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第四章

 満たされぬ者へ永遠の福音を。

 誰?

  満たされぬ者へ永遠の福音を。

 誰の声・・・?

 全てを覆い空を切り裂くような光を放つ雷雲。
 草木は枯れ果て、ひび割れた大地に突き刺さる豪風雨。
 まさにそれは闇の世界。
 あってはいけない世界。
 終局がおとずれし世界。
 そこには私が私と呼べるものはなく、意識できない感覚だけがそこにある。

 満たされぬ者へ永遠の福音を。

 誰?
 この世界にたった一人の存在。
 満たされることのない空虚を抱いて、哀を謳うのは誰?
  轟く雷鳴と迸る雷光に大地に影を落とすのは、今にも崩れ落ちそうなコンクリートの塔。
 そして、天に向かって大きく広げられた闇色の翼を持つ者。
 黒く輝く異形の剣と、傷だらけの身体を包む黒衣。
 血塗られた髪の間から覗く瞳に光はない。
 ただ、終わりを迎えた世界の中心で哀を叫び続けるだけの獣。
 かわいそうな堕天使。
 彼は手にしたその剣でこの世界の象徴である塔を一閃する。
 哀しみだけが支配する世界に別れを告げて、全てを無に消すため。
 そして、混沌から再生を望むために。
 その剣に導かれた落雷に打たれた塔は、火を上げながら音を立てて崩れていく。

 疑えば消えてしまう儚き世界よ。
 さようなら。

 そして、世界はゆっくりと闇に包まれ消えていく。
 後に残った彼の存在すらもゆっくりゆっくりと闇に包まれていく。

 満たされぬ者へ永遠の福音を。

 あなたはこの闇の中に何を望むの?
 闇の中、小さな光が生まれてはそれは徐々に形を得ていく。
 白い衣と白い翼を持った女の子の姿をした光。
 それは忘れていた私のカタチだった。
 彼が求めていたのは私。
 同時に私が求めていたのも彼だった。
「この闇はあなたの世界そのもの。
 全てを拒絶したあなたの心。
 行き場のない不定型な思いの空蝉。
 でも、あなたの心に私が残した光があるなら、望みさえすればどんな形さえも映すことが出来る。
 闇は全てが生まれいずる場所なのだから。
 あなたさえ望むのであれば」
「もう一度、君と歩きたいんだ・・・。
 もう一度、君と同じ時を過ごすことが出来れば他に何もいらない・・・。
 愚かさや弱さから同じ罪を繰り返したとしてもそれで良いんだ・・・。
 君が俺の弱さや醜さを映し出したとしても、ほんの少しだけ俺の柔らかい気持ちを映し出してくれるのであればそれで良いんだ・・・。
 俺の罪を消してもう一度、君と・・・」
 触れるか触れないか、刹那の口づけ。
 広がっていく無限の優しさ。
 私のカタチは気持ちとともに光となって、何処までも、何処までも広がっては闇に包まれた彼の世界を照らし出していく。
 それはとても穏やかで心地よい世界。
 雲の合間から光が射し込めて大地を照らす。
 大地には花を咲かせた草木が生い茂り、小鳥たちが幸せをさえずっている。。
 壊れたはずの塔は何事も無かったかのように、太陽に背を向けてそびえ立っていた。

 もう一度、世界を!!
 もう一度、世界をあるべき姿にっ!!!

 彼は手にした剣を天へと掲げる。
 空から差し込んだ光が彼の体を包み込むと、光に導かれるまま彼は空へと飛び立つ。
 その哀しみに染まった黒い翼を羽ばたかせて。
 思うがまま。
 望むがままに。

「もう一度、君と出会うために」

 ちゅんちゅんと小鳥の鳴く声が、私を深い眠りから呼び覚ます。
 団地の天井を見つめる私の目は霞んでいた。
 頬を伝う一筋の涙。
 私、長い夢を見ていた。
 長いようで過ぎてみればとても短い夢だったのかも知れない。
 でも、私は思い出せない。
 思い出せるのは僅かな記憶の断片。
 あとはもやもやとしたやり切れない気持ちだけ。
 とても哀しい夢のようだけど、とても楽しかったようにも思える。
 ずっと、ずっと見ていたくなるような、そんな夢だったような気がする。
 起きあがると私は部屋の窓から外を見た。
 窓から見える公園の丘の上には、給水塔がそびえ立っていた。
「私はまだ竜斗の世界にいる・・・」
 私じゃない私が、無意識のうちにそうつぶやいていた。

 

 竜斗の世界~Epilogue  Of Ryuto’s Verden

 

 いつもより早く目覚めた朝はなんだか気持ちの良い朝だった。
 それは今日が私・・・堀江 夕鶴の誕生日だからかな・・・?
 それもあると思うけど、この朝の空気も、目に見えるものも、私自身も全てが新鮮に感じるの。
 何だろうね、この気持ち・・・。
 私は部屋の壁に掛けたピーターラビットの時計を見ると、何時も起きる時間より15分ぐらい早い時間だった。
 あと、15分・・・何しようか?
 本棚の漫画に目を通したりしても、何だか落ち着かない。
 私は部屋をうろうろして、机の前で立ち止まって、無意識のうちに机の上の本に挟まった写真を眺めていた。
 それは高校の入学式の帰り道に撮った写真・・・。
 桜の木の下、真新しい制服に身を包んだ私と、その横で恥ずかしげな笑みを浮かべる男の子が並んでいる写真だった・・・。
「竜斗・・・」
 私はその男の子の名を呼んでいた。
 もう一度、会えるよね・・・。
 夢じゃないのよね・・・?
 会いたい・・・。
 会いたい・・・。
 会いたい・・・。
 私の中もう一人の私が叫んでる。
 私は訳も分からず居ても経っても居られずに、パジャマを脱ぎ捨てると制服に袖を通した。
 近くにいるから会えば良いのよ!
 じっとなんてしていられない!
 少しぐらい早くても良いから、みんな起こしちゃおう!
 とりあえずお父さんから・・・!
「おきろぉーーーーーーっ!!!!」
 私はフライパンをフライ返しで叩きながら、お父さんの部屋を空ける。
 破れた障子の隙間から朝日が差す和室。
 そのど真ん中に布団を敷いて、ウィスキーの空瓶に囲まれてトランクスとTシャツ姿で寝ている長髪のおじさん。
 私のお父さんだった。
 何故だかサングラスを掛けっぱなしで寝ている・・・。
 なんでだろうね?
 とにかく、起こさないと!
 ガンガンガンガン!!!
 金物をたたく音が鳴り響く。
「おきろぉーーーーーーっ!!!!
 起きなきゃ飯ぬきぃーーーーーっ!!!!」
「おおぉぉぉ・・・?」
 お父さんは耳を押さえながら、寝ぼけた声を上げて起き上がった。
 あとは竜斗だ!!
「竜斗もおきろぉーーーーーっ!!」
 私は団地の壁に向かって竜斗の名前を叫ぶ!
 隣の家に住んでいる竜斗には私の声が聞こえているはず。
「起きてるっちゅーーーのっ!!!
 そんなに大声出さなくても良いよ!!!」
 竜斗のクセにうるさいわねぇ!
 って本当に五月蠅いのは私だったりする。
 でも、口答えは許されない!
「わたしに口答えしたから飯ぬきぃーーーーーっ!!」
「そりゃないよぉーーーーっ!!」
 私はお父さんの布団を畳んでウィスキーの瓶を片付けながら、竜斗に早くくるように催促する。
「竜斗っ!!!! 早くしてよぉーーーーっ!!!」
「はいはいっ!!!」
 私は台所で朝ご飯を作り始める。
 今日のメニューはトーストと、ベーコンと、卵焼き!
 何時もと変わらないメニューだけど、今日は何だか特別だから、目玉焼きは卵2個にしよっ!
 バリバリとベーコンを焼いている途中にガラガラとベランダの戸を開ける音と、挨拶を交わすお父さんと竜斗の声が聞こえた。
 なんだか竜斗の顔が早くみたい衝動に駆られて、私はご飯を作り終わるとすぐにリビングに向かった。
「はーい、ご飯できたーーーーーっ!!!」
 目の前に写真より少しボロくなった学生服に身を包んだ男の子がいる。
 長く伸びた髪、男の子にしては小柄な身体・・・。
 その姿に私は一瞬胸が高鳴った。
 頭に夢で見た哀しい堕天使の姿が蘇る・・・。
 終わりかけた世界で哀しみを叫んでいたのは竜斗なの・・・?
 目が覚めて、そここに竜斗が居てくれて良かった・・・。
 心の中、もう一つの私の心が胸をなで下ろしたその時、目の前に竜斗の顔が迫った。
 細身の顔に切れ長の目、筋の通った鼻・・・。
 瞳に竜斗の顔が焼き付く。
 そして、身体に感じる力強く暖かい竜斗の腕の感触・・・。
 なんだろう、とても落ち着く・・・。
「きゃーーーーーーっ!!」
 竜斗の叫び声で私は我に返り、初めて自分が抱きしめられている事に気が付いた。
「なにすんだよっ!!!
 何で僕が抱きついてるんだよ!!」
「それは私のせりふよ!!!」
 どかっ!!!
 私は竜斗を壁に突き飛ばしたけど、心臓は高鳴るのを止めなかった。
「いったぁっ・・・!!」
 竜斗は頭を押さえながら立ち上がる。
「きっとなんかの誤解だ!! 少なくても魅力のない夕鶴には発情しないはずだ!!」
 私はビクッとする。
 自分でも幼児体型で魅力がないのを気にしていたから・・・!
「ちょっと、魅力無いってどういうことよっ!!」
 私は思わず竜斗の胸ぐらを掴んで睨む。
「ああっ!! それもなんかの誤解ですっ!!」
「お二人さんっ。
 痴話喧嘩は他でやって下さい。
 そして、さっきの続きはここでやって下さい!!」
 寝ぼけていたお父さんががいつの間にかに元気になって私たちを眺めていた。
 何故か最後の言葉だけやけに力がこもっているし・・・。
「もう、お父さんがそんなんだから、竜斗が底抜けスケベになってくのよっ!!」
 竜斗が余計な事、言わなければ怒らなかったのに・・・。
 ・・・でも、良いよ許してあげる。
 竜斗に抱きしめられて悪い気はしなかったから・・・。
 私は朝ご飯を見せつけるように、全員分の朝飯を運んで席に着いた。
 お父さんがお皿の上の目玉焼きを見て、サングラスの下の目玉を丸くする。
「豪華絢爛ですな」
 お父さんが目玉焼きを丸飲みした。
 もうちょっと、味わって食べられないのかな・・・?
 でも、目玉焼きをナイフとフォークで丁寧に食べる竜斗よりマシかも・・・。
「竜斗って、もうちょっと早く食べられないの?」
 竜斗は自分でも気にしていたらしく、苦い顔をした。
 竜斗って面白い・・・。
 そんな竜斗は私のこと、どう思っているのかな・・・?
 ふと竜斗が私のこと、どれだけ気に掛けてくれているか知りたくなって、竜斗に質問してみることにした。
「ねぇ、ところで今日、何の日か知ってる?」
 あれ、私前にも同じ時、同じ事を言ったような気がする・・・。
 でも、まぁいいや!
 竜斗は”踊る大走○線”の室○さん(○バちゃん)のように眉間にシワを寄せて、難しい表情をしていた。
 デデンデンデデン・・・。
 頭の中に○井さん(ギ○ちゃん)のテーマが流れた。
 ところで踊る大○査線のBGMを聞いていると、エ○ァンゲリオンを思い出すのはなんでだろう?
「ねぇ?」
 私が聞いてもますます、眉間にしわを寄せるだけで竜斗は答えない。
「さぁ、何だったっけ」
 なんか、滅茶苦茶白々しい・・・。
「竜斗の意地悪! んじゃあ、お父さんはわかる?」
「んわぁ、わからんのぉ」
 お父さんも白々しい態度をする。
「お父さんのスカタン!!」
 もう、二人して誤魔化して・・・!
 私はご飯を回収して復讐する。
 お父さんは回収される寸前でトーストを丸飲みして被害は無かったけど、食べるのが遅い竜斗はほとんどまるまる残っていた。
「おいっ、まだ何も食べてないよ!」
 情けない声を上げる竜斗。
「食べるのが遅いのが悪いのよ」
 と私。
「ああっ、僕の2コ玉焼き!!」
 私は勝ち誇った顔をする。
 でも、折角卵を奮発して作ったのに食べてもらえないのは勿体ない・・・。
「でももったいないから、お父さん食べちゃって良いよ」
 私は目玉焼きをお父さんに渡した。
「ラジャー・マイ・ムスメ」
 意味不明な英語(?)を発するとお父さんは目玉焼きを丸飲み。
「ダメすぎだよ・・・」
 そして、食器を洗う中、リビングで話すお父さんの声が聞こえた。
 とても小さく静かな声だけど、何故だか耳について離れなかった。
「人は誰かに存在を認められてないと生きてはいけない。
 他人の世界観の中でしか生きられない弱い生き物だ。
 おまえがあいつの存在をすこしでも疑った瞬間、ちっぽけなあいつの存在は世界から消えてしまう。
 でも、お前があいつの存在を認めることが出来れば、あいつはお前の世界の中で生き続けることが出来る。
 最後まで、あいつの存在を認めてやってくれよ。」
 私は竜斗の世界に生きている・・・。
 永遠に繰り返しながら・・・。
 私の奥底でもう一人の私が呟いた。

