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嵐の日

ぱぱのでんしゃ
Junichi YONETA
米田淳一

「三番線に列車が参りま~す。黄色い線の内側でお待ちくださ~い」
 小学生の子供が鉄道模型、Nゲージの電車を手で走らせながら一人で遊んでいる。
「ただいま」
 彼がこのマンションに帰ってきた。
「お帰りなさい」
 彼の奥さんが食事を作りながら玄関に帰ってきた彼を迎える。
「勇太、遊んでたか?」
「おとーさん、おかえり~」
 勇太と呼ばれた彼の息子の手の中の模型を見て、彼がちょっと悲しい顔をする。
「なんだ、またやっぱりうちの会社の電車じゃないのか。この前、ウチの会社の新車の模型買ってあげたのに」
「だって、パパの会社、北急線の電車は格好悪いもの」
 子供が訴える。
「そんな事言うなよ。ちゃんとデザイナーさんが頑張って設計したんだから」
「でもネットじゃ『汚物』って呼ばれてるよ」
 子供というものは、いつの時代でも残酷だ。
「ネットはネットだろ。せっかく誕生日に買ってあげたのに」
「買うんだったらJRの電車のほうがいいもん」
「あれはあれで問題あるけどなあ」
 彼はそういいながら、今日一日の乗務で着た制服を洗濯カゴにだし、通勤用のシャツを脱ぎ、Uクビのシャツでグッタリとソファに座ってテレビに目を転じる。
「ちゃんと着替えて。いまのパパたちは子供の前でそんな格好しないって。きちんとしないとマンションのなかで悪く言われちゃうわよ」
「いいじゃんか。俺の父さんもこういう生活だったんだから」
 彼の父も鉄道員なのだ。
「だからといってあなたもそうしていい訳じゃないでしょ。きちんとして。着替えあるんだから。時代は変わったのよ」
「時代が変わった変わった~」
 子供がはやす。
「もー、うるさいなあ。日勤明けなんだからさー、もうちょっと暖かく迎えてくれよ。今日の行路だってきつかったんだし」
 彼はため息を吐く。
「勇一は?」
「塾。まったく、可哀想よね、今の子供って」
「いいじゃんか。日曜日は撮り鐵させてやっているんだから。それに、人間は一生勉強だよ。きわまるなんて事は有り得ない。極意というのは、駅への停車にせよ」
「またお父さん始まった。はい、いつもの発泡酒買ってきたわよ」
「たまに別のが飲みたいよ」
「今は水より発泡酒が安いとはいえ、やっぱり苦しい生活なんだから、我慢してよ」
「そんなにお金がないのか」
「えー、ウッソー!」
 彼女は食事の用意の手を思わず止めて叫んだ。
「先月、奮発して鉄道模型買ったじゃない! あれでかなり苦しいのよ! もうっ、どうしてあなたの家の男たちって金銭感覚がないの?」
「もっと稼いでると思ったんだけどなあ」
「あなたの会社も苦しいのは分かりますけど、私もパートでくたくたなんだから」
 そのときだった。
 テレビのニュースが流れた。
『北急線、北部急行電鉄の不祥事の話題です。北部急行電鉄の株式上場廃止に至った疑惑ですが、ついに同鉄道グループのかつて筆頭株主だった四橋信氏および四橋一族の支配を離れた北部急行電鉄の経営に大手フィナンシャルグループ、つつじホールディングスが経営者を送り込み、大規模な経営刷新をすると同グループCEO前川幹二氏が記者発表しました。
 同鉄道の不祥事をきっかけに明らかになった問題について、前川氏は抜本的な『聖域無き経営改革』を通じ、不良債権の回収と経営の健全化、さらには鉄道としての北部急行電鉄のありかたも検討すると述べました』
「あなた」
 彼女は絶句している。
「ああ。うちの会社だ」
 北部急行電鉄、北急線の運転士である彼、市ノ瀬透(いちのせとおる)は、テレビを見つめていた。

「失礼します」
 重役室に呼ばれた男は、樋田英昭(といだひであき)といった。
 胸にはIDカード、傍らにアタッシュケース、三つ揃いのスーツは、彼がフォーマルな装いを守る堅実ながら勇敢な経営者であることを全身で物語っている。
「入りたまえ」
 重役室の中で、CEOの前川が答えた。
 つつじホールディングスの経営陣がそろっている。
「みなさん、これが我が投資グループで不良債権を処理する点で特に優れた男、お話の樋田です」
「ほう、君かね。リゾートホテル『鰺が崎シーワールド』の奇跡の経営転換の」
「恐縮です」
 樋田は頭を下げた。
「人員を半分に圧縮、半分をリストラし、その残りの半数も派遣スタッフに切り替えた」
「優秀な首切り屋……いや、これは失礼。しかし、人員削減は容赦なくやらねば効果がありませんからな。事業についての妙な愛着だの企業文化だのを引きずっていては産業の経営改善は望めない」
 つつじホールディングスの経営陣は言う。
「仰るとおりです」
 樋田は承った。
「シーワールドの状況を見た上で、君にこの北急電鉄グループの経営改善ができるというプランも検討した。
 喜びたまえ。君の案が採用だ。早速北急電鉄の新社長としてプランを実行したまえ」
「ありがとうございます。この樋田、粉骨砕身の覚悟で努力します」
「よく言った。頼もしい言葉、期待している」
「喜んで」
 樋田は一礼した。

