げられる妄想をして嬉しがっているなんて、実は僕はマゾだったのかぁーーーーっ!!!
「そんなことないよ!」
「ほら、また笑ってる!!
 なんか嬉しいことでもあったの?
 それとも頭打ち過ぎて馬鹿になっちゃった?
 もうちょっと自分の身体大切にしないと駄目よ!」
「ってーか、そりゃおまえのせいだろっ!!」
「竜斗が意地悪するからよっ!!」
 あれ、この感覚・・・。
 不思議と自然に笑いがこみ上げてくる。
 楽しい・・・?
 なんだか知らないけどとっても楽しいんだ。
 いつもと変わらないこの一瞬なのに、なんでこんなにも楽しいんだろう。
  すったもんだで再び歩き始める僕ら。
 なんでだろう。
 そう、二人で馬鹿することがとても嬉しいんだ。
「でも、こうして秋の朝、静かな紅葉の中を歩くのって気持ち良いね」
 夕鶴が葉っぱが舞うのを見て言う。
「たまには少しぐらい朝早く起きるのもいいかもね」
 僕が言うと夕鶴はとても嬉しそうな顔を浮かべた。
「竜斗にしちゃ良いこと言うじゃない!
 少しは早く起こしてあげた私に感謝してね」
「そうするよ」
 自分でもワケ分からない気持ち。
 だけど、こんな気持ちにさせてくれるのはきっと・・・。 
「ありがとう・・・」
 聞こえるか聞こえないか解らないぐらいの声で僕はそうつぶやいた。
 公園の森の向こうで給水塔がそびえていた。

 公園を抜けると、その先の団地の向こうに僕らの通う学校が見える。
 学校が見えるようになった瞬間に、僕らと同じ制服を着た学生が増えたような気がした。
 僕らを含めて、この制服を着た人たちは、一斉に校門を通って校舎目指して歩いていく。
 本当に色々な人がいるけど、みんな同じ場所を目指して歩いている。
 考えてみるとそれっておかしい。
 何で同じ場所を目指しているんだろうと思う。
 まるでロボットみたいだ。
 まぁ、それが学校と言うものだからと言っちゃえば、それまでなんだけど。
 僕らも他のみんなと同じように、僕らも学校へとすいこまれていった。
 校門の脇にはジャージを着た体育の先生が突っ立っている。
 うちらみたいに出来の悪い生徒が集まる学校じゃ定番の「立ち番」と言う奴だ。
 茶髪とかロンゲな奴や、ルーズソックスな奴らを排除する為に存在している。
「おはようございます」
「おはようございます」
 飛び交う挨拶の嵐。
 立ち番の先生に挨拶しないと説教を食らうから、みんな揃って挨拶するのである。
 僕らも挨拶をしたのだが、その他大勢の声によってかき消されてしまった。
 真っ白かったはずの校舎は灰色にくすんでいる。
 建ってから35年。
 僕らは第35期生の僕らが入学した時にはすでにこの色だった。
 だから、僕はこの色の校舎しか知らない。
 そりゃそうか・・・。
 何にせよ、相当老朽化していることは確かだ。
 建て直しも近いのかもしれない。
 玄関のガラス戸がボールの形にひび割れている。
 サッカーボールか何かがぶつかったんだろうな。
 玄関に入ると、鼻につんと来るようなカビの臭いがした。
 嫌だなこの匂い・・・。
 玄関を入ってすぐには生徒用の下駄箱がある。
 下駄箱の前にも先生がいて、生徒が土足で校舎に上がらないか、目を光らせていた。
 靴を上履きに履き替えると、廊下をまっすぐ・・・、教室へ向かった。
 しかし、この上履き…、小学校の頃から全く同じデザインなんだよな。
 たしか、正式名称をバレーシューズとかいったっけ。
 どの辺がバレーなんだろうか?
 ぐうーっ・・・。
 何気なく僕の腹が鳴る。そ言えば、朝飯取り上げられたんだっけ・・・。
 あーっ、畜生っ、悔しいっ!!
「今日の夕食なにがいい?」
 僕は空腹に顔をゆがめていると、急に世鶴が話かけてきた。
 自己中な夕鶴が僕に夕飯のメニューを聞くなんて滅多にない。
「夕鶴にしては珍しいことを言うなぁ」
「今日の夕食ねぇ、さっきの答え言ってくれたら、竜斗の好きなものなんでも作ってあげる」
 僕のことを気遣ってくれているのか?
 それとも、ただ、僕に答えを言わせたいだけか?
 どちらにしても空腹のあまり、僕の心は大きく揺れる。
「おまえもしつこいなぁ・・・」
 と一言言ったその瞬間、キィンという気圧が変わったような音がし、背筋に寒気が走った。
 そう、まるで夜の墓場にでも迷い込んでしまったかのような感覚だ。
「何か変な感じがする。
 怖い・・・」
 夕鶴が言った次の瞬間、誰かの気配のような感覚が広がっていった。
 それが広がるに連れ、僕ら以外の人々が姿が消えていく。
 はっきりと見えていたその姿が、ゆっくりと薄れて、まるで背景にでも溶け込んでしまったかのように消えてしまったのだ。
 言葉の無い恐怖が、僕の背中を脂汗でびっしょりと濡らした。
 目に入る全ての人が消えてしまった今でも、誰かの気配は感じる。
 まるで僕の存在自体が否定されてしまうような雰囲気に満ちていて、居心地が悪くてたまらなかった。
 その説明の付かない怪奇現象と、空間の違和感のためか、見慣れた学校もまるで別世界のように感じる。
「なんか、心がザワザワするの・・・」
 夕鶴が僕の手を強く握る。
 その手は震えていた。
 父性本能のような守りたい気持ちに駆られ、僕は夕鶴の手を強く握り返した。
 何が起きた?
 何が起きる?
 何が・・・?!
 何が・・・?!
 あたり中に気を張り巡らせて何かに警戒する。
 その一瞬、一秒、沈黙と緊張が永遠に続くような気がして、僕の精神は何もせずとも疲労する。
「誰か来る・・・」
 夕鶴が言ったその瞬間、僕にも解った。
 何もない空間に、ぽつりと強い殺意が存在することを!
 その気配はカツン、カツンと時と音の止まった静寂の学校に靴音を鳴り響かせながら近づいてくる。
 ぽっかりと空いた空虚と悲しい意志を持つ者。
 この時の止まった空間の主。
 廊下の曲がり角の影からその意識の主は現れた。
 ツンツンと髪を立て、スーツを着た男。
 一見まともそうなのだが、額に巻いた猛虎と書かれたはちまきと、背広の上から羽織る黄色と黒の縦ジワ模様で虎の絵柄の入ったのハッピと、手に持ったメガホンが彼の異常性を表している。
 僕は彼のことを知っていた。
 生まれも育ちも大阪は浪花生まれ。
 好きな野球チームは阪神タ○ガース。
 その名も阪神 大河!!!
 名付け親は一体何を考えているのだろうか?
 と突っ込みたくなるようなこの男は、夕鶴のクラスの担任で世界史の先生だ。
 本人を目の当たりにし、この男を中心に空間が形成されていることを確信した。
 この空間が阪神そのものなんだ。
 根拠も無しにそう思える。
「わいのIF(想像領域)の中で動けるなんて、けったいな奴ちゃ。
 ははん、さてはお前、世間一般で変人とか、非常識人とか言われているたちやろ?
 たまぁーにおるんや、こういう阿呆が」
 奴はいちいち神経を逆なでするような事を言う。
「悪いが、邪魔せんといてや・・・。
 邪魔したら、命(タマ)ァないで!」
 奴の声には明らかに殺気が込められていた。
 奴の目から発せられる殺気が僕の目に焼き付く。
 僕は瞬間的に自分の心を強く持った。
 奴の気に圧倒されたら殺される。
 そう本能が語ったからだ。
 奴がゆっくりと僕らの方へと近づいてくる。
「いやっ、怖い」
 夕鶴が僕の腕を抱く。
 夕鶴の身体が振るえているのがはっきりと解った。
「何をするんだ?!」
「なにって、決まってるやろ?」
 こつり、こつり・・・。
 静寂の空間に奴の靴の音だけが響く。
「堀江は今日で16、結婚できる歳やな。
 だから・・・、わいが娶るんや」
 何を言っているか僕は本気で解らなくなってきた。
 だが、奴の目的は明らかになっていく。
 また一歩、また一歩とこちらへと歩み寄る阪神。
「来ないで・・・!」
 夕鶴が阪神の気配に怯え、小声で呟く。
 そう、奴の目的は僕の腕に縋って怯える夕鶴だった。
「おっと、まだ結婚は早いわな・・・。
 初めは恋人から始めへんとなっ、堀江 夕鶴はん!」
 目の前に迫る阪神が左手に白いガーゼが忍ばせているのが解った。
 推理ドラマかなんかで良く出てくる即効性の睡眠薬がしみこませてあるんだ!
 奴の左手が夕鶴に伸びたその時、僕は夕鶴を抱えて後ずさった。
 夕鶴を掴んだつもりでいる奴の手は宙を切る。
「邪魔するなゆうとるやろ、このクソガキが!
 ホンマに命ないで!!」
 ガーゼを床にたたきつけると、阪神は虎のワンポイントが入ったメガホンを強く握りしめた。
 やけに緊張感のない武器だが、おそらくマジだろう・・・。
 僕の身体は凍り付いたように動かなくなった。
 奴の持つ殺気に押されているのだ。
 背筋が寒い。
 足が振るえる。
 そう、怖いんだ・・・。
 蛇ににらまれた蛙の胸中そのままだった。
「虎はいつでも燃えとるんやで・・・」
 メガホンを握りしめるその拳に力が入る。
 阪神がメガホンで宙を斬ったその瞬間、それは炎を吹いた。
 炎は僕の頬をかすめ僕の背後あたりで自然消滅する。
 熱い・・・。
 熱かった。
 頬の辺りがじりじりと痛む。
 本物の火傷・・・。
 本物の炎だった。
 止まった時、本物の炎。
 まるでゲームやアニメでみかける魔法のようだった。
「どうや、わいの炎は熱いやろ。
 わいとて無駄な殺生したくないんや、なにもせんといたら勘弁してやる。
 でも、次邪魔したら、はずさへんで・・・!」
 圧倒的な阪神の力・・・。
 動いたら殺されるのは解っている。
 でも、このまま起こることを、ただ見ていることが僕には出来るのか?
 出来るはずないだろ・・・!!
 瞬時に今朝の夢のラストシーンがフラッシュバックする。
(あんだけ会いたかったんだ!!)
 夢の鱗片が心で叫ぶ。
 それに夕鶴がいるから・・・。
 夕鶴がいるから僕はっ・・・!! 
 でも、どうすれば良いんだ・・・。
 闘っても僕じゃ絶対に勝てないのは目に見えている。
 絶対に、絶対に夕鶴を守らないといけないんだ!!
 だから、僕に残された道は一つしかない!!
 怖いけどやるしかないんだっ!!!
「夕鶴、走れるか?」
 僕は夕鶴の耳元で呟いた。
 夕鶴は僕の胸の中で小さくうなずいた。
「1、2、3!!」
 僕はそう言うと、夕鶴の手を取って走った。
「そないに、死にたいんか!!」
「死にたくないし、生きる屍にもなりたくないから、逃げるんだ!!」
 僕はとっさにそう叫んでいた。
「甘いんや、おまえは!!」
 阪神がメガホンに力を溜めると、メガホンの先にまるで太陽をミニチュア化したような、火の玉が集結していく。
「それは勇気じゃあらへんで、無謀だと言うことをわいが教えてやる!!」
 阪神が力を込めてメガホンを振り下ろすと、圧縮された火球はブーメランのような形になり、回転しながらもの凄い勢いで迫ってくる。
 僕はまっすぐに伸びた廊下を、下駄箱の方に走る。
 普段ならあっという間に駆け抜けられるような直線なのに異様に長く感じる。
 でも、あそこまで駆け抜ければ助かるという、安易な気持ちが僕の背中を押した。
 それに対し、阪神の放った炎のブーメランは廊下をただ一直線に向かってくるので、時期に追いつかれるのは目に見えている。
 玄関の直前にさしかかった時には炎のブーメランは僕たちのすぐそばまで迫っていた。
 ギュンギュンと空気を斬る音が間近に聞こえる。
「こなくそっ! 死んでたまるかって!!」
 僕は全力で走ろうとするが、玄関に転がった上履きに足を取られ、転倒してしまった。
 僕は決して夕鶴の手を離さなかったから、夕鶴は僕に思いっ切り引っ張られ、僕の上に倒れかけてきた。
 無防備になった背中に思いっ切り夕鶴の膝が食い込み、一瞬息が出来ないほど苦しかった。
 次の瞬間、阪神が放った炎のブーメランは僕らの上を掠める。
 バチバチと火の粉が飛び散る音がすぐ頭上で聞こえた。
「わいの攻撃をかわすとはなかなかやるやないか!」
 的を外した炎のブーメランは、大きな輪を描きながら阪神の元へと戻っていく。
 阪神は僕らに気を取られてそれに気が付いていない。
「この阪神大河にライバル登場やなっ、ぐごっ!!!」
 ブーメランは阪神の頭にぶつかり炎上した。
 ぷすぷす黒い煙が上がる。
 そして、阪神は煤だらけの黒い顔と、アフロヘアーになった。
 まるで昔のバンドだ・・・。
「さすが、わいのライバル・・・」
 そう呟くと、口から黒い煤を吐き出すとその場に倒れる。
 殺されかけたが何とも憎めない奴だ・・・。
 とにかく、今の内に逃げないと。
 僕は夕鶴の手を取って玄関から外に出ようとしたが、玄関の前に誰かが立っている事に気が付いた。
 逆光の為、その姿はよく見えないが、身体にピッタリとフィットしたスーツを着た長身の男のようだ。
 右手には鋭いサーベルが握られている。
 その人物を中心に阪神とは違う雰囲気を感じる。
 何者にも臆することのない、えらい堂々とした雰囲気だ。
 はっきりとした敵意を感じるので、味方では無いことは確かだ・・・。
 太陽に雲にかかり、その人物の全貌が明らかになる。
 美しい金色の長髪。
 厚い化粧、にバシバシまつげ。
 作られたように美しすぎるその容貌。
 麗人とでも言うのだろうか、男ではなく男装をした女性だった。
「はーっはっはっはっ!!
 阪神を破っただけで、勝ったつもりだと思うのは愚の骨頂!!
 真の勝利は帝国一の剣士!!
 この宝塚 舞を破った時点で訪れるのだ!!!」
 偉く甲高く、迫力のある演技くさい台詞。
 名前から察するにひょっとして兵庫県出身なのだろうか・・・。
 何れにせよ、また変なのが出てきた事に変わりはない・・・。
「気を付けへんと火傷するで・・・。
 こいつら見かけ以上にやりおるさかい」
 アフロになった阪神が後ろから現れた。
「ふっ、愚かな・・・。
 阪神、貴様は大切なことを忘れているぞ」
 阪神の額に血管が浮かぶ・・・。
 そりゃそうだろう、態度が大きすぎるんだもん、宝塚って奴・・・。
「と言うと、なんや・・・?」
 阪神が申し訳なさそうな顔して聞く。
 我が強そうな阪神でもこんな顔することがあるんだなぁ・・・。
 というか、宝塚の迫力に負けているのか。
 それも解る気がする。
「お前はホントに底抜け馬鹿だな・・・。
 付き合いは長いが、お前の馬鹿さ加減には未だ驚かされる!」
 ぶっ・・・! 思わず吹いてしまった。コテコテなコンビだなぁ・・・。
 敵じゃなければ好きになれるんだけど・・・。
「うーさいな、アホ!
 もったいぶらへんで、教えてくれへんか!」
「ではヒントをくれてやる・・・」
 2人は完全に漫才に集中してしまって、僕らの事を忘れてしまっているようだ。
 えらく安易な考えだが、今だったら逃げられるような気がする。
 僕は夕鶴の目を見ると、夕鶴も気づいたか、頷いて見せた。
 ギュッと夕鶴の手を握ると、緊張のため汗ばんでいるのが解った。
 まさに手に汗握る何とやらだ・・・。
 音を立てないように、ゆっくりと玄関の向こうへと歩む。
 ぬきあしさしあししのびあし・・・。
「そやかて、そのヒントちゅうのはただなんやろうな?
 懐からは一銭もでぇへんで!」
 さすが関西人と言った感じだ・・・。
「たかが、ヒントで金を取るのはお前だけだ!
 私はそこまでがめつくはない!!」
「で、なんなんや、ヒントっちゅうのは?」
「それは奴らが自分のIFを展開出来ない素人だと言うことだ」
「・・・あんさん、いい性格してまっせ。
 もうちょい解り安ぅ言い方があらへんのか?」
「・・・・」
 しばらく奴らのやりとりを聞いていたが、どうやら、阪神のあまりの鈍さに宝塚が言葉を無くしてしまったようだ。
「つまり!! 奴らは魔力に対する耐性がないと言うことだ!
 ここまで言ったんだ!! 解らぬとは言わせない!」
 阪神は何かを悟ったように深く深呼吸をした。
「わいも男だ!!
 素直に誤るから教えてくれへんか!」
 と言うと頭をかきながら、一礼する。
 なんじゃそりゃ・・・。
「貴様! 私を侮辱するつもりか!!」
 ばしっ!
 と言う乾いた音が響く。
 僕は思わず気になって阪神の方を横目で見た。
 やはり、夕鶴も気になったようで振り向く。
 宝塚の持った木製のサーベルの鞘が割れていた。
 阪神の足下には、鞘だったものの破片が散らばっている。
 きっと、あの鞘で叩いたんだろう。
 でも、阪神の方は至って無事で怪我をしている様子はなかった。
 一体どういう石頭をしているのだろうか・・・。
 でも、叩かれても仕方ない状況だったな・・・。
 あそこまでボケまくられちゃ、宝塚でなくてもキレてしまう。
「痛いねん!!
 なにすんや! アホ!!」
「ふっ、とっさに魔力で防御したか」
「でなけりゃ死んでたわ!」
「もぅいい。
 私が何を言いたかったかというと、魔力によって身を守ることが出来ない奴は、お前のIFの内において、お前が望みさえすれば奴の存在を消すことも可能だと言うことだ」
「あ、そうか、それで初心者と言うヒントやったんか!
 わいらはいつも玄人相手の商売やっているさかい、気づかへんかった」
「そう言うことだ」
「じゃあ、行かせてもらうで!」
 奴の声が聞こえた瞬間、僕は消えてしまった。
 違和感が広がると同時に消えていった生徒達のように・・・。
「竜斗!!」
 僕がいた辺りを夕鶴が探るが僕は何処にもいない。
「竜斗を帰して!!」
 夕鶴が叫んだ。
 僕の身体は消えてしまったが、僕の心みたいなものは、そこにいて夕鶴達を見ていた。
 不安を感じるべき状況だが、感情的なものは何故か感じない。
 まるで長い映画を見ているか、夢の中の虚像を見ているかのように、ただ出来事だけが流れ去って・・・。
 そう、僕がいない世界だからか、感情がない。
「さて、邪魔もんはおらへんし、仕事や仕事」
 阪神が夕鶴の手首を掴む。
「いやっ、放してよ馬鹿!!」
 夕鶴の平手打ちが阪神の頬に手形を作る。
「あうちっ!!」
「このっ!!」
 続いて金的攻撃!!
 夕鶴の膝が奴の股間に食い込んだ!!
「うごぉーーーーーーっ!!」
 流石の阪神もこればかりは効いたらしい。
 夕鶴の腕を放して局部を押さえて膝をついて、ぴくぴくと痙攣する。
「無様な醜態をさらすな!!」
 呆れた宝塚が阪神にサーベルの剣先を突きつける。
「あ、あほぅ!!
 人の気も知らへんで・・・!!」
「し、知りたくもない!!」
「え、ええから、腰叩いてくれへんか・・・?」
「・・・・」
 宝塚は無言のまま阪神の腰を叩く。
 その顔は恥ずかしさのあまり真っ赤になっていた。
「痛い目に遭いたくなかったら、竜斗を元に戻して!!」
「そう言うわけにもいかない。
 こちらも仕事だからな・・・」
 次の瞬間、サーベルの切っ先が、夕鶴の鼻先へと向けられていた。
「無傷で連れてこいと言う命令だったが、抵抗するのなら、我々もそれなりの処置をしなければならない」
 サーベルの刀身が光る。
 言葉無い威圧に夕鶴の顔からは血の気が消え、冷たい汗がたれる。
「・・・・」
 静寂の空間にただ心臓の鼓動が木霊していた。
 夕鶴は短いはずのその一時を長く感じているんだろう。
 あれこれ考えている内に猶予はなくなって、終わってみると、その時が短いものだったと言うことに気づく。
「こうしよう。
 我々と共に来るのなら、あの少年は解放する。
 だが、少しでも抵抗するようだったら・・・」
「・・・そんなの卑怯よ。」
「わいらかて卑怯なことは好きやあらへん。
 そやかて、わいらはこの仕事をせえへんと生きてけへんのや。
 堪忍してくれや」
「・・・・」
「さぁ、どうする?」
 夕鶴は唇をかみしめた。
 そして、決心したかのように阪神の目を見る。
 阪神は目を細め、切なそうな表情をする。
「わかった・・・」
「そうか」
 阪神のその声には熱が感じられなかった。
「私は竜斗を失ったら何もないの・・・。
 もう、何も失いたくはないから」
 夕鶴は呟くように言う。
「本当にそれで良いのか?」
 宝塚の夕鶴に言った言葉、それは僕に言った言葉のように思えた。
 自分で考えることを止めた僕は再び考えることを思い出す。
 僕は夕鶴を失っていいのか・・・?
 たった一つの疑問が浮かんだその時、心に直接宝塚の声が聞こえた。
(今お前は、阪神という一人の人物にその存在を否定され、一時的に形を奪われているだけだ。
 全てが終わり、阪神のIFが解除されれば、世の中のお前の存在を認める意志によって、お前は再び形作られる。
 だが、その時、お前は大切な者を失う。
 それが嫌だったら抵抗してみろ。
 他人に存在を否定されても、自分の形をイメージできる強い心があるのならば、他人のIFの中で形を失うことはない。
 ・・・もっとも、お前にそれが出来るとは思わんが)
 僕のイメージ・・・。
 僕の・・・。
 僕は、僕なんだけど、僕が解らない。
 外見さえも、心のあり方すら解らない。
 普段は別に意識しなくても、自分自身で僕がそこにいることを感じられていたはずなのに・・・。
「人は誰かに存在を認められてないと生きてはいけない。
 他人の世界観の中でしか生きられない弱い生き物だ」
 今朝のおじさんの言葉が思い出される。
 僕は弱い人間だから、他人にその存在を否定されるだけで、自分が無くなってしまうんだ。
 じゃあ、普段は誰かにその存在を認められているから、僕の形が維持できているのか・・・。
 そうか、そうだったんだ・・・!
 僕は一人で生きていたんじゃなかったんだ!!!
 解っていたはずなのに、それがあたり前になって気が付かなかったんだ!!!
 夕鶴・・・。
 夕鶴を失ったら僕はどうなるんだよ・・・!
 何も想像できないんだ!!
 想像することを避けているんだ・・・!!!
 その先にはきっと何もないから・・・。
「じゃあ、行くで・・・」
 阪神は夕鶴の手を掴むがそれを拒否する。
「・・・」
 だが、それは抵抗ではなく、阪神に対する拒絶だと感じ取ると、阪神は無言のまま目をつぶった。
 3人の姿が薄れていく。
 3人はこの世界から出て行くんだ・・・・。
 出て行ったらもう二度と夕鶴に会うことが出来ない。
 きっと、夕鶴は違う世界の人間になって、僕は夕鶴のことを忘れてしまう。
 僕らの住む現実の世界が、違う世界の記憶を奪ってしまうから。
 いいのか、これで・・・!!!
 これが最後でいいのか・・・?!!!
 いいわけ無いよ!!!!!!
 まるで走馬燈のように夕鶴との思いでが次々に蘇る。
 僕がいて夕鶴がいて・・・!!
 夕鶴がいるから・・・!!
 夕鶴がいるから僕はっ・・・!!!        
 夕鶴・・・。
 夕鶴・・・!
 夕鶴っ!!
(あんなにも、あんなにも会いたかったんだっ!!!)
 絶対に夕鶴は渡さないっ!!!!!!!!!!