 丘の上に給水塔を抱く公園の遊歩道。
 森を突っ切るいつもの通学路を私たちは行く。
 涼しい秋風が吹き抜け、足下を紅葉した楓の葉が渦を巻いて流れていく。
 とても気持ちが良いようで、切ない気もする秋空。
 いつもはザワザワと騒がしいぐらいのこの通学路も、いつもより時間が早いから私たち以外誰もいない。 
 こんなに静かだと、なんだか違う場所みたい。
 私は下を俯いて考え込む竜斗の横顔を見ながら歩く。
 竜斗は何を考えているんだろう・・・?
 こんなにも近くにいるのに、考え込んで自分の世界に耽っている竜斗を見ると、何だか寂しくて不安になる。
 ・・・あれ?
 確か自分の弱い気持ちを克服して、もう不安になることはないはずだったのに、何でまた不安になっているんだろう?
 でも、こんな不安に気が付いたのが今が初めてのはずだし、いつ克服したのかも解らない・・・。
 この違和感なんだろう?
 私は不安を払うように無理矢理竜斗に聞く。
「ねぇ、竜斗、今日はなんの日でしょう?」
 でも、竜斗は相変わらず自分の世界に入り込んで、私の言葉なんか届かない。
「ねぇってば、竜斗。聞いてる?」
「んあ?」
 私が少し大きな声を出すと、竜斗は呆けた表情で返した。
「ねぇ、今日、何の日か答えてよ!」
 また、眉間にシワを寄せて無言で歩き始める竜斗。
「そうだな、僕の誕生日かな?」
 しばらく考えたあげく、アホな答えを出した。
「超意地悪ね!」
 さぁ、みたいな顔をする竜斗。
「じゃあ、私が何歳だかわかる?」
「精神年齢3歳。あ、見た目もそうか!」
 即答だった!
「バカっ!」
 私は思わず手にしたお弁当袋を思いっきり振りかざして、竜斗の頭に叩き付けた。
 ガキンっと鈍い音・・・。
「ぐおっ!!」
 竜斗は蛙のつぶれたような声を上げ、頭を抱え込んで動かなくなる。
 私は打ち所が悪かったんじゃないかと心配になる。
「お前はなぁ、もうちょっと加減をできんのか!」
 だけど、元気に動き出した竜斗を見てちょっと安心した。
「答えてくれないと、もう一発食らわすよ」
 私は自分でやっといて竜斗が無事だと解り、ちょっと嬉しくなって笑いながら言った。
「お前は鬼か!いや、鬼の方が200倍優しい!」
「もう一発食らいたいの!!」
 私は立ち止まって、振りかざす真似をした。
「人はそれを恐喝行為というんだぞ・・・!」
 別に恐喝のつもりじゃなかったんだけど。
「答えてくれたら、許してやっても良いよ・・・」
 私が言うと竜斗は無視するように足を進めた。
「誰が答えてなどやるもんかいっ・・・」
 竜斗は小さく呟く・・・。
「何か言ったぁ?」
 私は再び竜斗の前に立ちはだかり、弁当袋を天にかざした。
「うわっ! ごめん、きっと空耳だ!!!」
 私は竜斗の前に立ちはだかって笑顔を浮かべる。
「でも、今回の所はこの大自然に面して許してあげるわ」
 と言うと私はお弁当袋を一回転させて脇で止めた。
 本当言うと、竜斗があまりにも子供っぽくて、真剣になっているわたしが馬鹿らしく思えたから。
 でも、別に悪い気はしないの・・・。
 どっちかって言うと、馬鹿やってて楽しいかも。
 竜斗の顔をのぞき見ると、その顔に笑みが浮かんでいた。
「なにニコニコしてるの?」
「笑ってる? 僕がか?!」
「そんなことないよ!」
 否定する竜斗の顔はまた笑っていた。
「ほら、また笑ってる!!
 なんか嬉しいことでもあったの?
 それとも頭打ち過ぎて馬鹿になっちゃった?
 もうちょっと自分の身体大切にしないと駄目よ!」
「ってーか、そりゃおまえのせいだろっ!!」
 それはあり得る・・・。
 胸にトゲがズキズキと突き刺さる。
 私は言い訳するするように言う。
「竜斗が意地悪するからよっ!!」
 私も自然に笑みがこぼれていた。
 私が楽しいと感じている時に、竜斗も楽しく感じてくれていた。
 なんか、嬉しくて楽しいの。
 こんなのって良いね。
「でも、こうして秋の朝、静かな紅葉の中を歩くのって気持ち良いね」
 私は葉っぱが舞い落ちるのを見て言った。
「たまには少しぐらい朝早く起きるのもいいかもね」
 竜斗が私が思っていたことを言ってくれて嬉しかった。
 なんか、一緒にいるっ感じがするから。
「竜斗にしちゃ良いこと言うじゃない!
 少しは早く起こしてあげた私に感謝してね」
「そうするよ」
 そして、木漏れ日を顔に浴びながら竜斗は小さな声で呟く。
「ありがとう・・・」
 その聞こえるか聞こえないか解らないぐらいの声を私は聞き逃さなかった。
 楽しいこんな時が永遠に続けば良いのにね・・・。
 でも、それで良いのかな・・・?
 心の中でもう一人の私が呟いた。
 公園の森の向こうで給水塔がそびえていた。

 ぐうーっ・・・。
 学校のかび臭い玄関に竜斗のお腹の音が鳴り響いた。
 そういえば、私が朝ご飯取り上げたんだったっけ・・・。
 お腹空いてて当然だよね。
 ちょっと、悪いことしちゃったかな・・・。
 でも、あれは竜斗が意地悪するからよ!
 私は靴を上履きに履き替えながら思う。
 そうだ! 私が夕飯作れば少しは優しくしてくれるかも!
「今日の夕食なにがいい?」
 空腹に顔を歪めていた竜斗は、目を丸くしてた。
「夕鶴にしては珍しいことを言うなぁ」
「今日の夕食ねぇ、さっきの答え言ってくれたら、竜斗の好きなものなんでも作ってあげる」
 早い言ってくれれば楽になるのに・・・。
 あれ、またデジュビュ・・・。
 竜斗が答えを言ってくれて、もう夕飯を作ってあげたような気がしたのは何でだろう?
「おまえもしつこいなぁ・・・」
 と竜斗が言ったその瞬間、キィンと耳鳴りがして、ゾクゾクと背筋に寒気が走る。
 触れては行けないものに触れてしまったような感じ・・・。
「何か変な感じがする。
 怖い・・・」
 私が言った瞬間、誰かの気配が広がっていくのを感じた。
 気配が広がるに連れて私たち以外の人の姿が薄れて、背景にとけ込んでしまうように消えてしまった。
 なに?
 なんなの?
 私と竜斗以外、誰もいなくなったのに、誰かの気配を感じるのは何故?
 そして、その誰かが私を否定する。
 そこにいるのがあまりにも辛くて、自分から消えてしまいたくなる。
「なんか、心がザワザワするの・・・」
 私は怖さを紛らわすために竜斗の手を握る。
 その手は汗で濡れて冷たかった。
 音のない静寂の時・・・。
 ただ、私の息と心臓の音だけが響いている。
 竜斗は目をきょろきょろさせて辺りを警戒していた。
 そして、どれだけの時が経ったのか解らないけど、静寂の終わりは突如としてやって来た。
「誰か来る・・・」
 何もない空間にポツリと孤立するように殺意が浮かんでいる。 
 それは静寂の空間にカツン、カツンと靴音を響かせてやって来た。
 廊下の曲がり角の影からその意識の主が現れる。
 それは見覚えがある人だった・・・。
 猛虎と書かれた鉢巻に、スーツの上から羽織られた縦ジワのハッピ・・・。
 阪神 大河・・・。
 私のクラスの担任だった。
 なんで、なんで先生が・・・?
「わいのIF(想像領域)の中で動けるなんて、けったいな奴ちゃ。
 ははん、さてはお前、世間一般で変人とか、非常識人とか言われているたちやろ?
 たまぁーにおるんや、こういう阿呆が」
 先生は竜斗に向かって言う。
 竜斗は先生を睨み付けると、先生はより強い殺意を向けた。
「悪いが、邪魔せんといてや・・・。
 邪魔したら、命(タマ)ァないで!」
 低くうなるようなその声には殺気が込められていた。
 その殺意に気押されないように、竜斗が歯を食いしばる音が聞こえた。
 そして、先生はゆっくりと私たちに近づいてくる。
 近づくにつれて私の中の恐怖がどんどんと大きくなっていく。
「いやっ、怖い」
「何をするんだ?!」
 怯える私を見て、竜斗が吼える。
「なにって、決まってるやろ?」
 こつり、こつり・・・。
 静寂の空間に靴の音だけが響く。
「堀江は今日で16、結婚できる歳やな。
 だから・・・、わいが娶るんや」
 もう、何がなんだかわからないよ・・・!
 先生は本当は優しくて、こんな事をするひとじゃないのに・・・!
 何時も私や竜斗の事を気に掛けてくれていること、私知って居るんだから・・・!!
 こんなのって、違う!!
 違うのよ!
 また一歩、また一歩とこちらへと歩み寄る阪神。
「来ないで・・・!」
 私は先生の気配に怯え、小声で呟いた・・・。
 こんなふうに怯えている私も違う・・・!
 私はこんなに弱くなかったはずよ・・・!
 ただ、誰かが助けてくれるのを待つだけの女の子じゃないはずなのに、なんでこんなにも怯えているの・・・?
「おっと、まだ結婚は早いわな・・・。
 初めは恋人から始めへんとなっ、堀江 夕鶴はん!」
 気が付いたとき、すでに目の前にガーゼを手にした阪神の左手が迫っていた。
 一瞬、掲示ドラマで良く出てくる催眠薬を思い出す。
 眠らされてしまう!
 そう思ったとき、竜斗が私を抱えて引き寄せた。
 私を掴んだつもりでいる先生の手は宙を切った。
「邪魔するなゆうとるやろ、このクソガキが!ホンマに命ないで!!」
 ガーゼを床にたたきつけると、先生は虎のワンポイントが入ったメガホンを強く握りしめた。
 竜斗は先生の殺気に気押されて、凍り付いたように動かなくなった。
「虎はいつでも燃えとるんやで・・・」
 先生のメガホンを握りしめる拳に力が入る。
 先生がメガホンで宙を斬ったその瞬間、それは炎を吹いた。
 炎は竜斗の頬をかすめ、背後あたりで自然消滅する。
 竜斗が炎がかすった頬をさする。
 そこは火傷したように赤くなっていた。
 まるで魔法のような力・・・。
 でも、私はこんな力を知っている・・・!
 これが初めてじゃない・・・!
 何度も何度もこんな力を目の当たりにしてきたから・・・!
「どうや、わいの炎は熱いやろ。
 わいとて無駄な殺生したくないんや、なにもせんといたら勘弁してやる。
 でも、次邪魔したら、はずさへんで・・・!」
 圧倒的な先生の魔法の力・・・。
 でも、そんな力を前にして竜斗は立ち向かい、何度も何度も私を助けて来てくれたから。
 だから・・・。
 だから、そんな竜斗の姿を見てみんなが変わった。
 だから、私も強くなった・・・!
 次々と蘇っていく思い出・・・。
 それはこれから起きることにデジャビュとなって重なっていく・・・。
 そして、思い出される今朝見た夢・・・。
 そう、私は竜斗が望むまま、竜斗の思い浮かべた世界を映し出した・・・。
 それは私が望んだ世界、そのままだったから!
 でも、もう現実から逃げて繰り返しなんかしない・・・!
 楽しいこともあったけど、辛いこともたくさんあった思い出があるから、私は強くなれたし、みんなも変わることが出来たんだから・・・。
「夕鶴、走れるか?」
 私の耳元で呟やき、手を取る竜斗・・・。
 そう、今まではここで逃げて来たかも知れない・・・。
 でも・・・。
「ごめんね、もう私は逃げない・・・!」
「えっ?」
 握られた竜斗の手を払うと私は先生の顔を見た。
 突然の私の変わり身に唖然とする先生。
「なんや?! 何がしたいんや!?」
 そして、先生はメガホンに力を溜めると、メガホンの先にまるで太陽をミニチュア化したような、火の玉が集結していく。
「なんやかしらへんが、抵抗すんなら望み通り消してやるでぇ!!」
 そして、力を込めてメガホンを振り下ろすと、圧縮された火の球はブーメランのような形になり、回転しながらもの凄い勢いで竜斗に向かって迫ってくる。
「夕鶴!! 逃げないと、ヤバイよ!!」
 私の腕を掴む竜斗の肩に軽く手を乗せる。
「大丈夫よ」
「なんでだよ!! 逃げなきゃ痛い目に遭うんだぞ!!」
 私は慌てる竜斗に向かって笑いかけた。
「立ち向かってみなければ解らないこともあると思うの!」
 炎のブーメランが竜斗の目の前に迫る!!
「うわっ!!」
 木霊する竜斗の悲鳴。
 ぶつかるその瞬間、私を中心に光の柱が立ち上がり炎はかき消される。
 そして、光の中で私の服は白い衣へと変わり、その背中に大きな白い翼が広げられていた。
「ほら、大丈夫でしょ?」
 そういう言う私に腰を抜かして倒れ込む竜斗は言葉なく頷いていた。
「そんな、ありえへん!!
 何もしらへん小娘がイデアを使いこなすなんて!!」
 驚きの顔を隠せないでいる先生に私は苦笑する。
「何も知らない小娘だったらね・・・」
 私はそのまま自分の感覚を、何処までも何処までも広げていく。
 それは白い光になってこの世界を包み込む。
 光の中で、学校の校舎も、先生も、竜斗の姿も消えていく。
「一瞬だけど、楽しい夢を見させてくれて、ありがとう竜斗・・・」
 そして、私は終わりへと帰っていく・・・。