 樋田の出て行った重役室で、ささやかれる。
「しかし、あの男にできるのかね。四橋一族は鉄道経営から事業を広げ、日本全国を開発した大鉄道王だ。北急電鉄はその中心、四橋一族に個人的な忠誠を誓った社員も多いと聞く」
「大丈夫だ。樋田には人間の最大の弱点がない」
「なんだ、その弱点とは」
「『情』だよ」
「ほんとうか」
「ああ。使っていて思うよ。恐ろしいほどの残酷な男だ」

 季節は秋だった。
 秋の雨は好まれることは少ない。
 ただひたすら冷たくて、もの悲しい。
 その雨が降り注ぐフィナンシャルグループ・つつじホールディングスのビル車寄せに、北急電鉄の社用車が止まっていた。
「おい」
 ビルの守衛から声が掛かり、社用車の運転手は不審そうに車の扉を開けようとした。
「君、社に帰り、辞令を待つようにと新社長・樋田さんのお言葉だ。社用車は廃止、新社長は地下鉄で神宿の本社へ既に出発している」
「ええっ、じゃあ私の仕事は!」
「あいにくだが、リストラと言うことだろうな」
「そんな! まだ娘の大学入学だって」
「新社長はそのような個人的事情は自己責任で賄うように、と。まったく、そこまでするかと思うよ」
 運転手は崩れた。
 長い夜が、始まろうとしていた。

 北急線新宿、山手線と中央線から別れる北急半原本線のカーブの内側に立つ北急電鉄本社に、樋田は降り立った。
 夜にも降り続ける雨にもかかわらず、樋田は受付に向かった。
「新社長の樋田だ。重役を今すぐ招集しろ」
「でもほとんどの重役は勤務を終えて退社なさって……」
 受付の女性が訴えるが、樋田は聞かなかった。
「このような組織の危急時に定時退社など有り得ない。新執行部へのサボタージュとして今から1時間以内に出社できない重役は全員処分の対象とする。
 今すぐ招集しろ!」
「は、はい!」
 受付はすぐに秘書課を呼びだしにかかった。
「秘書課があるのか、この会社には」
「ええ」
「そんなもの不要だ! 重役だからこそ、自分のスケジュールの管理を自分でできない無能な者は立ち去るべきだ!」
 樋田はまくしたてる。
「そう仰っても……」
「秘書課全員の辞表を集めておけ。これからは社員は全て、自分のスケジュールは自分で管理する事を徹底しろ。携帯とPCがあればできるはずだ。できない老人は老害だ!」
「はぁ」
「返事をきちんとしたまえ。この会社は返事すらロクにできないのか! だからこのような経営危機に瀕するのだ!」
 そこにメガネにスーツの正当派秘書スタイルで固めた女性が現れた。
「秘書課課長伊部章子と申します。仰る通りです」
「伊部さん!」
 受付スタッフが悲鳴を上げる。
「我が社はこれまで、鉄道という資産があることを良いことに、経営努力を怠ってきました。しかしながら、我が社には我が社の長年染みついた企業文化がありまして」
「その様なものは全く不要だ! このような債務にまみれた会社に文化を語る資格はない!」
「その通りです」
 伊部は頷き、また受付の女性が慌てる。
「しかし、会社を、この鉄道を愛する気持ちが」
 受付の女性が訴え、他の社員も何事かと集まってくる。
「鉄道であろうが製パン工場であろうが、利潤を生み出さない事業など慈善事業だ。それは金があって暇な慈善家に任せるべきだ、そうではないか!?
 私はこの会社で利潤を上げる使命を持っている。利潤が上げられない鉄道なら、それは廃止して有料自動車道にすればいい。
 それなら運転士も車掌も列車も送電線も要らない」
「ええっ!」
 全員が絶句するが、しかし、秘書課の伊部だけは頷いていた。
「わかりました。もうすぐ重役が集まります。そこでもお話ください。
 社員には私から周知させます。しかしながら」
「なんだね」
「前のリストラしたリゾートホテルではどうだったかはメディアで拝見しておりましたが、鉄道事業とは、決して今のあなたの考えるようなものではありません」
「なんだと!」
 声を荒げる樋田社長に、受付スタッフが口を挟んだ。
「あの」
「なんだ!」
「重役がそろいました」
 樋田は伊部に何か言いたかったようだが、それを引っ込めて重役室へ案内されていった。