 消えかけた三人の姿が、阪神の作り出した異世界に再び具現化する。
 突然の出来事に阪神と夕鶴は驚いた表情をする。
「こりゃどういうことや?」
「何者かのIFに引き込まれたらしい・・・」
 慌てる阪神に対して、宝塚は落ち着いた素振りを見せる。
「竜斗なの・・・?」
 夕鶴が言ったその時、学校の形をしたその空間は音もなく崩れ去り、ただ何もない闇だけの世界に変わる。
 上も下もない闇の世界にはただ三人の人間がいた。
 夕鶴を中心に小さな光が産まれる。
 光は闇を包み込むように広がって、全てを飲み込むと、光の中から大地と空が産まれた。
 世界は森に囲まれた丘だった。
 丘の上にはコンクリートで出来た給水塔がそびえている。 
 それは色あせて灰色に変色し、鉄骨の錆が所々浮かび上がっている。
 その表面に無数のヒビが走っていた。
 暗雲は目まぐるしく流れ、その上空では青白い雷の光が音を立てて輝く。
「なんや、公園の給水塔やないか」
 阪神は辺りを見渡しながら言う。
 その風景は彼の見慣れたものだった。
「願いの塔・・・」
 夕鶴は切ない瞳でその給水塔を見つめた。
 その時、給水塔の上空の暗雲が円上に晴れ、そこから黄金の光が射し込む。
 光から少年の姿がうっすらと浮かび上がる。
 薄れているその身体に、黄金の光が集結し少年の身体を形作っていく。
 光の放つ煌めきは少年の身体を包む白い衣になった。
「竜斗・・・!」
 少年の背中からまるで天使のような白い翼が生える。
 強く一回羽ばたくと、大きく羽を広げた。
 夕鶴は天使の姿をした少年に抱きついた。

 気が付くと僕は夕鶴を抱擁していた。
 もう一度、会うことが出来たんだ・・・。
 夕鶴・・・。
 心でその名前を呼んで、強く抱きしめると、夕鶴がそこにいることを何よりも感じる。
 嬉しさのあまり涙が零れる。
「ごめんね・・・。
 私、竜斗を失いたくなかったの・・・」
「もういいよ。
 でも、もう二度と、一人で行こうとしないで・・・」
 もう二度と夕鶴を失いたくないんだ・・・!
 その言葉の続きを心の中で叫んだ。
「悪いのは奪うことしか知らない、あいつらだ・・・!」
(もう二度と失いたくない・・・!)
 夕鶴がいるから僕はっ・・・!!
 夕鶴を守りたい!!!
 だから僕は戦う!!!!
 背中で大きな羽根が羽ばたいた。
 そして、その手のひらに左右対称の美しい形をした白銀の剣が現れる。
 それは僕の力の形・・・。
 僕を守る鎧でもあり、敵を倒す武器でもあるんだ。
「イデアを使うとは面白いっ! さぁ、私を討ってみろ!!」
 宝塚が吠える。
「まぁた、宝塚はんの悪い病気が始まった・・・。
 わいは下ろさせてもらうで」
 と言うと阪神は宝塚から離れる。
「来いっ!!」
「言われなくても行ってやるっ!!」
 僕の中の何かが燃えた。
 燃えさかる内燃機関で生み出されたエネルギーは僕を包み込み、大きく広げられた羽から放たれる。
 スピードを増し、エネルギーの固まりとなった僕は宝塚に向けて突進する。
「受け止めてみせるっ! そして貴様に勝つっ!!」
「負けないっ!!」
 宝塚はサーベルを横に構えると、サーベルにエネルギーを集中させる。
 その周りがその力により発光していた。
 間もなく、光に身を包んだ僕と、宝塚のサーベルが衝突する。
 身体は力の器にしか過ぎない、これは「力」と「力」同士のぶつかり合いだった。
「戦うことが、強さこそが私の存在理由なんだっ!!」
「そんなのエゴじゃないかっ!
 そんなヤツに奪われてたまるかっ!!」
「エゴではないっ!!」
 宝塚のその向こうにエゴで固めた弱い心が見える。

 長い金色の髪を持つ裸の少女の後ろ姿。
 その向こうにぼんやりと男の姿が見える。
「なんのつもりだ・・・?」
「・・・・」
「俺は君にとって何なのか、もう一度よく考えた方が良い。
 君が俺に向けている気持ちは憧れでしかない。
 俺は考えのない行動に対して答えを出すことは出来ない」
(だから、私はその人に望まれるよう、女であることを捨て強い戦士になった。
 そうすればあの人は私のことを認めてくれるっ!!!
 だから・・・!!!!)
 少女の姿は次第に今の宝塚の姿へと変わっていく。
(だから、私は戦う)

「そんなの、自分が戦うことしか価値がないと決めつけて、本当の自分を否定されることから逃げているだけだろっ!」
「人の心を勝手に見るなぁ!!」
 力と力は閃光を放ち、激しく爆発した。
 一瞬の出来事だった。
 コントロールを失った強い力の反動により、僕と宝塚の身体は跳ね飛ばされた。
 叫び声を出す間もなく、ショックで気を失う。
 一瞬の出来事だった。
 コントロールを失った強い力の反動により、僕と宝塚の身体は跳ね飛ばされた。
 叫び声を出す間もなく、ショックで気を失う。

「竜斗、大丈夫・・・?」
 気が付くと目の前に夕鶴の顔があった。
 夕鶴は僕の無事を確認すると微笑む。
 僕は夕鶴の膝の上で寝ていたらしい・・・。
 すこし恥ずかしい格好なので、立とうとするが、立ったとたん立ちくらみを起こす。
 足腰がふらつくほどの脱力感を感じた。
 疲れがあるだけで、何処も痛くない。
 どうやら怪我はないようだ。
「力を使い果たしたみたいやな」
 阪神の声が壁に反響する・・・。
 場所は再び学校の中だった。
 気が付けば僕の服も学生服に戻っている。
 阪神の足下、廊下の床に宝塚が倒れていた。
 あちらも怪我はない。
 爆発に吹き飛ばされて気を失ったのか・・・。
 後一人、阪神を倒せば助かる・・・。
 でも、力が残っていない。
 力が残っていたところで、力の使い方が解らない。
 さっきのあれはまぐれだったし・・・。
 僕の敗北は火を見るより明らかだった。
「万事休すやな」
 阪神の殺意が高まっていく。
 僕にはもう阪神の殺意を跳ね返すことが出来る気力は余っていなかった。
 僕は阪神の出すその殺意に飲み込まれていく。
 殺してやる!!
 殺してやる!!!
 殺してやるぅ!!!!!
 頭の中で怨念がお経のように響く。
 僕はただ死に怯え震えることしかできなかった。
「もう手加減はせぇへん・・・」
 手にしたメガホンを含め、奴の拳全体が炎の固まりとなる。
 一部の空間だけではない・・・。
 その空間、世界全体の温度が上昇した。
 その場に見える光景全てが炎の熱気によってゆがんで見えていた。
 あまりの熱によって、目があっという間に乾いてしまう。
 いくら瞬きしても、またすぐ乾いてしまい、痛く感じる。
 汗は出ても出てもすぐに蒸発する。
 圧倒的な力だった。
「死ね!!!」
 瞬間、視界全てが炎で赤く染まった。
 絶対的な死、そして全ての終わりを想像した。
 そして、僕は死を悟った。
 僕は死ぬんだ・・・。
 夕鶴・・・。
 その名を呼びながらゆっくりと目を閉じた。
 ・・・。
 その時間が異様に長く感じた。
 死はやってこない・・・。
 あれ、熱くない・・・。
 目を開けて、自分の掌を動かしてみた。
「間一髪だったな」
 聞き慣れた声。
 真っ黒いスラックスをまとった二本の長い足が目の前に立っていた。
 視線を上に移動させると、真っ黒いスーツを身に纏った男がそこにいた。
 なびく長髪。
 手にした長剣が赤く輝いていた。
 僕はその人を知っていた。
 そう、おじさんだった。
 おじさんは奴が放った炎を掌でもてあそぶと、握りつぶして消した。
「おじさん!!」
 僕は感激のあまり涙がこぼれた。
 なんて格好いいんだ!!
 おじさんのかっこよさは伊達じゃなかったんだ!!!
 いま、僕が知っているヒーローの中でも、一番おじさんが輝いていた。
「悪魔と呼ばれる男・・・、堀江祐一か。
 来るのは予想通りやったが、えらい遅かったな」
 コキコキと拳をならす阪神。
「お前らが仕掛けてくるのは百も承知だったから、格好良く登場する為に、ピンチになるのまでそこで隠れていたのさ」
 と階段を指さすおじさん。
 な、なんて奴だ!
 さっさと助けてくれれば良かったものを!!
 涙は一瞬にしてかれた。
「冗談やろ?」
 阪神の額に汗が浮かぶ。あ
 の阪神が圧倒されているんだ。
 おじさんの持つ気に・・・。
「冗談なものか、お前のようなザコは俺の引き立て役にしか過ぎない。
 これから、お前は俺に格好良く倒されるがいい」
 声はふざけているが、怖いほど冷たかった。
 僕は思わず身震いする。
「まんざら、冗談でもなさそうやな・・・。
 分が悪すぎるわ、今日は退散したるっ!!
 次会うときは覚えとれっ!!!」
 阪神は意識を失った宝塚を背負うと、窓を蹴り破ってどこかしらに逃げていった。
 逃げなければ、阪神の死は確実だっただろう。
 僕はそう思った。
「ワンパターンな台詞だな」
 おじさんの後ろ姿はやっぱりかっこいい。
 僕はその雄姿に今まで以上の親近感を覚えた。
 夕鶴・・・、夕鶴は?
 僕は阪神の殺意に怯えていた夕鶴に手を伸ばす。
「大丈夫・・・?」
「うん・・・」
 そして、僕の袖をギュッと掴む。
 なんか、優しい気持ちになった。
 まるで、お母さんのスカートの裾を握る泣いている子供みたいだから・・・。
「怖かった・・・」
 嗚咽混じりの声だった。
 夕鶴は嗚咽をこらえながら、泣いていた。
 僕はたまらなく強く抱きしめた。
「ずっと、お前はいらないって言われているようで怖かったの・・・。
 嫌なことたくさん思い出して、誰も私を必要としてくれないと思った・・・」
「夕鶴・・・」
「でも、竜斗は私を必要としてくれた・・・。
 ありがとう・・・」
 夕鶴が強く抱きしめる。
 暖かい夕鶴のぬくもりを感じる。
 そう、僕はただ、そのぬくもりを失いたくなかっただけなんだ・・・。
(あんなにも会いたかったから・・・)
 夕鶴がいるから僕は・・・。
「例え、誰からも夕鶴が必要とされなくても、僕だけは夕鶴を必要とし続ける・・・」
「果たして、お前にそれが出来るのか・・・」
 おじさんは人に聞こえるか聞こえないか位の声でそう呟いた。 
 
 一時限目の始まりを知らせるチャイムが鳴る。
 学校は周りを団地に囲まれているため、その音は山彦のような何度も繰り返し響いて聞こえた。
 本来なら、あの檻のような囲いの中で、退屈な授業を受けている所だろうが、僕と夕鶴は学校の外からその校舎を眺めていた。
 ついでにおじさんもそばにる。
 しかし、”しどい”目にあった。
 思い出しただけで恥ずかしい…。
 と言うのも、あの事件の後の事だ。
 あの後、すぐに世界が元に戻った。
 だが、間が悪すぎた。
 夕鶴が僕の胸で泣いているところを、不特定多数の人物に目撃されてしまったのだ。
 当然その中には僕の友達もいたわけで、
「ミスター・女泣かせ」
 と冷やかされてしまった。
 当然、学校中大爆笑の嵐。
 さすがにあの時は恥ずかしかった。
 どれぐらい恥ずかしいかというと、中学の時に学生服をクリーニングに出していたことを忘れて、ジャージで登校するはめになって、ちょうどその日が卒業アルバムの撮影日だったりした時と同等か、またはそれ以上かほどに恥ずかしかった。
 恥ずかしくて、居ても立ってもいられなくて、学校を飛び出してきたわけだ。
 どの道、あのまま授業を受けるってわけにもいかなかっただろうし。
 先生が命を狙っていた以上は・・・。
 でも、きっと卒業するまで、あと二年間は「ミスター・女泣かせ」というあだ名で呼ばれることだろう。
「ったく、夕鶴のせいでとんだ恥をかいたよ!」
 チャイムの山彦が収まったのを見計らって呟くように言った。
「ちょっと待ってよ、抱きしめてきたのは竜斗でしょ!!
 この変態おやじ!!」
 それはお前の父親のことだろうっ!!
 と僕は言いたい。だがあえて何も言わなかった。
 これ以上余計なことを言って、事態がややこしくはしたくない。
 とうのおじさんは眠そうに学校の校舎を見上げていた。
「あれ、自分が変態おやじだってことを認めたの?」
 このっ・・・!
 人が黙ってりゃいい気になりやがって!
「んな訳ないだろって!」
「おいおい、夫婦喧嘩はよせよ。
 こんなところでこんな事をしていても、どうしょうもないだろって」
 おじさんの言っていることは、ごもっともだけど・・・。
「夫婦喧嘩ってなんだよ!」
「夫婦喧嘩じゃないもん!」
 僕らは口をそろえて言った。
「まぁまぁ落ち着いて」
 って、火を付けたのは誰だよ?
「なぁ、夕鶴、どこか行きたいところないか?
 何処でも良いから言ってみな、何処でも連れていってやるぜ」
 おじさんは話をそらすように、違う話を持ちかけた。
 そうか、夕鶴の誕生日だったんだよな。
「んじゃー、ハワイ」
 言うと思ったよ。
「じゃー、帰ろうか」
 と帰る素振りを見せるおじさん。
 男は自分が言ったことに責任をもてよな。
「ってのは冗談で、遊園地行きたい」
 なんでまた遊園地。
 この年になって遊園地はないだろう。
 やっぱり、精神年齢3歳だって。
「んじゃあ、車で行くか」
 学校に隣接した道路に赤いポルシェが路上駐車してあった。
 20年近く前の車で911ターボというらしい。
 おじさんの車だ。
 家から学校まで歩いて10分もかからないと言うのに、車で来たのか。
 この辺りは歩道が入り組んでいるから、車より歩きの方が速いって言うのに。
 この変なこだわりがおじさんらしいと言ったら、おじさんらしいんだけど。
「竜斗は後ろね」
 後ろと言うのは後部座席のことだ。
 スポーツカーの後部座席は、人が座る事を前提に作られてはいない。
 人が乗ることが出来るだけで、本当は荷台なのだ。
 ・・・と思っているのは僕だけだろうか。
 でも、乗り心地が悪いのは事実である。
「解ったよ」
 と僕は渋々後部座席に乗ることにした。
 遊園地行きの旅は夕鶴が主役。
 僕はあくまでもオマケなのだ。
 後部座席でも付いていけるだけ幸せだと思わないと・・・って、僕はオマケなのか?
 本当に付いていって幸せか?
 自問自答すると辛いだけだから、止めておこう。

 平日の遊園地は全然人がいない、って当たり前か。
 辺りを見渡すと、「仕事はどうした?」と言いたくなるような20代のカップルや、小さい子供を連れた家族が時々目に入るぐらいだ。
 もっとも、僕らも学校どうしたと聞かれたら元も子もない。
 学生服で来ているし・・・。
 しかし、遊園地なんて久しぶりだな。
 中学の頃、夕鶴に付き合わされて来た以来か。
 あのときは夕鶴の友達と来て、僕以外はみんな女子で立場がなかったよ・・・、まったく。
 昔もこうしておじさんに連れられて、夕鶴とねえさんと一緒に来たっけ・・・。
 ガラガラだから、普段は数十分並ばなきゃ乗れないような乗り物に、並ばないで乗ることが出来る。
 僕らは適当に乗り物を乗りながら、園内を歩いていた。
 楽しいのか?
 と聞かれたら僕は楽しいと答えると思う。
 だが、僕は足が重かった・・・。
 何故かというと、後ろからシャツを引っ張られていたからだ。
 僕は後ろを見た。
 夕鶴は僕のシャツを掴んでおどおどしながら歩いていた。
 なんだか、小さい子供を連れて歩いているパパの気持ちを満喫中って、おい、こいつの父親は僕らのちょっと後ろの方を眠そうに歩いているぞ。
 そっちに行けばいいじゃないか?
「はなれろって!!」
 僕は夕鶴をシャツから引き離すが、また掴んでくる。
「だって、怖いんだもん」
 まぁ、解る気がするけど・・・。
 あんな体験の後じゃ。
「だったら、おじさんの方にいけばいいだろ!」
 会話に自分が出てきたと思って、照れるような顔をするおじさん。
 おじさんが、照れるような話はしてないのは確かだ・・・。
「だって、お父さんにくっついていたら戦えないでしょ?
 竜斗は別にいてもいなくても同じだから、くっついてても何も問題はないじゃん」
「僕は役立たずっていうの?」
「うん」
「ああ、そうだな」
 親子揃ってうなずくなよ・・・!
 そりゃ、僕はなにもできないさ。
「あ、でも、少しは役に立っているかも」
 珍しい夕鶴のほめ言葉に僕は少し期待した。
「寂しい時は慰めてくれるし・・・」
 うんうん。
「怖い時は怖さを紛らわせてくれる…」
 おおっ!!なにげに良いポジションじゃん!
「都合のいいときだけかわいがって、そして、ストレスが溜まれば八つ当たりできる」
「それって、ぬいぐるみみたいな扱いだね…」
「そうよ。でっかいディデ○ベアよ」
「ダメすぎだよ!」
 歩いているうち、僕らは遊園地の真ん中の広場に来た。
 幽遠の真ん中に立つ観覧車を囲むように広場が出来ている。
 広場には他の所に比べて少しばかり人が多い気がした。
 僕はさっきから抱いていた疑問があった。
「おじさん、こんなところにいて襲われても平気なの?」
 襲われるという言葉に夕鶴はビクッとした。
「何処にいたって奴らは襲ってくるさ。
 でも、俺がいれば平気だ。
 ならば、闘いやすい広いところがいいだろ?
 まぁ、その気になれば世界のレイアウトを変えるぐらいわけないんだがな」
 夕鶴はおじさんの言葉を聞いて落ち着く。
 夕鶴の様子を見た後、辺りを見渡したら納得した。
「確かに広いですね。
 でも、人が大勢いる」
「お前も見ただろ? 人の作り出す異世界を」
 阪神の感覚で満ちた違和感のある空間。
 そして、僕も無意識のうちに作り上げた空間。
「俺らの言うIFと言うのは、人間の精神領域を身体の外に展開したものを言う。
 魔力を使える者のみが作り出すことができ、魔力という共通の世界観を持つ者のみが、かいま見ることの出来る空間なんだ。
 魔力はそのIFの中でのみ作用する精神の力だ。
 それをひっくるめて俺らの間じゃ魔法と呼んでいる。
 そして、それを操る俺達は魔導師って訳だ」
「つまり、魔法を信じている人だけがIF=魔力を使え、信じている人にしか効かないと」
「そう言うことだな」
「でも、あのIFを見ることが出来る私たちは魔法を使えるの?」
 夕鶴の声のトーンが高くなった。
 何を喜んでいるんだ??
「そうだな・・・。
 でも、それってどういうことだか解るか?
 現実離れした、魔法を信じているような幼稚な考えの持ちだってことなんだよ」
 瞬間、阪神の言った言葉がバ○ク ○ゥ ザ ヒ○ーチャーされる。
「わいのIFの中で動けるなんて、けったいな奴ちゃ。
 ははん、さてはお前、世間一般で変人とか、非常識人とか言われているたちやろ?
 たまぁーにおるんや、こういう阿呆が」
 そうか、そう言う意味だったのか!!
 ショックが強い・・・。
 自分が変人だったなんて!!
「でも、イコール常識で縛られない、自由な考えの持ち主ってことさ。
 大切にしろよ、そう言う考え方を」
 そう言う考え方もある。
 何事もプラス思考だ!!
「しかし、親子二代揃って魔法が使えるとはね…」
「魔導師の家系に産まれると、自然に魔法が使えるようになるんだ」
 魔導師の家系・・・。
 つまりは変人は遺伝するとでも言うのか・・・。
 謎は大きい。
「ねぇ、観覧車乗りたい」
 夕鶴が観覧車を物欲しそうに眺めながら言う。
「俺は疲れたから下でまっとるから、2人で行って来たら」
 果たしてそれで大丈夫なのか?
「心配はいらねぇ。
 奴らと言えど、空中までは手ぇだせんって」
「じゃあ、行って来るね」
 夕鶴はそう言うなり、僕の腕を引っ張った。
「ぬぉっ! ちょい、待てよ!!」
 僕らは駆け抜けるように受付をパスして観覧車に乗り込んだ。
 徐々に視界が広がっていく。
 初めは近辺の住宅や特別高いビルしか見えなかったけど、次第に街全体が見えてきた。
 僕は開けていく世界に見とれていた。
 気が付くと、都心へと続く柔らかい地平線を一望できる高度まで上昇している。
 僕らの住む町は緑に囲まれていて、丘の上の給水塔だけが突出して見えていた。
 人の手によって作られた街、それを自然である緑が囲んでいる。
 考えてみると、何か不思議だな。
「きれいね」
 夕鶴が呟く。
「ねぇ、私たちの街がこんなに綺麗だってしってた?」
 唐突な質問だった。
 でも、しっかりと的をついている。
 その辺が夕鶴らしかった。
「この風景は知ってたのかもしれないけど、綺麗だと言うことは知らなかった」
 ・・・・・・。
「あの給水塔が見えるこの街の風景、私はあんまり好きじゃなかった。
 嫌なこと、沢山思い出させられるから・・・」
 僕は遠くを見るような目で、一点のみを見つめる。
 夕鶴の声がバックグランドのように聞こえた。
 澄み切った空、何処までも続く地平線。
 青と緑に囲まれた背景に、街の真ん中にたたずむ給水塔が、真っ赤な太陽に照らされて、まるでシルエットのように虚ろに浮かんでいた。
「でも、どうしてだろう。
 今は好きになれる・・・。
 綺麗だと思えるの」
「なんか、その時の気分によって、目に見える世界っていくらでも変わるよね」
 僕は思ったままの事を口に出した。
「・・・嫌だと思っていたものも、考え方の違い一つで好きになれるんだからさ」
 観覧車はちょうど頂上に来た。
 その時、ガタンとすこし派手目に揺れた。
 まさか、止まるってことはないよな。
 少女漫画のお約束じゃあるまいし。
「まさか、止まらないよね…?」
 夕鶴も同じ事を考えていたみたいだ。
「でも、何か止まって欲しい気がするの。
 このままこの景色を見ていたい」
 僕もそう思う。
 この景色を見ていると幸せな気持ちになれる。
 何故だろうか・・・。
「止められるものなら、止めてみたいな」
 僕は呟いた。
「そうだ!竜斗、魔法を使えば時を止めることもできるかもしれない!」
「そうか!」
 僕は手を叩いた。
 でも、どうやって・・・。
 自分のIFを造れば良いんだ?
 僕の世界・・・。
 イメージが自然に沸いてくる。
 そうなんだ、夕鶴が僕の存在を認めてくれるから・・・。
 僕がいて、その隣には夕鶴がいて。
 その周りを色々な人が取り囲んでいる。
 目に見える風景はこの街だけ。とても狭いけど、何よりも広い世界。
 それが僕の世界。
 夕鶴と一緒で初めて僕の世界なんだ・・・。
 僕を中心に何かが広がっていった。
 それは色々なものを取り込みながら広がっていく。
 IFという言葉が脳裏に浮かぶ。
 不思議と違和感はない。
 それどころか心が落ち着く。
「やったね、竜斗!」
 夕鶴は観覧車の中で飛び跳ねた。
「やめい、揺れる! 観覧車が壊れて墜ちたらどうするんだよ!」
「その時は竜斗が魔法で助けてくれるでしょ?」
 ・・・・・・。
 僕は無言になった。
 そして、風景を眺めた。
「僕のIFの中では時の流れが違うけど、この風景はなにも変わっていない。
 でも・・・」
 でも、目に見える風景が全て僕の一部のように思えた。
「これが竜斗の世界なんだね」
「そうなんだね」
 僕は夕鶴を見つめた。
「ん、なあに?」
「そういえば、渡したいもんがあったんだ」
「えっ、なんで・・・?」
 僕は鞄の中からゴソゴソと物をとりだし、自分の後ろに隠す。
「おまえ、僕のリビングのクマが一人で寂しそうだって言ってただろ」
「うん、言ってたけど・・・」
「はいっ。
 誕生日、おめでとう」
 僕はそう言うと、中ぐらいの大きさのクマのぬいぐるみを夕鶴に渡した。
「ありがと!!!!
 私の誕生日、忘れてなかったんだね!!!」
「当たり前だろ。
 それより、自分の誕生日だって事、忘れていただろ!!
 バカだなぁ」
「そ、そんなことないもん!」
 僕は微笑んだ。
 僕は今、自分の世界の中にいる。
 そして、僕の世界には夕鶴がいる。
 夕鶴がいるから僕はこんなに楽しいんだ・・・!
 夕鶴がいるから僕はこんなに幸せなんだ・・・!
 ありがとう夕鶴・・・。
(もう一度会えて本当に良かった)

「思う力は力となるが、強すぎる思いは人を盲目にする・・・。
 思いが壊れた時が本当の力の試される時だ」
 おじさんの声が聞こえたような気がした。


第二章その1

 僕・・・風間 竜斗(りゅうと)の住む街はかつては新興住宅街(ニュータウン)と呼ばれた場所だが、今は開発の中心から外れてしまって、すっかり古い街(オールドタウン)になってしまった。
 僕が子供の頃は子供達の声が絶えなかったこの団地群も、若い世代の人がもっと便利で刺激的な都会の街に出て、ついには老人達が住んでいるだけ。
 僕の住む団地にもあれだけ同級生がいたのにもかかわらず、中学の卒業と共に次々と引っ越してしまい、僕と幼なじみの夕鶴(ゆつる)が残るだけになってしまった。
 四方八方を自然とたくさんの公園に囲まれ、人の通りも、車の通りも、お店も何もない。
 時代の流れから取り残されたこの団地群は、老人にとっては住みやすいのかも知れないが、同時に若者にとっては退屈な場所なんだと思う。
 そんな団地のど真ん中にある公園の丘には、給水塔がそびえ立っているんだ。
 どんな丘の上に立つ団地でもこの給水塔より高い建物はなく、僕らの住む団地の中で一つだけ飛び出して見えていた。
 この給水塔、僕らが小学生の頃、子供達の間では願いの塔と呼ばれていたんだ。
 てっぺんまで登れば何でも願いが叶うって、みんな知っている有名な話だった。
 なんの疑いもなくみんなはその話を信じていたんだ。
 これと言った交通手段もない小さ僕らにとっては、緑で隔離された団地群の中だけが世界で、その世界のど真ん中に塔が立っているんだ。
 その塔がなんだか解らない子供達にとっては、とても興味のある話だったんだと思う。
 当然、子供に給水塔を登ることなんか出来はしない。
 四方を先がとんがった鉄柵に囲まれて乗り越えるのは容易ではない。
 鉄柵を乗り越えたとしても鉄で出来た門は固く閉ざされている。
 外壁を登ろうにも手足をかけるところすらない。
 誰一人到達することの出来ない難攻不落の砦であったから、子供達の間で永遠にミステリアスであり続けたんだ。
 次第に怪我人が増え、学校から願いの塔で遊んではいけないと言われるようになり、願いの塔の事が忘れられつつあったある日の事だった。
 隣の家の夕鶴から願いの塔に行こうと誘われたのは。
 夕鶴とは気が付いたときには互いに隣同士だったけど、小学生になって男と女の生活が見え始めたときには、恥ずかしくなったのかほとんど遊ぶことはなくなっていた。
 恥ずかしかっただけじゃなく、僕らは他の子供達の集団になじむのが苦手だったから、自分以外の存在を避けていた所が互いにあったんだ。
 だから、他の子供達みんなが願いの塔に挑戦している中、興味を持ちながらも僕らは願いの塔に近づく事をしなかったんだ。
 他の子供が忘れた頃に願いの塔に向かったのは必然のようだった。
 思い返してみれば願いの塔に行ってからだった。
 夕鶴とまた仲良くなり、生きることが楽しいと思えるようになったのは・・・。
  ここが全ての始まりなのかもしれない。

 

 竜斗の世界~The Expand Of Ryuto’s Verden

 