 次に気が付いたとき、私の”意識”は給水塔の屋上にいた。
 冷たい風が私の心を吹き抜ける。
 ズキン、ズキンと心臓を高鳴らせては胸が痛む。
「竜斗・・・?!」
 私は竜斗の名を呼びながら辺りを見渡す。
 360度のパノラマで広がる情景。
 森に囲まれた団地、東の方へ途切れなく何処までも続いていく街、西に南に四方を覆う山々・・・。
 グルグルと回る視界の何処にも竜斗の姿は見あたらない。
 姿は無くとも竜斗を感じさせる気配だけがこの世界に満ちていた。
 竜斗のIFが全てを包んだ今、全てが竜斗の世界になったけど、ここには竜斗の心は居なかった。
 そして、私もまた、私が私と呼べるものの一部でしかなかった。
 外に向かって行こうとする気持ちが離れてカタチを得ただけのもの。
 私を構成するものの多くは、今も竜斗の世界を映し出しながら、夢の中で同じ時を繰り返している。
 竜斗の心と一緒に・・・!
「結局、私だけが外に向かう心を取り戻しても、先に進む事なんて出来ないのかな・・・?」
 私の外に向かう心が消えかけて、このカタチすらも維持できなくなって、再び竜斗の世界に飲み込まれて消えていく。
 やがて、視界が真っ白になって何も見えなくなった。
「まだ、諦めるのは早いぜ!」
 その時、声が響く。
 とても懐かしく力強いお父さんの声・・・。
「でも、私は消えかけて・・・?」
「あんさんは消えてなんかあらへんでー!」
 続いて聞こえる関西弁の先生の声。
「おそれずに目を開けて見るんだ!」
 芝居かがった宝塚さんの声。
 私は恐る恐る目を開くと、給水塔の屋上でお父さん、先生、宝塚さん、そして聖羅さんが私を取り囲んでいた。
「あなたがカタチを失っても、私たちがあなたを消しはしないから」
 そう言うと聖羅さんが私に微笑んだ。
「なんで先生達まで助けてくれるの・・・?」
「戦うのに理由があるとしても、困っている誰かを助けるには理由などない!」
「そうや! 敵も味方も関係あらへん!
 壁にブチ当たってる奴に手を貸すってのが人の道って奴やないか!!
 それに、もう戦う理由などあらへん!!
 わいらもっと大切なことを教わったんやから!!
 あんさんと、そして、竜斗はんに!!」
「だから、今度は私たちがお前達の力になる番だ!!」
 宝塚さんが言うとお父さんが私の肩に手を乗せる。
「そう言うことだ!!
 竜斗と共に未来を見ようとしているのは、お前一人じゃない!!
 俺達がいる!!」
「ありがとう・・・!!
 ありがとう、みんな・・・!!」
 みんなの暖かい気持ちに自然と涙が込み上げてきた・・・。
「さぁ、泣いている暇は無いわ!!
 竜斗が自分の世界に取り込まれたまま消えてしまう前に、私たちが竜斗の居る未来を想像して、竜斗の外に向かう心を具現化するのよ!」
 聖羅さんが言う。
 やっぱり、そうよ・・・!!
 そうなの!!
 未来に向かうことを諦めていれば何も変わらない!!
 竜斗・・・!!
  一緒に未来をみようよ、竜斗!!
 私たちを中心に、給水塔の頂に光が生まれ、まるで闇夜を照らす灯台のように給水塔が輝いた。
 だけど、あまりに強すぎる光は、あまりに強い影を生む。
 輝く光がこの世界全てを影で覆い尽くすと、光が収縮して人のカタチになる。
 長く延びた黒い髪、黒い衣に、歪んだ黒い剣、そして空へと広げられた黒い翼。
 無機質。
 無感情。
 それは闇を抱き、他人の存在を拒む竜斗の姿だった。
 竜斗が上空で停止し、私たちをなめるように見ると、その黒い剣を闇に包まれた天へとかざす。
 その瞬間、鳴り響く地響き。
 給水塔の屋上の地面のコンクリートをうち破り、無数のイバラのツタが蠢くと、瞬く間に私の身体に巻き付いては十字架を形作って束縛する。
 そして、竜斗は剣を一閃すると、翼を羽ばたかせ上空から急降下して4人に襲いかかる。
  四人は間一髪の所で竜斗の攻撃を避けて、再び上空で停止している竜斗と対峙する。
「なんやねん、結局力ずくで連れ出すしかあらへんのか?!」
 なんで!!
 なんで未来に行くことを拒むの・・・?
 私たちと一緒に未来へ行きたくないの・・・?!
 私は四人を助けようと体を動かそうとするけど、体中に巻き付くイバラのツタに束縛されているため、身動きを撮ることが出来ない。
 口をふさがれているから声すらも出すことが出来ない。
 今の私の思いの力なら、こんなツタぐらいすぐ断ち切れる!
 私は力をイメージしてツタを断ち切ろうとするが、その瞬間、嫌な予感がして力のイメージが消失する。
 このツタはただのツタなんかじゃない・・・。
 そんな気がしたから・・・。
「夕鶴はそこから動くな!
 その十字架こそはお前と竜斗を繋ぐ絆だ!
 絆を断ちきれば二度と竜斗に会うことは出来ない。
 客観的な世界が竜斗の世界での世界の記憶を奪い、お前は竜斗の事を忘れてしまうからだ!」
 直感したことをお父さんが叫ぶ。
 絆・・・。
 それは、束縛なの?
 竜斗を助けないと行けないときに、力になれないことが悔しい・・・!
 私が思ったこと、伝えたいことが沢山あるのに!!
「夕鶴はんはそこでワイらの戦いを見ていれば良いんや!
 竜斗はんに大切なことを伝えられるのは、夕鶴はんだけじゃあらへんで!
 言ったやろ、大切なことを教えてもろたって!!
 今、それを竜斗はんに返すだけやで!!」
 先生が不器用に微笑む。
 その微笑みに優しさを感じずには居られなかった・・・。
 わたしは動けないけど、がんばって!!
 そう心の中でみんなを力づける。
「ではいくぞっ!!」
 宝塚さんが細身のサーベルをかまえて竜斗に向かって突きつけると、サーベルの刀身が光の槍のように延びて竜斗に迫るが、光の壁のようなものに遮られてその攻撃は届かない。
 何度も何度も突きつけるが、結果は同じだった。
 無限の可能性を感じさせる竜斗の思いの力は強い・・・。
 だけど、力があればあるだけ、未来が有ればあるだけ、得た物が大きければ大きいだけ、方向を誤ったときの反発は大きい。
 この竜斗の力の強さは竜斗の抱いている重みそのものだった。
 宝塚さんが息を切らして腰を落とした瞬間、竜斗が右手をかざし、生じた衝撃派によってその男物の衣装が破れて、肌が露出する。
 白く艶やかな肌、豊かな胸、それは女性の身体そのもの。
 宝塚さんだって女の人だから、その服の下に女の人の身体があるのは当たり前だけど、男の人のような振る舞いをしているから意外な感じがした。
 剣を突き立てて、地面に膝を立てるその姿は力無く、とても弱々しい。
 そんな宝塚さんにとどめを刺そうと黒い剣を手に迫りつつある竜斗。
 そんな心ない竜斗の姿に胸が痛む・・・。
 やめて欲しい・・・!
 だけど、そんな竜斗の進路を聖羅さん、お父さん、先生が武器を構えてふさぐ。
「手出ししないで欲しい・・・!」
 消えてしまいそうな小さな声で宝塚さんが言う。
「みんな解っているはずだ・・・!
 これは風間 竜斗の心を取り戻す戦いでもあるが、それぞれの過去との戦いでもある・・・!
 最後まで私に戦わせて欲しい・・・!」
 その目に涙が輝く。
 そして、黙って三人は退く。
 みんながそれぞれ決着を付けたいって、そんな気持ちで竜斗との戦いに望んでいるっていうのは解る・・・。
 私もそうだから・・・。
 でも、だからといって宝塚さん一人で戦わせるのは胸が痛む。
 だって、宝塚さんの姿はとても弱々しく、まるで消えてしまいそうな灯火を宿す、切れかけのろうそくのようだったから・・・。
「・・・こんな私の姿を見て、強がっていても所詮は女だと思うだろ?
 そう、私は女なのさ・・・」
 徐々に向かってくる竜斗に向かって宝塚さんが苦笑する。
 消えかけているろうそくのような姿なのに、私は宝塚さんの背中に今までにない強さを感じた。
「先代の帝王であるお前の父親に女として受け止められなかった私は、せめて戦士として受け入れられようと、女であることを捨てた。
 そして、先代の帝王が消えた後も、他に何もない私はそのまま戦士として戦い続けた。
 戦い続けていれば帝王に認められることはなくても、私を必要とする帝国にとっては価値のある人間でいられたからだ。
 だが、お前と戦いの中で、私は自分に戦うことしか価値がないと決めつけて、本当の自分を否定されることから逃げているだけだと言うことに気づかされたんだ・・・!!
 そう、私は女なんだ・・・!
 女を捨てることなんか出来ない・・・!
 私は戦士である前に女でいたいんだ・・・!!」
 竜斗はゆっくりと黒い剣を宝塚の首へと振りかぶる。
 怖くて目をつぶりたくなるような一瞬!
 脳裏に連想される残酷なシーン!
 でも、私は目を逸らさずに見届けるの!!
 竜斗を!
 そして、竜斗と出会って変わった宝塚さんを信じるから!!
「私はもう女としての自分の価値から逃げないわ・・・。
 私に大切なことを教えてくれたあなたなら、きっと過去の輪から抜け出せるわ・・・。
 過去だけがあなたの価値じゃないのだから・・・」
 宝塚さんの口から出た女としての本当の言葉・・・。
 宝塚さんは気を失って倒れ、横に一閃された竜斗の剣は、宝塚さんの首を刈り損ねて空を切る。
 私は竜斗に生まれた一瞬のとまどいを見逃さなかった。
 残酷な現実から逃げないで、竜斗と宝塚さんを信じて目を見開いていて良かった!
 竜斗は道を捨ててはいないから!!
「今度はワイの番やな!
 おっと、手出し無用やで!!」
「解っているわよ!」
 先生がヒョロヒョロと前に出て突っ込みを入れるような奇妙なポーズを取ると、聖羅さんが声を荒立てては頷いた。
「おおきになっ!」
 そういうと先生は黒い影のような竜斗と対峙し、目をつぶり精神を統一する。
「・・・ァス、カケ・、オ・ダ・・・・・」
 先生の口から漏れる、まるで呪文のような呟き・・・。
「行くでぇ!! あまりに危険なため封印された最終奥義!!」

 阪神タイガースの歌~六甲おろし~
 作詞/佐藤惣之助 作曲/古関裕而

 一
 六甲おろしに颯爽と
 蒼天翔ける日輪の
 青春の覇気麗しく
 輝く我が名ぞ阪神タイガース
 オウ、オウ、オウオウ
 阪神タイガース
 フレ、フレフレフレ

 二
 闘志溌剌起つや今
 熱血既に敵を衝く
 獣王の意気高らかに
 無敵の我等ぞ阪神タイガース
 オウ、オウ、オウオウ
 阪神タイガース
 フレ、フレフレフレ

 三
 鉄腕強打幾千たび
 鍛えてここに甲子園
 勝利に燃ゆる栄冠は
 輝く我等ぞ阪神タイガース
 オウ、オウ、オウオウ
 阪神タイガース
 フレ、フレフレフレ
 
 えっ?
 なんで、ここで六甲おろしが流れるわけ?!
「一九八五年!! 十月十六日!! 阪神タイガース優勝ゃぁーーーーーーっ!!
 吉田監督おめでとーーーーーーーーーーっ!!!!!
 うぉーーーーーーーーーーーーっ!!!!!」
 そして、一人で万歳三唱する先生の手から紙テープ?
 それに何故かトイレットペーパーが飛び出しては宙を舞う。
 だけど、突然の突風にあおられた無数の紙テープと、トイレットペーパーはそのまま先生の方へと舞い戻る。
「あわわわっ!! もどってこんといてぇーーーーーっ!!」
 そして、トイレットペーパーが大爆発を起こし、それにつられるように無数の紙テープが誘爆して、先生を巻き込む!!
  そして、硝煙の中からアフロを通り越してパンチパーマになった先生が出てきた・・・。
 顔は既にラ○ツ&スターの一二〇%を越す黒さ・・・。
「結局何がしたいのよ!!」
 聖羅さんが突っ込んだ衝撃で、先生は地に伏せた。
「ふっ、さすがワイがライバルだと見込んだ男やっ・・・!!
 わいの最終奥義を返すとはなかなかやるやないか・・・!」
 っていうか、竜斗は何にもしていなかったように思えるけど・・・。
 黒い影に見える竜斗の頭に汗が垂れたような気がした・・・。
「確かにワイは弱い存在やけど、決して人生を、勝負を諦めたりせぇへんで・・・!!
 負けたと思ってしまったら、そこで全ては終わりなんや・・・!!
 例え今はどん底でも諦めなければいつかきっと勝つことが出来る日が来る・・・!!
 ワイはライバルである、あんさんから学んだんや・・・!!
 阪神やって何時も巨人に負けるだけちゃうんや・・・、例え20年に1度ぐらいでも優勝できるんや・・・。
 だから、あんさんも諦めなければきっと・・・」
 そして、地面に倒れ込む先生。
 無言で立ちつくす竜斗の差し出した手のひらの上に、唯一不発に終わった紙テープが舞い降りて、静かに青い炎を宿す。
 手のひらの上でゆらゆらと揺らめく青い炎は竜斗の手のひらを焼き、その横顔を照らしていた。
 まるで物思いに耽っているかのような大人びた顔立ち・・・。
 あまりに複雑で、あまりにも深くて、何を思っているか察する事は出来ない。
 とても遠い竜斗の横顔・・・。
 だけど、少しずつ距離が縮まっている!
 そして、炎はゆっくりと消えて、竜斗の手のひらに僅かながら火傷を遺した。
 幾度と無く竜斗との戦いを繰り返してきた先生だけど、攻撃が当たったのは初めの戦いの時以来だった。
 小さな傷かもしれない。
 でも、先生にとっては大きな一歩。
 そう、諦めなければきっと何時かは勝つことも出来るのかもしれない・・・。
 ホント言うともう竜斗と戦うのは止めて欲しいけど・・・。
 聖羅さんがそんな竜斗を見据えながら、束縛された私に言う。
「もし人に運命というものがあるとしたら、帝王の子として生まれながらに深い闇を持ち、その道の先に戦いと破滅しかない修羅の道が竜斗の運命・・・。
 現に私たちのお父さんは帝王の名を捨てて、普通の家庭を築こうとしていたけど、私が大きくなり、竜斗が生まれ、幸せが大きくなるに連れて、その重みに押し潰されて、最後には自分の世界にお母さんを取り込んで、この世界から消えてしまった。
 修羅の道に生きてきた父さんにとって幸せは眩しすぎたのかも知れない。
 些細なことも気にとめる繊細な心が力を生むと同時に、渦巻く感情の中に押し潰されてしまうのが帝王の運命。
 そんなお父さんの姿を側で見ていて、竜斗には哀しい帝王の運命なんて背負わせたくないから、閉じこめてでも力に目覚めることを防ごうとしたけど、結局は拒まれてしまった・・・」
  そして、聖羅さんは私に微笑みかけた。
「だけど、今はそれで良かったと思っている。
 夕鶴ちゃんの言葉を聞いて自分が運命から逃げている事に気が付いた今、真っ直ぐに突き進み続けた竜斗の周りで何かが変わりつつあることが解ったから」
 聖羅さんの言葉を聞いて、敵であった先生と、宝塚さんが竜斗の為に立ち上がってくれた時の思いが再びわき上がった。
 確かに変わっていく事の実感に私は奮い立って涙が零れた。
 最後に戦うのはその手に赤く輝く剣を携えたお父さんだった。
「運命に立ち向う事で未来を切り開けるのなら、俺との戦いは避けては通れん!!
 俺の存在こそがお前の運命だからだ!!」
 塔をバックに立ちつくす竜斗に対峙するお父さんのIFが広がっていく。
 様々な強い思いが渦巻く混沌としたお父さんの強い力。
 背中に広げられた蝙蝠のような羽根、後頭から延びる山羊のような角、異常に膨れあがった筋肉・・・。
 あまりにも強く渦巻く思いにねじ曲げられたその姿はまさに悪魔。
 思いの中に押し潰されてしまいそうなほどの力だけど、ただ一点竜斗へと向けられていることがお父さんの自我を支えていた。
 そして、最後の戦いの時が訪れた。
 瞬時に消える二人の姿。
 次の瞬間、闇に包まれた給水塔の上空に閃光が迸る。
 斬撃に次ぐ斬撃。
 限界を超えて加速する太刀筋を互いに打ち合い、火花を散らしては相殺する。
 互いに人知を越えた力を持っているから出来る戦いであった。
 そのまま、お互いの精神力が尽きるまで、そんな撃ち合いが続くのかのように思えた。
 だから、突然空中で姿勢を崩した竜斗の姿を見たときは唖然とした。
 竜斗の斬撃が迫ったとき、お父さんはそれを相殺せず瞬時に身体を翻して攻撃を避けたんだ。
 当然、斬劇により攻撃を相殺されると思っていた竜斗は、思いっきり攻撃していたので剣が空を切り姿勢を崩したんだ。
 そこをすかさずお父さんの回し蹴りが炸裂する。
 その強靱な肉体に激しい思いの力が乗せられた一撃の威力は半端ではなく、竜斗の身体はすっ飛ばされて、見る見る内に内に豆のように小さく見えていく。
 次の瞬間、お父さんは時を渉るように加速して、すっ飛ばされた竜斗に追いつき、手にした剣を思いっきり斬り付ける。
 全身をIFで防御した竜斗には、切り裂かれる事は無いけど、その襲撃で思いっきり地面に叩き付けられた。
 ズドォーーーーンと言う大きな音と共に、給水塔から見える公園の端の森にまるでミサイルが落ちて爆発したような煙が上がった。
 訪れるしばしの沈黙・・・。
 空中で髪を靡かせて停止するお父さんの背中・・・。
 その戦いの巧みさと、あまりに広い背中が私の知らない歴戦の戦士であるお父さんの側面を物語っていて、何だか寂しく思えた。
 そして、また突如として激しい戦闘は再開された。
 竜斗が叩き付けられた地点から立ち上がる黒い光の柱。
 その黒い光の柱から、黒い光を全身に纏い光の球と化した竜斗が表れてお父さんへと迫る。
 お父さんは手にした赤い剣を横に構え竜斗の攻撃に備えるものの、その凄まじい力はお父さんを再び給水塔の前へと押しやる。
 徐々に竜斗の黒い光の中に飲み込まれていくお父さん。
 やがて、お父さんの全身を飲み込んだとき、まるでグロテスクな生き物のように黒い光の球が蠢いた。
「所詮ここにいるお前など、弱い自分を覆い隠す為の虚栄にしか過ぎない!!
 虚栄などに負けられるかぁーーーーっ!!!」
 そして、光の球は弾けて黒い閃光となり、そこに全身を闇に染めたお父さんが佇んでいた。
 そこに竜斗の姿は無い・・・。
 心配する私にお父さんが言う。
「これで竜斗の心を隔てるモノは消えた。
 後はお前が竜斗の世界に行って、直接竜斗を連れ戻すだけだ!
 竜斗はお前の心に自分の世界を写し続けている!!
 お前達を繋ぐ絆であるそのイバラのツタを伝えば、竜斗の世界にたどり着けるはずだ!!
 命を張ってまで思いを伝えたヤツらがいたから、竜斗に心の透き間が生まれてここまでたどり着くことが出来たんだ!
 その思い、無駄にはするなよ!!」
 私は言葉無く頷く・・・。
「行けっ!!」
 目を瞑ると心の奥に竜斗が居る。
 気が付けば当たり前のように隣に竜斗が居た。
 長い時を一緒に過ごした。
 喜び・・・。
 怒り・・・。
 哀しみ・・・。
 楽しみ・・・。
 あふれ出る優しさ・・・。
 とろけるような快感・・・。
 沢山の気持ちを分け合った。
 それは私と竜斗を繋ぐ絆・・・。
 イバラの道をたどるとそれは真っ直ぐ竜斗の世界へと延びている。
 私の意識は竜斗の世界の混濁へと飲み込まれていく。
 それは、ずっとそのままで居たくなるような、とても居心地の良い感覚。
 でも、もう私は自分を自分を失うことは無いよ!!
 だって、私は一人じゃないから!!
 みんなが支えてくれているから!!
「まさかこの俺がアイツの虚栄ごときにオープンされるとはな・・・。
 俺の罪を背負い、アイツがそれを乗り越えられなら、その先も夢じゃないよな・・・」
 そして、混濁の中でお父さんの声を聞いた気がした。