「伊部さん、どうなっちゃうんです? うちの鉄道」
「まさか、道路になっちゃうなんて。鉄道事業は鉄道事業法で」
 伊部はクビを横に振った。
「あのひとの目を見たわ。あの人は本気で鉄道廃業すら考えている」
「そんな」
 全員が落胆する。
「どうあろうと、私たちは目の前の仕事をするしかないのよ」
 伊部はそういう。
「大丈夫。あの目には信念がある。私たちの人生を賭けるだけの信念が」
「だって、首切り屋ですよ」
「まあ、見ていなさい」
 伊部は微笑んだ。

 新宿に雨が降っている。
 秋の冷たい雨だ。

 重役たちを引き連れて、新社長・樋田は先を急いだ。
「なんだ、この重役フロアの内装は」
 彫刻で飾られた重役フロアに樋田は声を上げる。
「創業者四橋一族が三世代かけて築いたロココ調の内装です」
「今すぐ分解しろ」
 樋田はすぐに言った。
「は?」
 重役たちは理解できないで互いを見つめ合った。
「バラバラにしてネットオークションに出品して現金化したまえ! このような結果を導いた旧経営陣の遺物を目にするのは耐え難い苦痛だ! 今すぐ内装屋を呼んで分解しろ!」
「そんな! これは我が社の戦前からの歴史の……」
 重役が抗弁する。
「歴史を君に判断してもらういわれはない! 歴史は未来が決めることだ。このような経営の真髄を忘れ、趣味に走るような経営者に企業文化だの歴史だのを語る資格はない!」
 樋田は叫んだ。
「私はつつじホールディングスより命を受け、この北急電鉄の新社長となった樋田英昭だ。さて、君たちに聞く。この鉄道会社は誰のものだ?」
「それは……」
「お客様の」
「いや、地域の」
 重役たちは明確に答えられない。
「聞いた私が愚かだったようだな。
 企業とは利潤を上げ、投資家に還元する事業を行うから企業という。
 その手段として乗客へのサービスや投資があるのであって、乗客のためだけなら企業である必要はない!
 答えとして零点だ!」
 樋田は一喝する。
「全員、辞表を書け。さもなくば解雇だ。
 この重役陣には望みはない。
 明日からこの会社の資産を査定し、鉄道事業の廃止を含めた経営再建策を策定する。
 君たちをそのために働かせようと思ったが、誰一人として私の目や手になりうる素質がない事が判明した。
 本来重役会議とは利潤を上げるために全力を尽くす科学的な議論をする聖域だ。
 君たちにはその場に立つ資格がない。立ち去れ!」
 重役たちはすくみ上がった。
「しかし社長! いいえ、この首切り乗っ取り屋!」
 重役の一人が捨て身の反論に出た。
「鉄道事業は人と人とを繋げる交通機関であると同時に、地域に奉仕する崇高な使命がある。利潤だけを望んでいてはその役割が果たせないのは自明だ! 社長、あなたが投資家に選ばれたとしても、我々はあなたを拒絶する。
 あなたに鉄道事業者の資格はない!」
「資格? もともと世の中の仕事全てに資格など必要はない! 問われるのはその仕事についての手腕と才覚だけだ! 君たちにその資格がある? それこそサムライ商法と同じ、資格を盾に取っただけの詐欺だ! 負け犬の自己憐憫だ! そのようなものは淘汰されるべきだ! 君には真っ先に辞めてもらう」
 樋田は言い捨てた。
「社長、私もこの鉄道を愛してました」
 もう一人の重役が立ち上がる。
「ほう、君はその『愛する』鉄道をこんなにも赤字まみれにしたんだぞ! 君の愛とはこういうものか? 現実を見たまえ! 経営者としての恥を知れ! 君も更迭だ!」
 重役全員がうなだれ尽くした。
「明日からこの鉄道会社の資産を視察し、再建策を仕上げる。鉄道事業の廃止も選択肢に入れている。だいたい何だね、この事業報告の人件費率は。人件費が余りにも高い。鉄道事業を続けるとしても、人件費カットは急務だ。そのために君たち重役は総入れ替えとする」
 樋田は呼吸を整えた。
「辞表を書いてから明日出社しろ。解散!」

「大丈夫だ」
 運転士・市ノ瀬は北急電鉄労働組合の青年部長でもあった。
『市ノ瀬さん、申し訳ないです。せっかくの非番を』
「でも、こう言うときだからこそ、結束しないと」
 市ノ瀬は、携帯を耳に押しつけた。
「凄いのがやってきたな」
 外は嵐だった。

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