 闇の中でザーザーと雨の降る音がする。
 そう、その日もこんな雨がふっていたんだ。
 闇の中にポツリと給水塔が浮かび上がる。
 雨の中、雨合羽を着た小学生の僕と夕鶴がいて、そびえ立つ給水塔を見上げていた。
「なんだ、怖いのか?!」
 記憶の始まりの言葉はこんな感じだった。
 夕鶴と僕、そしてもう1人、名前も忘れてしまったけど誰かがその場にいたんだ。
「そんなことないよ!」
 僕は否定しながらも恐怖を隠しきれず、情けない自分を悲しんでいたんだ。
 その頃の僕は気が弱く、こんな具合に何時も誰かに罵られ、自分にコンプレックスを感じては心の何処かで自分を責めていたんだ。
「行こう・・・」
 夕鶴が僕の腕を引っ張る。
 重い足を引きずるようにジリジリと僕は足を進める。
 その塔は近づけば近づくほど大きく、よりはっきりと詳細にその姿を明らかにする。
 無数にひび割れたその表面は雨で濡れて不気味に思えた。
 そんな僕をもう1人の子は後から冷ややかに見つめていたんだ。
 どれぐらいり時間を掛けて歩み寄ったのか、塔の目の前に達すると、普段は閉まっているはずの鉄柵の門が開いている事に気が付いた。
「開いてる・・・」
 みんなが話す話を聞いて、絶対開いているはずがないと思っていた門が開いている事に僕はびっくりした。
 夕鶴は無言のまま塔の敷地内へ強く一歩踏み出すが、僕は足がすくみそこで足を止めたんだ。
 怖かったからだ。
「ねぇ、やっぱり止めようよ・・・」
 僕は消えてしまいそうな小さな声で呟いた。
「ダメよ! 絶対に登るんだからっ!!」
 夕鶴が思いっきり手を引っ張って僕を敷地内へ引き込んだ。
「ここまで来て何言ってるんだよ!!
 夕鶴が行くって言うんだからそれに従えば良いんだ!!
 お前は一人じゃ何も出来ない馬鹿だから!!」
 もう一人が言う。
 僕は悲しくなって嗚咽をこぼすようになった。
「入っちゃ行けないところなのに・・・」
「ゴメンね、でも一緒にいて欲しいの。
 一人じゃこの先を”見れない”よ」
 震える夕鶴のその手に何故だか切なくなり、抵抗するのはやめてただ夕鶴に手を引かれるだけになった。
 もはや眼前に聳えるその巨塔。
 夕鶴は一人でその入り口の鉄の扉を力一杯横に引くが、小さな夕鶴の力じゃ僅かに左右に揺れるだけで開く気配を見せない。
「竜斗も手伝って・・・!」
 僕は夕鶴に手を貸す。
 落ち窪んだ取っ手に手を掛け、二人一緒に力を掛けるとガラガラと言う音を立て一気に扉が開け放たれて、その拍子に僕ら二人の身体は投げ出された。
 折り重なるよう地面に倒れ込む二人。
 ちょっぴり重く感じる夕鶴の身体。
 目を開けたら夕鶴の顔がそこにあった。
 今まで別に意識したことがなかったけど、柔らかく丸みを帯びた白い顔は、何処かとんがった男の子の顔とは違うと思った。
 僕は一瞬どきりとする。
 僕らが立ち上がって、闇に包まれた塔の中をおそるおそる覗いた瞬間だった。
 カツン、ウィーーーーーーン!
 と何か機械が動く音にびっくりして僕は思わず夕鶴の手を強く握った。
「怖いのは私も一緒だから、ガンバろうよ・・・」
「うん・・・」
「男のくせに情けないんだよ!!
 だからみんながお前を嫌っているんだ!!」
 もう一人の子が背中で言った。
 僕らが恐る恐る扉の中にはいると、またカツンと言う音がして機械の音が止まった。
 少しの間、暗さに慣れなくて何も見えなかったけど、暗さになれると塔の中が明らかになった。
 壁伝いに数本のパイプが上の方まで延びていて、同様に鉄の階段が上の方まで延びていた。
 塔の中は等間隔で蛍光灯が設置されていて、懐中電灯を持っていなくても、普通に歩く事が出来たんだ。
「なんか、普通の建物みたいだね・・・」
「・・・」
 僕が言うと夕鶴は無言だった。
 一歩一歩階段を上がっていく。
 子供の足で、何処までも何処までも続く階段を上るのは、どんなに辛かったことか。
 思い返せば一瞬だったけど、登っているときはもの凄く長く感じていたんだと思う。
 僕らが息を切らして脇腹が痛くなる中で、もう一人だけが言葉を口にして、僕に罵声を浴びせていた。
「さっさとしろよ!!
 遅いんだよお前は!!
 何でそんなにダメなんだよ!!」
 そして、階段を上りきった所にあったのは、大きなベージュ色の水槽と、天井に続く梯子だけだった。
 梯子でその上がって見れば丸いフタがふたつあっただけ。
 もう一つ天井に延びた梯子は、天井のフタが開かなかったけど、屋上に続いているだけのようだった。
 一通り調べると急に夕鶴が泣き始めたんだ。
 お姉さんぶって僕を引っ張る夕鶴が流したその涙はとても意外で胸が痛かった。
「本当はね、本当はね、解ってたの・・・」
 夕鶴は嗚咽を殺しながら言う。
「でも、信じたかった・・・」
 そう、その後の事だったんだ。
 僕にとって思い出したくない事件が起きたのは・・・。
 一度思い出し始めた記憶は次々によみがえり、止めどなく思い出が流れてくる。
 僕は目一杯真っ黒い闇を思い浮かべる。
 全てを消し去る闇。
 何か思い出す度に真っ黒い闇を思い浮かべてはそれをかき消す。
 怖い・・・。
 思い出すのが怖いんだ・・・。
 助けて・・・!
 助けて・・・!
 思い出しかけたその時、無意識のうちに差し伸べた手を誰かが握る感触があった。
 ヒンヤリしているけどとても優しい感じのする手・・・。
 竜斗・・・。
 誰かが呼ぶ声がする。
 誰だろう、とても優しい声。
 呼び覚まされ思い出はそこで途切れて、次第に僕の意識は現実へと引き戻されて行った。
 徐々に覚醒する意識。
 ザーザー。
 さっきから聞こえていた雨の音。
 ばしゃーーん。
 車が走行する音・・・。
 カーカー。
 カラスの鳴き声・・・。
 徐々に聞こえる現実の朝の音。
「竜斗・・・」
 聞き覚えのある懐かしい声・・・。
「竜斗、起きなさい」
 僕はこの人を知っている・・・。
「竜斗・・・」
 そうそれは・・・。
「聖羅(せいら)姉さん・・・?」
 そこはいつもの僕の部屋のベットだった。
 巨人軍のマスコットのジャビットの時計、漫画雑誌に付いていたアイドルのポスター、漫画が乱雑に転がった勉強机、見慣れた僕の部屋。
 でもそこにいるはずのない姉さんの顔があった。
 姉さんの顔を見たらなんだかとても安心して、無意識のうちに一筋の涙が流れた。
 一人で過ごす夜の闇はとても怖くて寂しかったから。
「怖い夢、見たの・・・?」
 僕は言葉無く頷き、繋いだ手を強く握りしめた。
「寂しい思いさせちゃってごめんね。
 これからは私が守るから、もう何も怖がらなくて良いのよ。
 何も心配しなくてただじっとしていればいいから・・・」
 姉さんは僕を強く抱きしめた。
 タバコの臭いが混じっているけど、自分と同じ臭いに安心感を抱く。
 細長い姉さんの腕は暖かく、優しい気持ちで満たされる。
 心が子供に帰っていく。
 お母さんに抱かれる子供の気持ち・・・。
 このままこうしていたい・・・。
 そう思ったとき、背中を思いっきりたたかれた上、ベットに突き放されて僕は一気に正気に戻った。
「さぁ、寝ぼけてないでサッサと起きなさい!!
 学校に遅れるわよ!!」
「姉さん、なんでいるの・・・?」
 僕は寝ぼけ眼をこすりながらベットから起きあがった。
「長期の休みをもらったのよ。
 これからは毎日竜斗と一緒よん。
 今まで寂しい思いさせちゃったからこれからはサービスするからね。
 何だったら、学校帰ってきてからドライブ行く?」
「姉さんの運転だけは勘弁・・・。
 それよか帰ってくるなら帰ってくるって言えばいいのに。
 こっちにだって準備ってものが・・・」
「あら、帰って来られちゃ困ることでもあるの?
 ベットに転がっていたエロ本とティッシュの山なんてイチイチ見てないわよ。
 もぎたてパラダイスなんてそんなアホらしいタイトルの雑誌はアウトオブ眼中」
「ってしっかり見ているじゃん!!
  というか、そう言う事じゃないんだってば!!」
 そう、僕は今はエロ本どころじゃないんだ。
 と言うのも昨日の事件の事だ。
 あの後、外で夕食を食べて家に帰ったら、どっと疲れが吹き出てすぐに寝てしまったんだ。
 そして気が付けば何故か部屋に姉さんがいた。
  あんな事件だ・・・!
 頭の中に異常な力を使う阪神や、宝塚の姿が浮かぶ。
 さすがに姉さんに話すわけにはいかないしさ。
 姉さんがいるから学校に行かないわけにもいかないし。
 行くるわけにもいかない。
 これからどうすれば良いんだか解らないし、色々とめんどくさい。
 考えれば考えるだけため息が出る。
 なんか、色々とタイミング悪いんだよなぁ・・・。
 こうなったら、さっさと家を脱出するに限る。
 飯を食いに行くとか言って夕鶴の家に行くとしよう。
「姉さん、今何時?」
「7時よ」
 微妙な時間だ・・・。
 あんな事件があったから夕鶴も疲れてるのでまだ寝てるかもしれないな。
「今日は夕鶴んちでご飯食べる約束しているから、適当に行って来るよ」
 僕は制服に着替えながら言う。
「折角、一緒にご飯食べようと思ったのに、準備していて行かないのは悪いわね」
「うん、そう言うことだから・・・」
 僕は適当に相づちを打った。
「いつも夕鶴ちゃんとこにはお世話になっているわね。
 後でご挨拶にでも伺おうかしら・・・」
「いや、行かなくって良いって!!」
「なんか、怪しいわね!
 私が行っちゃいけないわけでもあるの?
 私に隠し事ない?」
 ううっ、鋭い・・・。
「例えば竜斗専用の食器だけじゃなく、歯ブラシもあったりして・・・。
 もちろんネーム入りでね」
 えっ、それってどういうことだろう・・・?
 でも、とりあえずなんか誤解しているみたいだから、それを利用しないワケがない。
「そういうことかも・・・」
「きゃっ!! やっぱりそうだったんだ!!
 私がいない間にそこまで仲が進展していようとはね。
 竜斗を15年間も研究してきたこの私もそこまでは気が付かなかったわ!!
 不覚っ!!」
 何がなんだか解らずに僕はきょとんとする。
「つまりはこういうことでしょ」
 姉さんは僕の耳元でつぶやいた・・・。
 ぼん!!
 その瞬間顔が真っ赤になった。
 耳まで熱くなるのが自分でも解った。
 しまったぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!!
 歯ブラシとはそう言う意味だったのか!!!!!!!!!!!
 なんて事を認めてしまったんだぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!!!!
 僕と夕鶴が・・・。
 思わず想像してしまう・・・。
 今までそれを想像する事を頑張って否定していたが、封印が解かれた今止めどなく思いが溢れてしまう。
 イカン!!!
 センターなポールにエナジーがっ!!!
 しかも、よりによって着替え途中でまだズボン履いていなかったよぉ!!!
 姉さんの目の前で僕のトランクスはテントを作ってしまった・・・。
「まっ!! 竜斗も大人になったモノねぇ・・・!!
 でも、それがなにより動かぬ証拠だわ!」
 何か、感嘆にも似た表情を顔に浮かべる姉さん。
 違うんだ・・・!
 違うんだよぉ・・・・!!
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁん!!!
 まんまんちゃぁぁぁぁん!!!!!」
 意味不明・・・。
 あまりの恥ずかしさのあまり涙をまき散らし、パンツ姿でテントを張りながら、制服のズボンを振り回しながらリビングからベランダに飛び出してしまった。
 追ってくる姉さんに、
「哀れな僕を追わないでください・・・」
  と呟きながら・・・。
 どうせ、誰も起きていないさと、そのまま夕鶴の家のガラス戸を開けたら、そこにウィスキーを片手に新聞を読むおじさんの姿が・・・。
 バブッ!!!!!!!!
 おじさんは口の中に含んでいたウィスキーを吹き出した。
「カッコイイ俺に憧れ欲情してしまうお前の気持ちも分かるが、残念ながら俺にはその気はないんだ・・・。
 ごめん・・・」
 と言いつつ何故だか赤面するおじさん。
 その視線はセンターのテントに注がれていた・・・。
 嗚呼、刻の涙が見える・・・。
  その瞬間、縮み上がって僕は真っ白に燃え尽きた。
「誤解なんだぁぁぁ・・・」
「まぁ、朝は男を呼び覚ます。
 この事は朝の”珍事”として、俺のハートのマイドキュメントに大事にしまっておいてやろう」
 って、何だよぉ、言い方が変だよぉ・・・。
「ところで、昨日の事について話があるんだ。
 夕鶴を起こしてきてくれないか?
 多少ならその朝のパワーを使っても許すから」
「そのパワーは哀しみを生むだけだから使ってはいけないんだぁ・・・」
「そのパワーは使い方を間違えれば哀しみを生むかもしれないが、だが同時に愛をはぐくむパワーでもあるんだ。
 その力をどう使うかはお前次第だ!!!
 行くのだ竜斗よ・・・!!
 近くで見守っていてやるぞ!」
「だから、使わないってぇ・・・。
 とにかく行ってきまぁす・・・」
 僕はリビングを出て夕鶴の部屋へと行く。
 まったく、姉さんも、おじさんも僕の周りは変態ばっかりだよ・・・。
 一応、ノックしておく。
 夕鶴も女の子なんだし・・・。
「入るよぉ・・・」
 これから起こしに行くって言うのに何故だか小声で言う。
 ぎぃぃぃぃぃぃ。
 ドアを開けると何だか甘い匂いがこぼれてくる・・・。 
 カーテンの隙間から漏れる朝の光がその小さな彼女の世界を照らしていた。
 ウサギのぬいぐるみが置いてある小さなタンス。
 隣にガラス戸の付いた本棚。
 勉強机の上には教科書が小綺麗に立てられていて、一冊机の上に出ている本には何か紙が挟まっているようだった。
 そして、その小さな世界の持ち主は、木製のベットの上で静かな寝息を立てていた。
 僕は息をのみベットで眠る夕鶴に近づく。
 リンスの香りのする少し色素の薄い髪は、ベットの上で柔らかく広がっている。
 幼さの残った顔はとても優しい線を描いていた。
 目を下にやると赤いチェック模様のパジャマの前が少しはだけていて、柔らかい膨らみの胸元と、落ち窪んだおヘソが露出していた。
 ・・・・。
 ・・・・。
  ・・・・!
 無心を保とうとしたけど、ダメだ!!!
 身体は正直者っ!!
 再び、センターポールにエナジーが集まる。
 なんで、こんなにもかわいく思えてしまうんだろう。
 こんなにも愛おしく思えてしまうなんて・・・。
 一番の変態は実は僕だったんだ。
「そのパワーは使い方を間違えれば哀しみを生むかもしれないが、だが同時に愛をはぐくむパワーでもあるんだ。
 その力をどう使うかはお前次第だ!!!」
 おじさんの言葉がフラッシュバックする。
 そのパワーを多少、使ってしまってもかまわないだろう・・・。
 だって、そのパワーは愛をはぐくむパワーなんだから・・・。
 僕は息を殺して夕鶴に顔を近づける。
 目指すはその柔らかそうな唇・・・。
 もう少し・・・。
 もう少し・・・。
 夕鶴の顔がすぐそばまで近づいたとき、夕鶴の頬を涙が伝った。
 僕は我に返った。
「竜斗・・・」
 夕鶴は僕の名を呟くと何かを求めるように手を伸ばしてきた。
 僕は無意識のうちにその手を掴んで握りしめる。
 今朝、姉さんが僕にしてくれたように・・・。
「僕はここにいるよ・・・」
 僕は夕鶴に優しく呟いた。
「竜斗・・・」
 夕鶴は僕の名を呟きながらゆっくりと目を開けた。
 そして繋いだ手を自分の頬へやる。
 手の甲に柔らかくて暖かい夕鶴の頬を感じる。
 何故だかとても優しい気持ちにされる。
「小さい頃の怖い夢を見たの・・・。
 寂しくて、辛くて、苦しいとき、竜斗が手を差し伸べてくれたの。
 目が覚めて現実に戻ったとき、そこに竜斗がいてくれて嬉しかった。
 何か安心しちゃった・・・」
 夕鶴は起きあがり僕の腕を抱く。
 腕に夕鶴の柔らかい膨らみが当たった。
 夕鶴を求める気持ちより、夕鶴を愛おしく思う優しい気持ちが勝っていた。
「しばらくこうしていさせて・・・」
 強がっているけど恐がりで、ちっちゃくて、でも僕に元気を与えてくれる夕鶴・・・。
 そんな夕鶴を守りたい。
 僕の中で眠っている父性本能が目を覚ます。
 何だかとても優しい気持ちで一杯だった。
 僕は夕鶴の髪を優しく撫でた。
「これからもいろんな事があると思う。
 どんなことがあっても僕が夕鶴を守るから、もう何も怖がらなくて良いよ。
 何も心配しなくてただ僕を見ていればいいから・・・」
「うん・・・」
 夕鶴が僕の頬をすり寄せた。
「なんだかとっても力強いね・・・」
 その時、キィと言う音が鳴り部屋のドアが完全に開いた。
 逆光で若い細身の女の姿がシルエットになって浮かんでいた。
 それはジーパンに革のライダースジャケットというラフなファッションに身を包んだ僕の姉さんだった。
 いくらなんでも挨拶に来るの早すぎだろ!!
「来て欲しくない原因はやっぱりそう言うわけだったのね・・・。
 もう、竜斗もおませさんなんだから!」
「だぁかぁらぁ!!!
 違うってぇーーーーっ!!!」
 早朝の団地に僕の悲鳴にも近い声が響いた。

「まったく、姉さんはタイミング悪いよ・・・。
 いろんな意味でさ・・・」
 リビングでイスに座り、朝の情報番組を見ながら僕は吐き捨てるように小声で言った。
 ソファーの上にクマのぬいぐるみが大小二匹並んでいた。
「あるいは全ては必然かもよ・・・」
 ソファーで足を組んで新聞を読んでいたおじさんは、ギリギリ聞き取れないぐらいの声でおじさんは返した。
「えっ?」
 僕が聞き返したがその声をかき消すようにおじさんが叫く。
「腹へっちまったよー!!
 飯はまだかぁーーーー!!」
 と腕を垂れ下げながらリビングをウロウロウロウロ徘徊しだした。
 ってあんたはバ○オハ○ードか!?
 そう言えば僕も腹減ったな・・・。
 ぐうっと腹が鳴る。
 このままじゃ僕もバイ○ハザード2号になってしまいかねない。
「夕鶴ちゃんなんか手伝うことある?」
 キッチンから姉さんの声がする。
 結局時間も遅いので、挨拶ついでに姉さんも朝飯を作るのを手伝う事になったんだ。
「じゃあ、卵でなんか一品作ってください」
 夕鶴が朝の定番メニューのベーコンを焼きながら言う。
「オッケー」
 言うと姉さんはキッチンの下からボールを取り出し、冷蔵庫から卵数個とバターを取り出すと、片手で素早く割って次々とボールに入れていく。
 バターを切りフライパンの上の乗せると火を点けて熱する。
 カシャカシャと箸で卵を研いだら素早くフライパンの上に流し込み、塩こしょうを加えて素早くかき混ぜてすぐに火を止めて、あらかじめ用意して置いたそれぞれのお皿の上に盛りつける。
 そこに夕鶴が作ったベーコントーストを乗せれば朝ご飯の完成だ。
 でも、さすがに姉さんは手早い。
 それに比べ夕鶴の作業は用意周到じゃないので遅い。
 置かれた状況から主婦歴は二人とも結構長いが、これは性格の差だろう。
「はい、出来たよ!」
 夕鶴と姉さんが僕らが待つテーブルに料理を運ぶ。
 普段2人ないし、3人しか座らないテーブルに4人も座ると何だか狭い。
「じゃ、いただきまぁす!!」
 とりあえず、姉さんの作ったスクランブルエッグから・・・。
 フォークですくって口に運ぶととろけるような感じがした。
 トロトロとした食感と塩こしょうの絶妙な味付けがうまい!
「半熟でうまいよこれ!」
 久しぶりに食べる姉さんの料理は旨かった。
 弟の僕が言うのはなんだが、姉さんはいろんなセンスが良い。
 あまりのうまさにベーコントーストそっちのけであっという間にたいらげてしまった。
「竜斗、ベーコントーストもちゃんと食べてね!」
 なんか、棘のあるというか、トーンが高めな作ったような声色だった。
 そして、僕の皿から勝手にトーストを取り上げ僕の目の前に持ってくる。
 そのベーコンは焦げているという領域を通り越して、炭化していた・・・。
 明らかな失敗だった。
「ちょ、ちょっと・・・!」
「はい!」
 無理矢理口の中に押し込んでくる夕鶴。
 ぐおっ、苦っ!!
 一口かむとまた苦みがっ・・・!
 が、癌になるぅ!!
「ちゃんと、味わって食べてね」
 いや、あんまり味わいたくない味だ・・・。
 というかマジで死ぬ!
 僕は適当にパンを噛みちぎって皿に戻した。
 げげっ!
 何か殺気を感じると思い正面を見てみると、夕鶴が笑顔を見せながら眉間にしわを集めていた。
 まさに鬼の形相だ・・・!
 怖わっ!!
 食っても死ぬ、食わずとも死ぬ・・・。
 死以外に選ぶ道はないじゃないのか?!
「そうよ、”もう”夕鶴ちゃんの手料理食べられないんだから」
 姉さんが言う。
「えっ?」
「えっ?」
 僕と夕鶴の声がハモった。
「今までさんざんお世話になって、ありがとうね夕鶴ちゃん。
 大変だったと思うけど、夕鶴ちゃんはしばらく休んでて良いよ。
 今日からしばらく仕事が休みだから、これからは私がご飯作ってあげられるから」
 挨拶ってそう言う意味の挨拶だったんだ・・・。
 夕鶴の作ったご飯を食べられない・・・。
 今までそれが当たり前だと思っていたから考えたことがなかったけど、そんな生活はなんだか寂しい。
 あんまりおいしくなくても、栄養素があんまりなくても、二人(本当は三人なんだけど)でテーブルを囲って夕鶴のご飯を食べるのは楽しいんだ。
 時々失敗しても夕鶴の作ったご飯を食べていたい!
 僕は食べかけの焦げたベーコントーストを口に頬張る。
 苦くても紅茶で流し込んで食べる。
「夕鶴の食べないんだったらもらっちゃお!」
 夕鶴の分のトーストも無理矢理ほおばってしまった。
「竜斗ったら、食い意地張っているね」
 夕鶴が言った。
 夕鶴は悲しい瞳に、無理矢理に笑みを浮かべた微妙な表情をしていた。
「そろそろ、家を出ないと学校間に合わないわよ!」
 姉さんが時計を見て言う。
 うーん、しかし学校に行けって言われても、行くわけにはいかないだろう。
 そもそも、外に出て良いものなのかどうかも不明。
「そう、今日も元気に学校に行ってこい。
 寄り道しないで早く帰って来いよ!」
 おじさんがそう言った。
 僕と夕鶴は顔を見合わせて目で同意を求めた。
 おじさんが行って来いって言うんだから、大丈夫って事か・・・?
 行って良いのか学校に・・・?
 姉さんがここにいる以上、さっさと行くしかないのかもしれない・・・。
「じゃ、行って来ます・・・」
 不安を感じながらも僕らは夕鶴の家を後にした。
 カンカンカンカンと団地の階段を掛け下るふたつの足音。
 うっすらと雨水に覆われた路面に広がるいくつもの波紋。
 降りしきる雨の中、黒と赤のふたつの傘が花びらのように開く。
 ふと足を止める団地の下の駐車場。
 おじさんのポルシェ911ターボの隣に姉さんの車が止まっていた。
  国産の青い色のオープンカー。
 旧型のマツダ・ロードスターだ。
 車中に張り巡らされた補強用のパイプに、RECAROとか書かれた戦闘機のようなシート、レース用のでっかいカーボン製のウィング、極限まで下げられた車高と、白い包帯のような者が巻かれた鉄パイプのようなマフラー・・・。
 エンジンもロータリーエンジンという特殊なヤツが入っているとか・・・。
 姉さんはいつも嬉しそうに色々と自分から教えてくれる。
 ここまで気合いが入っていると、女の人が乗っている車だとは思えない。
 というか、むしろ一般公道を走って良い車かも不明である。
 唯一女らしいというか、一般車らしいのは、フロントガラスには吸盤で天使の形をしたマスコットが吊されていることのみだろう。
「でも、まさか姉さんが帰ってくるとはなぁ・・・」
 僕はため息混じりに言う。
「成り行きで出て来ちゃったけど、本当に学校行っちゃって平気なのかな・・・?」
 夕鶴は不安そうな表情を浮かべた。
「おじさんが行けっていったんだから、多分大丈夫なんだろうけど。
 出て来ちゃった以上、おじさんの言葉を信じて行くしかないんじゃないのかな・・・」
 僕たちは学校に向けて歩き始めた。
 ピチャピチャと歩くたびに水がはねて、スニーカーとズボンの裾を濡らす。
「まだ、敵が誰なのか、何で私を狙っているのか、何にも聞いてない・・・。
 学校に行けば阪神が待ち構えているかもしれないし、今こうして歩いているときも誰かが襲ってくるかもしれない・・・」
 夕鶴は歩きながら僕の手を握った。
 僕はその暖かい感触にドキッとした。
「怖いからしばらくこうしていさせて・・・」
 なんか、こうして通学していると恋人みたいだ・・・。
 僕は夕鶴がそんな状況でないのにも関わらず、トロトロになっていた。
「竜斗じゃあんまり当てにならないけど、いざというときには私の盾ぐらいにはなるしね」
 くっ、余計なことを言うよな・・・。
 事実なだけに痛い・・・。
「僕は身代わり地蔵ですか?」
「良いんじゃないの、出来ることがあるだけ・・・きゃっ!!」
 その時、突如として夕鶴が悲鳴を上げた。
「どうした?!!」
 僕が身構えたその時、事件は起きたんだ!!
 夕鶴に思いっきり繋いだ手を引っ張られて、次の瞬間、道路を走り過ぎる車が上げた水しぶきによって僕の服はびしょになってしまった・・・。
「ほら、盾ぐらいにはなるでしょ!
 竜斗だって役に立つときは立つじゃない」
「うっうっ・・・。
 イジメだよぉ・・・」
 僕はしゃがんでズボンの裾を絞った。
 ポタポタと水が垂れる。
「それでも良いから近くにいてね・・・」
 夕鶴は再び僕の手を強く握って来た。