「僕を迎えに来たんだね・・・」
「うん」
 そう言う竜斗に私は頷いた。
 そこは竜斗の世界。
 都会から隔離された小さな団地の一角。
 薄暗い蛍光灯が映し出す狭い空間。
 生活が染みついた竜斗の部屋。
 二人並んで腰掛けた重みでへこんだベットには、互いの小指に繋がったイバラのツタが這っていた。
 時を刻み続けるジャビットの時計は針を止め、夜を鳴く虫の音も、どこからか漏れてくる生活の音も聞こえない静寂の空間に、私たちの息と心臓の音だけが聞こえるようだった。
「何時までもここにいちゃいけないよ。
 ね、帰ろうよ・・・!」
「帰りたくない・・・」
 力無い声で竜斗が呟く。
 長く延びた髪の影で竜斗の顔は見えず、その横顔から表情を察する事が出来ない。
 時が止まった世界の長いようで短い沈黙。
 この世界では時は流れはしない。
 ただ、人の思いや、言葉、出来事が順番に紡がれていくだけ。
「なら、今すぐ帰らなくても良いよ」
 先に沈黙を破ったのは私の方だった。
「えっ?」
「本当はどうしたいか、その答えは竜斗の中に眠っている。
 ただ、それがなかなか表に出ないだけよ。
 急いだって答えは変わりはしないと思う。
 だったら、竜斗が自分から答えを出すまで私は待っているよ」
 と私は微笑んだ。
「・・・」
「そうだ、お散歩に行こうよ!
 誰にも邪魔されない時の止まった夜のお散歩に!」

 時の止まった明けることのない夜のお散歩。
 澄み切った空に目が回るぐらい沢山の星が瞬いていた。
 都会から隔離されたこの団地じゃ、街のうるさい光の中で消えてしまうような星の光さえ輝いている。
 そんな星空の元、私たちは給水塔を囲う森の公園の夜道を行く。
 ヒンヤリとしていて少し肌寒かったけど、二人繋がれた手はとても温かかった。
 2人の間にイバラのツタがぶら下がって、コンクリートの道に、もやもやとした街灯が照らすシルエットを映していた。
「夕鶴が僕のところに来るまでに何があったか、みんな夢に見ていたよ・・・。
 僕はみんなと戦っていた・・・。
 そして、知ったんだ、みんなの思いを。
 おじさんの思いも知った。
 おじさんはずっと死んでしまったおばさんに会いたがっていたんだ。
 おじさんは、おばさんが死ぬまで自分が愛されていた事に気づかず後悔していたから。
 だから、おじさんは帝王の力を持つ僕に夕鶴を近づけさせ、夕鶴がおばさんを恋しがるようにし向けて、夕鶴と結婚すればIFを無限に広げる力が手に入るという噂を広げ、その力を巡る戦いの中で僕の力を覚醒させて、僕に夕鶴の願いを叶えさせようとしたんだ。
 過去を振り返りたいおじさんの気持ちは痛いほど解るよ・・・。
 でも、夕鶴がおばさんに恋しがるのを止めたように、おじさんも過去なんかどうでもよくなってしまったんだ。
 僕や夕鶴が見せる未来の前では、過去なんて色あせて見えてしまったから。
 だから、おじさんは僕に自分の罪を乗り越えて欲しかったんだ」
 竜斗は自分に苦笑する。
「ホント言うと、過去なんてどうでも良いんだ。
 ただ、今があれば良い。
 でも、未来を見るのが怖いんだ・・・」
 私は竜斗に微笑みかけた。
「私ね、お父さんが私たちを利用しているって、途中から、何となく気づいていたの」
「えっ?」
 目を瞑ると初めてお父さんに不信感を感じたときのことが鮮明に浮かぶ。
 私は思い出すように言う。
「あの、高速道路の戦いの後、お父さんが私の運命を教えてくれる時に何となく違和感を感じたの。
 もう、お母さんのことを忘れていたのに、私には母親の存在が必要だって言ってたし。
 そんなお父さんに不信感を感じながらも、そんな自分の人生が嫌になって、家を飛び出して竜斗の部屋に行ったけど、意識して初めてお母さんの居ない寂しさが自分の中にあることに気づいたの。
 でも、竜斗と一緒にご飯を作って、竜斗がずっと一緒にいてくれるって言ってくれたら、私のそんな力も竜斗の為に使うんなら悪くないって思ったし、お母さんが居ない寂しさも、私自身がお母さんになれば無くなるかも知れないって思ったの。
 ・・・でも、結局私には他人の心を映し出す力なんてなかったけど」
 私は竜斗に向かって微笑む。
「結局、私が映し出したのは竜斗の心だけだね。
 でも、それから私は強くなれたよ。
 自分の人生も悪くないって思って、全てを受け入れたから強くなれたの」
 私は公園の丘の上、給水塔の横にあるベンチに腰掛ける。
 竜斗は私の隣に腰掛ける。
 歩かないと、秋の夜の空気はとても寒く感じた。
 両手を擦り合わせ、思わず身震いをしてしまう。
 竜斗はそんな私の様子を見て自分のジャンバーを私に掛けてくれた。
 そのジャンバーは聖羅さんが竜斗にあげた革のジャンバーだった。
「それじゃ、竜斗も寒いでしょ」
 そう言うと私は竜斗と肩を寄せ合って互いの肩にジャンバーを掛けた。
「ほら、こうすれば二人とも暖かいよ」
「そうだね」
 そう言うと竜斗は微笑む。
 その笑顔は今までで一番近い気がした。
  とっても暖かい・・・。
 竜斗の暖かい気持ちと、寄せ合った肩に感じる体温がとても暖かい・・・。
 私は優しい気持ちで満たされる。
「竜斗も自分の恐れる未来を受け止めれば良いと思うよ。
 恐れて逃げているだけじゃ、きっとその未来は本当になってしまって、何も変わらないで繰り返すだけ。
 それが運命だとすればちゃんと受け止めて、今をしっかり踏み締めながら歩き続ければ、例え足踏みをしているようでも、何時かは変える事が出来るかもしれない。
 それに、もし変えられなかったり、思いもしない方向に進んでしまったとしても、今まで踏み締めてきた道を糧にして、また歩き始めれば良いんだから」
「・・・」
 竜斗はベンチから東の空を眺める。
 その空は少しずつだけど明るくなり始めていた。
「もし、この道の先でまた君を傷つけてしまうかと思うと怖い・・・。
 もし、この道の先で君に嫌われるかもしれないと思うと怖い・・・。
 君は笑って許してくれるのかも知れない・・・。
 でも、僕は君を傷つけてしまった自分が許せない・・・。
 自分に自信がないんだ。
 だから、僕を許してくれる君を信じることが出来ない。
 僕が生きている以上、そんな心の闇は消えないと思う」
 地平線の向こうから大きな光が登ってくる。
 ちゅんちゅんと朝を知らせる小鳥の鳴き声が聞こえる。
「目を背けて、押し込めようとすれば、きっと何時かは心の闇に飲み込まれて、同じ事を繰り返してしまうと思う・・・。
 心にある希望のような光も、相反する闇も、どちらも僕の心なんだ。
 がむしゃらに突き進んでも、否定ばかりして後ずさっていてもダメで、その両方があって初めてより遠くへ行けるんだと思う。
 だから、僕はもう心の闇から目を背ないよ!」
  その時、完全に太陽が地平線から顔を出して私たちの横顔を照らしていた。
 決して明ける事の無い夜の夜明け・・・。
 私は立ち上がって朝日に向かって叫ぶ。
「明けない夜なんて無いよね!
 どんな長い夜も何時かきっと明けるんだから・・・!」
「ねぇ、夕鶴・・・!」
 私は呼ばれて竜斗の方を向く。
 すぐ間近にある竜斗の顔・・・。
 何時もと変わらない竜斗の顔だけど、何故だかとても大人びて見えて、格好良く思えた。
 その魅力に私は心を奪われる。
「今度はちゃんと言うよ・・・」
「うん・・・」
 ドキドキと胸の鼓動が高まっていく。
 竜斗が口を開くまでのその瞬間がやけに長く感じ、もどかしさで胸がいっぱいになる。
「好きだ!」
 たっと一言の言葉・・・。
 私はずっとその言葉を待っていたの!!
「私も大好きよ・・・、竜斗!」
 重ね合う唇と唇。
 とても長く深いキス・・・。
 朝日に照らされた二人のシルエットは重なって見える。
 竜斗に強く、強く抱きしめられ、私は心も体も溶けていきそうだった。
 竜斗と一緒にいる時に幸せを感じずにはいられない。

「帰ろうよ!!
 みんなが待っている世界に!!」
「うん!」
 竜斗が返事をしたその瞬間、世界に音を立てながら亀裂が入った。
 そして、公園の丘の上から見える地平線の向こうから、徐々に世界が崩れて無へと消えていく。
「竜斗のIFが内側に向けられているから、客観的な世界に竜斗の世界が否定されて崩壊し始めたのよ!!
 急いでここから出ないと、”私達も”世界から消えちゃうよ!!
 竜斗!!
 IFを外に向けるのよ!!」
 だけど、私の言葉と裏腹に、竜斗は崩壊していく空の前で呆然として立ちつくしていた。
 その様子に私は危機感を感じずにはいられない。
 握った手の中にじとっと汗が噴き出た。
「どうしたの?!」
「ダメなんだ!
 IFが無限に内側に広がり続けて、止める事が出来ないんだ!!」
  竜斗の言葉を聞いて、私は直感してその答えに唖然とする・・・。
 何故なら、竜斗のIFを無限に広げ、竜斗の世界を写し続けているのは私の心だったから・・・。
 私は苦笑する。
 私の中に竜斗と何時までも一緒に時を過ごしたいと思っている自分が居る。
 そんな楽しい時を失ってしまうことを恐れている自分が居る。
 誰よりも楽しい夢を見続ける事を望んでいたのは私だった。
「もし、このまま竜斗の世界の崩壊に巻き込まれたらどうなるのかな?
 ・・・きっと、私たちの心も消えてしまって何も残らないのかも知れない。
 でも、もしかしたら、変わらない楽しい夢を繰り返しずっと見続けられるかも知れない」
「こんな時に何言ってるんだよ!!
 変わらない夢を見続けても何も変わらない!!
 先に進むことを恐れずに、足踏みしてるようでもしっかりと歩き続けないといけないって言ったのは夕鶴だろ!!
 こんなところで立ち止まっちゃダメなんだ!!」
 私の肩を掴む手・・・。
 私のことを強く見つめるその瞳・・・。
 とても力強い・・・。
 この戦いの中でこんなにも・・・。
 こんなにも強くなったんだね・・・!
「そうだよね、そうなんだよね!!
  ありがとう、竜斗!!」
 私は崩れ行く世界の中、竜斗を強く抱きしめる。
「もう、大丈夫・・・。
 同じ過ちは繰り返したりなんかしないから、今は、今だけはこうしていさせて・・・。
 これから歩く道のために、今を噛み締めさせて!」
「夕鶴・・・」
 竜斗は私を強く抱きしめてくれる。
 とても刹那的な幸福感。
「竜斗と過ごした思い出の中、短い間だったけど、この戦いの間が一番楽しかったと思う。
 楽しいだけじゃなく、辛いことも多くて、全てが思い通りにならなかったとしても、その時に出来る事を精一杯やって、一生懸命に立ち向かい続けたから、とても充実していたんだと思う。
 私たちの人生の中で大きな場所を占める日々だったから、ずっとそんな日々を繰り返していたいって思ってしまう。
 でも、楽しいことばかりを夢に見て、振り返って同じ過ちを繰り返していたんじゃ何も変わらない・・・!
 色々な事を乗り越えてきたから強くなれたし、こんなにも力になってくれる人たちがいる・・・!
 そんな日々があったから、今の私たちがいる・・・!」
 私の頬を涙がつたう。
 抱き合っている竜斗はそれに気付くことはない。
  かすかに震える肩だけが私の気持ちを竜斗に伝える。
 私は意を決して竜斗と私を繋ぐイバラのツタを断ち切ろうとする。
 それは私と竜斗を繋ぐ絆。
 それを察した竜斗が私を止める。
「絆を断ちきれば客観的な世界が、僕の世界での記憶を奪い、夕鶴は僕のことを忘れてしまうんだぞ!!
 もう二度と会えないかもしれないんだ!!
 それで良いのかよ!?」
「会えるよ、きっと・・・!
 私たちは利用されるために出会ったのかも知れない。
 でも、互いを思う気持ちは嘘じゃないから!!
 その気持ちが本当ならきっと会えるよ・・・!
 本当の絆は互いを縛り付けるものじゃない!!
 互いのことを思う気持ちだと思うから!!」
 竜斗は私の身体を強く抱きしめる。
「足踏みして足掻いているようでも、未来へと歩き続けてさえいれば、何時かきっと私たちが送った日々にありがとうと言える日がきっとくるはずだから・・・!
 だから・・・。
 だから今は、さようなら、竜斗の世界・・・!!
 未来の為に・・・!
 また会う日の為に!!」
 そして、断ち切られるイバラのツタ。
 崩壊していく世界の中で、私たちは光に包まれていく。
 消えていく意識の中で、私を抱きしめる力強い竜斗の腕の感触がずっと残っていた。


第五章

 真っ赤に輝く大きな満月と、チカチカと五月蠅いネオン管が灯し出す、真夜中の繁華街の裏路地。
 車高を下げられ槍のようなマフラーが飛び出た身分に不釣り合いな黒塗りの高級車や、張り出したエアロパーツを装着した黒塗りのミニバンが、何台も連なって路上に駐車されている。
 カーステレオから空気を揺るがすような低音の強調された大音量のブラックミュージックが木霊する。
 絶えもなく聞こえる若者達のトゲトゲしい笑い声。
 一面を漂うタバコの煙。
 路上に転がるタバコの捨て殻と、殻になったペットボトルと、コンビニの弁当。
 寂れたビルの壁面に所狭しと書かれた落書きが、そこに息づく若者達のグループのテリトリーを顕示する。
 若者達が集うこの街は決して眠ることなく、”求める者”を相応の金と引き替えに招き入れる。
 売買される人と薬。
 この街のこの路地では、若者達が売人であり、買う側でもあった。
 秩序を失ったこの闇の路地に一人の場違いな少女が足を踏み入れる。
 細身で背の高い金髪の少女。
 その髪と彫りの深い顔立ちは、欧州人の血を引いていることを感じさせる。
 少女の足音に馬鹿騒ぎをしていた若者達は静まりかえり一斉に少女の方に目を向ける。
「おっ、処女が来たぜ!!」
「んなわけなーだろ!!
 ありゃ俺の彼女だから、毎日ヤリまくりに決まってるだろ
 ヤリマンだよ、ヤ・リ・マ・ン!!!」
「言ってろ、バーカ!!!
 ほら、オナニーだってしたことないってさ!!」
「ギャハハハハハハハハ!!!」
 下品なヤジが飛び辺り中で心ない笑いが飛び交う。
「何がしたい?
 売りか?」
 若者の一人の問いかけにも、少女は微動だにしない。
「じゃあ、ヤクか!!
 一回ヤラしてくれれば、十回分はくれてやるぜ!!」
「いいなぁーーーー!!!
 俺の穴を掘らしてあげるから、百回分ちょうだぁーーーーい!!!」
「死んでろよ!!!」
 また、笑いが飛び交う。
 その卑下すべき態度に少女は不敵な笑みにその唇を僅かに歪める。
「お前達に用は無い・・・」
 そう言うと、少女の体の身体から見えない何かが広がり、その裏路地を取り囲んで行く。
 少女から広がったその空間の中で、たむろしていた若者達は次々と形を失って消えていく。
 後に残ったのは空間の主である少女と、もう一つ黒く渦巻く人の形をした闇だけだった。
「用があるのはお前だけだ!!」
 少女が腰に差したサヤから細身のサーベルを取り出すと、身体を横にしてサーベルを突き出して構える。
「きしゃぁーーーーーっ!!」
 音にならない掠れた咆吼を上げながら、その闇は少女に牙をむく。
 闇が少女に向けて突進し、腕の辺りからツメのようなものが延び、少女を貫こうとするが、まるで闘牛士のようにギリギリまで闇を引きつけて身を翻して交わし、すれ違いざまにすかさずサーベルを突き刺す。
「!!」
 聞き取ることの出来ない周波数の叫び声が上がる。
 闇色の体液が飛び散り、路面を濡らす。
「トドメ!」
 少女は一言呟くと、何度も何度も手にしたサーベルで、人の形をした闇を突き刺す。
 やがて、その身体には無数の穴が開き、向こう側にあるネオンの看板がギラギラと光っているのが見えた。
 闇は最後、断末魔の悲鳴を上げると、身体を闇色の液体へと変えて崩れ去った。
 少女は息を吐き、汗をぬぐい去る。
 だが、戦いはまだ終わりではなかった。
 少女の背中に忍び寄るもう一体の闇の姿。
 少女がその気配に気付いた時にはすでに真後ろでツメを延ばしていた。
「くっ!!」
 やられる!!!
 少女がそう思ったとき、少女の作り出した空間の上から更に強い空間が覆い被さるように広がっていく。
 そして、次の瞬間には闇は激しい光の中に消滅していた。
 ブラックミュージックが鳴り響きネオンが輝く裏路地に、金色の髪を持つ少女と、もう一人、革のライダースジャケットに身を纏った若い男が立っていた。
 その男こそが闇を滅した者だった。
「竜斗!!」
 少女がその男の名を呼ぶと、男は笑みを浮かべて返した。

 

 竜斗の世界~After Of Ryuto’s Verden

 

 車の通りがまばらな夜の首都高速を一台の車が駆け抜ける。
 澄み切った空のような青いボディ、室内中に張り巡らされたロールバー、トランクから延びたGTウィング。
 甲高いロータリーサウンドを奏でるオーブンカー。
 その名はロードスター。
「ねぇ、竜斗・・・!」
 俺は名前を呼ばれて、助手席を横目でチラリと見る。
 金髪の細身の少女が俺をじっと見ていた。
 その顔は流れては消えていく、トンネルのオレンジ色の灯りに照らされて、赤みを帯びているように見えた。
 少女の名はマイ。
 身寄りがないのを帝国が引き取って、学校に通わせながら、勉強のためにとタマに”仕事”を手伝わせている。
 まぁ、妹みたいなものだ。
 ・・・もっとも、向こうは兄のようにとは思ってくれてはいないようだが。
「なに?」
 高速道路の路面のつなぎ目の僅かなギャップを拾い、ステアリングが明後日の方向に向こうとするのを押さえながら、俺はワザと素っ気ない返事をする。
「ずっと私の戦い見ていたんなら、なんでもっと早く助けてくれなかったの?」
 彼女の言うとおり、俺は彼女がピンチになるまで隠れて待っていた。
 その理由を考えて、俺は苦笑する。
「俺の好きだったヒーローが、ピンチの時しか助けてくれない奴だったからかな」
 そう、俺のヒーローはピンチになるまで助けてはくれなかった。
「何でなの?」
「きっと、ピンチの時に出てくるのが一番カッコイイからさ」
「駄目なヒーローだね」
 ダメと言われると痛いところだが・・・。
 でも、今なら何故ヒーローがピンチになるまで出てこなかったか解るような気がする。
 きっと、ガンバれるところまでガンバって、出来るところまでやって欲しかったんだな。
「まぁ、マイもいずれそんなヒーローの気持ち、解るようになるさ」
「きっと、何時までも解らないと思うよ。
 力を持っていながら、力を出し惜しみするのは嫌いだから」
 それを言ったら元も子もない・・・。
 なんか、何を言ってもキツイんだよなぁ、コイツは・・・。
「竜斗もそんなに凄い力を持って居るんだから、ドンドン使えばいいのに・・・!」
「誰だって若い内は力に満ちあふれ、調子に乗るものだけど、結局見せかけだけで長いこと続く訳じゃない。
 本当の力っていうのはちっぽけな自分を痛感し、挫折を乗り越えて初めて手に入れられるものなんだ。
 見せかけじゃ無いから、そう簡単に使うわけにはいかないのさ」
「それは解る気がする・・・」
 顔を見ずともマイが苦笑に近い表情を浮かべるのが解った。
 頭の中に自分の身近な人間の姿を浮かべたんだろう。
「それに、これでも以前と比べれば力だって無くなってきているんだ」
「えっ、本当にこれでも力が落ちているの!?」
 マイは驚きの声を上げる。
「ああ、本当だよ」
「さすが、帝王って言われるだけあるね」
 俺達を乗せたロードスターは左右に振られながら、代官町の出口で降りて街の中へと姿を消していった。

 俺達・・・帝国のアジトは皇居に近い三番町のビルだ。
 ビルと言っても元々はマンションとして立てられた建物で、住居としての需要がないために、そのほとんどが事務所として使われていたが、このところ続く不況のために、ここを借りていた会社が軒並み破産。
 スカスカ状態になったビルを丸ごと俺達が買い取ってアジトとして使っている。
 改装されて壁をぶち破られて事務所になっているカ所がほとんどだが、中には元々の住居としての機能を残している部屋も数々あり、住むにしても申し分ないので、身を潜めるアジトとしては打って付けってわけだ。
 建物が相当古いため、少々部屋は汚いけど・・・。
 この界隈には同じようなビルが沢山あり、俺達以外の組織のアジトも沢山存在する。
 場所が場所だけに人気が高い・・・。
 ロードスターをビルの駐車場に止め、ボロボロのエレベーターで3階の事務所に戻ると、アフロヘアーの男が出迎えた。
 虎のハッピを着て猛虎と書かれた鉢巻を巻いた見るからに阪神タイガースファン。
 その名も阪神大河という解りやすいネーミングの男だ。
「竜斗はん、今日こそは思い出の彼女とは再開できたんか?」
 彼女と言う言葉を聞いて、俺の隣にいるマイがムッとした顔をするのが解った。
「いや」
「毎日、探し続けていないんやから、竜斗さんの思いでの彼女も、ただの夢だったんちゃうかぁー?
 うつろな夢より、今ある現実を大切にせなあかんでぇ!!!」
 珍しく最もらしい事を言う阪神。
「わいと一緒に祝いましょ!!!
 阪神タイガース優勝おめでとぉーーーーーーっ!!!」
 少し見直したが、結局、タイガースのことだったりする。
 本当に阪神タイガースが優勝してから浮かれっぱなしだ。
 暇を見つけては事務所のTVで阪神タイガース優勝試合のビデオを繰り返し見て興奮している。
 念願叶って優勝して嬉しいのは解るが、ここまで来るとアホだ。
「竜斗、今日の仕事はどうだった?」
 机について事務処理をする女性が言う。
 スラッとしたスーツに身を包んだ彼女は風間 聖羅。
 僕の実の姉だ。
 昼の仕事である政治家秘書の事務が終わらず、帝国のアジトに来ても働き続けている。
「今日は・・・」
「今日は敵にやられて死にそうになったってさ!!」
 俺の言葉を遮るように姉さんの隣に座った男が言う。
 ダボダボなジーパンにタンクトップと言うラフな格好をした、金髪のロンゲの長身の男・・・。
「なんでそう突っ掛かるのよユウ!!」
 姉さんがその男の名を呼ぶ。
 ユウは俺と同い年の帝国の構成員だ。
 マイの実の兄で一緒に帝国に引き取られた。
「コイツのすました顔が気に入らないんだよ!!」
 と俺の肩にぶつかりドアをけ飛ばすと事務所から出ていった。
「なんで、俺を見てくれないんだ・・・」
 と別れ際に呟くのが聞こえたような気がした。
「まったく、アイツったら・・・。
 虚勢なんて張らなくても良いのに・・・
 私が男としてみているのは一人だけなのにね」
 ユウは姉さんの事が好きなんだが、姉さんが俺のことばかり気に掛けているのが気に入らないらしい。
 妹のマイが俺に好意を抱いてることもあるかも知れない。
 とにかく俺にコンプレックスを感じているらしく、何かと突っ掛かってくる。
 強くなれば姉さんが振り向いてくれると思っている。
 とても強い一途な思いが力を生むが、それ故に脆さを兼ね備えている奴だ。
「きっと、いつか姉さんの気持ちも分かる日が来るさ」
「そうよね・・・」
「じゃあ、もう寝るよ・・・」
「お休み・・・」
 俺は事務所を後にして、ビルの上の方にある自室へ向かった。

 あれから四年の月日が過ぎた。
 あれだけ心に深く刻まれた毎日だったのに、それを覚えているのは俺だけ。
 でも、確かにあの日々は存在していて、その証拠を残していると言うのに、みんなの記憶からあの親子は抜け落ち、新しい記憶の元で新しい毎日が始まった。
 その新しい記憶では俺は初めから帝王だったらしく、何の選択の余地も許されぬまま帝国で働き続ける毎日が待っていた。
 帝国は俺が思っていた程、非道な組織ではなかった。
 もともとはその力で人々を支配したり、他国へと侵略をしたりしていた事もあったらしいが、今は時代も変わり自警団に近い組織になっていた。
 主な仕事は、悪しき事にIFを使う者を取り締まる事。
 そして、影を狩ることだ。
 影とは人間の心に巣くい、破壊の衝動へと誘うモノ。
 そう、先ほどマイと俺が狩ったような奴だ。
 それは俺らのようにIFを使う人間にしか見ることが出来ない。
 誰もその正体について知る者はいないが、時代により呼び名を変えながら昔から存在していたものだと言う。
 俺はアレは魔力の一種のようなもので、人々を破壊に導きたい誰かの意志によって生み出されているモノだと思っている。
 あるいは不特定多数の人間の衝動や、世界自身の意志によって生み出されているのかも知れない。
 年々増え続け、今じゃ目を凝らせば何処にでも居るぐらい増えて、とてもじゃないが狩っても狩りきれない。
 だから、特に強いものを狩ることしか出来ないが、それでもただの一時も退屈することは無かったな。
 俺はがむしゃらになって戦い続けたよ。
 また自分の心に負けて、また大切な人を傷つけて、二度と同じ事を繰り返したくなかったから、自分自身を受け入れられるようになるため必死だった。
 色々なモノを受け入れ、何時からか気持ちが落ち着いて心の中のザラついた気持ちは消えたが、それと同時に失ってはいけない感性のようなものも消えてしまった気がする。
 生きているって実感がないんだ。
 あれだけ溢れていた力も徐々に枯れ果て、残ったは風間 竜斗の燃えカスだけ。
 俺はもう終わってしまった人間だと思うと悲しくなるが、その悲しさをも仕方ないものだと認めてしまっている自分がなお悲しい。
 夢枕に見るはいなくなってしまった彼女との思い出ばかり。
 抱きしめようとすれば消えてしまう幻の君・・・。
 辛い・・・。
 辛いな・・・。
 一体何をやって居るんだろう俺は・・・。
 過去を振り返らないと心に誓ったはずなのに・・・!
 ガチャ・・・。
 ドアの開く音で、夢の中に消えてしまいそうなにった意識が呼び覚まされた。
 まだおぼつかない意識で暗い空間を凝視すると、コンクリートがむき出しの部屋に金色の髪を持つ全裸の少女・・・マイが立っていた。
 俺はマイの目だけを直視する。
「なんのつもりだ・・・?」
「・・・・」
 俺の問いかけにマイは答えない。
 マイの気持ちを察していただけに、ため息が出そうになる。
「俺は君にとって何なのか、もう一度よく考えた方が良い。
 君が俺に向けている気持ちは憧れでしかない。
 俺は考えのない行動に対して答えを出すことは出来ない」
 俺はあえて冷たく言い放った。
 中途半端な優しさは返って傷つけてしまうことになるから。
 だが、マイは帰らなかった。
「竜斗が私を抱いてくれないのは解っていた・・・。
 竜斗の心には他の女の人が住んでいるから・・・。
 でも、せめて女としての私を見て欲しかった・・・。
 私は女・・・。
 竜斗から見れば子供かも知れないけど、私は女なの・・・!」
 そう言いマイは俺の身体に抱きつく。
 揺れる髪からバラの香りが漂う。
 その細身の冷たい肌の感触が俺の心を揺さぶるが、脳裏に残る思い出が理性を保つ。
「竜斗の中には私の居場所はないのね・・・」
「居場所がないわけじゃないさ。
 俺の世界の中にもマイは確実に住んでいる。
 ただ、その世界の中で俺がマイに求めるものは、マイが望んでいる立場じゃないってだけだ。
 だが、マイの世界の中では俺という登場人物は重要な存在なのかも知れない。
 人はそれぞれ違う世界観を持ち、その中でモノを見て、違うモノを求めているってだけのことだ」
「そんなの解らない・・・」
 まるで泣いているかのような、今にも消えてしまいそうなか細い声だった。
「きっと何時か解るときが来るさ。
 否が応でも何かを学ばないといけない時って誰にだって来るものだと思う。
 俺がそうだったから」
 俺はとっさに昔言われた言葉を思い出す。
(今はまだ俺の言葉が解らないかもしれないが、いずれ思い返してその言葉を自分のものにすれば良い)
 そうか、そうだったんだ・・・!
 あのとき、言われて解らなかった言葉も今なら解る。
 それはこの四年間、がむしゃらになって戦い続け、足踏みしているようでも、先に進んでいたから、今の俺があるんだ!
 ゆっくりだから自分自身の変化に気付くことはなかったが、確実に変わっていたんだ・・・。
「竜斗の言葉は私には重すぎるよ・・・。
 今の私には何一つ解らない・・・。
 だけど、何時か竜斗に追いつけるようになるために一つだけ約束して・・・。
 竜斗が過去にどれだけのものを置いてきたのかは解らないけど、過去を思い出しては悲しそうな顔をしている竜斗を見ると辛いから、もっと今を見て欲しい・・・!
 竜斗は何も終わってなんかいないから・・・!
 今は私を見てくれなくても良いから・・・」
「ああ、約束するよ・・・!」
 俺はマイの頭に軽く手を乗せた。
「さぁ、もう自分の部屋に帰るんだ」
 俺はマイを引き離すとその身体にシーツを掛けてやった。
「うん・・・」
 彼女は呟くと部屋から出ていった。
 俺はパイプベットに身を預け、配管がむき出しになった天井を眺める。
 この四年間は無駄じゃなかったんだ。
 俺は終わってなんかいないんだ。
 のしかかった重りが取れて、とても心が軽い。
 もう、切ない夢を繰り替えし見ては、過去を振り返らない。
 やっとあの日々にありがとうを言えるから・・・。