 時刻は3時半・・・。
 いつの間にか雨は止んだものの、依然太陽は顔を見せることはなく、空は灰色に染まっていた。
 下校の時刻だけ合って通学路の公園は畳んだ傘を片手に持った生徒達で溢れ、そこら中でに騒がしく会話を交わす声が聞こえた、
 僕と夕鶴も例に漏れず、雨に濡れたいつもの公園の遊歩道を歩いていた。
「なんか、心配しただけ無駄だったね。
 昨日の事件が嘘みたいに騒がしいまま一日が終わっちゃった」
 傘をブラブラさせながら夕鶴が言った。
「本当に騒がしい一日だったよ」
 僕は思いだして苦笑する。
 と言うのも結局そのまま学校内には入らず、阪神を警戒して始業のチャイムが鳴った後に校門の外から遠目で学校の中の様子を探っていたら、生徒指導の先生に見つかって遅刻と昨日のサボりの件で生徒指導室に呼び出されたからだ。
 しかも、どうも僕らが不純異性交流のせいで、学校生活がたるんでいると思われていたらしい。
 責任を持った行動をして、避妊に気を付けろだとか、学校はちゃんとマジメに来いとか、大きなお世話というか、いわれのないことについて色々と説教された。
 事情を説明するわけにもいかずただ頷くばかり。
「んで結局、授業に出てみれば、阪神は事情によりしばらく休みだって言うし、いったい何だったんだか。
 おまけに友達に今日の通学中に夕鶴と手を繋いでいる所を目撃され、昨日の女泣かせに続いて、ザ・ジゴロの称号を得ることになったし。
 とんだ誤解を受けたモノだな・・・、ふっ」
 僕はダンディに雨が止んだ灰色の空を見つめて苦笑する。
 実は本当は誤解されて嬉しかったりする。
 夕鶴とそんな仲になりたいと思っている気持ちがあることに、自分自身気が付いているんだ。
 でも、それを望んでしまったら、今のままの僕らじゃいられなくなる。
 今ある幸せを壊してまで、気持ちを伝える勇気が僕にはなかった。
 だから、誤解されて他人からそんな仲に思われれば、勇気が無くてもその願いに近づけるような気がしたんだ。
 夕鶴は、夕鶴は誤解されてどう思っているんだろう・・・?
「竜斗は誤解されて嫌?」
「えっ?」
 思わず僕は聞き返してしまった。
 僕が夕鶴に聞きたいと思っていたことを、夕鶴が僕に聞きいてきたから。
 一瞬その言葉が信じられなかった。
「やっぱり、なんでもない!
 気にしないで!!」
 と思いっきり背中をたたかれた。
「なんなんだよぉ・・・」
 と僕は言いつつもその言葉の向こうにある夕鶴の心が知りたくてたまらなかった。
 その反面それを知ってしまうのも怖い気がする。
 結局僕自身が何をしたいんだかよくわからない。
「それよりね」
 夕鶴が仕切なおして言う。
「あの約束覚えてる?」
 と言って夕鶴は僕に微笑みかけた。
 気が付けば間近にある夕鶴の顔。
 夕鶴の瞳に僕の顔が写っていることにドキドキする。
「約束って?」
「昨日が何の日か言ってくれたら、竜斗の好きなもの作ってあげるって」
「ああ、あれか」
 色々あって、すっかり忘れてた。
 結局昨日は外食だったし。
 今朝、弓弦がすねていたのも、僕にちゃんとご飯を作ってあげられなかったって事があるからかも知れない。
 それなのに僕は弓弦の気持ちも知らないで、姉さんの作ったご飯ばっかりおいしそうに食べちゃってさ・・・。
 姉さんがしばらく夕鶴のご飯を食べられないって言うまで、夕鶴の作ったベーコントーストをちゃんと食べようとしなかった。
 そんな気持ちで食べられても嬉しくなんかないよね・・・。
 頭の中に今朝失敗したベーコントーストを無理矢理ほおばったときの、悲しげな瞳に無理矢理笑みを浮かべていた夕鶴の表情が蘇る。
 その時の弓弦の気持ちを思うと、やり切れない気持ちで一杯になる。
「竜斗、ちゃんと答えてくれたのに、昨日は作ってあげられなかったから、今日は作ってあげたいの。
 だから、これから一緒にお買い物行こうよ!」
「・・・」
 脳裏に寄り道しないで帰ってこいと言うおじさんの言葉が蘇る。
 これ以上外出し続けたら身の安全は保障されないだろうな・・・。
 冷静に考えると反対すべきだろう。
 でも、僕にはとても反対なんて出来はしない。
 凄く嬉しかったから・・・。
 それに夕鶴の気持ちを裏切りたくないんだ。。
「いいよ、行こうよ!」
 そうだよ、襲われたって、僕が守ればいいんだから。
 盾だって良いさ・・・。

 団地の中の小さな商店街。
 久しぶりに来るその商店街は以前とまるっきり様子が違っていた。
「なんか、寂しくなっちゃったね・・・」
 夕鶴が言う。
「うん・・・」
 僕は頷いた。
 今あるお店はお米屋、床屋、美容院、薬屋、郵便局と、歯医者、自転車屋、クリーニング屋、それに小さなスーパーだ。
 子供の頃は酒屋と本屋や銀行、電気屋など規模が少なくても色々なお店があったんだ。
 でも、いつの間にかにみんなつぶれてしまい、殆どのお店のシャッターが閉められていた。
 昔は露店とかも来たりして、いろんな人が来ていたのに、今いるのは僕ら二人とベンチに座って会話を楽しむ老人が何人かいるだけだった。
「前はあの床屋の隣に本屋があったでしょ。
 子供の頃はあそこにガチャガチャやゲームが置いてあったり、ちょっとしたプラモデルまで売ってて、よく遊びに来たのに今じゃなくなっちゃった」
「わたしも小さい頃は可愛い文房具とか、漫画をよく買いに来たんだ。
 でも、いつの間にかにそこに置いてあるものじゃ物足りなくなっちっゃて、自転車で駅の方まで買い物しに行くようになったの・・・。
 物足りなくなった・・・。
 それは私だけの気持ちじゃなかったんだね・・・」
 夕鶴はシャッターの閉まったお店を見渡しながら言う。
「新しいものを欲しがり続けるから、古くなったものはどんどん消えてっちゃう。
 なのに私たちはまだここで生きている。
 時代に取り残されちゃったね・・・」
 夕鶴は下に俯いた。
「寂しいけど、寂しくなんかないよ・・・」
 そう言うと夕鶴は僕の顔を見て微笑みかけた。
 胸が高まると同時に僕は微笑み返していた。
 自然に微笑みを返せるのはこの寂しい世界で二人っきり。
 二人で取り残された夕鶴を近くに感じているから。
「行こう・・・!」
 スーパーに駆け込む夕鶴を僕は微笑みながら追いかけた。
 こんな寂しい世界でも、こんなにも近くに夕鶴を感じられるのならば、それで良いんじゃないかな・・・。
 スーパーの中も数人の店員を除いて、老人が何人かいるだけだった。
「ねぇ、何食べたい・・・?」
「えっ・・・?」
 僕ははっと我に返った。
 瞬間、子供の頃、夕鶴と遊園地に行ったときの帰りに食べた茶碗蒸しの味が蘇る。
 楽しかったからかもしれないけど、とてもおいしく感じたんだ。
「茶碗蒸し・・・。
 茶碗蒸しが良いな」
「えっと、卵と鳥のササミと、三つ葉、シメジ、カマボコと、それからユズがあれば出来るわね・・・」 
 夕鶴はすぐに材料を答えた。
「夕鶴にしては凄いなぁ!
 材料をちゃんと覚えているなんて!」
「私だって、ちゃんと少しぐらいは勉強してるんだからね!
 それと、私も茶碗蒸し食べたいと思っていたし・・・」
 もしかして夕鶴もあの茶碗蒸しのことを思い出していたのかな・・・?
 僕はもしかしたらと考え、ついつい顔に笑みがこぼれた。
「何でそこで笑うのよ!」
「なーんでも!」
 夕鶴が材料を選んで、僕はその後ろでカートを押して付いていく。
 なんか、買い物するお母さんの後を付いていく子供のような気分だ。
 幸せだなこういうの・・・。
 スーパーの中で小さい男の子と女の子が元気に走り回る姿が見えたが、瞬きしたら次の瞬間には消えてしまった。
 それは小さい頃の僕らの幻影だった。
 世界が変わっても、僕らは変わらない。
 例え僕らが変わることを望んでも、僕らは二人でありたいな・・・。

 買い物を終えてスーパーから出た瞬間、そこにHANSHINと書かれた野球のユニフォームの上から、黒と黄色のますます派手な虎柄のハッピを羽織り、虎のワンポイントの入ったメガホンを手にした男が立っていた。
 何故か黄色と黒の縦ジワ模様のアフロヘアーのカツラをかぶって・・・。
 その出で立ちはますますふざけているとしか言いようのないものになっていた。
「阪神・・・!」
 もう一人はいないようだ。
「竜斗、馬鹿がいるよ・・・!」
 おびえながらも夕鶴は呟いた。
「馬鹿ちゃいまんねん!! アホでんねん!!!」
「どっちでも良いけど、その頭は何だよ!?」
 僕はとりあえず突っ込んだ。
「虎の子SHOPつー、インターネットの通販で買うたんや!!
 
http://toranokoshop.hoshino-shinsengumi.com/やで!
 なかなかナイスやろ!?」
 って、誰に広告してるんだ?!
 阪神が縦ジワ模様のアフロヘアーを取ると、昨日自分の技を食らってチリジリパーマになった地毛が出てきた。
 どっちだってあんまり変わらないし!
「そんなことよりもう1人はどうした?」
「今日は欠勤や。
 おまえにやられた傷がひどいんとちゃうか?」
 昨日宝塚と戦った時の事がフラッシュバックする。
「怪我はしてなかったはずじゃ・・・」
「あほぅ、誰も怪我なんていっとらんやろ!
 心の傷や!
 おまえに心の中覗かれたんが、よっぽどショックやったんやろな」
「たしかにあの時、確かに宝塚の心が見えたような・・・」
「それをオープンと呼ぶんや。
 魔力同士での戦いは、結局心と心の戦いなのは実際戦ってよう解ったやろ?
 弱さを出してしまった人間は、魔力の中にそれが投影されるんや」
「心の戦いか・・・」
「なんやったら、わいがおまえの心をオープンさせて、学校中におまえの秘密をばらしてやろか?」
 僕の秘密・・・。
 僕はとっさに弓弦を見た。
 夕鶴に対する思い・・・。
「僕に秘密なんて無いって!」
「アホ正直なやっちゃな、オープンしないでもバレバレや」
「なんのこと?」
 弓弦が聞く。
「なんでもないって!」
「もっとも、その願いも叶わへんけどなっ!!!」
 阪神のIFが広がるのを感じる。
 自分自身がそこに存在していることに、違和感を覚えるようなそんな感じだ。
 広がっていく阪神の心に支配されないよう、僕も負けずとIFを展開する。
 自分のイメージをつかんだ今、IFを展開するのは簡単なことだった。
 阪神に否定され殆ど人気の無かった商店街からは全ての人は消え、不気味な静寂に包まれていた。
「弓弦、離れてろよ」
「うん」
 僕は弓弦が離れるのを確認する。
 IFが展開できるようになったんだ。
 それに宝塚とだってまともに張り合えることが出来た。
 僕だってやれば出来るかもしれない。
 いや、僕が夕鶴を守らなければいけないんだ!!
「じゃあ、いくで!」
 その刹那、阪神のメガホンから炎が放たれた。
 それはもの凄いスピードで僕に迫ってくる。
 撃ち落としてやるっ!
 右手を前に突き出して力の放出をイメージする。
 その思いは力となる。
 僕の中を流れるエネルギーは掌に集束すると、光の球を形作っていく。
「いけっ!」
 気合いを込めると、光球は次第にスピードを増し阪神の放った炎へと向かっていく。
 そして、衝突した!
 一瞬眩しい光を放ったかと思うと、僕のはなった光球は阪神の炎にかき消された。
「うわっ、ダメすぎだ!!」
 僕は慌てて地面に伏せる。
 その刹那、僕の直上を火球が掠めていった。
 そして間もなく背後あたりで爆発する。
「危なかった・・・」
 僕は起きあがると、阪神の方を見た。
 脂汗でジットリと服が身体に張り付く。
 思っているだけじゃどうにもならないという現実が急に目の前に現れ、自分の形がどんどん小さくなっていくような気がした。
「なんや、弱すぎやないか」
 でも、弱さを認めてしまったら負けてしまう・・・。
「うるさい、こうなったら必殺技だ!!」
 必殺技というのは、勿論あの翼のことである。
 イメージだっ!
 翼で羽ばたく僕をイメージするんだ!!
 ゆっくりと背中から力が放出される。
 一瞬それは翼として実体化されたと思ったら、急に脱力感を感じ、翼は薄れて消えてしまう。
 あまりの脱力感のため僕は地面に膝をついた。
「あほぅ、絶対的な自己イメージ、つまりイデアを肉体を越えて現実化させるには、相当な精神力が必要なんや。
 まさに超必殺技なんや。初心者が生半可な気持ちで出来るもんちゃうんで。
 昨日のあれはまぐれだったんとちゃうか?」
「んなぁ・・・」
 僕は阪神を熱い目でじっと見る。
「あやまるから、許してくれるよね・・・?」
 僕にはそう言うことしかできなかった。
「アホかぁ!!!」
「竜斗のバカぁ!! 何考えているのよっ!!!」
 気が付いたときには弓弦のパンチがすぐそばまで迫っていた。
「あぼっ!!!」
 まともに頬に食らって僕はスピンしながらすっ飛んだ。
「痛いなぁ!
 実力差がありすぎるんだよ!!
 勝てない勝負して何の特になるんだよ!!」
「じゃあ、竜斗は私が連れて行かれたっていいって言うの?!」
「なんや、夫婦喧嘩かいな。
 わいかて鬼じゃない。
 最後の夫婦喧嘩を十分味あわせてやろうやないか」
「いいわけないだろっ!!
 だから、逃げるんだよっ!!!」
「えっ・・・?」
 僕は弓弦の手を取って走り始めた。
 悔しいけど勝てる相手じゃないことは解った・・・。
 だから、この危機を回避するには何とか逃げ切るしかないんだ!
「そう、最後なんやから2人でお逃げ・・・、って何言うとんねん!!」
 阪神がもの凄い勢いで追い上げてくる。
「だから、許してって言ってるだろ!!」
「許す、許さないの問題ちゃうで!!」
 凄い形相で追いかけてくる阪神。
 般若か、もしくは大○神かっ!!
「捕まってたまるかっ!
 これでも食らえっ!!!」
 背中に背負った鞄を逆さまにすると、中に入ったビー玉をばらまいた。
 こんな事もあろうかと、鞄の中に常時仕組まれている緊急用秘密兵器だ。
 決して遊ぶためでは無い!
 不意を突かれたかのように、ずっこける阪神。
「うぎゃっ!!」
「更に食らえっ!!」
 僕は阪神に腕を突き出して、連続で光の球を放ち続けた。
「うぎゃ!うぎゃ!うぎゃ・・・・・!!」
 舞い上がる埃で阪神の姿が見えなくなる。
 だが、光球があたるたびに阪神の悲鳴が聞こえた。
「今だ、逃げるぞ!!」
「うん!」
 夕鶴の腕を掴んで一歩走り出したその時だった。
 ぴゅぅーーーー!!!
 ぴゅぅーーーー!!!
 ぴゅぅーーーー!!!
 僕らの横をかすめて無数の風船が飛び交った。
 僕らを通り過ぎた辺りで風船は一斉に爆発して僕らは硝煙に包まれた。
「くそっ!!」
 真っ白い煙の中から阪神の歌声が聞こえる。
「みんなが見ていた、ピッチング
 ボコボコ打たれて てんてこまい
 監督出てきてはい交代!
 サヨウナラ
 いいないいな早く帰れていいな
 おいしいご飯にポチャポチャお風呂
 あったかい布団で眠るんだろな
 早く帰って練習しろよ!
 でんでんでんぐりがえって
 バイ!バイ!バイ!」
「って、これは日○昔話のエンディングテーマ?!」
「日本○話ちゃうわっ!
 敵ピッチャー交代のテーマや!
 つまりいくら頑張っても、もう終わってるっちゅうことや!!」
「なんだと!」
 煙が晴れると僕らは四角い檻の中にいることに気が付いた。
「これでホントにサヨナラや!」
 僕に向かってメガホンを突きつける阪神。
 そのメガホンの先に火球が生まれドンドンと大きくなっていく。
「死ぬのはあんさんだけや!」
 火球が成長を止めたかと思うと、その瞬間にそれは僕目がけてもの凄いスピードで迫りつつあった。
 僕が自分の勝手な判断で、夕鶴と一緒に買い物なんかに行こうとしたから、こんな事になったんだ・・・!
 自分のせいで夕鶴が連れて行かれてしまうなんて、死んでも死にきれない・・・!
 ちくしょう!!!
「やめてぇーーーーっ!!」
 夕鶴の声が聞こえたその時、目をつぶっていてもわかるぐらいの光が迸った!
 刹那に広がる阪神のでも、僕のでもないもう一つのIF。
 怒り・・・。
 憎しみ・・・。
 苦しみ・・・。
 哀しみ・・・。
 拒絶・・・。
 力・・・。
 弱さ・・・。
 愛・・・。
 優しさ・・・。
 そして、希望(野望)・・・!
 まるでノイズのように頭にまとわりつく様々な感情。
 あまりに強く激しい感情にちっぽけな僕の自我意識なんて融けて消えてしまいそうだった。
 目を開けると眼前に現れる黒いスラックスを纏った長い二本の足。
 風になびく金色の長い髪。
「お父さん!」
 僕の後ろにいる夕鶴がその男を呼んだ。
 何故おじさんが悪魔と呼ばれるか、何となくだけど解った気がした。
 赤いジャケットを羽織った背中の向こうには、誰よりも純粋で激しく、何よりも人間らしい気持ちを燃えたぎらせているのだから・・・!
 僕はそんな複雑な強い思いに恐怖を感じると共に、何故か弱さをも感じずにいられなかった。
 純粋で強すぎる思いは罪のように思えた。
 おじさんは手にした赤い刀身の剣を一閃すると、僕らを囲っていた檻はバラバラに崩れ去った。
「コイツは俺が殺すから、早く家に帰れ!」
 低く沈むような声・・・。
 まるで獅子のうなり声のように、身震いするような恐怖を感じた。
 おじさんのその背中は殺気に満ちあふれていた。
 夕鶴も恐怖を感じたらしく僕の腕を強く掴む。
 怖い・・・!
 怖い・・・!
 怖い・・・!
 おじさんは本気で阪神を殺すつもりでいた。
  ダメだ!!
 それじゃダメなんだよ!!!
 例え敵でも阪神がいなくなると思うと、悲しくて、悲しくて、たまらなくなった。
 殺さないでと言いたくても、おじさんの圧倒的な殺意に僕は口を開くことが出来ず、ただ無言の視線を送ることしかできなかった。
 そんな僕の様子を見て阪神は呆れたように苦笑した。
「いくら、悪魔と呼ばれる男やって、わいを殺すのは骨が折れるでぇ!
 わいは臆病者やし、すぐトンズラするさかい、そう簡単には死なへんでぇ!
 そこのアホもしゃらくさいんや、ボケ!!
 逃げるんやったら女連れてはよ行かんか!!」
 なんか、僕は阪神のその言葉に優しさを感じずにはいられなかった。
 阪神の言葉を聞いておじさんの背中から殺気が消えた。
「帰りが遅くて心配させるな馬鹿・・・!」
 おじさんは噛み締めるように吐き捨てた・・・。
 僕はなんかホッとして涙がこぼれそうになった。
「邪魔者は適当にあしらってやるから、早く帰れよ夕鶴・・・!」
「うん・・・!」
 おじさんが言うと夕鶴は頷いて、僕の手を引っ張ぱるとスーパーの裏の方へと駆けだした。
「じゃあ、いくでぇ!!!」
 背後で何かが爆発するのが聞こえた。
 大丈夫だ・・・!
 おじさんなら大丈夫だ・・・!
 炸裂する攻撃の音と裏腹に、何も失われないし、どうにかなるって絶対の安心感を抱いた。
 助けに来てくれてありがとうおじさん・・・!
 僕らは息を切らしてスーパーの裏の駐車場に出ると、その瞬間大音量の排気音がその小さな広場に響いた・・・。
 ぶぉぉぉぉぉぉぉーーーーーーーーーーーん!!
 その聞き覚えがある特色ある排気音に、僕は心臓を鷲掴みされるような思いをした。
  幌を開いた青い色のロードスター。
 その開かれたコックピットから、細いサングラスをかけた革ジャンの女がサングラス越しにこっちを見ていた。
「なんでだよ!!
 なんで姉さんがここにいるんだよぉ!!」
 僕は思わず叫んでいた。
「今日は竜斗を連れだしに来たのよ・・・」
 姉さんは車から降りると、状況をつかめずに呆然とする僕の手を掴んでは、無理矢理に車に乗せようとする。
「何で!? 何で僕が連れ出されないと行けないんだよ!?
 夕鶴は?! 夕鶴はどうするんだよ!?」
 僕は姉さんの手を必死にふりほどくと、夕鶴の細い腕を反射的に掴んだ。
「竜斗!! 夕鶴ちゃんのことはあきらめなさい!!」
 僕は姉さんの強い言葉に一瞬たじろいだ。
「何を言い出すんだ?! 意味不明だよ!!」
「夕鶴ちゃんと一緒にいれば、竜斗にとって良くないことが起きる!
 現に今だって夕鶴ちゃんと一緒にいるから、怖い目に遭っているじゃない!」
「違うっ!! 夕鶴のせいじゃないっ!!!」
「もう、夕鶴ちゃんと一緒にいてはダメなの!!」
 ぱぁん!!
 その瞬間、駐車場に平手打ちの音が響いた。
 カランとアスファルトにころげるサングラスの音・・・。
 手の平がジンジンする感覚・・・。
 目の前に赤くなった頬を押さえる姉さんの姿があった。
 僕は何だか解らずに、自分がしたことが怖くなって涙を流した。
「あ・・・」
 僕は声にならない声を上げた・・・。
 夕鶴が無言のままジンジン痛む僕の手を掴む。
 その手は柔らかく暖かくって、とても優しかった。
 夕鶴・・・。
「僕はずっとここにいたいんだ・・・。
 ちっちゃくて、寂れた団地だけど、僕はここが好きなんだ・・・。
 ずっとここで夕鶴と一緒にいたから・・・。 
 ずっとここで夕鶴と一緒にいたいから・・・!
 夕鶴といるから毎日が楽しかったんだ!!
 夕鶴と離れたくなんかないっ!!」
  姉さんはその瞳の向こうに哀しみの色を浮かべていた。
 次の瞬間、駐車場にIFが広がった。
 過剰なまでの優しさ、その感覚はいつも姉さんに抱いているイメージそのままだった。
「姉さんも魔術師・・・?
 敵なの・・・・?」
 姉さんは言葉無く頷いた・・・。
 事実を受け行けることも、ショックさえ受ける暇もなかった。
 姉さんは僕に手をかざすと、僕の身体は金縛りにあったように動かなくなった。
 必死にもがくが指先すら動かすことが出来ない。
「竜斗!!」
  夕鶴が叫び、ますます僕の手を強く握る。
 握られるその感触ですら、自分の手じゃないような気がした。
「ちくしょう!! 絶対に何処にも行くものか!!」
「もう、竜斗を連れて行くことはしないわ・・・」
 姉さんはそう言うと、夕鶴の腕を握り僕の手から引き離した。
「代わりに夕鶴ちゅんを連れて行く・・・。
 私は竜斗を守るためだったら、手段を選ばない・・・!」
「夕鶴!!」
 僕の呼びかけに夕鶴は一瞬振り向くが、なすがままに姉さんに手を引かれる。
「止めてよ姉さんっ!!
 夕鶴を”返して”っ!!」
 夕鶴は抵抗するわけでもなく背中を見せたままその場で立ち止まる。
「ありがとね、竜斗・・・。
 でもね、竜斗は私のせいで危険に巻き込まれているんだもんね・・・。
 だから、私は竜斗と一緒にいちゃいけないのかもしれないね・・・。
 サヨナラ、竜斗・・・」
 夕鶴は無言のまま自分でロードスターの助手席に座る。
 一瞬見えたその横顔は涙で濡れていた。
 その涙を見た瞬間、僕の感情は爆発した。
「夕鶴っ!!
 夕鶴っ!!!
 夕鶴ぅーーーーーっ!!!!!!!」
 瞬間、その狭い駐車場の空間に僕のIFが広がり、僕を中心に光の柱が立ち上がり高々と雲を突き破り空に深々と突き刺さった。
 気が付くと姉さんの金縛りから解放され、僕は力無く地面に四つん這いになっていた。
 その視界の先に姉さんと夕鶴を乗せたロードスターの姿は無かった。
「畜生!!」
 僕は思いっきりコンクリートに拳をたたきつけた。
 拳の皮が破れ血がにじんだが、その痛みは感じなかった。
 ただ、やるせなく、むなしく延々と涙がこぼれ出るだけだった。
「何でだよ!!
 何でなんだよ、夕鶴っ!!!」
「全ては必然に。
 結果的にお前らを引き離す事を聖羅は望んでいたんだ・・・!」
 横から聞こえるおじさんの声・・・。
 顔を上に上げると、そこにはサングラスを光らすおじさんの姿があった。
「今、阪神は逃げて行った・・・。
 だが、本当の敵はもっと身近にいたってことか・・・」
「おじさんっ・・・!」
 僕はおじさんのスラックスの裾を強く握りしめた。
「僕は、僕は阪神からも、姉さんからも夕鶴を守ることが出来なかったんだ!!
 夕鶴をこれだけ大切に思っているのに、僕は何も出来なかったんだ・・・!」
 悔しくて、悔しくて、涙が止まらなかった・・・!
「甘ったれるな!!
 そして、ズボンがシワになるから止めろっ!!」
 おじさんは天に抜けるような声で言い放った。
 腹を振動させるような突き抜ける低音の声に、僕の沈んだ気持ちはすっ飛んだ。
 まるで雲が流れて太陽を覗かせるこの空のように。
「行くぞ!!」
 と言うと僕を無理矢理立たせてポルシェの助手席に押し込んだ。
 続けておじさんが運転席に乗り込む。
 僕は涙と嗚咽をかみ殺してシートベルトを締める。
 おじさんがキーを回すとボロボロとした排気音が駐車場に木霊した。
「思いは何にも負けない力になる!
 ただ、お前はその力の使い方を知らないだけだ!」
 おじさんが言った瞬間、低い唸りのような排気音を響かせエンジンの回転数が上昇し、リヤタイヤが滑ったと思うと車がその場で180度回転して、気が付いた時には車は駐車場の出口の方向を向いていた。
「行くぜ!!  ポルシェ911ターボの力を見せてやる!!」
 次の瞬間、身体がシートに叩き付けられるような重力を感じると、車はロケットのように道に飛び出て駆けだしていった。

 ごわごわと車体にまとわりつく風。
 地面を蹴るリヤタイヤの力がシートに密着した背中から伝わってくる。
 体中の皮膚がビリビリと重みのようなスピードを感じていた。
 圧倒的な”疾さ”を生むその機体の名はポルシェ911ターボ。
 その赤い機体は闇に包まれ始めた街を疾走する。
 手綱を握って秘めたるそのパワーを解放させるのはサングラスを掛けたスーツ姿の男。
 その名は堀江 祐一。
 速度計の数値は160km/hを維持して、他の車の間を縫いながら走り続けているのに、車内は異様なほどゆっくりと時が流れていた。
  ハンドルを切ったときに身体にまとわりつく重力ですら穏やかに流れていた。
 それはおじさんの発する精神領域・・・IFがこの車を包んでいるからだった。
 IFは客観的な世界の一部を主観的な世界に置き換えて、その中で精神的な力を形にする。
 精神の力を形にすればその力を容認できない人間は、精神領域の中で形を失ってしまう。
 ほぼ無限の可能性のある精神の力でも、世界のルールとも言える重力や、時の流れなどの絶対的な力を覆すことは難しい。
 だけど、IFは力を形にするだけではなく、世界の一部を主観的な世界に置き換えるという、その事に意味があると僕はポルシェの中で思った。
 このゆっくり流れる背景。
 IFの中では、例え時の流れや重力に逆らうことが出来なくても、遅く感じたり、速く感じたり、個人の主観的な感覚で時の流れを感じる事が出来る。
 運転がうまい人の車に乗るとスピードを出していても、車内の空気がゆっくり流れると言うが正にその通りである。
 まるで針に糸を通すように、赤信号を駆け抜け、他の車の間を縫い、街道を東へと疾走する。
 目指すは高速のインターチェンジだった。
 夕暮れ時のラッシュで比較的車は多く、料金所は他の車が並んでいたが、唯一、一台も車が並んでいないETC専用と書かれたゲートへとその矛先を定め、そのままのスピードでゲートへと疾走する。
 迫り来る一時停止と書かれた黄色いバー。
 全く減速しないし、何の対処もしない事に不安を感じた瞬間には、そのバーが目の前へと迫っていた。
 ぶつかる!!
 そう思った瞬間、おじさんのIFが車の前方へと槍のように延びて、瞬きした次の瞬間にはその黄色いバーははじけ飛んでは、車の遙か後方のアスファルトの上をクルクルと回転しては倒れた。
 ・・・というか、ただ乗りかよ!
 今はそれどころじゃないからいいんだけどさ!
 新宿方面と書かれた方面に進み、くるくると円を描く道路を駆け抜ける。
 発生するもの凄い遠心力によって、車体はグッグッグッと流れるような挙動を見せてはタイヤを鳴らす。
 滑っていると言うより、流れながらもコーナーの出口に向かって行くようなイメージだった。
「ここからが見せ所だ!!」
 コーナーから加速斜線へとロケットのように加速を始める機体!
 おじさんがステアリングから一瞬手を離すと、まるでバネでも入っているかのように、それは一気に正面へと舵を舵を戻す。
 シートへと押しつけられてチラリと目をやったスピードメーターは、まるで回転計のように信じられないような跳ね上がりを見せる。
 160、180、200・・・260km/h!!
 その針がようやく止まったかと思うと、それは信じられない数値を指していた。
 加速車線から普通の車が走っている走行車線には入らず、そのまま路肩を走行し続けた。
 車幅ギリギリの所を、左右にぶれることもなく、ただひたすら真っ直ぐ走る。
 途中、工事の車両や、路肩走行帽子の赤いポールを避けて走行し、森に囲まれたバス停を通過し、下り車線の料金所をさけるように道路が大きく左にカーブし、トンネルを抜けると辺りは住宅街から、高層ビルの建ち並ぶ都会へと変わりつつあった。
 前方に見える二回目の料金所をやはり同じように通過すると、それから先は首都高速4号線だった。
 そして、新宿都心にも近い初台出口とか書かれた出口の付近、追い越し車線に青い色のロードスターの姿をとらえた。
 あのド派手なリヤウィング他に誰がいるだろうか!?
「姉さん!!」
 僕が叫ぶと互いの車は横並びになっていた。
 互いのマシンのステアリングを握る男と女は、サングラス越しに相手の意志を確認する。
 空のような澄んだ青い小さなオープンカーの助手席で、制服姿の少女は少し色素の薄い髪をなびかせながら、瞳に涙を浮かべて僕をじっと見ていた。
「竜斗!!」
 風の音の中で、僕の名を呼ぶ彼女の声が聞こえたような気がした。
 夕鶴・・・!!!
 脳裏に自分から姉さんの車に乗り込んだ時、夕鶴が流した涙が蘇る。
 そして、次の瞬間、2台のスポーツカーによるカーチェイスが始まった。
 都心を横目に大きく右カーブするとフェンスで隠れた左側の死角から、合流する車が飛び出してきて、それを難なく避けつつ前方を走るロードスターを追尾する。
 そして、前方に見える急激なカーブを警告する青い看板までの短い直線でロードスターと再度並ぶが、警告通りその直後に大きな左カーブが待っているため、ポルシェは減速を余儀なくされる。
 先にコーナーに侵入したのはロードスターの方だった。
 ブレーキで発生する重力によって身体が前に引っ張られ、そのまま重力が斜めに駆けていくように身体が右側に引っ張られる。
 斜めに流れる景色の中、ポルシェのフロントガラスにロードスターの姿が写る。
 新宿外苑の森を右に見据える下り勾配のコーナーを、後輪を滑らせほとんど車体が横に向きながらも、大幅に減速することなく流れるようにコーナーを駆け抜けるロードスター。
 ポルシェは僅かに遅れてコーナーから脱出する。
 加速による右から後へと流れるような重力の移動、勾配を下るその勢いはまさにジェットコースターのようだ。
 代々木パーキングエリアと、外苑の森の間の僅かなストレートで、ロードスターの後に張り付くが、右、左と続くコーナーをアクセル全開で抜けていくロードスターにまたしても差を付けられる。
 ポルシェは他の車に比べると、左右に振られる幅がかなり狭いが、それでも全開だと結構振られるので、最大に傾く前に微妙にアクセルを抜かないとスピンしそうになる。
 ロードスターはポルシェよりさらに左右に振られにくい気がする。
 多分、重心に低さに加え、重量が軽いことと、パワーがないことが逆に幸いして、かなりのスピードで曲がることが出来るんだろう。
 少し、ヤバイような気がしてきた。
「さすがに重量バランスの良いロータリーエンジンを積んでいるだけあるな・・・!
 軽量なボディがさらに生きているぜ!
 だが、この先のストレートで追いつくことが出来る!
 問題はその先だ!!
 いくら追いつくことが出来ても、夕鶴を奪回出来なきゃ話にならないっ!!」
「どうするんですかっ?!」
「お前が行くんだ!!」
「えっ?!」
「なんとか車を横並びにするから、夕鶴を連れて戻ってくるんだ!!
 夕鶴を奪われたことに責任を感じているのならば、その責任を取って見せろ!!
 ロードスターが3度目のトンネル、千代田トンネルまでたどり着けば、もう敵のテリトリー内で奪回は不可能だ!!
 チャンスは一度!!
 2度目の赤坂トンネルの中がラストチャンスだと思え!!」
 サングラスを取ったおじさんの熱いまなざし。
 僕は息を飲む。
 失敗すれば僕はおろか夕鶴だって死んでしまう・・・。
 もの凄く危険な手段・・・。
 でも、不可能じゃない・・・!
 IFがあれば・・・!!
 おじさんのIFを包み込むように更に僕のIFが展開する。
 そして、シートベルトを外し、力を足に集中して跳躍するとサンルーフから車の屋根へと降りた。
 もの凄い風圧で僕の身体は車体の後方に押しやられ、片膝を突きつま先をウィングの出っ張りに掛けてようやく止まることが出来た。
 ジットリと背中に汗が噴き出る。
 自然の力に逆らうのは難しいが無理じゃないんだ!!
 僕は剣をイメージする。
 その鋭い切っ先は風を切り裂いては僕を守る!!
 その瞬間、僕に当たる風は消え静寂の空間が生まれた。
 ぶろぉーーーーーーーーーっ!!
 排気音を轟かせて加速するポルシェ!!
 左上に上がっていくような外苑出口を過ぎ、頭上に何本も張り巡らされたアーチのような橋を見上げ、地下に潜っていくように本線の先に一つ目の信濃町トンネルが見える。
 瞬く間に信濃町トンネルを駆け抜けると、左側に駅のホームが見えた。
 電車と併走するその区間は、高スピードを維持する事が出来、減速を必要としない緩やかな左カーブの途中で真横にロードスターの機体を捕らえた!!
 もはや壁も何の隔たりもなく、夕鶴の顔がすぐそこに見える。
 2台の機体は横並びのまま2つ目の赤坂トンネルに進入する。
 トンネルの中は長く緩やかな右カーブになっていて、そのまま全開ので併走したままトンネルを駆ける。
 夕鶴に手を伸ばせば届く距離にいる。
 僕は手を伸ばそうとするが、速度に対する恐怖がそれを拒む。
 今、助けなければチャンスがないのにも関わらず、身体が言うことを聞かない。
 姉さんはサングラス越しに横目で僕の様子を冷ややかに見据えていた。
 姉さんはそうやっていっつも僕を子供扱いするんだ!!
 くそっ!!
 もう時間がないっ!!
 もう子供じゃないんだ!!
 自分の意志で夕鶴と一緒にいるんだぁ!!
 勇気を振り絞って手を伸ばしたその時!!
「竜斗、減速するぞ!!」
 響くおじさんの声。
 車が前のめりになり、そのまま身体が右に大きく振られてバランスを崩して、車の屋根の上に両手を付く。
 トンネルの出口は大きく左に曲がっていた。
 今まで右に向いていた車は、急な左カーブを曲がるために減速を余儀なくされたんだ!!
 またも、ロードスターが前方に見える!!
 お濠沿いを駆け抜ける千代田トンネルまでの短い最後のストレート!!
 フル加速するがロードスターの後に付く頃には、千代田トンネルが眼前に迫りつつあった。
 もう間に合わないっ!!!!
 そう思った瞬間、僕の頬を一筋の涙がつたった。
 瞬間、走馬燈のようにに雪崩れる思い出達。
 記憶がないぐらい小さい頃から夕鶴とはいっつも一緒にいたんだ。
 互いに親がいなくても、2人一緒だったから寂しくなかった。
 少しぐらいの辛いことだって、2人でいれば笑って乗り越えられた。
 泣いてしまうぐらい辛いことや、苦しいことも2人で共有しているから、後で思い出しても笑うことが出来る。
 思い出という一言で片づけられないぐらい、いろんなことがあったあの寂れた団地が好きなのも、夕鶴がいるからだよ。
 夕鶴と一緒に生きてきて、これからも夕鶴と一緒に帰ることの出来る場所だから、僕は好きなんだ。
 もし、夕鶴のいなくなったそこにあるものはただの闇・・・!!
 夕鶴のいない世界なんて考えられない・・・!!
 夕鶴のいない世界、そんなのは嫌だっ!!
 姉さんだろうが、誰だろうが、もう、誰にも夕鶴を奪わせなどしないっ!!
 僕の中の力が止めどなく溢れ出て、一気にIFが広がるのを感じると、力は背中で羽根となり大きく開かれた。
 全ての時が止まって見える!
 止まった時の中で、僕はただ一点、ロードスターの助手的で僕を見つめる夕鶴の瞳だけをとらえていた。
 行ける!!
 そして、僕は加速し時を渉った!!
 ポルシェのスピードを凌駕し、ロードスターへと追いつき、ウィングの付いたトランクへと着地すると、夕鶴のシートベルトを外すと、手を掴かんで抱き上げた。
 ゆっくりと流れる時の中で姉さんと目があった。
 僕はもう守られるだけの子供じゃない!!
 自分の好きな人を守れる男になるんだ!
「サヨナラ、ネエサン・・・!」
 僕は吐き捨てると、トランクを強く蹴り宙へと飛んだ。
 加速の付いた僕の身体は地面へと投げ出されるが、力を身体の表面へと集中し、アスファルトを削り火花を飛ばしながらも着地した。
 その隣にポルシェがタイヤを鳴らしながら止まる。
「もう、自分から”敵”に捕まるような事はすんなよ・・・!」
 僕は吐き捨てるように言った。
「ごめんね・・・。
 竜斗を巻き込んでしまうのが嫌だったの・・・。
 でも、竜斗に会えなくなると考えると怖かった・・・。
 そんなとき、竜斗が来てくれて凄く嬉しかった・・・」
 夕鶴は僕の身体を強く抱きしめる。
 手放しかけた幸せの形を抱きしめるように、僕は夕鶴を強く抱きしめ返した。
「さぁて、そこは高速道路!!
 たまに路肩でやっちゃっている奴はいるけど、ここは道路のど真ん中、他の車が来ると危険なのでサッサと車に乗りましょう!!」
 おじさんに言われて僕らはそそくさと車に乗り込んだ。
 シートを起こすのが面倒だったので、僕らは二人とも後席に乗り込んだ。
 狭い後席で互いの身体が密着し、例え僅かな間とは言えど離ればなれになっていた、互いの存在を感じる事が出来て、何だかとてもホッとする。
 千代田トンネルの分岐を左に行きトンネルを抜けると、右側にはお堀の向こうに塀と森に囲まれた皇居が見えた。
 千代田トンネルが敵のテリトリー・・・?
「聖羅が加担し、阪神や宝塚が所属する組織の名は”帝国”。
 古来より強大な魔力で日本を支配してきた一族の真の末裔。
 魔力を失った日本に置いても支配者になろうと企んでいる・・・。
 そして、その野望に実現に必要なのが夕鶴なんだ・・・!!」


第二章その2

 結局、何が何だか解らないままだった。
 夕鶴と再開出来たのもつかの間、僕はポルシェに乗っかっていた買い物袋を持って、1人で自分の家に帰らされた。
 多分、夕鶴は叱られているんだと思う。
 帰りが遅かったり、自分から姉さんに付いて行ったり、相当おじさんに心配掛けたんだろうから、何も言われないってほうがおかしいかも・・・。
 僕にだって、相当責任はあるから、咎められるべきだろう・・・。
 なんか、嫌だなこの何もない時間が・・・。
 誰もいない家、一人っきりの部屋。
 一人なのはいつもだけど、前は姉さんが帰ってくる家でもあった・・・。
 これから姉さんとは敵同士・・・。
 窓の外に見える夜の闇がとても重くて、寂しさに心が痛い。
 押し寄せる不安に、ちっぽけな僕の心は簡単に押し潰されそうになる。
 母親を恋しがる子供のように、闇におびえそうになる自分を慰めるように、僕はベットの下の雑誌を取り出す。
 一時の快楽に身をゆだねれば、その時だけは自分の弱い気持ちを誤魔化せるから。
 もぎたてパラダイス・・・。
 そのセンターカラーのグラビアヌードのモデルに夕鶴の姿を重ねていた。
 服の上から見る夕鶴の胸、抱き寄せた時に感じたその柔らかい弾力。
 制服のスカートの下に隠された肢体・・・。
 自らそこを求めることはあるのだろうか・・・?
 触れるとどんな感触がするのだろう・・・?
 想像を脹らませれば脹らませるほど、ドキドキとする気持ちが押さえきれなくなり、身体が脈動する。
 欲しい・・・!
 いっそ、抱きしめることが出来れば、思いも伝わるんだろうけど、そんな勇気はない・・・!
 ただ、出来るのは想像をふくらませては解き放つだけ・・・。
 ・・・今はそれで良いさ!!
 早くこの膨れあがった思いを解き放つことが出来れば!
 僕はティッシュを片手にズボンのファスナーを下ろそうとする。
「何してるの?」
 真横から女の子の声・・・。
 血の気が引くのを感じた。
 僕は油の切れたロボットのように、ギクシャクした動きで声がした方を見た。
 ニコッと笑った弓弦の顔。
 僕にはその顔が何よりも怖い悪魔のように思えた。
 一体、何時の間に入ってきたんだよ?!
「うわっ!!」
 慌てて雑誌を背中に隠す。
 しかし、すぐに弓弦に取り上げられてしまった。
 そして、ぺらぺらとめくって流れるように見る。
 ああっ、最悪だ!
 これで罵られた上に、タコ殴り決定だ・・・!
「こんなの見て楽しい?」
 だが、以外にも弓弦の言葉は冷静だった。
 いつもとパターンが違うので、すこし唖然とした。
 いや、唖然としている場合ではないだろう。
「返せっちゅうに!!」
 僕は弓弦から雑誌を取り上げると、丸めてベットの下に隠した。
「とっといて、また後で見るんでしょ」
「うるさいなぁ、ほっといてよ!」
 僕は枕を抱いて弓弦に背を向けるように、ベットで横になった。
 ベットがへこむ。
 弓弦が僕の後ろに座ったんだ。
 なんだか、何で僕の家に来たのか聞くのも気が引ける。
「・・・音楽でも聞こうか?」
 沈黙を破らんと、僕は弓弦に背を向けたまま聞く。
「うん」
 僕はベットの上の方にある棚に乗せてあるMDコンポの再生ボタンを押すと、あらかじめ録音してあった結構有名なアニメのエンディングソングが流れる。
 僕の勝手な解釈だけど、絶対的な別れという運命を断ち切るために、互いに心を認めあうというストーリーで、そのヒロインの気持ちを唄っている歌だ。
 僕はふと弓弦の方を向いた。
 弓弦もじっと僕を見ていたらしく、2人の目が合う。
 見慣れているはずの弓弦の目。
 なのに、何をいまさらドキドキしているんだろう。
 じっと目があったまま、ただ時が流れていく。
 弓弦は僕の瞳の向こうに何を見ているんだろう・・・。
 手を伸ばせば触れることが出来る距離にいるのに、弓弦の気持ちが解らない。
 やっぱり、“好き”なのかな・・・。
 弓弦の本当の気持ちが知りたい・・・。
 でも、その反面その答えを知ることに対して恐怖もある。
 僕は一体、何を望んでいるんだろう。
 沈黙自体悪くないのかも知れない・・・。
 でも、その先に時が動き出してしまうのが嫌なんだ。
 広くて大きな世界を支えている、もろい柱が崩れてしまいそうで・・・。
 ぐぅーっ。
 その時、沈黙を払うかのように、僕の腹が鳴る。
 そういえば、昼から何も食べていないので、お腹がすかすかである。
「お腹減ったなぁ・・・」
 僕は呟いた。
 その声を聞いて弓弦が微笑む。
 その笑顔を見たとたん僕は何か安心した。
 僕はこの笑顔が見たかったのかも知れない。
 でも、“ぶぅーっ”じゃなくて、“ぐぅーっ”でよかった。
“ぶぅーっ”だったら最悪だったよ。
「今日、買ってきた材料あるよね?」
「うん、一応冷蔵庫に入れて置いたよ」
「じゃ、約束通りご飯作ってあげるね」
 夕鶴は微笑みながら言った。

 僕は殺伐とした家のリビングでTVを見ていた。
 ちゃんちゃんちゃーん!!
 ちゃんちゃんちゃーーーん!!
 ちゃんちゃんちゃんちゃん・・・。
 奇怪なおどろおどろしいテーマソングを奏でるサスペンス劇場も何だか上の空。
 台所でご飯を作る夕鶴が気になって、ここでこうしている事がもどかしくてたまらない。
 ここでこうして夕鶴を待つ自分が寂しいのかもしれない。
「どう・・・? 犯人誰だった?!」
 台所から夕鶴に聞かれて僕は急に我に返った。
 一応、TVは見ていたけどサッパリ思い出せない。
「いや、よく思い出せない!」
「私、サスペンス劇場大好きなんだから、代わりに見てなきゃダメでしょ!」
「うわっ、中年クサイ趣味してるなぁ・・・」
 僕は思わず聞こえないように呟いた。
「観光地が出てくるのがミソよね」
「もしかしてテ○東の8時からの番組とか好き?」
「良くわかったわね!」
 僕は苦笑した。
 なんか、ここでこうしてTVを見ていてもなんだし、いても立ってもいられなくなり僕は台所に向かった。
「もうすぐだから、待っててね!」
 そう言う夕鶴の背中をじっと見つめる。
 薄暗い蛍光灯の光、トントンと響く包丁の音、旨そうなみそ汁の臭い・・・。
 エプロンにスカート・・・。
 束ねた髪の毛・・・。
 なんだか、とっても懐かしい。
 小さい頃、感じたような夕飯を作る母親を見つめる子供の気持ちのようなノスタルジー。
 あの頃はただ待つだけだったけど、今は違う。
「ねぇ、なんか手伝おうか?」
 じゃあ、おみそ汁の大根切るの手伝って。
「解った・・・!」
 二人並んで料理を作る・・・。
 なんか、こういうのって良いな。
 2人で過ごすこんな世界・・・。
 それが僕の守りたいもの。

「どう、味は?」
 僕は夕鶴の作った茶碗蒸しを口にする。
 口の中に広がる卵の味、三つ葉のサッパリとした香り。
 今朝の焦げベーコンと比べると天と地の差だっ!
「うまいよこれっ!!」
「良かった!! ドンドン食べてね!!」
「言われなくても食べるよ」
 僕らは二人、夜のニュースを見ながらご飯を食べる。
 やがて全部食べ終わると二人で皿を洗って片づけた。
 僕が風呂に入ったりしてたら、あっという間に時間は流れ寝る時間になった。
 それでも夕鶴は僕の家のリビングでTVを見続けて帰ろうとしない。
「もう遅いよ・・・」
「帰りたくない・・・」
 僕が一言声を掛けると夕鶴は小さな声で呟いた。
「・・・」
 多分、叱られていじけてるのかもしれない。
「おじさん、心配するよ」
「心配しても、叱られても良い・・・。
 寂しいより全然良い・・・」
「夕鶴・・・」
「今日は、今日だけは一緒に寝させて。
 一緒にいれば怖いこと思い出すことも、嫌な夢もみなくてもすむから・・・」
「・・・」
 僕は自分の部屋のドアを開けると、押入からもう一つ掛け布団を出して床に敷く。
 座布団を枕に僕は横になった。
 夕鶴は僕のベットに入り、部屋の灯りを消す。
 ドクン、ドクン自分の心臓の音と、時計の針の音だけが聞こえる息苦しい空間。
 なんだろう、変な緊張・・・。
 別に変な事するわけじゃないのにね。
 どれだけ時間が流れただろう、横になって目をつぶっていたらいきなり後ろから抱きしめられた。
 抱きしめられて前に回された夕鶴の手を握るととても暖かかった。
 しばらくの沈黙。
 闇を払うように夕鶴が思い口を開く。
「お父さんが言ってたんだ・・・」
 背中から聞こえるその声は震えていた。
 僕はその手を優しく握りながら黙って聞く。
「私と結婚すればIFを無限に広げられる力が手に入るんだって。
 だから、みんな私を狙うんだって・・・。
 今はまだ学校にも行っていられるけど、時が来れば普通の生活を捨てなきゃ行けない時も来るかもしれないって。
 学校行ったり、ご飯作ったり、一緒に食べたり、何の変哲もない私の毎日だけどとても楽しくて幸せなの。
 将来、結婚したらそんな幸せな暮らしがずっと続けられるって夢に見てたの・・・。
 でも、好きでもない人と利用されるだけの為に結婚したり、利用されたくないから普通の生活を捨てたり、訳の分からない理由で幸せを壊されるのが悲しい・・・。
 もう、戻れなくなるんだなって・・・」 
「・・・大丈夫だよ」
 僕は背中を向けたまま呟くように言う。
「なんで・・・?
 なんで、そんな簡単に言い切れるの?!
 そうなったら竜斗とも会えなくなっちゃうかもしれないんだよ・・・!?」
 夕鶴の声は涙声になっていた。
 僕は向き帰って夕鶴を起こしてその手を握る。
 その頬は涙で濡れていた。
「会えるさ・・・。
 夕鶴が何処に行こうとも、僕も一緒だから」
「でも、竜斗まで普通の生活を捨てることはないのよ・・・!」
「今までの誰かに与えられた生活が普通だって言うなら、僕はもう戻れないと思うんだ。
 夕鶴と一緒にいたから事件に巻き込まれたっていうより、巻き込まれることが運命だったって気がするんだ。
 姉さんは初めから僕が事件に巻き込まれるのを知ってて僕を連れ出そうとした。
 姉さんは僕に普通の生活を送らせようとしたんだ。
 それが僕の幸せだと思っていたのかもしれない。
 でも、僕はそれを拒んだ。
 僕の幸せな生活は夕鶴と過ごす毎日だ。
 何処に行こうとも、何をしてようとも変わらない。
 例えそれが他の人から見て普通と違っても、人から理解されない生活だったとしても、そこに夕鶴がいて僕が僕でいられる生活だったら、それで幸せだと思うんだ。
 僕は夕鶴がいるなら何処だって良いんだ。
 もう、僕から離れないでね」
 僕は微笑む。
「夕鶴は他の誰にも結婚なんてさせない。
 何時だろうと、何処に行っても僕が守るから。
 守れるように強くなるから・・・」
(夕鶴が好きだから・・・)
 最後の一言を心の中で唱えた。
「ありがとう竜斗・・・。
 小さい時も、夢の中でも、いつも何時も辛いときに力をくれた竜斗・・・。
 これからもずっと一緒にいてね・・・」
 夕鶴が僕を抱きしめる。
 こんなにも近くに夕鶴を感じるのに、不思議とやらしい気持ちはなく、優しさと安堵に満ちていた。
 とても落ち着く・・・。
 張りつめていた何かが切れたように僕の意識は、心地よい混濁へと融けて行った。
 一人で過ごす夜の闇はとても重たく、不安と寂しさに飲み込まれそうになるけど、二人で過ごすことが出来るなら、夜の闇も怖くない。
 こんなにも安らぎと優しさで一杯だから。
 夕鶴・・・。
 大好きだ、夕鶴・・・。

「子は親より自分でいられる道を選ぶ・・・。
 子供の時間もそろそろ終わりだな・・・」
 混濁の中、おじさんの声が響いた。


第三章その1

「竜斗、早く帰ろうよ!
 ねぇってば!!」
 ボコっ!!
 後から思いっきりコツかれて僕は我に返った。
「痛いなぁ、何するんだよっ?!」
 色素の薄い髪、小さな身体。
 まるで子供のようなあどけない顔。
 振り返るとそこに制服姿の夕鶴がいた。
「竜斗ってば、何考えていたの?」
 夕鶴に言われて僕はドキッとする。
「いんや、ただ、ぼうっとしていただけだよ」
「本当・・?」
 夕鶴は拳を握りしめて僕の鼻先に突き出す。
 って、そりゃ恐喝かよ?
「僕が考え事するような奴に思える?」
「そんなわけけないわよね!」
 ってオイオイ簡単に納得すんなよっ!!
 まぁ、精神年齢3歳には僕の孤高な気持ちなど分かるまい。
 って、僕自身自分の気持ちが分からないんだもんな。
 心の中で突っ込みつつも、僕は団地の下から西の空を眺めた。
 公園の森の奥に聳える給水塔。
 森へと飛び帰る鳥たちの姿が、真っ赤に染まった秋空の夕焼けの中でシルエットになって浮かんでいた。
 11月も中盤になると、4時には日が沈むようになっていた。
 下校の時にこんな夕焼けを見る度に僕は切望するんだ。
 僕はチラリと隣り合わせで歩く夕鶴の横顔を盗み見る。
 もう何年も続く2人並んで登下校するこんな時間。
 何事もなかったかのように過ぎ去る平凡な毎日に違和感を覚えると同時に、そんな毎日が儚く思えて仕方がなかった。
 何時か終わる夢・・・。
 叶わぬ夢・・・。
 そう思えば思うほど切なくなる。
 出来れば夢から覚めたくない。
 この夕日が沈んで、また日が昇っても夢から覚めず、今日のような毎日が続けば良いと何時も思うんだ。
「また、明日も秋晴れだと良いね」
 夕日に目をやる僕に気が付いた夕鶴が立ち止まって、眩しげに夕日を眺めながら言う。
 半分沈んだ太陽によって公園と給水塔はシルエットになって映っていた。
 それを見つめる夕鶴の横顔は夕焼けで赤く火照り何処か切なげに見えた。
 僕の脳裏の中にしか存在しない、美しく幻想的な絵画のような情景。
「そうだね・・・」
 僕は静かに呟いた。
 都会から隔離された森の中の小さな古びた団地で輝く小さな女神。
 誰の物でもない僕の世界。
 もし、こんな毎日が終わったとしても、僕は自分の世界を、夕鶴を守り続ける事が出来ると思う。
 根拠は無いけどそう確信していた。
 僕は世界を見たのだから・・・!