 夜明けと共に俺はロードスターを西へと走らせた。
 うっすらと視界を白く濁らせる朝靄に、ロードスターの黄色いヘッドランプの光軸がぼんやりと映っていた。
 向かう先に待つは森に抱かれた丘の上にそびえ立つコンクリートの給水塔だった。
 丘を巻く坂の道を駆け上がると、風景は懐かしい雰囲気に満ちていた。
 俺はレギュレーター(手動窓開閉器の事)で窓をあけると、森林の冷たく澄んだ匂いが漂う。
 少し肌寒い空気に俺は羽織ったライダースジャケットのチャックを上まで閉めた。
 車で団地の周りを流すと次々と思い出がよみがえってくる。
 クマンバチの巣があった小学校の藤棚・・・。
 毛虫の落っこちてくる桜並木・・・。
 冬になるとソリで遊んだ丘のある空き地・・・。
 連れられて釣りをした公園の池・・・。
 自転車で駆け回った遊歩道・・・。
 変わっていない懐かしい景色が何故だかとても小さく感じた。
 ボール遊びをした団地の芝生は駐車場になり、ガチャガチャやビデオゲームが置いてあった本屋のある商店街は軒先店を閉じている。
 俺が住んでいたときよりも更に変わってしまったところもあった。
 そして、彼女と一緒に暮らした、あの古びてヒビだらけの団地・・・。
 二つ並んだ部屋の窓に付けられた見知らぬカーテン。
 違う誰かの生活を感じると何だか切ない。
 久しぶりに来た故郷のはずなのに、その現在を目の当たりにすれば、もう、帰るところが無いことに悲しくなった。
 俺は給水塔の横に車を止めると、彼女との最後の時を過ごしたベンチに腰掛けて、丘の上から眼下に広がる街を眺めた。
 街の上に掛かった霧はまるで白い海のようだった。
 ひときわ高い高層ビルだけが霧の海を突き破り顔を覗かせる。
 そして、霧の雲の中から輝く朝日が昇ると世界を照らし、緑の大地に給水塔の巨大なを落とす。
 ここに来るのはこれで最後だ・・・。
 もう、帰らないと心に決めた。
 だけど、その前に一度だけでも彼女に会いたかった。
 会って一言、お礼を言いたかったけど、それは叶わぬ夢だったのかもしれない。
 俺は苦笑するとロードスターのキーをひねり、懐かしい故郷を後にした。

 ロードスターの幌を開けば、流れる涼しい風に心躍らされ、久々にドライブでもしたい気分になり、気の赴くまま車を走らせた。
 向かった先は神奈川県のほぼ中央にある大きな人工湖の脇を抜ける、比較的東京から近い山道だった。
  森林に囲まれた狭く曲がりくねった細長い山道。
 フロントガラスに写り込む木漏れ日。
 喉を透き通る新鮮な空気が気持ちが良い。
 たまに来る対抗車とのすれ違いもロードスターの小柄なボディでは苦にならず、特に先行車もなくマイペースで、ふらふらとするボディを揺らしながら、心地よい横Gを感じることができた。
 あまりにも続くコーナーに身体の感覚が麻痺してきた頃、刹那的に左側に地平線の彼方まで続く街の景色が流れた。
 生い茂る木々に覆い隠され、あっという間に見えなくなり、コーナーでノーズを右に向けて遠ざかるが、また次のコーナーで視界が一気に広がる。
 凄い綺麗だ!
 簡単の声を上げる間もなく、車はノーズの向きを変えてあっという間に過ぎ去っていく。
 あまりの味気なさにもう少しスピードを落として欲しいと思うが、運転しているのは自分だった。
 身体に刻まれたスピードはそう簡単には変わらなかった。
 それからしばらく行くと、右側に休憩所があり、そこに車を止めて前方に見える展望台へと足を進めた。
 螺旋階段を抱く木製の塔の形をした展望台に登らなくても十分に景色は綺麗だったが、展望台の上から見る景色はなおのこと綺麗で思わず絶句してしまう。
 幾つものビルを抱く神奈川の街と、色濃く残す自然の緑、入り組んだ海岸線、何処までも続く水平線、そして、細い綿上の雲を抱く青い空・・・。
 もっと遠いところばかり目をやっていたので、こんな近くにこんなに景色が良いところがあったなんて知らなかった。
 俺がその景色を見て感嘆していると、曲がりくねった山道を抱く森の中に、ボロボロとしたエキゾーストノイズ(排気音)が響いた。
 空冷水平対向ターボの音だ!!
 聞き覚えのある懐かしい音に俺の心臓は鷲掴みになり、口から飛び出るんじゃないかと言うぐらい跳ね上がる。
 そして、休憩所に姿を見せる赤いボディのポルシェ911ターボ!!
 開け放たれたサンルーフから車内は見えない!!
 誰が乗って居るんだ!?
 俺が展望台の手すりに身体を投げ出したその時・・・。
「このガキゃぁ!!
 俺のおニューのランエボに傷つけやがって!!!」
「うわぁーーーーーーん!!」
 子供の泣き声が響く。
 駐車場に止まっていた黄色のランサーエボリューションⅧに、隣に駐車したフィットの後部座席から降りようとした子供がドアエッジで傷を付けてしまったらしく、ランエボのドライバーの若い男が子供の胸ぐらを掴み今にも殴りかかろうとしていた。
「止めてください!!」
「うるせぇ!!」
 子供の母親らしき女が男を止めようとするが、足蹴にされてしまい地面に伏せた。
 殺してやる!!
 殺してやる!!
 殺してやる!!
 あの男の極端な殺気には心当たりがある。
 そう、影に取り付かれた人間独特な感情だった。
 俺の仕事か・・・!
 そう思った時、休憩所の駐車場に若い女の声が響いた。
「やめなよ!!」
 とても懐かしいその声に俺の心臓は早鐘のように鼓動する。
 肩まで伸びた長い髪を首の後で縛った、タートルネックのセーターにジーパンを履いた女・・・。
 少し大人びているし、背中しか見えないけど、この感覚、この正義感の強さ間違いない!!
「その子を離して!!」
「なんだてめぇは!!」
 男はジッと彼女を睨み付ける。
「離しなさい!!」
 だが、負けじと彼女は押し返す。
「離してやるよ、だからてめぇが責任取れよ!!」
 男は子供を離すと、彼女の手首を掴む。
 ドサッと言う音と共に子供は地面にしりもちを付くと、抱きながら母親に縋った。
「なにすんのよ!!」
「てめぇ、責任取るんだろ!!」
 男は尋常では無い力で彼女を引っ張ると、自分の車の後部座席に彼女を押し込もうとする。
「一緒に来いやぁ!!」
 それを最後まで見届ける事無く、俺は展望台から空を飛んでいた。
 そして、ロードスターのコックピットへとそのまま着座し、ランエボとほぼ同時にキーをひねる。
 静かな森の中に二つの乾いたイグニッションサウンドが響く。
 ロケットがカタパルトから発射されるように駆け出すランエボ。
 クラッチをけ飛ばすように離し、思いっきりアクセルを踏み込むと、白煙を上げながらロードスターがランエボ目がけて滑り出る。
 後に残るタイヤの焼ける匂いと、半円を描いたブラックマーク。
 休憩所から街の方へと向かうダウンヒルを駆けるランエボを前方に捕らえる。
 ランエボのドライバーが追ってくるこちらの存在に気付いたらしく、その黄色い車体は急加速する。
 追走するロードスターも、シフトダウンしアクセルをフルフラットにする。
 ぶぉーーーーーーーーっ!!!
 吹き上がるロータリーサウンド!!
 その軽い車体はクンと瞬時に反応しては急降下を始める。
 だが、280馬力を発生する4WD車の強力なトラクションにより、みるみる距離を離されていく。
 そのまま初めのコーナーへと突入する。
 ランエボは軽くブレーキランプを点灯させると、不自然なまでに向きを変えて高スピードのままコーナーへと進入していく。
 普通だったら思い切ったブレーキングにより徹底的な加重移動を必要とする深いコーナーだが、ランエボはそれを必要としなかった。
 そして、ロードスターが遅れてコーナーに差し掛かる頃、ランエボは本領を発揮せんがばかりに、伝家の宝刀4WDターボの強力なトラクションにより、一気に立ち上がってロードスターを更に引き離す。
 ロードスターは強力なブレーキングにより、加重の乗ったステアリングを切り込むと、キキキキキキキキというスキール音と共に車体が流れ出し、ボディをアクセルでコントロールしながらコーナーを流していく。
 滑っているようだが、腰にグッグッグッと伝わる感触で、かなり強いグリップが掛かっていることが解る。
 ロードスターがコーナーをこなした頃、ランエボは短いストレートを半分駆け抜けたところだった。
 ランエボのあの過剰なまでの旋回性能はAYC(アクティブ・ヨー・コントロール)とADC(アクティブ・デフ・コントロール)と言われる電子制御デフの働きによるところが大きいらしい。
 だが、活路がないわけではない・・・!
 続く浅い複合コーナーをほぼ全開のまま駆けていくランエボ。
 やや遅れてロードスターは複合コーナーへと差し掛かる。
 アクセルを抜いてステアリングを切り込み、またアクセルを踏み込む。
 ボディを揺らすその連続はまるでスラロームのようだ。
 そして、先にスラロームを制したランエボが再び深いコーナーへと差し掛かる。
 やはり、申し訳程度に軽くブレーキを踏み、ステアリングを切り込むが、スピードが乗りすぎているためか、横滑りしながらラインが膨らみ壁に接触しそうになり、慌ててブレーキを踏みスピードを大幅に落としてしまう。
  そう、ランエボのドライバーの弱点は、機械に頼り切って加重移動をおろそかにするばかりに、機械の限界を超えると脆いことだった。
 ランエボすぐ真後ろにロードスターが接近する。
 流れるボディの中で俺の視点はただ一点、ランエボのテールだけを捕らえていた。
 激しいスピードの中で一瞬、時が止まる。
 薄いスモークの掛かったランエボのリヤウィンドウから顔を覗かせる幼さの残った女の顔、色素の薄い髪、大きな目、柔らかい頬のライン・・・。
 脳裏に公園のベンチで最後に見た彼女の顔がフラッシュバックする!
「夕鶴ぅーーーーーーーっ!!!」
 俺がその名を叫ぶと、時は激しく加速した!
 身体を熱く燃え滾らせる鼓動はスピードを演出すBGM!
 ロードスターにピッタリくっつかれた事にプレッシャーを感じたランエボは、その内燃機関に秘めた怒濤のパワー全てを炸裂させる。
 白煙を上げて4つのタイヤが悲鳴を上げ、まるで残像を残すように加速する黄色いボディ。
 そして、ABSを効かせたフルブレーキング状態から、一気にステアリングを切り込む!!
 その時、俺はそのモンスターマシンが辿る末路を脳裏に見た。
 次の瞬間、俺の予想通りランエボはブラックマークを描きながら半円を描き、フロントバンパーを軽くガードレールに接触させて止まった。
 俺はざらざらとした路面の感触が抜ける寸前まで思いっきりブレーキペダルを踏んでは離す。
 そして、ランエボが塞いだコーナーの直前で車を止めたて道路へと降り立った。
 助手席のドアを蹴り開け、怒りに顔を歪めた男が出て来て、後部座席のドアを開け中にいる夕鶴の手首を引っ張っぱる。
「離してよ下手くそ!!」
 夕鶴が吼える声が森に響く。
 そして、後部座席から夕鶴が引きずり出され、完全にその姿を見せる!!
 間違いない、彼女は夕鶴だった!!!
「夕鶴!!!」
 俺がその名を呼ぶと、夕鶴は呆然としたような表情を浮かべる。
「夢にいつも出てくる人だ・・・!」
 夕鶴はそう呟いた。
「夕鶴を離せ!!」
  俺が男に向かって吼えると、男は夕鶴の手を捻って抱き寄せると、その首に隠し持ったナイフを突きつけた。
 殺してやる!!
 殺してやる!!
 殺してやる!!
「殺してやるぅっっっ!!!」
「狂ってる・・・!」
 夕鶴が呟く。
 殺意の赴くまま天に咆吼する男の後には完全に影が見えて、まるで黒い太陽のようにドス黒く蠢いていた。
 瞬時に展開されていく俺のIF!!
 広がっていく感覚の中に夕鶴と、そして影の存在を感じる。
 その主観的な空間の中に男の姿は消え失せ、代わりに大きな獣の形状をした影が、夕鶴を抱え込み鋭いツメを喉へと突き立てていた。
「なんなの、この怪獣は!?
 でも、この感覚は初めてじゃない・・・」
「何も心配しなくて良いよ。
 ただ俺を見ていればいいから!」
 夕鶴に向かって優しく微笑むと、俺は空虚から白銀に輝く剣を取り出して手に取る。
 そして、次の瞬間、闇の獣の両腕が宙を舞う。
 俺はすかさず夕鶴を抱きかかえると、アスファルトに闇色の雨が降り注いだ。
「!!!!!!!!!」
 両腕を無くした痛みに音にならない咆吼をあげる闇の獣。
「大丈夫か?」
 俺が夕鶴を下ろして声を掛けたその時、夕鶴が叫んだ!
「後危ない!!!!」
 俺は慌てて振り向いて、手にした剣で身構える!!
 キィン!!
 鳴り響く乾いた金属音!!
 ガクランに身を包んだ小柄な少年が、黒く歪んだ剣を俺に向かって振り下ろしていた。
 俺は剣で押し返すと、少年はその口元に不敵な笑みを浮かべた。
 俺の背筋に悪寒が走る。
 何故ならその少年の姿はかつての俺の姿、そのままだったから!
 少年が黒い剣で横に一閃すると、構えていた俺の剣が折れて、剣圧で頬が切り裂かれて血がにじみ出た。
 IFの中では精神が力になる。
 折れた剣は動揺した俺の気持ちそのものだった。
「くそっ!!」
 俺は蹴りを相手に食らわして間合いを取ると、光球を手のひらに浮かべて、相手の動きに備えた。
「ガンバって!!
 負けちゃダメよ!!!
 何の形をしていたって、それはただの”影”なんだから!!」
 夕鶴に言われてハッとなる。
 そう、かつての自分の姿をしていたとしても、あれはただの影!!
 何を恐れていたんだ!!
 IFの中に夕鶴を感じると、IFが無限大に広がっていく。
 この山を包み込み、街を包み、遙か水平線へと広がる・・・。
 このわき上がっていく感覚・・・。
 この全てひとつになる感覚・・・。
 そう、久しぶりに感じる俺の世界!!
 この森の中の背景が崩れ、故郷の給水塔の立つ緑の丘になる。
「ここは願いの塔?!」
 夕鶴が驚きの声を上げる。
「俺はもう過去を夢見はしない!!
 二度と同じ事を繰り返しはしない!!」
 背中から天へと延びる、光と闇の二つの翼。
 両手に持った白銀の美しい剣と、闇色の禍々しい剣。
 そして、一閃!!
 まるで対極図のような斬撃の中へと影は消え、給水塔を抱く丘が崩れて行く。
 森の中の林道へと背景は戻り、アスファルトの上にはランエボのドライバーの男が倒れていた。
「上まで送っていくから、車に乗って」
 俺が言うと、夕鶴は青いロードスターを見て、少し動揺して助手席へと座る。
 ステアリングを思いっきり切り込んで、アクセルをあおりながらクラッチをミートすると車はその場で一八〇度スピンして方向を変えた。
「この車、知ってる・・・。
 前に乗ったことがあると思う」
 夕鶴が呟いた。
 そう、あのかつて夕鶴を連れ去ったロードスターが、今度は彼女を助けるのに使われた。
 巡り合わせってのは不思議なものだ。
「あなたも知っている。
 何時も夢に出てくるから・・・。
 とても懐かしいあなたは誰なの・・・?」
 俺はコーナーの先を見据えながら言う。
「俺は君の夢が落とした影。
 君の明るい光の中では消えてしまう存在」
「なんか寂しい言い方・・・」
 俺は彼女に向かって微笑んだ。
「でも、君が見た夢があったから今の俺が存在しているんだ。
 だから、君にとって影でも良いんだよ。
 それに光の中で消えてしまっても、闇の中では光にだってなれるから」
 もっと一緒にいたい・・・!
 わき上がる気持ちを抑えて、俺は真っ直ぐ前だけを見据えて休憩所の駐車場へと急いだ。
「助けてくれてありがとう!!」
 彼女はロードスターから降りて俺にお礼を言う。
「お礼を言うのはこっちの方さ・・・!
”君と出会えて本当に良かった、ありがとう!!”」
 ずっと言うことの出来なかったその言葉・・・。
 今、ようやく言うことが出来た・・・。
 もう、思い残すことはない・・・!
 俺はギヤをローに入れて発進の準備をする。
「また会えるかな!?」
 夕鶴の問いかけに俺は微笑んだ。
 俺は振り返りたい気持ちを振り切って、アクセルをあおると、森の中へと駆けて行った。
 バックミラーの中で、子供と母親にお礼を言われて、恥ずかしそうにしている夕鶴の姿が小さくなっていった。
 その時、車のセンターコンソールに入れた携帯電話の着信メロディが鳴る。
 流浪の民という曲だ。
 ディスプレイを見ると「阪神 大河」と書いてあった。
「行き先も告げずに居なくなりはって、どないしたねん!!
 はぁ、さては思い出の彼女と会っていたんやろ!!
 どや、図星やろ!!」
「そうかもね」
 俺は苦笑しながらさらりと言った。
「ありゃ、あんさんが冗談言うなんて、久々やなぁ!!
 何か奇跡が起きたりして!!
 あっ、阪神タイガース優勝してるやないかぁ!!!!」
「自分で阪神タイガース優勝が奇跡だって認めてるし!!」
「しまったぁぁぁぁぁぁ!!!!
 奇跡やないっ!!
 奇跡やないっ!!
 全ては必然やぁーーーーっ!!!」
 電話していてイチイチ五月蠅い奴だなぁ・・・。
 俺は耳元でガンガン響く電話をちょっと遠ざける。
「ところで何のようだ?!」
「そやっ!! また仕事やでぇ!!!
 少年鑑別所に影が大量発生や!!
 先にみんな行ってるから、早く応援に来てくれへんかぁ!?」
「解った急いでいくっ!!」
 俺は曲がりくねった道を車で駆け抜ける!!
 これから始まる新しい自分の道・・・。
 それはこの道の用に曲がりくねってその先に何があるか解らない。
 もう一度、会うかも知れないし、もう二度と会えないかも知れない。
 でも、きっと大丈夫。
 君と過ごしたその道の先に、この道はあるのだから・・・!
 俺は俺で有り続ける為に走り続ける!!