 

 竜斗の世界~The End Of Ryuto’s Verden

 

 その日の食後。
 夕鶴が食器を洗う中、僕はテーブルのイスに腰掛けてTVを見ていた。
 TVのニュース番組で、今年の春にプロになったライオンズの大物ルーキー投手の特集を組んでいた。
 18歳と僕とそう歳の変わらない彼は、練習で150km/hの球を投げては得意げな顔をしていた。
 150km/hの球を投げられるからと言って、何を粋がっているのかと僕は冷たい視線をTVのモニターに送っていた。
 自分が生かされているだけだと言うことに気が付かない。
 本当の世界も知らないでいい気なものだ。
「若い内は誰だって可能性に満ちあふれ、全てを知った気になって、いい気になるものさ。
 でも、誰だって順風満帆でずっと生きられるものじゃないし、この投手だって何時か挫折にブチ当たるときが来る。
 今はまだ若く可能性はあるが、挫折を知り自分がいかにちっぽけな存在だったかを痛感し、そこで歩くのを止めてしまうか、更に飛躍できるかで大物かそうじゃないかが決まる。
 自分に与えられた可能性が尽き掛けたとき、本当の大物は埋もれた道を切り開く!」 
 夕鶴の家のリビングのソファー。
 大きなクマと中くらいのクマに囲まれ、おじさんが足を組んでTVのリモコン片手に、
「肉体改造っーーーー!!」
 と叫んでいた。
「何なんだかな・・・」
 僕はおじさんを後目にリビングの雨戸を開け、自分の家に戻ろうとするが、おじさんは僕を引き留めるように言う。
「この世は1人の世界観だけで成り立っているものじゃない。
 自分を中心に回っているように感じる世界も、その世界の登場人物がいて初めて成り立つ。
 そして、その世界の登場人物一人一人にそれぞれの世界がある。
 そう、お前の世界の登場人物である俺や、夕鶴にだって。
 今はまだ俺の言葉が解らないかもしれないが、いずれ思い返してその言葉を自分のものにすれば良い」

 ベットに寝転がり音楽を聞きながらジッと天井を見つめていた。
 何もない一日は幸せ。
 何時かこんな日が終わると言うことを知っている。
 幸せな日々が終わらなければいいと思っている。
 なのにこうして変わらない時間を過ごす自分に違和感を感じるのは何でだろう?
 心がザワついて何だか落ち着かない。
 本当の世界を知ってしまったから、多くのことが下らなく思えてしまうのかも知れない。
 その時、僕は部屋の中に夕鶴の存在を感じて、上体を起こしてドアの方を向く。
 そこにはパジャマ姿の夕鶴がいた。
 この間の高速道路での戦いあたりから、IFを展開していないのにも関わらず、自分の感覚領域が拡大している気がする。
「どうしたの?」
「ううん、私がお皿洗っている途中で帰っちゃったから、どうしたのかなって思って」
 心配そうに僕を見つめる夕鶴の顔。
 何だかおかしくなって僕は笑いながら言う。
「何でもないよ」
「そうかな・・・?
 近頃、竜斗が何処か遠くにいるような気がするの。
 私や身の回りの風景を見つめているようで、もっと遠くを見ているような感じ。
 何処にも行かないよね・・・?」
「大丈夫だよ、約束したじゃないか。
 ずっと一緒にいるって・・・」
 夕鶴はベットに腰を掛ける僕の横に座り肩を寄せる。
 身体に感じる夕鶴の柔らかく暖かい感触。
 香るシャンプーの香りに僕は胸が高鳴る。
 横を向くとすぐそばに目をつぶった夕鶴の顔があった。
 ドクン!
 ドクン!
 鼓動が高まっていく。
 僕は導かれるように自らの唇を夕鶴の唇へと重ねる。
 初めてのキス。
 舌と舌。
 うねるような感触に僕の心と身体は融けて行く。
 ただ、夕鶴を感じる舌の感触と、口から飛び出んばかりに鼓動する心臓と、脈動する股間の張りつめた感覚だけがハッキリとしていた。
 唇から糸を引きながら互いの顔を離す。
「こんな事を望むなんて、自分でも嫌らしい子だと思う・・・。
 でも、これ以上の空白は怖いの。
 闇の中で自分が埋もれて行ってしまう。
 竜斗と一緒にいるって証拠が欲しい。
 竜斗を感じていたいの・・・」
”彼女”の手がズボンの上から僕の股間を握っていた。
 僕は息が止まるほど”彼女”の行動に驚き、同時に快感を感じる自分に嫌悪感を抱いた。
 でも、刺激された男の本能は僕のちっぽけな理性じゃ押さえきれなかった。
 そして、”わき上がる”・・・!

 欲しい!
 もっと、欲しい・・・!
 身体だけじゃない!
 その身体の奥にある心まで欲しいんだ!
 この身体を壊すように!
 心まで入り込むように!
 そうすれば、全てが思いのままに!
 全てが思いのままになる!
 我が目に映るもの、彼女の瞳に映るもの、それが世界の全て!
 世界は我が手に!
 
 身体が、心の表面が”彼女”を求めれば求めるほど、心の奥底ででそんな自分たちを冷たく見つめていた。
”彼女”を感じれば感じるほど、心がザワついてバラバラになっていく。
 それは僕が最近、日常に感じる違和感に似ていた。
 何か違う・・・。
 何か違うんだ!。
 コレは僕じゃない!
 そして、目の前で悶える”彼女”も夕鶴じゃない!
 怖いんだ!
 こんな事をしている自分が!
 こんな事をしている夕鶴が!
 夕鶴とひとつになる・・・。
 それはずっと望んでいたことだった。
 何度も何度も想像し、夢に見ては自分を慰めて来たことなのに、これが夢であると思いたい。
 でも、感じる快感と、重なる”彼女”の肌がそれを現実であると痛感させる。
 壊れていく・・・。
 絶頂を迎えると同時に僕が僕である感覚が壊れて、違和感と感覚が僕の世界を遙かに離れ、この全世界を覆うように広がっていく。
  そして、それは僕の心から切り離された。
 ただ、違和感の断片だけを残して。

 見ては行けない・・・。
 見ては行けないと思いながらも彼女の身体に目をやる。
 ピンク色の頂を持つふたつの僅かな膨らみ。
 白い下腹部に栄える黒い茂み。
 改めて見ると再び心臓が高鳴り息苦しくなる。
 決して見ることも触れることも出来ない世界にたどり着いた罪悪感。
 白い腹の上に垂れた白濁の液体と、シーツに付いた赤いシミが自分の罪を物語っていた。
 こんな事をしたのは僕じゃない。
 これは夕鶴じゃない。
 夢の中に出てくる大人の男女だ!
「何で泣いているの・・・?」
 自分のお腹と股間をティッシュで拭うと”夕鶴”が言う。
「泣いてなんかいないよ・・・」
 そう言う僕の頬をつたう涙がシーツの上にこぼれて新しいシミを作る。
「何でだろう・・・、何で泣いてるんだろう?」
 夕鶴が涙をすする僕を抱き寄せて髪を撫でる。
 僕は夕鶴に縋り涙をまた一滴、また一滴とこぼす。
「ゴメンね、竜斗の気持ちを考えないで、自分の気持ちだけを押しつけちゃって・・・。
 竜斗は私のことどう思っているか確かめずに・・・」
 震える夕鶴の声・・・。
「全然、嫌じゃないんだよ・・・。
 夕鶴と一緒になれて嬉しいんだ・・・。
 でも、そんなことをしている自分も、夕鶴との大人の関係も受け入れることもできなかった・・・。
 僕はまだ子供だったんだ・・・」
 そして、夕鶴もまだ子供だと思っていた・・・。
「子供でも良い・・・!」
 夕鶴はそう言うと僕を強く抱きしめた。
「竜斗が竜斗じゃなくなって、何処か遠くに行ってしまう気がして怖かったけど、竜斗はやっぱり竜斗だったね・・・。
 子供でも良いよ。
 竜斗が竜斗でいてくれるなら・・・」
 本当に遠くに行ってしまったのは、僕じゃなくて夕鶴の方だった・・・。
 たかが数ヶ月先に産まれただけだと思っていたけど、まだ子供だと思っていたけど、夕鶴の方が先に大人になってしまってた。
 2人、同じものを見ていると思っていたけど、僕は僕、夕鶴は夕鶴それぞれ違う世界を見ていて、それぞれに違う成長をしていたのかもしれない。
 僕はまだ、僕や夕鶴、世界の全てを容認することが出来ない子供なんだ。
 全てを受け止められるような大人になりたい・・・!
 夕鶴に近づきたいんだ!
 僕は涙を拭いながら夕鶴の頬にキスをした。
「まだ大人になれないから、僕の精一杯はこれだけだよ・・・」
「ディープキスよりも、SEXよりも一番竜斗を感じるよ・・・。
 ありのままの竜斗が良いね」
 僕は変わりたい・・・!

 次の日の朝。
 冷たく澄んだ秋の空気が鼻をツンとさせる。
 生徒達の通学時の賑やかな声が団地の中に響く、何時もと変わらぬ通学時の風景。
 紅葉した落ち葉舞う団地の間の公園の遊歩道。
 森と給水塔をバックに並んで歩く、僕と夕鶴の関係は昨日までと少し違っていた。
「竜斗の手、暖かいね」
 夕鶴が言う。
 秋晴れの下、繋がれた手と手。
 世の中の恋人同士がそうするように、それが当たり前のように僕らの手は繋がれていた。
 秋の冷たい空気の中、夕鶴の手が暖かく感じられた。
「夕鶴の手も温かいよ」
 僕はテレながら言う。
 それはずっと思い描いていた幸せの像。
 僕は幸せかな?
 きっと、幸せだと思う。
 でも、何か足りない気もする。
 夕鶴がこんなにも近くにいるのに、なにが足りないんだろう?
 あれだけ身近に感じていた僕の世界が、今は感じられないんだ。
 ずっと感じていたザワザワとした心の違和感は今はなく、心は凄く落ち着いていた。
 激しく燃えたぎる強い心が無くなってしまったんだ。
 心と体を突き動かし、世界を回すそんな強い心が欲しい。
 そうすれば、僕自身を変えられるはず。
「ねぇ、竜斗」
 空を見ながら考え込む僕の顔を見て夕鶴が微笑みながら言う。
「そんなに大人になることを急いでも勿体ないよ。
 確かに今の”私たち”は弱い存在だし、出来ないことも沢山あるかも知れない。
 でも、もしかすると今じゃないと出来ないこともあるかも知れないよ。
 これから先、永遠に同じ時は続かないかも知れない。
 たった一度しかない竜斗の少年時代だから、今、この一瞬を大切にしないとね」
「でも、夕鶴は僕より大人だと思う。
 ・・・夕鶴に追いつきたいんだ」
 僕は言う。
「私も竜斗が思っているほど大人じゃないよ。
 大人と子供の間でいつも四苦八苦してる。
 子供の時は自分が自分らしく生きることなんて当たり前で、それがわがままで許されることも、大人になるに連れてそれが許されなくなってくる。
 自分が自分らしく生きることの風当たりが強くなって、世の中が私を否定するようになる。
 だから、大人は自分に仮面を付けて生きる・・・」
 思い出すように言葉を絞り出す夕鶴の表情は少し陰りを見せた。
 僕はその表情からこの間の高速道路での戦いの時、自分から姉さんの車に乗り込んだ夕鶴の姿を思い出した。
 あのときの夕鶴の気持ちが少し分かったような気がした。
「でも、竜斗がいてくれたから、竜斗が私を認めてくれていたから、私は仮面を付けないで自分らしくいられるの。
 小さい頃、辛くてどうしょうもなかったときも、否定されて仮面を付けて自分をあきらめようとしたときも、竜斗は何時も私を救ってくれた。
 いま、私がこうしていられるのは竜斗のお陰なの。
 だから、今度は私が竜斗を助ける番。
 どんなときも私が認めていてあげるから、竜斗は竜斗らしく生きれば良いと思う。
 今は大人でもない、子供でもない中途半端でも、自分のペースで成長すれば良いからね。
 私を信じてね・・・」
 強くて暖かい夕鶴の笑顔・・・。
 僕は暖かく優しい気持ちで一杯になった。
 僕がずっと心惹かれていた夕鶴は、こんな強さと優しさを持った女の子だった。
 何よりも夕鶴らしい夕鶴。
 自分が自分らしくいられる程強くなっただけで、夕鶴は夕鶴だったんだ!
 夕鶴に追いつきたいと、自分を変えたいと思っていた事が馬鹿らしく思えた。
 僕が気が付かなかっただけでこんなにも夕鶴は近くにいた。
 僕が気が付かなかっただけでこんなにも世界は近くにあった。
 それに気づかせてくれた夕鶴・・・。
「ありがとう、夕鶴・・・」
 僕はギュッと夕鶴の手を握りしめ、こぼれそうになる涙を堪えた。

 学校の校門の前。
 そこにひときわ目立つ格好をした男と女が立っていた。
 男の方は黒いスーツに虎のワンポイントの入った縦縞のハッピに、アフロヘアーに猛虎と書かれた鉢巻。
 女の方はオールバックにした短い髪に、細長い身体にピッタリとフィットした光り物付きの白いスーツを華麗に着こなしている。
 僕らはこの2人を知っていた。
 結婚した相手のIFを無限に広げることの出来る能力を持つ夕鶴の能力を使い、この世の支配を企てる帝国と呼ばれる組織の一員。
 もう、何度も僕らの前に現れては戦ってきた相手・・・!
「阪神、宝塚・・・!」
 僕が彼らの名前を叫ぶと建物に反響してその声が山彦のように響いた。
 緊張したまま沈黙が訪れる。
 対峙する僕たちを当たり前のように避けて、生徒達の流れは校舎へと飲み込まれていく。
 硬直したまま、重く時間が流れていく。
 まるで、僕らの周りだけ時間の流れが違うようだった。
 チャイムが鳴り校舎への生徒の流れは途切れると、宝塚が長い沈黙を祓う。
「夜明けの時がやってきた。
 どんなに心地よい夢を見ていたとしても、結局は夜明けと共に光の中に消えてしまう儚い夢。
 夢に別れを告げよ。
 もう、お前達が夢を見られる場所はなくなった・・・!」
 相変わらず芝居じみた宝塚の言葉だけど、その声は以前とは何処か違う気がした。
 以前は仮面をかぶって冷静に役を演じているだけだったけど、そんな仮面が崩れ去り無理矢理に自分を演じているような、そんな気がする。
 言いしれぬ迫力があるだけあって、その意味の分からない言い回しが余計に怖く感じた。
「どういうことだ?」
 僕の問いかけに阪神が答える。
「平たく言えば、あんさん達は退学っちゅうことや。
 もう、学校の生徒であらへん。
 今回は退学だけやが、わいらに従わんといずれ戸籍をも失い、居場所を完全に失う事になるんや。
 ちゃんと結婚することも、子供が産まれたとしても学校に通わせることすらできへん。
 普通の人が、当たり前のように手にすることが出来るありきたりな幸せすら失ってしまうんや。
 生きてるのにその存在を認められへん・・・。
 闇に紛れて生きるしかない、悲しいことや。
 わいとしてはそうなる前に降伏してほしいんやが・・・」
 阪神は哀れむような目で僕を見る。
 その目は敵に向ける戦士の目ではなく、教師が生徒に見せる”阪神先生”の目に戻っていた。
 阪神は何度かの戦いの中で不器用な優しさを見せるようになった。
 でも、任務と優しさの中で板挟みになり苦しんでいる。
「何故そんな事を!?」
「我々帝国の構成員はこの国の公務員になり、内部から国民を操作する。
 我々こそが法なのだ。
 我々こそがこの世界の秩序なのだ。
 我々に逆らう者に居場所などない。
 それが制裁だ!!」
 まるで本当の自分を覆い隠すような激しい感情・・・。
 かたくなに自分の意志を押しつける宝塚の言いしれぬ迫力に、僕は夕鶴の手を取り一歩後に下がる。
「女に気押されるなんて、情けない奴だ!」
 後から聞こえる少年の声。
 その声に何故か胸が痛み、後を振り向いた。
 僕と同じぐらいの背丈の小柄な少年。
 顔を覆い尽くす長い髪。
 身体にフィットした皮のパンツに、少し大きめの革のダブルブレストジャンバー。
 全身黒ずくめのその少年の姿に夢で見た幼いときの記憶がフラッシュバックする。
 断片的でドロドロとした思い出せない夢だけど、この少年を夢で見た気がする。
 僕は息を飲みのその少年を見つめた。
「あの囲いの中で飼い慣らされた子犬どもを見ろよ!」
 少年は学校の校舎を横目で冷ややかに睨む。
 それは全てを見下し拒絶しているようにも思えた。
「馬鹿みたいに戯れて自由を気取っていやがっても、自分を疑うことも知らず、一生を誰かが決めたルールに従って生きるしかない!
 下らない人生を送り、下らない満足感を得る!
 そんなモノに何の意味があると言うんだ?!」
 とても冷たく悲しく激しい少年の心。
 その少年の持つ力こそ僕が失ってしまった心と体を突き動かし、世界をも回すことの出来る力だった。
「もう一度、あの囲いの中に戻りたいか?!」
「未練が無いと言えば嘘になるかもね・・・」
 僕の横から少年をジッと見つめながら夕鶴が言う。
 その横顔は今までの敵に怯えていた夕鶴から想像も出来ないほど強さに満ちあふれていた。
 いつも強がっていて、僕を引っ張っていく。
 壁を乗り越えて強く成長した夕鶴らしい夕鶴。
 僕はそんな夕鶴に強烈に魅力を感じていた。
「いつまでも学校で友達とはしゃいでいられたら楽しいと思う。
 でも、時が来ればそんな自分と決別しなければならないと知っている。
 それはあなたが馬鹿にした他の生徒達も同じよ。
 たしかに何も知らない考えない人もいれば、そうじゃない人も絶対いると思う。
 何時までも同じ日々が続くわけがないし、何時か終わる日々だと思うから、辛いことをガマンしたり、精一杯今を楽しむことが出来る。
 そんな時が終われば誰だって自分の力で人生に立ち向かわないと行けない。
 人生に立ち向かって勝ち残るには、多かれ少なかれ何かに流されたり、流れに逆らったりすることもあると思う。
 自分が流されていることや、流れに逆らっていることに気づいていても、気づいていなくても同じよ。
”多くの人”と同じ道を歩めばそれで幸せと言うワケじゃないと思う。
 自分らしい道を歩んで、それが困難な道だったり、”多くの人”と違った理解されない道だったりしても、たった一人でもそんな自分の人生に寄り添って笑ってくれる人がいれば、凄く幸せだと思うの!
 私には竜斗がいる!!
 竜斗には私がいる!!
 だから、どんな道だとしても私は幸せよ!!」
 少年の姿はかつての僕だ。
 世界を知った気になり、全てを見下していた小さな僕の姿。
 夕鶴に自分の小ささを教えられ、変わりたいと願って少年が持つような世界を動かす激しい力に憧れた事もあったけど、今はそんな力はいらない。
 何も変わらなくて良いんだ!
 僕が僕らしくいられればそれで良い!!
 夕鶴はそれを教えてくれた!!
 そんな優しく強く心を持つ夕鶴を好きなんだ!!
「夕鶴・・・!
 僕は夕鶴を守るっ!!」
 僕を中心にIFが無尽蔵に広がっていく。
 何処までも何処までも僕の世界を感じる。
 僕の背中には白い翼が大きく広げられていた。
 僕は少年をジッと睨み付ける。
 少年は口元に不適な笑みを浮かべる。
「強い思いは力になる!
 この世に正論など無い!!
 強き力こそ真実だ!!!」
 少年を中心にIFが広がっていく。
 とても強く殺気に満ちて全てを否定する違和感。
 僕一人だったら否定されて消えてしまいそうだけど、僕には夕鶴がいる!!
 そして、少年は背中で黒い翼を羽ばたかせて羽根をまき散らす。
 白と黒の対立。
「我が名は帝王っ!!
 帝国の王なりっ!!!!!」
 目の前にいる少年こそが帝王!!
 彼を倒せば全てが終わる!!
 帝王と戦える程僕の力は満ちていた。
 夕鶴が僕の事を認めてくれるから!!
「行くぞ!!」
「ワイらもいることを忘れるんでないで!!」
 阪神と宝塚が帝王の元に寄ろうとするが、その阪神の足下のアスファルトに赤く輝く長剣が突き刺さる。
 その剣の元に歩み寄るすらりとした長い影。
「お前らの相手はこの俺だ!」
 おじさんが長髪をなびかせて阪神と宝塚の前に対峙した。
「やっぱり、一番いいタイミングで出てくるんこと狙ってたんやな!!
 相変わらずいけすかん奴ちゃ!!
 でも、その巫山戯た態度も今日で終わりやで!!」
「よく顔を出せたなっ!!
 堀江祐一っ!!」
 宝塚がおじさんを睨む。
「竜斗!! ザコは俺に任せろ!!
 お前は自分で自分の世界を勝ち取るんだ!!」
「はい!!」

 僕は左右対象の美しい形をした白銀の剣をイメージしその手に取る。
 帝王は禍々しい形をした異形の黒い剣を取り出しその手に取った。
 僕らはIFによりかき消され誰もいなくなった学校の校庭で対峙する。
 吹き抜ける風が砂煙を立てていた。
 しばらくの沈黙。
 夕鶴はその様子を遠くからじっと見つめていた。
 風に舞う紅葉の葉が校庭に落ちた瞬間、沈黙が破られる。
 互いにその剣を振りかざして翼を大きく羽ばたかせ、相手目がけて突進する。
 世界が加速し視界が狭まる。
 初めに攻撃を仕掛けたのは帝王だった。
 帝王は僕に向かい剣を振り下ろすが、僕は帝王のその剣を横に払い、そのまま上から振り落とす。
 剣が帝王に届く前に、帝王が放った蹴りにより間合いが広がり剣は宙を切る。
 すかさず帝王は僕目がけて黒い光弾を放つが、僕は瞬時に力を解放し光の柱を作り出し光弾をかき消した。
 僕が作り出した光の柱により、校庭の砂が舞い砂煙になり視界を奪う。
 そして、その砂煙の中から帝王が突進して来て、僕に向かい剣を振る。
 殺気を感じた僕はそれを剣で祓うが、帝王は構わず次々と剣撃を放ち続ける。
 払い続ける僕は帝王の一瞬の隙を見て、反撃を開始する。
 だが、僕の放つ剣撃の数々は、ことごとく帝王に払われ続け、つばぜり合いとなり互いを弾きとばすと、一定の間合いを作り再び沈黙した。
 僕と帝王は肩で息をし互いを睨みながら呼吸を落ち着かせる。
 対決は熾烈を極めた。
 剣と剣の勝負のように見えるが、実際には魔力と魔力。
 思いと思いの勝負・・・!
 思いの強い方が勝つ!!
 僕は夕鶴の方をチラッと見る。
 夕鶴は熱いまなざしを僕に送っていた。
 夕鶴の気持ちを近くに感じる!
 夕鶴が僕のことを認めてくれているから、僕は僕でいられるんだ!!
 夕鶴!!
 僕を中心に魔力が広がり、学校の校庭と校舎崩れ去ると、崩れ去った世界の内側から、丘の上にそびえ立つ願いの塔が現れた。
 僕の服は散って風に舞うと、白い衣へと変わっていた。
 魔力が僕の身体を包み込むと、僕自身が光の球となって帝王へと突進する!!
「これで終わりだぁーーーーーーっ!!」
 帝王は剣を横にして、力の柱を隆起さらせると攻撃に身構えた!
 守る帝王の力と僕の力がぶつかり合う!!
「竜斗!!」
 夕鶴が叫ぶ。
「私は竜斗との絆を信じているよ!!
 小さい頃、私が死んだお母さんに会いたくて願いの塔に行ったとき、竜斗は現実を知って泣く私に、”僕がいるよ”って言ってくれた!!
 その日からずっと一緒にいたいって思ってたの!!
 これからもずっとずっと一緒にいたいの!!
 お願い勝って!!!」
 夕鶴の声に僕の頭は一瞬真っ白になった・・・。
 その言葉を言ったのは僕じゃなかった・・・。
 あの日、僕はただ怯えて、罵られて泣いているだけだったんだ・・・。
 脱力したその瞬間を帝王は見逃さなかった。
 不敵な笑みを浮かべてギラギラとした瞳を輝かす帝王は、全ての力を解放し僕をすっ飛ばす。
 僕の白い衣が散ると服は元の学生服に戻り、白い羽根も白銀の剣も消えていた。
「絆はお前より俺を選んだようだなっ!!」
 帝王が力を広げると晴れ渡っていた空はみるみる雷雲に包まれ、空を裂くような稲光と雷鳴が轟いた。
 帝王の革の服が敗れ散ると中からボロボロの黒い衣が表れた。
 そして、帝王が空に向かって掲げた剣に導かれた雷が願いの塔を直撃し、激しい炎に包まれた。
「消えろぉっ!!!」
 帝王自身が黒い光の球となると僕に向かって飛んでくる。
 次の瞬間にはそれは僕の目の前まで迫ってきていた。
 死ぬ!!
「竜斗ぉーーーーーーっ!!」
 夕鶴の叫び声が聞こえる。
 一瞬視界が真っ黒になり死を覚悟したが、依然僕の身体には感覚があった。
 何処にも痛みなど感じない。
 ゆっくり目を開けると、そこには細身の優しげな女の顔があった。
「姉さん!!」
 僕は姉さんに抱きかかえられていた。
「裏切ったのか?」
 帝王が姉さんをジッと睨み付ける。
「そんなことじゃない!
 私は竜斗に幸せになってもらえればそれで良いだけ!!
 私たちは早くに両親を無くしずっと苦労してきた。
 私は高校卒業と共に、竜斗を養うために働きに出る事になった。
 でも、大学に行って他の子と同じように遊びたい気持ちを捨てることが出来ず後悔もした。
 自分がそんな思いをしたから、せめて竜斗だけは他の子と同じように普通に生きて欲しいと思っていた。
 でも、竜斗の運命はそれを許さない!」
 帝王は姉さんを睨み付けて不敵な笑みを浮かべる。
「その運命の先に俺が待っている事を知っていたからな!」
 姉さんは僕を地面に下ろすと帝王をにらみ返す。
「その運命から逃れ、普通の人と同じような当たり前の幸せを味わって欲しかったから、私は帝国に入り竜斗と対立した・・・。
 でも、夕鶴ちゃんの言葉を聞いて私が間違っていたことに気が付いた!!
 運命は逃げずに切り開く・・・!!」
「だが、お前の希望のそいつにはもう力は残ってない!」
 僕は全身の力が抜け、立つこともままならずに力無くその場に崩れた。
 薄れ行く意識の中で夕鶴を見つめていた。
「堀江祐一はまだあいつらと戦っている。
 お前の力じゃ俺と張り合う事は出来ない!
 結果は変わらない!!」
 帝王は黒い衣を散らすと元の革の服に戻り、姉さんに向かい異形の黒い剣を突きつけた。
「例え今は無理でも、いずれ竜斗は自分の力で立ち上がって、あなたを倒して夕鶴ちゃんを助け出す!
 私は竜斗を信じている!!」
「聖羅さん!」
「ごめんね、夕鶴ちゃん・・・!
 私の力じゃあなたを守れない・・・。
 でも、絶対竜斗が助け出してくれる!!
 竜斗の力を信じて!!」
「私も竜斗の力を信じているから、待っているから!!!」
 最後に夕鶴の声が響いた。
 そして、僕の意識は混濁の闇の中へと融けていく。

「しかし、危ないところやったなぁ・・・!
 今思い出しても心臓がバクバクや!」
 思い出したように阪神が吐く。
「ああ、帝王様が小娘を連れ去る時に、隙が出来なければ、やられていただろう。
 さすがに、悪魔と呼ばれるだけはあるな・・・
 あの殺気だけは昔から変わらない」
 阪神が言うと宝塚がため息混じりに呟いた。
 ザーザーと雨が降り注ぐ秋の夕方。
 まだ日の沈む時間ではないが、雨雲によって空は闇に包まれていた。
 コンクリートの外壁を雨に濡らした公園の丘の上の給水塔。
 その階段で窓から阪神と宝塚が暗い空を見つめながら対話していた。
「あんさんがため息付くなんて、雪でも降るんとちゃうか?
 戦闘大好きなあんさんにとっちゃ、スリル満点で楽しい戦いだったはずやで?」
 阪神が思い出して身震いしながら、宝塚をからかうような口調で言う。
「・・・その戦いに意義があるものならな」
 小声で呟くように返す宝塚に、阪神を耳に手を当てて聞き返した。
「今、何て言うたんや?」
「ただの杞憂だ、気にすることではない」
「あっ、解った!!
 あまりにも堀江が強すぎて怖かったんやな!!
 わかるでぇ!! わいも怖くて怖くて堪らへんかったし!!
 あんさんも人の子っちゅうことやな!!」
 阪神がニヤニヤと笑みを浮かべながら、嫌らしい目つきで宝塚を見る。
「な、何だその目は!!
 わ、私は別に怖かったわけではない!!」
 と言いつつ手にしたサーベルのサヤで阪神の頭を叩く宝塚。
 ゴォン!!
 鈍い音が給水塔の階段に響く。
「うごぉぱぁーーーーーーっ!!」
 妙な奇声を上げ頭を押さえながら、苦しみ悶えて階段を転がり落ち阪神。
 何故か口から、目から、鼻から、耳から大量に紫色の泡を吹き出しながら・・・。
 あまりにもあり得ない、映像に映すことも出来ないような、阪神の危険な容態に思わず後ずさりする宝塚・・・。
 死!!
 殺人!!
 その二文字が宝塚の脳裏を駆けめぐる!
「あ、いたぁーーーーーーっ!!」
 さすがにヤバイと思ったその時、突如として阪神が起きあがり再び奇声を上げた。 
「あっ、いかわらず、厳しいつっこみやなぁ!!
 生きるか死ぬかの瀬戸際だったで!!」
 あの容態で生きている方が不思議だと、阪神が吹き出した紫色の泡を思い出し、背筋を凍らせる宝塚。
「まぁ、誰だって自分は大切なんやから、”そんなこと”思う自分を、ちっとも気にすることなんかないんやで」
 と不器用に微笑む阪神。
 その言葉は戦いに恐怖を覚えたことに対して言っているのだろうが、何故だか戦いに意味を見いだすことの出来なかったことに対して言っているようにも思えた。
「そうだな・・・」
 ただ、一言そう言うと宝塚は窓から雨の降り尽きる空を見ると、人知れず静かに微笑した。
 そして、阪神と宝塚のいる階段のすぐ真上・・・。
 給水塔の最上階の水槽室は帝王のIFにより構造を変えられていた。
 何処までも果てなく回廊が続き、様々な形をした扉が永遠に連なっている。
 現実の大きさより遙かに大きなその内部は、まるで帝王の心を象徴しているかのように深く入り組んでいた。
 その最深部、幾重にも重ねられた扉の先に、彼が求めた少女が監禁されていた。
 明るい色調の壁紙。
 ベージュ色のフローリングの床。
 ウサギのぬいぐるみが置いてある小さなタンス。
 少女漫画が並べられたガラス戸の付いた本棚。
 教科書が小綺麗に立てて並んでいる勉強机。
 そこは団地にある夕鶴の部屋そのままであった。
 夕鶴はさらわれた当時の制服を着たまま、木製のベットに腰掛けて、ドアの方をジッと見つめていた。
 その視線の先には、口元に不敵な笑みを浮かべた黒ずくめの少年が立っていた。
「何がおかしいの?」
 夕鶴が帝王と呼ばれるその少年の浮かべる表情の訳を問う。
「俺の手中にあるお前を見ていると、俺の希望が叶う時も近いと実感出来るからだ!」
 帝王の希望・・・?
 私にあるって言うIFを無限に広げられる力がもうすぐ手にはいるってこと?
 でも、それには私と・・・。
「力の発動に必要なのは、お前との完全な心の同調だ!
 だが、お前の心にはアイツが巣くっている!!
 それはそれで良い!!
 アイツを闇に葬むれさえすれば、希望が叶うのだから!!
 こちらから出向かなくても、アイツは間違いなくここに来る!!
 その時が運命の時だ!!」
 それは竜斗を消すということを意味する。
 夕鶴は帝王の思い浮かべる結末を否定するように力を込めて言う。
「でも、竜斗は君は負けない!
 君の思い通りにはならないわ!!」
 夕鶴の言葉に帝王の口元が不敵な笑みに歪む。
「ふっ、はっはっはっ!!
 何を言い出すのかと思えば戯言を言ってやがるぜ!!」
 悪態をつく帝王に夕鶴は怒りをあらわにする。
「何で戯言なのよ!?」
 間髪入れず帝王が言葉を返す。
「アイツが俺に勝てなかった理由を教えてやろう!
 IFの中での戦いは心の力の強さが勝敗を左右するのはお前も知っているだろ?
 あいつの力の源はお前への思い、お前へを信じる心だ。
 だが、アイツは最後の最後でお前を信じることが出来なかったんだ!
 お前の言う絆が自分には無いことに気が付いたからだ!!
 お前のことが好きじゃないことに気が付いてしまったんじゃないか?!
 はっはっはっ!!」
「そんなこと無い!!」
 両手を大きく振り夕鶴は帝王の言葉を精一杯否定する。
「じゃあ、アイツはお前のことを好きだと、一言でも言ったのかよ!?」
「それは・・・」
 帝王の言葉は夕鶴の心に深く刺ささる。
 夕鶴はそれから先の言葉を失い下を俯いて小さく震えた。
「結局は人間の持つポジティブな感情なんてフィクションなんだ!
 弱い人間が自分を誤魔化すため、自分の行いを正当化するために、その場の状況が作り出した嘘の感情だ!
 好きだと”思わされている”だけ、好きだと”思っている”だけなんだ!!
 この世に真実の感情があるとすれば、それは負の感情!!
 人を憎み羨む心!!
 それだけが真実!!
 お前自身もアイツの事を好きだと”思っている”だけなんじゃないか!?
 そもそも、アイツを好きになる原因になったその思い出が、正当化された嘘の思い出だったらどうするんだ?!」
「そんな事ない・・・!
 私は竜斗のことが好き!!
 例え思い出が間違っていたとしても、何年間もずっと好きだったこの気持ちは変わらない!!」
 帝王を睨み付ける夕鶴の頬に涙が伝った。
「じゃあ、涙を流す?
 自分の気持ちを嘘だと認めているからじゃないのか?!」
「人の気持ちを信じる事が出来ない。
 否定すこ事しか出来ない心の弱い君がかわいそうだから・・・」
 夕鶴のその言葉に動揺を顔に浮かべる帝王。
「俺が弱いからかわいそうだと!?
 それこそが人が弱さを誤魔化すため、その場の作り出すフィクションの感情なんじゃないか?!」
 帝王は怒りを露わにし夕鶴の襟元を掴む。
「でも、君はそのフィクションだと思っている感情に負けた!
 その態度がその証拠よ!!
 私を殴りたいなら殴ればいいのよ!」
「ちっ!」
 帝王は舌打ちすると夕鶴に背を向けて立ち去ろうとする。
 だが、足を止める。
「ここで、素直に立ち去る俺だと思ったか?
 それじゃ、安っぽすぎる悪役じゃないか!?」
「違うの?!」
 夕鶴は悪態に悪態で返す。
「馬鹿にするんじゃない!
 俺はそんなものじゃない。
 負の感情そのものなんだ・・・。
 お前には解るまい」
 そう言うと帝王はドアを激しく締めて姿を消した。
 バタン!
 バタン!
 バタン!
 折り重なる幾つもの扉が立て続けに閉まっていった。
「畜生!!」
 帝王が通路の壁を蹴り付ける。
「何で俺がこんなにもイライラしているんだ?!」
「それはあんさんがあの子にオープンされたからとちゃいまっか?!」
 通路の壁に身体を預けた阪神が、横目で帝王を見て言い放つ。
 帝王は阪神を睨み付ける。
 その目は禍々しい殺気に満ちあふれていた。
「今度俺に刃向かったら殺すぞ!」
 と言うと帝王は背を向けて去っていく。
「おお怖っ!!」
 と言うと阪神は夕鶴の元へと続くドアをノックする。
「ワイや、阪神や!
 夕鶴はん、入ってええかぁ?」
「入っちゃダメって言っても、入るんでしょ?」
 ドアの向こうから夕鶴の声が響く。
「手厳しいこっちゃ。
 まぁ、その通りなんやけど・・・」
 阪神が苦笑しながらドアを開ける。
 すると、重なったドアが一気に開け放たれて、夕鶴の部屋へと筒抜けになる。
 夕鶴はベッドの上に座って少女漫画をパラパラと捲って読んでいた。
「この漫画、私の持っているものそのもの。
 この染み、カバーの折れ方・・・。
 偽物のはずだけど本物と同じみたい」
 不思議がる夕鶴に阪神が答える。
「そりゃ、あの帝王はんの力で、あんさんのイメージを具現化させたものやからな」
「そんな事も出来るんだ。
 先生も出来る?」
「IFに不可能などあらへんけど、ワイには無理や!」
「ダメじゃん!」
 ダメ出しする夕鶴の前で阪神は苦笑する。
「とても難しい技なんやって!
 それに細かい部分はそのイメージを知る他の人のイメージで補う事が出来ても、大凡のイメージを想像出来なければ出来んのや!
 ワイは夕鶴はんの部屋入ったのは初めてやから無理やねん!」
「じゃあ、なんであの子は出来たんだろう?」
「知らへん!!
 っちゅうか、そもそもワイが帝王はんに会ったのも、今日が初めてなんや!!」
 そんなワイが知るわけ無いやろう!!」
 夕鶴は驚く。
「今まで全然会ったことも無いような人間に、今まで働かされていたわけ?」
「確かに夕鶴はんをさらえって命令を出したのは”帝王”って話やが、ワイが働いてたのはあのガキの為っちゅうより、自分の為やな。
 帝国のボスがいるっちゅう話は聞いてたんやが、今まで一度も姿は見せへんかった。
 今朝突然表れては自分が帝王だって言ってきたんやが、あの力は疑いようはないし、違ったとしても誰1人止められへん。
 まぁ、何にしてもあないな力持っててもガキはガキやな」
 夕鶴は天井を見つめて先ほどの帝王の姿と、今朝の通学時に竜斗が見せた子供であることに焦る姿を重ねる。
 そのイメージは何の違和感もなくピッタリと重なった。
「あの子は竜斗に似ているの。
 大人と子供の、自分の気持ちの狭間で悩んでいる竜斗の姿。
 だから、何だか他人とは思えない」
「類は類を呼ぶって言うしな。
 まぁ、何れにせよあの半端モンは竜斗はんに倒されるに決まってるわ!」
「敵なのに何でそんなこと言えるの?」
「敵やない!
 好敵手って書いて、ライバルって読むんや!
 タイガースで言うところのジャイアンツ!!
 ジャイアンツなくしてタイガースあらず!!
 竜斗はんあらずしてワイあらず!!
 ライバル無くして男はなりたたんのや!!
 ワイがライバルと認めた男や!!
 竜斗はんは誰にも負けへん!!
 夕鶴はんは安心して待っているといいんや」
 阪神は夕鶴に優しく微笑みかけた。
「でも、ワイも負けへんで!!
 ワイにもけじめってモンがあるわけやしな!!」
 そう言うと阪神は部屋を去ろうとする。
 夕鶴は阪神の見せる優しさが嬉しかった。
「ありがとう阪神先生!!」
 夕鶴は阪神の後ろ姿に一礼した。
「ワイも勘違いされたもんや!」
 阪神が出ていったことを確認すると、机の上に一冊だけ出ている本を開いて、挟んである写真を取り出した。
 給水塔の見える公園の桜の下で、真新しい制服に身を包んだ少年と少女が並んでいる写真。
 それは高校の入学式の帰り道に撮った写真だった。
「私は竜斗を信じている・・・。
 好きよ、竜斗・・・」

 冷たい雨が降りしきる幼き日の思い出を僕は夢に見る。
 それは夕鶴と僕、それに後に帝王と呼ばれる少年と、願いの塔と呼ばれる給水塔に行ったときの思い出。
 そこに登れば何でも願いが叶う。
 他愛もない子供の噂話を信じていた僕らは給水塔に登り、中で見たのはそれが何でもないただの給水塔であると言う事実だった。
 そして、一通り調べると夕鶴が泣き始めたんだ。
 僕は夕鶴が流したその涙がとても意外に思えてショックを感じたんだ。
 夕鶴は何時も強がっていて、お姉さんぶって僕を引っ張っていくような子だったから 
「本当はね、本当はね、解ってたの・・・」
 息を止め、零れそうになる嗚咽を堪えながら夕鶴が言う。
「でも、信じたかった・・・。
 ここに来れば死んだお母さんと会えるって・・・」
 僕はそんな夕鶴の姿に、同じ境遇の自分の姿を重ねて、心が痛くなって涙を流したけど、自分に自信がない僕は言葉を失って声を掛けてあげることは出来なかったんだ。
 僕に出来ることは何もないんだ。
 そう、弱い自分に諦めたときに、帝王と呼ばれる少年がわき上がるように吼えたんだ。
「馬鹿野郎!!
 お前にだって夕鶴の気持ちは解るだろ!!
 何で声をかけてやれないんだ!?
 夕鶴の寂しさを解ってあげられるのはお前しかいないのに!!
 その役目すら果たせないなんて、生きる価値がない!!!」
 その少年は力一杯僕を殴り飛ばし、何度も何度も僕に向かって足蹴にした。
 体中に沢山の痣が出来たけど、そんな身体の痛みより、なによりも何も出来ない自分の弱い心が痛かった。
「お前が言わないなら俺が言う!!」
 帝王が泣きじゃくっている夕鶴の肩を強く掴む。
「例えお母さんがいなくても、夕鶴は一人じゃない!!
 おじさんもいるし、”僕がいるよ”っ!!
 だからもう、泣かなくて良い!!」
 そして、思い出はそこで終わる。
 この日、僕はただ罵られ泣いているだけで何も出来なかったんだ。
 ずっと何時までも過去は綺麗な思い出のまましまっておきたかった。
 思い出してしまえば、夕鶴との”絆”全てを失ってしまうから。
 夕鶴が間違ったこの思い出を大切にして、心の支えにしていた事に本当は気づいていたんだ。
 でも、二人の絆を壊したくなかったから、僕は帝王のような強い心を持つ人間になりたいと、調子のいい自分を作り上げて、それを隠し続けてきたんだ。
 だから夕鶴とひとつになった時、作り上げた自分が壊れ本当の弱い自分がさらけ出された時に、僕は再び帝王のような力を望んだんだ。
 僕は今まで夕鶴に見せてきた僕らしい感情は、自分を正当化し夕鶴を騙し続ける為の演技・・・。
 すべてはフィクションだったんだ・・・。

「気が付いたのね・・・」
 気が付くとそこは自分の部屋のベットで、姉さんが心配そうに僕の顔を覗いていた。
 フラッシュバックする帝王と戦いのシーン。
 僕は帝王に負けたんだ。
 夕鶴を信じる事ができなかったから。
 姉さんが見守る中、僕は重い身体を引き起こし、足を引きずるようにリビングへと向かう。
 夕鶴を失った喪失感や、絶望はなく、ほとんど無心で歩いていた。
 ベランダの戸を開けると、雨上がりの冷たい湿気った空気の臭いがした。
 りーん、りーんと、秋の虫が鳴く夜空の下。
 公園の森の向こうに見える給水塔と、街の光がまるで夜空の星のように瞬いていた。
 その夜空には雲の掛かった大きな満月が怪しげに輝いていた。
 夕鶴の家のベランダに出されたパイプ椅子。
 GパンにYシャツというラフな格好をしたおじさんが、椅子に腰掛けウィスキーボトル片手にひとりじっと空を眺めていた。
「こっちに来いよ」
 僕はおじさんに手招きされ呼び寄せられる。
「ちょっと飲んでみろよ。
 ちょっとだけだぞ」
 言われるままウィスキーボトルを手に取り、恐る恐る口の中に垂らすと、喉が焼けるように熱かった。
 それが胃に達すると胃液は拒絶反応を起こしたちまち気分が悪くなる。
「うぇっ・・・!」
 僕は思わずうめき声を上げる。
「はっはっはっ!!
 俺も初めて飲んだときはそんな感じだったよ!!
 なんで、大人はこんなものを飲むんだって思ったもんだ!」
 僕はうめきながら頷く。
「酒を飲む理由は色々あるさ。
 単に味を楽しむこともあれば、辛い自分を誤魔化したり、楽しい自分を演出したりすることもある。
 まるでその理由は人の人生そのものだ。
 中には酒を飲むと人格が変わる奴もいるが、酒が覗き出す人格が本当の人格かといえばそうではない。
 それはその人間のあくまで一面。
 人の人格に表も裏もなく、全てが人間を構成する感情のひとつ。
 人はみな様々な感情を持ち、時と場合に応じてそれを使い分けて生きている」
 僕は優しげな笑みを浮かべるおじさんの横顔の向こうに、高速道路での戦いの日におじさんが見せた、複雑な激しい感情を思い出す。
「大切なのは感情を自分の行きたい方向に持っていく、方向性を持つことだ。
 真っさらな地図に行きたい道を描いたならば、その道の向こうに自分の姿が見えるはず。
 本当は見えているんだろ、その道が?」
  僕は夕鶴と共に歩む道を思い浮かべた。
 それは楽しく僕が僕らしく生きられる道であった。
 でも、夕鶴との絆は崩れ去り、僕は自分を偽って生きて来た弱い自分を知ってしまった。
「その道を歩だとしても、僕は自分に自信がもてないから、自分も、一緒に歩いているくれる人すらも信じることが出来ないかもしれないんです!
 ずっと弱い自分を偽って、人から嫌われないように生きていた自分に気が付いたから・・・!」
 僕は苦虫を噛み締めるように言った。
 僕の頬を涙が伝った。
 おじさんが月を眺め吐き出すように言う。
「俺も若い頃はずっと弱い自分が嫌でたまらなくて、強い人間に劣等感を感じては引き立て役に過ぎない自分の人生を恨んでいた。
 好きな女に好きとも言えず、振り向いて貰いたい一身で、強い人間に憧れてはそんな風になりたいと思っていたよ」
 おじさんの語る気持ちは僕が感じているものと同じだった。
 強いと思っているおじさんの中でたまに感じる弱さの正体が初めて解った気がした。
「取り返しの付かない罪をいくつも重ね、気が付くと”ごもっともな名前”で呼ばれるようになっていた。
 やがて会うこともなくなったその女が俺の子を産んだと知ったのは、病気で亡くなった彼女自信の葬式の時だった。
 彼女の遺した俺宛の手紙を読んだときは愕然とした。
 ずっと彼女が、弱くてもありのままの俺の事を愛してくれていた事に気づかずに、すれ違い続けた事を知ったときにはすでに遅かったよ。
 自分を信じられなかった俺は、彼女も信じることが出来なかった。
 俺は子供を連れ去り、今に至るまで罪を犯し続けていた」
 なんて重い哀しみをずっと胸に秘めてきたんだろう・・・。
 おじさんの言葉から重い哀しみの断片が伝わってきては僕は押し潰されそうになる。
 その気持ちが分かるだけにとても切ない・・・。
 おじさんはYシャツの胸ポケットからサングラスを取り出し、それを掛けようとするがギュッと堪えては再び胸ポケットにしまう。
 横から見るその目は涙をためて潤んでいるようにも、希望に満ちて光っているようにも思えた。
「弱い自分を守るために嘘で固めていたとしても、そこに自分を突き動す強い思いがあれば、それは真実になる。
 かつて俺を愛してくれた人を愛おしく思う気持ち・・・。
 夕鶴を守りたいという気持ち・・・。
 お前に対する期待の気持ち・・・。
 こんなにも胸を焦がれる思いがあるのだから、それが嘘のはずがない」
 おじさんは僕の肩を叩く。
「お前をそんなにも悩ませる思いは嘘じゃないだろ?」
 消えかけていた僕の心は再び強い炎を宿して奮い立った。
 僕は僕自身と夕鶴を信じることが出来なかったから負けてしまった。
 思い出は美化されて都合のいいように変えられていってしまう。
 絆だと思っていたものは簡単に崩れ去ってしまう。
 この性格だって自分の都合のいいように作られてきたものかもしれない。
 でも、夕鶴を好きだと言うこの思いは僕の真実だ!
 何が僕らしいのか、それはこれから先に思い描いた道が示してくれる!
 夕鶴はありのままの僕でいれば良いって言ってくれたんだ!
 夕鶴は自分らしくいられる道を僕と歩めたら幸せだと言ってくれたんだ!
  僕は夕鶴のその言葉を信じる!
 弱い自分、醜い自分を僕は乗り越えて、僕は夕鶴の元へ向かうよ!!
 その先も一緒に歩きたい・・・!
 それが僕の自分らしくいられる道だから!!
「ありがとうおじさん!!」
 闘志を滾らせ立ち去る僕におじさんは聞こえるか聞こえないか、小さな声で呟いた。
「俺に出来ることは、ただ自分の経験を伝えて導くだけだ。
 それから先はお前達が選ぶことだ。
 過去を繰り返すか、未来に進むかも・・・」

 そして、夜が明けて決戦の日がやってきた!
 朝霧が世界を包む中、部屋の窓から見える団地の敷地の街灯が、ぼんやりと白い光を灯していた。
 僕はベットに腰を掛けて服を着ていた。
 履き古したジーパンに黒いシャツを着込む。
 そして、深呼吸をして自分の気持ちを整える。
 僕の心の表面はとても静かだったが、内面では希望と闘志が燃えさかっていた。
 もう、僕は弱い自分の心には負けない!
 負けない!
 負けない!
 そんな僕の前に仕事に出るときのような黒いスーツを着た姉さんが現れる。
 仕事に出る時のマジメな顔の姉さんでも、普段のお茶らけた姉さんでもなく、とても優しげな表情を浮かべた姉さんだった。
 あの高速道路の戦いの日の朝見た姉さんの顔だ。
「これを私のお守りだと思って貰ってね」
 そう言うと姉さんは自分が大切にしている革のライダースジャケットを僕に手渡す。
「着てみて」
 ジャンバーに袖を通すと、女の人の服の割にはサイズがピッタリだった。
「やっぱり、ピッタリだったわね!」
 姉さんが喜ぶ。
「僕の身体は女の人並みってことか?」
「馬鹿ねぇ竜斗は!
 竜斗の身体が小さいんじゃなくて、私の胸が大きいから少しゆったりとしたサイズじゃないと入らないのよ!」
 僕は顔が真っ赤になる。
 胸ってそんなこと男の子の前で言わんでほしい・・・。
「竜斗ったら、もう童貞じゃないのにうぶなんだから!」
「ってなんで姉さんがそんなこと知ってるんだよ!?」
 僕は動揺してますます顔を真っ赤にする。
 耳まで熱くなるのが自分でも解った。
「そりゃ解るわよ、ねっ」
「ねって言われても、相変わらずながらセクハラだよ!」
 でも、姉さんのセクハラと革ジャンで元気がでた。
「もう、私は何も言わないよ。
 竜斗が竜斗でいられる道を、竜斗が思い描いた道を自分の力で歩きなさい。
 そして、自分の目で見て、自分の力でそれを乗り越えなさい!
 心配がないわけじゃないけど、私も竜斗を信じる。
 姉さんが見守っていてあげるから!」
 その表情はとても優しげだった。
「ありがとう姉さん!」
 僕は玄関から外に出ると、そこにはやはり黒いスーツに身を包んだおじさんが立っていた。
「行くか!」
 朝霧に包まれた団地、小さな世界の中を僕とおじさんと姉さんの3人は行く。
 目指すはただ一点!!
 強い風が吹き辺りを包んでいた霧が晴れ、目の前に森に囲まれた給水塔がそびえ立っていた。
 あの給水塔から夕鶴を感じる!
 そして、あの強大な力と心を持つ帝王と呼ばれる少年を!!
 待っていろよ夕鶴!!