かりそめの快楽

 ここは「かりそめの快楽」。
 あなたの世界観に委ねられた世界。
 とても、気持ちがいい世界。
 あなたと一つになる喜び。
 溢れる優しさ。
 心も、身体も融けていく。
 とても懐かしい何処かへ還っていく。
 誰もが忘れている、誰もが知っている何処かに。
 このまま消えてしまいそう。
 でも、わたしの心は四散することなく、そこでわたし自身であり続けるの。
 あなたの世界がわたしを忘れることがない限り。
 目に見えることが全てじゃない。
 あなたが望みさえすれば、どんなわたしもあり得るの。
 でも、あなたにはそれが出来ない。
 あなたの世界には時がないから。
 世界は時と共に回り続け変化し続けるの。
 あなたは世界の中心に立ってその目で世界を見るの。
 何時か終わる時だけど、あなたがあなた自身であるために。
 さぁ、心と身体を解き放って。
 かりそめの快楽のその奥にあなたの止まった世界の核心があるのだから。
 わたしはあなたの世界を回すきっかけになるの・・・。

「始めての相手が竜斗で良かった・・・。
 どういう事って、そう言う事・・・」
 好きよ、竜斗・・・。
 大好きなの。
 でも、竜斗はわたしの事、どう思ってるの?
 何を見ているの?わたしを見ているようで、何処か遠くを見ている。
 お願い、わたしだけを見ていて。
 わたしはあなたの飾りじゃないのよ。
 あなたを慰めるために生きてるんじゃないんだから。
 あなたの心にわたしの居場所が欲しいの。
 わたしはあなたの中で生き続けたいんだから・・・。
 お願いだから、心を開いて・・・。

 私は夢をみているの。
 何の夢・・・?
 よく解らない。
 捕らえ所のない闇の世界。
 それは竜斗の世界。
 私は竜斗の世界にいるの。

 何処までも、何処までも続く、時の回廊。
 ただ真っ直ぐと道が延びている。
 私はその道の真ん中で周りを見渡すの。
 終わりも、初めも見ることが出来ないほど、果てしなく続く道。
 ちっぽけな私が歩ける距離はたかが知れている。
 途中から歩き出して、きっと途中で死んでしまうの。
 そうすると、また違う私がその途中から歩き始めるの。
 それが自然の摂理なんだって。
 でも、竜斗、あなたはその流れに逆らおうとしているの?
 あなたの時計の針は動くことなく止まっている。
 時を止めているのは小さい子供の竜斗なの。
 いつまでも遊んでいたい子供の些細な悪戯かもしれない。
 でも、あなたはもう子供じゃないはずよ。
 あなたは解き放ち、わたしは血を流して、急いで子供である事を捨てたはず。
 でも、それでも子供でいるつもりなの?
「きもち良い?
 解らないって、気持ちよくないの・・・?」
 遠い目。
 竜斗が何を見ているか、私、解っちゃったの・・・。
 時を止めてまで遊んでいるのは、もう子供じゃいられない事を知っているのに、本当は汚れた自分を痛いほど解ってるのに、それを認めたくないからよ。
 快楽に溺れて、罪を正当化して、楽しい思い出にしてしまえる程、あなたは強くない。
 誰より夢ばかり見て生きているから、自分の価値観で現実を直視してしまうのよ。
 あなたは私を汚してしまったことを悔いているの。
 いいえ、あなたが抱いたのは私じゃないのかもしれない。
 竜斗は自分自身を犯してしまった事に不快感を抱いているのよ。
 自分だけ救われたいと思っている、自分しか見えていない酷い人。
 でも、良いわ。
 今はそれで良いの。
 それでもあなたが好きだから。

 私は竜斗の時の回廊を逆に歩みながら、その核心へと近づいていく。
 途中、竜斗の思い出でが、私の中をくぐり抜ける。
 なんだか良くわからない不定形の思い。
 その切なさだけが伝わってくる。
 悲しくて、独りよがりで、とても寂しい思い・・・。
 きっと、あなたは独りじゃなかったはずなのに、誰にもうち明けずに、あなたは独り自分の気持ち閉じこめていた。
 もう、止めて。
 解放されていいのよ。
 竜斗は竜斗なんだから、そんなこと抱え込まなくて良いのよ。
 とても優しい気持ち・・・。
 子供を見守るお母さんのような気持ち・・・。
 でも、何か違う。
 私、あなたのお母さんじゃないから。
 やめて、甘えないで!あなたは子供じゃない!
 もう、大人なのよ!
 私はあなたのお母さんじゃない。
 そんなこと求められても困るんだから!
 私は代わりじゃないの!!
 後退・・・。
 竜斗の心が子供に戻ってきている。
 私が時の回廊をさかのぼっているから?
 それとも、子供に戻る事を望んでいるの、竜斗?
 時をさかのぼって、わたし何処にたどり着くんだろう。
 本当はわたし、知ってる。
 でも、それを考えるのが怖いの。
 もしかしたら、竜斗は私を捨てるかも知れないから・・・。
 赤い水・・・。
 心安らぐ心地よい鼓動・・・。
 とても、気持ちのいい世界。
 竜斗は産まれたままの姿で膝を抱えて安らかに寝ていた。
 ここは母親の胎内。
 きっとここにいれば、傷つくことも、傷つけることもない。
 でも、それで良いの竜斗・・・?
 ついまでも時を止めて、それで良いの?
 竜斗に触れようとすると、竜斗の身体から影が抜けだした。
 自分の気持ち誤魔化すために、かりそめの快楽に取り憑かれた竜斗。
 そうやって逃げるために、あなたは私を犯す。
 わたしは竜斗が全てなのに、竜斗は私をただの道具としかみていない。
 自慰のための道具としてしか・・・。
 止めて!もうやめて・・・。
 気持ちが悪いの・・・。
 本当はしたくないの!
 出来ないの私・・・!
 あなたがそうすることを望むなら、私には生きる価値が無いの!
 お願い、生きる価値が無いと言って!!
「お前なんて生きる価値がない・・・」
 確かに聞こえたあなたの声・・・。
 もう嫌なの・・・。
 死にたいの!
 お願いだから、私を殺して!!
「なんでそういう事するの!?」
 涙・・・。
「なんで泣いているの?」
 私は竜斗の涙を拭った。
「お願いだから、もう泣かないで・・・。
 わたしまで悲しくなるから」
「もう死ぬなんて、言わないで・・・」
「好きなんだ・・・。
 本当に好きなんだ・・・。
 だから、産まれてきて良かったし、君が生きててくれて良かった・・・。
 だから、死ぬなんて言わないで・・・」
 そして、時が動き出した・・・。
 時の回廊をさかのぼっていた私の心は今に引き戻された。
 まるで夢のような記憶を遺して・・・。


何時かあける夜

「竜斗・・・」
 わたし、たしかにそう言った。
 なんだろう、わたし泣いてるの・・・?
 何でこんなに切ないの・・・?
 そう、わたし夢を見ていたの。
 どんな夢?
 よく思い出せない。
 でも、竜斗が出てくる夢だったって事は解るの。
 とても長くて、でも何処か寂しくて、切なかった。
 何だろうね、この気持ち・・・。
 でも、嫌な気持ちじゃないの。
 とっても懐かしくて、優しい気持ち。
 ぼやけて見える薄暗い部屋の中。
 雨の音が静かに響いてる。
 ぴちゃぴちゃ。
 雨戸から滴が垂れる音。
 じゃぱーん。
 濡れた道路を走る車の音。
 いつもは靴を濡らす嫌な雨だけど、今日はなんだか新鮮で気持ちがいい。
 涙で濡れた頬をパジャマの裾でふき取った。
 今、何時なんだろう?
 まだ、日も昇っていないほど遅い時間。
 ううん、わたしの知らない朝早くの時間。
 冷たくて、澄んだ空気。
 何時も見慣れた部屋がまるで違う世界みたい。
 でも、少し寒い気もする。
 お腹が冷えちゃう。
 おっきな枕をギュッと抱きしめると、シャンプーの匂いがした。
 まだ、お父さんは起きていないよね?
 音を立てないように部屋のドアを開けると、廊下にお父さんの大きないびきが響いていた。
 はっきり言って耳が痛いほどうるさいの。
 昔はお父さんの隣で寝ていたけど、よく寝ていられたね。
 今じゃ無理かも・・・。
 とにかく、お父さんは起きていないみたい。
 ちょっとだけ・・・、外に出てみようかな?
 パジャマの上からカーディガンを羽織ると外に出る。
 玄関のドアに付いた鈴が鳴ると、お父さんを起こしてしまったんじゃないかと、少しドキっとする。
 玄関の向こうは家の中より肌寒むかった。
 今は夏だけど、まるで秋のような空気。
 土の匂いにも似た、雨の匂いがした。
 わたしの家の向かい側にある玄関の扉を見つめた。
 小さな団地、わたしの部屋の薄い壁の向こうに住んでいる、幼なじみの竜斗。
 わたしも相当変だと言われるけど、そんなわたからみても変な子。
 ふと、見ていた不思議な夢を思い出す。
 やっぱり、変な気持ち。
 今、竜斗は寝ているのかな?
 団地の階段から外を覗いてみると、一面白い霧で包まれていた。
 目線よりずうっと下の方に街灯の光がぼんやりと浮かんでいた。
 道に沿って何処までも続いている。
 なんだか幻想的で不思議な感じ。
 雨、止んじゃったのかな?
 でも、少し降っているのかもしれない。
 傘持ってないや。
 雨降ってるの知ってたのに、わたしって馬鹿だよね。
 ま、いいや。
 下まで降りると、本当に真っ白の世界。
 見慣れた団地の敷地も何処か違う世界のよう。
 1メートル先もよく見えない。
 上を見上げるとぼんやり電灯が光ってる。
 霧の中ってひんやりとして気持ちがいい。
 死んだこと無いから解らないけど、天国ってこんな感じなのかな?
 何となくこんなイメージ。
 お母さんはこんな所にいるのかな。
 わたしは無意識のうちに団地を奥へ奥へ進んでいた。
 団地の一番奥には公園があるの。
 ゴムで出来た柔らかい椅子のブランコ。
 石のオブジェに囲まれた砂場。
 そして、小屋の下にある街を見下ろせるベンチ。
 わたしはなんとなくこの公園が好きなの。
 ずっと前、大好きなお友達が家に泊まりに来たとき、一緒に夜景を見た事もあった。
 とても良い思い出。
 でも、沢山蚊に刺されたんだったっけ。
 島のような形をした団地の敷地。
 左にはまだらに光を灯した建物が列を作って建っている。
 右には街灯と車が沢山並んだ駐車場。
 その間を道は柔らかいカーブを描いて続いている。
 やがて左側に公園が見えた。
 ちょっと団地より少し下にある公園。
 柔らかい光を灯した小屋のお屋根が見える。
 階段を下がって公園に入る。
 神様のいたずらで、時を止められた静かな神殿みたい。
 ・・・あれっ?誰かいる。
 屋根の下で街の方を見つめながらタバコをふかす、見覚えのある小柄な後ろ姿。
 竜斗だった。
 その姿を見つけたとき、わたしはどきっとしたけど、なぜか嬉かった。
「・・・」
 いつもなら、なんの気兼ねなく話しかけられるんだけど、何でだろう声をかけることをためらってる。
 わたしはその場で立ちつくしてしまった。
 話しかける勇気がないの。
 お願いだからわたしに気が付いて・・・。
 その時、お腹が痛くなった。
 なんだか冷えちゃったみたい。
 それと同時にお腹の下の方がふくれあがる感じがした・・・。
 そう、お腹の中にガスがたまりつつあった。
 いやっ、こんな時にサイアクっ・・・!
 必死に押さえ込もうとしたけど、それが返って災いした。
 恥ずかしい音が静かな空間に響いた。
 その瞬間、耳まで真っ赤になるのが自分でも解った。
「いゃぁーーーーっ!!」
 わたしは思わず恥ずかしくなって、竜斗の背中を思いっきり蹴飛ばしていた。
「うぎゃっ!」
 竜斗は潰れたカエルのような声を上げて倒れ込んだ。
 その惨状を見て、思わずまた真っ赤になってしまった。
 地に伏せたまま固まったままの竜斗。
 ・・・もしかして、辺りどころが悪くて死んじゃったの?
 わたしはたまらなく怖くなって、その辺に落ちていた棒きれでつついてみた。
 すると僅かな反応を示す。
 なんだか面白い。
 なんか、子供の時やっていたアニメで、ロボットの女の子がこんな事してたっけ・・・。
「お前はア○レちゃんかっ?!
 そうすると、俺はっ・・・。
 それだけは嫌だぁ!」
 竜斗が独りでなにやら呟きながら復活した。
「・・・とにかく、何なんだよお前は!?
 突拍子もなく現れては、いきなり蹴飛ばしやがって!
 俺に恨みでもあんのか?」
 あっ、竜斗の鼻に落ち葉が・・・。
 凄んでいるけど、なんかマヌケ・・・。
 わたしは思わず笑ってしまった。
「なんだよ、何が可笑しい?」
「・・・なんでもないよぉだっ。
 それより、聞こえなかったの?」
「聞こえなかったって、何がだよ!?」
 わたしは心の中でホッと胸をなで下ろした。
「だったら良いのっ。
 気にしないでね!」
 わたしの声のトーンが高くなっていた。
「ああ、気にしない。
 誰もお前のおならなんて聞いちゃいねぇって」
「やっぱり、聞こえていたんじゃないのっ!バカッ!」
 わたしは竜斗の頭をこついてベンチに座った。
 ・・・恥ずかしかったけど、それでもいいや。
 だって、竜斗と話することが出来たんだもん。
 結果オーライよね?・・・何故か疑問系だけど。
「でも、何してるんだよ、こんな朝早くに?」
 竜斗はわたしの隣に座る。
 こんなにも近くに竜斗がいる。
 なんかドキドキ。
 竜斗の体温が感じられそうなぐらい近くに・・・。
 わたしの心臓の鼓動・・・。
 息の音・・・。
 匂い・・・。
 竜斗は感じているのかな?
 もし感じていたら、なんか恥ずかしい。
「なんか空気が気持ち良かったから、外に出てみたくなったの」
 竜斗はわたしの顔を見て笑う。
 失礼なヤツ・・・。
「悪い?」
「悪くなんかないよ。
 ただ、弓弦は純粋だと思ってさ」
 あ、竜斗がわたしを名前で呼んでくれた。
 竜斗がわたしと話す時って、いつもお前とか、君とか間接的にしか呼んでくれない。
 子供の時はそうじゃなかったけど・・・。
 いつの間にかに壁を作っていたんだね。
「わたし、純粋なんかじゃないよ」
「僕からしたら純粋だと思う。
 気持ちが良いって感じられることがさ・・・」
 竜斗の言い方、なんか影がある。
 わたしの知らない竜斗。
 しゃべり方も、雰囲気も全然違う。
 どうしてこんなにも深いの?
「じゃあ、竜斗は何でこんな所にいるの?」
「さぁ、どうしてだろうね」
 わたしはチラッと竜斗のワイシャツのポッケに入ったタバコの箱に目が行ってしまった。
「お姉ちゃんに隠れて、タバコ吸いに・・・?
 あれっ、竜斗ってタバコ吸ってたっけ?」
「普段は吸わないよ。
 ニコチンは身体に悪いし、ワザワザ身体壊すようなマネすんのもおかしいしさ」
 竜斗は遠くを見る。
 なんか悲しくて、寂しい目。
 なんで、そんな目をするの?
 わたしはじっと竜斗の顔を見つめていた。
「・・・この時間までインターネットやってて、なんかさ、無性に虚しくなって、何かで自分の気持ち誤魔化してないとやっていられなくてさ・・・。
 でも、吸うんじゃ無かった。
 だって、こんなんじゃ全然自分の気持ちを満たすことができないから。
 僕には一生タバコを吸う人の気持ちは分からないね・・・」
 竜斗はわたしが自分のことを見つめている事に気が付いてこっちを見る。
 少しどきっとする。
 男のくせに可愛い顔・・・。
 普段のトゲトゲさは消えてまるで子供のような顔してる。
「どうしたの?」
 心配そうにわたしの顔をのぞき込む。
 なんか、本当に心配しているみたい。
 へんなのっ。
「ううん、竜斗って変だなって思って」
「俺の何処が変だっていうんだ。
 お前のほうがよっぽど変だぜ」
 あ、また変わった。
 竜斗の心のチャンネルはコロコロ変わるのね。
 一体、その瞳でどんな世界を見ているんだろう?
 複雑でとらえどころのない世界・・・。
 でも、何時も何処か寂しそうなの・・・。
「インターネットで何かあったの?」
「何もないよ・・・・。
 インターネットは楽しいよ。
 色々な人と出会って・・・。
 楽しいんだけど、たまらなく虚しいんだ。
 何処の世界でも戯けてみせるけど、それが本当の自分じゃないって事が痛いほど良くわかる。
 記録として僕の姿が残って、終わった後も何時までも僕の姿が何時までもそこに残っているんだ・・・。
 そんな自分を見るのがなによりも嫌だ。
 冷たく笑う自分がいてそんな自分を壊してしまいたいと言うんだ。
 インターネットにいる人はそんな僕を嫌と言うほど映し出すけれど、それでも人の中で生き、自分を映しだしてくれていないと、不安でたまらないんだ・・・」
 悲しい瞳。
 わたしには解らないよ。
 なにがそんなに悲しいのか・・・。
 お願いだからそんな瞳をしないで・・・!
「竜斗は幸せじゃないの・・・?」
「解らないなぁ・・・。
 でも、きっと幸せなんだろうね。
 生活とか、特になにも困るようなことはないし、毎日をのうのうと暮らしているのだから・・・」
「わたしもそうよ。
 でも、わたしは幸せよ。
 毎日が楽しいからね!
 だから、竜斗も難しいこと考えないで、わたしと一緒に楽しもうよ!
 そうしたら、きっと幸せよ」
 わたしと一緒・・・?
 自分で言っててなんか恥ずかしいな・・・。
「そうだね」
 優しい笑顔・・・。
 わたし、そんな竜斗がすきなのかもしれない。
 あ、またお腹冷えてきた。
 おならこそでないものの、軋むような感じ・・・。
 わたしは思わずお腹を押さえていた。
「冷えちっゃたの?」
 わたしは言葉無く頷いた。
 竜斗は自分のジャンバーを脱いでわたしの方に掛けてくれた。
 竜斗の体温が残っていて暖かい・・・。
「そんなの悪いよっ!
 竜斗が寒いでしょ!!」
「だったらこうしよう」
 竜斗はわたしにピッタリとくっつくと、ジャンバーの片側を自分の肩に掛けた。
 少し大きめのジャンバーは二人の小さな身体を包んでいた。
 どうしよう、いまだかつてないほどに心臓がバクバク・・・。
 でも、もっとくっつきたい。
 わたしは竜斗の肩に頬をすりつけてしまった。
「猫みたいだね」
 竜斗はほほえむと、わたしの肩を抱いた。
 わたしは緊張のあまり息を飲んでしまったけど、とても優しく心地が良くて、すぐに竜斗に身体の重みを預けてしまった。
 わたし、濡れているみたい・・・。
 Hな事しているわけじゃないのに、濡らしちゃうなんて、わたしHな子なのかな・・・?
 竜斗がこの事を知ったら、嫌われちゃうかな?
 でも、こんなにも心地が良いの。
 竜斗・・・。
 わたし、竜斗の事好きみたい・・・。
「見て、朝日が昇るよ!」
 竜斗に言われて街の方を見てみると、いつの間にかに霧が晴れて、街が真っ赤に染まっていた。
 ゆっくりとゆっくりと太陽の光は私たちの街を飲み込んでいく・・・。
「綺麗・・・」
 わたしは思わず呟いた。
「本当に綺麗なのは、綺麗なものを綺麗だと思える弓弦の心だよ。
 風景は人の心の鏡のようなものだと僕は思うんだ。
 心がすさんでいれば、いくら綺麗な風景だってすさんで見える。
 逆に心が綺麗な人は、どんなに汚い風景を見ても、その中から綺麗なところを探し出して、綺麗だと思うことが出来る。
 だから、この景色を素直に綺麗だって言える弓弦の心はとても綺麗だと思う」
「竜斗も綺麗だと思うでしょ。
 だから、竜斗も心が綺麗な子だよ」
 竜斗は下にうつむく。
「そうだね・・・」
 その声は涙まじりの声だった。
「明けない夜はないよね・・・。
 長い夜でもいつかきっと・・・」
 このとき、この瞬間。
 とても幸せでたまらなかった。
 何時までも、何時までもこの時が続けば良いと思った。
 だけど、時は何時か終わる。
 だからこの気持ちを、この心を大切にしていこうね。
 そうだよね、竜斗。


満たされぬ者へ永遠の福音を

 満たされぬ者へ永遠の福音を・・・。
 満たされぬ者へ永遠の福音を・・・。
 満たされぬ者へ永遠の福音を・・・。
 世界は閉ざされた。
 それは繊細な世界だった。
 疑えば消えてしまう脆い世界。
 だけど、掛け買いのない僕の世界。
 ただ失うのが怖かった。
 こんな世界でも、失うのが怖かった。
 だけど、失うことを恐れすぎて、全てを失った。
 僕はまだ覚えているか、あの少女を。
 いつも傍らにいたはずだ。
 思い出せるか、僕自身の形を。
 僕があるべき形を見失っているはずだ。
 ・・・あの頃、たしかに僕はそこにいた。
 僕がそこにいるのがあたり前だと思っていた。
 でも、それは違った。
 彼女がいたからだ。
 彼女が支えていてくれたから、僕はちっぽけな僕の形を維持することができたんだ。
 こんなにも愛しくて、こんなにも愛されていたのに、僕は何一つ信じることが出来なかった。
 信じれば裏切られる。
 何時からか心に刻んだ不安に耐えることが出来なかった。
 自分の心の闇にとらわれて、自分自身を追い詰めていった。
 もう、誰も信じられない。
 僕は自ら世界の閉鎖を願った。
 焦がれる気持ちが全てを壊す。
 そして、僕は君を失った。
 厚い雲で覆われた空は閉ざされた僕の気持ちのようで、冷たい風は空虚となった僕の心を吹き抜ける。
 きっと、あの雲の上は太陽が輝いているのだろう。
 何億年の時を越えて輝き続ける光。
 ちっぽけな僕はほんの一瞬の暗がりでさえ、大きなものに思えてしまう。
 たった一度、たった一度でいい。
 もう一度だけ、奇跡を見たい。
 だから・・・。
 満たされぬ者へ永遠の福音を・・・。
 僕は閉ざされし世界の世界の悲しみを天に唄った。
 まるで天使の歌声のような幻想的な調べが僕を祝福する。
 とても懐かしい音だ。
 厚い雲を突き抜け黄金の光が射すと、光に包まれ僕の身体は還っていった。
 僕が僕として生まれる前、母親の胎内へと。
 そこは心地よい空間だった。
 優しく力強い鼓動が僕を抱く。
 ここにいれば傷つくことも、失うこともない。
 だけど、僕は会いたいんだ。
 傷つき、傷ついても良い。
 ぼろぼろになっても、それでも会いたいんだ。
 だから、僕は産まれてきたんだ。
 全てを失ってもなお、僕は生きているんだ。
 いや、何も失ってはいなかったんだ。
 僕は君に何かを与えられて、今もなお生き続けているんだ。
 そうだったんだ。
 そう、僕は何も失ってはいない。
 遙かな夢の終焉、闇の終わり、光の中で僕は彼女の姿を見た。
 違う世界、違う人生。
 僕と彼女はもう違う人間で、何時からかすれ違い互い、それぞれの道を歩んできたけども、僕と君が生きたあの世界の続きに今があるのだから、後悔してはいけない。
 触れるか触れないか、刹那の口づけ。
 触れれば消えてしまう幻を抱きしめる。
 僕の世界は再びまわり出す。
 目に見える事だけが現実じゃない。
 望みさえすれば世界は幾らでも変わる。
 何を望む・・・?
 共に過ごした記憶を胸に、僕と君が今も生き続けていればそれで良い。
 今も僕は僕、君は君として生き続けているのだから。


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