 


第三章その2

 蒸気を上げる公園の森の中。
 丘の上へと続く曲がりくねった遊歩道。
 丘の上にはこの辺り一面の団地に水を供給する給水塔が聳えている。
 それは大人にとってはただの変哲もない給水塔。
 だけど、当時子供だった僕らにとって、それは世界の中央にそびえる謎めいた塔だった。
 子供達の間でその塔は何でも願いが叶う”願いの塔”だと噂されていた。
 不確かな子供の頃の思い出の中で、夕鶴はこの塔で自分の願いを叶えそれを支えに生きてきた。
 それから年々も経って、僕は再びこの塔の前に経つ。
 今度は僕自身の願いを勝ち取るために!!
 必然的に目の前に立ちはだかる男と女。
 縦ジワハッピ姿の阪神と、光り物スーツの宝塚だ!
「とうとう決戦の時やな!」
「この華麗なる帝国剣士!!
 宝塚の名に置いて引導を渡してやる!!」
 宝塚は相変わらず演技じみたセリフだった。
「竜斗、脇役は私達に任しといて!
 主役は竜斗なんだから、”脇役”なんかに無駄に力と時間を使うことはないわ!」
「華麗なるスターを前に脇役とは何たる侮辱!」
 姉さんの言葉に怒りを露わにする宝塚。
 そりゃ怒るだろ・・・。
「いつもはここで堀江と戦うことになるんやろうけど、多分これで戦うのは最後やと思うし、ワイのわがまま聞かせてもらってええか?」
 阪神が僕の顔をじっと見る。
「竜斗はん、ワイと戦ってくれへんか?」
 阪神は頭を下げて右手を差し出す。
 って、ネ○トン紅鯨団か?
 僕は一瞬、昔夜やっていたカップルを作る番組を思い出した。
 その姿は何だかプロポーズしているようにも見えて笑えると同時にキモかった。
「竜斗、ワナかも知れないから誘いに乗っちゃダメよ!」
 姉さんが言う。
 でも、僕は時折見せる阪神の優しさを知っていた。
 初めは怖いと思ったけど、そんなに悪い人間じゃない気がするんだ。
 ここで断ったら阪神の気持ちを裏切って、一生後悔する気がする・・・。
 真っ白な地図に思い描く最良の道が、自分らしい道であるなら僕は迷わず選択する!
「良いよ!」
「自分の好きなようにやればいいさ!!
 自分の人生何だからな!!」
 おじさんが笑いながら言った。
「じゃ、私の相手はこの脇ヅカね!」
 と姉さんが言う。
 僕はIFを広げる!
 IFが塔を含めた辺り一面まで広がると、その中におじさんに、姉さん。
 そして夕鶴の存在を感じた!
「竜斗!!」
 僕を呼ぶ夕鶴の声が脳裏に響く。
 信じる人がいる!
 信じてくれる人がいる!
 見守ってくれている人がいる!
 期待してくれている人がいる!
 だから、僕は強くなるんだ!!
 僕は白い翼を大きく広げ、白銀の剣を手にした。
「おおきにな、竜斗はんっ!!」
 阪神は手にしたメガホンを振りかざし、お馴染みの炎のブーメランを生み出す。
 何度も何度も何度も振りかざし連続して炎のブーメランを生み出すと、それに追いつくように加速し、メガホンを振りかざしながら僕に突進する。
 僕はそれを飛び越えて交わすが、避けた位置にジェット風船爆弾が放たれていて、僕が触れた瞬間に風船は爆風を放ちながら爆発する。
 僕は間一髪、全身を魔力で覆いそれ回避したが、先ほど交わした炎のブーメランがいっせいに僕の方に目がけて舞い戻ってくる。
 僕はその炎のブーメラン全てを剣撃で弾き返す。
 その隙を阪神は見逃さなかった。
 背中から風船爆弾を食らい僕の身体は爆風できりもみしながら吹き飛ばされた。
 僕の手を放れた剣は回転すると地面に突き刺さる。
 僕は空中で身体をひねると翼を大きく広げて体制を整える。
 幸いながらダメージは無かったが、僕は阪神に大きな隙を見せてしまう。
「しまった!!」
 そう思ったときには既に遅し。
 阪神はメガホンを振りかざし僕に迫りつつあった!!
 僕は半分やけくそ気味に阪神に向かってストレートパンチを繰り出す!!
 互いの激突!!
 僕の拳に重い感触があった。
 完全に手応えありという奴だ。
 阪神は空中で空中で三回転半きりもみすると地面に倒れた・・・。
 って、えっ?
 魔力も何も使っていないただのパンチだよ!?
 遠距離攻撃とこそくな攻撃は得意でも、阪神は異常なほど接近戦が弱いばかりか、極度に打たれ弱かった・・・。
 阪神は奇妙な格好で地面に倒れ込みピクピクとしていた。
 僕はちょいと心配になり阪神に駆け寄ると、阪神は鼻血を出しながら降伏していた。
「って、マジでこれで終わりなの?」
 僕は拍子抜けする。
「ワイの人生で一番のグットファイトやった・・・!
 さすがワイがライバルと認めた男や!!」
「って本当にそれで良いんかい!」
 僕が突っ込むと阪神は答える。
「ワイはな、小さな頃から強い力で、弱い者を虐める奴が大嫌いやったんや!
 でも、世の中は所詮弱肉強食や。
 強くて金もあって数があるもんが勝ち、弱くて金が無くて数もないもんは負ける。
 そんな世の中に嫌気がさしていたんや・・・。
 そんな時、IFを無限に広げられる力があると聞き帝国に入ったんや。
 でも、帝国こそがワイが嫌いな力で弱いもんを支配しようと考える所やった。
 それでも、世の中を変えたい思うて頑張ってきたんやけど、最近そんなことはどうでもようなってきたんや。
 あんさんや、夕鶴はんの姿を見ていたら、ワイの考えが下らないと思えてきたんや。
 あんさん達はそないに力があるわけでもなしに、強い者に立ち向かって自分らしく生きようとしている。
 別にIFの力が無くても、人間は自分の思いを叶えられるんやって知ったんや。
 それに弱いのもそんなに悪いもんでもないで、これ以上何処にも落ちる所はないし、ライバルがいて張り合いがあれば楽しめるん思ったんや!」
 僕は阪神の気持ちを知って、地面に倒れる阪神に手を差し伸べる。
「ホンマにおおきにな!
 竜斗はん!!」
「良いんだ、そんなことぐらい・・・!」
「ワイがもし帝国辞めたら一緒に商売せんかぁ?」
 阪神が手を擦り合わせる。
「ゴメン、僕はきっと一緒にはいられないよ。
”ジャイアンツ”ファンだから!」
 その瞬間、阪神の眉間にシワが寄って変な表情になった。
「おんどれぇブルジョアめぇ!!
 あんさんのようなもんがいるから、タイガースが負ける世の中が出来るんやぁ!!」
「って結局、タイガースの話だったんかい!!」
 僕は思いっきり阪神の頭をこついた!
 阪神はすっ飛んで給水塔の鉄柵に激突する。
 ごぁんと鉄柵がなる音が響いた。
 ああ、下らな・・・!
 僕が苦笑する一方で姉さんは宝塚と激闘を繰り広げていた。
「ここは私がどうにかするから、竜斗は先に行って!」
 姉さんの声が聞こえる。
 僕は姉さんの言葉に無言で頷くと僕は給水塔の門へと向かう。
 その後をおじさんが付いてくる。
「ジャイアンツを倒せるのはタイガースだけや。
 竜斗はんはワイの永遠のライバルやさかい、ワイ以外の人間に負けるはずない!!
 わいは竜斗はんが絶対勝つって信じているで!
 夕鶴はんが待っているから、速くいきなはれ!!」
 鉄柵に張り付いた阪神が言う。
 決戦に向かう僕にはその言葉がありがたく感じた。
「ありがとう!」
  僕はそう言うと塔の鉄の扉を開け放った。

 給水塔の中は異様に静まりかえっていた。
 コツンという僕らの足音が吹き抜けになった塔の中で響く。
 一歩、足を踏み入れるとそこはまるでこの世ではないどこかのように思えた。
 現実の形をしているものの、そこは異世界。
 脳裏に不敵な笑みに歪む帝王と呼ばれる少年の姿が浮かんでは僕を睨み付ける。
 そう、ここは帝王の世界!!
 そして、そこに夕鶴が待っている!!
 この階段を上りきれば最後の戦いが待っている。
 この静家はさ嵐の前の静けさのように思えた。
 カツン。
 カツン。
 塔の中に靴音を響かせて僕は螺旋階段を一歩、一歩確実に上っていく。
 僕の後を腕組みをしたおじさんが続いた。
 その緊張の中で考えることも、思いに耽ることも出来きず、何処までも続く階段を登るの中で、僕は次第に時の感覚を失った。
 半分ぐらい階段を上った頃だろうか、おじさんは沈黙を破った。
「はははははははは!!」
 おじさんは突如と塔の中に響くような笑いを上げ始めた。
「どうしたんですか?」
「いや、お前と阪神の戦いを思い出して笑ってしまった!」
「って思い出し笑いかい・・・!」
 僕は思わず突っ込んでしまった。
 こんな時に何を考えているんだか。
「いや、スマン!
 だが、考えれば考えるほど笑えてくる!
 阪神は巫山戯てはいるが、一応帝国の戦士としての誇りがある。
 あんなに甘さを見せる奴じゃなかったはずだ。
 お前が何をしているわけじゃないが、お前に関わった人間は言いしれぬ雰囲気に飲まれて、ギャグキャラになっていく!!
 俺だっていつの間にかにギャグキャラだ!
 悪魔と呼ばれたこの俺がギャグキャラだなんて笑えるぜ!
 不思議と悪い気はしないんだ・・・。
 やられたって感じだぜ!」
 馬鹿にされているんだか、誉められているんだか・・・。
 僕は微妙な笑みを浮かべた。
「長い戦いだった・・・。
 長い間苦しみ続け、それを断ち切るために苦しみを重ねて戦い続けたが、終わりが見えれば、それがただ苦しいだけの戦いじゃなかったことに気づいた。
 そのひとつがお前だ。
 お前の活躍、お前の成長、お前の言葉、お前の葛藤。
 俺はそんなお前に自分の姿を重ねて、お前の進む道の先に新しい希望を持つようになった。
 もし、お前が俺が望む以上の世界を見せてくれるのならば、俺には少し眩しすぎる気がするな・・・」
 おじさんは苦笑しながら螺旋階段の行き着く先を見つめた。
「おじさんは言いましたよね。
 真っさらな地図に行きたい道を描いたならば、その道の向こうに自分の姿が見えるはずだって。
 やっぱりどんな道だって、何時か終わりは来ると思います。
 例えどんな道を通ったとしても、その道の途中で一つでも花を見つける事が出来れば、自分の今まで歩いてきた道を思い返せば、そこに自分の姿が見えると思います。
 その先が行き止まりだったとしても、自分の姿が見えたなら、そこにまた道があるんじゃないかと思います。
 そしたら、その花を持ってまた歩き始めれば良い。
 おじさんの話を聞いてそう思いました。
 おじさんの花、それは夕鶴のお母さんの愛であり、夕鶴自身。
 例え、何も残っていなかったとしても、探せば長い道の中で見つけた花は必ずはあるはずです」
 僕の言葉におじさんは無言で頷くと、最後に一言言った。
「お前なら俺を越えてその先に行くことが出来るかもな・・・。
 だが、今はまだ戦いの最中だ!!
 この階段の先は俺が立ち入ることの出来ない帝王の世界だ!!
 俺に出来ることはお前と夕鶴を信じて待つことだけだ!!
 必ず、夕鶴を連れて帰ってこい!!」
 僕は後ろを振り返りおじさんに向かって親指を立てた。
 そして、階段を登り切る!!
 その瞬間、一気に視界が開けた!!

 最上階にたどり着いた瞬間、記憶がフラッシュバックしそこが水槽室であると錯覚したが、現在そこは水槽室ではなく何処までも永遠に続く通路になっていた。
 それは帝王の恐ろしいばかりの巨大な魔力が可能にする歪められた空間だった。
 感じるのは空虚、拒絶、憎しみ、怒り・・・。
 そこは帝王の持つ負の感情で溢れていた。
 少しでも自分を疑ったり、弱さを見せたら、その瞬間に自分が消えてしまいそうな気がする。
 不安・・・。
 それがない訳じゃない。 
 人を、自分を完全に信じられるわけじゃない。
 僕は一度帝王に負けて自分の弱さを知った。
 でも、弱さと不安を乗り越えて夕鶴にたどり着きたい。
 その思いが僕を支えてくれている。
 そして、僕を見守ってくれている人。
 僕と夕鶴を帰りを待つおじさん、下で宝塚と戦っている姉さん・・・。
 僕は大丈夫。
 大丈夫さ。
 僕は自分を強く持ち、目をつむって帝王の感情の中に隠された夕鶴の居場所を探る。
 帝王の持つ様々な負の感情が流れ込んでくる中で、まるで、パンドラの箱のように唯一光り輝くような希望の感情を見つける。
 一瞬、その希望が負の感情で覆い隠された帝王の本当の心のように思えた。
 その希望は僕のよく知っている優しくて強い心を持つ少女・・・夕鶴そのものだった。
 ただ一直線!!
 僕は夕鶴を感じた場所へと長い通路をひた走る!!
 折り重なった扉を次々に開け放ちそこへたどり着く。
「夕鶴!!」
 その名を叫びながら最後の扉を開け放つと、眩しい光が射し込む。
 その光の中に夕鶴の姿を見た。
 やがて光に目が慣れると、そこが夕鶴の部屋を模した空間であることが明らかになる。
「竜斗!!」
 夕鶴が叫ぶ。
 だが、僕と夕鶴の間にはダブルブレストの革ジャンを羽織って、不敵な笑みを浮かべる少年が立ちはだかっていた。
 その少年の名は帝王!
 強く巨大な力と心を持つ僕の敵だった。
「人はその心にどれだけ思いの詰まった部屋を抱えていると思う?
 それは人が生きている限り決して消えることなく増え続ける。
 あまりに沢山の思いに押し潰されないように、人は部屋にカギを掛けて思いを隠しては、時と共にその場所を忘れていく。
 自分に都合のいい部屋だけを遺すことにより、平穏な日々を過ごすことが出来る。
 だが、どんな日々にだって終わりは訪れる。
 終わりが訪れるからこそ、人はその先に進むことが出来る。
 ひとつの終わりは、ひとつの始まり。
 その変化は新しい思いの部屋を生むこともあれば、長い間、忘れたはずの部屋を思い出させることもある。
 お前がひとつの終わりを知り、それ受け止められずにいたその時、俺は希望の光を見た!!
 ここは俺の希望の部屋そのものだ!!」
 僕が吼えると、その指を鳴らした。
 帝王の呼びかけに呼応するように、夕鶴の部屋をかたどった世界は崩れ去り、給水塔の屋上に変わる。
 四方を空に囲まれたコンクリートの狭い空間。
 そこに僕と夕鶴、そして帝王が立っていた。
 何処までも続く地平線、街が、団地が360度のパノラマ全てが、グルグルと回るように視界に飛び込んでくる。
 帝王は黒い大きな翼を羽ばたかせて、太陽をバックに空へと飛び上がる。
 帝王の姿が逆光で影になって見える。
「希望とは未来を思い描く思いだ!!
 お前は胸に希望を持つことで己を強くする!!
 だが、希望を持っていたとしても、それを実現させる力が無ければ、それはただの夢に終わる!!
 現実を受け入れられない弱者の逃避にしかすぎない!!
 その強さも偽りにすぎない!!
 お前に夢を現実に変える力はあるのか!!
 押し寄せる不安をなぎ払い前に進む力に欠けたお前に!?」
 僕はIFを展開し、翼を大きく広げて宙に浮かぶ帝王に対峙する。
「僕は確かに弱い存在だ!
 自分に自信をもてなければ、人を信じることが出来ない・・・。
 色んな現実を直視する事が出来なければ、すぐに傷ついてしまう・・・。
 だけど、そんな自分を克服しようと立ち向かっている・・・!!
 でも、それでも自分を疑いもせず、慢心から人を見下して傷つけて生きるよりもましだ!!」
  帝王はその口元を不敵な笑みで歪ませる。
「だから、お前は希望をその手に納めながらも、力を得ることが出来ない!
 だから、たった一言の言葉が言えないんだ!!」
 帝王がその歪んだ唇を噛み締めた。
 その唇から赤い血が垂れた。
「全てを乗り越え、俺は俺で居られる永遠の時を手に入れるのだ!!」
 帝王がその手を天に掲げると、その手に黒い光が収縮し異形の黒い剣を形作る。
 僕も対抗するようにその手を掲げると、光の中から白銀の剣を取り出す。
「ならば、僕は僕で居られる時を取り戻すっ!!」
 帝王の長く延びた前髪に隠された鋭い眼光を捕らえる!!
 その刹那、目と目が合う!!
 互いに剣を掲げて相手に向かって突進する!!
 視界が狭まり周りの背景が流れていく中で、帝王の姿だけを捕らえていた!!
 この戦いに互いの気力を消耗させる時間や、駆け引きなど意味を成さない!!
 全ては一撃必殺!!
 一撃で勝負が決まる!!
  より強い気持ちを持つ方が勝ち、弱ければ負ける!!
 ただ、それだけだっ!!
 互いに剣を割りかざしたその時!!
「もう、止めて!!!」
 空に夕鶴の声が木霊した。
 その刹那、僕と帝王のIFが折り重なるその空間に、第三のIFが展開された!!
 それは強い心と優しさを持った夕鶴のIFだった!!
 でも、何故、こんなにも悲しさと、寂しさを秘めているんだ?!
 僕が給水塔の夕鶴に目をやると、その瞬間に夕鶴は白い羽根を広げては時間を超越して僕と帝王の間に割って入った!!
 目の前に大きな羽根を広げる夕鶴の背中が表れる。
「もう、あなたの気持ちは分かったから、これ以上傷つけるは止めて!!」
 僕は慌てて空中で剣を止めたが、帝王はまだ剣を止めようとしない!!
 その口元に不敵な笑みが浮かんだのを見て、僕は悪寒を走らせる!!
「止めろぉぉぉぉぉぉぉっ!!!!!」
 僕の制止もむなしく、帝王の剣が振り下ろされた。
 その闇の剣が夕鶴を肩口から切り裂くと、そこから夕鶴の形が光の粒子となって崩れ去っていく。
 まるでスローモーションのようにゆっくりと流れる時の中、僕は零れる砂をその手に掴むように夕鶴を抱きかかえようとするが、僕の腕は虚しく空を振るだけだった。
 握りしめたその手の中に暖かさを感じ、ゆっくりその手を開けると、光の粒子が風に舞い消えていった。
 ドクン!!
 ドクン!!
 ドクン!!
 ドクン!!
 そして、”俺”の中の何かがキレた!!
 着ていた服が風に散り、白い装束へと変わる!!
 殺してやる!!
 殺してやる!!!
 殺してやる!!!!
 殺してやるっぅぅぅ!!!!
”俺”の目が涙と憎悪で一瞬光ったかと思うと、その刹那手にした光の剣が帝王の身体を横に一閃し、その身体を真っ二つに切り裂いた!!
 刃の返り血を身体に浴び、痛みに”俺”の身体は傷だらけになる。
 罪と帝王の闇の血に浸食され、白銀の剣は帝王が手にする闇の剣と同様に醜く歪んではその刀身を黒く染め、背中に広げられた白い翼も、白い衣も闇に黒く染まった。
 髪の毛は血で濡れて顔に張り付く。
 真っ赤に染まった視界の中、血に染まった帝王の顔が邪悪な笑みに歪んでいた。
 帝王の上半身はボテリと鈍い音を立てて、給水塔の屋上へと落ちた。
「うぉーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!!」
 世界に野獣の咆吼が木霊する!!
 それは誰でもない”俺”自身の叫び声だった。
 叫びと共に世界は雷光を放つ暗雲に包まれるた。
 降り注ぐ雨が俺の身体を濡らし、返り血を洗い流すが、依然心は闇に染まったままだった。
「なんでなんだよっ!!!!
 なんでなんだよっ!!!!」
 俺の頬を止めどなく涙が零れる。
「好きだったんだ!!!
 ずっと、好きだったんだよぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!!!!」
 その瞬間、俺の周りだけ暗雲が晴れ、黄金の光が射し込めた。
 それは闇にその身を染めた俺には眩しすぎるほど神々しい光だった。
 そして、その光が凝縮して人の形になり、白い衣と白い羽根を持つ少女の姿になる。
「夕鶴っ!!!!」
 俺が夕鶴の身体を抱えると、光に溢れた夕鶴の身体は火傷するほど熱く感じた。
 その身を焼きながら、俺は夕鶴の身体を抱きしめて、夕鶴がそこにいる幸せをかみしめた。
 そして、俺の世界が止めどなく広がっていく。
 山を越え、海を越え、地球をも飛び越し宇宙にまでも感覚が広がっていく。
 この星に住まう全ての生き物も、険しい自然も、人間ですらも、もう、俺の存在を拒みはしない。
 世界との間に何の違和感も、摩擦も感じなくなった。
 世界は俺そのものだから。
 あえてひとつ、自分以外を感じるものがあるとすれば、それは俺の腕の中で眠る夕鶴だけだった。
 俺が黒い翼を羽ばたかせて給水塔の屋上へと降り立つと、かつて帝王と呼ばれた少年の変わり果てた残骸が話しかけてくる。
 顔を覆う血塗られた長い髪の間から覗く目には既に光りなどなく、帝王は朽ちていた。
「知っているか・・・?
 この主観的世界にただ一人、その少女だけが存在する理由を・・・。
 この主観的世界に置いては、全ての存在はお前とひとつになる・・・。
 全てがお前の思い通りになる、何の苦痛もない完全たるお前の世界・・・。
 だが、それは何もない闇の世界・・・。
 そこに自分とは違う人間がいなければ、自我を意識することが出来なくなり、そこには何の思いも生まれない・・・。
 人は他人と接することによって、自分の姿を知ることが出来る・・・。
 他人の瞳に映る自分を知ることによって、そこに思いが生まれ、思うことが世界を形作り、世界を変えていく・・・。
 その少女はただ一人、お前の世界においてお前とひとつになる事のない存在・・・。
  お前が選んだ、お前の本当の心を映すの出来る鏡となる存在・・・。
 なんの特別な力を持っている訳ではなく、ただ、お前が求め、お前の事を愛してくれる存在というだけ・・・。
 特別な力を持つのは、帝国の王家に伝わる世界とひとつになる力を、その血により受け継いだ風間 竜斗、お前の方だ・・・!!」
 俺は朽ちた帝王の身体を足蹴にすると、ゴロンと帝王の身体が転がり、顔に掛かった髪が横に流れてその素顔が明らかになる・・・。
 俺はその顔を見て、全身に電気が走り、心臓が早鐘を打った。
 何故なら、帝王のその顔は俺と同じだったからだ・・・!
 俺は悪夢をうち消すように、遺った帝王の屍に光弾を打ち込み粉々に吹き飛ばす。
 静寂の空間にハァハァと荒い息が響く。
 それが自分の呼吸だと気付かないほどに、俺の心は動揺していた。
 そんな俺の心の中に、消えたはずの”帝王”の声が響く。
 認めたくない現実に、心が音を立てヒビが入る。
「人の心は数え切れないほどの多くの感情を秘めて生きている・・・。
 何かひとつの事をする中にも、常に身体を突き動かす感情と、それを冷静に見つめている感情があり、そのふたつが鬩ぎ合うことにより、自分という人格が成り立っている・・・。
 光と闇・・・。
 裏と表・・・。
 それは全て同一・・・。
 つまり、俺とお前・・・。
 お前と俺のように・・・
 お前は俺自身だ・・・!!」
 脳裏に口元を不敵に歪ませた帝王の死体の顔が思い浮かぶ。
 それのイメージをかき消すように俺はその腕に夕鶴を抱きしめたまま、雷鳴轟く暗雲に向かって叫ぶ。
「嘘だっ!!
 嘘だっ!! 
  嘘だぁーーーーーーーっ!!!」
 だが、無情にも頭の中にその”声”が響き続ける。
「帝王の血は力をもたらすと同時に、過剰なまでのアンバランスな感情をもたらす・・・。
 自分の内側に渦めく激しい思いを受け入れることの出来ない、幼い俺の人格は相反するふたつの強い感情から身を守るために、それぞれ別の人間だと思い込んだ・・・。
 そんな時、ある事件が起きた・・・。
 それは母親に会いたいという願いを叶えようとする夕鶴に誘われて、願いの塔と呼ばれるここに来たときのことだ・・・。
 塗り替えられた俺の記憶の中では、現実を知り嘆く夕鶴を違う誰かが慰めたという事になっているが、実際には鬩ぎ合うふたつの感情が成した事だった・・・。
 相反し鬩ぎ合う感情を一つにまとめたのは、夕鶴を守りたいという気持ちだった・・・。
 その事件からアンバランスだった俺の中の気持ちはまとまり、俺が俺と呼べる日々が始まった・・・。
 中でも、誰かの陰謀によりねじ曲げられた情報により、夕鶴が帝国に狙われ俺の力が目覚め初めてからは、最高に自分自身を近くに感じられていた・・・。
 いままで、均衡を保っていた夕鶴との距離が近づいたからだ・・・。
 同時に均衡を保っていた俺自身の感情も崩れつつあった・・・。
 そして、俺が俺でいられる距離を夕鶴が犯した・・・。
 夕鶴と身体を重ねることにより、俺の中に眠っていた感情が目を覚まし、その強大な魔力により、二つの感情が別々の身体を得た・・・。
 俺と夕鶴、二人の距離が近づくことを切っ掛けに、俺の心の均衡が崩れてふたつの気持ちが鬩ぎ合うことは、帝王の血を受け継ぐ者としての運命だった・・・。
 いくら避けても逃れることは出来ない・・・。
 二つに分かれ鬩ぎ合う感情に気が付いた夕鶴は、自ら傷つけ合う俺を止めようとした・・・。
 だが、俺はそんな夕鶴のことを受け入れる事が出来ず、夕鶴を傷つけて否定したんだ・・・!」
 俺は涙を浮かべて愕然とする。
 止めどなく涙が溢れる。
 頭の中に流れた気持ちの続きを自らの口から吐く。
「弱い俺は心の何処かで夕鶴を受け入れることが出来なかった・・・。
 何故なら愛し合い夕鶴が自分の醜い部分を映し出したとき、嫌われて傷つく事を恐れていたから・・・。
 愛される事を望みながらも、自分から人を愛そうとしない身勝手な人間だった・・・。
 だから、たった一言、自分の気持ちを伝えることが出来なかった・・・。
 ただ一言、好きだって・・・。
 今さら、好きだと言ってももう遅い・・・。
 あんなにも、あんなにも俺のことを愛していてくれたのに!!
 俺は夕鶴を・・・!
 夕鶴を傷つけてしまったからっ!!!!
 もう、今更夕鶴に合わせる顔なんかない!!!!」
 俺が叫ぶとその腕に抱かれた夕鶴は闇に消え、暗雲に包まれた世界は終演へと向かう・・・。
 俺は全てが始まったあの日の朝、闇に包まれた世界で回帰することを願う夢を見たことを思い出した。
 それは今、俺が願う思いそのままだった。
 もう何度も同じ過ちを繰り返して来たのかも知れない。
 でも、それでも俺は繰り返すことを望むんだ・・・!
「もどりたい・・・。
 もどりたいんだ、あの頃に・・・。
 俺が俺であったあの頃に・・・!!」

 満たされぬ者へ永遠の福音を・・・。

 満たされぬ者へ永遠の福音を・・・。

 満たされぬ者へ永遠の福音を・・・。 



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